2008年8月25日月曜日

仕事と買い物

 8月は仕事が非常に忙しく、一人繁忙期の様相を呈しつつも何とかかんとかやっています。まぁ仕事に過酷に忙しい時期がたまに来るのは昔からなのでそれはいいのですが、これもまた昔から、一つ変わらない私の癖があります。それは仕事が忙しくなると購入する酒やCDの量が増えること。どんな深夜に帰宅してもインターネットで24時間商品を探して購入できるこのご時世、気力さえあれば週に一度くらいはネットでショッピングくらいはできます。以前にも書いた気がしますが、私も意外とショッピングでストレスを発散できるタイプのようで、仕事が苛酷な際にはそれに比例して買い物の量が増える傾向があります。

 最近はどちらかというと酒よりCDをよく購入します。iPodのイヤフォンをaudio-technicaの『ATH-CK10』に換えてからというもの、インナーイヤー型イヤフォンの特質として外界からのノイズがかなりシャットアウトされた上に音の解像度も非常に上がり、地下鉄のホームの騒音の中でもクラシックのppの音まで明瞭に聴けるようになったので、どこでもクラシック/ロックを問わずに音楽が楽しめるようになったことが非常に大きいのです。前のはHR/HM系の音楽をボリューム大きめにしていても地下鉄のホームに電車が入ってくる際はもう全然音楽は聴こえませんでしたからね。いやー、大したものです。

 というわけで最近はベートーベンに結構ハマっています。今更ですが。しかも指揮者という面ではフルトヴェングラーとトスカニーニという半世紀以上前の巨匠二人にハマっています(苦笑)。いやー、この二人、どちらも残されている録音は実に酷い音質のものが多いですが(特にフルトヴェングラー)、その音楽は実に凄まじく、そして素晴らしい。何故この二人が今も巨匠と呼ばれ、その酷い音源にも関わらず今でも尊敬され続けているか、実に今更ながら最近やっと実感できた次第です。確かにこの二人の演奏を聴くと最近の演奏は酷く頼りない。音楽の持つ力が弱いようにさえ感じてしまいます。

 しかしやはり、ベートーベンの音楽は私にとって少々聴くのに力がいるので、ふと合間にグールドの弾くバッハなど聴くとやはり落ち着きます。まぁ、グールドの演奏で"落ち着く"ってのも如何なものかとは思いますが(苦笑)。

2008年8月13日水曜日

告別・旧『あゆむの雑記帳』、そして、お盆

 多分今月頭くらいになってからだと思うのだが、突然私の学生時代からのメールアドレスであるayum@na.sakura.ne.jpでのメール受信ができなくなった。旧『あゆむの雑記帳』のサービスである。このアドレスでの受信ができないということは、つまり旧『あゆむの雑記帳』のサービスが満了したということである。まぁ元々このayum.jpに移行した次の年で契約は切れていて、利用しているレンタルサーバの新サービス移行キャンペーンで一年間のデータ保持が約束されていただけなので、それが移行後三年も残っていただけでたいしたものだったのだが。今は旧『あゆむの雑記帳』のURLであるhttp://na.sakura.ne.jp/~ayum/にアクセスしても何も表示されない。仕方ないことではあるが、やはり少々寂しい。

 あのHPでは色々なことを書き、様々な人から反響があり、色々な形での交流があった。学生時代も、社会人になってからも、自分自身のランドマークとして、変な話随分と助けてもらったものだ。その内容はこの現『ayum's note - あゆむの雑記帳』にも引き継がれているが、あの当時の姿はもう見れなくなってしまった。もちろん、私のマシンの中にはデータが残っているので見ようと思えば見れないことはないけれど。

 このようにして、時は移る。昔のなじみは少しずつ消えていき、新しいなじみができる。悪いことではない。それは前に進むということ。だが、消えていったなじみをほんの少し懐かしむことも、それもまた別に悪いことではないだろう。

 明日はお盆だ。ご先祖様が一年に一回、里帰りをする日だ。ウチの実家では今も祖父(曾祖父だったかもしれない)が作った手作りのおしょろ様を13日に組み立て、飾り付けをする。いわゆる精霊棚だ。そういえば、祖父が亡くなる前の夏、祖父とこのおしょろ様を組んだ。「(父が作ると)いつもここが間違ってるんだ」と言い、肺を病んでいた祖父は大きくふうふうと息を吸いながら、このおしょろ様を組み立てていった。その祖父も、今はその棚に里帰りする人となってしまった。

 今年もまた、お盆が来る。私にとってこの時期は色々なものを懐かしむ時だ。新潟の夏の、どこまでも平坦な水田の緑と川の景色は、私に色々なものを思い出させる。その意味で、いつからだろう、夏は四季の中で一番寂しい季節になってしまった。

 そう、今年もまた、お盆が来る。