2000年12月30日土曜日
金欠故に
2000年12月29日金曜日
ナオエギター合奏団裏忘年会
2000年12月23日土曜日
相性の悪い個人発表会
2000年12月22日金曜日
卒論も明け・・・、
そして今日は飲み過ぎで重い胃を液キャベでごまかしつつ、朝イチでボックスに行ってギターを取ってすぐ西院へターンをかけ、久しぶりにギターのレッスン(それもダブルヘッダー)に行ってきたのでした。私が卒論に追われて日記の更新を滞らせている間も第二次藤井敬吾ショックなど色々なことがあったわけですが、今日はさすがに疲れているのでもう寝ます。また今度長々と書きましょう。おやすみなさい・・・。
2000年12月16日土曜日
日独文化交流-音楽を通じて
で、演奏の方ですが、プロイショフさんはトップに出てきてバッハの『リュート組曲第1番』の中から何曲か、そして先日我々の前でも弾いてくれたヴィラ=ロボスの『プレリュード第2番』、最後にクレンジャンスの『最後の日の夜明けに』を弾いてくれました。あそこのホールは異常に音が響くというのは演奏前からわかっていましたが、それにしてもまず彼女が出した1音目でやられましたね。音が無茶苦茶太くて艶があり、綺麗な上にデカイ。これがホールやギターのせいだけではないのはこの前研心館で私のギターを弾いた時に証明済み。凄かったです。音色は言葉にし難いのが口惜しいくらい素晴らしい音で弾いてました。そして『最後の日の夜明けに』は現代ギター社のウィンターセールのカタログが来た時から曲名がやけに気になっていて、試みにCDか譜面を買おうかどうしようか迷っていたのですが、ここで聴けたのはよかったです。この曲は『アッシャー・ワルツ』がエドガー・アラン・ポーの小説『アッシャ-家の崩壊』をモチーフとしているように誰かの(口頭で説明してたのですが名前を失念しました)小説がモチーフとなっていて、明日刑が執行される死刑囚が、最後の日の夜明けを待つという情景を描写した実に生々しい曲です。様々な特殊技法を用いて執行官がドアの前まで歩み寄ってくる足音やドアが開けられる音を音画的に表現し、美しくも実は『舞踏礼讃』に頻出するものと同じスケールを差し挟んだあやしい第2楽章へと流れ、最後にはギロチンで首を切られる様まで音で描き出すという凄まじい曲でした。あの曲には惚れましたね。収録されているアウセルのCD(この曲はアウセルに献呈されたもの)と譜面を注文する決意を固めました。素晴らしかったです。
そして残りの2組はそれぞれピアノとホルンのデュオ、ピアノとバイオリンのデュオだったわけですが、プロイショフさんの次に出てきたピアノの人を見て「ああ、ゲルマン系だからって皆いかついってわけでもないんだな」と思いました(爆)。無茶苦茶細身の人で、眼鏡をかけた良家のお嬢様くさい人でしたね。この人演奏ももちろん凄いのですが、それ以上に驚いたのが譜めくり。速いパッセージが続く曲の中でも、その音符の一瞬の間隙をぬってビッ!と物凄い速さで正確に譜面をめくるのです。あれにはビックリしました。弾きながら一瞬でしかもあんなに正確に間違わずに譜面をめくれるものなのかと(笑)。やはり本場はその辺からして違うのかと思いきや、最後に出てきたピアノの人はちゃんと譜めくりの人がついてました。やはりあれはあの人の特技なのですね。ちょっとホッとしました。
しかしトリで出てきたバイオリンとピアノのデュオ、最後にベートーベンの『バイオリンソナタ ニ長調 op.12-1』をやったのですが、あのベートーベンは凄かった。マジで最初のつかみからゾクッとしました。ベートーベンは大体において最初の出だしでキメてきますからねぇ・・・。しかしあの曲は同じデュオがやった他の曲と比べても明らかに完成度が違ってました。ピアノやバイオリンは専門外なので詳しくはわかりませんが、とにかく感動しましたね。
しかしこのコンサート、私を含めクラギタが4人行った以外は身内と思われる客ばかりで、100人前後のキャパがある素晴らしいホールも席はガラガラ。まぁその分音は響きますし、半貸し切り状態なので気分はよかったのですが、しかしもったいない気がしますね。あれだけの演奏を・・・。しかも1,000円で聴けるのに(立命クラギタは)。今回は女性ばかり5人、15才から20才までという若手ばかりでまだ無名の演奏家ばかりでしたが、地方大会で12,000人集まるという『ユーゲント・ムジツィールト2000ベルリン』で各部門の頂点に立った演奏家です。しかもクラシックの本場ドイツのコンクールですよ。冷静に考えてみてください。国内のコンクールでプロのための登竜門と言われる九州ギターコンクールだって、あるいは東京国際だって12,000人は集まりません。それほど大規模なコンクールを本場ドイツで勝ち抜いてきた方々です。ギターのみならずピアノやバイオリンその他も私はプロの演奏を色々生で見てきましたが、ハッキリ言って下手なプロより彼女らはよほど素晴らしい演奏をしてました。そらその楽器の専門家に言わせれば色々あるのでしょうが(私もギターにはちょっと微妙にですが思うところはありましたし)、少なくとも一聴衆としてあそこまで感動したのは久しぶりでした。皆来たらよかったのに・・・。
どうでもいいことですが、休憩時間にトイレに向かった私は、席に帰る途中演奏終了後のプロイショフさんと遭遇、いきなり話しかけられ戸惑ってしまいました(苦笑)。最初ドイツ語だったし・・・。「Thank you for your kindness」と微笑む彼女と握手を交わし、帰り際に私も「Thank you for your playing」とイマイチよくわからん英語を投げかけ帰ってきたのでした。やっぱソロ弾くと覚えられるわなぁ・・・。あの時来てた付き添いのお偉いさん達もいちいち声をかけてくださっていたし。日独文化交流も悪くないものだと思いました。向こうさんのレベルにこちらが明らかに追い付いてないのが悔やまれるところですが。何かこの交流は一回限りのものではないという噂も耳にしましたが、これからどういう形で続いていくのでしょう? せっかくの機会、少しでも自分の実になるようにしていきたいものですね。
2000年12月14日木曜日
潔癖症の掃除夫という命題について
「いや、もう汚れと思えるものは何もないじゃないですか。どこがそんなに汚れているんです?」
「何もないように見えるか?ほら、こことこことここにこんなに汚れが残っている。こいつらがしつこい」
「でもそんなの誰も気にしませんよ。それに仮にそこを綺麗にしたとして、またすぐに誰かに踏まれて汚れますよ」
「そんなことを言っていたら掃除すること自体意味がなくなる。そして気付いた時には手のつけられないくらい汚れてしまっているんだ」
「まぁそうかもしれませんがね。でもそんなあなたにしかわからないような汚れなんて・・・」
「だから見えないのか、この汚れが?」
永劫の螺旋を思わせる問答。結論は出ないだろう。老人はいつまで同じ床を磨き続けるのだろうか。彼にしか見えない汚れを。そして彼の行為が正しいか、あるいは妥当性のあるものなのかどうかはわからない。私にも、誰にも。このようなことは割に世の中よくあることで、いちいち結論を出すまでのものではないかもしれないが。あるいは結論は出されるかもしれない。ただしその場合は時代という名の権力者が、別の名を語って判決を下すであろう。潔癖症の掃除夫という、実にシュールな命題に。
2000年12月13日水曜日
クラギタにドイツ人来襲
彼女の演奏は、「とりあえずギターは持ってきたものの弾くのかな?」という感じでいていきなり弾いたせいもあるのでしょうが少し大きなコンクールの受賞者にしてはどうかなと思う面もありましたが、音の出方は凄いものがありました。研心館の教室であそこまで響かせられるか!? とか思いましたからね。実際彼女のギター(製作者の名前は忘れましたが、ドイツの匠で彼女のために作られたギター)を私も弾かせてもらいましたがあんな音は出ませんでした。そして私のラミレスに彼女が目をつけて、彼女が弾いてみたらこれまで誰が弾いていた時より豊かで艶のあるいい音が出ていました・・・。彼女は「Good sound...」とか言いながら弾いてましたが、それを聴く私の心境は複雑でしたね。「初めてこのギタ-持ってなんでそんなにいい音出せるんだよ?」と、自分の音を出す技術の甘さを痛感しました(苦笑)。付き人とちょいとドイツ語で感想を交わしていたのを盗み聴く限り、彼女にとって私のラミレスは「とても響く(あるいはやかましい)」ギターのようです。「いいギターだ」と言って私にギターを返す彼女から受け取りながら、「そらあんたが弾いたらいいギターだろうよ」と内心ちょっとひねくれてもみたり・・・。まぁ私のラミレスはまだまだ潜在能力を持っているということがわかっただけでも収穫ですか。あとは私がギターのレベルに追い付いていくだけです。・・・難しいなぁ・・・(苦笑)。
そんな彼女も出るコンサートが14日(木)7時から、関西ドイツ文化センターというところであるそうです。場所は川端通の今出川と丸太町のちょうど中間だとか。興味のある方は行ってみてはいかがでしょう?しかし今の1、2回生は幸運ですね。早い内からあんなにレベルの高いギタリストと交流を持てる機会があって。こんな機会は私は部内では今回が初めてですから。その恵まれた境遇を活かして成長していってください。
2000年12月12日火曜日
2000年度BKC定演所感
先週土曜には同志BKCクラシックギタ-部の定演があったわけですが、とりあえず一曲目のラテンアンサンブル『ファンダンゴ』には痺れました。誰が持ってきた曲か知りませんがえらいカッコいい曲ですね。やられました。次のポピュラーは何かと微妙な面もありましたが・・・。ジャズの3人はあの3人だからこそできた凄まじいノリノリな演奏でした(特に3曲目)。笑顔で気持ちよさそうにベースを弾くのざの姿がえらい印象的でした。FCのソロデュオは、個人的には主旋律をソルフェージュし、ブツブツとつぶやきながら『アストリアス』を弾き切った元幻の6班班員にビックリ。彼女のソロは初めて聴きますが、うまくなってましたね~。確かに技術的にまだ追い付いてないところはあるのですが、聴かせるところは凄く綺麗に聴かせてくれました。これは見習うべきところですよ、特に今の1、2回生は。指ばかり回って「ああ、凄いな、カッコいいな」で終わる演奏ではなく、曲をしっかり聴かせて曲をいいと思わせる演奏ができるという実力が今のクラギタでは全体的に低下しているように思われます。やはり技術を見せて終わりではなく、自分がその曲を弾こうと思ったその曲の良さを伝えられる演奏はいいですよね。そして御大きよは、『サラバンド』は2年前よりさらに成熟した長期熟成ものの名演を聴かせてくれました。次の『ブーレ』で頭が真っ白になり3小節飛ぶという不測の事態も発生し、本人はそれをかなり悔やんでいるようでしたが、相変わらず抜けた3小節分キッチリとテンポを合せて次に行ったので崩れてるのに崩れない勝負強さはさすがでした。まぁ独奏不完全燃焼は私も一緒です。ともにフェアウェルで雪辱を果たしましょう。そして大合奏。今年のBKCのAアンは選曲が反則ですよね。私が一回生の頃のAアンのメインの曲で、当時の先輩達の演奏に憧れずっと「いつかはやりたい」と思っていた『ファランドール』に、元々バイオリン*2、ビオラ、チェロ、ギターの五重奏なのをギターのみの五重奏に編曲してやろうと思って原譜を取り寄せていたのをCDごと奪われ(?)、Aアンのメインの曲として使われてしまったボッケリーニの『ファンダンゴ』。この2曲を同時にやるとは贅沢な・・・。しかし『ファンダンゴ』は編曲が甘い!私なら原曲に入っているチェロが楽器を叩いて入ってくるあのファンダンゴのリズムのパーカスは絶対入れてました。あれが入ってないと後半音がスカスカして寂しく聴こえるところがあるんだって。一部あのファンダンゴのリズムを刻むパーカスがメインで弦がそのバックに回るところがあるんだもの。しかしまぁ演奏の方は奈良ギターフェスティバルの頃に比べると見違える程良くなってました。正直ビックリです。そしてその驚きに拍車をかけたのがW.Bassの二人。何でプライムの面々が誰も完全には回せていなかった『ファランドール』のめちゃっ速なスケールをW.Bassの二人は完全にしかもデカイ音で弾けてるんだ!? 恐ろしい男です。さすがヨッシーをも唸らせた天才ベーシスト・・・。最後『スペインの花』の転調間際のスケールのところで二人してクルクルベース回してるしさ。最高です。今回の個人MVPは間違いなくのざでしょう。いや、皆さんお疲れさまでした。
2000年12月6日水曜日
卒論籠り
2000年12月4日月曜日
『99'執行部メドレー~調和と幻想~』
2000年12月2日土曜日
シュールな夢
2000年11月30日木曜日
2000年11月29日水曜日
BOXにCDを寄贈しよう
卒論に追われながらもフェアウェルの準備は着々と水面下で進めております。最後フェアウェルでどうしても弾きたくて、譜面を探して現代ギター社やら海外の譜面屋やらも当たったのに見つからなかったル・コックのイ短調組曲の『パッサカリア』、とうとう業を煮やした私は龍大の天才採譜・編曲者であるUさんに今日音源を渡して採譜をお願いしました。快く引き受けてくれた彼女に大感謝です。お手数おかけしますがよろしくお願いします。また前々から弾きたいと思っていたアジャーラの『セリエ・アメリカーナ』、実はBOXに譜面があったことに昨日気付き(爆)、まだ弾くかどうかわかりませんがとりあえず譜面はキープしておきました。でもさすがに時間的に無理かな・・・? っていうか、曲名『セリエ・アメリカーナ』じゃなくて『アメリカ組曲』で置いてあるとは不覚だった・・・。
そして今CD-Rが家にあり、そのCD-Rを使ってBOXに私のコレクションの中から特に良質なクラシックのCDを選んで焼いて寄贈しようと計画し、早速今日生協でCD-Rを10枚780円で買ってきました。生協安いです。CD-Rの媒体は某ニ◯ミヤより安い。で、その内3枚は私が個人的に焼きたいCDを焼くので、残った7枚がBOXに寄贈される分となります。できるだけ時代やジャンルの片寄らない選定をしたいなと思い、まずは『David Russell plays 19th Century Music』というCDを焼きました。ラッセルは特に優しく温かい美音で知られるギタリストで、純クラシック畑なら誰もが世界の頂点に立つ一人と認める天才ギタリストです(まぁ彼は純クラシックだけでなくアイリッシュも弾いていて、それがまたよかったりするのですが)。その彼が19世紀の作品を弾いているCD、先日のコンサートで聖帝も弾いていたメルツの『ハンガリ-幻想曲』、レゴンディの『夢』、合奏団でやったメルツの『エレジー』、そして去年の定演でオムが弾いたアグアドの『序奏とロンド』まで収録されているという古典期のCDとしては絶対のお薦め品。明日持っていくので、特に1、2回生の皆さんCFを問わず聴いてみてください。そして福田進一の『シャコンヌ』も焼きます。これも明日持っていきます。バッハの作品集としてはセルシェルのものと並んでお薦めのものです。特にこのアルバムに収録されている『シャコンヌ』と『リュート組曲第4番よりプレリュード』は絶品。一聴の価値ありかと。他には大萩康司の『11月のある日』、ジョン・ウィリアムスの『月とカマキリ』は寄贈が決定しています。他に何にしようかな・・・?
2000年11月27日月曜日
谷 治毅ギターリサイタル
今日の聖帝殿の調子はどうだったのか、それは私にはわかりかねますが、とりあえず舞台袖で聴いていた『ハンガリー幻想曲』には凄まじいものを感じました。私の中では本日一番のヒットです。演奏に格を感じました。『シャコンヌ』は、彼曰く「精神的に一番辛い」曲だそうで、その苦悩がこちらにまで伝わってくるような感じもしましたが・・・。合奏団はね、まぁまぁあんなもんじゃないでしょうか。個人の技量は高い、しかしアンサンブルとしての訓練がもう一つ、というのは尚永ギター合奏団の永遠の過大でしょう(?)。そして三部からは私も客席の上の方で聴いていたわけですが、いやいや彼のアセンシオは凄まじい。『内なる想い』自体弾いてる人間をほとんど見かけませんが、あれだけの難曲を見事に弾きこなす技量は感嘆せざるをえません。さすがですね。それ以降の曲は本人もリハの段階から言っていたように半ば力尽きた感もありましたが、それでも凄まじいものがありましたね。彼がコンクールを落とした時の自由曲は、最後『スペイン風3つの小品』の中の『パッサカリア』ですが、それもちょいと辛そうでしたね。そらさすがにあれだけの大曲を立て続けに弾けばばてもするわなぁ・・・。本人もコンパで「アンコールの時はセーハ鳴らんかった」と言ってましたしね。しかしそれでも最後ダメ押しに『ジョンゴ』を独奏バージョンで弾ききってしまう彼は一体・・・?まぁ私には及びもつかない次元に彼はいるのでしょう。それはちょいと悔しいことでもありますが、認めないわけにはいきますまい。コンパの最後に彼の持つギターの製作者の息子さんが「ギター製作者から見た聖帝に欠けているもの」について語っていましたが、それはこちらとしても大変参考になりました。
とりあえず聖帝殿、今日はお疲れさまでした。プロでやっていく気はまったくないとのことですが、お互いギターは一生楽しんでいきましょう。主席ベーシスト殿、私は今日で合奏団を退きますが、たとえ一人になろうとも今後とも頑張ってガンガン低音を鳴らしていてください。二人とも合奏団の練習の後ウチに遊びに来るのなら歓迎しますよ。他の合奏団の皆さんにもよろしく。
2000年11月26日日曜日
2000年11月25日土曜日
2000年度関西大学定演所感
2000年11月24日金曜日
2000年度奈良ギターフェスティバル
リハの時奈良100年会館のステージに立ってまず驚いたのは周囲ガラス張りの壁。美しいです。アルティのような客席から舞台を見下ろす形のステ-ジで、高い天井に向かってキラキラとガラスが輝いているのです。それはこれまで立ったステージの中でもピカイチの美しさでした。音もまた綺麗に響くんだ、これが。このステージでソロ弾きたいなぁなどと思いつつ、その舞台の空気を満喫してきました。本番はまぁ緊張することもなく、臨時で受け持ったベースソロや目立つベースメロも大きなとちりはせずに滞りなく終え、『ブエノスアイレスの冬』で一瞬アンサンブルが崩壊しかけてドキドキするといった場面も交え、聖帝のソロを「あんたぁやっぱり凄ぇよ」と思いながら後ろで聴き、無事に終わっていきました。私個人の出来はこれまでのどの練習よりもマシだったことでしょう。
そしてその後は尚永ギター合奏団の中で私一人だけ100年会館に残り、ふとしたいきさつで知り合った同志社4回生のバロックマスターと交友を深めたり、BKCの演奏を聴いたりして過ごしました。BKCの皆さんは大半が弦を交換したばかりとはいえちょいと調弦が・・・。他にも色々と言いたいことはあるのですが、まぁあまり口出しするのもなんなので敢えて伏せておきましょう。2週間後の定演を楽しみにしています。そして何故かギターフェスティバル終了後のコンパには私はBKCクラシックギタークラブの部員として参加していたのでした。どっとはらい。
2000年11月23日木曜日
電話を止められて・・・
そう、明日奈良ギターフェスティバルなんですって。しかも明日は一人でバスギター弾かないといけないのにあまり弾けてない。やばいです。こんなところで日記書いてるくらいなら練習しろとの先生や聖帝殿からの声が聞こえてきそうです。というわけで帰って練習しましょう。まだ風邪から完全に立ち直ってなくて結構体力的にはしんどいんですけどね、そうも言ってられませんからね、がんばります。
2000年11月20日月曜日
最後の定演
そして大合奏。楽屋を出ていく前にしんちゃんが「がんばろう!」と叫んだのに気合をもらい、最後のステージに立ちました。となりのシノさんと「これが最後の大合奏だな」と話しながら、部長挨拶で笑いや拍手が起こるのを聞いて待っていました。しんちゃんが入場します。『ア・ラ・ホーンパイプ』の最初の音を出します。その瞬間、何かが私の中で吹っ切れました。しんちゃんを見ると、いつになく豪快にノリノリで指揮を振っています。それでまた気分がよくなり、気持ち良く大合奏を演奏することができました。最後『スペインの花』を弾きながら、これで気持ち良く去っていけるなと思ったものです。しんちゃんに大感謝。アランフェスやブエノスアイレスで精神的に死んでいた私を、しんちゃんの絶好調に振っている指揮が立ち直らせてくれました。やはり指揮者はアンサンブル全体に圧倒的な影響力を持っているものですね。個人的には悔やむことも多かった定演でしたが、最後に気持ち良く合奏がやれたことで定演自体は最後最高の気分で終わることができました。しんちゃん始め現執行部の皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。4回生の皆さんもお疲れさま。4年間僕らはがんばったよ、僕らなりには。これで終わりと思うと寂しいけれど、やり残したことはフェアウェルで爆発させよう。1、2回生の皆さん、来年からは皆さんの番です。素晴らしい定演を作り上げてください。
2000年11月17日金曜日
定演前夜
2000年11月16日木曜日
2000年度龍谷大学ギター部定演
しかし龍大の定演は相変わらずいい感じですね。全員が一丸となって一所懸命にやっているのがいつも伝わってくる。正直若干名を除いて個人の技術レベルが飛び抜けて高いわけでもないのに、アンサンブルになると凄いオーラで迫ってくる力はある種神憑かり的なものの感じます。トレモロきれいでしたねー。あれはヤバイですよ。ウチらの『威風堂々』でのトレモロ一笑に賦されますよ。泣きそうです・・・。部長挨拶で、最後に4回生の名前を全員呼んで、「あなた方の後輩でいれてよかったです」といった感じの台詞を言いながら涙を堪える部長さんの姿は印象的でした。後輩が心からの涙を先輩に向けて流してくれるというのは先輩冥利に尽きるのでしょうね。少し羨ましい気もします。龍大のマンゴレとも一回生会以来の付き合いで、京大の聖帝や工繊の女傑と四重奏のブランデンブルグ6番をやったり、京女の新歓にゲスト参加したり、演劇の前座やったり、自転車壊されたり(爆)と色々やりましたが、こうして皆最後の定演のステージを去り、もう明後日には私の番が来るのだなと思うと月日の流れの早さを感じます。あれからもう3年ですか・・・。まぁ感傷に浸るにはまだちと早すぎますね。龍大の皆さんからはいい刺激をいただきました。とりあえずは明後日の定演です。もう時間は僅かしかありませんが、できることはすべてやりましょう。泣けなくてもいいです。結局本番までに納得のいくように仕上がらなかったとしてもそれもまたいいでしょう。とりあえず自分の中で悔いだけは残さないように。
2000年11月15日水曜日
定演前、昂る精神
最近何かと色々考えることも多いです。多いですが、定演は既に今週の金曜に迫っています。何はともあれやるしかなく、思考より先に行動を、とにかく動けとギターを弾くわけです。そろそろ精神的なテンションも上がってきました。明日か明後日辺りには去年の定演前以来約一年ぶりに私に神が降臨するかも知れません。今年は神が降臨する程の大きな演奏会がなかったですからね。ギタ連定演の時は39度オーバーの熱でフラフラでしたし(苦笑)。まぁ皆さん気を付けてください。
2000年11月10日金曜日
2000年度京大ギター部定演
そう、京大は例年定演の最初に一回生合奏があるのですが、それもなかなかよかったですよ。一回生の皆さん、一回生会で京大に食われないよう頑張りましょう。どうやら京大にはスペイン帰りのギターうまい一回生が一人いるらしいです。多分一回生合奏でコンマスの席に座っていた彼でしょう。確かになかなかのものでした。彼を潰すのはぎぃ助、キサマの役目だ。任せたぞ。そして二回生も何人か独重奏で出演していたのですが、京大の二回生もなかなかうまくなってきてますね。立命の二回生の皆さん、ヤバイですよ。来年京大に持っていかれないよう精進してください。京大の二回生は、今はまだ粗いけど来年以降どう化けるかわからないポテンシャルを感じました。一人二回生の女の子で妙にうまいのがいましたし。しかし『マルボローの主題による変奏曲』は長かった・・・。というわけで来年以降も京大はかなり頑張ってくれそうです。現在の御大である聖帝やセルも健在なら、下も確実に伸びてきている。先輩も安心でしょう。立命も頑張ってくださいね。
さて、ウチらの定演もあと少しでやってきます。皆さん、気合入れて行きましょう!
2000年11月8日水曜日
悲しみと、孤独の音を
今バッハの無伴奏バイオリンソナタが流れています。バイオリンの演奏です。バイオリンの音は時にヒステリックにも思える程深い悲しみを持っています。ギターにはそれ程の音の重さはないようにも思えます。バイオリンの旋律が醸す悲しみの色は、一体どこから来るものなのでしょうか。バイオリンは単音に悲しみを宿し、ギターは和音で悲しみを響かせる、そんな気がします。だから『シャコンヌ』や『サラバンド』などはギターの方が重く、暗く感じられる。逆に『ブーレ』や『プレリュード』と言った単音が主体となりやすい曲ではバイオリンの方が遥かに悲しみが深いように感じられるのです。定演が終わったら、本格的に『サラバンド』を弾きましょう。無伴奏バイオリンパルティータの第1番のものです。それを変にビブラートやテンポルバートを使ってセンチでエロチックに仕上げるのでなく、ズンと威厳のある帝王の音楽として聴かせるのでもなく、どこまでも悲しく、重く、暗く、虚しさすら感じられる程に、あとを引かずにスッと消える儚さと、すべてを拒絶していくような孤独をもって弾きましょう。それが私の求めるもので、求めても充足し得ない逆説的なアイデンティティなのですから。少しずつ、悲しみと孤独を私自身の心と身体に満たしていけるように。
2000年11月7日火曜日
ナゼナラ、
2000年11月6日月曜日
蓬莱合宿
2000年11月1日水曜日
焦り
2000年10月30日月曜日
利き酒会でおいしい酒を
きき酒会は素晴らしいです。あれだけ美味しい酒を飲んで、つまみもあって、おみやげにさらに酒ももらえて500円。私は後から行ったので忌無なんか程は飲めてませんが、それでも数千円分は楽に飲み食いしたことでしょう。コンパなんかよりよっぽどいいなぁ・・・。
2000年10月29日日曜日
ヨッシーのいる練習風景
2000年10月28日土曜日
冷蔵庫
2000年10月25日水曜日
Help me out or let me in
Watch your steps it's kingdom dark
There is fear behind your back
Help me out or let me in.....
2000年10月24日火曜日
たっちーとDDR
しかし最近私も疲れがたまってきているのか、あまり人当たりがよろしくなくなっているような気がします。最近私の行動及び言動が冷たい、あるいは敵意を感じるという方がいましたら申し訳ないです。本人あまり自覚してません。多分疲れと定演前の神経の昂りと、病に冒された身(?)の焦燥感からでしょう。ああ、胸が痛い・・・。
2000年10月20日金曜日
飲み続け・・・
2000年10月18日水曜日
『威風堂々』にアルト参入
2000年10月15日日曜日
アンニュイ
2000年10月14日土曜日
2000年度学内発表会
そしてその後は学内発表会の打ち上げと称して有志でカラオケへ。何故か1回生メインで3回生2名と4回生私のみが混ざるという不思議な面子で歌いにいってきました。いや~、皆かなり歌いますね。今年の1回生はいい歌持ってるのが多いですわ。特に怪しい仕種と本格派の歌を合わせ持つ某T北にはやられました(笑)。あれは大したもんです。某りと◯ととはやけに曲かぶるしな。とはいえ、今回はあまり精神的にコアな面子ではないので私は最後の『十字架との戯れ』以外はちょいと遠慮して、いつもよりやけにいい子ぶった曲ばかり歌っていたのですが。まぁ最後にちょっとだけでも本性を見せられたのでよしとしましょう。いや~、1回生元気です。3回生2名もかなり元気でした。楽しかったです。
2000年10月12日木曜日
フェアウェル、構想
と言いつつも独奏も弾く気マンマンな私ですが、曲目はまだ決まってません。心の中では原点回帰ということでバロックを1、2曲、そして最近の私のカラーである現代曲をまた1、2曲ということで決まっていますが、これだけの重奏をこなしてなおかつそれだけの独奏を弾くのはかなり無理そうです。まぁ現実問題バロックと現代を1曲ずつでしょうかね?バロックは候補が今のところ3曲あり、一つはスカルラッティの『ソナタ K.11』、もう一つは今年の定演できよが以前よりさらにグレードアップした演奏を聴かせてくれるらしいバッハの『無伴奏バイオリンパルティータ第1番よりサラバンド』、そしてヴァイスの『ファンタジー』です。どれにしようかな?難易度的にはどれも適度といったところですが・・・。現代曲の方は依然本命であり続けているロドリーゴの『パッサカリア』が弾きたいのですが、いかんせんむずかしいですからねぇ・・・。間に合うか?ピアソラ『天使の死-ブローウェル編-』もいいですし、『ブエノスアイレスの冬-S.アサド編-』も弾きたいですね。ブローウェルは、『キューバの子守歌』は現在既に大体弾けるので、フェアウェルで弾くかタルレガ発表で弾くか・・・?『フーガ第1番』を候補に入れるかどうかが難しいところです。『セリエ・アメリカーナ』も弾きたいしなぁ・・・。と、弾きたい曲を羅列するのは簡単ですが、実際弾けるのはこの内1、2曲、多くて3曲でしょう。どれを選ぶかが悩みどころです。
2000年10月10日火曜日
論文
2000年10月8日日曜日
成長ということ、大人になるということ
それは一概にいいと言えることなのでしょうか?大人になるということはそういうことなのだろうとは思います。しかしその分捨ててきたもの、いや、自分で意識して捨てたわけではないから落としてきたものですかね、は多いような気がします。何よりも自分の気持ちを素直に表に出せることが少なくなったし、周囲への配慮というものが時に互いに牽制しあうような気がすることもあります。周囲に気をつかう、相手に不快を与えない、そんな常識が時に足枷になります。自分の心に対しての重しになります。しかしその重みに耐えられないで大人の「世間」から弾き出されるのが恐いから、結局それに耐えてしまい歪みが生まれていく。成長ってなんでしょう?大人になることの定義とは何でしょう?それは「自分を殺す」ことを覚えることなのでしょうか?ただ単に世間を円満に運営していく知恵を身に付けるというだけのことなのでしょうか?その知恵を身に付けるために失わなければならないものはないのでしょうか?
私に言わせればいわゆる「大人」の世界なんてどうよくごまかしたところで所詮はかけひきの世界です。人間関係の間で生まれるかけひきです。そのかけひきを気にしないで付き合えるのが「大人の世界」との間にある「仲間内」でしょう。中学の頃は周囲は皆敵である「大人の世界」でした。高校時代は世間も含めて「仲間内」でした。今はその2つの区別がはっきりしてきています。それが成長なのでしょうか?私にはわかりません。中学時代よく聴いていたJUN SKY WALKER(S)の歌詞にこんな一節があります。
大人になる前に知るべきことがある
自分のやり方とわがままの違いを
2000年10月6日金曜日
2000年10月5日木曜日
ブルー
2000年10月2日月曜日
JONGO
というわけで現在午前4時20分。そろそろ疲れてきたので寝ようと思います。とりあえずベースのカンタービレが入ってくるところまではいきましたが、思ったより進行が芳しくはないですね。でも出来としてはなかなかのお気に入り。特にカンタ-ビレの一小節前から入ってくるベースのボーイングなんかは。今回は原曲の音を分散させて難易度を下げつつダイナミクスを広げて、ところにより原曲にない音を足しつつアレンジしています。これはクラギタ標準のZip圧縮SSW形式でアップしておくので、環境をお持ちの方は聴いてみてください。『ジョンゴ』立命合奏バージョン(まだまだ未完)です。
2000年10月1日日曜日
暗雲、アランフェス
しかしウチの定演でやる4回生合奏もここにきて一気に暗雲が立ち篭めてきました。アランフェスをやめるとかやめないとか、色々な思いや条件が交錯して大変なことになっています。個人的にはアランフェスよりもっとギタ-合奏に向いてる曲を選んだ方がよいと思うのですが・・・。かといって某高校の持ち曲の使い回しは私のプライドが許しません。立命クラギタの味はどこへいった、ってことになりますしね(「俺にいつまでもM商の背中を見てろというのか!?」と今日話し合いの場で言ったのは案外冗談じゃありません)。う~ん、一体どうなるのかはわかりませんが、基本的にアランフェスをギターのみの合奏でやることにあまり肯定的でない私はうまい代替案を探す方向で火曜日の話し合いに臨もうと思っています。アランフェスはまともにやったらギターのみの合奏には絶対合いませんよ。で、ガラッと雰囲気を変えるとそこまでしてアランフェスにこだわる理由というのが見えなくなりますしね。少なくとも私には。さ~て、いい曲ないもんですかねぇ・・・。
2000年9月29日金曜日
『威風堂々』編曲完了
アンコールファイルをZip圧縮したものも上げておきます。アンコールの譜面の方は前回配った譜面から修正があったところはすべて修正済みのものです。安心してご利用ください。なお、MIDIの方はサビの部分でどういうわけかバグがおこり、旋律の上で延々とGの音が鳴り続けていて実に耳障りですがお気になさらぬよう。この曲は最後のシメのクロマティックスケールの嵐をどう克服するかが課題でしたが、結局ギターでのポジションを調べた結果私の中で「根性さえありゃあれは回る!」ということになったので(爆)、皆さん頑張ってください。あと、バスはやはりとても大事です。少人数でも全体を支配するくらいの音量とキレを求められますのでよろしくお願いします。
2000年9月28日木曜日
2000年9月26日火曜日
2000年9月23日土曜日
バロックが弾きたい
まぁとにかく最近バロックが弾きたいわけです。何を弾きましょうかね?ヴァイスの『ファンタジー』なんかいいですね。スカルラッティの『ソナタ』(←どのソナタじゃ!?)もカッコいいですね。バッハの『シャコンヌ』は、・・・一生の課題です(苦笑)。バッハなら無伴奏バイオリンパルティータ第1番の『サラバンド-ブーレ-ドゥーブル』とか、『リュートのための3つの小品』とか、BWV1000の『フーガ』もいいですね。さ~て、何にしようかな・・・?
2000年9月22日金曜日
幻想論
一つ言えることは、この「幻想」という言葉を使う場合、人は事実を素直に見つめることから逃避しているということだ。先程の「恋とは幻想だ」という台詞を例に取るなら、この場合発話者は恋を「幻想」であると否定しながら恋が「幻想的」であるという事実を見つめることを放棄している。同様に、例えば人生がすべて薔薇色だという幻想に取りつかれた人は人生の暗部を見つめてはいないし、逆に人生が真っ暗だという幻想を抱く人は自分が暗闇しか見つめていなくて、闇に隠れたものや闇の向こう側に視線を送ってはいない。幻想に支配されたものは、幻想しか視界に入って来ないのだ。虚像をぬぐい去った素直な事実は決して目に入っては来ない。もっとも、虚像を完全にぬぐい去った事実を認識することが果たして我々人間に可能なのであろうかという問題はあるが・・・。
結局のところ、
「愛とはつまり幻想なんだよ」と言い切っちまった方が楽になれるかも、なんてね
というこのミスチルのesの歌詞の一節が、このような瞬間が、人が一番幻想から離れ素直に事実を見つめられている瞬間なのではないだろうか。
なお、先程も触れたがこの「幻想論」は「幻想」という言葉の意味により、「幻想」という言葉を用いて「幻想」を語ろうとした時点でその意味効力を失効している。
2000年9月19日火曜日
寺山修司『電球論』
人生論を読みすぎて
たった一人の祖母を銃で殺して埋めた
目撃していたのは
アパートの階段口の薄暗い電球だけであった
私の青春の前途は
これでまったく明るいというのに
電球はいつでも薄暗すぎる
というわけでソケットから電球をはずして
台所口の屑箱の下に埋めてしまった
ざっとこんな感じの詩です。この後折に触れ「電球さん、土の中でもあなたは灯もるの」といった寂しい歌を聴き、電球から離れられない思考が自虐的であるようにも思えるがニヒルかつクールに生活を、聴こえてくる歌を表現していくのが実にシュールで私好みです。表現も「私は大学の研究室で毎日せっせと『動物園の老人たち』に関する論文を書いている」とか「どもりの執事がエスキャルゴ料理について婦人と議論しているという推論、その方程式は親指+ミルクX=ヨーロッパ史の概略、アインシュタインという名の犬を取り締まれ!」とか実にシュール。特異で難解な世界ではありますが、そのシュールな表向きの文字の裏に隠された哲学やら何やらはなかなか私好みのものがあります。その辺を知りたい人は寺山修司の作品を読みましょう。
2000年9月18日月曜日
新潟へドライブ
まぁ今回も色々ありました。行き道は入善PA(富山)の辺りから名立谷浜SA(新潟)の間、ガソリンが底を尽きかけた状態でジャンクスが必至で高速道路を80km/hで経済走行し続け、高速のくせに対面走行&急カーブ&トンネル多しという難所「親不知」を燃料メーターとにらめっこしながら走り続けるということがありました。もうすぐ燃料切れのランプがつきそうなのに、看板で次の給油所まで50数kmあると知った時には泣きたくなりました。もっともそうなった原因は、入善までの間私が道が空いてる上に下り坂になってるのをいいことに一時140km/hものスピ-ドを出して「抜くに抜けない初心者マーク」やってガソリンを大量に消費したからなのですが・・・。ごめんよ、ジャンクス。ちなみに私はスピード狂ではありません。ガソリン入ってからジャンクスも同じことやってたし(?)。しかも何故か冷房が効かずに(吹き出し口から温風が出る)、高速で窓を開けて走って日本海の潮風にさらされたりもしました。トンネルの中窓を閉め忘れて空気の悪さに死にかけたこともありました。おかげで新潟に着いた時はもう汗だくの状態でした。
そして新潟の我が家で一泊した後は私の母校巡りが始まります。新飯田小学校及び中学校へ歩いていき、その近辺の私がよく釣りをした川の橋やら最近できた公園やらを巡り、車に乗って三条高校を巡り・・・。京都に持ってきてない中学の卒業アルバムやら高校の修学旅行の写真やらバンドの演奏会の時の写真やらも紹介し、今回の旅は私の歴史を辿る旅のような様相を呈しました。帰りは結局行きの感触から乗鞍スカイラインを攻めるのは時間的に不可能だと判断、高校を見てから適当に三条及び燕を車で巡り、そのまま三条燕インターから高速にのって帰ってきました。ちなみに燕からインタ-に出る時RYOMA邸の近くのバス停のある道を通ったのは言うまでもありません(って、RYOMA本人にしかわからんネタだが)。帰りは寄るSAでいちいちさざえの浜焼きやらほたての浜焼きやら鴨の串焼きやらを買い食いし、日本海の夕陽を堪能しながら走ってきました。日本海に沈む夕陽は美しい・・・。途中前を走る明らかに性能がこちらより数段上な車を抜かすために「スピードを上げるなら下り坂だ!(←注:間違いです。真似してはいけません)」とかほざいてまた140km/hで下り坂の長いカーブを駆け抜け車の列をすっぱ抜いたり(決してスピード狂ではありません)、滋賀の黒丸~大津間でまたガソリンが切れそうになり、しかも渋滞に巻き込まれて「大丈夫かよ」と経済走行に徹したりもしました。とまぁ例によって例のごとく、といった感じですが、まぁ無事に生きて京都に帰ってこれたのでよしとしましょう。ジャンクスよ、お疲れさまでした。
しかし高速を走ってて、脇をスカイラインやらランサーやらといったスポ-ツ系の車が凄まじい加速ですり抜けていくのを見てると、つい自分でもそういったスカッとした加速ができる車を運転してみたくなりますね(何度も言いますが私はスピード狂ではありません。最高速度はそんなでなくてもいいからとにかく加速のいいマシンに乗りたいのです)。
2000年9月16日土曜日
Rainbow-staff新人募集開始
そう、明日からジャンクスと二人で車を駆って我が地元新潟まで一泊二日の旅をしてきます。帰りは何と新潟からあの合宿をした岐阜の乗鞍スカイラインを通り、あの乗鞍を通るということは必然的にシャレ-中西の脇を抜けて(爆)、そして京都に帰ってくる予定という地獄の道のり。帰りは距離の目算が合宿の時の3倍は楽にあります。さて、我々は無事に京都に辿り着いて月曜日の練習に出ることができるのでしょうか?すべては因果の流れの中です・・・。
2000年9月15日金曜日
成績発表
2000年9月13日水曜日
試み -『少年時代』を編曲しよう-
2000年9月12日火曜日
エスプラナードフェスタ
2000年9月10日日曜日
エスプラナードフェスタ前夜
2000年9月9日土曜日
爆睡
2000年9月8日金曜日
チャット設置
2000年9月7日木曜日
無題
2000年9月6日水曜日
音楽理解の認知論
世の中には色々な音楽があります。いわゆる西洋音楽理論体系に基づく音楽だけでもペンタトニックを基調とした童歌みたいのからシェーンベルグやらウェーベルンやらといった12音技法を用いた小難しい曲まで色々です。我々が音楽を聴く時、「これはわかりやすい」とか「難解だなぁ」とか、そこまで思わずとも「聴きやすい」とか「わからない」とか思う場合は多いと思います。ではその「聴きやすい」というのはどういうことなのでしょう?それは曲が悪いのでしょうか、それとも聴く人が悪いのでしょうか?
こんな研究レポートがあります。音楽の認知、すくなくとも心地よい音楽として判断できる基準はある一定の発達段階をもっているというものです。つまりまずは先に挙げたいわゆる『ヨナ抜き』、その調のドレミファソラシドからファとシを抜いた5つの音から成る『ペンタトニックスケール』を理解できるようになり、続いてファとシも加えたドレミファソラシドすべての音階から成る音楽を、そしてそこから短調やらスケールアウトした半音やらという風に高度に音楽の理解は発達していくというものです。つまり高度な理論に基づいた音楽は、それが高度であればある程聴く側にもそれなりの資質を要求するというわけです。このレポートは音程だけでしたが、リズムや和声その他の理解にもほぼ同じことが言えるでしょう。はじめは上に出た旋律だけの聴取、理解にとどまり、続いて低音の旋律等が耳に入るようになり、内声、和声・・・、といった具合でしょうか。音楽はその構造が複雑になればなる程聴く側にもそれを受け入れるだけの器を求めるのではないでしょうか。
そして楽器を演奏する人と自分で演奏はしないでただ聴く人との差も考えられます。私はギター弾きですのでギターの曲をまず引き合いに出させてもらいますが、弾く人とそうでない人で決定的に理解の差が出るのはブローウェルの音楽でしょう。彼の作る曲は、特に『舞踏礼讃』や『シンプルエチュード』などはそうなのですが、実際弾いてみるとわかる面白さというものがあります。逆に言えば、ギター以外の楽器だったらこの曲は生まれていないだろうという楽器特有の面白味とでもいうのでしょうか。これはギターならギターを弾いている人でなければわかりえないものです。そのはずです。だがしかし、それも楽器を弾いてなくてもわかる奇特な連中も中にはいるのです。私の仲間にいわゆる絶対音感を持つピアノ弾きがいます。耳に入る音が全部音階で聞こえるというあれです。その仲間にブローウェルの音楽を聴かせたところ、「ああ、こういう音の配列になってるのか。面白いなぁ」とか、「へぇ、こんなところでこんな音が出てくるなんて以外だけどいいね」とか、ギタ-弾きなら楽器の運指の特徴で理解できるけどそうでない人にはわかりえないであろう音の並びをすべて一回聴いただけで「面白い」と思えてしまっていたのです。ギターは弾けないそいつがです。ある意味愕然としました。私は『舞踏礼讃』なんかは試みに弾いてみるまでその面白味はわからなかったというのに・・・。聴く方にも才能というものはあるのですね、これが。より高度な音楽を理解するためにはより高度な訓練や才能が必要。音楽の世界は厳しいです。クラシックの現代曲なんかは私にも音楽に聞こえないのはよくありますが、そういうのは私がその曲を聴くだけの素養を持っていないのでしょう。
しかし、聴く方にも高度な能力を求めるいわゆる「高度な」音楽が必ずしもよいとは限りません。私はブローウェルのような今回の定義でいけば「高度な」音楽も好きですが、メタルやらJ-POPやらも好きです(J-POPはかなり選り好みしますが)。はっきり言ってJ-POPなんて音楽的にはかなり稚拙なものが多いですし、メタルも高度な音楽理論を用いてとうたわれているDream Thaterをはじめとするプログレ系だってブローウェルほどのことはやってません。理論的には高度なことはやっていても、演奏の方が高度になりきれていないのです。それは下手という意味ではなく、ある意味ではメタルというかエレキ音楽の限界だと私は思っています。そしてエレキ音楽はその限界を知ってか知らずか、クラシックにおける表現とは違った方向に進化を見い出してやってきているように思えます。結果は同じでも過程が違うのですね。今回は深く言及しませんが。ですが、私はそういったエレキ音楽が音楽として高度なクラシックの下とも思いません。いいもんはいいのです。そこにクラシックもメタルもありません。自分の素養が足りずに理解できない音楽があるのは残念ですが、理解できるだけの素養があるのにつまらんことを気にして「あれは駄目だ」とやるのはもったいないと思います。私はヨ-クの曲は簡単だとよくバッシングしますが、それは演奏する場合に簡単で深みがあまりないからつまらんといっているだけで、聴く分には好きです。つまらないことで受け皿を狭めてしまうのはもったいないでしょう。どうせならいい曲にはたくさん巡り会いたいものです。かの大ピアニスト、グレン・グールドはこう言っています。
「1才半くらいの幼児を誘拐して音楽のまったく聞こえない山奥に幽閉したとする。そしてシェーンベルグなどの純粋な12音技法を用いた音楽を慎重に選び、そういった曲ばかりを聞かせたらどうなるだろう?6才か7才になる頃になるとその子はこんな旋律(12音技法の意味不明の旋律)で歌い出すと思うかい?」
この彼の言葉は実に示唆的であると思います。
2000年9月3日日曜日
合奏団
そうそう、オサルさんは今日も元気であられました。彼は明日高知に発ちます。
2000年9月1日金曜日
恒例シャウトカラオケ
2000年8月31日木曜日
2000年8月30日水曜日
呪いの人形
「ここ一応花火禁止なんだよね。小さい花火だけど、近所から110当番通報あったし、悪いけど片付けてくれるかな。」
その警官はそう宣いました。いや、花火禁止の所でやってたのは悪いけど、でも110当番通報の原因作ったのは俺らじゃねーだろ!? と思ってもう一つのグループの方に目をやると、なんとタイミングよく丁度静かになっていた時で、警官も気付かずおとがめなしです。間違ってる!!! 何かが間違ってるぞ世の中!!! そう思いつつも仕方がないので我々も撤退し、残った線香花火を消化する舞台としてウチの近くのグランド付き公園を選定し、そちらへと向かいました。そこに強烈なお迎えが存在しているのを知らずに・・・。
それを最初に発見したのはりとりとでした。いや、にらめっこという噂もぎぃちゃんという噂もありますが、第一発見者は特定できずとも、ぎぃちゃんはそれを見つけるなり思っくそ蹴っとばしたという事実は確かでしょう。あの、呪いの(というかきっと呪われているに違いない)人形を。それは赤い服を着ていました。サンタさんのような格好でした。それは女の子の人形でした。ブロンドの髪をしていました。結構大きい人形で、やけに儚い曲調のオルゴールもついていました。オルゴールは鳴るのです。鳴ると首が回るのです。焦点の合っていない、人形の目が宙をゆらゆら彷徨うのです。ゆっくり首が回るのです。首の落ち着いていない乳幼児のように、いや、力をなくした死人の首のように。そして冷静に曲に耳を澄ますと、ギィギィと音が聞こえてきます。それは首が軋む音でした。ゆらゆら回る、人形の首の、確かに軋む音でした。それは「ぎぃちゃん人形」と名付けられました。BOXに持ち込もうとする人間がいましたが、明日以降BOXに現れカナモリのライバルになるかはまだ謎です。きっと夜勝手に動きます。ひとりでにオルゴールが鳴り出すに違いありません。あれはきっと呪われてます。どっとはらい。
2000年8月28日月曜日
無題
絶望という言葉は、何故こんなにも軽くなってしまったのだろう
2000年8月24日木曜日
2人のクレージーな1回生のために
2000年8月22日火曜日
2000年8月21日月曜日
新潟酒自慢
まずは原発建設に関する住民投票で全国的に有名になった巻町から。ここには新潟で収穫した葡萄を原料に、本場真っ青のワインを作っている『Cave D'OCCI』(つづり不祥。『カーヴ・ドッチ』と読む)があります。赤・白とも何種類かのワインが若いのからビンテージものまで置いてありますが、ここのワインが美味しい。そしてワインに合う料理を提供する、酒蔵を作り替えたちょいと小粋なレストランもあります。以前もここのワインを京都に土産として持って帰り皆さんの好評をいただいたことがありましたが、今回もここのワインを土産の一つとして持って帰ります。前回赤だったので今回は白を。辛いのは今回遠慮して甘口のビンテージワインを一本持って帰ります。確実に飲みたい方は他の人に飲まれる前に私に声をかけてください。
そして我が白根市のお隣加茂市の酒造で作られる清酒『升鏡(漢字は変換で出てこなかったので諦めました)』。これも美味しい。これも今回土産として一升持ち帰る予定ですが、いわゆる標準品か別撰クラスのものにするかは未定です。他にも『加茂錦』も確か加茂だったはずだし、新潟には他にも『八海山』や『雪中梅』、有名な『越の寒梅』など美味しい日本酒はたくさんあります。しかも安い。新潟では『越の寒梅』の別撰クラスが一升2,500円くらいなのに、京都で見かけたら標準品が8,000円くらいしてた・・・。プレミアとは恐ろしいものです。
そして私が通っていた高校からチャリで10分かからないような場所にあるジャズバー『だんちっく』。ここは自称『世界一狭いバー』で、確かに狭いのですが、素晴らしいウイスキーを置いています。『タプローズ』という名のそのウイスキーは、瓶単位では輸入できずに樽単位でしか輸入できず、しかもその輸入が近年難しくなったそうで市販では絶対手に入らず、店でも置いているところがほとんどない幻のウイスキー。味も香りも豊かで濃いのに全然きつさを感じさせず、飲むものをその豊穣の世界へと誘ってくれます。瓶では売れないので市販では手に入らず(状況は少し違うけど市販で手に入れにくいという点では『マッカラン』も一緒。が、これは大概のバーで普通に飲める)、私の知る限りここでしか飲めない幻のウイスキーです。そしてその近くにある姉妹店『Sato's Bar』もかなりいけてます。マスター自身現在も活動を続けているジャズピアニストなのですが、ここはカクテル中心で珍しいウイスキーも少々という店。カクテルの味には定評があります。私は『サイドカー』のみ飲んできましたが、やはり美味しかったです。ここのマスターお勧めの『バルベール』というスコッチ系のウイスキーも。
そして最後にまた巻町。『エチゴビール』です。日本地ビール第一号店で、開業して世界地ビールコンテストに応募しフルーティな白ビール『ベルジャン・ホワイト』と渋みとコクの黒ビール『スタウト』が世界コンテストの金賞と銅賞をそれぞれ受賞して以来、毎年同コンクールで何かの賞を奪取しているという鬼の地ビール。ウイスキーのように数年寝かせて作った古酒ビールも二種類あり、その様々な味わいのビール達はビールというものの概念を根底からくつがえしてくれます。ビールは「苦い」でも「喉ごし」でもなんでもなく、本当に味わって「美味しい」のだと思えるここのビールは、わざわざ新潟まで来てでも飲む価値はあると思います。私は個人的にプレミアキャンペーン(?)の限定醸造ビールの郵送を注文するつもりで用紙もらってきましたけど。ここは絶対のオススメです。併設されたレストランの料理もとても美味しいです。
以上、地元自慢でした。
2000年8月20日日曜日
高校を訪れて
そしてデパートまるよしの前に行ったら24時間テレビの募金が。私が仲のよかった仲間はJRCに入っていて、そのツテで私も何度かそういったボランティア系のイベントに出ていたので知っているのがいるかなと思ってみていたら、いましたいました。私の高校時代の仲間が一人と、そこで知り合った仲間が数名。久しぶりに色々積もる話などして帰ってきました。
2000年8月19日土曜日
ヒマ
2000年8月18日金曜日
五山の送り火
しかしあの送り火というやつは実に静かで雅な味わいがあるものですな。暗闇の中、山の方でチカチカッと光が点滅してるなと思ってみていると、文字の輪郭が様々なところから不規則に重い緋色の線(それは単純に線というよりは本当に揺れてぼやける点の集合といった感じなのですが)で広がり浮かび上がってくるのです。線がすーっと伸びながら全体の輪郭が夜の闇の中に浮かび上がってくるのは感動でした。あの重く、お祭りというにはどこか侘びしげで寂しげな色で闇に揺れる炎の文字は、盆の暮れに霊界へ帰る魂を送るためのものだ、目に見えぬものを目に見えぬ場所へとさらに導いていく光なのだと素直に納得できるものがありました。船型が浮かび上がってきた時やっとしゃべれるようになったくらいの子供をだっこしたお婆さんが子供にこう言っていました。
「あの船はね、死んだ人が皆乗っていく船なんだよ。バイバ~イ、って。」
その響きには子供をあやすようでありながら、どこか悲しいような気配もあり、もしかしたらこれまでの人生で死に別れてきた人達の魂も、皆あの船に乗っていて、その人達を見送るような気持ちであの送り火の船型を見ていたのだろうかとも思いました。五山の送り火の色はお祭りと言うにはあまりに重く、苦しく、寂しげで悲しげですらありながら、それでもやはり幻想的で雄大で、見るものの心に訴えかける何かがあるものでした。悲しいだけじゃない、お祭り騒ぎだけでもない。そこにあるのは歴史の深みであり、祖先に対する追悼であり哀悼であるのかもしれません。私達の中に遠い祖先の記憶はなくとも、血に受け継がれた深い記憶がその火の創り出す一瞬の永劫に同調するのかも知れません。見ていて美しさに感銘しながら、悲しいような懐かしいような、言い尽くせない不思議な感傷に襲われました。やはり京都にいるうちに送り火は見ておくべきだと今素直に思っています。
そして今日は実家新潟に帰ってきました。ご覧の通りホームページの更新はできます。ちと更新の時間は不規則になるかもわかりませんが。帰るなり親と酒を飲んで、真空管アンプにでっかい上質のスピーカーというウチの親の道楽設備で音楽聴いてました。そして家に日本酒『升鏡』がありました。新潟の地酒で、『越の寒梅』や『雪中梅』ほど有名ではありませんが、私のもっとも愛する日本酒です。今日はまだ飲んでませんが(これからちょっとくすねて飲むかどうかは未定)、いずれおいしくいただいてこようと思っています。
2000年8月16日水曜日
『まだ行っていない京都を回ろう計画』-祇園近辺~ねねの道-
まず知恩院に行く前に、途中にあった琵琶湖疎水の流れに足を浸したところから今回の京都巡りは始まり、知恩院方丈庭で鴬張りの廊下を抜け三方正面向きの猫と視線を合わせてきました。この三方正面向きの猫というのはダ・ビンチのモナリザよろしくどこから見ても絵の中の猫と自分の目があっているように見えるというもので、本当にどこから見ても目が合うので私はたまたま周りに人がいなかったということもあり、絵の真正面にドカンと胡座を書いて座り、猫と数分間見つめ合ってきました。何やら悟りが開けた気がします。そして八坂神社を抜けカラメルを買い食いし、京都らしい古い街並が残る小道を抜けて京・洛市ねねへと向かいました。ここでは都路里のグリーンティーとあんみつを堪能し、適当に買い物を。そして円徳院へ。円徳院は秀吉の正妻であったねねが願って建てたもので、またねね自身がその生涯を終えた場でもあります。人もほとんどいなく、ちょうど夕暮れを迎えた円徳院の庭は素晴らしく雅な空気に満ちていて、思わずその風景と静けさに見とれて数十分ぼ~っとしてました。この美しい庭を見ながら生涯を終えられるなら幸せだろうなぁ、とかそんなことを思いながら。枯山水風の庭の木々に夕陽が当たった風景が醸す叙情性は言葉でも何によっても形容しがたいものがあり、この風景に似合う音楽って何だろう?と思いながらも本当に似合う曲が思い浮かばずにいました。日本の庭が醸す風景なのに、さくら変奏曲等の曲も真に的を得ているように思われず、自分の音楽的なボキャブラリーの少なさを少々嘆いたりもして。敢えて合う曲を探そうとするなら、音によって音楽を聴かせる曲ではなく、音と音の間というか余韻というかの響きで聴かせる曲になるんでしょう。強いていうなら武満徹でしょうか?そして最後の高台寺。ここも秀吉縁の寺ですが、19日まで夜間拝観をやっていてライトアップされるのですね。それが楽しみで行ってきたのですが、ここも素晴らしかったです。高台寺に通じる北の政所の坂(ねねの坂)を昇って振り返った時に、石段の階段の両側に茂る木々や竹薮を照らし、反射する夕陽の美しさからしてやられました。そして入り口で日が沈むのを待って、ライトアップされた高台寺へ。光に照らされた広大な山の自然を利用した庭と、見事な造りの建物がもたらすコントラストはもうため息ものでした。高台寺や円徳院あたりの夜間拝観は清水寺や金閣寺ほど有名ではないので人はそんなにいないのですが、その素晴らしさは清水寺や金閣寺をも凌ぐものがあると思います。本気で感動して帰ってきました。
今日は久しぶりに正しい日本の夏の風景を見た気がします。明日は計画の第二段として、銀閣寺を見て大文字の火送りを見物に行きます。京都に3年住んでて一回も五山の火送りを見たことがないのですね。最後ですし、是非気合を入れて見に行きたいと思います。ちなみにこの「まだ行っていない京都を回ろう計画」、私とともに回ってくれる人を随時募集中です。共に京都の素晴らしさを味わおうという気概のある人、一緒に京都を堪能しましょう。
2000年8月14日月曜日
最後の夏合宿
しかし合宿は楽しかったですね。参加する四回生が少なかったので安心して楽しめるかどうかと行く前は思ったものですが、それも杞憂に終わり、最後の夏合宿を堪能して帰ってきました。今回のイベント及び伝説を列挙してみると、まずは『麻雀牌争奪王者決定戦』。このせいもあり私は合宿6泊のうち3日間の夜を麻雀に費やしました。結果を準決勝敗退でしたが。しかしあれは最後の決勝戦は凄まじい熱戦だったようで。そしてBKC2回生の◯の宮から大量の譜面をコピーさせてもらいホクホク気分に。『ブエノスアイレスの四季』や、『ブエノスアイレスのマリア』、『天使の死、ミロンガ、復活』のピアソラ作品や『バ-デンジャズ組曲』、『燭光のサンバ』、『コンドルは飛んでいく』、ムダーラの『ファンタジア第10番』です。この中から結局『ブエノスアイレスの夏(ベニ-テス編)』を定演のソロで使う気配が濃厚になってきました。花火大会もなかなか楽しかったですし、BKCの炎の二回生をはじめとして色々な人間と色々な話もできました。最後のコンパでは私は早々に潰れた人間の介抱役に回ってしまったため正直もう少しまともに楽しみたかったというのはありますが、まぁそれも介抱が一段落付いたらロビーで数人の人間と『酔えなかった負け組』として(爆)ダークな語りを入れて楽しめたのでよしとしましょう。酒は結局三日目か四日目の夜に忌無と飲んでたのが一番楽しかったなぁ・・・。いい酒飲ませてくれてありがとうよ。
しかし今回で私が夏合宿に行くのもこれが最後というわけです。帰り道では夕暮れの山の美しい景色も手伝って、GSJKと二人でかなりノスタルジックモ-ドに入ってました。大渋滞に巻き込まれるまでは・・・。こうして楽しいクラギタの生活、ひいては学生生活のイベントが一つ一つ終わっていくのですね。少し寂しい気もします。このままでいられたらと最近とみによく思うようになりました。昨年の秋の充実していた時からずっとですが。しかしその去年の秋の段階でもし本当に時が止まっていたら今の一回生とも出会わなかったわけですし、BKCの二回生ともあんなに話すこともなかったかも知れません。そう考えるとやっぱり素晴らしかった時間に別れを告げるのは辛いけど、時の流れとともに前に進んでいかないとならないんだろうなと思います。とどまりたいのやまやまなのですが・・・。そんなことを最後に思ってみたりもした合宿でした。
2000年8月6日日曜日
合宿へ
2000年8月5日土曜日
マンゴレ来訪
2000年8月4日金曜日
前期総会とカラオケ
2000年8月2日水曜日
『威風堂々』編曲あれこれ
・原譜のパート数が多くて一目で音の構造を把握しきれない
・管楽器が多く入っているため、いちいちキーがFやらAやらの譜面の音を実際出ている実音に頭の中で変換しないといけない。ついでにアルト記号もある。去年ので慣れたけど
・パ-カス等が多く使用されており、基本的にギターだけでやるのはしんどいためアレンジの際色々と考えなければならないことが多い
・上記の理由に対処する際どの程度特殊技法を使っていいのか等の配慮が難しい
いうことが上げられます。オケの音のトランスだけじゃとてもギタ-合奏にならん。トレモロの嵐だ、ラスゲア-ドもドブレも使うぞ、もしかしたらピチカートも、爪でなく指の腹で和音をトレモロする特殊技法もやるかもしれないし、さらにギター叩くかもしれん。さて、どうなることやら?
2000年7月31日月曜日
恐怖の月光堂コンサート
しかしここ1、2ヶ月程続いている私のスランプは重症ですね。何だかステージに立つ度に自信がなくなっていきます。去年の今頃は絶好調だったのに・・・。そら基礎練もニューロイックにやるゆーねん!というか人前で弾く曲自体の練習不足は否めないところはあるのですが、といってもあそこまで崩れますかね?あ~あ、憂鬱です。今現在学内発表会まで人前で弾くことを完全に止めるか、あるいは逆にひたすら機会を探してステージに立ちまくってショック療法でスランプから脱けることを狙うか、どっちにするか考えています。おとなしく引っ込んでようかなぁ、やっぱ・・・。参った。
そう、ちょいと遅くなりましたが29日付の日記として村治佳織のコンサートレビューを書いておきましたので興味のある方はどうぞ。
2000年7月30日日曜日
村治佳織@大阪シンフォニーホール
で、コンサートレビューですが、まず当日のプログラムは以下の通り。
コンサートは木村大も『カデンツァ17』の中で弾いているヴィラ=ロボスの『カデンツァ』から入ったわけですが、村治さんの『カデンツァ』は早い!あの木村大も真っ青なくらいのスピードで恐ろしく超速で弾き切っていました。ある意味かなり恐かったです。で、私も今日弾く(泣)『エチュ-ド第6番』ですが、これは私自身弾いているということもあり凄く参考になりました。この前木村大が弾いていたのと比べるとスピードは随分ゆっくりですが、曲調の強弱の付け方やフレ-ズの終わりから次のフレ-ズに入るまでの微妙なタイミングなどはまさに絶妙の一言。音がピ-クまで上がっていって折り返してから音程は下がりつつ音量はクレッシェンドで上がっていくところなんて、あの和音の嵐の音が切れやすいフレーズが実に綺麗に響いていて、聴いているとその音に自分が吸い込まれて落ちていくような感覚すら覚えました。あれはさすがとしか言いようがありません。聴かせ方が異常にうまかったです。次は正直たいして印象に残ってないのですが(爆)、まぁそれは私がこの曲をあまり好きでないからでしょう。あるいは『エチュ-ド第6番』の印象に私が浸っていたせいでしょう。そして次のソルの『幻想曲』がまたムチャクチャよかったのです。私は往々にしてソルやジュリアーニといった古典期の曲に感動を覚えることはあまりないのですが、これは本気で感動しました。村治さん特有のクリアかつシャープで繊細、やや玲瓏な感じもするが情感溢れる音色が見事にこの曲にマッチし、彼女の最大の才能である(と私が思っている)曲の聴かせ方のうまさが際立って実に素晴らしい演奏を聴かせていただきました。感動です。古典期の曲を人が弾いてるのを聴いていいなと思ったのはピエッリが弾いた『ロッシニアーナ第1番』以来でしょう。しかし古典期の曲ってこの『幻想曲』にしても『ロッシニアーナ第1番』にしても、なんだかやたらと長いのが自分で弾こうという気力を萎えさせてくれますよね(『幻想曲』約12分、『ロッシニア-ナ第1番』約18分)。そして次の『ソナタ』ではまだ曲の楽章の途中であるにも関わらず(確か第2楽章が終わったところ)客が何を勘違いしたかいきなり拍手をしてしまい、村治さんが「いや、ここは違う」と言いたげに右手でさりげなく制止を促すという場面が・・・。しかも大部分の客はその彼女の仕種にも気付かず拍手続けてるし。思わず休憩時間に私は「大阪は田舎者の集まりかい!?」とグチをこぼしてしまいました。
で、第2部では何と言っても『祈りと踊り』でしょう。彼女のロドリーゴはひと味違う!この曲を弾いてる時の彼女からは物凄いオーラが出ていました。大きなダイナミクスとアクセントを曲の流れの中で見事に引き分けて聴かせ、凄まじい緊張感と集中力が聴いてる方にまで伝わってくるような、ある意味鬼気迫る熱演。この日ソルの『幻想曲』と並んで私の心を奪ってくれた演奏でした。しかしロドリーゴはやっぱり難しい・・・。私には弾けません。『タンゴ・アン・スカイ』は前半ちょっと調子悪そうで、早いパッセージをしくったりもしていましたが、後半戦はリズムを取り戻し彼女らしい静かに熱く美しい『タンゴ・アン・スカイ』を聴かせてくれました。で、本編最後はピアソラの『天使の死』なわけですが、これがちょいとね・・・。う~ん、ベースの流れがもっと欲しい所で低音が弱かったり、ラスゲアードが忌無の表現を借りるなら「弦に指が負けているような」ちょっと力がないというか勢いのないものだったりで、期待していたほどの演奏は・・・。好きな曲なんですけどね、この曲。アンコールの『サンバースト』も恐ろしくミス多かったですしね。あれだけミスしながらも曲の流れが絶対止まらないところに感心したくらいです。練習不足、・・・なのでしょうか?しかしアンコ-ル最後の『小麦畑にて』はまた素晴らしい演奏でした。やはり彼女はロドリーゴの曲になると何かが違います。そしてこの曲で前2曲の分の機嫌をすっかり直した私は、溢れる感動のもと隣で観ていた98年度F技殿と彼女のサインをいち早くもらうためにサイン会会場に向けてダッシュをかけたのでした。
しかし村治さんはやはり曲の聴かせ方がとてもうまいです。今回のコンサ-トでは特にロドリ-ゴ2曲とソルの『幻想曲』ですが、他の曲を聴いていてもちょっとしたところに物凄い神経が使われているのがわかる。改めて曲を作る、曲を聴かせることの難しさを再認識したコンサートでした。
2000年7月28日金曜日
念願の村治佳織コンサート
2000年7月26日水曜日
必殺技
いや、『消えよ風の如く(タジャカ・マ・サーヤ)』とか『燃えよ業火の如く(ヒジュラ・カ・サーナ)』とかもいいけど、やっぱこれでしょう。名前のセンスが圧倒的に私好みです。何を言っているのかチンプンカンプンだという人は『Get Backers』を読みましょう。
・・・ああ、テスト勉強してねぇっ・・・!!!!!
技術を身につけ技術に負けず、精進せよ
そう、炎の2回生殿は皆が弾く曲を弾いて「俺もそのくらい弾けるんだ」というステータスにしていることもあるとお聞きしましたが、今日出会ったよしみというかで他の2回生を一気に出し抜く方法を耳打ちしてさしあげましょう。第一には『舞踏礼讃』でも弾くこと。これをきちんとした解釈をして人に聴かせられる演奏ができるくらいになったらプロ目指せます。ディアンスの曲を完成させるのに比べたら恐ろしく難しいです。純粋に指が動く動かないのレベルで見るなら『リブラ・ソナチネ』とかの方がきっついですが、そこから更に一歩進んだ次元を目指したいなら有効な練習課題となるでしょう。また、誰でも弾ける曲を誰も真似できないくらいの味とオ-ラをもって聴かせるというのも効果的。極端な話『愛のロマンス』や『小さなロマンス』みたいな初級程度の曲を弾いて聴くものを感動させることができれば勝ちです。意外と『タンゴ・アン・スカイ』は弾けてもメルツの『愛の歌』とか弾くとどってことない演奏しかできないっていう人いるんですよね。技術ばかりに目がいって、音楽を無視しちゃってるんです。ところがその音楽を考え出すと簡単な曲が難しい。技術的なインパクトで目くらましができませんからね。
私は技術的にはどってことないです。スケールもアルペジオも120回るくらい(全盛期はもうちょいいきましたが。今はリハビリ中。回復の兆しはあります)です。ディアンスの曲なんてあんな早いの弾けません。『タンゴ・アン・スカイ』は持ってますが、あんなもんどうとでもごまかせますからね。フォームとかも特に右手なんかはツッコミどころ満載です。私を見て技術的に凄いなんて思うようなヤツはハッキリ言って精進が足りません。私を一笑するくらいの基礎力を身に付ける努力をしてください。しかし曲を作る、音楽を聴かせるということにかけては絶対の自信があります。最近精神的にスランプ気味でちょいと落ち込んでますが(最近私がBOXであまりギターを弾かずにひたすら家で練習してるのも実はそのため)。譜面通り完璧にミスなく弾けて、曲想も完璧についてればそれだけで音楽なんだと思っている人は意外に多いようです。左脳型ですね、極端な。私なんか問題にならないくらいの技術力を持った人は結構いるんですから、早くそこに気付いてもう一歩上の段階へ進んでいってくれることを望みます。
2000年7月24日月曜日
定演独奏選曲
2000年7月23日日曜日
2000年7月21日金曜日
過去の小ネタ
1995 NOV.24 部室での会話
男1 | 「はあ、後一ヶ月だなぁ・・・。」 |
男2 | 「あと一ヶ月?何が?」 |
男1 | 「もうすぐだぜ。どうする?」 |
男2 | 「ああ、なるほどね。ま、いいじゃないか。どうせ今までだって一人で過ごしてきたんだし。なんならうちでパーティーでもやるか?」 |
男1 | 「は?」 |
男2 | 「え?クリスマス・・・、じゃないのか?あと一ヶ月って?」 |
男1 | 「ふう。どうする?後一ヶ月だぜ、冬至の日。カボチャ食って風呂にユズ入れて入らなきゃだぜ。どうする?」 |
男2 | 「・・・殺す。」 |
1995 DEC.5 部室での会話
男1 | 「前に8人でカラオケ行った時は酷かったな。一人2、3曲しか歌えなかったぜ。」 |
男2 | 「でも勘定は安かっただろ。」 |
男1 | 「まあね。250円前後ってとこだったかな。でも割り切れなかったからヤロー軍団が少し多く払ったんだけどね。」 |
男2 | 「ヤロ-軍団?ってことはヤローズだね。とすると、一緒にいたのは、・・・ヤラレーズだね。」 |
男1 | 「お~い、誰かそこにあるバット取ってくれないか。」 |
男2 | 「ちょっと待った。悪かった。一緒にいたのはヤローズじゃなくてヤラセーズだね?」 |
男1 | 「ほほう。」 |
彼は冷ややかな笑みを顔に浮かべると、受け取ったバットを強く握り締めた。
・・・TO BE CONTINUED
・・・ちなみにこの後私が男2にバットで殴りかかったのはまぁ言うまでもないことでしょうが、まだ私がバトルモ-ドに入っている時に「おはよう」と部室に入ってきた某氏に向かって持っていたバットを問答無用で投げ付けたというオチも付いています。まぁカラバットでしたから。しかしあれからもう5年が経とうとしているのか・・・。
2000年7月20日木曜日
プチプチビニールで快適に
しかし今日家でギタ-を弾いていて自分の基礎力が去年と比べて圧倒的に落ちているのに気付いて愕然としました。アルペジオは二週間前からの徹底的なフォ-ムの再検討と意地の修正が効いて以前よりよくはなっているのですが、スケール系と右手左手の同期、そしてリズムがグチャグチャです。慌てて矯正プランを練って実行を始めました。半音階や1-4-3-4を基調としたバリエ-ション練習とかセゴビアスケールなんかを初心に帰ってフォームから厳しく自己チェックを入れて練習してます。その他アルペジオ等の面も含め、いわゆる基礎練からその発展、さらにはヴィラ=ロボスやブローウェルのエチュードを目的別に組み込んだ基礎力回復、発展メニューを練ったので、これから毎日最低一時間は基礎を頑張ります。30日には月光堂コンサートが控えており、曲の練習に比重を置きたいのはやまやまなのですが、さすがに先立つものがないとね。私は音楽は技術じゃないとよく言いますが、技術じゃないと言っても最低限の基礎力は絶対必要ですからね。それがないと味も何もあったもんじゃない。死ぬ気で全盛期の基礎力を取り戻し、超えていきたいと思います。
2000年7月19日水曜日
無意味を超えて
人生が無意味だから嘆くのではない。人生が無意味に感じられるから嘆くのだ。人生が楽しいのではない。人生を楽しく感じようとするから楽しいのだ。我々は人も草木もすべて含めて、万物何一つ同じではない。それは差異であり個である。外面の差異、内面の差異、あるいはその境界の差異。アイデンティティが失われたから彷徨うのではない。アイデンティティが失われたように感じるから彷徨うのだ。厳然たる何らかの差異の下、我々一人一人はれっきとした個である。群に埋没したと思えるその時も、我々が個でなくなる時は世界が溶解する時である。差異なき人生は我々の死である。
まだ人は問う。まだ人はもがく。まだ人は苦しみ、まだ人は嘆く。それは誰かを救うかもしれない。それで自分も堕ちるかもしれない。また人は悦ぶ。また人は赦す。また人は微笑み、また人は立ち上がる。それは誰かを傷つけるかもしれない。それで自分は前へ進めるかもしれない。また何かがぶつかる。また誰かとぶつかる。人も草木も、風も大地も、正義も悪も、義理も情けも、論理も感情も、歌も祈りも、愛と憎悪も、関心と無関心も、原子と電子も、何もかもが何かとぶつかる。アンビバレンツは最大の正論、逆説は必然の真理。それでも生を愛し、それでも人を愛す。そこには無意味はどこにもない。無意味はすべてという言葉の下に、差異をなくして失効した。それでもまだ根底に存在する無意味を感じるというのなら、踊れすべての事象を抱え。無意味に踊らされるその前に、自らですべてを踊ってしまえ。悲劇も喜劇もすべてを抱え、涙を流して踊る道化のように。
2000年7月18日火曜日
2000年7月17日月曜日
発熱のギタ連定演
2000年7月15日土曜日
蝕とスランプ
さて、明日のギタ連定演ですが、ハッキリ言って私は自信ありません。皆無です。胸を張って言うのもどうかと思いますが。なんだか弾ける気がしないのですよ。それに昨日の録音で聞いた自分の演奏があまりにショックで、人前で弾く自信を喪失しかけています。おかげで演奏に迷いがあり、今日はさらに聞けたもんじゃない演奏をしていました。精神的にスランプです。まいりましたね、何もこんな時期に・・・。月末には月光堂でのコンサートも控えているというのに・・・。明日はどうなるかわかりませんが、とりあえずせめて不安に支配されないで演奏ができればと思います。
2000年7月14日金曜日
誰だ、このヘタクソは!?
2000年7月13日木曜日
今日の小動物
そして今日家に帰ってきた時には下宿の階段のところに白に近い灰色の体を持ち、キョロンとした目で可愛らしく壁に張りついているヤモリが私を迎えてくれました。この下宿、大体年に4,5回はヤモリが壁に張りついている姿を目撃することができるのですがヤツは可愛くてよいですよね。特に目が。いつも見かける度つかまえようとするのですが、うまくいった試しはありません。案の定今日もまんまと逃げられました。でもまぁいいです。たまに見るだけでも充分私の心は満たされますから。来年東京に出たらヤモリなんて見かけなくなるんだろうなぁ・・・。
2000年7月12日水曜日
第一回さくらんぼ救出大作戦
送られてきたダンボ-ルの箱の蓋をあけると、さくらんぼの入っているパックの中央部底の辺りに3cm四方くらいの白い繭のような真菌類の巣窟が見えます。デンジャラスです。また腐界が広がっているようだと眉をひそめながらも、私はその白い繭から遠くにあるさくらんぼから救出を始めました。ビニールの袋をつけた右手で一個一個手に取り、真菌類が付着してないかどうか入念に確かめてから袋に入れます。そんな作業を繰り替えして、とうとう真菌類の巣窟近辺まで操作が到達しました。私はその異形に一瞬躊躇しましたが、いたいけな健全なさくらんぼを救うため、意を決してビニ-ルをつけた右手でカビをかきわけ生き残りの捜索を開始したのでした。結局カビの巣窟の中からも数個の健全なさくらんぼが救出され、カビと隣接してても腐らないヤツは腐らないんだなと思いながら救出したさくらんぼを小分けにビニ-ル袋に入れて冷蔵庫に突っ込みミッションは終了しました。これでさくらんぼの寿命も格段に延びたことでしょう。でも食べる時は念のためよく洗ってから食べないとなぁ・・・。
2000年7月11日火曜日
祝!10,000HIT!!!!!
2000年7月9日日曜日
合奏団、練習のはずが・・・?
そう、合奏団ですが京大の聖帝のコンサート以外にも私がいる間に結構色々なところに出て行くらしいです。最近になってオファーがあったらしく、9月に大阪のどっかの教室のミニコンサートにゲスト出演があり、11月に奈良ギタ-フェスティバルに出演しと、思っていたより私が合奏団員としてステージに立つ回数は多そうです。っていうかおかげで当初3曲だけ弾けばよかったのが、気付いたら7,8曲譜面渡されてるんですが・・・。まぁよしとしましょう。そして2月には独重奏会があり、そこで私が合奏団でパ-カスやってる人が歌うのにギターの伴奏をやるという噂が今日・・・。いや、それはいいですけど一体何故私なのでしょう?先生の陰謀を感じます(笑)。っていうか先生も「いいや、最初は冗談のつもりで言ってたけど彼女(歌う人)本気になってるな」とか笑って言いはるし。おおう・・・。まぁ、なんでもやらせていただきます。でもソロでロドリーゴの『パッサカリア』も弾かせてもらいますけど・・・。
2000年7月8日土曜日
HP開設記念日
2000年7月7日金曜日
最後の演奏会はこれ?
さて、では定演は何弾きましょうかね?『パッサカリア』を弾ける舞台があるのならもうそれにこだわる必要もないので大分選曲も気楽になりますね。マンゴレからホセの『ソナタ』とのたれ込み情報もありましたが、聴いてみないと何とも言えません。今のところ本日私の中で突如として候補に上がった『バーデンジャズ組曲』が有力です。最後の定演でこれまで学外向けの演奏会で弾いてきたのとは一風変わったバ-デンパウエル調のボサノヴァ風現代曲・・・。きっと学外の人が抱いている私の演奏のイメージを一気に崩してしまうことでしょう。面白そうです。でも私がボサとかジャズっぽいの弾くの嫌がる人もいくらかいるんですよね。ちゃんとしたクラシック聴かせてくれって。う~ん、悩ましいところです。まぁ別にまだ『バ-デンジャズ組曲』に本決定したわけでなく、現時点での有力候補というくらいでまだまだ選曲は続けますがね。さて、最終的に何を弾くことになるのやら・・・?自分でも想像がつきません。
2000年7月4日火曜日
新幹線トラブル
久々のRS講師
そう、明日はまた内定先の企業の研修で東京に行ってきます。
今日の一言:世界はそれ自体がただ在るだけでは動かないのだよ
2000年7月2日日曜日
悩ましい定演独奏選曲
何よりもアランフェスのおかげでロドリーゴが完全に封殺されているのが痛い。『ファンダンゴ』も『祈祷と舞踏』も『昔音に聴こえしイタリカ』も無条件で消えるわけですから。バッハの『バイオリンソナタ第2番よりフーガ』(あの有名なタンタンタンタンタラランタンではないやつ)もいい曲ですが相性がイマイチそうですし、デラマーサの『曉の鐘』は淡々とし過ぎていて情感がもうひとつ私の感性としっくり来ません。ピアソラの『ブエノスアイレスの冬』や『天使の死』もいいのですが、ピアソラは基本的に私の表現の枠とは微妙に違うのですね。ああ、何を弾けばいいのだ?今日つっきーに理由を話していい曲ないかと聞いたら「その条件でお前に合ってる曲だとやっぱり『パッサカリア』だろう」と言われるし。弾きたいなぁ『パッサカリア』。
しかし自分の思ういいステ-ジを作りたいという企画の気持ちもわかりますし、執行部にはそれをやる特権があります。私も去年はそうしてきたのですから。Cステージの構成には結構無茶をお願いしてきました。裏ではね、少々。だから無理は言えません。今年の執行部は自分達の思う理想のステ-ジを実現するために強権を発動する権利があるのです。しかしそこで最高のステ-ジをと願う執行部と最高の演奏をと願う私のギャップが生じてきて今回のように悩むわけです。今日つっきーに「選曲で悩んでるならヴァイスの『シャコンヌ』がもう一回聴きたい。あれは本当に感動した」と言われました。あれから一年がたった今でもそう言ってくれているのです。またそんな演奏がしたいと思い、自分に合った曲を一日でも早く練習したいと思うのですが、それが見つからない。定演までの時間は少しずつ失われていきます。『シャコンヌ』は半年弾きました。もう定演まで半年ありません。選曲の相談を他大学の人間に持ちかける度に「今から新しい曲を始めて間に合うのか?」と言われます。クラシックの独奏曲を高いクオリティに仕上げるためのタイムリミットは既に近付いているのです。それは自分でも痛いくらいにわかっているから余計に焦る。でも曲は見つからない。ああ、どうしよう・・・。『パッサカリア』弾きたかったんだけどな・・・。まぁぼやいても仕方ないし、実に男らしくないので自分で嫌なのですが、ここまで悩むとねぇ。ああ、ちくしょう、せめてロドリーゴが使えれば・・・!!!!! 精神的に限界に近いです。
2000年7月1日土曜日
ギター弾きにとっての豆乳の効果
・良質のタンパク質を多く含み、丈夫な爪を早く伸ばすのに役立つ
・腱鞘炎の予防及び治癒によいビタミンEを多く含む
・タンパク質はギターに必要な筋肉の養成にも役立つ(私が定演前に飲んでいたプロテインと一緒ですな)
・なんだかよくわからないがイソフラボンというものが体にいいらしい
・やっぱり豆乳はコレステロ-ルもほとんどないから安心してタンパク質を摂取できるよね(笑)
・・・と、こんなにギター弾きのニーズを見事に満たしてくれているわけです。タンパク質だけならスナック菓子のさやえんどうの方が豊富ですが、ヤツはビタミンEを含んでいません。塩分過多も問題です。やはり豆乳でしょう。上記の効能の中で本当にギタ-弾きにとって有用なのは1と2だけじゃねーかというツッコミもありですが、ありとはいえ受け付けません。豆乳なのです。美味しいし。何よりも味がなんか最近さらに色々と発掘されてきて、10種類近くの味の中から気分で選べるのも魅力。さあ、皆さん豆乳を飲みましょう。
2000年6月29日木曜日
独重の後に
2000年6月27日火曜日
独重前夜と定演の選曲
さて、私はというと現在定演のソロで弾く曲の選曲に非常に困っています。バッハの『シャコンヌ』もロドリーゴの『パッサカリア』も企画部長に構成上の理由から却下され、さて何を弾こう?と一ヶ月くらい色々な譜面を見て片っ端からCDを聴いて買って探しているのですが、「これ」と思うものがなかなか・・・。『シャコンヌ』か『パッサカリア』なら曲調的になんぼ難しくても誰を敵に回してもオ-ラで勝てる自信があるのになぁ・・・。『ブエノスアイレスの冬』はギタ-独奏アレンジだと異様にしょぼいか難しいって話で、しかも譜面が見つからない。『アディオス・ノニーニョ』もBOXにあるアレンジはとてもしょぼくて、いいアレンジのヤツは存在は知っているが譜面が手に入らない。ヴィラ=ロボスの『エチュード第六番』はもう暗譜してあれはあれで気に入ってるけど、あれで定演のステージに立とうとは思わないし、『黒いデカメロン』は見事に挫折・・・。ああ、俺は一体何を弾けばいいのだ!?誰か暗くて重くて綺麗でしかも盛り上がる曲知ってたら教えてください。
2000年6月25日日曜日
木村大とベトベトのリュック
そう、一昨日アンドリュ-・ヨ-ク&木村大のコンサ-トに行ってきたのですが、これもなかなかよかったですよ。まぁ『バ-デンジャズ組曲』の一番の盛り上がりのところで鳴る携帯の着メロ等に悩まされはしましたが。あれは最悪だった・・・。まぁギタリストとしての格はやはりヨークより木村大の方が上ですかね。おかげでヴィラ=ロボスの『エチュード6番』がやけに気に入って、昨日ちょっと弾いてみてなんやわけのわからん和音があったので今日合奏団の練習の後先生に教えてもらったりする熱の入れようです。ヨークと木村大がデュオで演奏した『サンバースト』はなかなか貴重なものを聴かせていただきました。まぁこのコンサートもちゃんと録音しておいて、しかも録音も手馴れたものになってきてライブ盤と考えるなら相当の高音質で録れているので興味のある方は私まで。お貸しします。
そして昨日は飲み会の後のちょっとしたトラブルでいつものリュックがベトベトになってしまったので、意を決してリュックを洗いました。そのまま洗濯機にかけました(爆)。無事きれいに洗い上がりましたが、リュックを直接洗濯機にかけるのも私くらいなものでしょう。おかげでこのリュックもまたひとつ経験値を上げることができたに違いありません。なにしろ私と共に数々の修羅場をくぐり抜けてきたばかりか、車に轢かれること数回、就職活動で社長や重役の目にさらされること数回、挙げ句の果てに主人に置き去りにされて広島まで一人旅をして無事に帰還し、そして今回は洗濯機です。きっとヤツはリュックとしては破格の経験値を持っているに違いありません。FFでたとえるならバックアタックでも敵に容赦なく4ケタ台のダメージを与えるくらいの屈強のウォリアーであるに相違ないでしょう。大したものです。
そう、実に一年以上ぶりに心のヒットチャート更新しておきました。随分古い曲も目立ちますが、それは私が相変わらず日本の音楽シーンに疎いせいです。気にしたら負けなのです。
2000年6月22日木曜日
Headache-Blue
2000年6月21日水曜日
独重回想
・・・おお、壊れてます、壊れてます!!!!! そう言えば私は独重の前日には異常に高まったテンションからか、心の中に破壊神が降臨してゴミ捨て場にBOXに置いてあった角材持っていって片っ端からゴミをクラッシュしたりしていたのでした。腱鞘炎で手が震えて、まともに練習ができない日もありました。懐かしいですね。当日は朝寝坊して慌てていったら生ゴミの袋に自転車ごと突っ込み、最後トリで『シャコンヌ』弾く前ステージに立った時は緊張のあまり「このまま弾き出したらつぶれる!!!!!」と思いいつもの眉間に指を置くあのポーズをとって必至で精神統一していたんだった・・・。う~ん、やはり独重クラスの大きな演奏会になると想いも一層ですなぁ。一回の頃先輩が独重でステージに立ってるのが妙にカッコよく思えて、しかもその時の執行部は実力的にも凄いものがあり伝説的な演奏をいくつも残したものだから、私も自分が執行部として出る独重で伝説を作ってやろうと密かに思い続けて去年のステージを迎えたわけですからね。そして私の中では去年の演奏会では伝説が作れたと思っています。特に『シャコンヌ』は会心の演奏でした。弾いてて運動なんかで物凄く調子がいい時なんかに起きるような、時が膨張して静止に近く感じられる世界の中、通常では考えられないような思考の早さと集中力が未来を先取りするように適確に音をとらえていくあの感覚が演奏している時にありましたから。あれは本当に気持ちいいんですよね、弾いてて。脳内麻薬がオーバードースとも思えるくらいに出てるのが感じられます。トリップです。自家製トリップです。麻薬です。そら気持ちいいっちゅーねん。またあんな感覚を味わいたいものです。
2000年6月20日火曜日
内定者歓迎会
内定者歓迎会でしたたか酒を飲まされ、「なに、9時16分の新幹線なんて乗り過ごしても10時のヤツで名古屋までは行けるさ」とかなり無茶苦茶なことを某グループ長殿に言われながらウィスキーを勧められつつも私は無事京都に帰れる最終ののぞみに乗ることができたわけですが、米原を過ぎて「さて、もうすぐ京都だな」と荷物の整理を始めた頃に、それまで順調に走っていた新幹線がピタと動きを止めたのです。「ぬぅ・・・」と思って窓の外を眺めていると、現在の状況についての車内放送が入ってきます。曰く「前を走るひかりのドアが走行中に開き、その車内点検のためにひかりが走行を停止しています」。しかも京都駅と私が乗っていたのぞみとの間にはそのトラブったひかりを含め3台の新幹線が立ち往生しているとのこと。その時点で時刻はおよそ11時40分。山陰線の最終は0時3分です。コイツはもしかしたらタクシーか!? という考えが私の頭をよぎりました。やれやれです。本来なら11時33分に京都駅に着いていたハズなのに・・・。しかしそんなことを言ってみてもどうにもならないので、とりあえず私は待ちました。某KIYOなどにメールなど打ちながら。そしてやっと新幹線は動きだし、その低速走行の途中で某KIYO他が在住の『エリートナカノ』の存在を捕捉して私は無事(?)京都駅に辿り着きました。その時およそ0時10分。新幹線の改札を出る時駅員さんに「山陰線まだ残ってますかね?」と尋ねたところ、まだ待ってくれているらしかったので「ソイツは結構」と無事余計な金を使わずに帰宅することができました。しかし冷静に考えれば朝6時に京都駅を出て深夜0時のお帰りというのも結構たいがいなものです。さすがにちょいと疲れました。
なお、内定者歓迎立食パーティーのメニューで、デザートのマンゴーらしき怪しい果物がいたく気に入った私は並列で陳列されていたメロンやスイカ、オレンジ等には目もくれず一人でマンゴー(らしきもの)をいくつもバクバクと食って周りの人間に奇異な目で見られていたことを付け加えておきます。その時周りにいた人達に説明したことをまた述べるなら、「あっさりした中にも微妙に残るまったり感と適度な甘酸っぱさ」がたまらなかったのです。
2000年6月18日日曜日
胃が・・・
2000年6月17日土曜日
意外性に富んだ2回生会
そう、今日はリンクを3件追加。友人・知人の欄です。今回は弟が参加している『100みかん計画』のサイトも追加。そこで随分壊れた日記を書いているのがヤツです。やばい、壊れ具合で負けている可能性もあるぞ・・・.私もちょっと頑張って壊れる必要がありますね?
2000年6月15日木曜日
反転眼鏡でアルペジオ
2000年6月14日水曜日
2000年6月13日火曜日
音楽認知科学ア・ラ・カルト
まず哲学的視点からあるのは、音楽の絶対的な意味内在性を主張する絶対主義、それに対して音楽の内在的な形式の他に聴き手の概念、行為、情動、性格等を参照する形で何らかの音楽世界以外の要素を取り込んだ形で音楽の意味は形成されるという参照主義があります。前者は音楽にはその形式なり音列、和声の群自体が例えば明るく楽しいとか静かで寂しいとかの意味を絶対的に持ち、それ故音楽の持つ意味が聴き手の印象を完全に左右するのであり聴き手の心象が音楽にフィ-ドバックされる形で投影されるものではないという立場。後者は音楽の構造的な意味以外にも聴き手の心象等の音楽の外の世界の影響が音楽に反映されて音楽の意味が決まるという立場です。また、「形式主義」と「表現主義」という視点もまた別の見方としてあり、前者は聴き手は音楽の形式やパターンといった音符的、符合的な面を聴き手として評価する立場であり、後者は音楽を情動を表現する手段として聴く立場です。まぁこれはレポートとかではないのでこれ以上は突っ込みませんが、音楽認知や音楽心理といった分野ではこのようなことも熱く議論されているわけです。ちなみに私の意見は参照的表現主義の立場に近いのですが皆さんはどうでしょう?ちょっと考えてみると面白いかもわかりませんよ。
他によく扱われるのは発達心理学的な視点。音楽を認知したり演奏するのが発達、上達していく過程はどうなっているのかを研究する分野です。ま、おきまりというかでよくあるのは音楽の才能は生まれつきのものか、生後発達していくのかというもの。あるいは音程を覚えていったり、調整を判断できるようになる(長調と短調の違いとか)発達の過程とか。他にはちょっとメインストリームとは異なるのですがこの分野で私が強く興味を弾かれるものとして音楽性の発達についての研究なんかもあったりします。これは音大生が主な研究の対象で、音大生は特に音楽性というものが自分のアイデンティティに直結する問題だけによく見つめ、研究しているからある面では凄く参考になります。幼い頃、楽器はやっていなかったが音楽好きの親が常にかけていた音楽が音楽性のルーツになっていたり、親の仕事の都合で海外を転々として西洋音楽から民族音楽まであらゆる分野の音楽に直で触れたのがよい音楽性につながっていたり、あるいは学業、友人関係、恋愛、その他人生経験というものが音楽性のルーツであり、どういう生き方をしているか、何を願っているかがそれだという人がいたり、様々です。逆に音楽性が乏しいのを生育環境に由来する性格のためと分析する人がいたり、訓練によって音楽性が身に付けられないかと苦悩する人もいたり・・・。音大生にとっては死活問題だけに真剣です。私は、そりゃ音大生とはレベルの違うものだとはわかってはいますが、自分のスタイルというか音楽性についてははっきりしたものを持っているし武器にできていると思っています。が、そのルーツはというと、どうなんでしょう?幼い頃親が「3才を過ぎるまではバッハとモーツァルト以外の音楽は聴かせない」と息巻いていたせいでしょうか?(←マジでそうだったらしい)それとも・・・? ある一人の音大生の言葉を借りたいと思います。
『あの人らしい演奏だったね』と、らしいと感じさせるものが音楽性なのだと思います。普段、その人がどういうことを考えているか、どういう生き方をしているか、また願っているか、そういうすべてのものが音楽を通して現れてくるのだと思います。演奏の中に自然にでてくるもの、その人自身、その人そのものが音楽性なのだと考えています。
まぁ幼年期の環境も重要ではあるのでしょうが。
で、他にある分野は本格的に「認知」って感じのものですね。旋律や調整、リズムやタイミングをどのように人は『音楽』として認知しているのかという分野です。実験、実証の難しい音楽認知の分野の中では比較的実験がやりやすい分野ですね。音楽は進行するうちに「次はこうなるだろう」という期待や、その期待が裏切られた時の緊張の繰り返しによって音楽となるというようなことを実証していく分野です。人は音の列から調整を無意識のうちに音楽的まとまりとして認識しているとか、音楽の熟練者とただの機械による譜面の演奏のタイミングや区切りなんかの微妙な違いから、いわゆる名演奏者はそうでない演奏者と何がどう違うのかを検証してみたり。これも面白いです。
前にも書きましたが、音楽認知の理論を自分の演奏に取り入れてみたり、逆に時分の音楽との関わりの中の経験を音楽認知の勉強に役立てたりと、一石二鳥なやり方をしているのです。
2000年6月12日月曜日
2000年6月11日日曜日
神戸フィルハーモニック第40回定期演奏会 with 福田進一
福田進一氏を客演に迎えてのアランフェスは、第一楽章でまだ手が暖まっていなかったのか早いパッセージを福田氏がしくってごまかして逃げるという一場面もあり実にヒヤヒヤしました。一回ラッパ音間違えましたしね。しかも素人でもわかるような外し方・・・。あれはないでしょう?ソリストの実力は言うまでもなく、神戸フィルもなかなかレベルの高いオーケストラだとは思うのですが、この第一楽章はちょいと息が合わなかったようです。ギターとオケの音量バランスが悪かったのも聴いててちょっとどうかと思いましたね。しかし何故かMDで録音してきたのを今聴いてると、音量バランスも含めてとても聴きやすくなっているのです。一体何ででしょう。第二楽章はイントロのジャラ~ン、ジャラ~ンの音色がとても暖かく深みのある音なのに感動しましたが、いかんせん一番の盛り上がりであるギターをジャカジャカ鳴らしてオケがドンッ!ってやるあそこがちょいとずれたのが痛い。やはりギターから指揮者が見えないような配置になっていたのは問題ありでしょう。しかしメチャッ早なカデンツァや最後の終始などでは福田氏の技量や音色の豊かさを堪能させてもらいました。そして第三楽章ではギターもオケも完全に調子を取り戻し、文句のつけようのないくらいの演奏に。始めからそれでやってくれよ、って感じですね。そしてアランフェスが終わった後、福田氏がアンコール(?)としてソロで『アルハンブラ宮殿の思い出』を弾いてくれたのですが、これがまた綺麗かつ表情豊かな音色とトレモロで最高でした。藤井敬吾氏のもよかったですが、これもまた・・・!!!!! たまりませんね。
今回のコンサートも例によってMDに録音してあります。しかも録音状態も極めて良好、MDの方が生より綺麗に聴こえるくらいで、もう編集も済んですんなり聴けるようになってます。興味のある方は私まで。
2000年6月10日土曜日
何故か充満する実存主義
ちなみに次に流行るのはおそらくカフカの『変身』でしょう。私も読むつもりでいましたし、なんとみっしぇりーも既にえいどりあんから借用済みです。その次はサキかな?ああ、恐い恐い。
2000年6月7日水曜日
京都ギター連盟定演に向けて
しかしですね、今日ギタ連定演の曲紹介用紙をもらってきたのですが、それの記入事項に趣味とか好きな言葉ってのがあるのは何なんでしょう?しんちゃんの話によればその項目で理事が最終の出演者の決定をするとかしないとか?どこまで本気かわかりませんが、とりあえず真面目に好きな言葉とか書いてもつまらないので、ここは一つ狙っていくことにします。というわけで、
今日の言葉:君達のいる場所は三千年前に既に通過している!
2000年6月6日火曜日
あるOBとの出会い
昨年も1、2回日記に書いたことですが、そこら辺を探せば「自分も昔はギターを弾いていたよ」という人には案外多くお目にかかれます。が、弾き続けている人というのは比率にしてみたらとても少ないのです。それで私も社会人になって忙しくなったらギターもあんまり弾けなくなるのかな、それなら今やっていることは一体何なんだろうという思いに駆られることがままあるのです。実際就職先も決まり、やることが見えてきてその大変さも見えてくると、その不安はさらに強まってきます。言うまでもないことかも知れませんが私はギターが好きです。音楽が好きです。しかし好きというだけでは時間や環境はどうにもならない。その時間や環境に押しながされる形で私も世間にたくさんいる「昔はやっていたよ」のクチになってしまうのかなと思ってしまいます。けれど、土曜日に会った方のように35年、仕事に就いてからもギターを弾き続けているという人に会えるととても勇気付けられます。仕事は忙しいかもしれないけど、それでも弾いていけるという自身が持ててきます。先日喫茶『アルハンブラ』で上田英治夫妻とお話していた時もコンピュータの仕事をやりながらギターを弾き続けている人の話をお聞きできました。私が習いに行っている先生は「昔の教え子が演奏会に来てくれて、一時期は忙しくてあまりギターは弾けなかったけど最近はまた余裕が出てきて本格的に始めたと報告してくれたりするととても嬉しい。私はギターを一生楽しんでもらいたいんですよ」とこの前のレッスンの時話しておられました。「演奏会は華々しいですけど一瞬ですよね。でもギターを楽しめるのはその一瞬だけではないのです」とも。
やっぱりギターの音色は年をとっても魅力的なものであると思いますし、何よりも音楽を奏でられるということそのものが心を満たしてくれるようにも思います。色々不安はありますが、やはり私は一生弾き続けていきたいと思っていますし、実際弾き続けている方に会えるとその思いは一層強まります。そして私もいつかキャンパスかどこかで後輩に会えた時、一生弾き続けられるギターの魅力とその可能性を少しでも伝えてあげられたらいいなと思います。BKCでお会いした方とはほんの偶然の出会いでしたが、そんな偶然から凄く励まされたように感じられる。不思議ですよね、出会いというものは。
2000年6月5日月曜日
最近(珍しく)観るTV
しかし、そんな私でも最近楽しみにしている番組が二つあります。上記のように私は元々テレビを見る方ではありませんので、私が毎週テレビ番組をチェックするなんて恐らく中学の時の『渡る世間は鬼ばかり』以来でしょう。で、その私が楽しみにしている番組とは土曜の夕方6時からやっている『六番目の小夜子』、日曜の夜9時からやっている『サラリーマン金太郎2』です。両方とも相変わらず私の嫌いな日本番組の俳優の演技のわざとらしさは残るのですが、『小夜子』はリングの影響を明らかに受けつつも話の作り方がうまくて毎回続きを楽しみにさせてくれるし、NHK教育なので番組途中にCMが入らないのも魅力です。『サラ金』はまぁヤングジャンプで漫画読んでる延長ですか。原作とは筋が違ってて結構面白いです。
2000年6月3日土曜日
藤井敬吾ショック
2000年5月31日水曜日
風景の見える音のスケッチ
この作品の構想はちょっと前に思い浮かんで、それからずっと書こう書こうと思っていたんですけど時間がなくて書けなかったんですよね。で、今日も本来なら書く時間はなかったはずなのですが、どうも精神状態が停滞気味で一日引きこもりをしてしまったがために書く時間ができたと。多分これが書きたかったんでしょう。私にとって表現の欲求とは心の膿のようなもので、たまに吐き出してやらないとどんどん鬱屈した状態になっていくんですね。で、今回それが一段階目の限界に差しかかっていたため精神が停滞して一日引きこもりを起こしたと。何しろ作品を仕上げるまで飯も食いませんでしたからね。そして仕上げたらひょいと5時過ぎに家を出て部活に行っちゃいましたからね。まぁそういうものなのでしょう。
2000年5月30日火曜日
待ち受ける旋律の内定者研修・・・?
2000年5月28日日曜日
2000年5月27日土曜日
やっと取得した運転免許
まず、書類の確認をしに受付に向かうわけですが、そこで写真と住民票の期限が切れていると言い渡されてしまいます。写真は就職活動で余っていたのがあったので、それを代わりにして問題なくいけたのですが、問題は住民票です。受付の一曰く、「近くに区役所があるんで、まだ時間ありますから取りに行ってください」。それで私は泣く泣くタクシーで往復1,250円払って新しい住民票を取りに区役所まで行ってきました。わざわざそんなことまでしたのですから、もう今日落ちるわけにはいきません。また出直してくるんだったら家から堀川にある市役所に自転車で住民票取りに行ってます。そのプレッシャーもあり、合格発表の時は就職試験の時より緊張しました。いや~、受かっててよかった・・・。
2000年5月25日木曜日
就職先変更
2000年5月23日火曜日
やりたいこととは - 就職活動とからめて
「自分のやりたいことがわからない」。就職活動を皆が始める時期に差しかかってから、そのような台詞をよく耳にするようになりました。気持ちはわかります。コンピュータがやりたい、音楽に関わりたい、曖昧なビジョンは何となく持っているものの、それが本当に自分のやりたいことなのか、迷いを持っている人をたくさん見てきました。「自分のやりたいこと」、そのビジョンがまだ定まっていないから進路決定も曖昧なまま、とにかく世間の就職シ-ズンという波に流されて動いている、そんな人をたくさん見てきました。「自分のやりたいこと」というものは意外に自分では見えにくいもの。それは自分が楽しい、充実していると感じられる瞬間が、一つの事ではなく色々な面にわたっていたり、あまりに日常的すぎて小さなつまらないことに思えてしまうものだったりするからでしょう。それを「自分のやりたいこと」というキーワードで探し出そうとするからはっきりしたものが見えなくなる。多分そんなところなのだろうと思います。発想を変えてみたらどうでしょう?自分がやりたい「こと」を探すのではなく、どんな「こと」、あるいはどんな「とき」に自分は楽しいと思い、充実していると感じられたのか。その場面を想定すれば、それこそこれまでの人生の中の種々雑多な場面が思い起こされると思います。しかし、その一見雑多に秩序のないように見える楽しい時間には、何かの共通項があるはずなのです。例えばそこに音楽があったとか、気の合った仲間がいたとか。その共通項が見つかったなら、その共通項こそがあなたが楽しい充実した時間を過ごせるための条件なのです。後はその条件を満たせる進路を決めたらいい。やりたい「こと」から探すから迷うのだと思います。順序は逆なのでしょう。自分が楽しい、充実していると思えるための条件があったからこそ、それが楽しい「こと」であり、やりたい「こと」になりえたはずなのですから。
ここにきて、私はまた、私はまだ迷っています。自分が本当に素晴らしい時間を過ごせる条件は何なのか、それはわかっています。しかし、目先に私を迷わせる色々な条件がぶら下がっています。その表面的なものに自分が迷わされないために、私は自分自信に対する確認のために今日のこの日記を書いています。私にとって進路決定で一番重要なことは、自分がそこで充実した時間を過ごせること。そのための条件はわかっています。ならばそれが最優先事項。それをもう一回確認したかったのです。自分の迷いをとるために。魅惑的な幻影に、自分の道をミスリードされてしまわないように。
2000年5月22日月曜日
おぼつかないからこそ堂々とやれ
おぼつかないからこそ堂々とやれ
照れるのが一番下手
微妙に私がステージに上がる時の哲学とよく似ています。だからこそ興味を持ったんでしょうけど。ステージに立つ時、それは不安も緊張もありますが、だからといってそれに屈してビクビクした態度で舞台に上がっていって、おどおどとした礼をして、縮こまるようにして椅子に座って、そして恐る恐る最初の一音を出していたのではいかんのです。たとえそれが完全なハッタリであったとしても、ステージに立つ時は常に堂々としているべきなのです。パフォーマンスなんかじゃありません。堂々としていないと自分の気持ちが舞台の空気に負けてしまい、結局いい演奏ができないのです。もちろんビクビクした態度で壇上にいたんじゃステージマナーにも反しますが、それ以上に堂々とした態度でいることで自分の心に暗示をかけるというような面が大きいのです。音楽というのは自分が思っている以上に精神状態が反映されるものだと思います。そして精神と身体は実に密接な相互関係にあると思うのです。いや、ただの私の経験上のカンですけど。だからこそ堂々とした態度でせいぜい大物ぶってステージでの立ち居振る舞いを行うべきでしょう。そうすることで何処か心も堂々としてきます。そしてそれは演奏へと直接フィ-ドバックされていくのです。そして、言うまでもなく最高の演奏こそが最高のパフォーマンスなのです。そのために心が負けてはいけません。特にライブが素晴らしい演奏者で、態度が情けなく感じる人はいません。まずはともあれ態度から。そのくらい言い切ってもいいと思うのです。
ただし、それも本番当日の話。本番前までの練習がやはり何よりも一番大事なのですけどね。しかし、本番自分がそれまでやってきたことを、成果を充分に出すためにはそういったことも必要なのではというお話でした。本番になると練習程うまく弾けないとお悩みの方は試してみては如何でしょうか。ただ、なんだかんだ言って一番本番頼りになるものはそれまでにやってきたことです。本番までにもうこれ以上できないって言うくらい頑張って、それでも弾けないところがあるのなら、あとはハッタリでもなんでも堂々とした態度でステージに立てば少なくとも本番練習より酷くなることはないです。それは断言できます。が、本番一ヶ月前になっても毎日一時間ちょいの練習くらいしかしないでステージに立つような程度だと保証はしかねますねぇ・・・。私が今日述べたある意味での精神論は、練習の成果を100%~200%引き出すことは確かにできますが、その練習の成果、ってのが最初からないのでは話になりませんからね。
独重に出る皆さん、頑張ってください。
2000年5月21日日曜日
腱鞘炎・・・?
2000年5月19日金曜日
合奏団、勧誘
・・・というわけで、次に行ったら私の名札の右上には朱色の筆で「合奏団」と書かれていることでしょう。見て驚くなよG.S.J.K.に現職C技。
2000年5月18日木曜日
PCKショック
そう、昨日書き忘れましたがピエッリのコンサートは全部MDに録ってあるので聞きたい方は連絡を。音源が録音されてない曲やら独自のアレンジものやらあって結構貴重かも知れません。録音状態はブ-トレッグと考えるならかなりいい代物だと思います。この調子でヨーク&木村大もムラジカオリも録ってきてコレクションを増やしていくつもりです。
2000年5月17日水曜日
アルヴァーロ・ピエッリ@豊中アクア文化ホール
コンサートはまずバッハのリュート組曲と無難なところから始まったのですが、2曲目からいきなり寝てるヤツがいる。しかも寝てるだけならいいのですが、そのイビキが会場中に響き渡ってるんですね。ピエッリもさすがにあそこまで大きいイビキは気になるようで、演奏中にイビキが聞こえてくる方を何度も睨んでいたと思ったらリュ-ト組曲が終わった時点でいきなり「私は日本語が話せなくて申し訳ありません。皆さん疲れていて眠たくなるのはわかりますが、あまりに大きいイビキは周りに気になさる人もいます。そういうふうに寝たいのなら外で寝てください」と英語でスピ-チ。会場には小さな笑いが起こりました。そらねぇ、あそこまで容赦なくイビキかいたら言いたくもなりますよ。休憩時間には話す人間皆あのイビキはないだろ、みたいなこと話してましたし。そして次の曲ジュリアーニの『ロッシアーナ第一番』に移るわけですが、コイツが実に素晴らしかった。曲の作り方が非常にうまい。かなり感動詞ながら聞いてました。で、突如またスピ-チを入れ、「プログラムにはありませんが次の曲を演奏する前にバリオスの曲を2曲」と『フリア・フローリダ』に『最後のトレモロ』を演奏。ちょっとサービス(?)してくれたようでした。
が、次の曲が終わって休憩をはさんでからは意味不明な特殊技法が渦巻く現代曲のオンパレード。しかも長い長い。最後嵐のように激しく意味不明なカッティングの技でヒナステラの『ギターソナタ』を締めた後、さらに3回のアンコール。それもブローウェルの『シンプルエチュード』のランダムメドレー特殊技法付き。やられました。アンコールまでそれかい!そして終わってみたら時間は9時45分。実に2時間半以上の恐ろしく長いコンサートでした。
このピエッリというギタリストは音色はプロにしては少々粗いところもあるのですが、それ以上に曲の作り方が非常にうまく、その意味では物凄い勉強になりましたね。異様にたくさんの特殊技法を見せてもらったのも面白かったです。・・・が、長い!!!!! コンサートが終わった時には私も一緒に行った現職C技もすっかり疲れ果ててました。ああ、しんどい・・・。
2000年5月16日火曜日
ネットオークション初体験
2000年5月12日金曜日
就職活動終結宣言
いや、本当は明日回る予定だったNKエ◯サとコ◯ルコシステムくらい行けることまで行ってみようかなとも思っていたのですが、明日あるクラギタの新歓演奏会で何か一曲弾いてくれとの依頼を一昨日受けたもので、丁度内々定をいただいていた企業さんに返事を出すのが昨日だったということもあり、この際これを機に完全に就職活動にピリオドを打ってしまおうと思い立った次第です。第一志望群の中の企業さんですしね、まったく問題はありません。というわけで昨日内々定をいただいていた企業さんに返事をいたしまして無事就職活動は終了、というわけです。いや~、疲れましたね就職活動。でもこれでとりあえず一安心です。就職活動をしていく中で色々と思ったこともあるわけですが、それを書き綴るのはとりあえずまた今度ということにして、今はとりあえず解放感に浸っておきます。そう、私が行くことを決めたのはNTT PCコミュニケーションズ。プロバイダ『インフォスフィア』を持つNTTコミュニケーションズ直系のネットワーク関連を得意とする企業ですね。時代の最先端に触れていける職場です。海外との取り引きも多く、グローバルな世界に立っていけるのも魅力です。気合入れていきましょう。
というわけで、私は来年からは東京に出ます。京都の街は結構気に入っていた上に就職活動で東京という街が嫌いになった私は出ていくのがかなり名残惜しくもあるのですが、自分が選んだ道です。東京のいけすかない雑踏ともどうにかうまくやっていきましょう。現在就職活動中の皆様及び教員採用試験や公務員試験等で頑張っている皆様、すみませんが私は一足先に進路を決めさせていただきます。皆さんも頑張ってくださいね。何かできることがあれば何なりといたしますので。それでは残りの学生生活、お互い悔いのないように過ごしていきましょう。・・・私の場合まず卒業ですかね?
2000年5月11日木曜日
小説におけるイメージの効力 - 映画『クロスファイア』を観て感じたこと
『クロスファイア』の主人公は「パイロキネシス」という、念能力だけで人を骨まで燃やし尽くしてしまう程の炎を発生させることができる超能力の一種を持っていて、その力をもって己の正義を遂行していきます。この念能力だけで、ってのがくせものなのです。小説の場合は念能力を行使する際の主人公の心情の変化やら念能力のため方、飛び方等が言葉で表現されており、読み手はその言葉からイメージを具体化させることができます。ところが映像の場合はどうでしょう。主人公が相手を睨む、相手が燃え上がる・・・。わけがわかりません。元々目に見えないものであるだけに、映像化した場合の方が情報量として少なく、かえってイメージがつかめないのです。そのイメージをSFXとして具現化した場合などさらに酷い。我々の脳が通常認知している世界にない映像としてしか処理できないものだから、実に現実感、リアリティですね、が希薄になり、ただの安っぽい映像になる。それでも映像だけで楽しめる程SFX処理が大層なものならまだそれはそれで楽しめるけど、念能力みたいに元が目に見えないものが相手だとSFXにも限界があるし、大層にすればする程安っぽくなり現実感が薄れる。結果作品全体の力も希薄になり、つまらん映画ができ上がる、とそういうわけです。『ISOLA』なんて典型ですね。これは多重人格の少女とエンパス能力(簡単な読心術と思ってください。ちょっと違うけど)を持った主人公を扱った話なのですが、小説の方は名作と呼んでもいい素晴らしいものなのに、映画の方はというともはや少女が多重人格であることすら小説を読んでいないとわからないかもしれないくらい多重人格の表現が危うかった上に、エンパスもなんやわけわからん。多重人格もエンパスも死に伏線となりかねない上にわかりにくく、映像作品としてこれ以上ない失敗作に上がっていました。原作の作家貴志祐介氏にちょいと同情もしたくらいに。
ではそれが何故小説だとうまく機能するのでしょうか。一つには目に見えないものでも言語で表現できるので情報量が多くなりイメージがつかみやすいというものがありますが、何よりも人間の脳は自発的なイメ-ジ化においては凄まじい力を発揮するということがあります。本当によい小説のよい場面なら、読んでいてそのシーンの映像が小説の文字と並行してイメージとして心に浮かんできます。比喩ではなく確かに映像としてです。あたかもテレビのスクリーンで眺めているように、小説の場面の映像が浮かんでくるのです。そういった経験はないでしょうか。私の場合、初めての土地で「この景色どっかで見たなぁ」と思い、どこで見たのか記憶の糸を手繰っていったらその景色はある小説を読んだ時にその中の一場面として私がイメージしていた映像とよく似たものだったということに気付いたという経験すらあります。このように自分が作りあげたイメージというものは実際の現実と対等に渡り合えるだけのリアリティを持ち得るのです。我々がものを見るということも、脳が処理をして映像を映像として作り上げてみせているわけで、その意味で光という映像情報と、文字情報から想像力で作り上げられる映像と、両方映像として完成させるのはどの道同じ自分の脳なわけで、その意味では一緒なのだと思います。それが映画だともはや完成された映像を見せられていて、その処理には光情報を映像に直すだけで、現実的でないものも単純に映像として処理するしかない。ところが、文字情報からイメージを汲み上げて映像になる場合は、それは過程としてひとつの現実として作られるわけですから本当の現実と同じだけのリアリティを持ちえるのです。SFX等の映像は現実的でない映像の情報を現実的でない映像として目に見せるだけなので現実感が希薄になる。ところが小説は現実的でなく、映像でもない文字情報から映像、イメージを現実のものとして組み上げるわけですから。ですからいわゆる超能力とか多重人格とか、そういったオカルト的なものは案外映像化するより小説にしておいた方が力があるんじゃないかなぁと思ってみたりもします。
とはいえ、小説からイメージを組むのにはやっぱり多少の慣れが要るんでしょうけど。その人の才能とか適性じゃないとは思うんですけどね。要は右脳の働きですから、イメ-ジ化って。それを活性化させられれば誰でもいけるとは思うんですけどね。
2000年5月9日火曜日
一気に猛暑
2000年5月6日土曜日
『部屋を夏色に変えよう大作戦』二日目
今回の大掃除は綿密な(?)分析から始まりました。「何故この部屋はこんなに汚れているのか?どうしたらその問題は解決できるのか?」がそのテーマです。まず「何故汚れているのか」は収納スペースに対し物が多すぎること、そして実は結構ある収納スペースを活かしきれていないことが最大の問題でした。つまり要らないものを徹底的に抹消していって、現在うまく使われていない収納スペースの整理、活用をすすめればこの混沌から抜け出せると私は読んだわけです。要らない本は梱包して実家に送りつける準備をし、要らない書類は迷わず捨てる。そして必要だがまとまっていない書類はきちんと分類してファイルにしまい収納する。言うだけなら単純な作業ですが、いかんせん量が恐ろしく多いのと、紙を一枚動かすだけで舞い上がる埃の群れにやられて作業はかなり難航しました。埃というのはなかなか大したもので、掃除機で吸っても吸っても後から後からどんどん出てくるのです。これが金目の物だったら嬉しいところなのですが、埃が相手では喜んでもいられません。私は何度となく咳き込みながらの作業を強いられることになりました。そして要らないものはとにかく捨てる捨てる。昨日と今日でゴミ袋総計3袋+アルファを満杯にする勢いで不用品の抹消作業は続きました。しかし苦労の甲斐あって、床に山積した書類問題はどうにか解決、次はCDの収納スペース問題です。ここで最大のポイントになるのは今TVやコンポが乗っているAVラック。このラックはおおまかに3層に分かれていて、その両サイドはどうにかうまいことCDを整理して収納できているのですが、真ん中の一番広いスペースは実に無駄な使われ方をしていてもったいなかったのです。それを区切り板の位置を変更したり中身を整理したりすることによって解消し、見事に広々としたCDやVYRの収納スペースを確保、そこにきちんとブツを整理して入れてやることにより収納スペース問題も解決しました。我ながら見事です。あれだけ荒れきった物の多い部屋でもやればどうにかなるもんです。しかし当面のところまだ本棚が一杯で本が何冊かテーブルの上に溢れているなどの問題は残っています。この本の収納スペースだけがどうにも打開策が見いだせないのですね。何しろ慢性的な本棚不足で・・・。う~ん、どうしよう?新たに本棚を買ってもそれを置くスペースもなぁ・・・。まぁどうにかしましょう。部屋が完全に夏色に変わるまであと少しです。
2000年5月5日金曜日
『部屋を夏色に変えよう大作戦』
2000年5月2日火曜日
筆記試験の合格率
しかし今日一緒に面接を受けてきた人から聞いたのですが、今日行ってきた企業は2回の筆記試験で受験者の七割を振り落とすという恐ろしいことをやっているらしいですね。ということは3回目以降の面接にたどり着けるのは受験者の三割のみ・・・。冷静に考えたら凄いことです。とはいえ、私が回った別の企業でも一次の筆記で1,000人超の受験者を300人に絞り、次の面接で300人を70人に絞って最終面接でその70人を30人弱に絞るとお聞きしましたから、案外大きい企業というのはどこもそんなものなのかもわかりません。就職の倍率にくらべると大学受験の倍率なんて小さなものに思えてきますね。大学受験なんて倍率高いところでもせいぜい十数倍でしょう。それを考えるとやはり就職というヤツは厳しいものなのだなと実感できますね。
2000年4月29日土曜日
久々のRainbow Staff飲み会
2000年4月28日金曜日
散髪
2000年4月27日木曜日
右手が疲れる就職活動
2000年4月26日水曜日
就職試験の面接待ち中の一コマ
2000年4月25日火曜日
光明
2000年4月18日火曜日
NTTデータ エントリ-フォ-ラム
そして今日のフォーラムは京都で行われていたので帰宅後比較的時間があり、久々に部屋をちょっとだけ掃除してみたりもしました。特に水周りの汚れや真菌類を除去してみたり、洗面が詰まりかけていたのをあの便器なんかによく使うギュッポンギュッポンと空気送り込むヤツ(正式名称不祥)で通りをよくしてあげたりしてました。おかげでちょっとだけ水周りが清潔になったような気がします。
2000年4月16日日曜日
就職活動疲れ
2000年4月14日金曜日
とうとう事故
今日は日本IBMの試験がありました。とはいえ、今日が大学の受講登録の締め切り日でもあるので、私は朝一で大学に出て受講登録を済ませてきました。その後二条駅までチャリで突っ走ってJRに乗り新大阪まで行き、IBMの試験を受けてきたわけです。まぁ私は正直IBMはデカイだけの企業だと思っていますので、そこで働くことにあまり魅力は感じていないので今日は腕試しとこれからの別の企業に向けての筆記の調整というくらいの気持ちで受けてきたわけです。いや、SE適性試験やSPIみたいなのはブランク空き過ぎるとカンが鈍りそうですしね。色々なタイプの試験を受けておけば後々別の企業で役立つかもしれないし(実際そういったことはこれまで何度もあったので)、受験料とられるわけでもないですしね。おかげで「私が感動したこと」というテーマの作文では、なんと昨年末の"漢ルミナリエ"について熱く、しかもフランクなエッセイ調で書き殴ってきました(爆)。あれで通ってたら奇跡です。そして試験が終わって京都に帰ってきた後、私は「うん、学食に飯を食いに行こう」と思い立ちました。やはりできるだけ安くまともな飯を食おうとするならあそこです。そして学食で飯を食べ、ちょっとBOXに顔を出してから家路に着いたわけですが、そこで事が起きました。
とある裏道の十字路。街灯は少なく道も暗めです。いわゆる出合い頭の事故でした。こちらは直進、あちらは右折。ちょうど道路の中央やや左くらいで二つの影が重なってしまったのです。まぁ向こうも細い道で、しかも右折ということで大してスピードも出していなかったので、当たる瞬間でさえ昨日の新幹線で寝てて気付いたら京都だった時の方があせってたくらいに落ち着いてました。「あ、来るんだ、こっち」といった具合に。そして実際クラッシュも大したことはなく、右足がちょっと痛かったけど、まぁちょいとスネを擦りむいた程度、自転車もカゴが少し曲がった程度で済みました。その運転手の方は大変親切な方で、自分から示談の話を進めてきた上に「とりあえず」と言って名刺と幾許かのお金を渡してくれ、「自転車の修理や医者に行ったりしてそれで足りないようなことがあれば連絡をくれ」と言ってくれました。以前京都に来たばかりの時ギタ-ケ-スごと跳ね飛ばされて自転車のスポーク曲げられた上に轢き逃げされた時とはえらい違いです。私はその後、何故かその運転手さんと就職や産業の動向について小一時間程立ち話をしていました。呉服関連の仕事をしている方なのですが、どういうわけか情報業界や京都の成長企業について詳しかったんですよね。何故彼が呉服? とやや疑問に思ったりもしました。
しかし昨日今日と事故続きですね。昨日はリュック置き忘れの他に、実は二条駅から家まで帰る途中、「まぁPHSと家の鍵だけでもポケットに持っててよかったな」とか思いながらPHSのストラップを持ってクルクル回していたら、ヒュッと指からストラップが抜けてPHSは地面にという事故が・・・。無惨にも地面に叩き付けられた私のPHSは、フリップが壊れて外れてしまいましたとさ。直しましたけどね、それくらい。しかしまぁ事故続きな昨日今日でした。明日は何があるのでしょう?
2000年4月13日木曜日
リュック広島一人旅
「あれ?俺リュックどこやったかな?」
そう、なんと私は新幹線の中にこともあろうか自分のリュックを忘れてきてしまっていたのです。あの中には財布や郵便局、銀行のカード、さらには就職のスケジュ-ルやそれに伴う必要事項がびっしりと書いてある手帳に資料、その他重要なものが山ほど入っています。これは大変です。これまでリュックを忘れるのはおろか財布すら落としたことのない(・・・いや、一回あったな、新潟で)私がかなりの不覚をとってしまいました。ここで敢えて言い訳をさせていただくなら、私は新幹線の中で疲れて寝ていて、はっと気付いたらいきなり京都に到着とのアナウンスが流れていたのです。それで「おお、やべぇ!!!!!」と思った私はス-ツの上着やコート、座席ポケットの中のPHSや眼鏡なんかを慌てて身につけ、ドタバタと降りていったわけです。そんなにあせっているようには自分で思っていなかったのですが、やはり相当にあせっていたのでしょう。おかげで一番メインとなるリュックを網棚の上に置き忘れるという不覚をとる羽目になってしまいました。とりあえず家に着いたらまず京都駅の電話番号を調べて電話をかけ、係の人に事情を説明しました。なにしろ中には財布やカードなど、相当にヤバいものも入っています。まぁ手帳や就職関係の資料など好き好んで持っていく人間はあまりいないでしょうが。すると、まだ広島に向けて走行中の新幹線の車掌に連絡をとって中を調べてくれるといいます。私はお礼を言って連絡が来るのを待ちました。・・・そして待つこと40分、京都駅から待望の電話がかかってきました。不幸中の幸いというか、リュックは無事に見つかって財布やカードが漁られた形跡もないとのことでした。荷物は着払いの宅急便で送ってくれるそうです。JRの遺物捜索能力と対応に感謝です。
しかしまだ問題は残ります。私はあのリュックの他には合宿なんかの時に使う大きなバッグが一つあるだけで、他にはカバンらしいものは何も持っていません。そのリュックが届くまで、私は一体何をカバンとして使えばよいのでしょう?明日から土曜日までひたすら就職のスケジュールは詰まっています。東京遠征の時に着替えなんかを入れて持ち歩き、会社に行く前にはコインロッカーに預けるという使い方をしていたクロネコヤマトの袋をしばらくメインのカバンとして使うしかないのでしょうか?っていうか、それ就職で企業回るのにはヤバすぎるでしょう。しかし今の私に新しいカバンを買う程の財力はありません。なにしろまた来週東京で二泊三日、しかもそのうちの一つには志望度のかなり高い企業の三次選考も入っているというのに、その遠征費用すら出せない可能性があるという状況なのですから。・・・さて、どうしましょう?コイツは本気で大問題です・・・。