『COPPELION』は爽快で涙もあり、とても面白いけど正直深い話ではない。けれど、震災後の今読むと色々と考えさせられる。セシウムやストロンチウム、中性子等の性質もちゃんと出てきて、ある程度科学的に正しいから尚更だ。もちろん科学的にまったくあり得ないことも出てくるが、まぁそこはマンガの世界。つっこむのは無粋というものだろう。
挿話的に描かれるのは、震災発生時、放射能漏れを隠して自衛隊に救助をさせ、自分達は逃げ出した政府。事故の実態を隠そうとする電力会社。責任を感じて一人で東京に生存者の理想郷を創り上げる原発設計者や、軽視される安全管理の中で危険を承知の上で現場に残った技術者など。そして一番痛ましいのは、自分の意思で残ったのではなく、逃げ遅れる形で汚染された東京に残されてしまった多数の一般市民。今となってはどれも現実的だ。読んでいるとこの悲劇は福島でも現実にあり得たのだと思ってしまう。
『COPPELION』を読んでいると、今までなら「まぁマンガの世界だしな」で片づけられる部分がそれで片づけられない。今となっては、恐ろしい程のリアリティがあるからだ。「そんなマンガみたいな」とはよく言うけれど、そう、マンガみたいな世界に、なってしまったのだなと。
このマンガは震災後は不謹慎との批判もあるらしいし、福島の人から見たら実際精神的にも苦しいのだろうと思う。その人達に対して自分は何も言うことはできないのだけれど、個人的な希望を言えば不謹慎とは言わずに続けさせてほしい。今だからこそ、想像力に働きかける物語でもあるのだから。
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