2020年1月8日水曜日

note、はじめました

noteを始めてみました。前々から少し興味はあったんだけど、長文を書く場所はこのブログがあるし、住み分けはどうするかが難しいよなー、と思ってずっと「少し興味はある」というレベルでとどまっていたんですが、新年ですし細かいことを考えるよりとりあえず使ってみようかと、まずは始めてみました。

記念すべき1つめの投稿はこちら。

テッド・チャン『息吹』- 運命への向き合い方

クリエイターページへは以下のQRからも飛べます。



こちらのブログも閉鎖する予定はありませんので、引き続き住み分けをどうするか考えつつ更新していきたいと思います。

2019年11月29日金曜日

昼食とチーム内コミュニケーション

大学時代から、昼飯は1人で食べるのが当たり前だった。授業、バイト、部活でなかなか時間の切り貼りが忙しく、人と時間を合わせるのがめんどくさかったのもあり、誰かと一緒にいることで気を遣うのが煩わしかった思いもあり、いつしか隙間時間で1人で昼食を食べることが多くなっていた。

社会人になってもその習慣は変わらず、最初の2~3年ほどは先輩や同期が誘ってくれるので一緒に昼食に行ってはいたが、何年か経って自分が1人で仕事をこなす機会が多くなり、さらには自分自身がリーダーとして案件を持つようになってからはまた仕事の合間の都合のいい時間に、誰に声をかけるでもなく1人でフラッと昼食に行くのがいつものことになっていた。

SE時代、後半は案件ごとに何人かのチームを組んで仕事に当たることが多かった。営業等は除いて単純に開発のチームで見ると、大体は自分リーダーで3人~5人くらい。正社員だけで構成されることはほとんどなくて、いつも半分程度かそれ以上は派遣さんをお願いすることになる。ある時、自分のチームとしては割と大きめの案件を振られて、10人近い所帯で開発チームを組んで担当することになり、半分以上は派遣さんをお願いして人員をそろえることになった。その時も自分はいつものように、昼食は1人でいい時にフラッと出かけるスタイル。もちろんそれ以外の仕事時はチームメンバーと必要に応じたコミュニケーションはしていたつもりだし、雑談や息抜きも自分は否定することはほとんどなかった(これはいつも大体真面目なメンバーに恵まれたおかげもある)ので、時には休憩がてら仕事以外の話もしながら、チームの輪はうまく保てているとなんとなく思っていた。そして案件自体はいつものように多少のすったもんだはありつつも何とか無事に納品・検収を終え、じゃあちょっと打ち上げでもやろうかとみんなで飲みに行くことになった。その時、飲み会の最中は案件の苦労話やら、何故だか覚えてるのは10歳年上の彼女はアリかナシかみたいな話で盛り上がったりしたのだけど(当時自分は20代後半)、最後の方だんだんぶっちゃけ話になってきた頃合いにある派遣さんからこんなことを言われた。

「あゆむさんは正社員と派遣社員の区別は特にしていないって言ってましたけど、逆に自分は物凄くその違いを感じていたんですよ」

またそれが普段から明るくて豪放なタイプの人から言われたのでとても意外性が強くて、飲み会後半のもう酔いも回ってきた頃合いにいきなり目が覚めるほどの衝撃を受けたのを覚えている。一体何がその違いを感じさせていたのか。自分は仕事を割り振る時はもう完全に社員か派遣かは考えてなくて、人を見て適材適所で割り振りしていたつもりだし、誓って「社員は派遣より上だ」と思ってはいなかったし、チーム内のコミュニケーション的にも社員と派遣を分けた連絡体制を取るみたいなことはしていなかった(リーダーによってはそういう社員と派遣を連絡体制上から分ける人もいる)。で、何が悪かったのかなと考えた時に思い当たったのが、仕事ではなくむしろ雑談等の業務外のコミュニケーションだった。業務上の連絡は自分は社員と派遣は一切分けていなかったし、「これは派遣は知らなくていい」というような情報分断はむしろ作らないようにしていたのだけど、普段の業務外の雑談は、特に意識はしていなかったのだけど、意識をしていなかった故にというべきか、ずっと一緒にやってる社員との会話が確かに明らかに多いという点に思い当たった。そうすると自分が社員のチームメンバーと楽し気に話している間、派遣さんは黙々とPCに向かうことになる。もちろん逆のシチュエーションもあるわけだけど、頻度的にはやはり社員同士で盛り上がってるケースが多かった。しかもリーダーの自分は1人でフラッと昼食に行ってしまうせいか、派遣さん同士も特に一緒に行くこともなく1人ずつ昼食に出かける。こうなるとチーム内で楽しくコミュニケーションという機会は、特に派遣さんはかなり少なかったんだなと反省することになった。

次の案件から、1人で昼食へはできるだけ行かないようにした。社員は社員で仲のいい相手と一緒に行くので、派遣さんを誘うようにして。気楽な1人の時間はなくなったし、昼食時間にいつもしていた読書の時間もなくなった。自分にとって他の人と食事をすることは基本的には気を遣うことなのでリラックスできる時間でもなくなった。けれどできるだけ派遣さんにも疎外感を感じてほしくなかったし、またそれがお互いのコミュニケーションから、ひいては信頼にもつながって仕事にいいフィードバックがあるだろうと、その点は気をつけるようになった。実際にどの程度意図した効果があったかはわからない。もしかしたら自己満足だったかもしれない。自分が派遣さんを誘って昼食に行ったからといって、相手が内心それを快く思っていたかどうかはわからないわけだから。

リーダーシップと協調性というキーワードを目にして、思い出したのがこのエピソードだった。自分はうまくリーダーシップと協調性を実現できていたのだろうか?今は、どうだろうか???

まったくの余談。当時自分が派遣さんの採用可否を決める面談をする際に、最後必ずしていた質問がある。それが「読書は好きですか?最近読んだ本は?」というもの。技術書でも小説でもなんでもいいけれど、文章を読む力はプログラムを読む力だという思いからいつも聞いていた。本を読む習慣がある人なら自分の長いメールも読んでくれるだろうし。途中からは派遣会社の仲介担当さんもわかってきて、自分が担当だとわかるともう最初からちゃんとその質問に答えられる人を紹介してくれるようになった。こんなエピソードなんてもう他に書き残しておく機会もないだろうから、派遣さんというキーワードが出てきた今回に余談として…。

2019年3月15日金曜日

春の虚空

一人で店番をする。春の気まぐれな天気の隙間に出てきた晴れ。訪れるお客もない部屋を、エアコンの稼働音のザラっとしたホワイトノイズが包み込む。薄膜が張ったような空気の中で、何かを考え続けているような、考えるふりでただ時間が過ぎるのを待っているような。

視線を落とせ。視線を落とせ。向き合うべきものはもうわかっている。

視線を落とせ。視線を落とせ。向き合うべきものはもうわかっている。

2017年8月20日日曜日

軍艦島を訪れて

ちょうど一週間前、8月13日のことになりますが、お盆休みを利用して家族で軍艦島に行ってきました。以前から多少なりとも興味はあったもののなかなか行く機会がなかった軍艦島。今回は妻が行きたいと言って軍艦島ツアー付きの宿泊プランがある宿を見つけてきたこともあり、意を決して長崎まで行ってみることにしました。長崎自体実に11年ぶり、軍艦島はもちろん初めての旅となります。そもそも軍艦島の上陸禁止が解かれたのが2009年、世界文化遺産になることが決まったのが2015年なわけですから、11年前に長崎に来た時には軍艦島ツアーなんてものはそもそもなかったはずです。当時はただの無人島であり、語弊はあるかもしれませんがただの廃墟でしかなかったわけです。多分当時の自分は軍艦島の存在自体は知識の片隅にはあったでしょうが、観光できる場所としては認識していなかったどころか、何があった島なのかもぼんやりとしかわかっていなかったのではないかと思います。それが今は数社がツアーを催行する観光名所になっている。10年ひと昔とは言いますが、なかなか状況は変わるものです。

 そもそも軍艦島は海底炭鉱の島として、明治・大正・昭和と日本のエネルギーを支える最先端の島として時代の先端を走っていました。日本初となる高層鉄筋コンクリートの建造物や、当時世界一の長さを誇った海底水道管など、文字通り最先端の暮らしがここに結集していたわけです。東京の9倍もの人口密度を持ち、その最先端の町や生活スタイルは当時「この島が日本の将来の姿だ」と言われたほど尖鋭的なものでした。それが国の石炭から石油へのエネルギー転換の方針を受け1970年に閉山・島の廃棄が決まり、栄華は一気に暗転。1974年には炭鉱が閉鎖され、無人島となります。国の方針ひとつで最先端から一気に凋落したこの島は、人が作りだし、人によって廃墟となった、数奇で悲劇的な島と言っていいと思います。

 自分が軍艦島に行った日は、夏らしくとても暑い、最高気温35℃とかある熱すぎるくらいの日でした。その分空も爽やかに青が広がり、景観としてはこれ以上ないくらいの上陸日和。暑いのはしんどいとはいえ、景色がきれいに見えるという意味ではとても運がいい日だったと思います。長崎港から軍艦島へは、船に乗っておよそ40分くらい。客員は50人程度しか入らない、基本的に航行中は全員着席となる決して大きくはないその船で、心地よい潮風に吹かれながら軍艦島に向かって行きました。いよいよ島が大きく視界に入ってくる頃になると、船は一旦海上で停泊して船上デッキで海から軍艦島を眺める時間を作ってくれます。その時撮ったのが冒頭に上げた写真です。一目見た感想は、非常に月並みながら「あ~、これは確かに軍艦だわ…」というものでした。もうね、見ていただければおわかりいただけるかと思いますがシルエットがホント軍艦。うん、こりゃ軍艦だわ、間違いないということで、それにしてもカッコいい島だよなぁとこの時点では完全にお気楽観光気分で船の上から何度もiPhoneのカメラのシャッターを切ります。ご覧の通りのスカッとした夏空が島のシルエットをさらに引き立ててくれます。これは上陸後の景色も素晴らしいんだろうなと、期待がふくらみつつ一旦席に戻り、船は上陸に向けて再び動き出します。

上陸後自分たちがまず通されたのは第2見学広場でした。軍艦島は上陸して見学できるエリアが完全に決められていて、個別に自由行動はできません。ツアーでの団体行動での移動になります。それも複数のツアーが同時に上陸してきますので、順番にローテーションするような形で見学エリアを回っていく形になります。この第2見学エリアから見えるメインの建造物はこの写真。この赤レンガ作りのちょっとお洒落な建物は元々倉庫だったとのことで、この隣には炭坑作業員の共同浴場があったとのことです。ご覧のように、今では建物の大半は崩れ落ちてしまい、パネル1枚の撮影用セットのように表面だけが辛うじて立っているような状態になっています。閉山から44年。もうこれを見るだけで、無人となった島で時が創り上げた廃墟の物悲しさが伝わってきます。とりあえずツアー客全員の集合を待つ間、自分はやはり景色を眺めたりカメラで写真を撮ったりしてこの風景を満喫していました。

 そこで、ガイドの方の話が始まります。このガイドの方は軍艦島を世界遺産にする会の会長さんで、ご自身がかつて軍艦島に住んでおられたとのこと。この方の語りは、ただ単に軍艦島を廃墟ツーリズムの享楽の中に組み込むだけでない、元島民としての思いが込められたものでした。あそこが自分が住んでいたマンションです、あの階段から毎日、父は炭鉱に向かって降りていったのです、と自身の生活の視点でお話されます。そして、この最初の見学広場でこう仰いました。

みなさんはここを廃墟だと思っている。廃墟を見に来たと思っている。でも、44年前まではここで暮らしていた人達がいたんです。私もそうです。私にとってはここは廃墟ではない。ふるさとなんです。みなさんはここに廃墟を見に来たと思って、この景色にカメラを向ける。いいんです。でもそのカメラを向ける時、ここでかつて暮らしていた人達がいたこと、ここを今もふるさとと呼ぶ人達がいることに、少し思いを馳せてみてください。

言葉は正確ではないですが、大体このようなことを話しておられました。この時まで自分も、正直軍艦島には割と気軽に来ていたというか、ただ単に廃墟のカッコいい景色を眺めに行こうくらいの気持ちでいました。でも確かに、廃墟ということはそうなる前にここでは確かな暮らしがあったわけです。それも一時期は時代の最先端を行っていた、まさに栄華と言っていい活気のある暮らしが。それが今目の前では時代の残滓として、廃墟としての姿を晒している。そしてその転換は、まだ当時住んでいた人がしっかり生きているほどの、近い時間軸で起こったことなのです。そう考えると、まさに時代に翻弄されたとも言えるこの島の景色が、ただ廃墟であるという以上に悲哀を帯びて見えてきます。そうか、まだ半世紀も経たない程度の昔には、まだこの建物では一生懸命暮らしている人達がいたんだな、と。

 また、そのガイドの方はこうも話していました。

ちょうどお盆です。みなさんは帰省でふるさとに帰ってきたのかもしれません。でも私は帰れてないんです、この島に。もう44年も。2015年にようやく炭鉱が世界文化遺産に指定されました。これでようやくふるさとを守れたなという気持ちです。でもまだ、指定されたのは炭鉱だけで、今見えている居住区の辺りは指定されたわけではありません。でも本当に人々が暮らしていて、本当の価値があるのはそちらであると思っています。

 それは、ここで暮らしていた人達がいたということを忘れないでほしいという思いがある言葉でした。そして、それを踏まえた上で今のこの風景を見てほしいという思いを感じる言葉でした。最後の案内の言葉は、次のように〆られます。

今から、すべての音を少しの間止めます。どんな音が聞こえるでしょうか。ちょっと耳をすませてください

(すべての音が止められ、訪れる静寂の中に、波の音、風の音、鳥の鳴き声が穏やかに聞こえてくる)

…せっかく無人島に来たんです。無人島の音も、聞いていってください。

 これがガイドの最後でした。お決まりのお礼やら何やら一切なし。それがまた逆に鮮烈で、無人島となった軍艦島のイメージが頭に焼き付けられました。この一風変わったガイドに感銘を受けたのか、それとも単純に風景に何か響くものがあったのか、上の子は帰りの船の中で「今年の夏休みの自由研究は軍艦島にする」と言い出しました。そして実際に今まとめています。何か感じてくれるものがあったのなら、親としても連れていった甲斐があるというものです。

 自分は自分で、帰ってきて今こうして書きながら軍艦島の印象を整理していて、そういえば東浩紀が廃墟ツーリズムがどうのとか言ってたなぁとふと思い出しました。あれは確か福島原発の絡みだったと思いますが、その廃墟ツーリズムという提唱の中で何を言ってるのか、ちょっと気になるなと思ってみたりしました。確かこの『弱いつながり 検索ワードを探す旅』っていう本だったはず。今度読んでみたいと思います。合わせてジョン・アーリの『場所を消費する』も、改めて読み直してみたいなとか。今の軍艦島は、ある意味正しくジョン・アーリ的に「場所を消費」されているわけです。日常の決まりきった経験から自らを切り離すような場に向けられる観光のまなざしと、それに対応するためのサービス。それによって軍艦島がどのように影響されていくのか。もしかしたら次第に、かつてそこで暮らす人がいてそれぞれの人の物語が存在したことも、その観光のまなざしの中で消費されてしまうのではないか。そんなことも今考えてみたりします。消費と言ってしまうと、少し悲しい気もしますが…。

 そんな感じで、好天にも恵まれた軍艦島ツアー、色々と感じるところもあり非常にいい経験をさせてもらいました。単純に景観を楽しむという意味でももちろん、そこからかつてあった暮らしに想いを馳せたり、実際に住んでいた人の思いを感じることもできたり、思っていた以上に濃い時間を過ごすことができました。今体験してきたことを色々と言葉で整理しようとしている最中ではありますが、いつかまた、今回の経験を一旦飲み込めた頃に、軍艦島にはもう一度行ってみたいなと思います。

2016年3月9日水曜日

美女と野獣 2nd修正

 先日アップした美女と野獣のスコアですが、案の定というか2ndのみ少々単純な間違いがありましたので譜面修正いたしました。1st、3rdに変更はありません。

総譜
パート譜(2nd)

 変更点は以下の通り。

・19小節目:レのナチュラルをオクターブ高く変更
・32小節目:4拍目のシの音が抜けていたので追加
・42小節目:最後のミをオクターブ高く変更
・67小節目:最初のミの音を削除
・67~70小節目:オクターブ高く変更
・74小節目:オクターブ高く変更

 また、本番Hまで弾いて終わりにしようというお話になるみたいですが、その場合最後の75小節目、3rdは5弦解放のラの音で終わってください。6弦5フレットでもいいです(同じ)。

 直前の修正で申し訳ないですがよろしくです。

2016年2月28日日曜日

美女と野獣

 シノさんの結婚式用『美女と野獣』の譜面、完成いたしました。合奏参加者の皆さまはどうぞご確認ください。以下のファイルに総譜、パート譜、参考の音源が入っています。

譜面・音源データ

 元の譜面は金管五重奏で、そのままのキーだとフラットだらけでギターだと弾きづらいことこの上ないので半音下げて調整しました。E→G→Aと2回転調するので、譜読みの際は気を付けてください。1stは重音の箇所がありますが、そのまま弾いてもいいですし2人で上と下分けて弾いてもいいと思います。そこはおまかせします。

 で、そう極端に難しくはないですが言うほど簡単でもありません。不可解な変拍子が出てきたりするので、ちょっと合わせづらいところがあるかもです。練習機会がほとんど取れないか、少なくとも自分はぶっつけ本番になるので、丁寧に音さらっておいた方がいいと思います。

 一応以下に総譜のリンクも置いておきます。スマホからならこちらから譜面を確認できると思います。

総譜

 ちょっと急いでやったのでもしあやしげなところや不明なところあればご指摘を。

2016年2月16日火曜日

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

 今更ながら、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に挑戦してみました。古典の名作中の名作と言われてはいるものの、何か敷居が高い気がしてずっとこの作品を、ドストエフスキーを、遠ざけてここまできていたのです。何故今読む気になったかというと、正月にたまたま目についてkindle版を買って読んでいた『ゲンロン1 現代日本の批評』にこの作品の新訳を出した亀山郁夫の対談が収録されており、テロと文学、そしてこの『カラマーゾフの兄弟』との関係など語られていて興味を持ったのがきっかけです。探してみるとKindle版もあるようだし、それならまぁ読んでみるかということで早速注文してみました。購入したのもはもちろん亀山郁夫訳です。

 で、読み始めたのはいいけど正直第1巻の序盤はなかなか読書が進まない。フョードル、アリョーシャ、ドミートリー、イワンといったカラマーゾフ家の人物の生い立ちやら何やらが描かれるのだけど、これを読んでいくのがなかなかの苦行。この生い立ちを読むことがこの後の小説の展開にどの程度関わってくるのかまったく読めないまま、あれが当時のロシア風なのかそれともドストエフスキーの芸風なのか、とにかく冗長な長台詞をひたすら読まされる感じ。多分『指輪物語』を読み切ってなかったらこの段階で挫折してたんじゃないでしょうか。ずっと心の中で「『指輪物語』に至っては1巻まるまる旅立ちの準備で全然面白くなかったじゃないか。でもその後は一気に面白くなった。この作品もそうに違いない。きっとそうに違いない」と何度も繰り返して立ち向かっていました。ですがこの『カラマーゾフの兄弟』は『指輪物語』ほど凶悪ではなく、ちゃんと第1巻の3分の2を読み進める頃にはもう面白くなってきます。そこからは読書ペースも一気に上がっていきました。

 見てみると第1巻を注文したのが1月5日。第2巻の注文が1月24日。第3巻が1月30日。第4巻が2月1日。そして最終巻が2月4日注文で、読み終わったのが2月10日。第1巻を読むのに時間がかかった割には、その続きは一気に読み進めているのが顕著にわかります。また第3巻~第5巻の本編が終わる頃合いまでは幸か不幸かインフルエンザで寝込んでいたので、尚更読書ペースが上がりました。で、第5巻は本編はすぐ読み終わったものの、その後の亀山氏の解説はのんびり読んでたので少し時間がかかったと。第2巻以降はもうほとんど一気です。こんなに面白いとは思わなかった。この巨大さにしてこの緻密さ、生々しい人間の姿、普遍的な哲学、凄まじい。

 カラマーゾフの登場人物達は、時に高潔で、時に愚かで、一貫してないことも多く、でもそれゆえに「ああ、こういう人っているなぁ」と思わせるのです。今お付き合いさせてもらっている農家の方、特にビジネスという「場」に必ずしもはまっていない古い世代の彼らは、時に人間を剥き出しに振る舞うこともあるので、それこそ突然この作品の登場人物のような長舌な語りを始める方もいたり、感情のままに周りを振り回すような場合も時にはあったりします。新潟に戻ってきたばかりの頃、社会人としてはビジネスシーンという様式美の世界での人付き合いが主だった自分はその生々しさに戸惑い、これが農家独特の文化なのかと軽いショックを受けたものでした。でも、それは別に農家に限ったことでなく、ビジネスシーンという様式美をなくしてしまった時に見えてくる、生の人間なんだなということに次第に気付いてきました。

 この小説に出てくる人物たちは、そういった生の人間が凄く剥き出しの形で描かれるのです。フョードルの恐ろしいほどの道化っぷり。自分の欲求に、愛するものに忠実で、他人からは理解しにくいこだわりや誇りを持つドミートリー。無神論者で自説を滔々と語り、非常に理知的・理性的であるがゆえに自分の影に隠れた欲望に苛まれることになるイワン。卑屈な下男かと思いきや、終盤で思いの外狡猾で理知的に狂言回しの役を演じるスメルジャコフ。アリョーシャは、この小説では案外個性が薄い博愛の人ですが、ドストエフスキーの死によって叶わなくなったこの小説の続編ではもっと強烈な個性を見せるはずだったんでしょう、きっと。個性的な女性陣や検事・弁護士に至るまで、それぞれどぎついくらいの個性を、人間臭さをもった登場人物たち。どこかのレビューで「大勢の人間ドラマの大河」という言い回しを見ましたが、まさにそのような感じです。親殺しというテーマと、それに続く犯人探しという大きなストーリーの中に、登場人物それぞれの生々しい人間ドラマがぎちぎちに詰め込まれ、それが大河となりうねっているいる。そして言い回しこそ多少時代がかってはいるとはいえ、そこで描かれる人間の振る舞いや哲学的・神学的な問いかけ、巨大な物語のうねりはまったく古くさくないのです。シェイクスピアを読んだ時にも感じる、時代を超えた普遍的な哲学であり、人間の姿。これは確かに古典として残る凄みのある小説だと感嘆しました。

 第2部でイワンが語る大審問官。宗教は果たして人を救うのか?天上のパンか地上のパンか?という神学的・哲学的な問いの深さに重さ。第3部でいよいよフョードル殺害が起きる時点におけるドミートリーの怒りや失望、混乱の生々しさ。そしてそこから乱痴気騒ぎの中でそれらが急速に希望や歓喜へと変わっていく過程。そして次の瞬間にはそこから突き落とされるジェットコースターのような展開。どれ一つ取っても非凡な問いであり、描写であり、迫力なのです。

 特に圧巻だった第4部。イワンの内面の葛藤とスメルジャコフとのやり取り、それにより軋み、崩れていく精神の描写が凄み。崩れていく理性の描写としては芥川龍之介の『歯車』も読みながらゾクゾクした覚えがありますが、こちらもまた読むうちに崩れゆく理性の渦に巻き込まれ、次第に目眩がしてくる、まるで文章の中に吸い込まれていくかのような迫力。この辺りはもう文字から目をそらすこともできませんでした。そしてその崩壊した心の中にのみ残された真実はついに裁判では照らし出されることはなく、事実から「推察される真実」は見方によって様々に色を変え、心象を変え、裁判は進んでいきます。そう、やはり芥川龍之介の『藪の中』のように、真実は断片の切り方によっていくらでも姿を変えるのです。そして結局、真実は最後まですべての姿を見せてはくれないまま裁判の幕が閉じる、その無情さを感じする隙すらないようなあっけなさ。

 正直この作品がこんなに面白いとは、こんなに力があるとは、思ってもみませんでした。エピローグで感じるまっ白なカタルシスは、そこまでの様々な登場人物の、長く生々しいドラマを、登場人物は登場人物として、そして読者は読者としても、乗り越えてきたがゆえ。この人類の原罪に挑むかのような壮大なテーマに比して意外なほど爽やかで美しいラストは、読後に清々しい達成感を残してくれました。

 親殺しという神話からつらなるテーマを中心に、様々な人間模様や哲学、事実が真実を表すとは限らないというテーゼ、そして唐突で不条理とも思える結末。長さなど気にならず、最後まで一気に読ませてくれます。語る人物それぞれに、生々しい「人間」を感じるのです。そう、この言葉を何度も使いました。「生々しい」。この『カラマーゾフの兄弟』に出てくる登場人物たちは、実に生々しいのです。最近の物語の、ちょっと近くにはいなさそうな「キャラクター」ではなく、明日も会いそうな、今も隣にいそうな、等身大でカッコよくも悪くもある、欠点だって普通に持った、ありふれた人間の人生が紡がれて大河となっている小説なのです。だから、この小説のあらすじに意味はないのです。単純に数行で書き尽せるあらすじにこの小説の神髄はなく、ストーリーの流れから見るとむしろ寄り道にも見える一人ひとりの人間ドラマが、滔々とした哲学や美学の語りが、そこに描き出される思いや迷いが、普遍的な広がりをもって流れていくのです。もっと早く読んでおけばと思いつつ、でもこの歳だからこそわかる部分も多いのかもなとも思うのは負け惜しみでしょうか。これはいつかまた読み返してみたい小説です。その時はまた、別の訳で。

 とりあえず次は、『罪と罰』でも読んでみようかな?