思えば当時は清心館にOPRがあり、しかもそこにはMacが入っていたのでした。私が一回の頃は恒心館にOPRはなく、代わりに研心館や西園寺記念館にOPRがあったのです。有心館にもありました。図書館と尽心館だけは今も昔もOPRがありますね。そしてMacとWindows3.1が当時OPRに入っているマシンでした。今みたいに安定して動くNTでもなく、imapもWeb Mailもありません。ATSONだけは当時からありましたが・・・。少しずつ便利になっていくRainbowのシステムを、STAFFとして三年間変容に置いていかれないようにしながらも常に他の学生より先にそのシステムに触れて学べる機会に恵まれていたわけです。思えば素晴らしい仕事でした。
私もSTAFFとして色々な経験を積んできました。通常の勤務の他にリエゾンオフィスで書類の整形や大学組織図の作成の仕事をやったこともありましたし、二年前ウチの大学の文学部のホームページをリニューアルしたのも私です。ホ-ムペ-ジ作成講座の講師も何度かやりましたし、2回生の時には新しく入ってきた新人さんの研修チーフもやりました。3回の春には大学が新入生に課した初歩的情報リテラシーの講師を勤め、4回の時には新人採用の際の面接官のまとめ役もやりました。その中で特に、知識を持っているだけでなく、目の前の状況に持ち前の知識を柔軟に対応させて解決を見い出さなければならないということは経験を通じて学んできました。それはSTAFFの仕事以外でも色々なところで役に立つものでしょう。3回と4回の時は部活や就職活動に忙殺され、STAFFの飲み会などは行く機会がほとんどなかったため、STAFFの中では私は普段案外目立たない存在だったかもわかりませんが、私はRainbow-STAFFの仕事に誇りを持っていました。憧れて始めた仕事です。本当に積極的に関われたのは2回生まででしたが、それでもいい経験をさせてもらったと思っています。本当はもう少し積極的に関わる時間がほしかったんですけどね、人間の時間は無限にあるわけじゃありません。残念ですが・・・。
今日最後図書館のコンピュータの電源を落とし、今年から着ることになったRainbow-STAFFの赤いジャンパーを脱いだ時は「もうこれに袖を通して勤務に就くこともないんだな・・・」と思って少し寂しくなりました。こうして大学でやってきたことの諸事に一つ一つ終わりが訪れていきます。その度いちいち感傷的になってしまいます。でもそうして感傷的になれるということは、自分はそれだけそのことに対して頑張ってきた、誇りを持ってきたということなんだなと今日思いました。自分が力を入れてきたことに終わりの時が訪れるのは寂しいことですが、終わった時後悔することなく、少しくらい感傷的になったとしても、それでも「自分はやったんだ」と思えることがあるというのは、・・・いいことなんじゃないでしょうか、やっぱり。
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