2004年1月21日水曜日

言葉が満ちるまで

 言葉というのは、近すぎると出てこない。近すぎると見えないのと同じように。ハチ公の目の前5cmにでんと構えて、文字通り鼻を突き合わせるようにしてじっと見つめてみたって、そんな距離じゃ目と耳は見えても尻尾は視界に入らないだろう。だから今心に突き付けられた冷たいナイフと暖かい毛布とについて、色々煮詰まった欠片達が言葉となって出てこないことに対して、それほど焦りは感じない。どんなに色々なものが混ざり合って複雑な化合物ができていようと、それはまだ顔に張りついたままで、温度や触感はわかっても色や形や大きさや、そんなもろもろはまだまだ何もわからないのだから。

 確かに時は過ぎる。言葉を急ぐのにはそれなりの理由がある。だけれど焦っても仕方ないということも、またやっぱりわかっている。だから待とう。上質のウィスキーが少しずつ樽の中で熟成を進めるように、言葉が満ちて出てくるまで。それまでは、今伝えられる一番シンプルで確かなことだけを、不格好に言葉にすればいい。詩でも小説でも日記でも何でもなく、ただ確かな言葉を、不格好でも。もしかしたら、祈りとはそういったものだったのかもしれない。

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