2002年12月28日土曜日

2002年流行語大賞

 いや~、京都の方では何やら大変な事件が起きていましたね。元王子、仕事に影響は出なかったのでしょうか?まぁ、まったく出ないわけはないと思いますが・・・。あの事件の報道をインターネットニュースで見て、タイトルだけ見た時は正直「さよなら、元王子・・・」くらい思いましたからね(爆)。何はともあれギリギリ一杯ことなきを得たようで一安心でした。

 さて、私の方も今日で滞りなく今年の仕事を納めることができ、明日会社の大掃除をやって今年の勤務はお終いです。今年は、・・・どうだったんでしょうねぇ?何しょうば(←新潟弁)変化の少ない一年であったように思います。去年のように卒業、就職という大きな変化もなく、仕事の方もまだ倦んだりはしないものの、よくも悪くもただ堅実に時を重ねているだけで、正直なんとなく印象の薄い一年だったと言わざるをえません。来年の話をすれば鬼が笑うというので、敢えて来年はどうとか語りませんが

 そうそう、今年の流行語大賞は、『まつる』という言葉を選んでみました。意味、用法は以下の通り。



まつる (動詞)

 1. 祭る:会社に泊まり込んで徹夜をすること。名詞用法も存在し、『データ移行祭』や『◯◯(←客先の名前)祭り』等として用いられる。一般にこの言葉が出てくるとそのプロジェクトは危機的状況にあると考えてよい。類義語に『フェスティバル』(トラブルとほぼ同義)や『カーニバル』(客先に出向いてバグの原因調査やトラブル対応を行うこと)等が存在する。
用例1:「やべーよ、今日祭りだよ!」
用例2:「(Aくん)あれ、Bは?」
「(先輩)◯◯(←客先の名前)がフェスティバってるからカーニバらせた」

 2. マツる:会社の前の松屋で飯を食べてくること


 さて、皆さんも使ってみましょう。さん、はい!

 「さ~て、祭るかな~~~?」

2002年12月26日木曜日

The Night Before Christmas

 さてさて皆さん、どのようなクリスマスをお過ごしでしたでしょうか。私の方は予定通り(?)普通に仕事、普通に日付変わる間際まで残業というある意味サイレントナイトなクリスマスでした。まぁ世の中にはジングルベルな方もあればジングルヘルな方もあり、あまつさえシングルヘルな方もおられるわけでしょうから、まぁまだマシな方なのかもわかりません。しかしあれですね、サンタクロースが連れている、赤い鼻のルドルフ以外の八頭のトナカイの名前、実は結構韻とリズムがいいのですね。そしてやはり、『赤い鼻のトナカイ』の歌は日本語で歌うと重たくていけない。英語のコロコロしたリズムが似合うのだなと思いました。

Now, Dasher! now, Dancer!

now, Prancer and Vixen!

Oh, Comet! on, Cupid! on,

Donder and Blixen!

To the top of the porch!

to the top of the wall!

Now dash away!

dash away! dash away, all!

C.ムーア『The Night Before Christmas』

2002年12月24日火曜日

虚しい12月

 物凄く暇な三連休。誰も幸せにならないクリスマス。俺は一体何をやってるんだろう。

 ちょっとクリスマスっぽい曲を弾いてみようと思った。なんとなく、本当になんとなく。気付いたらバッハの『フーガ』を弾いていた。・・・あまりクリスマスっぽくはない。他の曲にしよう。また譜面をあさる。気付いたら『シンプルエチュード』を1番から順に片っ端から弾き倒していた。・・・さらにクリスマスっぽくはない。仕方がないから本でも読もう。何を読もう。本屋で見つけたのは『ベルセルク』
の最新刊。結局買ってそれを読む。・・・やはりクリスマスっぽくはない。せめて夕飯をそれっぽく、鳥肉でも食べよう。寒い道を歩いて食べに行く。目当ての店が閉まっている。仕方がないからその近くの店でアジフライ定食を食べる。・・・どう考えてもクリスマスではない。なんだか色々なことがこんがらがっている。どこかで道を間違えてしまったようだ。

 物凄く暇な三連休。誰も幸せにならないクリスマス。俺は一体何をやってるんだろう。

2002年12月23日月曜日

サイレント・ギター体験レポ

 さて、昨日のことになりますが、私の家に新たな装備が一つ加わりました。そう、YAMAHAのサイレントギターです!これで深夜でもとなり近所を気にすることなくギターが弾けます。ってゆーか、ここ数日上の部屋が朝方4時半くらいにおそらくタイマーでやたらデッカイ音量でTV付けやがるもんだから、むしろこっちが迷惑してるくらいなのですが。まぁそれはそうとして、とりあえず多くの仕事持ち一人暮らしの気になっているであろうこのYAMAHAサイレントギター、その感触レポートを簡単にご報告いたしましょう。

 まず手に持って構えた際の感触ですが、不思議な程違和感は少なかったです。まぁ、スケールも通常のギターと同じミディアム・スケールだし、ボディの感触もそれ程の違和感はなく、普通に構えられましたね。ボディの厚みが薄い分、右手の位置が若干通常のギターよりも引っ込み気味なる感はありますが・・・。そして実際弾いてみると、やや低めに設定された弦高のせいか、左手はむしろ楽に押さえられます。しかも余計なことにハイポジションはカッタウェイが入っているので、高いところが弾きやすくて仕方がありません。『大聖堂』の第一楽章とか、異様に弾きやすいです。本当に余計なことしてくれます。普通のギターより弾きやすくてどうする!? 普通のギターと「同じ」がベストだろう!? と心の中で相当のツッコミを入れながらも、とはいえ概ねいつもと変わらない感覚で弾けるサイレントギターの出来栄にはちゃんと満足いたしておりましたとさ。あれですね、ヘッドフォン付けてないと、エレキをアンプにつながないで弾いた感触に似てる(笑)。音の出方が特に。エレキ時代、アンプに通す方がむしろ稀だった私にはちょっと懐かしい音でした。まぁ、ナイロン弦の分音の質が多少違うけど。後はその他気になった点を列挙していくと、

 ・フォルテ/ピアノの差がつけにくい
 ・ブリッジより、ホールよりの音の変化が小さい
 ・音がやけに丸すぎてソリッド感に欠ける

 ・・・といったところでしょうか。最初の2つはまぁ、構造上の問題ですよね、明らかに。サイレントギターがサイレントであるためにボディの反響が最小限になっているのですから、それはまぁ仕方ないでしょう。そして最後の音が丸すぎるというのはヘッドフォンで聴いた時の感想なのですが、どうやら製作者の方が「暖かい丸みのある音」にこだわっているらしく、そのため中で電気的に処理が入っているのでしょう。ここは賛否両論だと思いますが、個人的には高音が丸いのはいいとしても低音がソリッドにビビッと鳴ってくれないのはちと寂しいです(笑)。

 総じて、弾き心地というよりも音周りの方に気になることが多かったですね。まぁ、弾き心地がそれ程違和感もなく弾けるということは、普段平日深夜に弾く分には充分すぎる役割を果たしてくれるということですから、それがよければ他はとりあえずいいのです。そりゃ税入れて6万そこそこのギターが、なんぼ電気的に処理入れたからってラミレス並の満足感が音にあったら逆に困り者です(笑)。しかしあれですね、こうしてサイレントギターを弾いた後にラミレス弾いてみると、・・・いい音してますね~、あのギター。本当に毎日弾いてあげられないのがもったいない。あの響き、あの毒気のある低音がステキなジャジャ馬ギター、やっぱいいですよ。相変わらずジャジャ馬で、時に綺麗に響いてもらうのにえらい苦労したりもしますが(苦笑)。

2002年12月22日日曜日

『島唄』の理由

 今日は珍しく夜9時くらいからずっとテレビを付けていたのですが、先程The Boomが出ていました。出てくるなりのっけから『風になりたい』を演ってくれ、しかも生放送ではないのですがちゃんとその場限りのライブバージョン。曲が終わったかと思った時に宮沢の笛を合図に突然また始まるパーカッションのインプロビゼージョンバトルが実に熱かったです。

 そう、実は『島唄』ってW杯のサポーターソングだったのですね。あれだけW杯を見ていたにも関わらず、今まで気付いていませんでした。どうりでよくコンビニとかで『島唄』が流れているわけです。な~んかカラオケであの曲歌う奴もこの頃多いなとは思っていたのですが。ってゆーか気付けって感じですね。

 私は基本的にThe Boomは好きなので、結構マジでその番組(ミュージック・カクテルだったか?、番組名)を見ていたわけですが、その中で宮沢が『島唄』が今これだけ愛されている理由は何かと聞かれて応えていた台詞が印象的でした。歌というのはメッセージというよりもただのきっかけのようなもので、歌を聴いた人がその歌にどんな自分なりの物語を付けていくかだと思う。『島唄』はたくさんの人が自分の物語を乗っけやすい曲だったんじゃないか。概ねそのようなことを彼は言っていました。なんか、カッコいいと思いません?そしてやはり、この台詞は的を得ていると思うわけです。

2002年12月19日木曜日

間違い電話ア・ラ・カルト

 ウチの部屋は間違い電話やわけのわからん電話が多い。たとえば今日!家に帰ってみると留守電が2件。まずは一件目。

 (営業トークな女の人の声)「小林様?・・・小林様のお宅ですか???」
 ・・・ガチャッ、プーップーップーッ・・・

 オマエは誰だ!? 何の用だ!? ってゆーか留守電になってることにまず気付け!!!!! そして二件目。

 (マダミッシュな女の人の声)「もしもし、◯◯ですけど、さっき頂いたお金、そちらに忘れてきてしまったようなのですがご確認いただけますか?」

 オイ!!! さっきって何時だ!? むしろオマエは誰だ!? ってゆーかまず人に金を忘れるような形で渡した記憶はねーぞ!?

 ・・・など、今日だけでこのありさまです。他の日にもまぁ、いつも同じ人の名前なのですがまったく知らない誰か宛ての留守電が入っていたり、挙げ句の果てには警察から間違い電話が入っていたり、とにかく私の部屋は散々な間違い電話がかかってきます。一体何なんでしょうね?

2002年12月17日火曜日

新兵器導入!

 やりました!当たりました!いや、何が当たったかって、YAHAMAのサイレントギターです!まぁ、当たったといってもタダでもらえるわけではなく、普通に金払って買うわけですが。いや~、前々からほしいと思っていたサイレントギターでしたが、買うのに余裕で三ヶ月待ちとか言われる状況に辟易としてなかなか手が出ないでいましたが、YAHAMAのオンラインショップでカラー版サイレントギター4色各限定50本の抽選をやっているのを見つけ、思わず応募していたらなんと当たってしまいました。いや~、嬉しいですねぇ。これで例え帰宅した時に家を出た時から日付が変わっていたとしても、私の気合さえあれば倫理的にはまったく気兼ねすることなくギターが余裕で弾けちゃうわけです。それを考えたら税を入れて6万ちょいの投資なんて安いものです。楽勝で許容範囲です。当選の通知が来てから、待ち切れずに思わず会社から購入手続きを済ませてしまいました(爆)。今週末には届くはずです。いや、週末の日中は普通にラミレス弾きゃいいわけで、来たからといってサイレントギターの出番はあまりないわけですが(苦笑)。ん~、にしても平日の夜でもギターが弾けるというのは素晴らしいですね。実に素晴らしいです。

2002年12月16日月曜日

2002年12月15日日曜日

流れ星の記憶

 流れ星を見ました。先ほどベランダで煙草をふかしていた時のことです。ぼ~っと空を眺めていたら、一瞬すっと一筋の光が空を過ぎ去って家の前の山の向こうへと消えていきました。結構大きな流れ星だったのですが、私がそれが流れ星だと気付いたのは既に消えてしまってからで、当然願いごとを三回言うこともできなければロマンスに浸ることもまたできなかったわけで・・・。いや~、ペルセウス流星団や獅子座流星群みたいに来るとわかっているものならまだしも、偶然目に飛び込んできた流れ星に対して願いごとを三回も唱えるのはまず無理だなと思いました。まぁ、願いごとというのはそれだけ叶えることは難しいということなのでしょう。

 そう、高校の頃にも一回偶発的な流れ星を見たことがありました。あれは高三の秋くらいだったでしょうか。高校からの帰り、普段とは違って燕の方を経由して家に帰ろうとしていた時でした。私が燕経由で家に帰る時は、中之口川に沿って続く土手道の県道を、ほとんど歩道のないお世辞にも広いとは言えない曲がりくねった道を車に怯えながら帰ることになります。その道はNOVELの『街灯のない道』の舞台にもなっている道なのですが、やはり文字通り街灯がなく、暗い道です。車が通ればその灯がありますし、川の向こうには国道沿いに街灯の灯が見えますし、あるところでは川向こうの打ちっぱなしゴルフの灯がまるで侵入が見つかって照らし出されるスパイのようにこちらを照らし出してくれますが、その道自体にはほとんど街灯がありませんでした。私がその流れ星を見たのは燕大橋からそんなに離れていないところで、その時は車の通りもあまりなく、その道の大方のように暗い、静かなところでした。右手はずっと川で、左手に背の高い木が続いていました。私がその流れ星を見たのはそんな場所でした。

 その場所に差しかかり、いつものように歌など歌いながら(確かHelloweenの『Take Me Home』)自転車をこいでいた私は、突然大きな稲妻のようなものが空を切り裂くのを見たのです。その時の流れ星は今日のように文字通り「流れ」ていくようななまやさしいものではなく、もっとずっと大きくて、ズシャーーーッという音すら聞こえそうなほど(というかその時私には確かにそのような音が聞こえたように思えました)強い光と尾をまといながら、私の頭の上を通過して木々の向こうへ消えていったのです。本当にどっか近くに落ちたんじゃねーかなと思いました。マジでメテオ並の迫力がありました。何だかそれを見てひどく興奮したのを覚えています。空を流れるというよりも、本当に燃えながら切り裂いていくようなその流れ星は、今も私の目の奥に鮮明に焼き付いています。よくある彗星の写真のような、そんな流れ星が夜の空と木々を背景に、私の目に飛び込んできた瞬間の一つのスナップショットのような感覚で。あの時私が心に願っていたことは、結局叶うことなく終わってしまったわけですが、あれほど力強く明るい流星なら、確かに願いごとの一つくらい叶えてくれそうな気もします。

 ♪始めようか天体観測・・・

2002年12月13日金曜日

問1.

 さてさて、今日の一問一答です。ボンジョビの『Bed of Roses』と三三七拍子、『ラデツキー行進曲』と佐渡おけさ、ロイヤル・ハントの『Makin' a Mess』と俳句、これらすべての共通点は何でしょう?

2002年12月12日木曜日

2002年12月10日火曜日

白銀変化

 今朝、私はいつものようにいつもの時間に目覚めました。月曜は朝礼があるので九時出社です。肌に突き刺さるほど冷たく感じられる空気に確かな嫌悪感と倦怠感を抱きながら、まだ目覚めきれない頭で歯を磨き、顔を洗い、スーツに着替えます。部屋の中がやけに薄暗い気がします。閉め切られたカーテンの向こうは重い灰色で、天気が決してよくはないことが察せられました。「・・・雨か?」と思い、私はカーテンを開けました。・・・すると、

「白っっっっっ!!!」

 なんと、外は一面銀世界、しかも現在進行形で雪が降り続けていたのです。・・・まぁ、日吉はたまに降るしね、とここに下宿探しで下見に来た日も雪が大量に降っていた事実を思い出しながら、とにかく私は駅に向かいました。渋谷はさすがに降ってないだろう、と。・・・が、見事に渋谷でも雪は降っていました。電車のダイヤは乱れまくりで、私は5分遅刻で済んだのですが、朝礼の人数はいつものほぼ90%OFF。いくら年末だからって割引過ぎです。ウチのグループも大半の人は30分程度の遅刻で現われました。東京の電車は雪に弱いのですね。根性が足らん。

 しかし、雪は結構好きです。というか、雪が降る直前の夜の空気が好きです。凄く透き通って、音まで澄んで遠くで響くような静けさの中、ピーンと張り詰めた緊張感を持ったあの空気が好きです。息は白くて、手もコートのポケットに入れてないとピリピリするほど冷たい空気なのに、意外と寒いとはそれほど感じられない。「ああ、これから降るな」ということがわかるその空気は、ある種の純粋さのようにすら思えます。その静かに張り詰めた冷たい空気の中、ただ歩きながら身を浸していると、なんだかとても頭がスッキリしてきます。なんだか懐かしくすら思えることがあります。それは、私が雪国育ちだからなのでしょうか。

2002年12月9日月曜日

気付いたら、一年半

 明日からまた一週間が始まります。気がついてみるともう12月になってしまっていて、冷静に考えれば今年ももう終わりです。いや、冷静に考える前に気付っていうツッコミも入りそうですが、とにかくもう今年も終わりです。時の流れるのは早いもので、もう私が大学を卒業してから1年半が過ぎています。私が4回生だった時1回生だった連中が、もう執行部としてあれだけの定演を成功させてしまっているのです。早いものですね・・・。流れる時間と共に、気付いていること、あるいは気にも留めていない何か、物理的なもの、精神的なもの、色々なものが少しずつ、しかし確かに変わっています。人も変わります。景色も変わります。それは下手したら気付かないくらいの勢いですんなり受け入れられる変化だったり、どうしようもなく受け入れ難いものだったり。よくも悪くも、地球は回るのです。よくも悪くも、世界は変わるのです。変化こそがこの世界の数少ない真実の1つなのだから。時の流れに足を浸して、すくわれたり滑ったりしないようにしながら、僕らはそれでも進む方向を決めなければならないのです。たとえその選択が流れを遠くに眺めながらその場に留まり続けることでも、流れに逆らって後ろを振り返ろうとすることでも。先に進むのがいいことなのか、留まったり、後戻りすることが正しいことなのか、そんなことはわかりませんが、どのようにしていても結局は、時は流れ変化は訪れるのです。そう、何度も繰り返すようによくも悪くも。その流れに降参して、サブンと身を沈めて流されるままになるのも一興なら、なにくそと頑張ってバタフライかなんかでパワフルに泳ぎ切ってみせるものまた一興でしょう。疲れたなら休めばいい。気合があるなら頑張っちゃえばいい。どのみち、僕らは悠久の時の流れほどの無限のスタミナと強さを持っているわけではないのですから。さてさて、気付いたら、一年半。私は、何が変わったのでしょうか。これから、何処へ行くのでしょうか。

2002年12月8日日曜日

一週間終わり

 いや~、今週はハードでした・・・。

今日の一言:俺は今どんな顔をしてる?

2002年12月3日火曜日

力あれ、作品達よ

 芸術には苦悩が付きまとうものだと、頑に信じて疑わない人がいる。極端に、苦悩の伴わないものは芸術ではないと言い切る人もいる。だが、それは果たして真実なのだろうか。私は疑問を覚える。

 確かに偉大な芸術家は、音楽や絵画といったジャンルを問わず苦悩の中に作品を作り上げていった人が多い。音楽ならベートーベンがその代表格だろうし、絵画ならゴッホやムンクかもしれない。いや、数え上げていけば苦悩の中で優れた作品を残していった芸術家などいくらでもいて、むしろ苦悩の少ない人生を送っていた芸術家の方が例外的なのだろう。では、やはり苦悩が芸術の母なのだろうか。苦悩なき芸術に価値はないのだろうか。やはり私は、そのテーゼに意義を唱えたい。

 苦悩の価値を否定するわけではない。ただ、苦悩そのものが芸術の価値であるはずもない。芸術から伝わってくるものは、ただそのエネルギーである。作品に注ぎ込まれたエネルギーである。そのエネルギーの発生源として、多くの芸術家が(望むと望まざるとに関わらず)利用してきたのが苦悩であるというだけのことだろう。確かに、苦悩は大きなエネルギーを生む。大きすぎて危険なくらいのエネルギーを生む。それを一人の人間の精神が抱えきれずに、自然発生的に外に溢れ出るエネルギーが多くの芸術の母となった。だが、逆説的に、発生源が苦悩でなかったとしても、それに劣らないだけのエネルギーを作品に注ぐことができる希有な人間がいたとしたら・・・?

 大抵の音楽好きにとっては周知の事実のように、バッハの人生は音楽家としては平穏で、とてもベートーベンなどと比べることのできないくらい平安な日々を過ごしていた。だが、果たして彼の作品の内に込められたエネルギーがベートーベンのそれに劣るかというと、決してそうは思えない。中には、確かに平和ボケともとれなくもない曲もある。が、それはベートーベンとて愚にもつかない曲はある。それよりも『シャコンヌ』やBWV826の『シンフォニア』に見られるような、一見数学的で幾何学的な音の配置の構築美の中から、それでもなお奥深くから沸き上がってくる暗く激しい情動はどう説明するのか。一つの楽器だけで、大仰なオーケストラの圧倒的な力に頼ることなく、それでも暗闇に静かに燃える炎のように確かに息づく熱情を、我々はどう解釈すればいいのか。それらの曲を生み出したエネルギーの元が何だったのか。それは今となっては本当のところは知るよしもない。もしかしたらそれは苦悩だったのかもしれないし、もしかしたらそれは違う他の何かだったのかもしれない。だが、そんなことはもはや重要ではない。重要なのは、それが例え苦悩から生まれたものでなかったとしても、苦悩の表現媒体にはなりえるということだ。実際、これらの曲をそう解釈し、表現する演奏家は後を立たない。これらの曲は、苦悩さえも包容できるエネルギーを持っている。

 勘違いしてもらいたくないのは、私はバッハをベートーベンと比べて優れていると言っているわけではなく、当然苦悩というものの価値(もっとも、苦悩している人間が自らその苦悩に価値などを見い出していればの話だが)を否定するわけでもない。ただ、苦悩というものがただそれだけで評価の基準となることに異を唱えたいだけなのだ。では、芸術というものの価値を決めるものは何か。何が評価の基準となるのか。

 私は、それは説得力だと思う。その作品に触れた時、理屈抜きで心を動かす何か。それがすなわち作品の力だと思う。どんなに苦悩していても、触れるものの心を微塵も動かすことができない作品もあれば、気楽に作ったとしても触れたものの人生を変えてしまう程の衝撃を持つ作品だってありえる。もちろん、逆に気楽に作って何の感動もない作品も、苦悩に満ちた圧倒的な作品もあり得る。重要なのは、理屈抜きで、それがいかに人の心を動かすかだ。気を付けなければならない。ある作品を見る前に、その作品が作られた背景を知る。そのこと自体が既に、その作品に触れる際の色眼鏡になる。それがすなわち理屈になりえる。白紙で触れたとき、心に響く衝撃。それが芸術の力だと思う。そして、芸術の価値は触れる側の人間にとって、決して永久ではない。芸術に触れるということは、作品を通じて精神の深くまで入り込むということだ。当然、作品に触れた際の精神の状態が大きくそこには関わってくる。ある作品に触れた瞬間、そこに大した衝撃を感じ取れないなら、それ以上無理に深入りすることはない。それは、今の精神にとって価値のないものなのだ。もちろん、その「今の精神にとって価値のない」ということもまた永久ではありえず、別の瞬間にはこの上ない衝撃を受けるかもしれない。芸術は絶対的ではない。作品と受け手のインタラクティブな精神作用なのだから。作り手が苦悩により作品を作り上げても、受け手がそう取らなかったらそれは苦悩ではありえない。逆に、作り手にその意識がなくとも、受け手が苦悩と受け取ればそれは間違いなく純粋な苦悩となる。苦悩に限ったことではない。悲哀や、幸福や、諦観や、平穏も、その他あらゆるものが、作品の中に可能性として秘められてはいても、受け手なしで独立して在りえるわけではない。たとえ作り手がそれを望まなかったとしても。だから、作品にとって重要なのは何かを伝えることではない。受け手に気付かせるエネルギーなのだ。目を向けさせるエネルギーなのだ。それをどう取るかは、あくまで、常に受け手次第なのだ。いかに多くの人に作品に内在する可能性に気付かせることができるか。それが芸術の持つ力だと思う。そして、可能性の広さや深さは、あくまで受け手次第なのだ。たとえ作品自体の可能性に限界が始めからあったと仮定しても。苦悩はエネルギーに転換しやすい。だが、苦悩でなくともいい。力あれ、作品達よ。

2002年12月2日月曜日

自分の定演を振り返って

 ここしばらく定演の話題がBBSでも盛り上がっていたので、その勢いにまかせて久しぶりに自分が執行部だった頃の定演のビデオを見てしまいました。いや~、懐かしいですねぇ。ラテンのソロをしくって「ヤバイな」と思いながらも、うーやんに目で「かまわん、行け!」と念じていたあの頃が夢のよう(笑)。しかしあれですね、3回の頃の俺ってその、・・・結構ムチャしてますね(苦笑)。フォルテ出し過ぎ。ラテンなんてテイクバックとって叩き付けるようなアポヤンドで『バーモス』のクライマックスを弾き切ってるし。『大聖堂』でも必要とあらば弦がびびる限界一杯くらいまでひっぱたくように音出してやがる。ってゆーか、何箇所か明らかに叩き過ぎで音割れてっし・・・。いやー、若かった(笑)。まぁそのおかげでピアノとフォルテの間の緩急は非常に明確になってはいるのですが、何もあそこまでして強弱の差をつけなくとも・・・、って思ってしまいます。たまに自分の昔の演奏を見てみるのも悪くはないものですね。人の振り見てなんとやら・・・、です。

2002年11月30日土曜日

BKC定演出場者の方へ

 明日はBKCの方の定演ですね。残念ながら私は明日仕事があるので見に行くことはできませんが、よい演奏会であるよう祈っていますし、またそうであろうと信じています。コンクールで鍛えたあいの~や、少ない人数で頑張ってきた今年の執行部の皆さんを見届けたい気持ちは強かっただけに残念です。冷静に考えてみれば卒業してからも両キャンパスの定演・独重は欠かさず行っていたわけで、今回が初の見送りということになっていました。・・・やっぱり残念ですね。出演者の皆さん、頑張ってください。

2002年11月27日水曜日

2002年度定演裏批評

 さてさて、今回も(?)やってきました定演裏批評、ayum's technical noteの時間です。定演が終わってもまだまだ終わりじゃありません。3回生は来年もありますし、4回生とてこれでギター人生終わるわけじゃありません。せっかく一生懸命頑張った演奏会なのですから、ここらで一旦技術的なところを振り返ってみて次へのステップにしてみるのもまた悪くはないんじゃないでしょうか。

 まずは全体的に、一番気になったのが音が小さいということ。そりゃしっかり音出してる人もいますが、大半の人はまだまだアルティのステージで音を響かせるには足りない程度の音量しか出ていないのが実状でした。一番酷いのは指ばかり回って肝心の音が脆弱なこと。小さな音でゴチャゴチャやられても聴いてる方は何がなんだかわかりません。まずは客席にしっかり伝わるしっかりした音を出すのが先決です。また、出せる最大音量はイコール表現力にも直結してきます。ピアノにフォルテ、あるいはクレッシェンド・デクレッシェンドは最大音と最小音のダイナミクスの差がイコール表現の大きさになるわけですが、物理的に最小音は0よりも下にはいかない以上、どこまで最大音を出せるかが使える表現力の幅ということになるのです(といっても当然表現力は音量だけで決まりはしないのですが)。つまり、小さな音しか出せない人はそれだけ表現の幅も狭くなると。そして何より、音が小さいと聴いてる人の耳に届かないばかりか、心に届かないのです。ので、まずはしっかり大きな音で弾けるようにすること。これがまず演奏の大前提になってきます。タルレガで中間試験までは音色はいいからとにかく大きな音でというのもそのためで(ちなみにスケールや終止形なんかはそもそも音が小さいとサインは出せない)、最初に大きな音がだせるようになっておかないと後で直そうとしてもなかなか直らないから、最初はまず技術に先立つ演奏の大前提を身に付けてもらおうという魂胆なのです。その意味をもう一度考えてみましょう。それに絡んでなのですが、合奏の方も人数は多いのにその割に音量が出ていないので、特に『こうもり』のような非常に幅広いダイナミクスを要求される曲ではもう一つ音量差のメリハリが足りずパンチが弱かったというのもあります。パートリーダーソロとトュッティの間で音量があまり変わらん・・・。いかにしっかり音を出している人が少ないかというのが浮きぼりになっていますね。まぁ、つまり言いたいことは合奏でも一人一人しっかりと大きな音を出しましょうと。そういうことですね。普段の練習の意識から変えていかないと一旦ついた癖はなかなか直りませんので。まずはとりあえず、一番何よりも気になったところから語ってみました。

・・・また続く

2002年11月26日火曜日

へべれけ

 本来今日の日記で昨日の続きを書く予定だったのですが、週の始めから取引先の方と飲んで結構いい気分になってしまっているので今日は止めておくことにします。この状態でまともなコメントが付けられるとも思えないので・・・。いやいや、俺も弱くなったものですね。

2002年11月25日月曜日

定演お疲れさまでした

 さてさて、行ってきました衣笠定期演奏会。まずは出演者及びスタッフの皆さん、お疲れさまでした。全体として私達の期待に背くことのないよい演奏会だったと思います。オープニング、おそらくは現在のクラギタの速弾き自慢が集まったのであろう『ガーディアン・エンジェル』には少々肝を冷やされましたが(笑)、続くポピュラーアンサンブルはギターのハーモニーの心地よさを改めて感じさせてくれる演奏で非常によかったと思います。チューニングがステージ上にしては不思議なくらい安定していたのもポイントが高かったです。ポピュラーで一番印象に残ったのは一曲目の『Summer』。原曲は知らないのですが、旋律とそれに絡む周囲の音の作り出す響きが非常に気持ちよく聴けました。しかし現職C技殿の音はアンサンブルの中での存在感がありますね。他の音から一歩抜けて響いてきて、決して主張し過ぎることもなくアンサンブルのランドマークとして全体の芯になってくれています。実にいい仕事をしていました。

 そして続くみんなのうたステージはこれまでにない斬新な試みというか、これまでならポピュラーの枠組みの中に一緒に盛り込まれていただろうステージで、しかも何故かポピュラーの面々が入れ替えなしでそのまま演奏というかつてない構成にちょっとビックリしました。でも個人的にはこのステージ好きでしたね。おそらくはクラギタの唱神、某Tの発案といったところでしょうか。時報に始まる『大きな古時計』は静かに暖かくノスタルジックな空気がいい感じでしたし、『トレロカモミロ』は開演前に曲名がどうしても発音できずにらめっこに笑われたりしましたが(苦笑)、歯切れのいいカスタネットと勇壮な低音が非常に私好みで、演奏もイキがよくて最高でした。そして最後の『赤鬼と青鬼のタンゴ』は始まった瞬間思わず「これはヤバイなぁ~」とつぶやきながら笑ってしまう程ギターにはまっていて怖いぐらいでした。このみんなのうたステージは非常に好きでしたね。一曲一曲が短く、切れがいいのも好印象でした。

 そしてフラメンコ。4曲中前半は4回生、後半が3回生という構成の中、まず出てきた4回生の3人は、それぞれが学生時代での最後の大舞台になるわけで、さすがに曲にも入れ込んでいた形跡が随所に見られて感心しました。曲の難しいところに捕らわれるよりも、曲全体を聴かせることに神経を集中できる辺りはさすが4回生といったところでしょうか。十三にあゆあゆ、聖寺、4年間お疲れさまでした。そしてある意味一番ビックリしたりとりとと雅の『サパテアード』。フラメンコらしからぬ美しいハーモニーを持った曲で、しかもそれを雅の持つ独特のオーラとりとりとのとてもFとは思えない柔らかく暖かな音が見事に調和して実にいい感じに仕上がっていました。細部はまぁ粗いところも見受けられはしたのですが、あの二人の醸すオーラは今回の出演者の中では飛び抜けていましたね。最後トリで出てきたF技は、これまでの誰よりもしっかりした音で貫禄を感じさせる演奏を聴かせてくれ、しっかりFステージを締めてくれました。独重の際は音はしっかりしてるもののスケール等でその音が一音一音孤立し過ぎていてフレーズとしてつながりきっていないような印象を受けた彼ですが、今回はその欠点も克服してきて非常に力強い演奏を聴かせてくれました。きっとあれから凄く頑張ったのでしょう。いえ、彼の場合はギター経験なしで入部してきたのですから、入ってから今まででしょうか。3年間の努力が感じられました。

 Cステージの皮切りは一時期私とたっちーが来年琵琶湖ギターフェスで弾くという噂も流れたファリャの『はかなき人生』。この曲にしては非常にゆったりしたテンポで進んでいましたが、その分丁寧に弾いていたのは好印象でした。ですが、ちょっとばかり曲の部分部分における2人の音量バランスの取り方が苦しかった気がしました。唱神殿の坂本龍一は、相変わらずな選曲と相変わらずな空気がさすがで、「ははは、変わってねーやぁ」とか思って微笑ましい気がしました。4回生による三重奏のピアソラは、プログラムを見た時には「はい?あなた方がピアソラですか?」と思ってしまう程私が彼女らに抱いていたイメージとはかけ離れた選曲でしたが、聴いてみるとなかなかどうして、しっかりと妖しく叙情的なピアソラの空気を見事醸してました。いやいや人は見かけによりませんね(笑)。彼女らは基本的に音がしっかり出てるしテンポに安定感があるので、聴いてる方はハラハラすることなく非常に安心できていいですね。その辺りはさすが4回生です。4年間お疲れさまでした。安心してどこへなりと逃亡してください(笑)。そしてトリのC技殿ですが、見事に緊張してましたね・・・。いや、ポピュラーアンサンブルの時から表情堅いな~とは思っていたのですが、ソロで出てくるとその過剰な緊張が嫌でも伝わってきます。演奏の方もやはりその緊張に呑まれ気味な感があったのは正直否めないところではありますが、やはりC技、しっかりした音と曲を観客に聴かせるセンスは他の出演者と比べても一回り上でした。あそこまでガチガチに緊張してなければなぁ、と思ってしまいますが、まぁそれもまたステージでしょう。舞台の上で何が起こるかなんてその時になるまで誰にもわからないのですから。私が1回生の時、定演のCステージで当時のC技殿と4回生の元C技殿のデュオが本番止まってしまい、最初からやり直すということもありました。私自身3回の時はラテンアンサンブルのソロを思いっきり外したり、4回の時もアランフェスで完全に緊張に呑まれたりしました。それもまたステージです。

 そして最後の大合奏です。キムが編曲したドビュッシーの『メヌエット』と私が編曲した『こうもり序曲』が彼らの手によって一体どのように演奏されるかは、編曲者として当然のことながら実に楽しみでした。とりあえずぎぃ助が2年前の定演で舞台係やってた時と同じ服で指揮台の上に立った時は「オイ、舞台係と同じかよ!?」と心の中でつっこんでみたりしましたが(笑)。さて、『メヌエット』は静かな癒し系の雰囲気がギターにもよく合い、安らかでいい感じでしたね。今のクラギタはトレモロがうまいのでこういう曲でもいい具合に演奏できるのでしょう。ウチらはトレモロ粗かったからなー・・・(苦笑)。そして『こうもり』は、最初の出だしを聴いた時、「オイ、オマエら本気でこのスピードで最後まで行けるんか!?」と心配になるくらい元気のいい飛び出しでした(笑)。さすがに速いスケールは皆さん少々辛そうでしたが、それにしてもあのテンポはコロコロ変わるはスケールは速いはダイナミクスは大きいはと、まるでギターにとっての天敵のようなあの曲を、よくもあそこまで弾きこなしてみせたものです。正直あそこまでテンポを上げて来るとは思ってなかったのでかなりビックリしました。あの無茶な編曲をよくあそこまで・・・。そうとう頑張ったんでしょう。譜面を渡された皆さんが、「マジでこれあのテンポで弾くのかよ!?」と悲鳴を上げながら血の涙を流して練習している様が目に浮かぶようでした。ぎぃ助の指揮者ぶりもなかなかのもので、メリハリのある手つきでタクトを振る姿はクールでカッコよかったですね。振り方に色々変化を付けるきよと比較的オーソドックスな王子の中間くらいの振り方でしょうか。まぁ曲が曲だけに振り方には変化が自然と付いてくるからきよ寄りにはなるのかもしれません。いや、でもぎぃ助のことだから狙ったということも・・・?

 総じて、今回はアンサンブルの質が非常に高かった演奏会だと思います。どのアンサンブルも実に心地よく聴かせてもらいました。技術的なあれこれはまた明日続編の『定演裏批評』で私自身の編曲の反省点も踏まえてお話ししますが、部員の皆さんが一生懸命この定演に向けて頑張ってきたんだなという熱気が伝わってくるいいステージだったと思います。やっぱりね、演奏会ってその熱気が重要だと思うんですよね。どれだけ皆がその演奏会にかけてきたかって、伝わるものだと思うんですよ。それは演奏がうまくいったいかなかったとかと関係なく、ステージのオーラのようなもので。そしてその熱気が聴くものにとってはそれが「いい演奏会だな」と感じる大きな要因になると思うのです。その意味で、非常にいきいきとしたいいステージだったんじゃないかなと思います。出演者の皆さん、改めてお疲れさまでした。

2002年11月22日金曜日

定演前夜

 さてさて、明日はいよいよ衣笠の定演ですね。編曲した譜面を渡して以降、ときたま様子はうかがえど練習をのぞきに行く機会も一度もないままここまで来てしまいましたが、はてさて一体どのような演奏を聴かせてくれるのでしょうか。今年の執行部は私達の代と直接の面識がある最後の世代だけに、彼らが作り上げるステージがどんなものか楽しみでなりません。今日の更新も遅くなってしまったので(現在2:45 AM)、おそらく明日の本番前にリアルタイムにこの日記を見る出演者の皆さんは誰もいないでしょうが、期待していますので頑張ってください。いいステージを!

2002年11月21日木曜日

いつにいつの風が吹く?

 明日は明日の風が吹くと言うが、そもそも昨日は昨日の風が吹いていたのだろうか。昨日の風も今日も風も、明日の風もそのまた明日の風も、もしかしたらみんな同じ風かもしれない。ひょっとしたら、昨日に明日の風が吹いていたのかもしれない。

2002年11月20日水曜日

靴擦れ

 新しく買った革靴がまだなじまず、絶妙に足が痛い今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。こちらは今週金曜京都に行くためお休みをいただいていることもあり、一日分切り詰めたペースで仕事をこなさないけない状況に陥っていまして今は結構シュールです。ってゆーか、下手したらまともじゃ土日も出ないといけないような雰囲気のところ、その分量の仕事をすべて木曜までに終わらせなければならないという・・・。さてさて、困ったことですね。私は無事生きて京都に行くことができるのでしょうか?まぁ、定演を見るまでは死ねないのです。

2002年11月18日月曜日

免許初更新

 免許を更新してきました。免許を取得したのが大学4回の時だった私は今回が初の更新だったわけですが、いやいや免許というのは取るのもなかなかめんどくさいものですが、更新も結構面倒なものです。とりあえずあまりにわんさか人が並んでいるのにビックリしました。午前は受付が9時から9時50分だというので、私ははるばる二俣川の免許試験場まで朝7時起きで家を出て、8時50分には到着したわけですが、どういうわけか既に受付が始まっていて、しかも用紙を受け取った次の適性試験のところには、窓口が5つあるにも関わらず全部窓口から廊下にまで人がズラッと並ぶ始末。大変な混雑ぶりです。なるほど、更新の催促のハガキに「日曜は大変混雑しますので平日の更新をお薦めします」と書かれていた理由がわかりました。とりあえず私はまだ早い内に並んだので視力検査が終わるまでは20分待ちくらいでいけたのですが、9時過ぎからは後から後から人が来て大変だったようです。なんでもあそこの試験場には今日一日で4,000人以上更新の人が訪れたとか・・・。

 しかし、せっかく今回の免許の更新に向けて気合を入れて新しく眼鏡を作ったはいいのですが、なんと、実は私は免許証には「眼鏡着用」等の条件が何も記述されていなかったのですね。つまり、容赦なく裸眼で運転できるままなのです。というか、「眼鏡着用」の条件がないということは、視力検査も当然眼鏡なしで受けねばならず、新しく買った眼鏡もそもそも着けないのではまったく意味はなく・・・。とはいえ左目はまだ普通に0.7はあるので視力検査もパスはするのですが、右目がなかなかパスには厳しく。かなりの誤算だった私は、心の中で「いや、見えねーよ」と叫びながら「これは?」と聞いてくる試験場の人に「下(に違いない)!」と半ば勘で答えていました。そして、どうにかギリギリ今回も裸眼での運転にパスしたとのことです。しかし次は裸眼だと厳しいですねぇ。今回でかなり一杯一杯だったのに。ってゆーか、もし裸眼で視力検査が出なかった場合って免許はどうなるんでしょう?「眼鏡着用」の条件付きには簡単に変わるものなのでしょうか。・・・まぁ、運転する時はかけますけどね、眼鏡。ってゆーか、せっかく新しく作ったのに、眼鏡。

 そして帰り際、二俣川から横浜まで戻ってきた私は、せっかく横浜まで出てきたんだから買い物でもしてみようかと、ちょっと一人横浜散策を行っていたとのことです。そして、ラーメン隊の一角を担う私が横浜では超メジャーな『家系ラーメン』を食ったことがないのは問題だなと、「確かこの道をまっすぐ行けば家系ラーメンの店があったはず」という不確かなラーメンデータベースを元に、無事一食堪能してきました。然るに、横浜ラーメンの系譜とはとんこつ醤油にあるようで、この『家系ラーメン』も、日吉で絶対的な人気を誇る『らすた』も、基本的には同系統のとんこつベース醤油で太麺という基本型が踏襲されています。味は『らすた』の方が濃く、体育会系な匂いがしますが(笑)。横浜のラーメンはとんこつ醤油で豚の背油がスープに浮いていて、コクに重点が置かれた味構成が『家系ラーメン』からつながる系譜のようです。最近は横浜において圧倒的な勢力を誇っていた『家系ラーメン』に対抗するように、一部の地域で『非家系ラーメン』が新勢力として台頭してきているようです。まぁ、『非家系ラーメン』と言ってもそういう組織があるわけでなく、単純に『家系ラーメン』でないラーメンということらしいのですが。今度はそちらにも行ってみたいと思います。車がないと辛そうな地域なんですが(苦笑)。

2002年11月15日金曜日

"ポシティブ"は"楽観"ではない

 根拠なき楽観は過ぎた悲観よりもさらに悪い結果を生むことになりえる。だが、どういうわけか人はそれでも悲観より楽観を好む。"ポシティブ"という言葉の定義を誰もが勝手に書き換えて。根拠なき楽観は決して"ポシティブ"ではない。あらゆる否定要素をすべて見据えた上で、それでもなお肯定要素を探すことが"ポシティブ"なのだ。ネガティブであれ。楽観と"ポシティブ"を混同して、渦を落ちていく世界に飲み込まれないため。デカルトはこう言った。「まず疑え、残ったものが真実だ」と。コンテクストは違えども、その言葉は多分正しい。

2002年11月11日月曜日

MIDIページ、準備中

 只今MIDIのページの準備を少しずつ進めております。ずっと以前から構想はあったMIDIコーナーですが、何故か今の今まで具体的に作ろうとはしなかったという・・・。内容はやはりギターが中心になるでしょうが、現在手に入るありきたりな譜面をMIDI化するというよりは、まだギター用に編曲されていないと思われる曲の編曲版を多く載せていこうと思っています。とはいえ、立命のAアンなんかで使った曲などは基本的に門外不出なので(?)、新規編曲を頑張って作っているところです。最初は二重奏が多くなりそうですねー。私ときよがフェアウェルで弾いた『バロック組曲第二番』のプレリュードなども作曲者の方から編曲・公開の承諾を得ているので載ってくるでしょう。その内オリジナルも載せていきたいのですが、現時点ではそれはまだまだ・・・。作りかけの独奏曲やら、構想だけの合奏曲はあるのですが、なかなか完全に形にならない。困ったものです。ちなみにMIDIのページは来週中の公開を目指そうと思っています。

2002年11月6日水曜日

誤爆

 自分で36,000Hit踏んでしまいました。やはり頭が痛い時にはロクなことは起こらないものです・・・。

2002年11月5日火曜日

こんな三連休

 気がついたら家でギターばかり弾いていて、昨日今日は飯以外ほとんど外に出なかった三連休。もしかしてこういう状態を俗にヒッキーと言うのではないだろうか?まぁ細かいことは気にしたら負けなのでしょう。先々週は腱鞘炎にやられ、先週は京都に出ていて、それまでも忙しくてろくに弾けなかった分を少しでも取り返しておかなければならないのです。ってゆーか、今日に至っては起きて部屋を掃除して昼飯食って、ずっとトランスしてギター弾いてて、はっと気付くと外が暗くなっていたという・・・。おかげで精神的には充実度満点ですが、腱鞘炎が完治していなかった左手は結構ガタピシいってます(苦笑)。最初基礎練やってて、そこで「ああ、左手やっぱやばいなぁ・・・」と思ったので足台と譜面台を出し、少しでも負担を軽くしようと心がけて弾いてはいたのですが、やはり元々やられていたのでは多少フォームに気を使ったところで辛いもんは辛いですね。ここは如何に普段の仕事で手を温存するかが鍵でしょう(←それじゃ仕事にならない?)。とりあえず昨日今日で『中世組曲』は全楽章一通り譜読みを終え(どうやら『ピンクフロイド讃歌』より相当取っ組みやすかったらしい)、前半2小節と4楽章の前半は概ね止まらず弾ける程度にはなりました。まぁ、その辺は簡単なのですが(笑)。

2002年11月4日月曜日

眼鏡研究社で新しい眼鏡を

 先日京都に行ってきた時、新しい眼鏡を購入しました。前々から密かにほしいと思っていた、新京極にある眼鏡研究社のものです。この店は100年以上続く眼鏡屋の老舗で、今も昔から受け継がれてきた技術とノウハウをもとに職人さんが手作りで眼鏡を作っているのです。伝統の技術を使ってといっても単に懐古趣味的なものでもなく(まぁあからさまに大正ロマンな眼鏡ももちろんありますが)、普通に今風のちょっと小洒落たものなんかも売ってます。まぁ眼鏡に関して小難しいことは正直ようわかりませんが、なんとなく既製品にないようなさりげない個性が気になっていて、ちょっとここの眼鏡がほしかったのです。ので、免許の更新の際前使っていた眼鏡は作ってから5年以上経っていることもあり度の合い方ががちょっと不安だったこともあり、軽くクレジットカードで大人買いしてきてしまったのです。

 私が買ったのは以前使っていた眼鏡と同じような上半分だけフレームがあるタイプのもので、黒に見せかけてちょっと青みがかった微妙な色がいい感じのものです。そのデザインもさることながら、度を調整する時に「今の眼鏡はこうなってるけど、実際の目の状態はこうなってるから実際こうした方が負担もなくよく見える」などと色々説明してくれるので実に安心感がありました。私の場合右目の視力が左より落ちるので、これまでは左に比べて右の方がやや強めなレンズが入っていたのですが(といってもいざとなれば裸眼でも日常生活くらいできる、というか普段裸眼で暮らしてるくらいなのでどのみちそれほど強くはない)、実はそれは誤りで、実際は右目は垂直方向に軽く乱視が入ってて見えなくなってるだけで、近眼の度としては右も左も変わらないらしいのです。なのに右の方に強いのが入っているから、右は軽く遠視の状態になって近いところを見ると目が疲れると。そういや私は本を読んだりコンピュータに向かう時はいつも「かえって疲れる」といって眼鏡外してましたね・・・。そして実際近視の度を左と右で同じにして右に乱視矯正を入れたら実にすっきりと世界が見えるようになりました。ある意味かなりのインパクトです。眼鏡の度を合わせるのにもやはり合わせる人の腕前というものはあるものなのですね。某メガネチェーンは当てになりません・・・。そしてフレームの具合も私に合わせて丁度よくなるようにきっちり調整してくれて、新しい眼鏡が出来上がったわけです。とてもよく見えてしかも前とくらべると全然疲れない上に体にピッタリ合ったこの眼鏡は、今ではすっかりお気に入りです。皆さんも眼鏡の買い換えを考えるなら、ちょっと眼鏡研究社に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。見るだけでも結構面白いですよ。

2002年11月3日日曜日

シノさんと休日を

 昨晩はシノさんがウチに泊まりに来ていました。が、待ち合わせ場所等何も決めていない状態だったにも関わらず私は家にPHSを忘れて会社に行ってしまい(爆)、「やべぇ、電話番号が思いだせないぞ」と思いながら必死でシノさんのメールアドレスを思い出し、会社からめくらめっぽうメールを打ち続けたという・・・。そして十数通の「Undeliveried」が返ってきた後、やっとシノさんのメールアドレスを探り当てた私はギリギリ一杯のところで渋谷にてシノさんと会うことができたというわけです。いや~、PHSがないだけで一苦労ですね(笑)。そしてそのまま欲望の街渋谷でシノさんと飲み交わし、ウチに来てからも軽く飲みながら語らって、偶発的にモーツァルト部長殿から電話がかかってきたりもして、秋の夜長はふけていきましたとさ。そして今日はシノさんとともに天気のよい非常にアンニュイな空気の中現代ギター社まで繰り出し、買い物をした後池袋でシノさんは東京駅へ、私は家へと別れていきましたとさ。ウチに仲間が来るのも久しぶりですが、まぁまぁやはり学生時代のようにウチで適当に語らいながら過ごす夜というのは悪くないものです。

 現代ギター社に行った今日の収穫ですが、今回は譜面を2つばかり購入してきました。一つは藤井敬吾先生の作品集『中世組曲』。このタイトルトラックは4回の時アルハンブラコンサートで聴いて以来、ちょっと弾いてみたい曲の一つです。まぁすぐ弾くかどうかはわかりませんが、やはり譜面というのは持っているだけでも嬉しいものですからね。・・・そして、その『中世組曲』をすぐ弾くかはわからないと言ったのにはわけがありまして、実は今日他にもう1つ実に熱い曲の譜面を見つけてしまったのです。それはジャックス・カストレードの『2つのインベンション』。この中の第2曲『インベンションNo.2 ピンクフロイド讃歌』はそれこそ大学の最初の頃、1回か2回の頃からずっと譜面を探していたにも関わらず見つけられなかった曲なのです。な~んかアサド編『ブエノスアイレスの四季』といい、こっちに来てから出版されたり再入荷される曲が多いですねぇ。できればもっとまとまった時間ギターに集中できる学生の内にこれらの曲は弾いておきたかったのですが・・・。

 この『インベンションNo.2 ピンクフロイド讃歌』は、プロだと福田進一氏が『ギタリスト伝説』の中で弾いているのですが、『リブラ・ソナチネ』や『澄み切った空』がクールで派手な曲の代表格として幅を効かせている昨今、いきなりこいつをステージで弾いたらかなりの大反響間違いなしなんだろうなという実にヤバイ曲です。気違いじみて複雑なリズムで連打を続ける低音と、微妙にボサノヴァチックとも言えなくもないノリでガンガン突き進んでいくテンションの高い不協和音の嵐が無茶苦茶熱いのです。いや~、この曲はヤバイなぁ。いいもん見つけました。早速明日、明後日はこの曲を弾き倒そうと思います。

2002年10月31日木曜日

王子結婚パーティー

 先週末のことになりますが、王子の結婚祝賀パーティーのため京都に繰り出してきました。我々の代のクラギタのほとんどの人間と、新婦殿の代のやはりほとんどの人間と、その前後の代の人間が集まり、『カフェ緑一色』というところで宴は始まりました。ウチらの代の人間も、個別にはパラパラと会うことはあってもこれだけの人間が一堂に会したのは卒業して離れて以降初めてでしょう。久しぶりに集まった古い馴染みの面々と積もる話やら何やらをしつつ、一足先に結婚生活というステージに足を踏み入れた王子をからかったりしつつ(←オイ!)、一次会はあっという間に過ぎていきました。まぁ、開始が5時なのにウチらの代の人間は開始時間には3分の1くらいしか集まっていなかった辺りがさすがといえばさすがです(?)。かくいう私も5分ほど遅れて行ったのですが。

 そして二次会は場を変えて私の馴染みのジャズバー『オンリエド』へ。何人かが好きな曲をリクエストして聴きながら、王子にバーの自家製ワインをプレゼントしたりして、最初2時間程何故か完全に貸し切り状態の快適な空間の中、学生時代に戻ったかのような空気を堪能していました。そして3次会でいよいよ徹夜カラオケに突入するわけですが、ここまで来ればもうあまり解説する必要もないでしょう(笑)。相変わらず叫ぶ人間は叫ぶだけ叫んで、部屋の外にならずものが徘徊する中時は過ぎていきましたとさ。

 時は流れます。それはよくも悪くも、あるいはいいでも悪いでもなく、ただ時は過ぎて行きます。私が大学を卒業してから一年半、短いものではありますが、それでも時は流れています。漠然とそんなことを思いました。過ぎ去って行った時は、一体我々に何をもたらし、そして何を奪い去って行ったのでしょうか。

 ともあれ、王子、改めておめでとうございます。もうとっとと王子辞めて王になっちゃってください(笑)。

2002年10月25日金曜日

Trial Of Fears

 数日前のことです。会社で煮詰まっていた私は、かなりキレギレの状態でモニタをじっと見据えながら「ああ!? そこでそういうエラー出るか!? 知るかぁゆーねんなぁ」とかブツブツとつぶやきながら仕事をしていました。そこに保険屋のおばさんが現れました。いつものように適当に愛想など振りまきながらポケットティッシュを配っています。かなり世界に入って熱くなっていた私はおばさんがティッシュを机の上に置いていくも、それにシカトをくれてモニタを見続けていたわけですが、おばさんが私の前の席の人にティッシュを渡しに行ったとき、それこそこれまで見たことのないような意味不明のエラーでコンパイルが落ちました。頭の中で何かが切れるのを感じました。瞬間的にカッとなった私は、結構大きな声で「あ!? 意味不明のことほざいてんじゃねーよ!ふっざけんなよ、コラ!」と言い放ち、勢いで机をガンッとひっぱたきました。そしてフーッと大きく息をつき、少し頭を冷やして周りを見てみると、前では保険屋のおばさんがひどく驚いた表情で、目を丸くして私を見ていましたとさ。・・・まぁよくある話です(苦笑)。

2002年10月23日水曜日

BGMはいらない

 BGMはいらない。耳に気持ちのいいだけの、サラッと流してしまえるような音楽はいらない。他の何をしていても、気をどんなにそらそうとしても耳が引きつけられてしまう、そんな強い力を持った音楽がいい。ただ音楽だけを聴き、その音が与えてくれるイメージに浸るだけで時が過ぎていくような、心が痛み出すような、そんな無視できない音を。

2002年10月22日火曜日

最近の帰宅時間

 少しは早く帰れるようになってきました。日吉の駅に着いた時点ではまだ日付けは変わっていません。ですがまだ家に着く頃は・・・?

2002年10月20日日曜日

雨音が聞こえる

 言葉が浮かばない。いくら本を読んでそれについて考えてみても、何故か書くべき言葉が浮かばない。言葉を殺す、社会という制度のしきたりにさらされているせいだろうか、あるいは時間や余裕の問題だろうか、それともこれは、俺の感性の問題なのだろうか。書くべきことはたくさんあるように思われる。頭の中に浮かんでは消えていく思念の断片達。だが、いざそれらをまとめて言葉として表わそうとする時、何故か俺の内部の機能はことごとく停止する。言葉にならない言葉達が、ここしばらくの間どれだけ俺の頭の中で生まれ消えていったことか・・・。はがゆさを感じる。そんな俺の心を急かし、あるいはなだめ、嘲笑い、哀れむかのように、外では冷たい秋の雨が静かに降り注いでいる。コンピュータのファンが回る音しか聞こえないこの部屋の中、ただ雨音が聞こえる。それが何を象徴するのかもわからないまま、物憂げに木々が打たれる音が聞こえる。そう、雨音が聞こえる・・・。

2002年10月19日土曜日

左手小指腱鞘炎

 今日はギターをのんびり弾いている予定だったのですが、連日のプログラミングによる酷使で左手小指及び親指に恐ろしいまでの違和感があり、明らかにバネ指の兆候が見られたのでここは大事をとってバンテリンを塗って休養に当て、一日CDを聴きながら本を読んでいました。いや、月曜からの仕事に差し支えるとかそういうことはどうでもいいのですが、本格的に手を壊してギターに支障が出るのが怖かったのです。高校時代に一回酷いのをやっちゃってますからねぇ・・・。仕事では手を使わざるを得ないので、一回本格的に腱鞘炎をやってしまうと回復には絶望的な時間を擁してしまいそうでしたので。まぁ一日徹底的に左手を使わないように養生することで、随分違和感そのものは和らいではきたのですが、やはりここまできてしまった腱鞘炎が一日やそこら休んだだけで完全回復するわけもなく、今もキーを叩く左手小指は微妙に力が入りきらずに震えていたりします。家のキーボードは会社のものより扱いやすい配置になっているのでそれだけで随分マシですが。プログラムやってるとワープロ的な動きとは違い、左手の小指親指に相当負担がかかるんですよね。特に私は正規のブラインドタッチというわけではなく、左手がカバーする範囲が通常のものより大きいのですからなおさらです。キーを叩くフォームを検討してみた結果、やはりギターのそれとは反対に左手(というか左肩)に相当の力が入っていることがわかりましたし・・・。パソコンのキーを叩くフォームを強制しないとなぁ、と思ってみたりもします。

2002年10月18日金曜日

終電生活

 なんというか、相変わらずです(爆)。今週も終電間際か、あるいは間に合わなかったら始発で帰り(もちろん定時出社)という実にシュールな日々を送っていました。とはいえ少しずつではあるもののこの状況も改善を見せ、今日は久しぶりに11時前に会社を出ることができました。・・・この時間で「早く帰れた」という充実感を持てるのも明らかに間違っている気がするのですが。

2002年10月14日月曜日

悲しき文明

 今日は天気もよいのんびりとした一日で、久しぶりに「休日」という実感の湧く一日を過ごしていました。とはいえそれも束の間の休息で、明日からはまた依然落ち着きを見せない某プロジェクトの消火活動にいそしまなければならないのですが・・・。

 話は変わりますが、ここのところこの日吉でも乱開発が勃発しています。「乱」が付く程のものなのかどうかは実際のところ定かではありませんが、山の一斜面が丸々伐採されてしまったのは確かです。私の家から駅までの道のりの途中には、「台風シーズンの伐採反対」との主旨の張紙が見かけられます。・・・これは「台風シーズンじゃなければいいのか?」とツッコミを入れるべきところなんでしょうか?まぁそれはともかくとして、私の家のもんの前から周りを見渡してみると、以前は木々が生い茂っていた山の斜面が、今は草の一つもなく掘り返された土が剥き出しになって哀れな姿をさらしているのです。酷い話です。そこには風情も何もあったもんじゃなく、ただただ醜悪なイメージだけがつきまといます。その場所にはマンションが建築されるらしいとのことですが、この期に及んでまだそんなもののために木々を切り倒していかなければならないのでしょうか。そんなに人間が住むところは足りてないんでしょうか。・・・まぁ、足りる足りないの問題じゃないんでしょうな。欲望がうずまいてやがらぁ・・・。普段コンビニの割り箸やらビニール袋なんかも使い放題で、雑誌を再生紙に出すこともほとんどない私です。今更環境破壊がどうのこうのと言ったって説得力はないでしょうが、そんなことを抜きにしても純粋にあれは不快です。静かで落ち付いた雰囲気を醸してくれていた木々が、いつの間にやらすべて切り倒されてしまい、まるで酷い皮膚炎の病巣のようなグチャグチャな状態の地肌を曝しているのです。静けさも落ち着きも、一体何処へ行ってしまったのでしょうか。結局、こういった開発といったものは一部の金を持った意味のわからん連中が勝手に話を進め、そこに住んでいる人間の心象などはおかまいなしなんでしょうな。やれやれです。暗愚と過誤と、罪と吝嗇、・・・か。

 風の吹くその音にさえ風情を感じた
 そんなゆとりが少なくなった・・・

2002年10月13日日曜日

休息

 ここのところずっと休日出社で何故か終電帰宅という生活が続いてきた私ですが、ここにきてやっとしばらくぶりにゆっくりと休める休日がやってきました。とりあえず今日と明日は普通に休めそうなのです(昨日は・・・?)。そして喜び勇んで今日は休みを満喫する予定だったのですが、ぶっちゃけた話ほとんど眠っていました(苦笑)。とりあえず一旦昼12時くらいには起きたのですが、その後まずは洗濯機を回して眠り、洗い上がった洗濯物を干してまた眠り、飯を食って眠り、本を開いては眠り・・・。やはり疲れているようです。

2002年10月9日水曜日

限界バトル続行中

 まだまだ相変わらずな限界バトルは続きます。月曜日は日吉まで帰ってこれる終電に間に合わず、手前の駅で止まる最終の電車で家路につき、最後はタクシーで帰ってきました。昨日はそれすらかなわず、朝方まで仕事をして朝5時に渋谷発の始発で家に帰ってきました。そして今日は、やっと多少は落ち着いて普通に帰れる時間帯に会社を出たものの、やはり家に着いたのは0時半過ぎでした。一日の平均労働時間が15時間くらいになりつつあります。さ~て、一体いつまでこの状況が続くのでしょうか・・・?このプロジェクトが終わったら絶対一ヶ月程どっかに逃亡してやる・・・。

2002年10月6日日曜日

56時間耐久納品

 先週のことです。とうとう私の仕事の限界バトルも極限の域に達してしまいました。そう、怒涛の二日連チャン徹夜、56時間耐久納品大会です。いや~、大変でした。二日半56時間の間、断続的に落ちてしまっていた数十分しか睡眠を取らず、しかも一徹目以降はどういうわけか飯もほとんど食わず、当然風呂など入れるわけもなく、最後は「九時がリミットだ!」と電話の時報をスピーカで鳴らし、「8時57分、30秒をお知らせします」などと聞こえてくる機械的なおねーさまの声に追いたてられるような形でキーボードを叩き続けていました。いや~、しんどかった・・・。

 人間やはり二徹はできるようにはできていません。もう50時間を超えた辺りになると頭もボケてきて思考回路が焼き切れてくるし、ちょっと気を抜こうものならそのまま気絶するように眠りに落ちていってしまいそうな勢いです。しかも別に気を抜いていなくても突然視界がスッと斜めにぶれて真っ白になり、文字通り天国への階段が見えたりします。いや~、ヤクいらねぇな、ありゃあ・・・(笑)。最後なんて、今回はLinuxで納品だったのですが、emacs(メモ帳やsimple textのようなもの)で設定ファイルを編集していて、「よし、O.K.!」と思ってctrl-x-sを押して文書を保存した後、「writing...」と画面に出ているのを見た瞬間に意識を失い、保存はしたもののemacsを終了させる気力もないまま力尽きて、キーボードに指をおいたまま30分近く飛んでしまっていました。ありゃあやばかったですねぇ・・・。途中から左手なんて腱鞘炎にやられて力が入らずに震えてましたし、久しぶりに人間の限界を知った気分です(苦笑)。その後私は家に帰り、まずは風呂に入るわけですが、その後二徹目以後まともに飯を食っていないことに気がついた私は「食わなきゃ回復もせんな」と、半ば無理矢理ラーメンを食いに行ったとのことです。待ってる時も気を抜いたらそのままカウンターで爆睡してしまいそうで、文字通り血眼でラーメンが来るのを待っていましたとさ・・・。そして次の日(金曜日)も普通に朝10時から出勤なわけですが、もはや「昨日」という言葉が何処を指すのか、そもそも今日が何曜日なのか、とにかく時間の概念がぶっ壊れてしまっていました。そらそうだ・・・。

2002年9月30日月曜日

不自然な空

 曇りの日の東京の空は、なんだか不自然に白く明るい。その事実に今日気付きました。街の灯が低くかぶさっている雲に反射して、まるでプラネタリウムの上演が始まる前のドームのような、妙に白くて明るい夜空が見えるのです。まるで薄い布を空からかぶせて、その裏で照明がついているかのように。天幕という言葉もその意味でよく当てはまります。よく考えてみればおかしな話です。新潟でも、京都でも、夜空は暗く、深く広がるものでした。ですが、ここ東京では、少なくとも曇り空の日は、まるで乳白色の煙のような不確かな光達が明るく白く、奥行きなく空をおおっているのです。うまく言えませんが、何かが不自然です。違和感があります。これが都会というものなのでしょうか。

2002年9月29日日曜日

日曜終電帰宅

 昨日も今日も納品のため会社に出ていた私ですが、今日はなかなか危険でした。夜も11時を周り、調整作業も大詰め。まぁ、まだ余裕だろうと思ってのんびりしていたら会社を出るのが0時を回ってしまったのです。そして駅に着いてみると、後1分くらいで家に帰れる最終が出て行くところではありませんか。いや~、危険でした。ってゆーか、なんぼ納品のためとはいえ日曜日に終電で帰路につくというのもなかなかシュールなものですな・・・。

2002年9月26日木曜日

嫌な予感

 やはり何度どう考えても、基本的にも応用的にも今の私は忙しいようです。来月中旬までがおそらくヤマ場。でもこのままいくとなんか来月一杯はほとんど休みのないシュールな日々が続きそうな気もします。やれやれですな・・・。

2002年9月23日月曜日

束の間の休息と海辺のカフカ

 今回の三連休も、昨日一昨日と出社して納品に向けての追い込み作業に従事していた私ですが、今日は突然「皆身が持たないから一日くらい休もう」という結論に達し、急遽家でのんびりできることになりました。とりあえず村上春樹の新作『海辺のカフカ』を読み、ちょっとギターを弾き、ちょっと編曲をして、・・・とやっているとあっという間に時間が過ぎていきます。書きたい文章もあるのです。一、二ヶ月程前と違って、今は書く言葉があるような気がするのに、今度は書く時間がないのです。そりゃそうです。冷静に考えたら学生の間ずっと途切れのない時間の中でやってきたこと達を、今日一日ですべてやることなどできるはずがありません。社会に出て一人で生活していくために奪われる時間を差し引くと、手に残された時間はやりたいことをすべてやるにはあまりに少なすぎます。本を読むとか、あるいは簡単な編曲とかなら細切れの時間で少しずつやることもできますが、本だっていい本は集中して読みたいし(今回の『海辺のカフカ』のように)、ギターやもの書きに至ってはまとまった時間で意識を高めて集中させないととてもまともなものにはなりません。時間が足りないのです。一体何故こんなことになるのでしょう。もう一回ミヒャエル・エンデの『モモ』でも読み直してみましょうか・・・。

 さてさて村上春樹の『海辺のカフカ』ですが、この作品はまた色々な意味で実に村上春樹らしい作品でした。まぁこれから読む人もいると思われるので話の詳細については語りませんが、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『スプートニクの恋人』でも見られるような構成の中で、いつの頃からか村上春樹が追い続けている言葉達が鏤められています。言葉で説明しても伝わらないものはまったく説明しないのがいちばんいいので具体的に何がどうとは申しませんが(笑)。

2002年9月22日日曜日

バッハの譜面の美しさ

 思えばバッハというのは凄い作曲家です。編曲を実際に行ってみると、彼の曲が持つ完全なまでの構築美はまさに見事という他なく、他のどんな作曲家も少なくとも音の構成という面ではバッハほどの緻密さも美しさも持ち合わせていないように思えてしまいます。またバッハの曲は譜面を作っていくとその音符の配置がただそれだけで見た目的にも美しい。バッハの自筆譜は今も残っていて、それは結構至る所で見ることができたりしますが、彼の自筆譜がまた下手な印刷なんかよりよっぽど丁寧に律儀に書いてあるのです。あれだけ音数が多くて細かい譜面を手であんなに綺麗に仕上げるとは、きっと相当な完璧主義者だったんでしょうね。一体彼は何を思いながらこのような音楽を生み出していったのでしょうか。もし生きていたら、突然押しかけてでも話をしてみたいものです。

2002年9月21日土曜日

BWV826のSinfoniaをギター編に・・・

 さてさて、只今バッハのパルティータ2番(BWV826、ピアノのやつ)のSinfoniaをギター独奏に編曲しようと試みているわけですが、ここに来て見事に頓挫しかけています。いや、編曲に挫折したというより、編曲しても弾けないという事実に気付き始めたのです。・・・編曲始める前に気付けって話もありますが、まぁまぁそれは置いておいて、とにかくまずキーがどんなに頑張ってもギターに合わない。原曲はCmなのをEmに移調して、おそらくこれがギターでこの曲を弾ける可能性のある唯一の調だなと頑張ってはみたのですが・・・。なにしろ臨時記号でひたすらEとBにフラットを付けられたんじゃあギターじゃ弾きにくいことこの上ない。それでも2拍子で進んでいる内はまだいいのですが、3拍子に転調してフーガに入ってからは調性がどうのこうのというよりとにかく人間にゃあ弾けません。一体何がどのくらい弾けないかって、それはとりあえずMIDIを聴いていただければ理解していただけるかと思います。・・・二重奏なら問題なく弾けるんだろうけどなぁ・・・。


 そうそう、この曲は元々3部構成で、最初の和音を中心にゆったり進んでいくところは現在まだ編曲しておりません。後から付ける予定ですが、とりあえず今は2部から始まります。

2002年9月16日月曜日

平穏な一日のはず

 今日は三連休唯一の(泣)休み。12時間睡眠から目覚めた私は、「そういや昨日は晩飯も食わずに寝続けてたな」と腹が減っていることに気がつき、とりあえずいきつけのラーメン屋に飯を食いに行き、その後ドトールでコーヒーを飲みながら読書というやることがない休日の定番のノルマをこなし、ギターを弾いてバッハを編曲して一日が過ぎていきました。なんてことのない平穏な一日のはずです。そう、なんてことのない一日のはずです。

2002年9月15日日曜日

12時間睡眠

 帰宅後倒れるように眠りにつき、怒涛の12時間睡眠をかましてしまいました。やはり疲れていたのでしょうか・・・。久しぶりに朝Macでの更新です。さ~て、ドトールでも行って朝飯食ってこようかな・・・?

2002年9月14日土曜日

侵入者発見

 ここ二週間の間、予想されていたこととはいえとにかく仕事が忙しく、日付けが変わる前に家に帰れた試しのない生活が続いています。そしてとりあえず今日も明日も会社なのです。う~ん、疲れますなぁ・・・。

 で、ウチに入り込んでいる鳴く虫なのですが、とうとう今日姿を拝見することができました。どうやらヤツの正体はコオロギのようです。家に帰ってから、窓を開けてくつろいでいると、外で鳴いている虫の音に引かれたのかキッチンの方から部屋の方へピョコピョコと這い出してきたのです。姿が見えたのでつかまえて外に出してやろうと思って近付いていくと、また彼はどこか目の届かないところへ姿を消していきましたとさ。

2002年9月10日火曜日

風流でやかましい侵入者

 どうやら家の中にキリギリスだかマツムシだか、とにかく鳴く虫が入り込んでいるようです。帰宅してから今まで、ずっと玄関の辺りでキィキィキィキィキィキィ・・・、と鳴き続けています。これがまたウチの玄関からキッチンの辺りはよく音が響くんですわ。なんというか、もはや風流を通り越して純粋にうるさいの域に達しつつあります(苦笑)。姿を探せど姿は見えず、あからさまに物音を立ててみても数秒後にはまたすぐ鳴き始め・・・。もう諦めてこれは風流なのだと自分にいい聞かせて眠ることにします。

2002年9月7日土曜日

生活とテンポ

 早すぎるテンポは、不自然に歪められたものなのだろうか。音楽のテンポは生活のテンポと密接な関係があるとよく言われる。バッハやモーツァルトの時代には、馬より早い速度を人が体験することはなかった。だから最も速いプレストでもせいぜいBPMで140といったところだ。モーツァルトのト短調シンフォニーだって、現在ではBPM150オーバーで演奏されるのも普通だが、当時はそれよりもっとゆっくり演奏されていた。

 今はどうだろう。車やバイク、あるいはそれよりもっと上の速度を経験できる現在、BPMが200を超える曲だって珍しくない。テンポはそのまま刺激と見るなら、昔のゆったりした甘ったるい刺激では、現代のテンポにはついていけないのかもしれない。もっとも、現代ではその刺激の強さはニアイコールでストレスの強さにもなっているようだが・・・。

 テンポが速くなった。世界が狭くなった。それだけで飽き足らず、今度は時間と空間を飛び越えるかのように、テンポ感なんてまったく無視してしまうかのように、仮想のネットワークをパケットが飛び交うようになった。移動する距離が速度に比例しない世界で、一体テンポの概念はどうなってしまうのだろう。距離と速度が結びつかないこの現実で。そしていつからか、ステップを忘れてしまったかのように、踊りはドタバタと不様になり始め、最後には踊ることすらできなくなってしまう。「踊らされるな、自ら踊れ、周りが見とれてしまうほど」とずっと言い聞かせてきたにも関わらず。踊れなくなるだけならいざ知らず、そもそも踊らされることすらできなくなる日も来るかも知れない。世界は縮まり、壊れていく。人はつながり、拡散していく。情報は膨らみ、感性は削られていく。つながる世界は、孤立している。

 何のことはない、ただこの場でやりたかったことは、誰のためでもなく、ただ知りたかったことは、一つ問いを投げかけてみること、次のステップをためらう自分にいつなったのかということ。一体いつから、踊ることができなくなったのだろうか。それとも元々、踊ることなんてできやしなかったんだろうか。

2002年9月5日木曜日

コミュニケーションツールとしてのコンピュータ

 コミュニケーションツールとしてのコンピュータは、時間と空間の概念を限りなく圧縮してしまうことでコミュニケーションの範囲を拡大することに関しては未だ底知れない可能性を秘めている。が、それと同時にコミュニケーションツールとしてのコンピュータの限界もまた少しずつ見え始めている。

 ひとつには基本的にコンピュータは「冷たいコミュニケーション」しかとれないということが挙げられる。コミュニケーションのモーダリティとしてよく挙げられる視覚や聴覚、運動神経、距離、リアルタイム性や相互作用性、それらの条件がうまく機能しなくなるためだ。高画質なビデオ会議では、実際面と向かうのと比べてもほとんど視覚情報や聴覚情報他の欠落はないにも関わらず、コミュニケーションの効率は著しく低下するという実験結果もある。それがチャットや電子メールになると、視覚や聴覚によるリアルタイムなコミュニケーション情報は皆無になる。表情や筋肉の動きやアクションによる相互作用や、それらによる文脈の強調効果がなくなるばかりか、声の抑揚やテンポといった情報も失われていく。そしてコミュニケーションの粒度は粗くなる。そしてそれがそのチャットや電子メールでのコミュニケーションの場でだけ効率が悪くなるのならまだよいが、コンピュータでのコミュニケーションの比率が多くなってくると今度は現実に面と向かい合った時に、普段コンピュータにない表情やら声色やらの情報を処理することができなくなってくる。何か最近、そんな人が増えてきているような気もするが・・・。

 少し話は変わって、コンピュータでシステムを作ろうとする場合、特に最近はナレッジマネジメントなどが流行りとなりつつあるが、何よりも致命的なのがコンテキストの欠除である。我々は誰かと面と向かって話す時、明確に意識はしていなくても「この相手にならこういう言い回しで通じる」という、相手と自分が共有するコンテキストを意識してコミュニケーションを行っている。例えば私がクラギタの人間と話していて、頭が禿げてきたらとかいう話題で盛り上がっていたとして、「ブリームは嫌だなぁ」という。きっとそこで話しているクラギタの人間には通じるだろう。が、同じことを同じ文脈で会社の人間に言ってみても通じないだろう。コミュニケーションの不可能性は、相手にメッセージを伝えることはできないという事実に基づく。メッセージは伝わるのでなく、受け手が自分のコンテキストの中で解釈しているだけなのだ。同じ会話の流れで同じ言葉を口にしても、常に相手に伝わるとは限らない。そのコンテキストを、不特定多数のコンピュータネットワークの中でどう形成していくのか。コンテキストなしでただ知識だけをマネジメントし、創造していくことができるのだろうか。ってゆーか、今それを作れと言われてるんだよ、わしゃ!ああもう、どないせーゆーねん!? ってゆーか日付け変わる前に家帰らせろ!

 きよが日記でコンピュータコミュニティ(?)について書いていたのを見て職業柄思うところも多く、少しだけ書いてみました。そう、笑いあってこその職場だし教育現場だよ、きよ。わしゃあもう疲れたけん、あんたぁ頑張っておくんなせぇ・・・。

2002年9月1日日曜日

無題

 まだまだ心に迷いがあるな。・・・脆い。人とはなんと脆いものよ・・・。

2002年8月31日土曜日

夏が行く

 さてさて、今週は仕事が急に忙しくなり(といっても夏休み明けから忙しくなるのは目に見えてはいたのですが)、日記の更新もしばらく滞ってしまいました。申し訳ないことです。

 気付いてみたら今日で八月も終わり、今年も夏が行ってしまいます。といっても私は大学時代から合宿以外であまり夏らしい夏の過ごし方をしていた記憶はないのですが(苦笑)。大学四年間は何故か海にも行かなければ花火も見に行きませんでしたしねぇ・・・。それを思えば今年は海にも行ったし、花火も見たし、その意味では高校以来の夏らしい夏だったような気がします。夏休みには新潟で思ったよりハードなペースでの飲み会を繰り返し、京都にも行き、静岡にも行き、おかげであまり思い残すところはなさそうです。少なくとも表向きは。だがしかし、その様々なところをさまよいまくった余波で、当然のことながら現在やや財政難気味です。まぁ、そらそうだわなぁ・・・。

2002年8月26日月曜日

オスカー・ギリア夢の供宴

 昨日のことになりますが、私はオスカー・ギリアのコンサートのために静岡まで出かけていました。『夢の供宴』と題されたこのコンサートは、オスカー・ギリアだけでなく福田進一、鈴木大介、村治佳織、大萩康司、村治奏一が共演し、なおかつエレナ・パパンドレオと加藤政幸までもがゲスト出演という、実にありえない面々でのコンサートなのです。これだけ面子が一気に観れるなんて機会、そうそうあるものではありません。ってゆーかむしろないでしょう。演奏会が始まる前から、期待は否応無しに高まっていました。

 三時間半近くにも及ぶコンサートは、オスカー・ギリアのコンサートというよりは出演者が順番にデュオ・トリオ、あるいはそれ以上でコンビを組んでいくパーティー形式のような内容で、オスカー・ギリアは実は二部の最後に三曲デュオを弾いただけで後は客席で高見の見物と洒落込んでいました。しかも私達の席からすぐ右に3mくらいの客席で(爆)。一部が始まる前からそこに座っていたギリアをオムが見つけ、「あれってオスカー・ギリア?」と聞いてきたのですが、似てるけどまさかそんなはずもなかろうと思っていたのですが。なんと見事にその彼がオスカー・ギリア本人でした(爆)。それはそれでなかなかシュールな話です。

 デュオ以上人数の演奏がほとんどのこのコンサート、おそらくはほとんどがまともに合わせてもいないぶっつけ的なノリだったのでしょう、さすがに息がピタリと合っているという演奏はありませんでしたが、それらの共演の中で各々がしっかりと自分の個性を見せてくれているのは非常に観ていて面白かったです。とりあえずやはりというかなんというか、一番最初に驚かされたのは大萩康司。彼が最初ソロで出てきて『そのあくる日』を弾いた時、その最初の一音の響き方に物凄い衝撃を受けました。これだけの面子が揃っているにも関わらず、彼の音は他の誰よりもクリアに明瞭に、大きな音で響き渡っていたのです。ありえねぇ・・・!!! 一番色気のある音を出していたのはやはり福田進一ですが、大萩康司はそれとも違った透明感のある彼独特の音色が美しく、それが非常に印象的でした。そして一番の功労賞は鈴木大介。村治佳織と組んだデュオ、ロドリーゴの『トナディーリャ』でも、最後に福田進一、鈴木大介、村治佳織、大萩康司、加藤政幸の五人でやったファリャの『はかなき人生』でも、彼は周りが走ろうとするのを必死で抑えてテンポをキープしてくれていました。さすが最近ジャズセッションにはまっているというだけあって、人と合わせる術をよく心得ています。最初出てきた時は写真とのあまりのギャップに「オマエ誰だ!?」と思い、ソロで『イパネマの娘』を弾いたのを聴いてそれまでの「美音がウリの純クラシックギタリスト」というイメージとのあまりのギャップにまたも「オマエ誰だ!?」と思うというある意味一番衝撃的な鈴木大介でしたが、なかなかいい味出してました。ゲストのエレナ・パパンドレオの『タンゴ・アン・スカイ』は見事という他ない圧倒的な迫力で、さすがの実力を見せてくれました。彼女のために作られた『ポルカ・パバンドレオ』を弾いて、短い曲であっという間に唐突に終わり、あっけに取られた観客を見てにやっと笑っていたのも実に印象的でした(笑)。そして注目のオスカー・ギリア。今回は重奏のみ三曲の出演でしたが(客席でずっと具合悪そうに咳込んでグッタリしてたし、体調がよろしくなかったのでしょう)、セゴビア直系の正統派かつ示唆に富んだ音楽表現は色々と参考になるところがありました。ギリアのpは凄く柔らかくて太い音がするのです。セゴビアのそれともまた多少毛色は違いますが、ちょっと似た感じの丸い音でした。できればソロも聴きたかったですねー。第三部はボッケリーニの『ファンダンゴ』やヨークの『スピン』、ファリャの『はかなき人生』とクラギタの面々にも馴染みの深い曲達をこのいかつい面子が次々と演奏し、実力の違いを見せつけられるとともに曲の違った側面を垣間見ることもできた興味深いステージでした。まぁ、やはり即席は即席らしく、やはり息は完全にはあっていなかったのですが(苦笑)。まぁ、いたしかたないことでしょう。

 総じて豪華かつ色々なギタリストの色々な側面が見られる素晴らしいコンサートだったと思います。これで5,000円はお買得でしょう。いい勉強をさせてもらいました。おかげで私のギター熱にも火が着いてしまいました。さ~て、何弾こうかな?とりあえずは『魔笛』を完成させろとの声も聞こえてきそうですが・・・。

2002年8月24日土曜日

巨大グモ

 また巨大グモをみかけました。前回部屋に出没したのよりは一回り小さいですが、それでも通常のクモの範囲を逸脱した異常なデカさです。今回見かけたのはマンションの廊下で、部屋の中ではなかったので闘う必要性なしと判断、そのまま放置しておきましたが、あの巨大グモは一体何なんでしょう?そういう種類のクモなのでしょうか?それとも自然破壊が進んで遺伝子に何らかの異変が起きた突然変異なのでしょうか?もしそうだとしたら、あれはあれである意味かなりバイオハザードです。

2002年8月20日火曜日

ボードレール『悪の華』より

 われらが心を占めるのは、われらが肉を苛むは、
 暗愚と、過誤と、罪と吝嗇、
 乞食が虱を飼うように
 だからわれらは飼いならす、忘れがたなき悔恨を

ボードレール『悪の華』より

2002年8月19日月曜日

朝一番の集中豪雨

 今朝方横浜を襲った凄まじい集中豪雨は、疲れて眠る私の目をも見事に覚ましてくれました。天からシャワーという表現でも生温い、文字通り鉄砲のような雨音とその衝撃は夏休み明けに只でさえ憂鬱な私の出社への意志をくじくことこの上なく、本気で適当に理由つけて会社休んだろうかとも思いましたが、ギリギリまで待ってみてもいっこうに弱まらない雨脚にいよいよ諦めの境地を半ば無理矢理切り開かれ、仕方がないなと家を出ました。ところで、私は今、折りたたみ以外の傘を持っていません。そして、折りたたみ傘というのは往々にしてサイズが通常のものより一回り小さかったりするものです。その小ささに一抹の不安を覚えつつ、叩き付ける集中豪雨の中に私は足を踏み出したわけです。いや~、参りましたね。靴が濡れるのはもう始めから覚悟していましたが、膝下どころか腰の下までビショビショにやられました。そして右肘の辺りももうシャツまでしっかりやられました。そして朝礼で立っている間、冷房の風がほぼ下半身すべてが濡れている私の体温を、かなり着実に奪っていってくれましたとさ。ひでぇ話だ・・・。

2002年8月18日日曜日

夏の大型連休

 さてさて、見事に一週間以上ネット上から姿を消しておりましたが皆さん如何お過ごしでしたでしょうか?・・・といってもそのネット上からの失踪期間中に、このHPの常連さんの大半とはリアルな世界で顔を会わせてきたので如何がも何もあったもんじゃない気もしますが(笑)。とりあえず、私はこの一週間ムリヤリ有給を入れて勝ち得た9連休を利用して実家に帰り、京都に行ってきたわけです。そして、いつもなら実家からでもHPの更新はしているはずが、何故か昔から使用しているダイヤルアップのプロバイダに接続できず、ネットができなかったので更新も何もできなかったというわけです。いや~、申し訳ない。

 とりあえず恐らくもうしばらくはないであろう大型連休は、11日から新潟6泊、京都1泊という形でまるまる一週間東京・横浜から逃亡する形で過ごしていました。そして夜は中学時代、高校時代、大学時代とそれぞれの仲間達と適当に飲んだり歌ったりし、昼は眠ったりギター弾いたり自転車こいだりと、のんびりした、のんびりした(?)、・・・あまりのんびりもしていない日々を過ごしていましたとさ。今回は横浜から東京経由で新潟、新潟から京都、果ては兵庫の須磨の海岸まで繰り出して横浜に帰ってくるという本州を三角形に切り裂くような大移動の休暇でした。交通費がかさむゆーねんなぁ・・・。そして私は自分が如何に都会が嫌いかを悟ったとのことです。やはり最後は新潟か京都だな・・・。しかしですね、今回の連休の最大の失敗は、そもそも元のコンセプトが「休息と安息」であったにも関わらず、気付いてみたら過密スケジュールの中、休息も安息もあったもんじゃない日々になってしまっていたことですね。かえって疲れた・・・。今日はゆっくり眠ることにします。

2002年8月10日土曜日

来客

 今日はウチにあいの~が泊まりに来ています。彼は明日コンクールです。さぁ皆さん、応援してあげましょう。

2002年8月7日水曜日

巨大グモ出現!

 ・・・巨大クモが出没しました。今日、私が部屋に帰り、いつものようにコンビニ弁当を食べ終わった頃でした。マガジンを読みながら弁当を食べていた私がふと目を上げると、窓の辺りをカサカサと這っていくものがいます。最初、私は茶色い細い紙切れか何かが冷房の風で動いているのかなと思いました。が、よく見てみるとそれにはたくさんの脚があって、明らかに意志を持って動いているように思えます。私の思考は巡りました。

「いや待て、冷静に考えろ。確かにあれは俺の目にはクモとして認知されないことはない。だがしかし、・・・あのデカさは何だ!?」

 そう、そこにいたのは、まさに私の掌くらいはあろうかという実に巨大なクモだったのです。それが部屋の中を這っているのです。さすがに放置しておくのにも身の危険を感じた私は、手に取れる武器を持って臨戦体勢に入りました。物理兵器(丸めた雑誌)も化学兵器(ゴキジェット)もフル活用です。凄まじい闘いでした。またヤツが部屋の中の洗濯物が干してある一帯に逃げ込み、ハンガーを伝って私のシャツの上などを逃げ回るものだからうかつに叩き潰すわけにも化学兵器を乱射するわけにもいかず、かといって明日シャツを着た時あの巨大なクモが背中に入っていたらなどと思うといよいよもって放置するわけにもいかず、お互い牽制しあいながらの長期戦となりました。どうにか私が勝利を手にし、クモの亡骸を外に廃棄する頃にはいつかのように空気清浄器はフル稼動し、私の部屋の中のものはとにかく色々と場所が変わってしまっていたとのことです。ああ、やれやれ・・・。

 そしてその後空気の汚れた部屋にいるのにも嫌悪感を感じた私は空気の浄化は空気清浄器にまかせ、換気用に網戸にして外に散歩に出かけることにしたのですが、その帰りになんとウチの玄関の前で、今度はカブトムシがひっくり返ってジタバタしていました。結構大きい立派なカブトムシです。私はとりあえずそのカブトムシをつかまえ、数分間そいつで遊んだ後、手近な木につかまらせて逃がしてあげましたとさ。・・・しかし巨大クモといいカブトムシといい、なんでウチの周りはよくも悪くもこんなに自然が豊富なのでしょう?一昨日くらいにはタヌキも見ました・・・。

2002年8月5日月曜日

海ボケ

 海の最後の危険性は、帰ってきて社会復帰をしようとした時に訪れます。・・・そう、来週は会社が夏休みという事実もあり、頭がすっかり休み気分になってしまい仕事に戻れないのです。そしてそんなぼやけた脳の私が会社に着くなり、「◯◯のシステムが止まってるぞ!」と突然のレッドホットコールがかかったりするわけで、しかもそれが金曜日、つまり私が海に行く直前に降った夕立で、落ちた雷のおかげでハードがダウンしていたのが原因だったりするわけで・・・。まったくもってやれやれです。

2002年8月4日日曜日

漢海水浴

 会社の仲間と10人で漢海水浴(おとこかいすいよく)に行ってきました。金曜日の夜、会社が終わってから集合し、そのまま埼玉の大洗へ。深夜0時くらいに現地のキャンプ場に着き、そのまま出来合いのテントに眠るという恐ろしくザックリベースな小旅行です。集合に一時間遅れてくるヤツがいたり、そもそも目的地までの道のりがわからなかったり、計画性という言葉とは程遠い旅行でしたがまぁまぁそれもアリ。どうにか行って帰ってくることはできたのでよしとしましょう。しかも私は出発の際、集合場所を発ってから早30分くらいでPHSの電池が切れ、旅行中誰とも連絡が取れなくなるという究極のザックリさ。たまりません。

 一泊した次の日は、朝起きるなり買い物に行き、海に着くなりバーベキューをすることから始まり、海でおよぐ、野球をやる、ビールを飲み続ける、逆立ちをやる、目の保養の旅に出る、と各自が銘々の海を堪能していたようです。ちなみに私は逆立ちやってました(爆)。そして夕方銭湯に寄ってから帰路につき、今日は一日日焼けと筋肉痛のおかげで全身に走る痛みと闘いながらのんびり休んでおりました。そういやぁ海水浴なんて高校以来行ってませんでしたねぇ・・・。・・・ん?もしかしたら中学以来・・・?

2002年7月31日水曜日

無題

 今週に入ってから、また帰りが遅くなってきました・・・。ってゆーか、スーツ暑ぃ・・・。

2002年7月29日月曜日

Amazonでレビューを書く

 私は今日も引き続きラッセルのギターにご執心だったわけですが、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。いや~、アンニュイな土日もここまでくると笑えてきます。何も生産的なことなどしちゃおりません。漫然とギターを弾き、漠然とインターネットをさまよい、偶然アリリオ・ディアスのCDを見つけて思わず注文してしまったり。この夏真っ盛りの今の時期、一人で部屋にこもっていることはあまり健康的ではないなぁなどと自分でも思いつつ、でもまぁ来週末は会社の仲間と海に出かけることになっているので今週くらいは不健康にヒッキー決め込んでてもいいかななどと思いつつ、非生産的かつ怠惰、漫然とした休日は過ぎていきました。なんか段々人間として間違った方向に進んでいる気がする・・・。ヒッキー決め込んでてもアマゾンをさまよっているとこれまで探しても見つからなかったCD(先述のディアスのCD)が突然見つかったりしてしまうから世の中変わったものです。そら不登校も増えますわ。

 ところで、今日アマゾンを徘徊していて思ったのですが、世の中には認められてしかるべき才能が埋もれている場合が怏々にしてあるものです。素晴らしい作品を残しているにも関わらず、それでもCDが売れずに世に知られていない才能達。逆に、話題性だけで大した才能でもないのにCDが売れて世に出ている人間もいます。まぁ、話題性も一種の天性ですから私は敢えてそれを批判しようとは思いませんが、とりあえず世に埋もれた確かな才能を広げる手助けを少しでもできたらと、アマゾンでCDのレビューを書いてみることにしました。カスタマーレビューといって、アマゾンの利用者なら誰でも書けるもので別に大したものではないのですが、意外にあそこで何かを購入する際ってそのカスタマーレビューが参考になったりするのですよね。しかもレビューを私が書いておいて、私が購入したり興味を持った商品と同じものに興味を持った人が表れた場合、運がよければ検索結果に私のお薦めCD群が表示されるかもしれない。そしてその詳細を見にいくと私のレビューが「このCDはいいよ」と誘惑すると。いや~、アマゾンの暗黙知の表出方法はなかなか理にかなっています。というわけで、私はシコシコとお薦めCDのリストを作り、世に出てしかるべき(と私が思う)CDや、世には出ているものの既についているレビューがあまりにミーハーなものばかりで役に立たないという可哀相なCDのためにレビューを書いてみたのでした。昨日今日で5枚分くらい書いたと思います。これから一日一レビューを目標に頑張ります。まぁ、小さなことかもしれませんが、これで埋もれた素晴らしい才能達が一人でも多くの人に触れられることを願います。・・・ちなみに、レビューが掲載されるのは一週間後くらいだそうです・・・。遅ぇ・・・。

2002年7月28日日曜日

デビッド・ラッセル『Reflections of Spain』レビュー

 デビッド・ラッセルの新譜を手に入れました。2枚同時リリースのようですが、そのうちの片方、『Reflections of Spain - Spanish Favorites for Guitar -』です。いや~これがまたヤバイ。ラッセルは元々私が手放しに大好きだと言える数少ないギタリストの一人ですが、このアルバムはヤバイです。

 ラッセルは元々透明感のある美音と卓越した表現力に定評のあるギタリストです。それはこれまでの彼のレパートリーの中心である古典~バロックからバリオスといった辺りでは素晴らしい武器なのですが、逆にスペインものってラッセルには似合わないんじゃ的な不安もありました。ですが、このスペインの曲集は素晴らしいです。スペインと言えば「情熱的」という単純なパラダイムを打ち破り、情熱も叙情も、あらゆるスペインの情景を見事に描き切ったような美しい描写が素晴らしいのです。収録されているすべての曲が決定的な名演です。特に素晴らしいのはラッセル自身が編曲したグラナドスの『アンダルーサ』と『詩的ワルツ集』。『アンダルーサ』はこれまで誰の演奏を聴いても何故か曲の輪郭がぼやけて、なんだか印象の薄い感じのする曲だったのですが、ラッセルは見事に曲の輪郭をとらえて情緒深く弾き切っています。そして『詩的ワルツ集』。まず感じたのが「どうやったらそんなに綺麗に和音響かせられんだよ!?」ということ。曲の入りの高音の二重和音、その響きのあまりの美しさにやられました。この曲はブリームやジョン・ウィリアムズなど、色々と高名なギタリストの手によって弾かれてきましたが、ここまで綺麗に曲が響いている演奏はありませんでした。その他の曲もクラシックギターやってるなら知らない方がモグリというくらい有名な曲ばかりなのですが、その有名で弾き古された感があるスペインの名曲達に、彼はことごとく新しい命と視野をふきこんでいます。おそるべし、デビッド・ラッセル・・・。ここ一ヶ月くらい続いていた私のバイオリンコンプレックスを一気に払拭してくれました。そう、ギターという楽器はこんなにも美しい!

 ちなみにラッセルは他にバロックのCDを3枚(出し過ぎ!)、古典期のCDを1枚(アグアドの『序奏とロンド』とメルツの『エレジー』、『ハンガリー幻想曲』が最高!)、バリオスのCDを1枚(『森に夢見る』や『大聖堂』、『最後のトレモロ』は必聴!)出してますが、どれもよいですよ。

2002年7月27日土曜日

一人酒

 大して飲みたいわけでもねぇ発砲酒で、大してうまくもねぇコンビニ弁当を流し込む。一人酒はいつもまずい。それが滅多に一人で飲まない理由。

2002年7月22日月曜日

CD屋巡り with machakic

 昨晩から今は東北に飛んでいるmachakicがウチに来ていまして、今日は二人で新宿に繰り出し中古CD屋を巡る熱い旅をしてました。回った店の数総計4点、その中で何故かHR/HM系の店にアントニオ・カルロス・ジョビンやオリエンタが売っていて、しかも安かった(600~900円)ので購入してみたり、長年中古市場を探し回っていたクイーンズライクの『Operation:Mind Crim』をやっと見つけたので購入してみたり(新品なら別に普通に売っているのですが、新品で買うのもなんだかシャクで中古市場のみを探していた)、なかなかの収穫がありました。そして今日一番の収穫は、Nightwishというバンドを発見したことです。久しぶりに危険なバンドに出くわしました(笑)。ヤツらの感性、曲構成、・・・危険すぎます。Nightwishというバンドはいつのころからか俗にゴシック・メタルと呼ばれる世界ではぼちぼち見られるようになってきた女性ボーカルのHMバンドなのですが、有名音楽院で教会音楽を専攻し、本格的なオペラ唱法を身につけた女性ボーカルを軸に展開されるストラトバリウスとブラインドガーディアンを足して2で割ったような音楽がしびれます。この女性ボーカル、ライナーノーツの中には「清廉な」と書かれていましたが、女性ボーカルだからって清廉と書けばいいってもんじゃありません。私は敢えて言いましょう「妖艶」だと。とある店で大音量でかかっているのを10分くらい聴いていて、思わず店員さんに「今流れてる曲は誰のですか?」と聴いて購入してしまいました。いや~、凄まじい世界を展開してくれますよ、Nightwishは。

 そしてあらかたCD店を回り尽くした後、別の友人との待ち合わせまで多少間があったmachakicと時間潰し30分超スプリントカラオケへ(爆)。お互い知ってる曲のみの選曲という条件の下、二人でマイク持って歌いながら曲選んで、30分の超スプリントを最後ブルーハーツの『皆殺しのメロディ』で締めるまで叫び続けていました。いや~、熱かったです。

 ♪我々人類は、バカ

The Blue Hearts『皆殺しのメロディ』より

2002年7月20日土曜日

無題

 どうやらやっと風邪は治ってくれたようです。

今日の一言:『確実なことは不確実の連続だけだ』

2002年7月18日木曜日

最近は夢を見ない

 いつの頃からか、いつからだろう、夢を見なくなったように思う。それはごく最近のことのような気もする。少なくとも一年前は、「恐れるな、夢を見よう。今が現なら新たな夢を、今が夢ならそのまた夢を」と言っていた自分だ。やはりそれは最近のことなのだろう。

 仕事が終わり、やはりそれなりに疲れて家に帰る。去年の後半よりはマシといっても家に着くと時間は遅く、飯を食ったら大して何をする間もなく明日も仕事だと眠りにつく。そして寝苦しい夜を超えて、朝が来たならまたすし詰めの電車に揺られて会社まで行く。その繰り返しの中で、心の何処かが擦り切れてきたのかもしれない。とにかく、最近は夢を見ない。

 以前は、表に出すべき言葉や音がたくさんあったように思う。少なくとも『Toward evening』でものを書き、このHPでさらに日記を書く程度のものがあったのは確かだ。だが、最近はこのHPで出す量さえも疑わしい。最初、それは単に時間の問題だと思っていた。時間がないのだと。だが、実はないのは時間ではなく、表に出すべき言葉の方だったということに、ふと気付いてしまった。いざ、書こうと思った時に、何を書けばいいのかもわからず、言葉をひねり出すような感覚でしかものが書けなくなっていた。それに気付くことは、絶望にも等しい感覚だった。

 まだ、音は消えていないように思う。少なくともギターを持って譜面を見た時、その音楽のイメージは鮮明に浮かべることができる。だが、そのイメージを完全にトレースするだけの技量は自分にはなく、その事実が常に気持ちを落胆させる。もっとも、それは昔からのことだ。ならば、まだ、少なくとも音は消えていないのだろう。

 昔俺にはオーディエンスが必要なんだと言ったヤツがいた。当時は最初、何を言ってるんだコイツは、と思った。だが、結局彼の言っていたことは正しいのだろう。本当に一人で何かをするということは、本当に自分が満足できることではなかった。たとえそれがギターであっても。弾くこと自体はやはりいいものだと思う。が、何処かで満足し切れていない自分がいる。発表されることのなかった文章もこれまでにはそれなりに書いた。だが、それは結果として出さなかっただけで、出さずにおこうと思って書いたわけではない。俺にはオーディエンスが必要なのだろう。だが、どんなに認められてもコンピュータは、やはりものを書くことや音楽をやることの代わりにはならない。

 仕事が終わり、やはりそれなりに疲れて家に帰る。去年の後半よりはマシといっても家に着くと時間は遅く、飯を食ったら大して何をする間もなく明日も仕事だと眠りにつく。そして寝苦しい夜を超えて、朝が来たならまたすし詰めの電車に揺られて会社まで行く。終わりが見えない。社会人として生きていくためにはキャリアプランというものを持て、とコンサルタントとかいうヤツらは口をそろえて偉そうに言う。5年後、10年後のビジョン。だが、たとえそのビジョンが現実になったところで、結局この連鎖に終わりが見えるわけじゃあないだろう。少なくとも、少なくとも。生きるということの意味さえ問い直したくなる。だからと言って死のうとも思わず、だからといって前向きに生きようとも思えず。結局、何も変わらない。連鎖を切るための鍵は、今、枯れてしまっているのだから。

 最近は夢を見ない。昔は、見ていたのだろうか。

2002年7月16日火曜日

椎名林檎『幸福論』リバイバル(?)

 相変わらず肺の辺りに何かザワザワとむずがるような不快感がまとわりつく今日この頃、皆さん如何がお過ごしでしょうか。私はそろそろこの空気に塵が舞っているのが目に見えるような、汚い東京の空気に辟易としてきました。あ~、田舎に帰ろっかな~・・・。東京の空気は嫌いだ。こんなところでまともに人が生きていけるとは思えん。そら人間歪みもしますわな。

 ・・・と、わけのわからん前置きをしてまいりましたが、今久しぶりにMDラックの奥から椎名林檎の1stアルバムを引っ張り出して聴いています。いや、なんだか最近アルバム出したのかなんなのか、コンビニで『幸福論』とか流れてるんですよね。それで何となくまた聴きたくなって発掘した次第です。一時期かなりハマってましたからねぇ(笑)。この1stが出た頃は私に限らず周囲でやたらに流行っていた気がします。そういや椎名林檎が来た学園祭のライブも大人気でした。

 まぁまぁこうして改めて聴いてみると、やっぱり何か妙にカッコいい椎名林檎でございますが、何処がそんなに魅力的なのでしょう?アナーキーな歌詞やはすっぱな歌いっぷりなのでしょうか?私は独特のリズム感とダイナミクスに思わず耳を奪われてしまうような気がするのですが、まぁ敢えて深く突っ込んで聴くようなものでもないのでそれ以上は突っ込まないでおきましょう。

 時の流れと空の色に何も望みはしないように・・・

2002年7月15日月曜日

体調不良

 さてさて、先週末も風邪で寝込んでいた私ですが、この土日も寝込むほどではないにしろ、またもぶり返してきた風邪にやられ、結構ふらふらな状態でゴホゴホ咳をしながらくたばっていました。早くよくなりたいものです。

2002年7月11日木曜日

台風早退

 今日は久しぶりにデカイ台風が夜半に関東を直撃するとのことなので、それにかこつけて「暴風雨に巻き込まれない内に帰らせていただきます!」と言い切って早めに仕事を切り上げてきました。そして、少しギターを弾いていました。

 ここ二、三週間くらい私が弾いている新曲は(といっても最近色々な曲に手を出すもののあまり完成させてはいないのですが)、まずヴィラ=ロボスの『エチュード12番』、そして何とソルの『魔笛』です。ああ、何ということでしょう、私が古典期のあんなに明るく爽やかで軽快な曲を弾くことになるなんて!!! ・・・といってもまぁ、何となく弾きたくなったから弾いているだけのことなのですが。『魔笛』はまぁ、さすがに簡単な曲とはよう申しませんが、色々な意味で至極基本に忠実な曲なので、演奏会で聴かせられるレベルまでテンポを上げようと考えずにゆっくり確実に弾いていく分には私のようにブランクが空きがちで基礎力の落ちた人間のリハビリにはいいかもしれません。むしろ下手なエチュードよりよさそうです。そしてヴィラ=ロボスの『エチュード12番』、かねてこの日記でも書いたアルバーロ・ピエッリのCDがとうとう届き、彼が弾いているのを聴いて「この曲はヤバイ!」と弾き始めたのはいいのですが・・・。そもそも一部弾き方がわからない。いくつか候補は挙げられるものの、なんかどれもイマイチ現実的じゃないような気がして正解がつかめないのです。ってゆーか、なんで私が持っているあの曲の譜面には運指の指示が一箇所もないのでしょう?ヒントくらいくれって感じです。な~んかピエッリのCD聴いてる分には全部5、6弦をまとめて弾き抜いてるような気がするんだけどな~・・・。誰か私にヴィラ=ロボスの『エチュード12番』教えて下さい・・・。

2002年7月8日月曜日

公開記念日

 さてさて、今日は七夕です。七夕ということは、この『あゆむの雑記帳』の記念日ということです。そう、この『雑記帳』がさくらのサーバに上がって正式公開を始めてから早4年が経過したといことになるのです。おお~、4年ですか。大学生活終えられちゃいますね(笑)。結構な年月になるものです。これも最近日記とBBS以外ほとんど更新が見られないにも関わらず(苦笑)、それでもなお足繁く通って下さる皆様のおかげです。さすがにカウンタが全く回らなくなったら日記の更新すら考えてしまいますしね(笑)。『何もない未来へ』など、続きをせっつかれているものや、温めてはいるものの温め過ぎて腐ってんじゃねーかくらいのネタ等、出したいものはそれなりにあるのですが、なかなか時間に気力が追い付かず・・・。申し訳ない限りです。まぁ、気長に待ってやって下さい。ってゆーか『何もない未来へ』、冷静に考えたら舞台設定って1999年末・・・。そろそろヤバイっすね・・・。まぁまぁ、そんなこんだ色々ありますが、これからもこの『雑記帳』をよろしくお願いします。

2002年7月7日日曜日

ニューキノロン系抗菌剤

 風邪をひいてしまいました。一昨日の夜あまり喉が痛くて眠れないくらいだったので、金曜は朝病院に行ってから出社したわけですが、結局頭はボ~ッとするわ体はだるいは鼻水は出まくるわで全然仕事にならなかったので早めに帰宅。その後ず~っと寝て起きて飯食って寝て・・・、と繰り返していました。今は熱も下がって大分マシにはなっているのですが、復調というにはまだちょっと厳しいですね。何しろ歩く足に全然力が入らず、サンマ定食を完食するのに凄まじいエナジーを要するくらいでしたから。いや~、人間物を食べるのにもやはり体力はいるものなのですな。

 そうそう、今回医者からもらった薬の中に、私に対して出される薬としては珍しく(というか記憶にある限り初めて)ニューキノロン系の抗菌剤が入っていましたね。私がもらう抗生剤/抗菌剤はこれまでほぼ100%セフェム系だったのですが。まぁ、どうでもいいことです。

2002年7月5日金曜日

無題

 常に正解を出す必要はない。だが、問いかけることを忘れてはならない。

2002年7月3日水曜日

『こうもり序曲』編曲進捗

 さてさて、『こうもり序曲』の編曲も350小節目くらいまで終わり、後は短いブレイクの後主題に帰ってひたすら盛り上げていくのみとなってまいりました。いよいよもって「こんなん弾けるか、ボケぇ!?」的なノリになってきたという噂もありますが、まぁそれは多分ただの噂でしょう(←オイ)。いや、実際譜面ヅラは相当シンプルなんですよ、この曲。実に単純極まりない。ただ異常に速いだけです(爆)。後半戦に入りやや編曲にも疲れが見え始めたのか、途中やや校正が必要な感じがする部分はありますが、とりあえず上げてみましたので聞いてみたい方はどうぞ。・・・長ぇ・・・。


2002年7月2日火曜日

初接待

 先週の末に、私は初めて『接待』というものを行いました。もちろんされる側ではなくする側です。取引先の情報システム部の長を始め、4人の方を迎えての接待です。まぁ私は接待する側とはいえ、金は会社から出るわけで、個人的にはちょっと気を使うただ酒なわけでしたが(笑)。しかも二次会はカラオケだったわけですが、そもそも私にカラオケで接待をしろというのも土台無理な話で、思い切り普通に歌って帰ってきたのでした(苦笑)。・・・絶対接待になってねぇ・・・。

2002年6月27日木曜日

空気清浄機が働いて・・・

 二週間ほど前に空気清浄器なるものを購入しました。東京の穢れた空気にそろそろ耐えられなくなってきた私は、「これは必要だろう」と購入に踏み切ったわけです。体は小さいながらもマイナスイオンとやらを出してくれるいかしたヤツで、おかげでそれはなかなか空気をきれいにしてくれていてとても助かっているわけです。

 ・・・さて、私は今日帰宅後、何げにベッドに横になってマンガを読んでいました。そして、ふと目を上げると、部屋の真ん中ら辺の天上から、何やらぶら下がっている物体があります。何だろうと思ってよく見てみると、それは一匹のクモでした。この部屋は周りに中途半端に自然があるせいもあり、クモはよくいるのを見かけるので普段はあまり気にもせず放置しておくのですが、何となく今日は気になりました。・・・あんな部屋の真ん中にぶら下がられてもなぁ・・・。そう思った私は、対ゴキブリ用化学兵器であるゴキジェットを持ち出し、クモを手早く撃退したのです。すると、それまで大人しく微風運転を続けていた空気清浄器が、突然汚れメモリを最大まで振りきり最大風力での運転を始めたのです!私がゴキジェットを吹いたのはただ一度きり。位置的に高いところではありましたが、それでもただ一度きりです。それでも空気は汚れセンサーのメモリを一気に振り切ってしまうのです!なんだかとても嫌な気分になってしまいました。今回はクモでしたが、ゴキを一匹退治するのにゴキジェットを使うのにも、実は自分の身もかなり削っての闘いを強いられることになるのですね・・・。皆さんも注意しましょう。

2002年6月26日水曜日

賢人会議?

 今日から私が仕事で携わるようになった会議の名前は『Wiseman』。俗称『賢人会議』です。そのいかつくもうさんくさい名称とは裏腹に、メンバーが集まったらまず飯を食いながらW杯の話をすることから始まり、本題に入っても部分部分で出てくる大きな脱線やネタの応酬が繰り広げられるある意味熱い会議です。が、・・・絶対名称間違ってます・・・。

2002年6月25日火曜日

Tomorrow Talk

 消えろ、消えろ、つかの間の灯火
 人生はたかが歩く影、哀れな役者だ
 出場の間は舞台で大見得を切っていても
 袖に入ればそれきりだ
 白痴のしゃべる物語、たけり狂うわめき声ばかり
 筋の通った意味などない

W.シェイクスピア『マクベス』第五幕第五場より

2002年6月23日日曜日

祭りの後

 なかなか疲れが抜け切ってくれません。水曜日の夜、久しぶりに会社に泊まり込みで作業(俗に「祭り」と呼ばれる)だった私ですが、その次の日もそして昨日も帰りは午前様。皆ワールドカップにうつつを抜かして仕事してなかったせいだ(←ダメじゃん)という説も飛び出していましたが、何はともあれ久々の祭りっぷり。しかも私は先週、先々週と週末は京都に出ていたため只でさえ疲れが残っているところにとどめの祭りです。かなりきました。本気でHPが0になるかと思いました。おかげで今日は一日寝ていましたとさ。いや~、凄かった。寝ても寝てもまだ寝れた。結局16時間くらい寝てました(爆)。・・・今夜寝れるんだろうな?

2002年6月19日水曜日

イタリア敗退

 イタリアが破れました・・・。赤一色に染まったスタンドの中、先制点を取ったイタリアではありましたが、後半終了間際に韓国に押し込まれ同点にされ、延長でまさかのトッティ退場・・・。このW杯、私に素晴らしいドラマとファンタジーを観せてくれていたイタリアが、決勝トーナメント一回戦でまさかの敗退です。ああ、もうトッティやビエリ、デルピエロらの強く美しいプレイも、ギリギリのところを見事に守り切ってドラマを観せてくれるイタリアのカテナチオも観ることはできないのですね。このイタリアVS韓国は、試合自体実に素晴らしい試合で、見る側も手に汗握りながら一つ一つのプレーに沸き上がる熱い思いで見ていたのですが、最後イタリアが破れてしまったのは残念極まります。ってゆーか、そもそもスタンドが赤一色、イタリアサポーターの影も見られなかったのはどういうことでしょう?テレビのアナウンサーが、韓国しか応援しないのはどういうわけでしょう?「同じアジア勢として、日本の分も頑張ってほしい」って、どういうことやねん!? 意味わからんわ!そして、後半突然デルピエロが交代になったのもいかがなものでしょう?守りに入るには早すぎましたねぇ・・・。やれやれです。トッティも随所で恐ろしいくらいの技の切れを見せてくれたし、ビエリも持ち前のパワーは存分に見せつけてくれました。崩れた体勢から信じられないようなシュートを放つデルピエロも熱かったですし、途中からデルピエロに代わり入った守備のガットゥーゾも、何度もあわやの危機を凌ぎ攻め上がる素晴らしいプレイを見せてくれました。キーパーのブッフォンもPKを止めたりいい動きをしていたのですが・・・。ああ、イタリアよ・・・。私の夢はここで費えました。もう今回のW杯の試合を熱心に見ることもないでしょう。しかし、これでサポーターの気持ちというのは何かわかった気がします。私は次のW杯もイタリアをどこまでも応援します。スポーツ観ててここまで悔しい気持ちになることも滅多にないですね。イタリアVS韓国はもはや私の中ではイングランドVSアルゼンチン以上の因縁の試合になってしまいました。4年後、是非また戦ってほしいものです。今度はイタリアに来いや、韓国!

 P.S. 日本戦も会社が大会議室のプラズマテレビジョンで放映してくれたので観てたのですが、あれはつまらない試合でしたね・・・。

2002年6月18日火曜日

2002年度衣笠独重

 さてさて、ちょっと遅くなりましたが行ってまいりました、衣笠独重。前評判が高い中期待して見に行ったわけですが、その期待も裏切られることなく素晴らしい演奏を聴かせていただけたのでよかったかなと。まぁ細かいところは今回久しぶりに(苦笑)まじめにアンケートを書いてきたので現役の皆さんはそちらを読んでいただければよろしいかと思いますが、全体的に出演者の皆さんはレベルに大きなバラつきがなく、非常に高いレベルでバランスの取れた粒ぞろいの演奏だったかなと思います。特に好感が持てたのが、一人一人がそれぞれ自分なりに音楽を作ろうと一生懸命になっているのが感じられたこと。特に学生では、ある程度技術レベルが上がってくると何故か技術に頼るようになり、指は動いてるけど音楽が伝わってこないというような、私に言わせれば最悪な演奏をする傾向が出てきやすかったりもするのですが、皆そういうこともなく「音楽を演ろう」という姿勢が伝わってきたので嬉しかったです。まぁ技術的には各人がやはり課題を残した感じはあるのですが、やっぱりね、演奏を聴いて「凄い」と言われるような演奏ではなく、「いい曲だった」と言われる演奏が一番よいのだと私は思うのですよね。その意味で今回のMVPは、実にいいセンスを感じさせてくれた『ソレア』を推したいと思います。カルリの重奏もよかったですね~。基本に忠実な表現で、素直にスーッと聴かせてくれました。ぎぃ助ソロも一週間でよく頑張ったものでした。普通一週間でスラーはあそこまで上達しないしな。さてさて、定演も楽しみですね。「音楽を作ろう」という意志を一人一人が持っているこの面々なら、きっと合奏も素晴らしいものができるでしょう。定演も期待しています。その前に編曲何とかしろとの声が聞こえてきそうですが(苦笑)。

2002年6月14日金曜日

W杯 イタリア×メキシコ

 いや~、今日のイタリア-メキシコ戦、熱かったですねー。イタリアの守りに守ってカウンターというサッカーは、保守的と見られて毛嫌うサッカーファンも多いようですが、私はむしろあれこそがファンタジーだと思います。攻めばかりのチームなんて巨人みたいなもんで、観てて華はあるかもしれないけどドラマがない。攻め込まれて攻め込まれて危ない危ないと思わせて、一瞬の好機にスパッと上がっていくあの一瞬のドラマが熱いのです。・・・といっても今日のイタリアは終始結構攻めに上がってましたが。しかし先制点を取られ、後半ももう残り15分ばかりになり、もうダメかと思った時に、本当に「やっと」出てきたデルピエロ。ピッチの上にいたのは最後の15分ばかりの間だけだったのに、しっかりドラマを観せてくれました。デルピエロが入ってから明らかにイタリアの攻撃のリズムが変わりましたからね。何でもっと早く使ってこないのでしょう?あんなにいい選手なのに・・・。もうすっかりイタリアファンです(笑)。ぶっちゃけもう日本どうでもいいです。私はイタリア応援します。・・・次は来週の火曜20時半かぁ・・・。楽しみですね。

 そして明日は我らがクラギタ衣笠の独重奏会です。もちろん(?)私は行きます。明日、大阪で日本-チュニジア戦があるおかげで新幹線の席は(取れたものの)やや埋まり気味でしたが、先週大量のワールドカッパーに紛れて横浜に帰ってきたように、またも大量のワールドカッパーに紛れて京都に行きます。・・・なんかワールドカッパーと一緒に移動してるような感じですね(苦笑)。演奏会に関しては、ここまで来たら何も言うことはございませんが、緊張に負けず舞台を満喫していい演奏を聴かせてくれればと思います。やっぱりね、独重くらい大きな演奏会だと緊張も物凄いものがありますが、逆にその緊張が集中力に変わった時に観客を魅きつける素晴らしい演奏ができるものなのです。緊張もするし、不安にもなるでしょうが、最後舞台に立つ時は「自分は大丈夫だ、問題はない」と自己暗示をかけて、堂々としていてください。気持ちや演奏はそれについてきます。演奏の前に気持ちが負けたらいい演奏なんてできるはずないのですから。

今日の一言:『おぼつかないからこそ堂々とやれ、照れるのが一番下手』

2002年6月13日木曜日

波乱のサッカーW杯

 フランスが消えました。アルゼンチンも落ちました。これでイタリアまで落ちたらスター選手が大量に消えた決勝トーナメントになっちゃいますねぇ。元々フランスが負けて興味を持った(←だから何故?)W杯ですが、あまりに波瀾ばかりだとそれはそれでエンターテイメントとして盛り下がるような気もします。ジダンやアンリをもっと観たかった人も多いでしょう。この上イタリアが落ちてデルピエロまで消えたら、私が知っている選手はベッカムくらいしかしません(爆)。あとチラベルトとロベルト・カルロス(とある研究者によると、彼のシュートは象を倒せる威力らしい。くだらねぇ研究をするヤツがいたもんだ・・・。ちなみに別の研究によると、W杯の監督の寿命は2年は余裕で縮まるらしい)。個人的には結構イタリアの守って守ってカウンター、二人だけでも攻め切っちゃいます、みたいな堅実なのか大胆なのかよくわからんスピーディなサッカーは嫌いじゃないので、是非イタリアには頑張ってほしいものです。そして優勝はスペインにさらっていってほしいものです。日本は、・・・適当に楽しませてくれればどこで負けてもO.K.です。

2002年6月12日水曜日

最優秀新人賞受賞

 昨日の事になりますが、私は表彰されてしまいました。私の会社では毎年新人賞という制度がありまして、営業と技術それぞれに最優秀賞と優秀賞各一名ずつが選ばれるのですが、その技術部門の最優秀新人賞に私が選ばれ、朝礼で表彰されたのです。まぁやってることが認められるのは正直悪い気はしませんが、表彰という形だとなんだか居心地が悪い気もしつつ、はたまた適度に会社の歯車の見本となってしまっているような気もしつつ、嬉しさ半分、妙なシュールさ半分で賞状を受け取ってきました。幸か不幸か、私の社会人人生はその意味ではある程度順調なようです。

2002年6月10日月曜日

2002年度BKC独重

 さてさて、BKCの独重があるということもあり、週末京都に出かけていました。来すぎってのは言いっこなしです(爆)。BKCの独重は、皆さん頑張っているのがよく伝わってくる内容で、改めて「ん~、部活っていいねぇ」とか思ってしまいました。仕事やってるとね、どうしても「あ~もう、世の中みんな金かねカネかい!?」とか叫びたくなる瞬間があるものですから。純粋に羨ましいですよね。まぁやってる当時はプレッシャーやら何やらあり、決して純粋に楽しいばかりでもないものですが。印象に残ったのは、数少ない執行部の皆さんが少ない人員をもり立ててやりくりして演奏会を作ってきたという感じが凄く演奏にも現れていたことでした。それはまぁよくも悪くも、ということなのですが。頑張ってましたねぇ。技術的なところで厳しい面に触れるなら、指が動く動かないのレベルではかなり高い水準を持つ人が結構いるのに、音がしっかりしてなかったりテンポ感に安定感がなかったりして、結果的に演奏が聴いてる側に訴え切れてない人が多かった気がします。どんなに難しい曲やパッセージを弾いてみせても、それがただ手元でちょこちょこと鳴ってるだけじゃあ客席には伝わらないし、テンポ感の不安定さは聴く側に不安さや不自然さを感じさせます。特に指が動く人ほどよく動く指に頼り過ぎているのか、ある人は音に説得力がなかったり、またある人はテンポの不安定感が妙に目立ったりと、音符レベルでの技術に安心して油断して、音楽を奏でるということに対して鈍感になっているのではないかなと感じてしまいました。定演の際にはその辺りもっと成長して、安心して聴ける演奏をしてくれるいい音楽家になってくれていることを期待します。今回の私の中のMVPはC技のぶ~れ氏。何故譜面代が出ていたのかは多少疑問ですが(笑)、一番しっかりした音と表現で、安定感のある安心した演奏を聴かせてくれました。比較的地味(?)な曲ではありましたが、その地味な曲を音楽としてきちんと聴かせてくれるセンスのよさはいいと思いましたね。

 そして私は今日新幹線に乗って横浜に帰ってくるわけですが、私が新横浜に着いたのは実に午後7時ジャスト。W杯日本VSロシアのキックオフは8時半です。そして横浜国際競技場の最寄り駅は新横浜です。・・・案の定新横浜駅は大量のワールドカッパーで埋まっていて、そりゃもう軽くパニック状態でした。色々なところに人種を問わず「Ticket!!!」とか書いたボード持って立ってる人間いるし、どう見ても高校生以上には見えない女の子とかが日本のユニフォーム着て頬に日の丸書いて、何を思ったか腕に「愛国精神」とかデカデカ書き込んでたりして、「オイオイ、オマエらその言葉はちょっと如何かと思われるぞ」などと心の中で突っ込みながら、私は大きな人の流れに逆行する形で日吉に帰ってきました。そしてまた、幸か不幸かロシア戦、勝っちゃったんですよねぇ、日本。いや、私もテレビで観ててそれはやはり大変面白く見させていただいたのですが、妙に日本が勝ってワールドカッパーが増えてくると、来週金曜、衣笠の独重の人の出足が・・・。日本VSチュニジアが18時キックオフ、対して衣笠独重は18時開場、18時半開演。思っくそかぶってます(爆)。いや~、やばいですねぇ。どうせなら出演者の皆さんには少しでも多くの観客の前で弾いてほしいと願うのですが。まぁまぁ、動員数がどうであれ、来週の衣笠独重、私は大いに期待してますので皆さん頑張ってください。

2002年6月8日土曜日

軽く五月病?

 いや~、最近なんかあまり一生懸命仕事をしていない気がします(爆)。こんなんでいいんでしょうか。なんとなく一歩遅目の五月病といった感が拭えない最近の私です。困ったもんですねぇ。

 そんな最近のマイブームはロドリーゴ。それも村治さんの新譜『レスプランドール』ではなく、敢えて再び『パストラル』の方にはまっています。いや~、『祈りと踊り』はやばいよ。あれはいい曲です。以前弾こうとしてあっという間に挫折してしまいましたが(苦笑)。そしてこの曲に関しては『パストラル』収録のもいいのですが、以前コンサートのを隠し撮りしたのが相当熱い。これが気迫がこもっててよいのです。村治さんのロドリーゴはなんかひと味違うんですよね。『レスプランドール』もなかなかいいアルバムですし。ただ、あのアルバムは太陽が出ているところでないと何故かあまり聴く気がしないのです。何でかしらんけど。そして平日陽の出てる内に帰宅することのない私は、自然『パストラル』を選択することになる、と。そういうことなのです。

2002年6月7日金曜日

2002年6月5日水曜日

W杯 日本×ベルギー

 いや~、日本、ベルギー戦引き分けましたねぇ。ベルギーには勝てないだろうと思っていたのですが、どうやら先制されたにも関わらず、一時期逆転までしていたらしいじゃないですか。ビックリです。トルシエが監督になってからの日本は、勝率は歴代最高でも先制されてからの勝率は歴代最低だというのに(聞きかじった知識)。ダイジェストで見た、小野のパスに必死に足を伸ばすFW(名前忘れた、というかそもそも知らん・・・)とか、なかなかいい感じでしたね。これでちょっとは先に希望が持てるようになるのでしょうか。以上、元々W杯にはまったく興味がなかったのにフランスが負けたのを知ってから何故か俄然興味を持ち始めたayumでした。

2002年6月3日月曜日

『こうもり序曲』編曲進捗

 『こうもり序曲』の編曲ですが、昨日今日とそこそこ頑張ったかいあって(?)どうにか半分まで終わらせることができました。興味のある方は聴いてみてください。段々いかつくなってきました(笑)。ってゆーか長ぇ、あの曲!!! 小節数的にいって『ブランデンブルグ』ならとうの昔に終わってる!!! ・・・といっても実際ブランデンブルグは小節当たりの音数が多いのと、曲の構造が複雑で解析に時間がかかるのとで実際は同じ小節数なら編曲はブランデンブルグの方がいささかきついのですが。しかし200小節作ってまだ半分とは・・・。おそるべし、『こうもり序曲』・・・。ってゆーか、今のままいったら3rd辺りから「つまらん」と文句が出そう・・・(苦笑)。まぁ、どうにか見せ場を用意しないとなぁ。


 そう、今回のパート毎の特徴ですが、おおまかにいって以下のようになっております。





















alt : 休みも多いが部分的に異常に早いスケールが待ち構えている。天国と地獄状態
prim1st : 意外にうまみが少ない(?)。altの下でハモること多し。ソロパートも待ち構えてるかも!?
prim2nd:そこそこに見せ場もあり、そうそう無茶をいわれることもない美味しいパート。今回の一番人気か!?
prim3rd:ひたすら連打で腱鞘炎続出(?)。ドブレや和音のノリが大事だ!でも低音連打ばかりでつまらないかも・・・。
bass:実は意外に美味しい(爆)。結構弾いてて気持ちよさそうで、奏法パターンも意外と多く面白いかも。
wood:まぁこんなもの、と言ってしまえばそれまでか(?)。意外に高速の連打もあるので要注意だ。

 ・・・さて、あなたならどのパートに行きます?私ならaltか2ndかbassですね。

2002年6月1日土曜日

古びないシェイクスピア

 最近、なにげにシェイクスピアにはまっています。何故今更シェイクスピア!? といった感はありますが、実はこれまで読んだことなかったのですよね。いや、前々から読みたいとは思っていたのですが。で、手始めにまず個人的に一番気になっていた『マクベス』を買って読んでみたのですが(敢えて『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』ではない)、これに見事にやられました。

 まぁシェイクスピアに関しては、ご存じの通り訳が新旧色々出ていまして、どれを選ぶかがまた難しいところなのですが、私がかったちくま文庫のものは訳が新しく(確か『マクベス』は1995年)、言葉にそれほど違和感がないのと、随所随所でページ下に原文や注釈が出ていて訳の意図や原語のリズムなどがわかるのがよろしかったですね。シェイクスピアの語彙や言葉のリズムは、端的にいうなら非常に美しいのです。そしてシェイクスピアはもともとが劇ということもあり、大半は台詞構成のみで進んでいくのですが、まぁあの時代らしいといえばあの時代らしいえらい大仰な言い回しの中に隠れる綺麗な陰や同音異義語の使い回しや、そして何よりも飾り立てられた言葉の裏に隠れた人間の本質に対する鋭い洞察が、練りに練られた描写や小手先の技法が霞んで見える深遠さを味あわせてくれるのです。どこかでこんな記事を読みました。「バッハの中には音楽の全てが凝縮されているとよく言われるが、それと同様にシェイクスピアの中には文学の全てが凝縮されている」。なるほどなぁと納得してしまいました。1500年代後半から1600年代の間に、音楽と文学は既に極められてしまっていたのかもしれません。そして同時に、人間が抱える本質的な問題というのは、結局数百年前と何ら変わってはいないのだなとも思いました。だからこそ、当時の風刺も含め、人間の本質を突いたシェイクスピアの言葉は今でも説得力をもって受け止められるのであり、だからこそバッハの音楽は未だに人の心を引き付けるのだなと。人間は、結局本質的なところでは進歩も何もしていないのかもしれません。

2002年5月31日金曜日

ブレイク(?)ショット

 今日は会社の帰り、どういうわけか突然ビリヤードに行こうということになり、会社の仲間と共に久しぶりにビリヤードに行ってきました。・・・が、一部の方はご存じの通り、私はビリヤードはあまり得意ではありません。それは時が経ってもあまり変わることはなく(ってゆーかやってねーしな・・・)、今日もブレイクショットが違う意味でブレイクしてしまったり、狙ったところと違うポケットに狙ったものと違う玉が入ったりと、まぁまぁ大暴れな状況でした(苦笑)。一日一回だけきれいに決まるジャンプショットだけは健在でしたが。いやしかし、たまに会社の帰りに遊びに行くというのもいいものですな。

2002年5月28日火曜日

二度の絶望

 昨日、私は結婚式(の二次会)に出かける前に洗濯物をベランダに干して出かけていきました。それはとてもよく晴れていました。「帰ってくる頃には気持ちよく乾いていることだろう」と、ちょっといい気分で家を出ました。・・・が、なんと、私が渋谷に着いて、東口から出てみると、そこは凄まじい夕立でした。・・・一回目の絶望を味わいました。帰ってきて洗濯物を確かめてみると、やはりそこはかとなく湿っています。私はちょっとブルーになってしまいました。今朝、私は「今日こそは大丈夫だろう」と、ベランダに昨日濡れた洗濯物を出して(というか一晩放置したのですが)会社に出かけました。多少雲行きはあやしそうです。「・・・まぁ、大丈夫だろう」と私は家を出ました。・・・が、なんと、私が渋谷に着いて、東口から出てみると、そこは普通に雨降りでした。・・・二度目の絶望を味わいました。

2002年5月27日月曜日

ファランドール憧憬

 ・・・ファランドールがやりたかった。一回生の頃、当時のAアンでやっていた曲だ。舞台の裏で、先輩達が弾いているのを見て、無性に心ひかれたのを覚えている。それから時が経ち、僕らが執行部になった頃、心の中ではやはり何処か、自分では「ファランドールが大合奏でやりたい」と思っていた。でも、さすがに一回生の頃先輩達がやった曲、「やろう」とは言い出せずに終わっていた。ブランデンブルングやカノン、調和の幻想が嫌だったというわけでも、満足していないというわけでもない。あの曲達はやはり思い出深い曲だし、ウチらの代なりの味が出せたいい曲だったと思う。それに対する後悔ではなく、ただ、「ファランドールをやれなかった」という後悔だけが残るのだ。ずっと、憧れの曲だった。部活を引退して、大合奏というものがもう実現することのないところに来てしまった今は、もう憧れはかなうことはないのだなと思う。今日は会社の先輩(といっても直属のというわけではないが)の結婚式、二次会からの参加だったのだが、なんとなく、妙にそんなことが頭をよぎった。行く前に『アルルの女』のCDを聴いていたせいかもしれない。・・・結局、一回の頃の憧れはいつまでも憧れのままなのだな、とそう思った。独奏なら、あるいは今からでもなんとかなるのかもしれない。でも、大合奏は、もうできないのだから。

2002年5月24日金曜日

回復してみると

 さてさて、一旦腐った死体になってしまった勢いで数日あまり日記の更新をさぼってしまった私ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。こちらは、約一ヶ月ぶりに仕事の忙しさがぶり返してきて結構疲れ気味ではあります(苦笑)。昨日とか夕方8時に始まったミーティングが、終わったのは何故か11時半近くという実にシュールな状況でしたしねぇ。一体どうなってんだ、ウチのミーティングは!? まぁまぁ以前には8時間耐久ミーティングという鬼のようなイベントもあったことですし、きっとウチのグループは稀に見る会議好き集団なのでしょう?

2002年5月19日日曜日

腐った死体

 熱を出してしまいました。おかげで今日は一日、あたかも腐った死体のようにぐったりして寝込んでいました。途中たっちーからメールなどありましたが、その間も腐った死体であり続けました。今日の私は腐った死体です。

2002年5月18日土曜日

所感

 本を買ってきて読んでみて、それが意外につまらなかったりするととても残念な気がします。本を買ってきて読んでみて、それが意外につまらなかったりするととても残念な気がします。

2002年5月16日木曜日

運動不足解消に向けて

 社会人になってからとみに運動不足を痛感するようになった私ですが、とうとう「やはり朝(時間に追われて)駅まで走るだけでは運動があまりに足りない」と思い立ち、家に帰ってから筋トレなるものを試みることにしました。学生時代にもたまに思い立ってはみるものの、大体一週間くらいしか続かないというこの思い立ち、はてさて今回はどのくらい続くでしょうか。とりあえず今日は始めなので軽めに、腕立て・腹筋・背筋*20を2セットやってみました。軽めにと思って組んだメニューですが、やってみると実は意外になまりきったこの体には重く(苦笑)、結果として己の凄まじいまでの退廃ぶりをみることとなりました・・・。まぁ、一応休んだり挫折したりはせずにできましたけど・・・。しかし体というのはなまるものです。これでも高校時代までは運動部で、腕立て・腹筋・背筋*20を5セットとかでもできてたんですけどねぇ。高校の時なんて一時期は朝早く来て柔道部の仲間と一緒にトレーニングルームでガシャガシャとリフティングとかやってたんですけどねぇ。・・・まぁ走るのは昔から苦手でしたが。とりあえず当面の目標は、全盛期の5セットをこなせるくらいにまで体を鍛え直すことです。

2002年5月14日火曜日

適度に適当に

 世の中に、本気で体をはれる価値のある人間はほとんどいない
 そしてその価値がある人がいたとして、
 その人のために本気で体をはる人間もまたほとんどいない
 まぁそれでいいんじゃないかという説もある
 だからこそこの世の中は適度に適当に回っているのだと
 そしてそれはおそらく正しい
 誰もが誰かのために常に体をはっているような世界なら
 とうの昔に人間は滅んでいただろう
 適度に適当にとはそういうことだ
 いいかわるいかは別として

2002年5月13日月曜日

喜歌劇『こうもり』序曲、編曲開始

 今年の衣笠Aアン(予定)のJ.シュトラウスの喜歌劇『こうもり』序曲、ぼちぼち編曲を始めました。まだほんのさわりしかできてませんが、興味のある方はリンクをクリックしてみてください。まだ譜面をシコシコ作ってる段階なので、パート毎の音量の調整とかトリルの装飾音とかハーモニクスの音とか、そういった細工は何もしてないのでちょっと聴きにくいところがあります。っていうか、そのせいで必要以上にビートが効いて聴こえます(笑)。本当はこんな曲じゃない・・・。


 今回は以前に宣言した通りAlt、Prim*3、Bass、W-Bassといったパート編成ですが、アルトは単独のパートというよりはPrim1stの高い方のディビジョンと考えた方がよいですね。私の編曲にしては珍しく(?)今回は音域が全体的に低い方に偏っています。というか、今のところは低いです。後半に行くに従って「もうやめろ~!」と叫びたくなるくらい高い方に音域がシフトしていきます。しかし今年のCGCの皆さんも、こんな曲よう弾くなぁ・・・。

2002年5月10日金曜日

Destiny

 久しぶりに自宅のMacの中に眠っているMP3を発掘し、片っ端からランダム再生をかけてみました。私がMP3を収拾したり作ったりしていたのはもう3、4年も前の話になるので、当然かかるのもその当時の、今となってはちと古い感じの曲ばかりです。例えば今流れているのはFavorite Blueの『Close My Love』。さぁ、何人の人が覚えているのでしょうか!? The Brilliant Greenとか絶妙に懐かしいところも揃っています。そんなこんなで、色々「おお、あったなそんな曲」とか思って聴いていると、時にはその当時本当に好きだった曲なんかも出てきます。私にとってそんな曲のひとつはMy Little Loverの『Destiny』でした。

 この曲は愛しい人への想いを歌ったラブソングといえばまぁそうなのですが、表立って現れる懐古や後悔、寂しさや儚さといったようなものと対立するように、ときたま何よりも強い希望や喜びのようなものも感じ取れる気がする不思議な曲なのです。全体の曲調も明るいとも暗いともつかず、ただ控え目な寂しさだけがずっと流れている。同じMy Little Loverの曲『Hello Again』も同様の印象を受けますが、その寂しさ自体が今にも風に吹き飛ばされそうなくらい儚いのに、何故か自分の体を巻いてゆく風のようにいつもその存在を感じているような不思議な感覚。そこに私は心ひかれるのかもしれません。

 『Destiny』、直訳すれば『運命』となります。『運命』とは本来、考えれば考える程に強烈な言葉です。それは人間の力の及ぶ限界を指し示す言葉でもあり、限りある人間の力をそっと、あるいは力強く、手助けしてくれる力を指し示す言葉でもあります。ベートーベンは同じ『運命』という言葉を、その強烈さを象徴するかのように激しく打ち出して表現しました。「運命はかく扉を叩く」のだと。しかし、My Little Loverの『Destiny』からはそういった運命の持つ凶暴なまでの力強さ、あるいは人間の力の限界のような悲劇性は感じられません。それはどうしてなのでしょうか。

 私は別に運命論者というわけではありませんが、ときたま『運命』というものの存在を感じることがあります。大体それは既に起きた事柄に対する後付けのものであるのですが。私に言わせれば、『運命』というものは決して強烈なものばかりではありません。むしろ、日常の中にいつもひっそりを息を忍ばせているものだと思います。例えばよく『運命』という言葉が引き合いに出される人と人との出会い。それだって、何も特別の恋人とか、恩師とか、親友とか、そういったものでなくとも、常にそれはある面において運命的なものなのではないでしょうか。私と今これを読んでいるあなたが出会う確率だって、一番単純に考えても地球の人口分の一となるわけです。そりゃ物凄い確率です。宝くじだってもうちょっと当たるでしょう。そう考えると、運命というのは何も特別なものではないのだとも思えます。日常の中に息をひそめて、風のように、感じながら、あるいは気付かないでいても、私達の存在を導いているのかもしれません。My Little Loverの『Destiny』は、そんな運命を表わしているようにも思え、また、よくも悪くも、人間の力の届かないところで、希望も絶望も連れてくる運命を歌っているからこそ寂しさも希望も感じられるのではないかなと思ったりもします。ただ、運命という言葉はやはりどこかしら寂しさや、それが大きくなると悲しみや絶望の色を強く出してくるもののようにも感じます。それは何でなんでしょう。寂しさと希望と、そのどちらもが感じられるMy Little Loverの『Destiny』ですら、全体の空気は寂しさや儚さといった感覚におおわれているのです・・・。

2002年5月8日水曜日

帰還、京都より

 3泊4日京都の旅より無事帰還いたしました。今回は以前SunのTech-daysでもらった大き目のリュックを背に、その日暮らしなまるでバックパッカーのような放浪ぶり。宿を提供してくれたキムにたっちー、my broth、ありがとうございました。

 今回の京都行脚は内容も充実し、観光、ショッピングはもちろん(?)、マンゴレが熱く薦めていた『音楽の絆ギターフェスティバル』にも行ってステファノ・グロンドーナのマスタークラスを聴講、そして聖帝殿との再会も果たしました。このステファノ・グロンドーナというギタリストはまぁ一般的にあまりメジャーだとは言い難いギタリストではありますが、マンゴレ曰くプロの中では誰もが認めるProfessional of Professionalだそうです。それも彼の経歴を見れば納得、なんとオスカー・ギリアのお弟子さんではないですか。オスカー・ギリアとはセゴビアの直弟子の中でも指導者としてもっとも高い評価を受けているギタリストです。そして現在生き残っているほとんど唯一のセゴビア直系でしょう。そういやこのオスカー・ギリア、日本に来るとか来ないとかいう噂を以前耳にしましたが・・・?というわけでステファノ・グロンドーナのマスタークラスにも当然大きな期待がかかります。しかも受講者として指導を受けるのはマンゴレの師匠、北口先生です。う~ん、まさにマスタークラス。その内容もちょっと独特で、受講者が既に技術レベルは非常に高いものを持つ北口先生だけに論点は技術に関してはほとんど触れず、「如何に曲を組み立てるのか」という一点に集中されていました。このステファノ・グロンドーナというギタリストは他にちょっと見ないタイプのギタリストだなという印象を受けます。基本的には素晴らしい音色と非常にレンジの広い表現力を持つ楽曲志向のギタリストという感じなのですが、例えば一見同じようなタイプに思える大萩康司が「演奏家+詩人=音楽家」というような印象なのに対し、グロンドーナは「演奏家+哲学者=音楽家」といった印象なのです。感性や感覚といった本来抽象的であるものを言葉でも音でも表現でき、また探り出すことができる、非常に希有なタイプのギタリストだなと思いました。彼のマスタークラスは一貫して曲そのものが持つ可能性や曲そのものが求める表現とは何かというのを如何に探るかといったようなもので、「自分の表現や個性にこだわりを持つのもいいが、それが行き過ぎると曲そのものが持つ本来の音楽の真実を見失ってしまう」というような言葉が印象的でした。このグロンドーナ、いいギタリストですよ。CD買ってきたのですが、それがまた非常によい。あれはかなりの掘り出し物でした。そして私は聖帝殿と共に京都まで帰還し、その後宿を求めてたっちー邸in近江八幡を目指しましたとさ。

 そして今回は卒業後初のボックス襲撃もかけてきました。いや~、現執行部の皆さん、昼休み以降はほとんど全員ボックスにギター弾きにきてたのですが(さすが独重前ですな)、皆さんボックスに入って俺の姿を見つけるなり一様にえらい驚いた顔を見せるのがちょっと面白かったです(笑)。皆さんやはりというかなんというかあまり変わっておられず、ボックスの空気も相変わらずで、「う~ん、やはりこの空気は落ち着くね」等と思ったりもしました。今回のボックス訪問で印象的だったのは、
・皆さん非常に部活に対して熱心だった
・ぎぃ助がジャマイカ風(?)に変貌していた
・りとりとがいい指導者っぷりを発揮していた(マジで。成長したなぁ・・・)
・電子レンジやポットなど、設備が非常に充実していた
・あゆあゆが『新世界』をラプソディがパチッてるMDを持ち出した(爆)
 ・・・といったところでしょうか。いやいや現役の皆さん、演奏会前の忙しい時にお邪魔して申し訳なかったですね。でも暖かく迎えてくれてありがとう。独重期待してますんで頑張ってください。

 ・・・とまぁそんなこんなで怒涛のGWは過ぎて行ったとのことです。ちなみに最終日の晩、私はmy broth邸に泊まっていたのですが、そこに訪れたサトウヒロシ氏(一部のクラギタの人間は覚えてるかな?エスプラナードフェスタにクラギタに参加しないかと誘ってくれた人物だ)と人生ゲームをやりながら夜を明かすという一幕もありましたとさ。しかし3泊4日の放浪生活はやはり疲れましたね。途中ミナクサの極楽湯のジェットバスで体をほぐしてなかったらやばかったかもしれません(笑)。まぁまぁ明日からまた仕事ですが、今回の京都行脚では精神的に結構エネルギーをもらって、その力でやっていこうかなと思います。

2002年5月4日土曜日

Amazonでショッピング

 最近、はまっているという程ではないですが、Amazon.co.jpでちょくちょく買い物をします。1,500円以上は送料無料とはいえ、クレジットカードを持っていない私は代引手数料がかかる上にAmazonでは特別な割引特典があるわけでもない(たまに特定のジャンルのバーゲンはやってる)というのに何故でしょう?それは、本にしてもCDにしても、やけにマニアックなものが揃っているからなのです。例えばCD。私は4回生の頃アルバーロ・ピエッリのコンサートで彼の演奏を聴いてから、「アイツは凄ぇ」と思い、ずっとCDを探していました。コンサート会場では売っていたのですが、当時就職活動終了直後で金がなかった私は買えなかったのです。で、後に多少金銭的に余裕がある時や、余裕はなくても現代ギターのセールなどの際折に触れて探してはいたのですが、CDはおろかピエッリのピの字も出てきません。私は半ば諦めていました。が、試しにAmazonでpierriと検索してみると、なんと4枚もアルバムがひっかかるではないですか!取りよせで3~5週間かかるとのことですが、これまで2年探していたものが一ヶ月かそこらで確実に手に入るならどってことありません。私は迷わず注文しましたとさ。

 ・・・とまぁそんな感じなんですよね。Amazonは現実の店と違って店頭に商品を並べておく必要はないから、提携する卸し業者経由で売れるものならとりあえず何でもカタログにのっけておけば、後は注文が入った段階で取り寄せればいい。よってCDにしろ本にしろ、他ではちょっと売ってないようなマニアックな代物がたくさん検索で引っかかるのです。クラシックギターのCDの品揃えだって、カタログ上ははっきり言って現代ギター社より豊富かつマニアックです。輸入盤も洋書もたくさん扱ってますしね。私の仕事関係の本も相当マニアックに色々あって重宝しています。皆さんも探しているのに見つからない本やCD等、Amazonで探してみると意外にサクッと見つかるかもしれませんよ。ただし、売れ線のメジャーどころはおとなしく最寄りの店を探した方が早いでしょう。

2002年5月3日金曜日

生きていく上で

 シナリオは、常にいくつか用意しておけ。考え得る限り最悪なものを想定しろ。現実は、常にその斜め上を行く。

2002年5月1日水曜日

NIGHTMAREの悪夢

 今日は朝から客先直行、昼の1時過ぎに会社に着いて、2時から6時までひたすらまた別のお客と打ち合わせという実にタイトなスケジュールをこなしていました。そしてその後私に念願の新しいマシンとディスプレイが回ってきたので、それをセットアップしようと試みたのですが・・・。

 社内のLANにつながるコンピュータは、ネットワークで識別されるための名前を持っています。その名前は自分で自由に決めることができます。で、私は新しいそのマシンに元々付いていた名前を改名しました。そう、「NIGHTMARE」という名前に改名しました。・・・が、ヤツめ、名前を変えたとたん何故かまったく起動しなくなってしまい、私の決死のリカバー作業にも反応せず、結局OSを再インストールする羽目になってしまいました。・・・ちくしょう、名前が悪かったのかな・・・。

2002年4月30日火曜日

さかなのうた

 ・・・ヤバイものを聴いてしまいました。私は先程、いつものように晩飯を買い出しにコンビニへ行ってきました。すると、店内にやたら陽気で爽やかな、軽快アップテンポの曲が流れています。「おや?」と思っていると、煥発入れずに歌がそこに入ってきたのです。そう、その歌詞は・・・、

♪さかなさかなさかな~~~
♪さかな~を~たべ~ると~~~

 そう、『さかなのうた』です!あの『さかなのうた』です!私は耳を疑いました。スーパーの鮮魚売り場でならまだしも、まさかコンビニで『さかなのうた』が流れるとは!そういやぁつい数日前に、風の噂で『さかなのうた』がヒットチャートに躍り出たらしいということを耳にしました。その時は「それはないよ」と一蹴したのですが、まさか本当に『さかなのうた』がヒットチャートを急上昇したりなんかしちゃってるんでしょうか!? 私にあの歌がヒットチャートに出てるらしいと話をした御仁はこう宣いました。「ほら、牛も駄目になって鳥も駄目になったから、今は魚がにんきあるんだよ」。・・・なるほど、確かに牛が狂いだし、鳥がごまかされてしまった今、世間の食卓で魚が人気を得るのはわかります。そこまではわかります。確かにそうだ。が、だからといって『さかなのうた』がヒットチャートを駆け上がるか、オイ!? ・・・謎は深まるばかりです。

2002年4月29日月曜日

仕事と生きがいと

 さてさて、世間はいわゆる黄金週間というものに突入したようですが、私はというと昨日、今日と普通に会社に出て仁義なきプログラミングを行っておりました。いやいや、連休前に集中してタスクがたまってくるのも如何なものかと思われます。まぁここ数日発揮していた極限の集中力の賜物で、どうやら明日はのんびり休めそうです。

 しかしここのところ、私はどうもこの仕事に疑問を持ち始めています。何処に疑問を持っているのか全てを語り尽くさんとしたらそりゃもうえらいことになってしまいますのでここでは自粛させていただきますが、現場の状況やら環境やらそういったことを差し置いてまず疑問なのは「本当にこれが自分の目指す方向なのか」ということですね、月並みですが。まぁ今の職場はそれなりに気に入ってはいます。仕事がうまくできないということもないですし(というかそれは自分で思ってるだけですが)、人間関係も概ね良好でありますし(「概ね」というところがポイント)。が、そもそもこのままこの仕事続けていって、一体何になるのだろうという疑問がここのところ私の中で急浮上してきたのです。私が本来やりたいことというのは、ごくおおざっぱに言ったら「人の心を動かすこと」です。これまではそれが音楽であり、また文章でもありました。では、今の仕事はどうでしょうか。確かにいいもの作ればお客さんは喜んでくれるでしょう。でもそれは所詮「便利なものが手に入った」というレベルのものであり、その人の心に、あるいは人生に、考え方に、影響を与えていくといった類いのものではないと感じてしまうのです。まぁ確かに「便利なもの」の方が実生活には与える影響は大きいでしょう。でも、それが人の心を動かすことはありません。そして、私はその「人の心を動かす」ことがやりたいのです。

 しかし思えば、私が社会に出る時まず考えていたことは「今のまま例えばもの書きを目指すにしても、自分はまだ経験が足りない。実経験なき軽い言葉を追い掛けるのはカッコ悪い」というような理由でまず社会に出たものでした。仮に、今ここで社会というものから一旦外れてみたとしても、結局まだ私が「社会」に対して求めたものは得られていない気がします。これはなかなかのジレンマです。耐え忍ぶべきか、飛び出すべきか。まぁ当面はやはりまだ耐え忍ぶ方が色々な意味で得策なのでしょうが・・・。

2002年4月27日土曜日

2002年4月24日水曜日

かごめ

 ♪かごめかごめ かごの中の鳥はいついつ出やる
  夜明けのばんに 鶴と亀がすべった
  後ろの正面だあれ♪

2002年4月22日月曜日

スランプ

 どうもここ一週間程日記がスランプ気味です。書こうと思ってエディタを開いても、どうにもなかなか文章が浮かんでこないのですね。まぁもちろん以前にもそんなことは何度もあったわけですが、大体が単発かせいぜい二日三日でスランプから立ち直っていたのです。でもここのところ続くスランプは、明らかに過去最大のもので、なかなか抜け出せる兆しも見えてきません。実に困ったものです。なので、とりあえず今日はJohn Bon Joviが曲の歌詞が作れなかった時、「歌詞が作れない」のをテーマに歌詞を作ってしまったという実にエグイ方法を真似て今日の日記を書いてみようと思ったわけです。ですが、なんかやはりグタグタした文章になってしまってますね。Bon Joviは「歌詞が作れない」のをテーマに実に見事な作品を仕上げたものなのですが・・・。まぁ、できないものはできないので、今日はとりあえずここまでにしたいと思います。

2002年4月21日日曜日

眠りの果てに

 日がな一日眠りつづけるのもたまにはまぁ悪くない。悪くないが、結局その夜眠れなくなるのは困りものなのであった。

2002年4月19日金曜日

研究所との仕事

 いや~、疲れますね・・・。何しろここのところ私が相手をしている取引先は研究所なのです。それも私の仕事と同じジャンルの研究所なのです。打ち合わせの際、当然のように飛び交う技術者レベルを半分飛び越え研究者レベルにまで達した用語や思想の応酬に、今日は気付いたら我が社は私、向こうさんもただ一人を残すのみとなり、最後はサシで打ち合わせをしていました。・・・何故だ?しかしまぁ非常にレベルの高い研究所で、色々と学ぶことが多いのは幸いです。

今日の命題:『カゴメの野菜ジュースでごはんはいけるか?』

2002年4月18日木曜日

夢の中で

 はい、そこは三段階のハーモニクスでお願いしまーす(←ってゆーか「三段階のハーモニクス」って何だ!?)。

2002年4月15日月曜日

アサド編『ブエノスアイレスの四季』が弾きたくて

 セルジオ・アサド編の『ブエノスアイレスの夏』が弾きたいなぁと思った。でも、アサド編の『ブエノスアイレスの夏』は譜面を持っていないのです(ちなみに私が学生時代弾いたのはベニーテス編)。以前にアサド編の『ブエノスアイレスの四季』がどうしてもほしくて、国内にはなさげだったので譜面の個人輸入を代行してくれる業者さんに探してもらったりもしたのですが、「弊社と付き合いのある取り扱い店ではその譜面は取り扱っておりません」とのご丁寧な返事をいただき、微妙に腑に落ちないながらも一旦諦めておったのです。でもやっぱり弾きたいなぁと思いつつ、何故か『冬』だけは以前に聖帝殿からいただいたものが手元にあるのでとりあえず『冬』を弾くことにしました。・・・が!めっさ難しいゆーねん(泣)!!! なんかロドリーゴの『パッサカリア』よりも苦戦してます。いや、とりあえず「難しい」というよりは「わかりにくい」のです、運指が。『パッサカリア』は意外にスラスラ解読できたのに、こちらは全然譜読みが進まない・・・。早くも挫折感一杯の中、それでもとりあえず頑張って弾いてみることにします。・・・誰かアサド編の『ブエノスアイレスの四季』持ってないかなぁ・・・、せめて『夏』だけでも。

2002年4月14日日曜日

『こうもり序曲』編曲を前に

 今年の衣笠定演のAアンの曲、ヨハン・シュトラウスの『こうもり序曲』、400小節以上ある長い曲だしそろそろ編曲に手をつけておこうかなと譜面を眺め始めました。眺め始めたのはいいのですが、・・・う~ん、シュールですねぇ(笑)。とりあえずパート分けが難しい。現指揮者殿には「アルト1パートにプライムが1~3の上声下声、それにバスとウッドで」と一旦伝えてはみたものの、そこまで細かくパート分けする曲じゃないような気も少ししつつ、でもわけないと恐ろしく高速な和音の移動が出てきたり。アルトの扱いも問題で、『ブランデンブルグ協奏曲』の時のように完全にアルトをプライムと対等の1パートとするか、あるいは3、4人で高音の補助的な役割に回ってもらうか・・・。前者を選ぶと冗長な気がするし、後者を選ぶと盛り上げどころの高音スケールのパワーが心配。でもアルトなしで演るのはちとつらい。さ~て、どうしましょうかねぇ?現時点で一番可能性が高いパート編成は「アルト*1、プライム*3、バス、ウッド」で、プライムはところによりディビジョン、といったところでしょうか。人数はアルト、プライムは対等で。・・・まぁそれが一番この曲としてまとまる気がするなぁ。また、想定される特殊技術(←オイ!?)として、ピチカート、タッピングハーモニクス、ドブレ、タンゴ・アン・スカイの♪タララタン、タララタンってとこみたいなの(あのamipで一気に下がっていくとこね)といった辺りが挙げられますので、演奏者の皆さんは頭に入れておいてください。あはははは~~~~。

2002年4月11日木曜日

新人さんが来る

 さてさて、新年度に入り当然我がグループにも新人さんが入ってきます。今年は2名の新人さんが配属になり、私ともう一人の同期の仲間がそれぞれ1人ずつ教育担当としてついているわけですが、これがなかなか楽じゃない。Rainbow-Staffや、あるいはクラギタでも後輩の指導という意味では何かと経験を持っているつもりの私ではありますが、それも仕事となると自分の仕事もこれまで通りこなしつつ、なおかつ新人さんの面倒も見なければならないわけで、それがなかなかシュールなのです。いや~、「新人の面倒を見ていたら納期に間に合いませんでした」なんて言い訳にもなりませんからね。まぁまぁ色々なものと折り合いをつけつつやって行きたいと思います。

2002年4月10日水曜日

ラーメン隊『唐そば』

 ラーメン隊出動!今日も会社の帰りにいつもの先輩と3人でラーメンを食べて帰ってきました。ひとつ断わっておきますが、我々はいつも同じラーメン屋に行っているわけではありません。今のところ常に新規開拓で新しいラーメン屋を求めて徘徊しているのです。我々の最大の武器は隊員各々の記憶に刻まれた不確かなラーメンデータベース。「確か◯◯通りと××通りの交差点にあったと思う」とかその程度の記憶をもとに(しかも以前行ったことがあるわけではなく、ネットの地図をおぼろげに思い出しながら)、店の名前すらまともに覚えず、看板のロゴを見て「ああ、あれだあれだ!」と思い出すという激しい不確かぶり。それでもこれまで目的の店が見つからなかったことはないのですから不思議なものです。

 今日の店はこの前日記に書いた『山頭火』と同じトンコツベースのラーメンでした。スープを飲んだ瞬間、結構あからさまにトンコツ特有の匂いがしてくるので「お、こてこて系か!?」と思いきや、実は後に残らず最後まですっきりさっぱり食べられるラーメンでした。メニューも実に男らしく、ラーメンと大盛とおにぎりとゆでたまごしかありません。実に無骨でいい感じです。こだわりを感じます。店の雰囲気も木の振り子時計やアンティークラジオなどが置いてある民俗調の装いがなかなかいい感じです。渋谷の会社から駅までの帰り道にある(といってもいつも帰る道とはルートが違うが)隠れラーメン屋さん。これからもしかしたら結構行くことになるのかもわかりません。ラーメン隊は、渋谷駅から歩いて行ける範囲のおいしいラーメン屋を募集しています。

2002年4月7日日曜日

或る土曜日の日記

 歯医者行って歯に金属詰めて、床屋行って髪切って、家に帰って熱を出しました・・・(泣)。

2002年4月5日金曜日

うむ。

 なんだか微妙に面白いことになってきました。思いつきでビジネスやってていいんでしょうか(笑)。

2002年4月4日木曜日

冷えたチキン

 ふふふ・・・。やられました。今日は日中打ち合わせだホットトラブル(即対応の致命的バグ)だと忙しく、昼飯を食う時間がなかったため先輩ともどもケンタッキーを出前で取りました。が、結局それを食うこともままならず、私がケンタッキーを口にすることができたのは届いてから四時間以上経った夕方五時過ぎ。完全に冷えきったチキンは浮き世のあはれを物語っておりました。しかもそれだけならまだいいのですが、そんな冷えきったチキンを大量に食ったせいか、夜胃が非常に重くて気分が悪くなりとても仕事にならなかったので、やらなければならない残務もそこそこに私はグッタリしながら家路に着きましたとさ。帰ってまず最初にやったことは大正漢方胃腸薬を飲むことでした・・・。やれやれです。

2002年4月2日火曜日

入社して一年

 今日で晴れて私も入社以来一年が過ぎたことになります。そう、今日からフレックスが適用されるのです。ああ、念願の十時出社・・・!これで朝一時間余計に寝られると思うと嬉しくてたまりません。とはいえ新人が正式に配属になるまでは我々二年目が当番制で九時出社のお留守番をしなければならないわけですが、とにかく週三日は十時でもよいことが保証されるわけです。素晴らしいことではありませんか!

2002年4月1日月曜日

華厳の滝参拝

 さてさて、この週末、金曜日にお休みをいただいた私は栃木の山奥に心と体を癒す旅に出ていました。栃木の山奥というと「何処だ!?」って感じですが、要は奥日光です。有名どころはやはり自殺の名所華厳の滝でしょう。というか今回の目的もかつて藤村操があの「厳頭之感」を書きとめ、華厳を見ていた時の心境とはいかなるものだったのかと、自らの目で華厳を眺めてみることでありました。華厳の滝で「万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く不可解」との言葉を残して散っていった藤村操、そして彼に続いた者達は、この滝を見て何を思ったのでしょうか。

 私が華厳の滝を見てまず思ったのは、そういった思惑や感慨とは裏腹に、実に単純かつ世俗的な一言でした。

 ・・・ああ、こりゃ死ねるわ・・・。

 中禅寺湖から流れる水が、いかつい岩壁から水煙となって自らの身をも砕きながら文字通り「叩き付けられるような」感じで透き通った深緑と青の入り交じる水面へと落ちていっているのです。流れ落ちるなんて優しげなものではなく、半ば投げやりに、そして半ば悲しげに、身を投げるようなイメージでした。そして華厳の滝本体の中段くらいにある岩棚からは、小さな滝が十数本(十二滝と呼ばれているそうなのですが十二本なのですかね?)、中央の本流を円陣で囲うように流れているのです。その様は蓮の花を切ってみてみた花弁のようでもありました。正直、思っていた程大きな滝というわけでもなかったのですが、あそこは何かが違いました。敢えて言うなら自然の叡智とでもいうのでしょうか、あるいは偶然の芸術とでもいうのでしょうか、ただ自然が自然としてそこにあるだけで、ああいった不思議な調和の取れた美しい場所ができあがるものなのかと思いましたね。華厳に比べれば正直東照宮など所詮は人の思い上がりといった印象すら受けてしまいます。『眠り猫』は非常に気持ちよさげにみえましたが。皆さんも生きている間に一度は華厳の滝へ足を運んでみることをお薦めします。

厳頭之感

悠々なる哉天襄。遼々なる哉古今。五尺の小躯を以て比大をはからむとす。ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ。万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く”不可解”。我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

藤村操(1903/5/22)

2002年3月27日水曜日

真・謝り侍

 今日、本物の「謝り侍」を見てしまいました。夕方、私と同期の仲間は入社一年目の仕事として割り当てられているゴミ出しを行うべく、不燃ゴミの詰まった袋を両手に抱えて会社のビルのエレベーターに乗りました。私の部署は実は一週間程前に「人数が増えて手狭になってきた」という理由で本社を離れ、近くの雑居ビルのワンフロアに移っていたのですが、他の階には当然他の会社も入っているわけで、エレベーターで見知らぬ人と乗り合わせることはよくあります。そして今回も9Fから下りてきたエレベーターには、何やら偉そうな老人が乗っていました。老人は、傘を杖のようについてマフィア風に少し背を曲げて立ち、しかもさらにマフィア風なことに色の濃いサングラスまでかけています。「何者だ、こやつ!?」と思いつつもエレベーターに乗ると、老人は私の同僚に話しかけてきます。ゴミを抱える我々を見てそれと悟ったのでしょう、「新入社員か?」などと語りかけてきています。そして同僚がそれに対して当たり障りのない受け答えをしています。

 そうこうしているうちにエレベーターが1Fに着きました。我々がゴミ袋を抱えて老人より一歩前にビルを出て、道路の所に出ました。すると、我々と同じくらいの年であろうスーツ姿の男性が、直立不動でじっと前を見据えているのです。我々の後に老人がビルから出てきます。すると、その男性、その老人に向かって突然ガバッと土下座をして、周囲に響く大きな声で「お願いします、教えてください!」と叫んだのです。土下座ですよ、土下座!しかも渋谷の大通りの真ん中で!しかも雨に濡れている道路にスーツ姿で!それはまさにシュールな光景でした。我々はその出来事に凄まじく動揺しつつも、立ち止まって見ているのもバツが悪いので、そそくさとゴミ袋を持って坂の下のゴミ捨て場まで去っていきました。一体あれは何事だと訝りながらも。そして我々が無事ゴミ捨ての任務を終え、また坂を上がってきてみると・・・。なんと、彼はまだ土下座をしたままで道路に臥せっていました!老人の姿はありません。恐らくシカトをくれてとっとと行ってしまったのではないでしょうか。そういえば、私達が今いるビルにはマ◯チ商法の会社が入っていて、そこの社長は恐ろしく気難しい老人だと聞いたことがあります。まさかあの老人がそうなんでしょうか?そして土下座していた彼は、一体何を教えてもらいたかったのでしょうか?謎は深まるばかりです・・・。 

2002年3月26日火曜日

ソメイヨシノ

 ソメイヨシノという桜は、どうやら前々からあったとか品種改良で作られたとか、そういった経緯で存在するものではなく、いつの間にか存在していたものらしいのです。そう、実はヤツは出生不明なのです。なんか気付いたらそこにいて、いつの間にやら増えている謎多きソメイヨシノは、ご存じの通り花は下を向いてうなだれているようにも見える格好で咲くのです。彼は影を背負った出生不明の怪しいヤツだったんですね?

2002年3月25日月曜日

欠落感

 結局のところ、自分が本当に求めているものは何かを探すことが世の中で一番難しいことなのかもしれません。最近感じる妙な欠落感、それは渇きにも似た衝動として私の中で大きくなっています。ですが、一体何が足りないのか、一体何を求めているのか、この焦燥感は何なのか、そういった肝心なことが結局いつもわからないのです。仕事をしていても、本を読んでいても、ボ~ッとしていても、ギターを弾いていても、いつも心の何処かに隙間が開いたように感じる妙な欠落感。少しずつ、しかし確実に大きくなっていって、時に私の精神に大きくのしかかってくる得体の知れない渇き。何が足りないのか、何がいけないのか・・・。段々自分が壊れていくような気すらします。今の私に欠けている決定的な何か、それは一体なんなんでしょう?そしてそれをつかめるのは一体いつの事になるのでしょう?

2002年3月24日日曜日

上京一年

 私がここに引越してきてから、早くも一年が経過しようとしています。う~ん、何だかこの一年、仕事的には結構進歩して、私の技術力はグループ内ではかなり認めてもらえるようにはなったのですが、なんかプライベートの方ではほとんど一年前と何も状況は変わってないという感じです。なんかね~、ぶっちゃけちょっとつまらないっすね。プライベートで一緒に遊びに行ったりする仲間がなかなか増えません。ってゆーか私と仲のよかった人間は次々と会社を去っていってしまいました(苦笑)。ちくしょう、置き去りにしやがって・・・。とりあえず今年の目標はプライベートの充実ですね。本気でギターサークルでも探すかなぁと検討中です。いや、のんびりとギター弾いて本読んで・・・、とだらだら過ごしてるだけの休日というのもたまには悪くないんですが、如何せん私は基本的に動きたがる性分なもので、例えば土日の内土曜にそういう生活をしたとしたら、日曜日にはもうグータラに飽きてつまらなくなってしまっているのですよ。そしてなんとなく精神的にブルーになり、何故か次の段階として思考回路にスイッチが入り、色々なことに関して考えを巡らせた挙げ句、ボ~ッとしながら「う~ん、なんか違うなぁ・・・」とか思ったりするのです。やはりプライベートの充実は大切です。そうでないと休みがストレスにもなりかねません。これはどうにかしなければなりませんでしょう。・・・というわけで只今どのようにプライベートを充実させるかを思案中です。

2002年3月20日水曜日

山頭火を食べて

 仕事帰り、珍しく先輩とラーメンを食って帰ってきました。ちょっと歩いて渋谷で一番人気と呼ばれる店(その店のカップラーメンまでできて売られているらしい)に食べに行ったのですが、いやいや塩ラーメンといいつつどこからどう見てどこからどう味わっても完全にとんこつなラーメンでした(笑)。もちろん味の方はとてもよろしかったわけですが。なんか高田馬場にあるちょっと有名なとんこつラーメンがウリな店(名前忘れた)に味がよく似てました。それよりもっとコクがある感じですが。京都にいる間は「京都にはうまいラーメン屋がない」と嘆きつつ、天下一品でたまに食べる程度だったラーメンですが、こちらに来てからは結構よく食べています。日吉にお気に入りの店があるのが一つの理由、こちらの方が当たり外れはあるにしろやはり京都よりいいラーメン屋さんが多いのがもう一つの理由でしょう。いや、京都にも千本北大路をもっと東に行ったところにある店(名前忘れた)みたいに美味しいラーメン屋さんもあるのですが、そもそも数が少ないですよね。そらあまり食う機会も無くなりますな。ってゆーか、大体は学食で飯は済ませてたし・・・。関西の方だとなんばのコタンって店は好きでしたねー。きよと日本橋に行く度に食べてました。美味しいラーメンというのはどうしてか妙に病みつきになるのが困り者です(?)。

2002年3月18日月曜日

一週間

 さてさて、深夜に家に帰ってきたら鍵が無くなっていて、オートロックの我が家には入るに入れず、仕方ないので漫画喫茶で時間を潰して大屋さんが起きるくらいの時間までたむろしていたりしたこの週末、皆さんは如何お過ごしでしたでしょうか・・・?先週は忌無が我が家に二泊していったり、サン・マイクロシステムズが主催するTech-Days(技術者のお祭り)に単身三日間乗り込んで熱い日々を過ごしたりとしておりました。いや~、Tech-Daysでは色々楽しませてもらいました。と同時に大きなカルチャーショックと希望と絶望を味わってきました。ですがまぁサンの偉い人が壇上から投げたゾウのフィギュアや、某著名技術者が投げたデューク君人形、サンのTシャツなど、デフォルトではもらえないものもたくさんゲットしてきました。しかし俺がどっかのブースに話を聞きに行くと、いつも最初話していた営業担当の人は「ちょっとお待ちください」と引っ込んで、中から技術担当の人が出てきて話を替わるということばかりでした。そんなに突っ込んだ話聞こうとしてたのかな、俺・・・?しかもピアソン・エデュケーション(出版社)のブースで、「ピアソンさんから出てる本でほしいのがあるんですけど置いてないんですねぇ」とか言ってみたら次の日一冊だけ持ってきてくれて取っておいてくれてるし。いやぁ~、ピアソンさんは親切でよかったです。皆さんも技術関連の書籍がほしい時はピアソン・エデュケーションさんをひいきにしてあげてください。

2002年3月11日月曜日

Six Degrees of Inner Turbulence

 今日はシャムシェイドの解散コンサートが武道館であるとかで、machakic及びまりも氏が東京に進出してきていました。その彼らと軽く新宿でCDを漁り、彼らは感動が待ち受けているであろう武道館へ、私は本屋に寄って自宅へと分かれていったわけです。

 今日はざっと6枚のCD(うち2枚組ひとつ含む)を買い込み、総計実に8,000円強の出費だったわけですが、さてさて今日一体私は何を買ってきたのでしょうか。今回の目玉は今でも私が心から素晴らしいと感じるプログレ・メタルの御大DREAM THEATERの新譜『Six Degrees of Inner Turbulence』、私にとって最後のエレキのカリスマであるキコ・ルーレイロが再生させたブラジルのバンドANGRAの新譜『Rebirth』、そして超絶テクニカル・ツインギターを擁するデンマークのバンドNARITAの相当昔のアルバム(ってゆーかNARITA自体結構昔に消え去っていたような・・・)、他です。

 DREAM THEATERは世界でも間違いなく最高峰の演奏力を持った技巧集団なのですが、彼らの凄まじいところはその高い技術と理論を常に止めることなく向上させ、常に新しいものを生み出そうと挑戦し続けていることです。素晴らしいバンドは他にもたくさんありますが、そのほとんどが何処かで立ち止まってしまいます。守りに入るというか、挑戦することを止めてしまうバンドがほとんどです。その中でDREAM THEATERはアルバムを出す度に演奏的にも理論的にも、精神的にもあるいは録音技術などにも、常に新しいレベルへ、次のレベルへと挑戦し続けているのです。もちろんすべてがうまくいっているわけでもなく、「これはちょっと失敗だろ!?」とか「いやいや、やりすぎだから」とか思うのも中にはあったりするのですが、そういったリスクを恐れず、挑むことを彼らはためらわないのです。最高の技術と極限の理論、常に外界も、内面も見つめ続ける精神性、あくなき向上心・・・、彼らのそういったところが私は大好きなのです。今回のアルバムでもノイズの中から遠く響いてくる鐘の音に始まり、彼ら独特のまったく先が読めない展開の中にときまたブローウェルチックな音階までちりばめられるその世界に私はすっかりはめられてしまいました。これからしばらくまた私の中でDREAM THEATERブームが巻き起こりそうです。

2002年3月10日日曜日

2002年3月7日木曜日

我が世誰ぞ常ならん

 風邪をひいて熱があるにも関わらず、何故か昨日も今日も普通に会社にいた。帰りは比較的早いが。今もやはり熱が下がっているわけではないようなので、そろそろ試みに休んでみようかなとは思うけど、不思議と今日も休めない理由があって、明日も休めない理由があったりする。う~ん、シュールだ・・・。

今日の一言:『色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならん』

2002年3月5日火曜日

開放感

 本日納品の仕事のため、先の土日はどういうわけかというかやはりというか普通に出社、有無を言わさず納品に向けての追い込み作業をやっておりました。『祇園精舎の鐘の声が聞こえる』や『露と落ち、露と消えにし我が身かな』、『死に至る病』などと数々の名言(?)を残した今回の開発スケジュールも、とりあえずこれで一段落ついたわけです。そんなわけで私達は今日は久々に仕事を早めに切り上げ、軽く晩飯を皆で食べたりなぞしておりました。そして私はその後「久しぶりにタワーレコードにでも行くか」と思い立ち、夜11時までやっている渋谷のタワレコでショッピングなど堪能してきましたとさ。

2002年3月1日金曜日

システム開発の常

 毎回毎回、何故に開発のスケジュールというのはこうもタイトかつシュールなのだろう・・・?

2002年2月27日水曜日

無明

 今日の一言:『人は真の暗闇を忘れてしまったのかも知れない・・・。』

 真の暗闇を思い出せる場所は清水寺に。行って胎内巡りをしてくることをお薦めしよう。少々人が多すぎるのが難点だが、なに、人など所詮いくら集まろうと光を放ったりはしないのだよ。

2002年2月25日月曜日

ギターと足台

 ふと気付いたこと。というか改めて思い出したこと。いや~、ギターって足台使って弾くとかなり響きが変わるもんですね。ここ数カ月、まともに足台も使わず、ひたすらあぐらかいた格好で弾いてたもんで忘れてました(←オイ!)。まぁまぁやはり基礎練しっかりやるつもりなら足台使ってやった方がいいわなぁ、と久しぶりに使ってみてビックリしました。やっぱこれからちゃんと足台使おう・・・。

2002年2月24日日曜日

パッサカリア譜読み

 ロドリーゴの『パッサカリア』はやはり難しいですな。指を置くだけならまぁ置けるのですが、いやいやつながらないつながらない。こんな曲を平気でスラスラ弾く輩も中にはいるのですから世の中恐ろしいものです。とはいえ、テンポをおそろしくゆっくり弾けば(もともとそんなに速くない曲ですが)、まぁそんなにつっかかるところもない辺り、何故か読譜能力だけは今だ健在というか、むしろ学生の頃より上がっている気もします(昔はあの曲に目を通そうとしてよく譜読みが面倒で挫折していた)。まだまだ譜面を見ながらのんびりと指を置いている状態で、音楽にするどころかとりあえず弾ける状態というのも随分遠い世界なわけですが、まぁまぁいそいで誰かに聴かせるわけでもなく、演奏会などの予定もないわけで、のんびりと弾いていこうかなと思います。いや、やはり弾いてると時にステージが恋しくなったりするのですがね、仕事抱えながらステージに立つ程曲を仕上げる余裕もなければ、そもそも立つステージがないのだから仕方ありません。ん~、部活ってのはいい環境だったんだなぁと思いますね。

2002年2月19日火曜日

過去と現在

 ふと考えた。五年前の自分、これからまさに大学に入ろうとしている頃の自分の目には、今の自分はどう映るのだろう。さらにその一年前、高校を卒業しようとしている頃の自分の目には・・・?考えない方がいいのかもしれない。考えない方がいいのかもしれない。あの頃の自分が何を思い、何を感じていたかなんて、今ではもう確信を持って思い出すことなどできないのだから。そしてそれはよくも悪くも、今では失われてしまったものなのだから。あの頃から色々なものが積み重なってできた今の自分は確固としてここにあろうと、積み重ねではないあの頃の瞬間の自分というものは、今ではもう自分でも思いだせないのだから。

2002年2月18日月曜日

巻き込まれて

 昨日の事です。私は現代ギター社に行こうとしていました。現代ギター社は要町、池袋から地下鉄有楽町線で一駅です。池袋までは渋谷から山手線で20分ばかり。私は電車の中で「さ~て、何があったら買おうかな?」と色々胸弾ませながら時間を過ごしていました。そして私が乗っている山手線が池袋につきます。と、私が池袋のホームに足をつけるかつかないかくらいのとき、私のPHSに着信が入ったのです。見ると、それは会社の先輩からです。そう、土曜出勤で客先に出ているはずの先輩からです。何やら嫌な予感を覚えながら、私はとりあえず電話に出ます。聞くと、案の定客先で見事にトラブっているようなのです。とはいえ、その客先のプログラムは私には基本的に全然関係ないチームが作って納品したもの(使用しているフレームワークは私が使っているものと同じですが)なので、この時点では私はまだそのまま現代ギター社に行く気マンマンで、先輩から事情を聞きながらも足は山手線の改札を出て一路有楽町線の方に向かっていました。・・・が、話を聞いているうちに「う~ん、こりゃ埒があかんな」と思い始めた頃に先輩がこうたずねてきたのです。

「今どこ?」

 私は一瞬正直に答えようかどうか迷いました。今先輩が行っているところは、以前納品直後に原因不明のバグが多発し、その調査のため私も行ったことがあるのです。そしてそこは池袋からわずか3駅くらいしか離れていないのです・・・。とはいえ、嘘をつくのもなんなので私は正直に答えました。「池袋です」と。そして30分後、私は客先のサーバの前で私服でデバッグ作業を行っていましたとさ。ふふふ・・・(諦)。

 そして結局6時くらいまでその客先にいて、それから「確か8時までだったよな~」と私は現代ギター社に行ったとのことです。今回の購入品目はオーガスチン・赤4・5・6弦*2づつ、プロアルテノーマルテンション1・2・3弦*2づつ、山下和仁『ザ・ブルーギター』(CD)でした。う~ん、やはり昔のオーガスチン・青にオーガスチン・リーガルの組み合わせの方が音的には好きなのですが、あの負荷の強い組み合わせは弾く時間が少なくてしかも普段両手をタイピングで酷使している今の私にはちと辛いですね・・・。

2002年2月14日木曜日

不名誉な負傷

 ・・・左手を怪我してしまいました。今私の左手は湿布を張られ、ネットで被われ、端から見るに何とも痛々しげな様相を呈しています。一体私の左手に何が起こったのでしょうか?またギターの弾き過ぎやタイピングのしすぎによる腱鞘炎でしょうか?・・・それならまだ何となくカッコがつくからいいのですが、今回のは実はとても間抜けです。

 事は昨日の朝起こりました。起き抜けです。いつものように朝の私の頭はボ~ッとしています。とはいえ時間は刻一刻と過ぎていきます。あまりの寒さに私の頭は布団から出ることを拒絶しようとしますが、そろそろ出ないことにはマジで会社に間に合わなくなってしまいます。嫌々ながらもゴソゴソ起きだし、歯を磨いて顔洗って、スーツに着替えて準備も完了しました。あとはコートを着て出て行くだけです。私はいつもの黒のロングコートをクロゼットから取り出し、さぁ着ようかとバサッとひるがえすようにコートを背中に回しました。その瞬間です!小さく鈍いゴンッという音とともに、私の左手の甲に激痛が走りました。思わず体の動きも一瞬止まってしまう程の激痛です。そう、開いたクロゼットの扉の角に、左手の甲を通打してしまったのです。左手をまともに握ることすらできないくらいの痛みに耐えつつも、もう家を出ないとマジで遅刻しそうな勢いだったのでそのまま私は駅に向かっていきました。電車の中ではつり革を握ることすらできませんでした。会社でも始終痛みに悩まされ、キーボードを打つ際にも左手は小指以外ほとんどまともに機能しないありさまです。・・・私はほどなく会社の前にある薬局で湿布を購入して手当てをしていました・・・。ああ、間抜けだ・・・。

2002年2月12日火曜日

『指輪物語』発見

 ここのところ三週間程、ひたすら私の心をつかんで離さない物語がありました。それはトールキンの『指輪物語』。HR/HMマニアの中では一際有名な(笑)、ファンタジー文学の金字塔です。二年程前、この『指輪物語』の序章でありトールキンの名を世界に知らしめた名作『ホビット~往きて還りし物語~』の方は新訳が発売され、私は生協にその本が並んでいるのを見た瞬間に購入して面白く読んでいたのです。で、『指輪物語』もずっと読みたい読みたいとは思っていたものの、事実上ずっと絶版状態でまったく手に入らずに今に至っていたのです。が、世は『ハリーポッター』のおかげで空前のファンタジーブーム。そこに目を付けたハリウッドが総力を上げて(半ば突然)『指輪物語』の映画化を始めたのです。そのあおりを受けてか受けないでか、今年に入ってから突然街の本屋にも『指輪物語』が文庫・ハードカバーともに並んで大量に平積みにされるようになったのです。私が『指輪物語』が売られているのを初めて目にしたのは北海道からの帰り、千歳空港内の本屋でしたが、とりあえずそこで第一部の上の1・2を買い、帰ってから会社の近くの本屋で第一部の下の1・2を買い、その週末に日吉の本屋で第二部の上下三冊を買い・・・、と暇を見て読むペースに合わせて第一部から第三部まで総計九冊を購入、ついさっき読破したところなのです。

 いや~、面白かったですよ。きっと『ハリーポッター』よりずっと面白いに違いない。『ハリーポッター』読んでないけど・・・。まぁまぁこれから読もうという人のため、敢えて細かな内容については触れませんが、一つだけ忠告するなら『指輪物語』を読む前にまず『ホビット』を読むべきでしょう。でないと色々な情報の意味がよくわからなかったりするかもしれません。一応『指輪物語』だけ読んでもわかるようにはなっているのですが、『ホビット』を先に読んでおいた方がはるかに面白いでしょう。さぁ、これで明日から多少は仕事に集中できるかな(これまで続きが気になってもうひとつ集中できてなかった・・・)?

2002年2月6日水曜日

天が私を滅ぼすのだ

 先日たっちーと電話で話していた時、私は「人が私を滅ぼすのではない、天が私を滅ぼすのだ」という台詞がふと頭に浮かんできて、それがやけに気に入り意味もなく連呼していました。ですが、その時はそれが誰の言葉かどうしても思い出せず、なんとなく後味悪い気分がしたものでした。が、今、とうとう私はそれが誰の言葉か思い出したのです。そう、項羽です。『項羽と劉邦』の、あの項羽です。一字栄華を極めた彼が、劉邦に滅ぼされようとしているまさに最期の闘いで、わずかに生き残った数十人にも満たない自軍の兵に向かって彼はこう叫ぶのです。

 「私は今まさに滅びようとしている
  だがしかし、それは私の力が劉邦に劣っていたからではない
  天が私を滅ぼすのだ
  果たして誰がそれをとめることができようか」

 そして項羽は自分の力が劉邦に劣っているわけではないことを証明してみせると、自ら先頭を切って数十人の兵で三十万もの大軍に切り込んで行くのです。あまりいいヤツとは言えない項羽ではありますが、この時ばかりはカッコいいのです。

 そして『項羽と劉邦』は、実は『三国志』にも負けない程たくさんの名場面があります。そして名言といえば確実に三国志より上でしょう。先の「人が私を滅ぼすのではない、天が私を滅ぼすのだ」や、劉邦に「武勇では彼にはかなわない」と言わしめた武将、韓信の「恥は一時、大志は一生」など、今でもことわざとして知られる言葉も多くでてくるのです。しかしやはり何といっても『項羽と劉邦』の最大の名場面は、最後項羽が劉邦の群に囲まれ、最愛の虞美人と最後の晩餐を行っている場面から項羽の死まででしょう。完全に劉邦の軍に囲まれた項羽は、その包囲のあらゆる方向から項羽自身の故国である楚の歌が響いてくるのを聞きます。そしてこれが最後のときと悟った彼は、虞に対して詩で問いかけるのです。それが有名な『垓下の歌』であり、『四面楚歌』の由来となります。そして自分の詩に合わせて虞美人が舞うのを見届けた後、項羽は最期の闘いに挑みにでます。「天が私を滅ぼすのだ」と。

『垓下の歌』

力は山を抜き、気は世をおほう
時 利あらず 騅 逝かず
騅の逝かざるを 奈何にせん
虞や虞や 若を奈何にせん

私には、まだ、山を引き抜くほど力があり、私の気概はこの世を覆うばかり
だが、時勢は私に不利であり、愛馬「騅(すい)」も動こうとしない
動こうとしない騅をどうしたらよいだろうか
そして愛する虞よ、お前をどうしたらよいだろうか

2002年2月4日月曜日

休日

 なんだか今日は久しぶりにのんびりした休日を過ごしていた気がします。冷静に考えてみれば、私は今年に入ってからというもの休みは全部会社に出てたり北海道に行ってたり京都に行ってたりで、まともに体を休める機会はほとんどないに等しかったのです。う~ん、ハードだ・・・。まぁまぁとにかく今日はそれで久しぶりに一日家にいて、近くのお気に入りのラーメン屋のラーメンなど食べつつ、たまっていた本も3冊ばかり読破し、ゆらゆらと休息の時は過ぎ去っていったわけです。さ~て、明日からはまた戦だな。

2002年2月3日日曜日

冒険への第一歩

 冒険とは、「冒険に出よう」と思って始めるものではない
 それは、気付いたら巻き込まれているものだ
 そして諦めるように始めるものだ
 周到に計画された冒険は、それはもはや冒険ではない
 ただ何気なく曲がった十字路が、
 二度と戻れないかもしれない冒険の序章となることもある

2002年1月30日水曜日

祭り、危うく

 今日は同グループながら私が入っているところとは違うプロジェクトの方が修羅場を迎え、二人会社に泊まり込んでのプログラミングという事態になってしまったようです。私はその二人になんか悪いなぁと思いながらも渋谷発23:40くらいの電車で家路についたのですが、日吉まであと一駅、元住吉に電車が停まっている時に私のPHSに着信が入りました。見ると、会社に残っているはずの先輩からです。「ゲッ、・・・まさか???」と思いながら私は電話を受けます。すると、・・・案の定というか何というか、私の担当プロジェクトでバグ発生という訃報でした。とりあえず日吉駅に着いてから折り返しますと電話を切り、数分後私は非常にブルーな心境で日吉駅のプラットホームに立ちました。渋谷行きの最終は0:34分。それまでに電話でケリをつけなければ私も泊まり込み部隊に参加です。時計は既に0時を回っていました。さらに悪いことに、なんとPHSの電池がなくなりそうではありませんか。家まで帰って宅電でかけるなど悠長なことをしていては、いざという時最終の渋谷行きに飛び乗ることはできません。私は頭の中で考えられるだけの原因と対処を整理してから会社に電話をかけました。しかし、それらの対策も次々と打ち砕かれていき、私は何度も電話を切っては考えて、折り返し電話をまたかけてはまた切って・・・、ということを繰り替えしていました。時計は既に0:20過ぎ。無事に家のベッドで眠りに就くにはそろそろリミットです。私は祈るような気持ちで何度目かの電話を会社にかけます。電話の向こうでカタカタとキーを打つ音が聞こえます。そしてコンパイルして動作確認。・・・一瞬の間があきます。うまくいってくれと本気で思いました。そして、・・・「あっ、動いた!」、その声が聞こえた瞬間、私の心はどっと安堵に満ちました。時刻は0:30。あと少しでまた電車に乗って渋谷にリターンしなければならない瀬戸際でした。危なかったです。久々に本気で動揺していた自分がいたことにその時初めて気がつきました。いや~、システム開発者たるもの、会社を出ても油断をしてはならないのですね・・・。

2002年1月28日月曜日

尚永ギター合奏団演奏会所感

 さてさて先週は北海道に行ってきましたが、今週はまたも京都に行ってきました。そろそろ金もピンチです(爆)。が、今日はナオエ先生の合奏団の演奏会、とりあえずたっちーや聖帝他、馴染みの者達が居並ぶ大舞台である以上、行かないわけにはいきますまい。そんなこんなで行ってきました。今年の合奏団は、私の私的な見解にしても周囲の評価を聞くも、正直少々レベルが落ちた感があるのは否めませんでしたが、まぁあの合奏団は今が丁度転換期ですからね。これまで先生を中心として年輩の方が核となって学生がちょっとお手伝いといった感じだったのが、今度はもっと若い世代が演奏の核となっていかなければならない、そのシフトチェンジの直中ですから、まぁある一時的にある程度落ちてしまうのもいたしかたないことでしょう。

 私が今回特に気になったのは編曲と楽器構成のアンバランスさ。あの合奏団では基本的にアルトやソプラノがメロディーを弾いているのですが、どうもその使い方ってイマイチなような気がするんですよね。アルトやソプラノは音域が高く、オーケストラとギタオケを対比させるなら音域的にはバイオリンに位置します。が、だからといってギタオケ内でのアルトやソプラノの働きはそのままバイオリンかと言えば決してそうではないと思うのです。というのは、アルトやソプラノはプライムと比べるとどうしても音が細いしキンキンしやすい。そして深みも出しにくい。そんな彼らがメロディーを弾いていると、どうしてもか細く説得力にも迫力にも欠けるように思われてしまうのです。『ブランデンブルグ協奏曲』のような全パートが対等に渡り合う曲ならアルトやソプラノは正確にオーケストラでいうところのバイオリン的な働きをすることができるしそれが正解だとは思うのですが、ポピュラー系の曲でアルトやソプラノがメロディーを弾いてると頼りないことこの上ない。ポピュラー系はおとなしくプライムに主旋律はまかせて、アルトやソプラノは高音のオブリガードや伴奏音に回ってもらうのが基本的に一番いいような気もしました。そして、何より楽器種類使い過ぎ!人数が16人しかいないのにたくさん楽器使ってパートわけしちゃうもんだから、ひとつひとつのパートのダイナミクスが極端に小さい。テュッティの部分はいいにしても、パートが減ると一気にしょぼく聴こえてしまうのです。特にトレモロとか。そしてトレモロの使いどころも問題です。弦楽四重奏とか、原曲でバイオリンやビオラなんかが弓引っ張って音を伸ばしているところは問答無用でトレモロでつないでいたようですが、それもどうかと・・・。トレモロは確かにギターにおいてロングトーンを持続中にダイナミクスを変えていけるほとんど唯一の手法ですが、バイオリン等のロングトーンとは明らかに性質が違う。ロングトーンだからって無理矢理トレモロで伸ばしていっても、それが逆に曲の中で浮いてしまうというのはありがちな話です。そして、全体的に曲をクラシック的というか、上品にこじんまりとまとめすぎのようにも思いました。ギターってのは確かに繊細かつ上品な一面も持っていて、クラシックではむしろそっちが全面に出てきやすい傾向はあるのですが、個人的にはギターってのは本質的にもっと粗野で、ある意味むき出しな情熱を持った楽器のように思うんですよね。その典型がフラメンコでしょうか。ギターは、特に合奏なら何もあそこまで綺麗にまとめようとすることはない、もっとダイナミックにガチンコ勝負でいってみてもいいんじゃないでしょうか。まぁまぁこれらも別に編曲のプロというわけでもない私が勝手に感じたことではありますが・・・。

 とりあえず今日一番頑張っていたのは私の目から見てバスですね。胃痛持ちの俺の後継C技に昔やんちゃした現福祉員さん、お疲れさまでした。プライムはちょっと他と比べて弱かったですね。たっちー、もっとしっかり音出しや(笑)。最後コーヒールンバ、やけにハッスルする先生のコードカッティングは熱かったです・・・。さてさて、合奏団の皆さん、お疲れさまでした。次は先生の人生の記念日となるであろう演奏会、頑張ってもり立てていってください。

2002年1月24日木曜日

ふう、

 今日になってやっとクソ忙しい時期にも終わりの目処が見え始め、ちょっとばかり安堵気味の私です。いや~、新年早々納品で、しかも納品前は年末年始の休みがかぶって追い込みのはずがスッポリ穴があき、おかげでかなりシュールな工程を開幕から今まで続けざるを得ませんでした。そろそろ多少の落ち着きは見せてきたようなので、少しずつ帰りも早くなってくれることでしょう。トラブルさえ起こらなければ・・・。

2002年1月22日火曜日

北海道より帰還

 さてさて北海道より無事帰ってきました。やはり北海道の雪は新潟のそれとは比べ物にならないくらい軽くてさらりとした文字どおりのパウダースノー。そんな中念願のカービングスキーを新たな武器に、『シュプールを描く最速スキーヤー』としての地位を確固たるものとしてきました。他にも色々と楽しい出来事は満載で、語りたい気持ちもマンマンなのですが、如何せんこのクソ修羅場な時期に容赦なく有給をとって旅に出てしまったため、今日などいきなり渋谷発0時3分の電車での帰宅とかなりシュールな目に遭ってしまっていますので、詳細はまた後日ということにさせていただきます。

2002年1月16日水曜日

壊れかけの忙しさ

 おおや~!相変わらず会社に行った日の内に家に帰ることのできないシュールな日々は続いています。しかも風邪までひいてしまって、激しく咳き込みながらキーボードを叩く毎日。しかもこんな状態なのに今週末は会社の先輩方と二泊三日で北海道へスキー旅行。いや、疲れてるゆーねん、休ませろって。まぁまぁ来週中には今の仕事にもカタをつけてみせましょう?

2002年1月14日月曜日

三タテ

 私に三連休という言葉はありません。昨日も今日も、そして明日も、火曜日に納品の仕事に向けて出社です。う~ん、風邪ひいたみたいだし体調悪いし休みたいんだけどな・・・。

2002年1月12日土曜日

やれやれな

 限界バトル、続行中!明日も明日とて会社です。ああ、どうか私に平穏をください・・・。

 そうそう、たっちーが法律事務所に内定をもらったそうですね。おめでとうございます。わざわざハイテンションな電話をありがとうよ(会社で受けた)。

2002年1月10日木曜日

多忙

 来週頭に納品の仕事のため、新年早々フルスロットルな限界バトルを展開しています。昨日も今日も午前様。なかなか因果な仕事ですな。ツッコミどころ満載なBBSのネタに、今はツッコむ気力もなく・・・。あ~もう、三連休なんて何処の国の話だよっ!?

2002年1月7日月曜日

休みが明ける憂鬱

 う~む、明日から仕事か・・・。そう思うと何だか微妙に憂鬱な日曜日の暮れでした。

2002年1月6日日曜日

戦争の夢

 久しぶりに妙に熱く、そして記憶に残る夢を見ました。舞台は私の小・中学校(校舎は違えど同じ敷地でグランドやプールを共有していた)。状況は何だかわからないのですが戦争です。中学校の校舎には北欧系の白人やらアメリカ人やらが陣取っており、お馴染みのアメリカンアーミーな軍服に兵器で彷徨っています。そしてそのグランドを挟んで向いには、現実には存在しない古いコンクリの、中学の校舎より高い建物があってそこには明らかにイスラム系の軍人達(軍人とはいえ概ねビンラディンのような格好をしている)が陣取って闘っていました。

 私はそのイスラム(?)側の兵士として北欧連合(?)と闘っているのですが、その戦闘シーンがやけにリアルで、私が建物の床下(?)で敵方の機銃掃射を爆風を受けながら回避しつつ自動小銃をぶっ放していると、そこにグランドを走って突っ込んできたアメリカ(?)兵が手榴弾を投げ込んできて建物の床が崩れてそれに巻き込まれたたり(そしてここで突然場面が変わる)、今度は我が陣の建物の屋上で中学校の校舎の前に並んでいる敵方のミサイル兵器を破壊すべくライフルを構えていたり。しかし当然その屋上にも敵の攻撃は届くわけで、弾の嵐の中一人また一人と仲間が倒されていくのです。そして「これはヤバイ」という時に、私がいた屋上に新しい兵器の入ったケースが届けられます。中をあけると、それはちょっと大き目の懐中電灯に引き金を付けたようななんともよくわからないものなのです。既に敵の攻撃も激しく、危機も相当なレベルにまで達していた私は「とりあえず引き金があるならそれ引きゃなんかでるだろう」とその得体のしれない兵器を手に取り、敵陣に銃口を向けます。校舎の前に並んだ敵のミサイル舞台の横では、何故だかわかりませんがVo.とGt.、Ba.、Drの四人編成のロックバンドが混乱を煽るかのような激しい音楽を演奏しています。私は本来二階建て木造校舎だったはずの中学校舎に、北欧連合(?)が増築したと思われる三階の部分に向けて引き金を弾きました。すると、懐中電灯の電球の部分から、小さな弾がヒュルルルル・・・と飛んでいき、なんと着弾した瞬間に大爆発、その三階の部分を一発で炎上させ、挙げ句の果てには校舎の向こう側まで吹っ飛ばしてしまったのです。こりゃ凄ぇと思った私は、次に何故か調子よく演奏しているロックバンドを吹っ飛ばし、ミサイル部隊を吹っ飛ばし・・・、としていたところで目が醒めました。いや~、何だったのでしょうこの夢は?

2002年1月5日土曜日

新潟からただいま

 年末年始の帰省を終え、只今横浜の方に帰ってまいりました。まぁ今回の帰省は「休養」がテーマだったので、飲み会も一回だけと私にしてはびっくりするくらい穏やかな日程で五泊六日の行程を終えてきました。

 とはいえ二日にあった飲み会、いつものように五時に新潟駅万代口集合(と言いつついつも何故か駅の横のゲーセンに皆集まる)で始まり、ボーリング~飲み~カラオケ(限りなくオールに近い)~某I氏(ある分野において俺の師匠)邸と続く「遊びの耐久レース」となったわけなのですが、如何せんこの日は雪が凄まじく、五分歩いただけでいつもの黒のロングコートも真っ白に染まり、髪もいかした(?)銀髪に変わり、眼鏡には雪が積もって下手すりゃ凍りつきかけるという恐ろしく新潟の冬な厳しい寒さが身に染みる状況でした。とはいえ一旦移動が終わって屋内に入ってしまえば寒さなど気になるはずもなく、相も変わらず熱い新年の儀が執り行われていたわけです。結局朝四時過ぎまで歌ってたしなぁ・・・。まぁ今こうして下宿に帰ってきて、妙な静かさが寂しくも感じるくらいですね。

 果たしてこの新年の儀、一体いつまで続くことなのでしょう?我々の歳が追い付かなくなるのが先か、あるいは状況が追い付かなくなるのが先か・・・?それとも皆いい年になっても性懲りもなくこの新年の儀はこんなペースで執り行われてしまうのでしょうか?う~ん、まぁありえないとも言い切れないですね(笑)。

2002年1月2日水曜日

賀正

 さてさて新世紀最初の年も明け、何とも中途半端な新世紀二年目の年が始まりました。何はともあれ皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年は私もとうとう大学を卒業し、否応無しに社会という舞台に立たされることとなりました。とりあえず出てみた社会というところの感想は、「厳しいのはそりゃまぁ予想してたし当然だけど、変なところでやけに適当なのはこれでいいのか!?」って感じですね。まぁまぁ学生という立場ではよくも悪くも自分が頑張れば大抵の事はある程度どうにかなったりしますが、社会人というのはどんなに頑張っても報われない一面もあり、また逆にやけに報われているような一面もあり、あるいはどうにも頑張ることすらできない、というか俺が頑張ってどうにかなる問題じゃないような(苦笑)場面・状況もまたありで、色々な意味で勝手が違いますね。とりあえず今年の目標は「世に擦れず、日和らず迎合もせず、且つ立派な一社会人になる」です。それとできればまた藤井敬吾先生のところにも隔月ペースでいいから習いに行きたいですねぇ・・・。まぁそんなこんだで今年も頑張って行きたいと思います。

 さてさて、私は今新潟に帰ってきているのですが、帰ってくるなり近年では珍しく我が家近辺に既に積もっている雪にびっくり(例年は一月末から二月がピーク)。新幹線を降りた瞬間の凍りつく冷気に「やっぱ新潟寒いよ。っていうかこの空気、新潟だよ・・・」と久々の冬の洗礼を受けていました。いや~、今も何げに結構雪が降っているのですが、明日の夜は高校時代の仲間と飲み会(十中八九徹夜)なんですよね・・・。あまり寒いと厳しいなぁ・・・。