2004年4月29日木曜日

忘れていた哲学

 昔の仲間と話していると、時たま自分で「俺そんなこと言ってたっけ?」と思うような当時の自分流哲学を思い出させられることがあります。

 今日高校時代の仲間と話していて出てきたのは「たとえどんなひどい状況でもとりあえず笑いを。それもできればブラックな」という当時の私の名(?)台詞。「笑う門には福来る」的な発想とはちょっと違って、どんなに緊迫した場面(当時は色恋沙汰とか先生に説教食らうとかが主)でも、空気が転調できる頃合いを見切ってブラックなユーモアで周りを(たとえ苦笑いでも)笑わせてしまえというこの発想。台詞自体は忘れていましたが、なるほど今も私はそんな感じです(爆)。上司とケンケンガクガクやりあってる時でも、表情は厳しいまま台詞だけ強烈なブラックユーモアをかまして、対象とされた本人以外の周囲の誰かをニヤリとさせられたら私の勝ち。結構そんな感じです。別にそんなことしたって特別状況が有利に変わることもあまりないですし、むしろ相手が悪いと「真面目に話してるんだ」と火に油を注ぐことにもなりかねないわけですが、何故だか昔から私にはそういう傾向があるようです。ただの強がりといってしまえばそれまでですが、笑いを取りにいくことができるということは周囲を見渡す冷静さがまだ残っているということ。逆に笑いを取ろうと思ったら冷静にその場の全員の一挙一動を観察しなければなりません。緊迫した空気の中でその緊張を解きほぐせる一瞬は、熱くなってしまってはつかめるものではないですからね。そうやって無意識のうちに最低限の冷静さと観察眼を保つ戒めとして、「たとえどんなひどい状況でも笑いを」と私は狙っているのかもしれません。・・・ま、多分そんないい理由じゃないんでしょうが(←オイ!)。

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