『ジュピター』の最大の楽しみは、やはりクライマックスのジュピター主題によるフーガの展開からエンディングまで。鈴木秀美氏の解説によると、C-D-F-Eのジュピター主題はメッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる、音の膨らみと減衰の形にも当てはまる非常に普遍的な旋律らしい。モーツァルトのジュピターはこのジュピター主題の印象があまりに強烈なため、最終楽章のクライマックスではこのジュピター主題から最後のエンディングにどう着地するかが問題になってくる。個人的な主観では、ここを上手に着地できてる演奏はほとんどなく、大体はなし崩し的にエンディングに突入する。比較的上手に着地しているのは圧倒的な構築力で終始楽曲をガッチリと固めたクレンペラー指揮フィルハーモニア管(TESTAMENT盤)の演奏。これがこれまで聴いた中で最も好きな『ジュピター』の一つだ。鈴木秀美氏の演奏ではこのクレンペラーや他の多くの指揮者とは違い、立派に高らかにジュピター主題を歌い上げる感じではない。ジュピター主題を柔らかに展開した後、すぐにエンディングに向けて演奏を盛り上げるのではなく、フーガの終わりに達してもその柔らかな演奏を引き継ぎ優しくつなげ、自然な曲線を描くようにそのままエンディングに軟着陸していく。そして接地後に一気に大団円へと盛り上げていき、派手ではないが透き通った響きのフィナーレを迎える。実に自然で無理のないまとめ方だ。こういう解決の仕方があったかと納得した。圧倒的な力で直線的に音楽を構築して組み上げたクレンペラーの演奏と対比すると正に剛と柔。小編成のオーケストラで優しく柔らかく、ギリシャ神ゼウスを意味する堅牢な『ジュピター』というよりは、女性的な平和の象徴としての『ジュピター』。語源からは少しイメージが離れてしまうけれど、それもまたよし。この柔らかで爽やかな『ジュピター』も素晴らしい。
そしてその次に流れるアンコールのハイドン交響曲47番の緩徐楽章。これがまた『ジュピター』の余韻を静かに引き継ぎ、火照った心を静かにクールダウンしてCDを終わらせてくれる。このリベラ・クラシカのシリーズは演奏会をそのままCD化しているだけあって、最後まで素晴らしい音楽の流れを感じさせてくれる。とても心地よい一枚だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿