2009年12月30日水曜日
イルミネーションの街
天皇誕生日となる23日の夜、娘と、その前数日間私の風邪が伝染って寝込んでいた妻と娘の看病に来ていた祖母と3人でその住宅街のイルミネーションを見に散歩に出かけた。夜にあまり外に出ない娘は大はしゃぎで、「こっちもキラキラ!」と叫んでは次の家のイルミネーションへと走り出して楽しそうにしていた。住宅街の間にはきれいに整備された公園が点在しており、普段娘もよくそこで遊んでいるのだが、夜の公園にはほとんど行かないのでそこでも嬉しそうに、光る電灯の周りをぐるぐると回っていた。
各個人の家が自分の意思で飾るイルミネーションだから、例えば神戸のルミナリエのように壮大ではないけれど、それでもあれだけの規模の住宅街がイルミネーションで飾られると、やはりなかなか壮観なものがある。やはりそのイルミネーションを目当てに散歩する人は多いようで、この日は若い人から老人まで、結構多くの人がこの夜の住宅街を散歩していた。
娘は大きくなったらこの夜のことを覚えているのだろうか?横浜の家の前のイルミネーションで飾られた住宅街を、父と祖母と3人で散歩したことを。多分覚えていないだろうけど、ディズニーランドでエレクトリカル・パレードを遠くから見たときよりはずっと嬉しそうにはしゃいでいた。まぁ確かに、欧風のそうでなくとも小洒落た住宅街が一斉にイルミネーションで輝くその夜は、子供の目にはちょっとしたファンタジーに見えたのだろう。大人の目にも、そう映るのだから。
次は元旦に更新予定です。皆さん、本年は一年間どうもありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。
2009年11月29日日曜日
マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響@サントリーホール
まず前半はブラームスの2番。4番と並んでブラームスの中では大好きな曲です。ブラームスの田園交響曲とも呼ばれるこの曲は、全体的に開放的な明るさが流れる中、随所に牧歌的な、のどかに叙情的な旋律が鏤められています。バイエルン放送響はクレンペラーとのベートーヴェン4番5番やカルロス・クライバーとのベートーヴェン7番等で聴く限り、弦の音色がすごく透き通った印象を受けるオーケストラです。例えば弦の美しさが讃えられるウィーンフィルは、透明というよりは景色に満ちた、美しい町並みをよく晴れた日にオープンカーで駆け抜けていくような、そんな様々な色に満ちた美しさです。対してこのバイエルン放送響は、色彩感が豊かというよりも凄く澄み切って輝かしい、けれども決して金属的な冷たさのないやわらかく光るシルクのような、そんな特徴的な弦の音色を持っています。そしてその素直で柔らかく澄んだ弦の音色が指揮者によって最大限に活かされる時、先のクレンペラーやC.クライバーの時のような伝説的な名演を生み出してきました。
そんなBRSOが奏でるブラームス2番の第一楽章。いきなり実に美しい。生で聴いてもやはりまず惹かれるのはその澄んで輝くバイオリンの音色、そしてビオラ以下中低音域の弦楽器の暖かく木の質感を感じる、ふくよかでブ厚い音の存在感。彼らが奏でる旋律の美しさは、いきなり聴きにきてよかったと幸せな気分にさせてくれます。続く第2楽章では、パウゼでピタッと全身の動きを止めるマリス・ヤンソンスの指揮振りが実に印象的。そして最終楽章、出だしいきなり管が派手に音を外すところから始まります(苦笑)。その後休憩時間に「あれは指揮が振り間違えた」とか「奏者がミスをした」とか様々な憶測が飛び交っていましたが、とにかく素人にも明らかにわかる大きな外し方。一瞬私も「あらら」と思いましたが、そこはさすがマリス・ヤンソンス。落ち着いてミスを流し、そこからの演奏は凄まじいものがありました。
マリス・ヤンソンスは割とテンポを揺らして曲を作ります。アッチェランドで一気に盛り上げていって、普通ならそこから突っ走っていきそうな場面でも一度テンポを落ち着けてみたり、とにかく横のテンポの扱い方が絶妙で、劇的なくらい揺らしているのに常にどこか理性的な線を一本引いて暴走を抑えるようなテンポの構成をよく取ります。そのヤンソンスが最後一気にテンポを上げてあの2番の劇的なフィナーレにノンストップで突っ込んで行くのです。指揮の圧倒的な存在感に失踪するテンポの中で最大音量を振り絞るオーケストラ。その迫力に背筋がゾクゾクする程興奮を巻き起こし、大きな大きな高揚感の中でブラームスの2番が終わります。前半で早くも感動のフィナーレという感じです。私はブラームスの2番では録音は古いながらもワルター指揮ニューヨークフィルの演奏を愛聴していますが、その圧巻のフィナーレのイメージを突き破る程の強烈な終わり方。正直あの一曲だけでもチケット代の元は取れます。素晴らしい。
そして期待が高まるチャイコフスキーの5番。マリス・ヤンソンスはムラヴィンスキーの助手をしていたということですから、彼のような荘厳で聴いてる方が恐怖を感じるくらい鬼気迫る演奏をしてくるかと思いきや、意外にゆったりめのテンポで全体を構築します。大きく横に揺らすテンポを不自然に感じさせるところがなく、このドラマチックな名曲を盛り上げていく手腕はさすがです。最終楽章のパウゼの後、主題が勝利の凱歌として高らかに歌われる場面は実に感動的でした。
ところでマリス・ヤンソンスはこれまで見てきた指揮者の中では比較的ストレートにわかりやすい指揮を振ります。彼の指揮の特徴は、指揮棒に音を引きつけるような指示の出し方をすることが多いということ。チャイコの5番で管が上空を飛行するようなイメージで旋律を奏でる時は「もっと上へ、ここまで上へ」と言わんばかりに背伸びして目一杯指揮棒を頭上高く掲げて音を呼び込みますし、ブラームスでは指揮棒を綱引きをするようにグイッと引っ張って音を作ります。その音を引っ張るイメージが実に説得力があり、音楽やリズムを表現する意図が聴いてる方にまで伝わる見事な指揮をします。彼は音やリズムを引っ張ることで可視可しているように思えます。
また、緩徐楽章等でアクセントの少ない緩やかな旋律が続く時は、彼は指揮棒を左手に持ち、右手で指揮棒を持たずに柔らかい指揮を振ります。タクトを用いた強いアクセントの指揮ではなく、手での柔らかな指揮を必要に応じて織り込むことで曲のイメージに対する指示の幅を広げているように感じました。そして曲調が強いアクセントを再び必要とする場面が近づくと、また右手にタクトを構えるのです。
ともあれマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響、素晴らしいコンサートでした。終演後のサイン会はサロネンの時のようにホールの廊下でやると人が溢れる懸念があるためか、楽屋口の駐車場に並ばされたとのことです。しかし人一杯並んでました(苦笑)。そして皆今日の演奏を讃えていました。サイン待ちをしている間、楽屋からしれっとピアニストの内田光子が歩いて出てきました。勇気のある人はサインねだってました。
これでブラームスの2番と4番は一流の指揮者・オーケストラで聴きました。後はベートーヴェン聴きたいですね。この2月にベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送響がエグモント序曲、交響曲5番、交響曲6番『田園』という実に魅力的なプログラムで来日しますが、行けないだろうなー・・・。そうでなければブルックナーの交響曲8番か9番も生で聴きたいですが、都合のつくいいコンサートないですかね?
2009年10月14日水曜日
正しさのゆらぎ
客観は存在するか? 世界は主観と主観の狭間にある間主観としてしか存在しえないのではないか? 答えはまだ出ていない。いつか、出るのだろうか。
その答えとして、完全な客観が、完全な客観的真実の存在が保証されたなら、まだ"正しさ"を絶対の依り代にできる可能性がほんの少しはあるのかもしれない。それはおそらく、実現可能性とは言えないほどにほんの少し。
"正しさ"を求めることが間違っていると言っているのではない。"正しさ"を絶対的な依り代とすることは危ないと言っている。他人にとっても、自分にとっても。真実が一つと仮定したとしてもその一つの真実に対して無数に存在しえる正しさという指標は、本来ならしがみつくことも難しいほどの大きな大きな揺らぎがある。その揺らぎを認識した上で、自分の立地を確認した上で、その上での道標として”正しさ”に頼るのはまだいいだろう。自分が立っている地平以外にも立場はあり、そのそれぞれに"正しさ"があることを忘れなければ。
"正しさ"という道標は強力で、それ故逆に安易でもありえるし、脆く危険でもある。忘れないことだ。自分が立っている地平以外にも、この世界には地平は無数に存在する。その地平の違いを忘れることなくいられるかどうかが、大袈裟に言えば理解への第一歩だ。そしてその地平の違いを忘れてしまうことを、養老孟司は"バカの壁"と呼んだ。この言葉は自らが定義した"バカの壁"に阻まれ、意外と、理解はされてはいないようだけれど。
2009年10月1日木曜日
気付けば末日
そもそも今月はそれ程忙しかったわけではない。むしろ入社以来一番仕事面では余裕があった期間かもしれない。まぁそれでも定時に上がれる日は多いわけではなかったけれど。その比較的余裕があった時間を、果たして自分はどう過ごしてきたのか。その点では思うことは色々ある。だが、ここでは敢えて深く語らずに、無理矢理この日記を締めるとしよう。何しろ今回書いたこの日記は、何も書かなかった月を無くすためのただの帳尻合わせなのだから。今流れているベルクのヴァイオリン協奏曲が終わったら、再び眠りの床に就くとしよう。
2009年8月25日火曜日
激闘!日本文理
試合はいきなり1回表、中京大中京の四番の先制2ランホームランで動く。先制されると「これはダメかな」と思うのがこれまでの新潟の高校野球ですが、今年の日本文理は一味違います。2回に1点、さらに3回にソロホームランで一点と、着実に追いついていきます。そして4、5回とスコアボードに刻まれた0という数字の裏にある、行き詰まる攻防。ノーアウト23塁のピンチを2者連続三振で切り抜ける日本文理の伊藤投手。ファインプレーで文理の攻撃を断ち切る中京大中京。ここは移動中ワンセグでこっそり観ていたのですが、実に息詰まる攻めあい、守りあいでした。しかし6回裏に中京大中京が一挙6点をあげ、これで8対2。そこから8回終了までにお互い2点を入れ、9回表の時点で10対4。日本文理の最後の攻撃も、最初の2人があっさりと打ち取られて2アウト。普通なら、ここで終わりです。ですが今回は、ここからドラマが始まりました。
二死から、一番バッター切手先取が四球で塁に出ます。続いて二番高橋選手が2塁打を放ち、三番、武石選手も走者一掃の3塁打を放って2点追加。これで10対6。さらに死球、四球でランナーが塁に出て、ここで打者はここまで一人で投げ抜いてきたピッチャー伊藤。九回裏、二死満塁、一打同点。期待に踊る文理アルプスから、球場を揺るがす程の大きな伊藤コール。それはもの凄い光景でした。佐賀北が優勝したとき、決勝でまさかの逆転満塁ホームランが出た時の高揚感を煽る和太鼓のリズムを彷彿とさせます。あの時のような球場全体を巻き込んだもの凄い空気を感じました。九回二死。点差はまだ4。でもここから、何かが起こるのではないかという期待と予感。そんな勢いと祈りが、球場に満ちていました。そして渦巻く期待の中、伊藤が見事な2点タイムリー。これで、とうとう10対8。あと2点。一層大きく湧き上がる球場と、叫ぶ実況のアナウンサー。「日本文理の夏はまだ終わらない!」この台詞に妙に熱くなりました。次の代打・石塚もタイムリーで10対9。三塁上には伊藤が同点のランナーとして控え、打者は捕手・若林。その2球目、彼が放った鋭い打球は、中京大中京のサードのグラブに吸い込まれるように入っていき、ゲームセット。一瞬、速すぎる打球の行方と突然の幕切れに戸惑い静まり返るスタンド。そしてそこから広がっていく大きな拍手。実に、素晴らしいゲームでした。
しかし日本文理の9回2アウトからの猛攻は凄まじかったです。中京大中京は途中完全に萎縮してしまったようにも見えました。そりゃ甲子園の決勝で、9回2アウトから10対4が10対9まで追いつめられたら怖くもなります。最後まで諦めず、相手をそこまで追いつめた、日本文理の粘りにはまさに見事という他ありません。最終回2アウトから味方が次々と点を入れていくのを見て、伊藤投手も「不思議な光景を見ているようだった」と言っています。それ程、まさに奇跡的とも言える最後の攻撃でした。試合後の、晴々とした爽やかな選手達の表情も印象的です。
9回2アウト。点差は6点。絶望的に思える状況からでも戦えると、最後に身をもって示してくれた日本文理の野球は、純粋に理屈抜きに、胸を熱くしてくれました。惜しくも優勝はなりませんでしたが彼らの戦いぶりは、安っぽい言い方かもしれませんが、見ている我々に勇気をくれたのではないかと思います。とうとう、新潟のチームがこれだけの勝負を、しかも甲子園の決勝でやってくれました。今年の夏は終わりましたが、また、夏は来ます。今は戦いを終えた越後の虎達に惜しみない賞賛を。また来年と、期待が弾む最後の輝きは、実にまぶしかったです。やはり、高校野球は面白い。これでやっと、今年も夏が終わります。
2009年8月17日月曜日
夏過ぎて
この度、2人目の子供ができることとなりました。予定日は3月上旬ですが、妻は今つわりのピークを迎えており、1人目の時もそうでしたがつわりが重い妻はその状態で子供を見るのも辛かろうということで、7月末から新潟の私の親元に疎開しているのです。ので、夏休みは私も可能な限り長い時間新潟に留まり、積極的に友人達にコンタクトを取ることもせず、静かに子供の世話と妻の介護(?)と親戚とのご挨拶及び自分の休養に当てていたわけです。おかげでこの夏休み、何かをしたという明確な達成感や満足感はないものの、とりあえず疲れていた体は大分回復できました。
2人目の子供が生まれてくることになり、例によって男親というのはまだその実感は完全には湧かないものの、それでも確かに状況は変わってきています。もう少し時が経った頃にはもう一つ、報告しなければならない大きな身辺の変化も出てきます。自分としては世界が突然に急ぎ足で回り始めたような感覚はありますが、でもそれはきっと、私が随分長い間同じところで歩を止めて、それでよしとのんびり腰を下ろしていたせいもあるのでしょう。もう重い腰を上げ、前に進まなければいけません。一歩一歩、できる限りは確実に、必要とあらば大胆に。時は後戻りを許してはくれないのですから。特にそう、これからは。
2009年7月8日水曜日
七夕の日は
さて、今年も七夕を迎えました。このHPも早11周年を迎えたこととなります。最近は体調不良や、病み上がりを直撃する厳しい仕事のあれこれで、なかなかまとまった更新もできない有様ですが、それでもこれからも細々と続けていきたいと思います。皆様、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
2009年6月12日金曜日
仮定の話
だけど例えば、もし仮に生きる必要がなくなったとしたら、それでも音楽を必要とするだろうか?
生きることができなくなったのではなく、生きる必要がなくなったのだとしたら?
なるほど確かに、生きる必要がなくなったことを受け入れるためには、そこにはやはり音楽が必要だろう。
では、その後は?
■
改めて言うまでもないが、これはあくまでも仮定の話。
2009年6月10日水曜日
Safari4
2009年5月25日月曜日
オリジナルカクテル『大分娘』
さて、カクテルを作るといっても、今はモルトの品揃えは豊富だが学生の頃のように幅広いリキュールを常備しているわけではない。在庫を見てみるとカクテルに使えそうなのは実際のところジンとウォッカにコアントロー、それにパラライソ程度だ。トニックウォーターや炭酸水もない。ジンジャーエールは開封してから数ヶ月経っている(苦笑)。後はりんごジュースとレモン果汁にかぼす果汁。敢えて言うなら牛乳と豆乳。これが本日の手持ちだ。
そこで私が使ったのはジンとコアントローとかぼす果汁。今家には佐賀の実家から送ってもらった、非常においしい無添加100%かぼす果汁がある。これは醤油に入れてポン酢代わりに使っても揚げ物に直接かけても非常に風味がよくておいしい果汁なので、カクテルに使ってもいけるだろうと踏んだわけだ。果実の風味としてはレモンとライムの中間、ややライム寄りで八朔や甘夏のエッセンスを足した感じ。ここは一発、ホワイトレディのレモン果汁の代わりにかぼす果汁で行ってみようと思って作ってみた。ホワイトレディのバリエーションで、大分名産かぼす果汁を使っているので、命名はずばり『大分娘』だ。
かぼすはレモンほど甘みも酸味も強くなく、それでいて青い柑橘特有の風味が強い果物なので、思った以上にキリッと締まった仕上がりになった。味わいが濃い果汁なので出来上がったカクテルにも非常にパンチがある。なかなか悪くなった。この無添加100%かぼす果汁は佐賀では数百円で手に入るらしいので、今後もレモンやライムの代わりにカクテルで使ってみるのも悪くなさそうだ。
今日のカクテルレシピ
オリジナルカクテル『大分娘』
ジン 2/4
コアントロー 1/4
無添加100%かぼす果汁 1/4
以上をシェーカーでシェイクする。
ホワイトレディ
ジン 2/4
コアントロー 1/4
レモン果汁 1/4
以上をシェーカーでシェイクする。
こうしてみると、レシピは本当にレモンをかぼすに替えただけ(苦笑)。でもそれで味わいが全く変わるのがカクテルというものなのです。
2009年5月20日水曜日
新型インフルエンザから身を守れ
というわけで、私が見る限り今のところはこの新型インフルエンザに関しては比較的正確な情報が多く流れており流言飛語の類いは少ないようではありますが、まぁそれでも一旦ここでこの新型インフルエンザから身を守るためのポイントを改めてまとめてみたいと思います。
まずは何と言っても予防。基本はよく言われる以下の3つです。
・手洗い(殺菌・消毒が行える薬用ハンドソープで)
・うがい(イソジン推奨)
・マスク着用
誤解されがちですが、インフルエンザの予防で本当に効果的なのは手洗いとうがいであって、マスク着用ではありません。インフルエンザウィルスは一般に消毒全般に弱いので、殺菌作用のある薬用ハンドソープでの手洗いとイソジンでのうがいは非常に効果的です。会社員の方なら朝出社したらまず手洗い・うがい。昼食に出て帰ってきたら手洗い・うがい。外出から夕方に帰社しても手洗い・うがい。帰宅したらまた手洗い・うがいです。これが一番。ウチの会社は医療機関用の手指消毒アルコールを常備してくれているのでありがたいです。過敏なようですが、新型インフルエンザは誰も免疫を持っていません。ということは、感染しても体力があれば発症しないとか基本的にありえません。侵入を許したら発症します。諦めてください。だから予防するしかないのです。
対して、マスクではインフルエンザウィルスの侵入は基本的に防げません。不織布のマスクは確かにガーゼのものよりは予防できますが、まぁそれでも気休めよりは少しマシ程度に考えた方がよいでしょう。20枚8,000円とかで売ってる一部の本格的なサージカルマスクはまた話が別です。
ではマスクの効果はないのかというとそれも違って、侵入を防ぐことはできませんが侵入を遅らせて時間稼ぎをすることはできます。インフルエンザウィルスは湿気を嫌うので、マスクでこもった湿気がインフルエンザの侵入を足止めします。ので、足止めしている間にイソジンのうがいで予防しましょう。マスクだけでは予防は片手落ちです。マスクで足止めしてうがいで予防、です。
ではあまり考えたくないですが、もし感染してしまったら。考えたくはないですが、一応対処を知っておくに越したことはありません。以下のポイントを押さえておきましょう。
【事前に】
・自分の住む自治体の新型インフルエンザ電話相談窓口を確認しておきましょう
・同じく発熱外来を行っている医療機関を確認しておきましょう
【あやしいなと感じたら】
・38度以上の熱、咳や呼吸困難等の呼吸器症状が併発したら電話相談窓口へ
・相談窓口の指示に従い、必要に応じて医療機関へ
・その際、マスクの着用は義務と思ってください
現時点ではこの新型インフルエンザは弱毒性です。安心はできませんが落ち着きましょう。タミフルやリレンザといった抗ウィルス剤も有効であることがわかっています。慌てずに医療機関の治療を受けるのが一番です。やってはいけないのが無理をして仕事をする等、人と接触する生活を行うこと。それは普通にテロです。インフルエンザの感染が懸念されたら、迷わず人との接触を断って相談窓口・医療機関の指示に従うのが感染の拡大を予防につながります。外出時のマスクも必須です。マスクは予防よりも感染の拡大防止にこそ大きな効果を発揮します。感染が疑われたときこそマスクの着用をお願いします。
最後に、今回の新型インフルエンザは弱毒性ということで、危険度は今のところ通常のインフルエンザとそれほど変わりありません。それでも何故ここまで騒がれているかというと、そのポイントは大きく以下になります。
・誰も免疫を持っていないので感染力が強い
・いつ強毒性に変異するかわからない
・その上タミフル等に耐性を持たれたらたまらない
特に重要なのは「いつ強毒性に変異するかわからない」ところで、かつて大きな被害をもたらしたスペイン風邪なども流行当初は弱毒性だったものが途中で変異して強毒性になったと言われています。だから今回も強毒性に変異されたくないので、その前の収束を目指して躍起になっているわけです。ですので、「今回は弱毒性なんだから大丈夫だろ」などと言わずに、予防と流行の収束に高い意識を持つことが重要なのです。それは大袈裟に言えば、人類のために。私はとにかく強毒性のインフルエンザに自分がかかりたくない一心ですが(苦笑)。
鳥インフルエンザがしばらく警戒されていたら、突然やってきた豚インフルエンザ。これがこのまま弱毒性のまま収束してくれるかどうか、日本での流行範囲はどこまで広がるか、それは現時点ではわかりません。が、敢えて今言わせていただくと、やはり私達は鳥インフルエンザのことを忘れるわけにはいきません。何故ならこちらは正真正銘の強毒性新型インフルエンザだからです。強毒性とは呼吸器のみならず、全身の臓器に感染・発症する非常に致死率の高いインフルエンザです。今回の弱毒性新型インフルエンザを教訓として、予行練習として、いつ来るともわからない鳥インフルエンザにも油断せずに普段から準備を怠らないようにしたいものです。とりあえず、いざ流行し始めると店頭からマスクがごっそり無くなるということがわかったので、普段からマスクとうがい薬は常備する程度のことはしようかな、と思います。
新型インフルエンザだといって、なめてももちろんいけませんが、必要以上に慌てても仕方ありません。とりあえず正確な情報と行動で、一人一人が自分にできることで予防をし、感染の拡大を防止することが流行の早期収束につながり、引いては自分の身を守ることにつながります。どうなるかはわかりませんが、皆さん、気をつけましょう。
2009年5月9日土曜日
二重の虹
2009年5月6日水曜日
勝利の日
2009年4月30日木曜日
休養
というわけでGWの飛び石となる今日は一切仕事はせずに休養しようとあらかじめ心に決めて、ノートPCを会社に置いてきたわけだ。家に会社のノートPCがあるとやはりどうしても気になる。それならたった一日だし、腹をくくって休んだ方がよい。
昨晩は寝る際も敢えて目覚ましはかけずに眠りについた。現在妻と娘は実家に帰省中なので、5月の連休に迎えにいくまでは一人暮らし。朝早くに目覚める娘に起こされることもないからゆっくり寝れるだろうと思っていたら、どっこい朝は娘からの電話で起こされた(爆)。なかなかの奇襲だ。
天気がよかったので部屋の窓をすべて開け放ち、午前中は洗濯・掃除などをして時が過ぎる。昼過ぎに昼食・夕食を買いに行くがてら、家から車で10分程の場所にあるお酒のアトリエ 吉祥に物色に向かう。どうも『もやしもん』を読んでいたら無性に日本酒が飲みたくなってきたので、割と久し振りに焼酎ではなく日本酒を見る。新藤酒造の純米大吟醸『雅山流"翠月"』を購入し、昼食を取りながら胃のリハビリもかねてゆっくりと飲んでいた。今回、敢えて純米大吟醸を選んだのには理由がある。もし酒を飲んで胃が痛くなったら安酒だと後悔するばかりだが、本当においしい酒を飲んで胃が痛くなったならまだ本望だと諦めることができるからだ(爆)。この酒は今回初めて飲んでみたが、華やかながらも熟した丸みのある吟醸香とまろやかな飲み口、日本酒にしては珍しい後口に残る微かな苦みが印象的な、実においしいお酒だった。ここ二週間、胃の調子が悪くて一滴も飲んでいなかったので妙に染み渡る気がした。
とはいえまだ無理はできない。お試し程度に日本酒グラスで4杯、昼食を取りながら、音楽を聴きながら、最後はベランダで景色を眺めながら、二時間程かけて、調子を見ながらゆっくりと飲んだ。よく晴れた休日にこうして昼からのんびりとおいしい酒を飲むのはいいものだが、家族がいるとさすがになかなかこうはできない。まぁ今日は一人だけの休日だ。過労とストレスとやらを癒すために、のんびりやろうじゃないかと、チビチビとやっていた。ベランダから眺める桜の木は、もう花は散って完全に葉桜になっているものの、初夏の日差しに輝いてなかなかきれいだった。花見じゃないね。葉見、・・・とでも言うのだろうか。まぁ桜の時期も今の新緑の初夏も、ウチのベランダからの景色は案外悪くない。
まだ今週はリハビリだ。GW明けに本当に戦列に復帰できるように、心にも体にも疲れは溜めずに、少し溜まる仕事は仕方ないとして(苦笑)、まずは体調を戻さなければいけない。夜はさすがにもう酒は飲まず、早く眠りにつくとしよう。まだならし運転中とはいえ、明日はまた仕事なのだから。
2009年4月23日木曜日
胃カメラ
検査室に入ると、とりあえずまず胃の中の泡を消す薬を飲む。次にカメラを飲む際の痛みの緩和のために麻酔を口に含むわけだが、そもそもこれが最初からなかなか楽じゃない。お世辞にもおいしいとは言えない麻酔薬のゼリーを口に含んで、飲まないでそのまましばらくと言われる。言われるが、麻酔だから当然口の中も痺れてくるし、少しずつ喉の奥に滑って落ちていく。まずここで嗚咽一回。それでもまだ耐えられる程度に軽く吐き気を催す。
さらに酷かったのが次の喉の麻酔。よくある喉スプレーみたいなやつで喉の奥にプシュッと振りかけるわけだが、これがまた強烈で、二、三回やられたところで思いっきり嗚咽。涙目で咳き込む羽目になってしまう。それでもまだ足りなかったらしく、「じゃあこれはちょっと休憩ね」とか言いながら、サクッと腕に胃の動きを抑える注射を射たれる。まぁこれはただの注射なのでどうということはない。その間、「歯磨きとかしててもよく吐きっぽくなりますか?」とか聞かれたが、それはもう毎朝のこと。吐きっぽさには定評がある。そしてもう一回喉に容赦なく麻酔スプレー。そしてまた咳き込む。これはもうたまらなかった。
そして喉を通る胃カメラはもう違和感ありまくり。胃に到達するまでの間、何度も嗚咽してしまい、「ウッ」とか「オェッ」とか言いながら涙目で検査を受ける。胃液を吸われれば何か胃がキュウッと縮まるのもわかるし、たまにカメラが胃壁に当たっているのも感じる。グリグリと。それがまたなかなか気分が悪い。ようやくカメラが抜かれた直後は、喉の麻酔のせいもあってまともに喋ることすらできなかった。あれば酷い。
そしてしばらくは喉の麻酔が効いているおかげで、よだれが器官に入りまくりで何もしてなくても咳き込む咳き込む。俺は、風邪じゃないんだけどな、と思いながら、必死で落ち着くまで耐えていたとのことです。
まぁ、病院側としては痛みがないように麻酔してくれたんだろうし、対応はそれなりに丁寧だったんでしょうけれども。検査室に入っていった時かかっていたBGMは何故かベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』第1楽章だったし。演奏が誰かは知りませんが。ともあれ、胃カメラ検査は軽く虐待です(苦笑)。冷静に考えてみれば生きてる人間の器官に管通そうってんだから、そりゃあ大変ですわな。ともあれ、できれば避けるに越したことはないしんどさがある検査だということがわかりました。胃カメラ。
2009年4月20日月曜日
2009年4月19日日曜日
人を虜にするダーツのシステム
全国のダーツバーにはDARTSLIVEというシステムに対応した台が置いてあり、500円でDARTSLIVEのメンバーズカードを買うと、そこに対戦履歴や成績の履歴、BULL(真ん中をGET)やLOW TON(1ラウンドで100点以上GET)等の記録が何回あったか等がすべて記録されていく。そのそしてその記録をWEBや携帯から確認できるし、WEBや携帯で設定をすれば自分が投げる時、台に自分のHNを表示させることもできるしBULL等を取った時に表示されるメッセージを自分流にアレンジすることもできる。
その他DARTSLIVEにはネットワークを駆使した色々な仕掛けがあるが、中でも人を熱くさせるのがレーティングだ。直近30件に比重を置いた、自分の成績を簡便な数値で表すランキングのようなもの。はまりだすとこのレーティングを上げるためにどんどんとダーツバーに通って対戦を繰り返して成績を上げようとする。とはいってももちろん出来が悪ければレーティングは下がったりもするので、基本的には腕が上がらない限りはフロックだけではそう簡単に上がらない。実際、皆「レーティングが今6なんだよ。7になったら新しいマイダーツ買おうと思っててさ」とかそんな感じで盛り上がっている。結構、会社帰りに週4~5回とか通い詰めている剛の者もいる。さすがにそこまでやろうとは思わないが、このレーティングのシステムはなるほど、確かに人を熱くさせる。自分のレベルを表す実に端的な数字。それが目に見えるから、気にすればもう上げたくなってくるし、下がると悔しいから尚更通う。調子が良かった時のゲームの記録とかも見返すことができるから、後で余韻に浸れたりもする。実によくできている。
昨日は私はここ数日胃潰瘍疑惑があって体調が優れなかったので、珍しく(人生初)バーで酒も飲まずにカルピスウォーターとレモネードだけで投げ続けた上で深夜0時くらいに帰ったが、他の連中は朝まで投げ続けていたらしい。大したものだ。
というわけでDARTSLIVEのカードを作った上にお古のマイダーツを借り受けてしまった私は、まぁ週一回くらいストレス解消もかねて投げにいこうかなと思ったりするわけだ。大体この胃潰瘍疑惑、もし疑惑でなくて本当に胃潰瘍だったとしたら原因は十中八九ストレスだし。多少息抜きを考えるのも悪くないかなと、ダーツをやりながら思ったとのことです。
2009年4月5日日曜日
心をつないだ名曲達
秋も深まる晩秋の11月頃から年明けにかけて、私のiPodでヘビーローテーションだったのはブラームスの交響曲第4番。この曲は第一楽章からまるでため息そのもののようにもの憂げなヴァイオリンの旋律から始まり、晩秋に寂しく舞い落ちていく落ち葉のような管と弦の掛け合いに続く、交響曲という言葉からイメージされる勇壮さや外向性とは程遠い、寂寥と哀悼の音楽だ。もちろん両端楽章のコーダなんかは楽曲的にも相当盛り上がるが、ベートーヴェン的な苦悩から歓喜へといった趣ではない。憂鬱から苦闘へ、といった感だ。要は、結局救われない(苦笑)。しかもこの交響曲、最終楽章はパッサカリア形式で書かれている。パッサカリアやシャコンヌといった執拗低音を持つ形式に私が持つ特別な感情は以前にも書いた。このことがさらに私がこの曲にのめり込む要因となったのは間違いない。
この頃は仕事に全く光が見えず、右手で新年度カットオーバー予定の大規模プロジェクトの指揮を振りながら、左手でいくつかのトラブル案件の消火・押え込みをしているような状態で、精神的にもお世辞にも明るいとは言えない時期だった。何しろ左手側は元々救いがないにせよ、右手側ですら成功のイメージがまったく描けずにいるような状態だったのだ。晩秋から冬にかけてという季節と、そんな仕事の状態から来る精神状態が、この最後まで徹頭徹尾悲哀をまとった交響曲に妙にマッチしてしまい、この頃はこのブラームスの4番を非常によく聴いていた。
演奏は最初の頃はカルロス・クライバー/ウィーンフィル、その後色々と試行錯誤をした後に、年末辺りに辿り着いたのがチェリビダッケ/ミュンヘンフィルだ。最初にこの曲のよさに気付かせてくれたのはカルロス・クライバー盤。クライバー特有の颯爽と前進しながらも自在に伸縮するテンポが、ともすると湿っぽくて地味に聴こえがちなこの曲を、強い求心力で聴く耳を引きつける音楽に仕上げていた。それでいてこの曲の持つメランコリックな美しさが微塵も損なわれていないのがさすが。
それから色々とこの曲は買い集めて、今では10近い演奏を持っているが、他と比べて圧倒的な衝撃と感動を与えられたのがチェリビダッケ/ミュンヘンフィル盤。1986年、東京文化会館でのライヴ盤だが、ミュヘンフィル自身がチェリビダッケと残した最高のブラ4と認めている演奏だ。EMIからチェリビダッケの全集が出る際、ミュンヘンフィルはこのライヴの録音が残っているか主催者側に問い合わせたものの残っていないという回答が返ってきて、それで仕方なく全集版では別のライブを選んだらしい。その後、当日のマスターテープが発見されてリリースされたという曰く付きの音源だ。
この演奏はブラ4に内包されているすべての要素が完全に昇華された凄まじい名演だ。第一楽章の入りの深刻に過ぎることはない、適度な憂いを帯びた艶っぽいため息の音色、散り行く管と弦の揺らめくような美しさ、全編を覆う哀しみと途切れない緊張感、そして両端楽章のコーダでは「フンッ!」とうなり声を上げながらオーケストラを爆発させるチェリビダッケ。私にはこの曲でこれ以上の演奏は思いつかない。だから、この演奏に巡り会って以後はほとんどこの曲はこの演奏で聴いている。後でもいくつかCDを買ってはみたものの、やはりこの演奏には敵わない。他に聴くとしたらやはり解釈が全く異なる前出のC.クライバーくらいか。
余談ではあるが元々レパートリーが極端に狭かったC.クライバーは、89年以後は指揮台に立つ数少ない機会の中でさらに同じ曲ばかりを演奏するようになる。その中の一つがこのブラームスの4番だった。それは単純に得意ということもあるのだろうが、恐らく終世、父であるエーリッヒ・クライバーとの比較に内心怯え、音楽そのものに対しても非常に神経質になっていった彼の悲哀の心中が、この憂いを纏った曲調に投影されているように思えてならないのは私の勘ぐり過ぎだろうか。
次に年明け1月中頃から3月中頃、つい最近までそれこそ何度も執拗に聴いていたのがバルトークのピアノ協奏曲第3番だ。バルトークの絶筆の傑作(といっても残されたのはわずか17小節のオーケストレーションのみで、ほぼ完成していた)であり、白血病を患っていた彼が自分の死後もピアニストであった彼の妻がこの曲を演奏することで生計を立てていけるようにと願って作られた。
バルトークの複雑に入り組んだリズム構成や、野趣に溢れ、時に原始的とすら思える程の特徴的な音階構成は元々好きだったのだが、私がこの曲で特に強く惹かれたのは第二楽章だ。ゆったりと、澄んだ弦の響きで始まるこの楽章は、一言でいうなら非常に美しい。ただし、その美しさは手放しに喜びに満ちたものではなく、むしろ滅びを予感させる。優しいが冷たい、破滅的な美しさだ。
控えめに、透明で神々しく響くオーケストラの合間に、決して音数の多くないピアノが歩を進むのをためらうように、一音一音ゆっくりと美しい旋律を歌い上げていく。その様は、春が来る直前の冬の終わりに、春の兆しが感じられるよく晴れた白い静かな日の光の中、髪の長い40代くらいの美しい女性が白い壁に囲まれた病室で死の床につきながら窓の外を眺めている、そんなイメージを私に想起させずにはいられない。これから訪れる希望と、その先触れの美しい日差しの中、ただその中にいる人だけが絶望に包まれている。そんな悲しいイメージだ。外の世界に広がる希望と、自身の中で広がる絶望を、諦観とともに同時に静かに見つめる姿。時折諦観が薄れて苦悩が見え隠れするその人間味。悲しい言い方になるが、この曲には別れを前提とした切ないまでの愛がある。だからこそ純白の美しさと、悲しさを兼ね備える。
この頃は左手で処理していたトラブル案件は落ち着きを見せ、新規大規模案件にやっと集中できるようになってきてはいたものの、様々な大どんでん返しの連続でその対応に昼夜休日まで追われ、プロジェクトの完遂という点に対して非常に不安を持っていた時期だ。「ここを乗り越えれば・・・」という山を一つ越えるか超えないかといった辺りで、必ず次の新しい山が見える。それこそ「あの坂をのぼれば、海がみえる」だ。「だがしかし、まだ海はみえなかった」。あといくつ山を超えればいいのか、と憔悴しつつも、「でもまぁこの山を越えれば・・・」という希望も見え始めた時期。ちょうどその2月頃に、この曲をよく聴いていた。
演奏はソリストがゲザ・アンダ、指揮がフェレンツ・フリッチャイの盤。両者とも作曲者であるバルトークと同郷。それ故か曲に対する理解・思い入れの強さが伝わってくる。フリッチャイは元々バルトークの演奏では定評があるが、特にこの演奏は自身も白血病に倒れ、病から復帰した直後のレコーディング。同じ病に倒れた同郷の士の最後の作品に対して、並々ならぬ思い入れがあったことは想像に難くない。作曲者が命を賭して書いた曲に、同じく命を賭して挑む指揮者の凄みがここにはある。
それとこれも余談ではあるが、この曲の第二楽章は透明に澄んだ弦の和音が非常に印象的だが、フリッチャイの演奏で聴いていると私にはその響きがまるで雅楽の笙のように聴こえる。この曲は全体を通して教会旋法で書かれているが、当然西洋の教会であって日本の神社ではない。調べてみるとどうやら確かに雅楽の和声と教会旋法には共通点があるらしい。教会音楽も雅楽も洋の東西は違えどどちらも神に仕える音楽。この共通点が文化交流の結果として生まれたものなのか、あるいは自然発生的に出来上がった共通点なのか、そこは音楽とそれが聴き手に与えるイメージという面で非常に興味深いものがある。いつか調べてみたいものだ。
前の日記で「私は今回も生き延びました」と書いたわけだけれど、この2曲がなければ最後まで心が折れずに持っていたかどうかはわからない。体は、別問題だ。これまで何度も修羅場を経験してきたが、その度、音楽に救われる。私は心の支えとして宗教は持っていないが、信じる支えという意味では音楽がその役割を果たしてくれているように思う。それは癒しではない。支えだ。大体癒しなら、もう少し明るい、やんわりとした曲を選ぶんじゃないだろうか。結局のところ、私にとって音楽とは共感だ。共感による自己肯定が支えとなる。例えそれが暗い状況の肯定でも。暗い状況から目をそらす癒しではなく、暗い状況を肯定する共感が、結局最後の孤独を救う。
2009年3月29日日曜日
なんとか、生還
2009年3月15日日曜日
さよならブルートレイン
2009年2月9日月曜日
不況
プライベートでもひょんなことで不況を実感する。例えば散髪に行くと、これまでは午前中に予約をしないと夕方まで一杯だった床屋が、行った時点で自分一人しか客がいなかったりする。最近ではJust Cutで2,000円前後の店も多いから、客はそういうところに流れているのかもしれない。そのせいか、今回は帰りに10%オフ券をもらった。初めてのことだ。
ネットでワインを買う時によく利用しているエノテカ。昨年12月くらいからほぼ毎日メールで広告が届くようになった。勘ぐりすぎかもしれないが、そうでもしないと売れないからではないだろうか。ワインのような嗜好品は、家計が厳しくなるとすぐに消費されなくなる。円高で多少安くなったとしても。それがまんざら勘ぐりでもなさそうだという傾向として、年末・年始に例年出す福袋が1月中ずっと売れ残っていた。毎年、すぐになくなるのに。まぁ上場企業だから決算報告見ればすぐに状況はわかるのだけれど。私自身、ワインやモルトは以前と比べて節約を心がけるようになった。その分CD買ってれば世話ないのだが。
私達が結婚式を挙げたオルゴール博物館が、2月でブライダル事業から撤退する。これに関しては不況が起因する気もするし、何となくだが人的リソースの問題のような気もしている。何はともあれ、寂しい限りだ。
と思ってみると、中には元気なところもある。IKEAに行ってみると、一時期は開店当初と比べると相当客足が落ちていたのに、今日はもの凄い人だった。多くの人が少しでも安くてよいものを求める結果、IKEAのようにそれを確かに実現できているところには人が集まるようになってきている。その意味で、この不況下ではどの業界も生き残り競争は激しくなることだろう。ただし少ないながらも、確かに勝ち組は存在する。
周囲の声を聞いていると、今回の不況は急にやってきた、という実感を持っている人が多いようだ。私自身、理論ではなく実感という意味では確かに急にやってきたように思う。なるほど、確かに不況とは来るものだ、と。まぁ、あわてふためいても仕方ない。できることをできる範囲でやることにする。
2009年2月4日水曜日
メモ
思想はつねに何等かの行動の手段として多少とも宣伝的意味を帯びしめられ、従って、独占的、排他的、暴力的性格を持つ。その思想の中の何が真であるかよりも、その思想でもつて何をするかが中心的地位を占める。
~中略~
イデアールなものこそもっともレアールである。
2009年2月2日月曜日
続・故障者リスト入り
今回は先生も私の日記を読んでくれていて、左肩の惨状をあらかじめ知ってくれており、しっかりとそこの治療をしてくれました。普段とはまったく違う施術の数々が、改めて今回は酷いんだなというのを感じさせましたとさ。それでも先生が苦心してくれた甲斐あって、施術後一晩経った今では左肩の痛みは無事に日常生活レベルではほとんど解消しました。子供を抱っこするのも楽になりました。あまり無茶な暴れ方をされるとさすがにまだ少し痛むのですが(苦笑)。
それにしてもさすがコトー先生、頼りになります。ありがとうございました。明日からはまた、まだまだ忙しい仕事の日々が始まります。傷も癒え、今週もまた、私は私の戦場に赴くこととしましょう。まぁ仮に傷だらけでも、それでも戦わなならん時は戦わねばならんのですが。
2009年1月26日月曜日
一挺のバイオリンで描かれた宇宙
例えば『シャコンヌ』を含むパルティータ2番は実はギター編でもよく音楽の魅力が引き出せていると思うし、実は私は『シャコンヌ』に至ってはギター編の方がバイオリンよりよいと感じている。セゴビアが初めてこの曲をギター編で世に出した時はバイオリンに対する冒涜呼ばわりされたものだが。この曲は、バイオリンではどうしても最初と最後の和音の響きがどうしても甲高くヒステリックに聴こえてしまう。名手シェリングやミルシテインですらそう感じる。その点ギターでは奏者に人を得ればその和音が実に荘厳に響く。その後に繰り返される変奏も本来ギターのために書かれていたかのように自然に響く。最大の盛り上がりどころである高速のアルペジオが続くパッセージもバイオリンではともすると音や響きが曖昧になりがちだが、ギターではそのアルペジオが一音一音堅牢に、粒を揃えて響かせることができる。私は随分前にも「バイオリンは単音に悲しみを宿し、ギターは和音で悲しみを響かせる」とこの日記で書いた。パルティータ2番ではその楽器の個性がうまく音楽にはまり、ギター編でも素晴らしい音楽が引き出される。
だが、パルティータ3番BWV1006はやはりバイオリンがよい。あのプレリュードの、高温の伸びやかな旋律の響きはギターでは出ない。元の曲が素晴らしいのでギターでもよい音楽になるが、あのバイオリンの繊細に輝くようななめらかな高音の節回しはギターではできない。ローロのゆったりした歌もギターではともすると間が持たない。ロンド風ガヴォットもやはり展開部の伸びやかな歌がバイオリンで気持ちよく響く。これをギターでカバーするには、それだけで演奏者に相当の技量がいる。まぁ、ギター編でも素晴らしい音楽になるには違いないのだけれど。
ところで、バッハという人はもしかしたら純粋に音楽を目指したかった人なのではないだろうかと、ふと思うことがある。それは広い意味での音楽ではなく、楽器や編成にしばられず、極論すれば記譜だけで表現できなくもない、楽器も音色もない、ただ音列としてだけの純粋音楽だ。『フーガの技法』や『音楽の捧げもの』に明確な楽器指定がないのは、その意味での純粋音楽を極めたかったからではないのだろうか。楽器の物理的な制約や、ともすれば音色からの制約すら離れて、ただ純粋に理論を極めた音楽を作りたかったのではないだろうか。バッハの時代の作曲家は基本的には委嘱作品のような形で、スポンサーのために音楽を作っていた。ただ、その時代でも稀に作曲者自身が誰のためでもなく、ただ作りたいから作った曲があるという。間違いなく、『フーガの技法』はそうだ。楽器編成や、ともすれば曲調まで依頼されて作る音楽ではなく、そういった依頼のしがらみはおろか楽器のしがらみすら捨てて、彼は彼の音楽を作りたかったのではないだろうか。無伴奏のバイオリンやチェロのためのソナタという、事前に例がほとんどない音楽で彼が絶後の名作を生み出したのも、最小限のシンプルな楽器のみに編成を絞ることで、楽器編成という音楽に関する音色という色彩的な付加要素を排除したかったのではないだろうか。
私はベートーヴェンが最晩年まで弦楽四重奏という形式で音楽を書き続けたのにも同じ理由があるのではないかと思っている。管弦楽の様々な楽器の音色は音楽に多様な色彩をもたらすが、それはその音色の多様性が逆に音列としての音楽を見えにくくする枷ともなる。バッハや弦楽四重奏を作る時のベートーヴェンは、そこから解放されたかったのではないだろうか。今となっては、確かなことを知ることはできない。
だが、バッハはその無伴奏バイオリンという編成で、「一挺のバイオリンで宇宙を描いた」と言われる程の深遠な世界を作り出した。ベートーヴェンは後期の弦楽四重奏で精神の崇高な高みにまで達した。そこには彼らが余計な要素を排した上で純粋に音楽と向き合い、精神の奥深くまで潜り込んでいった結果が現れているような気がする。彼の曲に楽器を変えても魅力が消えない作品が多いのは、それだけ楽器という"色"に頼らず音楽を作っていたという証拠だろう。
バッハは『フーガの技法』で病床、最後のフーガを書く手を止めて天へと向かった。彼は、何故最後あの極限の技巧的名作を完成させなかったのだろうか。ただ単に力尽きただけなのだろうか。もしかしたら、彼は知っていたのかもしれない。対位法、ポリフォニーという音楽の完成者は自分であり、そこが頂点であることを。彼以後、音楽はポリフォニーからモノフォニーへと移行して行き、その後彼程の対位法作曲家が世に出てこないことを。最後のフーガを完成させてしまえば、対位法による技巧はとうとう極まってしまい、本当の完成を見てしまう。その完成は、本当の対位法の死を同時に意味することを、彼は意識したのかもしれない。これも、今となっては確かなことは知ることができない。
夜、久し振りにバイオリンで無伴奏ソナタ&パルティータを聴きながら、当てもなくそんなことを考えていた。今日は日曜日。大倉山の梅林では、少ないながらも咲いた梅が冬にしては暖かい日差しの中、静かに上品に佇んでいた。
2009年1月25日日曜日
故障者リスト入り
2009年1月6日火曜日
謹賀新年
多くの人が仕事始めの今日、人が多すぎる都会にあって休み明けに一番憂鬱になるのが月曜朝八時の満員電車なわけですが、今日は意外と混雑もそれほどではなく、この正月休みは帰省はしたものの親戚回り以外はほぼ何もせず惰眠を貪った甲斐あって(?)、珍しく身体の軽い出勤でした。やはり疲れがたまっていない状態というのはいいものです。昨年末は会社の納会の後、各自個別で分かれた飲み会でも各所で「あのままではayumは倒れる」と噂された(らしい)くらいハードな日々だったわけですが、まぁまぁなんとか回復できました。
さて、また、私は私の戦場に戻るとしましょう。