2001年5月31日木曜日

E.S.デ・ラ・マーサ『暁の鐘』

 BBSの方で「最近音楽の話が少なくてつまらん」というクレームがついているようなので、今日はちょっと久々にギターについて書いてみたいと思います。あ、その前に言い訳として、やっぱ今私の生活の90%はコンピュータが占めているわけで、やっぱりその話題が一番書きやすいんですわ。考えなくてもネタ出てくるもん。

 さてさて、そもそも最近私はギターを弾いているのでしょうか。・・・弾いてます。今週は特に先日の藤井先生のコンサートの余波もあってか、毎日帰ってきてから30分ばかりは弾いてます。やっぱねぇ、帰ってくるの遅いし(といっても冷静に考えれば毎日夜11時までBOXで弾いてた頃よりははるかに早いが)、マンションじゃ夜遅くまで弾くのも限界があるし、平日は頑張っても一時間くらいですね。でもちゃんと基礎練から、私が後輩に「一日15分しか弾けないならこれを弾け」と指導していた通りのメニューで始めてます(笑)。それに藤井先生に「一日でこれしか弾けないってときならこのパターンのアルペジオを弾くのがいい」と言われた、アグアドでいうなら、・・・11番かな?あのpimamamaのパターンと。やっぱ短い時間で効率良く技術の維持及び向上を望むならそれなりのメニューを考えないとね。

 そしてこっちに来てからはひたすらE.S.デ・ラ・マーサの『曉の鐘』と『バーデンジャズ組曲(シンプリシタスのみ)』を弾いてるわけです。トレモロがねぇ、なかなか思うように歌わせられないんですよ。難しい・・・。

 ちなみにこの『曉の鐘』、世間に出回っている楽譜は一種類しかありませんが、実はそれとは違うE.S.デ・ラ・マーサ自身による校定版のようなものが存在します。そしてその校定版は譜面としては世界に出回っていません。E.S.デ・ラ・マーサ自身が出版しなかったのですね。で、『曉の鐘』は譜面の記載を見ればわかる通り兄レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに献呈されたもので、レヒーノが残した録音は校定版の方になっています。他アリリオ・ディアスなどいわゆるレヒーノ門下のギタリスト(レヒーノは演奏者、指導者としてはエデュアルドより有名だった。普通「デ・ラ・マーサの弟子」と言えばレヒーノの弟子ということを意味するらしい)は皆校定版の方で録音していますね。まぁ譜面で出回っている方の版は、ゆーたら作曲途中みたいな感じで、仕上げの推敲を済ませたのが校定版の方、ということになるのでしょうか。ちなみにこの校定版、一般には「レヒーノが変更した」ということになってるらしいですが、レヒーノは「エデュアルドが変えたから変えた」と言っているそうで、やっぱり作曲者であるエデュアルド自身の校定らしいです。

 ところが『曉の鐘』の校定版、藤井先生も仰ってましたがプロでもその存在を知らない人が結構いまして、私は『曉の鐘』を収録しているCDを3枚もってるのですが、アリリオ・ディアス以外皆校定版以前の出版されている方で弾いているのです。まぁ敢えて名前は出しませんが、兄がエデュアルドの弟子で、E.S.デ・ラ・マーサ作品集を出している某ギタリスト、E.S.デ・ラ・マーサ作品集まで出しておいて、校定版じゃないので入れてました。まぁそっちが間違ってるってわけじゃないからどっちで弾いてもいいんでしょうけど。ちなみに『曉の鐘』の校定版、譜面は出版されてませんし海賊版の譜面も知る限り出ていませんが、立命クラギタの方はご安心あれ。BOXに『曉の鐘』の譜面があります。あれが実際出版されていた版なのですが、よく見てください。ところどころ手書きでカッコでくくってあったり音符に変更が加えられていたりします。そのカッコでくくってあるところを飛ばして弾いて、変更されている音符を変更されている通りに弾けば校定版の方になります。この『曉の鐘』はナオエ先生がBOXに寄贈されたものですが、昔先生がアリリオ・ディアスのCDから耳コピしたものだそうで、キッチリ校定版になってます。ただし最後のペ-ジの最後の最後、ベースがA-E-C-B-C-E,A-F-C-B-C-Fと流れる部分がありますが、ナオエ先生そこだけ気付かなかったのか直し忘れたのか、校定版の通りに弾くならA-E-C-B-C-E,A-E-C-B-C-Eとなります。同じフレーズの繰り返しになるんですね。まぁ校定版の方で弾いてみようという方はどうぞ。ちなみに私は校定版で弾いてます。

2001年5月30日水曜日

ブラクラ

 というわけで、今日は私お手製のブラウザクラシャーをお贈りいたしましょう。スクリプトも何も使ってない、実に単純明解なものですが威力は抜群!特にWindowsマシンには一瞬で壊滅的な打撃を与えます。Macの分には・・・、先程MacOS8.1+NetscapeComunicator4.7で動作確認したのですが、地道に効果が現れるだけでそれ程の威力は発揮しませんでした。とはいえ一応まともじゃ制御不能な状態には陥ったので、一旦MacsBug(私がMacに多い原因不明のエラー対策に用いているMac用のデバッガ)でCPUに制御を落としてアプリケーションを強制終了させるくらいの事態にはなりましたが。ちなみに私が会社で使っているIBM NetVista(Windows2000+IE5.5)で実験してみたところ、このクラッシャーは実に素晴らしい威力を発揮してくれました。

 なに、大したことはありません。原理としては一瞬で500ものメーラを起動する命令を出すことでCPUに莫大な負荷をかけメモリを喰いつくすだけです。しかもHTMLしか使ってない単純極まりないトラップなので、画像の読み込みを切るだけで回避できます。ちなみに今回はそれじゃ物足りないという方のために、スクリプトや画像はおろかその他あらゆるマルチメディア系の読み込みを切ってしまわないと回避できないという、わが社の同僚が公開している実に素晴らしいブラウザクラッシャーも併せて公開いたします。命が惜しくない方はアクセスしてみてください。もしどちらかのクラッシャーを体験してみたいという場合は、作業中の文書があれば保存し、いつでも再起動をかけられる準備をしてから自己責任の上でアクセスしましょう。ま、この程度のクラッシャならOSが吹っ飛んだりはしないと思いますが。

ayumお手製ブラウザクラッシャー

会社の同僚まあぼうのブラウザクラッシャー

2001年5月29日火曜日

眠い

 今日は眠いのでもう寝ます。昨日たくさん書いたからいいよね?じゃあおやすみなさい。JAVAは結構めんどいです。でもどうにもならんって程じゃない。所詮人が作ったもの。ラテン語覚えるより簡単でしょう。

2001年5月28日月曜日

豪華3本立て

 さてさて、今日の日記はなんと豪華3本立てです。時系列を遡るように新しいものから順に書いていきましょう。この土日の、私の生活の1ピースをお楽しみください。

現代ギター社での夕べ

 昨日、現代ギター社でコンサートがありました。恩師藤井敬吾先生と、マンドリンの柴田高明氏によるギターとマンドリンのデュオコンサートです。こっちに来てから昨日まで、とりあえずこのコンサートを楽しみに社会人生活を頑張ろうと思っていたくらい楽しみにしていたコンサートです。ギターとマンドリンの一対一のデュオというのは案外珍しく(多対多の合奏なら普通だけど)、どんなコンサートになるのか興味津々でしたが、始まってみたらもう・・・!マンドリンの柴田氏の音色が素晴らしく美しく、とても柔らかい音色が印象的で、マンドリンというのはキンキンした音という偏見を持っていた私はまさしく目からウロコのような状態でした。藤井先生のサポートも「先生こんな音だっけ?」と思うくらい繊細でまろやかな音で、実に美しい世界を構築していました。藤井先生が作曲した曲は相変わらずの藤井先生ワールド炸裂といった感じで、妙にカッコよかったですね。先生が自分の曲の中でよく使う(?)変調弦で異弦同フレットを3つ4つ押さえたフォームで解放弦を交えながらそのまま指板を平行移動していくキメフレーズは、マンドリンソナタにおいても健在でした。ん~、カッコいい。

 そして演奏会終了後、現代ギター社で演奏者を囲んでの交流会兼打ち上げみたいのがあり先生に「時間があるならどう?」と誘われたのでお言葉に甘えて出席してきました。とはいえ私は現代ギター社に単身乗り込んでいる身、下でCDを買っている内に打ち上げが始まり、なんか一人ずつ自己紹介と演奏者への激励の言葉を述べていて異常に入り辛くて「どうしようかな~」と入り口からちょっと離れたところで様子を伺っていたのですが、その私を先生が見つけてくださって「どうしたの?入れば?」と大きく手招きして呼んでくださったのでどうにか無事入室することができました。色々と気を使っていただいてありがたい限りです。その後ビールを手渡され、自己紹介と演奏者への激励も恙無く終え、いわゆる歓談の時間と相成ったわけですが、私が座ったところは周囲10人くらい全員『クボタフィロ・マンドリーネン・オルケスター』というマンドリンオケの団体さん。主に彼らと話していたわけです。このマンドリンオケはアマチュアとしては相当レベルの高いところらしく、指揮兼顧問の先生もこの界隈では有名な人で、毎週朝九時から五時までビッチリ練習という社会人のアマ団体としては異常なくらい本格的なところ。話してる内に何故かそこのギターパートに誘われ、さらに村治パパのところに習いに行っているギターパートの人と話も盛り上がり、6月10日にある彼らの演奏会に見に行ってみようかなということになりました。まぁマンドリンオケにはさすがにあまり入る気は今のところないのですが、皆話を聞くと厳しいながらもかなり楽しくやってるみたいなので一回見ておくのもいいかなぁと。そして現代ギター社での打ち上げも終わり、最後に藤井先生に挨拶して帰ろうと思って先生のところに行きます。私の前に一人先生と話している方がおられたのですが、その方も京都の出身で京都にいた時藤井先生についていて、今は品川でコンサル系の会社を興して運営している方でした。先生の紹介でその方とお話しし、一緒に池袋駅まで迷いながら歩いて(爆)渋谷まで一緒に帰ってきました。色々と藤井先生の裏話(?)も聞けて面白かったですよ。えらい気さくな方でしたし。

 まぁまぁそんな感じで音楽も堪能し、人とのつながりもできて素晴らしい夕べを現代ギター社で過ごして昨日の私は家路につきました。ちなみに、僕は一番入り口に近いところで聴いていたのですがコンサートの最後の方、一人見たことのある人が入ってきまして、5秒後くらいに「あれ?もしかして鎌田慶昭?」とか思ったのですが、はやりその人は鎌田氏でした。席の関係上一言もお話をすることなく終わってしまったわけですが(爆)、何げにそんな人が現れるのも現代ギター社でのコンサートならでは、といったところでしょう。面白いことこの上なしです。

夢の話 -僕の時間と君の時間-

 夢を見ました。不思議な夢でした。僕は夢の中で、今住んでいるこの部屋でまったくいつものように目覚めます。そして時計を見ます。それが何時を指していたのかは覚えていませんが、どうやら約束に遅刻してしまうような時間だったらしく、夢の中の僕は慌てて飛び起きて集合場所に向かっていきました。

 集合場所に着きます。そこには人はたくさんいますが、僕が待ち合わせをしていた人達はいないようです。腕時計を見ると、集合時間には完全に遅れています。僕は「遅れたからみんな先に行っちゃったのかな?」と思いました。すると、待ち合わせていたはずの一人が向こうからやってくるのが見えます。彼は僕に「早いな」と声をかけてやってきました。早い?僕はもう一回腕時計を見てみますが、やはりどう見ても一時間は遅れています。腕時計が狂っているのかな、とPHSの時計も見てみますが、やはりそれが示している時間も腕時計のそれと同じです。僕は腑に落ちないまま、集合場所のところにあった(公園のようなところ)時計にふと目をやります。すると、その時計は僕の時計より一時間以上も遅れているのです。集まる予定の皆も続々集まってきました。皆の時計も僕より一時間以上遅れています。

 僕は不思議に思って腕時計の秒針をじっと見つめます。何で腕時計もPHSの時計も、両方とも同じ時間だけ他の人より早くなっているのだろう?そう思って見ていると、その秒針の刻み方のある事実に気付きました。僕の時計は、数分間に一回か二回、1秒ずつ進むのではなく5秒とか10秒分を一気に刻む瞬間があるのです。試しに時計を交換してもらったところ、僕の身につける時計だけがそうなることが判明しました。同じ時計でも他の人が持っている場合はそうはなりません。これは何を意味するのでしょう?僕だけ他の人より時が流れるのが早いということなのでしょうか、それとも、秒針は一気に進むのだから、数秒ずつとは言え、僕の時間が、未来が削られているということなのでしょうか。その後、夢の中で僕の時間と周囲の時間のずれはどんどん大きくなっていき、僕は時間に遅れたつもりが早く来すぎたとか、そういった時系列の狂いに惑わされることになります。ですが、何故僕の時間の流れが変わったのか、あるいは最終的に僕はどうなるのか、夢はそれらのことには一切解答をくれませんでした。

 どこか暗示的にすら思える夢です。僕だけ周囲の人間と時間の流れ方が違ってしまう。それも単純に早くなるのではなく、少しずつスキップするというようなやり方で。この夢を見て目覚めた時、何かこれをモチ-フにして小説かエッセイが書けそうな気がしたのですが、どうにも具体的な形になってくれないのでこういった形で書きました。"僕"の時間の流れが変わる。それでたとえば、他の時間が止まってしまうとかだったら書きやすい。でも、この夢では周囲の時間はこれまで通り普通に流れているのです。僕だけがその流れから外れて、時間の流れは外れたのに空間としてはまったく一緒に共存している。これが意味するものは何なのか、また、秒針が"早く進む"のではなく、少しずつ"スキップする"ことが意味するものは・・・?時間という概念は実に難しいのです。

 "時間"というものはただ時系列の流れに名前をつけただけのもので、実体はないのかといえば案外そうでもなく、アインシュタインなんかは一般相対性理論の中で「加速度運動をするものは止まっているものや等速直線運動を行うものより時間の進み方が遅く、重力が働くものも働かないものに比べて時間の進み方が遅い」ということを証明しました。これは同時に"時間"というものがどんな状況下でも万人に共通に流れるものではなく、状況によって"絶対的に"時間の進み方が異なるということを意味します。また、ホーキングは「宇宙は"虚数の時間"を通って誕生した」と言っています。そして"虚数の時間"は理論上の産物ではなく、実際に存在するとも。虚数とは二乗したら負の数になる数学上の数。そもそもマイナスの時間というのも想像しにくいものがあるのに、その上さらに"虚数の時間"とは一体なんでしょう。ややこしい話です。"スキップ"した僕の時間はどこへ消えていたのでしょう?そして何故、僕だけそのような形で周囲と時間の流れの差異が生まれたのでしょう?謎は深まるばかりです。

Another Holly War -第二次洗濯機の変-

 私は今日、洗濯機をかけていました。週末はお洗濯。いつものことです。洗濯機のスイッチを入れて運転を始めてから、私は掃除機を持ち出し部屋の掃除を始めていました。私の部屋はメインの部屋と洗濯機やバス、トイレ、キッチンが扉で区切られている典型的な1Kです。今日は窓を開けて、メインの部屋の内側に向けて開いてくるドアは掃除の時邪魔なので、閉じて掃除機をかけていました。洗濯機は、古くなって回る度にゴンゴン激しい音が聞こえてきますが、無事にいつものように回っています。そしてメインの部屋に掃除機をかけ終わり、キッチンの方にも掃除機をかけようと、私は部屋を区切るドアを開けました。すると・・・。

 な~んと、キッチンの方が一面水浸しになっているではありませんか!ふと洗濯機の方を見ると、排水パイプが見事に外れてそこから水が吹き出しています。

 「ブチッ!」

 その時、自分の頭の中でそのような音が聞こえました。そして口に出した台詞は「あ”!? またか、コラ!?」といったようなものでした。そう、こちらに来てから以前にも一回こういうことがあったのです。その時にもう洗濯機の排水パイプが外れるなどという悲劇が起こらないようにきつくパイプを締めたつもりでしたが・・・。一面水浸しになっているキッチンフロアを見て私が感じたもの、それは怒りでした。当惑でも憂鬱でもなく、確かな怒りでした。水を吸って膨れている足拭きマット、火曜日に捨てるはずのゴミ、実家から送ってもらった夏服・・・。それらを見て、巨大な水たまりと化した床を見て、私は確かな怒りを感じていました。床に波打つ水面を見ると、微かに、しかし確かに泡立っています。またも洗剤入りの水が大漏出しているのです。その事実は私をさらに怒り狂わせるに至りました。「またイチイチ雑巾で水を吸い出して、ってやるのか俺は!? チクショウ、やってられるか!!!!!」と心の中で叫びつつも、かといって自分でやらなければ他にやってくれる人などいるはずもありません。しかたなく怒りに燃えながらも雑巾で水を吸って絞り、水を吸って絞り・・・、という作業をひたすら繰り返します。回を追うごとに怒りのボルテージは高まっていきます。が、これはまさにやり場のない怒りです。「あ~もう、なんでせっかくの日曜に俺はこんなことやってんだよ?」と疑問に思い、試みに「ったく、チクショウめ!!!!!」と声に出して悪態をついてみたところで何が変わるわけでもありません。結局私は一時間近く雑巾で水を吸って、絞ってまた吸って・・・、という作業を延々くり返していました。段々雑巾を絞るのにも力が入ってきます。怒りのパワーです。

 それでもその不毛な作業をどうにか終え、私は手と足を水洗いして洗剤を流し、ギターでも弾こうかなと部屋に帰っていきました。その時、ふと手を見たら左手の親指の人差し指側の爪と第一関節の間辺り、ちょうど雑巾を絞る時に力の加わる部分に異変が起きているのに気付きました。そう、水で皮膚が柔らかくなったのか、その部分の皮がベロンとめくれて肉が剥き出しになっているのです。いつからこうなっていたのでしょう?全然気付かずに雑巾を全力で絞り続けていました。きっと怒りのパワーがもたらすアドレナリンが、私に痛みを忘れさせていたに違いありません。とりあえず私は「消毒くらいはしといた方がいいんだろうなぁ」と傷を消毒し、カットバンを貼って簡単に処置をしておきました。第二次洗濯機の変、それは私に久しぶりに"憎悪"という感覚を思い出させてくれました。すべての処置が終わった後、洗濯機の排水パイプをもう二度と外れないようにガムテープでグルグル巻きにしておいたのは言うまでもありません。

「てめぇらのくだらねぇまねのおかげで久々に目のさめる思いだぜ。思い出したよ、久しぶりに。最初の気持ちってやつを。ありがとよ、最悪の気分だ

『ベルセルク 断罪篇-縛鎖の章- 去来』より

2001年5月25日金曜日

ASP研修終わり

 いよいよ今日で約二週間お付き合いしたASPのお勉強も一区切りつくこととなり、明日からはいよいよ入社前からグループ長殿に「これからウチのグループはこれが本命だから」と言われていたJAVAとXMLに入ります。とうとうきました。やってやりましょう。私は入社当初からJAVAをやる気マンマンで、いつゴーサインが出るかと待ちわびていたのです。またわからずにへこんで家路につくこともあるでしょうが、まぁそこはそこ。頑張っていきます。どうやらグループ長殿は将来的には我々にJAVAサーブレットの達人になってほしいらしいです。サーブレットかぁ・・・。難しいですがね、まぁまぁどうにかやっていきましょう。

 そう、で、ASPを勉強した成果の程ですが、ここ10日くらいは何を参考にするでもなく自分で一から設計して、ASP(VBScript)+SQLサーバで"一人きりのコミュニティサイト"『EZ Place』を作って楽しんでいました。いや、せっかくデザインも凝って、時にHTMLリファレンスを調べる(いまさらですが、普段使わないFormなんかは結構忘れてた)ようなハメに陥りながらもカッコいい(というかかわいい?)サイトを作り上げたとしても、いかんせんIIS及びSQLサーバは会社の私の個人マシンに入っているので当然社外から使えるわけもなく、好むと好まざるとに関わらず"一人きりのコミュニティサイト"になってしまうという・・・。寂しいですねー。

 で、その作った内容の方はといいますと、まずログインを作り、BBSを作り、コミュニティサイトらしい機能を付けようということで、一時期会社の(一部の)同期の連中の間で流行っていた某出会い系サイトのようなシステムを作りました。まぁASP始めて二週間、このサイトを作り始めて約10日ではこれが精一杯です。ログイン時にブラウザにSessionを渡し(敢えてCookieではない)それがないとサイトのコンテンツにアクセスできないような仕掛けを施し、BBSではメールアドレスを入力したら名前のところにリンクが張られ、書き込み時刻等も表示され、もちろん記事の削除もできる一応の基本機能は網羅しましたし、一つのテキストフォームでIDからも漢字の名前からもひらがなの名前からも部分一致でユーザー検索できるようなシステムもつくりました。そして今週火曜日から作っていた今回の目玉"お友達検索システム"『EZ Friends』では、自分の紹介用のカードを編集し(もちろんSessionからIDをとっておいて、編集画面に入ったら自動で自分のカードの編集に入れるようになっている)、お友達検索画面ではフォ-ムの選択リストで性別や年齢を絞って(絞らなくても可)、やはりBBSで使ったユーザー検索のように一つのテキストウインドウからデータベースの複数のテーブルのあらゆる列を同時に走査して、キーワードによる自由検索も搭載して該当者の自己紹介カードを表示できるようなシステムを作りました。この機能を実現するのに、私はSQLで複数の列を同時に走査する方法がわからず、一つの列を走査してレコードセットが空なら自動で次の列へ、という仕組みをDo WhileとSelect Caseで無理矢理作って実現させました。おそらくそんなことやらなくてももっといい方法あるんでしょうねぇ・・・。まぁおよそ自分で考えられる限りのバグフィクスも施してあるので、ちょっとやそっとじゃエラー画面は出てきません。ちょっと自信作です。先輩の評価も概ね上々でしたし、このサイトを一から設計して完成できたことでいくらか自身もついてきました。これをバネにして明日からのJAVAとXMLの勉強も気合入れていきたいと思います。

2001年5月23日水曜日

危うく遅刻

 今朝は危なかった・・・。朝目が覚めて、ふと時計を見たら時刻は7時50分!出勤は9時まで。タイムカードはごまかせない。私は「ヤバイ!ヤバイぞ、ayum!遅刻はヤバイ!」と焦って飛び起きました。安全に遅刻せず会社に間に合う各駅停車のリミットは8時10分です。私に朝の地獄のような満員急行という選択肢はありません。駅まで早足で7、8分。とすると約10分で身支度です。速攻スーツに着替え、朝飯のパンをカバンに詰め込み、ハミガキをする時間もなかったのでハミガキセットもカバンに詰め込み、勢いよく家を飛び出して行きました。一路日吉へ、そして渋谷へ。はたして今朝の私のタイムカードには、無事「8:46」という文字が刻まれましたとさ。めでたし、めでたし。

2001年5月22日火曜日

エッセイ更新

 ひさしぶりにエッセイを更新。帰りに日吉駅のホームに足を着いた瞬間に浮かんだモチーフを、帰るなりいきなり具現化を試みてみました。『夢』というタイトルのもと、シュールで観念的な世界を描くつもりが、読み返してみたら案外明るめなタッチになってますねぇ・・・。おかしいな、ちゃんと『夢』という言葉の持つプラス志向のイメージに負けないよう配慮したつもりなのに・・・?

2001年5月21日月曜日

machakic

 そろそろうだるような暑さが身に染み始めましたが、皆さん如何お過ごしでしょうか?私は昨日は中学時代の友人が家に泊まりに来ていて、さらに今日もmachakicが就職活動の宿を求めて泊まりに来ているため、日吉に来てから初の連チャン人が家にいる状態になっています。この2つの組が来る間の4時間くらいの間に洗濯をしてス-ツをクリ-ニングに出してと色々諸事をこなし、machakicを迎えに行きました。今は当然そこにmachakicがいます。そう、います。

2001年5月20日日曜日

ややへこみ

 木曜日には初仕事のデータベースの設計ができずに相当へこみフラフラな状態で、帰るなり九時前に眠りについてしまいまいした。そして朝の五時に起きて本を片手に泣きそうな思いでデータベースの設計を・・・。やれやれです。仕事というのは大変だ・・・。そして昨日は仕事帰りにCELやGONちゃん、とnとまた終電近間まで飲んでましたとさ。そして今日はこれから中学時代の仲間二人が遊びにくるはずなんだけど、・・・なかなか連絡こないなー・・・。

今日の一言:『"Confusion" will be my epitaph』(混迷こそが我が墓碑名)

2001年5月17日木曜日

"悲しみ"という言葉

 "悲しみ"という言葉がある。それをどう定義すればいい?
 "悲しみ"という言葉には、あるいはその他のほとんどの言葉、
 特に人間の心の動きを表す言葉には、定義というものは無意味に近い。
 "悲しみ"という言葉が、一体どれほどのものを表せるだろう?
 "悲しみ"という言葉に含まれた内容の多さ、
 "悲しみ"という言葉の持つ許容量の大きさは、
 同時に"悲しみ"という言葉の決定力を消失させる。
 "悲しみ"という言葉は結論にはなり得ない。
 その言葉に辿り着くまでの選択肢の数だけ、
 その言葉の意味は多様化する。
 それは量子論のパラレルワールドにも似ている。
 一旦分岐した言葉の意味は、決して重なりあうことがない。
 それはよりどころになるのだろうか?
 "悲しみ"という言葉にすがることで、
 その悲しみを理解しようとすることから逃げてはいないか?
 "悲しみ"という言葉が含有した多数の可能性は、
 時に一番触れたくない真実に対するめくらましになる
 僕にはわからない
 この言葉を、これらの言葉をどう用いたらよいのだろう
 また饒舌であることが
 常に何かをうまく伝えられることとイコ-ルであるとは限らない
 ときに言葉少なな囁きが
 すべてを伝えることもある
 どこかの誰かはこう言った
 真実は常に小さな声で囁かれる、と
 やはり僕にはわからない

2001年5月16日水曜日

おや?

 どうやら明日から、僕も本格的に開発の初仕事をやることになるようです。ACCESSを使った小さな案件なのですが、グループ長殿がメインで僕はお手伝いという形でACCESSを操作するツールを作ることになるらしいです。いよいよ開発の初仕事ですねー。これまでやってきたお客様向けオンラインマニュアルのHTMLの校正やらインストール作業とは違います。さて気合入れていきましょう。しかし初仕事も思ったより早かったですね。当初は今週一杯ASPやって、来週からいよいよ本命のJAVAの勉強に入るとのことでしたが。きっと修業中の新人にちょうどいい小さな案件がうまい具合に入ってきたんでしょう。まぁこれまで結構色々なことやってきましたしね。VBにORACLE、SQL ServerにASP(VBScript)・・・。・・・あれ?ちょっと待って?ねぇ、ACCESSっていつやったの、俺・・・?あれ、ACCESS・・・?

2001年5月15日火曜日

鬼のような思い

 いや~、今日はなかなか忙しかったっすよ。朝10時くらいに先輩に「このマシン、1時からお客さんが来て使うからOSをNT4.0に入れ直してVisual Studio入れてサービスパック5.0入れてあれ入れてこれ入れてセットアップしておいてね。お願い」とかサラッと言われ、「1時までにOS入れ替えてなおかつそんな重いアプリケーションたくさんセットアップしろっつーんすか!?」といった感じで、半ば修羅の様相を呈しつつ時間との闘いを演じていました。が、結局最初にOSを入れ替えた時はハ-ドのフォ-マットの段階でエラーが発生して(というかしたらしい)、OSの入れ替えが二度手間になってしまい納期に間に合わず先方にご迷惑をおかけしてしまったわけですが・・・。ああ、どんなに頑張ってもインストール作業ってのはモノをコピーする時間だけは短縮できないんだって!俺はセットアップ一つまともにできんのかい!? 先輩曰く、「こんな鬼のような思いを乗り越えて成長していってください」だそうです・・・。な~んと・・・。

 今日になるとASPにも随分慣れてきて、まぁまぁ段々調べものも少なくなり、自分の思い通りの結果を返すことに手間取ることも少なくなってきました。今は先週末から作り始めたWeb掲示板『EZ BBS』の改良に命燃やしてます。ちなみにこのネーミングはどこぞのEZ W◯Bとやらとは何の関係もありません(笑)。少しずつよくなってきてるのですが、まだ足りない機能やバグは残ってますねぇ・・・。開発とは難しいものです。でも段々デバッグ作業にも慣れてきました。こうして人は成長していくのだなぁ・・・。こうしてひたすらプログラムの勉強をするのも、自分が書いたコードが多少のデバッグだけで思い通りに動いてくれている内はかなり楽しいものです。うまくいってないときは先週木曜のように恐ろしくへこみますが・・・。

2001年5月14日月曜日

2001年5月13日日曜日

リンク追加

 昨日は会社から帰って30分くらいした時にCELから呼び出しがかかり、また二人で武蔵小杉にて飲んでました。いや~、風邪がまだ治りきってない時の酒は結構回りますね。飲んでる時はそんなに酔ってるとも感じなかったのですが、終電で家に帰ったらかなりクラクラきました。まぁでもこうしてサシで飲める仲間がいるというのはいいものです。

 今日は久しぶりに見事なまでの快晴になり、一日とてもよく晴れていました。でも結局ほとんど家にいてギター弾いたりしてたのであまり外の天気は関係なかったのですが(苦笑)。そう、久しぶりに大幅にリンクを更新しました。今回は結構大量にリンクを修正したり追加したりしていますが、目玉はやはり実はこれまでリンクを張ってなかった(爆)PCKの『"T" de la frontera』、CELの『Frontale Stadium』、My Brothの『Day Dream』といった友人、知人系のリンクでしょう。それとある意味究極の闇を提供してくれる『Tamalunch Factry No Future』。この際との詳細についてはリンクのところに書いた紹介文を参照していただきたいのですが、とにかく闇と邪悪のオンパレードです(爆)。あまりにやばく、そしてあまりにアンダーグラウンド。熱いです。心や人間性に闇や邪悪を抱えるすべての人は一回訪れてみるべきでしょう。あのHPの運営者、一体何者なのでしょうか・・・?ちなみに他クラシックギタ-関連のMIDIサイトなどを追加し、HP移転等でリンクが切れていた箇所を修正しています。

2001年5月11日金曜日

苦戦、ASP

 ふふふ・・・。ASPとはややこしいものです。基本文法とかはほとんどVBと同じなので(っていうか使ってるのがVBScriptだし)それほど苦労はないのですが、コンポーネントやらメソッドやらプロパティやらがややこしい・・・。っていうかそれもVBScript単体で扱うならまだいいのですが、SQLのデータベースと連係して動かそうと思ったらなかなか大変です。VBScript単体ならまぁいう程の問題はない、SQL言語もそれほど難しくはない。でもその2つを連係して使おうと思ったらそれがうまくいってくれないのです・・・。何でだ?明らかにSQLの読み込みに失敗しているのですが。ADOのインスタンスの生成まではちゃんといってるのになぁ・・・。システムDNSもちゃんと正常に通ってるし・・・。要はConnectionオブジェクトの構文か指定の仕方がまずいのでしょうが、やれやれです。今日は会社にいる時間の2/3以上をそれに費やし、しかも解決してないのです。あ~、「SQLのドライバが見つかりません」って、んなもんどう指定しろっていうんでしょう?本見てもWeb見てもMSDNライブラリ見てもイマイチちゃんと解説してくれてない(俺がわかるように説明してくれてない)ので、精神的にかなり疲れました。今日は完全に頭脳が煮詰まってしまい、「このままでは埒があかん」と早めに切り上げて本屋を回ったりWebでいいチュートリアルを探したりしていました。でもVBScriptとSQLの連係の資料って案外ないんですよね。Accessとの連係はたくさん本も出てるのに。やれやれ、明日も格闘です。

2001年5月10日木曜日

量子論のパラレルワールド

 量子論の描く不思議な世界。光は波でもあり粒でもある。我々が観測していない時、2つに区切られた箱の中に入れられた1個の電子は、区切られた箱の右にいる状態と左にいる状態が重ね合わさって存在している。我々が"見た"瞬間に、波は収縮し電子は粒となり左右のどちらに存在するかが確定する。それは時間も空間もすっ飛ばして。不思議な不思議なコペンハーゲン解釈。シュレーディンガーの猫は生きていると同時に死んでもいます。

 おそらく大方の人は何を言っているのかチンプンカンプンでしょう。量子論というのは只でさえ物理学の中でも理解が難しい分野で、わかりやすく説明するのも大変なので敢えてああ書きました(←ダメじゃん)。要は今回言いたいことは、量子論の論理を極限まで額面通りに解釈していくと『多世界解釈』という話に行き着くということです。これが何を意味するのか。それは、SFの世界の絵空事と思われていた『パラレルワールド』というものが、実際に存在する可能性を示唆するものなのです。

 量子論の理論を突き詰めた『多世界解釈』によれば、世界は瞬間瞬間毎に起こり得るすべての可能性の分だけ分岐していくことになります。人は誰しも「あの時ああしておけば」と思うことがあるでしょう。量子論の『多世界解釈』では、「あの時ああしていた」自分が存在するパラレルワールドが、現在も同時進行していることになるのです。もちろんその後の大小問わないあらゆる分岐点分のパラレルワールドも。しかしパラレルワールド同士は一旦分岐してしまえば物理的なつながりがまったくなくなるため、お互いに干渉することものぞき見ることもできません。そしてある世界にいる「私」にとってはその世界での「私」しかいないのです。実に面白い。量子論が従来の「科学的な」分野だけに留まらず、哲学などの分野にも大きな影響を与えているのもうなずけます。もしかしたら霊能力者とか前世の記憶がある人とか、そういった人々は「パラレルワールド同士はつながらない」というテーゼを破って、どこかでパラレルワールドとつながりを持った人達なのかもしれませんね。

2001年5月9日水曜日

だるさ

 実はまだ微熱が下がりきっていなかったという事実に気がつきました。だるいはずだ・・・。

2001年5月8日火曜日

電卓君

 とうとうGWも終わり、今日からまた日常生活が始まります。といってもGW後半の4連休の内3日を家で休養していた身としては、そんなにGWがバケーションだったわけでもまたありませんが・・・(泣)。とはいえまた今日からあの忌々しい朝の満員電車での通勤が始まったわけです。あー、しんど。早くフレックスにならないかなー。

 今日はまず簡単なWeb文書作成の仕事を初めてもらい、HTMLの知識すらロクにいらんようなその初仕事をサクサクとこなした後は、2日にグル-プ長に添削していただいた『電卓君』のデバッグ及び改良、コードの整理をして日が暮れていきました。今日を含め実質3日間かけて製作した『電卓君』の最後の仕上げです。最後2日の夕方から解消できないで悩み続けていたバグが一つ結局残り、それをどうデバッグしてやろうかと考えていた私は、帰る直前数分でコードに実に阿漕で力技なコードを数行追加し、半ば無理矢理終わらせるような形で帰路につきましたとさ。いや、あんなことやらなくてもいわゆる正統的な対処法はあるのですが、それをやるとこれまで作ったコードの構造を結構根本的に直さないといけないので、「バグなく動きゃあいいんだろ、ああ!?」とでも言わんばかりの勢いでとんでもない処理を追加してきてしまいました(爆)。まぁあのやり方のがコードの記述量も少なくて済むしね?

 ・・・明日の添削が怖いです・・・。

2001年5月7日月曜日

『ハンニバル』鑑賞記

 いよいよGW最後の日となりました。忌々しい風邪のおかげで昨日まで家に引っ込んでいた私ですが、体調も概ね回復したことだし最後くらい出かけてこようと、単身渋谷まで繰り出し『ハンニバル』を観てきました。いやいや、なかなかよかったですよ。会社の同僚で観に行った連中から噂を聞くに「気持ち悪いだけで面白くない」との意見ばかりでしたが、面白くないなんてこと全然ないです。まぁ『羊達の沈黙』は個人的にお気に入り映画BEST3に入るので、当然その続きである『ハンニバル』は期待大だったわけですが・・・。

 まぁしかし始まっていきなりモノクロのコマ送りのような画面で流れる『ゴールドベルク変奏曲よりアリア』にはやられました。前作ではこの曲が凄惨な殺人の場面を異常なまでに静かで美しく演出していたわけですが(詳細は当HPの映画鑑賞記参照のこと)、今回もその手法は見事に踏襲。凄惨な場面で不必要に緊張感を煽らず、あくまで静かに平静に狂気を見せていくやり方は個人的には好きですね。今回は派手なアクションシーンがあるわけでなく、きらびやかなSFX画像が入るわけでもなく、表向きは比較的地味に終始進んでいくのですが、その中で随所に垣間見えるDr.レクターの美学にはしびれました。この映画の見所はそこに尽きます。まぁグロイ場面も多いし、盛り上がりどころはわかりにくいし、あまりカップルとかで行くのをお薦めする映画ではありません。っていうか映画終わった後、誰も喋らないもんだからいやに映画館静かだったし・・・。そらまぁ話題作だからってカップルで観に来てあれじゃあ言葉もなくしますわな。『羊達の沈黙』をちゃんと観て感動してから来よう。

 そしてその足でタワレコに行き、金もないのに思わずアル・ディ・メオラのCDを3枚も衝動買いしてしまいました。いや、CD屋に行くのはやめられるんですけど、一旦CD屋に入ってしまったら衝動買いはやめられない・・・。おかげで給料日までのピンチ度が増しました・・・。

2001年5月6日日曜日

 楓の花言葉は『美しい変化』だったんですね。なんかカッコいい・・・。

2001年5月5日土曜日

風邪薬あれこれ

 GW二日目、な~んと風邪をひいてしまったようです(爆)。いや、2日の朝から喉は痛かったんですけどね。今朝起きたら喉が痛くて頭が痛くて、やけに鼻水が出ます。それだけならいいのですが、最悪なのが喉の奥。粘膜が崩壊してるのか何なのか知りませんが、とにかくネバ~ッとした透明の液体がからんでからんで仕方がないのです。とはいえ熱もそんなに高くなく、体のだるさとかもまぁそれなりだったので、とりあえず薬局に行ってパブロンSゴールドとリポビタン8を買ってきて対処してます。

 しかしまぁ今更言うことでもないかもしれませんけど、市販の薬って基本的に対症療法だけですからね。例えば喉の痛みとか頭痛といった症状を緩和することはできるけど、風邪そのものを治すわけではないのですよ。風邪の原因はウイルスや細菌。市販の風邪薬にそれらを殺す成分が入っているわけではありません。結局風邪を治すのは自分の体力なわけです。だから軽い風邪で頭痛とかそういう症状が耐えられる程度のものであるなら、風邪薬なんて飲むより栄養剤でも飲んで寝てた方がよいです。睡眠は抵抗力を高めてくれるので、風邪ひいた時はとにかく寝ましょう。

 医者の薬だって似たようなものです。医者が処方する総合感冒薬の定番PL顆粒とか、見事なまでの対症療法薬です。でも、実際問題いわゆる風邪には根本的な治療法ってないんですよ。先述したように風邪の原因はほとんどウイルスです。真先に細菌感染症からくるケースはほとんどないです(もしそんなのがあった場合は急性肺炎とかになる。もはや風邪と言うにはデンジャラスだ)。とすると、医者が抗生物質を処方したとして、その抗生物質が風邪のウイルスを殺してくれるわけではありません。あくまで二次感染としての気管支炎他細菌感染症への対処なわけです。対ウイルスの薬と言えばワクチンですが、風邪のウイルスなんていくらでも違うのがいますから、「風邪に効くワクチン」といって投与するのは現実問題無理があります。どのウイルスかによってワクチン変えなきゃいけないんですから。インフルエンザは過去の傾向から「今年はこれが流行るだろう」という予想で予防接種のワクチン投与してますからね(爆)。

 ちなみに今日私が買ってきたパブロンSゴールド、これは「塩酸ブロムヘキシン」という成分を含有していることをウリにしていますが、ではこの「塩酸ブロムヘキシン」とは一体どんな成分でしょう?一言でいうなら痰きりです。痰を出しやすくするのですね。まぁ痰の主成分であるムコ多糖体の蛋白結合をたたき切ることで低分子化、要はネバネバをなくして痰を出しやすくする成分です。何故これがパブロンのウリなのかわかりませんが、とりあえず咳と痰の風邪にはよいでしょう。他には消炎酵素成分である塩化リゾチーム、解熱・鎮痛成分アセトアミノフェン他、咳止めや鼻水止めなど大抵の風邪の症状に対処できるよう成分が配合されているようです。

2001年5月4日金曜日

ATMを探して

 昨日はシステムソリューション部の新人歓迎会があり、渋谷で終電近くまで飲み倒してきました。が、それ以上のネタはあまりありません(苦笑)。特にやることのないGWが始まってしまいましたねぇ・・・。とりあえず今日は床屋に行ってきました。が、床屋に金を払った時点で私はあることに気付きました。・・・金がない。そう、床屋に金を払った後の残金は1,000円ちょっとしかなかったのです。でもまぁ帰りにおろしていくか、とその時はそう思ったのですが・・・。なんと、GW中日吉の郵便局や銀行は軒並みATMも使えないのです。普段なら日曜・祝日でも大体5時までならおろせるので油断していました。これはピンチです。このままでは私はGWの4日間を、予定がなくひたすら一人で暇してるだけでは終わらずに、なおかつ1,000円で過ごさなければならないのです。これはヤバイぞ、と思った私は考えました。そして出した結論は、「定期を使って行けるところの駅前のどこかにGWでもおろせるところがあるに違いない」ということでした。そこでまずは大きくて手近な駅ということで武蔵小杉にて下車。駅前を探索します。が、・・・どこも閉まっています。最悪です。次は自由が丘かなぁと思ったのですが、どうせそこまで行くなら渋谷まで行った方が可能性は高いかなということで、休日にも関わらず渋谷まで行ってきてしまいました(苦笑)。が、駅前の三井住友銀行に行ったらなんとそこもClosed!「ちっ、使えねぇ・・・」と心の中で悪態をつきながらも同時に「オイオイ、GWを本当に暇な上に極貧状態で過ごすのか、俺は!?」とかなり泣き入っていました。その時思い出したのが、会社の隣にある郵便局。確かあそこはこの近辺の郵便物が集まる中央郵便局です。あそこならやってかも・・・?と思い、一路宮益坂へと向かいます。そして、・・・開いてました!やっと金をおろすことができた私は、安堵の中会社の前を通り過ぎ、「何で俺は休日に私服でしかも一人で会社の前にいるんだろうなぁ・・・」とか疑問を持ちつつも急行桜木町行きに乗って日吉に帰ってきましたとさ。どっとはらい。

2001年5月2日水曜日

手詰まり

 GWの谷間ではありますが、今日も今日とてやっぱり会社。でも朝の電車はいつもより空いてました。やっぱ皆休みなんだねー。休みの日まで朝から満員電車なんて乗りたくないんだろうなぁ・・・。

 今は先週(の水曜日から)勉強してきたVBのまとめも兼ねて電卓を作っています。納期は明日。締切ギリギリ一杯です(苦笑)。最初は順調にいっていた電卓作成も、四則演算とその周辺処理が終わってより細かい機能を付けつつデバッグを繰り替えしていた頃に突然手詰まりになり、今日は最後二時間ばかりほとんど画面とにらめっこして過ごしてました・・・。っていうかVBでの電卓作成ごときで手詰まるなよな、俺・・・。

2001年5月1日火曜日

正義とは?

 正義なき力は暴力であり、
 力なき正義は無力である

 では、正義とは何か。ここで注意しなければならないのは、「正義」という言葉の意味は決して「正しい」ということとイコールではないことである。いくら理想を掲げて正義を唱えてみても、それは「正しい」こととは限らない。あるいはその理想は正しいかもしれない。そして力も伴っているかもしれない。だが、その「力」の行使の方法を間違ってしまえば、それはやはり「暴力」になりえるのではないか。あるいは、「理想」そのものが「理想」の段階で終わってはいないか。「理想」というのはあくまで主観的なものであり、個のものとして始まる。主観は常に絶対のものとしては存在しえず、絶えず周囲の反応に曝される。この場合周囲とは客観ではない。周囲もまた各々の立場からの主観に過ぎないからだ。その中で「理想」という主観を周囲の「主観」にぶつけ、「間主観」としての妥当性を探っていくことで「理想」は洗練され、受け入れられていく。妥当であることは妥協ではない。主観と主観の間にあるギャップを埋めていくことだ。それができなければやはり「理想」は個のままでとどまり、周囲に受け入れられることなく孤立していく。そして孤立した「理想」の行使は同時に暴力になりえる。それは周囲の主観にとっては受け入れられないものだからだ。それは周囲の主観には「理想」としてではなく「狂気」と受け取られるかもしれない。「理想」の難しさ。それは個として孤立したままでは「理想」として作用しえないところにある。主観と主観の間を探る、それは妥協でもなければ敗北でも決してない。ただ「理想」をより高めるための止揚である。弁証法哲学はその意義を問いかけた。現象学はその立場を深めた。もう一度考えてみよう。個としての孤立した理想ではなく、間主観的立場から妥当性を得られる理想こそが「正義」として機能し得るものではないだろうか。今、私はここに「正義」の意味を再定義する。「正義」とは「間主観的立場から妥当性を得られる理想」である。その定義のもと、再び最初の言葉に今帰ろう。