2004年3月31日水曜日

去り行く人たち

 ちょうど人の入替・異動の時期です。どこでもそうだと思いますが、ウチの会社もやはり例外ではなく、今日一杯でやめる人もいれば明日から新しく来る人もいます。

 会社のかなり初期からずっと10数年、営業一筋で勤め続けていた人が辞めていきました。正直、うだつが上がるタイプの人ではなかったのですが、それでも随分長い間真面目に勤めていた職場です。彼は今日一日、どんな気持ちで勤務していたのでしょうか。一緒に仕事をしたことがあるわけでもなければ、特別親しかったわけでもない人なのですが、「お世話になりました」という全社員向けの挨拶メールを読んだ時、なんとなくそんなことを考えたりもしました。

 私と同じグループで、同期入社でずっと一緒にやってきたヤツは、去年の6月に辞めていきました。最後の日の前夜まで徹夜で仕事をしながら、深夜4時くらいに「この状態で明日いっぱいでこの会社辞めるなんて全然実感わかないよ」と言っていました。

 2001年3月12日、私のRAINBOW-staff最後の勤務の日記。図書館の最後で、端からヒュンッと音を立てたかと思うとモニタが暗転して電源が次々に落ちていくのを見ながら、たまらなく寂しい気持ちになったのを覚えています。一緒に勤務していた当時研修生だったもう名前も覚えていない女の子に、「この最後に落ちていくマシンを見るのが結構好きだったんだ」というようなことを言った記憶があります。

 去り行く人たちはその最後の一歩を職場から踏み出すときに、一体何を感じていたのでしょう。開放感や安堵感でしょうか。寂しさや悲しさでしょうか。あるいは他の何かでしょうか。それがどんな感情であれ、最後の去り際に何かを思い、感じることができるのなら、それはきっとその仕事や職場に対してそれだけ頑張ってきた、誇りを持ってきた証拠なのでしょう。それがどんな形であれ、その感じたものが強ければ強いだけきっと。その年月が長いとか短いとかでなく。

2004年3月28日日曜日

散々な土曜日

 しかし昨日は散々でした。何か朝から頭が痛いなーと思っていたのです。とはいえ、今ちょっと外耳炎を患っていて、その痛み止めに処方されている薬が基本的にバファリンみたいなものなので、頭痛にも効果があるから大丈夫だろうと、あまり胃に優しくはないポンタールというその薬を飲んで休んでいました。ところが、飲んで一時間とか経っても頭痛はほとんど収まってくれません。まぁこの頃は痛みも耐えられる程度のものだったので、ぐったりしつつも横になって休んでいました。

 そんな時、私の会社携帯が鳴りました。「・・・土曜に電話してくるとはいい度胸だな、誰だ!?」と思って見てみると、なんとそれはとあるお客さんAからです。頭痛いしあまり出たくはないんだけど、土曜に携帯に直接電話してくるくらいだからまぁきっと急ぎのようなのだろうと電話に出ます。すると案の定今テスト稼働中のシステムに不具合が起きていて、月曜朝から上層部にデモをするのでなんとかしてくれとのこと。仕方がないので「明日(つまりは今日)直します」と約束して電話を切ります。それがストレスになったのか(そんな弱い神経してるつもりはないのですが)なんか段々頭痛もひどくなってきて、メールを打つ余裕すらなくなってきたので、それまでコタツで横になっていたのから本格的にベッドで横になり、じっと目を閉じて痛みをやり過ごします。そのうちに、うつらうつらと眠っていました。

 ・・・ところが、その回復のための眠りの最中、また会社の携帯が鳴りました。今度は何だ!? と思って見てみると、な~んと今度は別のお客さんBからです。「どいつもこいつも土曜にわざわざ携帯に直接電話してくるなんざ余程仕事が好きなんだな」と心の中で悪態をつきつつも電話に出ます。今度はトラブルではないものの、金曜日に確認したはずのことの再確認の電話。それだけか!? 土曜にわざわざ携帯に電話かけてきて本当にそれだけか!? と心の中で叫びながら電話を切ります。

 頭痛はさらにひどくなってきています。なんだか吐き気までしてきました。こみ上げる嗚咽に耐えながら、重く鈍い痛みの走る頭を抱えてトイレヘ行き、何事もなくベッドに戻る、そんなことを何度繰り返したでしょう。しまいには頭痛が耐えられないくらいになってきて、手足もしびれてきました。枕の上に頭をおくと、頭蓋骨の中にある鉛玉が転がって頭蓋にぶつかったかのような鈍い痛みが頭に響きます。「これはダメだ」、私はそう判断しました。頭痛薬飲んでるのにまったく痛みが引く様子もなく、吐き気にまで襲われています。土曜日の午後、近くの町医者はやっていません。もっとひどくなって全く動けなくなってから救急車を呼ぶくらいなら、まだ動けるうちに自分から救急病院に赴こう。それが私の判断でした。とりあえずコートを羽織り、サイフと保険証を持ってフラフラと家を出ます。黒のロングコートを着て、頭を抱えてよろけながら歩いている私の姿は道行く人にはきっと奇怪に写ったことでしょう。それでも、そんなことを気にする余裕はそのときの私にはありません。通りすがりのタクシーをつかまえて、自分でも「やばいな、これは」と思うくらい弱々しい震えた声で「一番近くの救急病院までお願いします」と告げ、道中吐き気を必死でこらえていました。

 結局病院で診察を受けて、家に帰り着く頃には頭痛も微弱なものに変わり、昨日一日ぐったりと休むことで今日は普通に回復し、無事に仕事をこなしてくることもできたわけですが、いやー、あの頭痛はひどかった。人生最高クラスの痛みでした。散々な土曜日です。

2004年3月27日土曜日

『3月9日』

 何はともあれ、レミオロメンの『3月9日』は確かにいい曲だと思うのです。たとえ今までバンド名をロミオメロンだと勘違いしていたとしても。

2004年3月26日金曜日

新たな相棒、突然

 今日、突然何の前触れもなく、私の家に一台のマシンが増えました。それはApple PowerBook G4 1GB 15インチ Comboドライブモデルです。現在市場価格249,800円で売られている、Macのハイエンドノート。急に舞い込んだお買得情報の元、思わず買ってしまいました。

 今日の昼頃過ぎ、ウチのグループ長が私に向かって言いました。「即金で145,000円払えるなら、今日PowerBook G4が安く買えるぞ」とのこと。ちょっとしたアウトレットみたいな新古品で、OSの再インストールが必要という条件さえ構わなければ保証書付きで、AirMac Card(定価約10,000円)も付けて、消費税込みで145,000円ポッキリ!なんと11万円程度のプライスダウンです。この一ヶ月程、「今度こそ新しいマシンを買おう」と、価格的にはiBookだなー、軽いのがいいから12インチモデルかなー、でももう少しパワーほしいかなー、と悩んでいた時に来たこの話、思わず即金で出して今日持って帰ってきました(爆)。まぁ新マシン購入のための予算は結構前から確保してあったので、急な話とはいえ別に家計が狂うというわけでもありません。むしろ元々予算外だったクラスのマシンが不意に予算内でしかもおつりが来るくらいまでプライスダウンしてきたわけですから、そりゃ買わない方が損ってもんです。もう夕方から会社でOSの再インストール始めて、ほとんど仕事になってませんでしたからね(←オイ!)。ホクホクです。

 ともあれこれで、長い間(なんと7年間!)私のメインマシンを勤め上げてくれたPower Macintosh 7300/166も、少しずつ仕事をこのPowerBookに引き継いで引退していくことになりそうです。とはいえDTM(私の場合は譜面作成とか)はハード/ソフトの現在の状況からしてすぐの移行は難しいので、まずはネット周りからですねー。しかし快適ですよ、PowerBook G4。HTMLの描画に処理時間が取られるのが体感でわかる現在のマシンから一気にグレードアップです。しばらくはこれで遊べますね。

2004年3月25日木曜日

人生のバランス

 今週は久しぶりに「疲れた」とため息をつく程の忙しさ。昨日は久々の深夜作業でギリギリ終電帰宅、今日も朝6時半起床で8時出社し、午後から客先で打ち合わせ、環境構築作業と昼食や休憩を取る暇もない程でした。いつも年度末は当然のことながら忙しいのですが、今年は3月検収のスポット作業はあってもシステム納品のプロジェクトがあるわけじゃないからまぁ楽だろうとタカをくくっていたのですが・・・。やはり営業や他の部署や、当然お客さんも年度末決算、棚卸しに向けて神経ピリピリしてくるわけで、さすがにそう簡単に年度を越させてはもらえないようです(苦笑)。とはいえ去年の一人プロジェクト平行2本よりは余程マシですが。ん~、でもさすがに疲れた。

 今の世の中仕事で忙しいことは別に悪いことではないと思うわけですが、とはいえ忙しさの中で心のゆとりまでなくしてしまいたくはないなぁと最近強く思うわけです。私も忙しい時はついイライラして、八つ当たりしたりはしない(してない、と思う)のですが、何かと他人への対応がそっけなくなりがちだったり、目の前の仕事をこなすのに一杯一杯でプライベートなんて忘れてしまったりしがちです。何か1つのことに向ける集中力の強さは私の武器でもありますが、それは同時に欠点でもあり、これから先、人生歩いていくのに色々なことのバランスをもっとうまくとっていかなならんなぁと、ぼんやり思ったりするわけです。草々。

2004年3月22日月曜日

クリーニング屋のおばちゃん

 行きつけのクリーニング屋のおばちゃんには、もう完全に顔を憶えられている。小柄で丸顔の、でもちょっと一見取っつきにくそうな、ところが話してみると朗らかに笑っているという、なかなか複雑な外見の持ち主なのですが(笑)、いつもスーツを出しに行くと結構気を使ってくれるのです。「ちょうどayum君のお母さんと同じくらいの歳だからね」と言って、本来サービスではないのであろうボタン付けや、裾上げの糸が解れて上げていた布がダランとたれてしまっているのを繕ってくれたりとか、色々としてくれるのです。なかなか、街中で人の温かみに触れられることの少ない都会暮しで、このクリーニングのおばちゃんは素敵です。ちなみにこの店おばちゃん二人でやっているのですが、もう一人の方はちょっと無愛想です(笑)。

2004年3月18日木曜日

音楽という主題による小雑感

 日本人はスズムシやコオロギなど秋の虫の音を心地よく思い、風情を感じる。ところが、ヨーロッパなど他の文化圏の人達には、それはただの騒音にしか聞こえなかったりもするらしい。僕らが外国文化圏をルーツに持つ音楽を聴く時、その文化圏で生まれ育った人達と同じ音を聴けているのだろうか。

 もし文化圏が違えば聴こえる音楽も違うと仮定したら、僕ら日本人の音楽性というものは、ブラリと宙に浮いてしまう。残念ながら今の大半の日本人にとって、日本古来の音楽はほとんど感性のルーツとしてはありえないだろう。西洋文化由来の音が至る所で流れる現在、その音が本来持つ響きが日本人には聴こえないとしたら?現代の日本人は音楽世界の孤児となってしまうだろう。

 そんなに難しく考えることはない、ただ聴こえ、感じられるものを信じればよいのだ、という意見もある。どのみち僕らは他人の感性など生きられないし、芸術はすべからくその受け手の中でのみ価値ある意味を生み出せるものなのだから。

 近代以降、クラシック音楽は専門家による分業によって新しい発展を遂げてきた。楽器製作の専門家、作曲の専門家、演奏の専門家・・・。専門家が作った曲を、演奏の専門家が、やはり専門家の作った楽器で奏でる。なるほど、1つ1つの完成度は確かに上がったのかもしれない。では、音楽を生み出す専門家はどこに?

 ホセ・ルイスは悠長に言った。「作曲家は何も知らない」と。

 クラシック音楽も昔は演奏家と作曲家の間にほとんど垣根はなかった。バッハもモーツァルトもベートーベンも、優れた作曲家であると同時に優れた演奏家であり、特に即興の名人であったという。今、クラシックの世界で即興が聴けることはほとんどなく。クラシック音楽がメフィストフェレスと交わした契約は、美しさと引き換えに魂を渡すことだったのかもしれない。

 だが、誰もがキース・ジャレットになれるわけではない。

 キース・ジャレットはこう言った。漫然と聴くのではなく、精神を集中して聴き取ることは、「動き」や「変化」を超えた真に積極的な行為であると。コンサート会場にあってそうしてその場に聴衆が一人もいなくなり、全員が音楽に参加すること、それこそが創造のプロセスなのだと。

 こう解釈した。受け手は音楽を自分の中で何かと結びつけ価値を生み出していくことの積極性により、ただの受け手でなく創造への積極的な参加者になれるのだと。感動は、各々の人の中にしか生まれない。それを得るには、精神を集中して、参加しなければならない。音楽に、人生に。

 まぁ、難しく考えなくてもいい。何かに感動できるということは、まだ人生から降りていない証拠なのだから。あるいは、まだ人生に参加できる証拠なのだから。

 断片的に思い浮かんだまま書き連ねた、音楽という主題による小雑感。

2004年3月16日火曜日

暖かい音楽が聴きたい日

 帰ってきて、ふと暖かい音楽を聴きたいなと思った。普段はどちらかというと重い、暗い、あやしい、といった言葉達が似合う音楽を好むから、割に珍しいことではあるのだけど、とにかく今日は暖かい音楽を聴きたいなと思った。さて、何がいいだろうと考えてみると、これが意外に思いつかない。例えば、世間で俗にヒーリングミュージックだとか癒し系だとか言われているようなジャンルの音楽、あれらは実はあまり暖かくはない。むしろどちらかというとヒヤリとした触感の熱冷まシートみたいな音が多い。じゃあ単純に長調のゆったりとしたナンバーを選べばいいかというとそうでもなく、『ジュピター』とかも何か暖かな落ち着きよりは仰々しいように感じてしまう。ラッセルの弾く『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』やグールドの弾く『ゴールドベルク変奏曲』のアリアといった、そんなイメージ。

 今日は、キース・ジャレットの『ブレゲンツ・コンサート』を選んでみた。2枚目の『ザ・ケルン・コンサート』を買った時に一緒に購入してきたこのCDは、もう『ザ・ケルン・コンサート』に次ぐお気に入りになっている。このコンサートの出だしは暖かく、優しく、少しの哀しさと大きな落ち着きと、そして控え目な喜びを紡ぎ出しているようで。進むに連れて前衛的で激しくなっていくので後半はあまり初心者向きとは言えないけれど、とにかくこの出だしの暖かさは他の音楽ではなかなか感じることのできない種類のカタルシスを連れてきてくれる。しみじみと、聞き入ってしまうのだ。

2004年3月14日日曜日

笑っていこう

 泣いても怒っても笑っても、どうせ人生は一度きり。同じ一度の人生ならば、笑わにゃ損だとはまぁよく言ったもの。どうにもお気楽で楽観的すぎる感じもいたしますが、実際結局そうだと思うのです。しかめっ面した充実は、やっぱりどこかに無理があるようで、結局どこかに笑顔がなければ長続きしない。ちょっと小難しく言えばそれは緊張と弛緩となるわけですが、そんなゴチャゴチャ言わずとも、やっぱり人生笑っていられなきゃうまくいかんなと、そう思う次第です。

2004年3月12日金曜日

『耳をすませば』雑感

 本当はちゃんと日記を書いてから寝ようと思っていたのですが、昨晩はいつの間にかコタツで寝入ってしまっていたので、この12日の日記は13日の日中の更新です。最近更新サボリ気味ですからねー・・・、しっかり書かないと。

 金曜ロードショーで『耳をすませば』を見ました。といってもまぁ途中からです。これまでにも何度か観た、ジブリの作品の中でもお気に入りの部類に入る作品です。また主題歌の『カントリー・ロード』がいいんですよね。大学3回の頃のギタ連定演の合同ポピュラーアンサンブルで、私の編曲でこの曲を演った時は、周囲から「難しすぎ!」と非難を浴びたものでした(苦笑)。2nd以外はそんなでもなかったと思うのですが(そして私はまんまと2ndを弾かされました)。

 それはさておき、あの作品のどこが好きかというと、出てくる登場人物達のひたむきさがいいのです。まだまだ若い主人公達の青春の輝きと言ってしまえばそれまでなのですが、それだけではない、彼らの「何かを作り上げること」に対する誠実さと優しさ、厳しさが伝わってくるのが好きなのです。それはバイオリンを作ることだったり、物語を作ることだったり、あるいは二人の関係を作り上げることだったりします。それら一つ一つに対して、自分で決めた道を信じて、ためらいなく、精一杯進んでいく姿が胸を打つのです。そしてそれを見守る両親やおじいさんの姿も。

 『耳をすませば』を久しぶりに観て、登場人物達のひたむきさを見るにつけ、「自分は一体何をやっているんだろう」という気になってきました。いつの間にか、彼らが持っていたようなひたむきさや一生懸命さといったものが、自分の中からなくなっていることに気がつきました。学生の頃、文章を書いたりギターを弾いたりしていた時。あの時文章やギターと向き合っていた私には、『耳をすませば』の主人公達のようなひたむきさは確かにあったように思います。ところが今は、仕事にも慣れてきて8割の力くらいで適当にこなせるようになってしまって、一応の勉強は続けているものの入社当初の熱さはなく、ギターや文章も悲しいことに惰性の領域に入りかけているのです。いつの間にこうなっていたんだろうと、見ていて少し情けなくなったりもしました。これじゃいけませんね。もう一度、心を立て直さなければならないのです。今ならきっとできるでしょう。世に流されて生きていくのは簡単かもしれませんが、それだけではつまらない。ゾクゾクと、心が痺れるようなあの瞬間を、再び自分の手で創り出せるように、鈍った感性を研ぎ澄まし、しっかり世界を、自分を見ていこうと思ったのです。

 ところで『耳をすませば』は話も音楽も、非常に素晴らしい作品だと思うのですが、あのラストだけは何度見ても、・・・ですね。こっちが恥ずかしいっちゅの(笑)!

2004年3月9日火曜日

危険な入浴剤

 最近は色々な入浴剤が出ています。私は基本はバブなのですが、ときたまちょっと気分を変えたい時などは変な入浴剤を使ったりします。渋谷のロフトに行きますと、エスカレーターを昇るまでもなく一階に、そりゃもうたくさんの入浴剤が思いつく限りのバリエーションで売られてますので、変なの探すのには事欠きません。カモミール、ラベンダーなど比較的常識的なもののバリエーション(おみくじ付きとか)ならまだいい方で、アミノ入浴剤やら海洋深層入浴剤やら豆乳、野菜生活、はちみつレモン、羊乳、死海、炭、泥、エトセトラエトセトラ・・・、とにかくよくもまぁこんなの商品化しようとするもんだというくらい様々なものがあります。この前は比較的ポピュラーな部類に属する商品ではありますが、唐辛子風呂にやられました。

 それは単純に粉やタブレットを湯に溶かすタイプのものではなく、ティーパックみたいなのに入っていて、湯の中で揉んで煮出すみたいな形で使用するものでした。そのパックの中には唐辛子やその他の葉っぱ(?)なんかが入っています。その形式からして、粉や錠剤のものよりも自然かつ高い効能が期待できるのではというわけです。ところがこの入浴剤、効きすぎでした(爆)。いや、何が凄いってまずその匂いっつーか刺激。封を切っただけで空気中に舞った僅かな粉が肺に入り、ただパックを外装から取り出しただけなのにむせて咳込んでしまいましたからね。しかもまた止まらないんだ、その咳が。その強烈な刺激に「ホントに大丈夫かよ、これ?」と思いつつ、とりあえずは湯舟にパックを叩き込み、数回揉んでダシを出して唐辛子風呂を完成させます。立ち篭める湯気からはまぁ、空気中の粉ほどの凶悪な臭気は発していないようです。・・・湯舟に入る勢いもおっかなびっくりだったのは言うまでもないでしょう。まぁ、いざ入ってみると湯は案外まろやかで、しかも確かに温まり方は尋常じゃなく、大して熱いお湯でなくてもすぐに芯まで温かくなってくれました。こりゃ確かに肩こりや腰痛なんかにゃ間違いなく効くでしょう。・・・けど、あの最初空気中に舞った唐辛子の粉は凶悪すぎます。

2004年3月8日月曜日

南に降る雪

 三月にもなって思い出したかのように降り出した南の雪。これを名残り雪というのだろう。冬に立ち返った玄界灘の風は冷たく、砂浜に打ち上げられ、埋まって乾いた貝殻が、敷き詰められた新雪の代わりにパキパキと足元で心地よく鳴る。クシュッと潰れる雪の結晶ではなく、小枝を踏み折ったような感覚で靴底を刺激する大小様々な貝殻。白い雲が浮かぶ青い空、小さな雪の欠片が潮風に舞う。何故ここにいるのかという疑問は不思議となく。ただ、これからどうするのだろうと。

2004年3月5日金曜日

変化を包容せよ

 変化を恐れて臆病な永遠を望むよりは、よりよい変化を目指せるように。変化を、包容せよ。

2004年3月2日火曜日

Down

 ・・・風邪をひいてしまいました。どうも昨日の朝から喉は痛いし、なんか全身がゾクゾクすんなぁとは思っていたのですが、昨晩帰ってきてから熱を計って確信しました。これは風邪です。まぁ京都でも鳥インフルエンザが流行ってることですし、しかもその感染した農場の卵は新潟県内にも出荷されていたことですし、私も風邪の一つくらいひいてもおかしくないでしょう(?)。とりあえず今日は午前中の外せない打ち合わせを終えた後は、わずかな業務上の微調整のみこなして午後から半休もらって帰宅、大事をとって養生していましたとさ。はーあ。