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2013年7月14日日曜日

木下大サーカス

 人生初、サーカスというものに行ってきた。一応名目は子供が喜ぶかなというものだけど、実は自分もサーカスは観たことがないので密かに楽しみにしていた。今回新潟にサーカスが来たのは8年ぶり。大体およそ10年ごとにしか来ないということなので、まぁせっかくならという思いもあった。

 で、実際に行ってみるとこれが楽しい。本格的なオープンの前から男女ペアのピエロが出てきて、大きなバルーンを客席に投げてキャッチボール(?)をしてウォームアップ的に観客をかまってくれる。いざ始まると、大音響のBGMと、次々息をつく間もなく展開されるショーの連続で、あっという間に時間が過ぎていく感じだった。子供らも結構はしゃいでいて、特にシマウマやキリンが出てきた時なんて下の子は飛び上がって大喜びしていた。上の子も空中ブランコなど楽しそうに眺めていて、ゾウが二本足で立って(おしっこを漏らしながら)歩いてくる姿に悲鳴を上げながら笑ったり、わかりやすい面白さは子供にも大人にも楽しいものだなと。

 やっぱり上手なのがショーのつなぎ方で、下で芸をやっている間に次の空中ショーの準備をしたり、大規模な舞台転換が必要な間は冒頭に出てきた二人のピエロがコントかまして、その間に用意をしたり。とにかくうまいこと観客の視線・注意を転換が必要な部分から逸らした上で静かに準備を進めて、ハラハラや笑いが途絶えないように細心の注意が払われているのです。これは観客の側の心理まで含めて、よく考えられているなぁと。

 総じて、あれは楽しいものですね。子供はもちろん、大人まで、観ている人を飽きさせないよう細部まで工夫が凝らされたエンターテインメント。子供騙しで終わらない、ファンタスティックな妙技と演出で、ピエロの笑いも含めて堪能できました。新潟の片隅に組み上げられたテントの中という一時的で限定された空間で、二時間だけ現れる非日常の夢の国。難しいことは全部忘れて、ただ楽しめばいいというその時間・空間は実に祝祭的で、いいものだなと思いました。次に来るのは、また10年後くらいなんでしょうかね???

2012年11月9日金曜日

茂木健一郎氏 寺子屋授業@大島中学校

 本日、ご近所の大島中学校で茂木健一郎氏を招いて中学生と小学5・6年生相手に寺子屋授業が行われていたので、地元の一般参観として聴講させてもらいました。お客様が「こんなイベントあるよ」と教えてくれたので、市民の一般参観もあるとのことだし潜り込めるだろうと行ってきました。大島中学校の卒業生では、もちろんないんですが(笑)。

 形式は最初と最後の10分くらいずつを茂木氏が一人で話し、残りは校長先生と生徒を交えての質問コーナー。茂木氏に次々と壇上に引っ張り出され、地元のテレビカメラの前でムチャぶりに対応を迫られる小中学生達はとてもいい経験になったことでしょう。茂木氏に言わせると、こうしたプレッシャーのかかる状況で精一杯対応するということも、挑戦して克服したという脳のドーパミンが出る要素なんだとか。

 今回は小中学生相手のお話でしたので難しい話題は出てきませんでしたが、一つ参考になったのは集中力について。集中力というのは瞬発力が大事で、ダラダラしているところから一瞬でトップギアまで入れることが集中力を発揮するためにはいいということ。宿屋で新撰組に突然襲われた坂本竜馬の気持ちで目の前のことに一瞬で集中力をトップギアに入れて取りかかれと。またそうすることで、集中するための力も鍛えられていくそうです。集中すると決めたら一気にトップギア。これは自分も覚えておきたいなと思いました。

 とはいえここだけの話、茂木健一郎氏は「アハ体験」とか、「~は脳にいい」「~で脳が活性化する」とか言い始める前の方が好きだったりはするのですが。クオリアについて語る認知科学者であった頃は、あの小難しい認知科学の世界をよくこんなに平易に、面白く本にできるものだと感心していたものです。そして小説『プロセス・アイ』がなにげに面白い。

 今回は進行も細かく決めていたわけではなさそうで、大分アドリブが垣間見えるフリーダムな講演会。茂木氏は小中学生相手に終始ジョークを交え、生徒たちを会話の中に入れながら進めていき、どちらかというと聴いていてためになるというよりは、普通に楽しい講演会でした。大島中学校の今の校長先生が凄く茂木氏を尊敬しているみたいですね。それで自分の世界の見方を変えてくれた茂木氏を、子供たちのために招聘しようと頑張ったみたいです。その行動力には感服します。校長先生も外国人講師の方も茂木氏も仰っていた、この2本の川と果樹に囲まれた大島という地域に誇りを持っていってほしい言葉。やはり自分の育った環境をしっかり見つめ、誇りを持つというのは、ひいては自分の足元も固め、周囲を愛し、地元を、国を愛するためにまず大事なんだなと感じました。

 突然飛び込んだ講演会、茂木健一郎氏の話を生で聴けたというのもそうですし、色々と楽しい時間でした。今日この寺小屋授業に参加した小中学生たちはいいですね。校長先生が一生懸命にこういう場を用意してくれるというのは、実はとても幸せでありがたいこと。大島中学校、頑張ってください。

2012年6月25日月曜日

きよふく、結婚式

 去る6月23日、クラギタの盟友きよふくがとうとう結婚式を挙げた。思えば彼との出会いは一回生の時、4月のクラギタ新歓演奏会。当時軽音に入ってエレキの帝王になる気マンマンだった自分だが、たまたま見た軽音の新歓ライヴのレベルの低さに絶望し、身の振り方を考えていた時だった。何故かは覚えていないが二日酔いで一日クラクラしていたその日、清心館の教室の黒板の端に板書してあった「クラシックギター部新歓演奏会 本日」みたいな宣伝がやけに頭に残り、夕方帰り際に演奏会会場に気まぐれで立ち寄ったのだ。そこで出会ったのがきよふくだった。

 演奏会場に入ると、もう演奏会は終わって写真撮影をするところだった。演奏など一曲も聴いていない自分も何故か撮影の列に加わったわけだが、そこでたまたま隣にいたのがきよふくだった。何を話したのか、その場で盛り上がった自分は、そのままきよふくの下宿に遊びに行き、そこで彼の高校時代のギター部のVTRを見せられる。それが自分とクラシックギターとの"本格的な"出会いだった。これは凄いと、素直にそう思った。彼の母校、松坂商業高校は当時ギター合奏で栄華を誇り、100人を超える部員に全国連覇のクオリティをもって、海外へ演奏旅行にも出かけていた。いきなり、その鮮烈な映像を見せられたわけだ。そこから、自分のクラシックギター部での人生が始まった。当のきよふくは、高校時代の部活との落差が落胆につながったのか、大学の一回生の頃はあまり部活に熱心ではなかったのだが(笑)。

 その後数々の思い出が彼とはあるわけだけど、そんなきよふくもとうとう結婚。のざてっちゃんと共に結婚式に出席させてもらって、自分も万感の思いで一杯でした。またのざてっちゃんが本当に自分のことのように、自分のこと以上にきよふくの結婚を喜んでいるのがとても印象的。長い時間をかけて親密な空気をゆっくりと過ごした披露宴、素晴らしいものでした。

 思えば、大学時代からきよふくの言葉の端々には自分の家族をとても大切に思う気持ちが感じられた。今回、奥さんとはもちろん初めてお会いしたわけだが、その紹介や言葉を聴いていると、奥さんもまた同じように、とても家族を大切にしている人なんだなと感じた。恐らくはその大切な価値観が深いところで共有できたからこそ、結婚というところまであの慎重なきよふくが辿り着いたのだなと、そのように感じた。とてもお似合いな二人。そう思うと、やっぱり素直に嬉しい。

 新郎・新譜とも友人は二人ずつしか呼んでいなかったので、披露宴の後にいわゆる二次会はナシ。代わりに、キムとシノが披露宴が行われた津まで駆けつけてくれ、きよふくも含めて5人で飲み直した。こうして飲んでいると大学卒業後10数年の時なんてあっという間に埋まる。もちろん少し太ったとか、白髪がおか、生え際がとか、そんな小さな諸々はそれぞれあるけれど、飲んで話していると結局皆、お互いあの頃と変わってないなぁという話になり、昔のこと、今のこと、これからのこと、大切なこともどうでもいいことも、色々な話に花が咲く。今は遠く離れてしまっていても、普段はそれほど頻繁に接する機会はなくても、やはり大学時代という貴重な時間を一緒に駆け抜けた仲間というのはいいものだなと思う。会うのは本当に久しぶりでも、気を使うでもなく本音で話せる。今回はきよふくが結婚式という形で仲間が何人か集まる機会を作ってくれたけど、たまにはこのように集まるのも素敵だなと、その時皆で話していた。何年かに一回、クラギタ同窓会でもやるかと。実現するかどうかはわからないが(というかこのままだと実現しなさそうだが)、小さいなりに夢のある話だ。

 改めて、きよふく、ご結婚おめでとうございます。自分の大学時代の過ごし方に、あるいはその後の人生にも、とても大きな影響を与えてくれたきよふくの結婚式に、のざてっちゃんと共に出席できたのはとても光栄だし、嬉しかったです。奥さんとどうぞ、お幸せに。人生のパートナーを得て今後も一層の努力とともに未来を目指すきよふくに、こちらもいつでも胸を張って会えるよう顔を上げて生きていくさ。また何かの機会に楽しい酒を飲みましょう。See Ya!

2012年3月19日月曜日

にいがた酒の陣 2012

 というわけで行ってまいりました、にいがた酒の陣2012。新潟県内90の酒蔵が朱鷺メッセに集い、試飲料2000円のみで各蔵自信の銘柄を複数飲むことができる酒飲み垂涎のイベント。昨年・一昨年は店の展示会とかぶり、なおかつ昨年は震災のため開催中止となったため、私クラスの酒好きが新潟に戻ってきたにも関わらず、今回が初参加となります。酒の陣会場ではたくさんの銘柄を飲んだので正直全部は覚えていないのですが、普段飲んでいるお気に入り(久須美酒造や緑川酒造等)、プレイベントで発掘した雪椿酒造の『越乃雪椿』の他に、特に印象に残ったものをいくつか。

 やはりさすがと感じたのは雪中梅。新潟としては甘口な高級酒として有名な銘柄でもありますが、上品な甘みと飲みやすさ、飲みごたえ、全てを満たしており、これだけたくさんの銘柄を飲んだ中でも味が映えておりました。越後伝衛門の『純米吟醸生酒あらばしり』等も酸味がありフルーティーな味わいがなかなか新鮮でした。そしてダークホースが三条・福顔酒造の『ウイスキー樽で熟 成させた日本酒』。たくさん飲んだ上に酔っぱらってしまいよく覚えていませんが、とにかくこれが美味しかったのだけは覚えております(笑)。

 10万人を超える動員があったらしいにいがた酒の陣2012、人ゴミも凄まじかったですが、あそこはまさに酒飲みのユートピアでした。また来年も行きたいものです(笑)。

2011年10月10日月曜日

クラシックギター部50周年に寄せて

 私が大学時代に素晴らしい時間を過ごした立命館大学クラシックギター部が創立50周年に当たるということで、昨日10月9日、それを記念するイベント『xA惰・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』が梅小路公園の緑の館イベント室で開かれていました。まぁクラギタ創設50周年のイベントで、何故に部全体ではなくフラメンコ技術部による主催なのか、じゃあクラシック技術部どうした!? 的な思いは少々あるものの、あまり細かいところは敢えて突っ込まずに(笑)。50周年という節目にこういった大きなイベントを開く元気がクラギタにあることは素直に嬉しく感じますし、昨日のイベントにも行きたかったのですが会場は当然京都。今自分は新潟に在住なので、なかなか気軽にお出かけするわけにもいかず、少し羨ましい気持ちともに新潟から眺めていました。

 それでも「せめて」と、当日にかつてのクラギタの機関誌『六弦』が復刻・配布されるということで、そこに向けてささやかながら一筆寄稿をさせてもらいました。昨日、無事にイベントも終わったとのことですので、その寄稿文をこの雑記帳でも公開したいと思います。

『ギター、音楽とともに』

1999年度クラシック技術部長 小林 歩

 この度は素晴らしい時間を過ごした思い出深きクラシックギター部が同好会発足より50周年を迎えるということ、おめでとうございます。やはり自分が大切な時間を過ごしたこの部が、順調に発展して長い歴史を創り上げていっているということは、OBの身としても純粋に喜ばしいことです。その喜ばしさにまかせて今こうして六弦への寄稿を書こうとしているわけですが、もう卒業して10年にもなる私の今の、ギター、あるいは音楽に対する思い、そしてその大学時代から変化について、自分への確認の意味も含めて書いていきたいと思います。

 今あらためて思い返してみると、我ながらクラギタでの活動は非常に一生懸命にやっていました。毎日BOX412に通い、一日何時間もギターを弾いて、定演のためにAアン用の合奏曲をオーケストラ譜から自分で編曲したりして、とにかくギター漬け、音楽漬けの日々を過ごしていました。もちろんそれが苦行などではなく、やって楽しいからこそやっていたわけで、素晴らしい仲間達に囲まれていたこともあり、非常に充実した大学生活を送っていたと思います。ですが、だからこそ、当時思い悩むことがありました。

 それは自分が社会人になった後のことについての悩みでした。今自分はこうして一生懸命ギターの練習をして頑張っているけれど、社会人になって仕事が忙しくなってくると、やはりギターを弾く時間というのはなくなってくるのだろうか、それならば今自分がやっていることに何か意味があるんだろうかという悩みでした。確かに、探せば「自分も昔はギターを弾いていたよ」という人には案外多くお目にかかれます。が、弾き続けている人というのは比率にしてみたらとても少ないのです。ですので、就職活動が始まり、大学から社会への出口がいよいよ実感されるようになってくるとこの悩みはより一層大きくなって行きました。今自分がやっていることは一体何なのだろうと。社会人になってギターが弾けなくなるのなら、今やっていることは結局すべてムダになるのではないかと。

 そんな最中、私が4回生の6月のことでした、たまたまBKCに行っている時に、あるクラギタのOBの方にお会いしました。その方は当時で25年ほど前(だから今から35年くらい前でしょうか?)に立命のクラギタでコンサートマスターをやっていた方で、たまたま仕事でBKCに来て、ギターを弾いている私をみかけたので声をかけてきてくれたというのです。その方は大学卒業後もずっと自分のためだけに演奏し続けているそうで、ギターから発展してリュートや特注の10弦ギターも弾いているそうです。卒業後もずっと、ギターを楽しんで弾き続けておられるその方から名刺をいただき、私も付箋に名前やメールアドレスを書いて交換させてもらいました。後日、その方からすぐにメールをいただきました。その中に、「どうか一生ギターを弾き続けていただければと思います」と書かれていたのを読んで、当時なんだか嬉しくなったのを覚えています。卒業後25年も経っても、ずっとギターを弾き続けて楽しんでいる人がOBの方の中に実際にいらっしゃるのだとわかり、とても元気づけられました。

 そして卒業の時が来て、私は当時のブログの中で「一生ギターを弾き続けてみせましょう。うまいとか下手とかはどうでもいいから。」と宣言しました。ギターに費やしたたくさんの時間を無駄にしないためには、やはりBKCでお会いしたOBの方のように、仕事をしながらでも、細く長く続けていくことだというのが当時の自分の解答でした。

 そして今、卒業してちょうど10年が経っています。現状を正直にお話しすると、仕事が忙しいこともあり、さらに子供が生まれてからは家にいても子供と過ごす時間が増えてきたこともあり、現時点でほぼ3年、ギターをまったく弾いていないブランクが空いています。でも、今はそれでもいいかなと思っています。学生時代の自分には怒られるでしょうが、ギターを仕事として生きていくわけではない以上、やはり人生のステージにおいてギターの優先度を下げなければいけない時期があるということが、今になり実感としてわかるからです。それでも、ギターを一生懸命弾いているうちに音楽がさらに好きになり、そしてギターを通し音楽について、表現についてより深く考えたおかげで、音楽を聴く際にもより深く聴けるようになりました。だから今、ギターを直接弾きはしないけれど、音楽を聴くことをクラギタ以前と比べてより深く、より大きく楽しめています。これだけでも、クラギタで音楽に深くかかわり続けた日々は無駄ではなかったのだと思います。

 とはいえ、このままもうギターを弾くつもりがないのかと問われれば、当然そんなつもりもありません。もう少し仕事や子育てに余裕が出てきたら、その時はまた、少しずつギターを弾いていきたいなと思っています。そして、音楽を聴く喜びとはまた少し違った、自分で奏でる喜びをささやかにかみしめていけたらと思うのです。大学時代師事していた尚永先生が「昔の教え子が演奏会に来てくれて、一時期は忙しくてあまりギターは弾けなかったけど、最近はまた余裕が出てきて本格的に始めたと報告してくれたりするととても嬉しい。私はギターを一生楽しんでもらいたいんですよ」といつかのレッスンで話しておられました。「演奏会は華々しいですけど一瞬ですよね。でも、ギターを楽しめるのはその一瞬だけではないのです」とも。今あらためて胸に響きます。だから皆さん、うまいへたもいいけれど、是非ギターをずっと楽しんでください。弾く楽しみ、聴く楽しみなど、楽しみ方は色々あるでしょう。その楽しみを生涯の友とできたら、クラシックギター部で過ごした時間はとても有意義なものだったと言えるのではないでしょうか。OB/OGの方々の中にも、私と同じように今はギターを弾くことから遠ざかっている方もいらっしゃるかと思います。今弾くことから遠ざかっているならば、聴く楽しみを、そして、また少しずつでも、弾く楽しみを。様々なライフステージにおいて、楽しみ方は変わる時もあるでしょう。せっかくクラシックギター部にいたのです。一生、ギターを楽しんでいきましょう。

2008年3月3日月曜日

初節句

 一日ばかり早いが、3月3日は桃の節句。ウチの娘にとっては初節句だ。年度末の煽りで少々忙しい仕事を無理矢理休んで、3月1日~3日は三連休としてゆっくりお祝いをすることにした。2月はやたらと休日出勤が多かったが、それ以前に2007年12月に休日出勤があったのでその日付で代休申請を出したら「2005年9月分が残っているのでそちらから消化してください」と総務から差し戻された。2005年9月!覚えてねーよ!以前にも似たようなことがあったが、一体代休はあとどのくらい残っているのだろうか・・・?

 というわけで娘の初節句だ。3月はウチの両親も妻の両親も仕事が忙しくて横浜まで出ては来れないので、とりあえず家族3人だけでのんびりとお祝いをすることにした。それでというわけではないのだが、まず昨日は大倉山公園の梅林にちょっとお花見へ。ちょうど見頃の梅の花は、種類ごとに微妙に色合いの違う白梅・紅梅織り混ざって、少しばかりまだ肌寒い春先の空気をやや謙虚に、それでもやはり艶やかに染め上げてくれていました。梅の花は桜ほど爛漫と咲き乱れるわけではなく、しっとりとおとなしい、どちらかというと慎み深い咲き方をしますが、その控えめな美しさがまた悪くないと、そう思うわけです。大倉山公園の池の中には、おそらく冬眠から覚めたばかりであろうウシガエル達が一杯いて、それを子供達が見て楽しんでいました。小さい男の子達の間ではウシガエルがつかめるかどうかが度胸試しみたいになってましたね。なかなか、微笑ましかったです。まぁ田舎育ちでしかもカエル好きで、あらゆる種類のカエルをつかまえて自由研究までやった私としてはウシガエルはかわいいものです。もちろん、余裕でつかめます。まぁ、さすがにその場では子供達に混ざってカエルを追いかけ回すようなことはしませんでしたが(笑)。ちょっとカエルを見てテンション上がってしまいました。

 そして今日は写真館で記念撮影です。妻は結婚する時に祖母からプレゼントされた着物を着て、娘はかわいい袴を着て、私はいつものダークスーツ(ただしクリーニングしたて)に祖父の形見としていただいてきた白いネクタイを締めて、日吉の写真館で3人で初節句の記念写真を撮ってもらってきました。しかし撮影現場にて、肝心の娘が見事に大泣き。せっかくの撮影なのに着いたとたんに泣き始めて、一人で撮影用の椅子に座らせようものなら怪獣のように泣き叫んでしまって目も当てられません。写真館の人が一生懸命デンデン太鼓やぬいぐるみであやしてくれて、たまに一瞬気を引かれて泣き止んだりするのですが、結局すぐにまた大泣き。娘一人の写真では泣き叫んでいるシーンか、なんとか泣き止んでいるものでも涙目で目にも頬にも涙が残っている顔しか撮影できませんでした(苦笑)。いやー、なかなか、難しい・・・。

 さてさて、明日はまだ一日代休です。やたらと休日作業が多くて二日続けた休みが一回も取れなかった2月でしたし、3月もまぁまだ仕事が落ち着いたわけではないのですが、とりあえず娘の初節句、そんな時くらいは忙しい仕事のことも忘れてのんびりと家族で過ごしたいなと思うわけです。まぁ、そういった矢先からなんですが、明日は客先に電話一本入れなきゃ行けなかったりするわけですが・・・。

2007年2月12日月曜日

弟の結婚式

 昨年7月に自分が結婚式を挙げたばかりですが、今日は大阪にて弟の結婚式が行なわれました。お相手は弟が以前勤めていた会社で知り合った方で、非常に明るくて活発で行動的な、いい意味で大阪人らしい女性です。ウチの両親も言ってますし本人達も認めていますが、実に夫婦で正確がよく似ています。二人とも仕事が忙しいですが、きっとその中でも明るい家庭を築いていってくれるのではないでしょうか。

 まぁ式の次第は友人達の出し物の歌あり、二人の出会いのDVDありと、予定より一時間半も押すほど色々なイベントがあったわけですが、とりあえず思ったのはアイツはアイツでいい仲間達に囲まれてここまでやってきたんだなということ。結婚式というのはある意味でそれまでの人のつながりの総まとめです。そこを見れば二人がどんな人達とどんな付き合いをしてきたかが、まぁ何となくは大体わかる。仕事関係の人も多い披露宴でしたが、若く、明るく前向きな人達ばかりのあの席は、堅苦しさもない暖かい空気を醸していました。そしてその人達が一様にまた、新郎・新婦を式場での社交辞令ではなく、本当に公私とも大切に思っている。そんなことが伝わってきました。だから皆が色々なことをやろうとして、結果イベントを詰め込みすぎになって時間が押してしまったのでしょう。ま、仕方ありますまい(笑)。

 二次会が終わって帰る前、新婦の弟さんとその婚約者さんに挨拶だけしてから駅に戻ろうと思っていた私は会場の外で立って待っていました。そうすると、弟の会社に勤め始めたばかりだという人と、これから勤めることになったという若い二人が「お兄さんですよね?」と話しかけてきます。どうやら心から弟の仕事っぷりに感心しているようで、その熱い語りっぷりは聞いていて私まで嬉しくなりました。下の人間からの心からの賛辞は、上の人間がそれをやるのと違って、現場で肌で体感した上でないと出てきません。だから逆に重みがあります。実践を由来とした信頼があります。話を聞きながら、「うん、大したもんだ」と思ったものです。両親はいまだに弟のことを非常に心配しますが(何しろ小さい頃のアイツは大変だったので・・・)、まぁそれは親の仕事としていいとして、私としてはいつの間にか頼れる弟ができていたのだなということを実感する一日でした。まぁ頼れるからといって実際に頼るかどうかは別問題なわけですが(笑)。

 お互いにお互いを守り、助けていこうという強い思いを持つ二人。あの二人のことなので相手のことだけを考えて自分のことは考えないなんてこともないのでしょうし、当然自分のことも考えなきゃいけないわけですが、でもそれ以上に最後は相手のことを考えることができる優しい二人だと思います。どうぞお幸せに。そして、これからも長いお付き合いになりますがよろしくお願いします。

2006年7月24日月曜日

結婚式当日 - 儀

 ぐっすり眠ったとはいえそもそも睡眠時間が短くて寝不足なまま迎えた結婚式の朝。昨晩の激しい雨を受けて湿った空気の中、朝7時前の嵐山をギターを持って歩きました。本当はオルゴール博物館に行く途中でコンビニを見つけて朝食を買っていきたかったのですが、なんと朝の嵐山には開いているコンビニがありません。前々から会場の担当の方に「当時は必ず朝ご飯は食べてきてください。そうでないと保ちませんから」と何度も釘を刺されていたにも関わらず、結局当日の私の朝ご飯は自動販売機で買った野菜ジュースのみでした。・・・ま、いつものことだし大丈夫だろう、と。こちとら朝から水も飲まずに24時過ぎまで仕事して、超空きっ腹のところにいきなり赤ワインとか入ったりする生活してるんだから。そう、自分を納得させて演奏のリハーサルをし、式の衣装に着替えてリハーサルをこなしていきました。

 しかしちょっと驚いたのは式の前、まだ来賓の皆さんが来場する前に行われるアルバム向けの写真撮影。会場直属のカメラマンが撮影してくれるわけですが、ここにきてこういうポーズを決めてくれとか、もっとこんな表情でとか、まるでグラビア撮影でもしているかのように色々注文が飛んできます。いやー、こういうものなんだなぁと思いながらポーズを決めていましたとさ。

 いよいよ式が始まります。控え室で妻の姉と妹に続き三度目のエスコートながらやはり緊張している様子のお義父さんとお話をし、ギャツビーのフェイシャルペーパーで二人で顔を拭いたりしながら出番を待ちます。ここに来るまで緊張感というもののあまりなかった私ですが、まぁさすがに式本番が近づいてくるにつれ緊張くらいはしてきます。そんな中開式直前になって会場の方からきよとmachakicとMaza-hが来てないが来場を待って式の開始を遅らせるかどうかといった打診があって、それぞれに連絡を取ってみたり、なかなか、式の直前までドタバタしてながら時が過ぎていきました。すると、そしていよいよ出番の声がかかります。

 式は、意外とあっさりと始まりました。新郎は最初一人で出て行き、新婦が父にエスコートされて入場するのを待つことになるわけですが、控え室を出たらもう袖で待機などする暇もなく行っていいと言われ、「え、もう出て行くの?」くらいの感じで、集中力を高める猶予もなくサラッと送り出されます。そのちょっと肩すかしを喰ったような気分から抜け出せず、緊張を集中に変えるきっかけもつかめないまま、僕らのミスター・オートマタが開式の旨を告げます。リハーサルの通りに前へ出て行きコインを受け取り、ディスク・オルゴールにコインを投入します。中からカタンと機械が傾く音が聞こえ、一瞬の間をおいて曲が流れ始めます。J.S.Bashの平均律クラヴィア曲集第1巻の最初のプレリュード。その最初の数音が鳴るのを確認して私は祭壇の前のバージンロード中央に移動します。お義父さんが妻をエスコートして、オルゴール特有の柔らかく澄んだ響きの音楽が空間を包む中ゆっくりとこちらにやってきます。向き合って一礼をし、お義父さんから私へ妻が渡される際、小さな声で「よろしく頼むよ」と言われました。緊張やら何やらですぐに何と応えていいのかわからず、笑いながら(それも笑いになっていたのかどうか自分ではよくわかりませんが)「はい」とだけ返しました。この時に限らず、実は式の間は緊張の中、ただ一回だけリハーサルしただけの手順を思い出しながら如何に間違えずにスマートに行動するかというので結構一杯一杯でした(苦笑)。

 式は進み、二人で誓いの言葉を読み上げます。妻は、泣きそうになっていました。実は、私はリハーサルの際少し泣きそうになったのですが、本番では油断せずに心を強く持っていたのでここは大丈夫でした。いやいや私の涙は意外性があり過ぎて絵にならんでしょうということで。そして二人で選んだ誓いのオルゴールを向かい合ってはさんで、その上でMaza-hに作ってもらった指輪を(作成者本人不在の中)交換し、オルゴールの蓋を閉じることで誓いをオルゴールの中に封印します。ギド・リュージュ社の職人の手によるハンドメイド・オルゴール。式の中ではこのオルゴール自身をならす機会はありませんでしたが、曲は3アレンジ入っている『カノン』です。このオルゴール博物館でのウェディングならではのハイライトです。リハーサルの際「できるだけゆっくり」と指示されていたのでそのようにしていたのですが、妻は案外あっさりパタンと閉めてくれました(苦笑)。ま、いいでしょう。そして二人と両の母親が結婚証明所に署名をし、それを来賓の皆様に披露して祝福を受け、式次第は終わります。退場する中、親戚や友人から「おめでとう」と祝福され、これまでの人生の色々な場所で出会った人達が今同じ場所にいることに違和感と幸福を感じながら、式は無事に終わりました。とりあえず、ほっと一息です。

 今回は式と披露宴の間に妻の髪型のチェンジがあるので、その間をメッセージカードの記入とスライド上演で時間を稼ぐ寸法だったわけですが、その空いた時間の中でBGMとして流しておいたブランデンブルグ協奏曲第3番第1楽章と同第6番第3楽章を聴きながら、一仕事終えた充足の中と集中力の仕切り直しを図っていたわけです。空腹と緊張で少し頭がボーッとしていますが、ここで疲れている場合ではありません。何しろ三次会まで、長い一日はまだ始まったばかりなのです。


2006年7月23日日曜日

結婚式前夜

 早いもので、ちょうど結婚式から一週間が経とうとしています。このまま詳細を書かずに流してしまおうという考えもちょいとあったのですが、さすがに一生に一度のイベントでそれもなんなので、今改めて書いておこうと思います。まずは、結婚式前夜のことから。

 とりあえず京都出発前夜である金曜日、私は結婚指輪を作ってくれたアクセサリー職人Maza-hと渋谷で飲んでいました。彼は23時新宿発の夜行バスで京都に向かう前です。そんなお互い京都に向けての出発の直前に何故また渋谷で飲んでいたかというと、それは作ってもらった結婚指輪を受け取るためです。こともあろうに指輪の制作依頼を彼に正式にしたのが式の一ヶ月ちょい前くらいとかなりギリギリで、それからさらにデザインを決めて、指輪の裏に入る名前を私と妻と自分達で掘るのはいいけれど、その作業と名前を彫刻後の指輪の型の返送がまた指定期日ギリギリになったりと、そんなことをしていたら完成が出発前夜になってしまったわけです。なにしろMaza-hが考えてきてくれた10くらいのデザイン案をすべて尻目に、妻が「こんなのがいい」と言い始める顛末までありました(苦笑)。当時W杯でアルゼンチンとメキシコの調子が良くなかったらMaza-hの機嫌が危ないところでした(?)。まぁ毎度のことながらドタバタとして時間がない中素晴らしいものを作ってくれたMaza-h、ありがとうございました。

 ちなみにこれが今回作ってもらった私達の結婚指輪です。お互いのイニシャルであるA.K.とK.K.をデザインし、2つ合わせるとA.K.とK.K.両方のイニシャルが出来上がるというコンセプトです。

Maza-h作成結婚指輪

 そしてMaza-hと別れて帰宅した後は、二次会のBGM用のCDの編集やら何やら色々とやっていたらあっという間に朝方4時。10時25分新横浜発の新幹線に乗るので、残りの準備を考えると翌朝7時過ぎには起きなければなりません。そんな感じで睡眠時間3時間程度(ここ数週間はずっと仕事と式の準備で休みの日ですら長くて5時間しか寝てない感じ)のふらふらした状態で、たくさんの荷物とギターを持って新横浜へ向かいました。

 新横浜で新幹線に乗ると、新潟から東京駅経由で出てきた両親と父方、母方のおじさん・おばさんと合流します。話すとなると随分久し振りな人もいて、小さい頃は遊んでもらったなとか思いながら普段同時に揃うことのない親戚の顔を見ながら眠気と闘うのも結婚式ならではのイベントです(?)。そして京都に着き、親戚と一緒に嵐山の宿まで行って荷物を置き、オルゴール博物館がみんな見たいというので担当の人に電話を入れて、中を見せてもらうようにお願いして皆を誘導してから私は一人で嵐山から京都駅に戻ります。今回来てもらう中では唯一の小学生時代私が新飯田に転校して以来の長い友人であるTakeshiと合流するためです。

 京都駅で久し振りにあった彼は相変わらずで、夜行で朝6時過ぎに京都に着いて暇だったの、なんと徒歩で京都駅→八坂さん→六波羅蜜寺→清水寺→京都駅と午前中に回ってきたとか!何気に京都を堪能し過ぎです(爆)。まぁ何気にそんなことをしれっとやってしまうのも彼らしいと言えば彼らしいのですが。

 そしてこの後、この日最大のイベントが始まります。そう、ウェルカムボード騒動です。ウェルカムボードは弟を通じて知り合ったイラストレーターのサトウヒロシ氏に作成をお願いしていました。指輪もドタバタでしたが、なんとこちらも凄まじくドタバタ。私が京都に行く新幹線に乗ってる間にイラストが上がって、それを弟が印刷にかけに走って、私が京都でイラストを入れる額とマットを買いに走るという、そんな素敵な〆切間際の魔術師っぷり。腹を空かせて早くしろと急かす母親を尻目に(笑)、オルゴール館に私が額を、弟とそのフィアンセさんがイラストを持ち込んで、その場でイラストのサイズを調整して額に入れて、やっと完成したのが夕方19時頃。いやー、大変でした。でも出来上がってみるとこれが実にいい感じ。オルゴール館の担当の方も驚き、式の当日もかなりの好評をいただいたこのウェルカムボード、今では私達の部屋の玄関にぬいぐるみ達を前に従えて飾られています。サトウヒロシ氏、実は結構難産だったそうですが忙しい中素敵なイラストを描いていただきありがとうございました。

サトウヒロシ氏作成ウェルカムボード

 その後は宿に戻って親戚の皆さんと近況や仕事の話等しながらゆっくり夕食を取り、弟と新潟の友人達が泊まっている新阪急ホテルを襲撃し、私は23時までに宿に戻らなければいけなかったので23時に新阪急ホテルを後にしました(爆)。しかしそこから電車がいいのがなかったのでタクシーで嵐山まで戻ったのですが、いやいや凄まじい雨に降られました。祇園祭の宵山は雨が降るものらしいですが、タクシーの窓から景色がほとんど見えなくなる程の豪雨はなかなかです。そしてその後は宿で少し親と話をし、部屋に戻って一人になってから伯父から結婚祝いにいただいたモンブランの万年筆を早速使って披露宴の中で読み上げる両親への手紙を書き、気付いたら深夜2時半になっていました。結婚式当日は朝7時会場入り。ということは6時起きです。睡眠不足は、解消されないまま結婚式だなぁ等と思いつつ、さすがに数週間続く寝不足は緊張にも勝り、わずかな睡眠時間は意外にもぐっすり眠れたとのことです。そのようにして、私の結婚式前夜は過ぎていきました。


2006年7月18日火曜日

My Orgel Wedding

 昨日7月16日、京都嵐山オルゴール博物館にて、とうとう私も結婚式を行ないました。まずは当日ご列席いただいた皆さん、ありがとうございました。今回は本当に関西圏を始め新潟から東京から富山から三重から愛知から佐賀から広島から愛媛から、二次会ではさらに岐阜から静岡から福島から岡山から、色々と遠いところからもお集まりいただきまして感謝しています。式の次第がどうこういう以前に中学、高校、大学時代のそれぞれの友人達と一度に話せるという機会はまぁ当然あるものではなく、それだけでもかなり楽しかったです。それは下手したら一生に一度の機会かもわからないことですしね。ちょっとした人生の友人総決算って感じです。自分でやっている分には客観的なところはわからないものですが、客席に座っている皆様にはどのような式として映ったのでしょうか。

 とりあえず今はまだ詳細を書くには整理ができていないので今日は控えめに書くに留めますが、やはり一生に一度のイベント、なかなか心に去来するものはたくさんありました。両親、友人、そして妻と、思えばいろいろな人に支えられてこれまで生きてきたものだなと。うーん、色々、語りたいのですがやはり今はまだ語れないようです。また、今度。

2005年11月14日月曜日

富山初上陸

 この週末は金曜に代休を取り、友人ハバネロの結婚式のため二泊三日で富山に行っていました。これまで新潟と京都を行き来する際に通過することはあっても駅の改札をくぐることはなかった富山。代休を取ったはずなのに仕事の電話に追いかけ回されたり何だりかんだりで、前日の21時前にやっと富山に着きました。新幹線で越後湯沢まで出てそこから特急はくたか。はくたか、意外に混んでました(泣)。ともあれ何とか無事富山初上陸を果たし、雨の中明日の新郎と富山駅前の『Giraffe』という店で0時くらいまで相変わらずなアンダーグラウンドないしはサブカルチャー的な話題に花を咲かせ、初日の夜は過ぎて行きました。

 さて、結婚式当日です。結婚式と言っても何しろ今回は新郎が新郎だけに(?)、どんな式になるのか興味津々なところでしたが、結果から言えば実に彼らしい、フォーマルな流れの中でもいい具合に肩の力が抜けたいい結婚式だったと思います。ハウス系の式場のテラスでの人前式から、写真撮影、新郎ウェルカムスピーチ、上司による主賓挨拶、スライドショー、お色直し、シャンパンサービス、余興、バースデイベアー、お父さん挨拶、新郎締めの挨拶、と流れだけ見ると実に一般的で割と形式張ってそうな進行の中、全然硬さを感じない暖かな空気でゆったりと式を楽しめたのが素晴らしい。まぁ、新郎・新婦の人柄なのでしょう。

 何しろ新郎頑張り過ぎです(笑)。ラスボスからザコキャラ、果ては隠れキャラまで全部一人でやっちゃってました。そりゃもうスライムからバラモス、ゾーマ、果てはマスタートンベリまで。あらゆる場面で出てきました。余談ではありますが、私はマスタートンベリ大好きです。式が開始する前、控え室で友人と待っていたらそこにいきなり普段と同じ調子で緊張感もなく現れる新郎。1階の控え室から3階の挙式場までの移動の際、2階に立って「こちらになります」と皆を誘導する新郎。この時点で挙式前に既にやり過ぎです(笑)。人前式では入場から指輪交換、宣誓、誓いのキスなど、一つ一つの動作を照れくさそうにさらっとこなしてしまう姿が「らしいなぁ」と思いつつも印象的でした。入場の時、笑って立ち止まってましたからね。なかなかそんな新郎いません。式が始まったら始まったで最初のウェルカムスピーチも最後のスピーチも全部新郎やってるし、15kgの巨大シャンパンのシャンパンサービスも頑張ってるし。スライドショーで新婦の小さい頃の写真を一枚だけ左右逆にしておいて、「指摘される前に気付いていたら大したものだ」とのたまったあのくだりはさすがでした。何にしろ、随所で独特のユーモアを交えながら出席者に触れ合う新郎の気配りが肩肘張らないいい空気を作っていたのでしょう。それこそ大したものです。

 そして今回、私は余興で『11月のある日』を弾いたわけですが、実はあの時思ったより酔いが回ってました(苦笑)。んー、多分直前にシャンパンサービスでいただいたシャンパンを急いで飲んで調弦に向かったせいなんでしょうが、紹介されて前に出たときは何か結構ほんわかきてました。二年半ぶりのステージはさすがにちょっと緊張しましたが、その辺りはまぁまぁその酔いがうまいこと緩和してくれたかなという感じです。何しろ大事な友人の結婚式で変な演奏して空気をまずくするわけにはいかないので、その意味での緊張も正直あったのです。まぁ演奏自体は調子のいい時の私特有の「ミスには気付いて気付かぬフリ」の開き直りっぷりが炸裂し、往年の集中力も出ていたので弾いてて結構気持ちよかったです。酔いが回ってた分、多少勢いで押してしまった感はありますが(苦笑)。聴く限りでは評判もなかなかよかったようで、新郎・新婦のために披露宴に軽く一花添えられたなら嬉しいところです。個人的には帰り際代行タクシーに乗り込む際、披露宴でずっとピアノの生演奏でBGMをしていたピアニストの人がわざわざ「ギターの演奏素敵でした」と声をかけてくれたのが嬉しかったです。そして何よりも新郎が繰り返し伝えてくれた感謝の言葉はやはり、「うん、弾いてよかった」と素直に思わせてくれるものです。

 さてさて、そしてこれも新郎がすべてセットアップした(爆)二次会・三次会ですが、久々に見る高校の仲間やほとんど初対面気分(!?)の高校の仲間、新郎の大学時代の部活の仲間等と盛り上がりながら富山の夜は更けて行きました。三次会では大学弓道部の方達が主体で我々高校組は少数派だったこともあり、半ば強引に仲間に入りにいった感もありますが、まぁまぁそれもまた一興でしょう。なかなか楽しいカラオケでした。そして一夜明け、高校の仲間と富山城を散策した後、ホルモンラーメンとやらを試みに食して13:59発のはくたか13号にて富山を去って行きました。普通にモツ煮として食べてもおいしいホルモンラーメン、結構いけてました。

 さてさて、今回の結婚式はなかなか参考になりました。とりあえず「これはいただき」という点をいくつか挙げると、

・乾杯のシャンパンはどうせならおいしい方がよい
・場の空気なんて新郎のたたずまい一つで何とでも変わる
・あくせくイベントを続けるよりは人と話した方がよい
・小さなユーモア忘れるべからず

 といったところでしょうか。二次会・三次会まで新郎がセットアップするのはさすがにやり過ぎかと(笑)。

 新婚旅行、ペルーにナスカの地上絵を見に行くとのことですが、是非楽しんできてください。最近某元大統領のおかげで反日感情が強まっているらしいので気をつけて。ペルーだとフォルクローレの本場でもありますので、是非音楽も合わせて楽しんできてください。

 それでは末永くお幸せに。よい結婚式でした。楽しい時を過ごさせてもらいましたよ。

2005年9月11日日曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- キッコロゴンドラ/シンガポール館/そして、帰路

 イギリス館を出てそろそろいい加減疲れきっていた私達は、ロシア館の何だか昭和を感じさせるレトロなペイントがされているパビリオンに少々の興味を抱きつつ、もはやその列に並ぶ気力がなかったので一路キッコロゴンドラに乗るためゴンドラ北駅へ向かいます。それに乗ればこのリニモからかなり離れたところにあるグローバル・コモン4から一気に入り口近くのゴンドラ南駅までワープできるはずです。ゴンドラの混み具合はまぁそこそこ。5分くらい待てば乗れる感じです。列に並んでチケットを買い、子供連れの夫婦と相乗りになる形でゴンドラに乗り込みました。

 キッコロゴンドラはそのかわいいネーミングに似合わず非常に初動速度の早いゴンドラで、扉が閉まったなと思うと一気にグンと加速してトップスピードに乗ってしまいます。それがまた結構早いのです。ゴンドラ北駅を一気に抜け出して、もう完全に夜空に変わった万博会場の上空へ。なかなか爽快です。このキッコロゴンドラは森林体験ゾーンの上を通る時間が長い関係上、前半はあまり灯のある景色が目立ちません。遠くに見える各パビリオンの灯が夜景として見えるだけで、都会の夜景程きらびやかではないのです。このゴンドラはもしかしたら夕暮れの頃に沈み行く太陽を眺めながら乗るのが一番きれいかもしれません。

 そしてゴンドラも終着に近づき、愛・地球広場の上に差しかかろうとした時です。地上が異様な雰囲気に包まれていることに気がつきました。下の愛・地球広場がギッシリと人で埋め尽くされ、ステージではライブが行われています。「誰だ?」とスクリーンに映し出される姿を見てみるとそれは南こうせつです。後で知ったことですが、この日は南こうせつがトワイライト・コンサートということでこの愛・地球広場で歌っていたのです。そしてそこに集まった観客数は3,000人。ちょっと凄い光景でした。このキッコロ・ゴンドラはまさにその会場となっている愛・地球広場の真上を通過していきます。3,000人の真上を。ざわめく3,000人の聴衆を足下に眺めながら、上からステージを見る。なかなか体験できる光景ではありません。コンサート会場の熱気と眼下に広がる3,000人の聴衆を見ながら、何だか妙に高揚感を覚えたりしました。なかなかいい風景でした。

 そしてゴンドラ南駅に着いた後は、一応企業パビリオンも回ったように見せかけておくかというコンセプトの下、トヨタ館の前で記念撮影。写真だけは残しておきました。そしてその後せっかくだから記念写真を撮ってもらおうと、撮ってくれるブースまで移動。しかしそこが最初に行ったグローバル・コモン6のさらに向こう。痛い足を引きずりつつ、夜になってまた雰囲気が変わったグローバル・ループを再び歩いていきました。そしてグローバル・コモン6に差しかかった時にあることを思い出します。そういえば連れはシンガポール館に行きたがっていたのに、最初行った時は混んでいて入らなかったのです。ここはもう一つくらい頑張って並んでおくかということで、最後にシンガポール館に入ることにしました。

 シンガポール館は、入るとまずビニール傘を渡されます。そして一つの部屋に集められ、シンガポールの暮らしや文化を紹介する映像が流れます。とりあえずそれを見ていると、数分経った頃に上からポツッ、ポツッと水が降ってきます。スコール体験です。そしてその数滴雨垂れを合図にそれは一気に勢いを増して、もの凄い土砂降りに変わります。傘を低くさして、持ち物が濡れないようにするのが精一杯。もの凄い降り方です。尋常じゃありません。これがスコールというものなんでしょうか。そして終わった後、何故か私のシャツだけがずぶ濡れになっていました(泣)。周りを見渡しても、ちょっとくらい濡れている人はいても私のように上半身の半分以上が水に濡れている人などおりません。何故私だけ濡れたのか腑に落ちないままシンガポール館の続きを見ていくわけですが、濡れたシャツが背中にくっつくともの凄く冷たかったです・・・。そしてマーライオンの前で記念写真など撮影し、シンガポール館を後にしました。

 その後無事フジフィルムのブースで記念撮影を終えたのが20時くらい。正直一日でこんなに頑張って回るとは思っていなかったので、さすがにもうクタクタです。後はもう土産を買って帰るだけということで、出口前の公式ショップに向かいます。ところが、この公式ショップがメチャクチャ混んでいるのです。店の中を移動するのも人の波をかきわけてでないといけないし、レジもディズニーランドの人気アトラクション並みの長蛇の列です。ハッキリ言って、一日の中でここが一番並びました・・・。しかもほとんどの商品は名古屋駅とかで売ってるのです。いやー、大変でした。

 しかし本当に大変なのは実はここからです。入場の際手荷物預かり所に預けたノートPCやお泊まり道具等を入れた旅行荷物を受け取って帰りのリニモに乗ろうとするわけですが、それが会場出口からホームまでずっと人が並んでるのです!「オイオイ、これじゃ乗るのに何時間かかるんだよ」と思いつつも並ぶと、万博八草方面は意外に空いていてちょっと助かりました。とはいえ超満員のすし詰めリニモに乗るのに30分弱。やっとリニモに乗れたのは21時頃でした。ただでさえ弱った足腰に重い荷物も加わり、もうここで体は悲鳴を上げて限界に達してしまいました。おかげで名古屋に向かう電車の中では立っているのも辛い程の腰痛に襲われ、混雑が解消してきた頃合いを見計らってちょっとストレッチをしてごまかしたりしながら何とかホテルまで辿り着いたとのことです。いやー、最後の土産物屋からリニモ、名古屋駅までの混雑は最低でした。

 総じてこの万博、ここまで熱を入れて日記書いていることからもわかるようにかなり楽しませてもらいました。元々は「何年か経ってから愛知万博行きたかったなーと思ってももう二度といけないからなー」という曖昧な動機で「行こう」と言い出したわけですが、いやいや行ってみたら想像以上に色々面白い。何か万博って行ってもいないのに「どうせつまらないんだろ」とか言っている方も多いのですが、そんなことはありません。かなり見所もあり、いい体験できます。是非行ってみるといいですよ。

 ・・・ただし、あの長時間の歩きと最後重い荷物を背負っての帰路で、ただでさえ最近腰痛に悩まされていた私の腰はとうとうトドメを差されてしまいましたとさ。ふふふ・・・。

2005年9月10日土曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- タパス・バー/BBC/欧州北部

 ようやく日差しが落ち着いたグローバル・ループをグローバル・コモン2から3へと進みます。グローバル・ループには熱射病予防のためか、ところどころにアーケードのように道に屋根がかかり、そこから霧状に水が吹き出て少し涼めるところがあります。余程暑いのか、連れはそれを見つけると必ず寄っていって霧を浴びて涼みながら歩いていきます。・・・そんなに、暑かったんでしょうか。まぁいいですけど(笑)。そしてそうこうしているうちにグローバル・コモン3に辿り着きます。ここは私達のお目当てであったスペイン館の他、イタリアやドイツ、フランス、トルコにモロッコと日本人好みな欧州諸国が群れをなす地域です。自然日本人共が集まります。いやー、どこも見事に混んでる混んでる。「15分以上並ぶところには行かない」という我々のポリシーに照らすとどこにも入れません(苦笑)。とはいえ今回のお目当てはパビリオン自体ではなく外に別建てであるタパス・バーです。まだ4時半と夕飯時にはやや早いこともあって、そちらは大して混んではいません。とはいえ、我々の標的である『スターシェフメニュー』は夕方5時以降提供開始。それまでの間チュニジア館をのぞいてちょっとしたアクセサリを購入してみたり、ロボットがボールを操るパントマイムの大道芸を眺めたりして時間を潰します。そして時は5時前。さぁ、スペイン館タパス・バーです。

 とりあえず今回の目的である『スターシェフメニュー』の説明をいたしますと、スペインの三ツ星シェフを含む超有名シェフ13人が作った料理を一品ずつ食べられるというもの。お値段も3,500円と比較的お手頃で、スペインで彼らの料理をこれだけの安価で食べられることはまずないとか。5時前に並んだ我々は、ほとんど待つことなく席を確保し、この料理をオーダーすることに成功しました。何にせよ、まずはどんな料理かご覧いただきましょう。

スターシェフメニュー

写真のNo. シェフの名前 所属レストラン、 下段 お料理の名前
1. ToxJ倆 PxJ薗ez (Atrio)
Bolsitas Crujientes de Gambas y Puerro えびとねぎのパリパリの包み袋
2. Juan Mari Arzak (Arzak 3ッ☆)
Mejillones con Cortezas ムール貝と豚皮のチップ
3. Joan Roca (El Celler de Can Roca)
Terrina de Sardinas y Piquillo, Caramelo de Aceitunas Negras
いわしとピキーリョピーマンのテリーヌ、ブラックオリーブのカラメル
4. Oscar Velasco (Sant Celoni)
Sofrito de Tomate y Cebolla con Apio Nabo Crujiente
トマトとたまねぎの炒めもの、カリカリのセロリ大根添え
5. FerrxJ℃ AdrixJ・ (El Bulli エルブジ)
 Bocadillo Ibelico イベリコハムのサンドイッチ
6. MartxJ錘 Berasategui (MartxJ錘 Berasategui)
Mejillones para Picas ムール貝のおつまみ
7. Andoni Luis Aduriz (El Mugaritz)
 Tostas Gratinadas de Queso チーズのグラティネトースト
8. Santi SantamarxJ吹 (El Raco de Can Fabes)
Toffee トフィー(デザート)
9. Hilario Arbelaitz (Zuberoa)
Txipiron Cuisado ほたるいかの煮込み
10.Pedro Subijana (Akelarre)
Irlandes de Lentejas y Sisas レンズ豆とシサス(春きのこ)のイルランデス
11.Josep Barahona (L'estudi)
BuxJ偈elos de bacalao con Crema Romesco 鱈のフリット ロメスコソース
12.Carme Ruscalleda (Sant Pau)
Montadito de Anchoa アンチョビーのオープンサンド
13.Manuel de la Osa (Las Rejas)
Pisto de Feria con Magro de Cerdo 豚の背肉のピスト デ フェリア

 これがまたおいしかったのです。ほら、見るからにおいしそうでしょう?料理のおいしさをうまく言葉にする術を知らないのが悔しいのですが、本当においしい。特に6のムール貝のおつまみや10のレンズ豆とシサス(春きのこ)のイルランデスなどまさに絶品。連れ曰く「生きててよかったって思った」というこの料理は、普段"食"に対して強い執着をほとんど抱かない私ですらこれは凄いなと思わせるくらい素晴らしいものでした。これほどの料理には本当になかなかお目にかかれません。おそるべし、スペインのスターシェフ達。そしてその料理をシェリー酒でいただいて(スペインならワインかシェリーだなと思い、ワインは気分じゃなかったのでシェリーにした)、ちょっと早めの夕飯を済ませて心身共に栄養補給をしたのでした。なるほど、おいしい料理は人を幸せにします。皆さんも万博に行くならこの『スターシェフメニュー』は絶対お薦めです。是非食べてみましょう。

 そして幸福な余韻を愉しみつつ、またグローバルループに出て腹ごなしもかねてグローバル・コモン4の方に歩いていきます。途中ベンチに腰を下ろしてチュッパチャップスをなめながら万博会場に沈んでいく夕陽を眺めたりしながら、それでも平和に進んでいました。そう、あの時までは。

 万博には当然のことながら外国の人もたくさん来ています。たとえ目の前をいかついTVカメラを抱えた数人の白人が自分に向かって歩いて来たとしても、別にそれは珍しいことではありません。そう、話しかけられるまでは。

「Can you speak English?」
「A little」

 この中学生の英会話のようなやり取りで始まった出来事は、その後しばらく私の頭を悩ませてくれることになります。聞けば彼らは英国BBCのTV取材チーム。私にインタビューに答えてくれないかと言います。まぁ聞き取りやすいきれいな英語を話す人達でしたので、これならそれ程苦労はするまいと私はインタビューに応じました。すると、インタビュアーの人は両腕を広げて気持ち前屈みになりながら、力強く私にこう質問しました。

「How do you think about Japanese technology?」

 ・・・ん?一瞬、思考が固まりました。「はう どぅー ゆー すぃんく ばうと じゃぱにーずてくのろじー」。・・・私は何を答えればいいのでしょう。返答に窮した私はとりあえず「技術そのものはいいんじゃないでしょうか」みたいな返答をした後、彼らの出方を見ます。聞くと、どうやらトヨタの企業パビリオンで出ているロボットなんかのテクノロジーについてどう思うか聞きたいらしいのです。・・・はっきり言ってわかりません。だって見てないし(爆)。こっちゃ企業でなくて国ばかり回ってるのです。だってこれは"万国博覧会"だろ!? メインは国だろ!? なので私は「さっきロボットのパントマイムは見てきたけど、トヨタのロボットは見てないっすよ」と答えたら、インタビュアーもカメラマンも笑って「OK」と取材を切り上げてくれました。・・・しかしですね、今でも思うのです。彼らの最初の質問である「How do you think about Japanese technology?」。これに私は果たしてどう答えるべきだったのでしょうか?謎は深まるばかりです。

 そのいきなり英国BBCからインタビューを受けるという珍事の後、気を取り直してグローバル・コモン4に辿り着きます。ここでは北欧共同館や私の残りもう一つのお目当てであるアイルランド館なんかを見て回ったわけです。アイルランド館はケルト紋様が神秘的なハイ・クロスを間近で見れて記念撮影をできたのはよかったのですが、肝心の音楽の展示がごく小さい一角のみだったのが残念。フィドルやバグパイプといった、私の期待を膨らませる楽器達の展示はあったものの音楽そのものの演奏はなし。非常に残念です。アイルランド土着のケルト文化から引き継がれた神秘的で瞑想的な一面と、酒場で踊りながら奏でられる陽気で躍動的な一面。アイルランドの音楽はその複雑で痛みに満ちた歴史を象徴するかのように両極端な個性と様々な色を見せてくれます。是非、その生演奏を聴きたかったのですが。

 イギリス館はさながら小さな自然科学博物館といった趣で、昆虫や植物の生態を模した様々な科学技術や、英国風庭園の中にちりばめられた気鋭の芸術家達の作品が英国らしい気品を感じさせる仕上がりでした。科学好きの子供だったらきっとたまらないことでしょう。きっと小学生の頃の私だったら数時間居着いたに違いありません。なかなか悪くはなかったです。

 この時点で大体もう時間は18時半。もう日も暮れて完全にではないにせよ暗くなっていましたし、さすがに足も疲れてガタガタです。そろそろ帰りの方に向かおうかということで、我々はキッコロゴンドラに乗って出発地点近くまで一気に戻ることにしました。

続く(次回はキッコロゴンドラ/シンガポール館/万博からの帰路の予定です)

2005年9月3日土曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- 皇太子/アルゼンチン館/アンデス共同館

 午前中にオーストラリアと東南アジア・南太平洋周りのパビリオンをおおまかに制覇した後、自転車タクシーに乗ってグローバル・コモン1まで行って(自転車タクシーはそこまでしか行かないのです。タクシーのくせに定路巡航)、そこから歩いてグローバル・コモン2へ。お目当てはアルゼンチン館とアンデス共同館。私のリクエストです。まぁせっかくアルゼンチンやアンデスがパビリオンを出しているというのであれば、アルゼンチンタンゴとフォルクローレを目当てに行かないわけにはいきますまい。さーて、どんな感じかな、と楽しみにグローバル・コモン2に辿り着いたのは15時前くらいでした。そして入り口の各パビリオンの混雑状況が見れるボードで混み具合を確認。すると、なんとあろうことかアルゼンチン館とアンデス共同館は「閉鎖」とかなっています。それぞれ15時と15時半まで。「なんてこったい、なんでだよ」と情報を整理してみると、なんと今それらのパビリオンを皇太子が観に来ていて、そのため一般人は入館禁止とのこと。・・・皇太子かよ!そういえばやたらと警備員も多いし、今皇太子が中に入っているアンデス共同館の前にはなかなかの人だかりができています。「だから俺もそこに行きたいんだって!」と心の中で叫んでみるも、皇太子にケンカ売ったところで周りのSPにあっという間に制圧されるのは目に見えているので(苦笑)、仕方なくキューバ館とかを適当に眺めながら時が経つのを待っていました。

 そしてしばらく時間を潰し、「そろそろかな」とアンデス共同館の前まで行きます。すると、ものものしい警備の周囲に文字通り黒山の人だかり。といってもトヨタやヒタチのパビリオンに並ぶ人程多くはありませんでしたが、それでもそこより狭いスペースに結構な数の人がいます。周囲の会話を盗み聞きすると、もう皇太子が出てくるとのこと。「ほう、出てくるのか」と、それならついでに皇太子をこの目で見ておくのも悪くはないなというコンセプトの下、私も人ごみの中に加わってきました。そして待つこと10分弱。アンデス共同館より皇太子が出てきました。なんかパビリオンの責任者みたいな人と握手してます。たまにTVで見るあの笑顔です。群衆の方に向き直り、背筋を伸ばして右腕を上げ手首を曲げずに肘から先のみで控えめに手を振るおなじみのあの仕草で人だかりに応えます。姿勢がいいです。姿勢がいいです。人に決して不快感を与えることはなく、かといって下手に出るようなそぶりも見せないあの独特の表情。きっと研究しているんでしょう。大したものです。皇族というイメージを守るのも大変です。数分程、大衆の前に姿を見せた後、彼はパビリオンの裏に停めてあった専用車に乗って去っていきました。う~ん、皇族っていい身分のような気もしますが、生まれたときから死ぬときまでずっとあんな感じでイメージ守りながら過ごすのはかなり大変だろうなと思いましたよ。特に今の日本だとなおさらでしょう。プレッシャー、あるんでしょう、きっと。そんなことを思いましたとさ。

 そしてやっとオープンしたアルゼンチン館とアンデス共同館です。アルゼンチン・タンゴは行ったタイミングが悪く上演を観ることができず、おそらくその上演に全精力を注ぎ込んだのであろうパビリオンはそれ以外に観るところも特になく(泣)、仕方なしにアルゼンチン観光局の絶景のポスターを数枚もらって帰ってきました。なんか全体的にこのグローバル・コモン2のパビリオンって他と比べてスペースが狭いんですよね。アンデスもそんなのなのかなと不安に思いながら、次はいよいよアンデス共同館です。

 アンデス共同館は海中から山の頂上まで、薄暗い廊下を上りながら壁に展示されたアンデスのたくましい自然の写真を眺めてアンデスの自然に触れるというコンセプト。写真は美しいですしたまに変な動物がいたりして面白いのですが、私の目的はそこじゃありません。音楽です。「ん~、音楽は展示ないのかなぁ・・・」とちょっとガッカリしつつ、山の頂上に当たる廊下の踊り場を曲がって次の部屋に入ります。そこはペルーやエクアドルの文化を展示した小部屋になっていました。そこに入って少しして、突然大音量で音楽が流れ始めます。曲名はわかりませんが、高らかに鳴り響くケーナにチャランゴ、ボンゴといった独特の楽器達。ラテンの情熱を引き継いだ熱いリズムと、高山の薄く澄んだ空気を思わせる音色に旋律。間違いなくフォルクローレです。エクアドルの小さなブースにいた女の人(明らかに日本人)が音楽に合わせて手を打ち踊り始めました。どう見てもダンサーではない、タキシードを着たブースの案内役みたいな人です。仕事そっちのけかよ(笑)。スピーカーから流れてくる大音量の音楽に、「音楽の展示はなくともまぁこれはこれでよしとするか」と溜飲を下ろして次の部屋に行きます。すると・・・、

 なんと、部屋に入ってすぐ左手奥にステージがあり、そこで生演奏が行われています。さっきからスピーカーから聴こえていたのはこの生演奏の音だったのです。しかもステージ上にいるのは間違いない、あのSISAYではないですか!SISAYはメンバー全員がエクアドルのネイティブ・アメリカンという生粋のエクアドル民族音楽バンドで、学生時代に京都駅の大階段で演奏しているのにたまたま出くわし、その際にあまりに演奏が素晴らしかったので思わずその場で一枚CDを所望してしまったという私にとって曰く付きのバンドです。まさか愛知万博で再会できるとは思っていませんでした。また相変わらず演奏が熱い。1983年にエクアドルで結成されたこのバンドは、現在は当時のメンバーの息子達でバンドが構成されています。「聴くものの心に平和と調和をもたらし、共に分かち合うことができたらどんなに素晴らしいだろう」というメンバーの願いがいつか花開くようにと付けられたバンド名がSISAY(花が咲くという意味)だそうで、ネイティブ・アメリカンの誇りを大切にする彼らは、本当にエクアドルの空気がそのまま伝わってくるような、生き生きとしたリズムで高山の薄い空気の澄んだ空を飛び回るような、活気のある音楽を聴かせてくれます。自然と体が動き、耳はステージに釘付けになります。CDや民族楽器を売っているブースでは、やはり女の人(明らかに日本人)がやっぱり仕事そっちのけで踊っています。こういうパビリオンで働いてる人って何かしらその国に関係している人なんでしょうし、好きなんでしょうね、きっと。

 というわけで今回もかなり心を熱くしてくれたSISAYの演奏を堪能し、CDを二枚購入し、VTRを一本オマケにもらって、リーダー(?)のルイス・マグワイアのサインももらって、一気にテンションを上げてアンデス共同館を後にしました。皆さんも万博に訪れたら是非寄ってみてください。15分演奏、10分休憩おきくらいのペースでSISAYはライブやってるみたいなので。素晴らしい音楽を体験できることでしょう。

 そして私のリクエストである2つのパビリオンを制覇した後は、今度は連れのリクエストであるスペイン館のタパス・バーで食事をするため、グローバル・コモン3へ。グローバル・コモン2から3へ移動するには、グローバル・ループを結構長いこと歩かないといけません。ちょうど時間は4時過ぎくらい。やっと暑さも少し収まり、歩きやすくなって来たグローバル・ループをお散歩がてら歩いていきました。

続く(次回は意外なイベント2/大道芸/スターシェフメニューの予定です)

2005年8月29日月曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- リニモ/ブルーホール/マンモスラボ

 というわけで去る8月26日、台風が関東を通過するのとちょうど入れ違うような絶妙なタイミングで新幹線に乗り、もはや行き慣れてしまった感のある名古屋駅を経て、行ってまいりましたEXPO 2005『愛・地球博』。いつも客先に行く際は大曽根で乗り換えるエキスポシャトルにそのまま乗り続け万博八草へ、そして世界初のリニアモーターカー『リニモ』へ。リニモ、はっきり言って混み過ぎててよくわかりません(泣)。4月の月曜朝八時台の東横線ばりのすし詰め満員電車じゃあ、「おー、リニアモーターカーだ」等と感慨に浸る余裕などあろうはずもありません。正直ゆりかもめや、関西の方ならポートライナーと大差ありません。ともあれそんな大混雑のリニモに揺られ、どうにかこうにか長久手会場に辿り着きました。そしていよいよいざ万博へ。

 まず行ったのはグローバル・ハウス。「マンモスが見たい」という連れのリクエストで、事前予約まで取って10:40スタートの回に入って、ソニーの最新レーザー・プロジェクション・システムが体験できるというブルーホール経由でマンモスラボへと回っていきました。とりあえず幅50m高さ10mの超巨大ディスプレイ、凄かったですねー。映画館のスクリーンを横に3つ4つつなげて、しかもプラズマディスプレイのような鮮明さ。あれでグランドキャニオンやらジャングルやらエアーズロックやらナイアガラをビュンビュン小型飛行機で飛び回ってるような映像を立て続けに見せらるので、下手すりゃ酔ってしまいそうな勢いでした。それ程までに鮮明なのです。だけど同時に思ったのは、たとえ幅50mものディスプレイでもその真ん中近辺に座っていた私の左右の視野すべてを映像で覆い尽くす程の領域ではなかったせいか、その光の原色を直接ディスプレイに映すという超鮮明な画像であってもやはり、それは目には映像としか認識されないのだなということ。木の葉を透き通ってくる太陽の日差しや、冷たく青くそびえる北極の氷とそれを移す極冷の海面、それらは単体で見ればなるほど現実と見紛わんばかりの鮮明で美しい映像で、その並外れた奥行きの表現力も含めてとてもそれが映像とは思えない程鮮明なのですが、でもやはりそれは映像としてしか認知されないのです。やはり360度の現実感を作らないことには人間の感覚というのはごまかされないものなのでしょうか。それならやっぱり外の世界にそういった環境を作るよりは、脳を直接いじった方が早いですね。そんなことを思いながら見ていました。

 そのディスプレイのデモンストレーションとして流される映像は、先程述べたような世界各地の絶景を飛び回っていくものと、世界の色々な数字を色々な角度から見てみるというものですが、その中でちょっと気になることがありました。それは以下のようなメッセージです。現在地球上で生産されている食料の量を(何tだったか忘れましたが)表示した後で、それはこう述べました。

「食料不足が心配です。でも、大丈夫です。今世界で生産されている○tで、全世界の人が食べていくには充分です。それを公平に分配できない輸送システム等が問題なのです」

 なかなか意外でした。食料不足食料不足と言われていますが、実は今ある食料を公平に分配できれば、既に全人類が食べていくには充分な量が生産できている。これはある意味新たな問題提起です。これからも(日本はともかく)世界的には続くであろう人口増加で問題になることが予想されている食料危機に対する解決策として、単純な食料増産ではなく、公平な分配システムという改善案が出てくることになります。まぁ、ある意味社会主義的な話ですがここではそういったイズムがどうこうといった話は置いておいて、単純になるほどなと思いました。そういった見方もある、ということです。

 ただ、同時に気になったのは、今現在では仮に公平に分配すれば全人類が食べていけるだけの食料が生産されているとして、果たしてそれは今後もずっとそうなのかという問題です。単純に食料の生産量が今のまま変わらなければ、人口の増加が続けばいつかは増加分が食料供給料を超えてしまうだろうし、それ以上にこれから先農作物や魚介類の生産量は減少していくことでしょう。あまり表立って問題視されてはいませんが、インドやアメリカの穀倉地帯と呼ばれているところでは農業用に大量に汲み上げたせいで地下水が枯渇し、もう農業が続けられなくなった土地やもうあと何十年でダメになる土地が増えてきています。地下水が溜まる数千年から数万年のペースに比べて、人が農業に水を使用するペースはあまりに早すぎるのです。そうでなくても資本主義市場から見たらお世辞にも経済効率がいいとは言えないのが農業です。産業の近代化が進めば、第一次産業に従事する人は減っていきます。食料の作り手が少なくなっていったのでは量を維持できるはずもありません。漁業にしてもそうです。海洋汚染や温暖化等による気象の変化で、近年魚介類の水揚げ量も減ってきています。それはおそらく今後も加速するでしょう。養殖でどこまでまかなえるのか。正直よくわかりません。現状では公平な分配システムとやらが存在しさえすれば食料は何とか足りるのかもしれませんが、将来はどうなのでしょうか。ちょっと、考えてみたりもしました。結局、食料問題が"大丈夫"ってことはなさそうです。

 そしてマンモスです。ロシアの永久凍土の中から出土したという「ユカギルマンモス」。その皮膚のしわや毛までが残っているという保存状態の良さから、見る者になかなか想像力を働かせてくれます。上下二段に分かれている動く歩道に乗って眺めるユカギルマンモスの頭部は思っていたよりも小さくて、高さはせいぜい私の上半身くらい。けれどやはり皮膚や毛が残っている生々しさは、ちょっと感慨深いものがありました。コイツは一体一万年前にどういう風に生きていたのだろう。コイツはマンモスが絶滅した時にはまだ生きていたんだろうか。もしそうでなければ、開かれることのない永久凍土の中から、仲間達が滅んでいくのを一体どのような気持ちで眺めていたのだろうか。そんな歴史的なロマンシズムを感じてしまいます。動く歩道に流されて、マンモスを目にできる時間はせいぜい数分と短いのですし、正直想像していたような迫力のある代物ではないですが、時を超えてきたその姿には、何かしら想像力を刺激するものがあります。

 そしてその後はグローバル・コモン6へ渡り、シンガポール館のレストランで昼食を取った後に南太平洋共同館で白いハゼを見てテンション上げたり、オーストラリア館で巨大なカモノハシの模型をバックに写真を撮ってみたり、東南アジア系のパビリオンを適当に回りながら14時くらいまでを過ごしました。基本的には15分以上並びそうなところは敬遠し、そんなに並ばずともすぐ入れるところを見て回るというスタイルです。そんなに無理して120分待ちとかしてまでトヨタやヒタチのパビリオンを観なくても、万博というところは割に結構楽しめます。そして14時を回った辺りで今度は私が行きたいと言っていたアルゼンチン館とアンデス共同館を見に行くためグローバル・ループに出ます。自転車タクシーに乗ってグローバル・コモン1まで行き、そこから歩いてグローバル・コモン2へ。さぁ、アルゼンチンとアンデスです。もちろん目的はアルゼンチン・タンゴとフォルクローレです。ところが、その目的を果たす前に、実に意外なイベントが待ち構えていました。

続く(次は意外なイベント/アルゼンチン館/アンデス共同館の予定です)

2004年5月15日土曜日

女子バレー日本×韓国 観戦記

 というわけで行ってまいりました女子バレー日本×韓国戦!テレビを見ていたら「やべぇ、俺も"ニッポン!"とか叫んで頭真っ白にしてぇ」とかいうわけのわからない衝動が生まれてしまい、思わず昨晩Yahoo!オークションで当日会場近辺で手渡しのチケットを落札。会社を強引にフレックス・コアタイム一杯の16時で切り上げて、渋谷から千駄ヶ谷までJRで15分、東京体育館に乗り込んでまいりました。いやー、よかったですねぇ(笑)。会場入りするなりまず、いの一番にあの応援用のバルーンスティックを購入し、バンバン、バババン、ババババン、ババン♪と悦に入ってぶっ叩いてました。試合が始まる前からこのバンバン、バババンとかニッポン、チャチャチャとか、定期的にスピーカからリズムが流れてきて練習させられるんですよね。バボちゃんが手を振るだけで大騒ぎな会場をさらに煽るように、終いにゃウェーブの練習まで試合開始前にさせられました(笑)。まぁ、このウェーブの練習は人によってかなりの気温差がありましたが。私の席はスタンドA席南だったのでコートからは少々遠いのですが、位置的にはちょうどネットの辺りで頭上1mにはテレビのメインカメラが控えるという、要は非常に見晴らしのいい席で、試合は実によく観えました。

 いやー、それにしても今日は佐々木!熱かったです。止まらない止まらない。1セット目の前半、栗原ももう一つエンジンがかかってない様子で、木村は数は打つんだけど韓国に片っ端から拾われて、決定力不足が素人目にも明らかだった時に日本にしては珍しい1セット目中盤での選手交代で登場。入るなりいきなりスパイク決めて、その後も立て続けに点を取り、一気に日本のペースにしてしまいました。他の選手より明らかに一回り上のパワーを武器に、あまり表情を変えずにクールに敵陣をブチ抜く様はかなり男前でした(笑)。ってゆーか私の後ろに座っていた女子高生二人組、佐々木選手のファンらしくプラカードまで作って応援していたのですが、「ササキー」と大声で叫びまくってやかましい・・・。最後のインタビューで佐々木の晩になった時に至っては「佐々木結婚してー」とまで叫んでましたからね。まぁ、男がふがいない今の世の中、佐々木や吉原のような男気溢れるタイプは女性にも大人気のようです(?)。というか佐々木のスパイク、ホントにスピードが他の選手と全然違うんですよ。練習の時、私の席に一番近いところで栗原と二人で片方がトス上げてもう片方がスパイク打って、トス上げた方がレシーブして、次は役割交代して・・・、ってずっとやってたんですが、栗原より佐々木の方が数段スピードもあるし重そう。なんだかんだいって栗原のスパイクはまだ軌道が軽く放物線を描きますが、佐々木のは突き刺さるように直線的に飛んでいきますからね。生で見たら凄かった。

 やはりテレビというのはどうしてもコート全体を見渡すわけにはいかないもので、テレビで見てても気付かないけど生で見ると凄いってのはやはりあるものです。今日一番そのテレビと生のギャップを感じたのは成田。正直リベロというポジション自体テレビじゃあまり目立たないですが、あの成田の拾いっぷりは凄いですよ。相手のスパイクや速攻をひたすら拾うのがリベロの仕事ですがこの成田、どこから飛んできてんのかわからないけどとにかく常にボールの着地点にいて、他の選手が反応できてない時でも一人でドカンとボールを上げてるのです。相手のトスが上がってからスパイクが着地するまで、それこそ瞬きしてたら見逃すくらいの一瞬の世界な訳ですが、成田はその一瞬の間に「アンタ今までそこにいなかったでしょ!?」ってところからあっという間に飛び込んでくる。で、あたかも最初からボールの軌道上にいたかのようにレシーブしちゃうわけです。テレビだと大体そのボールの軌道に入った後しかわからないですが、その前にそれこそ全然関係ないところから一瞬で飛び込んでくるんですよ。きっと「ブロックがあそことあそこに飛んだら抜かれるとしたらここ」みたいな憶測や経験と勘を駆使して瞬間的に判断して動いてるんでしょうが、あれは凄いです。なんでいつもそんなにボールのあるところにいるのか不思議なくらいでした。後は大友のブロードですね。これも一瞬で物凄い距離を移動してきて、しかも直線的に上げられた早いトスを、ボールが上昇のピークに達する前にぶっ叩く。テレビで見ると「なんで相手のブロック皆ついていけないんだろう」と思うこともあったのですが、いや、あれは無理ですよ。凄まじく早い。大友飛ばして後ろから高橋とかの時間差も、恐ろしいスピードで大友が突っ込んでくるから、観てるこっちまで「大友が打つ」と思っちゃって、実は大友スルーで後ろから高橋とか、結構だまされました(苦笑)。生で観ないと時間差の本当の味ってわからないものだなぁ、と思いましたよ。

 最後日本が佐々木のサービスエースで韓国を下し、アテネ出場を決めた時の騒ぎといったらもう凄いものでした。皆一斉に立ち上がってのスタンディング・オベーション。会場全体が熱気と感動に包まれて、巨大なバボちゃんがアリーナ西から出てきてインタビューに並ぶ選手の上を空中をぶら下げられて漂っていくは、アナウンサーは(また)泣くは、選手の涙でもらい泣きする観客も出るはでもう大変。選手が何度も体育館を回って退場するまで、ほとんどの人は席から離れませんでした。まぁそれだけ熱い空気だったということでしょう。私もここまでしてスポーツ観戦をするのは今回が初めてだったのですが、客席でかなり燃えてました(笑)。いくらまた観に行きたくて応援したくても、さすがにアテネまでは行けませんからねー。今回アテネ行きが決定する瞬間に立ち会えてよかったです。いやー、興奮した(笑)。オークションで勝負をかける前にちょっと悩んだのですが、これは行ってよかったです。今日の女子バレー日本×韓国戦で体験できた時間:プライスレス、って感じでしたね(笑)。是非アテネでも頑張ってもらいたいものです。

1999年1月1日金曜日

謹賀新年、世紀末!

 さてさて皆さん、新年あけましておめでとうございます。いよいよ西暦は1999年、ノストラダムスという御仁がこの世の終わりを預言した年になってしまいました。大晦日の晩なんかはその預言の肯定派と否定派で意見を戦わす番組があってかなり笑わせてもらいましたね。どっちの言い分も狂信的で面白みがあってよい。久しぶりにあのユリ・ゲラーの生存を確認できたのも収穫だった。まだいたんだねぇ、彼。

 思えば80年代後期のオカルトブームの火付け役はヤツのスプーン曲げに始まる超能力(!?)の数々だった。あの頃はワシもそら色々その手の道を模索したさ。そういえばオカルトブーム当時一部のマニアに絶対的な支持を誇っていて俺も愛読していた『ワンダーライフ(通称ワンダラ)』とかいう雑誌は今どうなってるんだろう?改めて実家に残っていたものを呼んでみると実に凄まじい内容の雑誌だったが。そしてその雑誌に90年代預言カレンダーみたいのがあって、そこに2種類の違う預言が掲載されて「さぁ、どっちが正しい!?」みたいな企画がぶたれとったが、今見てみると両方見事に見当違い・・・。まぁそんなもんかも知れんが。なにしろ片方の預言だと96年に世界恐慌が起こって97年に日本沈没、98年に中近東で戦争が始まり99年に核によって人類滅亡という破滅のシナリオが描かれてるのだ。が、今現在日本はもちろん沈没しちゃいないし、それ以前に世界恐慌も起こっとらん。98年に中近東で戦争ってのはまぁとりあえず当たってはいるが、この調子じゃ99年はどうなることやら。まぁ実際問題核の危険はこの戦争の余波的なところでかなり高まっていると俺は思うのだが。北朝鮮さんにアメリカからプレッシャーがいったときが山場だね。ヤツらが本当に懸念されている通り核を持っているのか。っていうかイラクも実はそこらから流出した核持ってんちゃうんという説も。まぁまぁそれもアリ。で、もう一つの預言では98年に最後のエイズ患者がいなくなり、人類はガンも克服して繁栄の頂点を極めているはずだが・・・。ま、もうこれ以上俺が突っ込むまでもないね。預言って・・・。

 で、話を大晦日の晩にやっていた預言検討の番組に戻すと、こちらはこちらで肯定派の方は色々な意見を述べて下さって。オ◯ムみたいな宗教的概念によって「改心しない限りは神が滅ぼす」的な言い分からプルトニウムを積んだ惑星探査機帰還失敗により放射能が成層圏から世界にバラ捲かれるという説、他にもディープインパクト/アルマゲドンばりの隕石激突説や果ては火星人(何故火星のみに限定するのかは謎。いちおうNASAの不穏な見解を下敷きにしてはいたが)襲来説までなかなか楽しませてくれました。さてさて、これらはどうなんでしょう?ノストラダムス、当たるんですかね?とりあえずチェルノブイリは当ててたらしいけど。まぁ世界が滅びるにせよ永らえるにせよ、それは今考えても仕方のないことではありますがね。「今年の夏で世界は終わるから来年の定演の企画はたてなくていいよ」とかなりませんしね。まぁまぁ皆さん、今年も頑張っていきましょう。下手に未来を勘ぐり過ぎるより「今を生きろ」の精神ですよ。それでは今年もよろしく。大学卒業の年、20世紀のファイナルカウントダウンを気持ちよく迎えられるように、まず今年をよい年にしていきましょう。