2007年8月27日月曜日

一週間

 この一週間は、いくつかイベントがあった。簡単にまとめて行こうと思う。

 まず先週日曜日。龍大のまんごれがウチに遊びに来た。エグベルト・ジスモンチのコンサートを聴きに上京するので、ウチに宿を求めて来たわけだ。京都学生ギター連盟の古き盟友。久し振りに積もる話などして、京大の聖帝殿との最近の活動など聞きつつ、相変わらずエネルギッシュなまんごれの活動っぷりに刺激を受けたりしていた。そして会話の中で「お互いにブログがくどい」という話しになった。脱・くどいブログということで、これからは短くスッキリとまとめるよう努力したいと思う。

 今年の甲子園は佐賀北高校が優勝した。その名の通り、佐賀の県立高校。妻が佐賀県出身なので、一回戦からウチも両方の実家も応援していた。延長15回引分再試合を制し、さらに帝京との延長13回の息詰まる攻防、そして決勝での劇的な逆転満塁ホームラン。もう何でもアリの熱い闘いだった。特に帝京との一戦は素晴らしかった。お互いに幾度ものピンチを素晴らしい守備で凌ぐ守り合い。帝京の二遊間のグラブトスからの送球、佐賀北のライトからの素晴らしいバックホームや二度のスクイズ阻止。実に緊張感のある素晴らしい試合でした。今年の甲子園も面白かった。新潟明訓も、頑張っていた。新潟からあんなに三振が取れるピッチャーが出て来るとは思わなかった。大したものです。

 土曜日はマンションのガーデンパーティーがあった。今年は輪番で回って来た理事会の副理事をやっているので、当然色々と準備に奔走しなければならなかった。まぁ始まってしまえば後はただ飲んでいればいいだけだが。とりあえず、このマンションには実はクラシックギター弾きが2人、アマチュアオーケストラでバイオリンをやっている人が1人、音大のピアノ課卒の人が1人いるということがわかった。

 そして今日、日曜日は、寝ていた。そんな一週間。

2007年8月19日日曜日

新潟の夏

 新潟は夏が好きだ。冬の雪や、降る前のピンと張りつめた緊張感のある澄んだ空気も好きだけれど、一番好きな季節を挙げろと言われるとやはり夏になる。

 よく勘違いされるところだが、新潟の夏は別に涼しくない。湿度も高いし、日本海側に台風が来ればフェーン現象で40度近い気温をマークすることすらある。そうでなくとも30度を超えることが珍しい北海道とは違い、8月ともなれば平常的に30度くらいは超える。他の県より1度くらいは低いかもしれないが、別に涼しくはない。夏らしく暑い。それが新潟の夏だ。その、夏らしい新潟の夏が好きだ。

 私の実家は越後平野のど真ん中、信濃川と中之口川という二本の川に挟まれたところにある。山がなければ水田の果てに地平線が見えるであろう広大な米作地域だ。その中で真夏の照りつける太陽の下、片道10km以上の道のりを両サイドが水田、街灯もないような細い農道を毎日自転車で通っていた。それが私の夏の原風景だ。だから、私にとっての夏は海ではない。山でもない。延々と続く平野に広がる水田と、そこで軽く会釈する程度に穂を垂れる、まだ緑の米の稲穂と、その稲穂や茎を輝かせ、葉を白く透き通らせる太陽が夏だ。信濃川や中之口川を吹き抜ける風と、光に乱反射する水面が夏だ。それらは今も夏に帰省すると、当時と何ら変わることなく、美しく躍動感溢れるその姿を見せてくれる。

 新潟の夏は美しい。どこまでも続く平野と水田に稲穂、ゆったりと輝きながら流れる信濃川に中之口川、そしてそれらを新鮮に輝かせる太陽。それらが織りなす水と緑の供宴が美しい。東京や横浜、あるいは京都でも、このような夏の美しさはない。新潟の平野の夏は独特だ。

 高校の通学路は家路に着こうとすると校舎を出てすぐに橋を渡ることになる。どの橋を渡るかはいくつか選択肢があるのだが、普段は当時あったマルヨシに近い橋を渡って通学していた。その橋の上から見える夏の川の景色が好きで、毎年夏の間はその景色を楽しみにしていた。今でも覚えている。ある日いつものようにその橋に自転車で差しかかった際、そこから見える夕陽と、それに映し出される水面に垂れ込めるような木々と静かに流れる川の景色が、あまりに美しくて橋の上で自転車を止めた。そして光が陰るまで、ずっとその場で景色を見ていた。夏の日の夕陽が輝くのは一瞬だ。ふと見ると、それは既に残照に変わってしまっている。多分橋の上で立ち止まっていたのは、ほんの数分のことだったろう。夏の輝きが一瞬の侘びしさを連れて夕闇に変わっていくその風景は、今でも夏の原風景の一つとして心に残っている。

 これから先、どこに行くのか、何をやるのか、結局確かなことは何もわからない。意図した通りに人生がいくとも限らない、いかないとも限らない。ただ、どのようになっても、この新潟の夏の風景は忘れたくないし、できることなら、守りたいと思う。そこは、自分の立つ心の足場の一つなのだから。

2007年8月12日日曜日

猛暑

 今日は全国的に気温が30度後半をマークしました。群馬とかでは38.3度を記録したらしいです。まさに酷暑。その熱中症患者がバタバタと出る猛暑の中、ウチはエアコンが壊れました・・・。付けても15分くらいは動いているのですが、風はまったく冷たくなく、当然部屋も冷えず、15分前後運転したところでエラーを出して止まる。最低でした。何もこの暑い日に、です。室内の温度は最高35度を記録しました。

 自分一人だったら涼しいところに買い物に出かけたり、マンガ喫茶で過ごしたりする等、適当に涼むことはできるのですが、如何せん今は三ヶ月の娘がいます。当然そんな非常手段を取るわけにもいかず、せいぜい部屋の窓を全解放して、風通りをよく保ち、扇風機と扇子を頼りに何とか乗り切りました。この暑さで今はエアコンの修理依頼が殺到し、アサインに時間がかかるということで、ウチに修理が来るのは帰省明けの17日。もう少し、耐えなければならないようです。

 しかしまぁ、この真夏日に冷房なしで一日過ごすというのはやはり少々しんどかったわけですが、久し振りに一日の変化を感じた日でもありました。朝、少々寝苦しい程度の暑さで目が覚めて、午後にかけてジリジリと暑くなっていき、午後2時前後のピークには部屋の中でダラダラと汗を流し、夕方には少し気温も下がり、風も出てきて体感が一気に涼しくなる。日差しの強さや雲の流れ、風の到来と共に感じられるその当たり前の一日の移り変わりが、なんだか妙に久し振りなように感じられました。やはり一日冷房の効いたオフィスにいると(ウチの会社は冷房弱めなので結構暑いのですが)、そんな細やかな一日の移り変わりも気付かずに、忘れてしまうものなのだなと、熱中症寸前のボーッとした頭で考えていました。一日冷房なしで過ごした後に、やってくる夕方の涼しさは落ち着きと開放感と安らぎもつれて来てくれて、とても気持ちいい。夕涼みというのは本来そういうものだったのでしょう。冷房のない夏も、それはそれで気持ちがいいものです。ただし、今日みたいな猛暑でなければ・・・。

2007年8月9日木曜日

無題

 何となく最近、世の中は動いているのだなぁ、と感じる。まぁ改めて感じるまでもなく、理屈から言えばこれまでも動いているのはわかってはいた。ただ、最近は「理屈から言えば」という注釈抜きで実感として、世の中が動いていることを感じる。私が寝ていても世界は動く。いてもいなくても世界は動く。実体としても仮想としても、どんな方向に出さえ動く。今更だ。世界は、目に見える部分だけで構成されているわけではない。ブラジルで蝶が羽ばたけば、テキサスで竜巻が発生する。そのようにして、ともあれ世界は動いているし、つながっている。見方一つで世界は変わるが、見方と関係なく世界は動く。ねぇ、思った以上に、この世界は複雑だ。

2007年8月4日土曜日

近況

 週末にいい仕事をすると、気持ちよく家に帰れる。何か理由がないとグラスに注ぐ気にならないような、ちょっといい一杯を楽しむとしよう。

 娘ももう三ヶ月近い。最近は、「あー」とか「うー」とか「くきゃあ」とか、そんな言葉で何となく話しかけてくるようになった。機嫌がいい夜は6時間とか寝続けてくれるので、夜中に泣いて起こされることも毎晩ではなくなった。これは夜泣きが始まるとまた寝られなくなるのかもしれないが。そして最近は仰向けばかりでなくたまにうつぶせにすると、子ガメのようにグググッと首を持ち上げようとする。両手で踏ん張って、一生懸命持ち上げる。最初右向きだった顔を持ち上げて、必死で左に向き直る。右から左へ受け流す。一つ一つ、細かいことが、「ああ、成長してるんだなぁ」と、実感できる。