1999年1月31日日曜日
フェアウェルの後に
今月は4回生の本当に最後の引退コンサ-トがあったことや、その絡みで(?)色々な先輩の人生観を聞かせてもらったせいもあって何か色々と人間関係について考えること多かったですね。
1999年1月30日土曜日
遊びのトライアスロン
保津峡の鍋大会はとてもJRで230円の区間内にあるとは思えない綺麗な自然の中で、久しぶりにキャンプ気分などを味わいながら非常に楽しく火を起こして鍋を作ってました。持っていった酒も大好評で、皆さん喜んでくれたようで嬉しかったですね。やはり景色のよい自然の中というのは心が洗われるようでよいものです。
その後のコンパも睡眠不足と疲れから肉体的疲労は相当たまっているにもかかわらず、何故か酒と喉の調子は昨日より快調。たくさん飲み食いして満足してきました。2次会のカラオケも絶対昨日より調子がよく、(自称)RAINBOW名物となったHさんとのアニメタルのデュオもビシッと決まり気分よかったですね。しかも課長さんがお金を出してくれたおかげで、さんざん飲み食いして3時間歌っても一人頭わずか350円の出費で済んだというこの素晴らしさ! 今日は一日であらゆるストレスを吹っ飛ばした最高の日でした。さぁ明日は部活の某先輩宅でまた鍋パーティーだ。
1999年1月28日木曜日
ゲテモノブーム
しかし私の中でゲテな飲み物と言えばやはり『ドクター・ペッパー』が一番ですかね・・・。あの当時110円だったジュ-スの自動販売機の中で、何故かこれだけ70円とかで売られていたという伝説の。しかも主に長岡の自動販売機でその傾向が顕著なんだ、これが。何故かは知らんけど。まぁ飲んだことがある人にはわかるだろうけど、あの腐った医院のような消毒臭じみた匂いの、妙な甘さが口に残るとてもこの3次元の生産物とは思えない飲み物がどういった経緯で商品化されたのかは今でも疑問ですね。しかし高校時代私が所属していた(というか助っ人参加していた)部活の人間相手に実際に飲ませてリサーチを取ったところ、不思議なことに血液型AB型の人間は何の抵抗もなく飲めるんですよ。で、A型の人間はことごとく悶死。0とBは飲めなくはないけどちょっと敬遠、といった感じでした。それもキレイに例外なしに。これはどういうことなんでしょうね? やはり血液型で味覚にも差があるのか、それとも何か別の要因があるのか・・・。気が向いたらもう1回リサーチを取ってみるのも悪くはないかも知れません。
そういえばドクター・ペッパーで思い出したのですが、その昔真島昌利がブルーハーツと並行してソロ活動やってたときに出した『アンダルシアに憧れて』という曲のカップリングの曲にドクタ-・ペッパ-出てきてましたね。曲名がちょっと思い出せないのですが・・・。
♪ドクター・ペッパーをいつも飲みたかった~
・・・って、飲みたくねーよ!
しかしブルハといえば私の中学から高校初期の頃までの人生のバイブル的存在であったわけですが、なんかハイロウズってブルハに比べるとやはりパワーというかカリスマというか求心力のようなものがありませんよね。少なくとも私はそう感じるのですが。何がどうとかいうんじゃなく、もっと単純に直感的な面で心に訴えかけるものが少なくってる気がします。『終わらない歌』や『チェインギャング』、『首吊り台から』や『Too Much Pain』、『ナビゲーター』といった今も心に残る名曲達のような理屈抜きの説得力が足りないような・・・。まぁいつまでもあのエネルギーを保ちつづけろという方が無茶なのはわかっているのですが、それでもちょっと寂しいですね。あそこまで心に直接訴える力を持った歌ってそうそうあるもんじゃありませんから・・・。
1999年1月27日水曜日
クッシー宅訪問
1999年1月25日月曜日
1999年1月24日日曜日
アンニュイ
今日はもうなんか日中ずっと寝てたって感じでねぇ・・・。なんか頭の働きもイマイチ鈍くて、夕飯食べながらボ~ッとテレビなど見て時間過ごしてましたわ。適当にギターも弾いて、疲れたらボ~ッとして、ってそんな生活も結構よいですね。なんか俺は色々と妙なことやってるからやたらに何かをやってないと気がすまないんじゃあというようなイメージが広まっているようですが、これで実は意外とボ~ッとするのも好きな方なんでね。一人だと仕事もあまり進まなかったりする(苦笑)。ああっっっ、そういやAアンの『調和の幻想』とBKCとの合同有志の『Fenix』の編曲しないと! いや、まぁ『Fenix』の方はもう大体終わってるんですけどね・・・。
1999年1月23日土曜日
CSS実験室
しかしCSSで実験していて思ったんですが、世に現段階ですでにスタイルシートを使ってWebデザインをやるべきだという輩もいますが、いくらなんでもそりゃまだ時期尚早だろうと感じましたね。CSSへの対応が比較的的確になされていると言われているIEでもまだCSS1ですらバグが残ってる。現在のHTMLは構造を指定するものでレイアウトを決定するためのものではないから本来の目的に応じてスタイルシートを使うべきだというのが彼らの言い分ですが、まぁ理論上そうでも実際問題まだブラウザの対応が完全になされてないうちからそんなもん使ってるとWebを見てくれる人に対してあまりに優しくありませんよね。そんなにスタイルシ-ト使いたいならWebマスターに強要するんじゃなくて、自分でユーザー標準スタイルシートの設定してブラウジングすりゃいいんです。人に使え、っていうくらいならそのくらいの技術あるんでしょうし。ねぇ。まぁ確かにCSSを使った方が現在のHTMLの限界を簡単に超えていけるだけの可能性はあるのですが・・・。現にこのペ-ジも試しにCSSでレイアウトしてみたけど、実にスッキリしたソースで見やすく仕上げることができましたよ。このペ-ジテキストが多いから通常のHTMLだけでやってると行間が狭くてとてもゴチャゴチャして見えるのも解決できたし、ノート型のレイアウトにするのに左マージンをとるのにHTMLだけだと非常に苦労するのもCSSだとマ-ジンの設定一発でできちゃうし、背景画像のリピ-ト方法も余裕で指定できるし。・・・便利なんですけどねぇ。見やすくなりますよ、このページも。明日気が向いたらスタイルシ-ト使用の『雑記帳』をお試し版でアップしてみますよ。最新版のブラウザ(まぁIEの方がお薦め。NNでも最新版ならある程度は・・・)で見てみてください。
1999年1月21日木曜日
沈黙の平行線
そこに言葉もなくただ沈黙だけが流れた
「なんか話そうよ」
その彼女の言葉の後もそれっきり
また遠くの喧噪が虚ろに響くだけの時が始まる
言葉を常に意識する僕は
言葉の嘘を知っていた
あるいはそれは誰もが暗黙のうちに知り得ていること
でもやはり
本当に伝えたいことが“言葉”という形で外に出た時
それも自分で嘘に聞こえる気がして
そのことが嫌で沈黙を選ぶ
悲しいことは
僕らは誰もその“言葉”を介してしか何かを語れないこと
“言葉”がなければ物足りないこと
彼女はやはり確かなものとして“言葉”を求め
僕は確かなものとして“沈黙”を選ぶ
限り無い平行線
伝えようとすればするほど
彼女が求めるのは“言葉”
僕が選ぶのは“沈黙”
今僕が口にする“言葉”が虚偽ではないと
信じることもできないくらい
世界に飾り立てた綺麗な“言葉”は蔓延しているから
やはり僕は沈黙を選ぶ
1999年1月20日水曜日
家族で食事
1999年1月19日火曜日
DDBJ Search and Analysis
DDBJ Search and Analysis
1999年1月18日月曜日
39度オーバー、三度目
1999年1月17日日曜日
39度オーバー、二度目
1999年1月16日土曜日
39度オーバー
1999年1月15日金曜日
風邪ひき
1999年1月14日木曜日
話のスタイル
1999年1月13日水曜日
ReadMe! Japan参戦
1999年1月12日火曜日
無題
1999年1月10日日曜日
断片
1999年1月9日土曜日
小説の好み
1999年1月8日金曜日
底冷えの京都と締切り間際の魔術師
しかし今日で無事レポ-ト提出も終了。一晩で20枚を一気に書き上げるという荒行もこなし、その上情報処理系の宿題も2つばかりこなし、久し振りに修羅のような気合いとともに締切り間際の魔術師が復活、召喚されたのでした。いや~、終わったよ。今夜は祝杯だ。
1999年1月7日木曜日
新年、"自分"と向き合う
さてさて、話はガラリと変わりますが、皆さんは普段どのくらい“自分”というものを考え、それをどの程度自覚しているでしょうか。もちろん全部の人がそうというわけではないでしょうが、大体の人は普段そのような問題に目を向けないで漠然とした自己意識の中で生活しているのではないでしょうか。新年を迎え、新たな一年の展望をはかりたい今の時期、ちらとそのような“自分”というものに向き合ってみるのも悪くはないのでは思うのですが・・・。そこでちょっと“自分”というものを見直してみるためのちょっとしたゲームのようなものをやってみましょう。これは別に心理テストといった類いのものでもありませんし、自己啓発のためのトレーニングでもありません。普段表層意識から隠れた(あるいは表層意識に抑圧された)“自分”を見つめてみるためのちょっとしたお手伝い、ダイナマイトに付いた真管のようなものです。まぁ暇潰し程度に思ってやってみてください。一人のときにリラックスした状態でやるのがよいのではないでしょうか。神経がピリピリしてる時にやるとかえって自分を見失ったりしかねないでしょうし。
ではやり方を説明します。筆記用具を用意してください。コンピュータみたいなのは使わない方が無難かもわかりませんね。手で書きましょう。そして用意した紙に「私は」で始まる文章を上限13個を限度に思い付くまま書いていってみてください。変に考えたりせずに、思い付くままに。書くことが次々思い浮かんで止まらなくなるかも知れません。あるいは何も思い浮かばずに手が止まってしまうかも知れません。まぁそれのどちらがいいとかいうものではありませんのでね。で、終わったら自分が書いたものをゆっくりと読み直してみてください。あなたはそこにどんなことを書き綴ったでしょうか。自分の性格のこと? 成績や他人からの評価といったこと? それとも恋愛や対人関係について? あるいはそんなものではない全く違った何か? 何が書かれていてもよいのです。それ自体いいわけでも悪いわけでもない。肝要なのはそこに書かれたことがすべてあなたの心の中に確かに潜んでいる“自分”の欠片であり、あなたが気付いていなくとも普段心の中に潜んでいる気持ちであり傾向であり欲望であること。もし最初何故自分がこんなことを書いたのかわからないというようなフレーズが混じっていても、何度も何度も読み返していくうちにそのフレーズの奥深くに潜んだ“自分”の欠片を見つけることができません。そこから先は、あなた次第です。
1999年1月2日土曜日
雪の文学的意味
ときに雪というと何か文学的に死と関連づけられて語られることが多いそうなのですがどうなんでしょうね。どこの国の文学でもそれまで登場してこなかった雪が話の中でなにげに降り出してきたら誰か死ぬと思って間違いないとか。まぁ確かに雪って静かに降る分にはしんみりとした末期の雰囲気ってありますしねぇ・・・。夏にあれだけ満ちあふれた緑や虫たちの姿が消えていった秋のそのまた後に、生命の源である温かさを静かに消し去っていくように降る雪に、人は命の終焉を見て取るのかも知れませんね。そこまで考えずとも窓からしんしんと降り続く雪をただぼ~っと見ているだけでその中にどこかしら寂しさと無邪気さの入り交じった気持ちを感じることもできますし。ただ「きれい」で片付けてしまうには冷酷な面もあり、退廃の美をそこに見い出すだけにしては潔白すぎる新雪のオーラは毎年新鮮なものです。そんな雪も一旦地面に積もって街の空気に汚されてしまうと、もう見るも無惨な残骸に変わり果ててしまうわけですが。自動車の排ガスなんかに汚されて黒くそまり、一旦溶けた表面がまた凍って柔らかさを無くして硬く変わった雪はちょっとよろしくありませんね。やはり純粋で美しいものほど汚されやすいんでしょう。願わくば最後まで美しいままで消えていってほしいところなのですが、街に降る雪はどうもそうはいかなくて。まぁ最近の雪は降る段階で空気中の不純物やら汚染物やらたくさん取り込んでますから、降った段階で既に純粋な美しさとは無縁であるという説もありますがね(苦笑)。
1999年1月1日金曜日
謹賀新年、世紀末!
思えば80年代後期のオカルトブームの火付け役はヤツのスプーン曲げに始まる超能力(!?)の数々だった。あの頃はワシもそら色々その手の道を模索したさ。そういえばオカルトブーム当時一部のマニアに絶対的な支持を誇っていて俺も愛読していた『ワンダーライフ(通称ワンダラ)』とかいう雑誌は今どうなってるんだろう?改めて実家に残っていたものを呼んでみると実に凄まじい内容の雑誌だったが。そしてその雑誌に90年代預言カレンダーみたいのがあって、そこに2種類の違う預言が掲載されて「さぁ、どっちが正しい!?」みたいな企画がぶたれとったが、今見てみると両方見事に見当違い・・・。まぁそんなもんかも知れんが。なにしろ片方の預言だと96年に世界恐慌が起こって97年に日本沈没、98年に中近東で戦争が始まり99年に核によって人類滅亡という破滅のシナリオが描かれてるのだ。が、今現在日本はもちろん沈没しちゃいないし、それ以前に世界恐慌も起こっとらん。98年に中近東で戦争ってのはまぁとりあえず当たってはいるが、この調子じゃ99年はどうなることやら。まぁ実際問題核の危険はこの戦争の余波的なところでかなり高まっていると俺は思うのだが。北朝鮮さんにアメリカからプレッシャーがいったときが山場だね。ヤツらが本当に懸念されている通り核を持っているのか。っていうかイラクも実はそこらから流出した核持ってんちゃうんという説も。まぁまぁそれもアリ。で、もう一つの預言では98年に最後のエイズ患者がいなくなり、人類はガンも克服して繁栄の頂点を極めているはずだが・・・。ま、もうこれ以上俺が突っ込むまでもないね。預言って・・・。
で、話を大晦日の晩にやっていた預言検討の番組に戻すと、こちらはこちらで肯定派の方は色々な意見を述べて下さって。オ◯ムみたいな宗教的概念によって「改心しない限りは神が滅ぼす」的な言い分からプルトニウムを積んだ惑星探査機帰還失敗により放射能が成層圏から世界にバラ捲かれるという説、他にもディープインパクト/アルマゲドンばりの隕石激突説や果ては火星人(何故火星のみに限定するのかは謎。いちおうNASAの不穏な見解を下敷きにしてはいたが)襲来説までなかなか楽しませてくれました。さてさて、これらはどうなんでしょう?ノストラダムス、当たるんですかね?とりあえずチェルノブイリは当ててたらしいけど。まぁ世界が滅びるにせよ永らえるにせよ、それは今考えても仕方のないことではありますがね。「今年の夏で世界は終わるから来年の定演の企画はたてなくていいよ」とかなりませんしね。まぁまぁ皆さん、今年も頑張っていきましょう。下手に未来を勘ぐり過ぎるより「今を生きろ」の精神ですよ。それでは今年もよろしく。大学卒業の年、20世紀のファイナルカウントダウンを気持ちよく迎えられるように、まず今年をよい年にしていきましょう。