2007年10月22日月曜日

バレンボイム指揮『モーゼとアロン』

 この週末は新潟の両親が遊びに来ていた。すっかりバレンボイムがお気に入りになってしまった父親が、今回の来日の最終公演であるシェーンベルクのオペラ『モーゼとアロン』を観に来るというのが名目だ。この『モーゼとアロン』、私も一緒に観て来たのだが、これがまたかなりよかった。まぁシェーンベルクと言えば新ウィーン学派の大御所。シュプレヒシュティンメや12音技法を編み出した、誤解を恐れずに言えば"理解できない現代音楽"の創始者だ。当然この『モーゼとアロン』も、一般的にいってわかりやすい曲とはお世辞にも言えない。けれども12音技法のあやしい旋律と随所に織り交ぜられる不協和音とシュプレヒシュティンメが重なった異常な緊張感を持ったコーラス等、現代音楽の響きに慣れた私にはむしろシェーンベルクとしてはまだ聴きやすい曲だった。しかもさすがバレンボイムが指揮するベルリン国立歌劇場、その曲の持つ緊張感を、最初から最後まで集中力を切らさずに一気に聴かせてくれた。さすが、素晴らしい。

 今回は演出もなかなか面白く、旧約聖書の出エジプト記を題材にしたストーリーなので歴史背景は当然紀元前と取るのが普通なのだが、そこを敢えて男女ともすべての登場人物を黒のスーツにサングラス、そしてオールバックで統一し、まるで映画マトリックスのようなイメージでまとめあげていた。もちろん、モーゼもアロンもマトリックスだ。正直、群集にまぎれるとモーゼとアロンですら他と見分けがつかない(爆)。だが、これがまたよかった。

 第二幕、山にこもったきり降りてこないモーゼにしびれを切らした群衆をなだめるため、アロンが神の偶像を民衆に与えたところから退廃が始まる。その場面はステージ下から黒スーツにサングラスの民衆が手に手に蛍光灯のように白く光るライトサーベルを持ってステージに上がって来る。それを盲人が白い杖を突きながら進むように、地面を右に左に彷徨いながら、各人がてんでバラバラに方向感無く歩き回っていく。それは想像すらできない神を信じることができなかった人々が、それぞれの小さな希望の光を手に、暗闇の世界をやっと照らせる範囲で迷いながら彷徨う様の象徴のように思え、緊張感溢れる音楽とともに非常に強いメッセージ性を打ち出していた。この『モーゼとアロン』は実に哲学的なストーリーとなっているので、他にも色々と考える部分はあるのだが、一番印象に残ったのはその場面だ。人々は、その手に持った光の剣が他の人のものとぶつかると、それで闘いすらする。非常に強烈な印象だった。

 講演終了後、最終日だったその日はステージ上で鏡割りも行われ、CDを購入した人を対象に急遽バレンボイムのサイン会も行われた。私の誕生日祝いだと父がCDを買ってくれたので、サイン会には父に参加してもらった。バレンボイムからCDにサインをもらい、珍しく非常にホクホクとした感じでサイン会から戻って来た。父が無条件に喜びを表に出すことは珍しい。それでも「バレンボイムは肌にもツヤがあって健康的だったからまた日本に来てくれるかもしれない」といったことしか台詞には出さず、結構照れ隠しをしていたようだが。

 そして日曜は和光堂主催のベビーコンサート。書き始めるとまた長いので、これはまた次の機会に。ではおやすみなさい。

2 件のコメント:

  1. 面白そうじゃないですか!シェーンベルグっていいよね。なんでかね、現代音楽って生で聴くと、ハマる程面白いよね。新ウィーン学派ってええわ~!ウェーベルンとかアルバンベルクとか、好きっ☆…ただCDはあまり面白くない…。やっぱ生だ。だから生でもっと弾いて欲しいよね。ピアノ弾く人は、もっと弾いて欲しいよねぇ。あゆむはグールドのウェーベルンとか好きかい?

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  2. そうだねぇ、音楽はやはり生がよいけど、
    特に現代音楽は何故だか生とCDでは全然聴こえ方が違うね。
    今回本当にそう思ったよ。
    しかし新ウィーン学派に素直にいいと言えるとはやはりアンタぁマニアックだな(笑)。
    グールドのウェーベルンは実はまだ聴いたことがないが、
    CDでの新ウィーン学派ならアルバン・ベルクの『抒情組曲』とか好きだねぇ。
    弦楽四重奏。ベタだがアルバン・ベルク四重奏団のヤツがよい。
    現代音楽をCDで聴くといつもその理屈が頭をよぎるので、
    理論に対する系統が音楽に対するバイアスになってないかとか余計なことが気になって、
    音楽表現では理論が先か感覚が先かというタマゴが先かニワトリが先か的な問答が回ったりするのだけれど、
    生で聴くと質の高い現代音楽はそんなことをまったく感じさせないだけの
    迫力と説得力と、そして何よりも緊張感がある。
    それを強く感じたよ。

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