2008年1月21日月曜日

燕は再び飛んだ

 1月17日付けの日経新聞で、『燕は再び飛んだ』というタイトルの記事が掲載されていた。年が明けてから一面に連載されている『YEN漂流』というコラムで、割と楽しみに毎朝読んでいる。17日の朝も日経新聞を手に取り、まずこのコラムのタイトルを確認した。そのタイトルを見た時、「燕ってまさかあの燕かねぇ」とすぐに思ったのだが、直後に「iPod」の文字が目に入ったところで確信した。これは新潟県燕市についての記事だと。燕市は私が通った三条高校のある三条市のお隣で、私の実家がある旧白根市とは旧中之口村を間に挟んで車で15分程度の距離だ。洋食器の製造で世界的に名を馳せた街。小さな下請けの個人工場も多く、町並みを見る限りでは正直当時からもう一つパッとしない街だった。

 記事の内容は大雑把に以下の通り。輸出がメインの燕市は円高になるとその分為替差損で収益が減るため、円高局面になる度に「これ以上円高になればペンペン草がはえる」と言われる地域だ。その燕市がニクソン・ショックやプラザ合意といった円高危機を常に新たな需要を探し、技術を磨いて行くことで乗り切り、iPodの背面の鏡面ステンレスをその技術力をもって見事に仕上げてみせることで危機から飛躍へと進んで行くというものだ。記事では、iPodを扱う東陽理化学研究所以外にも同様に新しい技術の模索と確かな技術力の確立で世界を舞台に踏ん張ってきた燕市の企業達を紹介している。

 一読して、まず「地元もがんばってるなぁ」と素直に思った。特に米アップルがiPodの鏡面ステンレス仕上げについて「要求をすべて満たしてくれる世界ナンバーワン企業」と東陽理研を褒めちぎったというくだりはちょっと感動すらした。あの街でそこまで世界に認められる技術が育っていたのかと思い、そしてすぐ近くに住んでいて、当然燕に遊びに行くこともちょくちょくあったのに、そのことに今まで気付かなかったんだなぁとも思った。知識として、燕の技術力は世界レベルだということは知っていたが、それまでまったく実感はなかったのだ。身近なところに意外に見落としは多い。

 この記事は最後にこう結ばれている。

 困難に際し単に身をかがめたり、政府に助けを求めるだけでは競争力は高まらない。自らの技術を磨き、環境変化に遅れないよう不断の構造転換を進めた燕の経験は、日本経済と円が漂流を脱する大きなヒントになりそうだ。

 個人的には日本が誇る"ものづくり"は今後新興国の追い上げ圧力が強まって行く中、十年以上の長いスパンで見た場合には最終的には強みにならなくなってしまうか、少なくとも差はかなり縮まってくると思っている。なので、この記事の結びを単純に製造業に当てはめただけでは日本経済の漂流は止まらないというのが個人的な見解だ。製造業依存、輸出依存が強い今の構造自体を転換し、新しい強みを模索して構造転換を図ることができなければ日本は沈んで行くだろう。新しい強みとなれる分野や技術を探し、力を入れる産業分野のアロケーションから見直すほどの構造転換が必要になる。先日、大田経済財政相は「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と述べた。認識が遅い気もするが、認識がないよりはいい。燕は確かな技術力と変化を恐れない構造転換で再び飛び立った。日本は、再び飛べる日が来るのだろうか。


1 件のコメント:

  1. その日経の記事は読んだよ。
    そして、この一週間、なんとかT市とウチの会社の関係について、さらに日本のものづくり、製造業、産業構造のあるべき姿について、私の現職における立場も考えつつ、ウマいコメントを付けようと思案してきたのだが・・・まあ、なんだ、今日、ウチ側の最有力業界の新年会に出てきて酒に酔いつつ思うことには、とりあえずは、ウチの会社を見ててくださいってコトです。ウチの会社に取材が来るころには、オレは既に退場してる(させられてる)かもしれませんが。
    細かい話は、そのうち、また。はい。
    とりあえずは、ayum君の・・・あるいは、日本国民すべてが期待する1万フィート上空を突っ切って行ければいいなと思います。いや、酔ってるけどね、今日は。

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