2003年10月19日日曜日

ジョン・ウィリアムズ@すみだトリフォニーホール

 15日のことになりますが、ジョン・ウィリアムスの東京公演inすみだトリフォニーホールに行ってまいりました。「キング・オブ・ギター」ジョン・ウィリアムスの公演は、例え私が彼の演奏に特別強い思い入れがあるわけではないにしろ非常に楽しみでした。そして内容の方も期待を裏切らない素晴らしさだったわけですが、いやー、何が凄かったかってまずホールが凄い(爆)。かつてクラシックのコンサートとして行ったホールでは最大の、ステージの上方にはパイプオルガンが控えるやたらめったら巨大で豪華なホールです。村治佳織の大阪シンフォニーホールの時よりもっと大きい。まぁジョンは(クラシックのギタリストとしては珍しく)マイクを使うので、この大きさのホールでもそれ程問題はないんだろうなぁ、と開演前に思っていました。席も前から3列め、中央やや左と絶好の位置です。いつもアルティやアミカで後輩の演奏を聴く際にいる定位置とまさにまったく同じその席で、「指の微妙な動きすら見逃しやしませんぜ」と息巻いて、私は開演を待っていました。

 客電が落ち、ジョンがステージ上に現れてバッハのリュート組曲第四番BWV1006aからコンサートが始まるわけですが、私がまず最初に思ったのは「ちょっと待て、今着てるその服、絶対何かのCD(『ザ・ギタリスト』?)のジャケットで着てたヤツだろ!?」ということ(笑)。大抵の場合ステージ上にいる人物とCDのジャケットに写っている人物というのは印象が微妙に異なるものですが、ジョンに限ってはまったく印象が同じでした。そして演奏です。どうやら彼は極端なスロースターターらしく、BWV1006aの『プレリュード』は結構何度も音外してました(苦笑)。同組曲の『ロンド風ガボット』くらいから切れ始めて、前半の最後グラナドスの『アンダルーサ』、『ゴヤのマハ』、アルベニスの『朱色の塔』、『セビリア』と続く流れは凄まじかったです。『セビリア』カッコよかったなぁ・・・。

 ジョンの演奏を聴いていて思ったのは、とにかく右手のタッチがしっかりしているということ。マイクなんてなくても生音でこのすみだトリフォニーホールを掌握できるんじゃないか?と思えるくらい骨太な力強い音が出るのです。そしてハーモニクスが異様にデカイ。実音とほとんど音量差のないハーモニクスがバッツンバッツン鳴り響く様はかなり圧巻でした。しかし彼の右手、弾いてる時は指の第一関節から先がほとんど見えない位置にいるんですよね。ラスゲアードの時ですら指先が客席の視界に入ってこない。それだけ無駄の少ない小さな動きで弦を弾いているということなのでしょうか。

 後半は『ザ・マジック・ボックス』収録の曲達から始まります。もうこの頃にはジョンはかなりノリノリで、アフリカ音楽であるこれらの曲達を凄く気持ちよくリズミカルに聴かせてくれました。CDで聴いてると端正でソツのない演奏といった印象の強いジョンですが、実際この『ザ・マジック・ボックス』のようなアフリカの音楽や最新作『解き放たれた悪魔』に収録されているようなベネズエラ音楽での演奏を生で聴いてみると、端正でソツがないというよりは気分屋でノリ重視といった感じさえ受けます。のってくると止まらないってタイプでしょうか。そして『舞踏礼讃』です。この曲で私はジョンの左手に脱力の究極形を見ました。この『舞踏礼讃』という曲は基本的に弾き手本位な曲でして(爆)、特に左手は一度手の形を決めたらそれをそのまま縦なり横なりに動かしていくだけで弾けてしまうという部分が結構あります。ただしそれも理論上の話で、実際はその手の形が結構無理があって力が入ってしまってフォームが崩れて音がびびったり、手の形は同じでも開放弦を交えて高速なスラーで移動しなければいけないので左手指が非常にバタバタしてみたりとなってしまいがちです。ところがジョンは、左手の形が一旦決まってしまうともうピクリとも指が動かない。スラー交じりに縦に左手を移動させていくフレーズのところも、当然指は動いているはずなのですが見た目は本当に指は静止したまま手だけが平行移動しているように見える。ゾクッとしました。どんだけ無駄のない小さな動きで弾いてんだと。かつて藤井敬吾先生が喫茶アルハンブラで半音階で左手の指の動きをいかに最小限に抑えて弾くかということを実践して見せてくれた時も衝撃でしたら、それを実際の曲の中であそこまで見事に実践しているのを見たのは初めてです。しかもまた『舞踏礼讃』の演奏が凄くよかったんですよ。あの曲を妖しいだけじゃなく本当の意味でカッコよく音楽として聴かせてくれるギタリストはなかなかいませんからねー。

 そして曲は私の中で本日一番のハイライトである『大聖堂』に移ります。そう、私が初めて買ったクラシックギターのCDはジョン・ウィリアムスの『バリオス作品集』です。そして三回生の定演までずっとそこに収録されている『大聖堂』を目標にやってきたわけです。その名曲が、最初に買ったCDと同じジョン・ウィリアムスが、まさに目の前で弾いているわけです。そりゃ熱くならないわけがありません。そして演奏の方も期待通り、もう最初の一音から客席の空気をすべてかっさらっていくような、オーラに満ち満ちたものでした。ジョンの音って透明でクリアというよりは、少しかすれた感じの丸みがある暖色系のものだとこれまでの演奏からは思っていたのですが、この『大聖堂』の第一楽章ではちょっと毛色が変わりました。丸みのある暖色系の音という底の部分は変わらないのですが、かすれた感じが消え去って、透明感が増したというか輪郭がスッキリしたというか、彼独特の力強いハーモニクスがそのまま実音で出ているような、そんな音に突然変わりました。今思えばこの変化は、もしかしてPAで調整してたのかもしれませんが、とにかくその音にすっかり私は引き込まれ、第三楽章の最後の和音を軽く流して終わるまでずっと固唾を飲むどころかその固唾を飲むために集中力がわずかにそれるのも嫌だというくらいじっとステージから流れてくる音に聞き入ってました。終わった後はもう会場中その日一番の拍手です。客席の何処かから「ブラボー」と叫ぶ声が聞こえます。鳴り止まない拍手にステージ上のジョンが何度も何度も笑顔を返し、次の『森に夢見る』のために調弦を変えようにも拍手がうるさくて困ったなくらいの表情でたたずんでいました。

 次の『森に夢見る』もいい演奏でしたし、最後ベネズエラのギター音楽ではまた後半の開始と同じように、気持ちよく音楽に乗っていけるセンスのいいリズム感で観客を楽しませてくれて、コンサートの本編は終わりを告げました。アンコールは三曲、すべて『解き放たれた悪魔』からの曲で、最初の曲はちょっとわかりませんでしたがあとは『星の涙』と『別れへの前奏曲』でした。最後のアンコール前のスピーチで、「これも『解き放たれた悪魔』からの曲で、『Prelude del Adios』です」と告げて「これでアンコールストップですよ」と暗に告げるジョンの、ちょっと悪戯っぽい笑顔が印象的でした。アンコールストップも終わり、ジョンが袖に帰っていきます。それでも当然拍手は止みません。もう一回出てきてくれないかなと皆思ってるわけです。が、鳴り止まないカーテンコールも上がった客電に有無を言わせず止められます。拍手も一気に小さくなっていきます。が、その瞬間客電がまた落ちて、袖からジョンが笑顔で両手を広げて小走りに出てきます。そんなちょっとした悪戯が、無邪気な笑顔によく似合っていました。いやー、このコンサート聴いてジョン・ウィリアムスが好きになりました。彼の演奏は決して「端正で上品にまとめる」だけでなく、聴き手を引き込むオーラとリズムセンスに裏打ちされた力強い説得力のある演奏家なのだなと、私はジョンへの認識を改めましたとさ。

 ・・・しばらくは『解き放たれた悪魔』が部屋でヘビーローテーションでかかりそうです。

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