2006年1月30日月曜日

無題

 少しばかり頭が痛い。疲れやら体調のせいなのか、それとも飲みなれないワインのせいなのか。何と言うかまぁ、色々な事がある。こちら側にもあちら側にも。諸々の思いを抱えながらも、さぁ、また、明日から、戦場へと戻らなければ・・・。

2006年1月29日日曜日

ハードな日常と一目惚(?)の『甘ったれクリーチャー』

 年が明けてから土曜日はすべてフル出勤、日曜も結構仕事、平均睡眠時間は3,4時間という割に素敵な日常を過ごしている私ですが、今日も今日とて朝7時半出社でメンテ開始、19時半までフルに仕事してました。ちなみに前夜は終電(0時19分渋谷発)帰宅です(笑)。とはいえ今日で大きな山は一つ越えたので、月曜にもう一つ大きな山を越え、2月中旬までかけて中くらいの山を3つ超えれば、やっと少しは落ち着けるだろう目処が見えてきました。ん?見えてきた、・・・のか、これは?

 というわけで肉体的な疲れはともかくとして、集中と緊張を強いられる日常のストレスはやはりどこかで解消しなければなりません。先週は『ポーラ美術館の印象派コレクション展』に行ってきましたが、今週は20時くらいに日吉に着いてから駅と一体化している東急デパートの本屋と古本屋を巡っていました。取り立ててお目当てがあるわけでも、今日は実際何か本を買ったわけでもないのですが、本屋というのは個人的にはとても落ち着く場所なのです。まぁ本は人よりは読む方だとは思うけど、本の虫という程ではない私ですが、でも本に囲まれていると落ち着くのです。そんな家庭環境だったせいでしょうか(?)。私の場合は立ち読みもほとんどせず、表紙や背表紙や本屋さんのアピール文なんかをのんびりと眺めながらフラフラと店内をさまようだけなのですが(苦笑)。

 そしてとりあえず毎週のように立ち寄っている古本屋に行って何かいい本入ってないかなと物色しているとき、ふと骨太な音を出しているエレキギターの音に耳が止まりました。真空管特有のざらついているのに暖かなオーヴァードライブ。その図太いサウンドのギターリフにと裏打ちを刻むハイハットに乗る哀愁を含んだヴォーカルのメロディー。そのBGMを聴いて一瞬で「ああ、凄くカッコいい曲だな」と思いました。最初はその音と雰囲気からDIZZY MIZZ LIZZYかなと思ったのです。彼らのアルバムは一枚しか持ってないし、まぁ俺の知らない曲なんだろう、と。ところが、よく聴くとなんと歌詞が日本語です(爆)。何というか、特に大学に入ってクラシックやら民族音楽やらが普段接する音楽のメインになってから、どんどん歌詞を聴かなくなっていっている感じです。メッセージ性なら詩に持たせるのではなく音で出せという、ある意味酷な要求を突きつける嫌な聴き手です(爆)。とはいえその曲、もの凄くカッコよかったのです。よく聴くとなんか何処かで聞いたような声。どこかで聞いた声なのです。必死で思い出しました。

「・・・草野マサムネじゃん!?」

 そうわかったのはいいのですが、次には混乱が私を待っていました。スピッツをちゃんと聴いていたのなんてフェイクファーをレンタルで借りたくらいが最後です。そもそもCDなんて一枚も持ってません。「あれ?スピッツってこんな骨太なギター弾くバンドだったか?」。マサムネがスピッツとは別に作ったユニットかなと本気で思ったくらいです。何しろマサムネはあの独特の声質。一度わかってしまえばまぁまず間違いようがありません。とすると『空も飛べるはず』や『愛の言葉』、『スパイダー』、『不死身のビーナス』、『チェリー』といったような私が知るスピッツでは、この重さのギターは正直ありえない。これは何だ!? って話になります。結局店内で本の物色そっちのけで一曲聴き切った私は、カウンターの方に歩いて行って今かかっているCDを確認します。『スーベニア』。・・・結局スピッツかよ!? 「こんなに重いギター弾くバンドだったっけ?」という思いはともかく、私はその古本屋を後にしてTSUTAYAへ向かいます。中古CDも売っているそのお店、本来はそこで買って行くべきなんでしょう(苦笑)。ごめんなさい・・・。

 無事にTSUTAYAで『スーベニア』をレンタルできた今、部屋ではかなりのヘビーローテーションでその一目惚れの曲だった『甘ったれクリーチャー』がかかっています。ん~、やっぱりカッコいい。ほとんど他の曲そっちのけです(爆)。絶対カラオケで歌ってやろうと思うわけですが、この曲って音の割に歌詞が何かちょっとはずかしいなぁ・・・。

2006年1月24日火曜日

ライブドア・ショック

 『ホリエモン逮捕』。その報はYahoo!ニュースasahi.comが速報の第一報を伝えたのとほぼ同時にウチの社内にも広がった。IT界の寵児として象徴的な存在だっただけに、今回のライブドア騒動の注目度は社内でもさすがに高い。まぁ事の真偽や報道・風評のあれこれはともかくとして、個人的にはこれで少し安心した。IT社長としての堀江氏はともかくとして、政治家として出馬しようとした堀江氏は正直まったく好きになれなかったから。

 ビジネスの世界だからこそあのやり方でも英雄になれたし、それを別段非難しようとも思わない。エグイっちゃエグイが、それを言ったら資本主義と言う仕組自体がグロテスクだ。個人的には資本主義というもののグロテスクさそのものから目を背けた状態で堀江氏の手法の非難をしても意味はないと思っているが、誰もそこには触れないし興味も持たないようだから何も言わない。そもそもこれは別の話だ。ただ、政治家としてあのビジネスでの手法をやられたら、社会がとんでもない事になる恐れがある。強者をより強く、その収穫逓増の原理はビジネスの世界でならイコール価値の増大になるし、市場原理は根源的に無慈悲だから仮に勝てなかったとしても自己責任だ。だが、政治はそれでは困る。あの思想で政治をやられたら、ひどく荒んだ競争原理が膨張して、華やかな虚像と水面下の緊張が常に拮抗する、精神的にゆとりのない世界が出来上がりかねない。最悪、ただの独裁政権になるかもしれない。

 これ以上詳しくは語らないが、とにかくそんな理由で政治家として出馬しようとした堀江氏は徹底して好きになれなかった。だから、今回の件で少し安心している。これで、少なくとも彼が政治家としてやっていくことはもうできないだろう。今回の騒動で、彼は完全に政界から総スカンを喰らってしまった。社長としては、まだ起死回生の目はあるかもしれないが。

 ただ、同業界の寵児としての彼の没落は、少しばかりは寂しく思う。好きか嫌いかは別として、やはり彼はこの業界の成功者の象徴だからだ。まぁ、俺みたいな技術指向の人間からはあまりIT社長って興味を持たれないのだけれど。

2006年1月22日日曜日

関東の雪と『ポーラ美術館の印象派コレクション展』






自宅の窓からの雪景色 今日は関東地方に雪が降り、ここ日吉もその例外ではなく、なかなか素敵に積もってくれました。朝起きて窓を開けてビックリです。写真はその朝10時時点で私の部屋の窓から見えた雪景色です。部屋の前が山になって一軒家が視界に入ってくるので、雪が積もるとなかなか趣があるのです。ちょっといい感じでしょう?撮ってみて意外と出来が良くて気に入ったので、思わずこの画像をPHSの待受画面にしてしまいました(笑)。う~ん、風情があるのう・・・。PHSのカメラも結構よく撮れます。


 というわけで今日は降りしきる雪の中、午前中は新居探しに不動産屋へと向かっておりました。思えば私が今住んでいるマンションを見つけた時も1月のセンター試験が行われている日で、関東地方一円で大雪が降る中凍えそうになりながらまだ工事中のこのマンションを見つけたのです。今日のニュースで2001年のセンター試験の日も大雪だったとありましたが、まさにその日です。私が部屋を探す日には雪が降るというジンクスでもあるのでしょうか。それともセンター試験の日に雪が降るというジンクスがあって、その日に私が部屋を探すからいけないのでしょうか。別に意識してセンター試験の日を選んでいるわけではないのですが。そういえば、私が現役高校生でセンター試験を受けた日も大雪でした。とはいえ部屋探し。なかなかいい部屋はあるのですが、ギターと三味線を弾くと言ったら何処も彼処も断りを入れてきやがる。ピアノとかサックスとかバイオリンに比べたらかわいいもんだっつの。・・・やれやれです。

 そして午後からは仕事をしに渋谷へ。渋谷でも雪は余裕で本降りでした。さすがに出社してる人も少ない。というか、渋谷自体いつもより空いてました。そして仕事を切り上げた後は、その渋谷が空いているという事実を逆手に取って、休日の渋谷を堪能することにしました。まず最初に向かったのはBunkamura ザ・ミュージアム。『ポーラ美術館の印象派コレクション展』です。先の『プーシキン美術館展』モネの『白い睡蓮』がいたく気に入った私は、今回の展で睡蓮の連作の別の2点が見れるらしいということを知り、それは是非行ってみなければと思っていたのです。

 やはり案の定、雪の降る中美術展に行こうという人間は少ないらしく、見事に空いていました。この前の『プーシキン美術館展』が狂気の沙汰と思えるくらいガラガラでした。おかげでゆっくりと見ることができました。今回は展全体としては『プーシキン美術館展』ほど「いいなぁ」と思える作品はなかったわけですが、モネの作品は2点の睡蓮はもちろん、その他のものも非常に素晴らしかったです。今日気付きましたが、どうやら私はモネの絵が好きらしいです。印象派の有名どころだとセザンヌゴーギャンは正直よくわからんし、ルノワールカミーユ・ピサロはきれいだとは思うけど何か心に訴える力が弱い気がするし、ゴッホは狂ってるし(苦笑)、なかなかピンと来るものがなかったりもするのですが、モネは凄く素直に惹き付けられてしまうのです。今回は非常に空いていたので、モネで四方が埋め尽くされた一画に居着いて真ん中のソファに座りながら、ゆっくりと2点の睡蓮その他の作品を鑑賞していました。

 今回観れる睡蓮は『睡蓮』『睡蓮の池』の2点。『白い睡蓮』とほぼ同じ構図を持つ『睡蓮の池』は、『白い睡蓮』よりもちょっと粗くてぼやけた印象のタッチで描かれていて、同じ対象、同じ構図なのに雰囲気が変わっていてなかなか面白いのです。ちょっと全体的に暗くて重い印象になっている。描かれる水面の美しさはやはり素晴らしく、『白い睡蓮』のような鮮烈さというよりはもっとじっくりとした落ち着きを感じます。そして岸辺や橋が構図から消失し、水面と睡蓮、それに大気だけが絵の中に入った『睡蓮』は、鮮烈で生命感溢れる『白い睡蓮』とも、湿り気を帯びた落ち着きのある『睡蓮の池』とも全然違って、非常に静かで幻想的な『睡蓮』を描いていました。水面をたゆたう水蒸気の空気の質感が実にリアルで、絵なのにその場で揺らいでゆっくりと沸き上がってくるよう。描かれている対象は全然幻想でもなんでもない睡蓮の池なのに、雰囲気はまるでこの世ではないかのような、彼岸を思わせる静謐でどこか悲しげな幻想的な空気。不思議です。

 その他のモネの作品で特に気に入ったものは、まず『アルジャントゥイユの花咲く堤』。大胆に堤に咲く花を全面に描き出し、後ろに夕暮れの背景を描いたこの絵は、何か劇的なドラマの終幕を連想させる、何故か人の死を連想させる、そんな強い哀愁に満ちていて、それが非常に印象的でした。『セーヌ河の日没、冬』は遠くから観ると非常に景色が美しい。川面と流氷に反射する夕陽のコントラストが、とても美しいのです。この絵に限ったことではないのですが、モネの絵は近くで観るよりもある程度距離を離して観た方が美しい。大きさや絵それ自体にもよりますが、3mは離れてみた方がいいように思います。そして離れて観てみると、モネの絵は他の作家と比べて際立った存在感がある。離れていても強烈に訴えるものがある。今日は空いていたので、3mと言わず部屋を一杯に使って10m以上離れて観てたりもしたのですが、そこまで離れても、むしろ離れた方が、絵が非常に生々しく感じられる。そしてそれはやっぱり印刷では伝わらないのです。『ジヴェルニーの積みわら』は、『プーシキン美術館展』で観た同じ積みわらのシリーズは何だかピンと来なかったのですが、今回のはよかったです。

 そしてその後はBook1stへ行って本を見て、河内屋に行って酒を見て、一蘭でラーメン食べて帰ってきました。雪が降ってるせいかいつも並んでいる一蘭が空席だらけでした。ビックリです。そのようにして渋谷に休日は過ぎて行きました。

 ・・・しかし一日中雪に打たれながら色々歩き回ったせいか、夜は頭痛に悩まされていましたとさ。蛇足ですがこの『ポーラ美術館の印象派コレクション展』、3月には京都の京都駅ビル美術館『えき』(確か伊勢丹の上)に、その後は福岡に行くそうです。興味のある方はどうぞ。

2006年1月16日月曜日

続・仕事と酒の日々

 さてさて昨日「最近家の中に酒瓶が溜まり過ぎて、いい加減減らさないと私自身が埋もれてしまいそう」と書いたばかりですが、今日さらに酒瓶が増えました(爆)。午前中に自宅からリモートでサーバメンテナンスを行っていた際に通販で買ったワインの福袋が届き、一気に6本です。うーん、シュールだ。ワインははまると際限なく金が出て行きそうなので敢えて興味なしを押し通している私ですが、何が入ってるかわからない福袋ならまぁいいかなと思い買ってしまったのです。しかし冷静に考えると6本は多いなー・・・。とうとう玄関から部屋の中に入るまでの道がほとんど塞がれてしまいました(苦笑)。さて、どうやって減らしますかね。まぁどうやってったって、最終的には飲むしかないのですが。

2006年1月15日日曜日

仕事と酒の日々

 年が明けてから凄まじく仕事が忙しく、先の三連闘以後もずっと終電続きで今日もしっかり10時出社21時上がり、明日も10時からメンテナンスという休めない日々が続きます。とはいえ年末年始の休暇明けなので連続出勤という意味ではまだまだ10日程。過去の激しい日々に比べればまぁマシとは言えないまでも絶望的という程でもないでしょう。せいぜい倒れん程度に頑張ることとします。

 そうそう、蛇足ではあるのですが最近家の中に酒瓶が溜まり過ぎて、いい加減減らさないと私自身が埋もれてしまいそうな勢いなので、とりあえず何本か覚悟を決めて空けることにしました。とはいえ私の手元にはなかなかただ飲むのももったいないような酒が結構あるのもまた事実。最近じゃシングルモルトのコレクションはまぁ20代後半の酒業界にいるわけではない個人としてはなかなかのものじゃないかと思ってたりするわけです。ので、せめて飲み切る前にルポでも残しておかなければという使命感に駆られ、で、年末も今日もシングルモルトのカテゴリーを更新したりしているわけです。まだ書く予定あります。書くまで飲み切れないので。書いたら飲みます(爆)。でもあれ書くとトップに画像が出るからブロードバンドならまだしもPHSのフルブラウザとかで見るとちょっとしんどいですし、そうでなくても正直なところアクセスログを見る限りあまり人気のあるコーナーとは言い難いのですが(苦笑)、まぁ一つくらい完全に私の自己満足なコーナーがあったっていいでしょう?

Macallan - マッカラン14年 1990 シグナトリー アンチルフィルタードコレクション






マッカラン
Distillery : Macallan

Years : distilled in 1990/12/31 and bottled in 2005/04/21, aged 14 years

Area : Speyside

Bottler : Signatory

Cask Type : Sherry Hogshead

Product : 46% vol, 700ml

Price : 5,200yen

Remarks : Cask No: 97/278/48


 先にも紹介したボトラー、シグナトリーの同じくアンチルフィルタードコレクション。シングルカスクで無冷却濾過・無着色が特徴(加水調整はあり)のこのシリーズ、今度はマッカランです。オフィシャルの出来が素晴らしいだけに気になるボトラーによる仕上がりの違い。比較的廉価ながらもその品質の高さには定評のあるシグナトリーのこのシリーズで、マッカランがどのように仕上がっているかは楽しみなところです。

 オフィシャルとの違いとしてまず目につくのはその色合い。オフィシャルのマッカランは非常にシェリー樽の色合いが濃く出た濃いアンバーをしているものですが、こちらのマッカランはとても明るい黄金色。とても同じ原酒と思えないくらい色が違います。その色合いからするとオフィシャルよりは軽そうな印象を受けるのですが、なかなかどうして、実際飲んでみるとそんなこともなかったわけです。

 瓶の蓋を開けた瞬間、落ち着いてすっと広がってくる麦の爽やかに気品のある香りはやはりマッカラン。オフィシャルのようなトロンと濃密なものでなく、麦や夏草を思わせる、ちょっとドライながらも背筋の通った気品溢れる香りはオフィシャルとは少しイメージが違うながらも非常に好印象です。口に含むと樽の香りを連想させる乾いた香りがまず感じられ、味わって飲んで行くにつれ舌の奥の方に麦の味がふわっとまとまって微かな甘みを残して消えて行く。印象は非常にドライながらも辛口だとか刺激的だとか感じる後味を残すこともなく、最後は余韻の中にほんのりとマッカラン独特の甘みを残して去って行く辺りはなんというかさすがです。そしてこれは同じアンチルフィルタードコレクションのクラガンモアもそうだったので、もしかしたらこのシリーズの性格なのかもしれませんが非常に樽から来る木の香りの印象が強い。オフィシャルに比べるとかなりドライに感じるのですが、芯のところでしっかりとマッカランらしい香りと味を骨として持っている。そしてそれがあるからこそ非常にドライに思える表面側の味や香りを、裏で微かに見え隠れする甘く濃厚なマッカラン特有の蜜のような風味が支えて絶妙なバランスが成り立っているのでしょう。ちょっとオフィシャルとは性格が違いますが、これは間違いなくマッカラン。おいしいです。いいコストパフォーマンスしてると思います。

 最後になりますが、私が手にしたボトルは288本中265番目でした。

2006年1月10日火曜日

三連闘

 この三連休はちょっと緊急でDHに指名され、三日ともほぼフル(土曜のみ午後出社、あとは定時)で出社してガリガリとプログラムやってました。ここ一、二年はどちらかというと設計やマネジメント、あるいは現地でのフィールド作業を主体にして、私自身が社内で案件のプログラムを書くのは本当に切羽詰まった際の最後の手段としていただけに、ここまで集中して一気にPGやったのはなかなか久し振りです。とはいえ相変わらずアプリケーション層より下の共通ライブラリやフレームワーク/基礎インフラ周りのPGに関しては私が集中管理体制をしいてコーディングしているため、PG自体久し振りってわけではなかったのですが。

 いやーしかし、やっぱプログラムはマネジメントとは使う頭が全然違いますね。でも個人的にはこっちの方が性に合ってる気がします。マネジメントだけとかでプロジェクトに参画していると、プロジェクト自体が成功に終わったとしてもなんか満足感がないんですよね。プロジェクトを音楽の合奏ステージに例えるなら、マネージャーは指揮者でしょう。どうやら私は実際に音を自分の手で出していないと音楽に本当に参加している気になれないようです。指揮よりはコンサートマスターが、やはり性に合っているみたいです。学生時代の立場が実際にそうだったからでしょうか?うーん、ま、指揮も嫌いじゃないんですが・・・。

2006年1月6日金曜日

2006年1月5日木曜日

遅すぎた目標とスタンス・ドット

 いつの間にか身近に凄い人物が二人もいることに気が付いた。何故気付かなかったのだろうと不思議に思うくらい近くに。その人達が身近に来たのは大きな偶然からだけれど、何はともあれ事実として今、身近に彼らはいる。

 ずっと、身近に目標となる人物がいないというのが不満だった。いつも、自分が先頭を切らなければならないのが不満だった。追いつかれまいと逃げるよりは、追いかける方がずっと性に合っている。水泳のリレーではいつもアンカーだった。そんな自分が、身近な人物の凄さに気付かずにいた。皮肉なもので、ずっとほしがっていたものは諦めた頃に当然のように手に入ったりする。二年前の私なら、きっと狂喜したことだろう。「ほら、ずっと望んでいた、どんなに背伸びをしようとも今は届かない、そんな人達がそこにいる。まずは、目指してみようじゃないか」と。これまでも、届かない人物がいなかったわけじゃない。そこまで私は優れていない。ただ、彼らの立っている位置は、私の目指す方向とは違う位置にあるように思えた。だから、興味を持たなかった。ただ今は、自分が目指した方向に、遥か遠く立つ人物がいる。

 日常に疲れた私がここにいる。二年前なら心弾んだであろう存在に、もう一つ敬意を抱けないでいる自分がいる。体の疲れか、心の疲れか、モチベーションやら向上心やらの問題か。もう一度ビジネスマンらしく、キャリアパスやら自己啓発やらに心を持っていくことはやろうと思えばできなくはないだろう。だが、素直にそうしたくもない自分もここにいる。惰性は、慣性になる。

 もう一度、刺激に触れに行くのもいい。少し心を開けば、その後はきっと大きく全てが揺れるだろう。それだけのものを持った人達が、今は身近に存在する。だが、一度心を開いたならば、次はそこから離れて行くことがきっとできなくなるだろう。だから、覚悟がいる。見極めがいる。少なくとも今の私には。立ち位置を確かめろ。目標を確かめろ。今、自分のスタンス・ドットは何処にある。それは、何処に行くべきだ。離れることを決断するなら、今は心を閉ざすべきだ。残ることを決断するなら、素直に心を開くべきだ。さぁ、見極めろ。

2006年1月4日水曜日

あけましておめでとうございます

 皆さん、今年もよろしくお願いいたします。公私とも何かと忙しくなりそうな気配がプンプンしている年でありますが、それに負けずによい年とできるよう精進していくつもりです。もちろんこのHPもしっかりと更新していきます。今年は日記だけじゃなく何本かちゃんとした作品が書きたいと思っていますが、さて・・・?

 ともあれ、また年が明けました。新年というのはとりあえず一つの区切り。また気持ちを入れ替えて一年頑張っていきましょう!