2012年1月2日月曜日

元旦から『山本五十六』

 明けましておめでとうございます。2012年、新たな年がやってまいりました。皆様どうぞ今年もよろしくお願いいたします。昨年は日本では東日本大震災を始めとにかく災いの多い年でした。世界に目を向けると、中東のFacebook革命を始めビンラディンやカダフィ、金正日の死去等、世界で独裁者と呼ばれた人達が去っていく年でもありました。間違いなく色々な意味で激動の年であった2011年。この新しい2012年はどういった年になるのでしょうか。願わくば、もう少し平穏な一年であることを。

  私個人的には今年は「考えて立ち止まってばかりいないで、勇気を出して前に進む」をテーマにしていきたいと思います。本当に自分がこの先仕事面で自立した経営者としてやっていくためには、思考ばかりして行動を起こせないことが多い自分の性格からまず変えないといけない。性格なわけですから簡単には変わらないと覚悟はしていますが、そこを何とか変えていけるよう、ここは本当に頑張らないとなと感じています。

 だからというわけではないのですが、元旦朝9時30分からの回で、新年早々映画『山本五十六』を観てきました。妻と二人で、1日だから1,000円だし、元旦の朝なら映画も空いてるんじゃないかということで、子供たちをおじいちゃんおばあちゃんに見てもらって行ってきました。

 いやいや新年最初から素晴らしい映画でした。実際に山本五十六があんなにカッコいい人物だったのか、考えや言動がどこまで史実に則しているのかはわからないですが(すんません…)、二重の意味で映画として非常に面白かったです。一義的にはもちろん、人間山本五十六のストーリーとして面白い。単純に山本五十六の人間性や、それをとりまく戦時中の状況の進展を眺めるストーリーとしてもテンポがよく、随所に魅力的な挿話が差し込まれて飽きがこない。

 そして、この映画は舞台こそ第二次世界大戦開戦前から戦時中をメインに描いているものの、その描写や言及はドンピシャで現在を思わせるのです。特に震災後の日本では、時代こそ違えど世の状況はこの時代と変わらないのではないか。そう感じずにはいられない映画でした。

 例えばメディア・情報について。三国同盟を締結するかどうかで揺れた大戦前、締結推進派の多くは日本語訳の『我が闘争』を読み、ヒトラーが日本を対等のパートナーと見てくれると信じていました。そして推進派の何人かが山本五十六や井上成美に「何故ドイツと同盟を組まないのか」と詰め寄る中、井上が『我が闘争』のドイツ語の原書のある部分を読みあげます。そこには"日本は取るに足らないが、同盟相手としては利用価値がある"的な書き方。「そんなことはどこにも書いてない」と動揺する推進派に、「日本語訳では都合の悪いことは削られているからな。何事も、大元までたどらねばな」と山本五十六。このエピソードが史実かどうかはともかく、この場面だけでも大いに現在に重なります。

  例えばTPP。賛成派も反対派も、多くの人が断片的な報道や日本語のソースだけを読んでああだこうだと語ります。P4の原文を少しでも読んだ上で話している人がどのくらいいるのでしょうか?あるいは原発について、どこまで技術的な詳細を調べ、どこまで経済的な資料を集め、話をしているのでしょうか?どの程度、各地の放射線量を信頼のおけるソースを探して検証しているのでしょう?戦争が始まれば景気がよくなる、先の第一次世界大戦では一気に日本経済が持ち直した、早く三国同盟を組んで戦争が始まればいいと浮かれる国民も、今のTPPについての一部の姿勢と重なります。

 現代は、当時とは比較にならない程多くの情報が手に入りますが、その多くは孫引きまたはそれ以上の末端の情報。大きな判断を下そうとする時、私達は果たして大元まで辿っているのでしょうか?ただ手元にある情報だけで思考停止して、そこに恣意性や誤謬があるとは疑わずに、あるいは恣意性をまた別の恣意性で疑ってバイアスをかけ直すだけで、ただ推論だけでものを語ろうとしていないでしょうか?山本五十六はよく部下に問います。「根拠は?」と。私達の言論は、ちゃんと大本まで辿った根拠に根ざしているでしょうか?

 新聞の在り方もそうです。山本五十六に開戦前は"三国同盟締結ありき"、開戦後は"無条件降伏の上での勝利ありき"でインタビューをする記者。実際に山本五十六が何を言うかに興味があるのではなく、自分が書きたいことを喋ってくれることを期待するだけのインタビュー。山本五十六が意にそぐわない解答をすると、気分を害して取材を切り上げる。さらにはミッドウェー海戦で実際は大敗して撤退を余儀なくさせられたにも関わらず、内心それに気付きながらも意図的に大本営発表の"転進"という言葉をそのまま使い、あたかも戦況が勝利の連続であるかのように報じる新聞。新聞はありのままの事実を伝えるのが使命ではないのかとの問いに、国民の士気を高め勝利に貢献するのが新聞の役目だと返す。この歪んだ使命感。これもまた、今のメディアと同じではないでしょうか。「世論は○○なのです」と問い詰めた記者に山本五十六が返した言葉が胸に刺さります。

 世論はどうでも、この国を滅ぼしてはいけない。

 この山本五十六の映画は、第二次大戦開戦前から戦中メインに描いていますが、その実、現在の日本を風刺し、これではいけないという強いメッセージを発するために作られたのではないか。そう思ってしまうほど、観ながら色々と考えさせられる映画でした。先日、どこかで見かけた言葉を思い出します。優秀な作品とは、決して伝えたいメッセージを表に直接さらしたりはしない。よい文学作品のように、表向きはメッセージなどないように思えても、それでも確かに伝わるのがよい作品なのだと。その意味では私にとってこの映画『山本五十六』はいい映画でした。

 元旦から、面白くもあり深く考えさせられもする映画に巡り会えた幸運。どうか2012年がこのように私にとって、また皆さんにとって幸せな年でありますように。

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