2006年12月9日土曜日

大萩 康司@浜離宮朝日ホール -武満 徹没後10周年によせて-

 ただでさえ忙しい師走の金曜日、18時過ぎに会社を「お疲れ!」と逃げるように後にし、渋谷から一路都営大江戸線築地市場駅へ向かいました。目的地は浜離宮朝日ホール。大萩康司のコンサートです。かねてより日本人ギタリストの中では一番好きだと明言していたにも関わらず、実はちゃんとしたコンサートで聴くのはこれが初めてです。以前オスカー・ギリアが来日していた際に一度『そのあくる日』を弾いたのを聴いたことがあるくらい。ですので、このコンサートは密かに楽しみにしていました。コンサートの名目もズバリ『武満 徹没後10周年によせて/ギターを知り尽くした作曲家達』。実に、そそられます。その名目から想像することは難くないように、演目もなかなかにマニアックです。ブローウェル、武満 徹、ヴィラ=ロボス、ジスモンチ、S.アサド。自分で楽器を弾く人間以外には、好き好んで聴く人達があまりいなさそうな作曲家群です(苦笑)。何しろ一曲目からブローウェルの『悲歌』。武満 徹へのオマージュであるこの曲は、コンサートの題目にはピッタリでしょうが、普通に考えてこの曲を最初に持ってくるのは正直相当な冒険です。さてどう切り込んでくるのか、開演前から楽しみに待っていました。

 客電が落ち、大萩康司がステージに登場します。拍手を受け、椅子に座ります。一気に拍手も止み、ホール全体に微かな衣擦れや咳の音がまばらに響くだけになります。そこからが、長かった。ステージ上の大萩は、調弦をするでもなく、両手をだらんと肩からたらして、じっとうつむいたまま座っています。異常に長い、長い沈黙。やっと手を上げたと思ったら、軽く調弦を合わせてまた力なくだらんとたらします。どのくらいか、おそらくでも一、二分程度の間でしかなかったのでしょうが、演奏が始まるのを待っているホールでは、その時間は異常に長く感じられます。最初の一音が響く前に引き延ばされた、張りつめた空気の中の静寂。自然、最初に耳に聞こえていた衣擦れや咳、あるいはその他様々な雑音もその長い緊張に耐えられずに消えていき、一瞬、完全な静寂がホールに訪れます。その後に、やっと最初の音が奏でられました。出だしだけで『悲歌』とわかる、悲しく諦観に溢れたハーモニクス。引っ張って引っ張って、極限まで高められた集中力と緊張感の中始められた演奏は、この曲の大半を占める少ない音数の中で維持される絶望的なまでの緊張感がひしひしと伝わってくるものでした。さすがに一曲目から『悲歌』だと、指は部分的に辛そうでしたが・・・。

 その後は武満編曲の『ギターのための12の歌』よりの抜粋。これがなかなかよかったのです。少々、粗いところはあるのですが、彼は音の立ち上がりが非常に早いし、音の立ち上がりと切れ目を非常に明確に意識した演奏をするので、ちょっとジャジーにリズムの遊びが意識されたこれらの編曲には非常に表現がピタリとはまる。聴いていて気持ちのいい演奏でした。そして最後は武満の『フォリオス』が演奏され前半は終了します。

 後半の曲目はまずヴィラ=ロボスの『5つのプレリュード』に始まり、ジスモンチの『変奏曲』、そしてセルジオ・アサドの『アクアレル』。後半はなんと言ってもこの最後の『アクアレル』の一曲目のディベルティメントが凄かった。鳥肌が立つほど凄かった。ただでさえ超絶な技巧が織り交ぜられながら、なおかつブラジル音楽特有のリズムも生き生きとしていなければカッコよくは決まらないというこの難曲。しかし見事に鬼気迫る演奏で聴かせてくれました。何と言いますか、正直、端で見てて「ようやるわ・・・」とあきれてしまうくらいでした。今回の観客は曲に対する造詣が深いようで、組曲の途中ではこれまで一回も拍手が鳴らずにクラシックのコンサートのマナー通り来ていたのですが、このディベルティメントの後だけは拍手が鳴りました。確かに凄かった。お見事でした。大萩康司は2月に新しいCDを出すそうで、まだ曲目は完全に決まってないそうですが、この後半の曲目の中からは何か入ってくるらしいです。願わくばもう一度、CDで彼の『アクアレル』を聴きたいものです。

 アンコールはまず『タンゴ・アン・スカイ』。そして次に『そのあくる日』。彼が持っている定番アンコールナンバーが一気に2曲続けて出てきたので、今日は2曲で終わりかなと思っていたら、何と3曲目、最後に『愛のロマンス(禁じられた遊び)』を演奏してくれました。プロがステージで弾くのを生で聴くのは初めてです。いやー、何と言うか、随分思いきったな、と感じました。

 そして演奏会終了後、ホールを後にしようとしたら何気に福田 進一を目撃しました。クロークの前でサインをねだられていました(笑)。そして私が帰ろうとエスカレーターに乗ったら、何気にすぐ後ろに福田進一がいました。周りの人と話しながら、今日のコンサートを「うん、上手だったね」と笑いながら一言でまとめていました。鉄板焼きの打ち上げには後ほど合流という手はずにしたらしいです。ま、どうでもいいことですが・・・。

 総じてやはり、私好みの現代曲が跋扈する、なかなか刺激的なステージでした。一緒に行っていた妻は途中曲があまりに理解できなかったので終演後に食べるご飯のことばかり考えていたらしいですが(爆)、ま、それもよいでしょう。私のように精神が病んだ人間には(?)素晴らしい選曲、素晴らしいコンサートでしたとさ。


2 件のコメント:

  1. とてもおひさしぶりです。クラギタ37期のmurayama(まえは、「ちょい」でしたね)です。
    12月8日浜離宮朝日ホール大萩康司公演のレビュー、楽しく読ませてもらいました。私は、チケット取る段階で8日の朝日ホールが13日の杜のホールはしもとにするかどうか迷ってたんだけど、朝日ホールの公演に行ってもよかったなー。結局は13日の公演に行ったの。ジャズギタリストの小沼ようすけがゲストで、大萩康司が譜面どおり「アルハンブラの想い出」や「鐘の鳴るキューバの風景」を弾くのに小沼ようすけがインプロヴィゼイションを重ねていくのがとてもおもしろかった。あと、大萩康司に影響されてクラッシックギターの曲を弾いてみたりすると言う小沼ようすけが「譜面どおり弾けなくて、僕はついつい余計なことしちゃうんだよね」って言いつつ、めちゃめちゃファンキーかつすごーくブルージーな「ロンド風ガボット」弾いてみせたりしてて、それも楽しかった。
    こういうこと、周りに話せる人がぜーんぜんいないから、ついトラックバックしてしまいました。
    あと、思い知ったことが一つ。
    ギター曲を聴くときにN永先生が未だに強く影響している。おそろしや。この日もV.ロボスの前奏曲全曲演奏があったのだけど、聴いているとN永先生門下の先輩の演奏や自分がN永先生に指導を受けた演奏がよみがえってくるんだもん。N永先生と大萩康司の演奏はぜんぜん違って、びっくりした。プレリュード1番の出だしでビブラートかけないのかー、すごいなー、軽くてさわやかな(かといって深みがないのでは決してない)V.ロボスの解釈で、そういう解釈でV.ロボスを全曲通して弾けるっていうのが、やっぱりすごい。
    初めてクラシックギターを聴くようになったときに好んで聴いていた演奏家、曲、通った教室の先生、周りの仲間の演奏とか、今でもギター曲を聴くときに影響するんでしょうか。

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  2. murayamaさん、どうもお久しぶりです。
    大萩康司、13日にもコンサートやってたんですね。
    そちらを知りませんでした。
    まぁでも知ってても現代曲好きの私は8日に行った可能性が高いですが(笑)。
    やはり学生時代は先生の存在もそうですし、周りに同じギターを弾いている人間が一杯いたわけで、
    そこで受けた影響というのはよくも悪くもなかなか消えないんじゃないでしょうか。
    卒業後もずっとそれまでと同じ密度でギターと接し続けていたならともかく。
    私は当時からN永先生門下らしからぬ部分が多々あったので(苦笑)、
    どちらかというとN永先生以上に周囲の仲間達の影響を強く受けているように思います。
    特にクラシックでもFのコンパスに近い概念を勝手に弾き手に求めてしまう辺りとか。

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