2008年12月29日月曜日

薬事法改正案

 厚生労働省が薬事法の改正案を出している。この改正案が一部で大きな議論を呼んでいる。その中身には、ネットで買える薬を大きく制限するものが含まれているからだ。この改正案がそのまま施行されることになると、風邪薬や胃薬ですらネットで買えなくなる。それだけならまだしも、痔やら水虫やらといった、少々対面販売では買いづらい薬もネットで買えなくなる。消費者の面からしても非常に不便になるし、小売業者からしてもたまったものではない。この法改正には楽天を始め、多数の業者が抗議行動を行っている。

 ネットで薬を売ることの危うさはわからないわけではない。私は薬に関する知識は並よりはあるし、仮に不明点があってもそれを調べて理解する術をいくつも持っているからよい。が、一般的には薬は良くも悪くも人体に影響を及ぼすものだから、使い方を誤れば大変なことになりかねない。それを防ぐのも薬事法の目的の一つだ。だから、方向性としてはまったく理解できない訳ではない。ある程度、仕方ないかなと思う側面もある。が、コンビニで買える薬すらネットで買えなくなるのも如何なものか。コンビニは対面販売だからO.K.、ネットは対面じゃないからNGという論理らしい。薬剤師のいないコンビニと、薬剤師がいるネット販売と、どっちがいいのか?

 薬の販売に関しては必要性や使途の問題等含めて考えると色々とデリケートな問題に突き当たらざるを得ないので、明確に一方の論理だけを持って結論を出すことはできない。利用者側と供給者側の間で、利便性と安全性の間にどこで線を引くかというバランスの話に結局なっていく。そう考えると、この法律は少々そのバランスの崩れたところまで線を持って行き過ぎているように思える。制限がきつすぎるのではないか。しかもその制限に対する理由の説明が不明確かつ理不尽で、根拠も希薄なのではないか。私自身ネットで薬を買うこともままあるので、今回、珍しく反対署名運動に参加した。私が反対と考えるから同調してほしいというわけではないが、この問題は一度考えてみてほしい。多少視点のバランスが悪いところは否めないが、楽天がこの問題を非常によくまとめてくれている。目を通してみる価値はあると思う。

2008年12月22日月曜日

休息の日

 予定通り(?)12月は酷く忙しく、この土日になってやっとまともに休みが取れた。休めたとは言っても金曜夜から土曜朝にかけて深夜作業をこなした上でのことだが(当然金曜は普通に朝から出社)。まぁともあれ、せっかく休みも取れたので、今日は天気もよかったので家族でみなとみらいまでお出かけをしてきた。

 今日は風は強いとはいえきれいな青空が広がり、山下公園を散歩すると潮風と青空の下に広がる海、停泊する大型客船の風景が馴染んできて気持ちがいい。山下公園から赤レンガ倉庫、クイーンズスクエアまで、みなとみらいをグルッと歩いて回ってきた。途中、マンチェスター・ユナイテッドの選手を乗せたバスと遭遇し、それを取り囲むサッカーファンの群れに取り囲まれた。今晩試合が横浜スタジアムであり、どうやら彼らは世界一になったらしい。まぁそんなこともある。

 仕事は確かに忙しいが、それでも家族と出かけて気持ちのよい週末を過ごせばいい気分転換になる。心が折れないうちは体は何とか大丈夫だ。さて、今年もあと僅か。無事に来年を迎えられるよう、最後の闘いに向かうとしよう。

2008年12月1日月曜日

11月、総括

 11月は先の日記で触れたように非常に忙しかったわけだが、忙しいなりに色々とイベントもあり、公私とも慌ただしい感じだった。一つ一つの詳細に触れるには今この時点では肉体的に少々疲れてしまっているわけだが、それでもざっと書き流しておくとしよう。

 まず何よりも、私の弟に第一子が生まれた。元気な女の子だ。私の娘の従姉妹に当たり、私からすれば姪となる。人のことを言えた義理ではないけれど、あの弟が親になるというのも何だか不思議なものだ。そして姪というのも生まれてみると嬉しいもので、やはり家族が増えたような気分になる。家族というのはどこまでかという細かい話ではなく、感覚的に、だ。ゆっくり弟とも話してみたいなと思い、生まれたばかりの頃何度か携帯にかけたが、いつも電波が届いていなかった(苦笑)。まぁ色々とドタバタしていたんだろう。今度会った時にでも、それはとっておくことにする。自分はまだ"親の先輩として"などと大きなことは言えないので、とりあえずはおめでとう、と簡単にお祝いの言葉を。

 先週は中学の同窓会があった。勤労感謝の日だ。成人式以来会ってない連中も多いが、変わったヤツ、そうでもないヤツ、出席した面々はとりあえず皆元気そうだった。中にはこの日記を検索で探し当てた剛の者もいた。誰と話しても話の内容は当然中学の頃とは大きく変わる。久しぶりなのだから近況や消息は当然としても、結婚したとかしないとか、子供がいるとかいないとか。昔話が多いのは、それが10年振りに集まった面々だから、なのだろうか。とりあえず大っぴらに酒が飲める年齢になって改めて集まって飲んでみると、結構昔のイメージと変わったな、と思うヤツも多かった。それは意外に男に。さて、彼らには自分はどう見えたのだろうか。何にせよ、地元の仲間と久しぶりに一堂に会して集まれる、そんな機会はよいものだ。普段は意識していないけれど、地元の仲間の存在は、気付けばやはり励みになる。多分、新潟を出て生活しているからなおさらなのだろう。今後は4年ごとの勤労感謝の日にやろうという話になっていたが、それが本当に実行されるかどうかはわからない。とりあえず、ここに書いておく。

 今日は晩秋としては例外的に気持ちよく晴れた日曜日。爽やかな、文字通り雲一つない青空が、突き抜けるように広がっていた。日も当たって暖かく、急遽家族でズーラシアに行くことにした。前回ベビーカーで連れ回されるだけだった娘は、もう自分の足で歩いてズーラシアを回っている。後半は疲れて抱っこをせがむようになり、最後には寝てしまったけれど。ヤブイヌは飼育場所が二カ所に増えていた。最初、妊娠中の妻と来た時はまだヤブイヌの赤ちゃんが生まれたばかりで、その頃は一カ所しかいなかったのだが。今日は奥の方ではその頃生まれたばかりだったヤブイヌベビーが大きくなり、飼育員の人に「横浜生まれです」と紹介されていた。ヤブイヌは小さなかわいい声で「クピィ」と鳴く。今日初めて知った。最後に寝てしまった娘を抱っこしてズーラシアの出口に向かう時、山の紅葉が丁度見頃できれいだった。山はイチョウの黄色と、枯れた黄色がかった緑のグラデーションが。手前のモミジは夕日のように真っ赤な、それを超えると色がくすみ始める前の丁度手前の、まさに深紅の深い色合いが、非常に美しかった。そう言えば紅葉はここ数年まともに見ていなかったような気がする。今日は本当に素晴らしい、気持ちのよい晩秋の休日だった。夜、家で少々仕事をしなければならなかったのはご愛嬌としても。

 結局長くなってしまった11月の雑記。比較的淡々と、時事的に。12月は、きっとさらに忙しい。

2008年11月14日金曜日

過多忙

 最近また、酷く忙しい。上司が私の机の上に無言でユンケルを置いていった。その意味は推して知るべしである。

2008年11月9日日曜日

謁見、路上にて

 本日、天皇陛下に謁見いたしました。といっても路上で車ですれ違っただけです。今日は慶応大学創設150周年のイベントがあるので日吉に皇族が来るとかで、警備が厳重になるからあまり駅前には近寄らない方がよさそうだということは事前にわかっていました。ので、日吉駅前を通らずに行けるところに行こうということで、午前中からららぽーと横浜に車で出かけていたのです。ところが、今回は警備範囲がやけに広い。午前中に家を出た段階で既に駅から離れた第三京浜都筑インターの近辺まで至る所に警察がいます。私服警官までいます。皇族が来るとは言っても、また随分とえらい警備です。思えば愛・地球博で皇太子様と遭遇した際もここまでの警備はなかったので、それより上となると天皇陛下でも来るのかね、とか話しながら買い物に向かいました。

 ららぽーとを14時過ぎに出て、また都筑インターの前を通って家路につきます。すると、今度は警備がさらにものものしく、しかも歩道にはたくさんの人が群れをなして何かを待ち構えています。都筑インターを超えて日吉に向かう方面ではもはや信号ではなく警官が全権を掌握して車の流れを整理しています。どうやら対向車線側に皇族の車がこれから通る様子です。恐らく、日吉を出てから都筑インターで第三京浜に乗って帰路につくのでしょう。東山田を右折した辺りになると、とうとう対向車線は一般の車は走っておらず、パトカーと白バイのみがゆっくりと走っている状態になりました。そして我々の車線も車がすべて止まっています。「これは、丁度来るんだな」と思い、とりあえず車を右車線に寄せて渋滞の列に並びました。歩道ではカメラを構えた人だかりができています。

 そのまま、待つこと数分。明らかに、それとわかる車が一台やってきます。当然、何台ものパトカーや白バイに周辺を警護されて。窓を開けてこちらの車線に向かって手を振るその人は、紛れもなく天皇陛下です。皇太子様を見た時にも感じた、決して人を不快にさせることのないその笑顔は、天皇陛下にいたっては皇太子様よりさらに円く穏やかで、おおらかに手を振って沿道や対向車線上の人に応えていました。ほんの数秒、天皇陛下の乗った車は私の車とすれ違い、その後、渋滞は何事もなかったかのように動き始めました。妻は「天皇陛下と目が合ったよ」と言ってホクホクしていました。まぁ何にせよ、天皇陛下の車とあの距離ですれ違うというのもなかなかないものです。路上での謁見(?)はそのようにして無事に終わったとのことです。

2008年11月4日火曜日

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ

 最近休日は子供と一緒に子供向けのNHK教育の番組を見ていることが多い。NHKは時に『サラリーマンNEO』に代表されるようなとんでもなくシュールで他を寄せ付けない番組を突然作ったりするが、子供向けにもそんなプログラムがいくつかある。子供より大人に大人気の『ピタゴラスイッチ』を始め、明らかに「このシュールさは子供には無理だろう」という番組がいくつかある。ちなみに私は『ピタゴラスイッチ』は大好きだが。そんな中にこの『にほんごであそぼ』もある。

 これはシュールだ。シュールの極地だ。何しろ小錦がよくわからんほぼ着ぐるみの衣装を着て、子供達に囲まれながら大してうまくもない歌を歌っている。平日朝8時なんてこの『にほんごであそぼ』と『ピタゴラスイッチ』が立て続けに放送される訳だから、視聴者の立場からしてみたらたまったもんじゃない。朝からシュールな気分MAXだ。どんな気持ちで学校や職場に行けというのだ、NHK!? ・・・まぁ、嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 というわけでその『にほんごであそぼ』に最近上に掲載した金子みすゞの詩がよく出てくる。小錦がか細い高い声で詩を歌いながらなのでやはりある種のシュールさがあることは否めないが、この番組の中ではまぁまともにしんみりくる場面だ。

 さてさて、作者の金子みすゞが生きたのは僅かに1903年から1930年。亡くなってからはや80年近くが経っている。鋭すぎる感性は、普遍を嗅ぎとってしまえるが故にあまりに脆い。今こそ、もう一度この詩を噛み締めてみるべき時なのではないだろうか。

2008年10月22日水曜日

エサ=ペッカ・サロネン指揮『火の鳥』@サントリーホール

 今日はエサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックのコンサートを聴きにサントリーホールに行ってきました。元々このコンサート、5月にウィーン・フォルクスオーパーが演る喜歌劇『こうもり』を観に行った際、大量にもらったチラシの中から選別したもの。ストラヴィンスキーを振らせたら当代随一の呼び声高いエサ=ペッカ・サロネンが20年間率いた手兵ロサンゼルス・フィルを従えての同フィル音楽監督勇退前の最後の来日とくれば、それは当然なかなか興味をそそります。サロネンはストラヴィンスキーの『春の祭典』のCDを持っているのですが、それもいい演奏でしたし、同日の演目の中にファリャの『恋は魔術師』が入っていたこともあり、私は今日のコンサートのチケットを取ることにしたのです。それと一番の理由は、複雑なリズムと多様な色彩感が演奏するオーケストラと指揮者にとって非常に難易度が高いストラヴィンスキーの曲を、それを演奏したら当代随一と呼ばれる指揮者がどのようにタクトを振るのか実際に生で見てみたいと、そういう思いもありました。

 まず、本日の演目は以下の通り。

 ファリャ: 恋は魔術師より 恐怖の踊り/愛の戯れの踊り/火祭りの踊り
 ラヴェル: バレエ音楽『マ・メール・ロワ』
 ストラヴィンスキー: バレエ音楽『火の鳥』全曲版(1910年)

 まずはファリャの『恋は魔術師』。『火祭りの踊り』を始めとして何曲かはギター編曲版としても親しみがあるこの曲、いきなりよかったのです。サロネンはCDで聴いた比較的クールな印象とは違い、結構熱い指揮を振ります。タクトを持たずに徒手空拳で指揮をする彼は、全身を使って指揮をしますが、それ以上に指先を使っても指揮をします。時にその指の細かい表情が、曲の微妙なニュアンスをオーケストラに伝えていたように思います。ファリャのこの随所にスペイン風な情緒と情熱が見え隠れする名曲を、オーケストラの魅力をフルに発揮して聴かせてくれました。

 『マ・メール・ロワ』は実は個人的に特に好きな曲ではないのですが(ラヴェルやドビュッシーはどうも苦手)、この曲では各パートのソリストが魅せてくれました。特によかったのが2ndバイオリンの女性ソリスト。恐らくKristine Hedwall。この曲では第一バイオリンのコンサートマスターよりも甘く豊穣な音色を聴かせてくれていました。この曲で第一部が終了となるのですが、その際に指揮者がソリストを紹介していった時に他の誰よりも彼女に大きな拍手が送られていた辺り、きっと皆同じように彼女のバイオリンの音色に魅せられていたのでしょう。

 そして圧巻だったのがやはり『火の鳥』。これは凄かった。本当に凄かった。最後フィニッシュを聴き終えた際、単純に「これは凄い」としか考えられなかったくらい。やはり指揮者も演奏者も完全に手の内に入れているこの曲、最初から最後までもの凄い緊張感と集中力。『火の鳥』はその曲が持つ構造的な難しさのため、指揮者は常に明晰さを保ってオーケストラ全体を統率していかなければならないわけですが、サロネンの恐ろしいところは常に冷静さと明晰さを持ってオーケストラの音色を統率し、それが下手に溶けあいすぎて雰囲気だけの演奏にならないよう曲の構造をきっちりと構築しながらも、随所に応じて非常にダイナミクスの大きな感情の波でオーケストラ全体を引っ張りもするところ。特に火の鳥の出現からカスチェイの踊り、子守歌といった流れでは昂り、激情的に指揮をする一方、取って返したように理知的に静謐に音楽を切り替える、その理性と感情の切り替えが空恐ろしくすらありました。

 しかしロサンゼルス・フィル、休憩前と後でまったく音が違う。実際休憩後『火の鳥』ではそれまでの曲より人員を多く配置して、編成自体が増強されているのである程度当然なのかもしれませんが、それにしても『火の鳥』での彼らの演奏は凄まじかった。特に前半と変わったのはコンサートマスターの第一バイオリン、Martin Chalifour。『マ・メール・ロワ』では第二バイオリンのソリストに食われ気味という印象すら受けた彼が、『火の鳥』では素晴らしい音色と扇情的ですらあるその演奏で曲全体を盛り上げているのです。そしてクライマックスに向けて大きなダイナミクスをもって突き進んでいくオーケストラの力強さと豊かな色彩感!ロサンゼルス・フィルの非常に美しい音色を持った管楽器セクション、特にフルートがたまらない。そして『火の鳥』のクライマックスで震えながら底からすべての音を絞り出せとばかりに手を振り上げるサロネンと、それに応えるロサンゼルス・フィルの奏でる音楽は、思わず背筋を伸ばして目を見開いてしまう程の圧倒的な力を持っていました。素晴らしい名演です。

 当然、演奏後の場内のテンションは凄まじく、アンコール前やアンコール中には誰も席を立ちません。大抵、何人かは帰るのですが。鳴り止まない拍手に何度も袖から出て挨拶するサロネン。ここまでは、他のコンサートにも見られる光景でした。ところが、二曲のアンコールを終えて、客電が上がって扉が開き、人が外に流れ出してもまだ拍手が止まらない。これは、私は初めての経験でした。大抵どんないいコンサートでも、客電が上がれば皆諦めて拍手を止めるのです。ところが今日は客電が上がっても拍手が続き、とうとう最後に客席が明るいまま、上着を脱いだサロネンがもう一度出てきました。それほど、私以外の人も感銘を受けた演奏だったのでしょう。私もコンサート後にサイン会をやるというので、思わず終演後に『火の鳥』のCDを所望してサインをもらってきました(爆)。

 割と軽い気持ちでチケットを取ったこのコンサート、実に素晴らしい演奏に巡り会うことができました。今日の演奏が、いつかまたCDやNHKの放送で聴けたらいいのですが。余談ではありますが、今日会場に行くまで、私は今日のメインプログラムはずっと『春の祭典』だと思っていました。会場でプログラムもらって開いてみて、「あれ、火の鳥?」と思ってそこで初めて自分の間違いに気付いたとのことです。

2008年10月20日月曜日

無題

 思考を停止させてはいけないと、自分自身に言って聞かせなければならない。困ったものだ。ただ状況が遷り行くままに、ただ時が流れ行くままに、まかせていけばよいのであればそれもまた楽ではあるのだけれど。

2008年10月14日火曜日

モオツァルトのかなしさは疾走する

 モーツァルトは生涯で交響曲を41曲作ったが、その内短調はをとるものは2つだけであるというのは有名な話である。第一楽章の優雅にメランコリックな旋律があまりに美しすぎる40番と、第一楽章のシンコペーションでグイグイと引っ張る入りから、随所に遊び的なリズムが鏤められた25番。前者は現代でもポピュラー音楽にまで引用されるほど有名だし、後者は映画『アマデウス』のオープニングに使われ一大センセーションを巻き起こした。我々の代の近辺のクラギタの人間にとってはきよが指揮を振るBKCクラギタの定演で、大合奏の一曲目として演奏された曲としても印象が強いことだろう。奇しくもこの二曲、ただ短調というだけでなく、どちらもト短調で書かれている。より有名な40番が「ト短調シンフォニー」と呼ばれることがあるのに対し、25番は「小ト短調」と呼ばれたりする。今日はこの「小ト短調」について少し話してみたい。

 このモーツァルトの交響曲25番、私自身は手元にそんなに多くのCDをそろえている訳ではないが、大きく分けて3つの演奏スタイルがあるように思う。ひとつはゆったりとしたテンポ、少なくとも聴いていて速いとは感じさせない程度のテンポを設定し、オーケストラの響きの美しさを前面に出して優雅にウィーン風に仕上げるもの。私の手持ちのCDの中ではバーンスタイン/ウィーンフィルケルテス/ウィーンフィルがこれに当たる。

 もう一つは昨今流行の、モーツァルトが生きた当時使用されていた楽器のコピーを使用し、オーケストラの編成や曲の解釈も可能な限り、わかっている限り曲が作られた当時に沿う形で演奏をしようという、いわゆる古楽派の演奏。概して現代のモダン楽器による演奏と比べると早めのテンポを設定し、非常にキビキビと、颯爽とした演奏であることが多い。私の手持ちの中ではこの曲は唯一一枚、コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団がこれに当たる。

 そして最後が、非常に速い、古楽派よりもさらに速いテンポを設定し、まさに疾風怒濤、もの凄い勢いで鬼気迫る演奏をするものだ。これは私の知る限り同時代を生きた二人の巨匠のみが取っている。ワルター/ウィーンフィルクレンペラー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団だ。このあまりに大胆な曲の解釈、演奏者を恐怖に陥れかねないくらい極端に速いテンポ設定を行ってなおかつ美しく緻密な音楽を作り上げるという離れ業は、やはり彼らくらいの巨匠でないとなしえないのかもしれない。

 ざっといくつかのCDとおおまかな演奏スタイルを紹介したが、では私のお気に入りは何かと問われれば、この曲に関してはワルターとクレンペラーの一騎打ちだ。ちょっと他の演奏は入り込む余地がない。両者とも他の演奏者ではまったく追いつけない極端に速いテンポ設定ながら、音楽には一糸の乱れもなく実に豊かな世界を構築してみせる。これほどのテンポでも演奏に破綻を来さないのはさすがウィーンフィルにコンセルトヘボウ。世界屈指の超名門オーケストラはやはり並のオーケストラとは一味違う。

 興味深いのは、ワルターとクレンペラーという二人の指揮者が同様にこの速いテンポを取っているという点だ。両者とも、元来は速いテンポ設定を好む指揮者ではない。ワルターはゆったりと歌われる旋律が最大の魅力となる指揮者だし、クレンペラーも遅めにどっしりと構えた上で、荘厳堅牢な音楽を構築するのが常道だ。そんな二人が敢えてこの曲だけ他と違い極端に速いテンポを取る。このことには25番という曲の表現の本質に関わる何かがあるのかもしれない。同時代の巨匠二人は、この曲の中に何を見たのだろうか。この二人は25番から優雅さという要素を徹底排除した。そしてその先に残ったのは悲劇的なまでに疾走する悲しみだ。それは苦悩ですらないのかもしれない。

 それでもワルターには少なくとも曲の序盤にはその悲しみの中にまだ明るさが残っている。渦を巻く悲劇の中に、ほんの少しだが、明るい救いが垣間見える。だが曲が進んでいくに連れ、その僅かな明かりも押し流される。そこがまた悲しい。

 対してクレンペラーは、終始徹底して堅牢で厳しい音作りをする。ワルターよりまだ速い、極限のテンポの中で凄まじい集中力と緊張感が音楽を支配する。疾風怒濤、狂おしくも荘厳な悲壮感。クレンペラー特有の緊張感と巨大で荘厳な音楽が、走り抜ける悲しみの中で構築される圧倒的な支配力。最後まで演奏にも音色にも乱れを見せず、その悲しみを最終楽章まで共に走り抜けてみせるコンセルトヘボウの演奏もまた見事だ。最近の一番の愛聴盤となっている。

 とはいえワルター/ウィーンフィルもクレンペラー/コンセルトヘボウもその解釈の異質さからして万人にお薦めとはさすがに言いがたい。25番入門としてならむしろコープマンをお薦めしよう。古楽器による演奏は、弦楽器が金属弦でない分響きが透明で澄んでいて美しい。颯爽とした演奏もモーツァルトには非常によく合っている。値段も1,000円と手頃だし、何より入手しやすい。クレンペラー/コンセルトヘボウなんて実に入手しにくい(苦笑)。25番は既に持っていて、もう一枚という段で初めてワルター/ウィーンフィルやクレンペラー/コンセルトヘボウをお薦めしよう。特にワルター/ウィーンフィルは40番の伝説的名演とのカップリングなので実に魅力的だ。

 ところで、今回は小ト短調、25番の話をしたが、実はもう一つのト短調、40番にもこのような疾走する名演がある。それも演奏者はフルトヴェングラー/ウィーンフィルだ。この40番は初めて聴いたとき正直驚いた。古楽の40番も速いが、そんなもんじゃない。それこそあの優雅な悲哀に満ちた主旋律がめまぐるしいくらいに聴こえる。それでもその速さの中でフルトヴェングラー特有の縦にも横にも異常に大きなダイナミクスが展開されるもんだから、演奏者はもう必死だったことだろう。これもオケはウィーンフィル。やはりさすがだ。この演奏は一聴まるで重戦車が時速200kmで一般道を爆走しているような、恐怖感に近い印象を抱いたが、それでも速さに耳が慣れると実に劇的にダイナミックな音楽が展開されていることに気が付かされる辺りはさすがにフルトヴェングラー。ただ悪戯に速いテンポ設定を取っているわけではない。そもそもこの40番第一楽章、モーツァルトのテンポ指定はAllegro molto。フルトヴェングラーのテンポが、実は正解なのかもしれない。まぁでもやはり普段40番を聴きたい場合はワルター/コロンビア響が多い。一番、安心して聴ける。先に紹介したワルター/ウィーンフィルは演奏は実に素晴らしいのだが、少々音質面で苦しいところがあるので、普段聴きとしてはステレオでスタジオ録音されたコロンビア響が落ち着く。特に、この曲の瀟洒な悲しみの旋律では再生時のノイズは少ない方がありがたい。

 ところで余談ではあるがこのフルトヴェングラーの40番、同じ演奏が収録されているCDは他にも色々あるが、その中で何故これを選んだかと言えば、それはカップリングのハイドンの交響曲94番<<驚愕>>。これが実に素晴らしい名演だからだ。初めてハイドンの交響曲を心から素晴らしいと思った。つまりモーツァルトの40番だけでなく、CD一枚すべて丸ごとお薦めできるのがこれ、ということ。疾走する40番に興味のある方は是非。

 もう一つ余談として、この日記のタイトルは小林秀雄の『モーツァルト』の中に出てくる有名な一文。今日の日記を書く際に一度読み直してみようと思ったのだが、引っ越しの際実家にでも送ってしまったのか、何故か今手元にない。ので、これについて触れるのはやめておいた。ちなみにこの文は、こう続く。

 モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。

2008年10月13日月曜日

こどもの国

 昨日は仕事でスーツ着て客先だったわけですが、今日は普通にお休みです。ウチの娘っこと妻を連れて、車で『こどもの国』に行ってきました。「都会人は朝が遅い」というのが最近経験上わかってきたので、出かけるなら午前中、開園直後を目指すのが妥当です。普段会社に行くのと同じ時間に床を出て、無事にこどもの国の駐車場に入ることに成功しました。

 ここは自然公園とアスレチックが一体になったような結構だだっ広い施設で、確かに『こどもの国』の名に違わず色々と子供心をくすぐる施設が目白押しです。多数ある芝生の広場やアスレチックもいいですし、自然公園ばりに森林豊かな場所なので、大人も散歩して気持ちがいい。話によると日本初の、ソーラー電池で動くSL(もちろん子供用)もあり、なかなか、いい場所でした。今日は行くなりまずそのソーラーSL太陽号に乗り、白鳥湖(という名の巨大な池)でボートをこぎ、園内にある動物園で子供にウサギを抱っこさせてみたりして楽しんできました。私は以前ウサギに指を噛まれたことがあるので(苦笑)、内心少々ハラハラとしていましたが、ここのウサギは異常なまでに達観した人慣れをしていて、人から人へ手渡しにされていっても全く動じず、身じろぎもせず、えらいおとなしいものでした。いやー、しかしウサギってやわらかくて気持ちいいですね。見た目よりずっとふわっとして軽いし。なかなか、楽しかったです。

 ウチから車で40分程度で行けるこどもの国、思った以上にいいところでした。晴れた日の行き先としてはなかなかよいねぇと思いましたとさ。

2008年9月24日水曜日

GLOBAL METAL

 先週の金曜日のことになるが、『GLOBAL METAL』という映画を観に行った。"メタルをこよなく愛する人類学者"であるサム・ダンが、世界各地でどのようにメタルが聴かれ、根付こうとしているのかを文化人類学のフィールドワークさながらに各地を足で回って確認していくという、コアなメタル・マニア向けのドキュメンタリー風映画。前作『METAL -A HEADBANGER'S JOURNEY-』はブラック・サバスやアイアン・メイデン等、メジャーどころのインタビューを中心に構成されていたのでまだ一般的なメタルファン向けな感じもしたのだが、今回は如何せん"GLOBAL"だ。どこのどんなメタルが出てくるのかわかったもんじゃない。その意味でマニアレベルは随分上がっていると考えていいだろう。そんなコアな映画が渋谷の単館系映画館アミューズCQNで上映されているので、一緒に観に行こうと会社のメタル好きに誘われ、21時半上映開始という我々にとっては行きやすい時間帯のレイトショーに行ってきたわけだ。

 この『GLOBAL METAL』、これがまた実によかった。最初はブラジルから始まり、いきなりセパルトゥラから始まる。アングラのラファエル・ビッテンコートのインタビュー等を挟みつつ、ブラジルではメタルが若者の間での新しい文化、民主化の象徴として浸透してきたと語る。

 次に日本。マーティー・フリードマンと伊藤政則が語る日本のメタルシーンは(特にマーティーが語る分には)やや偏りがある気もしたが(苦笑)、まぁ面白かった。マーティーはビジュアル系が面白いといい、その代表としてX JAPANが紹介される。どうせビジュアル系を取り上げるなら欧州でもっと売れてるDir en greyとかにしときゃいいものを。あるいは『Death Pandaデス!』が何でも様々な要素をミックスしてしまい、他の国ではありえない取り合わせが生まれるという日本の特質を表す曲として紹介されてみたり。なかなかマーティー、面白い。

 対して伊藤政則が語る、「日本ではメタルに政治的な思想や社会への反発、自己実現といった要素を求めて聴いている人はほとんどいないと思う」という台詞には共感が持てた。実際、私にとってメタルとはあくまで音楽であり、思想やアイデンティティの問題ではない。逆にそれが日本という国の独特なところなのだろう。思想や立場から切り離されて、音楽が音楽として浸透していく。それはゆとりなのだろうか、それとも弛緩なのだろうか。余談だが、先日会社の人間と行ったロックバー『Blackmore』が日本のメタルファンが集う聖地として紹介された際はちょっとニヤッとした。

 その後もどんどんマニアックな各国を回っていくが、どんどんメタルへの風当たりは強くなる。インドネシアでは一度だけメタリカのコンサートが開催されたが、会場周辺で暴動が起き、それ以来メタルのコンサートは禁止になった。レバノンではメタルも長髪も禁止されており、髪を伸ばしていたりロックTシャツを着ているだけで警察に逮捕され、悪魔崇拝者か、それともメタルファンかと尋問を受ける。常に戦地としての側面と隣り合わせであるイスラエルでも事情は似ている。そこでメタルを演奏するバンドは、

「ここでは争いが絶えず、ただ道を歩いているだけでいつ殺されるかもわからない。自爆テロにだって巻き込まれるかもしれない。道で悪魔に襲われても怖くない。ここでは、生きている人間の方が怖い。恐怖は、身近に溢れすぎている。だから自分は希望を歌いたい」

 と語る。日本は、なんと平和な場所だろう。中近東で唯一安全にメタルを楽しめるイベントであるデザート・ロックにはその日を楽しみに大勢のファンが詰めかけるという。彼らがメタルに対して持っている熱狂はきっと我々とは明らかに種類が違うものだろう。

 映画の最後はインドでアイアン・メイデンが初めてコンサートを開く場面に移っていく。『Hallowed Be Thy Name』の最初の鐘の音が、あのように緊張感のある期待と不安を持って響いたのは初めて聴いた。かつてウィーンフィルのメンバーがフルトヴェングラーのタクトの下、ベートーベンの『英雄』を演奏した際に述べたと言われる「最初の二つの和音があのように響くことはもう決してないだろう」という言葉が、あの『Hallowed Be Thy Name』の最初の鐘の音にも通じるように思えた。インドで響く『Hallowed Be Thy Name』や『Fear Of The Dark』。自他ともに認める敬虔なヒンドゥー教徒がほとんどを占めるこのインドという国で、彼ら聴衆は一体どのような思いで"Hallowed Be Thy Name"と叫んでいたのだろう。それは確固たる宗教、神を心の中に持たない私には決してわかり得ない胸中のように思えた。

 この映画は確かにメタルのドキュメンタリーだが、単純にそれだけではない。それは今も世界中に残る、抑圧や差別、不自由、恐怖との闘いだったり、その精神といったものをメタルという音楽を通じて炙り出す、実に考えることの多い映画でもあった。この映画は観てよかった。DVDが出たら買うかもしれない。しかし使われた音楽は随分とエクストリーム系ばかりで激しかったなー・・・。

 余談ではあるが、本編の最後を締めた曲は『Hallowed By Thy Name』。だが、エンディングのスタッフロールの際に流れていた曲が私も一緒に行った人も何だかわからなかった。あれは一体誰の何という曲なのだろう?結構、カッコいい曲だった。

2008年8月25日月曜日

仕事と買い物

 8月は仕事が非常に忙しく、一人繁忙期の様相を呈しつつも何とかかんとかやっています。まぁ仕事に過酷に忙しい時期がたまに来るのは昔からなのでそれはいいのですが、これもまた昔から、一つ変わらない私の癖があります。それは仕事が忙しくなると購入する酒やCDの量が増えること。どんな深夜に帰宅してもインターネットで24時間商品を探して購入できるこのご時世、気力さえあれば週に一度くらいはネットでショッピングくらいはできます。以前にも書いた気がしますが、私も意外とショッピングでストレスを発散できるタイプのようで、仕事が苛酷な際にはそれに比例して買い物の量が増える傾向があります。

 最近はどちらかというと酒よりCDをよく購入します。iPodのイヤフォンをaudio-technicaの『ATH-CK10』に換えてからというもの、インナーイヤー型イヤフォンの特質として外界からのノイズがかなりシャットアウトされた上に音の解像度も非常に上がり、地下鉄のホームの騒音の中でもクラシックのppの音まで明瞭に聴けるようになったので、どこでもクラシック/ロックを問わずに音楽が楽しめるようになったことが非常に大きいのです。前のはHR/HM系の音楽をボリューム大きめにしていても地下鉄のホームに電車が入ってくる際はもう全然音楽は聴こえませんでしたからね。いやー、大したものです。

 というわけで最近はベートーベンに結構ハマっています。今更ですが。しかも指揮者という面ではフルトヴェングラーとトスカニーニという半世紀以上前の巨匠二人にハマっています(苦笑)。いやー、この二人、どちらも残されている録音は実に酷い音質のものが多いですが(特にフルトヴェングラー)、その音楽は実に凄まじく、そして素晴らしい。何故この二人が今も巨匠と呼ばれ、その酷い音源にも関わらず今でも尊敬され続けているか、実に今更ながら最近やっと実感できた次第です。確かにこの二人の演奏を聴くと最近の演奏は酷く頼りない。音楽の持つ力が弱いようにさえ感じてしまいます。

 しかしやはり、ベートーベンの音楽は私にとって少々聴くのに力がいるので、ふと合間にグールドの弾くバッハなど聴くとやはり落ち着きます。まぁ、グールドの演奏で"落ち着く"ってのも如何なものかとは思いますが(苦笑)。

2008年8月13日水曜日

告別・旧『あゆむの雑記帳』、そして、お盆

 多分今月頭くらいになってからだと思うのだが、突然私の学生時代からのメールアドレスであるayum@na.sakura.ne.jpでのメール受信ができなくなった。旧『あゆむの雑記帳』のサービスである。このアドレスでの受信ができないということは、つまり旧『あゆむの雑記帳』のサービスが満了したということである。まぁ元々このayum.jpに移行した次の年で契約は切れていて、利用しているレンタルサーバの新サービス移行キャンペーンで一年間のデータ保持が約束されていただけなので、それが移行後三年も残っていただけでたいしたものだったのだが。今は旧『あゆむの雑記帳』のURLであるhttp://na.sakura.ne.jp/~ayum/にアクセスしても何も表示されない。仕方ないことではあるが、やはり少々寂しい。

 あのHPでは色々なことを書き、様々な人から反響があり、色々な形での交流があった。学生時代も、社会人になってからも、自分自身のランドマークとして、変な話随分と助けてもらったものだ。その内容はこの現『ayum's note - あゆむの雑記帳』にも引き継がれているが、あの当時の姿はもう見れなくなってしまった。もちろん、私のマシンの中にはデータが残っているので見ようと思えば見れないことはないけれど。

 このようにして、時は移る。昔のなじみは少しずつ消えていき、新しいなじみができる。悪いことではない。それは前に進むということ。だが、消えていったなじみをほんの少し懐かしむことも、それもまた別に悪いことではないだろう。

 明日はお盆だ。ご先祖様が一年に一回、里帰りをする日だ。ウチの実家では今も祖父(曾祖父だったかもしれない)が作った手作りのおしょろ様を13日に組み立て、飾り付けをする。いわゆる精霊棚だ。そういえば、祖父が亡くなる前の夏、祖父とこのおしょろ様を組んだ。「(父が作ると)いつもここが間違ってるんだ」と言い、肺を病んでいた祖父は大きくふうふうと息を吸いながら、このおしょろ様を組み立てていった。その祖父も、今はその棚に里帰りする人となってしまった。

 今年もまた、お盆が来る。私にとってこの時期は色々なものを懐かしむ時だ。新潟の夏の、どこまでも平坦な水田の緑と川の景色は、私に色々なものを思い出させる。その意味で、いつからだろう、夏は四季の中で一番寂しい季節になってしまった。

 そう、今年もまた、お盆が来る。

2008年7月22日火曜日

一泊二日、湯河原にて

 この三連休、後半二日間で湯河原温泉に旅行に行ってきた。構成人員は私と妻と娘と、私の両親、そして祖母である。娘から見たら私の祖母は曾祖母。実に4代にわたる壮大な(?)家族旅行である。今回は比較的近場で、しかも温泉で療養もできる湯河原温泉にしようということで、急遽三連休の前の一週間で計画を練って、ある程度行き当たりばったりに、「とりあえず出かけてしまえば何とかなる」くらいの勢いで旅行に出た。

 一日目、新潟から来る両親と祖母と新横浜の新幹線内で合流し、湯河原の途中、小田原で一旦降りる。小田原城址公園を軽く散歩し、天守閣広場の木陰で涼しい風に吹かれながらかき氷を食べ、天守閣に登っていきます。相模湾を一望する眺めと気持ちいい風に癒されて、そばを食べて一路湯河原へ。奥湯河原にある清巒荘という旅館は、少々風呂の構造に難はあるものの、やはり温泉は気持ちよく、それ以上に料理がおいしく、昼間は何かとご機嫌斜めだった娘も夕飯後は絶好調で、6人一部屋の大部屋で夜は更けていきました。

 二日目は観光タクシーに乗って名所巡り。海岸線を走り、貴船神社で海の神輿を見て(京都・鞍馬にも同名の神社があるが、関係は不明)、三ツ石の海岸線を眺め、中川一政美術館にも急遽寄って、湯河原~真鶴を堪能して帰ってきました。しかし観光タクシーとはいいものです。もちろん移動も楽ですが、大して下調べをしていなくてもちゃんと素晴らしいスポット(それは時に穴場含む)を案内してくれます。三ツ石の海岸沿いの休憩所も、中川一政美術館も、非常に素晴らしかったです。

 そんなこんなでこの連休は久しぶりに東京・京都以外に家族旅行に行き、温泉で疲れを癒し、風景に心和ませて帰ってきましたとさ。これで帰宅後のトラブルさえなければ最高だったのですが・・・。しかしよく考えてみれば、家族4代でこうして旅行に行けるというのも恵まれていることです。本当に。

2008年7月8日火曜日

気付いたら10周年

 また今年も七夕がやって来ました。この日だけはどうにかして更新をしなければなりません。今日はこのHPの開設記念日。最近は記事数もめっきり減ってしまい、息も絶え絶えな感じになってしまってますが、それでもたまには来てくれる皆さん、ありがとうございます。「since July 7, 1998」ということは、もしかして今年で10周年でしょうか。自分でも本当に今気付きました。びっくりです。いやいやよく続いたものです。これもひとえに、今でも見捨てずにたまには来てくれる皆さんのおかげかと思います。

 しかし最近は公私とも時間を取るのが難しく、この日記の更新も月に数回のペースまで落ちてしまいました。今日も0時7分渋谷発の急行に乗って家まで帰り、晩ご飯を食べてシャワーを浴びて、「さぁ七夕くらい日記を書くか」と息巻いて管理画面まで到達したところで娘が泣いて、あわててミルクを作って飲ませて落ち着かせてやっと再開したところです。なかなか、このように時間を取らせてくれません。

 しかし娘ももう一才と二ヶ月になります。一般的には一才半くらいまでにミルクは卒業だそうで、最近では娘もミルクをあまり飲まなくなりましたし、さっきみたいに夜中に目覚めることも少なくなりました。だから、こうして夜中に暗い部屋の中で娘を抱っこしてミルクを飲ませていると、「もしかしたらコイツにこうしてミルクをやるのはこれが最後かもなぁ・・・。」とか思ってしまいます。夜中に目を覚ました娘は泣きわめいていても大抵寝ぼけていて、哺乳瓶を口に持っていくと薄目を開けながらそれでも一生懸命に吸い付き、ゴキュゴキュとミルクを飲み干していきます。汗っかきなので額いっぱいに汗をかきながら、ときたま手でその汗をぬぐうように頭や耳をわしわしとかきます。最近ではお腹がふくれると自分で哺乳瓶を口から外し、薄目のまま「うーっ」とえびぞって、私の腕から抜け出そうとします。そして布団に置いてあげると、すぐに一回か二回ゴロンと転がって、寝るための体勢を作ります。そしてそのまままた眠ってしまうのです。まぁ、たまにそのまま目が覚めて夜中にひとしきり暗い部屋の中をハイハイして回ることもありますが(苦笑)。

 そんな風景も、気付けばすぐに過ぎ去ってしまうのでしょう。去年の夏はまだ寝返りも打てずに、たまに腹ばいにしてみて、首を持ち上げたと言っては喜んで、やわらかい体をぐるんと反らせて、かかとと頭がくっつきそうな変な格好で寝ているのを見ては笑っていたものです。今ではもう部屋中を高速でハイハイして回り、数歩ばかりならよたよたと、おっかなびっくり歩くのです。そう、子どもの成長は、あっという間です。

2008年6月16日月曜日

今週の掘り出し物

 24時間音楽計画と平行して、最近はiPodにほぼ日替わりで新しい音源を入れて、これまで買ったはいいけどあまり深くは聴き込んでこなかった音源、あるいは最近買ってまだ聴いていなかった音源の発掘に尽力しています。先週はテンシュテットが指揮を振るブルックナーの『ロマンティック』を発掘しました。そして今週も、またいくつかいい音源が見つかりました。

 一つはピエール・モントゥーが指揮するシカゴ交響楽団のフランク作曲『交響曲ニ短調』。元々はストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』のいい演奏を探していて購入したCDです。モントゥーは19世紀後半生まれで20世紀半ば以降まで活躍した指揮者で、同時代の名指揮者の一人。『ペトルーシュカ』や、同じくストラヴィンスキーの名曲『春の祭典』の初演者でもあります。そんなこんなで実はこのCD、『ペトルーシュカ』ばかり聴いて満足していて、ほとんどまともにフランクの『交響曲ニ短調』は聴いていませんでした(苦笑)。

 ですが、実際に聴いてみるとこの曲がまた実にカッコいい。曲の説明の詳細はリンク先のウィキペディアに譲りますが、Lentでゆっくりと不安げに始まる曲は序盤から緊張感溢れる荘厳な弦の同音連打(ギター合奏で言うところのトレモロに近い)でじわじわとエネルギーを溜め込んでいき、最終楽章のクライマックス、鮮烈な旋律とともに一気に解放された緊張感が音楽としてのカタルシスにつながっていくのです。最終楽章に至るまで聴き手にある種の緊張感の持続と忍耐を要求する曲でもありますが、それが解き放たれた時に噴き出すエネルギーはもの凄い。といってもベートーベンの『運命』の第3楽章から第4楽章への移り変わりのような暗から明への転換ではなく、あくまでどこか暗い情熱をそのまま噴出していく、ある意味ではバロック的な内省を持った交響曲。またモントゥーの指揮が序盤の緊張感をある種の敬虔さを持って紡いでいて実にいい。これは素晴らしい曲、そして演奏です。録音も1961年のステレオ録音でなかなかいい。少なくとも、古さは全く感じない録音です。

 しかしこのフランクの『交響曲ニ短調』、どうやらあまり有名な曲ではないらしく、他に録音を探してもなかなか見つかりません。どうやら、フルトヴェングラーがライヴで演奏したCDがあるらしいです。フルトヴェングラーはベートーベンとブラームスの交響曲以外は自分が納得した曲以外振らなかったというのは有名な話ですが、その彼が演奏をしているということは、やはりこの曲は彼のお眼鏡に適うだけの価値がある曲だったのでしょう。このフルトヴェングラー盤はまだ持ってませんが、是非一度聴いてみたいものです。

 まったくの余談ではありますが、また昨日は娘の寝かしつけで一緒に眠りこけていましたとさ(苦笑)。

2008年6月9日月曜日

24時間音楽計画

 また昨日も日記を書こうと思っていたのに娘の寝かしつけで一緒に沈んでしまった今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。いやー、しかし日頃の疲れ+暗闇+適度のアルコール+静かな音楽はさすがに聴きます。寝ます。まぁ仕方ないでしょう(?)。

 というわけで先々週は東京文化会館にウィーン・フォルクス・オーパーが上演するJ.シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』を観に行き、先週はロックバーで飲んでいたという緩急の差が激しい音楽生活を過ごしている最近ですが、今週はとある計画を実行に移しました。その名も『24時間音楽計画』です。

 きっかけは小泉 純一郎氏が著した『音楽遍歴』。政治家としての彼が好きか嫌いかというのはともかくとして、本屋で見かけて何となく読みたくなったので買って読んでみました。

 まぁ、正直それほど深いことが書いてあるわけではないのですが、いくつか共感するところがありました。例えばクラシックは一度聴いただけではわからない、好きなところがみつかるまで何度か我慢して聴く辛抱強さが必要だという点。これは私はクラシックに限らずロックもそうだと思っていて、高校時代ロックを周囲に布教していた時にCDを貸す際に添えていた言葉が「とりあえず通して2度は聴け」でした。音楽は、そのよさがわかるようになるためにはある程度聴き手に忍耐を求める場合がある。その小泉氏自身が音楽を、クラシックを好きになって行くその経緯、方法は面白かったです。

 そこで出てきたのが今回の『24時間音楽計画』。小泉氏は普段音楽をよく知っているものでも知らないものでも、状況が許す限りは常にBGMとして流しているそうです。そしてその中からふっと「これはいい曲だな」と思うものがあればそこから掘り下げて行く。これは音楽の幅を広げて行くにはなかなかいいやり方のように思えました。もちろん音楽を本当に満喫するには聴くと意思を固めて、じっくりと聴くのが当然一番いいわけですが、それではなかなか裾野を広げて色々な音楽を聴くのが難しい。ところが逆に変な話、BGMとして割り切って流すのであれば何かをやりながらでも別にある程度音楽は聴ける。よく知っているものでもそうでないものも、です。そしてその中でちょっとでも気に入った曲やフレーズがあったら覚えておき、後でじっくり聴き直せばいい。そういうやり方でなら聴かず嫌いをなくして、広大な音源がひしめくクラシックの様々な魅力を探索できるように思えたのです。

 で、今回の『24時間音楽計画』。これまで我が家には私の(自称)書斎にはONKYOの5.1ch対応のコンポ(SACD/DVD-A対応)があり、寝室には妻が独身時代から使っているコンポがあります。が、リビングには音楽機器が何もなかったため、これが日々の生活が音楽に浸りきらない要因の一つになっていました。そこで今回、ヨドバシのアウトレットで一万円を切る程度のコンパクトなCDラジカセを購入。テーブルの上にちょこんと乗っけておいて、いつでも音楽が聴けるようにしようというわけです。当面は私も試しに買って一度くらいは聴いたけど、結局その後真剣に聴き直すこともなく埋もれているCD達をBGMとして流してみることにします。とりあえず今日はブルックナーの交響曲 第4番『ロマンティック』は結構いいということに気がつきました。やはり、音楽の裾野を広げるにはとりあえず流しておくというのも重要です。BGMにしておいても、自分の好きな曲であれば大抵気付くものですから。

 ところで、今日私が聴き直してみたテンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の1984年東京簡易保険ホールでのライブ録音、これはなかなかお薦めです。値段も2枚組で1,000円とお手頃ですし、シューベルトの交響曲 第8番『未完成』も含めて、テンシュテットが非常にいい指揮を振っています。今でこそ日本でも名指揮者の誉高いテンシュテット、当時はまだ日本では名が知れていなかったという頃のライブ録音。このコンサートがきっかけで日本でも認知が高まっていったとか。それがTDK Original Concert Selectionシリーズで出ています。FM東京の秘蔵音源をシリーズ化しているこのシリーズは、なかなか掘り出し物が出てきます。録音も意外にいい。今回のこのCDはテンシュテットの指揮でシューベルトの『未完成』もブルックナーの『ロマンティック』も二度おいしい、なかなかの掘り出し物です。

2008年6月2日月曜日

久しぶりの更新

 久しぶりの更新になります。仕事が少々忙しかったとはいえ、週末には更新しようとしているのですが、最近はその際に障害となることがあります。それは、娘の寝かしつけ。平日は家に帰るともう既に寝ているので、休日くらいはと娘を寝かしつけようとするわけです。すると、最近はウチの子は抱っこよりは添寝が好きなので、暗くした部屋の中で一緒に寝ることになります。静かなクラシックのBGMも流れています。休日は夕食時に大抵一杯はやって軽く気持ちよくなっています。・・・まぁ、見事に娘もろとも私も寝入ってしまいます(苦笑)。

 そんなわけで、最近は休日の更新もできずにいたとのことです。書きたいことは色々あるのですが、実は今日も一旦一緒に寝入ってしまい、起きてはみたものの結構くらくらきています。今後は初心に返って平日の更新も頑張ろうと自分に言い聞かせつつ、今日は軽めにお終いにします。では、おやすみなさい・・・。

2008年5月7日水曜日

オカピ、ホリヤン、金魚坂

 GW最終日の今日は、唯一以前から予定が決まっていた0歳児から聴けるオーケストラ・コンサートの日です。場所は川崎シンフォニーホール。普段からよく買い物に出かけている川崎駅周辺です。11時からの開演に会わせ、10時過ぎに家を出て行ってきました。実はこのコンサート、妻が見つけてチケットを取ってから現地に入るまで、ずっとどこかのアマオケがやっているコンサートだと思っていたのですが、実は東京交響楽団。日本屈指のオーケストラが、年一回とはいえ0歳児でも聴けるコンサートを開いてくれるのは嬉しいものです。指揮はヘルベルト・フォン・ホリヤン。明らかに某大指揮者をパロってますが気にしちゃ負けです(笑)。

 コンサートの内容自体もよく、子供相手だからといってオケが手を抜いてる様子もなく、『天国と地獄』の序曲なんかは純粋に素晴らしいと思える演奏を聴かせてくれました。動物園ズーラシアをモチーフにした動物の着ぐるみ金管五重奏『ズーラシアンブラス』も登場し、随所に笑いあり、よい演奏ありで、なかなかよいコンサートでした。ちなみに、オケの指揮はホリヤンですが、ズーラシアンブラスの指揮は動物園ズーラシアの目玉動物であるオカピです。私たちは丁度オケの真後ろ、パイプオルガンの真上辺りにいたのですが、最初開演の一曲ではそのズーラシアンブラスが真後ろに整列し、いきなり金管で『剣の舞』を演奏し始めるものなので、娘は目を丸くして驚いていました。そしてオーケストラの伴奏で皆で歌おうと『となりのトトロ』より『さんぽ』をオケをバックに会場全員で歌い、アンコールはウィーンフィルのニューイヤーコンサートよろしく『ラデツキー行進曲』で締めて、このコンサートは終わりました。しかし本物のオケ、しかも東京交響楽団クラスをバックに歌えるというのは考えてみれば贅沢なものです。

 そして指揮のホリヤン。芸名(?)出で立ちともにそこそこふざけてはいますが(笑)、0歳児の子供相手に振るのはいつもよりも緊張すると言っていました。子供の真っ白な心に自分が音楽を描いていくのだから、その責任は重大だと。会場に来てくれている子達の生まれて初めての生のオーケストラの指揮を、自分が振っているということは光栄だと。なかなか、わかっています。また来年もチケットが取れれば是非行きたいものです。

 そしてこの連休は、隠れたミッションとして「新しい金魚を探す」というものがありました。年が明けてから立て続けにウチの金魚が亡くなってしまうという事態があり、もう水槽には2匹しか金魚がいなくなってしまっているのです。そこで、今日まで3つの店を回って金魚を探していたのですが、なかなか気に入ったものに巡り会えず、今日コンサートの後に4つ目も見てもどうもピンとこない状態でした。そこで思い立ったのがかねてよりネットで見て気になっていた創業350年の老舗、金魚坂。駅でいったら本郷三丁目。詳細はよくわかりませんが、とりあえず東京都文京区です。実はこれまで横浜・川崎は結構車でも走ってきましたが、東京23区内はまだ車を自分で運転して走ったことはありません。ですがここはカーナビに金魚坂が出てきたのをいいことに、川崎から敢えて車で急遽行ってみることにしました。

 川崎から約一時間のドライブ、最後は泣き叫ぶ娘に戸惑いつつ、やっと金魚坂に着きました。さすが老舗、そこにいる金魚達はホームセンターやデパートのペット売り場にいる金魚達とはひと味違ういい金魚ばかり。色々と目移りする中、私も妻も気に入ったのは羽衣らんちゅうという品種だったのですが、いかんせん1匹6,000円となかなか高価だったため、買ったとしてもその後の扱いがプレッシャーだねと感じ、青みがかった銀色の体色ときれいなうろこ並び、体型が魅力の深見氏産あおらんちゅうを所望してきました。今既にウチの水槽で泳いでいますが、心なしか他の金魚と比べて育ちの良さが泳ぎっぷりに出ている気がします。さすが老舗の生産者特定ブランドです。値段は羽衣らんちゅうに比べれば安いものの、結局プレッシャーです(笑)。

 そして帰りは初の23区内ドライブ。東京ドームの横を通り、九段下、永田町を経由して、246を青山、表参道、渋谷、三軒茶屋と走り抜け、ちょっとばかり観光気分で運転していました。普段仕事でよくいく駅でも、車で通るとまた風景が違います。いやーしかし246、緊張しました。私は元々車の運転にはそれほど興味も自信も持ってませんからね(苦笑)。カーナビがないと特に渋谷を超えてからの246辺りは路頭に迷うところでした。いやー、カーナビは高かったけど投資するだけの価値はありますね。適当に渋滞避けてくれるし。助かります。

 そんなこんなでGW最終日は過ぎ、ウチの水槽にはあおらんちゅうが1匹新たに迎えられたということです。

 余談ではありますが、今日ウチに着いてから話していたら、妻がこんな台詞を言う一幕がありました。

 「豆の話はやめましょう。」

 まぁ、そういうことです。

2008年5月5日月曜日

ルリユールおじさん

 今日、会社の裏手にある子供向け絵本の専門店のような店で、一冊の絵本を見つけた。『ルリユールおじさん』というタイトルのその絵本は、繊細なタッチで描かれた青と灰色を基調とした筆が少々の愁いを帯びた、子供向けというには幾分静謐すぎる印象の絵柄が遠くから私の目を引いた。静かで、綺麗な絵だなと思い、手に取って読んでみた。

 大切にしていた植物図鑑が壊れてしまった少女は、それを直してくれる人を捜して歩く。町の人に「ルリユールのところにもっていってごらん」と言われ、ルリユールを尋ねて回る。ルリユールとは、有り体に言えば本の装幀職人だ。この職業については、絵本の最後に作者による注釈が付いている。

 RELIEURは、ヨーロッパで印刷技術が発明され、本の出版が容易になってから発展した実用的な職業で、日本にはこの文化はない。むしろ近代日本では「特別な一冊だけのために装幀する手工芸的芸術」としてアートのジャンルに見られている。出版業と製本業の兼業が、ながいこと法的に禁止されていたフランスだからこそ成長した製本、装幀の手仕事だが、IT化、機械化の時代に入り、パリでも製本の60工程すべてを手仕事でできる製本職人はひとけたになった。

 この本は少女とルリユールの老人との不器用な交流を通じて、落ち着いた静かな絵とともに色々なことを伝えてくれる。それは道徳的な意味では本を大事にすることの大切さかもしれないし、少女と老人の交流かもしれない。しかし、この本の根底に流れているのは2つ。1つは職人の誇りであり、もう一つは受け継がれるもの、だ。

 職人の誇りやこだわりを描いた文学作品といえば日本では芥川龍之介の『地獄変』がまず浮かぶし、外国文学であればスティーブン・ミルハウザーの『アウグスト・エッシェンブルグ』『エドウィン・マルハウス』が思い浮かぶ。ちなみに、いずれも私が心から素晴らしいと思う作品だ。だが、この『ルリユールおじさん』で描かれている老人はそこまで天才肌や偏執狂的な職人ではない。父の代より受け継いだ、ごく平凡な、だがしかし胸には小さいながらもルリユールとしての誇りを抱いた、そんな老職人だ。そのルリユールとしての小さな誇りがきっと、少女の植物図鑑を少女が期待する以上の形で、夜遅くまでかかってでもその本をなおしてあげようと、「きみの本は明日までにつくっておこう」と彼に言わしめたのだろう。その職人の不器用さと暖かさはしんみりと胸を打つ。

 この老職人は、父も同じルリユールだった。幼い頃のこの老職人は、父の手により修復されていく本を見て、「とうさんの手は魔法の手だね」と言っていた。「修復され、じょうぶに装幀されるたびに本は、またあたらしいいのちを生きる」と。今、老職人は少女の本を修復しながら、「わたしも魔法の手をもてただろうか」とひとりごちる。小さいながらも、確かに受け継がれていく意思と技術。この老職人が直した植物図鑑は、もう壊れることはなかった。そしてその少女は大きくなり植物学の研究者になる。形を変え、世代を超えて、心は受け継がれていく。実に、美しい絵本だ。

 娘がこの本を読めるようになるのはまだまだ先のことだろう。読み聴かせる分には幼稚園くらいでもいけるだろうが、まぁ、つまらないだろう。自分で読むなら早くても小学校低学年くらいか。それでもまぁ、まだ面白くはないかもしれない。できることならば、小学校と言わず、もっと大人になってからでいい。この本の美しさがわかる人間になってほしいと願う。

 最後に、この本のモデルとなったルリユールの工房に掲げられていたという一文を。

 「私はルリユール。いかなる商業的な本も売らない、買わない。」

2008年4月30日水曜日

ピクニック

 GW初日となる今日、天気もよかったので近場の公園までピクニックに出かけてきました。最初は三ツ池公園を目指したのですが、現地についてみると駐車場に長蛇の列。2つある駐車場がどちらも停められずにあぶれた車で道まで一杯です。まだ午前11時くらいなのにこの混みよう。横浜では晴れた日に公園に行くのも大変です。

 だがしかし、ここでめげてはいけません。今の我々にはカーナビという心強い味方もあります。駐車場に入るまでどのくらいかかるかわからない三ツ池公園には早々に見切りをつけ、次はそこから比較的行きやすい綱島公園へ。そこでは近くの駐車場に無事車を停めることができ、公園でレジャーシートをしいて弁当を食べるというピクニックの目的を無事に果たすことができましたとさ。

 ところで、今日はとても天気がよかったので、もう一つ公園を回ってみようということになりました。そこでピックアップされたのが、普段買い物でよく利用するセンター北エリア、いわゆる港北ニュータウン。ここには横浜歴史博物館とつながった、大塚・歳勝土遺跡公園という結構大きい公園があります。文字通り遺跡が公園になっているわけですが、ここが広くてなかなかよい。散歩するにも、娘がもう少し大きくなってきたら遊ぶのにもいいところです。徒歩5分圏内にいつも行くノースポートモールや阪急モザイク等、大きなショッピングモールもあるので買い物にも便利。ここはこれから使いです。

 しかし、ウチの娘、芝生で遊ばせようとしても今日はなかなか遊んでくれませんでした。うーん、まだ慣れてないかなぁ・・・。

2008年4月20日日曜日

足止め、いわきにて

 昨日のことになりますが、いわきに出張に行っていました。いつものように当然のごとく朝7時上野発の特急スーパーひたちに乗っての日帰り出張です。私の家から7時上野発の電車に乗るには4時半起きで5時半には家を出なければなりません。しかも朝5時半にはまだ駅までのバスは走っていないので、20分程度の歩きです。昨日も家のドアを開けた瞬間に「うわ、俺この中、駅まで歩くのか・・・」とちょっとヘコむくらいの雨が朝から降りしきる中、ビニ傘さして駅まで歩いて行きました。

 そして一通り仕事を終え、さて、帰ろうかといわき駅に着いたのが18時半過ぎ。次の上野行きのスーパーひたちは19時13分です。とりあえず指定を取り、数分前まで改札近辺にいた後、雨風吹き荒れるホームに降りて行きました。

 ・・・が、電車が来ません。いくら東北とはいえ4月とは思えない強い雨風と低い気温の中、いくら待っても電車が来ません。まぁ、この雨風なら多少は遅れるかね、と思い待つも、電車は来ません。19時半くらいになってやっと、アナウンスがありました。常磐線の線路に倒木のため、運行は一時見合わせ、と。復旧予定は21時頃。やってくれます。確かにお客のところにいた際にもあまりに強い雨風で、「こりゃ早く終わらせないと帰りの電車止まりますねー」とか冗談混じりに話してましたが、まさか本当に止まるとは思いませんでした。しかも復旧予定が21時ということは、上野に着くと23時半。家に帰るには結構ギリギリです。それでもまぁ、電車を待って帰ろうかという話になり、一緒にいたパートナー会社の人と「とりあえず21時まで時間を潰そう」と、いわきの飲み屋に向かって行きました。

 飲み屋で適当に飲みつつノートPCでネットを確認し状況をウォッチしていると、まず20時半頃、復旧予定が21時45分頃に変更になりました。21時45分!それでは上野に着くと0時を回ります。日吉まではギリギリ帰れないので、武蔵小杉からタクシーです。それでも0時12分が最終。油断なりません。こりゃあ無理かな、と半ば諦めかけたのが確信に変わったのは結局リミット寸前の21時40分頃。判定が出ました。

 スーパーひたち、運休。

 ・・・とりあえずそのまま飲み屋でひとしきり飲み、ネットでホテルを探して電話して部屋を取って泊まっていきましたとさ。

 余談ですが、飲み屋からホテルまでの行程は酷かったです。真横から吹き付ける雨風に傘がヘシ折られるのでさすだけ無駄で、結局傘もささずにホテルも見つからずに15分ほどいわきの駅前をウロウロと、雨にやられて濡れるがままに、風にやられて髪も乱れるままに、それはもう這々の体で道に迷っていましたとさ。ふう、やれやれです。

2008年4月11日金曜日

経過観察

 突然の暗雲は、やってきた時同様また突然に去って行った。また、戻ってくる懸念もないではないが、とりあえず当面は大丈夫だろう。とりあえず、久しぶりに自分自身に課した中期目標に向けて、予定通り精進することにする。

 話は変わるが、今週は私の好きなアーティストの作品が2つも出た。どちらも過去の再発掘といった感のあるものだが、1つはBOΦWYの『“LAST GIGS”COMPLETE』、もう1つはDream Theater初のベスト盤、『Greatest Hit (....And 21 Other Pretty Cool Songs)』だ。

 中学・高校時代に熱狂していたBOΦWYの解散ライヴ、かの名盤『LAST GIGS』の完全版DVD。これは買わないわけにはいかない。何しろ実家の私の部屋には今でも当時貼っていたいたBOΦWYのポスターがそのまま貼ってある(苦笑)。AmazonではDVDは予約で買うと20%くらいOFFになるので、迷わず予約購入して今手元にある。まだ封も開けていないが、この週末はゆっくりと堪能させていただくとしよう。

 今でも仕事中に聴く音楽No.1、熱狂的信者を自称するDreamTheaterのベスト盤。これも買わないわけにはいかない。DreamTheaterはアルバム全体の構成、あるいはアルバムとアルバムの間の構成も含めて圧倒的な構築美を演出するタイプなので、単一の楽曲を切り出したベスト盤はどうなんだろうと疑問視する声もあるし、実は密かに私もそう思わなくはないが、そこは気にしたら負けだ。DreamTheaterである、ただそれだけで買いは不可避なのだ。名盤『Images and Words』より、特に私の好きな3曲がリミックス版で収録されているだけでも、それだけの為に手に入れなければならない。当然、これも入手済みだ。明日辺り、iPodの中に入れて出張の新幹線の中でゆっくり聴くとしよう。

 どちらも、楽しみだ。

2008年4月5日土曜日

青天の霹靂

 寝耳に水とはこのことだ。きしみ、ひびが入り、とうとう屋台骨が倒れると、乗っていた屋根やら何やら、一気に崩れて押し寄せてくる。事態は風雲急を告げる。仕方がないのはわかっている。わかっているが、あえて苦言を呈させてもらえるのなら、そう、いつも来るのが遅すぎる。いつも、私が求める時にはそこには何もなく、別の道に歩を進め始めてから急に背後に現れる。やれやれ、まったくもって人生はうまくいかない。

2008年4月1日火曜日

いつものように年度末

 3月31日。今年も年度末がやってきた。今年は29日の土曜までで仕事は大きく一区切り付いていたので、割に平穏な年度末の業務を淡々とこなしていた。毎年のことだが、この日には色々な人が去って行く。明日以降、新卒入社も含めて新たに来る人も多いが、その前にやはり去って行く。今年はウチの会社(昨年分社化した子会社の方)だけで3人。すべて派遣社員の人が契約満了という形で去って行った。

 何気にこの業界は狭い。私はその後道でばったり会った程度しか経験がないが、会社を去った人と別の形で仕事で再び会うこともままあるという。今日去って行った人の一人は、ウチの製品が好きなのでいつか自分が勤めるところにも薦めてみたいと言ってくれていた。多分に方便だろうが、まぁそれでも素直に嬉しく思うくらいはいいだろう。あくまでも期待はせずに。そのようにして、ある人は去り、ある人は残って、少しずつ組織は変わって行く。よくも悪くも、時間は流れ、何かを運び去り、何かを連れてくる。今、東京の桜は満開だ。今朝の冷たく暗い雨に打たれて、その花を少しばかり散らせていた。花は咲き、散り、そしてまた咲く。そういうことだ。

 今日付けで去って行く三人のうち、二人は帰り際に挨拶をした。こういう時、私が最後に言う台詞は昔から変わっていない。こちらはまぁこれからも適当にやるから、アンタもアンタで元気でなという、そんな大雑把な手向けの挨拶。少し、右手を上げてこう言う。
 ・・・達者でな。

2008年3月31日月曜日

しばらくぶりに

 ここ最近は日記の更新も滞りになってしまい、実に申し訳なく思っています。年度末特有の仕事の忙しさで結構やられていた(久しぶりに一週間の平均睡眠時間が三時間程度になった)のと、最近はあまりに政治にイライラしすぎてちょっと一言文句付けてやりたい気分で一杯なのに、あまり政治について表で語るのは好きでないしやるべきでないというポリシーのもと、他に書くことも思い浮かばずに更新に向かえなかったという事情があります。

 とりあえず今日は3月に入ってほとんど初めてのまともな休日。妻と娘は二週間佐賀に帰っている最中なので、一人でのんびりでした。まぁ、といっても一人ということは掃除やら何やら家事も入ってくるのでそれなりに動いていましたが。

 今日は横浜市営地下鉄グリーンラインの開業日。私が日吉に越してきた時から開通する・しないでドタバタしていた、日吉~中山間をつなぐ地下鉄です。東急の二大路線である東横線と田園都市線は、その間をつなぐ路線が少ないためこの路線の間に挟まった地域には都会にしてはアクセスが難しかった感があるのですが、このグリーンラインの開通で大分交通の便が解放されます。日吉からセンター北・センター南に一本で出られるのは便利。まぁ、私は最近は車で行っちゃうので今更電車も使わないんですが(笑)。とにかくこのグリーンラインの開通に伴い、今日の日吉駅前は文字通りお祭り状態でした。チンドン屋はいるは神奈川新聞は無料で配ってるは、ただでさえいつも混雑して人と車とバスがひしめいている駅前がさらにパニック度を強めてました。とりあえず私も開業記念に切符を買い、別に乗りもせずに帰ってきましたとさ。・・・車がある今となっては使わないんだよなー、あの路線。とりあえず、Yahoo!路線なんかではもうグリーンラインの検索もできるようです。日吉からセンター北まで12分で行くんですね。早いなー。車だと20分から混雑次第で30分くらいはかかるのに。

2008年3月18日火曜日

おやおや

 どうやら予想以上に悪い事態になっているようですね?

2008年3月10日月曜日

日本経済分岐点

 サブプライムローン問題とそれに付随する世界的な金融信用収縮問題で、やたらと経済に関する暗いニュースが耳に入ってくる昨今。アメリカが景気後退局面を迎え、世界経済もどこまで減速して行くかが不透明な中、個人的には日本も今一つの分岐点に立っているように思う。これまで"実感を伴わない"と言われつつも景気拡大を続けてきた日本が、現状維持から比較的傷の浅いマイナスか、あるいは運が良ければプラスに経済と国際的な立場を持って行けるのか、あるいはまた今度は"実感を伴う"本格的な不況に入って行くのかの分岐点だ。その一つのキーポイントはやはり日銀総裁人事の問題にある。端的に言うと日銀総裁の座に空席が生じるかどうかだ。もう一つは外部要因による急激な為替の変動。これは日銀総裁の問題に決着が着く前に、外部要因でどこまで円高が進むかだ。少しばかり、考えてみよう。

 日銀総裁人事の問題に関して言えば、結論は単純に一つだ。たとえそれが短いものであっても空席は生じさせるべきではない。この世界的な金融不安の情勢の中で日銀総裁が空席になることは、諸外国から見た場合は日本という国自体の信用に対する大きなマイナスとなる。与党とか野党とかいう問題ではない。日本という国に対する信用だ。アメリカではFRBが、EUではECBが、このサブプライムローン問題に端を発する信用不安とインフレの挟み撃ちにあいつつも中央銀行として必死の舵取りをする中、日本だけはその舵を取る中央銀行の総裁が決まりませんでしたというのでは洒落にもならない。諸外国から見ればそんな国に資金を投入するのは愚以外の何者でもない。日銀総裁空席となれば、東京証券取引所の7割の売買を占める海外の投機家達は一斉に資金を引き上げて行くだろう。市場がどんなに動乱しても市場の舵を取るべき中央銀行の総裁が不在の国になど投資はしたくない。最悪の場合、日銀や政府による為替介入はできないと踏んだ投機筋が、巨大なドル売り円買いをしかけてくるのではとの見方もある。その場合、1ドル100円を切るような円高へ一気に進み、最悪、日本の金融は破綻する。かつてイギリスを襲ったポンド危機はジョージ・ソロスという投機家が一人で(もちろん厳密には彼が運営するファンドが、だが)引き起こしたということを忘れてはいけない。結局ソロスはイギリスをEU(当時ERM)からの脱退を余儀なくさせるまで追いつめた。通貨危機は起こりえる。ポンド危機の後のアジア通貨危機も、構図としては似たようなものだった。日本円では起こらないと考える理由はない。特に中央銀行に為替介入を行う舵取りをするべき総裁がいないタイミングならなおさらだ。

 まぁ、実際はそこまで極端な危機の可能性は低いと見るが、日銀総裁空席が海外資金の日本からの撤退を招くのは間違いない。日銀総裁空席が決まるまでの間に、仮にアメリカの信用不安が増大して円が1ドル100円台あるいはそれ以上まで上がっていたとしたら、海外資金流出に伴い株価は急落するだろう。その場合、今後二、三ヶ月で日経平均が10,000円を割る可能性もゼロではない。この程度のシナリオは十分あり得る。そうすると日本経済は輸出企業の為替差損による大幅減益と個人・機関投資家を問わない大幅な運用資金のキャピタル・ロス、そして(日銀総裁人事の問題とは無関係だが)現在の情勢として不可避的に襲ってくる物価の上昇、といった要因から一気に景況が悪くなる。不景気の到来だ。

 しかるに、気に入らないのは日銀総裁人事を政治の道具にしている今の政治家達だ。与党も野党もどちらも気に入らないが、この件に関しては特に野党だ。確かに日銀総裁人事提出までの与党のやり方は色々とまずかったし、政局として今が政権奪取のチャンスだということは理解できる。だが、ここまで世界的に経済情勢が不安定な中、日銀総裁人事を政治の道具にしてしまうことはどうだろう。日経新聞のコラムでも、日銀総裁人事は政局と切り離した上で独立して与野党協調して進めるべきだとの論があった。これに強く賛成だ。野党が主張する財金分離に与党が提示した人事が合わないというのなら、せめてこれなら妥協できるという代案を提示すべきだし、私がこれまで書いてきたようなリスクを考慮した上で、そのリスクを取った上で何故今なお財金分離を実現すべきなのか、それが実現されないことによるリスクは日銀総裁空席というリスクより大きいのかということを説明するべきだ。世論ばかり気にして、どのようなアクションを取ったら日銀総裁空席という結果を招いたことに対する批判を軽減でき、なおかつ与党の信用を落とすことができるかばかりを考えているようでは有権者を馬鹿にしているとしか思えないし、国のためを考えているとも思えない。本当に国のためを考えているのなら、最低限日銀総裁空席のリスクより財金分離が実現しないことにより生じるリスクが大きいことを説明・証明するべきだ。私には財金分離が実現しないことにより生じるリスクがそこまで大きいようには到底思えない。

 結局、与党とか野党とかではない。今は政治が腐っている。国のため、国民のためと口では言ってみても、我が身のことばかりを優先する政治家ばかりだということだ。そうではないというのなら、最低限私が求めた説明・証明は提示するべきだ。かつて日本にも大志を持った政治家はたくさんいた。板垣退助が、大隈重信が、今の政治を見たら一体何を思うのだろうか。今、日銀総裁人事問題は、私が日本の政界そのものに対して(非常に強く断固とした)不信任を突きつけるかどうかの試金石になっている。願わくば、まだ政治にも志はあったと安心できる結論をこの問題では望みたい。

2008年3月3日月曜日

初節句

 一日ばかり早いが、3月3日は桃の節句。ウチの娘にとっては初節句だ。年度末の煽りで少々忙しい仕事を無理矢理休んで、3月1日~3日は三連休としてゆっくりお祝いをすることにした。2月はやたらと休日出勤が多かったが、それ以前に2007年12月に休日出勤があったのでその日付で代休申請を出したら「2005年9月分が残っているのでそちらから消化してください」と総務から差し戻された。2005年9月!覚えてねーよ!以前にも似たようなことがあったが、一体代休はあとどのくらい残っているのだろうか・・・?

 というわけで娘の初節句だ。3月はウチの両親も妻の両親も仕事が忙しくて横浜まで出ては来れないので、とりあえず家族3人だけでのんびりとお祝いをすることにした。それでというわけではないのだが、まず昨日は大倉山公園の梅林にちょっとお花見へ。ちょうど見頃の梅の花は、種類ごとに微妙に色合いの違う白梅・紅梅織り混ざって、少しばかりまだ肌寒い春先の空気をやや謙虚に、それでもやはり艶やかに染め上げてくれていました。梅の花は桜ほど爛漫と咲き乱れるわけではなく、しっとりとおとなしい、どちらかというと慎み深い咲き方をしますが、その控えめな美しさがまた悪くないと、そう思うわけです。大倉山公園の池の中には、おそらく冬眠から覚めたばかりであろうウシガエル達が一杯いて、それを子供達が見て楽しんでいました。小さい男の子達の間ではウシガエルがつかめるかどうかが度胸試しみたいになってましたね。なかなか、微笑ましかったです。まぁ田舎育ちでしかもカエル好きで、あらゆる種類のカエルをつかまえて自由研究までやった私としてはウシガエルはかわいいものです。もちろん、余裕でつかめます。まぁ、さすがにその場では子供達に混ざってカエルを追いかけ回すようなことはしませんでしたが(笑)。ちょっとカエルを見てテンション上がってしまいました。

 そして今日は写真館で記念撮影です。妻は結婚する時に祖母からプレゼントされた着物を着て、娘はかわいい袴を着て、私はいつものダークスーツ(ただしクリーニングしたて)に祖父の形見としていただいてきた白いネクタイを締めて、日吉の写真館で3人で初節句の記念写真を撮ってもらってきました。しかし撮影現場にて、肝心の娘が見事に大泣き。せっかくの撮影なのに着いたとたんに泣き始めて、一人で撮影用の椅子に座らせようものなら怪獣のように泣き叫んでしまって目も当てられません。写真館の人が一生懸命デンデン太鼓やぬいぐるみであやしてくれて、たまに一瞬気を引かれて泣き止んだりするのですが、結局すぐにまた大泣き。娘一人の写真では泣き叫んでいるシーンか、なんとか泣き止んでいるものでも涙目で目にも頬にも涙が残っている顔しか撮影できませんでした(苦笑)。いやー、なかなか、難しい・・・。

 さてさて、明日はまだ一日代休です。やたらと休日作業が多くて二日続けた休みが一回も取れなかった2月でしたし、3月もまぁまだ仕事が落ち着いたわけではないのですが、とりあえず娘の初節句、そんな時くらいは忙しい仕事のことも忘れてのんびりと家族で過ごしたいなと思うわけです。まぁ、そういった矢先からなんですが、明日は客先に電話一本入れなきゃ行けなかったりするわけですが・・・。

2008年2月21日木曜日

2008年2月18日月曜日

雑記

 2月に入ってから最初の更新まで随分と間を空けてしまいました。仕事が忙しかったのもあり、なかなか夜に家に帰ってから落ち着いてPCに向かう時間が取りづらかったのです。とりあえず、近況をざっと。

 娘は順調に大きくなっています。最近はハイハイだけでは飽き足らず、テーブルにつかまり立ちもすれば赤ちゃん椅子を押して押し歩きもします。夏にはまだ寝っ転がって眺めるだけだったメリーに、つかまり立ちをする姿を見ると「おお、短い間に大分成長したなぁ」と実感することができます。生まれてこのかた、未だに熱を出したこともない元気な赤ちゃんです。

 Jeff Langというギタリストを発掘しました。タワレコで彼のベスト・アルバムである『Between the Dirt and Sky』がフューチャーされていて、試聴してみたらもの凄くカッコよかったので、思わず衝動買いをしてしまいました。オーストラリアのスライド・ギターの名手だそうです。その音楽性はやはりスライド・ギターと言えばどうしても思い出されるDerek & The Dominos(有名なのはやはりなんと言っても『いとしのレイラ』)のようなブルース・ロック調のものにJazzのテイストを少し加えたようなものを基調に、あるいはウィンダム・ヒルのようなテクニカルで空間的な音楽もやるかと思えば、オースラリア土着のルーツ・ミュージックまで、どちらかというと土臭い匂いのする音楽を熱いハートと魂で聴かせてくれます。このJeff Langのギターを聴いてまず驚いたのはその異常なまでのテンションの高さ。この『Between the Dirt and Sky』では1曲目・2曲目といきなりのハイテンションでもの凄いパワーのあるギターを聴かせてくれます。正直、ギターだけでここまでテンションを上げた音楽を奏でられる人間はそうはいません。思い浮かぶ限りではかつてキムにビデオを見せてもらったフラメンコのギタリスト、ディエゴ・デ・モロンくらいでしょうか。その聴き手をグイグイ引っ張っていき、引っ張って行った挙げ句にヘタすりゃついて行けないくらいまでテンションを上げて行くそのギターは、聴いていてなかなか気持ちがいいです。久しぶりにいいギタリストを発見しました。

 とにかくそんな形で、長い間日記の更新はできませんでしたが、何とか私は元気です。かしこ。

2008年1月28日月曜日

最近のBGM

 子供が眠くてぐずっている時、よくBGMを流して落ち着かせながら寝かしつけをしている。最近よくかけるのは以前にも紹介したNigel Northが弾いている『Bach on Lute Volume. 3』、セルシェルの『eleven-string baroque』、そしてKeith Jarrettが弾くBachの『ゴールドベルグ変奏曲』辺り。特に最後のキース・ジャレットのゴールドベルグは最近よくかけている。

 たとえば、『eleven-string baroque』はまだ陽が出ている夕方がいい。今日のような静かでよく晴れた夕方に、セルシェルの素直に澄んだ音色でヴァイスの『パッサカリア』の暖かいイントロが流れてくるとホッとする。私自身が小さい頃、ウチの親はよくグールドの弾く『ゴールドベルグ変奏曲(1955年録音の方)』で寝かしつけていたそうだが(私の生まれは1977年。グールドの晩年のゴールドベルグ変奏曲の録音は1981年なので、私が赤ちゃんの頃にはまだない)、私は同じ曲でキース・ジャレットの演奏のものを選んでいる。キースの盤はチェンバロで演奏されていて、清流のようなその透明感のあるきらびやかと静謐さ、木漏れ日でできた日だまりのような暖かさが気に入っている。もちろんグールドの演奏も素晴らしいし、どちらも比べてどちらがよいというような次元は突き抜けた素晴らしい演奏を聴かせてくれている。ただ、子供の夢見がいいのは刺激的なグールドよりキース・ジャレットかな、と思ったわけだ。この演奏は八ケ岳高原音楽堂でのライブ録音だそうだが、その美しい自然のイメージが喚起されるような、爽やかでゆったりと滑らかな、実に素晴らしい演奏だと思う。というわけで、最近はこの盤をよくBGMに利用している。

 ちなみに、やっぱり一番ぐずりが落ち着くのはやはりNigel Northのリュート版無伴奏チェロ組曲のようなのだが。

2008年1月21日月曜日

燕は再び飛んだ

 1月17日付けの日経新聞で、『燕は再び飛んだ』というタイトルの記事が掲載されていた。年が明けてから一面に連載されている『YEN漂流』というコラムで、割と楽しみに毎朝読んでいる。17日の朝も日経新聞を手に取り、まずこのコラムのタイトルを確認した。そのタイトルを見た時、「燕ってまさかあの燕かねぇ」とすぐに思ったのだが、直後に「iPod」の文字が目に入ったところで確信した。これは新潟県燕市についての記事だと。燕市は私が通った三条高校のある三条市のお隣で、私の実家がある旧白根市とは旧中之口村を間に挟んで車で15分程度の距離だ。洋食器の製造で世界的に名を馳せた街。小さな下請けの個人工場も多く、町並みを見る限りでは正直当時からもう一つパッとしない街だった。

 記事の内容は大雑把に以下の通り。輸出がメインの燕市は円高になるとその分為替差損で収益が減るため、円高局面になる度に「これ以上円高になればペンペン草がはえる」と言われる地域だ。その燕市がニクソン・ショックやプラザ合意といった円高危機を常に新たな需要を探し、技術を磨いて行くことで乗り切り、iPodの背面の鏡面ステンレスをその技術力をもって見事に仕上げてみせることで危機から飛躍へと進んで行くというものだ。記事では、iPodを扱う東陽理化学研究所以外にも同様に新しい技術の模索と確かな技術力の確立で世界を舞台に踏ん張ってきた燕市の企業達を紹介している。

 一読して、まず「地元もがんばってるなぁ」と素直に思った。特に米アップルがiPodの鏡面ステンレス仕上げについて「要求をすべて満たしてくれる世界ナンバーワン企業」と東陽理研を褒めちぎったというくだりはちょっと感動すらした。あの街でそこまで世界に認められる技術が育っていたのかと思い、そしてすぐ近くに住んでいて、当然燕に遊びに行くこともちょくちょくあったのに、そのことに今まで気付かなかったんだなぁとも思った。知識として、燕の技術力は世界レベルだということは知っていたが、それまでまったく実感はなかったのだ。身近なところに意外に見落としは多い。

 この記事は最後にこう結ばれている。

 困難に際し単に身をかがめたり、政府に助けを求めるだけでは競争力は高まらない。自らの技術を磨き、環境変化に遅れないよう不断の構造転換を進めた燕の経験は、日本経済と円が漂流を脱する大きなヒントになりそうだ。

 個人的には日本が誇る"ものづくり"は今後新興国の追い上げ圧力が強まって行く中、十年以上の長いスパンで見た場合には最終的には強みにならなくなってしまうか、少なくとも差はかなり縮まってくると思っている。なので、この記事の結びを単純に製造業に当てはめただけでは日本経済の漂流は止まらないというのが個人的な見解だ。製造業依存、輸出依存が強い今の構造自体を転換し、新しい強みを模索して構造転換を図ることができなければ日本は沈んで行くだろう。新しい強みとなれる分野や技術を探し、力を入れる産業分野のアロケーションから見直すほどの構造転換が必要になる。先日、大田経済財政相は「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と述べた。認識が遅い気もするが、認識がないよりはいい。燕は確かな技術力と変化を恐れない構造転換で再び飛び立った。日本は、再び飛べる日が来るのだろうか。


2008年1月15日火曜日

Mac不調

 私のMacの調子が最近おかしい。原因は明白で、OSを10.3(Panther)から10.5(Leoaprd)にアップグレードしたためだ。実は結構色々困っている。例えば、アップデート後にAirMacカードを認識しなくなり、無線LANが使えなくなった。これはLeoaprdを再度上書きでインストールすることにより解決できた。

 ところが、次はソフトウェア・アップデートを行おうとした際に管理者パスワードを入力しても「それは管理者じゃない」と弾かれるようになった。調べてみるとLeopardを二回以上アップデートした場合に発生するバグだそうで、私は今回まんまとそれにはまったことになる。仕方がないのでリンク先で説明されている通りOSのDVDからrootユーザーを解放し、root権限で元のユーザを管理ユーザーに戻してあげることでなんとか回避できた。

 しかし、いまだにアップデート後にiPhotoが起動しなくなったという問題が解決できていない。おかげで簡単な画像加工ができないので、BLOGに使う写真の作成ができずに困っている。本来であればこの連休でウチに来た新入りの金魚を写真付きで紹介する記事を書きたいところなのだが。iPhotoはどうやらインストールされた状態のままOSをアップデートするとアプリケーション自体はアップデートされないらしいので、その絡みで元々Pantherで動いていたiPhotoはLeopardでは動かないんだろうなというのは想像に難くないのだが。一度削除して入れ直せばいいらしいのだが、LeopardのインストーラのカスタムインストールではどうやらiPhotoのみのインストールができないらしいのが面倒くさい。せっかくOS再構成後パッチ等を当て直した作業をまたやるのはちょっと億劫だ。何とかカスタムインストールする方法ないかなぁ、と思っている。

 どうやらOSは10.3、ハードはPowerBook G4と、ハード/ソフト両面で二世代以上前に当たる私のマシンの環境からは、Leopardにアップデートしたことで色々と問題が発生してしまっているようです。ふう、やれやれ。

2008年1月8日火曜日

新年抱負

 少々遅まきになりましたが、新しい年がやってきました。今年は喪中故に対外的には粛々と、しかし娘の存在が親戚連中を盛り上げてその意味では温かに、年始の時を過ごしておりました。

 さて、去年の総括は前の記事で行いましたが、では今年はどうするか。願わくば、決意の年にしたいと思います。私が遅すぎたスタンス・ドットを嘆いてから、そこからですら既に2年が過ぎ去ってしまいました。私は、顔を上げなければなりません。少なくとも、まずその立ち位置を確認するために。次に、周囲の状況を見渡すために。そして、進むべき方向を見定めるために。それには、決意が必要です。勇気と無謀を取り違えない冷静さを保ちつつなお、その冷静さを諦観で終わらせないために。