2005年8月17日水曜日

デジタル・ディバイド - 新飯田の場合

 デジタル・ディバイド(digital divide)という言葉をご存知だろうか。IT用語辞典 e-Wordsでは「パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある」とある。元々の意味としては要するにパソコンやインターネット等の情報技術を巧みに使える人とそうでない人の間で広がる生活的・文化的その他の面での質的格差のことで、例えばネットに詳しい人はAmazon楽天を使って地元では手に入らない商品を購入したり、同じものをより安く手に入れたりすることができるが、ネットがそもそも使えない人はそのような恩恵を受けることができないといったような情報技術に対する知識・環境の差が生み出す格差のことを表す。もちろん今挙げた例はごく端的な一部にすぎない。最近では「地理的情報格差」という意味で、主にインターネット環境の地理的格差を指し示すようにもなった。光通信やADSL、CATVといったブロードバンド環境が全国的に一般化する中、未だに最速の通信手段がISDNだったり、そもそもインターネット環境が存在しない地域が存在するといった、文字通り地理条件による情報環境の格差のことだ。

 今回の帰省でわかったことだが、私の地元である新潟県新潟市新飯田(旧白根市大字新飯田)には未だにADSLが通っていないそうだ。最速の通信手段がISDN。隣接している代官島や茨曽根といった地域には既にADSLが通っているのに、よりによって新飯田だけは開通していないというのだ。まぁ、かねてより"ざいご"(←新潟の方言で"ド田舎"を意味する)呼ばわりされている地域ではあるが(苦笑)、これこそデジタル・ディバイドの典型である。陸続きで車で数分の距離(さらに言うなら河川で遮られていたりすらしない)の隣接地域では既にADSLの環境が整っているのにだ。この件は市報でも問題になっていたらしい。

 聞けば、さすがに新飯田の住民もそれには不満を覚えたようで、まずはNTTに「いつ開通するのか」と問い合わせたらしい。その返答は「当面開通の予定なし」。そこで住民は周辺地域の協力を得て署名活動をし、NTTにADSLの早期開通を訴えたとのこと。そうしたらNTTの返答は、言うに事欠いて「NTTに一千万寄付したら考える」という高慢なものだったそうだ。まぁNTTも今では一企業なわけで、わずか2,000人超の人口の小さな空白地のためにわざわざインフラ投資をしたくはないというのも理屈としてはわからなくはないのだが、にしてももう少し言い方を考えてほしいものだ。「寄付をしたら考える」というのが企業として、あるいは契約として、ないしは法律的にどうなのかは結構ツッコミどころはある気がするのだが、とりあえずそこは置いておこう。

 新飯田は他のいわゆる"田舎"の例に漏れず、過疎化が問題になっている地域である。今どうなっているのかわからないが、一昔前は村興しをしようとして"あかねの里プロジェクト"なるものが発足し、地域の活性化を図ろうとしていた。高齢化・人口の減少は地域にとっては死活問題だ。地域の活気を維持・向上していくためには若い人間に定着してもらわなければならないし、そのために観光客を呼び寄せたり企業を招聘したり新規ビジネスを模索する等して産業やあるいは文化を活性化し、若者が魅力を持って働けるだけの仕事を作ろうとする。やり方や規模に差はあれ村興しというのは要はそういうことだ。新飯田の場合、そこに悪いことにデジタル・ディバイドのハンデが加わることになる。

 今の御時世、特にビジネスという面では常時接続のブロードバンドが使えるかどうかは大きな差が出る。というより、もはやビジネス自体ブロードバンドが前提になりつつある。その潮流の中においてブロードバンド環境がないということは、そもそもスタートラインの時点でハンデを背負ってしまうことになる。新飯田にはいくつか比較的大きな企業の工場や事務所があり、それら既存の会社はまぁ何とかなるのかもしれないが、これから先敢えてブロードバンド環境のないところに進出する企業や個人はまずいないだろうし、村興しの情報発信すら効率がガクンと落ちるのは目に見えている。実際今回の帰省中に128KのPHSで通信してみたが、正直この『ayum's note』Yahoo! JAPANの表示すら遅い。おかげで更新の気力すらなえてしまった。ISDNってことは、まぁさすがにPHSよりは通信が安定しているにしても速度的には所詮128K。このPHSと同じということだ。もう既にブロードバンドが企業や若い個人を引き入れるアドバンテージである時代は終わって、ブロードバンドは前提の時代になっているというのを肌で感じた。これでは若い世代の流出は止まらないだろうし、それを止める施策を打つのも難しい。情報化社会において、情報基盤はもはやライフラインと言っても差し支えない。わざわざ電気や水道のない場所でビジネスをやろうという企業もいなければ、新たに移り住もうという個人もいるわけがない。

 新飯田というのは地味ではあるが割と文化的には豊かな土地だと個人的には思う。5と10の付く日に行われる、いわゆる510(ごとう)市もあり、年に一度の祭りでは小川連による踊り子が佐渡おけさや天狗、狐大名といった多様な踊りで獅子舞とともに地域中を行脚する。大名行列や、最後お宮に突っ込む勇壮な神輿など、小さな地域ながら非常に昔ながらの文化を色濃く残した空気が感じられる。かく言う私も、小学生の頃は踊り子として佐渡おけさを踊りながら新飯田の各地域や家庭を行脚して回ったことがある。狐の大名の役もやった。祭り前、商工会議所で集まっての練習風景も今では懐かしい。他には、ややマニアックなところでは良寛が尊敬していたという有願が居を構えていたのもこの新飯田だ。その円通庵は今もちゃんと残っている。まぁ、残っているだけで手入れもあまりされてなさそうだし、ちゃんと拝観できるわけでもないけれど。その代わり(?)「ふれあいパーク有願の里」なる公園が近年できた。これも村興しの一環だったのだろう。農業という面でもコシヒカリはもちろん、新潟で果物というとあまり他県の人にはイメージがわかないかもしれないが、生産量こそ全国的には目立たないが、味はひいき目抜きでかなりおいしい桃やぶどうも取れる。この今残っている、決して都会的ではないけれど昔ながらの朴訥な文化も、このまま若い世代の流出や高齢化が進んでいけば、いつかその内消えてしまうのかもしれない。

 ブロードバンドは今は人を呼び寄せるためのキラーインフラではないかもしれないが、それがなければ人は来ないし人は出て行く。そしてそのことによって消えてしまう文化や社会も出てくるだろう。現時点では最終的に通信回線を握っているのはNTTだ。この情報化社会において、もはやライフラインと同等の価値を持つに至ったブロードバンドというインフラが提供されないことは、一つの地域社会において致命的な傷となり得る。費用対効果とか何とか、企業としての言い分も色々あるのだろうが、通信基盤の有無が社会や文化を消してしまう時代に既になっているのだということをもっと自覚してほしいと思うのだ。政府はe-Japan重点計画の中でこのデジタル・ディバイドの問題をとらえ、「あらゆる集団の格差を広げてしまう可能性を有しているため、その解消に向けて適切に対処しないと新たな社会・経済問題にも発展しかねない」と明言している。ソフトバンクは「離島にもブロードバンドを」という住民の訴えに応え、八丈島に積極的にブロードバンドを導入した。どちらもブロードバンドの産業活性や社会格差解消の意義を理解しての行動だ。NTTも、もう少し通信基盤を握る立場としての社会的立場を自覚してほしいかなと思うわけだ。もはや通信基盤は情報化社会の前提であり、その不備は一つの社会・産業・ひいては文化を殺すところまできてしまっているのだから。

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