2000年6月29日木曜日
独重の後に
2000年6月27日火曜日
独重前夜と定演の選曲
さて、私はというと現在定演のソロで弾く曲の選曲に非常に困っています。バッハの『シャコンヌ』もロドリーゴの『パッサカリア』も企画部長に構成上の理由から却下され、さて何を弾こう?と一ヶ月くらい色々な譜面を見て片っ端からCDを聴いて買って探しているのですが、「これ」と思うものがなかなか・・・。『シャコンヌ』か『パッサカリア』なら曲調的になんぼ難しくても誰を敵に回してもオ-ラで勝てる自信があるのになぁ・・・。『ブエノスアイレスの冬』はギタ-独奏アレンジだと異様にしょぼいか難しいって話で、しかも譜面が見つからない。『アディオス・ノニーニョ』もBOXにあるアレンジはとてもしょぼくて、いいアレンジのヤツは存在は知っているが譜面が手に入らない。ヴィラ=ロボスの『エチュード第六番』はもう暗譜してあれはあれで気に入ってるけど、あれで定演のステージに立とうとは思わないし、『黒いデカメロン』は見事に挫折・・・。ああ、俺は一体何を弾けばいいのだ!?誰か暗くて重くて綺麗でしかも盛り上がる曲知ってたら教えてください。
2000年6月25日日曜日
木村大とベトベトのリュック
そう、一昨日アンドリュ-・ヨ-ク&木村大のコンサ-トに行ってきたのですが、これもなかなかよかったですよ。まぁ『バ-デンジャズ組曲』の一番の盛り上がりのところで鳴る携帯の着メロ等に悩まされはしましたが。あれは最悪だった・・・。まぁギタリストとしての格はやはりヨークより木村大の方が上ですかね。おかげでヴィラ=ロボスの『エチュード6番』がやけに気に入って、昨日ちょっと弾いてみてなんやわけのわからん和音があったので今日合奏団の練習の後先生に教えてもらったりする熱の入れようです。ヨークと木村大がデュオで演奏した『サンバースト』はなかなか貴重なものを聴かせていただきました。まぁこのコンサートもちゃんと録音しておいて、しかも録音も手馴れたものになってきてライブ盤と考えるなら相当の高音質で録れているので興味のある方は私まで。お貸しします。
そして昨日は飲み会の後のちょっとしたトラブルでいつものリュックがベトベトになってしまったので、意を決してリュックを洗いました。そのまま洗濯機にかけました(爆)。無事きれいに洗い上がりましたが、リュックを直接洗濯機にかけるのも私くらいなものでしょう。おかげでこのリュックもまたひとつ経験値を上げることができたに違いありません。なにしろ私と共に数々の修羅場をくぐり抜けてきたばかりか、車に轢かれること数回、就職活動で社長や重役の目にさらされること数回、挙げ句の果てに主人に置き去りにされて広島まで一人旅をして無事に帰還し、そして今回は洗濯機です。きっとヤツはリュックとしては破格の経験値を持っているに違いありません。FFでたとえるならバックアタックでも敵に容赦なく4ケタ台のダメージを与えるくらいの屈強のウォリアーであるに相違ないでしょう。大したものです。
そう、実に一年以上ぶりに心のヒットチャート更新しておきました。随分古い曲も目立ちますが、それは私が相変わらず日本の音楽シーンに疎いせいです。気にしたら負けなのです。
2000年6月22日木曜日
Headache-Blue
2000年6月21日水曜日
独重回想
・・・おお、壊れてます、壊れてます!!!!! そう言えば私は独重の前日には異常に高まったテンションからか、心の中に破壊神が降臨してゴミ捨て場にBOXに置いてあった角材持っていって片っ端からゴミをクラッシュしたりしていたのでした。腱鞘炎で手が震えて、まともに練習ができない日もありました。懐かしいですね。当日は朝寝坊して慌てていったら生ゴミの袋に自転車ごと突っ込み、最後トリで『シャコンヌ』弾く前ステージに立った時は緊張のあまり「このまま弾き出したらつぶれる!!!!!」と思いいつもの眉間に指を置くあのポーズをとって必至で精神統一していたんだった・・・。う~ん、やはり独重クラスの大きな演奏会になると想いも一層ですなぁ。一回の頃先輩が独重でステージに立ってるのが妙にカッコよく思えて、しかもその時の執行部は実力的にも凄いものがあり伝説的な演奏をいくつも残したものだから、私も自分が執行部として出る独重で伝説を作ってやろうと密かに思い続けて去年のステージを迎えたわけですからね。そして私の中では去年の演奏会では伝説が作れたと思っています。特に『シャコンヌ』は会心の演奏でした。弾いてて運動なんかで物凄く調子がいい時なんかに起きるような、時が膨張して静止に近く感じられる世界の中、通常では考えられないような思考の早さと集中力が未来を先取りするように適確に音をとらえていくあの感覚が演奏している時にありましたから。あれは本当に気持ちいいんですよね、弾いてて。脳内麻薬がオーバードースとも思えるくらいに出てるのが感じられます。トリップです。自家製トリップです。麻薬です。そら気持ちいいっちゅーねん。またあんな感覚を味わいたいものです。
2000年6月20日火曜日
内定者歓迎会
内定者歓迎会でしたたか酒を飲まされ、「なに、9時16分の新幹線なんて乗り過ごしても10時のヤツで名古屋までは行けるさ」とかなり無茶苦茶なことを某グループ長殿に言われながらウィスキーを勧められつつも私は無事京都に帰れる最終ののぞみに乗ることができたわけですが、米原を過ぎて「さて、もうすぐ京都だな」と荷物の整理を始めた頃に、それまで順調に走っていた新幹線がピタと動きを止めたのです。「ぬぅ・・・」と思って窓の外を眺めていると、現在の状況についての車内放送が入ってきます。曰く「前を走るひかりのドアが走行中に開き、その車内点検のためにひかりが走行を停止しています」。しかも京都駅と私が乗っていたのぞみとの間にはそのトラブったひかりを含め3台の新幹線が立ち往生しているとのこと。その時点で時刻はおよそ11時40分。山陰線の最終は0時3分です。コイツはもしかしたらタクシーか!? という考えが私の頭をよぎりました。やれやれです。本来なら11時33分に京都駅に着いていたハズなのに・・・。しかしそんなことを言ってみてもどうにもならないので、とりあえず私は待ちました。某KIYOなどにメールなど打ちながら。そしてやっと新幹線は動きだし、その低速走行の途中で某KIYO他が在住の『エリートナカノ』の存在を捕捉して私は無事(?)京都駅に辿り着きました。その時およそ0時10分。新幹線の改札を出る時駅員さんに「山陰線まだ残ってますかね?」と尋ねたところ、まだ待ってくれているらしかったので「ソイツは結構」と無事余計な金を使わずに帰宅することができました。しかし冷静に考えれば朝6時に京都駅を出て深夜0時のお帰りというのも結構たいがいなものです。さすがにちょいと疲れました。
なお、内定者歓迎立食パーティーのメニューで、デザートのマンゴーらしき怪しい果物がいたく気に入った私は並列で陳列されていたメロンやスイカ、オレンジ等には目もくれず一人でマンゴー(らしきもの)をいくつもバクバクと食って周りの人間に奇異な目で見られていたことを付け加えておきます。その時周りにいた人達に説明したことをまた述べるなら、「あっさりした中にも微妙に残るまったり感と適度な甘酸っぱさ」がたまらなかったのです。
2000年6月18日日曜日
胃が・・・
2000年6月17日土曜日
意外性に富んだ2回生会
そう、今日はリンクを3件追加。友人・知人の欄です。今回は弟が参加している『100みかん計画』のサイトも追加。そこで随分壊れた日記を書いているのがヤツです。やばい、壊れ具合で負けている可能性もあるぞ・・・.私もちょっと頑張って壊れる必要がありますね?
2000年6月15日木曜日
反転眼鏡でアルペジオ
2000年6月14日水曜日
2000年6月13日火曜日
音楽認知科学ア・ラ・カルト
まず哲学的視点からあるのは、音楽の絶対的な意味内在性を主張する絶対主義、それに対して音楽の内在的な形式の他に聴き手の概念、行為、情動、性格等を参照する形で何らかの音楽世界以外の要素を取り込んだ形で音楽の意味は形成されるという参照主義があります。前者は音楽にはその形式なり音列、和声の群自体が例えば明るく楽しいとか静かで寂しいとかの意味を絶対的に持ち、それ故音楽の持つ意味が聴き手の印象を完全に左右するのであり聴き手の心象が音楽にフィ-ドバックされる形で投影されるものではないという立場。後者は音楽の構造的な意味以外にも聴き手の心象等の音楽の外の世界の影響が音楽に反映されて音楽の意味が決まるという立場です。また、「形式主義」と「表現主義」という視点もまた別の見方としてあり、前者は聴き手は音楽の形式やパターンといった音符的、符合的な面を聴き手として評価する立場であり、後者は音楽を情動を表現する手段として聴く立場です。まぁこれはレポートとかではないのでこれ以上は突っ込みませんが、音楽認知や音楽心理といった分野ではこのようなことも熱く議論されているわけです。ちなみに私の意見は参照的表現主義の立場に近いのですが皆さんはどうでしょう?ちょっと考えてみると面白いかもわかりませんよ。
他によく扱われるのは発達心理学的な視点。音楽を認知したり演奏するのが発達、上達していく過程はどうなっているのかを研究する分野です。ま、おきまりというかでよくあるのは音楽の才能は生まれつきのものか、生後発達していくのかというもの。あるいは音程を覚えていったり、調整を判断できるようになる(長調と短調の違いとか)発達の過程とか。他にはちょっとメインストリームとは異なるのですがこの分野で私が強く興味を弾かれるものとして音楽性の発達についての研究なんかもあったりします。これは音大生が主な研究の対象で、音大生は特に音楽性というものが自分のアイデンティティに直結する問題だけによく見つめ、研究しているからある面では凄く参考になります。幼い頃、楽器はやっていなかったが音楽好きの親が常にかけていた音楽が音楽性のルーツになっていたり、親の仕事の都合で海外を転々として西洋音楽から民族音楽まであらゆる分野の音楽に直で触れたのがよい音楽性につながっていたり、あるいは学業、友人関係、恋愛、その他人生経験というものが音楽性のルーツであり、どういう生き方をしているか、何を願っているかがそれだという人がいたり、様々です。逆に音楽性が乏しいのを生育環境に由来する性格のためと分析する人がいたり、訓練によって音楽性が身に付けられないかと苦悩する人もいたり・・・。音大生にとっては死活問題だけに真剣です。私は、そりゃ音大生とはレベルの違うものだとはわかってはいますが、自分のスタイルというか音楽性についてははっきりしたものを持っているし武器にできていると思っています。が、そのルーツはというと、どうなんでしょう?幼い頃親が「3才を過ぎるまではバッハとモーツァルト以外の音楽は聴かせない」と息巻いていたせいでしょうか?(←マジでそうだったらしい)それとも・・・? ある一人の音大生の言葉を借りたいと思います。
『あの人らしい演奏だったね』と、らしいと感じさせるものが音楽性なのだと思います。普段、その人がどういうことを考えているか、どういう生き方をしているか、また願っているか、そういうすべてのものが音楽を通して現れてくるのだと思います。演奏の中に自然にでてくるもの、その人自身、その人そのものが音楽性なのだと考えています。
まぁ幼年期の環境も重要ではあるのでしょうが。
で、他にある分野は本格的に「認知」って感じのものですね。旋律や調整、リズムやタイミングをどのように人は『音楽』として認知しているのかという分野です。実験、実証の難しい音楽認知の分野の中では比較的実験がやりやすい分野ですね。音楽は進行するうちに「次はこうなるだろう」という期待や、その期待が裏切られた時の緊張の繰り返しによって音楽となるというようなことを実証していく分野です。人は音の列から調整を無意識のうちに音楽的まとまりとして認識しているとか、音楽の熟練者とただの機械による譜面の演奏のタイミングや区切りなんかの微妙な違いから、いわゆる名演奏者はそうでない演奏者と何がどう違うのかを検証してみたり。これも面白いです。
前にも書きましたが、音楽認知の理論を自分の演奏に取り入れてみたり、逆に時分の音楽との関わりの中の経験を音楽認知の勉強に役立てたりと、一石二鳥なやり方をしているのです。
2000年6月12日月曜日
2000年6月11日日曜日
神戸フィルハーモニック第40回定期演奏会 with 福田進一
福田進一氏を客演に迎えてのアランフェスは、第一楽章でまだ手が暖まっていなかったのか早いパッセージを福田氏がしくってごまかして逃げるという一場面もあり実にヒヤヒヤしました。一回ラッパ音間違えましたしね。しかも素人でもわかるような外し方・・・。あれはないでしょう?ソリストの実力は言うまでもなく、神戸フィルもなかなかレベルの高いオーケストラだとは思うのですが、この第一楽章はちょいと息が合わなかったようです。ギターとオケの音量バランスが悪かったのも聴いててちょっとどうかと思いましたね。しかし何故かMDで録音してきたのを今聴いてると、音量バランスも含めてとても聴きやすくなっているのです。一体何ででしょう。第二楽章はイントロのジャラ~ン、ジャラ~ンの音色がとても暖かく深みのある音なのに感動しましたが、いかんせん一番の盛り上がりであるギターをジャカジャカ鳴らしてオケがドンッ!ってやるあそこがちょいとずれたのが痛い。やはりギターから指揮者が見えないような配置になっていたのは問題ありでしょう。しかしメチャッ早なカデンツァや最後の終始などでは福田氏の技量や音色の豊かさを堪能させてもらいました。そして第三楽章ではギターもオケも完全に調子を取り戻し、文句のつけようのないくらいの演奏に。始めからそれでやってくれよ、って感じですね。そしてアランフェスが終わった後、福田氏がアンコール(?)としてソロで『アルハンブラ宮殿の思い出』を弾いてくれたのですが、これがまた綺麗かつ表情豊かな音色とトレモロで最高でした。藤井敬吾氏のもよかったですが、これもまた・・・!!!!! たまりませんね。
今回のコンサートも例によってMDに録音してあります。しかも録音状態も極めて良好、MDの方が生より綺麗に聴こえるくらいで、もう編集も済んですんなり聴けるようになってます。興味のある方は私まで。
2000年6月10日土曜日
何故か充満する実存主義
ちなみに次に流行るのはおそらくカフカの『変身』でしょう。私も読むつもりでいましたし、なんとみっしぇりーも既にえいどりあんから借用済みです。その次はサキかな?ああ、恐い恐い。
2000年6月7日水曜日
京都ギター連盟定演に向けて
しかしですね、今日ギタ連定演の曲紹介用紙をもらってきたのですが、それの記入事項に趣味とか好きな言葉ってのがあるのは何なんでしょう?しんちゃんの話によればその項目で理事が最終の出演者の決定をするとかしないとか?どこまで本気かわかりませんが、とりあえず真面目に好きな言葉とか書いてもつまらないので、ここは一つ狙っていくことにします。というわけで、
今日の言葉:君達のいる場所は三千年前に既に通過している!
2000年6月6日火曜日
あるOBとの出会い
昨年も1、2回日記に書いたことですが、そこら辺を探せば「自分も昔はギターを弾いていたよ」という人には案外多くお目にかかれます。が、弾き続けている人というのは比率にしてみたらとても少ないのです。それで私も社会人になって忙しくなったらギターもあんまり弾けなくなるのかな、それなら今やっていることは一体何なんだろうという思いに駆られることがままあるのです。実際就職先も決まり、やることが見えてきてその大変さも見えてくると、その不安はさらに強まってきます。言うまでもないことかも知れませんが私はギターが好きです。音楽が好きです。しかし好きというだけでは時間や環境はどうにもならない。その時間や環境に押しながされる形で私も世間にたくさんいる「昔はやっていたよ」のクチになってしまうのかなと思ってしまいます。けれど、土曜日に会った方のように35年、仕事に就いてからもギターを弾き続けているという人に会えるととても勇気付けられます。仕事は忙しいかもしれないけど、それでも弾いていけるという自身が持ててきます。先日喫茶『アルハンブラ』で上田英治夫妻とお話していた時もコンピュータの仕事をやりながらギターを弾き続けている人の話をお聞きできました。私が習いに行っている先生は「昔の教え子が演奏会に来てくれて、一時期は忙しくてあまりギターは弾けなかったけど最近はまた余裕が出てきて本格的に始めたと報告してくれたりするととても嬉しい。私はギターを一生楽しんでもらいたいんですよ」とこの前のレッスンの時話しておられました。「演奏会は華々しいですけど一瞬ですよね。でもギターを楽しめるのはその一瞬だけではないのです」とも。
やっぱりギターの音色は年をとっても魅力的なものであると思いますし、何よりも音楽を奏でられるということそのものが心を満たしてくれるようにも思います。色々不安はありますが、やはり私は一生弾き続けていきたいと思っていますし、実際弾き続けている方に会えるとその思いは一層強まります。そして私もいつかキャンパスかどこかで後輩に会えた時、一生弾き続けられるギターの魅力とその可能性を少しでも伝えてあげられたらいいなと思います。BKCでお会いした方とはほんの偶然の出会いでしたが、そんな偶然から凄く励まされたように感じられる。不思議ですよね、出会いというものは。
2000年6月5日月曜日
最近(珍しく)観るTV
しかし、そんな私でも最近楽しみにしている番組が二つあります。上記のように私は元々テレビを見る方ではありませんので、私が毎週テレビ番組をチェックするなんて恐らく中学の時の『渡る世間は鬼ばかり』以来でしょう。で、その私が楽しみにしている番組とは土曜の夕方6時からやっている『六番目の小夜子』、日曜の夜9時からやっている『サラリーマン金太郎2』です。両方とも相変わらず私の嫌いな日本番組の俳優の演技のわざとらしさは残るのですが、『小夜子』はリングの影響を明らかに受けつつも話の作り方がうまくて毎回続きを楽しみにさせてくれるし、NHK教育なので番組途中にCMが入らないのも魅力です。『サラ金』はまぁヤングジャンプで漫画読んでる延長ですか。原作とは筋が違ってて結構面白いです。