2005年11月30日水曜日

今日は定演だったはず

 今日はクラギタの定演がある日だったはず。さすがに火曜日だと仕事休んで京都に行くわけにもいかず、私は行くことはできませんでしたが果たしてどうだったのでしょうか。何気に自分の編曲があるのに行かなかったのは初めてなので、本番どういう仕上がりになっていたのか、かなり気になっていたりします。編曲を送ってからも色々とメールで質問をしてきたり、果ては演奏を録音したMDを送ってまでコメントを求めてきた実に熱心なフォルクローレアンサンブル。どうだったんでしょうか。きっと頑張ってくれたものと思ってますが、やっぱり自分の耳で聴いてないから凄く気になります。そして今年の定演はどんな感じだったのでしょう?まぁ何人かは行ってるはずですし、見に行った人からのレポートが上がってくるのを待ちますか・・・。とりあえず現役の皆さん、定演お疲れさまでした。きっとよい演奏会だったことでしょう。

2005年11月28日月曜日

11月の帰省

 今週は金曜日に代休を取り、三連休にして新潟に帰省していました。今月は第一週末は佐賀・福岡へ、第二週末は富山へ、そして今週は新潟へと、とにかく週末の移動距離が多いのです。いやー、我ながらよく動きました(笑)。まぁまぁもはや新幹線や飛行機などでの長距離移動は手慣れたものなのでいいのですが。

 さてさて、今回の帰省の目的は一つです。彼女とそのご両親がはるばる九州から新潟にやってきて、まぁ親睦会というか何というか、新潟を楽しんでもらいながら両家の交流を深めるとイベントがあったわけです。私も両親もあまり形式張ったことは好きでないので結納とか家具返しとかそういった儀式的なことはやらないかわりに、新潟に来ていただいて従兄弟が継いだ呉服屋で好きな着物を選んでもらってそれを贈り物に差し上げて、後は九州と新潟で土地も文化も違うので、まずは先方のご両親に新潟の風土を堪能していただきながら交流を深めようというわけです。

 しかしこの週末の新潟は天気がおかしかった(苦笑)。雷鳴りまくり。いきなり雷鳴とともにドシャッと雨が降ったと思えばちょっと太陽が顔を出したりして、でも気を抜くとまたすぐ雷鳴が・・・。初日の金曜日、まずは従兄弟の呉服屋『泉三』で彼女とご両親に着物を選んでいただくわけですが、そこに行くまでの間も選んでいる間も降ったり止んだり光ったり轟いたり、いやー忙しい忙しい。どんな天気だよ、と思ってました。まぁ私達は店の中にいるわけで、その分には当然天気などどこ吹く風なわけですが、にしてもおかしいくらいコロコロ変わる天気だった・・・。そんな中無事にお気に入りの着物を選んでいただいて今回の最大のミッションは完了するわけです。選んだのは真夏の青空のような落ち着きと爽やかさがほどよくマッチした青色に衣装箱の染めと刺繍が入った、比較的シンプルだけれど上品で末永く愉しめそうな一品。夏にたった一度彼女の写真を見せただけ(しかも携帯カメラで撮ったヤツ)なのに、あれこれイメージを膨らませながら、センスよく、しかも似合いそうな候補の着物を実に五着も用意してくれた従兄弟に感謝です。彼女もあの着物が仕上がってきて着るのを楽しみにしています。

 土曜日はまず水原の瓢湖に飛来したての白鳥を見に行きます。白鳥はまだ「100羽いるかな?」くらいの数でしたが、とにかくカモが多い。ざっと4種類くらいのカモが渋谷のスクランブル交差点よろしくな感じで超密度でひしめき合っているのです。そんな中カモを意に介さず悠々と泳ぐ白鳥。たまに3対3くらいでホーホー雄叫びを上げながら抗争を繰り広げている白鳥もいましたが、さすがになかなか優雅です。動物好きな彼女とご両親には結構楽しんでいただけたようでした。九州だと白鳥は見ないでしょうし。まぁ私も中之口川に迷い込んで住み着いていた白鳥以外は見た記憶がなかったわけですが。

 そしてその後は巻町のワイナリー『CAVE D'OCCI』にて食事とワインと猫を楽しみ、岩室温泉の『綿々亭綿屋』で首や肩のコリによく効く温泉(以前寝違えが一発で治った)と素晴らしい日本料理を堪能しながら、新潟の夜は更けていきました。あそこのお湯は屋内のものと露天のもので明らかに濃さが違う。岩室温泉のお湯は無色透明なので見た目では何もわからないのですが、露天風呂の方だともう香りからして日本海の潮っぽいし、実際味もしょっぱいのです。屋内の方はそれほどでもないのですが。経験上、やはり湯治として行く場合には濃い露天のお湯の方がよく効くようです。

 しかしこうして今回彼女のご両親に遠路九州から新潟に来ていただいたわけですが、ここまで距離が離れているとこれから長い付き合いとはいえ私と彼女と両方の両親、計6人で新潟を色々回る機会は今後そうそうないんだろうなと思うとそれはそれで微妙に寂しいような気もします。ウチの親は彼女と初めて会った夜、一緒に飲みながら「今が一番いい時かもしれない」と言っていましたが、私達二人だけならともかく互いの両親まで含めて考えた場合、あながちそれも間違ってはいないのかもしれません。遠いですからねぇ、新潟と九州って。こうした時間は大事にしたいものです。

 さて、今日は最後九州に戻られる彼女とご両親を東三条駅まで送って行ったわけですが、なんとそこでペルー帰りのハバネロ夫妻と遭遇!いきなり視界の外から名前を呼ばれて、「ん?」と思って見た先に彼と奥さんがいるのを確認した時はびっくりしました。「こんなところで何やってんだよ!?」と。まぁ向こうからすりゃこっちこそ何やってんだよって話なんでしょうが(笑)。ちょうどペルーから帰ってきて成田で一泊して新潟に戻ってきて彼の実家で一泊してこれから富山に帰るところだったそうで、まんまと彼女とご両親と同じ北越に乗って行きました。いやいやびっくりです(笑)。ペルーの土産話やオカリナや指人形をいただいて、これもまた縁と彼女も紹介して、まさにお互い旅の終わりのサプライズ・イベントといった感じでした。まさか最後にこんなことが起こるとは思っていなかった・・・。

 最後は東三条のホーム上でまたもの凄い雷雨に見舞われ、明らかに近くに落ちたと思われる雷鳴に一本締めをしてもらったような形で彼女とご両親とハバネロ夫妻を見送って、今回の新潟帰省は幕を下ろしました。最初から最後まで雷に付きまとわれた三日間でした(苦笑)。彼女のお父さん、「職場では"新潟は雷が凄かった"って言うよ」とか言ってましたし。最後はアラレまで降ってましたからね。雪起こしにはまだ少々早いようにも思うのですが。

 というわけで報告が遅くなりましたが、来年7月に、結婚いたします。

2005年11月24日木曜日

ちょっと早めの白鳥

 新潟にはもう白鳥が来ているらしい。一緒に大量のカモもいるそうだ。そういや新潟で白鳥を見に行ったことはない気がする。いつも釣りをしていた中之口川に季節を問わずに住み着いた白鳥が一羽いて、そいつはよくみかけたものだが。話によるとその白鳥は結構最近までいたらしい。まだ生きてるのだろうか。とりあえず、たまには白鳥を見に行くのも悪くはないかもしれない。10月末にロシアで鳥インフルエンザが発生していたのが気がかりと言えば気がかりだが。

2005年11月21日月曜日

休息時間

 11月は公私ともに何かとドタバタしていて、まともに体を休められそうなのは実は今日一日だけ。さすがにのんびりしてました。さすがに疲れが溜まってきているのか、たまに軽いぜんそくの発作なども出たりする今日この頃、休める時は徹底的に休んでおかないと身がもちません。整体に行って体をメンテしてもらった後は、少し買い物をする程度で後は昼寝などしてゆっくり過ごしておりました。元々、体は強い方じゃありませんからねぇ。精神力だけでも動けるには動けますが、それだと緊張が切れた瞬間に倒れちゃいますから(過去に何度も経験済)。ま、たまにゃよいでしょう。

2005年11月20日日曜日

免許の更新と『アルハンブラ宮殿の思い出』

 富山に行くのにかこつけて代休を取得した先週の金曜日、免許の更新期限が迫っていたので富山に行く前にまず朝6時半に起きて二俣川まで免許の更新に行ってきました。前回の更新の際は日曜に行ったのですが信じられないくらい人が多くて辟易としてしまったので、今回は平日に行こうと心に決めていたのです。やはり平日は日曜と比べると格段に人が少なく、8時半くらいから並び始めて10時半前には新しい免許を手に運転免許試験場を後にすることができました。

 さて、私の免許は実は前回まで「眼鏡着用」の条件がない、その気になれば裸眼でも運転ができる免許でした。最近は仕事でもずっと眼鏡かけてるし、会社の健康診断でも裸眼で運転できる程の視力は出てなかったように記憶しているので、今回は「眼鏡着用」の条件を追加してもらおうと思っていたのです。視力検査の際、係員の人に「今回は眼鏡着用でお願いします」と言うと、係員の人は「そう?でもまぁまず裸眼から測ってみましょうか」と笑って返します。仕方がないので眼鏡を外して「右、下、下・・・」と適当に答えていきます。するとちょっとして係員曰く、「うん、見えてるね。裸眼でいいですよ」。ほう。

 ・・・今回もまだ裸眼で免許を更新できました。

 さてその後、この5年以内に駐車禁止違反が一回ある私は一時間の一般講習を受けるわけですが、そこで観る映画がなかなか熱かったのです。父母に子供三人という家族の母親が交通事故に遭うところから始まり、SE(と思われる)父の多忙な仕事の合間を縫ってのほとんど寝ずの生活の看病にも関わらず母が死んでしまい、その後父が仕事をしながら中学生の長男、小学生の長女、幼稚園の次男を男手一つで育てていこうとするというストーリー。父の忙しい仕事に気遣い、話したいことも話せずにすれ違う長男、母になら言えたことも父には言えずに苦しむ長女、まだ小さくて手のかかる次男、そんな状況の中家族はすれ違い、最後は次男が父方の実家の祖父母の元に引き取られて家族が離ればなれになっていきます。交通事故に遭った家族のその後の悲惨さをこれでもかというくらいフューチャーした、暗くて重い映画です。

 ところで、私がここで話題にしたいのはこの映画の内容ではありません。その中で使われていた音楽についてです。母が亡くなってしまった際、火葬場からの帰りに次男が「お母さんの所へ届け」と紙飛行機を投げます。その際、静止する中空の紙飛行機のバックグラウンドに、おもむろに音楽が流れ始めます。哀愁溢れるクラシックギターのトレモロの旋律。そう、『アルハンブラ宮殿の思い出』です。「アルハンブラかよ!」と心の中でかなりツッコミ入れました。

 この映画の中でこの曲は母のテーマソングとして扱われるらしく、父、長男、長女、次男それぞれが母を思い出す際、ピアノ編曲版や歌唱曲版など、様々に形を変えながら流れてきます。例えば長女。日記に「辛い時はお母さんが好きだった歌を口ずさんでがんばっています」と書いて、おもむろに窓を開けて歌を口ずさみ始めるわけですが、その曲もやはりアルハンブラ。いや、口ずさまねーよ!アルハンブラを好きなのはいいけど、それを鼻歌って無理があるだろ!音程が高く跳躍するところ辛そうだし!・・・なかなか、素敵です。アルハンブラが好きだった母、一体何者でしょうか。自分でギターを弾かないのに子供にまで「お母さんが好きな曲」としてアルハンブラを印象付けるのはまずありえないでしょうから、何かしらギターとは関わりがあったのでしょう。亡くなった時点では専業主婦で、結婚前は出版社に勤めていたという情報が映画の中で出てきました。とすると仕事がギター関係ということはないでしょう。やはり学生時代に弾いていて、仕事を辞めて専業主婦になってからまた趣味の一つとして再開したとか、そんな感じかと思われます。なかなかやります。まぁ映画の中にギターの映像は一度も出てこなかったわけですが。

 しかし『アルハンブラ宮殿の思い出』ってそんなに悲しい曲でしたでしょうか?映画の中で聴くアルハンブラの主旋律は、何だか妙に神妙で悲しく聴こえたのです。あの曲って確かにギターらしい哀愁はあるけど、悲劇的ってほどの重い悲しみは持っていない印象だったのですが・・・。やはり音楽を聴く際その裏にある背景というのは印象に大きく違いを与えるものです。おかげであれ以来、アルハンブラの旋律が私の耳を離れてくれません。これまで(あれだけ曲を弾いてきたにも関わらず)アルハンブラだけは明確な意志を持って弾かずにいた私ですが、最近ちょっと弾いてみようかななどと思ってみたりもしています。私にそのような心境の変化をもたらしてしまうとは運転免許の更新時講習、恐るべしです。

2005年11月18日金曜日

2005年11月14日月曜日

富山初上陸

 この週末は金曜に代休を取り、友人ハバネロの結婚式のため二泊三日で富山に行っていました。これまで新潟と京都を行き来する際に通過することはあっても駅の改札をくぐることはなかった富山。代休を取ったはずなのに仕事の電話に追いかけ回されたり何だりかんだりで、前日の21時前にやっと富山に着きました。新幹線で越後湯沢まで出てそこから特急はくたか。はくたか、意外に混んでました(泣)。ともあれ何とか無事富山初上陸を果たし、雨の中明日の新郎と富山駅前の『Giraffe』という店で0時くらいまで相変わらずなアンダーグラウンドないしはサブカルチャー的な話題に花を咲かせ、初日の夜は過ぎて行きました。

 さて、結婚式当日です。結婚式と言っても何しろ今回は新郎が新郎だけに(?)、どんな式になるのか興味津々なところでしたが、結果から言えば実に彼らしい、フォーマルな流れの中でもいい具合に肩の力が抜けたいい結婚式だったと思います。ハウス系の式場のテラスでの人前式から、写真撮影、新郎ウェルカムスピーチ、上司による主賓挨拶、スライドショー、お色直し、シャンパンサービス、余興、バースデイベアー、お父さん挨拶、新郎締めの挨拶、と流れだけ見ると実に一般的で割と形式張ってそうな進行の中、全然硬さを感じない暖かな空気でゆったりと式を楽しめたのが素晴らしい。まぁ、新郎・新婦の人柄なのでしょう。

 何しろ新郎頑張り過ぎです(笑)。ラスボスからザコキャラ、果ては隠れキャラまで全部一人でやっちゃってました。そりゃもうスライムからバラモス、ゾーマ、果てはマスタートンベリまで。あらゆる場面で出てきました。余談ではありますが、私はマスタートンベリ大好きです。式が開始する前、控え室で友人と待っていたらそこにいきなり普段と同じ調子で緊張感もなく現れる新郎。1階の控え室から3階の挙式場までの移動の際、2階に立って「こちらになります」と皆を誘導する新郎。この時点で挙式前に既にやり過ぎです(笑)。人前式では入場から指輪交換、宣誓、誓いのキスなど、一つ一つの動作を照れくさそうにさらっとこなしてしまう姿が「らしいなぁ」と思いつつも印象的でした。入場の時、笑って立ち止まってましたからね。なかなかそんな新郎いません。式が始まったら始まったで最初のウェルカムスピーチも最後のスピーチも全部新郎やってるし、15kgの巨大シャンパンのシャンパンサービスも頑張ってるし。スライドショーで新婦の小さい頃の写真を一枚だけ左右逆にしておいて、「指摘される前に気付いていたら大したものだ」とのたまったあのくだりはさすがでした。何にしろ、随所で独特のユーモアを交えながら出席者に触れ合う新郎の気配りが肩肘張らないいい空気を作っていたのでしょう。それこそ大したものです。

 そして今回、私は余興で『11月のある日』を弾いたわけですが、実はあの時思ったより酔いが回ってました(苦笑)。んー、多分直前にシャンパンサービスでいただいたシャンパンを急いで飲んで調弦に向かったせいなんでしょうが、紹介されて前に出たときは何か結構ほんわかきてました。二年半ぶりのステージはさすがにちょっと緊張しましたが、その辺りはまぁまぁその酔いがうまいこと緩和してくれたかなという感じです。何しろ大事な友人の結婚式で変な演奏して空気をまずくするわけにはいかないので、その意味での緊張も正直あったのです。まぁ演奏自体は調子のいい時の私特有の「ミスには気付いて気付かぬフリ」の開き直りっぷりが炸裂し、往年の集中力も出ていたので弾いてて結構気持ちよかったです。酔いが回ってた分、多少勢いで押してしまった感はありますが(苦笑)。聴く限りでは評判もなかなかよかったようで、新郎・新婦のために披露宴に軽く一花添えられたなら嬉しいところです。個人的には帰り際代行タクシーに乗り込む際、披露宴でずっとピアノの生演奏でBGMをしていたピアニストの人がわざわざ「ギターの演奏素敵でした」と声をかけてくれたのが嬉しかったです。そして何よりも新郎が繰り返し伝えてくれた感謝の言葉はやはり、「うん、弾いてよかった」と素直に思わせてくれるものです。

 さてさて、そしてこれも新郎がすべてセットアップした(爆)二次会・三次会ですが、久々に見る高校の仲間やほとんど初対面気分(!?)の高校の仲間、新郎の大学時代の部活の仲間等と盛り上がりながら富山の夜は更けて行きました。三次会では大学弓道部の方達が主体で我々高校組は少数派だったこともあり、半ば強引に仲間に入りにいった感もありますが、まぁまぁそれもまた一興でしょう。なかなか楽しいカラオケでした。そして一夜明け、高校の仲間と富山城を散策した後、ホルモンラーメンとやらを試みに食して13:59発のはくたか13号にて富山を去って行きました。普通にモツ煮として食べてもおいしいホルモンラーメン、結構いけてました。

 さてさて、今回の結婚式はなかなか参考になりました。とりあえず「これはいただき」という点をいくつか挙げると、

・乾杯のシャンパンはどうせならおいしい方がよい
・場の空気なんて新郎のたたずまい一つで何とでも変わる
・あくせくイベントを続けるよりは人と話した方がよい
・小さなユーモア忘れるべからず

 といったところでしょうか。二次会・三次会まで新郎がセットアップするのはさすがにやり過ぎかと(笑)。

 新婚旅行、ペルーにナスカの地上絵を見に行くとのことですが、是非楽しんできてください。最近某元大統領のおかげで反日感情が強まっているらしいので気をつけて。ペルーだとフォルクローレの本場でもありますので、是非音楽も合わせて楽しんできてください。

 それでは末永くお幸せに。よい結婚式でした。楽しい時を過ごさせてもらいましたよ。

2005年11月9日水曜日

ワクチン VS 体温

 今日は会社でインフルエンザの予防接種があった。「何を小学校じゃあるまいし」と思うかもしれないが、ウチの会社では去年から全額会社負担で全社員対象にやっている。「インフルエンザで休まれるより、予防接種に金をかけた方が経済的」との理由かららしい。とはいえインフルエンザ予防接種の効果自体が疑問視されている昨今、敢えてそこに金をかけるのも結構チャレンジャーだなと個人的には思うのだが、まぁやるというなら声を荒立てて反論する程のことでもない。「去年はちゃんと予防接種を受けた後輩がしっかりインフルエンザにかかって倒れてたよなー。そもそも今年流行る型の予想が外れてしまえば予防接種の効果云々以前にホントに意味がないんだよなー」とか何とか余計なことを考えつつも、とりあえずは受けに会場に足を運んだ。

 予防接種会場は社内の会議室。当然社員が何人か並んでいる。予防接種の前には体温測定。これで体温がある閾値以上あると予防接種は受けられない。前にはやたらガタイがよくて元気で健康そのものに見える総務の人が「俺、去年も体温測定で37度5分あって、医者が"ダメだ"というのを"大丈夫です、打ってください"って言って無理矢理打ってもらったんだよなー。平熱高いんだよ」とか言いながら体温を測っている。そして今回も37度0分の熱があった彼は、まんまと医者に接種を断られていた。しかも「大丈夫です、打ってください」と何度も言い切った上で。最後には結局彼が折れて、「ははは、打ってください、打ってくださいって、まるでシャブ中みてーだな」と笑いながら彼は部屋を出て行った。

 さて、いざ自分で体温を測ってみると、なんと見事に37度1分。これでは堂々の接種拒否圏内だ。とはいえ平熱が高い私は37度2分くらいまでなら余裕で通常範囲内。出直しも面倒だからできれば今回打ってほしいと一応説得は試みてみるも、医者の方も「今年のワクチンは強いから37度以上は打てない」と絶対折れない。結局、やはりこちらが折れて明後日の2回目に再挑戦ということになった。しかし、明後日は予定では徹夜作業明け。問診で「徹夜明けなんですけど大丈夫ですかねー?」とか聞いたら絶対ダメって言われるに違いない。何より、37度1分で接種を見送ってなどいたら、私にはいつまでたっても予防接種をすることができないのですよ。

2005年11月8日火曜日

久しぶりに

 実に一週間以上も更新をさぼってしまいました。ここまで休んだのはさすがに久しぶりです。忙しかったのか何なのか、とりあえずなかなか更新しようという気力がなかったのです。そう、それはどちらかと言えば気力の問題なのです。