2007年9月7日金曜日

過剰反応

 どうも最近の報道を見ていると、本来どうでもいい些細なことに過剰反応をしすぎなような気もする。あまり神経質になりすぎると、本来の目的を見失う。いくつか例はあるのだが、一番わかりやすいのは横浜の警官が電車内で拳銃形ライターを他の乗客に向けていた高校生を平手打ちしたというもの。注意したその警官は(オフで酒を飲んでいたらしいが)傷害容疑で逮捕された。そのニュースを知った時、それはちょっと違うだろうと思った。

 確かに平手打ちで高校生を殴って軽傷を負わせたわけで、傷害と言えば傷害だろう。だが、それ以前にその高校生には明らかに非があった。拳銃型のライターなんて物騒なものを持って他の乗客に銃口を向けて迷惑をかけているような無礼な若造に、注意して口論になった挙句に平手打ち程度喰らわせたところでそれが不祥事だろうか。個人的にはそうは思わない。自分たちが学生の頃なんて、生徒をグーで殴るような教師が学校に一人はいた。最近は、それが不祥事になる。確かに程度というものはあるが、時にはお灸が必要なこともある。単純に暴力イコール不祥事という図式を見ていると、何もそこまでしなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。これは報道の仕方の問題だ。

 こう言うと反発を覚える方もあるかと思われるが、最近の日替わり状態の閣僚の政治と金の問題についても、実は同じことを考えている。あるべき論はともかくとして、現実問題まったくあやしい金の影も匂いもしない政治家なんてほぼいないのだから、あまり細かい金銭の受け渡しをスキャンダルとあげつらっても仕方ないんじゃないかと思う。正直、そろそろ辟易としてきた。あまりに目に余る例はともかくとして、そんなことはある程度どうでもいい。それよりそんなスキャンダルにかまけてるヒマがあったらちゃんと仕事して政治して国をよくしてくれ、と思う。極端な話、不正な金の一千万くらいくれてやるから100億分国に貢献しろと思う。それなら投資対効果としては素晴らしい。あまり目を向けたがる人は多くないようだが、日本の国の財政状態は非常に悪い。年金問題ばかり取沙汰にされるが、その前の根幹をしっかりしないと話にならない。教育環境や福利厚生もイマイチだ。だから、そんな細かい金銭スキャンダルにかまけている時間はない。仕事しろ!というかマスコミよ、政治家にちゃんと仕事をさせろ!寛容になるといい。実際に激務だし結果次第で多くの人の生活に影響が出る立場なのだから、一千万くらいくれてやればいい。その代わり、100億分の貢献をしてさえくれれば。

 どちらにも共通して心配しているのは、あまりこういった細かい問題ばかり取沙汰されて問題だ問題だと報道されていると、現場の方が不祥事を恐れるあまりに萎縮して何もできなくなってしまうのではないかということ。警察も政治家も、それではまったく意味がない。だから、あまり問題ばかりを無理に探してあげつらうよりは、ある程度細かいことには寛容になった上で本来の仕事をしっかりやってもらえた方がいいのではないかと思うわけだ。大事の前の小事とでも言えばいいのか。ちょっと違うかもしれないが、とにかく最近の本来の目的の達成を明らかに妨害している程の報道の過剰反応には、ほとほとうんざりしてきたわけだ。寛容になろう。一昔前はその辺りはある程度うまくバランスが取れていた気がする。もう一度、考えてみたらどうか。そもそも、本来の目的はどこにあって、その目的に対して報道内容はただの妨害になっていないか。報道に萎縮して行動を起こさない現場が常態化してしまっては、社会に希望はない。

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