1999年10月18日月曜日

村上龍『ヒュウガ・ウィルス』

 今日は怒涛の14時間睡眠から目覚めた後、日用品の買い出しやら洗濯やらで久しぶりに家の雑務に時間を費やしていました。こんな平和な日曜は一体どのくらいぶりでしょうか。おかげであまりの静かさが時に微妙に寂しさを煽ってくれたりもしました。困ったものですね。

 で、今日は夕方から村上龍の『ヒュウガ・ウイルス』を読んでいて、間にギターを弾いたりしつつさっき読み終えたのですが、これはなかなか興味深いテーマを扱ってます。とりあえずここからは作品のネタばらしにもなるので、これからこの作品を読もうと思っている人はここから先は読まないことをお薦めします

 この小説はある地域で発生した原因不明のウイルスをUG軍(まぁ日本軍ですか。舞台がパラレルワ-ルドで、日本は超大な軍事国家という設定になっているのです)の化学戦特殊部隊(というより医・分子生物学者兼職業軍人と考えた方が近い)がウイルスの分析と発生源の処理(要するに焼き討ち)を目的として現地に乗り込んでいくというストーリーなのですが、明らかにエボラをモチ-フにしたと思われるその致死率100%の克服法が意味深なテ-マとなって出てくるわけです。この作品で出てくるヒュウガ・ウイルスが人間に与える致命的なダメ-ジは3つあって、それぞれ内蔵の溶解と出血、筋収縮発作による頚椎の骨折、そしてヒスタミンの異常分泌によるアナフィナキシー・ショックなわけですが、内蔵の溶解と出血は通常の医学でどうにか対応できますし、筋収縮発作は『向現』と呼ばれるこの作品の中の架空の麻薬で抑え込めます。しかし最後のアナフィラキシ-・ショックだけはどうすることもできないというのがこのウイルスを調べた結果でした。薬品でこの症状を抑えようとすればバケツ一杯の抗ヒスタミン剤が必要で、現実問題としてそれだけの量の抗ヒスタミン剤を発作が始まってから死に至るまでの僅かな時間で投与するのは絶対不可能なわけです。では、このアナフィラキシ-・ショックから生還するための条件とは一体何なのでしょう。以下に作品の中で部隊の隊長であったオクヤマが言った台詞を引用します。

インターロイキンという液性タンパク因子がある、~中略~ インターロイキン1と14は、たとえば次のような場合に一斉に大量に作り出される、オンリンピックの100メートルの決勝のスタ-トラインについている選手、また大きなレ-スに出走前のレーサー、大切なコンサ-トで今まさにカデンツァを弾き始めようとしているピアニスト、そして兵士だ、兵士は、~中略~ あらゆるときにインターロイキン1と14を作り、危機意識をエネルギーに変える、~中略~ 圧倒的な危機に直面し、それをエネルギ-に変えるような局面でのみ分泌されるのだ、~中略~ たぶん、インターロイキン14が誘発する何かが筋収縮発作直後のヒスタミンと結合してアナフィラキシ-・ショックを抑えるのだろうと思う、~以下略~


 ちょっとわかりにくいかも知れませんが、要は極限の緊張と集中力を要求される場面で分泌されるインターロイキン14という物質(インターロイキン14は作品内の架空のもの。1~13までは実際に存在してます)が致命的な発作を抑制するということですね。つまり、日頃からその極限の緊張や集中力が要求される場面で危機感をエネルギーに変える作業に慣れているかがこのウイルスに打ち勝てるかどうかの分かれ目なわけです。作品の中では途中までしか描かれていませんが、このウイルスは世界中で人類を最後の審判にかけていくのでしょう。「圧倒的な危機感の中、それをエネルギーに変えて前に進んでいくことがお前にできるか?」と。

 たまにそのような瞬間、この作品の中でいうところのインターロイキン1と14が大量に分泌されているのを感じるような瞬間、を感じることがあります。例えば卓球の大会で勝ち進んでいって極限まで集中力が高まっている時、あるいはバンドでライブをやっている時のある瞬間、最近では独重で『シャコンヌ』を弾いていた時。妙な昂りとともに視界が一点に集束していくかのような感覚を覚え、実際にはありえないくらいの早さで思考も動作も処理されていく。「膨張する時間は静止に近い」とどこかに書いてありましたが、まさにそんな感じです。卓球なら相手がドライブを打ってからこっちが打ち返すまでの時間、アマチュアとはいえ0.3秒もないでしょう、その間に「あまい?(スマッシュが)打てるか? いや、迷うな、打て!」と頭の中で回り、そして実際に打って決められるわけです。演奏の場合も次の一音、また次の一音と、こっちは私の場合いちいち本番で考えてやるわけではないにしろ、その音に向かって自分のイメージが正確に伝わっていくような、すべてが表現できるようなそんな気になれます。そしてその瞬間がとても気持ちいいのです。本当に他のどんな瞬間よりも。前にも日記に書きましたが、私はその極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて以前は卓球やバンドをやり、今はギターを弾いているわけです。不思議なことに、小さな舞台ではその感覚が味わえることってないんですよね。卓球の時はそれでもまだありましたが、演奏系では何故か大きな舞台でないと、その緊張感がないとその最高の瞬間になかなか巡り会えないんですよ。それが「圧倒的な危機感をエネルギーに変えていく」ことなのかもしれませんね。しかしそれでもその最高の瞬間ってのはこれまで数えるほどしか味わってないわけで、常日頃から危機感をエネルギーに変えていくような作業をしているわけではない私がヒュウガ・ウイルスにもし襲われたら、その時は生き残れるかどうかは難しいところでしょうね。

 平和な日常、ともすれば生活がだるいだけとも感じがちな現在の世界の中で、その極限状態で何かをやる時の興奮を知らないままにいる人は案外多いのかも知れません。今の日本をこのヒュウガ・ウイルスが襲ったら一体何人が生き残れるのでしょう?

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