2003年1月29日水曜日

書く理由

 結局、何のために私は文章を書くのでしょう。すぐにこ難しく語りたがるのが私の悪い癖なので、今日はちょっとあっさり目で試みてみます。

 文章を書くという行為は最初、私にとってはアクをすくうようなものでした。心の中でエネルギーが高まってくると、材料が煮えてアクを出すのです。アクが出たら、すくわないと煮物は美味しく仕上がりません。そのような起源の文章は、ゆーたらアクなわけで、当然あまり美味しいものではありませんでした。美味しいところは全部自分の心の中に残ったままです。まぁ、まずいならまずいなりに、アクには栄養は多く含まれてるので、その意味では多少は得るものもあったのかも知れません。ですが、いつからか、その出来上がった煮物も他の人に振る舞えたらどうだろう?と思うようになりました。煮物の出来はやっぱりバラつきがあり、「これは自信作!」ってものから「ん~、冒険し過ぎたか・・・」とかいうのもありましたが、とにかくちょっとアクをすくって、出来上がった煮物を出してみようと思うようになりました。そして今になり、なんと煮物は闇鍋に変わり(爆)、何かが煮えているのはわかるのですが、自分でも何が煮えているのかがわからないのです。あまつさえ部屋の電灯まで落ちてしまい、もはや鍋がどこにあるのかすらわからないという・・・。とりあえず早く灯を見つけ、何が煮えているのかを確認するのが当面の目標です(笑)。

 さて、皆さんお気付きでしょうか?私は結局上っ面の文面的に、「何のために私は文章を書くのでしょう」という問いに答えていません(爆)。ですが、上っ面を提喩としてある程度汎化していった段階で、暗喩として答えたつもりです。・・・って、結局最後またこ難しいこと言っちゃうわけですね(苦笑)。俺って・・・。

2003年1月27日月曜日

凶悪な傘

 雨が降っています。私が持っている新品のビニール傘は、昼飯を食いに店に入って、出て行く時には何故か別のぼろいビニール傘しか残ってなかったり、そんな憂き目にあってしまいましたとさ。あ~あ、俺のは透明で先が金属になってて人を突いて殺せるようなビニール傘じゃなくて、白くてプラの先っちょが付いた、人に優しくてもっと新しいヤツだったんだけどなぁ・・・。

2003年1月25日土曜日

2つの衝撃

 今日は、2つの衝撃と出会えました。一つは大萩康司氏の新譜『Bleu』、もう一つは貫井徳朗氏の小説『慟哭』です。

 まずは『Bleu』の方から。私がこのCDの曲目を見て、まず「おっ」と思ったのはモンポウの『コンポステラ組曲』です。この美しくも儚く、そしてあやしい(結局それかい!?)名曲を、大萩氏がどのように聴かせてくれるのかは実に興味津々です。確か去年アルティで大萩氏がコンサートをやったときもプログラムに『コンポステラ組曲』があるのを見つけ、これを聴くためだけでも行く価値あるななどと思いつつ、ところがどっこい仕事が忙しくて行けなくて悔しい思いをしたりもしたものでした。それがCDになって出てくるんですからそりゃ期待もします。・・・思わず譜面を引っ張り出して突き合わせながら聴いてしまいました(爆)。なんでいちいちそんなマニアックな譜面持ってんだなんてのは言いっこなしです(まぁ、今更私にそんなことを言う人間もいないでしょうが)。・・・で、肝心の感想の方ですが、やはり彼らしい美しい音色を基調とした、時に大胆なまでの表現力は健在で、『コンポステラ組曲』はもちろんのこと、一枚を通して実に楽しませてもらいました。とりあえず1曲目、ドメニコーニの『Toccata "in blue"』の入りは「おおう、いきなりそれかい!?」とちょっとビックリしてしまいましたが(笑)。しかしまた『Cielo』に続いて、派手好みな現代曲マニアが喜びそうな曲を・・・。『ヴィラ=ロボス讃歌』と並んで、これから譜面が売れるんじゃないですかね?う~ん、でも『リブラ・ソナチネ』や『コユンババ』みたいのを好んで弾く辺りとは微妙に志向が違うかなぁ?なんか、その路線とブローウェル路線の中間のような、そんな感じの曲ですね、2曲とも。というか、むしろ全体的に。そんな中でラベルの『亡き王女のためのパバーヌ』やサティの『グノシェンヌ』のようなピアノ小品が綺麗なアクセントとなっていい味を出してました。大萩氏、今回も豊かな表現力で曲を活かしたいい演奏を聴かせてくれます。繊細さも激情も、自在に操ってみせる彼の圧倒的な音楽センスには脱帽です。"洗練"という言葉すら早くも感じさせられました。今日本人ギタリストで私が一番好きなギタリストです(藤井敬吾先生は別格)。

 そしてもう1つの衝撃『慟哭』です。これはいわゆるサスペンス・ミステリー系の小説で、随分前(何年単位で)に話題になっていたような記憶があるのですが、ふと今日書店で文庫本を見つけて、なんとなく買って読んでみました。しかしあれは凄いです。ここ数年の間に読んだサスペンス・ミステリー系の小説の中で私の記憶に残っているのと言えば『黒い家』ですが、衝撃度という点ではこちらの方が遥かに上です。『黒い家』が話の緊張感の出し方や盛り上げ方が非常にうまくて面白かったのに対し、『慟哭』は本当に純然たる衝撃です。あのラストは本当にここ数年来の衝撃でした。まぁ、サスペンス・ミステリー系の小説の種明かしをすること程不粋なことはないので内容まで詳しくは触れませんが、この手の小説が好きな人は是非読んでみてください。あのラストには絶対震えます。しかも、私自身文章を書くとあって、本当にあのラストに当たっては「マジか!? ちょっと待て!!!」と震えたと同時に、「反則だろ、でもこれは・・・」とか思わず苦笑いまで浮かべたくなりました。文章を自分で書くような人にも是非お薦めしたい一冊です。ただし、この本は読むに当たっていくつかの注意点があります。

 1. 最初に解説から読むような不粋な真似は絶対しないこと

 2. 読み始めたらできるだけ短期間(数日以内)に読み切ること

 3. 絶対に最後まで読み切ること

 上記の注意点さえ守れば、この本を読み終えた時には確実に私が感じたような"ありえない"衝撃に打ちのめされることでしょう。この本はかなりお薦めです。ただし、確か別の著者が同名の本を出していたような気もするので、買う際は間違えないように注意しましょう。

2003年1月22日水曜日

乾き

 結局、コンピュータになどいくら向かってみても何も作れない。便利なものとか、効率的なものとか、俺が作りたいものはそんなものじゃない。プログラムは哲学かもしれない。でも、それによってできる製品はそれとはやっぱり程遠いことが多い。0と1の歪み。その二進法の中間値の欠除は、一体何の欠落を意味するのだろうか。何が見えないんだろう。何に飢えているのだろう。ただ、渇きだけが募っていく。潤すものも探せないまま。楽しくないなぁ。・・・楽しくない。何となく憶えがあるこの渇きは、ずっと昔にも味わった気がする。何で満たせばいい?何を見つければいい?何処へ動けばいい?ここに留まればいい?手当りしだいにつかんだものが、掌の中で砂塵と消えていくのをただ眺めているのも、この際また一興かもしれない。そしてまた渇きは酷くなる。・・・ねぇ、俺は今、どんな顔をしてる?

2003年1月20日月曜日

語るべき物語

 「語る物語があるうちは、人生は捨てたもんじゃない」

 私が繰り替えして観るほど好きな映画のひとつ、『海の上のピアニスト』で上記のような台詞が出てきます。なかなかいい言葉だなと、なんとなく思うのです。語る物語・・・。私は、何を語りましょうか。自分のことでしょうか、周りの誰かのことでしょうか、あるいは空想の物語でしょうか。

 もしかしたら、人は年をとるにつれて少しずつ、語る物語が減っていくのかもしれないなと思ってみたりします。小さい頃のような、プラモを持って無邪気に動かしながら語るような類いの空想物語は今はもう語れないでしょうし、もう少し大きくなって小学校の作文で書かされるような、本当に夢物語的な「将来の夢」なども今となっては語れる気がしません。少しずつ、物語は夢物語から現実味を帯びたものに変わっていきます。フィクションはノンフィクションへと変わっていきます。その2つが混ざりあう恋物語は、もしかしたら多くの人にとって最後の夢物語の一種になるのかも知れません。気付くと、現実の物語を、あるいは現実的な物語だけを語るようになっています。それは自分のことかも知れません。周りの誰かのことかも知れません。現在のことかも知れません。過去のことかも知れません。ですが、いつか、気付くと未来の物語は語れなくなっているのかも知れません。そうして、時とともに人は語るべき物語を少しずつ、なくしていくのかも知れません。

 『海の上のピアニスト』のストーリーテラーが、語るべき物語を失いかけているところから映画は始まります。少なくとも、物語が失われようとしているところから映画は始まります。そして、彼は語り始めます。それは過去の物語。しかし彼はその過去の物語から、また未来を語れるようになったのかもしれません。それもまたありかなと思います。フィクションや未来を語れなくなる時は、きっと現実世界に打ちのめされている時なのでしょう。いつまでたっても、過去しか語れないのなら、いつかその物語さえ輝きを失って消えていってしまうでしょうが、例えばそんな時には、過去の物語に再生の機会を(意識的にか無意識的にか)求めるのは、悪くはないと思います。そして少しずつ、現在を、未来を、あるいは子供染みた夢物語を、取り戻していければいいのかなと。

 語る物語があるということは、結局すがるものがあるということなのだと思います。あまり個人的には好きじゃない甘ったるい言葉でいうなら、希望があるということなのでしょう。あなたには、どのような物語がありますか?そこには、きっとあなたが本当に大事だと思える何かがあるはずです。私は、どんな物語を語りましょう?その前に、どんな物語があるのでしょう?いつからか、言葉に苦しむことが増えてきました・・・。

2003年1月17日金曜日

ほこりタオル

 一週間も床にほっておいたタオルを、風呂上がりに目についたからといって頭の上にかぶせちゃいけません。ほこりでむせて大変なことになります。その前に床の上にタオル一週間もほっとくんじゃねえっていうツッコミも入りそうですが(笑)。

2003年1月16日木曜日

ただ眠りを

 眠い・・・。とにかく眠い・・・。今日は早く寝よう。何が何を意味するのかわからなくとも。何が起こるのかなどわからなくとも。

2003年1月13日月曜日

苦し紛れに指頭奏法?

 薬指の爪にひびが入っているのに気付かないふりをしてギターを弾いていたら、和音をフォルテで叩いた際に嫌な感触と共に爪の白い部分の上半分が吹っ飛んでしまって非常にブルーになってしまった今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。いや~、やっぱ爪のひびはほっておくもんじゃないですね・・・。現役の頃なら見つけた時点でどうにかしていたでしょうに、私も勘が鈍ったものです。おかげで今薬指はほとんど爪がない状態です。おかげでaが鳴らない鳴らない。aだけ指頭奏法なんて無茶はできません(笑)。指頭奏法は難しいんですよ。爪で弾く時と違って「弾く(はじく)」というより「転がす」感じで弦を扱わないといけないですからね。Weissの『Chiacona』なんかでは部分的にpで指頭奏法やってましたが。pで爪を使わずに、指の腹で弦を転がすようにして丸くて豊かな音を出してあげるわけです。爪で弾くのとは全然音質が違うふくよかな音が出ます。爪があるからといって指頭奏法ができないわけではないのですよ。ですが、さすがにaだけ指頭奏法は無理があります・・・。

2003年1月12日日曜日

コンピュータ中毒

 香港でネットカフェで6時間ぶっ続けでオンラインゲームをしていた男が突然死したそうです。確か、前にもそんなニュースがありました。どこだったかは忘れましたが。とにかく、これまでにも何件か起きている類いのものなのです。これはオンラインゲームが問題なのでしょうか、それともコンピュータが問題なのでしょうか、それとも6時間ぶっ続けというところが問題なのでしょうか。

 とりあずコンピュータに6時間ぶっ続けて向かうのが問題だというのなら、私の業界の人間などいつ死んでもおかしくありません(爆)。いや、マジで。そもそもこの業界、突然死やら何やら、とにかく倒れる人の話は結構聞きますが(ウチの会社でも過去に何人か倒れて辞めていった人がいるとか・・・)、そもそもそれがコンピュータが原因なのか単純に過労が原因なのか、我々は常にどちらとも隣り合わせな生活をしているだけにわからないのですよね。まったくもってやれやれな業界です。そして、もし仮にオンラインゲームというものそのものが問題なのであれば、それこそ死との因果関係がどうなっているのかが非常に気になります。以前あったテレビゲームで癲癇の発作が起きるというのと似たようなものでしょうか。謎は深まるばかりです。

2003年1月11日土曜日

生活乱れて・・・

 ん~、眠いのやら眠くないのやら、なんだかよくわかりません(現在午前2時半)。やはり徹夜すると生活のペースが乱れます。今日会社から帰ってきたのが午後4時くらい。それからシャワー浴びて寝て、気付いたら午後11時で今に至るわけですが、なんとなく眠いような気もしつつ、でもやはり眠れないような予感もあり、さて寝るか起き続けるかを思案中なのです。この週末は三連休とはいえ、あまり生活のリズムを乱すと仕事が始まってからが辛いので寝た方がいいかなとは思うのですが。寝れるかなぁ?ってゆーか、無理矢理寝た時は大抵眠りが浅いから、何かしらシュールな夢を見て、次の日その夢のおかげで何やら不思議な感覚に包まれて目が覚めるというのがお決まりのパターンですしねぇ・・・。もう、何で俺はいつも妙な夢しか見ないんだ?まぁ、夢とはそもそも妙なものなのかも知れませんが。

2003年1月9日木曜日

『ラーメン二郎』

 今日は仕事を早め(19時半くらい)に切り上げ、高校時代の盟友F島氏とともに美味いラーメンを求めてはるばる志茂の『ラーメン二郎』という店まで繰り出してきました。かねてからF島氏が「とんこつ醤油ベースで悪質な、本当にラーメンかどうかすら疑わしいくらい」のものだとのたまっていたので、どれほどいかつい代物が出てくるのかとわくわくしていたのですが、出てきたのは意外に普通の(?)太麺系のコッテリとんこつ醤油ラーメン(油多め)でした。いや、確かにラーメンの上に山と積もる野菜は威圧感があるのですが、それとて立命館大学側のあの『ビートルズ王将』の明らかにおかしい味噌煮込みラーメンや野菜丼他の気違い染みた品々程ではなかったですし(あそこで学生時代一体どれほどの野菜を補給したことか)、F島氏が言う「ラーメンとは思えない程太い麺」も、ウチの近くのいつも人が並んでるラーメン屋『らすた』のそれと大差ありません。要は、私の免疫の範疇だったわけです。が、確かにラーメン丼の脇にまでベッタリ付いている油には少々インパクトを受けました(笑)。

 味の方は、いわゆる『家系ラーメン』や『らすた』にも通じる濁ったとんこつ醤油のスープを基調として、太く堅い麺に大量の豚の背油がコクを付けるというもの。『家系』や『らすた』と比べるとスープ自体の味は醤油よりとんこつの旨味に重点が置かれ、油にやや依存した感のあるものでした。とりあえず一口目はビックリする程旨味があって美味しいです。しかし、元々油に弱い私はその美味しいスープもすぐ油にやられてしまい、あまり大量に飲むことはできなかったのですが・・・。そしていかつく効かせたニンニクがいい感じに食欲をそそり、それは美味しく頂いてきました。確かにあそこは美味しいですね。わざわざ志茂まで繰り出したかいもあるというものです。『ラーメン二郎』、コッテリとしていて油やニンニクの効いた漢らしいラーメンが好きな方は一度行ってみるのもいいかと思います。『ラーメン二郎』は色々暖簾分けされた店があり、しかもチェーンではないので同じ『ラーメン二郎』でも店によって味なんかは結構違うとのことなので、今回のレポートは志茂の『ラーメン二郎』限定ですのでその辺よろしくお願いします。まぁ、堅めの太麺でコッテリしたとんこつ醤油ベースという基本はあまり変わらないらしいですが。

2003年1月7日火曜日

夜唄、断片

 小さいキャンドルライト君の胸に
 僕には寒くない暗い寝床を
 冷たい風にさらされない寝床を

 静かに夜の帳が下りて
 白い月がほら闇に浮かぶ
 波のように揺れる光差して

2003年1月6日月曜日

仕事始めとインフルエンザ

 世の大体の会社がそうであるように、私の会社も今日が仕事始めです。まぁ、今日はそう頑張るところでもないかなと、軽くウォーミングアップのつもりで流しつつ、やはり少しばかりブランクを感じる仕事の勘所を取り戻していました。

 しかしあれですね、ご存じの通り私も年末年始はインフルエンザにやられて寝込んでいましたが、会社の他の皆様の間でもやはりインフルエンザは流行っていたようです。今日聞いた限りではウチのグループだけで4、5人はこの連休中に倒れてましたね(爆)。しかも、私がひいたものとは明らかにタイプが違う風邪が混ざっているのです。私がひいた風邪はとにかく悪寒と高熱が特徴で、咳は出るものの胃腸に対する被害はほとんど皆無なものだったのですが、連休中に倒れていた人の中に約2名、ひたすら嘔吐と下痢を繰り返し、かつ熱もそこそこ出るという実にいかつい症状にやられていた人がいるのです。しかもその中の一人は文字通り病院送りになって一日点滴を喰らっていたとか・・・。恐ろしい話です。私がやられたインフルエンザの他に、今の世の中ではそのような風邪も流行っているらしいのです。病院送りになった先輩は医者に「インフルエンザではないみたいだけど、最近こんな(症状が出る)ウィルスも出回ってるんだよ~、ハハハハッ」とか笑って言われたらしいです(←オイ!)。ってゆーか、インフルエンザでも食中毒でもないというなら、その怪しげな『嘔吐・下痢ウィルス』の正体は一体何だというのでしょう? 何はともあれ、この上さらにその『嘔吐・下痢ウィルス』にまでやられるという事態だけは避けたいところです。皆さんもインフルエンザやその他怪しいウィルスには気をつけましょう。

2003年1月1日水曜日

2003年元旦

 さてさて皆さん、まずはあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 新年ですね。新年ですか。・・・昨日と年号のカウント以外何が違うんでしょうねぇ・・・?まぁ、何事にも区切りや口実というのは必要なもので、その意味でも年の変わりの重要性は別に否定しませんが、意味なく「めでてぇ!」と騒ぐ気にもあんまり私はなりません。いや、インフルエンザとかとは関係なく。まぁ毎年正月には新潟の仲間達と『新年の儀』と呼ばれる熱い集いを実行してはいますが、それとて正月が一番集まりやすいからに他なりません。バレンタインデーが一番集まりやすいならきっとバレンタインデーになるでしょう。正月が何故そんなにめでたいのかと、私がしつこく小一時間問い詰め続けたとしても、ひるまずめでたい理由を明確に返してくれる人ってあの無意味にめでたがってる連中の中にはいるのでしょうか?

 ・・・とまぁ新年早々風習に喧嘩打ってみたりするわけですが、実はそれは単純に初詣も雑炊も餅も何も目にすらしていない今の私の単なるやっかみに過ぎないかもしれません(苦笑)。何はともあれまだ私の中に年を越したという実感があまりないのですよね。そして珍しく部屋でテレビがつきっぱになっていて、駅伝やら筋肉番付やら、同時に裏のニューイヤーコンサートやらを見ていたりするのです。新年の抱負など語ろうにも何も思い浮かびすらしません。困ったことです。まぁ幸いなことに体の具合自体はもう大分よくなったので、明日から新潟の方に帰省して養生・充電をしてこようかなと思っております。

2002年最後のご挨拶

 さてさて、見事にインフルエンザにやられた年末です。おかげでテレビにもちょくちょくおちょくられています(苦笑)。まず『たけしのなんたら』とかいう医療系(?)番組。その番組ではタイムリーにインフルエンザを取り扱っていて、その中で子供が38.6度の熱を出して死んでいたのです。・・・が、その時私は39.2度の熱を出していました・・・。「オイ、38.6度で殺すな、コラ」とか心の中でブチ切れましたね。今も『イノキ・ボンバイエ』を見終わって一息ついて、「まぁ紅白でも見てみるかなぁ」とチャンネルを変えたら、いきなり変な演歌歌手に、「♪あなたを、殺して、いいですかぁ~~~」と殺人予告をされてしまったり。実にシュールな年の瀬です。そんなに私を殺したいのでしょうか(笑)。確かに私を殺すなら間違いなく今がチャンスですが、それでもやっとPCに向かえるくらいにまで回復してきました。まぁ、まだ薬が切れると38度台前半まで熱が上がってしまったりもして、しかも薬はあと一日分しかないわけなのですが。まぁまぁそのような状況なので、あまり長く書く気合と体力はまだありません。ので取り急ぎ。

 皆さん、今年も色々とありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。