2010年1月21日木曜日

最後の出勤日

先に書いた通り、今働いている会社を辞め、新潟に帰ることになりました。となると当然今の会社での「最後の出勤日」が来るわけで、先日、20日がその最後の出勤日でした。今の会社も3月まで勤めていれば新卒から丸9年、正確には8年と10ヶ月在籍したわけで、最後だと思うとやはり寂しい思いもあります。

 改めて思い返してみると常に先陣で戦ってきた約9年間だったように思います。入社直後に新製品の開発に携わり、その製品は必ずしも芽が出たとは言えない結果となってしまいましたが、その中で技術的にも精神的にも多くのものを学びました。現在の主力となっている製品の開発が始まる際も、その最初のアイディアを営業の上司が見つけた時に居合わせ、それが実際に技術的に使えるかどうかを検証し、プロトタイプを組むことを行ったのも私でした。合わせて社内で利用する開発フレームワークを整理し、数々の受託の中でお客様にも恵まれ、トラブルが多かった時期も正直ありましたが、それでもお客様とのやり取りや開発メンバーとの仕事の中で、いい面でも悪い面でも実に様々な経験を積ませてもらいました。約9年、一時期かなり自信をなくして意気消沈していた時期もあったとはいえ、自分の仕事にプライドを持って取り組める、少なくとも私にとってはよい環境であったように思います。

 最後の日は、やはり何となく落ち着かないものです。丁度私が作った最後のプログラムの納品日でもあり、プログラムを持って納品に出かける同期のSEを見送り、後輩の質問に答え、ふと、もうやることってそんなにないなぁ、と思ってしまうのです。これまでやることが本当にないことなんて一度もなかった私がです。そりゃ最終出勤日まで色々と血眼でやらなきゃいけないことがあるなんて引き継ぎができてない証拠ですし、何かがトラブっていることになるわけですから、最終出勤日にやることがないのは当然と言えば当然です。それでも、それは私にとってはやはり寂しいことでした。そうか、自分がこの会社でやることはもう何もないんだな、と思ってしまうのです。たまたまこの日は自社製品の次バージョンについての社内向け勉強会があったのでそれに参加し、一番最初、自分が開発に携わった現行の製品が現在辿り着いた場所を確認して、私の最終出勤日は終わりました。

 私のために、非常に盛大な送別会を開いていただきました。フロア一つを貸切にした会場で、これまで一緒に飲む機会も少なかった営業の面々にも囲まれて、私と関わりの深かった人達のスピーチを聞き、やっと少しずつ、ああ本当に今日が最後なんだなと感じてきました。私が入社した時の直属の先輩が、スピーチで涙を流すのを見て、私まで涙が出てきました。普段泣くようなイメージがまったくない、逆境でも折れない心の象徴のような人だったので尚更です。

 ATLED、ソフトクリエイトの皆さん、約9年間、本当にありがとうございました。私はここを去りまったく異なる業界に行ってしまうので、残念ながら今のSEとしてのスキルが直接的に次の仕事で役立つわけではありませんが、ここで培った社会人としての心構えやお客様との対応、そして何よりも苦境で折れない強い心を胸に、今後も頑張っていきます。最後のスピーチでも話しましたが、私は自分で選んで決めたことに後悔はしたくありません。新潟に行ってしばらく経った時、「やっはり東京にいればよかった」とか思うようなことにはしたくありません。新潟に戻ると決めたのは自分なのですから、私はその自分の決定を後悔しないよう、新潟での人生が素晴らしいものとなるよう一生懸命頑張ります。だから皆さんも、皆さんの今後の人生を一生懸命頑張ってください。そしていつかどこかで会うことがあれば、かつて同じ戦場で戦った戦友として、ゆっくりと酒でも酌み交わせればいいなぁと考えています。

 重ね重ねになりますが、会社の皆さんにはこれまで本当にお世話になりました。また、最後は盛大な会を設けていただきありがとうございました。今後もお互い、体には気をつけて頑張っていきましょう。

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