2004年12月30日木曜日

年の瀬

 気付いたらもう12月も30日まで来てしまい、いよいよ今年もあと一日を残すのみとなりました。何か、早かったですねー、この一年は。多くは語りませんが、公私ともに一つの変化を迎えた一年でした。とりあえず今日はまがりなりにも部屋の大掃除をし、水回りの真菌類との激闘を繰り広げ、年末年始に向けて買い出しをしたりして一日が過ぎていきました。明日はラミレスの弦を張り替えて今年のギター弾き納めです。変化と多忙の中、足をすくわれないように気をつけながらも走り続けてきたという印象の一年間、どうにか最後は静かに幕を下ろせそうです。願わくば、来年はもう少し静かで落ち着いた年にならんことを。

2004年12月29日水曜日

2004年仕事納め

 今日の名古屋出張で今年の仕事も実質的に終わり、明日は各種事務書類の処理と大掃除で仕事納めになります。いやー、今月は忙しかった・・・。この10月-12月のいわゆる第3クォーター、増え続ける仕事に対してなし崩し的にチームが出来上がり、いつの間にやら大きくなる人員・開発規模を尻目に「オイオイ、ホントにできるのかよ?」と思いつつどうにかこなしてきた仕事もとりあえず一段落です。このクォーターはなし崩し的に出来上がったウチのチームで大量の受注・売り上げをこなさないといけないだけに正直辛かった・・・。とはいえ、結果的に無事にその「記録的」とまで言われる開発をギリギリ一杯とはいえこなせたのでよしとします。おかげで12月はなかなか日記の更新すらできない有様ではありましたが。

2004年12月25日土曜日

嘔吐

 私はとうとう一晩中嘔吐し続けて一睡もできないという最低の風邪にやられてダウンした今週でしたが、皆さん如何お過ごしでしたでしょうか。いやー、やっと普通の食生活を遅れる程度にまで復活しましたよ。食べられるとは素晴らしい。また、少しやせました。

2004年12月20日月曜日

ビジネスが行き着く存在可能性とは?

 以前にこの日記で「ビジネスの世界で熱心に生きる人は、自分が関わる世界のすべてをビジネスと結びつけることを当たり前に思っているように感じる」というようなことを書いた。それからずっと、漠然と「何かこのことをうまく言い表してくれる言葉があったような気がする」と思い続けていたのだが、ようやくそれが何だかわかった。「用在性」という言葉だ。

 「用在性」というのはハイデガーが使った言葉で、「~するためのもの」という形で人間に現れてくるものの在り方を指す。例えば、CDは「音楽を聴くためのもの」だし、はさみは「何かを切るためのもの」だ。個人的にはJavaでいうところのインターフェースのような感じと理解している(わからんって?)。対して「客在性」というものの在り方があるが、こちらに照らせばCDは「直径 12cm、厚さ 1.2mm のポリカーボネート樹脂製の円盤で、アルミニウムの膜が張ってあり・・・」となる。まぁ何となくイメージはつかめるかと思う。ハイデガーは我々が普段ものを意識する方法はその「用在性」についてであり、「客体性」は本質的には「用在性」の欠如により現れるという。が、まぁ今はハイデガー論ではないのでそれ以上深くは追求しない。

 もう一つ、ハイデガーの「道具連関」という言葉について簡単に説明しておきたい。これは文字通り用在性を持つものの連関を意味する。例えばCDは「音楽を聴くためのもの」であるが、音楽を聴くためにはCDプレーヤという「CDを再生するためのもの」やスピーカという「音を出すためのもの」が必要だ。贅沢な立場ならばオーディオルームなんていう「音楽を聴くための場所」まであるかもしれない。音楽を聴くためにはそういった用在性の連関が必要になるし生じて来る。それが「道具連関」だ。ここでは「ある目的を満たすための用在性の連関」程度に理解しておいてもらって問題はない。繰り返すように、これはハイデガー論ではないのだから。

 話は戻って、冒頭で述べたようなビジネスに熱心な人達に取っては、世界のあらゆるものは「ビジネスをするためのもの」という用在性で満ちているのだなと感じる。普段の仕事も(まぁこれは当然だが)、公私問わず新たな人との出会いも、ニュースや新聞をチェックしたり本を読んだりすることも、ひいては街を歩くことや眠ることさえも。そういった全てが「ビジネスをするためのもの」という用在性を持っていて、世界が「ビジネスをする」という道具連関を持っている。そのように感じる。まぁでもそこまではいい。ここまでは以前に日記で書いたことをハイデガーの言葉を借りて言い直しただけだ。今回問い直したいのは、その「ビジネスをする」という道具連関が、一体どのような欲望、可能性に結びついているのかということだ。

 ハイデガーは用在性-道具連関とつながってきた道は最終的に「現存在の何らかの可能性」に最終項として連絡すると説く。先の「音楽を聴く」という例でいくならば、「音楽を聴きたいという」欲望は、一体どこから来るのか。「くつろぎたい」のか、「癒されたい」のか、「高揚感を味わいたい」のか。いずれにせよ、それは何らかの「可能性」である。では、ビジネスは最終的に何の可能性に結びつくのか。接するものすべてに「ビジネスをするためのもの」という配視を与えて、ビジネスのための道具連関を作り上げるのはどういった可能性からなのか。何を求める欲望からなのか。「金を稼ぎたい」のか。では金を稼いでどうしたいのか。「楽をしたい」のか、「世間から認められたい」のか、「豪華な生活がしたい」のか。どうだろう?今ひとつ、私には見えない。

 ハイデガーはこの自分の存在可能性かを明確につかみきれておらず、共存在(共同体くらいの意味)と仕事の正否にばかりかまけている状態を「死を隠蔽している」ものだとし、それは存在の非本来性であり、頽落であるという。なるほど、ビジネスというものに存在可能性を見出せず、それでも日々共存在と仕事の正否にかまけてばかりいる私はまさに頽落の典型というわけだ。頽落。半分は負け惜しみなのかもしれないが、ビジネスの道具連関が最終的につながる欲望なり存在可能性なりを明確に把握できている人間は、一体どのくらいいるのだろうか。世界中がビジネスのための道具連関で満ちている人達には、それが見えているのだろうか。

 私たちはふつう、既成的了解のうちで存在の可能性を見出す。つまり、世間で価値あるとされていることを、やっぱりやろうとする。別にそれが悪いわけではない。ただ、それをすることで自分が得ようとしていることに無自覚なだけだ。


 人間は自分の生存の孤独に耐え得ないからこそ、なんらかの理念や、世間で通用する価値観に身を任そうとするのだ。

『実存からの冒険』西 研著, ちくま学芸文庫より

2004年12月19日日曜日

ん・・・?

 久々の休息は、昼寝で寝すぎてあっという間に過ぎていきました(苦笑)。

2004年12月17日金曜日

もうダメかと思った・・・

 いやいや冗談抜きに本当に倒れかけました。一昨日のことです。昼食を取り、渋谷駅で名古屋出張のチケットを取った直後のことでした。

 みどりの窓口を出た直後、私は突如激しい吐き気に襲われます。それもすぐにでもその場で嘔吐してしまいそうな強烈な吐き気です。同時にサーッと渋谷の雑踏が遠くなっていき、耳に音がまったく聞こえなくなります。さらには視界も急に狭くなり、周囲も見えなくなりもしたし、どうにか見える前方も薄くノイズがかかったようで暗くぼやけています。そのあまりの急激な体調変動に「やばい、これはもう歩けない」と思った私は、その場でうずくまってしまいたいのをこらえつつどうにか駅のトイレに入ります。最後の気力を振り絞ってドアを閉めた私は、そのまま崩れるように倒れ込んでしばらく動けませんでした。猛烈な吐き気と目眩との闘いです。凄まじい量の冷や汗が出て、シャツや額が濡れていきます。そうして10分かそのくらいでしょうか、そのままトイレでうずくまっていると、やっと私の耳に渋谷の雑踏が少しずつ聞こえるようになってきました。少しずつ吐き気も治まってきて、なんとか歩けるくらいまで回復した私はふらふらと会社に帰り、後輩に栄養ドリンクを買ってきてもらって、まったく回らない頭で「顔が白い」とか言われつつもその後の打ち合わせをどうにかこなしたとのことです。ちなみに具合が急激に悪くなった際、まったく余裕がなくなっていた私は一番近くに目についた車椅子用のトイレに入ってしまったのですが、如何せんこっちは本当に緊急事態だったのです。まぁまぁきっと許してもらえるでしょう(?)。そしてそのまま次の日の朝五時にメンテナンス作業をこなし、今日まで泊まりがけで名古屋に出張していました。名古屋に行くまでは結構しんどかったというのが正直なところですが、今回はまったく観光もせずに仕事が終わったら食事だけしてすぐにホテルで眠ったので、むしろ普段よりたくさん眠って回復したとのことです。やれやれ、まいりました。

2004年12月13日月曜日

癒しを求める(?)CD達

 金曜はまた相当な勢いで大変でした。朝にカロリーメイトを食べたきり、昼食も夕食も取らずに深夜1時まで客先作業、しかも飲み物すら昼以降は「そろそろ飲まず喰わずも疲れたな」と客先の前にある自動販売機でお茶を買ってくるまで一口も飲まなかったというなかなかの激しさ。深夜1時に客先を出た後はタクシーで渋谷まで戻って深夜急行バスで帰宅したとのことです。あーあ、今週もまだ余波が続くかなー・・・。

 さてさて、社会人になってから忙しさがある臨界点を超えて来るとCDの衝動買いが激しくなるという(爆)、嫌な癖がついてきた私ですが、今回もここ二、三週間で結構色々なCDを買っています。キース・ジャレットの『ラ・スカラ』や『The Out Of Towners』、Dream Theaterの『Live at Budokan』、伊福部昭の『SF交響ファンタジー第一番』、元Fair Warningのアンディ・マレツェク率いる『Last Automn's Dream』、ユーゴだかどこだかのメロディック・メタルバンドALOGIAの『price o vremenu』(←もはや歌詞が英語ですらない)、ワレリー・ゲルギエフ指揮・ウィーンフィルの『チャイコフスキー交響曲第四番』、これはレンタルですがポルノグラフィティのベスト盤2枚と『シスター』。もうパッと見たジャンルだけでジャズにプログレッシブ・ロックにメロディック・メタルにクラシックにJ-POPと、結構わけがわからないことになってます。

 とりあえず、やはりDream Theaterは素晴らしいです。相変わらずとてもライブ盤とは思えない程演奏が完璧ですが、今回のライブはいつもの完成度に加えてライブならではのテンションの高さも凄い。特に『Stream Of Consciousness』でのジョン・ペトルーシはあれだけの超高速スケールをミスなく音の粒も潰さず、以上に高い集中力で弾ききっていて寒気を覚える程です。彼らはライブ盤やブートレッグが出る度に「今回はマイク・ポートノイ(ドラムの人)が3箇所ミスってると認めてるらしい。どこか探せ!」という嫌なイベントが成立する程完璧な演奏で知られますが、なんつーか、ホントにミスしませんね、彼ら・・・。あんな並程度にハイレベルなバンドじゃ演奏することすらおぼつかない程の難曲の数々を、ほとんどノーミスでライブで再現し、ライブ独特の緊張感すら醸す彼らは既に神の領域にまで達しています。ジェイムズ・ラブリエが歌う初期の名曲『Only a Matter Of Time』や、ただでさえ美しい名曲なのに、さらに今回素晴らしいインプロビゼーションも入って一層魅力を増した『Hollow Years』も今回の聴き所でしょう。さすがに3枚組を通して聴くと疲れますが(苦笑)。

 余談ではありますが、今の現役の日本の男声バンドで聴いてていいなーと思えるのってやっぱりレミオロメンとポルノグラフィティくらいですよねー。まぁMr.Childrenは別格として。ポルノグラフィテイの『シスター』は実に私好みの旋律と歌詞の世界観でお気に入りの一曲です。

2004年12月10日金曜日

多忙

 実に一週間もの間、完全にこのHPから姿を消してしまいました。いやー、仕事やら忘年会やら、洒落にならんくらい忙しかったのです。思わず勢いで過去形にしてしまいましたが、この忙しさは当面今月一杯くらいは続きそうです。今のところ年が明ければそんなに忙しくはなさそうなので、のんびり寝正月を夢見てがんばりたいと思います・・・。

2004年12月3日金曜日

問題です。

 睡眠時間が二日で四時間というペースで働き続けるのはさすがにしんどい。○か×か?

2004年11月29日月曜日

ウサギに指を噛まれた日

 ・・・ウサギに指を噛まれました。比喩でもなんでもなく、純粋な事実として。

 それはよく晴れた日曜のお昼前のことでした。どんぐり共和国という、アスレチックと動物ふれあい王国が一緒になったようなところを回っていました。無反応なポニーや愛嬌たっぷりの子やぎ、黒目たっぷりの子牛を眺めて撫でたりしながら、最後にウサギ小屋に辿り着きました。「日本の住宅事情は外国から見ればウサギ小屋も同然だと言うからな、どんなものかよく見てやろうじゃねーか」と意気込んで中に入ります。するとよく日の入る広々とした柵の中で、清潔に乾いた干し草の上をウサギ達が元気に駆け回っています。普通飼いウサギというとなんか元気が足りなくて、あまりぴょんぴょん跳ね回るような印象はないものですが、ここのウサギ達は違いました。そりゃもう元気に走り回ります。二、三十匹くらいの小さくて元気なウサギがカサカサっと飛び回ったり立ち上がったりする姿はそりゃかわいいです。手を差し出すと、何匹か必ずササッと寄ってきて、匂いをかいだり立ち上がったりして餌をねだります。そんなこんなで、柵の中に手を入れてウサギ達をかまっていたわけです。すると、その中の一匹、白い毛に赤い目の典型的なユキウサギです、がおもむろに立ち上がって私の手の方にやってきます。「お、寄ってくるかな?」と思っているとそのウサギ、スッと口を開きます。

 コリッ・・・

 クルミを二つ、掌の中で転がしたような乾いて歯切れのいい音がしました。「コリッ?」とその音に疑問を覚えた次の瞬間、右手の人差し指に痛みが走ります。反射的に指を引っ込めました。やっと「ああ、ウサギに噛まれたんだ」と気付きます。指先からは血がプクッと出てきてまず丸くなり、次の瞬間に流れ始めます。結構傷は深いです。水道水で傷を流してカットバンを張り、後になって血が止まって傷口を見てみたら、カッターで切られたような鋭利な傷が指先にできていたとのことです。

 しかしネコとか犬とかならまだ接する際に「もしかしたら噛まれるかも」という警戒心が心のどこかにあるので噛まれてもそんなに精神的に動揺はしませんが、まさかウサギに噛まれるというのは正直心のどこでもまったく想定していませんでした(苦笑)。いやー、びっくりしました。気をつけましょう。奴らは意外と凶暴です。

 ♪かわいいふりしてあの子、なかなかやるもんだねと~♪

2004年11月25日木曜日

ジベルばら色粃糠疹

 昔からよくわからない病気にかかるのは得意な(?)私ですが、また変な病気にかかってしまいました。今度の病名は『ジベルばら色粃糠疹』。まぁ、平たく言えばじんましんの一種です。病名からしてかなり厳つい印象を受けますし、なかなかレアな感じもしますが、皮膚病としては割にメジャーな部類に入るものらしいです。とりあえずかゆみもあまりなく(たまにかゆくなることもある)、基本的には放置しても治るらしいのですが、何しろ発生から今に至るまでの間は日が経つ毎に全身に赤い湿疹が広がっていくので、医者に診てもらって病名が特定できるまではとにかく焦ります。「大丈夫かな、これ?昔からあらゆるアレルギーは経験してきたけどアトピーだけはなかったんだけどなー・・・」、って感じで。

 原因は諸説あるそうですが、今現在最も有力そうなのはウィルス説。実際、一度かかると再発はほとんどないなど、ウィルス感染症独特の性質を持っているようです。とりあえず薬はもらってきたのですが、当面対症療法しかないものですから劇的によくなるわけでもなく、むしろまだ湿疹は広がっています。最初は下腹部からももの付け根くらいまでだったのに、今や上は腹側の上半身から上腕部、手首の辺りまで、下もふくらはぎのあたりまで浸食されています。ここまで広がってくると正体が割れていても不安にはなるもので、もう一度病院にでも行ってみるかと検討中です。

 いやーしかし、今私の体は大変なことになっています。

2004年11月24日水曜日

ジーパンの洗い方

 ジーパンは晴れた日に洗って外で干さないと乾かないのです。それもこの季節になってしまうと、できれば午前中に。

2004年11月21日日曜日

ウィーンフィル体験

 昨日のことになりますが、ウィーンフィルの演奏を生で聴く機会に恵まれ、コンサートに行ってまいりました。サントリーホールにて今新たなカリスマとして注目を集めているワレリー・ゲルギエフ指揮のウィーンフィル!これだけの一流ホールで世界最高峰のオーケストラが聴けるとは思いませんでした。しかも曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第三番とチャイコフスキーの交響曲第四番。かなり私好みのチョイスです。

 このコンサートは元々は招待及び抽選のみで全席が埋まり、一般でのチケット販売はされていないプレミアコンサートです。本来なら私が行ける類いの代物ではないのですが、招待券をもらった社長が「行きたい人がいたら抽選するから手を挙げろ」との配慮をしてくれて、手を挙げたら当ってしまいました。チケットをもらってみた時は、ギラッと光るプラチナチケットに戦慄を覚えたものです。基本は招待だけのコンサートだけあって、周りは何となくセレブっぽい人々がたくさんいましたし、会場では解禁されたばかりのボジョレー・ヌーボーも無料で飲み放題という至れり尽くせりぶり。開演前からして既に夢気分です。オーケストラが出てきて客電が下りた時の緊張はいうまでもないでしょう。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番が始まります。低く、怪しく静かに奏でられる弦の響きに、冷たく侘びしげなピアノのフレーズが乗っていきます。そこから始まる世界はなかなか改めて言葉にしようと思うと出てこない、非常に密度の高い空間でした。いつか言葉にできる日が来ることを祈りつつ、今回は少々寡黙に、確実に言葉にできることのみを書き留めておきたいと思います。

 ウィーンフィル、ゲルギエフの演奏でまず感じたのは音の入りに対する集中力がハンパじゃないということ。曲の入り、音量もテンポも大きく変わるダイナミクスの境目、要所要所は客席で観ているこちらまで一緒に息を呑んでしまうような、強烈な視線とブレスでオーケストラが合わさっていくのです。私は第一バイオリンとソリストの真後ろ、彼らの指も見えるようなところに座っていました。ピアノ協奏曲の最終楽章、さぁこれから盛り上がろうというところで、第一バイオリンがいきなり大音量で入る際、ゲルギエフがカッと目を見開いてこっちを見て、一瞬で鳴っている楽器の音も吹き飛ばすかのような強烈で瞬発力のあるブレスで第一バイオリンを音に一気に引き込んだ、その場面が瞼に焼き付いて離れません。その瞬間、「ああ、カリスマ指揮者とはこういうものなんだ」と肌で感じたのです。引っ張られる。音も無音も、すべてが引っ張られていく感じがするのです。音も意思も、引っぱり一つにまとめる力。客席でもそれを感じるのです。ステージで演奏しているオーケストラは、それをどれほど感じるのでしょう。叶わぬ夢ではありましょうが、いつかそういったステージに立ってみたいものです。

 もう一つ感じたのは、これは指揮者に大きく依存する問題なのかもしれませんが、意外とウィーンフィルってリズムを表に出した演奏をするという印象を受けました。CDで聴いてる際はいつもサラッと優雅にまとめていて、あまりガツンとぶつかってくるような強烈なリズムを打ち出した演奏はしてないように思っているのですが、今回はかなりリズムの輪郭をはっきり出した、その意味では私好みの演奏をしていました。リズムの角を取った丸みのある演奏ではなく、むき出しのままむしろ炉に入れて鍛冶で鍛えたような、まっすぐ無骨なリズム感。結構ウィーンフィルに対して私が抱いていた印象を変えてくれました。

 ともかくも総じて言えばさすが世界のウィーンフィル。聴いているこちらも集中力を切らす暇がまったくない、素晴らしい至福の時間でした。クライマックスで思わず背筋を伸ばし拳を握った、あの迫力と集中力は最高です。いつかまた聴きたいものです。そしてその時は、もう少しはましな言葉で語れるように。

2004年11月17日水曜日

今日の言葉

 愛にふさわしいものが愛を受けるのではない
 愛を受けたものが愛にふさわしくなるのだ

岩波新書 大平 健 著『豊かさの精神病理』より

2004年11月15日月曜日

払う登場!

 昨晩から払うがウチに泊まりにきていました。マンガ喫茶等で夜を明かしながら10日間ものフラメンコ東京行脚をしているそうで、相変わらずたくましいことこの上ない(笑)。とりあえず軽く飲んで、払うが持ってきていたディエゴ・デ・モロンのビデオを久しぶりに観て(以前払う邸で観たことあり)、洗濯をするのにコインランドリーを探して(笑)、そんな一日を過ごしていました。しかしディエゴ・デ・モロンの演奏は凄まじいですね。時たま神がかった気迫と集中力で、説得力の固まりのような音を出すのです。数年前に観たときも「コイツは凄ぇ」と思いましたが、改めて観てみてもやはりしびれました。

 しかし本当に久しぶりに、少しではありますが家で自分以外の人間がギターを弾いているのを聴き、また一緒に弾きました。やっぱり一人で弾くよりも、一緒に演奏する仲間がいるのはそれだけで楽しいものだなということを再確認しましたが、同時に切なくなるくらいのブランクも正直感じました。私が本当に集中して演奏した最後のときはいつだったでしょう?それからどのくらい隙間を空けてしまったのでしょう?とりあえず、最近弾かずにホコリをかぶっていたサイレントギターの弦を替えて、そこから出直しかなと思っています

2004年11月14日日曜日

名古屋出張開始

 一昨日のことになりますが、仕事で名古屋に出張してきました。ウチのグループは基本的に首都圏中心でやっているので新幹線で出張というのはなかなかないのですが、今回は名古屋で新規案件が取れたのでしばらく隔週くらいでの名古屋出張が続きそうです。まぁ既に東海道新幹線の利用に関してはマスタークラスの領域まで達してしまっている私ですが、一番怖いのは油断してると名古屋を通り越して京都まで行ってしまうのではないかと言うことです(苦笑)。まぁまぁとりあえず、しばらくは名古屋名物を堪能しながら旅をしようと思います。味噌カツは思ったより味噌の味がすっきりしてて食べやすくてよかったですね。

2004年11月10日水曜日

ならば

 あなたがよかれと思うことを、よかれと思うやり方でやりなさい。

2004年11月8日月曜日

デビッド・ラッセル - 輪廻のパッサカリア

 Amazonで注文していたデビッド・ラッセルの『Passacaille』が今日届きました。何故かCDのタイトルがAmazonの目録と一致してませんが気にしちゃ負けです。先月10/10にラッセルのコンサートに行った際、後半ののっけから聴衆を引っ張り込んでくれたヘンデルの『組曲七番』を全曲収録し、他の曲目もバッハにスカルラッティと、ラッセルの魅力が十二分に堪能できそうな期待の持てる一枚です。昼食後に帰宅したら郵便受けに入っていたそのCDを、今日は何度も聴いていました。

 まずはこれまで語る機会をなくしてしまっていた、先月10日トッパンホールでのラッセルのコンサートから始めましょう。意外かもしれませんし知ってる人も少ないでしょうが私は学生時代から(例えばまんごれとかに訊かれた際に)「一番の目標はラッセルだ」と密かに公言していました。大学四回の時にラッセルが来日した際は諸々の都合が折り合わずに行くことができず、「次に来たときは絶対行ってやる」と燃えていたわけです。当然当日も問答無用で仕事を切り上げ、普段絶対電源を切らない社用の携帯電話の電源を速攻落とし会場に向かいました。

 いきなりテデスコの『悪魔の奇想曲』から始まる強烈な曲目のコンサート。最初に思ったのは「もの凄く和音がきれいに響くなー」ということでした。入りに流してくるコードから、いきなり会場の空気をわしづかみにするくらい堂々と響くのです。ラッセル特有のあの暖かさと透明感を兼ね備えたあの音色で。テデスコの曲はこの『悪魔の奇想曲』もそうですし『ソナタ-ボッケリーニ讃』もそうですが、緊張感溢れる和音の高速移動が曲の最大の盛り上げどころであり、最大の難所でもあります。その高速で連打される和音がまた素晴らしく一つ一つきれいに鳴ってるんです。しかもまたその和音の中に決して旋律が埋もれない。ラッセルは音の分離にかけてはあらゆるギタリストの中でも屈指のセンスを持っているとCDを聴きながら感じていましたが、改めて生で聴くとやはり凄いです。この一曲目ではまだ手が温まっていないのか、『悪魔の奇想曲』必殺の高音から一気に駆け下りてまた戻ってを繰り返す連続スケール&アルペジオはかなりきつそうでしたが(苦笑)、肝心要の和音の高速連打を素晴らしいテンションで弾ききってくれたおかげでのっけからこの名曲を堪能させていただきました。

 続く『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』と『主よ人の望みの喜びよ』は割に力を抜いた感じの演奏で、『目覚めよ~』に非常に大きな期待をかけていた私は少し肩すかしを食ってしまうわけですが。まぁしかしそれ以上に許せないのがマナーの非常に悪い客達で、この二曲の演奏中はデカイ音で携帯は鳴るは後ろじゃずっとなんかガサガサガサガサ音立ててるバカはいるは、アンタら一体何しにこの会場に来てるんだと軽く小一時間説教くれたい気分で一杯でした。せっかくのコンサートなんだからよー。

 ともあれ続くマンホンの『バスクの調べ』は素晴らしい演奏でした。前半のMVPです。私もあまり聞いたことのない作曲家の知らない曲でしたが、またこれがよかったのです。作曲者のマンホンはバリオスをも魅了する腕前を発揮したというスペインのギタリスト兼作曲家ですが、この『バスクの調べ』は『アラビア風奇想曲』のようなエキソチックな情緒が漂い、中間に複雑なリズムや様々な技巧を差し挟みながら展開していく名曲です。相当に技巧的な要素を含みながら、その技巧によって紡ぎだされるフレーズがまた美しいのです。ラッセルもまたこの曲では調子を上げてきて、持ち前の美音と表現力でこの難曲を見事に歌って聴かせてくれました。思わず休憩時間にこの曲の譜面を所望してしまいましたからね。いい曲です。まぁいざ帰りの電車の中で譜面を見てみたら一小節の中に11連譜と12連譜が共存するような極悪な曲だったわけですが(爆)。

 そして後半の一曲目、ヘンデルの『組曲七番』より序曲、サラバンド、パッサカリアが弾かれます。これがねぇ、素晴らしかったんですよ。ヘンデルというと『水上の音楽』の『王宮の花火の音楽』のような明るく華やかなイメージがありますが、この曲はどちらかというとヴァイスやフローベルガーのような静謐な美しさを持つ曲で、序曲でのフーガ風の掛け合いや、重々しいというよりは敬虔な祈りの神々しさを思わせるサラバンドと、もの凄く印象に残るのです。またサラバンドでのラッセルの和音の音色がきれいなんですよ。透き通ってるんだけど刺のない、長期間樽の中で熟成された秘蔵のウィスキーのような音。どうやったらあんなにきれいな音が出せるんでしょうか。それも和音で。いつか自分でもと夢見てしまいます。

 そして組曲最後のパッサカリアが始まります。これはもう最初の一小節で充分でした。それだけで完全に曲の世界に引き込まれてしまいました。曲自体素晴らしく美しいのはもちろんなのですが、それ以上に演奏しているラッセルからもの凄いオーラが出ていたのです。また曲自体パッサカリアとしてはテンポ設定が早く、しかも一回の変奏周期が短いせいで、もう次から次へ変奏が展開していき音が回っていきます。中盤以降どんどんスケールやアルペジオの音数が増えていく中、短い周期でパッサカリアの低音主題は執拗に繰り返され、まるでグルグル回る輪廻を早回しで体験しているような、そんな感じでした。実際、ラッセルを中心に螺旋状に空間が回転しているような、そんな印象さえ受けました。ゾクッとしましたね。この演奏はホントに心が震えました。この一曲を聴くためだけでも来る価値はあります。

 そしてあれから約一ヶ月、改めてCDでこのヘンデルの組曲七番の『パッサカリア』を聴いてみます。コンサートの演奏よりもややテンポを落として弾いてますが、やはりいい曲です。パッサカリアはシャコンヌと同じように低音部に主題を持ち、低音で奏でられる主題旋律が一曲を通じてほとんど姿を変えずに執拗に繰り返され、その上で自由な変奏が繰り広げられる形式です。特にこのヘンデルの曲では短い周期で回る変奏が何度も何度も波のように押し寄せてくるのとは対照的に、低音主題は一曲を通じて姿を変えずにはっきりと繰り返されます。上の変奏がどれだけ変わっても、低音がまったく変わらずに響いてくるため、それが短い周期で何度も繰り返されるうちに、押し寄せてくるフレーズ自体に強い既視感を持つようになります。それが特にこのパッサカリアが輪廻を私に思い起こさせた所以でしょう。

 一つの区切りが終わりまた次の区切りが来る。前の区切りの音がまだ頭から離れないうちに。そのようにして強く厚く積み上がっていくデジャヴュ。それは輪廻転生をも確かに想起させるし、また同時に我々の人生のメタファーのようにも思うのです。中学、高校、大学、社会・・・、舞台は色々変わっていきますが、それは所詮上の変奏部が変わったに過ぎず、結局低音部では同じ主題が何度も繰り返される。それは今挙げたような学校を軸とした区切りでなく、例えば友人関係だったりあるいは恋愛関係だったり、ないしはもっと他の何かかも知れませんが。人生の何かの折にふと、「ああ、そういえばこんなこと前もあったな、結局同じことを繰り返してるな」と思う瞬間があります。正直あまり出来のいい小説ではありませんが、『やがて消え行く幻達へ』はそのような感覚が元になってできたものです。私がこのパッサカリアやシャコンヌという執拗に繰り返される低音主題の形式を好み、惹かれるのは、その明確に繰り返される主題とその上に乗っている変奏が、そうした人生の中の輪廻のようなものを感じさせるからなのかもしれません。低音部の主題を自分の基本的な流れとして、その上に乗る変奏を環境等の変動要因と見るならば、変奏部分がいかに変容しようとも結局いつも同じことをやっているという、そんな運命論的な人生の悲哀がこの形式の中には潜んでいます。そこが、好きなのかもしれません。

 CDで聴きなおすこの曲は、コンサートの時程の圧倒的なオーラこそないもののさすがに演奏自体は凄く安定していて、やはり同じ既視感を感じさせます。繰り返す運命論的悲哀としてのパッサカリア。ラッセルの透明だけれど冷たくはない音と、繊細な表現がここまでこの曲を強く心に残るものにしているのでしょう。CDでもここまで強烈なイメージを投げかけてくれる演奏というのはなかなかありません。コンサートからCDへ、それは心に響いていきます。

2004年11月7日日曜日

新サイト構築、作業中

 8月に引越宣言を出して以来、なかなかはかどらないこの『雑記帳』の移行作業。今日は奇跡的に(?)土日とも休みということで、ほとんど一日新サイトの作成にとりかかっていました。

 しかしあれですね、エッセイや小説なんかはまだいいにしても、日記を移植するのが大変です。何しろ7年以上のストックがあるわけですから。ともあれその7年以上の間、HTMLの基本的なテンプレートは一回も変わってないので(簡単なCSSを追加したくらい)、そこに乗じて今の雑記帳の日記を新サイトに移すプログラムを書いてしまおうかなと思い、50%くらいまでは作ったんですが、結局やめにして一日分ずつ手で移してます。何というかですね、プログラムで自動に移すにしろ新サイトでは日毎にタイトルを付ける必要があるので、結局その分は一日ずつ見ていかないといけないと、そういった理由もあるのですが、まぁやっぱり自分の手で書きためてきたものですからね、プログラム走らせて無機質にパチンとやってしまうんじゃなんか扱いが手荒なような気がして、自分に申し訳なくなってきたのです。そういった理由もあり、一日ずつ読み返しながらタイトルを付けて新サイトに移行という作業をこなしています。当然その日記を付けた時から既に時間は流れているわけで、書いた当時の自分が意図したであろうタイトルと、今読み返して付けるタイトルではずれがあるんだろうなと思うのですが。

 改めて日記を読み返してみると、その当時に自分が何にはまっていたのか、何を考えていたのか、意外によくわかるものです。普通の日記と違って、特に社会人になってからは仕事や生活の匂いをできるだけ消して日記を書こうと意識的に努めてきただけに、日々の記録という面の役割は後で読み返してもきっとそんなに大きくは期待できないんだろうなと思っていたのですが。逆に仕事や生活の表面的な面が書かれない分、そのときの内面は如実に出ているのかもしれません。まぁ、ときたま自分でも何の意図があって書いたのかまったくわからん文章に出くわすこともあるのですが(苦笑)。

2004年11月4日木曜日

二度と行けない店

 個人的にはほとんどボーナスと考えても差し支えない週の中日の突然の休日。天気もいいし用事もあったので、日吉の街をふらふらと色々歩いて店を回っていた。すると、まだ行きつけというには気が早いかもしれないが、行く度にマスターと一時間も話し込んでいた馴染みのお茶屋さんが、いつの間にかなくなっていることに気がついた。

 何度かこの日記でも触れた、本人曰く珈琲屋なんだけど店構えは紅茶の専門店っぽく、でも一番の売れ線はハーブティーという変な店。マスター馴染みのお客さんがよくたむろしていて、マスターと話しているといつの間にかその場にいる他のお客さん達とも話すようになって、なんとなくその場で人と人のつながりができてしまう、今時珍しい空気の店。いつも豊富な話題と無農薬のコーヒーで迎えてくれて、買い物に立ち寄っただけなのに一時間も過ごしたりしていた、そんな店。最後に行ったのは数週間前。無農薬有機栽培の紅茶と、キャッツクローというハーブというか健康茶を購入して、病院勤務の夜勤明けだというおばさんとマスターと三人で「住むならどこがいいか」というような話をしていた。きっとその時にはもう店じまいは決まっていたのだろう。割引券をくれたマスターの表情は、今思えば少し寂しそうだったような気もする。それは記憶の捏造だろうか?数日前、22時くらいに帰宅途中に店の前を通った時、珍しくその時間に電気がついていて、中でマスターとバイトの女の子がせっせと商品を整理していたのを目にした。車に荷物も積んでるようだったから、「もしかして」というのは少し頭をよぎった。「ちょっと声をかけてみようかな」と思ったけれど、忙しそうだし、月末だったからきっと棚卸しのついでに大掃除でもしてるんだろうと片付けてしまった。

 まだ行くようになってたった半年しか経ってないけれど、寂しいなと思う。初めて行ったときからずっと温かいコーヒーと面白い話を聞かせてくれたマスターに、挨拶くらいはしたかったなと思う。片付けをしている夜に、せめて一言声をかけていれば。後悔は先に立たない。もう、どうしようもないこともある。マスターはこれからどうするんだろう?店は引っ越すだけなのか、それとももう完全にやめてしまうのか。もう内装もすっかりはがされて、白い壁が四方にまぶしく光るがらんどうの店舗スペースが、なんだか妙に無機質に見えた。次は、花屋が入るらしい。街は変わっていく。その中で生活する人も変わっていく。おしなべて、すべては変わっていく。それが希望も生むし、寂しさも連れてくる。それが出会いを作り、別れをも押し付ける。

2004年10月31日日曜日

う~む・・・。

 何故だろう、日曜の夜はいつも頭が痛い。今日は比較的軽くはあるけれど。

2004年10月28日木曜日

ファンホ・ドミンゲス

 ファンホ・ドミンゲスというギタリストのコンサートに行ってきました。イエペスに「ギターの流派はアンドレス・セゴビアで終わり、ファンホ・ドミンゲスで新たに始まる」と言わしめ、フラメンコのペーニャ一族やパコ・デ・ルシアも一目置くという、アルゼンチンはブエノスアイレスが生んだ天才ギタリスト。その彼がピアソラを弾くというのなら、それはもう行くしかありません。友人に誘われるまま、ほとんど何の下準備もなしで公演数日前にチケットを取って行ってまいりました。

 感想としては、「コイツぁジャンゴ・ラインハルトもアル・ディメオラも山下和仁も一人でやっちゃうなぁ」という限りなく諦めに近い感服ってところですか。気分よくリズミカルにコードを刻んでいたかと思えば、突然息の長い超速スケールを延々と回し続けたりする。ショパンの『英雄ポロネーズ』をアップデンポ気味にギター独奏で弾ききる人間がいるとは思いませんでした。あれを聴いた時は正直「アホだ、コイツ」と思ったくらいです(笑)。無茶すんなと。指でクリス・インペリテリ並のスケール回してましたからね。一緒に行った友人と、「ヤツぁ単純な速弾き勝負でもアル・ディメオラに勝てんじゃねーのか!?」と盛り上がってました。もういい尾爺さんなんですけどね、凄いんです。

 さらに圧巻なのが随所で用いるそのトレモロ。おかしいんです。普通トレモロって、pamiで順番に回して行くもんですが、ファンホ・ドミンゲスはそうじゃない。amiでパララララ・・・って回しながら、そのamiのどのタイミングでも自由自在にpでメロディー刻んでくる。amiが弾弦するタイミングと同時にです。しかも、1つの弦をトレモロするだけじゃなくて2つの弦や3つの弦を同時にトレモロして、和音で綺麗に粒揃えてトレモロするのです!あれは凄いです。できねーよ(爆)!そんな超速スケールや和音トレモロ、果ては複雑怪奇な右手運指のアルペジオまで含めて、実に斬新な編曲で演奏される『アディオス・ノニーノ』や『チキリン・デ・バチン』、『アルフォンシーナと海』等は圧巻でした。右手が器用すぎます。さらにUNとキムが独重で演ったあの『チャルダッシュ』も、テンポは凄まじく早いもののえらいハワイアンっぽいライトな編曲で(苦笑)、恐ろしいスケールを回しておりました。いやー、久々に聴くとやっぱあの曲凄いね(笑)。

 惜しむらくは演出ですね。演奏は超一流なのに、いちいちナレーションや余計な演出が入るステージングは、明らかにコンサートというよりはナイトショー。素人のおじさまおばさま向けの、今にも加山雄三が出てきそうなその演出が、せっかくの一流の演奏を三流以下のステージにまで貶めていたのが残念です。な~んか、N○Kの歌合戦とかそんな雰囲気なんですよねー・・・。っていうか、あのえらい昭和的俗っぽさの演出の数々、絶対裏でNH○が絡んでるとしか思えないんだよなー・・・。まぁ、ドミンゲス自身は「ギターさえ弾けてれば他は何でも幸せなんだよ」って感じの人っぽく、そんな安っぽい企画もまったく意に介する様子はなかったのですが。にしても、正直「静かに聴かせろよ、うるさい企画!」って何度も叫びたくなりましたね。『愛したがゆえに』や『チキリン・デ・バチン』のイントロのナレーションは本気でうざかった。演歌じゃねーんだから!

 まぁ何というか、そんな腐ったステージングはともかくとして、世の中まだまだ凄いギタリストがいるものだと、純粋にそう感じたステージでした。

2004年10月27日水曜日

ムベ

 「ムベの実を食べた」と聞いた時、「そんなモノはねぇ!」と突っぱねたものの、調べてみたらどうやらあるようだ・・・。アケビの仲間らしい。ムベ。

2004年10月24日日曜日

新潟にて地震発生!

 新潟で大地震が発生しました。1964年6月16日に昭和大橋を落としてその名を馳せたあの新潟地震に比肩する規模のその地震の発生を私が知ったのは、浅い眠りの中ででした。そう、ここ横浜・日吉も最初の二回の震度6強の地震の際は結構揺れたのです。

 午前中の客先作業を終え、ついでに新宿で買い物などして夕方に帰ってきた私は、家に着いたら疲れて軽く仮眠していました。すると、軽いコンッという衝撃に続いてゆらゆらと地面が揺れています。「ああ、地震だな」と寝ぼけた頭で思った私は、その時はいつか来ると言われている関東大地震がとうとう来るのかと実感なく身構えはしたものの、まさかその被害の中心が新潟だとは思っていませんでした。数分、部屋全体が船になって海で揺られているような大きな揺れが続いたものの、意外に揺れは小さかったので「ああ、これは関東大地震ではないのだな」と安心し、私はそのまま再び眠りについていきました。

 それからいかほども経たない内、PHSに「新潟が大変なことになっている!」という知らせが届きました。「マジか!?」とテレビのNHKをつけてみると、何と本当に酷いことになっているではありませんか!その時点(18:15頃)で小千谷や栃尾で立て続けに震度6強を記録する地震が2回も起き、新幹線が脱線したとか家屋が倒壊したとか火災が発生したとか停電が広がっているとか、とにかく不確定情報が様々に飛び交っています。電話回線もパンク状態で、私も実家にも友人にもつながりませんでしたし、報道ですら電話がつながらないため被害の状況が把握できていないというありさま。しかもまだ余震がずっと続いていると言います。「これは、さすがにやばいなぁ・・・」と危機感を覚えながら実家や友人に電話をつなごうとしていると、最初につながったのは新潟市内で映画を観ているところを襲われ、映画館を追い出された"インモラリスト" Pond-Field氏でした。彼曰く、隣のスクリーンでドンパチ激しいシーンやってるんだろうなと思っていたら映画が終わり次第エンドロールも打ち切られて、営業停止だと追い出されたとか。その後地震だと知り、家が三条の彼は誰かに連絡を取ろうとするも全然電話がつながらないなど、なかなかのスクランブルぶりだったようです。どちらかというと帰宅後送ってくれたメールに写っていた、背の高い本棚風のCDラックやCRTディスプレイが揺れでなぎ倒されている部屋の風景の方がスクランブルだったって説もありますが・・・。三条・白根の辺りはまだ揺れは小さかったらしいですが、とはいえ相当のものはあったようです。別の友人は「確かにこれまで経験したことがないような揺れだったけど、まぁ大丈夫」とのこと。何よりです。両親はというと電話が20時前につながった時は割に元気そうで、むしろ興奮気味に色々語ってくれました。「新潟地震の時はまずゴンッて大きな音がしてから揺れたから、今回も同じ音が聞こえて"ああ、来るな"と思った」とは母親、「震度6に直撃されなければウチの本棚は倒れないな。ステレオも大丈夫だった」と喜ぶのは父親です。うん、大丈夫そうです。とはいえ電話で話している最中も余震が来たみたいで、なかなか油断のならない状況は続くようです。

 23時の現時点で震度6強の地震は3回を数え、25万世帯以上での停電や火災等、結構な被害が出ています。大分回復して来たようですが、一時期は脱線した上越新幹線を含めJR全線運休、高速道路も閉鎖と戒厳令の世界だったとか。とりあえず私の周りは大丈夫なようですが、天災も人災も続いている新潟、やはり心配です。集中豪雨の時も言いましたが、呪われてますって絶対・・・。誰がどれだけ悪いことをしたんでしょう?そこんとこはっきりさせときたい今日この頃です。

2004年10月20日水曜日

ボウモアの作法

 これはある程度どうでもいいことで、しかも完全に個人的な趣味の話。

 ボウモアはよく言われるようにドライな海の香りや適度なスモーキーさといったバランスのとれた、非常においしいウイスキーだが、正直一杯目に飲んでおいしいウイスキーではないと思う。それはその味わいが、マッカランやクラガンモアに代表される華やかさや甘みやまろやかさといったわかりやすいおいしさでなく、控えめで渋い、ギターで言うなら歴史と伝統を重んじて最良の原料を手作りの真心で仕上げるステファノ・グロンドーナのような、静かな深みのある味だからかもしれない。あるいは確かに控えめではあるけれど、ある程度アルコールが回ってきて、ちょっとくらいの味の違いなら気にならないくらいに酩酊していても、口に入れた瞬間に「ああ、これはいいな」とわかるその深みからなのかもしれない。とにかく、ボウモアは一杯目に飲んで真価がわかるウイスキーではない。ビールでも日本酒でも焼酎でも何でもいいが、とにかく何杯か飲んで酔いも回った頃に、おもむろに一杯飲むのがいい。どんな酒をどれほど飲んだ後でも、ボウモアはその控えめな個性と内に秘めた深い懐でそれを口にした人間を導いてくれる。大事なのは、決して一杯目にはボウモアを選ばないということだ。

2004年10月19日火曜日

命の水

 書くことも随分たまってきたので、初の試みとしてここから時系列を遡って書いてみよう。記憶は数日も経てばもう鮮明さを失っていく。色褪せた記憶を無理に呼び起こすよりは、少しでも新鮮なものから書き留めておくことは案外悪くないんじゃないかなと思う。

 嬉野の温泉街で命の水に出会った。日帰り温泉で前日の運転疲れをほぐした後に、昼食を求めて立ち寄った店でのことだ。元々は豆腐料理がおいしい店として紹介されていたその店。昼時も過ぎたオフシーズン平日の嬉野温泉のその店は、私と彼女以外の客もなく、奥で料理を作りながら話す店主と奥さんの声が、そこから一番離れた席に座っている私のところでもよく聞こえるくらいに静かだった。料理を待っている間、お客さんからの寄書帳のようなものに目を通していたら、至る所に「命の水」という言葉が出てくることに気がついた。とろけるような豆乳仕込みの湯豆腐と、新鮮なちらしをいただいた後に、店主さんにその「命の水」のことを彼女が聞いてみる。他に客もいなかったせいもあるのだろう、店主はその水の効能について、早口で饒舌に、時に私には聞き取りづらい佐賀弁で話してくれた。店主としてはそれは料理の水として汲んで処理して使っているだけで、特別薬効を意識しているわけではないこと。でも交通事故で失明しかけた自分自身や、その水を分けた人達から糖尿やアレルギー、果ては癌までもが治ったという話が口コミで広がり、いつの間にか「命の水」と呼ばれるようになったこと。雑誌やテレビに出てから、色々と問い合わせがあるけど決して売ってはいないこと。けれども海外からも来る「命の水」を求める人達に、その水をあげると必ずと言っていい程「またほしい」と問い合わせがあること。宣伝もしたいのかもしれないが、店主は終止上機嫌にそれらのことを語ってくれた。そしてねだったわけでもないのに、私達に空きペットボトルに入れた「命の水」を分けてくれた。

 会計を済ませて店を出て、車に乗り込んで「思わぬものをもらったね」と彼女と話していたら、店から店主が外に出て来た。そして私達の車の方に歩いてくる。手には「命の水」が入ったペットボトルを一本。そして車のところまでわざわざ来て、「特別に一本ずつあげますよ」とそのペットボトルを渡してくれる。正直、その「命の水」の効能は本当のところどうだかわからないけれど、その店主の暖かな表情と、他に客がいなかったとはいえわざわざ店から出て車に乗っている私達を探してまで一本の水を届けてくれる親切さに、とてもいい気持ちになった。それだけでその500mlのペットボトルに入った「命の水」は、そう、本当に「命の水」なのだなと思えた。人の暖かみは、命あってのものだから。

 「"オマエは他に何もないんだから、この水だけでもあるならそれで人様の役に立て"と兄が言うんですよ」と店主は何度も繰り返していた。販売はしていない、一日20本しかできない、店主に直接手渡してもらわないともらえない「命の水」。少なくともそれは、命の暖かさを伝えてくれるのではないかなと、ふとそんなことを思った。

2004年10月13日水曜日

続・秋雨

 何というか、秋雨にも程があります。ここしばらく、頭上を照らす太陽をまともに見ていないような気がします。三連休中、計3回洗濯機を回して上がった洗濯物はまだ乾きません。土曜日の日に台風にやられビショビショになった靴もまだ乾きません。乾かないどことかもうカビが生えかかっていたので、今朝慌ててふきとりました。天気予報によるとどうやら明日も雨らしいです。今週はまだずっと天気は芳しくないようです。ああ、私の靴は一体いつ乾くのでしょう?

 ところで、人は一般に相手との心理的距離が遠かったり話題に困った際には、全人類共通の話題でありもっとも無難な天気の話をすることが多いという事実は周知のことと思います。ん~、何かここしばらく、天気の話しか書いてない気がするんですよね、この日記・・・。うむ、困っているのだな、俺。

2004年10月11日月曜日

Movable Type導入成功

 とりあえずMovable Typeの導入に成功しました。リビルドすると実行権限が外れるのでいちいちchmodかけなおさないといけないとか、色々細かい問題点は残っていますがとりあえず大枠はこんなものかなと。

 後はサイドバーにエッセイやら小説やらのリンクをこしらえたり、そういったユーザビリティ的な構築作業ですね。正式公開は目標10月中!頑張ります。

 ちなみに調査の結果、Movable Typeでリビルド(再構築)をかけた際、作成されるファイルに実行権限がついていないという現象はmt.cfgのHTMLPermsとHTMLUmaskという値の設定に起因するものらしいです。HTMLPermsのデフォルト値は0666、HTMLUmaskは0000で、これだと作成されるファイルのサーバ上の権限は666になるそうで。rw-rw-rw-・・・って、そりゃ実行権限ないわな。PHPって多くのサーバでは実行権限がなくても動いてしまうものらしいのですが、サーバによってはきっちり実行権限がついてないとInternal Server Error 500を返してくるので注意が必要です。リビルドで生成されるファイルの権限を変更したい場合、HTMLPermsを0777にするとサーバ上では777の権限を持って、加えてHTMLUmaskで0022を設定すると755になるそうです。ま、777だと危なっかしいから、ここは基本に忠実に755にしておきたいところですね。しかしHTMLPermsで0755って設定ではダメなんだろうか?というか、頭の0の意味は何?

2004年10月10日日曜日

MacOS XにImage::Magicを入れよう

 MacOS Xに画像加工ライブラリであるImage::Magicをインストールしてみましょう。コマンドラインからJPEG、GIFやTIFFといった形式の画像をいじれるライブラリで、画像のリサイズや減色、文字の書き込み等ができます。Webアプリケーションから画像を操作したい場合などに便利なライブラリです。詳細はhttp://www.imagemagick.org/をご参照ください。Movable Typeではファイルアップロードの際、「このイメージのサムネイルを作る」にチェックを入れた場合に、実際にサムネイルを作る際に使用されます。逆に言うと、その機能を使わないのであればなくともMovable Typeは動きます。

MacOS X用ライブラリ入手先
http://www.entropy.ch/software/macosx/welcome.html#imagemagick
1. OS 10.2用と10.3用の圧縮ファイルがおいてあるので、
   OSに合ったものをダウンロードする
2. ダウンロードしたファイルを解凍する
3. PKGファイル(インストーラ)が出てくるので、
   それを起動すれば後はインストールするボリュームを指定して
   指示通り進んでいくだけ
・・・と、上記のように割に簡単にインストールできます。

上記パッケージを入れる以外にも、どうしても最新版が使いたいということであればソースコードをhttp://www.imagemagick.org/からダウンロードしてきて自力でコンパイルすれば動作するそうです。ただしその際CodeWarrior Professionalが必要とのこと。私はその環境を持っていないのでソースコードからのビルドは試していません。
動作確認環境
MacOS 10.3.4
ImageMagick-6.0.0

2004年10月6日水曜日

あれ・・・?

 いつからついていたのだろう?部屋のエアコンがドライでつきっぱになっているのに気がついた。深夜0時を回っての帰宅のあとだ。エアコンのスイッチを入れた記憶があるのは、勢いよく降る雨の中で洗濯をして、部屋干しを余儀なくされた日曜の午後。ドライで洗濯物を乾かそうと試みたような記憶がある。

 ・・・それからつきっぱなしだったのだろうか・・・。

2004年10月3日日曜日

2004年10月2日土曜日

Jesus Crist Super Star

 半期末の久々怒濤の忙しさも、多少の余波は残るもののどうにか落ち着き、今日は一日ゆっくりと休んでいました。そしてやっと楽しみにしていたDVD、『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観ることができました。いや、9/24発売で、Amazonで買って発売日当日に手元には届いてたんですけどね、あまりに忙しくて観れませんでした。以前に劇団四季の『ジーザス・クライスト・スーパースター ~エルサレム・バージョン~』を観て以来その音楽の虜になった私は、今回のDVD化を非常に楽しみにしていたのです。

 一応説明しておくと、このミュージカルの作詞・作曲はティム・ライス&ロイド・ウェーバー。『CATS』や『オペラ座の怪人』の作者として有名なこのコンビの出世作となったもので、『ウエスト・サイド・ストーリー』、『サウンド・オブ・ミュージック』に並ぶ3大ミュージカルとして1971年の初演以来全世界で上演され続けている金字塔です。ミュージカルにロックの要素を大胆に取り入れ、"ロック・オペラ"という新たなジャンルを切り開いたという意味では2000年以後に本格的に出てきた様式美形ロックオペラはもちろん、その先駆けのクイーンなんかより遥かに時代の先を行っていたわけです。さらに面白いことにこの作品、上演より先に1969年にまず音楽アルバムの方が先にリリースされているのです(ちなみにその際のイエス役はDEEP PURPLE等での活動で名を馳せる、かのイアン・ギラン!不滅の名盤『Live in Japan』での熱唱を鑑みるに、さぞかしクレイジーなイエスだったことでしょう・・・)。そしてそのアルバムが見事に売れて、当時まだ無名だったティムとロイドの上演資金ができたというのは有名な話。上演より先にアルバムだけ出して、しかもそれが売れてしまう程音楽のクオリティが高いわけです。

 話は新約聖書、イエス・キリストが磔に処されるまでの最期の七日間をミュージカル化したというもの。といってもその視点は救世主としてのイエスではなく、人間としてのイエスであり、ユダであるのです。崇拝するイエスの教えが歪んだ形で大衆に広がっていくことや、マグダラのマリアの愛の中に無条件で沈んでいくイエスを憂い、何度も昔の理想を思い出せとイエスに問うユダ。「誰も私を理解しない」と頭を抱え、自らを待つ死の運命を悟り、その死を恐れ、闘い、「死を乗り越えるには死ぬしかないのだ」「神よ、何故あなたは私を見捨てたのですか」と叫ぶイエス。そこにいるイエスやユダは神でもその子でも救世主でも使徒ですらなく、ただ一人の人間です。実に人間として生々しいのです。理想の挫折と裏切りに苦しむユダ、救世主としての恍惚と重圧、死の苦痛を抱え込んだイエス、自分でも制御できない愛情と残酷な運命に引き裂かれるマリア、後に責められるのを恐れ、できればイエスを処刑したくないものの大衆の重圧に負けて最期には磔を命ずるピラト・・・。彼らの誰もが英雄ではありません。等身大の人間です。それがこの作品の魅力であり、初演後30年を経た今も繰り返しリバイバルされ、リメイクされていく普遍性の所以なのだと思います。劇団四季の浅利慶太氏は1973年の劇団四季版初演の際、この作品に心をひかれた理由として以下のようなことを言っています

 人類の歴史には釈迦とか、イエスとかマホメットとか、偉大な予言者達が登場してきました。実際のその人達の生の現実は、後の世の人達のイメージではとらえられぬほど、なまなましく、激しく、それ故に輝かしかったと思います。生きとし、生けるものとしての愚かしさも持っていたと思います。

~中略~

 偉大な指導者や予言者達の傍にはつねにより添うように或る人物が登場してくる。人間的で、冷静で、理知的であるが故に、魂の中の傷をかくしている人間です。この両者は光と影のような相関性を持っています。

~中略~

 この人たちは大きな役割のなかで常に謎のある生き方をしている。疑問符のつくような人生をいきているからです。したがってこの人たちは常に文学的テーマを刺激します。文学者の挑戦する対象となります。

 さてこの作品、ミュージカルから映画まで色々な団体が上演、リメイクをおこなっておりますが、解釈や見せ方が各々かなり違います。例えば舞台設定だけ見ても、私が見た劇団四季の『エルサレム・バージョン』やノーマン・ジェイソン監督の映画版は当時のエルサレムを舞台に比較的正統的なイメージで見せてきますが、同じ劇団四季でも『ジャポネスク・バージョン』になると役者全員歌舞伎調のメイクをして、和服っぽい出で立ちに竹槍なんかで立ち回ります。そして今回DVD化されたゲイル・エドワーズ監督のリメイク版では舞台は現代。イエスはチノパンだしユダはTシャツに革ジャンだし、シモンはGパンに海兵隊カット(?)のさわやかティーンズだし、もはや何でもアリです。舞台をどこのどの時代に移しても色褪せることのない普遍性がこういった形でも証明されています。

 これらの作品の中で私が知る限りでは音楽のクオリティはアンドレ・プレヴィンが音楽監督をしているノーマン・ジェイソン版が一番クオリティが高いですし(これは映像は現在絶版、サントラのみ流通中)、舞台としてよくまとまっているのは劇団四季版だと思います。今回のゲイル・エドワーズ版はユダとイエスの確執をもの凄く鮮明に打ち出していて、最後の晩餐での彼らの口論の場面やその後のゲッセマネの園でのイエスの独白の迫力は凄まじいものがありました。対して、現代的な卑俗さの強調の仕方もまた強烈で、人によってはそこが多少鼻につくかもしれません。ですが、このエドワーズ版の現代という舞台設定は作品の世界観的には実は至極妥当なようにも思います。というのは、最期のクライマックス、主題歌『スーパースター』を歌いながらユダがイエスに語りかけるように、「イエスは本当に聖書が語るような英雄だったのか」というのがこの作品の根底を流れるテーマだからです。『スーパースター』の歌詞の中で、現代に転生したユダはイエスにこう問いかけます。「もし世を救いたかったのなら、何故メディアも何も発達していないあの時代のあの場所を選んだのですか?この現代ならメディアも発達しているし、あなた程のカリスマ性があれば世界を手中にすることもできたでしょうに」と。この辺りが初演時に「冒涜だ」とあらゆる宗派から直接会場前で抗議のデモを受けたというところにもつながってくるわけですが、まさにそこがこの作品の価値でもあります。「どんな英雄でも、結局はただの人間だったんですよね」と問いかけ、またその人間という側面を浮き彫りにすることによって生というものの再認識を図る。それがこの作品なのだと思います。そしてジェイソン版は『スーパースター』の問いかけに対する一つの答えという形で提示されたものではないでしょうか。もし、イエスが生きた時代が現代だったら。彼は、聖書とは違った生を送ったのでしょうか。

 最期に、この作品の魅力溢れる音楽達について。ミュージカルにロックの要素を取り入れて"ロック・オペラ"という(今じゃ割に普通に耳にするけど)1970年当時前代未聞の領域を切り開いたこの作品。正直、あれはロックの範疇超え過ぎです(爆)。いや、やりすぎなんですよ。ロックというには複雑すぎるんです。1980年代に入ってDream Theaterが出てきてからはああいった転調や変拍子がガンガン出てくるロックも一般的になってきましたが・・・。ああ、でも1969年には『LED ZEPPELIN 2』は出てるから、その意味ではギリギリ普通に前衛的なだけとも言えるのか・・・。でも普通にディストーションかかったエレキギターが七拍子でギンギンにリフ刻み続ける曲とかあるしな(爆)。まぁその時代的是非はともかくとして、その『The Temple』という曲は個人的には前半最大のハイライトの一つだと思います。イエスの宮殿に突然現れた盗賊商。卑俗な欲望が渦巻くその光景を見て激怒したイエスが怒髪天の勢いで全員を叩き出し、一人嘆きます。そこに嘆く暇もなく一人、また一人と「病を治してくれ」「人生を変えてくれ」とイエスの口づけを求め群がってくる人々。盗賊商のマーケットの賑わいを表すギターのリフレインからイエスの苦悩の独唱、そしてその苦悩を突き破り、一人、また一人と救いを求めるものが現れる度に最初のギターリフがアッチェランドをかけて戻ってきて、最期にはイエスを飲み込んでいくドラマチックでスリリングな展開が素晴らしい名曲・名場面です。そしてその後に続く有名なマリアの独唱『I Don't Know How To Love Him』も美しい曲ですし、高価な香油を塗ってイエスを休ませようとするマリアに、もっと民のことを考えろと怒りをあらわにするユダ、その二人にイエスも混ぜた三人の駆け引きが見事な『Everything's Allright』も個人的には好きな曲です。そして後半の始め、これまでの日々を歌う使徒達の合唱から入る『最後の晩餐』は、「そのワインは私の血、そのパンは私の肉」と歌い、最期の時が近づいていると告げる悲嘆のイエスと、「どうしてこんなことになってしまったんだ」と思いのたけをぶちまけるユダ、その裏で続く使徒の合唱、それらの組み合わせがとてつもない緊張感と美しさを持つ曲です。これと続く『ゲッセマネ』は今回のDVDのものが一番いいですね。感情の吐露が非常に生々しくていい。そして誰もが一度は聴いたことがあるであろう主題歌『スーパースター』。他にも魅力ある音楽達を聴いているだけで舞台が終わってしまうような名曲ばかりです。

 相当な勢いで長くなってしまいましたが、この『ジーザス・クライスト・スーパースター』、素晴らしい作品ですので機会がありましたら是非触れてみてください。ちなみに、新約聖書のあらすじくらいは知っておいた方がより一層楽しめると思います。熱心党とかペテロの否認とか。

2004年9月29日水曜日

哲学的に考える

 哲学的にものを考えるというのは案外難しい。最後は言葉の持つ限界やアンチテーゼとの駆け引きになってきてしまう。例えば「結論を出すことは思考を停止することと等しい」と言って安易な結論を批判しようとする場合、既にその結論を出した時点で批判する側の思考が停止していることになるわけだ。思考停止を批判しようとしたら自分の思考も止まっているという矛盾が出てくるわけです。まぁ、いいんだけど。

2004年9月28日火曜日

見えない終わりと月と飛行機

 久々に心が折れそうな程忙しいここ二、三週間。半期末とはいえ、仕事が一時に集中し過ぎです。徹夜とかはほとんどないのですが、これがなかなか希望が見えない。終わりが見えないということは、とんでもなく人の心を消耗させるものです。それは何も仕事だけのことではなく、私生活においても同じことが言えるのではないかなと思うわけです。初めてでいつ着くのかわからない道とか、前にも後ろにも行けない大渋滞とか、他にも具体的なところから抽象的なもの、物質的なものから形而上のものまでとかく色々と。

 とりあえず、飛行機の窓から月を眺めてみました。地上では曇っている夜空も、飛行機が離陸して雲の上に出てしまえばまるで関係ありません。あと一歩で真ん丸になる満月が、波打つ白い静かな光で迎えてくれます。飛行機の窓はやはりぶ厚くて、ジェットエンジンはやはりやかましすぎて、ひんやりと冷たい優しさの光も、近くの音をすべて持ち去ってしまって、ここではない遥か遠いどこかで響かせるような不思議な静けさも、まるで伝えてはくれなかったけれど。何となく思ったことだけど、月の光が醸す空気と、降り積もる雪が運ぶ空気は、芯のところがよく似ている気がするのです。だから何だと言われても答えられないのだけれど。

2004年9月21日火曜日

イマイチな連休の終わり

 「仕事なんてやってる場合じゃねーんだよ!」とか言いながら、自宅で会社の備品であるIBMのX40(小さいノート型Think Padシリーズ)に向かってカリカリと受入テスト仕様書を書いていたりした今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。こちらは三日なんて時はすぐに無為に過ぎ去ってしまうものなのだなと痛感しております・・・。ん~、結局新BBSも完成はしなかったし、本もあまり読めなかったしギターも弾けなかったし仕事も終わらなかったのです。「クソ、時間の使い方悪かったかな?」等と反省しつつ、明日からまた出勤なわけです。さてさて、参りますか・・・。

2004年9月20日月曜日

道、まだ途中

 あーあ、新しいBBSなかなかできあがらーねーなー・・・。こんちくしょう(諸々の理由で新HP用のBBS作成が思ったより難航しているようだ)。

2004年9月15日水曜日

道徳の諸条件

 あまり立て続けに重い話を書くつもりもなかったのだが、たまたま目についたので書くことにする。朝、通勤電車の中で読んでいた本の中で以下のような文章が出てきた。「どうして人を殺してはいけないのか」という問いに対するニーチェの答えという文脈だ。

 この問いに不穏さを感じ取らずに、単純素朴に、そして理にのみ忠実に、答える方途を考えてみよう。相互性の原理に訴える途しかない。きみ自身やきみの愛する人が殺される場合を考えてみるべきだ。それが嫌なら、自分が殺す場合も同じではないか、と。

 ~中略~

 二つの応答の可能性が考えられる。一つは「私には愛する人などいないし、自分自身もいつ死んでもかまわないと思っている」という応答である。この応答に強い説得力があるのは、自分がいつ死んでもよいと思っている者に対して、いかなる倫理も無力であることを、それが教えてくれるからである。何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませることなのである。生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は空しい。

『これがニーチェだ』永井 均 著;講談社現代新書

 「生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は空しい」。今更のようだが、なるほどと納得した。増加傾向にある理不尽な殺人等のいわゆる凶悪犯罪の理由がわかった気がした。結局、今の生に可能性が見出せず、絶望の虚無の中にはまりこんでしまっているから、彼らの中に倫理や道徳といったものの根拠が存在しないわけだ。バブル崩壊以後ビッグなアメリカンドリームどころか、一生懸命勉強して一流大学に入って一流企業に就職して終身雇用で安定した一生をというジャパニーズドリームすら崩れてしまい、没個性の嘆きと相克するようにコマーシャリズムに乗った複製可能な個性が蔓延する昨今。大部分の大人には人生の希望なんてものは見つけることすら難しく、それを見る若者にはなおさらそれは難しく。浮遊する生は、意味や希望や可能性というものを失っている。村上龍は『希望の国のエクソダス』の中でこう言った。「この国にはすべてがある。ただ、希望だけがない」、と。言い得て妙である。希望をなくしたこの国は、同時に倫理の根拠をもなくしている。若年層に凶悪犯罪が増えるのも納得である。

 朝からそんなことを考えていたら、奇しくも今日、付属池田小事件の犯人、宅間死刑囚の死刑が執行されたというニュースが入った。何の前触れもなく突然小学校に乱入し、児童8人を殺害、15人に重軽傷を負わせたこの事件を最初に知ったのは、平日は大抵そうなのだが、仕事中にインターネットニュースでだった。日本も酷いところになったもんだと、月並な感想を抱いた。日本は戦場じゃない。激しい民族や宗教の対立で日々死傷者が出ているわけでもない。言ってしまえば、"死"というもの、特に意図的な暴力による"死"というものから可能な限り無菌培養的に切り離された日常世界を構築しているのが日本という国だ。それを平和だと言うのならそうなのかもしれない。その平和を切り裂いたこの事件は、言うなれば"死"から切り離された日常という、この国の前提を覆すインパクトがあった。宅間死刑囚は裁判中も反省の色をまったく見せず、あまつさえ遺族への誹謗中傷すらしたという。そして今日、遺族が「せめて」と望んでいた謝罪の言葉さえも、彼は墓の中へ一緒に持っていってしまった。「どうせ死刑になるなら早く殺してくれ」と言い放ち、三ヶ月以内の執行を希望する宅間死刑囚。「自分がいつ死んでもよいと思っている者に対して、いかなる倫理も無力」だという事実を、嫌という程納得させてくれた。もしこの先もずっと、この国には希望がないとしたら、たとえ他のすべてがあったとしても、やはりこういった犯罪は増えていくのだろう。そしてそれが尚更、またこの国から希望を消していくのだ。

 自分の生を肯定できない人間は、心の内に倫理や道徳の根拠を持たない。生を肯定できること、つまりは希望の復権ということが、そういう意味で大事なのだろう。なかなか、道は険しそうだ。

2004年9月13日月曜日

ビジネスという名の宗教

 改めて、今日は軽く触れるだけに止めようと思うのだが、ビジネス、ひいては資本主義というのはやはり、ある種の宗教のようなものだと思う。それはいい意味でも悪い意味でも。結局、思想とはそういうものだからだ。それはこの現実世界における救いになるかもしれない。そしてもしかしたら、精神すら救えるかもしれない。だが、逆もまた然り。意外と意識していない人は多いようだが、ビジネスやら広い意味での資本主義とやらは、今や完全に現代最大の宗教になった。

 ある程度以上ビジネスに一生懸命な人というのはそのビジネスというプロセスそのものにあまり疑問を差し挟まない。それは仕事のやり方とか何とかいうのでなく、キャリアプランだとか仕事の美学だとか、コスト意識だとか何だとか。なるほど、常識だ。少なくともビジネスをやる以上、企業内でやっていくにしろ独立独歩でやっていくにしろ、当然考えなければやっていけないことだ。キャリアプラン、結構だ。最終的にコンサルがやりたいから今の仕事からもっと上流設計の方へシフトしないといけない、そのために必要な知識やスキルは・・・、とか考えながらセミナーを受講したり本を読んだり、普段の仕事を意識したりする。結構なことだ。費用対効果、一時間の作業でいくら、その他諸々積み上がっていくコストに対するメタ認識、それがコスト意識と呼ばれるもの。結構なことだ。

 だが、たまに不思議に思うことがある。もっと言えば、気持ち悪くなることすらある。何というか、ビジネスの世界でそういったことを意識してよくできている人であればある程、逆にビジネスの世界に捕われている気がする。ビジネスという舞台の外に視点を外すことができなくなっているような気がする。ビジネスの世界でキャリアプランを立てるのは理解できても、その外に踏み出すことは理解できない。うまく言えないのだが、金を儲けるのが当たり前、出世するのが当たり前、様々な経験や知性や感性はビジネスにつなげることが当たり前、ビジネスの世界のできる人は、どうもその段階で思考停止しているようにも思える。別にビジネスにならない要素をそのビジネスのすぐ隣で肩も触れ合わんばかりの場所で無関係にやっていてもいいだろうと、私なんかは思うのだが、どうもそういった辺りがビジネスに熱心な人にはわからないようだ。勿体ないとか何とかよく言われる。下手すればもっとこれこれこうしてこういうふうにすればビジネスにもなるのに、とかすら言われる。どうも彼らにとってはビジネスとは全てが最終的につながっていく絶対概念らしい。そしてその中で彼らはアイデンティティを確立するなり何なりして、生きることの業を消化していく。その辺りが、ビジネスは宗教だと私が感じる所以である。どちらも絶対的な真理を置くことで、それに対する信仰を置くことで、精神の救済を得ている。別に悪いことだとは言わない。少なくともビジネスという宗教はそれを精進することによって現実的に、実際的に豊かになれる。ビジネスという信仰は、またきっと心さえも豊かにできるだろう。キルケゴールのいうところの、孤独と絶望のうちに見いだす可能性というものがビジネスというものであり、それが可能性の最大級である信仰のレベルにまで至るのならば、それはそれで結構なことだ。きっと充実した人生を送れるだろうし、その弊害もほとんどない。ごく一部の人間に対してを除いては。

 ビジネスにせよ何にせよ、信仰というものの弊害は(それが実害があるにせよないにせよ)世界の固定化という面にある。要は「まずそれありき」の世界になってしまうのだ。まず「ビジネスありき」だったり「神ありき」だったりするわけだ。自然、視点も狭まるし、その固定化された世界の中でその人の常識が決まる。例えばビジネス畑の人の常識というのは、アカデミックな研究者や、そこまで行かずとも学校教員の人達から見れば、まぁおかしいとは言わないまでも多かれ少なかれ奇妙なはずで、それはまた逆も然り。でも世界が完全に固定されている人は下手したらそれにまったく気がつかない。研究はビジネスに活かされてなんぼだし、教育は将来ビジネスの役に立つものであるべきだ、となる。まぁそこまで直接的で短絡的ではないにしても。何にせよ、一つの世界に固まってしまうと他の世界の立場に立つのが難しくなるし、いくつかの世界を見比べてみることなどそもそも発想の前提から消えてしまう。だから、そのような理由でビジネスが好きになれない。宗教が好きになれないのと同じように。私は私で仕事には誇りを持っているし、美学も持っているし、収入も悪くはないし、不遜ながらお客さんのウケもいいし、社内での立場も定まってきている。別に何が悪いということはないのだけれども、ただ気持ち悪い。何の疑問もなく、目を輝かせてビジネスの中にいることに、何か違和感がある。気付かない内に、ビジネスの中でその視点に絡めとられているのではないだろうか、その世界の中だけの常識に固まってしまっているのではないだろうか、そんな恐怖がある。ビジネスという宗教は、資本主義優勢のこの時勢の基本活動だけに知らないうちにはまることも多い。決してそれが正義というわけでも真理というわけでもないのだけれど(真理という問題は語りだすと哲学的なスコラ議論にはまりがちだから避けるとしても)。

 ビジネスという言葉をLONGMAN現代英英辞典(4訂新版)でひくと、第一義として以下のように解説されている。

BUYING OR SELLING GOODS OR SERVICES - the activity of making mony by producing or buying and selling goods, or providing services.

 一言で要約すると、ビジネスとはお金を稼ぐことであると、そうなる。人生に可能性を見出し、価値を定めていく究極の形が信仰であるならば、資本主義社会においてこれを超える宗教は原理上ありえない。乱暴に言ってしまえば、資本主義における価値とはイコール金銭だ。最も単純に考えれば、最も金を持っている人間が最も価値のある人間だ。単純論理で行けばそうなる。ならまさにビジネスとは価値を生み出す信仰だということになる。ビジネスの成功者が、あるいはこれから成功してやろうという人が、ビジネスを絶対正義のように語り、すべてをそれにつなげようとするもの無理はない。ビジネスというのは絶望のうちの可能性という純粋に宗教的な信仰と、資本主義における価値、どちらも必要充分に満たせる概念だからだ。資本主義社会のシステムに組み込まれたその活動は、時にその過熱や異常性をも当事者達から見えにくくする。価値を生み出すことが悪いはずはないから。

 ・・・時には、前提を疑ってもいい。

2004年9月12日日曜日

ビジネスという名の宗教、書きかけ

 「今日は軽く触れるだけに止めようと思うのだが、ビジネス、ひいては資本主義というのはやはり、ある種の宗教のようなものだと思う。それはいい意味でも悪い意味でも。」


 ・・・と、昨日ここまで書いて、途中でそのまま眠ってしまった。もちろんここで終わるはずもなく、久しぶりの(?)長編日記になる予定だったものだ。どうやら、疲れているらしい。今週は確かに夜も遅かったし徹夜もあったけれど。今日は一日中眠っていた。昼の12時半まで寝て、飯を食べて読みかけの本を30分くらいで読み切ってから、またさらに夕方6時過ぎまで寝ていた。たまっていた食器を洗って買い出しに出る頃にはもう日が暮れて真っ暗になっている。どうやら疲れていたようだ。

 こうして、休みの一日がまた過ぎていく。

2004年9月7日火曜日

machkic、結婚

 去る9月5日、我らがmachakicの結婚式がありました。元王子に続き、同回のクラギタからは二人目の結婚です。お相手は彼が今住んでいる福島の方で、友人を通じて知り合ったそう。まったくもっていつの間にという感じですが、6月くらいに突然入った電撃的な知らせに相当驚かされたのは、新郎友人として参加した五人全員に共通する体験だったようです。本人も言ってるけどホント急だった(笑)。

 式が日曜の朝から大阪でだったので私は前日夕方から京都に入り、エース893(今回クラギタから参加したのは俺とエースの二人)と共にジャズバーBUTTER CUPでウィスキーを控えめにしこたま飲んで、俺はたっちーの家に泊めてもらっての参加でした。余談ですがエースと待ち合わせたJEUGIAの3Fで、俺はどうもぎぃ助の代のちーちゃんとニアミスしていたような気がしてならないのです。「あれはちーちゃんだろう」という確信を70%にまで高めつつも、結局声はかけずじまい。ぎぃ助よ、4日の夜7時過ぎくらいに彼女がJEUGIAにいたか確認するのだ!?

 式の方はチャペルで挙式、そして披露宴という流れ。チャペルで式を挙げた後、新婦の手を取りチャペルを後にしていく時の、緊張からの足取りの早さが印象的でした。いや、普通もっとゆっくり歩くから!フラワーシャワーはスポーツ刈りをキンキンに固めた頭髪に刺さってるし(爆)。ともあれ披露宴の随所で流れるBGMの選曲は、HR/HMをこよなく愛する彼らしくてよかったです。クイーンの『I was born to love you』とか、うまいこと使ってましたね。さすが元HR/HM系番組のラジオAD。ストラトバリウスの大阪公演の後、共にとあるロックバーの前で飲みに来るメンバーを待ち伏せて、ティモ・トルキやティモ・コティペルトからサインをもらったあの日が懐かしい。これまでの人生を俯瞰する恒例のスライドショーでも、途中にしっかりフェア・ウォーニングのメンバーと一緒に撮った写真使ってるし。ウレ・リトゲンやヘルゲ・エンゲルケと写った写真なんぞ普通披露宴で使わん(爆)。他にもキャンドル・サービスは普通のキャンドルじゃなくて、テーブルの上の燭台に二人が水(のようなもの)を注ぐと幻想的に光るというものだったり、ウェディングケーキの中には当たりのお菓子が入っていたり、色々と趣向に富んだ披露宴でした。思わぬ懐かしい友人・知人との再会もあり、なかなか楽しかったです。

 machakicも結婚直前は公私ともに色々あり非常に大変で、叶わなかった望みもまたあるようですが、でもきっと、彼ら二人にとってもいい結婚式だったんじゃないかなと思います。彼らしい暖かい空気でした。余計な言葉は無粋でしょう。おめでとうございます。噂の強面上司が仰っていた「幸せは自分の心が決める」という言葉の通り、是非、幸せに。

2004年9月2日木曜日

時を積み上げるウイスキーのように

 ウィスキーは生まれたばかりの時はまだ無色透明な液体で、当然味も香りもまだまだで。それが樽の中で5年、10年、15年・・・、と時を経て、潮風に吹かれながら、樽や潮風や水や空気の色や味わいや香りなんかを色々もらいながら、僕らが目にする黄金色の美しい姿になっていく。置かれる場所やら樽の木の種類やら、色々な要因が絡まって、最後に出てくる時はそれぞれ違った個性を持って。それは例えば爽やかで上品な、花や和三盆のような柔らかい香りと味、スーッとゆっくり四方に広がりながら消えていく後味のクラガンモア12年だったり、もっとトロンとしたわかりやすい蜜のような甘さと香りを持ち、舌を丸く包み込むように広がる後味のバルヴェニー12年ダブルウッドだったり、強烈な潮風の香りと、ドライで塩からく飲んだ瞬間クーッと一気に爆発するような味わいを持つタリスカー10年だったり。大雑把に言えば皆麦からできた蒸留酒には違いないけれど、生まれや10年以上の環境が、それぞれをこんなに際立った個性に変える。それは美しい時の魔法。

 人間もこのウィスキーのように美しく時を重ねていくことができるだろうか。そんなことを考える。ウィスキーの熟成は一年で人間でいうところの三年分の時間だという。非常に優秀なものは8年とかでも世に出るが、大抵は12年から15年、少し早めでも10年がウィスキーが生まれてから世に出るまで熟成を続ける時間だ。人間でいうなら30才~45才。ということは27才なんてまだ、世に問う程は熟成なんてされてないということ。例え多少は自信があったとしても。熟成されたという気持ちを自分で持ってしまうのが一番危ない。一つの戒めとして、特にお気に入りのクラガンモアの12年を一口含む。まだまだここまでの爽やかさと華やかさ、心地よい広がりを自分が身につけているなんて到底言えない。クラガンモアは正規の長期熟成ものは別格の29年ものくらいしかないし、それを飲んだことはないけれど、況んやその深みをや。時は流れる、区切られるのでなく。時は積み上がる、流れるのでなく。

2004年8月30日月曜日

鈍い頭痛と夏の雨

 久しぶりに一日降り続いた雨。窓から入る冷たい空気を半袖のTシャツからむき出しの腕で感じて、鈍い痛みを抱えた後頭部を枕に乗せて気だるく眠り続ける。暑さに乾いた空気には、冷たい雨の湿気が新鮮に思える。鬱蒼と茂る木々の葉を、風が擦り合わせ雨が打つ。ただ眠る。鈍い痛みを頭に抱えて。その音を聞きながら。

2004年8月28日土曜日

とある客先にて

 今日は午後からずっと同じお客さんのところで作業&打ち合わせだったのでした。約五時間の作業が終わり、そのまま立て続けに3つほど打ち合わせをこなしていくと、気付けば時間は21時半。今日の仕事も一通りこなし、「このまま直帰だな」と資料を片付けていると、今日はお話をしていなかった先方の担当の人(ここのお客さんでは色々仕事をさせてもらっているので、各プロジェクトごとに合わせて10人以上面識のある担当がいる)が何やら湯呑みとワインボトルを持って入ってきます。そしてどこからかコルク抜きを持ってきて、勢いよくポーンと開けてしまいました。芳醇な赤ワインの香りがオフィスに広がります。そしてそのまま湯呑みにコッコッコッ・・・と注いで、スッと私の方に差し出しました。

 「どうぞ」
 「・・・?」

 一瞬、よくわかりませんでした(爆)。夜とはいえ、いきなりオフィスで赤ワイン出るか!? ってゆーか何故オフィスにコルク抜きが常備されてるんだ!? ツッコミどころは満載ですが、とりあえず私はしばし談笑しながらその赤ワインをいただき、そのまま帰路につきました。いや~、赤ワインで労をねぎらってくれるのは嬉しいんすけどね、・・・空きっ腹には効きました(苦笑)。

2004年8月25日水曜日

日記のジレンマ

 実はこの日記というのは数日ブランクを空けると意外と次を書くのが難しい。それには色々理由もあるのだが、やはり大きな要因は書くことがたくさんたまってしまうということ。そしてその中で誰かが「これを日記に書くだろう」と期待している出来事があったりすると、さらに話がややこしくなる。当然それを書くのもまた一つの選択肢だが、他にも書きたいことがあったりするから、さて何から書いていこうかと、いつも思い悩むことになる。

 この日記も多少なりとも人の目にさらされる以上、その「誰か」の目というのを多かれ少なかれ意識してしまう。それが問題だ。たまに、書きたいことを書けなかったりもする。今回も、書くための雑多な選択肢の中から、様々な要素を葛藤させた上で、結局それらの中のどれかには決められずにこんなどうしようもないクダをまく羽目になっている。おまけに「いつか書く」と日記で明言したものは二度と書くことはないという変なジンクスまでこの日記にはある。思うに、日記というのも仕事と同じで何よりもまずためないことが第一だ。そうすればこんな悩みは、なくなりはしないだろうが、それでも随分少なくはなるだろう。

 こんな仮想空間の隅におていも、本当に自由な場というのは案外ないものだ、今更ながら。気にするなと、そう言ってしまえばそれまでなのだけれど。

2004年8月21日土曜日

アテネオリンピック - 女子バレー

 ん~、どうも日本女子バレー、元気ないですねぇ。ホームでの激烈な応援はないから多少はノリも悪くなりはするでしょうが、にしても皆アテネ最終予選の時と比べて動きに思い切りがなさすぎです。特に高橋選手。どうしちゃったのでしょうか?なんか、一番若い18才になりたての木村選手が一番落ち着いていいプレイしてる気がする。彼女が入ってからレシーブ凄くよくなったもんなぁ。まぁまぁ若い人間が多いチームですから、精神的な波が大きいのはわかります。・・・でももうちょっと頑張ってほしいなぁ。ほとんど唯一オリンピックで楽しみに観戦してる種目なんだから。あ、卓球もよかったですね。他の人が感動したって言う体操やアーチェリーに限ってみてなかったりしますが。

2004年8月19日木曜日

空飛ぶブランコ - 夢の話

 久しぶりに印象に残る夢を見ました。ブランコの夢です。よく公園や神社にあるような、四人乗りのカゴ状の、観覧車のブースが骨組みだけになったようなあのブランコの夢です。


 私はそのブランコに数人で乗り込みました。他に誰が一緒だったかはわからないのですが、とにかく弟は一緒でした。そしてその弟が私を含め数人を乗せたブランコをこぎ始めます。昔家の近くの神社のブランコでよくやったような、背もたれの上に立って天井の支点となる軸棒をつかんで両足の脚力で勢いよくこぐ立ちこぎです。ブランコは一気に加速していき、乗っている私達は楽しそうにはしゃぎます。ブランコが大きく揺れ、グオンと頂点まで駆け上がって一瞬フワッと静止し、次の瞬間にはまた逆の頂点に向けて振り戻っていく。何回も、何回も繰り返しました。その内、ブランコが勢いにまかせて、それまでの頂点より上まで駆け上がっていきます。そして次はまたその上へ。大きなブランコが振れる度、その頂点は上へ上へと上がっていき、ブランコは次第に空高く上っていきます。グオン、グオンと振れながら。

 気付くとそのブランコは完全に空高く舞い上がっていて、学校のグランドの遥か上まで来ていました。グランドの人が小さく見えます。建物でいったら少なくとも10数階はあろう高さで、いつの間にか私は一人乗りのブランコにしがみついて空中を振り子のように大きく大きく行ったり来たりしています。他の人たちはいつの間にか皆地上に降りてしまい、私だけがアルプスの少女ハイジのような天から吊られたブランコにつかまり、物凄いスピードで行ったり来たりを繰り返しているのです。それはもう恐怖でした。風を切って空中を大きく前に振られたかと思うと、一瞬の静止の後今度は背後に引っ張り込まれる。夢の中でのその体験は、夢の中の私に以前見たジェットコースターの夢を思い出させました。地獄のジェットコースター、乗るのは地獄に堕ちた罪人達で、ディズニーランドのように長蛇の列で人が並んでいるのを、大きな赤鬼が逃げ出さないように睨みをきかせていたあの夢です。いざジェットコースターに乗ってみると、くるりと一回転して水平走行に戻るところで、ちょうど首の高さにギロチンの刃がセットされていて、そこを通過する度にジェットコースターに乗っている人達の首が空中に飛んでいくというギロチンコースター。今回の夢の中でその夢を思い出しました。その時と違うのは、恐怖に怯えながら空中を揺られているのは私一人だけだということ。地上にいる他の人達は至極楽しそうに嬉しそうに、空中を行き来する私に向かって微笑み、声をかけ、手を振っているのです。振り落とされそうな恐怖でしっかり一人乗りの小さなブランコにしがみついて、何度も大きく揺られながら少しずつゆっくり地上に降りていく私を、彼らはまるで英雄でも迎えるかのように待ち構えています。ブランコは人の顔がしっかり判別できるような高さまで時間をかけて降りていき、そこで夢の記憶は途絶えています。最後、私は笑顔で迎える人達の間に、どのような表情で、どのような態度で降り立っていったのでしょうか。

 例のギロチンコースターの夢を見たのは高校三年(浪人だったか?)の2月くらい、後戻りの効かない受験戦争の最中でした。では、このブランコの夢は?どちらも暗示しているものの共通項は多いです。自分で行き先・コースの制御のできない、体感速度の非常に速い乗り物。まったく、ロクな夢を見ません。

 ところで、どこかで他人の夢の話というのはあらゆる話の中でいちばんつまらないものらしいというような言葉を聞いたことがあります。この話も、やはり皆さんにとってはつまらないものだったのでしょうか。

2004年8月17日火曜日

帰省あがり

 既に昨日のことではありますが、無事帰省から帰ってまいりました。今回は全国ニュースのトップを飾ったばかりの我が地元、話を聞くにやはり色々大変だったようです。そこで我々は堤防が決壊した五十嵐川にちなんで、三条市内に蔵を構える地酒『五十嵐川』を相手に「水害にリベンジ!五十嵐川を飲み干せキャンペーン!」を実施しておりました。その中で飲み干せたヤツ、二度目の水害に遭ったヤツ(爆)、まぁなかなか様々でしたが、今回も楽しんで帰ってきましたよ。色々と考えることもあったのですがそれはまた今度。今はHPリニューアルに向けて作業中なので、仕事終わってから家でシコシコ新しいページ作ってるとすぐに時間が飛んでいくのです。寝不足でぼーっとした頭で仕事してるわけにもいきませんしね。今月一杯くらい更新頻度が下がるかもわかりませんが、HPがリニューアルするまで見捨てないでください・・・。

2004年8月12日木曜日

MacOS X + Ruby + MySQL

 サイトリニューアルに伴い、新サイトで使うプログラムを作る環境を整えようと今日の夕方から格闘していました。RubyとMySQLが新しいSakuraのサーバでは使えるので(とはいえ見た感じMySQLはPHPからは使えるけどもしかしてRubyから使えない?入れろよ、ライブラリ!)、その開発環境を私のMacに構築しようというわけです。

 ソースコードからビルドかければ大抵何でも動いてしまうのがUNIXベースのMacOS Xのいいところ。RubyをバージョンアップしてMySQLをmakeして入れて、RubyのMySQLへの接続用ライブラリもmakeして入れて動作確認。ここまでは順調でした。ところが一番手慣れた部分であるはずのApacheでCGIの設定をする辺りがかなりMac節っつーか独特なところがあり、そこでハマって時間を喰ってしまいました・・・。あ~、やっと動いたよ、俺のMacでRuby+MySQLのCGI・・・。もっと簡単に動くと思っていたのですが、まだまだ私は未熟者のようです。

 今日の教訓:設定より先にコードを疑え!

 そうそう、明日から私は新潟に帰省いたします。MacとWindows、ノートPCを二台抱えての(爆)、無茶な帰省となりますが、ともあれまずは明日結構早い新幹線に寝坊して乗り遅れないことを祈るのです。あー、起きれっかなー・・・(現在午前1時半)。

2004年8月9日月曜日

引越予告

 突然ですが、お知らせがあります。このsakuraのサーバで公開以来六年超、この雑記帳はURLを変えずにここまでやってきました。が、この度現在利用中のサービスがsakuraでサービス終了になるのを期に、引っ越しを行うこととなります。このHPは2005年7月31日まで有効ですが、その後は新しい転居先での運営になります。URLが変わるだけで、このHPの運営をやめてしまうわけではございません。既に新しいURLは決まっているのですが、まだ準備ができていないため、準備ができ次第皆様に改めてご連絡を差し上げたいと思います。これからもこの雑記帳をよろしくお願いいたします。

2004年8月8日日曜日

一人ウイスキーテイスティング大会

 ふと家にウィスキーが結構あることに気がつきました。以前からの飲み残しのバランタイン12年ゴールドシールにジョニーウォーカー(黒)、ジョニ黒を買った時にオマケで付いてきたタリスカー10年のミニチュアボトル、先日買ってきたクラガンモア12年、そのクラガンモアに付いてきたダルウィニー15年のミニチュアボトル、そしてバルヴェニー12年ダブルウッド、おまけに旅先で突然ウィスキーが飲みたい衝動に駆られ、コンビニで買ってきたブラックニッカ。・・・結構あるのです。置き場所にも困ってきたので、飲み残しとかはもうこの際一気に干してしまおうと思った時に、いいことを思いつきました。どうせ飲むんだったら種類が一杯あるうちに色々飲み比べてみたらいいんじゃないか、そう思いついたのです。

 冷静にラインナップを眺めてみると、ブレンデッド・スコッチが2銘柄、スペイサイド・モルトが2銘柄、ハイランド・モルトとアイランズ・モルトがそれぞれ1銘柄、ジャパニーズ・ブレンデッドが1銘柄、結構飲み比べがいのあるバリエーションが揃っています。「これでラフロイグやラガーブーリンみたいなアイラ・モルトがあったら最高なんだが」という贅沢は置いておいて、今あるこのラインナップでも十分飲み比べがいがあります。ので、今日は思い切って一人ウィスキーテイスティング大会を開くことにしました。早めに晩ご飯を食べて、つまみにクリームチーズとチョコレートを買ってきて、冷蔵庫のミネラルウォーターを500mlのペットボトルに詰め替えてそれを室内に放置して常温になったら、さぁ準備完了です。

 意外と思う人もいるかと思いますが、ウィスキーのテイスティングは実はストレートでは行いません。ロックや冷たい水割りにもしません。常温のストレートに、ほんの少し常温の水を加えてテイスティングを行います。これはストレートよりも少し水を加えた方がウィスキーの香りが開くためで、冷やさずに常温でというのも同じ理由です。ウィスキーに限らずどんなものでも、香りというのは冷やすと引っ込んでしまうものなのです。だから本当に上質のシャンパンとかは決して冷蔵庫でキンキンに冷やしたりしません。それと同じです。後はウィスキーの足を見て、香りを楽しんで・・・、と、お決まりの手順でさぁ楽しみましょう。何しろ私もこれまでウィスキーは好んで飲んでいたとはいえ、特別にポリシーがあって飲んでいたわけでもなく詳しく調べたわけでもなく、通でもなんでもないのでこれ以上テイスティングの説明などできません。ここまでの知識も以前一度参加したテイスティングイベントで仕入れたもので、それ以上でも以下でもありません。最近はウィスキーをもっと深く楽しもうと思い始めたもので、これから通になってやろうというわけです。少しネットで調べて勉強してみたのですが、ん~ウィスキーって奥が深いです。今はとりあえず、己の感じるままにウィスキーを楽しんでみたいと思います。

2004年8月6日金曜日

徹夜、久しぶりに

 久しぶりに徹夜をした。始発で帰ってシャワーを浴びて二時間くらい寝て、フレックス一杯の10時に間に合うよう出社する。そして午後からの納品作業の準備をして、立ち食いソバであたふたと昼食を取り客先に出かける。夕方に会社に戻って、急遽来訪することになったお客様と打ち合わせをして、その後作業報告や技術レポートをまとめて、やっと22時過ぎに会社を出る。何と言うか、久しぶりにあたふたするくらい忙しかったが、改めてやってみるとやはりこういう生活はとても疲れる。とりあえずまず肉体的に。眠い。

2004年8月2日月曜日

もらいものや借りもので

 いつものジョニー・ウォーカーを飲もうと思ったけれど、生憎ちょうど切らしていたので、随分前に友人からお土産でもらったアイリッシュ・ウイスキー『BUSHMILLS』を開けてみた。比較的薄い、明るい琥珀色のシングルモルト。これも同じくお土産でもらった真夜中のお菓子『うなぎパイ』を食べながら、新しく日吉にオープンしたツタヤで借りてきたバド・パウエルのCDを聴いて一人夜を過ごす日曜日。アイリッシュ・ウイスキーにうなぎパイにバド・パウエル。そんな時間も悪くない。少しずつ色々なものを色々な人からもらったり借りたりして今のこの時間はあるわけで、その人達は今どうしてるのかと思いを馳せてみたりもする。一人はきっと、確実に、寝てるんだろうな。

2004年7月31日土曜日

・・・おや?

 ・・・大家がこねぇっっっっっっっ!!!!!!!!!!!

 ・・・代わりにパンダが来やがった!!!!!!!!!!!!!!

2004年7月27日火曜日

月夜の塔

 東急文化会館が潰れて建物が取り壊されてから、渋谷駅東口の東横線へ向かうアーケードの手前から、セルリアンタワーの上半身が何にも遮られる事なく見えるようになった。西新宿と違って案外高い建物の少ない渋谷では、32階建てのクロスタワーもその奥に控える六本木ヒルズも視界に入らないあの角度では、40階+ヘリポートというあの建物は周囲を遥かに抜きん出て、超然とそびえ立っているように見える。夜の闇の中、自身によるライトアップで体に薄い雲をまとい幽玄と浮かび上がる孤独な塔。背後に大きな半月を従えたその姿は、本来象徴すべき都会というものの現実的なイメージを消して、むしろ虚構的な幻想を漂わせていた。我ながら如何なものかと思う言い回しでいうと、まるでファイナル・ファンタジーの世界のような。

 現実に、強く堅固に存在しているはずのものが、果敢なく揺れて消えていこうとしているような、そんな不思議な感覚。9・11事件の4年も前、ドン・デリーロは大作『アンダーワールド』の中で登場人物にWTCを指してこう言わせた。「このビルが全部粉々に崩壊するのが目に見えませんか?それがこのビル群の正しい見方なんだと思いませんか」と。この台詞が持つ哀しみとも諦めとも、ペシミズムとも悟りともつかない機微が、今日は少しわかった気がした。この騒がしい渋谷という都会に、その象徴たる巨大で確固としたビルは、自身の灯で月の光もかき消しながら、静かに、揺れてたたずむ。まるで、消える瞬間を待ちわびるかのように。

2004年7月25日日曜日

球界再編問題について一言

 私がそういうことについて語るのを意外と思う方も多いかもしれませんが、今日のお話は最近話題沸騰中の球界再編問題についてです。とはいっても、日本に「球」系のプロスポーツは他にも色々あるのに、何故「球界」といったら無条件に野球なんだろうという素朴な疑問については今回は触れません。


 ともあれ、近鉄・オリックスの合併が発表されてから球界は揺れに揺れています。パが5球団で運営は経済的に厳しいからセ・パを統合して1リーグ制で行こうという提案がそもそもの発端。今思えばこの騒動が始まった当初、巨人は「1リーグ制にしたいならパでもう1つ球団を減らせ、1リーグ制にして救われるのはそっちなのだから」とリーグ統合に難色を示していたような気がします。気付けば今巨人は1リーグ制強硬派になっとって、ライブドアが球団買取に動いてみても、誰かさんが「話す必要すらない」とバッサリ切ってみたり、古田が選手の雇用問題等の関係で「1リーグ制は賛成できない、オーナーと話し合いを」と提言してみても、また誰かさんは「選手風情が立場をわきまえろ」と思い上がりも甚だしい発言でバッサリ切ってみたり、誰かさんもうやりたい放題で問題かき混ぜてくれてます。さすがにあれは如何なものかと思い始めたのか、いつの間にか巨人以外のセ5球団で1リーグ制反対の同盟が出来上がってたり、かと思えば巨人社長と、反巨人の筆頭・阪神社長の直接会見では阪神社長、巨人社長に厳しく避難されて逃げ腰になってたり、もう何だかドロドロしてきてわけがわかりません。

 少し問題を整理してみましょう。そもそもの問題点は放映権等、巨人絡みで動く金にあります。私はアンチ巨人ではありますが、何だかんだいってプロ野球で一番集客力があるチームは巨人です。当然、巨人が試合をする時は相手のチームにも金が入ります。ですから、巨人以外のセ5球団の場合、10チーム1リーグ制になるとドル箱の巨人戦の回数が減って収入が減ります。逆に、パから見た場合は巨人戦が入ることで、一年の試合数は変わらなかったとしても相対的に収入は増えます。選手や審判の雇用問題等、背景には様々な問題が絡んでくるとはいえ、事の本質は巨人戦絡みの金の取り合いに他なりません。ですから、セの巨人以外の5球団が2リーグ制維持を叫ぶのも、パの球団が1リーグ制を叫ぶのも、雇用問題に直面する選手会が2リーグ制を叫ぶのも、まぁそれぞれの立場で見たらよくわかります。唯一わからないのが巨人で、何故誰かさんが1リーグ制に固執するのかの意味がわかりません。最初嫌がってたのに・・・。終いにゃパに移籍するとか言い出してるし。まぁそうすれば確かにセ・パ間での数及び人気のバランスは取れる気もしますが。

 あまり触れられないところではありますが、実は今回の問題の根っこには日本のプロ野球が抱える構造上の問題が潜んでいます。そもそも、企業が球団を持っていること自体が問題なのです。何も野球に限った話じゃありませんが、プロのスポーツチームを企業が保有している(スポンサーという意味でなく真に保有している)のって、実は日本くらいのものです。そこが問題なのです。例えば同じ野球のメジャーリーグを見てください。メジャーでは放映権や肖像権等、そういった権利関係はすべて協会が保持しています。で、人気のあるチームからもそうでないチームからも、入場料等やグッズ販売等も含めて入ったお金を全て協会が管理し、不公平のないように各チームに分配します。日本で言うところの巨人的存在のヤンキースの場合だと、圧倒的な集客力ではあるもののその収入は結局他のチームに分配されるので、取り分は集客力に比べれば減ります。でも他の人の集まらないチームは、そのヤンキースから出たお金で支えられます。だから球団が金銭的な問題で合併なんて問題はそもそもほとんど起こりえないし、身売りだ何だという状況自体が発生しません。要はメジャーリーグという組織全体で1つの企業みたいなもんだからです。メジャーだとドラフトなんかでも前シーズンに成績の悪かったチームから優先的に交渉権がもらえます。金にせよ、人にせよ、メジャーでは常にリーグを公平に盛り上げて面白くしていこうという仕組みが出来上がっているわけです。球団レベルでの利益の追求というのは(もちろん多少はあるにせよ)それほど激しくありません。貧富の差はメジャーリーグ全体で調整されるからです。そもそもプロスポーツというのはチーム毎でなく全体で見れば、ファンのために競技が面白くあるにはどうすればいいかを考えなければいけないでしょう。メジャーの場合はチーム毎の利権が均等化されるせいもあり、その辺りの運営は非常によく出来ている。

 見方によっちゃ社会主義的と言えなくもないですが、スポーツってこうあるべきだと思いませんか?日本の野球界、特に今回のこの騒動を見ていると、非常にせせこましく感じてしまいます。資金難で合併する球団が出てくる。その一方で、有り余る資金力に任せて選手をかき集めてくる球団がある。いざリーグ統合だ何だという話が出てくると、今度は金の入るカードを巡って1リーグ制だ、2リーグ制維持だとゴタゴタが始まる。それに付き合わされる形でシーズン中にもかかわらず選手会まで巻き込まれていく。今回の騒動、ファン心理は無視かとか色々言われてますが、そもそも今の日本では球団は利潤を追求する組織なのであって、利潤に対する価値以上のファン心理等鑑みるはずがない。慈善事業やってんじゃないですから。どの球団も口を揃えて「球界が」とか「ファン心理が」とか言いますが、結局考えてるのは球団の金銭的利益。ま、当然ですよね。当然ですが、やはりどうしてもせせこましく見えます。誰もプロ野球の将来なんて本気で考えてない。トップがプロ野球というエンターテイメントを魅力的にしていこうなんて微塵も思ってないんでしょうね。それを本気で考えるなら、メジャーリーグみたいに協会がすべて利権を管理してしまえばいいんですよ。そうでなければ、財政難で合併とかいう話が持ち上がる前に巨人とか資金力のある球団が持ち合って、寄付でも何でもして救ってあげればよかったんです。それをゴチャゴチャと子供の喧嘩みたいな真似してファンも選手も振り回してって、明らかにおかしい。ただでさえプロ野球人気は低迷気味だというのに、自ら首をくくるような真似してどうするつもりでしょうかね?少しはメジャーを見習ったらどうでしょう。これは松井秀喜選手も同じ事を言ってましたね。やはりメジャーの、特にヤンキースに入ってそこから日本の球界を見てみるとおかしく見えるのでしょう。とはいえそんな構造改革が一朝一夕で出来るわけではないので、やはり当面ここ数年をどうするかという問題はどうしたって残るわけですが。ねぇ巨人さん、ヤンキースみたいに他の球団を支えてやろうという気概はないのですか?ってゆーか誰かさん、元々タナボタで今の地位に就いたくせに、あなたの方こそ立場をわきまえたらどうですか?

 普段大してプロ野球好きというわけでもないのですが、今回の一連の騒動を見ていてあまりにも滑稽に思えたので書いてみました。

2004年7月21日水曜日

記録的猛暑

 それにしても今日は暑かった・・・。東京で39.5度を記録する猛暑。その熱気のピークであろう午後1時半、渋谷で職場から昼休みを利用して東急ハンズに買い物に行こうとした私は見事にその記録的猛暑を身を以て体感いたしました。いや、なんかおかしいなーとは思ってたんですよ。いくら真夏の正午で、いくら私が長袖のシャツの上に黒いスーツを上着までしっかり着ていたからって、・・・この暑さはないだろうと。なんかアスファルトの照り返しと道行く人の汗の蒸気で、ホント石焼サウナみたいな感じでしたよ、ええ、そりゃもう。

 とりあえず、こんな日に西新宿に行かなくてよかったなと心から思いました。いや、西新宿に私のお得意さんがあるんですけどね、あそこはガラス張りのどでかいビルが建ち並ぶ、都内きっての高層ビル群なわけで、当然その照り返しは凄まじく、まさにオーブン・シティ・ストリートといった趣がありますからね。今日とかもう、絶対即死効果があったに違いありません。くわばらくわばら・・・。

2004年7月20日火曜日

小雑感

 最近は新潟がよくニュースのトップを飾ります。「新潟・福島豪雨」と呼び名のついたらしい例の集中豪雨然り、今朝方柏崎から女子高生二人が飛び降りた事件然り。今回の集中豪雨は被害の中心が私の出身校である三条高校近辺なだけに何かと心配なところもあります。被害が大きいとはいっても、その中心から外れれば案外そうでもないらしいとのことですが・・・。一日も早い復旧を祈ります。

 ところで柏崎。ここ数年あそこではホント、ロクなことが起こりません。例の9年間監禁事件の現場も柏崎なら、北朝鮮の拉致現場の一つも柏崎です。この前は白根市の女性の遺体が詰められた冷蔵庫が柏崎の海から引き上げられましたし、今回は女子高生の飛び降り自殺です。ついでに言うと柏崎には原発もあります。新潟県で起きる大きな事件、いくらなんでも柏崎に集中し過ぎです。ここまでくるともはや呪われてるとしか思えません。あんな何もない、ちょっと規模の大きな海辺の田舎町程度の土地で、何故あんなに色々事件が起きるんでしょう・・・。

 話は変わって、ふとリョベートの小品が弾きたいなと思いました。そこで、まず譜面を探したのは『Leonesa』。「リョベートの譜面結構持ってるし、多分あるよなー・・・」と思って探していたら、なんと『Leonesa』は私のコレクションの中には入っていないようです。結構ガックリきましたが、とはいえないものは仕方ありません。「じゃあ『El Noy de la Mare』はあるかな・・・?」と思って探して見ましたが、なんとこれも見つかりません。結局『La Filla del Marxant』を弾くことにして、のんびりとハーモニクス叩きながら休日を過ごしていました。・・・しかしなんで一番弾きたい2曲に限って譜面がないかなぁ?誰か持ってませんか、リョベートの『Leonesa』と『El Noy de la Mare』。あとできればファリャの『漁夫の歌』と『狐火の歌』のリョベート編。

 そうそう、約一ヶ月私の部屋に住み着いていたアシダカグモは、今日外の世界へ去っていきました。私が洗濯物を取り込むために部屋の戸を開けていた際、そこからカサカサと外に出て行くクモを目撃したのです。それは間違いなくここ一月ほど共同生活を営んでいた、あのMD大のアシダカグモでした。これから自然に帰ってまたたくましく生きていくことでしょう。

 とりとめのない小雑感達。

2004年7月19日月曜日

改めて

 ここ数ヶ月、何だか自分の身辺のことばかり見ていたような気がする。いい意味に取ればそれは足下を見つめていたということであり、悪い意味に取れば小さな世界の中にこもっていたということでもある。何事もバランスが重要だ。改めて視線を上げてみよう。今、世界はどうなっているのか。そして、何処に進もうとしているのか。

2004年7月17日土曜日

J.S.Bach - クラシックギターとポリフォニー

 これまでこの日記で色々と「この音楽は凄い」といったようなことを書いてきた。それはマイケル・ヘッジスやバーデンパウエルだったり、藤井敬吾先生やグレン・グールドだったり、デビッド・ラッセルだったりステファノ・グロンドーナだったり、最近ならキース・ジャレットやトマティートのコンサートだったりした。ただ、意外というか当然というか、いつも触れられるのはその「演奏」であって「楽曲」ではなかった。これだけ色々音楽について書いてきた気もするのに、ひたすら「演奏」という側面を強調した見方に偏っていたんだなという意味では意外だし、私自身が音楽に対して行う行為の中心は作曲ではなくあくまでも演奏だという意味では当然のことだ。

 ほとんど唯一、演奏や演奏者についてでなく楽曲そのものについて触れているのはJ.S.バッハの作品群。やはり私の中でバッハというのは格が違う。パッと聴いた際の美しさもさることながら、聴き込めば聴き込むほどに、今度はその旋律や響きの美しさから、呼び合う声部の面白さ、絡み合う構成の見事さに惹かれるようになっていき、そして最後には奥に潜んだ内面の深さにため息をつく。『ドッペル・コンツェルト』や『ゴールドベルグ変奏曲』、『シャコンヌ』、『マタイ受難曲』、『パルティータ第2番(BWV826)』、『音楽の捧げもの』、『フーガの技法』・・・。これら圧倒的な完成度は、正直これから先も超えられることはないんだろうなと感じてしまう。今の音楽の主流はバッハのようなポリフォニー音楽ではなく、一般にはホモフォニー、一部現代音楽では無調音楽等に変遷してしまっているという事情はあるとしても。

 ところで、バッハのような本格的なポリフォニー音楽というのは、基本的にはギター独奏には向かない。ギターはその特性上、ピアノのように複数の旋律を同時に進行させることを非常に苦手とする楽器だからだ。代わりに、主旋律に伴奏音を付けたり和音の連打をしたりするのにはめっぽう強い。これはホモフォニーの在り方そのものだ。それが「ギターは小さなオーケストラ」と呼ばれた所以だと思う。ベートーベンの時代、音楽がバッハのポリフォニーからベートーベンのシンフォニーが堂々と奏でるホモフォニーに遷っていく中、これまでのポリフォニーに強かったパイプオルガンやクラヴィコードという楽器はオーケストラに少しずつ出番を譲っていく。その中で、ホモフォニー音楽を完成させた張本人といってもいいベートーベンが、ギターという楽器の特性を見抜いて述べた言葉が「ギターは小さなオーケストラ」だった。この言葉はクラシックギター弾きの中で、ギターは素晴らしいんだと一般に売り込みたい時なんかによく使われるが、それは逆に言うと実は、「この楽器はポリフォニーには向かない」という側面も意味している。もちろん「基本的に」というだけで例外はある。たとえば、リュート組曲は元々の楽器が似ていて、それに合わせて作られているためかギターにもよく合うと思う。けれど、早くからギター編が出てるBWV1000のフーガとか、結構無理矢理弾いてるけど本来ギターに合う曲じゃないだろう(まぁこの曲も元々はバッハ自身によるリュート編ではあるが)。とはいえ、弦の鳴らし方が一般の鍵盤楽器に似ているギターは、音そのものがポリフォニーに向かないわけではない。あくまで独奏の際、機能的に難しいというだけのことだ。だからヨーゼフ・エトヴェシュが多重録音で出した『フーガの技法』は素晴らしいと思うし、バッハの協奏曲をギター合奏でやるのは無難に編曲できてしかも(演奏技術さえ追いつけば)聴こえがいいというのは周知の事実だ。昔からギター界で「バッハは難しい上に報われない」というのは、あくまで独奏に限った話だろう。ギターでも素晴らしいバッハは奏でられる。一緒にやれるパートナーや仲間さえいれば。独奏は、ギターに本当に合った曲を探さなければならない。バッハの神髄ともいえる『フーガの技法』や『音楽の捧げもの』がギター独奏で再現できないのは非常に残念ではあるけれど。

2004年7月15日木曜日

ビジネス街的な夏

 バタバタと忙殺されていくうちに、いつの間にか夏は過ぎていく。ここ数年はいつも、東京特有のガラス張りのビル群の照り返しと人の汗の湿気で蒸し釜のような暑さの中で、あわただしく、せわしなく、通り雨のように過ぎ去っていくのが夏でした。そして今年も、仕事は相変わらずゴタゴタ忙しいわけですが、何とか夏をゆったりと過ごしたいなとか思うわけです。太陽の熱にアスファルトと一緒に精神までねじ曲げられてしまうような、そんなビジネス街的な夏でなく。

 そうそう、ウチに住み着いたアシダカグモは、今日も元気であらせられました。そして、鳥人間は今日で三歳になりました。

2004年7月9日金曜日

最強と泡沫の狭間

 結局今日は一日会社を休み、家でのんびりと静養していました。おかげで無事に熱も下がり、明日からは順調に日常生活を再開できそうです。しかしあれですね、私は今日一日ずっと25度に設定したクーラーが効いた部屋にいたのですが、外の世界はどうやら死ぬほど熱かったようで・・・。全国的にほとんど体温並みの猛暑、ホントに梅雨は何処へやらです。熱も下がって、今週の土日は出かける用事があるので選挙の期日前投票にでも行くかと今日初めて部屋から足を踏み出したのが夕方6時前。まだ相当熱かったですからね。きっと日中はとんでもない熱気だったことでしょう。営業の人、大変だったんだろうなぁ・・・。


 で、参院選です。私が期日前投票にまで足を運んだ上で堂々と白紙投票をしてきたという事実はともかくとして、又吉イエスが熱すぎます!何が熱いって、とりあえずその選挙ポスター。普通に選挙掲示板に張られているにも関わらず、そりゃもう堂々と「首相小泉純一郎は参議院選挙後、唯一神又吉イエスに首相の座を明け渡すべきだ。そう出来なければ、小泉純一郎は腹を切って死ぬべきだ」とか余裕で書いてあるし。政見放送でもまったく同じこと口走ってたらしいですからね。あ、大丈夫なんだ、そういう発言でTVでも。言論の自由って凄いですね。ちなみにこの又吉イエス、今回は日本屈指の激戦区である新宿区からの出馬ですが、新宿のお客さんのところに行ったとき本物のポスターを目撃いたしました。ホントにこんなんでした。思わず会社の携帯で写真とか撮っちゃいましたよ。自ら唯一神を名乗り、小泉純一郎は腹を切って死ぬべきだと主張し、ブッシュも同様だが向こうにはその風習はないからギロチンにかかって死ぬべきだと主張する(今の日本にも腹切りなんて風習ねーよ!)又吉イエス。熱すぎます。参院選なのに首相になれると本気で思ってるらしいです。そりゃ2ちゃんねらー達も盛り上がりまくりです。日本最大のアンダーグラウンドコミュニティ2ちゃんねるの住人達の目を政治に向けさせたという点では彼の功績は偉大かもしれません(少なくとも会社のリアル2ちゃんねらーは「こうでもしなきゃ2ちゃんねらーが政治になんて興味持たんよ」と言っていた)。ちなみに、又吉イエス関連でこんなサイトもありました。いやー、最高です。一体彼の選挙資金はどこから出ているのかを知りたい(笑)。

2004年7月8日木曜日

開設七周年

 今年も七夕がやってきました。そう、このHPの開設記念日です。早いもので今年でもう6年目、さすがにこのページの趣や客層や目指すもの自体、開設当初とは大分変わってきました。本来であればその辺り思いの丈をブチ撒けたいところではあるのですが、なんとこんな日に限って風邪をひいてしまいました。まだ熱はそんなに高くないのですが、これは少し上がりそうな気配の悪寒がするので、もう葛根湯(それも市販の中ではとびきり濃いヤツ)を飲んで、こんな日のために購入しておいた抗ウイルス作用のあるハーブティーを入れて、今日はおとなしく寝ることにします。風邪なんてひいてたら彦星と織姫も会えねっちゅの。


 さてさて皆さん、6年の長きにわたりこのページを訪れてくださりありがとうございます。最近更新内容がやや寂しいのが我ながら気がかりなのですが、またこうして区切りの日を迎えられたということで、これを機に皆さんが訪れた際に少しでも何かを感じられるページをという当初の意思を改めて大事にして内容の回復に勤めていきます。ので、どうぞこれからもよろしくお願いします。

・・・まずは風邪からの回復だな・・・。

2004年7月6日火曜日

湿気のせい?

 ひどい湿気でシャツの下がベトベトな今日この頃。そんなことを日記がつまらない言い訳にしてみたりするのでした。う~、蒸し暑い・・・。

2004年7月5日月曜日

最低の日曜日

 自業自得なのですが、今日は最低の日曜日でした。昨日の夜、会社を辞めていった同期達との飲み会があった私は、一次会はまだよかったのですが二次会のブルースバーで生演奏を最前列で聞きながら飲みまくり、上機嫌ではあるものの足取りもフラフラの状態で何とか家に着くという有様でした。そして家に着くなりとりあえずパジャマに着替え、そのままバタンと眠りに落ちます。・・・地獄が待っているのはそこからでした。

 朝方、凄まじい胸焼けと吐き気に襲われて目を覚まし、そこから鬼のような二日酔いとの闘いが始まります。頭は痛くないのですがとにかく胃が全く働いてくれない。水を飲んでもアミノサプリを飲んでもビタミンパーラーを飲んでも、いつまでもゴロゴロと胃の中に飲んだものがたまっていて吸収してくれず、腸にも押し出してくれず、ただ胃の中にそのまま居続けるのです。で、どんどん気持ち悪くなっていってしまいにゃ戻してしまうというそんな状況が午前中一杯続きました。胃腸薬を飲んでもそれも吐いてしまうのだから効くわけがない。水を飲んでも吸収してくれないので当然喉も乾くのですが、でも飲んだらまた吐いてしまうので、口を濯いで水分を補給する程度に止めておいて飲まないようにするだけにとどめます。そんな感じで午前中ずっとのたうち回っていました。結局12時くらいになんとか胃腸薬を飲んでも吐き出さない程度まで回復できて、薬が効いて楽になっていったのですが、一日中今も胃は重いままでしたね。18時くらいまでは家を出る気もせず、とろとろと浅い眠りを繰り返す、そんな最低の日曜日でした。さすがに反省です。頭は痛くないからアルコールの分解は追いついてるんだろうなー。けどアルコールにやられた胃腸が回復してくれないんだろうなー・・・。学生時代のような無茶な飲み方はできないものです。

2004年7月1日木曜日

いざ、幕張メッセ

 今日から3日間、幕張メッセにてインターロップなるイベントが開催されています。ネットワーク周りを主とした展示会みたいなもので、今回はウチの会社も自社プロダクトを2つ出典しています。その内の1つは私もコアの技術者として開発に関わっているものなのですが、ここでは仕事のPRなどする気はないのでそれは置いておいて、問題は幕張メッセのロケーションです。とにかく遠い!ディズニーランドのさらに向こう側です。こういったイベントは広報や営業の人達が中心となってやるもので、技術は本来あまり関わりを持たないものなのですが、今回は私が携わっている製品も出る関係上、私を含めチームの開発者が1人ずつ日替わりでブースに出てきてくれと頼まれています。で、初日の今日は私が行ってきたのです。

 いやー、遠かった。今日は朝九時から西新宿でお客さんと打ち合わせがあったので、私が今日通った軌跡は以下のようになります。

7:50 東急東横線 日吉発-8:20 東急東横線 渋谷着
8:25 JR山手線 渋谷発-8:40 JR山手線 新宿着
8:45 東京メトロ丸ノ内線 新宿発-8:50 東京メトロ丸ノ内線 西新宿着

打ち合わせ

12:40 西新宿より徒歩-12:55 新宿着
13:00 JR中央線快速 新宿発-13:10 JR中央線快速 四ツ谷着
13:15 JR総武線 四ツ谷発-13:40 JR総武線 西船橋着
13:45 JR武蔵野線 西船橋発-13:50 JR武蔵野線 南船橋着
13:55 JR京葉線 南船橋発-14:05 JR京葉線 海浜幕張着

インターロップ

18:50 JR京葉線 海浜幕張発-19:15 JR京葉線 新木場着
19:30 東京臨海高速鉄道りんかい線 新木場発-19:50 東京臨海高速鉄道りんかい線 大崎着
19:55 JR埼京線 大崎発-20:05 JR埼京線 渋谷着

会社

22:40 東急東横線 渋谷発-23:00 東急東横線 日吉着

 ・・・電車乗り過ぎです・・・。

2004年6月29日火曜日

騙された!?

 ジャンプを買おうと思って立ち寄った駅の売店、村治佳織が表紙だったという理由で思わず『サンデー毎日』まで購入してしまった今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。ってゆーかこの雑誌、村治佳織は表紙になってるだけでインタビューとかすら載ってないし。駅の売店じゃ立ち読みもできないし確かめられなかったんだよ・・・。まぁ7/21に『Transformation』なる新譜が出るという情報だけが収穫ですが、収録予定曲とか大雑把な方向とかすら書いてないし。やられたよ・・・。

 今日の一言:『そして、今日・・・』

2004年6月21日月曜日

同居人・・・?

 今日の夕方くらいから、私の部屋にまたも手のひらサイズの巨大グモが住み着いています。といっても今回のはこれまで見たのより一回り小さい感じがするのですが、それでも軽くMDくらいの大きさがあります。「ん~、どうしようか」と、壁にへばりついているそいつを見ながら考えていたのですが、とりあえずこいつが何て種類のクモなのか調べてみようと思いました。

 クモは色々虫取ってくれるし、あんだけデカけりゃもしかしたら蚊やハエはおろか、あわよくばゴキブリまで食ってくれるかもしれません。で、調べてみたらありましたありました。まさにこいつです!どうやらアシダカグモというらしいです。何と、ホントにゴキブリを捕まえて食べるゴキハンターらしいです。しかもこっちから手を出さなければ人間には手を出さないし、あまつさえ巣を張るのでなく動き回って補食するクモなので巣で部屋が糸だらけになることもない、いいことづくしの益虫というではありませんか!・・・というわけで私はこのMD大のクモと同居を決め込むことにいたしました。人間に害を与えないということさえわかってしまえば、虫の一匹二匹で動じるほど人工的な都会の育ちじゃありません。今もエアコンのところにへばりついておりますが、暖かく見守ってあげることにしました。蚊やハエやゴキをよろしく頼むよ!

2004年6月20日日曜日

癒しとしてのクラシックギター

 あまり考えたことはなかったのですが、音楽療法としてのクラシックギターというのはなるほど確かにアリかもしれません。考えてみれば、クラシックギターというのはあらゆる楽器の中で最も優しい音を出せる部類に入ると思うのです。少なくとも管楽器やバイオリンとかよりは確実に。甘ったるいビブラートをかけすぎなければ、ギターの暖かく優しい音色は、確かに疲れたり弱ったりした人の心に染み込んで行くことができるのではないかなと思い始めたわけです。

 そもそも、私はいわゆるヒーリングミュージックってヤツが好きではありません。ただ耳当たりがいいだけで、無機質で冷たく、言うなればガラス張りの摩天楼のような非体感的な押し付けがましい美しさが嫌なのです。そして、基本的に音楽というのは心に響くものがいいのだとだけ思っていました。心を揺さぶり、引っ張っていく、力ある音楽。それこそが音楽だと思っていました。だからこそ以前日記でも「力あれ、芸術達よ」と言ったわけです。ところが、そういった心に響く音楽は、受け手の方にも響くだけの空間、ゆとりがなければ響けません。音が物理的に響くのに空間が必要なように、音楽が心に響くのにもやはりゆとりが必要なのです。だから、私がこれまで好んできたような響こう、響こうとする音楽は、疲れて弱ってゆとりがなくなってしまった心では響けません。極端な話、今まさに自殺を考えている人が福田進一の『コユンババ』に感動するなんてありえないでしょう。響く空間をなくしてしまった心には、心を揺さぶる強い音楽ではなく、心に染み入って満たしていく優しい音楽がいい。そしてギターは、その心にしみていくことのできる暖かくて優しい音色を持っていると思うのです。今出回っているヒーリングミュージックみたいな無機質な偶像上の癒しではなく、本当に疲れて弱って、乾ききってカサカサになった心を潤していくことができる音楽がギターでなら奏でられるのでないかなと、そう思い始めました。

 自らが強く響こうとする、強い音楽はそれには向かないでしょう。弱った体に強すぎる薬が逆効果なように、強すぎる音楽はかえって心をすり減らします。福田進一のようなスリリングな緊張感や、藤井敬吾先生のような聴き手を飲み込んでしまうインパクトはこの場合ではちょっと違って、デビッド・ラッセルの弾く『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』や『詩的ワルツ集』のような、控えめな暖かさがいいのではないかなと思うわけです。資料的な根拠はないのですが、リョベートなんかは直観的にそのギターの一面を理解していたような気がします。心を癒す水のような役割としてのギター。彼の音楽を聴いているとそう思うのです。

 そういえば昔FUNさんが、ギターで音楽療法というかヒーリングみたいなことができればいいと言っていました。音楽とは魂を削って表現し、真摯に全力で向き合って受け取るものだと信じてそれ以外の選択肢を見なかった当時の私は、そのFUNさんの言葉に否定的とは言わないまでも無関心でした。でも、今にして思うのです。ギターには確かにそれができる。私が目指したような魂を削っていく音楽もやはりあるけど、確かな一面としてギターは響くことができなくなった弱った心にも、染み込んで癒していける優しさがある。遅ればせながら、そのことに気付いたわけです。心を揺さぶるのでなく、心に染み込む音楽。私自身がそういった演奏をするか、できるかというのはさておくとしても、他の楽器より優れたギターの一面として、そういった音楽を紡いでいくのは非常に素晴らしいことだと思います。改めて聴いてみると、暖かいですね、ギターの音って。等身大の人のぬくもりという感じがします。また、この楽器が好きになりました。

2004年6月19日土曜日

格言 - ジョン・フォン・ノイマン

 何について語っているのかさえわからないようなら、

 そのことについて正確さを云々しても意味がない

ジョン・フォン・ノイマン

2004年6月14日月曜日

回帰

 最近キース・ジャレットやトマティートと、とかくクラシックギター以外の音楽にご執心だった私をまたクラシックギターの世界へと引っ張ってきたのは、やはり藤井敬吾先生の演奏でした。『地中海協奏曲』は非常によいCDだと思います。なんというか、藤井敬吾先生の演奏は(特にバッハとか)正統派かと言われれば確かにちょっと違うのですが、決めるとこ決めるから凄くカッコいいんですよね。時にノリが明らかにクラシック的でない(笑)。とりあえず無伴奏チェロ組曲一番の、プレリュードに続いてジーグを弾くかと手を付けた次第です。なんか、左手はいいんだけど右手が絡まりますな、あの曲(苦笑)。運指が地味にめんどくせぇ・・・。ま、少ない時間をやりくりしてどうにか弾いてまいります。

2004年6月13日日曜日

小さな失敗

 いや~、今日は失敗しました。今日は仕事を早く終わらせるため、特に予定もないのでちょっと出社して一仕事しようと考えていました。今月末はどうしても休みたいので、そのための予防手段です。で、朝九時くらいに起きて洗濯したり掃除したりと家事をすませ、米を炊いてレトルトカレーを食べ、食後にハーブティーを飲んで「さて、そろそろ行くか」と立ち上がりました。この時点で13時過ぎくらいです。その時、私の目に何だか妙に布団が魅力的に映りました。

 気持ち良さそうです。何だか妙に気持ち良さそうです。「・・・30分くらい仮眠とってから行くかぁ」と、私はおもむろに布団に入りました。布団の中はぬくぬくと、非常に大変気持ちが良いです。お腹も一杯、外は静か、そして布団は暖かい。最高です。「やべぇ、このまま引きこもりてぇ・・・」と思いました。会社なんて行くのやめて、このままのんびり布団の中でぬくぬくしてたいなぁとか、そんなことを考えていました。考えていました。考えて、・・・いたはずです。気付くとあら不思議、時計の針は随分進んで、なんと17時半でした。17時半!当然そこから出社などする気も起きません。ぬくぬくとした布団の中で、ただ無為に過ごした休日でしたとさ。

 ・・・切腹っっっっっっっ!!!!!!<

2004年6月12日土曜日

スイッチOTC

 久しぶりに私らしく(?)今日はスイッチOTCのお話でもしましょう。といってもそもそもスイッチOTCが何か、というか何のジャンルの話かわからない人も多いでしょう。要は、お薬の話です。それも、薬局で買える市販品のお薬の話です。

 最近は巷にスイッチOTCと呼ばれる類いの市販薬が増えてきました。OTCとは"Over The Counter"の略で、カウンター越しに買える、つまり薬局で買える薬品一般のことを指します。「そんなん言ったら処方薬だって処方箋があれば調剤薬局でカウンター越しじゃい!」とかそういう大人げないツッコミを入れてはいけません。で、スイッチOTCとは元々は処方箋がないと買えない医療用医薬品に指定されていたものが、処方箋なしで買える一般用医薬品にスイッチされたということで、特に区別して呼ばれているのです。元々処方薬にしか許可されていなかった成分が入っているわけですから、そりゃスイッチOTC薬は効きます。通常同じ系統の一般のOTC薬より遥かに体感効果が高いです。例えば私も腱鞘炎の際よく使う消炎鎮痛成分インドメタシンを含むバンテリン、頭痛発熱によく効く解熱鎮痛成分イブプロフェンを含むイブAやベンザブロック、たん切り成分塩酸ブロムヘキシンをウリにしているパブロンSや、最近CMでよく見かける塩酸ブテナフィン配合の水虫薬ブテナロック、H2ブロッカー配合の胃腸薬ガスター10等、これらは全て元々医療用でしか使えなかった成分を含むスイッチOTC薬品です。その他たくさん、今、町の薬局の棚を見渡せば相当数のスイッチOTC薬を見つけることができます。まぁ、悪くはないかなと思います。確かにこれらの薬品は効果が高いのですから。

 とはいえこのスイッチOTC、元々処方箋がないと買えなかったということにはそれなりの理由がやはりあるもので、従来のOTC薬に比べるとやはり副作用が強かったり取り扱いが難しかったりというのはあるようです。中にはイブプロフェンのようによく効くし副作用も少ないというのもありますが、H2ブロッカーのように多少なりとも物議を醸しているスイッチOTCもあります。ガスター10等の胃腸薬に使われるH2ブロッカーは、ヒスタミンH2受容体にヒスタミンが入るのを阻害する成分の総称で、具体的に現在スイッチOTCとして出回っている成分はファモチジン、シメチジン、ラニチジンの3つです。これは従来の胃薬と違って、そもそも胃酸が出る仕組みの根っこの部分を抑えてしまうので、胃酸過多や胃潰瘍にはそりゃもう従来のOTC薬とは比較にならんくらいよく効きます。このH2ブロッカーが出てきたおかげで胃潰瘍や十二指腸潰瘍で手術をする人が激減したという事実があるくらい文字通り劇的に効きます。ですが、さすが物議を醸すだけあってこのH2ブロッカー、なかなか癖がある成分です。

 第一に、稀にではあるが重い血液障害を起こすことがあります。血小板や白血球を減少させてしまう副作用が出るケースがあるのです。これはステロイド剤や抗がん剤で現れる副作用(の一つ)としても知られている現象で、H2ブロッカーは稀にではありますがそれを引き起こすことがあります。次に、他に薬を内服している場合、H2ブロッカーは相性をかなり選びます。場合によってはどちらかの薬の作用が強く出過ぎたり弱くなったり、とかく飲み合わせにはうるさい薬です。基本的にH2ブロッカーはそれだけで飲むのがいいでしょう。

 というわけで私は余程症状が重くない限りH2ブロッカーはお薦めせず、大正漢方胃腸薬辺りに絶大な信頼を置いているわけです。とはいえまぁ、スイッチOTCといってもそこまで物議を醸しているのは実際このH2ブロッカーくらいなので、後のものは比較的安心してお使いいただけるかなと思います。まぁ、薬なんでそりゃ個人の相性ってのはありますが。バンテリンには私もよくお世話になります。ただ、スイッチOTCは元々医療用の強い成分です。よって、これが効かなかったらいよいよもって他の市販薬では通用しないと思って間違いないでしょう。スイッチOTCを試してみて症状が改善されない場合は、もう何はともあれ医者に行くことをお薦めします。

2004年6月10日木曜日

夜を這うもの

 もう日も落ちた六月の夜の九時すぎに
 雨上がりの黒く濡れたアスファルト
 飲み屋のネオンが照らす道を
 チャバネゴキブリが歩いていた
 水に足を取られるのかなんなのか
 体を重そうにのそりのそりと

 そんなゴキブリを詩にするなんて
 なんだかチャールズ・シミックみたいだと苦笑しつつ
 少なくはない人通りの下を
 かいくぐるように這うゴキブリを思い出す

 暗い夜に黒い道路、漏れた光に浮かぶゴキブリ
 誰も気付かずにまたいで過ぎ去り
 ゴキブリはゆっくりと前に進む
 僕は気付いて足をかわして
 ゴキブリはゆっくりと前に進む
 東京の夜の雨上がりに
 濡れた黒い道を進むゴキブリ

2004年6月9日水曜日

格言 - 孔子

 過ちては改むるに憚ることなかれ。過ちを改めざるこれを過ちという。

 過ちを犯したときはためらわずに改めよ。過ちを改めようとしないことをこそ過ちという。孔子の言葉です。

2004年6月7日月曜日

う~む・・・?

 何だかやけにアゴが疲れます。アゴ。・・・何が効くんでしょう?

2004年6月6日日曜日

最低の一日

 昨日は最低の一日でした。何が最低って、まぁ仕事のことです。

 昨日は朝一番から、珍しく営業の人と一緒に客先に出向いての製品デモ。私は普段客先に行くとは行っても、受託開発の打ち合わせや現地作業など、要は注文もらってからのことがほとんどで、受注前にデモのために出張ることはあまりないわけです。が、昨日は先方の情報システム部の技術者の方が数人来て話をするとのことなので、私が突如引っ張り出されたわけです。朝八時半くらいに会社に着き、ドトールでテイクアウトで購入してきたアイスコーヒーを飲んでテンション上げます。九時半前に営業と待ち合わせ客先へ。地下鉄を乗り継いで先方の会議室へと足を運んでみたら・・・。なんと、技術者が数人どころかいつもウチの営業の人と話してるという担当の人一人のみ。しかもその人は以前に一度デモを見ているということ。「オイオイ、あまりに状況が違うなぁ」と思いつつ、それでも打ち合わせに参加していると、営業が私に「それではデモを」とか言ってきます。「え?デモ?」って感じでした。「だって一回見てるんだろ?今大体補足説明もしたじゃん!この上一体何をデモしろと!?」と軽くパニックに陥りながら、それでも上辺だけは冷静に、とはいえ我ながらなんとも要領を得ないデモをして、無理矢理話をまとめて客先を後にしました。この話を持ってきた新人の営業君は、先輩(といっても私と同期)の営業に「だから前日には必ず電話入れて確認しろって言ってるだろ!これで一緒にいたのが俺じゃなくて○○さん(彼らの上司)だったら今頃そこの川に浮いてるぞ、オマエ。次やったら殺すからな!」と怒鳴り散らされ、私には平謝り。営業は営業で大変だなぁと、こういうのを見る度思いますね。営業は社内でもちょっと先輩に対する敬語が間違ってただけで折檻ものですから。我々開発からすれば信じられない文化です。

 とはいえ、この日もここまでは多少へこんだとはいえ、まぁまだよかったのです。この日は午前中は営業同行、午後三時からはまた別のお客さんのところで打ち合わせの予定でした。一旦会社に戻る地下鉄の乗り換えの時、ふと会社携帯を見てみると、会社から、午後行く予定のお客さんの担当から、グループ長から、別の営業の人から、経理の人から、とかく色々な人から電話が入っています。「ん~、何が起こってるのかわからんが、とりあえずどこから連絡つけようか?」と悩んでいると、また会社から呼び出しがかかります。出てみると、午後から行くお客さんのところでシステムトラブルが発生、現場の情報システム部の人だけではどうにも復旧できないから、早く連絡をくれとのこと。私になかなか連絡が取れず、たまたまそのお客さんからの電話を受けたウチの新人さんは「状況わかってるんですか、アナタ!?」と思いっきり怒鳴りつけられたとか。どうも怒声が飛び交う一日のようです。とりあえずその場でお客さんに連絡、やはり電話じゃどうにもならないと見切りを付け、現地に速攻向かうことに。そしてその前に、「経理からの電話はどう考えてもこの件じゃないよなぁ」と連絡してみると、別のお客さんに郵送した請求書がまだ先方に届いておらず、事務手続き上絶対今日必要だから手で持ってきてくれという伝言。がっくりきました。他のお客さんのところでシステムトラブルが起きてるのに、わざわざ請求書を運ぶためだけにそちらに行ってる時間はとてもありません。ここはとりあえずそのお客さんと面識のある後輩を遣いに走らせ、私はトラブルの現地へ。30分くらいでどうにか復旧させた後は、三時から始まる打ち合わせまでの間ひたすら原因の究明です。その作業はビルの17階でやっていたのですが、三時からの打ち合わせは3階で。時間になって、私は「打ち合わせが終わったらまた戻ってきます」とその場の情報システムの人に告げ3階へ。ところが一時間半くらいたったらまた17階に緊急で呼び戻され、そっちを沈静化させたらまた3階へ。打ち合わせが終わったらまた17階へ。そしてそれも終わったら会社に戻って障害報告書の作成です・・・。目まぐるしいったらありゃしない。久しぶりにゾクゾクするくらいのビッグトラブルと、クラクラするくらいの処理事項の多さに、とにかくもう疲れましたね。最低の一日でした。そして今日もその余波で、休日出勤で事後処理をしていましたとさ。どっとはらい。

2004年6月2日水曜日

接客の基本?

 今日のとある店での店員とのやり取り。非常にイライラしました。なんと言うかこう、客商売の基本がなっとりませんね。一番それを痛感したのがこの会話。


 店員:「お支払いは今日なさいますか、それとも後日になさいますか?」
 ayum:「ん~、どっちでもいいですよ、楽な方で」
 店員:「こちらとしてはどちらでもいいんですけど」

 この台詞を聞いた瞬間プチンときましたね。何がいけないって、こちらが「どちらでもいい」ということは、要は「考えたくないからどっちがいいか提案してくれ」ということです。頭使いたくねーよ、そんなとこという意味です。なのにそれに対し何の提案も返すこともなく「どちらでもいい」と返してくることで、あの店員はお客に対して余計な選択のストレスを与えているのです。あり得ない!よくそれで接客業が勤まるものです。

 よくできる飲食店の店員はあいた食器を下げる時、「お下げしてよろしいですか」と「お下げしますがよろしいですか」の言葉の違いに気をつけます。選択というのはストレスです。接客業の店員はそのストレスを極力お客に与えないよう、かといって押し付けにならないよう、常にソフトに提案の手動を握りながら対応をしなければならないのです。しかるに、客が「どちらでもいい」と言ってるのを「どちらでもいい」と返すとは何事か!あれほど「仕事できねーな、コイツ」と苛立たせられたのも久しぶりです。結構年配の女性だったのですが、それだけ仕事してまだこんな基本も理解できてないんでしょうか。これが会社の後輩とかだったら怒鳴り飛ばしてるところです。とにかく私は、こんな仕事できないヤツに金払うのが嫌だったので、支払いは後日ということにしてその店を出ましたとさ。次行った時も同じ人が応対だったらどうしよう・・・?

 ・・・少しカルシウムが足りていないようです。

2004年5月29日土曜日

トマティート & ホアキン・グリロ

 というわけでやっと書きます、トマティートです。去る5月26日の水曜日、私はトマティートとホアキン・グリロのコンサートに行ってきました。その数日前、「なんだかチケットが売れてないみたいで安売りしてるぞ」という情報を聞きつけた私は、まんまと安値でチケットを購入、水曜の夜19時には新宿文化センターにいることができたわけです。いやー、この前のキース・ジャレットに女子バレーの日韓戦もそうでしたが、思いついた時にすぐこういったイベントに行けるのが東京の(数少ない)いいところです。

 今回は前半をトマティート・チーム、後半がホアキン・グリロ・チームという形で2つのチームが交代にステージに出てくるという構成。客電が下り、トマティートが一人椅子に座ります。冷静に考えれば、フラメンコのソロを聴くのは実に久しぶりです。というか、プロの外人フラメンコは初めてです。トマティートは、正直一曲目のMACAEL(TARANTA)の時は、まぁ調子悪そうには見えませんでしたが、ノリもそんなによくありませんでした。それが次の曲でエル・ポティートとホセリート・フェルナンデスが出てきてパルマ、ルキ・ロサダがカホンを叩き始めてからは一気にリズムが生き生きとしてきます。これまで「曲を演奏してる」といった感じだったのが急に「音楽を楽しんでる」ふうに変わるんですね。やはりどんな音楽でもリズム隊がしっかりしてるとその上の演奏が活きてきます。フラメンコも例外ではないようです。三曲目のブレリアスで一気にテンションを上げてからは、そりゃもう一気怒濤のステージでした。前半だけで一時間強、休憩なしの1ステージとしては決して短いものではないですが、時間が流れていることなど忘れるくらい熱中して観ていました。

 トマティートの演奏を聴いていて、フラメンコも音量のダイナミクスはかなり大きく取るんだなということを思いました。学生時代聴いていた時は正直クラシックほどフォルテやピアノを意識していない印象もあったのですが、トマティートのギターは音量のマックスとミニマムの差が非常に大きい。しかもクラシックと違って最小音量から最大音量まで一気に切り替えてくる。ピアノでじっくりためておいて、ドブレが始まったらそのドブレの最後の音ではもう最大音量まで駆け上がってたりするのです。フラメンコはコンパスの節目はアクセントとして強く出して、他は本当に軽く弾くと、以前キムだったかから聴いた記憶があるのですが、まさにそんな感じでした。

 しかしあれですね、パルマとカホンってカッコいいんですね(爆)。無茶苦茶カッコよかったですよ。特にカホン。「カホンってあんなに音色でるんだ」と正直感心しました。ドラムでいうならバスもスネアもクローズド・ハイハットも、すべてカホン一つで賄っちゃってる。しかもまたこれも音量の表現の幅も広いし、ギターのドブレに合わせてハイハットみたいな音で物凄い連打したり、本気でカッコよかったです。あれを観てると、ウチの部のFメンバーも、ギターは頑張ってると思うのですがパルマやカホンがちょっとなまくらすぎる気がします。まぁウチはギター部であってフラメンコ部でないからいいじゃんと言われればそれまでですが、パルマとカホンがもっとしっかりしてればもっとギターも活きると思うのですよね。まぁ、ちょっとそんなことを思ってもみました。

 そして後半、ホアキン・グリロとその仲間達の踊りですが、実は個人的にはこっちの方がさらに衝撃的でした。カッコいい!しかもギターも二人いた方の片方、名前はわかりませんがトマティートに負けないくらいいい味出してたし、女性のカンテも魂入ってていい!なんというか、フラメンコの踊りって凄いですね。しっかり踊ってストーリーも表現しながら、なおかつステップで音楽に参加する。なんか観てて純粋に凄いなと思ったし、最後フィナーレの時なんて本気で感動して涙出そうになりました(苦笑)。しかもまた最後、アンコールなんですがステージの隅でみんなで輪になって、マイクも使わずに生のパルマと歌だけで女性の踊り手のパストーラ・ガルバンが踊り始めるんです。で、ホアキン・グリロ始め他のメンバーは輪になって見守りながら楽しそうに、ホントに楽しそうに彼女の踊りを盛り上げるのです。次はグリロが、そして二人で。なんかもう、観てて羨ましくなるくらい生き生きと嬉しそうに楽しそうにみんなでステージを作ってるのです。最高でしたね。きっと観客がいてもいなくても、彼らはそこにフラメンコがあればそれを楽しんでいくことができるんでしょう。見てて気持ちよかったです。

 このコンサートは最高でした。私は安売りチケットで行きましたが、定価でどちらか片方のステージだけでもまったく文句ないの素晴らしい舞台。ステファノ・グロンドーナもキース・ジャレットも超え、今年一番のステージです。今年どころか過去最高トップ3には間違いなく入ります(ちなみに他のトップ3はブラックモアズ・ナイトの大阪公演と大学4回の時の喫茶アルハンブラでの藤井敬吾先生のコンサート)。こりゃあ安売りしていいチケットじゃねぇなぁと思いつつ、今回のステージを観れた幸運に感謝して、感動の中家路についたとのことです。仕事がなければ確実に木曜も金曜も行ってましたね。カッコよかったな~・・・。

2004年5月28日金曜日

また眠い?

 書きたいことは3つあるのです。トマティート、アヴリル・ラヴィーン、そして大きな魚について。けれどもとても眠いのです。明日にまず、どれか1つでも書ければいいなと思うのです。思うのです。

 ・・・おやすみなさい。

2004年5月26日水曜日

眠い?

 なんだか以前より夜に弱くなった。そしてそれは私だけではないようだ。

2004年5月19日水曜日

『サーカス』中原中也

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一と慇盛り
    今夜此処での一と慇盛り

サーカス小屋は高い梁
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安価いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉がなります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

     野外は真っ闇 闇の闇
     夜は劫々と更けまする
     落下傘奴のノスタルヂアと
     ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

『サーカス』中原中也

6-7行目:一と慇盛り→「ひとさかり」
11行目:頭倒さに→「あたまさかさに」
12行目:屋蓋→「やね」
15行目:安価い→「やすい」
17行目:咽喉→「の(ん)ど」
19行目:真っ闇 闇の闇→「まっくら くらのくら」
21行目:落下傘奴→「らっかがさめ」

2004年5月17日月曜日

珈琲屋のマスターと仕事と生きがい

 ウチの近く、いつも通勤で駅に行く道の途中には、紅茶の専門店のような店構えをした、でもマスター曰くコーヒー店の、でも最近売れてるのはひたすらハーブティーという(笑)、なかなか素敵な店がある。そこで買い物をするようになったのはつい最近のことなのだが、マスターはそこで買い物をする度にコーヒーを一杯出してイスを勧めてくれて、いつもそこから雑談タイムに突入する。当然お茶やハーブの話も面白いのだが、やけに色々な友人がいてむやみに博識なマスターは、日本とイギリスの最新の酪農事情やらアメリカ流・イギリス流の資産運用に仕事・生活スタイル、日本人とその他の外国人との間にある宗教というものの考え方のギャップ、等々とにかく色々なことに関して饒舌に語る語る。ハーブティーを1つ買うだけでコーヒーが出てきて、切り上げるタイミングをはかるのが難しいほど上機嫌に話し続ける。「最近の東京というか関東一円では何年も同じ分譲マンションに住んでたって隣の人と話すらしないからね」とはマスターの談。こういった触れ合いが好きで、また大切に思っている人なのだろう。

 今日そのマスターと話していて、どういう流れか仕事の話になった。例えばマスターが私くらいの年齢のお客さんを捕まえて、「結婚はどうするの?」とか聞くと決まってこう答えが返ってくるという。「仕事が安定してから」とか「今の仕事が本当に合ってる仕事とは思えないし」とか。特に憧れの企業に入って、「ここが理想だ」と入る前に息巻いていた人は確実に「イメージと違う」とため息をつくそうだ。マスターはこう言った。「自分にあった仕事なんて絶対最初からなんてできませんよ。自分から仕事を自分に合うようにしていくか、でなければ自分を仕事に合わせないと」。金言だと思う。少なくとも新卒入社で社会に出て、「自分に本当に合った」仕事になどほとんど出くわせないだろう。何故ならそれは、社会に出たことのない人間の社会に対する認識は大体の場合において至極甘ったれた自分だけのご都合主義なものにすぎないからだ。そこから如何に自分の理想に職場を引っ張っていくか、あるいは職場の中から自分に合った部分を引っ張り出せるか、そういった世界の勝負になる。そもそも始めから理想が用意されていると考える時点で今の私の目から見ると現実の見えないただの甘ったれなのだが、かくいう私もやはり学生時代就職活動をしている時にはその甘ったれた考えを持っていたから、やはり社会というのは何はともあれ出てみないとわからないものなのだ。逆に出てみると、学生の頃は何故やるのか意味が分からなかった中学・高校の勉強や、今の仕事とは直接関係ない大学の授業でも、そこで学んだことの大切さや面白さがわかりはじめてくる。人とは現在形でやっていることのなんと見えないことか。

 話はそれたが、結局この社会に出て仕事をやる際、理想が用意されていると思うのはそもそも甘い。自分に本当に合った仕事なんて、最初からあるわけがない。それは用意されるものではなく自分で作り上げるものだ。ある程度は環境の問題、ある程度は意識の問題。まずは現状の仕事の問題点を常に意識し、改善していこうと言う向上心、そして現状の職場の中から自分に合った部分を見つけて抽出していく適応能力。理想は、作り上げるものだ。ギャップはあって当然。それを埋めるのは会社側ではなく個人の問題だ。

 ちなみにこれもマスターから聞いた話だが、30代半ばの日本人のお客が数人話をしているところに別の外国人のお客が来て、「生きがいは何か」という話になったそうだ。30代半ばの日本人のお客は「ん~、まぁ、敢えて言うなら仕事かな」と答えたという。すると、外国人のお客がその答えを聞いて曰く、「そうですか、あなたは仕事のために生まれてきたのですか?」。強烈な考え方だ。マスター曰く、「何のための人生かっていう確固たる信念を持ってないと外国人の相手はできないよね」。さて、どう考えるべきか。

2004年5月16日日曜日

中原中也のリズム

 中原中也の持つ言葉のリズム感は、結構感性に合うなぁと思っている次第です。小説や詩を書くならば、言葉のリズム感は忘れてはいけない。時にそれがDream Theaterのように変拍子で受け手を翻弄させるものになるとしても。

2004年5月15日土曜日

女子バレー日本×韓国 観戦記

 というわけで行ってまいりました女子バレー日本×韓国戦!テレビを見ていたら「やべぇ、俺も"ニッポン!"とか叫んで頭真っ白にしてぇ」とかいうわけのわからない衝動が生まれてしまい、思わず昨晩Yahoo!オークションで当日会場近辺で手渡しのチケットを落札。会社を強引にフレックス・コアタイム一杯の16時で切り上げて、渋谷から千駄ヶ谷までJRで15分、東京体育館に乗り込んでまいりました。いやー、よかったですねぇ(笑)。会場入りするなりまず、いの一番にあの応援用のバルーンスティックを購入し、バンバン、バババン、ババババン、ババン♪と悦に入ってぶっ叩いてました。試合が始まる前からこのバンバン、バババンとかニッポン、チャチャチャとか、定期的にスピーカからリズムが流れてきて練習させられるんですよね。バボちゃんが手を振るだけで大騒ぎな会場をさらに煽るように、終いにゃウェーブの練習まで試合開始前にさせられました(笑)。まぁ、このウェーブの練習は人によってかなりの気温差がありましたが。私の席はスタンドA席南だったのでコートからは少々遠いのですが、位置的にはちょうどネットの辺りで頭上1mにはテレビのメインカメラが控えるという、要は非常に見晴らしのいい席で、試合は実によく観えました。

 いやー、それにしても今日は佐々木!熱かったです。止まらない止まらない。1セット目の前半、栗原ももう一つエンジンがかかってない様子で、木村は数は打つんだけど韓国に片っ端から拾われて、決定力不足が素人目にも明らかだった時に日本にしては珍しい1セット目中盤での選手交代で登場。入るなりいきなりスパイク決めて、その後も立て続けに点を取り、一気に日本のペースにしてしまいました。他の選手より明らかに一回り上のパワーを武器に、あまり表情を変えずにクールに敵陣をブチ抜く様はかなり男前でした(笑)。ってゆーか私の後ろに座っていた女子高生二人組、佐々木選手のファンらしくプラカードまで作って応援していたのですが、「ササキー」と大声で叫びまくってやかましい・・・。最後のインタビューで佐々木の晩になった時に至っては「佐々木結婚してー」とまで叫んでましたからね。まぁ、男がふがいない今の世の中、佐々木や吉原のような男気溢れるタイプは女性にも大人気のようです(?)。というか佐々木のスパイク、ホントにスピードが他の選手と全然違うんですよ。練習の時、私の席に一番近いところで栗原と二人で片方がトス上げてもう片方がスパイク打って、トス上げた方がレシーブして、次は役割交代して・・・、ってずっとやってたんですが、栗原より佐々木の方が数段スピードもあるし重そう。なんだかんだいって栗原のスパイクはまだ軌道が軽く放物線を描きますが、佐々木のは突き刺さるように直線的に飛んでいきますからね。生で見たら凄かった。

 やはりテレビというのはどうしてもコート全体を見渡すわけにはいかないもので、テレビで見てても気付かないけど生で見ると凄いってのはやはりあるものです。今日一番そのテレビと生のギャップを感じたのは成田。正直リベロというポジション自体テレビじゃあまり目立たないですが、あの成田の拾いっぷりは凄いですよ。相手のスパイクや速攻をひたすら拾うのがリベロの仕事ですがこの成田、どこから飛んできてんのかわからないけどとにかく常にボールの着地点にいて、他の選手が反応できてない時でも一人でドカンとボールを上げてるのです。相手のトスが上がってからスパイクが着地するまで、それこそ瞬きしてたら見逃すくらいの一瞬の世界な訳ですが、成田はその一瞬の間に「アンタ今までそこにいなかったでしょ!?」ってところからあっという間に飛び込んでくる。で、あたかも最初からボールの軌道上にいたかのようにレシーブしちゃうわけです。テレビだと大体そのボールの軌道に入った後しかわからないですが、その前にそれこそ全然関係ないところから一瞬で飛び込んでくるんですよ。きっと「ブロックがあそことあそこに飛んだら抜かれるとしたらここ」みたいな憶測や経験と勘を駆使して瞬間的に判断して動いてるんでしょうが、あれは凄いです。なんでいつもそんなにボールのあるところにいるのか不思議なくらいでした。後は大友のブロードですね。これも一瞬で物凄い距離を移動してきて、しかも直線的に上げられた早いトスを、ボールが上昇のピークに達する前にぶっ叩く。テレビで見ると「なんで相手のブロック皆ついていけないんだろう」と思うこともあったのですが、いや、あれは無理ですよ。凄まじく早い。大友飛ばして後ろから高橋とかの時間差も、恐ろしいスピードで大友が突っ込んでくるから、観てるこっちまで「大友が打つ」と思っちゃって、実は大友スルーで後ろから高橋とか、結構だまされました(苦笑)。生で観ないと時間差の本当の味ってわからないものだなぁ、と思いましたよ。

 最後日本が佐々木のサービスエースで韓国を下し、アテネ出場を決めた時の騒ぎといったらもう凄いものでした。皆一斉に立ち上がってのスタンディング・オベーション。会場全体が熱気と感動に包まれて、巨大なバボちゃんがアリーナ西から出てきてインタビューに並ぶ選手の上を空中をぶら下げられて漂っていくは、アナウンサーは(また)泣くは、選手の涙でもらい泣きする観客も出るはでもう大変。選手が何度も体育館を回って退場するまで、ほとんどの人は席から離れませんでした。まぁそれだけ熱い空気だったということでしょう。私もここまでしてスポーツ観戦をするのは今回が初めてだったのですが、客席でかなり燃えてました(笑)。いくらまた観に行きたくて応援したくても、さすがにアテネまでは行けませんからねー。今回アテネ行きが決定する瞬間に立ち会えてよかったです。いやー、興奮した(笑)。オークションで勝負をかける前にちょっと悩んだのですが、これは行ってよかったです。今日の女子バレー日本×韓国戦で体験できた時間:プライスレス、って感じでしたね(笑)。是非アテネでも頑張ってもらいたいものです。

2004年5月10日月曜日

人生最後の音のように

 率直に言うと、最近クラシックの演奏家、それはギターとかピアノとかに関わらず、少なくともほとんど大部分のクラシックの演奏家に対して、非常に大きな違和感を覚えている。それはひとえに、彼らがあまりに演奏者として完璧であるからかもしれない。そして、彼らがあまりに「音」というものに対して鋭敏であるからなのかもしれない。少なくとも私は、そう思っている。

 クラシックの世界は他では見られないほど圧倒的な専門化・分業化が進んだ世界だ。どの音楽世界でも、例えば楽器制作の専門家は演奏家・作曲家とは別に存在するのが常だが、クラシックでは作曲家と演奏家さえもが完全に分業されている。あまりに当たり前のことなので気付かないかもしれないが、これは他の音楽世界ではほとんど考えられないことだ。ポピュラー界のアイドル歌手とかはまぁ音楽が専門というわけではないので無視するとしても、基本的にロック・ポピュラーの世界では作品は自作自演だ。他人が作った曲を演ることは「カバー」という形でむしろ特別視される。ジャズやブルースではいわゆるスタンダードナンバーとして既存の曲を演奏することは珍しくはないが、常に演奏する側は自分なりの解釈を加えてまったく他とは違うアレンジにしてしまうことがほとんどだ。譜面通りの演奏というのは(修行段階を除いて)まずあまり聴かない。ボサノヴァやその他世界各地の民族音楽にしても状況は似たり寄ったりだ。その中、クラシック音楽だけが与えられた譜面を忠実に演奏するという行為をその世界のトップクラスの演奏家達が何の疑問もなく行うという、ある種特別な状況下で音楽が再生される。「譜面通り」ということが特殊だとは認識されていない音楽世界。最近はそこに違和感を覚える。

 もちろん、クラシックには他のジャンルと比べて蓄積されてきた音楽(譜面)の量が違う等といった背景は当然ある。しかしその蓄積にこだわるあまり、表現という意味での自由さが失われているのではないかと思うわけだ。クラシックの演奏家は、その音楽の特質上、他人が作った曲を如何に音楽として演奏するかをまず問われる。そしてその上で、演奏家自身の個性や表現といった自由が出てくるわけだ。まずはよく設計され、統制された土台の上での限定された範囲での表現の自由。クラシック愛好家は苦言を唱えるだろうが、正直、そのように思えてしまう。

 そもそも、何かを表現しようとする際、既に他人が作った何かに全面的に依存しようということ自体に無理があるのではないだろうか。クラシックの(大部分の)演奏家は自分のために作曲をしない。はっきり言ってしまえば、そこに無理があるのではないだろうか。何かを本当に心から表現しようと思った時、出来合いのものがその表したい何かに100%はまるということはほとんど考えられない。90%まではまっていたとしても、残り10%に残るずれは、どうしても消すことができないジレンマとして残ってしまうだろう。もちろん、それを自作自演の即興でやったとして、それが表現したいものを100%出せるという保証はどこにもないし、むしろやはりそうできないことの方が多いだろう(何といってもそのためには望むものを瞬時に実現できるだけの高度な技術力と、望むものを音へと形作っていくだけのインスピレーションが必要なのだ)。その意味で、クラシックの枠内の表現というのは、常にある程度のレベルの高さを保証するブランドの既製品といった感じがどうしてもする。それ自体悪いことではないが、どうしても既製品的な着心地の悪さがわずかに残るのだ。私が思う偉大な音楽家達は皆、素晴らしい演奏家であると同時に素晴らしい作曲家であった。マイケル・ヘッジスもそうだし、バーデンパウエル、ピアソラ、キース・ジャレット、リッチー・ブラックモア・・・。彼らの演奏はその10%のずれを埋めることのできる、自由自在な表現に対する意思で満ちている。だからこそ(少なくとも調子のいい時の)彼らの演奏は聴くものの心をしっかりとつかんで離さない。私がクラシックの演奏を聴いて欠けていると感じる何か、逆に先にあげた演奏家達が持っている何か、それを敢えて語るとすればそのようになるだろう。

 もう一つ、クラシックの演奏家は音を聞きすぎる。音を聞きすぎるあまり、音と音の隙間、空白を聞けていない。音のない間を演奏できていない。そのように感じる。それは2つの意味がある。一つはテンポを揺らす際。先日キース・ジャレット・トリオを聴いた際に強く感じたことだが、彼らはどんなに激しいアドリブのバトルの最中でも、どんなにゆったりとメロディーを歌い上げている時でも、常にテンポの芯は揺らさないし外さない。どんなに好き勝手に揺らしているように見えても、要所要所では確実にメトロノームの芯に合わせてくるし、曲を通して見た場合、確実にメトロノームは乱さない。本来それがアドリブや、あるいは装飾音、場面展開の基本的な約束であるはずなのに、クラシックの演奏家は本来ずらすべきではない時に平気でテンポの芯をずらす。だから木村大や村治佳織の『サンバースト』はあんなに聞き苦しいし、大萩康治の『羽衣伝説』も最後に低音を連打するところで一度乱れて、コードをかき鳴らすところでもう一回崩れて、ってなってるから腰を砕かれてしまい全然ノれない。ファリャの『粉屋の踊り』のクライマックスに至っては、ほとんどすべてのギタリストが好き勝手にテンポ設定するだけで曲自体の流れは無視されている。どうも、クラシックの演奏家はテンポに対する感覚が甘いように感じる。

 もう一つは休符に対する意識だ。バーデンパウエルの演奏を聴いていると強く感じることだが、休符はれっきとした音の流れの一部であり、音楽を表現する上で欠かせないものだ。休符がピリッと締まらない演奏は、スパイスの効いていないエスニック料理のようなものだろう。その意味で、休符はただ「音がない」とか「休み」というのではなく、明確に意識的に曲のリズムの一部として意識して演奏されなければならない。クラシックの演奏家は和音構造の変化による余計な音の休止や、旋律の流れとしての休符は明確に演奏できているものの、リズムの一部としての休符という面では非常に意識が甘いように思う。ただ譜面通り音を止めているだけで、生きたリズムが感じられない。だからクレーメルやヨーヨーマが弾くピアソラにはピアソラ特有の暗い熱気が抜けてしまっているように感じるし、クラシックの演奏家が弾く民族舞曲はどこか気が抜けているように感じる。総じて、音の高さや質に対する感性の高さと反比例して、リズムに対する意識が低いように思うのだ。

 もちろん、すべてのクラシック演奏家がそうだと言っているわけではない。素晴らしい演奏家ももちろんいる。ただ、クラシックの世界全体を見渡すと、大部分の人がただ演奏家というレベルで止まって、本当に何かを紡ぎ出す表現者という段になるとほとんど存在しないというのを危惧している。ただ完成度の高い演奏を少々独自の解釈を入れて聴かせるだけで、私流の言い方で言えば「魂が入ってない」。特にクラシックギターの世界では、セゴビアやその他先達の偉業をないがしろにするつもりはないが敢えて言わせてもらえば、真の意味で他の音楽世界に匹敵するほどの巨大な才能というのはまだ生まれていない。クラシックギターは他のクラシック楽器の世界と比べるとまだ派閥やら何やらの音楽以外でのしがらみは小さい方なので、逆にこの凝り固まったクラシック音楽世界の現状を打破できる可能性はある。色々言ってきたが、私はクラシック音楽は好きなのだ。だから、どうか、もっと心のこもった演奏を聴かせてほしいと、そう思うのだ。キース・ジャレットがバド・パウエルの演奏に感じたような、音の一つ一つに「まるで人生最後の音のよう」に思える、そんな魂の入った演奏を。

2004年5月9日日曜日

女子バレーアテネ最終予選開幕

 女子バレーのアテネ最終予選が始まりました!今日夜20時前くらいに試合が放映されているのに気付き(←オイ)、またも随分エキサイトしながら見ておりました。昨日から私は39度近い熱を出して寝込んでしまっているわけですが、そんなことは気にしたら負けです。いやー、今日もフルセット、熱い闘いでしたね。しょっぱなからあのイタリアを倒すとは非常に幸先いいスタートです。

 しかし今日見てびっくりしたのは木村沙織選手の成長ぶり。17才で全日本最年少(なんとまだ高校三年生!)の彼女ですが、前から後ろから打ちまくる打ちまくる(笑)。終いにゃサービスエースまで決めてましたからね。前回のワールドカップの時は、彼女時々ピンチサーバーとかでコートに出ては来るものの、なんかただ出てくるだけでほとんど何もできないで去って行くという印象が強かったのですが、今回は違いますね。えらい活躍ぶりです。たった半年足らずでここまで人間成長できるものなのかと、ほとんど敬服すらしてしまいそうな勢いでした。いやー、ああいうのを見てると自分もここで停滞しているわけにはいかないなと思ってしまいます。

 今日から始まった全日本女子バレー・アテネ最終予選、またしばらく楽しませてくれそうです。是非この予選を通過して、アテネでも試合を見せてほしいものです。

2004年5月7日金曜日

GWレポート

 さてさて、連休が明けました。私の業界ではウィルスSasserがMSブラストの時と同様、連休明けのぼけを問答無用で醒させるかのように炸裂してくれましたが、皆さん如何お過ごしでしたでしょうか。この連休はいつになく休みらしく(?)、実に色々なところを見て回ってきました。ここは一つ日記らしく、その記録の意味も含めて回ったところを羅列してみましょう。


 新潟から帰ってきて明けの2日は横浜中華街及び赤レンガ倉庫、クイーンズスクエアへ。今年から開通したみなとみらい線沿線を回るトレンドな(?)コースです。そのせいかもう人が多い多い。中華街なんてもはやオールスタンディングのライブ状態のごった返しで、並ばずに店に入るは事実上不可能。豚まんを立ち食いし、中国茶を種類・いれ方等を説明してくれて楽しめる喫茶店のみ行って、後はもう這々の態で次の赤レンガ倉庫へ向かいました。が、ここもひどいもので、色々とお洒落で変わったアンティークなどあるものの、とてもまともに商品を見てられる状態ではありません。疲れきってクイーンズスクエアに取って返し、ここも混んでいるとはいえ多少はましな人ごみの中、食事などしてから帰ってきました。

 3日は今度は東京です。まずは表参道に繰り出し、キルフェ・ボン(?)というタルトの有名な店へ。店で食べようと思っていたら余裕で一時間半から二時間待ちだと言われたので、持ち帰りでタルトを買って渋谷のクロスタワーまで歩き、そこでカフェ・ラテなど頼んで外のベンチでこっそり食べたりしました。その後山手線~ゆりかもめと乗り継ぎお台場へ。こちらは意外と人も横浜ほどは多くなく、水上バスで東京湾内クルージングを堪能したり、おいしいワッフルとパスタを食べたりして珍しく世間並みの都会の楽しみを満喫した一日でした。

 4日は今度は鎌倉へ。天気も崩れてきそうだったので、あまり長くはいなかったのですが、それでも大仏と長谷寺を回って、脂取紙や若宮通りのせんべい屋さんを回ることはできました。しかし私、中学時代の修学旅行を始め何度か鎌倉には行ったことがあるのですが、なんとまだ一度も大仏を見たことがなかったんですね。自分の中では見たことがあると思っていたのですが、どうやらそれは錯覚だったようです(苦笑)。今回大仏を目の当たりにして、「いや、こんなのはみたことないぞ」と。・・・ん?でもそういえば中学の修学旅行の写真で大仏の前で撮ったものもあったような・・・?う~ん・・・。

 5日は基本的には休息です。日吉にある本格派の紅茶・ハーブ茶の専門店をのぞいてみたりして時を過ごしていました。が、夕方にはこのGWの締めがまっています。そう、神奈川県民ホールでキース・ジャレット・トリオのコンサートです。4月末にたまたまどこかでキース・ジャレットが来日するというのを知り、「それは行かねば!」とオークションでチケットを競り落としたお楽しみのコンサートです。ジャズのピアノ・トリオのコンサートというのは初めてですし、正直ジャズは背景やら何やらそういったものはまったくわからないので、逆にもう純粋に音楽を楽しむしかないわけですが、いやあれば凄かった。どの世界でも本物というのは理屈抜きに心を持っていってくれます。キース・ジャレットはやはりCDで聴いたキース・ジャレットでした。それはもう語りたい気持ちで一杯ですが、明らかに長くなるので今日はここまでにして、また日を改めてキース・ジャレット・トリオのコンサートについては語りたいと思います。

 友人の結婚式に始まり、キース・ジャレット・トリオのコンサートで締められたこのGW、飛び回りすぎてかなり疲れました(苦笑)。いや、精神的にはいいリフレッシュになりましたが。とりあえずもう連休も終わり、またいつもの生活が帰ってきます。パシッと気分を切り替えて、また現実と向き合う日常に戻っていきたいと思います。

 以上、敢えて非常に叙事的な列記に終始した、GWのまとめ日記でした。

2004年5月4日火曜日

イベント三昧のGW

 GW、何だか色々なところを飛び回っております。1日は高校時代の仲間の結婚式のため新潟へ。そしてそのまま帰ってきて、昨日は横浜、今日はお台場とあらゆる方角に出向いております。

 なんと言いますか、やはり仲間が結婚して幸せそうにしているのを見ていると、幸せということについて考えてみたりもします。幸せの形は人それぞれだとも言えば、幸せの形は皆似たようなものだが不幸の形は人の数だけあるとも言います。全人類的にどうだとか、そんなことを考えるほど大それた人間じゃないですが、自分にとって幸せとは何か、それをつかむにはどうすればいいのか、そんなことをこの連休中ずっと考えていたりするのです。結論はまだ出ませんが、いつになくイベント三昧のこの連休、色々なものを見て聴いて感じて、幸せに向かう方法性というのをじっくり考えてみようとも思うのです。まぁざっと、そんな感じ。

2004年4月29日木曜日

忘れていた哲学

 昔の仲間と話していると、時たま自分で「俺そんなこと言ってたっけ?」と思うような当時の自分流哲学を思い出させられることがあります。

 今日高校時代の仲間と話していて出てきたのは「たとえどんなひどい状況でもとりあえず笑いを。それもできればブラックな」という当時の私の名(?)台詞。「笑う門には福来る」的な発想とはちょっと違って、どんなに緊迫した場面(当時は色恋沙汰とか先生に説教食らうとかが主)でも、空気が転調できる頃合いを見切ってブラックなユーモアで周りを(たとえ苦笑いでも)笑わせてしまえというこの発想。台詞自体は忘れていましたが、なるほど今も私はそんな感じです(爆)。上司とケンケンガクガクやりあってる時でも、表情は厳しいまま台詞だけ強烈なブラックユーモアをかまして、対象とされた本人以外の周囲の誰かをニヤリとさせられたら私の勝ち。結構そんな感じです。別にそんなことしたって特別状況が有利に変わることもあまりないですし、むしろ相手が悪いと「真面目に話してるんだ」と火に油を注ぐことにもなりかねないわけですが、何故だか昔から私にはそういう傾向があるようです。ただの強がりといってしまえばそれまでですが、笑いを取りにいくことができるということは周囲を見渡す冷静さがまだ残っているということ。逆に笑いを取ろうと思ったら冷静にその場の全員の一挙一動を観察しなければなりません。緊迫した空気の中でその緊張を解きほぐせる一瞬は、熱くなってしまってはつかめるものではないですからね。そうやって無意識のうちに最低限の冷静さと観察眼を保つ戒めとして、「たとえどんなひどい状況でも笑いを」と私は狙っているのかもしれません。・・・ま、多分そんないい理由じゃないんでしょうが(←オイ!)。

2004年4月26日月曜日

XXX会議

 会議は踊る。そして出席者は踊らされる。19時から始まった今日の会議、終わったのは23時ってどういうことじゃあ!?

2004年4月25日日曜日

後ろ向きな日曜の午後

 日曜日の夜、風呂から上がって一息つくと、とてもホッとして落ち着くのと同時になんだか少し侘びしい気持ちにもなる。いつからか、休日の意味が変わってきたように思う。学生の頃も、そりゃ休日というものはあった。カレンダー上の休日というのでなく、授業もなく、部活もなく、バイトもない、要は何も用事のない家を出る必要のない日。そんな日にはよく思い立って部屋の掃除をしたり床屋に行ったりしたものだ。100%自由な時間を手に入れた時は、案外何かを書こうとかギターの基礎練をしようとかは思わないもので、大抵は後にも先にも何も生み出しはしない非生産的な、どちらかというとこれまでの日常で溜め込んできた雑事の精算的な行為に従事する。それは今も昔も変わらない。

 けれど、その後が何か違うのだ。休日の終わりに、心を構えるようになった。「さぁ、明日から・・・だ」と。昔は別段そんなことも意識せず、普通にHPを更新して寝て起きて、休日も何も変わらない時間が流れていたように思うのだが。かつては連綿と切れ目なくつながっていた休日とその他の日は、いつからか間に大きな境目ができてしまっていた。当然と言えば当然のこと。明らかにそれらは違うのだから。過ごす時間の内訳においても、場所においても、心理的な面でいっても。けれども、何故休日の終わりに身構えなければならないんだろうかと思う。何故休みの日の終わりに、寂しさに似た気持ちすら覚えなければならないんだろう。それは次の日を、少なくとも完全には、前向きに迎え入れられていない証拠だ。色々思うところはあるけれど、結局、そろそろ潮時だということなのかもしれない。

2004年4月19日月曜日

Apple 2004年春の新製品

 Appleが新しいPowerBookとiBookを発表しました。PowerBookのCPUは1.33GHからという速度になり、AirMac Extreamも標準搭載になった上でさらに値下げが敢行されています。とはいえ今のPowerBookもAirMac Extream付で相当安く手に入れたので、こちらとしてはやられた感はまったくないものの、相変わらず突然新ラインアップを発表する企業です(苦笑)。まったくの値引きなしでこのマシン買ってたら今頃凄い後悔してるよ・・・。だからMacは噂系のサイトが後を絶たないんですよねー・・・。とはいえこの新ラインアップ、Macのノートが欲しいと思っている人には買いの方向にシフトしたと言っていいでしょう。今このタイミングで出てこないってことは、PowerBook G5が出てくるのはもっと先でしょうし。さぁ、買いましょう!? メモリの増設を考えるなら、これからまた相場が上がり始める(つまり今が底値)らしいのでお早めに。

2004年4月18日日曜日

書くために

 最近、なかなかこの日記や、ひいてはこのページに書くべきアイディアがまとまらずに苦労する。アイディアがないわけではなく、小さな元ネタを広げようとしてキーボードに向かうと、そのアイディアが表に出ることから逃げ出すようにサッと霧散雲散消えてしまうのだ。

 たとえば、通勤の電車ではいつも大抵何かしらの本を読んでいる。一冊読んでいるとそれがどんなジャンルの本であれ、一カ所くらいは何か思うところがある場所があり、そこについて書きたくなる部分があるものだ。そして実際、その場で簡単な草稿を頭の中で作り上げたりもする。ところが、そこまでしておいていざ帰宅してPowerBookを立ち上げると、ふっと書こうと思っていたものがわからなくなってしまう。もしかしたらそれは書きたいものがわからなくなるのではなく、頭の中でかなり具体的に練り上げたつもりの草稿が、実は本当に文章にするには曖昧にすぎるもので、だからいざ書こうと思った段階で筆が止まるということなのかもしれない。けれどとにかく、日記に何か書こうと思っても小説やエッセイを書こうと思っても、万事がその調子で形にならない。創作意欲がないわけではないだけに、その空回りが自分で悔しい。

 どうしたものかと考えた末、いつも本と一緒に付箋とペンを持ち歩くことにした。そもそも本を読んでいて「後でここについて書こう」と思った場合、その「後で書く」時が訪れた際にはそれがどこだったか、ひどい場合にはどの本だったか忘れてしまっている場合が多い。そして活字の本を一冊目を通して、お目当ての箇所を拾いだすというのはなかなか骨の折れる作業だ。だから、すぐに「後で書こう」と思った場所を引けるように付箋を貼っておこうというのだ。カバンの中とかにあって取り出すのが面倒では元も子もないから、常にポケットに入れて持ち歩く。ペンがあれば気が向けばついでに一言二言メモを一緒に残しておくこともできる。とりあえずはそれで、何が書きたかったのかを忘れているだけなのか、あるいは頭の中でまとまったと思っていたものが実はまとまっていなかったのかの切り分けにはなる。前者ならこれで場所がすぐ思い出せるようになれば、後はスラスラと書けるだろう。後者ならこっちの頭の問題だ。すぐに解決とはいかないだろうが、それならそれでやりようはある。

 とにかく、何か書いていくことが大事なのだ、今は。文章にしろ音楽にしろ、一度手を止めてしまったものはその後、手を止めた時点での立ち位置まで帰ってくるのは難しい。社会人として仕事を持っているとなおさらだ。だから、まず手を止めるわけにはいかない。そこから先に進むかどうかは、まだ考える時間はあるとしても、一度止めた手をまた動かして、止めた時点と同じ位置まで戻ってくるために使うだけの時間は多分もうないのだから。

2004年4月17日土曜日

おいしいジン・トニックの作り方

 久しぶりに自分でジントニックを作りました。夕方いつもよく行くスーパーで買い出ししていて、ビールを買おうかどうか迷っている時に、ふと「そういやタンカレー(ジンの銘柄)が家にあったなぁ・・・」と思い出し、トニックウォーターとライムを買い込んできたのです。

 ジントニックの作り方は簡単で、大きめのグラスに氷を入れ、ジンとトニックウォーターを1:4くらいで割ってライムを絞ってブチ込めば完成です。それほどデリケートな調合でもないので、多少割合間違ってもそんなにひどい出来にはなりません。材料さえあれば誰でも比較的手軽においしくいただけます。なのに時たま恐ろしくまずいジントニックを出す店があるのです。あれはむしろどうやってあんなにまずく作ってるのか、その秘密が知りたいくらいです。

 ジントニックを作る場合のジンはゴードンが一般的ですが(ジントニックに限らず、一般にジンベースのロングカクテルはゴードンが向くと言われている)、ジンが好きな人はちょっと贅沢にタンカレーを使うとより一層おいしくいただけると思います。トニックウォーターは私は基本的にシュウェップスを使いますが、今日カナダドライで試してみたのも結構いけたので、まぁどちらでもよいでしょう。問題はライムです。個人的にはライムは一杯につき1/4切れ、多めに贅沢に使うのが好きです。バーとかだと大体1/8切れくらいなんですけどね。ちょっと大きめの1/4切れライムをキュッと絞って、それをそのままグラスに入れてグッと飲む。これですね。間違っても「ライムは高いからレモンで」なんて考えたらダメです。レモンでは甘みが強すぎて、味が締まらずに輪郭がぼやけてしまうのです。ライムジュースもイマイチ。本物のライムは、一回で使い切るならいいけど残ってしまうと保存とか色々めんどくさいというのは確かですが、カクテル用のライムジュースはことジントニックに限って言うなら使わない方がよいです。酸味に爽やかさが欠けてしまいます。ジントニックはあらゆるアルコール類の中でも他に例を見ないほどの爽やかさというか健康さ、スポーティさが命。その身上を活かすためには多少めんどうでもフレッシュライムを切って使うのが一番なのです。

 ・・・というわけで、久しぶりに包丁持ちました(笑)。

今日のカクテルレシピ
ジントニック
 ジン 1/5
 トニックウォーター 4/5
 ライム 1/4切れ

 大きめのグラスに氷を入れ、ジンとトニックウォーターを注ぐ。ライムを絞った後そのままグラスに入れてステアする。ちなみにカクテルレシピ的にはジンは45ml、トニックウォーターは適量と書かれております。

2004年4月15日木曜日

ビールも飲めずに

 いやー、今週に入ってからは忙しかったですね。深夜作業でホテルとってのお仕事だったり、お客さんと飲みに行くことになって店に入って、ビールが出てきて「さぁ飲むぞ!」って時に別のお客さんからトラブル報告が入って、目の前のビールに口を付けることなく泣く泣く会社に戻ったり、何かそんなんばっかりでした。さすがにちょっと疲れます。ってゆーか目の前にビールがあるのに飲まずに仕事に戻るというのはどうなんでしょう?あれが一番ストレスになったという説もあります(笑)。

2004年4月9日金曜日

渋谷の春

 春になったなと感じるのはやはり、暖かい日差しと爽やかな風を感じられた時。昼飯をさっさと食い上げて、クロスタワーのスターバックスでカフェモカを買い、すぐ出たところの花壇のような芝生のようなところに腰かける。ほどよく眠くなる暖かさ、吹かれるままでいたい風の心地よさ。仕事なら後でいくらでもやってやるから、とりあえずここで一時間眠らせろと叫びたくなる、そんな柔らかい春の午後。たとえすぐ近くを走る首都高の騒音が多少気になっても、もし飛行機が突っ込んでくるならそれはこのクロスタワーかセルリアンタワーか、あるいはマークシティか六本木ヒルズかなどと殺伐とした話題で盛り上がっていたとしても、やはり春の陽気は気持ちいいものです。

2004年4月7日水曜日

理性と感情

 本音とタテマエ、理性と感情が交錯する。色々言ってはみたけれど、結局のところそれは感情に流されたわがままにすぎなかったりして。だけど、自分で驚いた。理性を押し切ってまで出てくるほどの強い感情なんて、自分の中にはないと思っていたのだから。というより正確に言うと、どんな感情でも抑えきれると、自分の理性の強さに自信を持っていたのだから。・・・どうやらそれほど強い感情にここしばらく巡り会っていなかっただけみたいだ。ふむ、いいんだか悪いんだか。

2004年4月5日月曜日

「とりあえず」

 「とりあえず」とか「当面は」とか、そんな言葉が飛び交う日常には少し嫌気がさしてきた。こいつらの使い方は難しい。ちょっと間違えるとやたらと否定的だったり悲観的だったり、すねてるように聞こえたり、強情なように聞こえたり。文脈や用法というよりむしろこの言葉が出てきたときの表情や声色が、その意味以上に印象を変える。ただでさえしぶしぶな妥協を意味するこの言葉、すんなりと前向きに響かせるのは難しいのかもしれない。

 まぁとはいえ言ったそばからなんだけど、「とりあえず」今は、この週末まで桜が咲いてくれていることを祈る。

2004年4月4日日曜日

趣味としてのプログラム

 新しいマシンの環境整備も少しずつではありますが順調に進んでいます。とりあえず512MBのメモリを一枚増設し、768MBの実装メモリにグレードアップ、ついでにAirMac Extreamのカードも取り付けました。これで私の使用用途としては今のところ十分なハード環境でしょう。さすがに家のマシンでエンプラ系の開発なんぞしないだろうしなぁ・・・。で、昔から愛用しているテキストエディタJEditの最新版を入れて、細々としたシステム環境を整備して、やっと少しずつ私のマシンになってきました。しかしMac OS Xって、Mac使いとしてもシステム技術者としても非常に面白いOSなのですが、なんか、色々微妙にわからん(苦笑)。基本はBSD系UNIXなので、シェルもtcshが使えるのですが、な~んか微妙にコマンド名が変わってたり、Mac OS Xにしかないコマンドやら概念があったり。どうやら真の意味でコイツを使いこなすには少々勉強が必要なようです。ちなみに私はとりあえず、いきなりログインシェルをbashに変えるという暴挙に出ました(笑)。だってbashの方が慣れてるしぃ~・・・。

 で、今は手始めに前のマシンで使っていたOutLook4のメールを現在の環境に取り込むプログラムを暇を見て少しずつ作っています。いや、やっぱり七年間蓄積してきたメールの財産って捨てたくはないですからね。私のマシンのOutLook4はもう古すぎて、今の世の中では形式を変換してくれるプログラムが見当たらないので、それなら仕方がないから自分で作ろうとやっています。ついでにPHSのメールもH"問屋で一通一通持ってくることはできるものの、そこからはテキストとして開く以外どうにもならないので、一緒にPHSのメールも現在の環境に取り込んでしまうというのも作ってます。どっちかっつーとこっちの方が楽なんですよねー。通常のEメールはエンコードの形式やら何やら取り決めが色々めんどくさい。その点AirH" Phoneのメールは適度に仕様に手が抜かれていて楽です(笑)。ま、この新マシンの使い心地と性能を確認する意味も含めて、そんなこともやってみたりしています。

 完全に趣味としてのプログラムってのは実は初めてなのですが、これはこれでなかなかそれなりに楽しいですね。仕事では期限や予算や政治の関係で曲げたり妥協したりしなければいけない部分も結構多いシステム屋の世界。ビジネスという名の下にものづくりとしての美学や精神が曲げられたり捨てられたりしてしまうのはプログラムも同じです(一昔前の芸術家には社会主義思想の人が多いのはそこが原因なんだろうか?)。やはりこの仕事も、できる人ほど職人的な美学を持っているものですからね(『プログラマー職人気質』という本まである)。ま、完全にプログラムを趣味としようとは思いませんが、必要性があるときに思い切り設計や細部の実装の美学にこだわってプログラムをしてみるというのも、普段押し潰された美学を飛び回らせてストレスを解消するという意味ではいいのかもしれませんね。

2004年3月31日水曜日

去り行く人たち

 ちょうど人の入替・異動の時期です。どこでもそうだと思いますが、ウチの会社もやはり例外ではなく、今日一杯でやめる人もいれば明日から新しく来る人もいます。

 会社のかなり初期からずっと10数年、営業一筋で勤め続けていた人が辞めていきました。正直、うだつが上がるタイプの人ではなかったのですが、それでも随分長い間真面目に勤めていた職場です。彼は今日一日、どんな気持ちで勤務していたのでしょうか。一緒に仕事をしたことがあるわけでもなければ、特別親しかったわけでもない人なのですが、「お世話になりました」という全社員向けの挨拶メールを読んだ時、なんとなくそんなことを考えたりもしました。

 私と同じグループで、同期入社でずっと一緒にやってきたヤツは、去年の6月に辞めていきました。最後の日の前夜まで徹夜で仕事をしながら、深夜4時くらいに「この状態で明日いっぱいでこの会社辞めるなんて全然実感わかないよ」と言っていました。

 2001年3月12日、私のRAINBOW-staff最後の勤務の日記。図書館の最後で、端からヒュンッと音を立てたかと思うとモニタが暗転して電源が次々に落ちていくのを見ながら、たまらなく寂しい気持ちになったのを覚えています。一緒に勤務していた当時研修生だったもう名前も覚えていない女の子に、「この最後に落ちていくマシンを見るのが結構好きだったんだ」というようなことを言った記憶があります。

 去り行く人たちはその最後の一歩を職場から踏み出すときに、一体何を感じていたのでしょう。開放感や安堵感でしょうか。寂しさや悲しさでしょうか。あるいは他の何かでしょうか。それがどんな感情であれ、最後の去り際に何かを思い、感じることができるのなら、それはきっとその仕事や職場に対してそれだけ頑張ってきた、誇りを持ってきた証拠なのでしょう。それがどんな形であれ、その感じたものが強ければ強いだけきっと。その年月が長いとか短いとかでなく。

2004年3月28日日曜日

散々な土曜日

 しかし昨日は散々でした。何か朝から頭が痛いなーと思っていたのです。とはいえ、今ちょっと外耳炎を患っていて、その痛み止めに処方されている薬が基本的にバファリンみたいなものなので、頭痛にも効果があるから大丈夫だろうと、あまり胃に優しくはないポンタールというその薬を飲んで休んでいました。ところが、飲んで一時間とか経っても頭痛はほとんど収まってくれません。まぁこの頃は痛みも耐えられる程度のものだったので、ぐったりしつつも横になって休んでいました。

 そんな時、私の会社携帯が鳴りました。「・・・土曜に電話してくるとはいい度胸だな、誰だ!?」と思って見てみると、なんとそれはとあるお客さんAからです。頭痛いしあまり出たくはないんだけど、土曜に携帯に直接電話してくるくらいだからまぁきっと急ぎのようなのだろうと電話に出ます。すると案の定今テスト稼働中のシステムに不具合が起きていて、月曜朝から上層部にデモをするのでなんとかしてくれとのこと。仕方がないので「明日(つまりは今日)直します」と約束して電話を切ります。それがストレスになったのか(そんな弱い神経してるつもりはないのですが)なんか段々頭痛もひどくなってきて、メールを打つ余裕すらなくなってきたので、それまでコタツで横になっていたのから本格的にベッドで横になり、じっと目を閉じて痛みをやり過ごします。そのうちに、うつらうつらと眠っていました。

 ・・・ところが、その回復のための眠りの最中、また会社の携帯が鳴りました。今度は何だ!? と思って見てみると、な~んと今度は別のお客さんBからです。「どいつもこいつも土曜にわざわざ携帯に直接電話してくるなんざ余程仕事が好きなんだな」と心の中で悪態をつきつつも電話に出ます。今度はトラブルではないものの、金曜日に確認したはずのことの再確認の電話。それだけか!? 土曜にわざわざ携帯に電話かけてきて本当にそれだけか!? と心の中で叫びながら電話を切ります。

 頭痛はさらにひどくなってきています。なんだか吐き気までしてきました。こみ上げる嗚咽に耐えながら、重く鈍い痛みの走る頭を抱えてトイレヘ行き、何事もなくベッドに戻る、そんなことを何度繰り返したでしょう。しまいには頭痛が耐えられないくらいになってきて、手足もしびれてきました。枕の上に頭をおくと、頭蓋骨の中にある鉛玉が転がって頭蓋にぶつかったかのような鈍い痛みが頭に響きます。「これはダメだ」、私はそう判断しました。頭痛薬飲んでるのにまったく痛みが引く様子もなく、吐き気にまで襲われています。土曜日の午後、近くの町医者はやっていません。もっとひどくなって全く動けなくなってから救急車を呼ぶくらいなら、まだ動けるうちに自分から救急病院に赴こう。それが私の判断でした。とりあえずコートを羽織り、サイフと保険証を持ってフラフラと家を出ます。黒のロングコートを着て、頭を抱えてよろけながら歩いている私の姿は道行く人にはきっと奇怪に写ったことでしょう。それでも、そんなことを気にする余裕はそのときの私にはありません。通りすがりのタクシーをつかまえて、自分でも「やばいな、これは」と思うくらい弱々しい震えた声で「一番近くの救急病院までお願いします」と告げ、道中吐き気を必死でこらえていました。

 結局病院で診察を受けて、家に帰り着く頃には頭痛も微弱なものに変わり、昨日一日ぐったりと休むことで今日は普通に回復し、無事に仕事をこなしてくることもできたわけですが、いやー、あの頭痛はひどかった。人生最高クラスの痛みでした。散々な土曜日です。

2004年3月27日土曜日

『3月9日』

 何はともあれ、レミオロメンの『3月9日』は確かにいい曲だと思うのです。たとえ今までバンド名をロミオメロンだと勘違いしていたとしても。

2004年3月26日金曜日

新たな相棒、突然

 今日、突然何の前触れもなく、私の家に一台のマシンが増えました。それはApple PowerBook G4 1GB 15インチ Comboドライブモデルです。現在市場価格249,800円で売られている、Macのハイエンドノート。急に舞い込んだお買得情報の元、思わず買ってしまいました。

 今日の昼頃過ぎ、ウチのグループ長が私に向かって言いました。「即金で145,000円払えるなら、今日PowerBook G4が安く買えるぞ」とのこと。ちょっとしたアウトレットみたいな新古品で、OSの再インストールが必要という条件さえ構わなければ保証書付きで、AirMac Card(定価約10,000円)も付けて、消費税込みで145,000円ポッキリ!なんと11万円程度のプライスダウンです。この一ヶ月程、「今度こそ新しいマシンを買おう」と、価格的にはiBookだなー、軽いのがいいから12インチモデルかなー、でももう少しパワーほしいかなー、と悩んでいた時に来たこの話、思わず即金で出して今日持って帰ってきました(爆)。まぁ新マシン購入のための予算は結構前から確保してあったので、急な話とはいえ別に家計が狂うというわけでもありません。むしろ元々予算外だったクラスのマシンが不意に予算内でしかもおつりが来るくらいまでプライスダウンしてきたわけですから、そりゃ買わない方が損ってもんです。もう夕方から会社でOSの再インストール始めて、ほとんど仕事になってませんでしたからね(←オイ!)。ホクホクです。

 ともあれこれで、長い間(なんと7年間!)私のメインマシンを勤め上げてくれたPower Macintosh 7300/166も、少しずつ仕事をこのPowerBookに引き継いで引退していくことになりそうです。とはいえDTM(私の場合は譜面作成とか)はハード/ソフトの現在の状況からしてすぐの移行は難しいので、まずはネット周りからですねー。しかし快適ですよ、PowerBook G4。HTMLの描画に処理時間が取られるのが体感でわかる現在のマシンから一気にグレードアップです。しばらくはこれで遊べますね。

2004年3月25日木曜日

人生のバランス

 今週は久しぶりに「疲れた」とため息をつく程の忙しさ。昨日は久々の深夜作業でギリギリ終電帰宅、今日も朝6時半起床で8時出社し、午後から客先で打ち合わせ、環境構築作業と昼食や休憩を取る暇もない程でした。いつも年度末は当然のことながら忙しいのですが、今年は3月検収のスポット作業はあってもシステム納品のプロジェクトがあるわけじゃないからまぁ楽だろうとタカをくくっていたのですが・・・。やはり営業や他の部署や、当然お客さんも年度末決算、棚卸しに向けて神経ピリピリしてくるわけで、さすがにそう簡単に年度を越させてはもらえないようです(苦笑)。とはいえ去年の一人プロジェクト平行2本よりは余程マシですが。ん~、でもさすがに疲れた。

 今の世の中仕事で忙しいことは別に悪いことではないと思うわけですが、とはいえ忙しさの中で心のゆとりまでなくしてしまいたくはないなぁと最近強く思うわけです。私も忙しい時はついイライラして、八つ当たりしたりはしない(してない、と思う)のですが、何かと他人への対応がそっけなくなりがちだったり、目の前の仕事をこなすのに一杯一杯でプライベートなんて忘れてしまったりしがちです。何か1つのことに向ける集中力の強さは私の武器でもありますが、それは同時に欠点でもあり、これから先、人生歩いていくのに色々なことのバランスをもっとうまくとっていかなならんなぁと、ぼんやり思ったりするわけです。草々。

2004年3月22日月曜日

クリーニング屋のおばちゃん

 行きつけのクリーニング屋のおばちゃんには、もう完全に顔を憶えられている。小柄で丸顔の、でもちょっと一見取っつきにくそうな、ところが話してみると朗らかに笑っているという、なかなか複雑な外見の持ち主なのですが(笑)、いつもスーツを出しに行くと結構気を使ってくれるのです。「ちょうどayum君のお母さんと同じくらいの歳だからね」と言って、本来サービスではないのであろうボタン付けや、裾上げの糸が解れて上げていた布がダランとたれてしまっているのを繕ってくれたりとか、色々としてくれるのです。なかなか、街中で人の温かみに触れられることの少ない都会暮しで、このクリーニングのおばちゃんは素敵です。ちなみにこの店おばちゃん二人でやっているのですが、もう一人の方はちょっと無愛想です(笑)。

2004年3月18日木曜日

音楽という主題による小雑感

 日本人はスズムシやコオロギなど秋の虫の音を心地よく思い、風情を感じる。ところが、ヨーロッパなど他の文化圏の人達には、それはただの騒音にしか聞こえなかったりもするらしい。僕らが外国文化圏をルーツに持つ音楽を聴く時、その文化圏で生まれ育った人達と同じ音を聴けているのだろうか。

 もし文化圏が違えば聴こえる音楽も違うと仮定したら、僕ら日本人の音楽性というものは、ブラリと宙に浮いてしまう。残念ながら今の大半の日本人にとって、日本古来の音楽はほとんど感性のルーツとしてはありえないだろう。西洋文化由来の音が至る所で流れる現在、その音が本来持つ響きが日本人には聴こえないとしたら?現代の日本人は音楽世界の孤児となってしまうだろう。

 そんなに難しく考えることはない、ただ聴こえ、感じられるものを信じればよいのだ、という意見もある。どのみち僕らは他人の感性など生きられないし、芸術はすべからくその受け手の中でのみ価値ある意味を生み出せるものなのだから。

 近代以降、クラシック音楽は専門家による分業によって新しい発展を遂げてきた。楽器製作の専門家、作曲の専門家、演奏の専門家・・・。専門家が作った曲を、演奏の専門家が、やはり専門家の作った楽器で奏でる。なるほど、1つ1つの完成度は確かに上がったのかもしれない。では、音楽を生み出す専門家はどこに?

 ホセ・ルイスは悠長に言った。「作曲家は何も知らない」と。

 クラシック音楽も昔は演奏家と作曲家の間にほとんど垣根はなかった。バッハもモーツァルトもベートーベンも、優れた作曲家であると同時に優れた演奏家であり、特に即興の名人であったという。今、クラシックの世界で即興が聴けることはほとんどなく。クラシック音楽がメフィストフェレスと交わした契約は、美しさと引き換えに魂を渡すことだったのかもしれない。

 だが、誰もがキース・ジャレットになれるわけではない。

 キース・ジャレットはこう言った。漫然と聴くのではなく、精神を集中して聴き取ることは、「動き」や「変化」を超えた真に積極的な行為であると。コンサート会場にあってそうしてその場に聴衆が一人もいなくなり、全員が音楽に参加すること、それこそが創造のプロセスなのだと。

 こう解釈した。受け手は音楽を自分の中で何かと結びつけ価値を生み出していくことの積極性により、ただの受け手でなく創造への積極的な参加者になれるのだと。感動は、各々の人の中にしか生まれない。それを得るには、精神を集中して、参加しなければならない。音楽に、人生に。

 まぁ、難しく考えなくてもいい。何かに感動できるということは、まだ人生から降りていない証拠なのだから。あるいは、まだ人生に参加できる証拠なのだから。

 断片的に思い浮かんだまま書き連ねた、音楽という主題による小雑感。

2004年3月16日火曜日

暖かい音楽が聴きたい日

 帰ってきて、ふと暖かい音楽を聴きたいなと思った。普段はどちらかというと重い、暗い、あやしい、といった言葉達が似合う音楽を好むから、割に珍しいことではあるのだけど、とにかく今日は暖かい音楽を聴きたいなと思った。さて、何がいいだろうと考えてみると、これが意外に思いつかない。例えば、世間で俗にヒーリングミュージックだとか癒し系だとか言われているようなジャンルの音楽、あれらは実はあまり暖かくはない。むしろどちらかというとヒヤリとした触感の熱冷まシートみたいな音が多い。じゃあ単純に長調のゆったりとしたナンバーを選べばいいかというとそうでもなく、『ジュピター』とかも何か暖かな落ち着きよりは仰々しいように感じてしまう。ラッセルの弾く『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』やグールドの弾く『ゴールドベルク変奏曲』のアリアといった、そんなイメージ。

 今日は、キース・ジャレットの『ブレゲンツ・コンサート』を選んでみた。2枚目の『ザ・ケルン・コンサート』を買った時に一緒に購入してきたこのCDは、もう『ザ・ケルン・コンサート』に次ぐお気に入りになっている。このコンサートの出だしは暖かく、優しく、少しの哀しさと大きな落ち着きと、そして控え目な喜びを紡ぎ出しているようで。進むに連れて前衛的で激しくなっていくので後半はあまり初心者向きとは言えないけれど、とにかくこの出だしの暖かさは他の音楽ではなかなか感じることのできない種類のカタルシスを連れてきてくれる。しみじみと、聞き入ってしまうのだ。

2004年3月14日日曜日

笑っていこう

 泣いても怒っても笑っても、どうせ人生は一度きり。同じ一度の人生ならば、笑わにゃ損だとはまぁよく言ったもの。どうにもお気楽で楽観的すぎる感じもいたしますが、実際結局そうだと思うのです。しかめっ面した充実は、やっぱりどこかに無理があるようで、結局どこかに笑顔がなければ長続きしない。ちょっと小難しく言えばそれは緊張と弛緩となるわけですが、そんなゴチャゴチャ言わずとも、やっぱり人生笑っていられなきゃうまくいかんなと、そう思う次第です。

2004年3月12日金曜日

『耳をすませば』雑感

 本当はちゃんと日記を書いてから寝ようと思っていたのですが、昨晩はいつの間にかコタツで寝入ってしまっていたので、この12日の日記は13日の日中の更新です。最近更新サボリ気味ですからねー・・・、しっかり書かないと。

 金曜ロードショーで『耳をすませば』を見ました。といってもまぁ途中からです。これまでにも何度か観た、ジブリの作品の中でもお気に入りの部類に入る作品です。また主題歌の『カントリー・ロード』がいいんですよね。大学3回の頃のギタ連定演の合同ポピュラーアンサンブルで、私の編曲でこの曲を演った時は、周囲から「難しすぎ!」と非難を浴びたものでした(苦笑)。2nd以外はそんなでもなかったと思うのですが(そして私はまんまと2ndを弾かされました)。

 それはさておき、あの作品のどこが好きかというと、出てくる登場人物達のひたむきさがいいのです。まだまだ若い主人公達の青春の輝きと言ってしまえばそれまでなのですが、それだけではない、彼らの「何かを作り上げること」に対する誠実さと優しさ、厳しさが伝わってくるのが好きなのです。それはバイオリンを作ることだったり、物語を作ることだったり、あるいは二人の関係を作り上げることだったりします。それら一つ一つに対して、自分で決めた道を信じて、ためらいなく、精一杯進んでいく姿が胸を打つのです。そしてそれを見守る両親やおじいさんの姿も。

 『耳をすませば』を久しぶりに観て、登場人物達のひたむきさを見るにつけ、「自分は一体何をやっているんだろう」という気になってきました。いつの間にか、彼らが持っていたようなひたむきさや一生懸命さといったものが、自分の中からなくなっていることに気がつきました。学生の頃、文章を書いたりギターを弾いたりしていた時。あの時文章やギターと向き合っていた私には、『耳をすませば』の主人公達のようなひたむきさは確かにあったように思います。ところが今は、仕事にも慣れてきて8割の力くらいで適当にこなせるようになってしまって、一応の勉強は続けているものの入社当初の熱さはなく、ギターや文章も悲しいことに惰性の領域に入りかけているのです。いつの間にこうなっていたんだろうと、見ていて少し情けなくなったりもしました。これじゃいけませんね。もう一度、心を立て直さなければならないのです。今ならきっとできるでしょう。世に流されて生きていくのは簡単かもしれませんが、それだけではつまらない。ゾクゾクと、心が痺れるようなあの瞬間を、再び自分の手で創り出せるように、鈍った感性を研ぎ澄まし、しっかり世界を、自分を見ていこうと思ったのです。

 ところで『耳をすませば』は話も音楽も、非常に素晴らしい作品だと思うのですが、あのラストだけは何度見ても、・・・ですね。こっちが恥ずかしいっちゅの(笑)!

2004年3月9日火曜日

危険な入浴剤

 最近は色々な入浴剤が出ています。私は基本はバブなのですが、ときたまちょっと気分を変えたい時などは変な入浴剤を使ったりします。渋谷のロフトに行きますと、エスカレーターを昇るまでもなく一階に、そりゃもうたくさんの入浴剤が思いつく限りのバリエーションで売られてますので、変なの探すのには事欠きません。カモミール、ラベンダーなど比較的常識的なもののバリエーション(おみくじ付きとか)ならまだいい方で、アミノ入浴剤やら海洋深層入浴剤やら豆乳、野菜生活、はちみつレモン、羊乳、死海、炭、泥、エトセトラエトセトラ・・・、とにかくよくもまぁこんなの商品化しようとするもんだというくらい様々なものがあります。この前は比較的ポピュラーな部類に属する商品ではありますが、唐辛子風呂にやられました。

 それは単純に粉やタブレットを湯に溶かすタイプのものではなく、ティーパックみたいなのに入っていて、湯の中で揉んで煮出すみたいな形で使用するものでした。そのパックの中には唐辛子やその他の葉っぱ(?)なんかが入っています。その形式からして、粉や錠剤のものよりも自然かつ高い効能が期待できるのではというわけです。ところがこの入浴剤、効きすぎでした(爆)。いや、何が凄いってまずその匂いっつーか刺激。封を切っただけで空気中に舞った僅かな粉が肺に入り、ただパックを外装から取り出しただけなのにむせて咳込んでしまいましたからね。しかもまた止まらないんだ、その咳が。その強烈な刺激に「ホントに大丈夫かよ、これ?」と思いつつ、とりあえずは湯舟にパックを叩き込み、数回揉んでダシを出して唐辛子風呂を完成させます。立ち篭める湯気からはまぁ、空気中の粉ほどの凶悪な臭気は発していないようです。・・・湯舟に入る勢いもおっかなびっくりだったのは言うまでもないでしょう。まぁ、いざ入ってみると湯は案外まろやかで、しかも確かに温まり方は尋常じゃなく、大して熱いお湯でなくてもすぐに芯まで温かくなってくれました。こりゃ確かに肩こりや腰痛なんかにゃ間違いなく効くでしょう。・・・けど、あの最初空気中に舞った唐辛子の粉は凶悪すぎます。

2004年3月8日月曜日

南に降る雪

 三月にもなって思い出したかのように降り出した南の雪。これを名残り雪というのだろう。冬に立ち返った玄界灘の風は冷たく、砂浜に打ち上げられ、埋まって乾いた貝殻が、敷き詰められた新雪の代わりにパキパキと足元で心地よく鳴る。クシュッと潰れる雪の結晶ではなく、小枝を踏み折ったような感覚で靴底を刺激する大小様々な貝殻。白い雲が浮かぶ青い空、小さな雪の欠片が潮風に舞う。何故ここにいるのかという疑問は不思議となく。ただ、これからどうするのだろうと。

2004年3月5日金曜日

変化を包容せよ

 変化を恐れて臆病な永遠を望むよりは、よりよい変化を目指せるように。変化を、包容せよ。

2004年3月2日火曜日

Down

 ・・・風邪をひいてしまいました。どうも昨日の朝から喉は痛いし、なんか全身がゾクゾクすんなぁとは思っていたのですが、昨晩帰ってきてから熱を計って確信しました。これは風邪です。まぁ京都でも鳥インフルエンザが流行ってることですし、しかもその感染した農場の卵は新潟県内にも出荷されていたことですし、私も風邪の一つくらいひいてもおかしくないでしょう(?)。とりあえず今日は午前中の外せない打ち合わせを終えた後は、わずかな業務上の微調整のみこなして午後から半休もらって帰宅、大事をとって養生していましたとさ。はーあ。

2004年2月29日日曜日

2/29の日記

 4年に一度、閏年の2/29の日記です。長々と書きかけていたのですが、どうも最近眠気に勝てなくなってきました・・・。

2004年2月26日木曜日

銀の弾

 「狼人間を倒す銀の弾はない」

 これは私の業界では30年近くも前から言われていることです。

 要は開発効率を飛躍的に高めて、とかく遅延や開発中・納品中のトラブルが発生しがちな、いわゆるデス・マーチと常に背中合わせなシステム開発というものを、一発で救ってくれるような特効薬は存在しないということです。まったくもってやれやれな話ですが、むしろ現実問題としては「これさえやればすべてがうまくいく」と銀の弾を楽観的かつ盲目的に信じてプロジェクトに持ち込んでくる人間の方がやはりはるかにタチが悪いのです。そういう人間に限って自分が持ち込んできた手法なり技術なりをロクに調べもせずに楽観的なスケジュールを立ててしまい、メンバーを地獄の底に叩き落としてしまうものですから。

 まぁ、無条件で狼人間を倒せる銀の弾など存在しないでしょう。狼人間倒したいなら一発で仕留めようなどとは思わずに、地味に見えても少しずつ慎重に追い詰めていった方がいいのです。それでも危機にさらされることもあるでしょうし、文字通りデス・マーチに巻き込まれてしまうこともあるかもしれません。だから私は、今日も明日も平和を胸に仕事に向かうのです。銀には魔除けの意味もあります。もうひとつ、刻まれた言葉を胸に家路につけるように。

2004年2月24日火曜日

『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』

 今巷でちょっと話題になっている、芥川賞受賞の2作品を読んでみました。20才の女性二人が同時受賞ということで、とにかくメディアは大騒ぎ、「これで出版不況も改善されるかも」という期待もされているくらいなわけですが、私としては選評の村上龍の、「当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない」という、メディアの盛り上がりをバッサリと切った台詞に一票です。一時的にはまぁ本も売れて、最後まで競っていた『生まれる森』(個人的にはこの作品が一番気になっていた)とかも売れて、文藝春秋も大増刷で伸びを見せるでしょうが、まぁその景気も二ヶ月はもたないでしょう。私は出版不況や経済について語りたいわけではないのであまり深入りはしませんが。

 さて、受賞した2作品『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』、まずはタイトルが気になっていた前者から読んでみました。私より先にこの作品を読んでいた人も言ってましたが、うん、なるほど、この背中は蹴りたい(爆)。蹴りたい気持ちはよくわかる、というそんなタイトルの持つ象徴性が非常にはっきりした作品でした。学校という集団の中で浮いた二人の、集団や個人との距離の取り方に見らる迷いや期待や憤り、そんな心理描写を泥臭くなくさらりとまとめた、という印象があります。ただ何か不完全燃焼というか、もじもじしたまま最後まで爆発しきれずに終わってしまうみたいな。"蹴りたい背中"は本当の意味でけっ飛ばされることはなく終わってしまうのです。いや、実際物理的には蹴ってるんですけどね(笑)。

 『蛇にピアス』の方は一転、ピアスで大きな穴を開けたり舌先を蛇のように割ってみたり、入れ墨を入れてみたりと肉体改造をしていく3人の10代の男女の物語。学校というありふれた場のありふれた世界を書いていた『蹴りたい背中』とは全然違った印象です。こちらの方は、うまく言えないのですが情念、個性、依存、そんなキーワードが断片的にちりばめられた、ある種テーマのオムニバスといった趣のある作品に思えました。改造することで差別化されていく肉体に依存し、人の愛に依存し、そしてその愛はまた改造された肉体に依存する。そんなウロボロスのような情念、個性、依存の無限ループ。すべてがすべてを追いかけるから、終わりがない、止まらない。鎖が一つ抜け落ちても。実際に、グルグル回る小説です。

 両作品を通じて、描く世界はあまりに違うものの、根底となっているものはほぼ同じもののような印象を受けました。一言でいうなら、どちらも「こんな時代の普通」なのです。『蹴りたい背中』の主人公が距離を計った"集団"というものをデフォルメしていくと、依存関係の輪廻が回る『蛇にピアス』の世界になるのでしょう。「こんな時代の普通」をまったく逆サイドの視点から、望遠の縮尺を変えて作品にしたのが今回の芥川受賞2作品のように思うのです。その意味ではよくも悪くも共時代的な作品です。ただ、どちらも何というか力が足りない気もします。時代を見抜く(というかただ純粋に感じてる?)視点や感性はいいと思うのですが、作品に説得力が足りない気がするのです。どこが悪いとかはうまく説明できないのですが。なんかエンターテイメントではないし、あまり好きな言葉ではないのですが純文学として考えてもちょっともうひとつ。ただ、時代性の描き方に素直な共感は持てる。そんな感じでした。まぁ、私としては最近読んだ中ではこの『雪沼とその周辺』がダントツに好きです。

2004年2月22日日曜日

三年後

 それはきっと、あの鳥人間ですら予想できなかったであろうこと。

2004年2月18日水曜日

脱・夜型宣言 一日目

 『夜型フレックスにケリを入れろ!』プロジェクト一日目、6時にかけた目覚ましで順調に6時半に起きた(爆)私はそれでも予定通り8時に行きがけにドトールで買ったコーヒーを片手に会社につきました。狙い通りです。これで後は19時~20時の間くらいで帰れれば完璧です。朝着いたのが早すぎてまだ会社が開いてなくて、24時間システム監視を業務としている部署に電話かけて開けてもらったとか、毎朝誰よりも早く出勤する社長に見つかって、「昨日は徹夜か?」と声をかけられたとか(どうやら開発が早朝に会社にいることはイコール徹夜を意味するらしい)、そんなこんなもありつつも、とにかく早く帰れればいいのです。さて、気になる会社を出た時間は!・・・21時でした。ん~、まぁこれまでから言えば決して遅くはないにしろ、結局あまり変わってないですね・・・。せめて20時でケリをつけたいんだがなぁ。ってゆーか、8時から21時って、10時出社だったら23時までいたのと同じ勤務時間かぁ。・・・なかなか報われません(苦笑)。まぁまぁめげずにしばらく8時出社で頑張りたいと思います。

2004年2月17日火曜日

脱・夜型宣言

 『夜型フレックスにケリを入れろ!』という企画が私の中で持ち上がりました。単純に言うと、「もっと早く家に帰って人並のゆとりを持とう」というお話です。そもそもですね、フレックスというと出勤を遅くできるとか、合計勤務時間の帳尻さえ合えば16時上がりも可能とか、そういうところばかりではないのです。通常9時出勤なら9時からしかカウントされない勤務時間も、フレックスなら8時から可能なわけです。とすると、今10時に出勤するのを8時に早めたとしたら、その差は2時間です。今帰る平均が22時と仮定した場合、2時間ずらせば20時になるわけです。これならまぁ無理すれば人並と言えなくもない時間に帰れます。そして家で多少なりともゆとりのある時間を過ごせるはずです。というわけで、早速明日から朝6時半に目覚ましをかけて、8時出勤目指して頑張ることにします。・・・一歩間違えると8時出勤24時退社というとんでもない超過勤務になってしまいそうですが(笑)。

2004年2月16日月曜日

勢いで?

 ♪からめた小指で、誰も知らない約束
  たまごの中には、いつか生まれ出すひよこ♪

 スピッツの往年の名曲ですが、この曲昔からいつもタイトル間違えるんですよね。なんか会話とかでこの曲が出てきて、「ああ、『ひよこ』ね」とかごく自然にさらっと笑って言ってのけてから、一瞬後に自分でハッと気付くのです。

 ・・・この曲『ひよこ』じゃねぇ!!!『たまご』だ!!!!!

2004年2月11日水曜日

ブエノスアイレスの冬

 私の大好きな曲の一つに、ピアソラの『ブエノスアイレスの冬』という曲があります。このHPを訪れる人の中ではかなり有名な曲ですね。厳しく、だけど優しい曲です。私が最後の定演のソロで弾いたのは『夏』でしたが、実は『冬』が一番弾きたかったんですよね。けど難しいんだ、これ・・・。

 この曲は重く、不吉に始まります。命を枯らす、寒く厳しい冬が歩を早めながら近付いてくる、そんな情景から始まります。訪れた冬は寒々しく、寂しく冷たい風を吹かせながら街を覆います。時たまアッチェランド気味に緊張感をまといながら高揚し、また静かで寒々しく落ち着いていくということを繰り返すこの曲は、長く厳しい冬を象徴しています。すべてを枯らすものとしての冬。この曲が持つ冬のイメージは、生の対極としての冬のように思えるのです。

 ところが、この曲は最後に急に曲調が変わります。短調から長調に転調し、冬と春の境目に、ある日突然吹く春一番のように暖かい旋律が、それまでの冷たさをすべてぬぐい去るように静かに優しく奏でられ始めるのです。そこから一気に草木が芽吹くように湧き上がる早いスケールが聴こえ、中音域で柔らかい春の風のような歌が流れてきます。そして最後は訪れた春を象徴する旋律が、高音域で静かにゆっくりと、草むらに腰を落ち着けて日射しを楽しんでいるような空気の中で奏でられ、曲は暖かくゆったりとした雰囲気の中で収束していきます。

 この曲の好きなところはその終わり方です。ただ枯らすものとしての冬を描写して終わるのでなく、最後に優しく暖かい春を連れてくる。それはどんなに長く厳しい冬でも、明けない冬はないんだよということを改めて伝えてくれているように思うのです。必ず、春は訪れるのだから、と。日々の暮らしを送っていく中で、時たま出口のない迷宮に閉じ込められたような、明けない冬の中にいるような、そんな感覚に苛まれたりする時、ふとこの曲を聴きたくなるのはそうした理由からなのかもしれません。どんなに長く厳しくても、必ず冬は終わって春が訪れると、この曲はそう語ってくれるのです。

 振り返ってみると、長い、長い冬の中にいたような気がします。それは現実に四季が移り変わるのとは別にあった冬で、かじかんだ心は寒さを感じることにさえ麻痺してしまっていたように思います。高校卒業間際、「本当は心も冷たいけれど、変に温めたりすると腐敗が進みそうで怖いから、冷凍保存だ、冷凍保存」と書いた時以来、明確に意識はしていなくても、もしかしたら本当にそうしてきたのかもしれません。

 今、改めて『ブエノスアイレスの冬』を聴きます。これまでは冬の厳しさに同調し、春の暖かさに憧れていたような気がします。何が変わったのでしょうか。逆に今は、冬に憧憬を覚え、春に祈りを捧げるような、そんな心象に変わっています。今年現実に訪れた冬の冷たい風の中で、随分長い間ずっと、空気のように当たり前に流れ続けていた重い短調の低音旋律は、いつの間にか長調に転調していました。

2004年2月8日日曜日

久しぶりのギター

 実は結構久しぶりにギターを弾きました。年末に不幸にもaとpの爪を根元から折ってしまうという事故に見舞われて以来、感覚が狂うのを恐れてずっと弾いてなかったのです。私の場合、aはまぁ爪が折れてもなんとかなるのですがpが折れると普段が相当長い分、弾弦の感覚が極端に変わってしまうのです。それでも毎日弾いてるなら調整も効くでしょうが、今みたいな週末ギタリストでは普段の感覚を崩してフォームを乱す(まぁ右手のフォームは元々かなりガサツですが)ともう戻って来れない気がして、それで実に一ヶ月、爪が伸びていつもの感覚で弾けるようになるまで待っていたのです。

 今日は爪を磨いて弦を替えて、簡単なアルペジオ、半音階スケール・・・、と徐々にならしていって、先日のコンサートで買ってきたフローベルガーの譜面(グロンドーナ編)など弾いてみたりしました。いやー、人が弾いてるのを聴くのももちろんいいのですが、やっぱり自分で弾いてギターの音が響いてるのが自分の体に伝わるあの感触、・・・いいですね~。なんかもう、Eのコードを流して鳴らすだけで悦に入ってました(笑)。

2004年2月6日金曜日

コンビニのおでん

 コンビニのおでんというのは最高の贅沢ではないかもしれませんが、やはり日常のちょっとした贅沢ではあると思うのです。一人暮らしで夕飯を食べるのに、おでんだけではやはり寂しいし、弁当に付けるにはちょっと調整が難しい。タマゴ一個だけとか弁当につけるのも何だかかえって侘びしい気がしますからね。おでん自体そんなに高いものではないですが、毎日オプションとして付けるとするとやはり家計は気になったりします。ので、今日みたいにとりあえず安めの弁当(今回はタケノコご飯)におでんを3つ付けてみたりすると、ちょっと贅沢した気分になれるのです。まぁ、何だかんだいってコンビニのおでんって美味しいんですよね。


今日の一言:
つまるところ、人の魂を奪うのはどちらだろう?
良心を裏切ることだろうか?
心を裏切ることだろうか?

スティーブ・エリクソン『Xのアーチ』より

2004年2月4日水曜日

ステファノ・グロンドーナ@トッパンホール

 さてさて、ちょっと間が空いてしまいましたが先週の金曜日、1/30に私はステファノ・グロンドーナのリサイタルを聴きにトッパンホールに単身乗り込んで参りました。グロンドーナはマンゴレに誘われて行った『音楽の絆フェスティバル』でのマスタークラス聴講以来、その音楽に対する哲学的な姿勢と感性に魅力を感じているギタリストです。当然今回のリサイタルも非常に期待をしていました。

 まずトッパンホール場所がわかりにくかったというのはよしとして、危なかったのは当日券。19時開演のところ私は20分前くらいに会場に着いたのですが、何とその時点で2枚しか残ってなかった・・・。私と後ろに並んでいたオッチャンでお終いです。いやいや危ないところでした。しかも最後の当日券を手にしたオッチャン、けしからんことに演奏中半分くらい寝てるしな。当日券を手に入れられなかった人もいるんだぞ、オイ!? と軽く小一時間説教してやりたい気分で一杯でした。

 それはともかく演奏の方です。一部はフローベルガー、バッハとバロックを中心に、最後にグラナドスが控えるプログラム。この一部は全体を通して「なんか苦戦してるなぁ」という印象が正直ありました。まず調弦がなかなか安定してくれないし、音ももう一つ響いてくれない。このコンサートで彼はアントニオ・トーレスを弾いていたわけですが、やっぱトーレスだと満員のコンサートホールは辛いのかなぁ、とさえ思ってしまいました。音の良し悪しは別問題として、単純に音量という意味ではトーレスは現代のギター程ではないですから。なんか左手の押弦も結構ミスが多くてよくスケールやスラーが回り切ってなかったり音がびびってたり。そんな調子で一部のフローベルガー、バッハはかなり苦戦してましたね。とはいえ深い洞察と確かな感性に裏付けられた、厳格なゴシックを思わせるような骨太でしっかりとした音楽は素晴らしく、真摯に音楽とその歴史に向き合うその学究的で哲学的なスタイルは、こうしたバロックの演奏には非常に合っています。なんか彼、イタリアっぽくないんですよね(笑)。ドイツっぽい。まぁ、後にリョベートとか弾いてる時は「やっぱイタリア人だ」と思うわけですが。そして一部最後のグラナドス、プログラムでは『献辞』、『アンダルーサ』、『ゴヤの美女』という順に掲載されているのに、何故か『献辞』の次にいきなり『ゴヤの美女』を演奏。しかもそれ弾いたら立ってるし、「あれ、『アンダルーサ』は!?」と思っていたんですが、まぁその後また座ってちゃんと弾いてくれたのでよしとしましょう。・・・あれはプログラム変更だったんでしょうか、それとも忘れてたんでしょうか?

 そして休憩後第二部が始まるわけですが、いやここからが凄かった。特に最初のアルカス!イントロの音からして「オイ、休憩の20分の間に何があった!?」と問いたくなる程もう音からして違う。完全にホールの空気を掌握してました。もう調弦に悩まされることもなく、グロンドーナ特有の深みに引きずり込まれていくような音の世界にどっぷり浸からせていただきました。もうアルカスは最後ゾクゾクしながら聴いてました。思わずアルカスの譜面買おうとしたんですが、なんとお値段12,000円。高ぇ・・・。そして次のファリャの『漁夫の歌』、『狐火の歌』がまた素晴らしかった。歌ってました。歌ってましたね。ギターも本人も(笑)。そしてそのままリョベート、アルベニスと素晴らしい演奏を聴かせてくれて本編は終了になるわけです。そしてなんとその日はリョベートを中心にアンコールが4回!多過ぎです(爆)。3回目のアンコールの後とか何人か帰ろうとしてたし。

 しかし実際に生でコンサートを聴いてみて思ったのですが、やはりグロンドーナの演奏は非常にクセがあるというか独特ですね。まず低音の響きが他のどのギタリストと比べても圧倒的に太い。音の輪郭が攻撃的なわけではないのですが、まるで大きな鐘の音の残響のように重くて太く、空気を振動させるような低音を出すのです。CDで聴いててもそうでしたが、生で聴いてもやっぱり凄いですね。ギターのせいかなぁ?とも思うのですが、CD『鳥の歌』ではトーレスからハウザー、ブーシェなど色々なギターを弾き分けているにも関わらずこのトーンはまったく変わりなかったので、やはりあの低音はグロンドーナの音なんでしょう。そして印象的なのは特にスペインものの曲でのスタッカートの使い方。なんというか、うまく表現できないのですが凄くスタッカートを聴き手に強調した演奏をするのです。そしてそれが強烈なリズムのアクセントになる。スタッカートで切った音の尾の輪郭と、それに続く無音の間が作り出すリズムの効果を非常に強く意識しているのです。あそこまで思い切ってスタッカートでリズムのメリハリをつけてくるギタリストってなかなかいないなぁ、と思って聴いてました。特に最後のアルベニス、『カディス』と『朱色の塔』ですね。この2曲ではスタッカートが非常に印象的でした。

 『音楽の絆フェスティバル』でも感じたことですが、音楽というものに対して非常に深い洞察を持ち、その歴史にも多大な敬意を表している彼は、その演奏の強烈な個性にも関わらず楽曲に対するある種の謙虚さのようなものが感じられます。常に彼の感性と知性は音という意味でも歴史という意味でも今弾いている曲が本来どう在るべきなのかということを探り続けているように思えるのです。それが私が「哲学的」と表現する彼の演奏の深みになるんでしょう。「自分の表現や個性にこだわりを持つのもいいが、それが行き過ぎると曲そのものが持つ本来の音楽の真実を見失ってしまう」というのが二年前に聞いた彼の言葉です。改めてなるほどなぁ、と納得するコンサートでした。

 ちなみにグロンドーナ、新しいCD2枚出てましたね。アルベニス・グラナドスの作品集とリョベート・タレガの作品集。どちらも非常にいいCDですが、特に後者は素晴らしいですよ。もし2/6の京都バロックザールのリサイタルに足を運ぶことがあったら是非買ってみてください。