2002年1月28日月曜日

尚永ギター合奏団演奏会所感

 さてさて先週は北海道に行ってきましたが、今週はまたも京都に行ってきました。そろそろ金もピンチです(爆)。が、今日はナオエ先生の合奏団の演奏会、とりあえずたっちーや聖帝他、馴染みの者達が居並ぶ大舞台である以上、行かないわけにはいきますまい。そんなこんなで行ってきました。今年の合奏団は、私の私的な見解にしても周囲の評価を聞くも、正直少々レベルが落ちた感があるのは否めませんでしたが、まぁあの合奏団は今が丁度転換期ですからね。これまで先生を中心として年輩の方が核となって学生がちょっとお手伝いといった感じだったのが、今度はもっと若い世代が演奏の核となっていかなければならない、そのシフトチェンジの直中ですから、まぁある一時的にある程度落ちてしまうのもいたしかたないことでしょう。

 私が今回特に気になったのは編曲と楽器構成のアンバランスさ。あの合奏団では基本的にアルトやソプラノがメロディーを弾いているのですが、どうもその使い方ってイマイチなような気がするんですよね。アルトやソプラノは音域が高く、オーケストラとギタオケを対比させるなら音域的にはバイオリンに位置します。が、だからといってギタオケ内でのアルトやソプラノの働きはそのままバイオリンかと言えば決してそうではないと思うのです。というのは、アルトやソプラノはプライムと比べるとどうしても音が細いしキンキンしやすい。そして深みも出しにくい。そんな彼らがメロディーを弾いていると、どうしてもか細く説得力にも迫力にも欠けるように思われてしまうのです。『ブランデンブルグ協奏曲』のような全パートが対等に渡り合う曲ならアルトやソプラノは正確にオーケストラでいうところのバイオリン的な働きをすることができるしそれが正解だとは思うのですが、ポピュラー系の曲でアルトやソプラノがメロディーを弾いてると頼りないことこの上ない。ポピュラー系はおとなしくプライムに主旋律はまかせて、アルトやソプラノは高音のオブリガードや伴奏音に回ってもらうのが基本的に一番いいような気もしました。そして、何より楽器種類使い過ぎ!人数が16人しかいないのにたくさん楽器使ってパートわけしちゃうもんだから、ひとつひとつのパートのダイナミクスが極端に小さい。テュッティの部分はいいにしても、パートが減ると一気にしょぼく聴こえてしまうのです。特にトレモロとか。そしてトレモロの使いどころも問題です。弦楽四重奏とか、原曲でバイオリンやビオラなんかが弓引っ張って音を伸ばしているところは問答無用でトレモロでつないでいたようですが、それもどうかと・・・。トレモロは確かにギターにおいてロングトーンを持続中にダイナミクスを変えていけるほとんど唯一の手法ですが、バイオリン等のロングトーンとは明らかに性質が違う。ロングトーンだからって無理矢理トレモロで伸ばしていっても、それが逆に曲の中で浮いてしまうというのはありがちな話です。そして、全体的に曲をクラシック的というか、上品にこじんまりとまとめすぎのようにも思いました。ギターってのは確かに繊細かつ上品な一面も持っていて、クラシックではむしろそっちが全面に出てきやすい傾向はあるのですが、個人的にはギターってのは本質的にもっと粗野で、ある意味むき出しな情熱を持った楽器のように思うんですよね。その典型がフラメンコでしょうか。ギターは、特に合奏なら何もあそこまで綺麗にまとめようとすることはない、もっとダイナミックにガチンコ勝負でいってみてもいいんじゃないでしょうか。まぁまぁこれらも別に編曲のプロというわけでもない私が勝手に感じたことではありますが・・・。

 とりあえず今日一番頑張っていたのは私の目から見てバスですね。胃痛持ちの俺の後継C技に昔やんちゃした現福祉員さん、お疲れさまでした。プライムはちょっと他と比べて弱かったですね。たっちー、もっとしっかり音出しや(笑)。最後コーヒールンバ、やけにハッスルする先生のコードカッティングは熱かったです・・・。さてさて、合奏団の皆さん、お疲れさまでした。次は先生の人生の記念日となるであろう演奏会、頑張ってもり立てていってください。

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