2006年6月26日月曜日

かつての生活圏巡礼

 この週末は結婚式の打ち合わせでまたも京都へ赴いていた。式の打ち合わせは会場スタッフの方々と直接顔を合わせて行うのは今回が最後。決まっているんだかいないんだか、(自分の怠慢のせいで)少々不安は残るものの、まぁまぁ後は買うものを買って作成するものを作成して、心身を健康に保ちながら(おそらくこれが一番難しい)、当日に向かっていくのみになったわけだ。

 今回は打ち合わせ以外に多少時間の余裕があったので、お互いが学生時代に住んでいた下宿を久し振りに訪ねてみた。といってももちろん外から外観を眺めただけだが、クレイジー西ノ京は相変わらず変わらぬ姿でそこに建っていた。卒業後、二条駅近辺と御池通の再開発で、下宿から一歩出た御池通の風景は随分様変わりし、車と自転車がすれ違えない程狭かった道は今では立派な4車線道路になり、広くなった御前御池の南西の交差点にはきれいなam/pmができていた。けれども一歩路地を入った風景はほとんど当時と変わっておらず、なかなか懐かしい思いで歩いてきた。常磐にあった妻の下宿近辺も事情はほぼ同じようで、大通りは多少変わったけれど部屋の近くの路地はまだそんなに変わっている雰囲気ではなかった様子。当時住んでいたというアパートを初めて(外からだが)眺めてみて、「そうか、こいつは大学時代はここで生活していたのだな」と妙な感慨を覚えた。

 大学近辺を除けば二条駅~西大路御池~円町と中京区を中心の生活圏としていた私と常磐~花園と右京区を拠点としていた妻と、同じ大学でもまったく違った生活風景だったことだろう。大学時代は同じ授業もあってBOXも隣でお互い見知ってはいたものの、どこで生活しているのかすらよく知らなかった二人が今は一緒に生活している。不思議なものだ。実際に、そう思った。

2006年6月18日日曜日

オーディオ新時代 - SACD/DVDオーディオ

 引越の際、コンポを買い替えました。それまでのKenwoodのものからONKYOのX-UN9(D)に替えたのです。以前のKenwoodのものも10万円(当時)級のものだったので、ランク的にはほぼ変わらずといったところなのですが、1点大きな違いがあります。このX-UN9(D)はSACDDVDオーディオの再生に対応しているのです。DVDオーディオ(以下DVD-Aと表記)が再生できるプレイヤーがいいという父の強い薦めにより、このONKYOのミニコンポを選んだわけです。元々次に買うならONKYOかDENONだなとかねてより考えていたこともあったのですが。で、SACDとDVD-Aを再生できるプレーヤーを手に入れた私は、早速SACDやDVD-Aを買って試してみたわけです。

 通常の音楽CDより高音質であることが売りのこの2つのフォーマットですが、実際どのくらい違うかって、正直ビックリするくらい違いました。音質ってやつは結局いいスピーカーやアンプ使っていい音が出せる環境を整えてあげないとなかなか違いがわからないもので、実際通常のミニコンポクラスだと"20bitデジタルリマスター"とか言われてもはっきり言って違いがわからないものです(苦笑)。けれどこのSACDやDVD-Aはもう意識しなくてもわかるほど圧倒的に音の質が違う。フォーマットの違いだけでこんなに音質が変わるとは思いませんでした。私は主にクラシックで試したわけですが、SACDやDVD-Aは通常のCDと比べて楽器の響きが明らかに自然なのです。これまでもCDの響きが不自然だと思って聴いていたわけではありませんが、SACD、DVD-Aと比べると明らかに楽器の響き方が薄いと言うか平坦な感じがするのです。それは特に弦楽器の高音域に顕著で、オーケストラで高音の弦楽器が続く部分なんかは音の響きの美しさにビックリしました。ちなみに私がそのSACDの弦楽器の響きの美しさを特に実感したのはこのゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団演奏のショスタコービチ交響曲5番&9番。演奏は賛否両論なこのアルバムですが、5番の第4楽章最後の弦の響きは非常に美しい。さすが石丸電気のSACD/DVD-A専門フロアで優良録音として紹介されていただけあります。

 で、SACDとDVD-Aのあまりの音の良さにすっかり感激してしまった私は、早速次の段階に行ってしまいました。SACDやDVD-Aの魅力の1つはその高音質のみならず、最大6chをサポートするマルチチャンネル。私が買ったX-UN9(D)は別売りのオプションを買えば簡単に5.1chのシステムができあがります。しかも値段もそう高くはありません。・・・買ってしまいました(爆)。これで右、左の通常のステレオだけでなくセンタースピーカー、左右後方の2基のスピーカ、そしてサブウーファを搭載したマルチチャンネルシステムです。早速試してみました。比較材料は私の大のお気に入りの録音である、カルロス・クライバー指揮ウィーンフィル演奏のベートーベン交響曲5番&7番です。これは元々CD版を持っていたので、SACD版を購入しての聴き比べです。

 この名演中の名演との誉れ高いクライバーの『運命』で比べるに、やはりCDとSACDでは音が全然違います。しかもそれがステレオから5.1chに変わるともはや比較にならないくらい違う。モノラルからステレオになった時も同じ衝撃があったのでしょうが、5.1chマルチチャンネルは通常の2chステレオと比べて明らかに音の立体感が違います。オーケストラの各楽器のそれぞれがどこに位置してどこから音が出ているかがわかるような立体感と遠近感。壮大なオーケストラの曲ではその違いは直接リアリティの違いになります。部屋の中の小さなミニコンポでもこれまでの最高級2chオーディオに負けないくらいの臨場感が味わえる5.1chサウンドは素敵です。そしてやはりSACDの素晴らしい響きとCDよりも遥かに広いダイナミックレンジがより一層の生々しさを演出してくれて、これまでのCDとは比較にならない程音の体感が違います。SACDにDVD-Dというソフトのフォーマットの違いと5.1chというハードの違い。オーディオは進化しています。

 今回比較に使用したクライバーの『運命』は元々2chステレオの録音を5.1chにリミックスしたものですが、近年出ているそもそも録音からしてマルチチャンネル録音のものはまた更に一段臨場感が違います。先のゲルギエフのショスタコ5番もそうですし、アンドリュー・マンゼとイングリッシュ・コンサートのモーツァルト作品集『The Night Music』なんかも古楽器の響きとSACDのマルチチャンネルが楽しめるいい録音だと思います。

 SACDもDVDオーディオも市場に出てからしばらくはイマイチ認知が広がらずなかなか苦戦を強いられていたようですが近年は主にクラシック/ジャズ界を中心にかつての名盤がSACDやDVD-Aで再リリースされたり、タワレコやHMVがプレーヤーも含めてキャンペーンを打つ等、やっと少しずつ広がりを見せ始めたように思います。ロックの世界でもクイーンの『オペラ座の夜』やDEEP PURPLEの『MACHINE HEAD』がDVD-A、PINK FLOYDの『狂気』がSACDで出てくる等、少しずつタイトルが増えてきています。クラシックギターでは村治佳織や山下和仁なんかの最近のものはSACD盤も出ています。ラッセルの新譜もSACDで出るとのことで予約していたのですが、発売するなり取り扱い不能。どうなってるんでしょうか?ラッセルの所属するtelarcは優秀な録音技師を擁し早くからSACDに取り組んでいるレーベルだけに期待が持てるのですが。ともあれしばらくはSACDとDVD-Aを買い漁る日々が続きそうです。


2006年6月12日月曜日

一人じゃない生活のリズム

 最近なかなか更新もできず、してみても中身があまりない今日この頃です。やはりどうもバタバタしていて、何か一つのテーマに対して精神を統一して書くということができない日々。まだ新生活のリズムをつかめていないのかもしれません。早いところ一人じゃない生活のリズムを確立したいものです。

 とはいえそんな中、明日・明後日は大阪出張です。難波宿泊、泉大津作業。また、遠いなぁ・・・。

2006年6月7日水曜日

666

 200666日。"666"。映画『オーメン』の宣伝もたけなわだがこの"666"という数字、Number Of The Beast(獣の数字)と呼ばれてキリスト教では邪悪な番号とされている。

 でも、「それだけのこと」らしい・・・。


2006年6月2日金曜日

BLOGのモチベーション

 ここ数日の間で2ちゃんねるのスレッドの中で面白いものを紹介していくという、いわゆる「スレ紹介系」と呼ばれるブログの閉鎖が相次いでいるらしい。そうしたブログは2ちゃんねるの面白いスレを紹介することで自分のブログに客を集め、その集まった客層を対象にするアフィリエイトでお金を儲けていたらしい。その"アフィリエイトで金を儲ける"ところに2ちゃんねらー達が反発し、結果としてスレ紹介系のブログが閉鎖されるという経緯を辿っているそうだ。ITmedia Newsで読んだ記事に、渦中のブログ管理人の言葉が紹介されていたものを下記に引用してみる。

 5月31日だけでも7万近いアクセス数を誇る「【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)」の管理人は自身のブログ上でこう心境を述べた。「アフィリ(エイト)はブログを続ける“モチベーション”になってました。今スレ紹介系ブログのアフィリが問題になってますが、ほとんどの管理人が僕と同じモチベーションを保つためにやってるはずです」。その一方で、「そして2ちゃんねるの住民の人が『俺達の書き込みで金儲けしてんじゃねーよ』と騒ぐのも必然です」と、住人側への理解も示した。

 ブログを更新し続ける、日記系のHPを更新し続けるのに、ある程度のモチベーションが必要なのは確かだ。このHPももう8年目に差しかかろうとしているが、やはり更新を続けるためには明確な意思が必要なときもある(自然発生的に書いていることももちろんあるが)。とはいえ、そのモチベーションをアフィリエイトに持っていこうと思ったことは一度もない。『あゆむの雑記帳』は立ち上げ当初から「余計な画像は使わない。広告は自分の意志で認めたものしか出さないので、サービスには金を払うか自分で作るかで無料使用で広告掲載のものには屈しない」というコンセプトでやってきた。たまにAmazon等にリンクを張っていることはあるが、あれにアフィリエイトを入れたことは実は一度もない。明確な意志を持ってアフィリエイトを使わずにいる。それは「このHPでは金は稼がない」という開設当初からの指針だ。金が絡むと、どうしても金が儲かる方に進みたくなる。すると、結局「書きたい時に書きたいものを書きたい」という最低限で最大限の欲望を満たすこともできなくなる。

 ブログの普及で総表現社会が到来する(あるいは既にある程度実現している)というような言い分を最近よく聞くが、アフィリエイトをモチベーションにした表現に力はあるのかと疑問に思う。実際、今回閉鎖しているブログ達は自分の表現で稼いでいるわけではなく、いわば他人のふんどしで相撲を取って稼いでいたわけだ。そりゃふんどしの持ち主は怒る。WEB2.0という言葉について(本質的な部分ではないにせよ)先日少しばかり言及した。見ていると、この言葉の周りにはその技術がもたらす表現と知識スパイラルの可能性よりも、金を稼ぐという意味での可能性がフューチャーされてばかりいる。一部の技術者向けな情報ソースは話が違うとしてもだ。それは少しばかり、悲しいことだと思う。


何だか、

 もやもやしてるなぁ。

 そう、気分がもやもやしている。