2003年12月29日月曜日

久しぶりのプライベートコンサート

 久しぶりのプライベートコンサート、正直演奏のデキの方はあまりよろしくありませんでした(苦笑)。とりあえず、いつかまた、今度は南の方までリベンジに行きたいと思います。そう、南の方まで。

2003年12月27日土曜日

嵐の後、年末に向けて

 徹夜仕事ってのは、単発ならともかく終電続きの上に飛び石でとかそういう事態になるとさすがに非常に疲れるのです。いや、ホントに。今日はそんな疲れた体を引きずって、福田進一氏のデビュー20周年記念リサイタルに行ってきました。藤井敬吾先生の新曲など書きたいことも色々あるのですが、あまりの眠気のため今日は会場で藤井先生に会い、軽く挨拶をしてきましたと書くに留めておきます。なんか、久しぶりのせいか話すのにえらい緊張した(苦笑)。ん~、とりあえず寝ます・・・。

2003年12月22日月曜日

トラブルウィークエンド

 トラブル対応に追いたてられた、久しぶり最悪の週末。どうにか、鎮火しないとな・・・。

2003年12月20日土曜日

ホーリー接待、危うく

 いやー、今年は危うくとんでもないクリスマスを過ごす羽目になるところでした。社会人やってるとこの時期は、とかくお客さんとの忘年会などが飛び込みで入ってきたりして飲む機会が増えてきます。そしてそれはどうやら私も例外ではないらしく、今日営業の人から電話がかかってきました。そして私とグループ長はいつが空いてるかと聞いてきます。G長答えて曰く、

「・・・24日しか空いてないなぁ・・・」

 ほほう?24日。なるほど、クリスマスイブですな?つまりこの俺に24日にお客さんをホーリー接待しろと、あなたはそう仰るわけですな?確かに仕事以外予定のないクリスマス、別にそうなったって実害はないです。が、さすがにそれは何か精神的にくるものがあります。まぁ結局この日はお客さんの都合が悪く、飲み会は新年に持ち越しになったので24日に飲みに行くことにはならなかったのでよかったのですが。まぁ別に今さらクリスマスに何がなくても何も起こらなくても悲しみはしません。ですが、

・・・やっぱ24日にお客さんをホーリー接待ってのは辛ぇ・・・(爆)。

2003年12月19日金曜日

"Only1"にケリを入れろ!

 今年の紅白歌合戦、白組のトリはSMAPの『世界にひとつだけの花』だという説があるそうです。以前きよがBBSで「Number1よりOnly1」という歌詞が都合よく解釈されて、個人主義と自分勝手を履き違えた現代の風潮を無責任に後押ししてるといった主旨のことを述べて糾弾しておりましたが、私もこの「Number1よりOnly1」という歌詞には軽く小一時間問い詰めてやりたいツッコミどころをたくさん感じています。

 まず何よりも、「キサマ本当にNumber1よりOnly1の方がいいと思っているのか!? ってゆーかそっちの方が楽だとでも思っているのか!?」と問いたい。Number1なんて、なろうと思えば実は結構すぐなれます。揚げ足取るような言い方するなら、「俺はこの三人の中でジャンケン一番強いぜ!」とか言い切ってみたってNumber1はNumber1なわけです。少なくとも言葉的に間違っちゃいない。ところが、Only1となると話が変わってきます。そもそも「Number1よりOnly1」というこの歌詞、「個性が大事」だとする現代の(半ば押し付けや洗脳に近い形で与えられた)風潮から来てるわけです。とするなら、この歌詞は「何かが誰よりもよくできる人よりも、誰よりも個性的な人の方がカッコいいんだよ」と歌っているわけです。いや、多少強引な解釈だということは百も承知、半分ネタとしてこのまま突き進ませていただくと、要はこの歌詞は個性礼讃なわけです。なるほど、それ自体確かに悪くない。別に私も否定しません。ですが、無責任に個性の開拓というイバラの道に若者を送りだしてもいいものなのでしょうか(爆)。

 冷静に考えてください。個性的であるということは要は差別化であり、オリジナリティであるわけです。ではオリジナリティとは何か。それは独創性です。独創性というのはその原義的にも本来共通性とは相反します。極端なことを言うと、ある人が何か新しいことを考えたとして、その考えが他の誰かに理解されてしまったなら、それはもうその人だけの独創性ではなくなるわけです。つまり、個性がカッコいいというのであれば、そのカッコよさが他人に理解された時点で、つまり他人にもカッコいいと思われた時点で、それは既に個性としてのアイデンティティを失うわけです。私に言わせりゃ「Only1はLonely1」以外の何物でもありません。「周りから個性的でカッコいい人だと思われたい」とか考えてるヤツは、そのOnly1の意味を履き違えたただの甘ちゃんに過ぎません。

 ではOnly1を体現している人に会うためにはどうしたらよいのでしょう。・・・精神病院にでも行ってください。個性的で独創的な方はいくらでもいらっしゃいます。ただし、そこでもまだ厳しさが残ります。精神病院に入っている人達の言葉や行動にも、やはり文化圏ごとにある程度頻出するパターンというものがありますし、さらに言うなら全人類的に共通して頻出する言動や行動のパターンもあります。重度のアルコール中毒者が見る蛇の夢などはその典型でしょう。つまり精神病院に至るまで極めてしまっても、それでもまだほとんど大部分の人が真のOnly1になどなれてはいないのです。・・・あなたはそこまでしてOnly1を目指す覚悟がおありなのですか? と、そう問い詰めたいですね。

 とまぁかなり強引にここまで話を進めてまいりましたが、すいません、ただ単に「Number1よりOnly1」という歌詞をちゃかしたかっただけです(爆)。とはいえ、この歌がよくも悪くも現代社会を的確に表わしているのは確かで、その意味ではなかなかバカにもできません。私の目には今の社会ではOnly1が均質化されているように映るのです。本来意味的にありえないことなのですが。「これがOnly1だ」とメディアで流れたものを、そのまま身につけて「自分も個性的だ、Only1だ」と思っている、そんな大量生産の個性。これも思考停止の一形態ですよね。傍受した情報を何の解釈も通さないままそのまま身につけてしまうから、そもそも大量にメディアで流れているような服やアクセサリーや音楽や言葉で身を包んだところで、そんなもの他に持っている人もたくさんいるただの既製品の一つだということにすら気付かない。渋谷の街を歩いているとつくづくそう思います。そして多分彼らは意識はしてないんでしょうが、Number1っていうと例えば東大合格とか、そんな世間的なステータスしか彼らの目にはNumber1に映らないわけで、それは無理だろうという甘えが安易なOnly1志向に流れていくわけです。ただ情報を傍受するだけのスタイルに慣れきっているから、逆に葛藤がないんですね。思考を流す習慣がないから、逆に行動がすぐ流れる。周囲の世界が与えてくる情報にいちいち解釈をつけていく、その習慣もないから自分のことだけを考える。そしてそれが直接的に個人主義につながっていく。

 まぁ、数は今程多くなくても、実はそんな人間は昔からいました。それでもそんなのでも認めざるを得ないような凄い才能を持ったヤツならまだしも(ロックの世界にはそんなヤツもいくらかいる)、残念ながらそんな人間世の中に何人もいません。凡才や並の天才は、どこかで思考停止やそこから派生する個人主義からは脱出しないといけないと思うわけです。以前もこの日記で紹介した気がしますが、JUN SKY WALKER(S)の『My Generation』という曲にこんな一節があります。

 大人になる前に知るべきことがある
 自分のやり方とわがままの違いを

 個人主義も結構ですが、わがままは端で見てて見苦しいからやめていただきたい。仕事をやっているとわかるのですが、個人主義を貫いていて仕事ができて、しかも周りからも信頼されている人は、やはり自分のやり方とわがままの違いをよく理解していると思うのです。そのためには、常に世界の情報を解釈していかなければならないのです。・・・疲れますけどね、実際。

2003年12月16日火曜日

自分に言い聞かせる言葉

 後悔というものは、やってきたことに対してするものではない。やらなかったことに対してするものだ。これまでの人生で、自分がやってきたことに対する後悔はない。「昨日飲み過ぎた」とか、そんな細かいのはさすがにあるけど。ただやっぱり昔から、本当に後悔することはやらなかったことに対してだ。こう見えて、意外とやらないことは多い。思うところを表に出さず、そのまま飄々と過ぎていく時を見送ることが。時々思い出す。可能性というものは、試してみなければあくまでもゼロなのだよ?

2003年12月15日月曜日

おいしい焼酎を高円寺で

 久しぶりの三タテ飲み会、どうにか無事に乗り切ってきました。いやー、でも昔ほどのムチャは効きませんね・・・。昨日は大学時代の友人と二人で飲んでいたのですが、手始めにビールを一杯飲んでから後はひたすら芋焼酎。一杯360円のクラスから最後は一杯1,200円のものまで、下から上でランクを駆け上がる感じで軽く10杯近く飲んできました(爆)。ちなみに、この店では『魔王』が560円で飲めます。安い!しかしその安い店で二人で16,000円超飲み食いしたという恐ろしさ。ってゆーかほとんど酒代です。明らかに飲み過ぎです(苦笑)。

 今回行った高円寺の『鶏の穴』という店は料理は鳥が専門の店で、焼酎や日本酒も非常に品が揃っているという実に素敵な店で、美味しい鳥刺しやレバ刺しでお好みの焼酎が楽しめます。また鳥がムチャクチャうまいんだ、これが。高円寺はフラメンコで有名な店もある(らしい)ですし、寺山修司の世界を彷佛とさせる(?)異様にゴシックな世界を構築している喫茶店や、明け方まで開いている沖縄料理・泡盛の専門店『だちびん』もあり、飲み遊ぶには最適な場所です。

 昨日飲んだ中でのお薦めは『流鶯』という芋焼酎。『ルオウ』と読みます。一杯900円で、しかも飲み方はストレートのみでしか出せませんという店のこだわりっぷりが素敵なこの焼酎、非常にまろやかで深い味わいが素晴らしかったです。個人的には1,200円の『喚火萬膳』より美味しかったですね。芋焼酎が好きな方にはかなりお薦めです。

 その後はコーヒーを一杯飲んで少し落ち着いた後、さらにバーに入ってウィスキーを二杯ばかりいただいて、やたらと混んでる終電に体力を削り取られながら家路につきましたとさ。総計ビール1杯、焼酎10杯近く、キューバ・リバー1杯、I.W.ハーパー2杯。・・・さすがにしんどいです。焼酎やウィスキーは次の日に残るダメージは少ないからまだよかったものの、それでも朝はひどい頭痛とムカムカする胃で相当不快な目覚めをしたとのことです(苦笑)。

2003年12月12日金曜日

ネタがなく

 忘年会ラッシュ、開始!って感じですな。

 ・・・ちっ、ロクな日記じゃねぇ・・・。

2003年12月11日木曜日

土日に普通に休むために

 もう少し、あと少し、今週を無事に乗り切れば、この長かった激しくシュールな道程にもとりあえずの終わりが見えてきそうです。束の間の終わりに向けて、まずは明日の納品で勝利しなければならないのです。土日と普通に2連休が取れる生活を勝ち取るために、さぁ、頑張れ俺!

 ・・・あ~、しんど・・。

2003年12月9日火曜日

夜唄、断片

 静かに夜の帳が降りて
 白い月がほら闇に浮かぶ

2003年12月8日月曜日

HA-HA-HA-

 ハイ!そこの駅のホームに腰までべったり座り込んで、恍惚と目を閉じながら長々とディープキスかましてるそこの若いバカップル!キサマら一体何者だ!? しかも座ってるのベンチとかじゃないですからね。ホームのゴミ箱の前の床に思いっきりべたーっとですからね。思わず右に左に揺れながらにちゃにちゃやってやがる後頭部に勢いよく前蹴りぶちかまして、「何すんだ」くらいの勢いで睨み返す男を上から見下ろしながら「おっとゴメンよ、気付かなかったぜ、ボーイ」くらいの台詞の一つも決めてやりたい衝動に駆られました。ちなみに台詞を決める時のポーズは外人風に肩をすくめて両掌を上に向け、背後にHA-HA-HA-って効果音が書いてありそうなくらいの感じか、あるいは伸ばした人差し指を眉間に置き、顎をちょっと上向きにしながら眉を気持ちハの字に持ち上げて、いかにも相手を見下す感じで。また女、ホントに恍惚とした表情してやがったしな。たいした度胸です。

 あの瞬間、日吉の駅で相当話題沸騰なバカップルでした!!!

2003年12月7日日曜日

生活がかかった音楽と生活に根付いた音楽

 やはり、生活がかかった音楽よりも、生活に根付いた音楽の方が強いように思う。ハングリー精神じゃ音楽の才能なんて育たない。ある程度以上のところに、ハングリーじゃ乗り越えられない壁がある。フラメンコなんかは生まれた時からそこに音楽があり、文化がある。クラシックやロックじゃそうはいかない。例え両親が高名な演奏かとかだったとしても、所詮はその家族内だけで留まってしまう。今の世界に街ぐるみでクラシックとかロックとか、そんな文化を息づかせているところはないですからね。その点フラメンコとかソンとかアイリッシュとか西アジアの方とか、そういったものは少ないながらも生活空間がまるごとその音楽の土壌であり文化であるという、そんな所が確かにある。そしてその文化空間の中で生まれ、育ってきた人達は、外の世界で音楽を身に付けてきた人がどうしても追いつけない何かをやはり持っているものです。そしてそれがそのまま音楽の力になる。音楽と魂のシンクロ率100%って感じですか。そんな音楽もやはりいいものです。他所者には本当にその音楽が理解できるのか等という文化人類学的に素朴な疑問もあるわけですが。

2003年12月5日金曜日

All we are saying is...

 ん~、今週と来週がヤマです。これがまたなかなかホントに忙しい。無理矢理にでも来週一杯でカタを付ければ、少しは人間的で文化的な生活もできるようになるでしょう。カタが付けられれば、の話ですが・・・。ああ、読む本も書くネタもたまってきました。ギターを弾く時間もほしいのです。

All we are saying is give free a chance!!!

2003年12月3日水曜日

旧約聖書より

 塵からは、災いは出てこない
 土からは、苦しみは生じない
 それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ
 火花が必ず上に向かって飛ぶように

『ヨブ記』第5章6-7節