2005年12月31日土曜日

Mr.Children@Yahoo! JAPANドーム

 12月24日のことになりますが、福岡のヤフードームにMr.Cildrenのコンサートを観に行ってきました。Mr.Children Dome Tour 2005 "I love U"。意外な印象を受けるかもしれませんが、実はミスチルは結構好きなのです。ほとんど邦楽を聴かなくなった高校3年~浪人時代でも、何故かミスチルだけは勉強の際等にたまに聴いていたくらい。とはいえちゃんと追っかけていたのは『深海』までで、何となく聴いていたのもせいぜいその後の『BOLERO』『Discovery』まで。今回のツアーのタイトルであるアルバム『I LOVE U』に至っては一度も聴いたことがありません。それなのにコンサートに行くというのはある意味結構な暴挙ですが、まぁよしとしましょう(苦笑)。

 ドームでのコンサートは大学時代AEROSMITHを観に大阪ドームに行って以来。基本的にドームって場所は構造上音の反響が色々おかしくて、コンサートやるには音楽が聴きづらかったりするものなのですが、ヤフードームは屋根がちゃんとした金属の屋根のせいか比較的聴きやすかったです。開始前、観客席で始まるのを待っていたらドームの中をハトが飛んでいました。ハト。何処から入ってきたんでしょうか。

 『LOVEはじめました』で始まったコンサート。中央と両サイドに設置されたモニターにはメンバーのアップや曲に合わせたアニメーション等が流れ、さすがに金がかかってる感じです。セットリストの方はやはり新しい曲が多く、正直あまりわかる曲がなかったのですが(苦笑)、最近の曲で初めて聴いてもちゃんと「いいなぁ」と思わせる曲が多いのはさすがにMr.Chilren。序盤は比較的アップテンポの曲が多く、『innocent world』の大合唱(一番から最初のサビまでは全部観客に歌わせる荒技)もあり、しっとり落ち着いた弾き語りっぽいアレンジの『くるみ』で感動を誘ってみたりで、しっかり曲を聴かせる普通のコンサートという感じでよかったです。

 中盤以降はどちらかというとイベントっぽい趣向が強くなってきて、Mr.Childrenが初めて渋谷でライブをやった際に配ったテープに収録されていたという『二日遅れのクリスマス』の弾き語りを桜井一人でやってみたり、スロー~ミディアムな曲を中心にのんびりじっくり聴かせるセットリストになっていきました。しかしのんびりしすぎてて結構テンション維持が辛い(苦笑)。最近の曲をよく知っているファンならいいんでしょうが(周りに感極まって泣き出してる人とか結構いたし)。個人的には桜井の一人コーナーでやった『名もなき詩』の弾き語りバージョンが最高でした。弾き語りの途中からドラムだけが原曲以上のテンションでバスとジャズっぽいハイハットを叩きながら入ってきて盛り上げて、いやー、カッコよかったです。

 中盤ちょっとテンション落ち気味だったとはいえ終盤『Worlds end』、『Hallelujah』と続いて『and i love you』で本編が終わる流れはやはり感動的で素晴らしいものでした。曲いいよなー、やっぱ。『Hallelujah』の大合唱は観客の声だけがドーム中に響き渡り、それだけで何か切ない気持ちにすらなるのです。Mr.Childrenくらい一線で活躍し続けているグループになるともうコンサートのセットリストをどうするかも大変でしょうが、それでもキッチリ終盤を押さえる名曲がいつの時代もあるのはさすがです。

 しかし桜井、歌うまいですねー。これは正直意外でした(爆)。いや、どうしてもね、J-POPのボーカルってCDは適当にスタジオの技術や効果でごまかしていて、本当の実力は大したことないというイメージが強くて・・・。でも桜井はうまかったです。物凄い声に張りがある。1月に観たEUROPEのジョーイ・テンペストにも負けないくらい力強い張りがあるのです。そして声の使い方が多彩でうまい。表現力あるなー、と思いました。しかもドームの広いステージを端から端へと走り回ってるし。一度脳梗塞で倒れていたとは思えない程元気です。あんなに回復できるもんなんだと。いやー、びっくりです。

 そして気付いたら実に三時間以上の長丁場のステージ。あんなにやるとは思いませんでした。ミスチルくらいのクラスになると長年の熱狂的なファンも多く、随所に本気で涙を浮かべている方もおられるくらいでしたが、なるほど、いい曲をいい歌で聴かせてくれるいいコンサートだったと思います。ちょいと長過ぎましたが(苦笑)。

LONGMORN - ロングモーン ザ・ゴールデン・カスク

ロングモーン
Distillery : LONGMORN

Years : distilled in 1990 and bottled in 2005, aged 15 years

Area : Speyside

Bottler : The Golden Cask

Cask Type : Unknown

Product : 54,5% vol, 700ml

Price : 4,980yen

Remarks : Cask No: LN 23

 一般的にはあまり名前は知られていないものの、ブレンダーの間では昔からマッカランと並び称されてきたという、通の間で非常に評価の高いロングモーン。シーバス・リーガルのトップドレッシングモルトとして有名だ。日本では何と言ってもニッカウヰスキーの創始者である竹鶴正孝氏がウイスキー蒸留の実技を学んだ場所として有名であろう。まぁ、有名ってほど知られてはいないのだろうけど(苦笑)。

 この『ザ・ゴールデン・カスク』シリーズはマクダフ蒸留所のオーナーが個人的にストックしていた樽を瓶詰めしたシリーズで、無着色・無冷却濾過にて瓶詰めされている。樽の選別はラフロイグ蒸留所やスプリングバンク蒸留所のマネージャーを歴任したジョン・マクドゥーガル氏とその奥さんが行なっているそうで、業界の第一人者が選別した樽をシングル・カスクで楽しめるのが魅力だ。そういった背景もあり、この『ザ・ゴールデン・カスク』シリーズは非常に評判が良いそうだ。

 シーバス・リーガルのトップドレッシングモルトとして有名なロングモーン、実際にオフィシャルの方を飲んでみると、シーバス・リーガルの香りを楽しむ際まず表に出てくる非常に揮発性の強い、明るく華やかな花のような香りのほとんどはこのロングモーンに由来するものだということがすぐに理解できる。この『ザ・ゴールデン・カスク』シリーズのロングモーンもオフィシャルと同じ香りの印象で、グラスに注いだ時点で軽やかにふわっと広がる明るくて華やかな、何となく初夏の川面の陽光の反射を思わせるきらびやかな香りは実に特徴的だ。蜜のようと言うほど甘みの強くない、さわやかで軽やかできらびやかな、不思議と視覚的で明るい香り。そのロングモーンの特徴はオフィシャルでもこの『ザ・ゴールデン・カスクシリーズ』でも十分堪能できる。味は香りのイメージからも想像できるように比較的軽く、さらっと控えめな甘みがまず口の中に広がったと思うと一瞬で引いていき、ややドライな麦の印象を微かに残しつつすっと余韻も消えていく実に潔いモルト。オフィシャルより度数が強いので華やかさと軽さが身上のこのモルトにしては少しいかつい印象を受けるが、その基本的な性質はオフィシャルの持つイメージとまったく同じだ。オフィシャルとはまったく違ったイメージのボトラーズものも世の中には多くあるが、このロングモーンはオフィシャルのイメージを崩すことはない。個人的にはやや軽すぎるかなと感じるオフィシャルのロングモーンに、少しばかりのトゲと、オフィシャルより少し厚みが出た甘みがいい味を醸す、非常にバランスの良い一本に仕上がっている。開封して最初の頃はアルコール度数の高さがきつさとして目立っていた感があったが、開けて約3ヶ月が過ぎた今ではそのトゲが少し丸くなっておとなしく飲みやすくなってきた。その分ロングモーン特有の揮発性の高い香りも少し揮発性が落ちてきてグラスの中に溜まるような感じになってきたのだけれど。

 最後になったが、今回私が手にしたボトルは225本中の120番目と手書きで記載されていた。

2005年12月22日木曜日

美しいもの

この世の中は、本当に汚いもので一杯だ
だから、本当に美しいものは大切にしなければならない

では、美しいものの価値とはどこにあるのか?
美しいものそれ自体に価値があるのか?
汚いもののアンチテーゼとしての美しいものか?
それとも美しいものとは結局、ただの希少価値なのか?

2005年12月19日月曜日

また、風邪

 何気に木曜午後から体調を崩していた今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。何かもう、木曜午後から急に具合が悪くなってその夕方に会社を早退。非常にぐったりしつつもなんとか電車で帰ったのですが、日吉駅に着くなりトイレで思いっきりリバースの儀式を行ってしまいましたとさ。おかげでそのまま金曜まで会社を休んでしまいました。土日はさすがにまだ体力は完全には戻ってこないものの、一応動ける程度には回復したのですが、う~ん、どうもね・・・。なんかまだ胃の調子がイマイチなのです。ふ~む・・・。

2005年12月15日木曜日

一期一会

 たまきやのおばあさんが亡くなったそうだ。日吉で"おまかせ定食たまきや"という古い木の看板を出して、普通部通りをTSUTAYAの方へと一歩入ったところに小さいが雰囲気のある店をかまえていた。整体のコトー先生のBLOGでそれを知った。もう日吉に引っ越してきて4年半を超えるが、実はこのたまきやには一度しか入ったことがない。一回しか行ってないから逆に覚えているのか、不思議とその時のことは印象に残っている。

 夏の土曜日、会社に休日出勤して帰ってきた後のことだった。夏休み明けの休日出勤、何だかこのまま家に帰るのも憂鬱な気分で、古本屋のエルダーズに寄った後に夕飯を食べるところを探していた。夜の十時前くらいだ。エルダーズからメールロードを通って中央通を横断し、そのまま普通部通りに出ようとすると右手にたまきやがある。"おまかせ定食たまきや"の看板。その前で一分ほど立ち止まって、入るかどうか考えてから意を決して入った。初めての店に入るのは実は結構勇気がいる。

 入るとおばあさんがいきなり笑顔でも仏頂面でもない、割と中立的な声で話しかけてくる。「今日はアジの開きだけどいい?」と。それを聞いてちょっとテンション低めに「ハイ、お願いします」と応えながら、「凄ぇ、ホントに"おまかせ定食"だ。選択肢がねぇ!」と思ったのを覚えている。カウンターには先客が一名いたので、入ってすぐ左手の木の切り株のようなテーブルに座った。店内に客は私含めて二人。TVからは野球のニュースが流れていた。おばあさんを含め、三人とも無言。私はエルダーズで買ってきた二冊の本を「どっちから読もうかな?」とパラパラめくっていた。アジの開き定食が出てくる頃に、本を読んでいた先客は帰り、店内には私とおばあさんだけになった。私に料理を出すとおばあさんは暖簾をしまう。一日の最後の客となってしまった。アジの開きと大根のきんぴらのような小皿、そしてご飯にうどんだったと思う。静かで薄暗い店内で、私はゆっくりとアジの開きを食べた。うどんがおいしかった。小皿の料理はカウンターの上の大きなタッパに半分ほど残っている。あれをどうするんだろうな、明日も出すのかな、と思った記憶がある。その奥で、おばあさんは食器を洗ったりして手際よく店じまいの準備をしていた。

 食べ終わり、食器をカウンターに「ごちそうさまでした」と持って行くと、お礼を言いながらおばあさんは入ってきた時と違って笑顔で話しかけてくれた。お勘定を払いながら恐らく三分にも満たない立ち話をする。何を話したのか、正直よくは思い出せない。「仕事帰りでね、なかなか大変ですよ」くらいのことだったかもしれない。とにかくそんなに深い話ではない、当たり障りのない簡単な身の上話。最後お釣りを渡しながらおばあさんが「がんばって」と言ってくれたことを覚えている。何に対しての「がんばって」だったのか。仕事だったか、夏の暑さだったか。肝心な記憶がぼやけているが、とにかく「がんばって」と笑顔で励まされた。それに対して「ありがとうございます。どうもごちそうさまでした」とお辞儀をして、私は店を後にした。家に帰りながら「なかなかいい店を見つけたよ」とメールを打っていた記憶がある。

 この日に買った二冊の本のことは実は日記に書いている。8/20。つまりこの日が私がただ一回だけたまきやに行った日ということになる。そしてその次の週、万博に出かけて腰痛にトドメを刺され、コトー先生の整体院に行くことになる。ここでコトー先生のBLOGを知らなければたまきやのおばあさんの訃報を知ることもなかったわけで、そう考えると人の縁とは不思議なものだ。そしてその後一度たまきやに行こうと思った日があって、実はその日のことも特定できる。風邪をひいて会社を休んだ月曜。体に優しい料理が食べたくて、たまきやに足を運んだのだ。10/23で風邪をひいたと書いているので、その次の日、10/24だ。その時には既に店の扉に「都合によりしばらくお休みします」と張り紙がされていた。

 一度しか行かなかった店。一度しか行けなかった店。あの時はまさかもう二度とあの店に行くことができないだなんて欠片も思っていなかった。これまでそこにあり続けたように、当然のようにこれからもずっとあり続けるだろうと思っていた。時は流れると、いつも自分で言っていることなのに。本当に一期一会。状況から思うに、あの時のおばあさんの「がんばって」は、きっと本当に心からのものだったのだろう。それに対する私の「ありがとうございます。どうもごちそうさまでした」は、その言葉に釣り合うものだったのだろうか。その時の私は、恐らくかなり遠慮がちな笑顔であっただろう。意外と、そういう場面では人見知りしてしまう。

 たまきやのおばあさん、心よりご冥福をお祈りいたします。今度は決して遠慮がちにではなく。

2005年12月12日月曜日

A Cry For The New World

 土日も日中ずっと仕事をしていたこの週末、今日は一日家で仕事していたせいで結構ヒッキーじみた生活してました。

 さて、受験生時代より「集中したいならBGMはメロディアスなメタル系の音楽が一番」という私は、社会人になってからもここ一番のBGMにはよく様式美系またはプログレ系のメタルを使います。最近はDream Theaterの『Octavarium』『Train of Thought』が一番のお気に入りで、永遠の定番としてはROYAL HUNTの『PARADOX』が控えている私の"集中したい時のBGM"。今日はPRAYING MANTISの『A Cry For The New World』。実に久しぶりに聴きました。ちなみに上述のDream Theaterの2枚はこれまでの彼らの作品の中でも別格のクオリティを持った大傑作だと私は思っているわけですが、それについてはまた別の機会に。

 そもそもPRAYING MANTISというバンド自体がかなりマニアックで(苦笑)、恐らく私と同世代のメタル好きだとFAIR WARNING辺りを好きで聴いていたら周りの誰かに「それならこれも好きになるんじゃない?」って感じで紹介されるというパターンが多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。同じような出会い方はHEARTLANDなんかも。

 このPRAYING MANTISというバンドは特に深い思い入れがあるわけでも何か気の効いたエピソードがあるわけでもないのですが、久々に何となくかけてみたらいやこれが結構よかったのです。特にアルバムのタイトルトラックである『A Cry For The New World』。少なくともこの曲は哀愁に満ちたハーモニーのサビとヘヴィなギターのリフが融合した素晴らしい名曲だと思います。たまにゃしばらく聴いてないCDでも引っ張り出してみるもんです。ここ一年半ほど、朝の目覚ましはずっとレミオロメンだったわけですが、久しぶりにCDを変えてみました。明日の朝は『A Cry For The New World』です。朝っぱらからなんかちょっと悲しげですが(苦笑)。

We should be breaking chains
Not breaking hearts and souls
A Silent Voice will grow
A Cry for the new world...

2005年12月5日月曜日

優雅な休日、ロシアより - 前編

 最近の携帯は"氣志團"が一発で変換できるらしいということで、予測変換機能に携帯でも使われているAdvanced Wnn V1.2が入っている私の新しいPHSでもできるかと思い、試してみました。きしだん。・・・一発変換できました。氣志團。どうやらこのPHSは最近の携帯にも負けないようです。まぁ、こんなもん一発変換できたってそもそも使わないんですが(笑)。ちなみに前のPHSは"祇園"も変換できなかったのですが、こちらも変換できました。大きな進化です。

・・・すいません、ここまでの話は本編とはまったく関係ありません。昨日は上野で東京都美術館のプーシキン美術館展、そして東京文化会館でレニングラード国立歌劇場オペラ『椿姫』を堪能してきました。ロシアのプーシキン美術館よりマティスの傑作『金魚』を始めとする大部分が日本初上陸の貴重なコレクションを集めた美術展、レニングラード国立歌劇場オペラと、上野でロシアをはしごする優雅な休日を過ごしてました。

 晩秋の上野公園は紅葉もちょうど見頃で、普通に散歩するだけでもいい感じな風景でしたが今回は明確な目的があります。東京都美術館に行ったら、いやーびっくりしました。もの凄い混んでます。入場制限がかけられる程の圧倒的な混雑。「美術展なんて所詮そんなに混まないだろう」という私の思い込みをあっさり打ち砕いてくれる人ごみに、出端からちょっとやられた気分でした。まぁプーシキン美術館はエルミタージュ美術館やトレチャコフ美術館と並ぶロシア屈指の美術館ですし、特にそのフランス近代絵画コレクションのクオリティの高さは世界屈指。今回来た私が知る有名どころだけでもルノワール、エドガー・ドガ、クロード・モネ、ルソー、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、マネ、ピカソが一堂に会する豪華な美術展。そりゃ人も集まるってもんかもしれません。

 人ごみに負けずに壁際に張り付いて、じっくりと人ごみに紛れながら鑑賞すること約一時間半。相変わらず絵画は素人鑑賞な私ですが、何点か惹かれる作品がありました。以下思い出した順に、まずは何と言ってもクロード・モネの『白い睡蓮』。色彩や筆遣いが非常に鮮烈で、見た瞬間思わず引き込まれて息を止めるほど。自宅に日本庭園風の睡蓮の池を整備し、そこに太鼓橋をかけたモネは1899-1900年にかけて18点の睡蓮の連作を描いたのですが、この絵もその連作の中の一つ。とにかく力のある作品でした。奥行きのある緑の様々なバリエーションと生命感溢れる描画線。改めて買ってきた図録で眺めてみるわけですが、やはり印刷された絵では油絵の筆遣いが醸し出す、筆致の凹凸や微妙な筆加減から来る躍動感は伝わりません。本物凄い。描かれた線でなく、筆の通った毛先の微妙な加減が表現になる。日本の書道にも共通する筆の躍動感。これは印刷では伝わりません。静謐な睡蓮の池の風景に生命感を与える筆の躍動感。素晴らしいです。そしてこの作品、何と言っても描かれる水面が非常に美しいのです。こんなに美しく絵で水面を、光を表現できるのか。素直に感嘆しました。本来重たい色彩の印象のある油彩が、本当に水面が反射して睡蓮の葉が映り込んでいるように透明感を持って描かれているのです。ベルギー象徴派展に行ったときも水面の描画が美しい作品に足を止めていました。どうやら私は水面が好きらしいです。

 そしてやはり今回の最大の目玉であるアンリ・マティスの『金魚』。そもそもは電車の吊り革広告でこの美術展の広告を見た際、この絵を見て「ああ、これはちょっと本物見てみたいなぁ」と思ったのが始まりでした。思えば私が美術展に行くのはいつも電車の吊り革広告がきっかけです(苦笑)。これで三回目。吊り革広告も侮れません。そしてこの『金魚』、やっぱりいい絵でした。思ったより大きい絵で、「これじゃ金魚っつーより錦鯉だな」と思ったものですが(笑)。ピンクや緑を使った強烈な色彩と大胆な構図の中に、ちょっとユーモラスな赤い和金が4匹。理屈抜きに目が止まる不思議な力を持った絵でした。口をパクパクさせながらゆったり泳いでいる金魚がコミカルで、一歩踏み外すとサイケな印象になりそうで、さらにもう一歩踏み外すと下品になってしまいそうなピンクと緑と紫の取り合わせが、それに疑問すら抱かないほど見事にゆったり調和していて。強烈だけど、ゆったりしているのです。そしてどこかあどけない。フォーヴィズムというのは心に映る色彩を描くのが特徴だそうですが、なるほど、マティスの心にはこのような色が見えていたのでしょうか。金魚。強烈なのにコミカルでゆったりしている、そんな不思議な印象を持つ絵でした。

 そしてもう一点強く印象に残っているのがピエール・ボナールの『ノルマンディーの夏』。私は初めて聞く画家です。夏の終わりのよく晴れたノルマンディー、別荘のテラスで会話する妻とその友人を描いたこの作品は、非常に柔らかな光の印象が素敵でした。おそらくポイントは光なのだろうなと思うのです。景色を美しく照らす夏の光を表現したかったのだろうと、そう思うのです。それもおそらく真夏の強烈な日差しでなく、初夏の昼下がりの柔らかい陽光。私も好きな光です。風景も人物も、その光の中に溶け込むように曖昧でぼやけた輪郭で描かれて、線の境目というよりは色彩の境目が輪郭になって光の中に風景や人物が浮かび上がってくる感じ。柔らかで暖かで爽やかな光の印象を表現したこの絵は、何故か心に残りました。

 後はよかったと思うものを簡単に。ルノワールの『黒い服の娘たち』は描かれる女性のもの憂げな表情が印象に残り、何となく「ああ、パリだな」と思ってしまうちょっと瀟洒な雰囲気があってさすがだと思いました。フリッツ・タウローというのも知らない画家だったのですが、『パリのマドレーヌ大通り』は立体感を強調した奥行きのある遠近法と、詩的な哀愁の漂う空気が印象に残っています。カミーユ・ピサロの『オペラ大通り、雪の効果、朝』も同様で、明るく柔らかい色彩と点描的な筆致が醸す少しぼんやりした空気が詩的な静謐さを醸していてよかったです。アルベール・マルケの『街路樹にかかる太陽(パリの太陽)』は一瞬「適当じゃないのか、これ?」と思えるような線で描かれた木々と日没前の風景画。シンプルな線と色彩で不思議に哀愁を漂わせる、穏やかでいてそれでもかつ絵画というよりは少しイラスト的な要素も入ったこの絵は印象的でした。最後はやはりゴッホでしょうか。『刑務所の中庭』。相変わらず病的です(苦笑)。刑務所で輪になって運動をする33人の囚人たち。死の5ヶ月前に濃い緑を基調として暗く重く描かれたこの絵は、当時のゴッホの心境を表してるのでしょうか。希望も持てずに鬱屈した表情で延々と輪を描き続ける囚人たち。それはゴッホに取っての希望なき人生の輪廻だったのかもしれないなと思いました。

 というわけでプーシキン美術館展、人ごみにはやられたものの、なかなか楽しんできました。たまには絵を見るのもよいものです。絵は自分で描く技術もセンスもまったくないので、非常に素人的な見方しかできないわけですが、逆にそれだからこそ純粋に見れるという一面もあるのかもしれません。深くは、見れてないのでしょうけど。

 というわけで次回は『優雅な休日、ロシアより - 後編』、レニングラード国立歌劇場オペラ『椿姫』についてです。

2005年12月3日土曜日

ある土曜日の朝食

 朝から麩菓子をバリバリ食べる。4本で200円する、ちょっと高級なヤツだ。大学時代によく食べていた(BOXであっという間に1袋8本分をたいらげる姿を目撃した人は多いだろう)生協で売っていた麩菓子は8本200円だった。実に価格差倍。この麩菓子は焼き麩の仕込み水と黒砂糖の溶き水に四万十川源流の湧き水を使用して丁寧に作られているとのこと。これは確かに麩の味わいも食感も、黒砂糖の上品な甘みも素晴らしくておいしいが、やっぱり生協で売ってたヤツも捨てがたい。棒のはじっこの底面にもベッタリ黒砂糖が塗ってあって、そこに歯ごたえのいい黒砂糖の煎餅みたいな部分ができあがる。それを一口にサクッとやるのがたまらない快感なのだ。同じ感覚はセブンイレブンかサークルKか、どっちかで売っている麩菓子でも味わえる。麩菓子。大好きだ。

2005年11月30日水曜日

今日は定演だったはず

 今日はクラギタの定演がある日だったはず。さすがに火曜日だと仕事休んで京都に行くわけにもいかず、私は行くことはできませんでしたが果たしてどうだったのでしょうか。何気に自分の編曲があるのに行かなかったのは初めてなので、本番どういう仕上がりになっていたのか、かなり気になっていたりします。編曲を送ってからも色々とメールで質問をしてきたり、果ては演奏を録音したMDを送ってまでコメントを求めてきた実に熱心なフォルクローレアンサンブル。どうだったんでしょうか。きっと頑張ってくれたものと思ってますが、やっぱり自分の耳で聴いてないから凄く気になります。そして今年の定演はどんな感じだったのでしょう?まぁ何人かは行ってるはずですし、見に行った人からのレポートが上がってくるのを待ちますか・・・。とりあえず現役の皆さん、定演お疲れさまでした。きっとよい演奏会だったことでしょう。

2005年11月28日月曜日

11月の帰省

 今週は金曜日に代休を取り、三連休にして新潟に帰省していました。今月は第一週末は佐賀・福岡へ、第二週末は富山へ、そして今週は新潟へと、とにかく週末の移動距離が多いのです。いやー、我ながらよく動きました(笑)。まぁまぁもはや新幹線や飛行機などでの長距離移動は手慣れたものなのでいいのですが。

 さてさて、今回の帰省の目的は一つです。彼女とそのご両親がはるばる九州から新潟にやってきて、まぁ親睦会というか何というか、新潟を楽しんでもらいながら両家の交流を深めるとイベントがあったわけです。私も両親もあまり形式張ったことは好きでないので結納とか家具返しとかそういった儀式的なことはやらないかわりに、新潟に来ていただいて従兄弟が継いだ呉服屋で好きな着物を選んでもらってそれを贈り物に差し上げて、後は九州と新潟で土地も文化も違うので、まずは先方のご両親に新潟の風土を堪能していただきながら交流を深めようというわけです。

 しかしこの週末の新潟は天気がおかしかった(苦笑)。雷鳴りまくり。いきなり雷鳴とともにドシャッと雨が降ったと思えばちょっと太陽が顔を出したりして、でも気を抜くとまたすぐ雷鳴が・・・。初日の金曜日、まずは従兄弟の呉服屋『泉三』で彼女とご両親に着物を選んでいただくわけですが、そこに行くまでの間も選んでいる間も降ったり止んだり光ったり轟いたり、いやー忙しい忙しい。どんな天気だよ、と思ってました。まぁ私達は店の中にいるわけで、その分には当然天気などどこ吹く風なわけですが、にしてもおかしいくらいコロコロ変わる天気だった・・・。そんな中無事にお気に入りの着物を選んでいただいて今回の最大のミッションは完了するわけです。選んだのは真夏の青空のような落ち着きと爽やかさがほどよくマッチした青色に衣装箱の染めと刺繍が入った、比較的シンプルだけれど上品で末永く愉しめそうな一品。夏にたった一度彼女の写真を見せただけ(しかも携帯カメラで撮ったヤツ)なのに、あれこれイメージを膨らませながら、センスよく、しかも似合いそうな候補の着物を実に五着も用意してくれた従兄弟に感謝です。彼女もあの着物が仕上がってきて着るのを楽しみにしています。

 土曜日はまず水原の瓢湖に飛来したての白鳥を見に行きます。白鳥はまだ「100羽いるかな?」くらいの数でしたが、とにかくカモが多い。ざっと4種類くらいのカモが渋谷のスクランブル交差点よろしくな感じで超密度でひしめき合っているのです。そんな中カモを意に介さず悠々と泳ぐ白鳥。たまに3対3くらいでホーホー雄叫びを上げながら抗争を繰り広げている白鳥もいましたが、さすがになかなか優雅です。動物好きな彼女とご両親には結構楽しんでいただけたようでした。九州だと白鳥は見ないでしょうし。まぁ私も中之口川に迷い込んで住み着いていた白鳥以外は見た記憶がなかったわけですが。

 そしてその後は巻町のワイナリー『CAVE D'OCCI』にて食事とワインと猫を楽しみ、岩室温泉の『綿々亭綿屋』で首や肩のコリによく効く温泉(以前寝違えが一発で治った)と素晴らしい日本料理を堪能しながら、新潟の夜は更けていきました。あそこのお湯は屋内のものと露天のもので明らかに濃さが違う。岩室温泉のお湯は無色透明なので見た目では何もわからないのですが、露天風呂の方だともう香りからして日本海の潮っぽいし、実際味もしょっぱいのです。屋内の方はそれほどでもないのですが。経験上、やはり湯治として行く場合には濃い露天のお湯の方がよく効くようです。

 しかしこうして今回彼女のご両親に遠路九州から新潟に来ていただいたわけですが、ここまで距離が離れているとこれから長い付き合いとはいえ私と彼女と両方の両親、計6人で新潟を色々回る機会は今後そうそうないんだろうなと思うとそれはそれで微妙に寂しいような気もします。ウチの親は彼女と初めて会った夜、一緒に飲みながら「今が一番いい時かもしれない」と言っていましたが、私達二人だけならともかく互いの両親まで含めて考えた場合、あながちそれも間違ってはいないのかもしれません。遠いですからねぇ、新潟と九州って。こうした時間は大事にしたいものです。

 さて、今日は最後九州に戻られる彼女とご両親を東三条駅まで送って行ったわけですが、なんとそこでペルー帰りのハバネロ夫妻と遭遇!いきなり視界の外から名前を呼ばれて、「ん?」と思って見た先に彼と奥さんがいるのを確認した時はびっくりしました。「こんなところで何やってんだよ!?」と。まぁ向こうからすりゃこっちこそ何やってんだよって話なんでしょうが(笑)。ちょうどペルーから帰ってきて成田で一泊して新潟に戻ってきて彼の実家で一泊してこれから富山に帰るところだったそうで、まんまと彼女とご両親と同じ北越に乗って行きました。いやいやびっくりです(笑)。ペルーの土産話やオカリナや指人形をいただいて、これもまた縁と彼女も紹介して、まさにお互い旅の終わりのサプライズ・イベントといった感じでした。まさか最後にこんなことが起こるとは思っていなかった・・・。

 最後は東三条のホーム上でまたもの凄い雷雨に見舞われ、明らかに近くに落ちたと思われる雷鳴に一本締めをしてもらったような形で彼女とご両親とハバネロ夫妻を見送って、今回の新潟帰省は幕を下ろしました。最初から最後まで雷に付きまとわれた三日間でした(苦笑)。彼女のお父さん、「職場では"新潟は雷が凄かった"って言うよ」とか言ってましたし。最後はアラレまで降ってましたからね。雪起こしにはまだ少々早いようにも思うのですが。

 というわけで報告が遅くなりましたが、来年7月に、結婚いたします。

2005年11月24日木曜日

ちょっと早めの白鳥

 新潟にはもう白鳥が来ているらしい。一緒に大量のカモもいるそうだ。そういや新潟で白鳥を見に行ったことはない気がする。いつも釣りをしていた中之口川に季節を問わずに住み着いた白鳥が一羽いて、そいつはよくみかけたものだが。話によるとその白鳥は結構最近までいたらしい。まだ生きてるのだろうか。とりあえず、たまには白鳥を見に行くのも悪くはないかもしれない。10月末にロシアで鳥インフルエンザが発生していたのが気がかりと言えば気がかりだが。

2005年11月21日月曜日

休息時間

 11月は公私ともに何かとドタバタしていて、まともに体を休められそうなのは実は今日一日だけ。さすがにのんびりしてました。さすがに疲れが溜まってきているのか、たまに軽いぜんそくの発作なども出たりする今日この頃、休める時は徹底的に休んでおかないと身がもちません。整体に行って体をメンテしてもらった後は、少し買い物をする程度で後は昼寝などしてゆっくり過ごしておりました。元々、体は強い方じゃありませんからねぇ。精神力だけでも動けるには動けますが、それだと緊張が切れた瞬間に倒れちゃいますから(過去に何度も経験済)。ま、たまにゃよいでしょう。

2005年11月20日日曜日

免許の更新と『アルハンブラ宮殿の思い出』

 富山に行くのにかこつけて代休を取得した先週の金曜日、免許の更新期限が迫っていたので富山に行く前にまず朝6時半に起きて二俣川まで免許の更新に行ってきました。前回の更新の際は日曜に行ったのですが信じられないくらい人が多くて辟易としてしまったので、今回は平日に行こうと心に決めていたのです。やはり平日は日曜と比べると格段に人が少なく、8時半くらいから並び始めて10時半前には新しい免許を手に運転免許試験場を後にすることができました。

 さて、私の免許は実は前回まで「眼鏡着用」の条件がない、その気になれば裸眼でも運転ができる免許でした。最近は仕事でもずっと眼鏡かけてるし、会社の健康診断でも裸眼で運転できる程の視力は出てなかったように記憶しているので、今回は「眼鏡着用」の条件を追加してもらおうと思っていたのです。視力検査の際、係員の人に「今回は眼鏡着用でお願いします」と言うと、係員の人は「そう?でもまぁまず裸眼から測ってみましょうか」と笑って返します。仕方がないので眼鏡を外して「右、下、下・・・」と適当に答えていきます。するとちょっとして係員曰く、「うん、見えてるね。裸眼でいいですよ」。ほう。

 ・・・今回もまだ裸眼で免許を更新できました。

 さてその後、この5年以内に駐車禁止違反が一回ある私は一時間の一般講習を受けるわけですが、そこで観る映画がなかなか熱かったのです。父母に子供三人という家族の母親が交通事故に遭うところから始まり、SE(と思われる)父の多忙な仕事の合間を縫ってのほとんど寝ずの生活の看病にも関わらず母が死んでしまい、その後父が仕事をしながら中学生の長男、小学生の長女、幼稚園の次男を男手一つで育てていこうとするというストーリー。父の忙しい仕事に気遣い、話したいことも話せずにすれ違う長男、母になら言えたことも父には言えずに苦しむ長女、まだ小さくて手のかかる次男、そんな状況の中家族はすれ違い、最後は次男が父方の実家の祖父母の元に引き取られて家族が離ればなれになっていきます。交通事故に遭った家族のその後の悲惨さをこれでもかというくらいフューチャーした、暗くて重い映画です。

 ところで、私がここで話題にしたいのはこの映画の内容ではありません。その中で使われていた音楽についてです。母が亡くなってしまった際、火葬場からの帰りに次男が「お母さんの所へ届け」と紙飛行機を投げます。その際、静止する中空の紙飛行機のバックグラウンドに、おもむろに音楽が流れ始めます。哀愁溢れるクラシックギターのトレモロの旋律。そう、『アルハンブラ宮殿の思い出』です。「アルハンブラかよ!」と心の中でかなりツッコミ入れました。

 この映画の中でこの曲は母のテーマソングとして扱われるらしく、父、長男、長女、次男それぞれが母を思い出す際、ピアノ編曲版や歌唱曲版など、様々に形を変えながら流れてきます。例えば長女。日記に「辛い時はお母さんが好きだった歌を口ずさんでがんばっています」と書いて、おもむろに窓を開けて歌を口ずさみ始めるわけですが、その曲もやはりアルハンブラ。いや、口ずさまねーよ!アルハンブラを好きなのはいいけど、それを鼻歌って無理があるだろ!音程が高く跳躍するところ辛そうだし!・・・なかなか、素敵です。アルハンブラが好きだった母、一体何者でしょうか。自分でギターを弾かないのに子供にまで「お母さんが好きな曲」としてアルハンブラを印象付けるのはまずありえないでしょうから、何かしらギターとは関わりがあったのでしょう。亡くなった時点では専業主婦で、結婚前は出版社に勤めていたという情報が映画の中で出てきました。とすると仕事がギター関係ということはないでしょう。やはり学生時代に弾いていて、仕事を辞めて専業主婦になってからまた趣味の一つとして再開したとか、そんな感じかと思われます。なかなかやります。まぁ映画の中にギターの映像は一度も出てこなかったわけですが。

 しかし『アルハンブラ宮殿の思い出』ってそんなに悲しい曲でしたでしょうか?映画の中で聴くアルハンブラの主旋律は、何だか妙に神妙で悲しく聴こえたのです。あの曲って確かにギターらしい哀愁はあるけど、悲劇的ってほどの重い悲しみは持っていない印象だったのですが・・・。やはり音楽を聴く際その裏にある背景というのは印象に大きく違いを与えるものです。おかげであれ以来、アルハンブラの旋律が私の耳を離れてくれません。これまで(あれだけ曲を弾いてきたにも関わらず)アルハンブラだけは明確な意志を持って弾かずにいた私ですが、最近ちょっと弾いてみようかななどと思ってみたりもしています。私にそのような心境の変化をもたらしてしまうとは運転免許の更新時講習、恐るべしです。

2005年11月18日金曜日

2005年11月14日月曜日

富山初上陸

 この週末は金曜に代休を取り、友人ハバネロの結婚式のため二泊三日で富山に行っていました。これまで新潟と京都を行き来する際に通過することはあっても駅の改札をくぐることはなかった富山。代休を取ったはずなのに仕事の電話に追いかけ回されたり何だりかんだりで、前日の21時前にやっと富山に着きました。新幹線で越後湯沢まで出てそこから特急はくたか。はくたか、意外に混んでました(泣)。ともあれ何とか無事富山初上陸を果たし、雨の中明日の新郎と富山駅前の『Giraffe』という店で0時くらいまで相変わらずなアンダーグラウンドないしはサブカルチャー的な話題に花を咲かせ、初日の夜は過ぎて行きました。

 さて、結婚式当日です。結婚式と言っても何しろ今回は新郎が新郎だけに(?)、どんな式になるのか興味津々なところでしたが、結果から言えば実に彼らしい、フォーマルな流れの中でもいい具合に肩の力が抜けたいい結婚式だったと思います。ハウス系の式場のテラスでの人前式から、写真撮影、新郎ウェルカムスピーチ、上司による主賓挨拶、スライドショー、お色直し、シャンパンサービス、余興、バースデイベアー、お父さん挨拶、新郎締めの挨拶、と流れだけ見ると実に一般的で割と形式張ってそうな進行の中、全然硬さを感じない暖かな空気でゆったりと式を楽しめたのが素晴らしい。まぁ、新郎・新婦の人柄なのでしょう。

 何しろ新郎頑張り過ぎです(笑)。ラスボスからザコキャラ、果ては隠れキャラまで全部一人でやっちゃってました。そりゃもうスライムからバラモス、ゾーマ、果てはマスタートンベリまで。あらゆる場面で出てきました。余談ではありますが、私はマスタートンベリ大好きです。式が開始する前、控え室で友人と待っていたらそこにいきなり普段と同じ調子で緊張感もなく現れる新郎。1階の控え室から3階の挙式場までの移動の際、2階に立って「こちらになります」と皆を誘導する新郎。この時点で挙式前に既にやり過ぎです(笑)。人前式では入場から指輪交換、宣誓、誓いのキスなど、一つ一つの動作を照れくさそうにさらっとこなしてしまう姿が「らしいなぁ」と思いつつも印象的でした。入場の時、笑って立ち止まってましたからね。なかなかそんな新郎いません。式が始まったら始まったで最初のウェルカムスピーチも最後のスピーチも全部新郎やってるし、15kgの巨大シャンパンのシャンパンサービスも頑張ってるし。スライドショーで新婦の小さい頃の写真を一枚だけ左右逆にしておいて、「指摘される前に気付いていたら大したものだ」とのたまったあのくだりはさすがでした。何にしろ、随所で独特のユーモアを交えながら出席者に触れ合う新郎の気配りが肩肘張らないいい空気を作っていたのでしょう。それこそ大したものです。

 そして今回、私は余興で『11月のある日』を弾いたわけですが、実はあの時思ったより酔いが回ってました(苦笑)。んー、多分直前にシャンパンサービスでいただいたシャンパンを急いで飲んで調弦に向かったせいなんでしょうが、紹介されて前に出たときは何か結構ほんわかきてました。二年半ぶりのステージはさすがにちょっと緊張しましたが、その辺りはまぁまぁその酔いがうまいこと緩和してくれたかなという感じです。何しろ大事な友人の結婚式で変な演奏して空気をまずくするわけにはいかないので、その意味での緊張も正直あったのです。まぁ演奏自体は調子のいい時の私特有の「ミスには気付いて気付かぬフリ」の開き直りっぷりが炸裂し、往年の集中力も出ていたので弾いてて結構気持ちよかったです。酔いが回ってた分、多少勢いで押してしまった感はありますが(苦笑)。聴く限りでは評判もなかなかよかったようで、新郎・新婦のために披露宴に軽く一花添えられたなら嬉しいところです。個人的には帰り際代行タクシーに乗り込む際、披露宴でずっとピアノの生演奏でBGMをしていたピアニストの人がわざわざ「ギターの演奏素敵でした」と声をかけてくれたのが嬉しかったです。そして何よりも新郎が繰り返し伝えてくれた感謝の言葉はやはり、「うん、弾いてよかった」と素直に思わせてくれるものです。

 さてさて、そしてこれも新郎がすべてセットアップした(爆)二次会・三次会ですが、久々に見る高校の仲間やほとんど初対面気分(!?)の高校の仲間、新郎の大学時代の部活の仲間等と盛り上がりながら富山の夜は更けて行きました。三次会では大学弓道部の方達が主体で我々高校組は少数派だったこともあり、半ば強引に仲間に入りにいった感もありますが、まぁまぁそれもまた一興でしょう。なかなか楽しいカラオケでした。そして一夜明け、高校の仲間と富山城を散策した後、ホルモンラーメンとやらを試みに食して13:59発のはくたか13号にて富山を去って行きました。普通にモツ煮として食べてもおいしいホルモンラーメン、結構いけてました。

 さてさて、今回の結婚式はなかなか参考になりました。とりあえず「これはいただき」という点をいくつか挙げると、

・乾杯のシャンパンはどうせならおいしい方がよい
・場の空気なんて新郎のたたずまい一つで何とでも変わる
・あくせくイベントを続けるよりは人と話した方がよい
・小さなユーモア忘れるべからず

 といったところでしょうか。二次会・三次会まで新郎がセットアップするのはさすがにやり過ぎかと(笑)。

 新婚旅行、ペルーにナスカの地上絵を見に行くとのことですが、是非楽しんできてください。最近某元大統領のおかげで反日感情が強まっているらしいので気をつけて。ペルーだとフォルクローレの本場でもありますので、是非音楽も合わせて楽しんできてください。

 それでは末永くお幸せに。よい結婚式でした。楽しい時を過ごさせてもらいましたよ。

2005年11月9日水曜日

ワクチン VS 体温

 今日は会社でインフルエンザの予防接種があった。「何を小学校じゃあるまいし」と思うかもしれないが、ウチの会社では去年から全額会社負担で全社員対象にやっている。「インフルエンザで休まれるより、予防接種に金をかけた方が経済的」との理由かららしい。とはいえインフルエンザ予防接種の効果自体が疑問視されている昨今、敢えてそこに金をかけるのも結構チャレンジャーだなと個人的には思うのだが、まぁやるというなら声を荒立てて反論する程のことでもない。「去年はちゃんと予防接種を受けた後輩がしっかりインフルエンザにかかって倒れてたよなー。そもそも今年流行る型の予想が外れてしまえば予防接種の効果云々以前にホントに意味がないんだよなー」とか何とか余計なことを考えつつも、とりあえずは受けに会場に足を運んだ。

 予防接種会場は社内の会議室。当然社員が何人か並んでいる。予防接種の前には体温測定。これで体温がある閾値以上あると予防接種は受けられない。前にはやたらガタイがよくて元気で健康そのものに見える総務の人が「俺、去年も体温測定で37度5分あって、医者が"ダメだ"というのを"大丈夫です、打ってください"って言って無理矢理打ってもらったんだよなー。平熱高いんだよ」とか言いながら体温を測っている。そして今回も37度0分の熱があった彼は、まんまと医者に接種を断られていた。しかも「大丈夫です、打ってください」と何度も言い切った上で。最後には結局彼が折れて、「ははは、打ってください、打ってくださいって、まるでシャブ中みてーだな」と笑いながら彼は部屋を出て行った。

 さて、いざ自分で体温を測ってみると、なんと見事に37度1分。これでは堂々の接種拒否圏内だ。とはいえ平熱が高い私は37度2分くらいまでなら余裕で通常範囲内。出直しも面倒だからできれば今回打ってほしいと一応説得は試みてみるも、医者の方も「今年のワクチンは強いから37度以上は打てない」と絶対折れない。結局、やはりこちらが折れて明後日の2回目に再挑戦ということになった。しかし、明後日は予定では徹夜作業明け。問診で「徹夜明けなんですけど大丈夫ですかねー?」とか聞いたら絶対ダメって言われるに違いない。何より、37度1分で接種を見送ってなどいたら、私にはいつまでたっても予防接種をすることができないのですよ。

2005年11月8日火曜日

久しぶりに

 実に一週間以上も更新をさぼってしまいました。ここまで休んだのはさすがに久しぶりです。忙しかったのか何なのか、とりあえずなかなか更新しようという気力がなかったのです。そう、それはどちらかと言えば気力の問題なのです。

2005年10月30日日曜日

たまには和歌でも

つきよみの ひかりをまちて かえりませ やまぢはくりの いがのしげきに

良寛

2005年10月26日水曜日

28才最初の夜とAEROSMITHの『GET A GRIP』

 28才の誕生日を迎えた。日付が変わる瞬間は、社内で得意先に慌ててメールを書いていた。昨日一日風邪で休んでしまった関係で、「25日中に送る」予定の資料の作成が遅れてしまい約束を守るため必死でまとめて、やっと送れる準備ができてメールを書いていたのだ。結局、送信日時は10/26 0:02。約束には2分届かなかった。そんな感じだったから、会社を出て上司と別れて一人になってからも、もう既に自分の誕生日を迎えていることにまったく気付かなかった。電話で「誕生日おめでとう」と言われるまでは。

 実感のわかない誕生日だった。「そうか、もう日付変わってんのか。そうだよな、間に合わなかったんだもんな」。正直、その程度の感想だった。電話を切って電車に乗って日吉に帰って、コンビニ弁当を買って部屋で一人で食べる。ここ数年恒例の、いつもの誕生日だった。何も変わらない。特別嬉しいこともないが、変に寂しくなったりもしない、例年通りの誕生日だった。ただ、風呂を入れて「さぁ入ろうか」という時、何故かわからないが突然AEROSMITHの『LIVIN' ON THE EDGE』が聴きたくなった。何の前触れもきっかけもなく、不意に、それはまさに啓示のように。風呂場で『LIVIN' ON THE EDGE』を口ずさんでみた。歌詞は正直もううろ覚えだ。もう何年も聴いてない。高校の頃文字通り『FEVER』するくらい好きだったAEROSMITHのアルバム『GET A GRIP』。その中でも一番好きなのがこの『LIVIN' ON THE EDGE』だった。印象的なギターの旋律に乗って始まる歌い出しがたまらなく好きだった。

♪There's a somethin' wrong with the world today
 I don't know what is...

 このCDを買ったのは偶然だった。高校から帰る途中に寄ろうと思えば寄れる、その近辺では唯一やたらマニアックな輸入CDを扱っているCDショップ。そこでこの『GET A GRIP』を見つけた。それも普通のジャケットのものじゃない。輸入盤の限定の、CDケースが牛柄のフェルトで一面覆われているデジパック仕様。とても手触りがよかった。当時AEROSMITHが特別好きというわけでなく、ただ名前は知っていていつか聴いてみたい程度の興味しかなかったが、この印象的なジャケットを一目見てほしくなってしまった。そしてその場で購入し、ジャケット以上にその音楽に衝撃を受け、しばらくはゲフィン時代のAEROSMITHにどっぷりハマっていくことになる。

 当時、周囲でも洋楽を聴いているヤツはほとんどいなくて、色々な仲間にこの『GET A GRIP』を貸して回った。ほぼ例外なく貸したヤツ皆がこのアルバムのファンになって返ってきた。そうして何人ものAEROSMITHフリーク、ひいては洋楽フリークを増やしていったものだ。今思えば、新潟の中途半端な地方都市の進学校の高校生という、若さ故の大きなエネルギーのやり場がなくて持て余し気味だった、あの頃あの立場だったからこそ、あの音楽があれ程強く心を揺さぶったのだろう。とにかくそのようにして、このAEROSMITHの『GET A GRIP』、ウシのフェルトのデジパック仕様のCDは、大袈裟に言えば、しかし確かに、青春の1ページとしてしっかりと胸に刻まれた。

 本当に何年ぶりかわからないくらい久しぶりに聴いた。やはり一番胸に響いたのは『EAT THE RICH』でも『CRYIN'』でも『CRAZY』でもなく『LIVIN' ON THE EDGE』。何故だろう。歌詞が特別好みというわけでもない。音も豪勢な作りではあるけれど、単純に曲の出来という意味では先に挙げた3曲の方が上だろう。でも、やはり一番好きなのは『LIVIN' ON THE EDGE』で、今晩聴きたくなったのも何故かこの曲だった。自分でもわからない好みというのはある。1つだけ確実に言えることがあるとすれば、最初の歌い出し。あのギターの旋律、伴奏が作り出す雰囲気、そして歌われる詞。その最初の何小節かは、そこだけで涙が出そうになる程ツボにはまる音楽だ。もしかしたら、それがすべてなのかもしれない。

 とにかくそのようにして、28才最初の夜に何年ぶりかに『GET A GRIP』を聴いている。突然、啓示のように訪れた衝動の赴くまま。『CRYIN'』がもう終わる。そろそろ寝なければならない。明日も仕事があるし、まだ風邪も治ってない。このもう少しフェルトがやせてしまったウシのジャケットも、またラックにしまっておこう。また、聴きたくなるその時まで。音楽は、昔と変わらずカッコいい。だけど、ジャケットは少し手触りが悪くなっちゃったな・・・。

2005年10月24日月曜日

現代の地下世界

 結局あのひどい鼻水はアレルギーではなく風邪だったようで、鼻と喉の粘膜がひどくやられて息も詰まらんばかりの勢いで、この土日はぐったりと寝込んでおります。しかし今回の風邪には葛根湯加川きゅう辛夷(カッコントウカセンキュウシンイ)がよく効いてくれました。鼻と喉の粘膜がやられる風邪にはツムラの2番。覚えておきましょう。

 ところで、病床に伏していると本を読むかTVを観るかくらいしかやることがありません。それも体力に余裕のあるうちは本が読めるのですが、いよいよダメになってくるとTVを観るくらいしか気力が追いつかなくなってきます。おかげで昨日の濃霧の中の日本シリーズも目撃しました。端で見ている分には霧に乱反射する球場のライトの光はかなり幻想的で美しかったと思うのですが、選手や観客、ないしは試合の続きを観たいTVの前のファンにはたまったもんじゃなかったことでしょう。なかなか斬新な光景でした。

 で、それはまったく本題と関係なく、今日は太陽が出ている間は比較的具合が良かったので(暗くなってきてまた少し沈んできましたが)、中沢新一の『アースダイバー』という本を読んでいました。東京という土地の古代縄文時代の神話的な時代の姿と現在の資本主義の一代表的な姿の不思議な相関を神話学や民俗学的な視点から読み解くという本です。近代以降、徹底して資本主義的に作られてきたと思われている東京という街に、如何に古代のスピリチュアルな要素が混じり込んでいるか。他では見ない新しい視点だと思います。

 まだ全部は読んでいないのですが、なかなかもの思うところがあったので、その部分だけ読了を待たずに簡単にメモ書きの勢いで書いてしまうことにします。最近は本を読んで考えることはあってもそれが形になることが少ないので、とりあえず頭の中にまとまる前に思うがままを。

 ぼくたちの知らない地下の世界には、地上で役に立たないとされたものたち、競争に敗れてしまったものたち、地上を支配する価値から排除されたものたち、ようするに地上の世界からの「排泄物」のすべてが、無数の水路を通じて、地下の世界の王国に、流れ込んでくるのである。そしてそこに、地上の価値に見放された、のけものたちの王国が作られて、別の価値と別の美に輝く、息をのむような大伽藍が開かれているのである。

 地上の価値から排除されたものたちが形作るのけものたちの王国。元々はキリスト教もローマ帝国の価値から弾かれて地下のカタコンペに住み着いた、地下に溜まった汚物を養分とした隠花植物だったという。では今、東京の地下には何が住み着いているのか。

 おそらく、東京の地下には何もない。中沢新一が言うように、渋谷の地下には新宿御苑の玉藻池を水源とする川が流れていて、それは確かに渋谷の欲望を吸って地下を流れて稲荷橋で地上に姿を現すけれども、そこにはきらびやかな資本主義に対するアンチテーゼの象徴は存在し得たとしても、象徴を超えて意味を持つ形而上的な何かへは現実問題として発展しないだろう。そこはただの地下であり、地下世界ではない。

 では、現代の地下世界はどこか。そこは間違いなくインターネットの中だ。インターネットにも現代資本主義的な価値の中で輝き、存在しているものもある。だが確かにそうでないものもある。巨大に膨れ上がった仮想世界の中では、かつてのキリスト教徒のように地下に隠れ住むまでもなく、価値のマジョリティと同じ次元に平然と同居する形でそのアンチテーゼが存在できる。地上の価値に見放されたのけものたちは、この仮想世界の中で新たな価値の大伽藍を作り上げる。2ちゃんねる、BLOG、Mixi等のSNS、それらは明確な形で現代的な価値へのアンチテーゼといった風采を持っていなくとも、少なくとも発信者とそれを囲むコミュニティの中で多かれ少なかれ一般的に"現代的な価値"と呼ばれるものに対してそのコミュニティなりの矯正が入るものだし、中には明確に地下世界の色合いを打ち出しているものもある。ネット上の一部のコミュニティは、既に現代の価値に囚われない新たな自分達なりの価値を持った新世界を創造しているようにも見える。

 キリスト教創世の時代、精神的な地下世界は物理的な地下世界に相関して存在していた。現在、精神的な地下世界は現実世界と仮想世界という対比の中で存在している。では、いつの日か、その価値がひっくり返ることがあるのだろうか。大ローマ帝国が倒れ、キリスト教が世界を席巻したように。それは例えば、リアルとバーチャルが転倒した、映画『MATRIX』のような世界なのだろうか。現代の地下世界で、果たしてどんな萌芽が芽生えていて、その中のどれが実際に花開きそうなのか。正直、今の私の目にはまだ具体的なイメージは見えてこない。だが、今の資本主義社会の価値を無にして世界を組み替えてしまう新たな価値が出てくるとしたら、それはやはりこの現代の地下世界の中からだろう。

2005年10月22日土曜日

ハイテンションのち赤っ鼻

 今週のスケジュールはまさに分刻み。しかもただ予定が詰まっているというだけでなく納品~管理教育、そして宿泊研修といった"(技術的に)初挑戦"、"ずらせない"、"失敗できない"、非常に緊張感の強い要素が鏤められた、とてつもなく素敵なスケジュールです。どれか一つ予定が狂えばもう終わり、後の後まで影響を及ぼすことは目に見えています。しばらくぶりの超過密・精密スケジュールのおかげで今週の私はそれが一息つく昨日まで四日間、もうそりゃ凄まじい勢いでアドレナリン出まくりでした。いやー、絶好調でした。素晴らしい集中力と頭の冴え。「俺ってこんなにできるんだ」と自画自賛する程圧倒的な切れ味でした。

 で、なんとか昨日までのスケジュールを乗り切り、今日は外出の予定もなく一日社内にいる平穏なスケジュール。それで気が抜けてしまったのか、アドレナリンが分泌されないのはまだしも、なんと昨日まで出ていたアドレナリンの代わりに今日はヒスタミンが大量に出てしまっていたようで鼻水出まくり。ずっと鼻をかみ続け、もう鼻は赤くなってヒリヒリするし、挙句もう薬飲んでもよくならずに鼻水が流れ続けて、鼻血のときみたいにティッシュを丸めて鼻に突っ込んで仕事してみたり。もう目もシパシパするし、大変でした。こんな状態じゃ集中力など当然あるはずもありません。いやー、参りました。

 アドレナリンのちヒスタミン。奇跡の効率の後はまさかの非効率。世の中なかなかうまくはいかないものです・・・。

2005年10月18日火曜日

毒にも薬にもならないよりは

 毒にも薬にもならない話ばかり書いても何も意味はないわなーと思いつつ、最近は見事なばかりにそんな傾向の日記ばかりが続く。書くネタは一杯あったような気もする。先の総選挙ではかなり毒のある話を書いていたが、途中で自民党の圧勝が目に見えてきて公開する気をなくして下書きのままとか、玄関の前で二日間佇み続けた二匹のカマキリの話とか、久々の大作音楽論とか、書きかけやアイディアは割にあるのだけれど、タイミングが悪かったり何だりで表に出てない。まぁ、書いたとしても結局毒にも薬にもならない話も多いけど。

 どうせなら毒がいいよね。何しろ元々が立派ってほど立派な人間じゃない、いいこと言おうと思ったってタカが知れてる。カッコよく見せようったってタカがしれてる。ある程度はそう見せられるかもしれないけれど。心の向くまま書いたものが、誰かしらの心に何かしら引っかかるなら幸いだ。狙ってみたってうまくはいかん。狙ってみたってうまくはいかん。そう毒吐いてなんぼです。毒は批判や糾弾でなく、もっと精神的な毒がよい。たまにゃ読む方がまるで意味がわからんか、むしろ不快になるくらいでもちょうどいい。ある種オカルト。最近、書いてないなー、そういうの。社会に出るとある程度、人の快不快を考えてしまう。ここではホントに"ある程度"だけど。ま、時にはそんなもん無視してもよいでしょう。できるとしたならここしかない。潰しましょう。潰しましょう。そう色々と、無感情に。段々テンポに乗ってきた。こんな感じで書ければよい。こんな感じで書ければよい。結局毒にも薬にもならん。

2005年10月16日日曜日

日吉の整体院『K-style』

 ここ二ヶ月程、二~三週間おきくらいのペースで整体に通っています。万博で長時間歩き回った挙句に重い荷物を担いだ満員電車に揺られたおかげで、ここ一年半程悩まされてきた腰痛に完全にトドメを刺されてしまい、仕事で長時間同じ姿勢で座ったり、ノートPCの入ったカバンをかついで電車で移動したりすることすら辛くなってしまったので、「こりゃもういい加減限界だな」と治療を試みることにしたわけです。

 腰痛の治療というとやはり普通はまず「整形外科にでも行くか」となるわけですが、整形外科での治療って基本的には電気流して湿布貼って、血行を良くしてコリをほぐしたり痛みを和らげるというスタンスになります。それって一時的に痛みは軽くなるかもしれないですが、結局対症療法に過ぎないから原因を根治させてないんですよね。だからすぐ再発する。まぁ一口に腰痛と言っても色々と変な病気が原因な場合もあるわけで、まずそういった変な病気じゃないということをはっきりさせるという意味で整形外科の診断を受けることには意味があるように思いますが、そういった明らかな病原性のものでない腰痛(大体そっちが多い)を治したいのなら整形外科はイマイチです。それなら温泉にでもゆっくり浸かっていればよい。私は相変わらずの確信的な自己診断で「これは病原性の腰痛じゃない」と判断し、整形外科よりは整体の方が効果あるだろうと整体に足を運んだわけです。実際最近背骨が何か歪んでる気もしてましたしねー・・・。

 というわけで整体院探しです。基本的に探し物はまずネットから。おもむろに検索窓に"日吉 整体"と打ち込んで結果を眺めます。すると1ページ目に2件程引っかかってきます。さて、どちらにするかというのが悩ましいところです。幸いどちらも先生自身がBLOGを書いているので、それを読んで"話がしやすそう"かつ"HPがわかりやすい"という理由から『K-style』さんに行くことに決め、予約を入れます。後は楽しみに待つだけ。そう、待つだけです。

 『K-style』さんは微妙に場所がわかりにくいので最初ちょっと探してしまいましたが(苦笑)、中に入ると柔らかい色調でまとめられた穏やかな雰囲気の部屋。当然かもしれませんが非常にきれいに片付けもされていて、清潔感も抜群です。受付に誰も人がいなくて、施術中の先生が対応してくれたのには少々驚きましたが(笑)。基本的に全て一人で運営しているそうです。頑張ります。

 整体と言うとバキバキと骨を鳴らすイメージがありますが、『K-style』の古藤院長曰く「あれやっても治らない」とかいうことで、ここではじっくりと関節を調整して治療してくれます。たまにちょっと痛いですが、基本的にはマッサージを受けてるみたいな感覚です。結構私の体はボロボロだったらしく、骨盤は歪んで固まってるは背中も固くなってるは、挙句首までゴリゴリで、「頭痛や耳鳴りはしませんか?いつそういう症状が出てても不思議じゃないですよ」とか言われました(泣)。実際ちょっと疲れると頭痛はよくあるのですが・・・。とにかく「これは一回では無理」ということになり、それから私の整体通いが始まりました。院長の古藤先生はとても気さくに話す人で、行く度に何故かロックの話で盛り上がりながら施術を受けていたりします(笑)。なかなか、楽しいです。

 しかし整体って思った以上に効果があるものです。まず整体院を出て道を歩いている時点でこれまでと足の動き方が変わっていることに気付きましたし、一回で不思議なくらい腰痛も軽くなり、それまで私を悩ませていたアゴの疲れと違和感や首のコリまで一緒によくなったのです。私の半慢性化した腱鞘炎も、背骨や骨盤が歪んでいるせいで手に酷く負担がかかって、腱鞘炎にかかりやすい状態になっているそうで、体の歪みは腱鞘炎にまで関係してるのだなと妙に感心したりもしました。腰痛や首のコリが緩和されたおかげで往年の周囲がまったく見えなくなるくらいの集中力も(まだ完全にではないですが)戻ってきてくれました。やはり体は色々なところで結びついてますし、心もまた体と結びついているものです。

 というわけなのでまずは腰痛とアゴの疲れ・違和感及び首のコリを完全に打倒すべく、私はしばらく整体に通うことにします。

2005年10月10日月曜日

無題

 色々と書きたいことはある。けれど何も書く気になれない夜もある。それならばいっそ何も書かなければいい。黙って更新を見送ればいい。それができない夜もある。書くことも勇気なら、黙っていることもまた勇気だ。今日は、どちらも取れない。

2005年10月9日日曜日

Bowmore - ボウモア ダーケスト

ボウモア ダーケスト
Distillery : Bowmore

Years : Unknown

Area : Islay

Bottler : Official

Cask Type : Oak Sherry

Product : 43% vol, 750ml

Price : 4,900yen

Remarks : -



 潮の香りがするアイラモルトとしてん根強いファンの多いボウモア。そのシェリー樽熟成のボトルがこの『ボウモア ダーケスト』だ。"From The No.1 VAULTS Of Black Bowmore"と化粧箱にデカデカと書いてある通り、かつて存在した『Black Bowmore』の後継としてリリースされたものであるらしい。No.1熟成庫から厳選した樽を使用し、12年以上バーボン樽での熟成を行い、その後2年以上シェリー樽で追加の熟成を行って出荷される。ウィスキー評論家のマイケル・ジャクソン(月面歩行とかやっちゃう彼ではない)は数あるボウモアのシリーズの中でもこの『ダーケスト』に最高の評価を出しているとか。何にせよ、シェリー樽熟成のボウモアというだけでなかなかそそる一品だ。

 伊達に"Darkest" と銘打ってあるわけでなく、色は非常に濃いアンバー。マッカランと見紛わんばかりの濃い色をしている。アイラモルトはこのボウモアに限らずピートのきつい香り(正露丸のようとよく言われる)がして、それが好みを分けるものだが、このダーケストはアイラの中では中程度のピート香を持つボウモアの中では比較的おとなしい方。ピートの煙と潮の香りにシェリーの甘い香りが混ざり合って、なかなか絶妙なバランスを出してくれる。シェリー香がピートの持つ強烈な香りを少し中和している感じだ。

 ボウモアは決して甘口のモルトではない(といっても激辛というわけでもないが)ので、口に含んだ瞬間も決して甘みが前面に出てくるわけでなく、実直な、ともすれば地味に感じるくらいの麦の味を、軽くくるむ程度にシェリーの甘みとまろやかさが付いてくる。アイラモルトの持つ強烈な個性を、シェリー樽による熟成が一段大人にさせて深みが増したように感じる。アイラの暴れ狂う強烈な個性を経て、一歩スペイサイドのヘザーハニーを加えて踏み込んだイメージ。ラフロイグやアードベッグのような強烈な臭いモルトが好きな人には少々物足りないのかもしれないが、これはこれでアイラとスペイサイドのいい部分を取って悪い部分を補いあった、非常にバランスのよいモルトであるように思う。この『ボウモア ダーケスト』はかなりお気に入りだ。少しきつい渋めな個性と、深く味わえる洗練と、どちらも一度に味あわせてくれる贅沢さがある。

2005年10月6日木曜日

ハバネロとギター

 来月に高校時代からの友人が結婚する。その友人から電話がかかってきた。聞くと、近所の店でハバネロを売っていたので思わずそれを購入して、包丁でブツ切りにしてオリーブオイルに漬けたりなどしていたら、その後車を運転する時なんかにハバネロをつかんだ指が痛くてたまらんという。少しつまみ食いでなめてみたらハンパじゃない、「世界一辛い」という看板は伊達じゃない、気をつけろ、と。そういうわけで、11月の結婚式で何かギターを一曲弾いてくれと頼まれた。

 高校時代も卒業後も随分バカな真似をしてつるんだ仲、その程度の頼みならどんと来いと二つ返事で引き受けたのはいいけれど、さて何を弾くかが問題です。正直最近は期末の忙しさと編曲がかぶったせいで、独奏曲はホントにほとんど弾いてません。すぐに人前で出せると言ったら『花祭り』や『シャコンヌ』といった学生時代から得意とするレパートリーくらいですが、前者は派手すぎるし後者は暗すぎる(苦笑)。一ヶ月半でできる簡単な曲でも選ぶかなぁ、とか色々考えていた時に、ふっと思い浮かびました。そうかぁ、式は11月かぁ。

 ・・・なら『11月のある日』でいいじゃん。

 決定しました(笑)。

 最近はこの曲も中間部の長調に転調する部分は弾いてなくて忘れかけていたので、早速譜面を持ち出して指を置きます。右手、左手、少しずつ感覚を思い出しながら、ゆっくり弾いていきます。少しなまってギクシャクする指がもどかしいと言えばもどかしいのですが、やっぱり楽しい。やはりどんな形であれ舞台という目標があるとギターを弾こうというモチベーションも上がるし、楽しさも増すものです。この三連休は久々にギター漬けですね。

2005年10月3日月曜日

エアバス

 羽田空港と佐賀空港を結ぶ飛行機はいわゆるジャンボジェットではなく、一回り小さいエアバスだ。ボーイングなんかと比べると胴が短くて、ちょっと寸詰まりな感じがするのが何となくかわいい。最近、コイツが結構好きになってきた。座席も左右に3つずつしかなくて、真ん中の席はないし、エンジンも左右一基ずつしか積んでない、小さな飛行機。でもそれがいい。福岡行きのボーイングに乗ると、真ん中の席まで人がギチギチで、人が密集した空気が酷く淀んでいる気がするが、このエアバスは最大でも160人程度しか乗らないし、真ん中は通路のみのわかりやすい乗り物だ。これならそんなに空気が殺伐と感じられることもない。

 そして佐賀空港からの離陸が気持ちいい。何と言っても佐賀空港は日に羽田を三往復、大阪を二往復しか飛行機が飛ばない。夜、東京に向けて発つ便は佐賀空港から出る一般旅客機の最終便だ。当然周りに飛行機もないので、離陸待ちなどという状態は基本的に発生しない。羽田上空が混雑しているからという理由で離陸待ち指示が出ることはあるが、滑走路に飛行機が連なるという事態など間違っても発生しない。のびのびと占有した滑走路を、小さなエアバスは小気味よく加速して飛び立って行く。

 佐賀行きの飛行機に乗るには、いつも羽田のターミナルからバスに乗って機体まで案内される。それが面倒と言えば面倒だが、逆に言えばバスの中からや、バスから降りてタラップを登って乗り込む前に、エアバスの全体像をちゃんと見ることができる。いつもそのバスに乗って機体のところまで来ると、やはりエアバスが初めての人が必ず何人かはいて、そして必ず誰かが「小さっ!」と声に出して呟く。その言葉を聞いて、いつも少し心の中で笑うのだ。うん、エアバスは小さいんだよ、と。

2005年9月28日水曜日

フォルクローレメドレー編曲完了

 以前に日記でさらっと書いてからまったく音沙汰なしで早二ヶ月半。きっと大半の人がそんなことを忘れているかまたは編曲しているなんて思っていなかったのでしょうが、どっこいしっかりやっておりましたフォルクローレメドレー。今年の衣笠定演の有志合奏用の編曲です。今回はMIDIを上げておくので、興味のある方はどうぞ御試聴ください。『花祭り』に始まり『灰色の瞳』、『サンフランシスコへの道』とつなぐフォルクローレメドレー。今回はAlt、Prim1、Prim2、そしてC.Bassの編成で編曲してみました。本当はパート毎にトラック変えてパン振って音量調節しないといけないのですが、それをやってないので至極聴きにくいMIDIになってます(苦笑)。コードの音がでかすぎるし、違うパートで同じ音があるとぶつかって消えてるし。まぁそもそも曲想をまるでつけてないしトレモロもブラッシングもMIDIでは再現していないので、参考程度にお聴きください。


 とりあえず今回は『花祭り』の編曲に苦労しました。学生時代、独奏では『花祭り』を得意中の得意としていた私ですが、実はあの独奏用の編曲ってあまりフォルクローレっぽくないんですよね(苦笑)。で、まず自分の頭の中の『花祭り』のイメージを壊して合奏に変えるのに手間取った。またあの曲、ネイティブのバンドでも最初から勢いよく飛ばしたり、あるいはゆったりやまびこのように問いかけるように聴かせたり、暖かくほのぼのとした雰囲気に変えてみたりとバンドによって全然色合いの違う曲調にしちゃうから尚更タチが悪い。結局『灰色の瞳』と『サンフランシスコへの道』だけ先に仕上げて譜面送って、後でゆっくり『花祭り』を考えてました。んー、まぁ、ちょっとPrim2に小技を求めた編曲になってしまいましたがあれはあれなりに『花祭り』できてるんじゃないでしょうか。

 これまではクラシックやポピュラーの編曲ばかりだったので、基本的に基となり参考となる譜面がある状態での編曲でしたが、今回はあるのは音源のみ、聴いて音取って編曲という初の試み。んー、さすがにちょっと苦労はしましたが結構楽しくやれました。何事もやってみるものです。

 今回の編曲は何よりコンバスが楽しそう。自分で弾くんだったら迷わずコンバスを選びます。そしてエスプラナードフェスタの時のように一人で爆音で鳴らしまくることでしょう(?)。特に『灰色の瞳』はベース兼カウンターメロディみたいな感じで、全体のリズムを支えつつでも自分も歌うベースが弾くにはかなり楽しそうです。そして『サンフランシスコへの道』でかっ飛ばす、と(笑)。逆に疲れるのはPrim2。ひたすらコードですが、特に『花祭り』はブラッシング等で右手首や指を柔軟に使わないといけないし、『サンフランシスコへの道』はテンポが速いのでとにかく体力勝負。鬼門です。

 後はこれにどんなパーカションがついて、どんな聴かせ方をしてくれるのか。凄く楽しみです。とはいっても今年の定演は11/29(火)。東京から出て行くにはあまりにきつい日程なのでおそらく観に行くことができないのが残念です。誰か私の代わりに聴きにいってあげてください。それでは参加する有志の皆さん、合奏を楽しんで頑張ってください。

WILLCOM新機種発表

 とうとうWILLCOMが新機種を発表してくれました。世間を震撼させたOpera搭載の通称"京ポン"から一年以上。敢えてそちらに乗り換えずに電波の受信が弱くてすぐブチブチ切れたりメーラの仕様が凄く狭い領域しかカバーできてなくて国外からのメールやちょっとおかしなエンコードのメールを受け取るとまったく解釈せずに文字化けしたり、変換や操作性が恐ろしく悪かったりする日本無線製のAir H" Phoneで耐え続けて二年以上。やっと待望の新ラインアップが登場です。この新機種達を見る限り、やっと一時期随分と水をあけられてしまった感がある携帯とPHSの機能差(性能差とは違う)も埋まりつつあるようです。データ通信に強いPHSの利点を生かして、フルブラウザやWord/EXCEL/PDF等が読めるビューワ、ないしは強固なセキュリティを売りにしていくのはPHSとしては正しい売り方ではないでしょうか。今となっては企業ユーザーが大半のPHS、仕事で使うのに便利な定額で高速なデータ通信のみならず、そういった汎用ビューワが搭載されることを魅力に感じるビジネスユーザーは多いことでしょう。ま、私はあくまでプライベートユースなわけですが。

 さーて、どれに換えましょうか。日本無線はこれまで泣かされてきたのでとりあえず置いておくとして(個人ユースで指紋認証とかいらないし)、すると310シリーズでは京セラのWX310KかSANYOのWX310SA。どちらもDDIポケット時代からの実績を持つメーカーなので安心感があります。機能的なポイントとしては京セラは名機"京ポン"に引き続いてこちらでもOperaをブラウザとして使用し、SANYOと日本無線はモバイル端末やポケットPCで多くの実績を持つNetFrontを採用した点。んー、Operaは確かにいいブラウザですが、個人的にはNetFrontも結構信用してるんですよねー。何しろ元々モバイル用のブラウザですから、無理矢理小さなモバイルに詰め込まれたOperaと違って少ないパワーで効率的に動く分には定評がある。でも京セラはオプションでFlashが見える。でもでもSANYOは恐ろしいことにFlashは見えないけどJavaが見える(いらねーよ!)。うーん、まーでも、ブラウザはどっちでもいいですね(爆)。そもそもPHSでそんな頑張ってネット見ないし。

 後はデザイン。好みとしてはSANYOのProgressive Red。カッコいい。連続通話時間もSANYOが長いし、こっちですかねー。ただ京セラは伝統的に電波の受信が凄まじく強いのが魅力。PHSでは並んで東芝も強かったけど、東芝は今回参戦してないので残念。往年の名機Mega Carrotsが懐かしい。

 最後のポイントとしてMacとの親和性。やっぱりできればPower Bookでモバイルしたいですからね。現時点ではWin/MacともどのOSに対応しているのかという情報はまだ出ておりません。京ポンでは力の限りMacを無視してくれた京セラは、今回対応してくれるのでしょうか。そして現時点での本命SANYOの対応は如何に?前回可能な限りMacに対応してくれた日本無線、ここでの奇跡の逆転はあるのか?ちなみに私が敢えて京ポンに乗り換えずにAH-J3002Vを使い続けたのはMacでつながるからなのです。京ポンも一応非公式にはネットで有志が開発したドライバーを使ってMacでもつながるらしいのですが。

 ・・・まさかどこもMacに対応しないなんてことはないよな・・・。いや、ありえるかな・・・。

2005年9月26日月曜日

休養

 とりあえず今回の三連休は(一日出社したものの)ゆっくり休養を取ることができた。せいぜい本を読むくらいしかしない生活。公共料金を払って、買い物をして、整体に行った。台風は来ていたけれどのんびりしたものだ。この日記もあまり根詰めて書かないようにと意識的に放棄してみた。まぁ、たまにはよい。うとうとと日曜の夕にまどろみながら、ふと夢心地の中思い出す。「・・・ああ、部屋の掃除しないとなぁ・・・」。結局、荒れ果てたままだ。

2005年9月23日金曜日

眠れない

 とりあえず、NHKに「キサマは俺を殺す気か!?」と言いたい。今日は連日の無理がたたって、元々体が強い方ではない私は朝から異常な体のだるさと吐き気に襲われ、目覚めた場所が名古屋のホテルでなかったら絶対会社休んでる程の体調不良に見舞われて、必死で(意外と)滅多に使わない栄養ドリンクをキメて仕事を終わらせて23時くらいに帰宅しました。

 その後風呂に入って、一仕事終えた充実感でウィスキーなど飲みながら過ごしているとふと既に午前3時。何気なく付けていたTVからはケーナの響きが聴こえています。そう、NHKの"民族音楽紀行"です。今日は幸か不幸かチリ・ペルー・ボリビア、つまりはフォルクローレの本場がテーマのようです。

 ・・・それに気付いてしまったらいくら疲れていても眠るわけにはいかないじゃないですか。まして最初の一音を聴いてしまったら。もう、限界ギリギリのラインで必死に目を開けて、有名どころでは『コンドルは飛んでいく』や『太陽の乙女達』といったようなフォルクローレの演奏に聴き入ってました。いやー、あの音楽はいいですよ。

2005年9月21日水曜日

出陣

 とりあえず明日からまた一泊で名古屋出張。今回のこのとことんまで睡眠時間を削ってくれる案件に確実に明日・明後日でケリを付けるべく、無駄に闘志だけは燃やしております。当初の目論見通り愛知万博とともにフィナーレを迎えてみせましょう!

2005年9月20日火曜日

三タテ、久々に

 この三連休は久々に三日とも朝から晩まで完全に出社して仕事をしていた。俗にいう"三タテ"だ。半期末はやはり何だかんだで忙しい。次の三連休はせめて二日くらい休めるといいなぁ・・・。

2005年9月14日水曜日

徒労、果てしなく

 横浜市では古紙の回収は月一回です。つまり、ジャンプやマガジン等の雑誌を出す機会が月一回ということです。それはこの4月から変わったルールなのです。明日、その月の二回目の水曜日はその古紙が出せる日。ここ数ヶ月ジャンプやマガジンを貯め込み過ぎて部屋が飽和状態になっていた私は、あまりの眠気で仕事を放棄して帰ってきたにも関わらず横浜市の規定通りにビニ紐で雑誌をまとめて古紙を出す準備に取りかかりました。何しろ量が量です。今晩のうちに出しておかなければとても明日の朝に出し切れるレベルではありません。私はせっせとゴミ出しの準備に取りかかりました。

 いざまとめてみてビックリしましたが、私が部屋に貯め込んだ雑誌類はヒザの高さで一まとまりの山を作って実に四山!しかもそれでもまだ全部ではなく、もう一山くらいできそうな雑誌が部屋に転がっています。「貯め過ぎたな」と思いつつ、ゴミ捨て場まで両手に一山ずつもって運んでいきます。ゴミ捨て場はウチの上の門の前。私の部屋から行くには階段を一階から三階まで昇って、さらに門まで35度程(推定)の坂を10mくらい登らなければなりません。それをヒザの高さまである雑誌の束を両手に持って二往復。ハッキリ言って重いです。メチャクチャ疲れます。湿度が高くて蒸し暑いせいもあって、かなり汗だくになってしまいました。

 とはいえ雑誌は全部出し終わり、後は段ボールを出して作業終了というところで、段ボールは量も少なくて軽いので私は一旦入浴することにしました。そして風呂上がりに段ボールを持って再びゴミ捨て場に行きます。そしてトンッと段ボールを置いてふとゴミ捨て場に張ってある収集日を示すシールに目をやりました。すると・・・、

古紙:各月二回目の金曜日

 「・・・あれ?古紙って各月二回目の水曜日じゃなかったっけ?」と思いつつ、もう一度収集日を示すシールに目を向けます。やはり・・・、

古紙:各月二回目の金曜日

 とりあえずそのまま無言で段ボールを持って帰り、悩んだ挙句にもう二往復して出した雑誌も持ち帰ってきました(泣)。風呂も上がったのにまた汗だくです。どんな筋トレだよ!今日はいつもより早く寝ようと思ってたのに・・・。これで金曜日(すなわち木曜の夜)にこの古紙の山を捨て忘れたらさらにたまったもんじゃありません。それだけは避けるようにしたいと思います・・・。

眠気

 何だか知らないがやたらに眠い。そんな日もあるものだ。とにかく眠くて全然仕事にならないから、諦めて今日は早く切り上げてきた。はかどらない時に無理してもいいことはない。

 ・・・にしても何でこんなに眠いかな・・・?

2005年9月11日日曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- キッコロゴンドラ/シンガポール館/そして、帰路

 イギリス館を出てそろそろいい加減疲れきっていた私達は、ロシア館の何だか昭和を感じさせるレトロなペイントがされているパビリオンに少々の興味を抱きつつ、もはやその列に並ぶ気力がなかったので一路キッコロゴンドラに乗るためゴンドラ北駅へ向かいます。それに乗ればこのリニモからかなり離れたところにあるグローバル・コモン4から一気に入り口近くのゴンドラ南駅までワープできるはずです。ゴンドラの混み具合はまぁそこそこ。5分くらい待てば乗れる感じです。列に並んでチケットを買い、子供連れの夫婦と相乗りになる形でゴンドラに乗り込みました。

 キッコロゴンドラはそのかわいいネーミングに似合わず非常に初動速度の早いゴンドラで、扉が閉まったなと思うと一気にグンと加速してトップスピードに乗ってしまいます。それがまた結構早いのです。ゴンドラ北駅を一気に抜け出して、もう完全に夜空に変わった万博会場の上空へ。なかなか爽快です。このキッコロゴンドラは森林体験ゾーンの上を通る時間が長い関係上、前半はあまり灯のある景色が目立ちません。遠くに見える各パビリオンの灯が夜景として見えるだけで、都会の夜景程きらびやかではないのです。このゴンドラはもしかしたら夕暮れの頃に沈み行く太陽を眺めながら乗るのが一番きれいかもしれません。

 そしてゴンドラも終着に近づき、愛・地球広場の上に差しかかろうとした時です。地上が異様な雰囲気に包まれていることに気がつきました。下の愛・地球広場がギッシリと人で埋め尽くされ、ステージではライブが行われています。「誰だ?」とスクリーンに映し出される姿を見てみるとそれは南こうせつです。後で知ったことですが、この日は南こうせつがトワイライト・コンサートということでこの愛・地球広場で歌っていたのです。そしてそこに集まった観客数は3,000人。ちょっと凄い光景でした。このキッコロ・ゴンドラはまさにその会場となっている愛・地球広場の真上を通過していきます。3,000人の真上を。ざわめく3,000人の聴衆を足下に眺めながら、上からステージを見る。なかなか体験できる光景ではありません。コンサート会場の熱気と眼下に広がる3,000人の聴衆を見ながら、何だか妙に高揚感を覚えたりしました。なかなかいい風景でした。

 そしてゴンドラ南駅に着いた後は、一応企業パビリオンも回ったように見せかけておくかというコンセプトの下、トヨタ館の前で記念撮影。写真だけは残しておきました。そしてその後せっかくだから記念写真を撮ってもらおうと、撮ってくれるブースまで移動。しかしそこが最初に行ったグローバル・コモン6のさらに向こう。痛い足を引きずりつつ、夜になってまた雰囲気が変わったグローバル・ループを再び歩いていきました。そしてグローバル・コモン6に差しかかった時にあることを思い出します。そういえば連れはシンガポール館に行きたがっていたのに、最初行った時は混んでいて入らなかったのです。ここはもう一つくらい頑張って並んでおくかということで、最後にシンガポール館に入ることにしました。

 シンガポール館は、入るとまずビニール傘を渡されます。そして一つの部屋に集められ、シンガポールの暮らしや文化を紹介する映像が流れます。とりあえずそれを見ていると、数分経った頃に上からポツッ、ポツッと水が降ってきます。スコール体験です。そしてその数滴雨垂れを合図にそれは一気に勢いを増して、もの凄い土砂降りに変わります。傘を低くさして、持ち物が濡れないようにするのが精一杯。もの凄い降り方です。尋常じゃありません。これがスコールというものなんでしょうか。そして終わった後、何故か私のシャツだけがずぶ濡れになっていました(泣)。周りを見渡しても、ちょっとくらい濡れている人はいても私のように上半身の半分以上が水に濡れている人などおりません。何故私だけ濡れたのか腑に落ちないままシンガポール館の続きを見ていくわけですが、濡れたシャツが背中にくっつくともの凄く冷たかったです・・・。そしてマーライオンの前で記念写真など撮影し、シンガポール館を後にしました。

 その後無事フジフィルムのブースで記念撮影を終えたのが20時くらい。正直一日でこんなに頑張って回るとは思っていなかったので、さすがにもうクタクタです。後はもう土産を買って帰るだけということで、出口前の公式ショップに向かいます。ところが、この公式ショップがメチャクチャ混んでいるのです。店の中を移動するのも人の波をかきわけてでないといけないし、レジもディズニーランドの人気アトラクション並みの長蛇の列です。ハッキリ言って、一日の中でここが一番並びました・・・。しかもほとんどの商品は名古屋駅とかで売ってるのです。いやー、大変でした。

 しかし本当に大変なのは実はここからです。入場の際手荷物預かり所に預けたノートPCやお泊まり道具等を入れた旅行荷物を受け取って帰りのリニモに乗ろうとするわけですが、それが会場出口からホームまでずっと人が並んでるのです!「オイオイ、これじゃ乗るのに何時間かかるんだよ」と思いつつも並ぶと、万博八草方面は意外に空いていてちょっと助かりました。とはいえ超満員のすし詰めリニモに乗るのに30分弱。やっとリニモに乗れたのは21時頃でした。ただでさえ弱った足腰に重い荷物も加わり、もうここで体は悲鳴を上げて限界に達してしまいました。おかげで名古屋に向かう電車の中では立っているのも辛い程の腰痛に襲われ、混雑が解消してきた頃合いを見計らってちょっとストレッチをしてごまかしたりしながら何とかホテルまで辿り着いたとのことです。いやー、最後の土産物屋からリニモ、名古屋駅までの混雑は最低でした。

 総じてこの万博、ここまで熱を入れて日記書いていることからもわかるようにかなり楽しませてもらいました。元々は「何年か経ってから愛知万博行きたかったなーと思ってももう二度といけないからなー」という曖昧な動機で「行こう」と言い出したわけですが、いやいや行ってみたら想像以上に色々面白い。何か万博って行ってもいないのに「どうせつまらないんだろ」とか言っている方も多いのですが、そんなことはありません。かなり見所もあり、いい体験できます。是非行ってみるといいですよ。

 ・・・ただし、あの長時間の歩きと最後重い荷物を背負っての帰路で、ただでさえ最近腰痛に悩まされていた私の腰はとうとうトドメを差されてしまいましたとさ。ふふふ・・・。

2005年9月10日土曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- タパス・バー/BBC/欧州北部

 ようやく日差しが落ち着いたグローバル・ループをグローバル・コモン2から3へと進みます。グローバル・ループには熱射病予防のためか、ところどころにアーケードのように道に屋根がかかり、そこから霧状に水が吹き出て少し涼めるところがあります。余程暑いのか、連れはそれを見つけると必ず寄っていって霧を浴びて涼みながら歩いていきます。・・・そんなに、暑かったんでしょうか。まぁいいですけど(笑)。そしてそうこうしているうちにグローバル・コモン3に辿り着きます。ここは私達のお目当てであったスペイン館の他、イタリアやドイツ、フランス、トルコにモロッコと日本人好みな欧州諸国が群れをなす地域です。自然日本人共が集まります。いやー、どこも見事に混んでる混んでる。「15分以上並ぶところには行かない」という我々のポリシーに照らすとどこにも入れません(苦笑)。とはいえ今回のお目当てはパビリオン自体ではなく外に別建てであるタパス・バーです。まだ4時半と夕飯時にはやや早いこともあって、そちらは大して混んではいません。とはいえ、我々の標的である『スターシェフメニュー』は夕方5時以降提供開始。それまでの間チュニジア館をのぞいてちょっとしたアクセサリを購入してみたり、ロボットがボールを操るパントマイムの大道芸を眺めたりして時間を潰します。そして時は5時前。さぁ、スペイン館タパス・バーです。

 とりあえず今回の目的である『スターシェフメニュー』の説明をいたしますと、スペインの三ツ星シェフを含む超有名シェフ13人が作った料理を一品ずつ食べられるというもの。お値段も3,500円と比較的お手頃で、スペインで彼らの料理をこれだけの安価で食べられることはまずないとか。5時前に並んだ我々は、ほとんど待つことなく席を確保し、この料理をオーダーすることに成功しました。何にせよ、まずはどんな料理かご覧いただきましょう。

スターシェフメニュー

写真のNo. シェフの名前 所属レストラン、 下段 お料理の名前
1. ToxJ倆 PxJ薗ez (Atrio)
Bolsitas Crujientes de Gambas y Puerro えびとねぎのパリパリの包み袋
2. Juan Mari Arzak (Arzak 3ッ☆)
Mejillones con Cortezas ムール貝と豚皮のチップ
3. Joan Roca (El Celler de Can Roca)
Terrina de Sardinas y Piquillo, Caramelo de Aceitunas Negras
いわしとピキーリョピーマンのテリーヌ、ブラックオリーブのカラメル
4. Oscar Velasco (Sant Celoni)
Sofrito de Tomate y Cebolla con Apio Nabo Crujiente
トマトとたまねぎの炒めもの、カリカリのセロリ大根添え
5. FerrxJ℃ AdrixJ・ (El Bulli エルブジ)
 Bocadillo Ibelico イベリコハムのサンドイッチ
6. MartxJ錘 Berasategui (MartxJ錘 Berasategui)
Mejillones para Picas ムール貝のおつまみ
7. Andoni Luis Aduriz (El Mugaritz)
 Tostas Gratinadas de Queso チーズのグラティネトースト
8. Santi SantamarxJ吹 (El Raco de Can Fabes)
Toffee トフィー(デザート)
9. Hilario Arbelaitz (Zuberoa)
Txipiron Cuisado ほたるいかの煮込み
10.Pedro Subijana (Akelarre)
Irlandes de Lentejas y Sisas レンズ豆とシサス(春きのこ)のイルランデス
11.Josep Barahona (L'estudi)
BuxJ偈elos de bacalao con Crema Romesco 鱈のフリット ロメスコソース
12.Carme Ruscalleda (Sant Pau)
Montadito de Anchoa アンチョビーのオープンサンド
13.Manuel de la Osa (Las Rejas)
Pisto de Feria con Magro de Cerdo 豚の背肉のピスト デ フェリア

 これがまたおいしかったのです。ほら、見るからにおいしそうでしょう?料理のおいしさをうまく言葉にする術を知らないのが悔しいのですが、本当においしい。特に6のムール貝のおつまみや10のレンズ豆とシサス(春きのこ)のイルランデスなどまさに絶品。連れ曰く「生きててよかったって思った」というこの料理は、普段"食"に対して強い執着をほとんど抱かない私ですらこれは凄いなと思わせるくらい素晴らしいものでした。これほどの料理には本当になかなかお目にかかれません。おそるべし、スペインのスターシェフ達。そしてその料理をシェリー酒でいただいて(スペインならワインかシェリーだなと思い、ワインは気分じゃなかったのでシェリーにした)、ちょっと早めの夕飯を済ませて心身共に栄養補給をしたのでした。なるほど、おいしい料理は人を幸せにします。皆さんも万博に行くならこの『スターシェフメニュー』は絶対お薦めです。是非食べてみましょう。

 そして幸福な余韻を愉しみつつ、またグローバルループに出て腹ごなしもかねてグローバル・コモン4の方に歩いていきます。途中ベンチに腰を下ろしてチュッパチャップスをなめながら万博会場に沈んでいく夕陽を眺めたりしながら、それでも平和に進んでいました。そう、あの時までは。

 万博には当然のことながら外国の人もたくさん来ています。たとえ目の前をいかついTVカメラを抱えた数人の白人が自分に向かって歩いて来たとしても、別にそれは珍しいことではありません。そう、話しかけられるまでは。

「Can you speak English?」
「A little」

 この中学生の英会話のようなやり取りで始まった出来事は、その後しばらく私の頭を悩ませてくれることになります。聞けば彼らは英国BBCのTV取材チーム。私にインタビューに答えてくれないかと言います。まぁ聞き取りやすいきれいな英語を話す人達でしたので、これならそれ程苦労はするまいと私はインタビューに応じました。すると、インタビュアーの人は両腕を広げて気持ち前屈みになりながら、力強く私にこう質問しました。

「How do you think about Japanese technology?」

 ・・・ん?一瞬、思考が固まりました。「はう どぅー ゆー すぃんく ばうと じゃぱにーずてくのろじー」。・・・私は何を答えればいいのでしょう。返答に窮した私はとりあえず「技術そのものはいいんじゃないでしょうか」みたいな返答をした後、彼らの出方を見ます。聞くと、どうやらトヨタの企業パビリオンで出ているロボットなんかのテクノロジーについてどう思うか聞きたいらしいのです。・・・はっきり言ってわかりません。だって見てないし(爆)。こっちゃ企業でなくて国ばかり回ってるのです。だってこれは"万国博覧会"だろ!? メインは国だろ!? なので私は「さっきロボットのパントマイムは見てきたけど、トヨタのロボットは見てないっすよ」と答えたら、インタビュアーもカメラマンも笑って「OK」と取材を切り上げてくれました。・・・しかしですね、今でも思うのです。彼らの最初の質問である「How do you think about Japanese technology?」。これに私は果たしてどう答えるべきだったのでしょうか?謎は深まるばかりです。

 そのいきなり英国BBCからインタビューを受けるという珍事の後、気を取り直してグローバル・コモン4に辿り着きます。ここでは北欧共同館や私の残りもう一つのお目当てであるアイルランド館なんかを見て回ったわけです。アイルランド館はケルト紋様が神秘的なハイ・クロスを間近で見れて記念撮影をできたのはよかったのですが、肝心の音楽の展示がごく小さい一角のみだったのが残念。フィドルやバグパイプといった、私の期待を膨らませる楽器達の展示はあったものの音楽そのものの演奏はなし。非常に残念です。アイルランド土着のケルト文化から引き継がれた神秘的で瞑想的な一面と、酒場で踊りながら奏でられる陽気で躍動的な一面。アイルランドの音楽はその複雑で痛みに満ちた歴史を象徴するかのように両極端な個性と様々な色を見せてくれます。是非、その生演奏を聴きたかったのですが。

 イギリス館はさながら小さな自然科学博物館といった趣で、昆虫や植物の生態を模した様々な科学技術や、英国風庭園の中にちりばめられた気鋭の芸術家達の作品が英国らしい気品を感じさせる仕上がりでした。科学好きの子供だったらきっとたまらないことでしょう。きっと小学生の頃の私だったら数時間居着いたに違いありません。なかなか悪くはなかったです。

 この時点で大体もう時間は18時半。もう日も暮れて完全にではないにせよ暗くなっていましたし、さすがに足も疲れてガタガタです。そろそろ帰りの方に向かおうかということで、我々はキッコロゴンドラに乗って出発地点近くまで一気に戻ることにしました。

続く(次回はキッコロゴンドラ/シンガポール館/万博からの帰路の予定です)

2005年9月7日水曜日

200km/hのThe Great Escape

 シリーズ万博は一回お休みで、ちょっと今日の出来事を。この前は万博で台風に向かって名古屋に行っていましたが、昨日今日と今度は仕事で名古屋に行っていました。いい加減名古屋の街を歩くのも手慣れたものになってきました。さて、今回は一泊して納品及び導入教育だったわけですが、それらが終わったのが午後4時半。この前は台風と行き違う形で名古屋に向かいましたが、今度は後ろから台風が追いかけて来ています(爆)。客先を出た時いい加減風も強くなってきていたので、私は「こりゃ新幹線止まらんうちに寄り道しないで帰ったがいいな」と、一路名古屋駅へ向かいました。

 客先から名古屋駅までは結構遠く、一時間弱ほどかかります。電車の窓越しに見ても明らかに少しずつ強くなっている風に気をもみながら名古屋に着いたのは5時半前。まだ新幹線は動いているようです。「とっとと帰ろう」。そう思った私は一旦改札を出ることすらせずに一路新幹線乗換口へ。20分後くらいの指定席を予約して新幹線ホームへ向かいます。どうやらまだ無事に新幹線は動いているようです。そして会社に一本電話を入れて一息つきます。さて、後は新幹線が来るのを待つだけだ、と。その時です、何やらあやしいアナウンスが私の耳に飛び込んできました。

「ご迷惑をおかけしております。のぞみ○×号東京行、台風14号のため現在岡山で運転を見合わせております。ご利用のお客様には・・・」

 最初は「ああ、岡山の方はもう暴風域なんだ。やっぱ早く帰らないとな」と軽く流していました。しかし少しして冷静に考えてみると今アナウンスがあったのぞみ○×号、それって俺が乗る電車です。・・・止まってるじゃん(泣)。台風の影響で新幹線は東京~新大阪間のみの運転で、それより西はすべて運転見合わせとのこと。なるほど、新大阪始発ののぞみは来るけど博多始発とかは来ないと、そういうわけです。よりによって来ない電車の指定を取ってしまうとはと自分の運のなさを嘆きつつ、仕方なしに駅員に指定の変更を申し入れます。みどりの窓口に行って指定変更してくれとのことなので行ってみると、・・・メチャクチャ並んでます。しかも皆殺気立ってます。私の後ろに並んでたおっちゃんなど「手際悪いよ、駅員」とか「何してんだよアイツ、グダグダ言ってねーで早く買えよ」とかえらい切れてます。そんな中20分程並び、どうにかまだ動いている指定をゲット。どうにかこうにか新横浜に帰ってきました。台風で新幹線が止まってしまう前に逃げ切らなくてはいけませんでした。30km/hの台風から、200km/hの新幹線で大脱走です。・・・かなり危ないところでした。

2005年9月3日土曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- 皇太子/アルゼンチン館/アンデス共同館

 午前中にオーストラリアと東南アジア・南太平洋周りのパビリオンをおおまかに制覇した後、自転車タクシーに乗ってグローバル・コモン1まで行って(自転車タクシーはそこまでしか行かないのです。タクシーのくせに定路巡航)、そこから歩いてグローバル・コモン2へ。お目当てはアルゼンチン館とアンデス共同館。私のリクエストです。まぁせっかくアルゼンチンやアンデスがパビリオンを出しているというのであれば、アルゼンチンタンゴとフォルクローレを目当てに行かないわけにはいきますまい。さーて、どんな感じかな、と楽しみにグローバル・コモン2に辿り着いたのは15時前くらいでした。そして入り口の各パビリオンの混雑状況が見れるボードで混み具合を確認。すると、なんとあろうことかアルゼンチン館とアンデス共同館は「閉鎖」とかなっています。それぞれ15時と15時半まで。「なんてこったい、なんでだよ」と情報を整理してみると、なんと今それらのパビリオンを皇太子が観に来ていて、そのため一般人は入館禁止とのこと。・・・皇太子かよ!そういえばやたらと警備員も多いし、今皇太子が中に入っているアンデス共同館の前にはなかなかの人だかりができています。「だから俺もそこに行きたいんだって!」と心の中で叫んでみるも、皇太子にケンカ売ったところで周りのSPにあっという間に制圧されるのは目に見えているので(苦笑)、仕方なくキューバ館とかを適当に眺めながら時が経つのを待っていました。

 そしてしばらく時間を潰し、「そろそろかな」とアンデス共同館の前まで行きます。すると、ものものしい警備の周囲に文字通り黒山の人だかり。といってもトヨタやヒタチのパビリオンに並ぶ人程多くはありませんでしたが、それでもそこより狭いスペースに結構な数の人がいます。周囲の会話を盗み聞きすると、もう皇太子が出てくるとのこと。「ほう、出てくるのか」と、それならついでに皇太子をこの目で見ておくのも悪くはないなというコンセプトの下、私も人ごみの中に加わってきました。そして待つこと10分弱。アンデス共同館より皇太子が出てきました。なんかパビリオンの責任者みたいな人と握手してます。たまにTVで見るあの笑顔です。群衆の方に向き直り、背筋を伸ばして右腕を上げ手首を曲げずに肘から先のみで控えめに手を振るおなじみのあの仕草で人だかりに応えます。姿勢がいいです。姿勢がいいです。人に決して不快感を与えることはなく、かといって下手に出るようなそぶりも見せないあの独特の表情。きっと研究しているんでしょう。大したものです。皇族というイメージを守るのも大変です。数分程、大衆の前に姿を見せた後、彼はパビリオンの裏に停めてあった専用車に乗って去っていきました。う~ん、皇族っていい身分のような気もしますが、生まれたときから死ぬときまでずっとあんな感じでイメージ守りながら過ごすのはかなり大変だろうなと思いましたよ。特に今の日本だとなおさらでしょう。プレッシャー、あるんでしょう、きっと。そんなことを思いましたとさ。

 そしてやっとオープンしたアルゼンチン館とアンデス共同館です。アルゼンチン・タンゴは行ったタイミングが悪く上演を観ることができず、おそらくその上演に全精力を注ぎ込んだのであろうパビリオンはそれ以外に観るところも特になく(泣)、仕方なしにアルゼンチン観光局の絶景のポスターを数枚もらって帰ってきました。なんか全体的にこのグローバル・コモン2のパビリオンって他と比べてスペースが狭いんですよね。アンデスもそんなのなのかなと不安に思いながら、次はいよいよアンデス共同館です。

 アンデス共同館は海中から山の頂上まで、薄暗い廊下を上りながら壁に展示されたアンデスのたくましい自然の写真を眺めてアンデスの自然に触れるというコンセプト。写真は美しいですしたまに変な動物がいたりして面白いのですが、私の目的はそこじゃありません。音楽です。「ん~、音楽は展示ないのかなぁ・・・」とちょっとガッカリしつつ、山の頂上に当たる廊下の踊り場を曲がって次の部屋に入ります。そこはペルーやエクアドルの文化を展示した小部屋になっていました。そこに入って少しして、突然大音量で音楽が流れ始めます。曲名はわかりませんが、高らかに鳴り響くケーナにチャランゴ、ボンゴといった独特の楽器達。ラテンの情熱を引き継いだ熱いリズムと、高山の薄く澄んだ空気を思わせる音色に旋律。間違いなくフォルクローレです。エクアドルの小さなブースにいた女の人(明らかに日本人)が音楽に合わせて手を打ち踊り始めました。どう見てもダンサーではない、タキシードを着たブースの案内役みたいな人です。仕事そっちのけかよ(笑)。スピーカーから流れてくる大音量の音楽に、「音楽の展示はなくともまぁこれはこれでよしとするか」と溜飲を下ろして次の部屋に行きます。すると・・・、

 なんと、部屋に入ってすぐ左手奥にステージがあり、そこで生演奏が行われています。さっきからスピーカーから聴こえていたのはこの生演奏の音だったのです。しかもステージ上にいるのは間違いない、あのSISAYではないですか!SISAYはメンバー全員がエクアドルのネイティブ・アメリカンという生粋のエクアドル民族音楽バンドで、学生時代に京都駅の大階段で演奏しているのにたまたま出くわし、その際にあまりに演奏が素晴らしかったので思わずその場で一枚CDを所望してしまったという私にとって曰く付きのバンドです。まさか愛知万博で再会できるとは思っていませんでした。また相変わらず演奏が熱い。1983年にエクアドルで結成されたこのバンドは、現在は当時のメンバーの息子達でバンドが構成されています。「聴くものの心に平和と調和をもたらし、共に分かち合うことができたらどんなに素晴らしいだろう」というメンバーの願いがいつか花開くようにと付けられたバンド名がSISAY(花が咲くという意味)だそうで、ネイティブ・アメリカンの誇りを大切にする彼らは、本当にエクアドルの空気がそのまま伝わってくるような、生き生きとしたリズムで高山の薄い空気の澄んだ空を飛び回るような、活気のある音楽を聴かせてくれます。自然と体が動き、耳はステージに釘付けになります。CDや民族楽器を売っているブースでは、やはり女の人(明らかに日本人)がやっぱり仕事そっちのけで踊っています。こういうパビリオンで働いてる人って何かしらその国に関係している人なんでしょうし、好きなんでしょうね、きっと。

 というわけで今回もかなり心を熱くしてくれたSISAYの演奏を堪能し、CDを二枚購入し、VTRを一本オマケにもらって、リーダー(?)のルイス・マグワイアのサインももらって、一気にテンションを上げてアンデス共同館を後にしました。皆さんも万博に訪れたら是非寄ってみてください。15分演奏、10分休憩おきくらいのペースでSISAYはライブやってるみたいなので。素晴らしい音楽を体験できることでしょう。

 そして私のリクエストである2つのパビリオンを制覇した後は、今度は連れのリクエストであるスペイン館のタパス・バーで食事をするため、グローバル・コモン3へ。グローバル・コモン2から3へ移動するには、グローバル・ループを結構長いこと歩かないといけません。ちょうど時間は4時過ぎくらい。やっと暑さも少し収まり、歩きやすくなって来たグローバル・ループをお散歩がてら歩いていきました。

続く(次回は意外なイベント2/大道芸/スターシェフメニューの予定です)

2005年8月29日月曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- リニモ/ブルーホール/マンモスラボ

 というわけで去る8月26日、台風が関東を通過するのとちょうど入れ違うような絶妙なタイミングで新幹線に乗り、もはや行き慣れてしまった感のある名古屋駅を経て、行ってまいりましたEXPO 2005『愛・地球博』。いつも客先に行く際は大曽根で乗り換えるエキスポシャトルにそのまま乗り続け万博八草へ、そして世界初のリニアモーターカー『リニモ』へ。リニモ、はっきり言って混み過ぎててよくわかりません(泣)。4月の月曜朝八時台の東横線ばりのすし詰め満員電車じゃあ、「おー、リニアモーターカーだ」等と感慨に浸る余裕などあろうはずもありません。正直ゆりかもめや、関西の方ならポートライナーと大差ありません。ともあれそんな大混雑のリニモに揺られ、どうにかこうにか長久手会場に辿り着きました。そしていよいよいざ万博へ。

 まず行ったのはグローバル・ハウス。「マンモスが見たい」という連れのリクエストで、事前予約まで取って10:40スタートの回に入って、ソニーの最新レーザー・プロジェクション・システムが体験できるというブルーホール経由でマンモスラボへと回っていきました。とりあえず幅50m高さ10mの超巨大ディスプレイ、凄かったですねー。映画館のスクリーンを横に3つ4つつなげて、しかもプラズマディスプレイのような鮮明さ。あれでグランドキャニオンやらジャングルやらエアーズロックやらナイアガラをビュンビュン小型飛行機で飛び回ってるような映像を立て続けに見せらるので、下手すりゃ酔ってしまいそうな勢いでした。それ程までに鮮明なのです。だけど同時に思ったのは、たとえ幅50mものディスプレイでもその真ん中近辺に座っていた私の左右の視野すべてを映像で覆い尽くす程の領域ではなかったせいか、その光の原色を直接ディスプレイに映すという超鮮明な画像であってもやはり、それは目には映像としか認識されないのだなということ。木の葉を透き通ってくる太陽の日差しや、冷たく青くそびえる北極の氷とそれを移す極冷の海面、それらは単体で見ればなるほど現実と見紛わんばかりの鮮明で美しい映像で、その並外れた奥行きの表現力も含めてとてもそれが映像とは思えない程鮮明なのですが、でもやはりそれは映像としてしか認知されないのです。やはり360度の現実感を作らないことには人間の感覚というのはごまかされないものなのでしょうか。それならやっぱり外の世界にそういった環境を作るよりは、脳を直接いじった方が早いですね。そんなことを思いながら見ていました。

 そのディスプレイのデモンストレーションとして流される映像は、先程述べたような世界各地の絶景を飛び回っていくものと、世界の色々な数字を色々な角度から見てみるというものですが、その中でちょっと気になることがありました。それは以下のようなメッセージです。現在地球上で生産されている食料の量を(何tだったか忘れましたが)表示した後で、それはこう述べました。

「食料不足が心配です。でも、大丈夫です。今世界で生産されている○tで、全世界の人が食べていくには充分です。それを公平に分配できない輸送システム等が問題なのです」

 なかなか意外でした。食料不足食料不足と言われていますが、実は今ある食料を公平に分配できれば、既に全人類が食べていくには充分な量が生産できている。これはある意味新たな問題提起です。これからも(日本はともかく)世界的には続くであろう人口増加で問題になることが予想されている食料危機に対する解決策として、単純な食料増産ではなく、公平な分配システムという改善案が出てくることになります。まぁ、ある意味社会主義的な話ですがここではそういったイズムがどうこうといった話は置いておいて、単純になるほどなと思いました。そういった見方もある、ということです。

 ただ、同時に気になったのは、今現在では仮に公平に分配すれば全人類が食べていけるだけの食料が生産されているとして、果たしてそれは今後もずっとそうなのかという問題です。単純に食料の生産量が今のまま変わらなければ、人口の増加が続けばいつかは増加分が食料供給料を超えてしまうだろうし、それ以上にこれから先農作物や魚介類の生産量は減少していくことでしょう。あまり表立って問題視されてはいませんが、インドやアメリカの穀倉地帯と呼ばれているところでは農業用に大量に汲み上げたせいで地下水が枯渇し、もう農業が続けられなくなった土地やもうあと何十年でダメになる土地が増えてきています。地下水が溜まる数千年から数万年のペースに比べて、人が農業に水を使用するペースはあまりに早すぎるのです。そうでなくても資本主義市場から見たらお世辞にも経済効率がいいとは言えないのが農業です。産業の近代化が進めば、第一次産業に従事する人は減っていきます。食料の作り手が少なくなっていったのでは量を維持できるはずもありません。漁業にしてもそうです。海洋汚染や温暖化等による気象の変化で、近年魚介類の水揚げ量も減ってきています。それはおそらく今後も加速するでしょう。養殖でどこまでまかなえるのか。正直よくわかりません。現状では公平な分配システムとやらが存在しさえすれば食料は何とか足りるのかもしれませんが、将来はどうなのでしょうか。ちょっと、考えてみたりもしました。結局、食料問題が"大丈夫"ってことはなさそうです。

 そしてマンモスです。ロシアの永久凍土の中から出土したという「ユカギルマンモス」。その皮膚のしわや毛までが残っているという保存状態の良さから、見る者になかなか想像力を働かせてくれます。上下二段に分かれている動く歩道に乗って眺めるユカギルマンモスの頭部は思っていたよりも小さくて、高さはせいぜい私の上半身くらい。けれどやはり皮膚や毛が残っている生々しさは、ちょっと感慨深いものがありました。コイツは一体一万年前にどういう風に生きていたのだろう。コイツはマンモスが絶滅した時にはまだ生きていたんだろうか。もしそうでなければ、開かれることのない永久凍土の中から、仲間達が滅んでいくのを一体どのような気持ちで眺めていたのだろうか。そんな歴史的なロマンシズムを感じてしまいます。動く歩道に流されて、マンモスを目にできる時間はせいぜい数分と短いのですし、正直想像していたような迫力のある代物ではないですが、時を超えてきたその姿には、何かしら想像力を刺激するものがあります。

 そしてその後はグローバル・コモン6へ渡り、シンガポール館のレストランで昼食を取った後に南太平洋共同館で白いハゼを見てテンション上げたり、オーストラリア館で巨大なカモノハシの模型をバックに写真を撮ってみたり、東南アジア系のパビリオンを適当に回りながら14時くらいまでを過ごしました。基本的には15分以上並びそうなところは敬遠し、そんなに並ばずともすぐ入れるところを見て回るというスタイルです。そんなに無理して120分待ちとかしてまでトヨタやヒタチのパビリオンを観なくても、万博というところは割に結構楽しめます。そして14時を回った辺りで今度は私が行きたいと言っていたアルゼンチン館とアンデス共同館を見に行くためグローバル・ループに出ます。自転車タクシーに乗ってグローバル・コモン1まで行き、そこから歩いてグローバル・コモン2へ。さぁ、アルゼンチンとアンデスです。もちろん目的はアルゼンチン・タンゴとフォルクローレです。ところが、その目的を果たす前に、実に意外なイベントが待ち構えていました。

続く(次は意外なイベント/アルゼンチン館/アンデス共同館の予定です)

2005年8月26日金曜日

台風に向かって

 本日夕方から明日の未明にかけて、関東に向かって風速40m級の台風がやってくるわけですが、タチの悪いことに私は明日朝7時過ぎの新幹線で名古屋に向かわなければなりません。予報では朝6時の時点で台風は八王子にいるとのこと。予報が正確であるとするならば、それはまさにドンピシャです(泣)。・・・果たして新幹線は動いてくれているのでしょうか。新幹線って雨や雪(上越新幹線限定)には強いけど風には弱いからなー・・・。

2005年8月21日日曜日

新品で買おうとは思わないのだけれど

 本屋の店頭で売られているのを見かけて何となく面白そうだなぁと興味を持つものの、結局それを買わずに別の本を買って(あるいは何も買わずに)帰ってくる。そんな本がある。一度興味を持った本は大抵次に本屋に行くときも覚えていて、その後毎回も買うか買うまいか悩むことになるのだが、まぁ大体は買うことなく何回もやり過ごすことになる。私にとってそういう本は最近の日本の作家の小説(村上春樹以外)が多い。「面白そうだし、最近の日本の作家がどんなの書いてるのか興味もあるし、読んでみたいんだけどやっぱりこっちがよさそうだからこっち」という移り気なジレンマの果てに購入を見送られる作品達だ。

 ところがそんな作品達も、古本屋でみかけると案外迷うことなくスッと手に取ってカウンターに持っていったりしてしまう。下手すればもう一年近く、そんな状態だった本を今日二冊古本屋で購入した。それは白石一文の『見えないドアと鶴の空』であり、三崎亜記の『となり町戦争』だ。前者はよくわからん青緑色の基調に手書きでパステルで書いたっぽい半身の宇宙人のようなカバーと、一見意味がわからないちょっとシュールなタイトルがやけに気になっていたものだし、後者は"ある日届いた「となり町」との戦争の知らせ。僕は町役場から敵地偵察を任ぜられた。だが音も光も気配も感じられず、戦時下の実感を持てないまま。それでも戦争は着実に進んでいた"(オビより引用)という設定と各方面で賛否両論話題を呼んでいた辺りが興味津々だった。何にせよ手に入ってみれば読むのが楽しみだ。読んでみて期待はずれだったということがないよう祈りつつ、あと短編一本を残すのみとなった『僕の恋、僕の傘』を読了しだい読んでみようと思う。うむうむ。

2005年8月20日土曜日

ここではないどこかへ

 結局のところ僕らは、"今"とか"ここ"とかいったものが好きではないのだろう。だって、誰も"今"とか"ここ"に留まっていることを快く思っているようには見えないもの。外面は違って見えるけど、結局みんな同じ。疲れたサラリーマンは満員電車の中で誇大な妄想に耽り、気鋭の芸術家や経営者は自らの展望や将来への進路に思いを巡らす。退屈な学生は何か刺激になるものはないかと当てもなくさまよい、何かに夢中になる学生は世界や自分を変えようとする。部屋に閉じこもりネットやゲームを続ける人はその中に"今"や"ここ"とは違う世界を求め、世界を旅して現地の空気を満喫しながら歩く人は祖国とは違う何かを求めてそこに立っている。子供は早く大人になりたがるし、大人はもはや大人でいたくなくなる。何でだろう、こんなにも僕らは"今"や"ここ"に留まれない。

2005年8月17日水曜日

デジタル・ディバイド - 新飯田の場合

 デジタル・ディバイド(digital divide)という言葉をご存知だろうか。IT用語辞典 e-Wordsでは「パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある」とある。元々の意味としては要するにパソコンやインターネット等の情報技術を巧みに使える人とそうでない人の間で広がる生活的・文化的その他の面での質的格差のことで、例えばネットに詳しい人はAmazon楽天を使って地元では手に入らない商品を購入したり、同じものをより安く手に入れたりすることができるが、ネットがそもそも使えない人はそのような恩恵を受けることができないといったような情報技術に対する知識・環境の差が生み出す格差のことを表す。もちろん今挙げた例はごく端的な一部にすぎない。最近では「地理的情報格差」という意味で、主にインターネット環境の地理的格差を指し示すようにもなった。光通信やADSL、CATVといったブロードバンド環境が全国的に一般化する中、未だに最速の通信手段がISDNだったり、そもそもインターネット環境が存在しない地域が存在するといった、文字通り地理条件による情報環境の格差のことだ。

 今回の帰省でわかったことだが、私の地元である新潟県新潟市新飯田(旧白根市大字新飯田)には未だにADSLが通っていないそうだ。最速の通信手段がISDN。隣接している代官島や茨曽根といった地域には既にADSLが通っているのに、よりによって新飯田だけは開通していないというのだ。まぁ、かねてより"ざいご"(←新潟の方言で"ド田舎"を意味する)呼ばわりされている地域ではあるが(苦笑)、これこそデジタル・ディバイドの典型である。陸続きで車で数分の距離(さらに言うなら河川で遮られていたりすらしない)の隣接地域では既にADSLの環境が整っているのにだ。この件は市報でも問題になっていたらしい。

 聞けば、さすがに新飯田の住民もそれには不満を覚えたようで、まずはNTTに「いつ開通するのか」と問い合わせたらしい。その返答は「当面開通の予定なし」。そこで住民は周辺地域の協力を得て署名活動をし、NTTにADSLの早期開通を訴えたとのこと。そうしたらNTTの返答は、言うに事欠いて「NTTに一千万寄付したら考える」という高慢なものだったそうだ。まぁNTTも今では一企業なわけで、わずか2,000人超の人口の小さな空白地のためにわざわざインフラ投資をしたくはないというのも理屈としてはわからなくはないのだが、にしてももう少し言い方を考えてほしいものだ。「寄付をしたら考える」というのが企業として、あるいは契約として、ないしは法律的にどうなのかは結構ツッコミどころはある気がするのだが、とりあえずそこは置いておこう。

 新飯田は他のいわゆる"田舎"の例に漏れず、過疎化が問題になっている地域である。今どうなっているのかわからないが、一昔前は村興しをしようとして"あかねの里プロジェクト"なるものが発足し、地域の活性化を図ろうとしていた。高齢化・人口の減少は地域にとっては死活問題だ。地域の活気を維持・向上していくためには若い人間に定着してもらわなければならないし、そのために観光客を呼び寄せたり企業を招聘したり新規ビジネスを模索する等して産業やあるいは文化を活性化し、若者が魅力を持って働けるだけの仕事を作ろうとする。やり方や規模に差はあれ村興しというのは要はそういうことだ。新飯田の場合、そこに悪いことにデジタル・ディバイドのハンデが加わることになる。

 今の御時世、特にビジネスという面では常時接続のブロードバンドが使えるかどうかは大きな差が出る。というより、もはやビジネス自体ブロードバンドが前提になりつつある。その潮流の中においてブロードバンド環境がないということは、そもそもスタートラインの時点でハンデを背負ってしまうことになる。新飯田にはいくつか比較的大きな企業の工場や事務所があり、それら既存の会社はまぁ何とかなるのかもしれないが、これから先敢えてブロードバンド環境のないところに進出する企業や個人はまずいないだろうし、村興しの情報発信すら効率がガクンと落ちるのは目に見えている。実際今回の帰省中に128KのPHSで通信してみたが、正直この『ayum's note』Yahoo! JAPANの表示すら遅い。おかげで更新の気力すらなえてしまった。ISDNってことは、まぁさすがにPHSよりは通信が安定しているにしても速度的には所詮128K。このPHSと同じということだ。もう既にブロードバンドが企業や若い個人を引き入れるアドバンテージである時代は終わって、ブロードバンドは前提の時代になっているというのを肌で感じた。これでは若い世代の流出は止まらないだろうし、それを止める施策を打つのも難しい。情報化社会において、情報基盤はもはやライフラインと言っても差し支えない。わざわざ電気や水道のない場所でビジネスをやろうという企業もいなければ、新たに移り住もうという個人もいるわけがない。

 新飯田というのは地味ではあるが割と文化的には豊かな土地だと個人的には思う。5と10の付く日に行われる、いわゆる510(ごとう)市もあり、年に一度の祭りでは小川連による踊り子が佐渡おけさや天狗、狐大名といった多様な踊りで獅子舞とともに地域中を行脚する。大名行列や、最後お宮に突っ込む勇壮な神輿など、小さな地域ながら非常に昔ながらの文化を色濃く残した空気が感じられる。かく言う私も、小学生の頃は踊り子として佐渡おけさを踊りながら新飯田の各地域や家庭を行脚して回ったことがある。狐の大名の役もやった。祭り前、商工会議所で集まっての練習風景も今では懐かしい。他には、ややマニアックなところでは良寛が尊敬していたという有願が居を構えていたのもこの新飯田だ。その円通庵は今もちゃんと残っている。まぁ、残っているだけで手入れもあまりされてなさそうだし、ちゃんと拝観できるわけでもないけれど。その代わり(?)「ふれあいパーク有願の里」なる公園が近年できた。これも村興しの一環だったのだろう。農業という面でもコシヒカリはもちろん、新潟で果物というとあまり他県の人にはイメージがわかないかもしれないが、生産量こそ全国的には目立たないが、味はひいき目抜きでかなりおいしい桃やぶどうも取れる。この今残っている、決して都会的ではないけれど昔ながらの朴訥な文化も、このまま若い世代の流出や高齢化が進んでいけば、いつかその内消えてしまうのかもしれない。

 ブロードバンドは今は人を呼び寄せるためのキラーインフラではないかもしれないが、それがなければ人は来ないし人は出て行く。そしてそのことによって消えてしまう文化や社会も出てくるだろう。現時点では最終的に通信回線を握っているのはNTTだ。この情報化社会において、もはやライフラインと同等の価値を持つに至ったブロードバンドというインフラが提供されないことは、一つの地域社会において致命的な傷となり得る。費用対効果とか何とか、企業としての言い分も色々あるのだろうが、通信基盤の有無が社会や文化を消してしまう時代に既になっているのだということをもっと自覚してほしいと思うのだ。政府はe-Japan重点計画の中でこのデジタル・ディバイドの問題をとらえ、「あらゆる集団の格差を広げてしまう可能性を有しているため、その解消に向けて適切に対処しないと新たな社会・経済問題にも発展しかねない」と明言している。ソフトバンクは「離島にもブロードバンドを」という住民の訴えに応え、八丈島に積極的にブロードバンドを導入した。どちらもブロードバンドの産業活性や社会格差解消の意義を理解しての行動だ。NTTも、もう少し通信基盤を握る立場としての社会的立場を自覚してほしいかなと思うわけだ。もはや通信基盤は情報化社会の前提であり、その不備は一つの社会・産業・ひいては文化を殺すところまできてしまっているのだから。

2005年8月13日土曜日

やっとの思いで

 6月くらいからやけに忙しく、心が折れるのが先か体が折れるのが先かという精神と肉体のサバイバルゲーム状態で仕事をし続けてきた私ですが、どうにか無事に明日からささやかな夏休みに入れそうです。いやー、しんどかった。この一週間なんて睡眠も不規則で、とにかく夏休みを平穏な心で休むためにの一心でやってました。そして今日最後に無事納品を終え、爽やかな充実感とともに一旦の区切りを付けることができたわけです。帰宅の前に一度社に寄る電車の中で(どうせ渋谷に出ないと帰れないロケーションだったので)、後輩と「まるで学校の期末試験が終わったような開放感」を共有しつつやけに高いテンションで話をしていたりしました。

 通常の休みだと、日曜の夕方くらいになるともう「明日朝出社したらまずこれをやってあれをやって・・・」とか自然と頭の中で考えてしまったり、遊んでいるときでも30分に1回くらいは会社の携帯をチェックしてみたりと、軽くPTSD気味な休日を過ごすのが普通になっている私ですが、年末年始とお盆の期間くらいは仕事を忘れて純粋にのんびりとすごしたいものです。うむ、休みだ!

2005年8月8日月曜日

ぐうたらと

 今日はこれまでの人生でかつてないほどテレビでスポーツを観ていた。甲子園の遊学館×秋田商、桐光学園×近江、聖光学院×佐賀商、そしてそのままサッカー東アジアカップ中国×北朝鮮、日本×韓国。佐賀商がノーヒットノーランを喰らうかどうかで結構盛り上がった。8回裏をあっさりと片付けられた時は「ああ、こりゃもうノーヒットノーランだわ」と思ったものだったが、9回裏に三塁線を抜ける文句なしの当たりの2ベースヒットが出て、結局ノーヒットノーランにはならなかった。打った打者が2塁ベース上で興奮して嬉しそうに右手を上げた姿が印象的だ。一矢報いた、といった感じだろう。

 少しずつHPのメンテナンスをしながらの観戦ではあったけど、よくもまぁこれだけ観たものだ。本当にこれだけテレビでスポーツを見続けたのは初めてかもしれない。少なくとも記憶にはない。おかげでのんびりと休養にはなったのだが、何となくやるせなさが残る休日だった。他に何かできたんじゃないかなぁ?

 ・・・まぁ、いいんだけど。

2005年8月7日日曜日

イェラン・セルシェル『eleven-string baroque』

 セルシェルの『eleven-string baroque』を買ってきた。最近CDはひたすらAmazonや社販で買ってしまうので、なかなかタワレコやHMVにも足を運ぶ機会がなかったのだが、昨日久しぶりに行った際に目について、ラッセルの新譜とどちらを買おうか迷った末にこちらを買ってきた。何となく、スペインよりはバロックな気分だったのだ。

 セルシェルといえばとにかく11弦ギターでバロック(特にバッハ)を弾くか、ないしはビートルズを弾くかといったイメージが一般には強いだろうし実際私の中でもそうだが、実は彼の弾くバロックは結構好きだ。まぁ11弦ギターって時点で反則だろとか、そこまでいくならおとなしくリュート弾いてりゃいいだろうがコラとか、そんなツッコミはなくもないところだが、そんな邪念はさておき彼の弾く透明感のあるバロックは単純に聴いていて心地よい。心をグッと持っていかれる程強く響く音楽ではないが、すっと心に入り込んでくる素直で澄み切った音楽。そんな感じがする。

 この『eleven-string baroque』はヴァイスの『Passacaille』から始まり、パッヘルベル、『G線上のアリア』、BWV1001の有名なギターでは有名な『フーガ』を含むソナタ、クープラン等を鏤めつつ、最後はまた最初と同じくヴァイスの『Tombeau』で終わる、バロックの小品集。暖かな旋律が美しいヴァイスのパッサリアから重苦しく終わるトンボーまで、終止北欧出身のセルシェルらしい透明な音楽を聴かせてくれる。

 特に注目はBWV1001の『フーガ』。セゴビアが弾いて以来、ギターの世界ではすっかり定番になったこの曲だが、以前にも書いた気がするが実は結構普通の6弦ギターで演奏するには無理のある曲だと思う。だからところどころ音が非常に薄くなるし、旋律もつながりにくい。この曲に関して素直に名演と呼べる演奏が(あれだけ録音・演奏されているにも関わらず)出てこないのは、やはり元々無理がある曲だからなのだと勝手に思っている。

 だが、11弦ギターでなら話が違ってくる。分厚い音の層が織りなす重厚なフーガが、ギターの和音に強いという特性を活かして原曲以上に色彩感豊かな編曲がなされていて、聴いていて曲自体の良ささえ再認識させられるような、そんな素晴らしい演奏に仕上がっていた。セルシェルの透明感のある演奏は、セゴビアの濃ゆい演奏のイメージが強いこの曲には少しあっさりしすぎているようにも思えるが、その輪郭のはっきりした澄んだ軽やかさは、純粋な意味で言えばバロック的なのではないかなとも思った。何にせよ、6弦ギターでは表現しきれない曲でも11弦ギターならうまく曲のよさを引き出すことができる場合もある。その意味ではセルシェルの11弦ギターも(やっぱり反則だけど)ありなのかもしれない。

 個人的にはセルシェルの弾くヴァイスの『シャコンヌ』と『ファンタジー』が大好きなので、是非『パッサカリア』や『トンボー』も入れてほしいものだとかねてよりずっと思っていた。やっと、とうとうその2曲がこうして録音されてCDになったというのは素直に嬉しい。また演奏も期待を裏切らない、セルシェルらしい澄んだ透明感と控えめの優しさがにじんだよいものになっている。派手な力や演出はないし、これでもかというくらい心を揺さぶる情感があるわけでもない。ただ空気のようにそこにある、澄んだ自然な音楽を、彼は聴かせてくれる。

Linkを作成

 このページにLinkのページを追加しました。他のEssayやNovelのように単純に新しいウェブログを切ってスタイルを調整すれば終わりかな程度に思っていたのですが、いざやってみるとそれだけじゃ細かく技術的に問題があることが判明、ちょっとカスタマイズに時間を食ってしまいました。このページは基本路線すべてMovable Typeという方針に変更はありません。意地でもカスタマイズで逃げ切るのです。まぁ、最初にシステム化しておけば後の更新は楽ですからね。

 とりあえず、このLinkのページは概要の部分にURLを入れるとエントリーのタイトルにリンクが張られるという仕様にカスタマイズ。Movable Typeが想定している本来の意味・仕様とは多少異なりますが、まぁいいでしょう。どうせ管理画面を使うのは私一人なのですから。

2005年8月3日水曜日

例えば

ショウユバッタとオンブバッタの違いについて知りたい時、バッタと検索窓に入れてポンとボタンを押すだけで、知りたいと思っていた以上の情報がサッと出てくる。そんな世の中になった。とりあえず、ショウユバッタではなくショウリョウバッタというらしい。つかまえると口から醤油みたいな黒い液体を出すからショウユバッタなのだなと、ずっと納得していたのだが。

2005年8月1日月曜日

ayum.jpオープン!

 とうとうこの『あゆむの雑記帳』もサイトの引越をします。新しいURLは下記の通り。

http://www.ayum.jp/

 まだ日記のデータも移行し終わってないですし、Linkも作ってません。BBSも使用しているレンタルサーバが用意してくれた出来合いのもので、そこだけデザインが統一されてなかったりします。まだまだ未完成感が満載のサイトですが、こちらの現雑記帳はレンタルサーバとの契約満了に伴い本日で更新を終了いたします。明日からは上記新サイトの方で更新を続けてまいりますので、皆さん今後ともよろしくお願いします。

 新サイトは全体がMovable Typeを使用して作られています。コメントやトラックバック、RSSフィードといったBLOG特有の機能がもちろん使えますので、使いたい方はガンガン使ってやってください。デザインは最初自分で考えていたのですが、どうにもデザインセンスのない私はラチがあかなくなっていたので、HINAGATAさんからいただいたスタイルをベースにトップは3カラム、中身は2カラムというスタイルで多少独自にカスタマイズを入れて作りました。ま、割とシンプルにまとまってこれはこれで悪くないかなと思っています。今はWindowsのIEで見ると少しばかり表示がおかしい(というかおかしかないが意図と違う)部分があるのですが、まぁそこも追々直していきます。

 しかしとうとう7年慣れ親しんだこのna.sakura.ne.jpともお別れとなると名残惜しい気がします。元々大してカッコいいサイトではないですし、今となってはむしろデザイン的にも技術的にも古くささ満載のサイトですが、それでも個人で7年続けてきたサイトです。中身は新サイトの方に移行するとは言っても、やっぱり今のデザインにもURLにも愛着はあるので少し寂しいですね。

 とはいえとうとうayum.jpのドメインも取得しての新たな船出です。皆さん、今後とも新しくなったayum's note -あゆむの雑記帳-をよろしくお願いいたします!

2005年7月30日土曜日

最期の時に、もしも音楽を聴けるなら

 以前にも日記に書いたが、ラッセルが弾くヘンデルの組曲七番の『パッサカリア』がたまらない。正直、理論面・構成面ではやはりバッハほどよくできているわけではないし、派手に技巧的な演出があるわけでもない。だけど、同一の低音主題を一曲通じて繰り返し続けるパッサカリアという形式が醸す、表面的な旋律は変奏によって変化していっても根底を流れる主題は決して変わらないという輪廻の定めが、そのまま人生の悲哀の暗喩になっているように思える。いつの日か自分の命が果てた時、それでももし霊というものがあるとしたら、改めてこの曲を聴いてみたい。これまでのもう(認めたくはないが)30年近い人生の中で、音楽的な趣向は色々変わったり広がったりしてきたけれど、それでも人生の終点でこの曲を聴くことは例えその時の音楽的な趣向がどうであれ意味があるように思う。最期の時に、よほど心が腐っているのでなければ。それはきっと、シェイクスピアの悲劇にも似ている。

2005年7月29日金曜日

時の歩幅

 一週間、そしてまた次の一週間。時間が一足飛びに過ぎ去っていくように感じる。時が過ぎていく感覚は、確実に速度を増してきている。新潟にいた頃は、一時間一時間がコマ送りのように過ぎていった。大学の頃は大きく授業とRAINBOW-Staffの時間と部活の時間が、大体半日ペースで過ぎていった。社会人になってからは一日があっという間、日毎に時間がスキップするようになった。そして今は一週間。月曜から日曜まで、そしてすぐ次の週が始まる。時の歩幅は、確実に広がっている。この先、まだ広がっていくのだろうか。もしそうなら、きっとこの先の人生なんてほんの一瞬のことに違いない。ふと、そんなことを思った。

2005年7月25日月曜日

諦めの溜息

 平和な日曜の夕方にかかってくる仕事の電話は、正直ストレスがたまる。

2005年7月24日日曜日

関東地方にて震度5レベルの地震発生

 地震です。それは私が会社の自分の席でPCに向かって仕様書を作成しているときのことでした。瞬間、コンッと何かが何処かに当ったような音が聞こえます。すると次に、カクンとまずは小さく、ゆっくりと地面が揺れだしました。「ああ、地震だな」そう思ってオフィスの中央辺りで天井から下がっているガラスの垂幕が揺れるのを目で確認していると、改めてもう一度、今度はさっきのように小さな音ではなくもっと大きく、明らかに"衝突"したような衝撃が下から伝わってきました。ゴンッ、という鈍く重い音を合図に地面が大きく揺れます。会社にいた人間が皆動きを止めて、「地震だ」「大きいな」と口々に誰にともなく呟きます。しばらくは、30秒くらいでしょうか、かなり大きく揺れていました。とはいえ本棚が倒れるとかそういった被害もなく、せいぜいモニタの上に乗っていたペットボトルのおまけのフィギュアが落ちるとか、その程度の被害で済んだわけです。外を見ても平穏無事、目の前の首都高の陸橋が落ちるというようなこともなく、まるで何事もなかったかのように渋谷の街を人々は歩いていきます。数分後にはYahoo!ニュースに地震速報が上がってきました。当初は東京23区内は震度4との発表でしたが、なんと我が家のある横浜市港北区日吉本町は名指しで震度5!ウチはただでさえ山の斜面に無理矢理建てたような地滑りが怖い構造の上、下には地下水がプールのように溜まっているらしいので、それこそもう土砂崩れ上等、液状化いらっしゃいな素敵な立地です。震度5でそう簡単に鉄筋のマンションが崩れたりはしないでしょうが、本棚が倒れたりしたら厄介だなとか、ウィスキーの瓶が割れてたら泣けてくるなとか、そんなことを考えていました。大きな揺れが収まった後もしばらくはゆったりとした横揺れが続いているようで、モニタを見ていると少し船酔いしたような変な気分になってきます。会社にいた人間が一人家に帰ろうとしましたが、如何せん山手線を始めJR等電車が片っ端から止まっています。会社のエレベーターすら止まっています。それじゃどうしようもありません。我々は「いいじゃないか、ここまできたら会社に埋もれようぜ(苦笑)」等と笑えないジョークを飛ばしつつ、電車が動き始める19時半頃まで社内で仕事半分、雑談半分に過ごしていました。

 家に着いてみると、本棚や酒瓶はとりあえず無事で、洗って立てかけておいた茶碗なんかが下に落ちていた程度の被害で済みました。割れたわけでもないので拾ってそれで終わりです。まぁ、平和なものです。しかし震度5レベルの地震になると、揺れている間はなかなかスリリングなものです。

2005年7月20日水曜日

三連休+1

 三連休を京都で過ごし、そのまま名古屋に出て今日はそこで打ち合わせ。スーツと会議資料を持っての旅路はなかなか荷物が多くてしんどいものでした。今回の京都行きの目的はそう遠くない将来明らかにされるでしょうが、とりあえず今日は眠ります。おやすみなさい。

2005年7月11日月曜日

悩ましい編曲依頼

 クラギタの現四回生から今年の定演の有志合奏の編曲をしてくれないかというメールが届きました。今の四回生というと、私がAアン用に編曲した『亡き王女のためのパヴァーヌ』を二回生の時に弾いた世代でしょう。間接的にでも私を知っている、ほとんど最後の世代です。そんな彼らから編曲の依頼がくるのは個人的にはやはり嬉しいものです。元C技としての立場からは自分達で編曲しようという気概も持ってほしいなとは思うのですが(苦笑)。まぁまぁとはいえ今の時期に突然編曲の依頼が来るからには何か事情があるんでしょう。Aアンじゃないから譜面は合宿に間に合わなくてもどうにかなるのかな?昔と部の運営スケジュールがそう大きくは変わってないというなら、総会ももうすぐそこに迫ってますからねぇ・・・。

 何にせよせっかく後輩が依頼してきてくれたのなら、この忙しい中でもどうにかこうにかやってあげたいとは思うのですが、如何せん合奏形態やコンセプト等がまるでわからないので、その辺りまずはお話を聞かなきゃだなと思っています。曲はフォルクローレメドレーで『花祭り』~『灰色の瞳』~『サンフランシスコへの道』だそうで、私の中でも特に思い入れの深い曲の一つである『花祭り』は是非カッコよく編曲してあげたいのです。正直、今は仕事がハンパなく忙しいから受けるかどうかはかなり迷っているのですが・・・。

カウンタ設置

 ようやくこのページにもカウンタを設置した。PHPで自分で作るのも面倒だったので、レッツPHP!さんの「昨日今日カウンタ」を設定値だけいじって設置。PHPってインクルードが簡単でいい。小さなWEBプログラムをサクッと作るには確かにこの上ない言語なのかもしれない。この「昨日今日カウンタ」自体は「昨日・・・人、今日・・・人、合計・・・人」って感じで分けて表示できるのだが、そこまでいらないなと思い合計だけ表示。表示も画像でなくシンプルにテキストにして、スタイルシートで位置だけ合わせて作業完了。簡単だ。

2005年7月10日日曜日

前へ

 色々な話が少しずつだけど前に進んでいく。まぁ、地道にでも何でも、自分の人生は動いているのだなと思う。

Cragganmore - クラガンモア14年 1989 シグナトリー アンチルフィルタードコレクション






クラガンモア14年 1989 シグナトリー アンチルフィルタードコレクション
Distillery : Cragganmore

Years : distilled in 1989/04/18 and bottled in 2003/12/09, aged 14 years

Area : Speyside

Bottler : Signatory

Cask Type : unknown (hogshead)

Product : 46% vol, 700ml

Price : 3,900yen

Remarks : -



 数々の人気シリーズをリリースしているボトラー、シグナトリーの「The Un-Chillfiltered Collection」シリーズのクラガンモア。このシリーズは文字通り一切の冷却濾過を行わないのが特徴で、そのため寒い場所で保管したり冷たい水で割ったりすると色が白っぽく濁ることもある。試しに冷蔵庫でキンキンに冷やした水で割ってみたら見事に白濁してくれた。ボトルにも記述されているが、冷却濾過を行わないことでより一層ボディや香りの強いモルトに仕上がる。このシリーズはそんなに値段も高くなく、酒質も安定していいものが出てくるので人気が高いそうだ。何はともあれ大好きなクラガンモア。オフィシャルと比べてどのような違いが出てくるのか、非常に楽しみに飲んでみた。

 まず最初に思ったのは、オフィシャルほど香りが広がっていかないなということ。オフィシャルのクラガンモアはもう栓を開けた瞬間に軽く華やかな香りがパーッと広がっていくのだが、こちらはそこまで軽やかな性質の香りは持っていない。クラガンモア特有のベトつかないさらっと溶けていくような甘みの香りがより濃縮されて重くなり、どこか干しブドウやドライフルーツを思わせる枯れた濃密な甘みが加わっている。香りというのは濃厚になればなるほど足が重たくなって広がりにくくなるのかもしれない。とはいえクラガンモアらしい爽やかな草木のような芳香や、かすかな落ち葉のような枯れた香りも確かに感じられ、「ああ、やっぱりクラガンモアだ」と思わせる。収穫され積み上げられた葡萄が発するような、ちょっと酸っぱい甘さの香りもする。さすが最も複雑な香りを持つと言われるクラガンモアだ。

 口にしてみると、やはりオフィシャルよりも濃密になって、軽く口の中で溶けて消えていく和三盆というよりは、より主張の強いメイプルクッキーのような甘さと、オフィシャルにはないオイリーさがまず目立った。実際、オフィシャルと比べてかなり長いアシを持っている。この濃縮された甘みとオイリーさはアンチルフィルタードという仕上げ方が生み出したものだろう。とはいえ、その甘みも強く感じるのは一瞬だけで、すぐに嫌みなくスッと消えて余韻の中に入っていく。そして最後にはオフィシャルと同じ草木の香りを口の中に残して、意外にもあっさりと味も香りも消えていく。オフィシャルを太く短くしたような、そんな印象のモルトだ。まぁ濃厚と言ってもシェリー樽熟成のものなどに比べればスッキリしたものだが、ただ、個人的にはクラガンモアはここまでボディが強くなくてもいいかなと感じた。オフィシャルの非常に上品で洗練された味わいが、少しばかり粗野になってしまった気がする。これはこれでおいしいけれど。最後になったが、私が手にしたボトルはカスクNo. 974、387本中の179番だった。

2005年7月8日金曜日

七度目の七夕

 今年も七夕がやってまいりました。1998年以来、この雑記帳が迎える7度目の七夕です。ここ一、二ヶ月はかろうじて運営してる感が否めず、度々足を運んでくれている皆さんに申し訳ないばかりです。何にせよ一日も早く更新ペースと内容を安定させるよう、まずは頑張っていきたいと思いますので、皆さん、これからもよろしくお願いいたします。

 そしてちょうど去年の今頃に宣言したサイトの引越ですが、それはもう何とかして今月中に行います。何故なら今月一杯で今のサーバの契約が切れるからです(苦笑)。次の場所は既に用意はしてあるので、タイミング悪く死にそうな日々を送っている最中ではありますが、もう少し死にながら雑記帳の引越をしなきゃだなぁと。まずは一日も早く平和な日々が訪れるように、七夕の願いが叶ってくれることを祈るばかりです。ま、祈るだけでどうにかなるのなら・・・。

2005年7月6日水曜日

たとえ何もなくとも

 何はともあれ、少しは更新しないと始まらない。自分の中から外に何かを出力することがそれ自体苦痛に感じるとしても、結局はそうしないと何も始まらないからだ。元々は、そこが出発点だったはずだから。ただし、やっぱり何も出てこない。それは外に出す力が足りていないのか、外に出すものが何もないのか。どちらにしろ、あまりいいことではない。今年もまた、七夕が来る。

2005年6月29日水曜日

和暦と西暦

 僕らの4回生の定演は、なんと平成12年のことだった。2000年っていうとそんなに昔の気はしないけど、平成12年っていうとなんかえらい昔のことのように思えるなぁ・・・。ちなみに今は、平成17年。ふむ。

Macallan - マッカラン12年 1990 ハイスピリッツ・コレクション






マッカラン12年 ハイスピリッツ・コレクション
Distillery : Macallan

Years : distilled in May 1990 and bottled in November 2003, aged 12 years

Area: Speyside

Bottler : High spirit's Collection

Cask Type : ex-Sherry

Product : 46% vol, 700ml

Price : 8,000yen

Remarks : without any colouring and chill filtering


 言わずと知れた"シングルモルトのロールスロイス"、マッカランのボトラーズもの。イタリアのボトラー、インタートレード社のハイスピリッツ・コレクションというブランドで、Lochs and Castles of Scotlandというシリーズもの。このシリーズは基本的にシングルカスク、無着色、無冷却濾過で、蒸留所の周りの風景や城等の美しい石版画がラベルに描かれているのが特徴。私が手にしたボトルはカスクナンバー42の樽からの19/332と手書きでシリアルが振ってあった。

 濃いアンバーの色合いからもわかるし裏ラベルにもしっかり書いてあるが、シェリー樽で長期間しっかり熟成されていたため非常にシェリーの風合いが強い。マッカランはオフィシャルものもシェリー樽熟成が味の要だし(新しいシリーズではオーク樽も標準で出てきたが)、実際仕上がりも非常にオフィシャルのマッカランに近い。ただし、最初の一口を飲んだときはもの凄く濃いなと思った。シェリー特有の醤油のしょっぱさと蜜の甘さが混じり合ったような濃密な香りがそのまま味にも乗り移った感じで、正直しょっぱいくらいに濃かった。思わず少し水で割ったくらいだ。マッカランの味がもの凄く濃縮された感じ。最初にはちみつのような甘い香りと味が口の中に広がり、後味が抜けていくにしたがってしょっぱさが舌に残っていく長い余韻。最初の印象は、「強烈なマッカランだなぁ」というものだった。

 ところがこのボトル、栓を開けてからしばらく経つと、なんだか知らないが段々味がこなれてきた。開けたばかりの頃にあった刺激的なまでのしょっぱい個性は尾を潜めて、マッカラン固有の枯木の中の蜜のような落ちついた丸い甘みと香りが目立ってくるようになった。開けてから約半年がたった今では、当初は水で割ろうと思った程のしょっぱさと刺激が完全に消えてしまって、カドが取れてマッカランらしい落ち着きを見せている。とはいえオフィシャルのマッカランに比べればまだまだ味は濃いけれど、逆に言えばより一層マッカランが楽しめる。中には栓を開けてからこんな変身を見せるモルトもあるものなのだなと思った。樽の中でもないのに。

2005年6月27日月曜日

戦場へ

 部屋を掃除してちょっと作業してバレーを観て、さてさて、明日からまた仕事です。

Cragganmore - クラガンモア12年






クラガンモア12年
Distillery : Cragganmore

Years : aged 12 years

Area : Speyside

Bottler : Official

Cask Type : burbon

Product : 40% vol, 750ml

Price : 3,000yen

Remarks : -



 普段飲み用としてタリスカーと並んで愛飲しているスペイサイドの銘酒。スペイサイドの代表格と言えばやはりなんと言ってもマッカランだが、個人的には同じ12年もの同士だったらこのクラガンモアの方がおいしいと思う。ちなみに、オールドパーの原酒としても有名。

 「すべてのモルトの中で最も複雑な香り」と呼ばれるクラガンモア。その最大の特徴はやはりビンを開けた瞬間に広がる軽やかな香りだろう。蜜のようなトロンとした甘さではなく、さっと溶けては消えていく和三盆のようなべとつかないさらりとした控えめな甘さと、草木の緑のような新鮮な空気があっという間に広がっていく。ビンを開ければもうグラスに注ぐ前からわかるほど香りの広がりが早い。口当たりもスムーズで、上品な甘みを感じたかと思うと、すぐに甘みは形を変えて新鮮な緑の空気やもう少しドライな落ち葉のような後味を残してきれいな余韻を残しながら消えていく。軽やかで雑味が少なく、かといって印象が薄いわけでもなく、しっかりと奥深いボディを持ったこのクラガンモアは間違いなくモルトの傑作の一つだ。

 この蒸留所は1869年の設立以来、現在に至るまで設備・手法ともほとんど変えずに運営されているそうで、普通と違い上部が平らなポットスチルを使って蒸留する、その独特なポットスチルの形が蒸留中に上記の中の不純物を取り除くのだという。マッカランやボウモアのように製品ラインナップが豊富なわけではなく、オフィシャルで通常販売されるのは12年ものだけというのが少々寂しいところではあるが、まぁ贅沢言わずにこの12年を堪能していれば十分という気もする。それほど、よいモルトだ。

2005年6月26日日曜日

泡盛 千年の響






千年の響
製造元 : 今帰仁酒造所(「なきじん」と読むそう)

熟成年数 : 10年

地域 : 沖縄

原材料 : 米・米こうじ(黒麹菌)

製品情報 : 43度, 720ml

価格 : 4,000円前後

備考 : 限定品(どう限定なのかがイマイチ不明)


 泡盛の長期熟成古酒の名品。アルコール度数が原酒そのまま未調整の43度のものと、加水調整された25度のものがある。昔払うやたっちーと日本酒の利き酒会に行った際、20種類程日本酒にまぎれて出品されていた焼酎の中から見つけた。当時は今のような焼酎ブームではなかったため、日本酒に比べて焼酎の出展ははるかに少なかったし、注目度も低かったように思う。その中で、他の日本酒と比べても一際印象が強く、おいしいと感じたのがこの『千年の響』だった。

 液体は品のよい明るい琥珀色。普通焼酎は無色透明で、長期熟成ものでも木の樽でなく瓶で寝かせるのが一般的なため、このように色が着くものは珍しい。樫樽で10年間寝かせている間に染みた自然な色で、着色は当然していない。ウイスキーと同じ原理だ(ウイスキーは中には着色しているのもあるが)。刺激の少ない、米の糖質のまろやかで丸みを帯びた、おとなしい甘さの香りが特徴的だ。口に含むとさらっとした米特有の甘みが舌を滑るように通り抜けていく。やや高めのアルコール度数だが非常にこなれているため刺激はまったくといっていい程感じない。口の中にほのかな丸みのある甘みと香りをほんの少し残して、嫌みなくすっと消えていく余韻は実に鮮やかで飽きがこない。泡盛というイメージから連想されるクセの強さはまったく感じさせない、じつにこなれた酒だ。その熟成のさせ方といい色合いといい、まるでウイスキーのような香りと飲み口だが、正直下手なウイスキーより余程よく熟成されてカドが取れている。素晴らしい古酒だ。

 この『千年の響』はやはりロックかストレートがお薦め。アルコール度数は高いものの非常によくこなれていてカドが取れているので、刺激はほとんど気にすることなく飲めるでしょう。

束の間の休息

 何と12時間も寝ていました。起きた時「ああ、やっぱ疲れてたんだなぁ・・・」と妙に納得してしまいましたとさ。まぁおかげさんで体は大分軽くなり、「そうだった、俺の体は元からあんなに重いわけではないんだった」と久しぶりにまともに体力のある状態に戻れたとのことです。まだ完全回復というわけでもないですが、とりあえず昇天の危機は脱した感があります。そしてスーパーでビワを買ってきて(実は大好物)喜んで食べていたとのことです。ああ、平和な休日よ・・・。

Rosebank - ローズバンク12年 1992 キングスバリー






ローズバンク12年 1992 キングスバリー
Distillery : Rosebank

Years : distilled in 1992, aged 12 years

Area: Lowland

Bottler : Kingsbury

Cask Type : ex-Sherry

Product : 46% vol, 700ml

Price : 6,980yen

Remarks : Exclusive bottling for Shinanoya


 よくシングルモルトの購入に使わせてもらっている信濃屋さんが出したオリジナルボトル。オリジナルと言っても独自ブレンドとかいうのではなく、オリジナルボトラーズものといった感じだそう。今回は何とケルティックシリーズやハンドライティングシリーズで有名なあの名門ボトラー"キングスバリー"が信濃屋さんのために特別にボトリングしたとのことで、非常に期待をして購入しました。カリラとマッカラン、そしてローズバンクと3つの選択肢があったのですが、今回買ったのはこのローズバンク。何となく一番おいしそうに見えたのです(爆)。90本限定のうち85本目だと手書きでシリアルナンバーが入ってました。

 ローズバンク蒸留所自体は1993年に閉鎖されてしまい、もう新しくストックが増えることはありません。今樽の中で熟成を深めながら眠っている分がなくなってしまえばもう二度と味わうことのできないモルトです。今回のものは1992年蒸留とのことなので、閉鎖の前年に仕込まれたもののわけです。そう考えると何だかもったいない気もしてきます。

 ローズバンクはローランド地方の特徴であるスコッチとしては珍しい3回蒸留を行って原酒を作っていることで、これはアイリッシュウイスキーと同じ回数です。その味わいはソフトでスムース、フレッシュでドライと一般的に言われていますが、それも3回蒸留で余計な成分が飛んで軽くなるが故の味わいなのかもしれません。

 そのつもりで開けてみます。ふたを開けた時の印象は割に穏やかで、香りが一気にふわっと広がっていくという程強烈な感じはありませんでした。シェリー樽熟成特有の、私に言わせれば生醤油のような香りに混じって、ほんのり蜜のような甘い香りがしてきます。グラスに注いで香りをかいでみると、トロンとしたはちみつのような濃密な香りが、部屋中に広がるというのではなくグラスの中に組成の重い物質のようにたまっている印象です。一口飲んで、「甘い!」と思いました。とにかく甘い。香りの通りはちみつのような甘さ。ここまで甘いモルトは初めてです。飲み込んだ後の後味も、香りは蜜のような甘さから草のようなフレッシュな香りにすっと移行して消えていきますが、そのトロンとした甘みはいつまでも下の上に残って消えません。シェリー樽熟成特有の少ししょっぱいような甘みではあるのですが、ここまで強烈なのは初めてです。ローズバンク自体飲むのはこれが初めてで、オフィシャルものとの比較もできないのですが、元々こんなに甘いモルトなのでしょうか?スペイサイドのヘザーハニースタイルの極端な具現化のような、そんな印象を持ったモルトでした。こういう濃厚な甘みのあるモルトは、疲れた時に飲みたくなるかもしれないですね。

2005年6月24日金曜日

五里霧中の休息、わずかに

 とても救いようがなくて出口が見えないように思えて、目を開くことすら躊躇してしまうような日々。とりあえず、それでもまだ、そんな中で、音楽の愉しみ方を知っていて本当によかったと思う。おかげで、心はまだ折れずにいれる。体の方はそろそろ危ないけれど。

2005年6月20日月曜日

革靴購入

 やっと靴を買った。雨が降るとすぐ水がしみ込んでくるくらい痛んでいたので、早く買おうとは思っていたのだけれど。革靴は合わないと骨がきしむくらい足が痛くなる。今度のはすんなり合ってくれるといいのだけれど。

コメントスパム対策

 最初にMovable Typeで構築してからどこにも公表せずに一年近くも放置し続けたこのサイトも、とうとう公表に向けて重い腰を上げることにした。その一環としてMovable Typeのバージョンを3.17jaにアップグレードし、コメントスパム対策に『鵺的:想空間』さんのmt-spamstopを使わせていただくことにしました。<A>タグを含むコメントスパムをブロックするという比較的シンプルなブロッカーだそうですが、評価を見る限りその効果は絶大なようです。まぁ、まだこのサイトはあまりに表に出てないのでコメントスパムに悩まされたこともないのですが。

2005年6月19日日曜日

 先々週のことになるけれど、蛍を見に行った。佐賀の、あの辺りは小城になるのだろうか、山奥という程深くはない山中の、比較的な大きな幹線道路からほんの少し入ったところでそんなに歩くこともなく、蛍の群生を見ることができた。

 山中の幹線道路は蛍を見にくる人で渋滞こそしていたものの、基本的には周囲にはただ川が流れるのみで街灯も必要最小限しかない、暗い田舎の道だ。そこから車を降りて川沿いに数分程上流に歩く。そう、ほんの数分だ。川の水が流れる音を左側に、走り去る車のエンジン音を遠い背後に、草を風が揺らす音をあらゆる方向に聞きながら、同じく蛍を見にきた人々の、周りの草木や夜の闇に比べればあまりに控えめで頼りない雑踏と共に、懐中電灯で足下を照らしながら歩いていった。

 蛍の光は静かだ。光を形容するのに音の表現を持ち出すのも妙なものだが、素直にそう思った。静かな光だと。暗闇の中に、まるで無から光が生まれてくるかのように青白い光がふうっと浮かんでくる。熱を感じさせず、かといって冷たさを感じさせるわけでもなく、暗闇を自由に音もなく移動しながら、静かな光が浮かび上がっては消えていく。星の光に似てるなと思った。数多の星が夜空に浮かぶように、数多の光が暗闇に包まれた山川に浮かぶ。その静謐な光がイルミネーションのように浮かび上がっては消えていく景色は、そう、幻想的というよりも、幽玄という言葉がしっくりくるように思えた。人が作り出した幻想ではなく、奥深い自然の幽玄さ。静かに、地上で瞬き、浮かび上がっては消えていく蛍の光。こんな光景があるのだなと、素直に感動していた。

 人が作り出す光は刺激的だ。蛍が見える沢の場所は山中の幹線道路からは歩いて数分かかるところにあるが、それでも車の光は届く。遠くを照らすオーバーライトが、おそらく1km前後の距離を超えて、ほんの微かにだが景色を照らす。それは照らすという程強烈なものではなく、実際車のヘッドライトが届いたからといって景色が見えるようになるわけでもないのだが、ただ"光が届いている"というのはわかる。そして確かに、車のヘッドライトが届いている間はその光に蛍の光は打ち消され、ぼやけてかすんで見えてしまう。携帯やデジカメのフラッシュも同様だ。景色を照らせる程強い光ではない。だが、蛍の光は打ち消してしまう。正直、邪魔だと思った。車のライトはある程度仕方ないにしても、どんなに頑張って携帯やデジカメでこの景色を撮ってみたところで、こんな人の作り上げた光に比べると弱々しくすら感じる程の光がきれいに写るわけはないし、ある程度写ったところで所詮本物には敵わないに決まっている。それなのに、どうして今実際にこの目で見て体感している感動を嘘くさいフラッシュで希釈してまで外部記憶になど残そうとするのだろう。それが不思議でならなかった。少し考えて、わからないのかもしれないなと思った。そして、少しかわいそうになった。これはおそらくモラルの問題以前に感性の問題だ。わからないんだろう、と。まぁでも、とりあえず外部記録に残そうとする程度には蛍の光に心動かされる感性はまだ残っているのだろう。まだ、マシなのかもしれない。

 帰り道、車の近くまで来た時に、手の届く草むらの中に群れからはぐれてしまった蛍が光っていた。つかまえて、両手を組んでかごのようにした中で少しの間観察してみる。蛍の光は遠くから見ると青白い星の光のように見えるが、近くでは黄緑色の発光ダイオードのようにも見える。掌の上で黄緑色の星がふうっと光っては消え、光っては消える。やはり、熱くはない。不思議な感じがした。草むらに放した蛍は、見ている間に最後もう一度光った。なるほど、地上に星があったら、こんな感じなのかもしれない。そう思った。

2005年6月16日木曜日

不調と頭痛と危機管理

 先の頭痛で珍しく医者をはしごしてみるも、結局どこも「とりあえず」と頭痛薬を処方するだけで何も有益な情報を出してくれないのです。しかも出す薬みんなロキソニンだし!確かに凄くいい薬だけど、もうそんなにいりません!

 とか思っていた矢先、昨晩は久々にビッグなトラブルと納品のダブルパンチにやられ、体調も優れないままにまんまと一睡もしない完徹で作業をしていました。いやー、一人でそこそこ大きいバッチプログラムを一晩に2本も組みましたよ(そこそこ凄いことだと思う)・・・。そして気付いたら頭の痛いのも吹っ飛んで、今日は寝不足の割にやたら元気な一日を過ごしていました。いやー、危機感から大量放出されたアドレナリンがどうにかしてくれたのでしょう。結局、己の病を治せるのは己だけということでしょう(?)。

2005年6月13日月曜日

続・不調

 熱もないのにひどい頭痛と吐き気に襲われて、午後からベッドの上でのたうち回っておりました。以前からたまに痛くなる右後頭部、今回もここがズキズキとうずくように痛みます。これで熱があるならまだ納得いくんだけどなぁ・・・。数日前までは感染症の証である黄色い痰も出ていたのですが今はそれもなくなり、ただ頭痛、吐き気、倦怠感という症状だけが残っているのです。うーむ、極度の貧血とか・・・?

2005年6月12日日曜日

不調

 仕事の忙しさだけならまだしも、とどめとばかりに今週は中頃からちょいと体調を崩してしまいまして、でも仕事は休めずに、家に帰ったらひたすらグッタリ。そんな生活で気付いたら見事に一週間以上このHPの更新を放置してしまっていました。いやいや参りました。決して更新をやめたわけではありません(苦笑)。とりあえず、回復基調になってきたとはいえまだ万全ではないこの体調。もう少し元気になったら色々書きたいと思います。書きたいことは、たくさんあるのです。

2005年6月3日金曜日

披露宴@汐留

 今日は披露宴だった。披露宴と言っても結婚のではなく、私のお得意様が本社を新宿から汐留に移転したので、主要な取引先を集めて社内を案内する内覧会とヒルトンの豪華な料理付きの披露宴、さらに経営するカフェバーでのジャズライブを催したと、そういうわけだ。とはいえ私は1フロアがサッカー場より広いそのビルがまだ内装工事の段階から見ていたし、今日も内覧会の間中裏でデモしているシステムが止まったりしないか張っていたので、正直内覧会と言ってもそんなに今更目新しくはない。けれどガラス張りの高層ビルから眺める汐留の海と緑と高層インテリジェンスビル郡が融合した都会独特の少しわざとらしいくらいに整理整頓された景色の美しさは格別で、最新鋭の機器とシステムを集めたそのオフィス(和室やマッサージチェアまである!)を改めて見て回るにつけ「やること派手だねぇ」と半ば諦め調子に溜息をついていた。とりあえず無事にシステムも快調なまま内覧会を終え、披露宴で最初の一杯を口にした時には正直ちょっと嬉しかった。これまで何度となくここのシステムのために徹夜をしてきたが、それが例えほんの一端であってもそれがこうして現実の実になるというのは嬉しいものだ。初めて全社的なシステムが総合的に動いているのを見て、さんざんたくさん作ってきたと思っていた自分達のシステムが全体規模から見たら実は思っていた以上に小さかったということに気付いたとしても。まぁ、それはそれだ。システム全体を作るのに、二桁の会社が入っているのだから。

2005年5月30日月曜日

Helloweenからバッハまで

 今日は日中少しばかり出社して資料作り。とはいっても日が落ちる前には帰宅するのだけれど、帰りの電車の中で夕陽の光を眺めながら、iPodで久しぶりにHelloweenの『Keeper of the Seven Keys, Pt. 2』を聴いた。やはりこの頃のHelloweenは最強にカッコいいと相変わらずたまに聴く度思うのだけれど、実は以前から少しばかり気になっていることがある。『Eagle Fly Free』、もの凄くカッコいい。カッコいいんだけど、・・・やっぱドラムとボーカルちょっとずれてんだよなー・・・。インゴがねー、この曲に限らず少し走っちゃう場面があるんだよねー・・・。『Rise and Fall』もテンポアップやアッチェランドを意識してやってたりもするけど、それ以上に走ってる部分が・・・。聴いてて気持ち悪いのです。気持ち悪いけど、気持ち悪いけど、でも何故かカッコいいのがこの頃のHelloween。得体の知れないパワーが満ちていて素敵です。

 しかしエレキギターのバッキングって何というか、非常にリズム感が悪いというかグルーヴ感が悪い。これはある程度仕方のないことで、エレキで音を歪ませるディストーションやアンプのゲインは結局のところ音のエッジを潰しているから、どうしてもアコースティックや同じエレキでもクリーン系のサウンドに比べると音と音の境目が不明瞭になる(クリーン系のサウンドでもコーラスとかを深くかけるとやはり音のエッジは不明瞭になる)。元々ある音が真剣の刃だとしたら、ロック系全般のザクザクしたサウンドは刃を敢えて刃こぼれさせたりのこぎりみたいにしたりして叩き斬ってるのと同じことで、そりゃ痛いかもしれないが切れ味は悪い。そんなんで音と音の境目、あるいは音と無音の境目がぼかされてしまうと、やはりリズムというのは活きてこない。エレキのギタリストの中にジャンゴ・ラインハルトやバーデンパウエルのようにただコードを弾いているだけでカッコいいというプレイヤーが出てこないのには、そういった物理的なハンデもあるのだろう。想像してみると、『花祭り』をディストーションを思い切り効かせたエレキで弾いてもカッコ悪い。ただし、元ブルーハーツの真島昌利だけはただコードを弾いているだけでカッコいい(爆)。

 昔から言っていることだが、音楽はダイナミズムだ。小さい音と大きい音、高い音と低い音、固い音と柔らかい音、音と無音、その他色々な相対要素が絡み合って音楽の感情が生まれる。イコールそのあらゆる面におけるダイナミズムの総和が表現力の可能性の外縁になる。その意味でディストーションをかけたエレキギターは音と音の間のダイナミズム、音と無音のダイナミズム、あるいは音量のダイナミズムに始めから物理的な制限が課せられている点で大きなハンデキャップを負っているとも言える。ふと思うと、エレキのプレイで「これは凄いグルーヴ感だ」と感心するのは大抵ディストーションの影響をほとんど受けない単音のリフやソロだ。マイケル・シェンカーの『Feels Like a Good Thing』『Into the Arena』、Blackmore's Nightの『Play Minstrel Play』など、すべて単音か、そもそもエレアコだ。大体エレキでグルーヴ感が凄いという褒め言葉自体確かにあまり聞かない。それよりはやはり長いサステインを活かした泣きのフレーズの方が主流だ。こちらは名演の列挙に暇がない。のでわざわざ挙げない。

 音と音、ないしは音と無音のダイナミズムを一番意識してした演奏家は、クラシックの世界では間違いなくグレン・グールドだろう。彼のスタッカート奏法は音を切っていたのではなく、リズムを切っていたというのが私の見解だ。実際、彼はただ闇雲にスタッカートを駆使していたわけではない(当然だが)。旋律の中で音の粒を際立たせるためのこともあれば、あるフレーズから次のフレーズ、あるリズムから次のリズムへ移る際の布石、フレージングとして使うことも、上下で同時に走る対位法の旋律を混じり合わないように分けるために使うこともあった。総じて、彼の演奏は対位法を切り出して一つ一つの旋律に注意を向けてみると旋律が旋律であると同時に一つのリズムセクションであるように思えてくる。旋律がリズムを踊るのである。グールドの演奏はそのように聴こえる。

 バッハの曲、特にその対位法の妙技が冴える曲を演奏するときは、「旋律が複数走る」ことにばかり演奏する方も聴く方も注意が向きがちになる。だが、対位法は確かに低音も高らかと旋律を歌ったりするが、そこからリズムが消えるわけではない。裏を返せば、対位法では高音もリズムパートとなりえる。それはつまり、旋律が自身のリズムさえも支えなければならないということを意味する。そこに気付かず、ただ複数の旋律が歌っているだけの対位法の演奏は文字通り音楽として死んでいる。旋律という音楽の美しい肢体は、リズムという血が通って初めて躍動する。基本的にこの原則に例外はない。だが、それを意識できている演奏家がどのくらいいるだろうか。

 夕暮れの電車の中、HelloweenをiPodで聴きながら、何となしに延々とそんなことを考えていた。

2005年5月29日日曜日

忙しい日々と五月病

 五月に入ってから"土日無気力症候群"的な状態が続いている。どうも土日になると色々なことをやる気がせずに、部屋でゴロゴロと本を読んだり昼寝したりして漫然と時を過ごしてしまうのだ。しかも本を読むといったって、それほど集中して読んでいるわけでもない。休養にはなるのかもしれないが、ひどく非生産的な過ごし方だ。まぁ常に生産的でなければいけないと強迫観念のように思い詰めるのもある種の現代病だと個人的には思っているので、その意味では健全なのかもしれないと思いつつ、いやでもやっぱりこの無気力ぶりはちょっと問題だなとも感じてしまう。何しろ用事を済ませなければならないときだって腰を上げるのにかなりの決意が必要なのだ。最近は平日が鬼のように忙しいから、その反動と言えばそうなのかもしれないが、この無気力加減のおかげで肉体的には休養できるのかもしれないが精神的にはフラットでややダウナー気味の休日が続いている。ストレスがたまりもしないが解消できもしない。ふうむ、軽く五月病だろうか。

 取引先の開発会社で、この一年半程一緒にやってきていた人がリタイアしたという知らせを聞いた。心が参ってしまったとのこと。リーダークラスでバリバリやっていた人で、実際私から見てもかなりハードな生活を強いられていた。休日に呼び出されて私服のまま出勤し、そのままずっと家に帰れずに会社で私服のまま10日間仕事をし続けたという伝説を持つ人だ。彼がその伝説を作ったちょうどその頃、私と仕事上の付き合いができて一緒にやるようになった。ただでさえそれほどの過酷な環境を耐え抜いてきた人が突然いなくなる。同じ職場の人によると本当に突然会社に来なくなり、連絡すら取れなくなったらしい。失踪後しばらく経ってやっと連絡が取れたと思ったら「今は何もやる気が起きない」と言ってそのまま正式に休職になったとか。突然だ。案外人の心なんて簡単に壊れる。どんなに強いと思っていた人でも。ちょっとしたきっかけがあれば、心の防波堤なんてあっという間に決壊する。この業界はやはりそんな話はよく聞く。自分も、気をつけないとなと、ふとそう思った。何となく、漠然と、危機感もなしに。

2005年5月25日水曜日

夢の一ヶ月休暇へ

 有給が34.5日もたまっているのに気がついた今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。34.5日!すげぇ、そんなに休めるんだ!・・・って、そんなに休めるんならこんなに有給たまんねぇんだよ、こんちくしょう!

2005年5月23日月曜日

ネタなし

 忙しい平日が続くと、次には何もネタにならない休日が待っている。そしてまた、忙しい平日が始まるのだろう。

2005年5月16日月曜日

納豆カレー

 納豆カレーを作ってみました。昼食に何を食べるかなぁと冷蔵庫を見てみると、今日が賞味期限の納豆が2パック。1つは夜に食べるとして、もう1つは昼に消費しなければなりません。そこでレトルトカレーと組み合わせて納豆カレーを作ることにしたのです。CoCo壱番屋等ではみかける納豆カレー、それも食べたことはありません。どんな味になるのやら、とりあえずはやってみます。

 まずはカレー選び。家の中にあるレトルトカレーから「味が濃くてよさそうだ」という理由でディナーカレーを選択します。そして納豆を開けて、「カラシはカレーには合わなさそうだなぁ」と思いカラシ抜きでタレだけで練ります。おいしく炊けたご飯の上にある程度均等に納豆を広げて盛りつけて、上からカレーをかけます。さぁ、納豆カレーの出来上がりです。そのお味は如何でしょうか?

 意外なことに、納豆自体の味はカレーがほとんど打ち消してしまっていてわかりません。で、納豆のあの糸の粘液っぽい食感だけがカレーに加味された形になって、そんなに違和感はありません。むしろ納豆のあの米を糸が包んでぬるっと崩れるような食感が好きな私は「おお、結構いいじゃない!?」と思ったくらいでした。ふむ、何事もまずはやってみるものです。さぁ、皆さんも作ってみては如何でしょうか?手間も予算も大してかかりませんよ?

2005年5月15日日曜日

高校時代

 高校の仲間と横浜で飲んできました。一人は正月以来、もう一人は三年ぶりくらいでしょうか。やはりなかなか懐かしいもので、ベタに言うなら積もる話などをしながら時を過ごしました。あの時誰が何をしたとか、今誰は何をしてるだとか、その手の話です。・・・現役のセンター試験の時、私が会場(新潟大学)の池から数十cm大の氷を取り上げてキャンパスにバンバン打ち付けながら高笑いをしていたということはすっかり自分では忘れていましたが(さらに言うなら友人Aが「やめろ、三高の恥だ!」と叫んだら友人Bが「バカ、学校名出すな!」と突っ込んだとか)。まぁ、色々あります(笑)。

 ふと思い出しました。高校から帰る自転車の道。片道25分はかかります。部活が終わって、三条市街を抜けたら静かな車もほとんど通らないような住宅街で、そこも抜けると両サイドに水田が広がる見晴らしのいい道に出ます。白く揺れる月を眺めて、D'ERLANGERの『MOON & THE MEMORIES』など口ずさみながら、何となく、何かが起こるのを期待しながら自転車をこいでいました。クルクルと転がすような小気味いい高さで合唱するアマガエルと、その間に低くうなるように間の手を入れるウシガエル、土手の上、やや遠くに聞こえる自動車のエンジン音。平和な田舎の帰り道。特別な何かなど未来永劫起こりえないようにすら思える程の、ひどく平凡な帰り道。その中を、何かが起こってくれたらいい、少し幸せになれるような、そんな何かが起こってくれたらいい、そう思いながら自転車を走らせていました。

 その"何か"が起こったのか起こらなかったのか、とにかく今私はここでこうして私としています。何となく、何かが起こらないかなと思いました。何か決まった結末を期待するのでなく、そう、漠然と「何か」です。自宅の部屋の中に入ってしまったら、もう何も起こりえないのはわかっています。だから、日吉の駅を降りて、用もなくTSUTAYAに寄ってみたり、コンビニでちょっと立ち読みして時間を潰してみたりして、"何か"が起こるのを待ってみました。結局、何も起こりません。コンビニで飲み物を買って、途中何人かを追い越して、一人二人に追い越され、二三人とすれ違い、自宅の前まで着きました。何だか前の寄宿舎からヴーンと中音域でうなるような妙な音が断続的に聞こえます。でも、それだけです。それ以上何も起きはしません。誰もいない、そしておそらく誰も見ていない道の上です。小高い丘の上、街の灯は遠くに見えます。マンションの門を開け、オートロックを解除して部屋に足を向けます。いつもよりも足音が響くように感じる階段を下りて、もう一年くらい電球が切れたままの自分の部屋の前の廊下に立ちます。一息ついて、鍵を開け、扉を開けて、体を中に入れます。そして、後ろ手に扉を閉めます。バタン。お終まいです。もう、何も起きません。もう、何も起きません。多分、それでよかったのでしょう。だからこそ現実というのは成り立っているのだから。

 期待するより現実がつまらないときは「そんなもんだよ」と言えばいい。予想できるより現実が、よくも悪くもドラマチックであるあるならば、「現実は小説よりも奇なり」と言えばいい。結局、ものは言いようだ。そのどちらの感覚も、高校時代は味合わせてくれた。そんなことを思い出した。僕らが高校時代を語る時、それはもう10年以上前のことなのだと、今さらながらそう気付いた。

2005年5月13日金曜日

風邪、しつこく

 GW最初の三連休を奪ってくれた風邪の後遺症がなかなか治ってくれません。咳、痰、鼻水・・・。素敵です。

2005年5月9日月曜日

GW in 新潟

 さてさてこのGWは6日に休み(しかも代休)を入れて6連休にし、久しぶりに仕事を忘れてのんびりと過ごしていました。新潟に帰って田植え真っ最中の水田の間を車で走り抜け、越後平野の向こう側に見える山を眺めてみたり、角田シーサイドラインを回ってやはり相変わらず黒く冷たい感じのする日本海を堪能し、信濃川を敢えて水上バスに乗って万代橋の下をくぐってみたり、朱鷺メッセで佐渡に沈む夕陽を拝んだりと、珍しく地元を遊び倒していました。

 先に「仕事を忘れて」と書きましたが、思えばこの休みの間は本当に久しぶりに仕事から解放されていたような気がします。いつもなら普通の土日はもちろん、盆だろうと正月だろうと一回はお客さんないしは会社から電話がかかってきたり、そうでなくても見て思わず気をもんでしまうようなメールが入っていたりするものなのですが、今回は珍しくそういうこともなく、一度も仕事の用事でノートPCを起動することすらなく、実に平和に休日が過ぎていきました。ここ二年程は休みを取っていても完全には仕事のことが頭から離れなくて、特に一人になった際や夜寝る前など、「時間があったらノートPC上げてあそこにメール出して、休み明けにはこれをして・・・」と意識していなくとも仕事のことを考えてしまう自分がいました。まぁよく言えば仕事を頑張ってるってことなのかもしれませんが、「これをやっとかないと大変なことになる」と常に頭の何処かで考えているわけで、それは会社から見たら「責任感が強い」ってことにもなるんでしょうが、個人的には正直ちょっとした強迫観念のようなものです。素直に休日を楽しめなかったりするのです。またその強迫観念を助長するように、大抵は嫌なメールや電話がかかってくるのですから尚更です。羽田から朝8時に出発する前日、深夜2時過ぎにお客さんに「休み明けに資料を送ります」とメールを出したら「そんなんじゃ遅い」と同じ深夜3時過ぎに返信が来て、朝6時の羽田直行バスの中と羽田空港の中でずっと資料を作って、(当時まだ会社のノートで使えるAirH"を持ってなかったので)目的地のインターネットカフェからメールしたこともありました。そんな調子ですから休みといえどもずっと気を張っている習慣がついてしまい、なかなか精神的に本当にリラックスするというのは休日でも難しかったのですが、今回は本当に久々にゆっくりできました。むしろ明日から無事に社会復帰できるのか、そちらの方が心配です(苦笑)。

2005年5月2日月曜日

科学常識テスト

 ayumです。微熱が、下がりません。
 ayumです。くしゃみが、咳に変わりました。
 ayumです。GW最初の三連休、ほとんど風邪で寝込んでいました。
 ayumです、ayumです、ayumです・・・。

 ・・・とまぁ某芸人のパクリから入った今日の日記ですが、私はやっぱり寝込んでいました。そしてちょっとだけ仕事の資料作成をしていました。まったく報われない三連休です。

 ところで、ネットでニュースを見ていたら、文部科学省が「日本の成人が身につけるべき科学技術リテラシー像」を策定するとの記事がありました。要は「日本で大人やるんだったらこのくらいは常識として知ってんだろうな、コラ!?」という基準を作るというわけです。まぁ別に声を上げて賛成や反対をする程の大したことではありませんが、その中で国別に科学常識を測るのに使われたテストが載っていて、それが地味に面白かったのです(ちなみにテスト結果、日本は正答率54%で13位)。以下にその全11問をご紹介しましょう。○×解答式です。さぁ皆さんもご一緒に。

〈1〉 地球の中心部は非常に高温
→はい、マントル、核はとても熱いですよー。

〈2〉 すべての放射能は人工的に作られた
→ウラン系列やトリウム系列、カリウム-40等、天然放射性核種と呼ばれる地球創世記からある放射性元素はたくさんあります。

〈3〉 我々が呼吸に使う酸素は植物から作られた
→微妙っちゃ微妙な問いかけですが、どうやら文科省的には「酸素は光合成によって作られる」と言いたいようです。一応進化論的にもまず植物が光合成で酸素を作ってからそれを使って呼吸する生命体が生まれたということにはなっていますが・・・。

〈4〉 赤ちゃんが男の子になるか女の子になるかを決めるのは父親の遺伝子
→はい。男女の決定は受精時に結合した精子の染色体がY染色体を持つかどうかで決まるので、遺伝的な性の決定権は父親が持ちます。ここで「染色体は遺伝子じゃないんじゃ?」と思ったら、それは間違いです。染色体は結局遺伝子の集合体なのですから。

〈5〉 レーザーは音波を集中することで得られる
→レーザーは光線です。音をいくら集中させても光にはなりません。まぁガメラの超音波メスくらいならできるかもしれないですが(?)。そしたらレーザーメスと違って火災の危険がなくて安全かも!?

〈6〉 電子の大きさは原子よりも小さい
→はい。

〈7〉 抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す
→抗生物質はウイルスは殺しません!よく「抗生物質は何にでも効く」と思っている人がいますが、それは大きな間違いです。抗生物質が殺すのはいわゆる細菌だけで、ウイルスや真菌、クラミジアやマイコプラズマには効果がありません(ただし抗菌スペクトルの広い系統の抗生剤にはクラミジアやマイコプラズマに有効なものもある)。つまり基本的にウイルス性疾患である風邪には抗生物質は効きません!風邪の二次感染に対して効果があるだけです(咳なんかはこの二次感染が原因)。

〈8〉 大陸は何万年もかけて移動しており、これからも移動するだろう
→はい。だから地震が起こるんです。

〈9〉 現在の人類は、原始的な動物種から進化した
→はい。

〈10〉 ごく初期の人類は、恐竜と同時代に生きていた
→いいえ。

〈11〉 放射能に汚染された牛乳は沸騰させれば安全
・・・無茶ゆーな!放射能がそんなにお手軽に除去できたら宇宙戦艦ヤマトも何もイスカンダルくんだりまで放射能除去装置を取りになんて行きません!この問いに胸を張って○と答えるヤツぁきっと米を洗剤で洗ったり、濡れて帰ってきたネコを電子レンジで乾かそうとしたりするんだろうなー・・・。

 ・・・最後の問いがオチにしか思えないのは私だけでしょうか・・・?

2005年4月30日土曜日

ベルギー象徴派展

 GW初日の今日、私は午後から元気に仕事してました(爆)。しかも何だかやたらに鼻炎が酷く、鼻水とくしゃみに耐えられなくなって朝目が覚めたほど。手持ちの抗ヒスタミン剤は飲んだものの、結局今日一日で箱ティッシュ1つ丸ごと使い切るくらい鼻かみました・・・。

 そんな中仕事を無理矢理夕方に切り上げた私は、『GW企画・たまには渋谷を楽しもう』と、一人文化村へ向かいました。目指すはBunkamura ザ・ミュージアム、『ベルギー象徴派展』です。例によって普段は絵画に興味をほとんど持たない私ですが、電車で吊り革広告を見て以来ずっと地味に気になっていたのです。フェルナン・クノップフやフェリシアン・ロップス等、ベルギー象徴派の幻想的・耽美的な世界に浸ってみるのも悪くなかろうと行ってみたわけです。

 ひどく鼻がぐすぐすする中、ゆっくり一時間ちょっとかけて見て回ったわけですが、その中でも印象に残ったのを列挙していくと、まずはロップスの魔性の女達。『毒麦を蒔く魔王』、『略奪』、『偶像』、『生贄』、『磔刑』の5つの作品からなる、非常に暗く、悪魔崇拝主義的な連作です。リトグラフの細かい線が暗闇の濃淡だけで情景を浮かび上がらせるようなこの作品は小さい枠の中に描かれたものでありながら妙な力を持っていました。次はレオン・フレデリックの『祝福を与える人』。紫色の法衣をまとった老人が祈りを捧げている姿が59×59cmのキャンパス一杯に描かれている、言ってしまえばただそれだけの絵なのですが、何に驚いたかってその凄まじい生々しさです。遠くから見たときは「写真か?」と思ったくらいです。このレオン・フレデリックという人は写実的な作風で知られるそうですが、写実的とかそういうレベルじゃないだろうと思いましたとさ。

 そしてベルギー象徴派の要であるフェルナン・クノップフです。まず最初に幻想的な作品ではなく、非常に写実的な風景画を観たのですが、これがかなりよかった。『ブリュージュの思い出-ベギン会修道院の入り口』や『フランドルの思い出-運河』、『ブリュージュ-教会またはブリュージュの聖母教会の内部』など、淡い色合いで鉛筆やパステルを用いて描かれたこれらの風景画は、まるでその場所から風景を時間ごと切り取って持ってきたような非常に静かな叙情性を持っていて、観ていて哀愁すら感じてしまうような美しいものでした。またこれらの作品群は水面が非常にきれいに描かれているのです。この水面を描くために他の風景画存在していると言ってもいいくらい、水面に映り込んだ反射する景色が美しい。私が作曲家だったら、これらの風景画に1つずつ曲を付けていきたいなと思いました。静かで、音数が少なく、暖かみはあるのだけれどそれでいて寂しさも漂うようなそんな小品達を。そしてもう1つクノップフの作品で気に入ったのが『メリザンド』という女性のポートレート調の作品。これはベルギー象徴派の詩人・戯曲家であるモーリス・マーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』を下敷きにして描かれた作品で、柔らかい光の中で少しもの憂げに目を伏せるヒロイン・メリザンドが描かれています。森の奥深くの泉の傍で泣いているところを王子ゴローに見つけられてめとられ、その夫の弟ペレアスをも惹きつけていく謎の美女メリザンド。その幻想的な恋愛悲劇はドビュッシーやフォーレ、シェーンベルグらが音楽を付けているとのこと。これはその他の幻想的な作品と違い、上記の風景画と同じように色鉛筆やパステルで描かれた淡く優しい風合いのものです。どうやら私は幻想的にきらびやかな作品よりこういった柔らかく控えめな作品の方が好きなようです。

 そしてその後はブックファーストに行ってロップスが挿絵を描いた小説『悪魔のような女達』を購入し、一蘭でラーメンを食べて帰宅したとのことです。ふう。

2005年4月29日金曜日

やれやれなGW宵の口

 20時からの客先作業を21時半に終え、新宿から渋谷まで帰ってきたのが22時過ぎ。さて、東横線に乗り換えて帰宅しますかという時に、さっきまで作業していたお客さんから電話が入りました。

「あの~、一点おうかがいしたい点があるんですけど、今からもう一度来ていただくことは可能でしょうか・・・?」

 そしてその後泣く泣く新宿にとんぼ返りして、あまつさえさらに帰りに超級の週末満員酔っぱらい電車に巻き込まれたGWへの宵の口、皆さん如何お過ごしでしょうか。おかげで私は部屋でクリムゾン・キングを聴きながら一人ウィスキーをあおってます。『21世紀の精神異常者』とか『epitaph』とか『クリンムゾン・キングの宮殿』とか、素敵に気分をダークにしてくれます。いやー、シュールだ。

2005年4月27日水曜日

2005年4月18日月曜日

映画『トニー滝谷』を観て

 ちょうど一週間前のことになる。福岡の小さな単館系の映画館で『トニー滝谷』を観た。村上春樹原作で短編集『レキシントンの幽霊』中に収められている、村上春樹らしい欠落と喪失の物語。湿っぽくなりすぎない乾いた孤独感が作品を通して流れる、静かな、短編としてもあまりに静かな物語。

 少し肌寒い春の小雨の中、傘をさして映画館の前まで辿り着くと、地下に続く小さなライブハウスのような暗い照明の階段の入り口の前には意外や行列ができあがっていた。どうやら主演のイッセー尾形が舞台挨拶をする公演にまんまとぶち当ってしまったらしい。それでもせっかく来たのだからと、整理券を手にして湿っぽい階段で会場を待つ。70人がやっと入れるくらいの小さな箱。イッセー尾形がどんな舞台挨拶をしたのか、実はよく覚えていないのだけど、村上春樹は長編小説の映画化には絶対首を縦に振らないが、短編小説はその限りではないということでこの映画化が実現したという話だけはよく覚えている。立命館の学生会館小ホールよりまだ狭いくらいの距離の近い空間。幕の閉じたスクリーンの前に立つイッセー尾形は、舞台挨拶という場面になれていなくて空気がつかめず戸惑っているような印象も受けた。

 この『トニー滝谷』という映画は台詞やアクションを主体として進んで行く一般的な映画やドラマとは違い、ナレーションとモノローグ、そして場面転換で話が進んで行く。この映画において、空間は移動するものではなく切り替わるものとして扱われているようだ。そう、まるで舞台演劇のように。実際そのようにしてほとんどのシーンがステージ上で撮影されたらしい。そしてその切り取られた空間の中では会話すらほとんどなく、基本的にナレーションとモノローグだけで構成されていく。だからただでさえ静かな話が余計に静かに演出される。映画を観ているというより写真を眺めているような感覚。動きはあるのだけど静止した世界。カラーの映画なのにモノクロな詩情を感じさせるその絵は、村上春樹らしい現実感と浮遊感の狭間をよく表していたように思う。静かで、乾いた、モノクロの情感と孤独。坂本龍一の音楽が、さらに空間を透明で、隙間のあいた感覚にさせてくれる。映画館に足を踏み入れるまで傘越しに打たれていた少し肌寒い春の小雨が、この映画にはこの上なくマッチしていたように思う。映画の最後、トニー滝谷は電話をかける。それは原作にはなく、監督が村上春樹と相談の上で新たに付け加えた場面らしい。誰かに向かい、鳴り続け、おかれる電話。『ノルウェイの森』のラストを思い出した。

 改めて『トニー滝谷』の原作を読み返そうと思って『レキシントンの幽霊』を探したけれど、何故だかどうしても見つからない。誰かに貸したままになっているのか、実家にでも送ってしまったのか。とりあえず文庫も今は出ていることだし、明日にでも買ってもう一度読み返してみたいと思っている。

2005年4月17日日曜日

昼食と忙しさ

 先程珍しくTVでニュースを見ていたら大阪市長が記者会見に出席しなかった理由を記者に問われて、「年度末は昼食もとれないほど忙しいからね」と応えていましたが、ふむ、昼食を取れないことくらいは別に年度末でなくても日常茶飯事、それくらいで忙しいと言ってほしくはないなと思ったayum@金曜夜は客先徹夜作業で朝7時前帰宅(出社は10時だった)です。ホントにねぇ、「昼飯食えないくらい週に1、2日くらいはあるだろ、普通」と思うのはきっと職業病だとは自覚しているのですが。まぁ何にせよ、こと仕事という面において忙しさが言い訳になると思っているのは社会人としてのプロ意識が甘いことの現れ。大阪市長もレベルが知れます。忙しいのはわかるけど、あなたの立場にはそれだけの仕事と責任があるのです。それができずに仕事が粗くなるというのであれば、それは現状の仕事と責任に対して自分の力が追いついていないということ。すなわち、忙しいということを理由にするということは「自分は仕事ができません」と公言しているようなもの。それがわかってるんでしょうか。そんなんでよくこれまで社会人として仕事やってこれたもんだと、逆にそのことに感心してしまいましたとさ。しかも市長ですよ、オイ。ん~・・・。

2005年4月13日水曜日

ある日、吉野家にて

 会社の帰りに吉野家に食事を取りに行きました。店に入り、空いた席に座って注文をします。ふと隣を見ると、30代半ばくらいのスーツ姿の会社員(推定)が両肘をカウンターについてうなだれるように座っています。目の前にあるカレー丼にもほとんど手を付けていません。がっくりと首をたれています。・・・疲れてるんだな、と思ってPHSのメールをチェックとかしながら食事が運ばれるのを待っていると、今度は奇怪な音が聞こえてきます。やや詰まり気味の水道が大量の水を半ば無理矢理引きずり込んで行くときのような、鈍くいびつなズズズッ、という音。・・・?最初は何の音かわかりませんでした。そしてまた聞こえてきます。そしてまた。ズズズッ・・・、ズズズッ・・・、ズズズッ・・・。何だろうと辺りを見回して、再び隣でうなだれていた会社員(推定)に目をやった時、私はすべてを悟りました。

 ・・・寝てやがります!この会社員(推定)、こともあろうにこの回転の速い吉野家で、夜の11時過ぎに、カウンターで堂々と、目の前にあるカレー丼にもほとんど手をつけずに、とどめとばかりにいびきまでたてて、見事に寝てやがるのです!・・・やられました。そう来るとは思いませんでした。想定の範囲外です。なんというか、・・・そんなに疲れてたんでしょうか・・・。

2005年4月8日金曜日

そう、もう、また、春

 桜咲く。桜咲く。少し変わったものが食べたくて、普段行かない通りで昼を食べた。帰りに通りがかった小さな公園の真ん中で、思いがけず咲いた桜が数本。まだ七分咲き。昼の静けさ。ビルの谷間からさす陽の光が、木漏れ日のように桜に注ぐ。木の下でまたもう一つ、木漏れ日の孫が土を照らす。不意にまどろんだ春の静謐。渋谷も時に空気を止める。雑踏を遥か遠くに押しやる。すっと浮かび上がった淡い平穏。春が来たことに、やっと気付いた。そう、もう、また・・・。桜咲く。桜咲く。

2005年4月6日水曜日

大卒のあどけなさ

 新入社員の顔を見て「ああ、幼いなぁ」と思ってしまう今日この頃。大卒ってあんなにあどけないものでしたっけ?であれば、自分も入社当時はやはりあんなにあどけない表情をしていたのでしょうか。そして今は、新入社員達の目に私はどう映るのでしょう?ん~・・・。

2005年4月4日月曜日

一期一会

 世の中いつ何が起こるかなんてわからない。一期一会という言葉の意味の真の重さに気付くのは、いつも何かが起こってしまった後の祭りだ。

2005年4月3日日曜日

2005年度抱負

 気付けば4月、もう年度も変わっています。なんと私もとうとう社会人生活5年目に突入というわけです。なんかついこの間入社したばかりのような気もするんですが。ウチの会社もとうとうこの4月に大阪証券取引所のヘラクレスに株式上場が決まり、社内の空気も何だか少々例年に比べてざわついているような印象も受けます。まぁ何はともあれ会社は会社、私は私です。新年度を迎えるに当り、この2005年度はどうしようかと少し考えてみました。

 やっと昨日を最後に一旦忙しさのピークを乗り切った感があるとはいえ、昨年度はとくに第3~4クォーターにかけて、文字通り殺人的な忙しさにすべてを持っていかれたというのが正直なところ。おかげでプライベートを楽しむどころか休息や本を読む時間すらなくなってしまいました。それだけに止まらず、あまりの忙しさが一つ一つの仕事すら粗くしてしまっていた場合すらありました。これは個人的にも会社的にも当然いい状態ではありません。粗い仕事が不備を招き、さらに忙しさが加速していく悪循環に一歩間違ったら陥ってしまいます。とりあえず、まずはこの状況を打破することから始めなければ他に何をやるにも前提条件が整いません。何かをやるには、ともあれそれをやるだけの時間が必要なのです。

 この日記では仕事のことはあまり書きたくないので詳細は触れませんが、今年度の最初の課題は「チームをうまく機能させること」かなと思っています。一人の司令塔がすべてを取りまとめるピラミッド型の体制から、うまく2ndアドミンを育ててネットワーク分散的にある程度の独立ユニットで仕事をこなせる体制へ移行していかなければならないのかなと。とかまぁ色々と考えてみたりするわけですが、仕事の話は(書きたい気もするけど)書きたくないので今日はここまで。とりあえず、今年は今まで以上の仕事をこなしつつなおかつ生活に、人生にゆとりを出すためにまずは自分のチームの体質改善から入っていこうというのが抱負ですと述べて、新年度の挨拶と代えさせていただきます(?)。

2005年3月30日水曜日

期末はやはり忙しい

 毎度のことながら年度末というのはなかなか素敵に忙しい。土曜も深夜2時半まで仕事をしていたし、日曜も出社で夜まで仕事、昨日は客先からタクシーで深夜2時前に帰宅して、それから夕飯をとってそのまま朝4時半くらいまで家で仕事をしていた。今日も朝にチオビタを一本きめて、休む間もなくお仕事でした。歯医者もすっぽかしたしAmazonからの荷物も受け取れてません。せめて夜9時には家に帰れるくらいのゆとりある生活をしたいものです。

2005年3月26日土曜日

弦楽四重奏版『フーガの技法』

 バッハの晩年の名作にして未完の大作『フーガの技法』。数ある録音の中で、一番好きなのはこのエマーソン弦楽四重奏団による弦楽四重奏版だ。この演奏が曲が持つ深みや孤独を一番真摯に伝えてくれる。楽器編成も諸説あるこの曲、バッハが意図した編成が弦楽四重奏であることはないだろうけど。

2005年3月22日火曜日

ヴィラ=ロボス『エチュード1番』考

 先日きよがウチに来た際にヴィラ=ロボスのエチュード1番のアルペジオをpとiだけで弾くってのをやってました。聞くと、藤井敬吾先生が「セゴビアが付けた(んだろう)運指ではこう(pipipmiamaimpipi)だけど、作曲家としては多分こう(pipipipipipipipi)だったんじゃないかな?ほーら、一弦飛ばし、作曲家っぽいでしょ?」とのたまっておられたとのこと。で、やってみたわけですが、うん、確かにこれはこれできれいなパターンを形作る運指だし、言われりゃなるほど作曲家っぽい。ブローウェルとかがやりそうな感じです。やりそうというか、『舞踏礼賛』なんかはこのテの運指のオンパレードです。エチュード1番をひたすらpiだけで弾きながら、「う~ん、この運指が作曲家の意図だったのかなぁ?」などと思っていたわけです。でも右手の運指がここまで変わると、はっきり言ってエチュードの目的が大分変わってきますよね(爆)。アルペジオの練習としてはセゴビア(推定)運指のpipipmiamaimpipiの方が基本に忠実で効果的だと思うし、pipipipipipipipiの方は右手の縦移動とpi連打の練習、・・・なのでしょうか?・・・ま、どっちでも弾けりゃいいってことでしょう。

 でもpiだけでずっと弾き続けてると、例のディミニッシュコードでひたすら1ポジションずつ下がってきて最後Emのコードから解放を交えて12フレットまで跳躍していくヤマ場のところで右手の運指がpの連打を余儀なくされて無理が出てくるので、なんか多分この説は違うような気はしてます・・・。ま、違う練習にはなるかな。

2005年3月21日月曜日

時間が過ぎ去る現代

 時間、特に未来という概念はある程度進んだ文明に固有の概念らしい。その説を本で読んだとき、非常に意外な気がしたのと同時に、妙に納得もできた。なるほどなと。

 現在でも、一部の未開文明では言語自体に未来を意味する言葉がないし、明確な時間基準というものもなかったりする。そういったところでは、時間を表すのに「牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す時間」や「山羊や羊の搾乳の時間」といったような言葉を使う。「○○時に牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す」のではなく、「牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す時間」なのだ。日常の具体的な習慣に基づいた、具象的で汎用性に欠ける時間表減。抽象的な目盛りとしての時間はそこにはない。そもそもは、それで充分だった。人間が一つの小さな集落の中で、牧畜なり農耕なり狩猟なりのみを生業にして、他の部族との交流すらほとんどなく一つの小さな世界の中で全てが完結している原初の文明では「牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す時間」という言葉だけで用をなせたわけだ。それが他の部族と交流を持つようになってきて世界が広がってくると、例えば待ち合わせの時間を決めるのに「牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す時間」ではお互い通用しなくなってくる。片方の部族が「牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す時間」は、もう片方の部族にとって「鶏小屋を掃除している時間」かもしれない。そこで初めて汎用的に使える、抽象的な「時間」という概念が必要になってくる。そのようにして「時間」は生まれた。つまり、「時間」は元々文明の規模的発展が生んだ差異、多様性の中で必要とされて生まれてきたものなのだ。

 それだけなら別に悪いことのようには思えない。「時間」という目盛りが増えただけのこと。けれど話は実はそう単純ではなかった。抽象化された時間は、二義的に個と土着の文明との乖離を助長する。「牛舎から家畜囲いへ牛を連れ出す時間」だけで済んでいたうちは、日々はただ繰り返されるものであり、農耕のスパンである一年以上の未来を気にすることも表現することもなく、人と暮らしと土地は非常に密接な関係で結びついていた。個と社会、文明が完全に固定された世界ができあがっていた。自然も人も毎日も、すべて繰り返しの中にいるなら個が浮くことはない。アイデンティティの喪失など問題になることもない。ところが文明が広がり、多様性が生まれ、差異が拡大してくると、時間はただ繰り返すものではなく、流れていくものに変わっていく。流れ、過ぎ去っていくもの。それは実は記録可能な目盛りとしての役割を果たす抽象的な時間という概念と、流れを生み出すほどの文明的多様性の存在によって初めて生まれる概念だ。繰り返し、過去が蓄積する、あるいは過去が再生すると考えられていた時間から、流れ、過ぎ去っていく時間へ。文明の広がりが見せた多様性は、そうした悲劇的な時間感覚を生み、密だった文明から切り離された個はアイデンティティを小さな個自身の中に求めていかなくてはならなくなる。それはよかったのか悪かったのか。

 すべてが繰り返すのなら、未来を見通す必要などなかった。「このままでいる」からだ。10年後も、50年後も。自分が死んでも、また次の世代が同じことを繰り返すだろう。ところが抽象的な時間を必要とするまでに発展した文明は、同時に未来も必要とした。もう時間は繰り返さないし再生しないからだ。多様性と差異の荒海で、10年後どころか5年後も確実なものは何もわからないようになった。不確かな未来は、個のアイデンティティの基盤を脆くしていく。流れ、過ぎ去る時間は何も残していってくれはしない。だから未来を見なければいけなくなる。未来はある種、現在や過去から切り離された足場の弱い個が夢見なければならない幻想として始まった。

 矛盾した言い方ではあるけれど、時間が流れ始めてからもう随分と時間が経っている。進む多様化は、さらに個を社会から切り離すし、過ぎ去っていく時間はいよいよもって何も残してもくれないし持っていってもくれない。多様化が進めば進むほど時の流れは速くなっていき、個は未来が見えにくくなる。そしてそうなればそうなるほど、過去が繰り返し再生することは多様化にかき消されてなくなっていき、より一層時間は何も残さず流れるようになる。消えていく過去にはすがれないから、結局未来を夢見るしかないけれど、その未来はもう見えない。時の流れの悪循環。抽象的な時間がただ流れていくだけの世界。現代ではもう個はボロボロになって悲鳴を上げているようにも思える。

 果たして暮らしに根付いた具象的な時間を取り戻すことは可能なのだろうか。

2005年3月14日月曜日

2005年3月11日金曜日

晴れの舞台

 久しぶりに学生時代の写真なんか眺めてみてふっと思ったのですが、社会人になって仕事をやってると実は意外と「晴れの舞台」ってないものです。いや、もちろん仕事の区切りというものはありますし、ある程度大きなシステムのカットオーバーを無事に済ませるとそれなりの充実感や打ち上げなんかもあったりしますが、なんというか「晴れの舞台」ってないのです。定演の写真とか見てるとまぁ、文字通りの「晴れの舞台」で、そこに向かって積み上げてきたものをちょっとおめかししたりなんかして人前で発表して写真に写って。社会人になって舞台は学生時代よりずっと広くなったはずだし実際そうなのに、何故か「晴れの」という気があまりしないのです。単純に写真を撮らないから?オーディエンスがいないから?うん、そうなのかもしれません。見えないところでシステムを使ってくれているユーザーより、直接目の前で演奏を聴いてくれる観客の方がわかりやすい。人の目を意識することで「晴れの」という感覚が生まれてくる。よくも悪くもです。それは逆説的には、私はステージでギターを弾いているときほどにはシステムを使うユーザーのことを意識していないということでもあるのです。まったく無礼な話。結局は自意識の問題でしょうか。

2005年3月7日月曜日

菱娘

 色々なことがあったような、でも何もなかったような、そんな不思議な気はするけれど、とりあえず『菱娘』は確かに凄くスッキリしてて飲みやすいことこの上ない焼酎でした。後味にほんのり澱粉の甘みが残って余韻が続くのがミソ。それがまた決してくどくはないのです。菱って何かすら、知らなかったのですが。

2005年3月3日木曜日

間違ってるけど

 電車があるうちに帰れると「今日は早いな」とウキウキできるようになってきました。

2005年2月28日月曜日

求む、ストレス解消法

 ここ三ヶ月ほどのばかげた忙しさの中、私の中では疲れとストレスの解消というのが1つの大きな課題となっています。過労で倒れたりでもしたら嫌ですし、何より休んでも仕事が減るわけではないので復帰後にさらに忙しくなるのが目に見えています。といってこれだけ忙しいとさすがにストレスもたまってくるので、それをいかにうまく解消していくかというのが非常に大事になってくるわけです。

 そんな中で「近場に温泉でもあると嬉しいなー」と思って探して見つけたのが綱島温泉で、これはわずか一駅隣の駅なのに非常にいいお湯で、先週の日曜に初めて行ってから火曜の代休、そして昨日と足しげく通い詰めるかなりの当たりでした。いやー、いい湯なんですって。おかげで首のコリも大分取れました。火曜も土曜も徹夜明けで行ったのですが(苦笑)、なかなかほっこりと疲れを癒してくれます。風呂上がりに殺人的に眠くなるのですが(笑)。あとはおいしいウイスキーや焼酎を軽く飲んでみたり、ちょっとハーブティーにも手を出してみたり、これらは私の中ではアロマテラピーの一種ということになってます。どうやって疲れを取ってストレスを解消するか。いい方法があったら教えてください。

2005年2月23日水曜日

疲れをリセットせよ

 今日はいい加減疲れもたまっていたところなので一日代休を取り、「とにかく休み、リフレッシュすること」を目標にのんびりと過ごしていました。「気が向かないことは一切やらない」がコンセプトです。さて、どんな休日だったのでしょうか。

 まずは前日、深夜にタクシーにて帰宅した私はおいしいウィスキーを軽く二杯ほど飲んで午前3時頃に眠りにつきます。そして11時くらいに何となく目覚め、軽くインターネットニュース等をチェックしながらぼーっと一時間くらいを過ごします。そして着替えて近くのスパゲッティ屋に昼食を取りにいきます。ここは母子(推定)で営業している店で値段は少しばかり高いものの、静かな雰囲気とアルデンテにこだわったパスタ、そして飽きのこない上品な味付けがお気に入りなのです。割とゆっくり本を読みながら食事をしたい休日に訪れるこの店で、今回ものんびりと本を読みながら、店内に寝転がる盲導犬を眺めながら食事をしていました。

 そして日吉から東横線で一駅、綱島駅前にある綱島温泉東京園に出かけます。この綱島温泉、施設はボロくて安っぽくて、腐ったSPAのようないかんともしがたいシュールな様相を呈していますが、湯は天然の黒湯が沸くラジウム泉でかなりよいのです。最近首のコリが深刻な私は、この綱島温泉の黒湯でじっくり温まって湯治を試みたとのことです。大分楽になりましたよ。いやー、その気になれば自転車でも行けるくらいの近場にこんな天然温泉があるとはいいことです。そしてそのまま休憩所に足を運び大音量の演歌が流れる中お年寄りに混じって昼間から一人ビールをチビチビやりつつ本を読んで過ごしていたとのことです。

 そして夕方からは現在妻子を福島に残して東京に単身赴任中のmachakicと牛角に焼き肉を食べに出かけます。今日は牛角がキャンペーン中で安いのです。そもそも焼き肉なんぞ行ったの自体かなり久しぶりでしたが、まぁやはりおいしいものです。そして肉率を上げた後はmachakic恒例二人でスプリントカラオケへ。machakicと私がカラオケいに行くと、基本的に順番に歌うなんておとなしいことはしません。とにかく曲を入れて、全部二人で同時に歌う!そりゃ疲れます。だからスプリントなんです。今日は一時間ポッキリでした。歌ったのはSIAM SHADE3曲、黒夢4曲、Luna Sea2曲、そしてポルノグラフィティとケミストリーが1曲ずつ。ケミストリーはともかくとして、バンド名だけで想像がつく実に激しい組み合わせです(爆)。いやー、疲れました。最後は腹筋ピクピクしてました(苦笑)。んー、でもストレスも相当な勢いで吹っ飛んでいきましたが。やっぱストレス解消には大声出して歌う(叫ぶ?)のが一番です。

 というわけで今日一日で睡眠・温泉・焼き肉・カラオケと随分リフレッシュしてしまいました(笑)。やっぱ気分転換って重要ですよね。明日からまた頑張れそうです。

2005年2月21日月曜日

疲労蓄積

 やはり金曜も徹夜で朝7時過ぎまで仕事、その後ちょっと寝てまた土曜日14時半から仕事という生活のせいか、疲労がたまってなかなかまとまった日記を書く気力がありません。今日もせっかく書きかけたバレンボイムのコンサートレポートを志半ばにして別途保存し、日記を短く切り上げ寝てしまいたいという欲望に勝てませんでした。あー、そろそろ代休取ろっかなー・・・。

2005年2月14日月曜日

時を超えるシンギング・バード

 嵯峨嵐山のオルゴール博物館では、100年以上も前の職人の手によって作られた実に精巧かつ美しいオルゴールの数々を見ることができます。学生時代から好きで何回も通っているのですが、行く度に感動したり何かを思ったりして帰ってくる、京都の中でもかなりお薦めのスポットです。職人の技や心意気というものの凄さがわかります。オルゴールの板面に施された象嵌細工1つとって見ても、その道の職人さんがオルゴール博物館を訪れた際に箱の前で腕を組んで、「これは今の職人では作れないなぁ」と呟くほど精巧にできているのです。そしてオルゴール自体も、シャーペンの新より細い軸をわずか数ミリの歯櫛の間に全て手で差し込んで、それをほんの1ミリ足らず動かすだけで曲の切り替えができるような、そんな仕組みをそれこそ年単位の時間をかけて作り上げるわけです。そこまで細かい作業は現在の工業技術やコンピュータ技術を駆使しても再現不可能で、職人の手でしか作り得ないものなのだそうです。オルゴール博物館の館長さんはこう仰っていました。

「この100年で技術も格段に進歩してコンピュータで何でもできるようになってきて、現代人はそれを使って何でもできるような気になっていますけれど、実はこの100年で失われてしまったものというのもたくさんあるんです」、と。

 オルゴール技術の延長線上である自動人形オートマタの一種にシンギング・バードというものがあります。本物の鳥の剥製を使って作る、本物の鳥の鳴き声を再現したオルゴールです。茂みの中をさえずりながら飛び回る姿は本物のそれと比べても遜色ないほどよくできていて、その観察眼と技術力には敬服するばかりです。オルゴール博物館に展示されているシンギング・バードは制作後100年以上を経過しているにも関わらず、非常に美しく剥製自体の色が残っていて、それがさらにその作品の自然さ、完成度を高めているわけですが、館長さん曰くそれも決して偶然ではないのだとか。このシンギング・バードを作るとある職人さんは、剥製になってから50年以上経過したものしか作品に使わなかったそうなのです。何でも50年経っても色落ちしない剥製は、その後も色落ちしないんだとか。

「それはもう100年を経過したこの作品が自ずから証明してくれています。それだけ長い目で見て作品を作っていたんですね」

 今の世の中、それほど長い目で何かを作っている人、それほど長い目で何かを考えている人なんてどれほどいるのでしょう。今後の100年のために、まず50年を試す。回転の早い現代資本主義社会のペースに慣れてしまって、その中に浸かってしまっているせいか、とても気が遠くなるような話に思えました。そう、気が遠くなります。本当に何かを作り、残していくためには、そこまで考えないといけない。そこまでしないといけない。時の流れを試せるのは、結局時の流れでしかないのです。当たり前と言えば当たり前。けれど、それは今の社会にあっては思い出さなければ気付かない、忘れ去られてしまった感覚ではないでしょうか。今も美しくさえずり続ける、シンギング・バードが教えてくれることは多いように思います。