2000年9月29日金曜日

『威風堂々』編曲完了

 皆さん、大変長らくお待たせいたしました。今年のAアンの『威風堂々』編曲無事終了いたしました。とりあえずアップしておきますのでチェックの方よろしくお願いします。今回は曲名をクリックすればMIDIが直接流れるようにしておきました。そしてアンコールをお持ちの方用に
アンコールファイルをZip圧縮したものも上げておきます。アンコールの譜面の方は前回配った譜面から修正があったところはすべて修正済みのものです。安心してご利用ください。なお、MIDIの方はサビの部分でどういうわけかバグがおこり、旋律の上で延々とGの音が鳴り続けていて実に耳障りですがお気になさらぬよう。この曲は最後のシメのクロマティックスケールの嵐をどう克服するかが課題でしたが、結局ギターでのポジションを調べた結果私の中で「根性さえありゃあれは回る!」ということになったので(爆)、皆さん頑張ってください。あと、バスはやはりとても大事です。少人数でも全体を支配するくらいの音量とキレを求められますのでよろしくお願いします。

2000年9月28日木曜日

不安

 なんか最近ひとことばっかりで微妙に申し訳ないんですけど、ここは敢えてもう一回。

 「今年の定演本当に大丈夫なのかなぁ・・・。」

2000年9月26日火曜日

漠然

 なんとなく最近思うこと。

 「今年の定演本当に大丈夫なのかなぁ・・・。」

2000年9月23日土曜日

バロックが弾きたい

 なんだか最近無性にバロックが弾きたい。考えてみれば私のクラシック音楽鑑賞の原点はバロック(というかむしろJ.S.Bach)にあるというのに、去年の独重で弾いたWeissの『シャコンヌ』以後ひたすら近・現代系の曲ばかりでバロックを全然弾いてないのです。というか、私が敬愛するバッハの曲自体冷静に考えればこれまでに『主よ人の望みの喜びよ』とリュ-ト組曲2番の『ブーレ』(←しんちゃんが独重で弾いたヤツ)、そしてチェロ組曲4番の『ジーグ』(←大阪でヨークが弾いてたヤツ。編曲は全然違うが)くらいしか弾いてないのだ。これではいけない。弾きたい曲はたくさんあるのに。しかしバロックといえばバッハだし、バロックの作曲家の中で私が一番好きなのもバッハであるわけですが、なんかバッハの曲って案外ギターにすると合わないというか、敢えてギターで弾くこともない曲が多い気がしません?同じバロックの作曲家なら先述のヴァイスやら、あるいはスカルラッティなんかの方がギターにした場合響きがいいような・・・。気のせいでしょうか?まぁバッハの曲の中で私が特に好きな曲が『音楽の捧げもの』や『マタイ受難曲』、『管弦楽組曲第2番』(←去年Aアンでやった『ロンド』を含む組曲)、あるいは『ドッペルコンツェルト』と合奏系の曲ばかりだからそう思うのかもわかりませんが。あ、『ゴールドベルク変奏曲』も好きですが、これはピアノの独奏ですね。ギターで二重奏のアレンジは最近有名になってますが、重奏かぁ・・・。

 まぁとにかく最近バロックが弾きたいわけです。何を弾きましょうかね?ヴァイスの『ファンタジー』なんかいいですね。スカルラッティの『ソナタ』(←どのソナタじゃ!?)もカッコいいですね。バッハの『シャコンヌ』は、・・・一生の課題です(苦笑)。バッハなら無伴奏バイオリンパルティータ第1番の『サラバンド-ブーレ-ドゥーブル』とか、『リュートのための3つの小品』とか、BWV1000の『フーガ』もいいですね。さ~て、何にしようかな・・・?

2000年9月22日金曜日

幻想論

 幻想とは何であるのか。少し勝手に定義してみよう。それは「事実とは違う虚像を主観的に事実に与え、虚像を与えられ、主観の中で虚像に支配された事実を真実と思い込むこと」となろうか。つまり幻想とはプラス志向のものばかりではなく、マイナスの方向へ向けられた幻想もありえるはずである。たとえば誰かが「恋とは幻想だ」と言ったとする。そうすると、その「恋とは幻想だ」という言葉は生まれた瞬間にその言葉自身が幻想となる。あまりにプラスに片寄ったものが幻想になるように、あまりにマイナスに片寄ったものもまた幻想になるからだ。「幻想」という言葉で何かを否定した瞬間、その言葉自身が「幻想」となり意味の有用性を失う。幻想という言葉の持つ"意味"のアンチテーゼ。幻想という言葉とそれに付随する事象はすべて幻想としてしか存在しえないのだ。故にこの「幻想論」もまた「幻想」である。有用性のあるものではありえないだろう。

 一つ言えることは、この「幻想」という言葉を使う場合、人は事実を素直に見つめることから逃避しているということだ。先程の「恋とは幻想だ」という台詞を例に取るなら、この場合発話者は恋を「幻想」であると否定しながら恋が「幻想」であるという事実を見つめることを放棄している。同様に、例えば人生がすべて薔薇色だという幻想に取りつかれた人は人生の暗部を見つめてはいないし、逆に人生が真っ暗だという幻想を抱く人は自分が暗闇しか見つめていなくて、闇に隠れたものや闇の向こう側に視線を送ってはいない。幻想に支配されたものは、幻想しか視界に入って来ないのだ。虚像をぬぐい去った素直な事実は決して目に入っては来ない。もっとも、虚像を完全にぬぐい去った事実を認識することが果たして我々人間に可能なのであろうかという問題はあるが・・・。
 結局のところ、

「愛とはつまり幻想なんだよ」と言い切っちまった方が楽になれるかも、なんてね

 というこのミスチルのesの歌詞の一節が、このような瞬間が、人が一番幻想から離れ素直に事実を見つめられている瞬間なのではないだろうか。
 なお、先程も触れたがこの「幻想論」は「幻想」という言葉の意味により、「幻想」という言葉を用いて「幻想」を語ろうとした時点でその意味効力を失効している。


2000年9月19日火曜日

寺山修司『電球論』

 旅に出る前に本屋で立ち読みして思わず衝動買いしてしまった寺山修司の詩集にはまっています。『寺山修司コレクション2-毒薬物語 全詩集1-』というタイトルからしてなかなかきてます。寺山修司は演劇の方は以前に観たことがあり、そのダークでアングラな世界にかなりそそられたのですが、これもまた・・・。試しに『電球論』という詩の一部を抜粋してみます。

人生論を読みすぎて
たった一人の祖母を銃で殺して埋めた
目撃していたのは
アパートの階段口の薄暗い電球だけであった
私の青春の前途は
これでまったく明るいというのに
電球はいつでも薄暗すぎる
というわけでソケットから電球をはずして
台所口の屑箱の下に埋めてしまった

 ざっとこんな感じの詩です。この後折に触れ「電球さん、土の中でもあなたは灯もるの」といった寂しい歌を聴き、電球から離れられない思考が自虐的であるようにも思えるがニヒルかつクールに生活を、聴こえてくる歌を表現していくのが実にシュールで私好みです。表現も「私は大学の研究室で毎日せっせと『動物園の老人たち』に関する論文を書いている」とか「どもりの執事がエスキャルゴ料理について婦人と議論しているという推論、その方程式は親指+ミルクX=ヨーロッパ史の概略、アインシュタインという名の犬を取り締まれ!」とか実にシュール。特異で難解な世界ではありますが、そのシュールな表向きの文字の裏に隠された哲学やら何やらはなかなか私好みのものがあります。その辺を知りたい人は寺山修司の作品を読みましょう。

2000年9月18日月曜日

新潟へドライブ

 さてさて、京都~新潟往復総計1,200km(概算)自動車一泊二日の旅、無事にどうにか帰ってくることができました。まぁ例によって道中色々ありましたが、疲弊しきって京都に辿り着いた合宿の帰りに比べれば今回は距離は長い割に余裕がありました。まぁ私も長距離ドライブは二度目ですしね。しかし免許を取って以来ドライブが3回、それで運転距離が総計1,000km以上というのは何か間違っている気がします。その3回以外は本当に運転してませんからね。ドライブ3回の時点でのキャリアなら誰にも負ける気がしません(笑)。

 まぁ今回も色々ありました。行き道は入善PA(富山)の辺りから名立谷浜SA(新潟)の間、ガソリンが底を尽きかけた状態でジャンクスが必至で高速道路を80km/hで経済走行し続け、高速のくせに対面走行&急カーブ&トンネル多しという難所「親不知」を燃料メーターとにらめっこしながら走り続けるということがありました。もうすぐ燃料切れのランプがつきそうなのに、看板で次の給油所まで50数kmあると知った時には泣きたくなりました。もっともそうなった原因は、入善までの間私が道が空いてる上に下り坂になってるのをいいことに一時140km/hものスピ-ドを出して「抜くに抜けない初心者マーク」やってガソリンを大量に消費したからなのですが・・・。ごめんよ、ジャンクス。ちなみに私はスピード狂ではありません。ガソリン入ってからジャンクスも同じことやってたし(?)。しかも何故か冷房が効かずに(吹き出し口から温風が出る)、高速で窓を開けて走って日本海の潮風にさらされたりもしました。トンネルの中窓を閉め忘れて空気の悪さに死にかけたこともありました。おかげで新潟に着いた時はもう汗だくの状態でした。

 そして新潟の我が家で一泊した後は私の母校巡りが始まります。新飯田小学校及び中学校へ歩いていき、その近辺の私がよく釣りをした川の橋やら最近できた公園やらを巡り、車に乗って三条高校を巡り・・・。京都に持ってきてない中学の卒業アルバムやら高校の修学旅行の写真やらバンドの演奏会の時の写真やらも紹介し、今回の旅は私の歴史を辿る旅のような様相を呈しました。帰りは結局行きの感触から乗鞍スカイラインを攻めるのは時間的に不可能だと判断、高校を見てから適当に三条及び燕を車で巡り、そのまま三条燕インターから高速にのって帰ってきました。ちなみに燕からインタ-に出る時RYOMA邸の近くのバス停のある道を通ったのは言うまでもありません(って、RYOMA本人にしかわからんネタだが)。帰りは寄るSAでいちいちさざえの浜焼きやらほたての浜焼きやら鴨の串焼きやらを買い食いし、日本海の夕陽を堪能しながら走ってきました。日本海に沈む夕陽は美しい・・・。途中前を走る明らかに性能がこちらより数段上な車を抜かすために「スピードを上げるなら下り坂だ!(←注:間違いです。真似してはいけません)」とかほざいてまた140km/hで下り坂の長いカーブを駆け抜け車の列をすっぱ抜いたり(決してスピード狂ではありません)、滋賀の黒丸~大津間でまたガソリンが切れそうになり、しかも渋滞に巻き込まれて「大丈夫かよ」と経済走行に徹したりもしました。とまぁ例によって例のごとく、といった感じですが、まぁ無事に生きて京都に帰ってこれたのでよしとしましょう。ジャンクスよ、お疲れさまでした。

 しかし高速を走ってて、脇をスカイラインやらランサーやらといったスポ-ツ系の車が凄まじい加速ですり抜けていくのを見てると、つい自分でもそういったスカッとした加速ができる車を運転してみたくなりますね(何度も言いますが私はスピード狂ではありません。最高速度はそんなでなくてもいいからとにかく加速のいいマシンに乗りたいのです)。

2000年9月16日土曜日

Rainbow-staff新人募集開始

 そろそろ今年もRainbow-staffの新人募集が始まります。正式募集は今月18日からで、面接は25日からと、例年よりやや前倒しされたスケジュールで採用活動は行われます。私の周りの人間でも何人か募集しようとしている人がいるみたいですが、まぁ気合入れて準備をしてください。募集要項及び用紙は有心館1F窓口で配付されます。窓口のstaffに声をかけてもらってきてください。私は今回は前にスーツ着込んで座って「志望動機をお聞かせください」とかいう主要面接官の一人となったので、運がよければか悪ければか、私を相手に面接の問答を行うことにもなるでしょう。6人の面接官が3人ずつローテーションで13回の面接を担当するので、当たる確率は結構高いかも・・・?まぁ当たっても私の他に面接官は当然いますのでね。

 そう、明日からジャンクスと二人で車を駆って我が地元新潟まで一泊二日の旅をしてきます。帰りは何と新潟からあの合宿をした岐阜の乗鞍スカイラインを通り、あの乗鞍を通るということは必然的にシャレ-中西の脇を抜けて(爆)、そして京都に帰ってくる予定という地獄の道のり。帰りは距離の目算が合宿の時の3倍は楽にあります。さて、我々は無事に京都に辿り着いて月曜日の練習に出ることができるのでしょうか?すべては因果の流れの中です・・・。

2000年9月15日金曜日

成績発表

 今日は成績発表の日でした。前期は就職活動終了後ちょっとがんばったかいもあり、4回になった時点では遠く感じられた卒業も随分と近いものに思えるくらいにまでなりました。さすがに就職も決まってるのに留年という最悪の事態は避けたいですからね。

2000年9月13日水曜日

試み -『少年時代』を編曲しよう-

 雨が降り続いています。三重やら名古屋やらは結構大変なようですね。京都ではうざったい以外は普通の雨です。だがしかしその雨は私の行動気力を確実に奪ってくれ、今日は外に出る気もしなかったので家でひたすらギターを弾いてました。そして何を思ったか突然「うん、井上陽水の少年時代をギタ-独奏用にアレンジしよう」と思い立ち、譜面もなしにCDの音のみを頼りにしこしことアレンジをやっていました。自分ではなかなかいい感じに仕上がってきていると思います。原曲通りのAメジャーで、何故かそのキーでドロップDチューンで弾くという意味不明のアレンジになってますが・・・。まぁある程度形になってきたらこの日記でお披露目しましょう。BOXに譜面を残しておいたら将来誰か弾いてくれるかな?

2000年9月12日火曜日

エスプラナードフェスタ

 昨日のエスプラナードフェスタでは皆さんお疲れさまでした。幸い雨も降らずに(演奏終了直後に降り出しましたが)、無事練習も無駄にならずによかったですね。まぁ今回は外ということもあり、演奏面では結構無理もありましたが、ああいった場であまり緊張もしないで地域の人と等身大に触れあいながら(というとカッコよく言い過ぎですかね?)演奏できる機会は貴重で楽しいものだったと思います。My Brothも「似てる」「似てない」と意見が真っ二つに分かれたようですが、まぁそこは各自適当に判断してください。私は何も言いません。演奏終了後も民族音楽デュオ『パパレンジェーノ』の方達とお話ししたり、カレーにビールにいただいたりと、その意味でも楽しい演奏会でした。プログラムが結構やっつけ的になってしまったのは先方にはちょっと申し訳がなかったのですが・・・。そう、当日本番一時間前に「オマエ弾け」と出演を強要したぎぃちゃん、お疲れさまでした。でも一回生でも無条件で出られて、しかもあまり緊張する必要がない舞台って珍しいから舞台経験としてはよかったのでは(多分・・・)?舞台は数多く経験すればするだけそれが本番強さにもつながっていきますからね。まぁこれも将来への布石と思っておいてください。それではこのフェスタへの参加を呼びかけていただいたサトウヒロシ氏&アトリエみかん箱のメンバーの皆さん、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。機会がありましたらまたよろしくお願いします。

2000年9月10日日曜日

エスプラナードフェスタ前夜

 さてさて、明日はエスプラナードフェスタ本番です。出演予定の皆様、準備はO.K.でしょうか?まぁ明日はお祭りですし、そうカタくならずに楽しんで演奏しましょう。スパニッシュは正直ちょいと不安ですが・・・。集合は午後一時に叡山出町柳の駅前。ファイル、譜面台を持参ということで、振る舞われるらしいカレーとビールを楽しみにして向かいましょう。雨だけが心配なところですが、まぁまぁどうにかなる、・・・んじゃないですかね?台風来てるけど・・・。

2000年9月9日土曜日

爆睡

 今日は一日寝ていた。昼に帰ってきて寝て、夕方電話の音が聞こえたが「こんな時間に家に電話かけてくるヤツなんて俺の仲間じゃねーな。仮にそうだとしてもPHSの方にかけ直すだろう」と思い寝つづける。案の定PHSは鳴らなかった。何かの勧誘か集金だろう。そして夕方6時半頃に起床。ギターを弾き続けて今に至っている。アンニュイだ・・・。

2000年9月8日金曜日

チャット設置

 このホームページに試しにチャットを作ってみました。フリーのレンタルJAVAチャットを見つけたので。まぁここは内輪のホームページですので、どこぞの大手チャットページのようにいつ行っても人がいるというわけではありませんが、適当に時間を待ち合わせて入ればそれなりに面白いのでは?JAVAですのでお使いのマシンの環境によってはまずその環境を整備しないと使えないという悲劇も生まれますが、一旦使えるようにしてしまえば、メッセ-ジはリアルタイムに更新されるし、顔のアイコンも色々使い分けられるし、複数人がいても特定の人にだけ見えるメッセージを送れる内緒話モードとかもありますし、色々便利ですよ。金を月500円払えば広告も消える上により高機能になるらしいのですが、どうしましょう?とりあえず昨晩ジャンクスとぎぃちゃん相手に実験台をお願いしていたところ、このままでも使う分には充分使えそうなんですよね。このチャットは私の中ではまだ試用期間中ということで、正式に設置はしていませんので興味のある方はhttp://na.sakura.ne.jp/~ayum/jchat.htmlまで。使用感や今後のこのチャットの運用方針等ご意見いただければありがたいです。

2000年9月7日木曜日

無題

 最近左手小指の調子がおかしいですね。やばいです。腱鞘炎の前触れでしょう。とりあえずバンテリンを初めて試してみてますが、まぁ気休め程度でしょうかね?今日はロドリーゴの『パッサカリア』に挑戦していたのですが、いやいやあれは難しい。あれを美しく弾きこなすのは至難の技では?もうちょい簡単ならいいのに・・・。

2000年9月6日水曜日

音楽理解の認知論

 どうもまた最近日記の更新が滞りがちで申し訳ありませんでした。お詫びと言っては何ですが、今日は「音楽を聴く」ことをテーマにショ-トエッセイ風の日記を書いてみることにします。

 世の中には色々な音楽があります。いわゆる西洋音楽理論体系に基づく音楽だけでもペンタトニックを基調とした童歌みたいのからシェーンベルグやらウェーベルンやらといった12音技法を用いた小難しい曲まで色々です。我々が音楽を聴く時、「これはわかりやすい」とか「難解だなぁ」とか、そこまで思わずとも「聴きやすい」とか「わからない」とか思う場合は多いと思います。ではその「聴きやすい」というのはどういうことなのでしょう?それは曲が悪いのでしょうか、それとも聴く人が悪いのでしょうか?

 こんな研究レポートがあります。音楽の認知、すくなくとも心地よい音楽として判断できる基準はある一定の発達段階をもっているというものです。つまりまずは先に挙げたいわゆる『ヨナ抜き』、その調のドレミファソラシドからファとシを抜いた5つの音から成る『ペンタトニックスケール』を理解できるようになり、続いてファとシも加えたドレミファソラシドすべての音階から成る音楽を、そしてそこから短調やらスケールアウトした半音やらという風に高度に音楽の理解は発達していくというものです。つまり高度な理論に基づいた音楽は、それが高度であればある程聴く側にもそれなりの資質を要求するというわけです。このレポートは音程だけでしたが、リズムや和声その他の理解にもほぼ同じことが言えるでしょう。はじめは上に出た旋律だけの聴取、理解にとどまり、続いて低音の旋律等が耳に入るようになり、内声、和声・・・、といった具合でしょうか。音楽はその構造が複雑になればなる程聴く側にもそれを受け入れるだけの器を求めるのではないでしょうか。

 そして楽器を演奏する人と自分で演奏はしないでただ聴く人との差も考えられます。私はギター弾きですのでギターの曲をまず引き合いに出させてもらいますが、弾く人とそうでない人で決定的に理解の差が出るのはブローウェルの音楽でしょう。彼の作る曲は、特に『舞踏礼讃』や『シンプルエチュード』などはそうなのですが、実際弾いてみるとわかる面白さというものがあります。逆に言えば、ギター以外の楽器だったらこの曲は生まれていないだろうという楽器特有の面白味とでもいうのでしょうか。これはギターならギターを弾いている人でなければわかりえないものです。そのはずです。だがしかし、それも楽器を弾いてなくてもわかる奇特な連中も中にはいるのです。私の仲間にいわゆる絶対音感を持つピアノ弾きがいます。耳に入る音が全部音階で聞こえるというあれです。その仲間にブローウェルの音楽を聴かせたところ、「ああ、こういう音の配列になってるのか。面白いなぁ」とか、「へぇ、こんなところでこんな音が出てくるなんて以外だけどいいね」とか、ギタ-弾きなら楽器の運指の特徴で理解できるけどそうでない人にはわかりえないであろう音の並びをすべて一回聴いただけで「面白い」と思えてしまっていたのです。ギターは弾けないそいつがです。ある意味愕然としました。私は『舞踏礼讃』なんかは試みに弾いてみるまでその面白味はわからなかったというのに・・・。聴く方にも才能というものはあるのですね、これが。より高度な音楽を理解するためにはより高度な訓練や才能が必要。音楽の世界は厳しいです。クラシックの現代曲なんかは私にも音楽に聞こえないのはよくありますが、そういうのは私がその曲を聴くだけの素養を持っていないのでしょう。

 しかし、聴く方にも高度な能力を求めるいわゆる「高度な」音楽が必ずしもよいとは限りません。私はブローウェルのような今回の定義でいけば「高度な」音楽も好きですが、メタルやらJ-POPやらも好きです(J-POPはかなり選り好みしますが)。はっきり言ってJ-POPなんて音楽的にはかなり稚拙なものが多いですし、メタルも高度な音楽理論を用いてとうたわれているDream Thaterをはじめとするプログレ系だってブローウェルほどのことはやってません。理論的には高度なことはやっていても、演奏の方が高度になりきれていないのです。それは下手という意味ではなく、ある意味ではメタルというかエレキ音楽の限界だと私は思っています。そしてエレキ音楽はその限界を知ってか知らずか、クラシックにおける表現とは違った方向に進化を見い出してやってきているように思えます。結果は同じでも過程が違うのですね。今回は深く言及しませんが。ですが、私はそういったエレキ音楽が音楽として高度なクラシックの下とも思いません。いいもんはいいのです。そこにクラシックもメタルもありません。自分の素養が足りずに理解できない音楽があるのは残念ですが、理解できるだけの素養があるのにつまらんことを気にして「あれは駄目だ」とやるのはもったいないと思います。私はヨ-クの曲は簡単だとよくバッシングしますが、それは演奏する場合に簡単で深みがあまりないからつまらんといっているだけで、聴く分には好きです。つまらないことで受け皿を狭めてしまうのはもったいないでしょう。どうせならいい曲にはたくさん巡り会いたいものです。かの大ピアニスト、グレン・グールドはこう言っています。

「1才半くらいの幼児を誘拐して音楽のまったく聞こえない山奥に幽閉したとする。そしてシェーンベルグなどの純粋な12音技法を用いた音楽を慎重に選び、そういった曲ばかりを聞かせたらどうなるだろう?6才か7才になる頃になるとその子はこんな旋律(12音技法の意味不明の旋律)で歌い出すと思うかい?」

 この彼の言葉は実に示唆的であると思います。

2000年9月3日日曜日

合奏団

 今日は合奏団の練習です。今月23日に演奏会があるので、そこでやる4曲を弾いていたのですがいやいやなかなか。1曲確実に置いていかれる曲がありますね。他の3曲はまだ個人的に好きな曲なので練習して弾けるのですが、1曲あまり好きでないので練習してない曲があり、しかもそれが一番難しい。やれやれです。さすがにそろそろ真面目に練習しないといけませんかね。

 そうそう、オサルさんは今日も元気であられました。彼は明日高知に発ちます。

2000年9月1日金曜日

恒例シャウトカラオケ

 今日は私の新潟の仲間『すごいよ!オサルさん』が遊びに来ています。日中は彼を連れ回して西院やら河原町やら行き、さらにBOXにまで連れ込んで京都を引きずり回してました。BOXを出た後王将で飯を食い、立命衣笠近辺の名物料理を堪能していただいた後はGSJKやシノさん、ぎいちゃん、りとりとも連れ立ってカラオケへ。新潟に帰った時皆と遊べなかったからオサルさんが来たら巻き込んで遊んでやろうと前から密かに計画していたのです。そしてぎいちゃん、りとりと両名はクラギタのカラオケにおけるコアメンバーとの同席は初めて。そのあやしくも激しい世界にどこまで対応できるかが見物でした。彼女らがいるうちはリクエスト通り『IN FUTURE』やら『Dejavu』やら『DESIRE』やらが飛び交い、その世界にりとりとはともかくぎいちゃんは確かな疎外感(?)を感じていたようです。「ついていけへん」といったところでしょうか?しかしあれらはウチらの間ではまだまともな部類です。本当のシャウトは二人が帰ってからあたかも当然の儀式のように行われました。例によって私の十八番である黒夢の、今回初挑戦『& DIE』、GSJKの『唇』、シノさんの『虹』でそれぞれブッ壊れた後は、Xを得意とするオサルさんの『紅』で死ぬ程叫んで今回のカラオケは幕を閉じました。オサルさんは無茶苦茶声が高いところまで出るので、私が歌えないようなXの曲も(さすがに楽勝ではないようですが)見事にこなしてみせるのです。というかヤツのXは前々から思っていたがおかしい。GSJKやシノさんも感動の内に死ぬ程のシャウトをかましていたに違いありません。こうして例によっていつものごとく喉をブッ壊した我々は、果てしない充実感とどっと襲いくる疲労を堪能しながら家路についたわけです。さぁ、ぎいちゃんにりとりとよ、今度は時間に余裕のある時に心ゆくまで歌いに行くぞ。そして別世界を知るのだ。まだ『カマキリ』も『アニメタル』も洋楽系も出てないぞ?