1999年5月19日水曜日

懐かしい合唱曲『生きる』

 今日なにげに『おお、シャンゼリーゼ』のMIDIを探してネットを彷徨っていたら、偶然にも非常に懐かしい曲に巡り会いました。そう、私が高校3年だった夏、音楽部と言う名の合唱部で歌っていたコンクールの課題曲で、平成8年度、第63回全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲『生きる』です。あの頃は本当に青春真っ盛りと言わんばかりの夏を堪能していて、今思えばあまりに若く、そして青かった古きよき時代でした。この曲は正式には音楽部の3年生の最後の舞台となるコンクールで歌った曲で、助っ人として参加していた私も一応これが数少ないながらも最後の舞台となるはずでした。結局その後も文化祭に出たから最後の舞台とはならなかったのですけど。ア・カペラの曲で音を取るのは難しかったのですが、サビのメロディーと歌詞の一部が非常に気に入っていて、今でもそこは完璧に覚えています。

 まぁこの曲にはちょっとした思い出がありまして、実はこの曲を歌う本番の当日、それまでのムチャなスケジュールの強行軍な生活が祟って8月末という残暑もギンギンの時期にひどい夏風邪をひいてしまっていたんですよ。それで当日は咳もひどくって、他の高校が歌っている時なんて咳を堪えるのに必死でしたし、リハの時も顧問の先生に「顔が青いよ。大丈夫?」と聞かれるほど。残っているその日の写真を見ても明らかに不健康そうな表情で写っているという・・・。そんな状態でこの曲を歌って、それでも皆といる間はカラ元気振りまいてテンションを盛りたてて、ってやってたら夜には39度もの熱を出してしまっていたのです。でも次の日には打ち上げがあったのでその熱を押して出ていって、散々同期のヤツの家で騒いだ後カラオケで『イノセントワールド』を振り付きで歌うという荒行を・・・。今考えればバカな話ですが、その時には熱を押してでも出て行かないといけない理由、しんどいところを表に出さずに明るく元気にふるまってないといけない理由があったんですよ。そしてその次の日からは3日間完全に一歩も動けずにぶっ倒れたんですよね(爆)。しかも倒れてていいのもその3日間だけで、4日目からはまだ熱も下がりきらずに咳も残っているのに毎日フラフラと出かけていったという・・・。う~ん、若かった・・・。この『生きる』を聴いてたら、そんな青臭い、しかし今でも大切な過去として私の中で息づいているあの夏の思い出の数々が一気にフラッシュバックしてきました。

 あれからもう4年が経とうとしています。色々なものが私の中でも変わりましたし、外の世界も変わりました。あの頃大部分の人が使っていた小さな駅も改築されて、まったく新しいデザインのビルに変わってしまいましたし、高校の頃と違って学校近辺を歩いていてもそうそう知り合いに会うこともありません。何よりも学校に入った時の空気がどこか乾いていてよそよそしく感じるのは寂しいものです。春になったら花見をしようと言っていて、結局実現せずに終わったあの神社の桜は今年も綺麗に咲いたのでしょうか。皆で花火を観たあの川べりの景色は、今も変わらずそこに残っているのでしょうか。久しぶりに感傷に浸っていってしまいました。

空に木に人に私は自らに問いかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために・・・

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