2002年10月31日木曜日

王子結婚パーティー

 先週末のことになりますが、王子の結婚祝賀パーティーのため京都に繰り出してきました。我々の代のクラギタのほとんどの人間と、新婦殿の代のやはりほとんどの人間と、その前後の代の人間が集まり、『カフェ緑一色』というところで宴は始まりました。ウチらの代の人間も、個別にはパラパラと会うことはあってもこれだけの人間が一堂に会したのは卒業して離れて以降初めてでしょう。久しぶりに集まった古い馴染みの面々と積もる話やら何やらをしつつ、一足先に結婚生活というステージに足を踏み入れた王子をからかったりしつつ(←オイ!)、一次会はあっという間に過ぎていきました。まぁ、開始が5時なのにウチらの代の人間は開始時間には3分の1くらいしか集まっていなかった辺りがさすがといえばさすがです(?)。かくいう私も5分ほど遅れて行ったのですが。

 そして二次会は場を変えて私の馴染みのジャズバー『オンリエド』へ。何人かが好きな曲をリクエストして聴きながら、王子にバーの自家製ワインをプレゼントしたりして、最初2時間程何故か完全に貸し切り状態の快適な空間の中、学生時代に戻ったかのような空気を堪能していました。そして3次会でいよいよ徹夜カラオケに突入するわけですが、ここまで来ればもうあまり解説する必要もないでしょう(笑)。相変わらず叫ぶ人間は叫ぶだけ叫んで、部屋の外にならずものが徘徊する中時は過ぎていきましたとさ。

 時は流れます。それはよくも悪くも、あるいはいいでも悪いでもなく、ただ時は過ぎて行きます。私が大学を卒業してから一年半、短いものではありますが、それでも時は流れています。漠然とそんなことを思いました。過ぎ去って行った時は、一体我々に何をもたらし、そして何を奪い去って行ったのでしょうか。

 ともあれ、王子、改めておめでとうございます。もうとっとと王子辞めて王になっちゃってください(笑)。

2002年10月25日金曜日

Trial Of Fears

 数日前のことです。会社で煮詰まっていた私は、かなりキレギレの状態でモニタをじっと見据えながら「ああ!? そこでそういうエラー出るか!? 知るかぁゆーねんなぁ」とかブツブツとつぶやきながら仕事をしていました。そこに保険屋のおばさんが現れました。いつものように適当に愛想など振りまきながらポケットティッシュを配っています。かなり世界に入って熱くなっていた私はおばさんがティッシュを机の上に置いていくも、それにシカトをくれてモニタを見続けていたわけですが、おばさんが私の前の席の人にティッシュを渡しに行ったとき、それこそこれまで見たことのないような意味不明のエラーでコンパイルが落ちました。頭の中で何かが切れるのを感じました。瞬間的にカッとなった私は、結構大きな声で「あ!? 意味不明のことほざいてんじゃねーよ!ふっざけんなよ、コラ!」と言い放ち、勢いで机をガンッとひっぱたきました。そしてフーッと大きく息をつき、少し頭を冷やして周りを見てみると、前では保険屋のおばさんがひどく驚いた表情で、目を丸くして私を見ていましたとさ。・・・まぁよくある話です(苦笑)。

2002年10月23日水曜日

BGMはいらない

 BGMはいらない。耳に気持ちのいいだけの、サラッと流してしまえるような音楽はいらない。他の何をしていても、気をどんなにそらそうとしても耳が引きつけられてしまう、そんな強い力を持った音楽がいい。ただ音楽だけを聴き、その音が与えてくれるイメージに浸るだけで時が過ぎていくような、心が痛み出すような、そんな無視できない音を。

2002年10月22日火曜日

最近の帰宅時間

 少しは早く帰れるようになってきました。日吉の駅に着いた時点ではまだ日付けは変わっていません。ですがまだ家に着く頃は・・・?

2002年10月20日日曜日

雨音が聞こえる

 言葉が浮かばない。いくら本を読んでそれについて考えてみても、何故か書くべき言葉が浮かばない。言葉を殺す、社会という制度のしきたりにさらされているせいだろうか、あるいは時間や余裕の問題だろうか、それともこれは、俺の感性の問題なのだろうか。書くべきことはたくさんあるように思われる。頭の中に浮かんでは消えていく思念の断片達。だが、いざそれらをまとめて言葉として表わそうとする時、何故か俺の内部の機能はことごとく停止する。言葉にならない言葉達が、ここしばらくの間どれだけ俺の頭の中で生まれ消えていったことか・・・。はがゆさを感じる。そんな俺の心を急かし、あるいはなだめ、嘲笑い、哀れむかのように、外では冷たい秋の雨が静かに降り注いでいる。コンピュータのファンが回る音しか聞こえないこの部屋の中、ただ雨音が聞こえる。それが何を象徴するのかもわからないまま、物憂げに木々が打たれる音が聞こえる。そう、雨音が聞こえる・・・。

2002年10月19日土曜日

左手小指腱鞘炎

 今日はギターをのんびり弾いている予定だったのですが、連日のプログラミングによる酷使で左手小指及び親指に恐ろしいまでの違和感があり、明らかにバネ指の兆候が見られたのでここは大事をとってバンテリンを塗って休養に当て、一日CDを聴きながら本を読んでいました。いや、月曜からの仕事に差し支えるとかそういうことはどうでもいいのですが、本格的に手を壊してギターに支障が出るのが怖かったのです。高校時代に一回酷いのをやっちゃってますからねぇ・・・。仕事では手を使わざるを得ないので、一回本格的に腱鞘炎をやってしまうと回復には絶望的な時間を擁してしまいそうでしたので。まぁ一日徹底的に左手を使わないように養生することで、随分違和感そのものは和らいではきたのですが、やはりここまできてしまった腱鞘炎が一日やそこら休んだだけで完全回復するわけもなく、今もキーを叩く左手小指は微妙に力が入りきらずに震えていたりします。家のキーボードは会社のものより扱いやすい配置になっているのでそれだけで随分マシですが。プログラムやってるとワープロ的な動きとは違い、左手の小指親指に相当負担がかかるんですよね。特に私は正規のブラインドタッチというわけではなく、左手がカバーする範囲が通常のものより大きいのですからなおさらです。キーを叩くフォームを検討してみた結果、やはりギターのそれとは反対に左手(というか左肩)に相当の力が入っていることがわかりましたし・・・。パソコンのキーを叩くフォームを強制しないとなぁ、と思ってみたりもします。

2002年10月18日金曜日

終電生活

 なんというか、相変わらずです(爆)。今週も終電間際か、あるいは間に合わなかったら始発で帰り(もちろん定時出社)という実にシュールな日々を送っていました。とはいえ少しずつではあるもののこの状況も改善を見せ、今日は久しぶりに11時前に会社を出ることができました。・・・この時間で「早く帰れた」という充実感を持てるのも明らかに間違っている気がするのですが。

2002年10月14日月曜日

悲しき文明

 今日は天気もよいのんびりとした一日で、久しぶりに「休日」という実感の湧く一日を過ごしていました。とはいえそれも束の間の休息で、明日からはまた依然落ち着きを見せない某プロジェクトの消火活動にいそしまなければならないのですが・・・。

 話は変わりますが、ここのところこの日吉でも乱開発が勃発しています。「乱」が付く程のものなのかどうかは実際のところ定かではありませんが、山の一斜面が丸々伐採されてしまったのは確かです。私の家から駅までの道のりの途中には、「台風シーズンの伐採反対」との主旨の張紙が見かけられます。・・・これは「台風シーズンじゃなければいいのか?」とツッコミを入れるべきところなんでしょうか?まぁそれはともかくとして、私の家のもんの前から周りを見渡してみると、以前は木々が生い茂っていた山の斜面が、今は草の一つもなく掘り返された土が剥き出しになって哀れな姿をさらしているのです。酷い話です。そこには風情も何もあったもんじゃなく、ただただ醜悪なイメージだけがつきまといます。その場所にはマンションが建築されるらしいとのことですが、この期に及んでまだそんなもののために木々を切り倒していかなければならないのでしょうか。そんなに人間が住むところは足りてないんでしょうか。・・・まぁ、足りる足りないの問題じゃないんでしょうな。欲望がうずまいてやがらぁ・・・。普段コンビニの割り箸やらビニール袋なんかも使い放題で、雑誌を再生紙に出すこともほとんどない私です。今更環境破壊がどうのこうのと言ったって説得力はないでしょうが、そんなことを抜きにしても純粋にあれは不快です。静かで落ち付いた雰囲気を醸してくれていた木々が、いつの間にやらすべて切り倒されてしまい、まるで酷い皮膚炎の病巣のようなグチャグチャな状態の地肌を曝しているのです。静けさも落ち着きも、一体何処へ行ってしまったのでしょうか。結局、こういった開発といったものは一部の金を持った意味のわからん連中が勝手に話を進め、そこに住んでいる人間の心象などはおかまいなしなんでしょうな。やれやれです。暗愚と過誤と、罪と吝嗇、・・・か。

 風の吹くその音にさえ風情を感じた
 そんなゆとりが少なくなった・・・

2002年10月13日日曜日

休息

 ここのところずっと休日出社で何故か終電帰宅という生活が続いてきた私ですが、ここにきてやっとしばらくぶりにゆっくりと休める休日がやってきました。とりあえず今日と明日は普通に休めそうなのです(昨日は・・・?)。そして喜び勇んで今日は休みを満喫する予定だったのですが、ぶっちゃけた話ほとんど眠っていました(苦笑)。とりあえず一旦昼12時くらいには起きたのですが、その後まずは洗濯機を回して眠り、洗い上がった洗濯物を干してまた眠り、飯を食って眠り、本を開いては眠り・・・。やはり疲れているようです。

2002年10月9日水曜日

限界バトル続行中

 まだまだ相変わらずな限界バトルは続きます。月曜日は日吉まで帰ってこれる終電に間に合わず、手前の駅で止まる最終の電車で家路につき、最後はタクシーで帰ってきました。昨日はそれすらかなわず、朝方まで仕事をして朝5時に渋谷発の始発で家に帰ってきました。そして今日は、やっと多少は落ち着いて普通に帰れる時間帯に会社を出たものの、やはり家に着いたのは0時半過ぎでした。一日の平均労働時間が15時間くらいになりつつあります。さ~て、一体いつまでこの状況が続くのでしょうか・・・?このプロジェクトが終わったら絶対一ヶ月程どっかに逃亡してやる・・・。

2002年10月6日日曜日

56時間耐久納品

 先週のことです。とうとう私の仕事の限界バトルも極限の域に達してしまいました。そう、怒涛の二日連チャン徹夜、56時間耐久納品大会です。いや~、大変でした。二日半56時間の間、断続的に落ちてしまっていた数十分しか睡眠を取らず、しかも一徹目以降はどういうわけか飯もほとんど食わず、当然風呂など入れるわけもなく、最後は「九時がリミットだ!」と電話の時報をスピーカで鳴らし、「8時57分、30秒をお知らせします」などと聞こえてくる機械的なおねーさまの声に追いたてられるような形でキーボードを叩き続けていました。いや~、しんどかった・・・。

 人間やはり二徹はできるようにはできていません。もう50時間を超えた辺りになると頭もボケてきて思考回路が焼き切れてくるし、ちょっと気を抜こうものならそのまま気絶するように眠りに落ちていってしまいそうな勢いです。しかも別に気を抜いていなくても突然視界がスッと斜めにぶれて真っ白になり、文字通り天国への階段が見えたりします。いや~、ヤクいらねぇな、ありゃあ・・・(笑)。最後なんて、今回はLinuxで納品だったのですが、emacs(メモ帳やsimple textのようなもの)で設定ファイルを編集していて、「よし、O.K.!」と思ってctrl-x-sを押して文書を保存した後、「writing...」と画面に出ているのを見た瞬間に意識を失い、保存はしたもののemacsを終了させる気力もないまま力尽きて、キーボードに指をおいたまま30分近く飛んでしまっていました。ありゃあやばかったですねぇ・・・。途中から左手なんて腱鞘炎にやられて力が入らずに震えてましたし、久しぶりに人間の限界を知った気分です(苦笑)。その後私は家に帰り、まずは風呂に入るわけですが、その後二徹目以後まともに飯を食っていないことに気がついた私は「食わなきゃ回復もせんな」と、半ば無理矢理ラーメンを食いに行ったとのことです。待ってる時も気を抜いたらそのままカウンターで爆睡してしまいそうで、文字通り血眼でラーメンが来るのを待っていましたとさ・・・。そして次の日(金曜日)も普通に朝10時から出勤なわけですが、もはや「昨日」という言葉が何処を指すのか、そもそも今日が何曜日なのか、とにかく時間の概念がぶっ壊れてしまっていました。そらそうだ・・・。