2010年10月6日水曜日

『歌と踊り』 モンポウのピアノ作品達

 最近、スペインはバルセロナの作曲家フェデリコ・モンポウが自身のピアノ作品を自作自演しているCDを購入した。『Monpou Complete Piano Works』だ。モンポウと言えばクラシックギターの世界ではセゴビアに献呈された『コンポステラ組曲』が有名。私も『コンポステラ組曲』が好きなので、このCDが安かったのを見て(HMVで1,495円でセールされていた)モンポウという作曲家がピアノではどんな曲を書いているのか、また、自作を一体どのように演奏しているのに興味を持って購入してみた。

 モンポウはスペインの作曲家ではあるものの、例えばファリャやアルベニス、グラナドス、ロドリーゴ辺りのように直接的にスペインの匂いがする曲はあまり書かない。とはいえ14曲ある曲集『歌と踊り』ではカタルーニャ民謡を始めとするスペインの民謡を直接的に引用はしているし(第3番ではギターでもお馴染みカタルーニャ民謡『聖母の御子』を、同4番でもやはりカタルーニャ民謡『船乗り』を引用)、随所にスペインのエッセンスはある。しかしそれでも、やはり作品全体の雰囲気は少しスペイン土着の空気からは少し離れているように感じる。その作品の静謐さから、エリック・サティと比べられることも多いがどうだろう?確かに静謐で内省的な音楽ではあるし、モンポウ本人もサティからの影響を認めてはいるものの、彼の音楽にはサティのようなアイロニーはない。もっと素直な喜びであり、悲しみであり、祈りや希望であるように思う。

 このモンポウの作品集で特に気に入ったのはやはり一連の『歌と踊り』だが、その中でも5番が素晴らしい。重々しく、暗い悲しみの中を祈りとともにゆっくりと進んでいくような低音を中心とする歌に続き、突然雲の切れ目から陽の光が差すような、輝かしくも柔らかい踊りの旋律が始まる。それは重く暗い悲しみや絶望を超えて、やっと見えた柔らかく優しい希望や喜びであるように感じる。キース・ジャレットのケルン・コンサートの第1曲のエンディングのような神々しさに満ちた喜びと希望ではあるが、まだあそこまで光に向かって突き進むだけの力を取り戻す前の、やっと目に入った希望の光に向かって踏み出した最初の一歩。そのような美しさだ。

 モンポウは1928年に『歌と踊り』の第4番を作曲して以降、親の死やスペイン内戦といった不幸が重なり、長い間作曲ができない状態が続いたという。そのような事情もあってこの第5番が完成したのは1942年。実に第4番から14年もの歳月が流れていた。この事実を知ったのはこの曲の魅力に惹かれて詳細を調べていた時であったが、それでなるほどと思った。この曲は、その14年の月日の分、絶望も希望も抱えている。それがあの重々しい歌であり、柔らかく輝かしい踊りとなるのだ。この僅か4分14秒の小曲には、それだけの思いが詰められている。それが作曲者本人の演奏であればなおさらだ。

 余談ではあるが、このモンポウの『歌と踊り』は全曲ではないもののいくつかはクラシックギター編がある。作曲者自身によって編曲の上、セゴビアに献呈された『賢王アルフォンソⅩ世の2つの頌歌による歌と踊り』は第10番だし、第13番『鳥の歌』はイエペスの依頼を受けて作曲されたギターオリジナルの曲だ。この10番、13番は鈴木大介の『カタロニア賛歌』で聴ける。また、第6番は歌の部分のみ『カンシオン』としてアリリオ・ディアスが編曲しており、福田進一の『ハイパー・アンコール』で聴ける。

 このCDは『歌と踊り』の他にも『静謐なる音楽』や『ショパンの主題による変奏曲』等、モンポウの名曲をじっくりと堪能できる。静謐で内省的ではあるが、その中にひっそりと眠る喜びや悲しみが朴訥にゆっくりと語りかけてくるような音楽。じっくりと耳を傾けてもいい。読書なんかのBGMとしてもいい。秋の夜長や薄明の中、この静謐な音に身を委ねるのは実によい時間だと思う。

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