2004年2月24日火曜日

『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』

 今巷でちょっと話題になっている、芥川賞受賞の2作品を読んでみました。20才の女性二人が同時受賞ということで、とにかくメディアは大騒ぎ、「これで出版不況も改善されるかも」という期待もされているくらいなわけですが、私としては選評の村上龍の、「当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない」という、メディアの盛り上がりをバッサリと切った台詞に一票です。一時的にはまぁ本も売れて、最後まで競っていた『生まれる森』(個人的にはこの作品が一番気になっていた)とかも売れて、文藝春秋も大増刷で伸びを見せるでしょうが、まぁその景気も二ヶ月はもたないでしょう。私は出版不況や経済について語りたいわけではないのであまり深入りはしませんが。

 さて、受賞した2作品『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』、まずはタイトルが気になっていた前者から読んでみました。私より先にこの作品を読んでいた人も言ってましたが、うん、なるほど、この背中は蹴りたい(爆)。蹴りたい気持ちはよくわかる、というそんなタイトルの持つ象徴性が非常にはっきりした作品でした。学校という集団の中で浮いた二人の、集団や個人との距離の取り方に見らる迷いや期待や憤り、そんな心理描写を泥臭くなくさらりとまとめた、という印象があります。ただ何か不完全燃焼というか、もじもじしたまま最後まで爆発しきれずに終わってしまうみたいな。"蹴りたい背中"は本当の意味でけっ飛ばされることはなく終わってしまうのです。いや、実際物理的には蹴ってるんですけどね(笑)。

 『蛇にピアス』の方は一転、ピアスで大きな穴を開けたり舌先を蛇のように割ってみたり、入れ墨を入れてみたりと肉体改造をしていく3人の10代の男女の物語。学校というありふれた場のありふれた世界を書いていた『蹴りたい背中』とは全然違った印象です。こちらの方は、うまく言えないのですが情念、個性、依存、そんなキーワードが断片的にちりばめられた、ある種テーマのオムニバスといった趣のある作品に思えました。改造することで差別化されていく肉体に依存し、人の愛に依存し、そしてその愛はまた改造された肉体に依存する。そんなウロボロスのような情念、個性、依存の無限ループ。すべてがすべてを追いかけるから、終わりがない、止まらない。鎖が一つ抜け落ちても。実際に、グルグル回る小説です。

 両作品を通じて、描く世界はあまりに違うものの、根底となっているものはほぼ同じもののような印象を受けました。一言でいうなら、どちらも「こんな時代の普通」なのです。『蹴りたい背中』の主人公が距離を計った"集団"というものをデフォルメしていくと、依存関係の輪廻が回る『蛇にピアス』の世界になるのでしょう。「こんな時代の普通」をまったく逆サイドの視点から、望遠の縮尺を変えて作品にしたのが今回の芥川受賞2作品のように思うのです。その意味ではよくも悪くも共時代的な作品です。ただ、どちらも何というか力が足りない気もします。時代を見抜く(というかただ純粋に感じてる?)視点や感性はいいと思うのですが、作品に説得力が足りない気がするのです。どこが悪いとかはうまく説明できないのですが。なんかエンターテイメントではないし、あまり好きな言葉ではないのですが純文学として考えてもちょっともうひとつ。ただ、時代性の描き方に素直な共感は持てる。そんな感じでした。まぁ、私としては最近読んだ中ではこの『雪沼とその周辺』がダントツに好きです。

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