2004年12月30日木曜日

年の瀬

 気付いたらもう12月も30日まで来てしまい、いよいよ今年もあと一日を残すのみとなりました。何か、早かったですねー、この一年は。多くは語りませんが、公私ともに一つの変化を迎えた一年でした。とりあえず今日はまがりなりにも部屋の大掃除をし、水回りの真菌類との激闘を繰り広げ、年末年始に向けて買い出しをしたりして一日が過ぎていきました。明日はラミレスの弦を張り替えて今年のギター弾き納めです。変化と多忙の中、足をすくわれないように気をつけながらも走り続けてきたという印象の一年間、どうにか最後は静かに幕を下ろせそうです。願わくば、来年はもう少し静かで落ち着いた年にならんことを。

2004年12月29日水曜日

2004年仕事納め

 今日の名古屋出張で今年の仕事も実質的に終わり、明日は各種事務書類の処理と大掃除で仕事納めになります。いやー、今月は忙しかった・・・。この10月-12月のいわゆる第3クォーター、増え続ける仕事に対してなし崩し的にチームが出来上がり、いつの間にやら大きくなる人員・開発規模を尻目に「オイオイ、ホントにできるのかよ?」と思いつつどうにかこなしてきた仕事もとりあえず一段落です。このクォーターはなし崩し的に出来上がったウチのチームで大量の受注・売り上げをこなさないといけないだけに正直辛かった・・・。とはいえ、結果的に無事にその「記録的」とまで言われる開発をギリギリ一杯とはいえこなせたのでよしとします。おかげで12月はなかなか日記の更新すらできない有様ではありましたが。

2004年12月25日土曜日

嘔吐

 私はとうとう一晩中嘔吐し続けて一睡もできないという最低の風邪にやられてダウンした今週でしたが、皆さん如何お過ごしでしたでしょうか。いやー、やっと普通の食生活を遅れる程度にまで復活しましたよ。食べられるとは素晴らしい。また、少しやせました。

2004年12月20日月曜日

ビジネスが行き着く存在可能性とは?

 以前にこの日記で「ビジネスの世界で熱心に生きる人は、自分が関わる世界のすべてをビジネスと結びつけることを当たり前に思っているように感じる」というようなことを書いた。それからずっと、漠然と「何かこのことをうまく言い表してくれる言葉があったような気がする」と思い続けていたのだが、ようやくそれが何だかわかった。「用在性」という言葉だ。

 「用在性」というのはハイデガーが使った言葉で、「~するためのもの」という形で人間に現れてくるものの在り方を指す。例えば、CDは「音楽を聴くためのもの」だし、はさみは「何かを切るためのもの」だ。個人的にはJavaでいうところのインターフェースのような感じと理解している(わからんって?)。対して「客在性」というものの在り方があるが、こちらに照らせばCDは「直径 12cm、厚さ 1.2mm のポリカーボネート樹脂製の円盤で、アルミニウムの膜が張ってあり・・・」となる。まぁ何となくイメージはつかめるかと思う。ハイデガーは我々が普段ものを意識する方法はその「用在性」についてであり、「客体性」は本質的には「用在性」の欠如により現れるという。が、まぁ今はハイデガー論ではないのでそれ以上深くは追求しない。

 もう一つ、ハイデガーの「道具連関」という言葉について簡単に説明しておきたい。これは文字通り用在性を持つものの連関を意味する。例えばCDは「音楽を聴くためのもの」であるが、音楽を聴くためにはCDプレーヤという「CDを再生するためのもの」やスピーカという「音を出すためのもの」が必要だ。贅沢な立場ならばオーディオルームなんていう「音楽を聴くための場所」まであるかもしれない。音楽を聴くためにはそういった用在性の連関が必要になるし生じて来る。それが「道具連関」だ。ここでは「ある目的を満たすための用在性の連関」程度に理解しておいてもらって問題はない。繰り返すように、これはハイデガー論ではないのだから。

 話は戻って、冒頭で述べたようなビジネスに熱心な人達に取っては、世界のあらゆるものは「ビジネスをするためのもの」という用在性で満ちているのだなと感じる。普段の仕事も(まぁこれは当然だが)、公私問わず新たな人との出会いも、ニュースや新聞をチェックしたり本を読んだりすることも、ひいては街を歩くことや眠ることさえも。そういった全てが「ビジネスをするためのもの」という用在性を持っていて、世界が「ビジネスをする」という道具連関を持っている。そのように感じる。まぁでもそこまではいい。ここまでは以前に日記で書いたことをハイデガーの言葉を借りて言い直しただけだ。今回問い直したいのは、その「ビジネスをする」という道具連関が、一体どのような欲望、可能性に結びついているのかということだ。

 ハイデガーは用在性-道具連関とつながってきた道は最終的に「現存在の何らかの可能性」に最終項として連絡すると説く。先の「音楽を聴く」という例でいくならば、「音楽を聴きたいという」欲望は、一体どこから来るのか。「くつろぎたい」のか、「癒されたい」のか、「高揚感を味わいたい」のか。いずれにせよ、それは何らかの「可能性」である。では、ビジネスは最終的に何の可能性に結びつくのか。接するものすべてに「ビジネスをするためのもの」という配視を与えて、ビジネスのための道具連関を作り上げるのはどういった可能性からなのか。何を求める欲望からなのか。「金を稼ぎたい」のか。では金を稼いでどうしたいのか。「楽をしたい」のか、「世間から認められたい」のか、「豪華な生活がしたい」のか。どうだろう?今ひとつ、私には見えない。

 ハイデガーはこの自分の存在可能性かを明確につかみきれておらず、共存在(共同体くらいの意味)と仕事の正否にばかりかまけている状態を「死を隠蔽している」ものだとし、それは存在の非本来性であり、頽落であるという。なるほど、ビジネスというものに存在可能性を見出せず、それでも日々共存在と仕事の正否にかまけてばかりいる私はまさに頽落の典型というわけだ。頽落。半分は負け惜しみなのかもしれないが、ビジネスの道具連関が最終的につながる欲望なり存在可能性なりを明確に把握できている人間は、一体どのくらいいるのだろうか。世界中がビジネスのための道具連関で満ちている人達には、それが見えているのだろうか。

 私たちはふつう、既成的了解のうちで存在の可能性を見出す。つまり、世間で価値あるとされていることを、やっぱりやろうとする。別にそれが悪いわけではない。ただ、それをすることで自分が得ようとしていることに無自覚なだけだ。


 人間は自分の生存の孤独に耐え得ないからこそ、なんらかの理念や、世間で通用する価値観に身を任そうとするのだ。

『実存からの冒険』西 研著, ちくま学芸文庫より

2004年12月19日日曜日

ん・・・?

 久々の休息は、昼寝で寝すぎてあっという間に過ぎていきました(苦笑)。

2004年12月17日金曜日

もうダメかと思った・・・

 いやいや冗談抜きに本当に倒れかけました。一昨日のことです。昼食を取り、渋谷駅で名古屋出張のチケットを取った直後のことでした。

 みどりの窓口を出た直後、私は突如激しい吐き気に襲われます。それもすぐにでもその場で嘔吐してしまいそうな強烈な吐き気です。同時にサーッと渋谷の雑踏が遠くなっていき、耳に音がまったく聞こえなくなります。さらには視界も急に狭くなり、周囲も見えなくなりもしたし、どうにか見える前方も薄くノイズがかかったようで暗くぼやけています。そのあまりの急激な体調変動に「やばい、これはもう歩けない」と思った私は、その場でうずくまってしまいたいのをこらえつつどうにか駅のトイレに入ります。最後の気力を振り絞ってドアを閉めた私は、そのまま崩れるように倒れ込んでしばらく動けませんでした。猛烈な吐き気と目眩との闘いです。凄まじい量の冷や汗が出て、シャツや額が濡れていきます。そうして10分かそのくらいでしょうか、そのままトイレでうずくまっていると、やっと私の耳に渋谷の雑踏が少しずつ聞こえるようになってきました。少しずつ吐き気も治まってきて、なんとか歩けるくらいまで回復した私はふらふらと会社に帰り、後輩に栄養ドリンクを買ってきてもらって、まったく回らない頭で「顔が白い」とか言われつつもその後の打ち合わせをどうにかこなしたとのことです。ちなみに具合が急激に悪くなった際、まったく余裕がなくなっていた私は一番近くに目についた車椅子用のトイレに入ってしまったのですが、如何せんこっちは本当に緊急事態だったのです。まぁまぁきっと許してもらえるでしょう(?)。そしてそのまま次の日の朝五時にメンテナンス作業をこなし、今日まで泊まりがけで名古屋に出張していました。名古屋に行くまでは結構しんどかったというのが正直なところですが、今回はまったく観光もせずに仕事が終わったら食事だけしてすぐにホテルで眠ったので、むしろ普段よりたくさん眠って回復したとのことです。やれやれ、まいりました。

2004年12月13日月曜日

癒しを求める(?)CD達

 金曜はまた相当な勢いで大変でした。朝にカロリーメイトを食べたきり、昼食も夕食も取らずに深夜1時まで客先作業、しかも飲み物すら昼以降は「そろそろ飲まず喰わずも疲れたな」と客先の前にある自動販売機でお茶を買ってくるまで一口も飲まなかったというなかなかの激しさ。深夜1時に客先を出た後はタクシーで渋谷まで戻って深夜急行バスで帰宅したとのことです。あーあ、今週もまだ余波が続くかなー・・・。

 さてさて、社会人になってから忙しさがある臨界点を超えて来るとCDの衝動買いが激しくなるという(爆)、嫌な癖がついてきた私ですが、今回もここ二、三週間で結構色々なCDを買っています。キース・ジャレットの『ラ・スカラ』や『The Out Of Towners』、Dream Theaterの『Live at Budokan』、伊福部昭の『SF交響ファンタジー第一番』、元Fair Warningのアンディ・マレツェク率いる『Last Automn's Dream』、ユーゴだかどこだかのメロディック・メタルバンドALOGIAの『price o vremenu』(←もはや歌詞が英語ですらない)、ワレリー・ゲルギエフ指揮・ウィーンフィルの『チャイコフスキー交響曲第四番』、これはレンタルですがポルノグラフィティのベスト盤2枚と『シスター』。もうパッと見たジャンルだけでジャズにプログレッシブ・ロックにメロディック・メタルにクラシックにJ-POPと、結構わけがわからないことになってます。

 とりあえず、やはりDream Theaterは素晴らしいです。相変わらずとてもライブ盤とは思えない程演奏が完璧ですが、今回のライブはいつもの完成度に加えてライブならではのテンションの高さも凄い。特に『Stream Of Consciousness』でのジョン・ペトルーシはあれだけの超高速スケールをミスなく音の粒も潰さず、以上に高い集中力で弾ききっていて寒気を覚える程です。彼らはライブ盤やブートレッグが出る度に「今回はマイク・ポートノイ(ドラムの人)が3箇所ミスってると認めてるらしい。どこか探せ!」という嫌なイベントが成立する程完璧な演奏で知られますが、なんつーか、ホントにミスしませんね、彼ら・・・。あんな並程度にハイレベルなバンドじゃ演奏することすらおぼつかない程の難曲の数々を、ほとんどノーミスでライブで再現し、ライブ独特の緊張感すら醸す彼らは既に神の領域にまで達しています。ジェイムズ・ラブリエが歌う初期の名曲『Only a Matter Of Time』や、ただでさえ美しい名曲なのに、さらに今回素晴らしいインプロビゼーションも入って一層魅力を増した『Hollow Years』も今回の聴き所でしょう。さすがに3枚組を通して聴くと疲れますが(苦笑)。

 余談ではありますが、今の現役の日本の男声バンドで聴いてていいなーと思えるのってやっぱりレミオロメンとポルノグラフィティくらいですよねー。まぁMr.Childrenは別格として。ポルノグラフィテイの『シスター』は実に私好みの旋律と歌詞の世界観でお気に入りの一曲です。

2004年12月10日金曜日

多忙

 実に一週間もの間、完全にこのHPから姿を消してしまいました。いやー、仕事やら忘年会やら、洒落にならんくらい忙しかったのです。思わず勢いで過去形にしてしまいましたが、この忙しさは当面今月一杯くらいは続きそうです。今のところ年が明ければそんなに忙しくはなさそうなので、のんびり寝正月を夢見てがんばりたいと思います・・・。

2004年12月3日金曜日

問題です。

 睡眠時間が二日で四時間というペースで働き続けるのはさすがにしんどい。○か×か?