2005年5月30日月曜日

Helloweenからバッハまで

 今日は日中少しばかり出社して資料作り。とはいっても日が落ちる前には帰宅するのだけれど、帰りの電車の中で夕陽の光を眺めながら、iPodで久しぶりにHelloweenの『Keeper of the Seven Keys, Pt. 2』を聴いた。やはりこの頃のHelloweenは最強にカッコいいと相変わらずたまに聴く度思うのだけれど、実は以前から少しばかり気になっていることがある。『Eagle Fly Free』、もの凄くカッコいい。カッコいいんだけど、・・・やっぱドラムとボーカルちょっとずれてんだよなー・・・。インゴがねー、この曲に限らず少し走っちゃう場面があるんだよねー・・・。『Rise and Fall』もテンポアップやアッチェランドを意識してやってたりもするけど、それ以上に走ってる部分が・・・。聴いてて気持ち悪いのです。気持ち悪いけど、気持ち悪いけど、でも何故かカッコいいのがこの頃のHelloween。得体の知れないパワーが満ちていて素敵です。

 しかしエレキギターのバッキングって何というか、非常にリズム感が悪いというかグルーヴ感が悪い。これはある程度仕方のないことで、エレキで音を歪ませるディストーションやアンプのゲインは結局のところ音のエッジを潰しているから、どうしてもアコースティックや同じエレキでもクリーン系のサウンドに比べると音と音の境目が不明瞭になる(クリーン系のサウンドでもコーラスとかを深くかけるとやはり音のエッジは不明瞭になる)。元々ある音が真剣の刃だとしたら、ロック系全般のザクザクしたサウンドは刃を敢えて刃こぼれさせたりのこぎりみたいにしたりして叩き斬ってるのと同じことで、そりゃ痛いかもしれないが切れ味は悪い。そんなんで音と音の境目、あるいは音と無音の境目がぼかされてしまうと、やはりリズムというのは活きてこない。エレキのギタリストの中にジャンゴ・ラインハルトやバーデンパウエルのようにただコードを弾いているだけでカッコいいというプレイヤーが出てこないのには、そういった物理的なハンデもあるのだろう。想像してみると、『花祭り』をディストーションを思い切り効かせたエレキで弾いてもカッコ悪い。ただし、元ブルーハーツの真島昌利だけはただコードを弾いているだけでカッコいい(爆)。

 昔から言っていることだが、音楽はダイナミズムだ。小さい音と大きい音、高い音と低い音、固い音と柔らかい音、音と無音、その他色々な相対要素が絡み合って音楽の感情が生まれる。イコールそのあらゆる面におけるダイナミズムの総和が表現力の可能性の外縁になる。その意味でディストーションをかけたエレキギターは音と音の間のダイナミズム、音と無音のダイナミズム、あるいは音量のダイナミズムに始めから物理的な制限が課せられている点で大きなハンデキャップを負っているとも言える。ふと思うと、エレキのプレイで「これは凄いグルーヴ感だ」と感心するのは大抵ディストーションの影響をほとんど受けない単音のリフやソロだ。マイケル・シェンカーの『Feels Like a Good Thing』『Into the Arena』、Blackmore's Nightの『Play Minstrel Play』など、すべて単音か、そもそもエレアコだ。大体エレキでグルーヴ感が凄いという褒め言葉自体確かにあまり聞かない。それよりはやはり長いサステインを活かした泣きのフレーズの方が主流だ。こちらは名演の列挙に暇がない。のでわざわざ挙げない。

 音と音、ないしは音と無音のダイナミズムを一番意識してした演奏家は、クラシックの世界では間違いなくグレン・グールドだろう。彼のスタッカート奏法は音を切っていたのではなく、リズムを切っていたというのが私の見解だ。実際、彼はただ闇雲にスタッカートを駆使していたわけではない(当然だが)。旋律の中で音の粒を際立たせるためのこともあれば、あるフレーズから次のフレーズ、あるリズムから次のリズムへ移る際の布石、フレージングとして使うことも、上下で同時に走る対位法の旋律を混じり合わないように分けるために使うこともあった。総じて、彼の演奏は対位法を切り出して一つ一つの旋律に注意を向けてみると旋律が旋律であると同時に一つのリズムセクションであるように思えてくる。旋律がリズムを踊るのである。グールドの演奏はそのように聴こえる。

 バッハの曲、特にその対位法の妙技が冴える曲を演奏するときは、「旋律が複数走る」ことにばかり演奏する方も聴く方も注意が向きがちになる。だが、対位法は確かに低音も高らかと旋律を歌ったりするが、そこからリズムが消えるわけではない。裏を返せば、対位法では高音もリズムパートとなりえる。それはつまり、旋律が自身のリズムさえも支えなければならないということを意味する。そこに気付かず、ただ複数の旋律が歌っているだけの対位法の演奏は文字通り音楽として死んでいる。旋律という音楽の美しい肢体は、リズムという血が通って初めて躍動する。基本的にこの原則に例外はない。だが、それを意識できている演奏家がどのくらいいるだろうか。

 夕暮れの電車の中、HelloweenをiPodで聴きながら、何となしに延々とそんなことを考えていた。

2005年5月29日日曜日

忙しい日々と五月病

 五月に入ってから"土日無気力症候群"的な状態が続いている。どうも土日になると色々なことをやる気がせずに、部屋でゴロゴロと本を読んだり昼寝したりして漫然と時を過ごしてしまうのだ。しかも本を読むといったって、それほど集中して読んでいるわけでもない。休養にはなるのかもしれないが、ひどく非生産的な過ごし方だ。まぁ常に生産的でなければいけないと強迫観念のように思い詰めるのもある種の現代病だと個人的には思っているので、その意味では健全なのかもしれないと思いつつ、いやでもやっぱりこの無気力ぶりはちょっと問題だなとも感じてしまう。何しろ用事を済ませなければならないときだって腰を上げるのにかなりの決意が必要なのだ。最近は平日が鬼のように忙しいから、その反動と言えばそうなのかもしれないが、この無気力加減のおかげで肉体的には休養できるのかもしれないが精神的にはフラットでややダウナー気味の休日が続いている。ストレスがたまりもしないが解消できもしない。ふうむ、軽く五月病だろうか。

 取引先の開発会社で、この一年半程一緒にやってきていた人がリタイアしたという知らせを聞いた。心が参ってしまったとのこと。リーダークラスでバリバリやっていた人で、実際私から見てもかなりハードな生活を強いられていた。休日に呼び出されて私服のまま出勤し、そのままずっと家に帰れずに会社で私服のまま10日間仕事をし続けたという伝説を持つ人だ。彼がその伝説を作ったちょうどその頃、私と仕事上の付き合いができて一緒にやるようになった。ただでさえそれほどの過酷な環境を耐え抜いてきた人が突然いなくなる。同じ職場の人によると本当に突然会社に来なくなり、連絡すら取れなくなったらしい。失踪後しばらく経ってやっと連絡が取れたと思ったら「今は何もやる気が起きない」と言ってそのまま正式に休職になったとか。突然だ。案外人の心なんて簡単に壊れる。どんなに強いと思っていた人でも。ちょっとしたきっかけがあれば、心の防波堤なんてあっという間に決壊する。この業界はやはりそんな話はよく聞く。自分も、気をつけないとなと、ふとそう思った。何となく、漠然と、危機感もなしに。

2005年5月25日水曜日

夢の一ヶ月休暇へ

 有給が34.5日もたまっているのに気がついた今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。34.5日!すげぇ、そんなに休めるんだ!・・・って、そんなに休めるんならこんなに有給たまんねぇんだよ、こんちくしょう!

2005年5月23日月曜日

ネタなし

 忙しい平日が続くと、次には何もネタにならない休日が待っている。そしてまた、忙しい平日が始まるのだろう。

2005年5月16日月曜日

納豆カレー

 納豆カレーを作ってみました。昼食に何を食べるかなぁと冷蔵庫を見てみると、今日が賞味期限の納豆が2パック。1つは夜に食べるとして、もう1つは昼に消費しなければなりません。そこでレトルトカレーと組み合わせて納豆カレーを作ることにしたのです。CoCo壱番屋等ではみかける納豆カレー、それも食べたことはありません。どんな味になるのやら、とりあえずはやってみます。

 まずはカレー選び。家の中にあるレトルトカレーから「味が濃くてよさそうだ」という理由でディナーカレーを選択します。そして納豆を開けて、「カラシはカレーには合わなさそうだなぁ」と思いカラシ抜きでタレだけで練ります。おいしく炊けたご飯の上にある程度均等に納豆を広げて盛りつけて、上からカレーをかけます。さぁ、納豆カレーの出来上がりです。そのお味は如何でしょうか?

 意外なことに、納豆自体の味はカレーがほとんど打ち消してしまっていてわかりません。で、納豆のあの糸の粘液っぽい食感だけがカレーに加味された形になって、そんなに違和感はありません。むしろ納豆のあの米を糸が包んでぬるっと崩れるような食感が好きな私は「おお、結構いいじゃない!?」と思ったくらいでした。ふむ、何事もまずはやってみるものです。さぁ、皆さんも作ってみては如何でしょうか?手間も予算も大してかかりませんよ?

2005年5月15日日曜日

高校時代

 高校の仲間と横浜で飲んできました。一人は正月以来、もう一人は三年ぶりくらいでしょうか。やはりなかなか懐かしいもので、ベタに言うなら積もる話などをしながら時を過ごしました。あの時誰が何をしたとか、今誰は何をしてるだとか、その手の話です。・・・現役のセンター試験の時、私が会場(新潟大学)の池から数十cm大の氷を取り上げてキャンパスにバンバン打ち付けながら高笑いをしていたということはすっかり自分では忘れていましたが(さらに言うなら友人Aが「やめろ、三高の恥だ!」と叫んだら友人Bが「バカ、学校名出すな!」と突っ込んだとか)。まぁ、色々あります(笑)。

 ふと思い出しました。高校から帰る自転車の道。片道25分はかかります。部活が終わって、三条市街を抜けたら静かな車もほとんど通らないような住宅街で、そこも抜けると両サイドに水田が広がる見晴らしのいい道に出ます。白く揺れる月を眺めて、D'ERLANGERの『MOON & THE MEMORIES』など口ずさみながら、何となく、何かが起こるのを期待しながら自転車をこいでいました。クルクルと転がすような小気味いい高さで合唱するアマガエルと、その間に低くうなるように間の手を入れるウシガエル、土手の上、やや遠くに聞こえる自動車のエンジン音。平和な田舎の帰り道。特別な何かなど未来永劫起こりえないようにすら思える程の、ひどく平凡な帰り道。その中を、何かが起こってくれたらいい、少し幸せになれるような、そんな何かが起こってくれたらいい、そう思いながら自転車を走らせていました。

 その"何か"が起こったのか起こらなかったのか、とにかく今私はここでこうして私としています。何となく、何かが起こらないかなと思いました。何か決まった結末を期待するのでなく、そう、漠然と「何か」です。自宅の部屋の中に入ってしまったら、もう何も起こりえないのはわかっています。だから、日吉の駅を降りて、用もなくTSUTAYAに寄ってみたり、コンビニでちょっと立ち読みして時間を潰してみたりして、"何か"が起こるのを待ってみました。結局、何も起こりません。コンビニで飲み物を買って、途中何人かを追い越して、一人二人に追い越され、二三人とすれ違い、自宅の前まで着きました。何だか前の寄宿舎からヴーンと中音域でうなるような妙な音が断続的に聞こえます。でも、それだけです。それ以上何も起きはしません。誰もいない、そしておそらく誰も見ていない道の上です。小高い丘の上、街の灯は遠くに見えます。マンションの門を開け、オートロックを解除して部屋に足を向けます。いつもよりも足音が響くように感じる階段を下りて、もう一年くらい電球が切れたままの自分の部屋の前の廊下に立ちます。一息ついて、鍵を開け、扉を開けて、体を中に入れます。そして、後ろ手に扉を閉めます。バタン。お終まいです。もう、何も起きません。もう、何も起きません。多分、それでよかったのでしょう。だからこそ現実というのは成り立っているのだから。

 期待するより現実がつまらないときは「そんなもんだよ」と言えばいい。予想できるより現実が、よくも悪くもドラマチックであるあるならば、「現実は小説よりも奇なり」と言えばいい。結局、ものは言いようだ。そのどちらの感覚も、高校時代は味合わせてくれた。そんなことを思い出した。僕らが高校時代を語る時、それはもう10年以上前のことなのだと、今さらながらそう気付いた。

2005年5月13日金曜日

風邪、しつこく

 GW最初の三連休を奪ってくれた風邪の後遺症がなかなか治ってくれません。咳、痰、鼻水・・・。素敵です。

2005年5月9日月曜日

GW in 新潟

 さてさてこのGWは6日に休み(しかも代休)を入れて6連休にし、久しぶりに仕事を忘れてのんびりと過ごしていました。新潟に帰って田植え真っ最中の水田の間を車で走り抜け、越後平野の向こう側に見える山を眺めてみたり、角田シーサイドラインを回ってやはり相変わらず黒く冷たい感じのする日本海を堪能し、信濃川を敢えて水上バスに乗って万代橋の下をくぐってみたり、朱鷺メッセで佐渡に沈む夕陽を拝んだりと、珍しく地元を遊び倒していました。

 先に「仕事を忘れて」と書きましたが、思えばこの休みの間は本当に久しぶりに仕事から解放されていたような気がします。いつもなら普通の土日はもちろん、盆だろうと正月だろうと一回はお客さんないしは会社から電話がかかってきたり、そうでなくても見て思わず気をもんでしまうようなメールが入っていたりするものなのですが、今回は珍しくそういうこともなく、一度も仕事の用事でノートPCを起動することすらなく、実に平和に休日が過ぎていきました。ここ二年程は休みを取っていても完全には仕事のことが頭から離れなくて、特に一人になった際や夜寝る前など、「時間があったらノートPC上げてあそこにメール出して、休み明けにはこれをして・・・」と意識していなくとも仕事のことを考えてしまう自分がいました。まぁよく言えば仕事を頑張ってるってことなのかもしれませんが、「これをやっとかないと大変なことになる」と常に頭の何処かで考えているわけで、それは会社から見たら「責任感が強い」ってことにもなるんでしょうが、個人的には正直ちょっとした強迫観念のようなものです。素直に休日を楽しめなかったりするのです。またその強迫観念を助長するように、大抵は嫌なメールや電話がかかってくるのですから尚更です。羽田から朝8時に出発する前日、深夜2時過ぎにお客さんに「休み明けに資料を送ります」とメールを出したら「そんなんじゃ遅い」と同じ深夜3時過ぎに返信が来て、朝6時の羽田直行バスの中と羽田空港の中でずっと資料を作って、(当時まだ会社のノートで使えるAirH"を持ってなかったので)目的地のインターネットカフェからメールしたこともありました。そんな調子ですから休みといえどもずっと気を張っている習慣がついてしまい、なかなか精神的に本当にリラックスするというのは休日でも難しかったのですが、今回は本当に久々にゆっくりできました。むしろ明日から無事に社会復帰できるのか、そちらの方が心配です(苦笑)。

2005年5月2日月曜日

科学常識テスト

 ayumです。微熱が、下がりません。
 ayumです。くしゃみが、咳に変わりました。
 ayumです。GW最初の三連休、ほとんど風邪で寝込んでいました。
 ayumです、ayumです、ayumです・・・。

 ・・・とまぁ某芸人のパクリから入った今日の日記ですが、私はやっぱり寝込んでいました。そしてちょっとだけ仕事の資料作成をしていました。まったく報われない三連休です。

 ところで、ネットでニュースを見ていたら、文部科学省が「日本の成人が身につけるべき科学技術リテラシー像」を策定するとの記事がありました。要は「日本で大人やるんだったらこのくらいは常識として知ってんだろうな、コラ!?」という基準を作るというわけです。まぁ別に声を上げて賛成や反対をする程の大したことではありませんが、その中で国別に科学常識を測るのに使われたテストが載っていて、それが地味に面白かったのです(ちなみにテスト結果、日本は正答率54%で13位)。以下にその全11問をご紹介しましょう。○×解答式です。さぁ皆さんもご一緒に。

〈1〉 地球の中心部は非常に高温
→はい、マントル、核はとても熱いですよー。

〈2〉 すべての放射能は人工的に作られた
→ウラン系列やトリウム系列、カリウム-40等、天然放射性核種と呼ばれる地球創世記からある放射性元素はたくさんあります。

〈3〉 我々が呼吸に使う酸素は植物から作られた
→微妙っちゃ微妙な問いかけですが、どうやら文科省的には「酸素は光合成によって作られる」と言いたいようです。一応進化論的にもまず植物が光合成で酸素を作ってからそれを使って呼吸する生命体が生まれたということにはなっていますが・・・。

〈4〉 赤ちゃんが男の子になるか女の子になるかを決めるのは父親の遺伝子
→はい。男女の決定は受精時に結合した精子の染色体がY染色体を持つかどうかで決まるので、遺伝的な性の決定権は父親が持ちます。ここで「染色体は遺伝子じゃないんじゃ?」と思ったら、それは間違いです。染色体は結局遺伝子の集合体なのですから。

〈5〉 レーザーは音波を集中することで得られる
→レーザーは光線です。音をいくら集中させても光にはなりません。まぁガメラの超音波メスくらいならできるかもしれないですが(?)。そしたらレーザーメスと違って火災の危険がなくて安全かも!?

〈6〉 電子の大きさは原子よりも小さい
→はい。

〈7〉 抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す
→抗生物質はウイルスは殺しません!よく「抗生物質は何にでも効く」と思っている人がいますが、それは大きな間違いです。抗生物質が殺すのはいわゆる細菌だけで、ウイルスや真菌、クラミジアやマイコプラズマには効果がありません(ただし抗菌スペクトルの広い系統の抗生剤にはクラミジアやマイコプラズマに有効なものもある)。つまり基本的にウイルス性疾患である風邪には抗生物質は効きません!風邪の二次感染に対して効果があるだけです(咳なんかはこの二次感染が原因)。

〈8〉 大陸は何万年もかけて移動しており、これからも移動するだろう
→はい。だから地震が起こるんです。

〈9〉 現在の人類は、原始的な動物種から進化した
→はい。

〈10〉 ごく初期の人類は、恐竜と同時代に生きていた
→いいえ。

〈11〉 放射能に汚染された牛乳は沸騰させれば安全
・・・無茶ゆーな!放射能がそんなにお手軽に除去できたら宇宙戦艦ヤマトも何もイスカンダルくんだりまで放射能除去装置を取りになんて行きません!この問いに胸を張って○と答えるヤツぁきっと米を洗剤で洗ったり、濡れて帰ってきたネコを電子レンジで乾かそうとしたりするんだろうなー・・・。

 ・・・最後の問いがオチにしか思えないのは私だけでしょうか・・・?