2002年9月23日月曜日

束の間の休息と海辺のカフカ

 今回の三連休も、昨日一昨日と出社して納品に向けての追い込み作業に従事していた私ですが、今日は突然「皆身が持たないから一日くらい休もう」という結論に達し、急遽家でのんびりできることになりました。とりあえず村上春樹の新作『海辺のカフカ』を読み、ちょっとギターを弾き、ちょっと編曲をして、・・・とやっているとあっという間に時間が過ぎていきます。書きたい文章もあるのです。一、二ヶ月程前と違って、今は書く言葉があるような気がするのに、今度は書く時間がないのです。そりゃそうです。冷静に考えたら学生の間ずっと途切れのない時間の中でやってきたこと達を、今日一日ですべてやることなどできるはずがありません。社会に出て一人で生活していくために奪われる時間を差し引くと、手に残された時間はやりたいことをすべてやるにはあまりに少なすぎます。本を読むとか、あるいは簡単な編曲とかなら細切れの時間で少しずつやることもできますが、本だっていい本は集中して読みたいし(今回の『海辺のカフカ』のように)、ギターやもの書きに至ってはまとまった時間で意識を高めて集中させないととてもまともなものにはなりません。時間が足りないのです。一体何故こんなことになるのでしょう。もう一回ミヒャエル・エンデの『モモ』でも読み直してみましょうか・・・。

 さてさて村上春樹の『海辺のカフカ』ですが、この作品はまた色々な意味で実に村上春樹らしい作品でした。まぁこれから読む人もいると思われるので話の詳細については語りませんが、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『スプートニクの恋人』でも見られるような構成の中で、いつの頃からか村上春樹が追い続けている言葉達が鏤められています。言葉で説明しても伝わらないものはまったく説明しないのがいちばんいいので具体的に何がどうとは申しませんが(笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿