この『GLOBAL METAL』、これがまた実によかった。最初はブラジルから始まり、いきなりセパルトゥラから始まる。アングラのラファエル・ビッテンコートのインタビュー等を挟みつつ、ブラジルではメタルが若者の間での新しい文化、民主化の象徴として浸透してきたと語る。
次に日本。マーティー・フリードマンと伊藤政則が語る日本のメタルシーンは(特にマーティーが語る分には)やや偏りがある気もしたが(苦笑)、まぁ面白かった。マーティーはビジュアル系が面白いといい、その代表としてX JAPANが紹介される。どうせビジュアル系を取り上げるなら欧州でもっと売れてるDir en greyとかにしときゃいいものを。あるいは『Death Pandaデス!』が何でも様々な要素をミックスしてしまい、他の国ではありえない取り合わせが生まれるという日本の特質を表す曲として紹介されてみたり。なかなかマーティー、面白い。
対して伊藤政則が語る、「日本ではメタルに政治的な思想や社会への反発、自己実現といった要素を求めて聴いている人はほとんどいないと思う」という台詞には共感が持てた。実際、私にとってメタルとはあくまで音楽であり、思想やアイデンティティの問題ではない。逆にそれが日本という国の独特なところなのだろう。思想や立場から切り離されて、音楽が音楽として浸透していく。それはゆとりなのだろうか、それとも弛緩なのだろうか。余談だが、先日会社の人間と行ったロックバー『Blackmore』が日本のメタルファンが集う聖地として紹介された際はちょっとニヤッとした。
その後もどんどんマニアックな各国を回っていくが、どんどんメタルへの風当たりは強くなる。インドネシアでは一度だけメタリカのコンサートが開催されたが、会場周辺で暴動が起き、それ以来メタルのコンサートは禁止になった。レバノンではメタルも長髪も禁止されており、髪を伸ばしていたりロックTシャツを着ているだけで警察に逮捕され、悪魔崇拝者か、それともメタルファンかと尋問を受ける。常に戦地としての側面と隣り合わせであるイスラエルでも事情は似ている。そこでメタルを演奏するバンドは、
「ここでは争いが絶えず、ただ道を歩いているだけでいつ殺されるかもわからない。自爆テロにだって巻き込まれるかもしれない。道で悪魔に襲われても怖くない。ここでは、生きている人間の方が怖い。恐怖は、身近に溢れすぎている。だから自分は希望を歌いたい」
と語る。日本は、なんと平和な場所だろう。中近東で唯一安全にメタルを楽しめるイベントであるデザート・ロックにはその日を楽しみに大勢のファンが詰めかけるという。彼らがメタルに対して持っている熱狂はきっと我々とは明らかに種類が違うものだろう。
映画の最後はインドでアイアン・メイデンが初めてコンサートを開く場面に移っていく。『Hallowed Be Thy Name』の最初の鐘の音が、あのように緊張感のある期待と不安を持って響いたのは初めて聴いた。かつてウィーンフィルのメンバーがフルトヴェングラーのタクトの下、ベートーベンの『英雄』を演奏した際に述べたと言われる「最初の二つの和音があのように響くことはもう決してないだろう」という言葉が、あの『Hallowed Be Thy Name』の最初の鐘の音にも通じるように思えた。インドで響く『Hallowed Be Thy Name』や『Fear Of The Dark』。自他ともに認める敬虔なヒンドゥー教徒がほとんどを占めるこのインドという国で、彼ら聴衆は一体どのような思いで"Hallowed Be Thy Name"と叫んでいたのだろう。それは確固たる宗教、神を心の中に持たない私には決してわかり得ない胸中のように思えた。
この映画は確かにメタルのドキュメンタリーだが、単純にそれだけではない。それは今も世界中に残る、抑圧や差別、不自由、恐怖との闘いだったり、その精神といったものをメタルという音楽を通じて炙り出す、実に考えることの多い映画でもあった。この映画は観てよかった。DVDが出たら買うかもしれない。しかし使われた音楽は随分とエクストリーム系ばかりで激しかったなー・・・。
余談ではあるが、本編の最後を締めた曲は『Hallowed By Thy Name』。だが、エンディングのスタッフロールの際に流れていた曲が私も一緒に行った人も何だかわからなかった。あれは一体誰の何という曲なのだろう?結構、カッコいい曲だった。