思えば、これまでに何回か、それも節目節目に、それまで愛用していた腕時計を無くしている。まずは大学受験浪人時代の最後。1月の冬季集中講習の際、予備校の自習室に腕時計を置き忘れ、それはそのまま戻らぬものとなった。大学時代に愛用していた時計は、卒業旅行と称してクラギタの仲間と行った野沢温泉で、どこかの温泉の脱衣所に忘れてきてしまった。社会人になり横浜に引っ越してすぐ駅前のベスト電器で買った先述のシチズンのソーラー時計は、新潟への引越の際にドタバタの中で無くしてしまった。日吉を引き払って新潟に戻るまでは確かにあったのだが。東横線の閉まるドアに挟まれて、サファイアガラスの左上部が割れて欠けていた時計ではあったが、持った時間が長かったのでそれなりに愛着のある時計だった。
こうして見ると、何の偶然か高校~浪人時代、大学時代、東京生活時代と、それぞれの時代に愛用した時計をそれぞれの時代の終わりに無くしてしまっている。まるで、それぞれの時計がそれぞれの時代を刻み、その時代が終わることで時計自体も時を刻む役割を終え、消えていったかのようだ。それならば、今日手にしたこの時計も、またここ新潟での一つの時代を刻むことになるのだろうか。腕時計は、時と共に時代も刻んでいるのかもしれない。
さぁ、時は動き出す。
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