2002年2月6日水曜日

天が私を滅ぼすのだ

 先日たっちーと電話で話していた時、私は「人が私を滅ぼすのではない、天が私を滅ぼすのだ」という台詞がふと頭に浮かんできて、それがやけに気に入り意味もなく連呼していました。ですが、その時はそれが誰の言葉かどうしても思い出せず、なんとなく後味悪い気分がしたものでした。が、今、とうとう私はそれが誰の言葉か思い出したのです。そう、項羽です。『項羽と劉邦』の、あの項羽です。一字栄華を極めた彼が、劉邦に滅ぼされようとしているまさに最期の闘いで、わずかに生き残った数十人にも満たない自軍の兵に向かって彼はこう叫ぶのです。

 「私は今まさに滅びようとしている
  だがしかし、それは私の力が劉邦に劣っていたからではない
  天が私を滅ぼすのだ
  果たして誰がそれをとめることができようか」

 そして項羽は自分の力が劉邦に劣っているわけではないことを証明してみせると、自ら先頭を切って数十人の兵で三十万もの大軍に切り込んで行くのです。あまりいいヤツとは言えない項羽ではありますが、この時ばかりはカッコいいのです。

 そして『項羽と劉邦』は、実は『三国志』にも負けない程たくさんの名場面があります。そして名言といえば確実に三国志より上でしょう。先の「人が私を滅ぼすのではない、天が私を滅ぼすのだ」や、劉邦に「武勇では彼にはかなわない」と言わしめた武将、韓信の「恥は一時、大志は一生」など、今でもことわざとして知られる言葉も多くでてくるのです。しかしやはり何といっても『項羽と劉邦』の最大の名場面は、最後項羽が劉邦の群に囲まれ、最愛の虞美人と最後の晩餐を行っている場面から項羽の死まででしょう。完全に劉邦の軍に囲まれた項羽は、その包囲のあらゆる方向から項羽自身の故国である楚の歌が響いてくるのを聞きます。そしてこれが最後のときと悟った彼は、虞に対して詩で問いかけるのです。それが有名な『垓下の歌』であり、『四面楚歌』の由来となります。そして自分の詩に合わせて虞美人が舞うのを見届けた後、項羽は最期の闘いに挑みにでます。「天が私を滅ぼすのだ」と。

『垓下の歌』

力は山を抜き、気は世をおほう
時 利あらず 騅 逝かず
騅の逝かざるを 奈何にせん
虞や虞や 若を奈何にせん

私には、まだ、山を引き抜くほど力があり、私の気概はこの世を覆うばかり
だが、時勢は私に不利であり、愛馬「騅(すい)」も動こうとしない
動こうとしない騅をどうしたらよいだろうか
そして愛する虞よ、お前をどうしたらよいだろうか

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