1999年12月31日金曜日
新潟でお買い物
さて、『何もない未来へ』の第二章のアップです。今回はニュースの報道シーンから入っていきますよ。
1999年12月30日木曜日
何もない未来へ
今回舞台は1999年の12月29日から始まり、数日前への回想シーンへと入っていきます。かなりグロイ描写も出てきますがそこはそこ。『理想郷』の時のようなダークでシュールな作品に上がりそうです。とりあえずはやはり『理想郷』以来の本格的な小説ということになりますか。現時点では結構な自信作なので皆さん読んで感想を聞かせて下さい。タイトルは『何もない未来へ』。う~ん、題名からして結構キテますね。とりあえず第一章、読んで下さる方は題名のところをクリックお願いします。
1999年12月29日水曜日
色々あったけど帰省
で、今は既に新潟に帰省して、今日はのんびりと過ごしていたわけですが・・・。まぁ23日以降はあまりに色々なことがあり過ぎてもう何を書いたらいいのやら、精神のタガも外れんばかりの勢いな訳ですが、とりあえず漢ルミナリエは大成功。素晴らしいものを観てきました。こう、私達が中央公園に辿り着いた時にちょうどタイミング良く花火が上がり始めたんですよね。ルミナリエの向こうに見える花火とその炸裂音が実にドラマチックに神戸のイブを演出してくれていました。ボ~ッと口を開けたまま上を見上げて放心状態に陥るワッキーの間抜けな姿がとってもナイスでした。とりあえず我々田舎者にはルミナリエというとカップルのための祭典というような印象が強かったのですが、実際行ってみるとそんなこともなく、家族連れやらオジンの二人組(謎多し)やら結構色々いて、別に悲しくなるようなことはありませんでしたね。とはいっても今回の漢ルミナリエメンバーも最終的には一応生物学的に見たら男だけの一行というわけではなかったのですが。
しかし22日からずっと風邪をひいてるのにそれを栄養剤でごまかしつつ無茶な日程をこなしていたのでさすがに昨晩新潟に帰ってから今日の間はじっと静養してました。またこれから飲み会のラッシュが始まるのですよ。とりあえず休息と栄養をとっておかないとね・・・。
1999年12月23日木曜日
過労と疲労と
1999年12月22日水曜日
忙しいのに風邪
1999年12月21日火曜日
バカップル禁止条例
1999年12月20日月曜日
無題
1999年12月19日日曜日
1999年度第二次執行部選挙
P.S. 今日の選挙が長引いたためにせっかくチケットを取っていた村治カオリのコンサ-トに行けませんでした・・・(泣)。途中で抜けて行けとの声もあったのですが、さすがに立場というものもありますしね。残念です。今度は2月のLAGQを楽しみにして生きることにします・・・。
1999年12月18日土曜日
C技として最後のタルレガ
1999年12月17日金曜日
ドイツ語とレポートとイギリス組曲
で、それはそれとして今日は私の後継者となる次期C技を連れてレッスンに行ってきました。彼もあのギタ-教室のあまりにうさん臭い建物の雰囲気にはやられていたようです。まぁこれから頑張っておくれよ。C技の看板背負って演奏会のステージに立つのはかなりのプレッシャーだでな。わしゃやっとそれからも解放されるのでのびのびとやらせてもらいますよ。しかし今日先生から新しい曲をもらってきたのですが、それがデュアルテの『イギリス組曲』・・・。「大聖堂と同じ三楽章構成ですから」って、間違ってるだろ!? 『イギリス組曲』って音源は持ってませんが、私がまだ一回だった頃関大さんの定演でコンク-ル入賞歴を持つ人が弾いていた記憶があるのですが・・・。それって結構難しいんじゃ・・・? しかも結構長くて、演奏途中で寝かけてたような記憶も・・・。これまで自分が持っていった曲はともかくとして、先生の方から渡してくる曲は全部2ペ-ジ以内か、あるいは『シンプルエチュード』みたいに細かい曲がわんさかか、どっちかだったのに急に7ページの三楽章構成ですか? これは認められてきたと喜ぶべきなのか・・・。まぁとりあえず一曲目の『プレリュード』は弾いてみたところ意外に弾きやすい曲だったのでよしとします。しかしあのテの明るい哀愁系の爽やかさはイマイチ私には似合いませんね。もうちょっと暗めの哀愁が好きなのですが・・・。
1999年12月16日木曜日
劇団の前座(報告)
1999年12月15日水曜日
劇団の前座
・・・っていうかレポートは・・・?
1999年12月14日火曜日
定演が終わって
1999年12月12日日曜日
定演終了!
総轄をするならまずラテン。『アチチ』の2回目のAメロのソロのオクタ-ブ奏法、いきなりミスってしまって申し訳ありませんでした。おかげで一瞬アンサンブル全体が崩壊しかけてしまいました。ごめんなさい。あとラテンに関してはグラサンをかけながらノリノリの振りで『Vamos』のパーカスを叩くG.S.J.K.が見てて笑えてよかったです。緊張がほぐれました。ポピュラーは練習開始当初はどうなることやらと思いましたが、本番は実に綺麗に決まって(まぁ個人レベルで多少のミスはあったようですが)気分爽快でした。ポピは本当にラテンを食わんばかりに評判がよかったようで、アンケ-トを読んでてちょっと嬉しくなりました。『Feed the birds』は好評だったようですね。私が衣笠CGCの(元?)マスコットの命を受けて実行した花束投げは色々な意味で賛否両論だったようですが、まぁそれもアリ。個人的には私がブ-ケを投げた瞬間に笑いが起きたのがちょっと意外でした。あそこはうっとりするところだろー!? フラメンコに関してはもはや何もいうますまい。一部からはやりすぎとの声も上がっていたようですが、やりすぎるくらいやれるのも今の最強の面々の力があってこそ。あんたらぁ逞しくやったよ。『リベル』は「怪しさを醸せれば勝ち」と息巻いて、意気揚々と黒のロングコ-ト着て口のところまで赤いマフラーを巻いて出たはいいのですが、実はあのマフラーのおかげで7フレット以上のところが全く視界に入ってこなくて弾くのに相当苦労しました。う~ん、練習は大丈夫だったのになぁ・・・。そう、練習の時はあれにさらに黒のグラサンまで付いてたんですよ。アイコンタクトが取れないから止めろと仲間からクレームが付いたので本番はやめましたが。『タンゴ・アン・スカイ』はその圧倒的な技術力に皆感嘆していたようです。よくは聴けませんでしたがやりましたね、まりも氏。『ロンドン』はちょっと音が小さい等の音量関係のクレームは付いていたようですが、ギターの美しい音色を活かした演奏との好評の方が目立ちました。よかったですね。私は練習の段階ではこの二人の後に弾くのが嫌で嫌でたまりませんでした。そして『大聖堂』。独重の時とは違って最初から仕上がりに不安のある状態でステージに立ちましたが、意外や緊張もせず、集中力も後半尻上がりに上がってくるという感じでいけたのでまぁよかったです。アンケートでは手放しで褒めちぎる人とまだまだだなと言う人と、実に賛否両論真っ二つに分かれましたが、個人的には第一、第二楽章はなかなかうまくいけたと思っています。第三はまぁ練習以上ではないが以下でもないという感じですか。とりあえずノーミスで弾くのは諦めていたので、いかにミスしても崩れないかを考えて練習していたのが多少は功を奏したのでしょう。テンポの安定感だけはやたらと評判がよかったです。ブリッジよりの音で終始弾いていたことに対するクレ-ムもあったようですが、少なくとも第一楽章ではあのギタ-で弾く際高音域はホールよりだと鳴ってれないので、それでややブリッジよりで弾くように心掛けたというのはあります。後の部分はノリでしょう。最後に大合奏です。本番当日の通しリハではそれまでやらかしたこともないような大きなミスを『ロンド』でやらかしてアンサンブルが完全に崩壊するという事態を見てしまい、本番実に不安でした。しかし蓋を開けてみれば『カノン』も『ロンド』も『ブランデンブルグ』も大きな崩れは見せずに、むしろ練習以上にまとまりのある演奏ができてよかったのではないでしょうか。だから本番はアドレナリンが出るから大丈夫だ、って言っただろ?問題の超難曲『ブランデンブルグ』も本番しっかり決まって、評判もかなりよかったようで嬉しい限りです。そして編曲し直した『スペ花』もカッコいいと大好評。かくして今年の定演は無事幕を下ろしたわけです。アンコ-ルの途中で指揮者が見せた涙は演奏している私達にも感動と充足感を与えてくれました。よかったぜ、ガッティ。
思えば後期に入ってからはずっとこの定演にかかりっきりでしたが、終わってみればあっという間だったような・・・。いつもそうですが、こういうのって本番当日まではいつまでも続くかのような長い時間に思えても、終わってしまえばまさに「光陰矢のごとし」って感じですよね。色々とゴタゴタもありましたし、演奏会自体が終わった今でもけじめを付けなければいけない問題は多少残っていたりもするのですが、その色々なトラブルがありつつもこの演奏会に向けて部の皆と頑張ってきた時間は凄く実になった素晴らしい時間だったと今になって実感できますし、大切な時間だったと感謝しています。今の執行部の面々で中心になって定演を作るのもこれが最初で最後なわけですが、その一回限りのチャンスでやれることはやったという充足感が味わえたのは幸せなことだと思います。巡り合えた運命と、共に頑張った仲間達に本当に感謝します。そういうとちょっとくさいかもわかりませんけどね。でもこういうことは言わずに後悔はしたくないですから。クラギタの皆、特に99'執行部の皆とは一緒にここまでやってこれて本当に嬉しいです。願わくばこの気持ちが消えないことを・・・。
1999年12月10日金曜日
定演前夜
1999年12月9日木曜日
1999年12月8日水曜日
ドーピング・・・?
1999年12月7日火曜日
素晴らしかったBKC定演
そう、先週土曜はBKCの定演があったのですが、いやいやあれは凄まじかった。何が凄まじかったって『クイッカン』、『不良少年』、わっきーの『部長挨拶』、そして大合奏の最後の流れがもう・・・。大合奏の前指揮のキヨが出てくる前指揮者なしで『プロムナード』やってたのは誰の発案なんでしょうか? あれはかなり感じよかったです。KICの間では「あれはキヨが登場するためのテーマソングだった」という噂がまことしやかに囁かれていますが・・・。まぁそんな噂が流れるのもすべてはキヨのAアンの指揮が凄まじくカッコよかったからでしょう。モーツァルトの『25番』の最後に左拳を天空高く突き出してフィニッシュした時にはどうしてくれようかと思いましたが、それもカッコつけと思わせないだけの説得力があったのには完全脱帽。続く『ハンガリ-舞曲』の大きく弧を描くようなタクト捌きも見事と言う他なく・・・。いや~、参りました。あんたぁ凄ぇよ、キヨ。おかげで俺が振るポピュラーの指揮がヘボく見えるじゃねーか。まぁいいんだけどね。わしゃどうせ指揮は本職じゃねーし、俺は俺の味で勝負するよ。そう、いつものようにね。しかし驚いたのは『クイッカン』。あんな合わせるのが難しそうな五重奏をよくもあそこまでビシッと決められるものです。しかもあの執拗なまでの怪しいリフレインが個人的にかなり心にヒット。先年度F技の某F氏(ヨークマニア)と「あれは大したもんだ」と感嘆してました。『BAD BOY』もあの曲の儚さ漂う雰囲気を「儚い」という言葉がかなり似合わない二人がしっかり醸せていました。いい感じでしたよ。聴く度に演奏レベルが上がっていった気がします。さすがゴールデンコンビ。そして相変わらず演奏以上に魅せてくれるのがわっきーの部長挨拶。今回もさすがワッキーと思いながら聞かせていただきました。忌無はわっきーの部長挨拶にかなりショックを受けてしまい、「あ~、どうしよ~」とか帰り道ずっと悩んでましたぜ。オムからの提案で俺とにらめっこ二人で挨拶終了後前に出ていって渡した花束も心にヒットしてくれたようで嬉しく思います。定演終了後の君は熱かったよ。さすが我らが同胞BKC、素晴らしい定期演奏会でした。おかげで見に行ってよかったけど見なきゃよかったという微妙なプレッシャーが・・・。いやいや、俺らは負けん。どっからでもかかってきやがれ!!!!! というわけでこんな深夜まで開き直って練習してたわけです。学校にいる間はAアンやらポピュラーやらリベルやらのアンサンブル系ばっかやっててソロやる時間はないのでね。まぁ泣き言ばかりも言ってられません。とりあえずやれるだけやります。そう、やれるだけね・・・。
1999年12月3日金曜日
定演ブルー
1999年12月2日木曜日
就職活動と受験の共通点
1999年12月1日水曜日
ちょっとだけ恋愛論 - TVドラマの台詞を主題に
そのヒロイン(多分)曰く、「愛は虚しいもの。お互いの自由を奪い、時間を奪い、肉体を奪い、悲しみの中で終わりを迎える」、だったか、そんな感じの台詞でした。例によって寝かけてたんでよく覚えてません。とにかく大枠としてはこんな感じだったと思います。う~ん、さてさて皆さんどう思います? まぁある一面では真実だとは思うんですけどね。どう綺麗ごと言ったって、相手と一緒にいたいと思うことは相手の時間と自由をある程度奪っているという事は事実なんですから。でも、お互いがお互いと一緒にいたいと思った時に一緒の時間を過ごせたら、それは別にお互いを奪っていることにはならない訳ですし、要はエゴイズムの程度の問題のようにも思います。というかですね、そんな挙げ足取りのようなもんじゃなくても、端的に言ったらこれは恋愛に対する姿勢と結果の問題だと思うんですよね。このヒロインは、この一回分の話を見る限りでは過去の恋愛では幸せになったことはないらしいんですよ。で、それを通じて「恋愛は虚しいとわかってしまった」とかほざいて上の台詞を口にすると。大枠の流れはそうだったと思います。で、「相手に合わせて変わって行こうとして、理想の恋人になれたと思ったら云々・・・」と話は続く訳ですが、この際そこはカットします。で、そのヒロインの恋愛に対する姿勢ですが、基本的にネガティブですよね。あんな台詞を吐くくらいですから。それが彼女が過去の恋愛で幸せになれなかった最大の要因だと思うんですけど・・・。だって、一緒に時間を過ごすことを相手の時間を奪ってると感じるような極限にネガティブな思考回路の持ち主がどうやったら自分で幸せを感じられるんでしょうか? 自分が幸せを感じていられないと、それはどんなに隠そうとしても相手には伝わってしまうもの。そうすれば相手はそれが何故かと思い、幸せになれなくなっていく。お互いが幸せを感じることができなくなった二人は、そりゃ別れるしかないでしょう。当たり前です。要は姿勢の問題です。とはいえ逆に楽観し過ぎるのも考えものですけどね。一緒にいることが相手にとって拘束となってはいないか、たまに客観視するくらいの余裕は必要だとは思います。盲目的な恋が長続きしないのは主観の中に浸かり過ぎているから。適度なバランス感覚が長続きのコツかなと。そう、要はポシティブとネガティブ、主観と客観のバランス感覚ですよ。
・・・とここ数日まともに人に会えてない寂しさにまかせてどうでもいい当たり前の事をつらつらと書いてしまいました。やれやれだぜ。
1999年11月30日火曜日
自律神経失調症でダウン
1999年11月27日土曜日
明日のMBSホール演奏前に一言
1999年11月26日金曜日
1999年11月25日木曜日
ヨッシー来襲
以上、酒が入ると妙にDream Theaterの音楽がカッコよく感じる間違ったC技の日記でした。
1999年11月24日水曜日
やっと休日
P.S. 今日は家にラミレスも持って帰ってたので、大阪に向けて弦も張り替えて自分の演奏をMDで録って聴いてみたのですが・・・、やばいって『大聖堂』・・・。
1999年11月23日火曜日
松坂商業ギター部発表演奏会
そして客演の藤井敬吾氏の演奏もまた素晴らしかったです。ネットでクラシックギタ-系のサイトを回ってると尊敬するギタリストに藤井敬吾氏を挙げる人がやたら多いのもわかる気がします。ハッキリ言って出てきてヒョコッとした礼をしてチョコンと椅子に座りやがった時にはただのみすぼらしいオッサンに思えたものですが、弾き出したらこれがもう・・・!!! 一糸乱れぬ演奏とスッキリしてるのに情感溢れるクリアな音色にもう虜でした。『アルハンブラ宮殿の想い出』も信じられんくらい粒の揃ったトレモロとくどくないのにいやに情感溢れる演奏でよかったのですが、何よりもヤツが弾く『羽衣伝説』がまた無茶苦茶カッコいいんだ。端で見てても何やってるのかよくわからない恐ろしい特殊技法も満載でしたが。キラキラ輝く超高音ハーモニクスと並行して走る左手だけの低音旋律とか、理解は可能でも実行は不可能な技術もまた・・・。思わず『羽衣伝説』も弾きたくなってしまいましたが、やはりそれはやめておきます。弾けてたまるか、あんな曲!!!!! おそるべし藤井敬吾。微妙に弾いてる姿とオーラはPCKとかぶってました(←にらめっこも同意)。ということはPCKも今後の精進次第ではあのクラスに・・・?
1999年11月20日土曜日
無題
1999年11月18日木曜日
1999年11月17日水曜日
一気に冷え込み
1999年11月16日火曜日
学祭日記
1999年11月13日土曜日
1999年度関西大学ギター部定演
で、肝心のコンサートはいきなりBKCのKIYO編曲のモーツァルトのディベルティメントから。編曲者のクレジット見た時ビックリしましたよ。いつの間にヤツぁ関大さんにディベルティメントの編曲を進呈していたのやら。まぁこれは女の子ばっかの四重奏だったのですが、軽妙なリズムと小気味いいハ-モニーをよく出していてとてもスッキリ聴けてよかったです。いい演奏でしたよ。KIYO、君の編曲の苦労は彼女らがちゃんと実にしてくれたよ。よかったな。そして続く関大のお家芸『コユンババ』は脈々と受け継がれた関大コユンババの底力を感じさせるさすがの演奏でした。その後も実に関大らしいいい意味で自由なステージが続いていきました。二部でやった二重奏の『回転木馬』の第三楽章がえらい気にいってしまい、思わずアンケ-トに譜面くださいと書いてしまいました。あれの2ndは楽しそう。そして個人的に一番楽しみにしていたバッハの『シャコンヌ』。直に見るのは初めてではありませんが、相変わらず凄まじい曲です。私もいつか弾きたいとは思っているのですが、さすがにあれに挑戦するだけの技術と気合はなかなか・・・。演奏の方は最後ちょっと力尽きてしまった感もありましたが、あの曲は弾けるだけで相当なものがありますからね。大したものだとは思います。欲をいえばもう少し荘重さと荘厳さがほしかったかなというところでしょうか。そして大合奏。シベリウスの『カレリア』を見事に息のあった演奏でしめてくれました。彼らの演奏会は演奏はしっかりしているのに空気にかたさがないのが素晴らしいところですよね。毎回そう思います。今日の演奏会はウチらの定演に向けての凄くいい刺激になりました。彼らのおかげでやる気もまた出てきたし、ウチらのアンサンブル(重奏含む)に欠けているものも再確認できました。関大さんの定演は最高にいいステ-ジだったと思いますが、ウチらもそれに負ける訳にはいきません。時期的にもウチらの定演が知る限りの関西圏のギタ-部の演奏会のシメになる訳で、何よりもこれまであんなにのめり込んできた執行部活動のシメになる訳です。これまで各種演奏会や通常活動、あるいはプライベートで最高の時間と空間を共有してきた仲間達と作り上げる、実質的には最後のステ-ジです。悔いは残したくないですし、どうせなら後世まで語り継がれるような伝説の定演にしたいですよね。さ~て、気合入ってきたぞ・・・!!!!!
1999年11月12日金曜日
1999年11月11日木曜日
アンラッキーな日々
1999年11月10日水曜日
退廃する衣笠CGC
1999年11月9日火曜日
飲み過ぎ新記録
1999年11月7日日曜日
突き進め、退廃の道
1999年11月6日土曜日
哀愁の秋
1999年11月5日金曜日
自転車ハプニング
1999年11月4日木曜日
Dream Theater『SCENES FROM MEMORY』
今日の一言:踊らされるな、自ら踊れ!
1999年11月3日水曜日
噂の終結
「No、って言っただろう?」
1999年11月2日火曜日
RAINBOW-STAFF新人研修開始
1999年11月1日月曜日
1999年10月30日土曜日
HAREM SCAREM『Believe』
When all is gone, your faith pulls you through
Don't wait for the moment
When time leaves no chances to pour out the answers,
Don't hold on to find out
Your tomorrows were sold out to save me from harm
1999年10月29日金曜日
無題
1999年10月28日木曜日
誕生日
1999年10月26日火曜日
月夜のBGM
1999年10月25日月曜日
ブランデンブルグ完全版
1999年10月24日日曜日
アンサンブル・オズと野辺氏製手工アルト
その後は私がギターを習いに行っている教室のミニコンサ-トを聴きに行ってきたのですが、なんというかまぁやはり聖帝は凄かったというところでしょうか。腕利き揃いの合奏団の中でも格が違ってましたね、正直。そう、今回は合奏団員の独重奏と合奏のコンサ-トだったんですけども。というか聖帝がいないと弾けない曲何曲かあったぞ、合奏で。それはアリなんでしょうかね? で、コンサートが終わった後G.S.J.K.と共に控え室まで乗り込んで、ウチの部がこの合奏団に貸してた野辺氏製作の手工製アルトを返してもらってきました。もうコンサ-トのステ-ジでさっきまで弾かれていたヤツをそのまま。ちょっと前に製作者である野辺氏本人に点検してもらったばかりだそうで、最高のコンディションのヤツが返ってきました。ちょっと驚いたのはあのギタ-、中のラベルのところに「このギターは立命館大学クラシックギタ-部の為に製作す」って紙が貼ってあるんですね。それを見て「ああ、ウチの部のギターなんだな」って思いました。これでアルトの本数不足も多少は緩和です。さて、あと一本をどう調達するかですね。まぁまぁどうにか適当になんとかしましょう。
1999年10月23日土曜日
マスコミ就職研究会
このマスコミ就職研究会というのは一種の自主ゼミのようなもので、出版、放送、新聞、広告とおおまかなジャンルに分かれた後にその中で8人程度の小グル-プを作って、そのグル-プの中で情報交換をしたり対策を立てあったりするという主旨のものなのですが、そのグル-プ分け、ジャンル別に分かれてから後は誰か適当に仕切って分かれてくれっていうんですね、就職部のお方は。で、最初座った席がちょうど出版の集合場所になっていた私はそこを動かずに他の出版の人が集まってくるのをじっと座って待っていたわけですが、そしたらまぁ気付いたら私が真ん中にいて他の人が私を取り囲むような陣形になってしまっていたんですね・・・!!! で、誰かが仕切らないといけないと。皆机の周りを囲むようにして立っています。私はその机の真ん中の椅子のところでボ~ッと立っています。・・・気付いたら何故か私がそのグル-プ分けの仕切りになっていました・・・!!!!! 初対面の数十人の群集を相手にいきなり仕切りをやるハメになるとはまったく思っていませんでしたよ、私ぁ・・・。しかも小グル-プに分かれてからも周りはおとなしい人ばかりだったので、もうこうなったらとことんやってやろうじゃねーかということでホントに最後の最後まで仕切りやってました。しかも最初に仕切りやってたもんだから他のグル-プの人にも顔覚えられて、食堂で見かけた時も軽く会釈などするくらいになっていました。う~ん、人の輪が広がるのは嬉しいことなんだけど、ホントにこのガイダンスに出てジャンル別に分かれる瞬間まで自分が仕切りやるなんて気はまったくなかったんですけどねぇ・・・。まぁでもおかげで人の輪は大きく広がってくれそうなんでO.K.とします。それもまた人生でしょう。
1999年10月22日金曜日
風邪疑惑
1999年10月21日木曜日
一人酒
1999年10月20日水曜日
1999年10月19日火曜日
破壊遊戯の着信音
1999年10月18日月曜日
村上龍『ヒュウガ・ウィルス』
で、今日は夕方から村上龍の『ヒュウガ・ウイルス』を読んでいて、間にギターを弾いたりしつつさっき読み終えたのですが、これはなかなか興味深いテーマを扱ってます。とりあえずここからは作品のネタばらしにもなるので、これからこの作品を読もうと思っている人はここから先は読まないことをお薦めします
この小説はある地域で発生した原因不明のウイルスをUG軍(まぁ日本軍ですか。舞台がパラレルワ-ルドで、日本は超大な軍事国家という設定になっているのです)の化学戦特殊部隊(というより医・分子生物学者兼職業軍人と考えた方が近い)がウイルスの分析と発生源の処理(要するに焼き討ち)を目的として現地に乗り込んでいくというストーリーなのですが、明らかにエボラをモチ-フにしたと思われるその致死率100%の克服法が意味深なテ-マとなって出てくるわけです。この作品で出てくるヒュウガ・ウイルスが人間に与える致命的なダメ-ジは3つあって、それぞれ内蔵の溶解と出血、筋収縮発作による頚椎の骨折、そしてヒスタミンの異常分泌によるアナフィナキシー・ショックなわけですが、内蔵の溶解と出血は通常の医学でどうにか対応できますし、筋収縮発作は『向現』と呼ばれるこの作品の中の架空の麻薬で抑え込めます。しかし最後のアナフィラキシ-・ショックだけはどうすることもできないというのがこのウイルスを調べた結果でした。薬品でこの症状を抑えようとすればバケツ一杯の抗ヒスタミン剤が必要で、現実問題としてそれだけの量の抗ヒスタミン剤を発作が始まってから死に至るまでの僅かな時間で投与するのは絶対不可能なわけです。では、このアナフィラキシ-・ショックから生還するための条件とは一体何なのでしょう。以下に作品の中で部隊の隊長であったオクヤマが言った台詞を引用します。
インターロイキンという液性タンパク因子がある、~中略~ インターロイキン1と14は、たとえば次のような場合に一斉に大量に作り出される、オンリンピックの100メートルの決勝のスタ-トラインについている選手、また大きなレ-スに出走前のレーサー、大切なコンサ-トで今まさにカデンツァを弾き始めようとしているピアニスト、そして兵士だ、兵士は、~中略~ あらゆるときにインターロイキン1と14を作り、危機意識をエネルギーに変える、~中略~ 圧倒的な危機に直面し、それをエネルギ-に変えるような局面でのみ分泌されるのだ、~中略~ たぶん、インターロイキン14が誘発する何かが筋収縮発作直後のヒスタミンと結合してアナフィラキシ-・ショックを抑えるのだろうと思う、~以下略~
ちょっとわかりにくいかも知れませんが、要は極限の緊張と集中力を要求される場面で分泌されるインターロイキン14という物質(インターロイキン14は作品内の架空のもの。1~13までは実際に存在してます)が致命的な発作を抑制するということですね。つまり、日頃からその極限の緊張や集中力が要求される場面で危機感をエネルギーに変える作業に慣れているかがこのウイルスに打ち勝てるかどうかの分かれ目なわけです。作品の中では途中までしか描かれていませんが、このウイルスは世界中で人類を最後の審判にかけていくのでしょう。「圧倒的な危機感の中、それをエネルギーに変えて前に進んでいくことがお前にできるか?」と。
たまにそのような瞬間、この作品の中でいうところのインターロイキン1と14が大量に分泌されているのを感じるような瞬間、を感じることがあります。例えば卓球の大会で勝ち進んでいって極限まで集中力が高まっている時、あるいはバンドでライブをやっている時のある瞬間、最近では独重で『シャコンヌ』を弾いていた時。妙な昂りとともに視界が一点に集束していくかのような感覚を覚え、実際にはありえないくらいの早さで思考も動作も処理されていく。「膨張する時間は静止に近い」とどこかに書いてありましたが、まさにそんな感じです。卓球なら相手がドライブを打ってからこっちが打ち返すまでの時間、アマチュアとはいえ0.3秒もないでしょう、その間に「あまい?(スマッシュが)打てるか? いや、迷うな、打て!」と頭の中で回り、そして実際に打って決められるわけです。演奏の場合も次の一音、また次の一音と、こっちは私の場合いちいち本番で考えてやるわけではないにしろ、その音に向かって自分のイメージが正確に伝わっていくような、すべてが表現できるようなそんな気になれます。そしてその瞬間がとても気持ちいいのです。本当に他のどんな瞬間よりも。前にも日記に書きましたが、私はその極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて以前は卓球やバンドをやり、今はギターを弾いているわけです。不思議なことに、小さな舞台ではその感覚が味わえることってないんですよね。卓球の時はそれでもまだありましたが、演奏系では何故か大きな舞台でないと、その緊張感がないとその最高の瞬間になかなか巡り会えないんですよ。それが「圧倒的な危機感をエネルギーに変えていく」ことなのかもしれませんね。しかしそれでもその最高の瞬間ってのはこれまで数えるほどしか味わってないわけで、常日頃から危機感をエネルギーに変えていくような作業をしているわけではない私がヒュウガ・ウイルスにもし襲われたら、その時は生き残れるかどうかは難しいところでしょうね。
平和な日常、ともすれば生活がだるいだけとも感じがちな現在の世界の中で、その極限状態で何かをやる時の興奮を知らないままにいる人は案外多いのかも知れません。今の日本をこのヒュウガ・ウイルスが襲ったら一体何人が生き残れるのでしょう?
1999年10月17日日曜日
徹夜の
1999年10月15日金曜日
りゅうりゅうの精神年齢鑑定
あなたの精神年齢は36歳です
あなたの精神は『中年』になりかけています。一人前の大人です。若々しさは
ほどんどなくなりましたが、代わりに大人としての風格が目立つようになって
きました。しかし、そろそろ年を考えなければならなくなりそうです。
実際の年齢との差15歳
あなたは実際の年齢より大人びています。同年代の人よりしっかりした性格の
持ち主で、周りの人々に頼られてお兄さん(お姉さん)役を努めてしまうこと
もあるでしょう。そこがあなたのよいところです。
幼稚度48%
あなたは小学校中学年並みの幼稚さを持っています。がんばって一人でなんで
もできるようになりましょう。
大人度71%
あなたはもう立派な大人です。十分に精神が発達していると思われます。
ご老人度39%
あなたからはかなりおじいちゃんっぽさが感じられます。そろそろゲートボー
ルがしたくなったりしませんか?
あなたとお友達になれそうな人
一休さん
星一徹
子供っぽくて大人っぽくて、一体私は何なんでしょう? っていうかお友達になれそうな人の「一休さん」と「星一徹」って・・・? う~ん、でも確かに微妙に友達になれそうかも。皆さんも一回やってみたらいかがですか?
1999年10月13日水曜日
右手首負傷
1999年10月9日土曜日
『大聖堂』は難しい・・・
1999年10月8日金曜日
風に吹かれて
Am I strong enough to walk on walter
Smart enough to come in out of the rain
Or am I fool goin' where the wind blows
1999年10月7日木曜日
無意味な全学協議会
1999年10月6日水曜日
プロジェクト『OZ』
1999年10月5日火曜日
1999年10月4日月曜日
定演コンパ会場下見、・・・のはずが
1999年9月30日木曜日
1999年9月29日水曜日
深夜の京都御所でギターの練習
...というわけで現在午前4時、只今帰ってまいりました。御所は周りに民家もなく、なんの手加減躊躇もなしに思い切りギターをならせるのはよいのですが、私達が弾いてる後ろを何回も徘徊していく警備のパトカーが微妙に緊張感を与えてくれました。御所の建物の壁の方に行かなければ何も言ってこないとはシノの言葉ですが、それにしても後ろをゆっくりとハイビーム照らしながら通っていくパトカーはたまらんものがありましたね。まぁしかしとりあえずもう寝ます。さすがにしんどいわ・・・。
1999年9月28日火曜日
オーバードライブ
1999年9月27日月曜日
狂った生活リズムと深夜の公園でのギター練習
・・・というわけで只今帰ってきました。11時45分頃家を出て、1時半過ぎに帰宅しました。実質演奏時間は1時間半というところでしょうか。夜の公園はとても静かで、周りに人もいなくて、おまけに今日は月がとても綺麗で、邪魔も入らずにとても気分よく集中して練習ができました。静かな夜の公園で一人『11月のある日』なんかを弾いてると、もう周りの雰囲気とバッチリ合って、不必要に哀愁に浸れてとてもいい感じでしたよ。しかし途中人がせっかく気分よく『シャコンヌ』を弾いてた時にいかにも今風の茶髪のカップルがそばの道を通って、女の方が私の方を指差したかと思ったら男の方がわざわざ公園のフェンスのところまでやってきてこっちに向かって「ダッセェー!」とか言ってきたのには気分を害しました。こっちは気持ちよく弾いてるんだからいいじゃないですかねぇ。まぁ雑魚の戯言と聞き流しておくことにします。
しかし夜の公園、癖になりそうですね。とはいえもう一ヶ月もすれば外でギター弾くにはあまりに寒くなってしまうでしょうからそんなには続けられないのが悔やまれるところですが。あの公園ができてからどのくらいの月日が経っているのはわかりませんが、あそこで夜に『大聖堂』やら『11月のある日』やらヴィラ=ロボスの『エチュード1番』やら『ベネズエラ風ワルツ第2番』やらブローウェルの『シンプルエチュード』やらを弾き倒してきたのはおそらく私が最初でしょう。
1999年9月26日日曜日
羊雲の日
1999年9月25日土曜日
台風の日の台風のようなカラオケ
1999年9月24日金曜日
無題
1999年9月23日木曜日
サイコさんのラブレター
サイコさんのラブレター『毒電波をキミに・・・』
愛しの◯◯へ。いや、◯◯なんて呼び方よりオデュッセイアと呼んだ方がいいかな。思い出さないのかい?キミの前世での名前じゃないか。僕の名前はロンギヌス。僕達の前世、まだ今の人類が誕生するより遥か以前に海中に沈んでしまった大陸で、滅び逝く末期の世界の中僕らはあんなに激しく愛しあったじゃないか。憶えているだろう?秩序も何もない荒廃した世界の中、僕らが初めて出会った時のあの例えようのない胸の高鳴りと安らぎを。隣人がいつ殺人鬼に変わるかもわからないような世の中で、僕らだけはお互いを信じあえていたじゃないか。僕をかばって君がヤツらに撃たれて死んでいく時、また生まれ変わっても一緒になろうとあれだけ固く約束したじゃないか。それなのに、それなのに何故君は今あんな男なんかと一緒にいるんだい?君はまだ目覚めないのかい?君の本当の恋人はこの僕だということに。君が今一緒にいるその男もヤツらの陰謀なんだよ。君は先に死んでしまったから知らないだろうけどヤツらも一緒に現世に転生してきてしまってね。また君と僕が一緒になるのをどうにかして防ごうとしているんだ。ほら、その男をよく見てごらん。霊魂の頭の部分にヤツらの印であるあの忌ま忌ましい紋章がクッキリと浮かんでいるのがわかるだろう。僕は何度もテレパシーで君に警告を送ったのになんてまだ気付いてくれないんだ。君の能力はまだ本当に眠ったままなのかい?今は恋人ぶってるけどいずれそいつは君の霊魂まで貪り尽くすつもりなんだ。あんなヤツに君をみすみす渡して見殺しになんてできない。君がまだ目覚めないというのなら、僕がそいつを殺してでも君を守る。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。呪って苦しませて弱らせたところをじわじわと足の指先から頭まで1ミリ刻みにスライスしていってやる。出てきたはらわたを踏みにじってグチャグチャにしてパンに付けて犬に食わせてやる。もう二度と転生なんてできないように、精神まで、霊魂まで、神体まで、核まで、DNAまで、エクトプラズムまで、すべてを超ひものレベルまですりおろしてやる。もう我慢できない。僕はやるよ。君のために、今すぐにでも。君がこの手紙を読んでいる頃、ヤツの存在は完全に、そう、もはや完全にこの世界から消滅しているだろう。そして君もその時すべてに目覚めるはずだ。今からでも決して遅いことはないんだよ。僕達はちょっと遠回りしたかもしれないけど、これから始まる二人の愛は永遠なんだ。何度生まれ変わっても、僕は君を守り愛し続けるよ。
・・・疲れた・・・。サイコさん演じるのにこの程度の文章量で疲れるようじゃまだまだですね。どうやらサイコさんの道はまだまだ遠いようです・・・。
1999年9月22日水曜日
金星に行かずにロンドの印刷
1999年9月21日火曜日
新学期が始まる
1999年9月20日月曜日
1999年9月18日土曜日
ワルツ風エチュード
1999年9月17日金曜日
記憶の亡霊
1999年9月15日水曜日
続きすぎる飲み会
1999年9月14日火曜日
笑い続けろ、夜が明けるまで
1999年9月10日金曜日
宇宙人の声が頭に響き
何処で何を間違って来たのかなんて
いちいち考えていたら生きてけないのかもね
それでも切ない気持ちを抱えて
昨日に引きずられている
一歩一歩遠ざかる景色の中で
いつかこの想いも何処かに落としていくのだろう
それでも今は一番大事な・・・
1999年9月8日水曜日
1999年9月7日火曜日
1999年9月6日月曜日
琵琶湖でバス釣り
で、やっと腰を落ち着けた3番目の場所でもなかなかバスは釣れず、私とG.S.J.K.が疲れて一服していた時にヤツは来ました。私達が水門の脇に座ってくつろいでいると、向こうの方から水門の逆サイドで釣っていた忌無の「かかった、かかった!」という声が聞こえてくるのです。それでそっちを向いてみるとそれがまた結構デカイ。私とG.S.J.K.は急いでそっちに行きました。上げてみると(後で計ってみたのですが)37cm程の琵琶湖平均を大きく上回るデカイバスで、それを見てもう疲れかけていた私やG.S.J.K.や絵愚枝具もまたルアーを投げ出すという実に現金な展開を見せてしまいました。まぁ今日釣れたのは結局その一匹だけだったのですが、我々はそれを川端の公衆便所で頭と尾っぽを切って血抜きをし、クーラーBOXに入れて持ち帰って今晩のおかずとすることにしたわけです。何しろ37cmのバス、4人で食べてもちょうどいいくらいです。我々は忌無邸で全員魚をさばくのは初めての究極のおっかなびっくり素人料理をし、「生焼けにするな!むしろ焦がせ!」とか「(焼き加減は)もういい?」「いや、もっと焼け!」とかいう会話をしつつバスのバター焼きを作ったわけです。お味の方はこれがなかなかかなり美味しく、皆命の危険(?)のことも忘れてガツガツ食ったわけですが、まぁ今現在無事何事もなく生きているので多分大丈夫なんでしょう。余談ではありますが、釣ったバスをさばいている時忌無がそのバスの胃袋の中身を検証しようと包丁で胃袋をかっさばいて中身を出してみたのですが、なんとソイツ、ザリガニ食ってたんですね・・・。胃袋からまだほとんど消化されてないザリガニが一匹丸ごと出てきました。バスってザリガニも食えるくらいたくましいんですね。っていうか、ザリガニ丸飲みにした後にルアーなんぞに食い付くなよ・・・。
というわけで、今日は楽しくおっかなびっくりバス釣り初体験ツアーでした。
1999年9月5日日曜日
小動物の多い日
次は仕事を終えて中川会館の前のベンチで一息ついていたら、あの辺でよく見かけるよもぎ縞のネコが今日もいました。のんびりと中川会館前の広場(?)を徘徊して、食べ物を持っている人間を見かけたらそっと近付いてきてちょこんと前に座り餌をねだる・・・。いつもの仕種です。人間社会で生きていくのにはなかなか賢い術なのかもしれません。そんなネコに餌をやりたがる人間なんていくらでもいますから。私も結構そのクチです。今日は何も食べ物持ってませんでしたけど。何も食べ物持ってないと知らんぷりして絶対寄ってこないんですよね、あのネコ。ちと憎らしいですな。そのネコは今日はどら焼きをもらっていました。ネコはあんこも食べるんですね。
そしてさらに夕食の時、学校近くの定食屋(?)某マ◯ンで一人飯を食っていた時、私は左側に壁がある位置に座っていたのですが、その壁の上をササッと素早く這っていく油ギッシュな黒い影が・・・。そう、ゴキちゃんです。私はゴキ一匹にいちいち動じるクチではないので「あぁ、ゴキだなぁ」くらいの感じでそのゴキを眺めがら淡々と飯を食っていましたが、その内店の人が来て「すいませんねぇ」とか言いながらティッシュでゴキを処理して持っていきました。私がゴキを眺めながら飯を食っていたのも別にゴキが好きだからじゃなく、ただ壁の上を這っているくらいならまだいいけどさすがに飯のところまで来られるといい気持ちはしないので見張っていたというのもありましたので、店の人が処理してくれたのは正直ありがたかったです。まぁその前に客席にゴキ出さすなというツッコミもありなのでしょうけど。
その後さらにBOXでもゴキが出没し、ギターのサウンドホールの中に入られたらさすがにかなり嫌なので入られないようにちょっとギターを置く時もケースにしまうという事態も発生しました。結局BOXを出る時までBOXに迷い込んだゴキは発見されなかったので、もしかしたら誰かのギターケースとかに巣食ってるかもしれません。そしてそれが女の子のものだったりしたらケースを開けた瞬間に物凄いことが起こることでしょう。それはそれで面白そうだからアリかなという気もしますが、まかり間違って自分のギターケースでそういうことになっていたらかなり嫌なのであまり考えないことにします。
1999年9月4日土曜日
夏の終わり
1999年9月3日金曜日
『大聖堂』練習開始
今日は約一ヶ月ぶりにギターのレッスンに行ってきたのですが、なんか凄いことになってしまいました。先生が「君はここに来てから何曲か弾いてきたけどどれも中途半端なまま終わってますね。ここらで一曲難しいヤツをしっかりと完成させてみましょう」とか言って、弾きたい曲を何曲か挙げてみろと言うのです。で、まぁその通りにしたら、そのリストの中から先生が選んだのは何と『大聖堂』!来おった来おったって感じですね。今の時期に先生のところで『大聖堂』を弾き始めるということはほぼ自動的にそれが俺の定演のソロの曲ということ。定演独奏の選曲はあれこれ悩んでいたのにアッという間に他の選択肢を消されてしまいました。しかしただでさえ難しい曲なのに、それを定演独奏に持っていく上に先生もやる気となるともはや完全に逃げ道なし。死ぬ気で弾くしかないようです。
1999年8月31日火曜日
陳謝
1999年8月28日土曜日
合宿より帰還
1999年8月20日金曜日
さらに更新できず
1999年8月16日月曜日
Virgin MEGASTORE新潟万代店
1999年8月15日日曜日
CDプレゼント
しかし余談ではありますが、ストラトバリウスってギターもキーボードもドラムも確かに凄いけど、何でどいつもこいつも異常に簡単なパッセージを異常に早く弾く(あるいは叩く)だけというスタイルなんでしょう?別に悪いとは言わないけど少しくらいもう少し複雑なことやってみてもいいようにも思うんですけどねぇ・・・。まぁそれでもカッコいいっちゃあカッコいいんだけど。
1999年8月14日土曜日
高校時代と少年の幻想
そしてその後高校の近くの河原に行ってちょっとボ~ッとしてたのですが、そこで面白い少年に出会いました。小学校1、2年生くらいの少年です。今日は近日にさして大雨が降ったわけでもなく、おかげで川の水も澄んで浅いところではかなり綺麗に川の中も見れたので、私は水際のギリギリのところに座って川の中をのんびりと眺めていたのですが、その時不意に後ろから声をかけられたのです。
「なんかいる?」
「ん~、魚の細かいのがたくさん」
そんな会話から始まり、その少年はタモを持ってきて私に魚を捕ってくれと頼んできます。まあ魚を捕るのも昔はボチボチやっていましたし、そういうのは基本的に得意な方なので私は少年のリクエストに応じて小さい魚を何匹か捕ってやりました。まぁこれだけならただ単にちょっぴりハートウォーミングなだけの話なのですが、その少年がなかなか微妙に面白い。私が魚をとっている最中に「ロケット花火発見」とかいって川の中に潜り、ロケット花火の残骸を拾ってきては「いつ爆発するかも知れないから気をつけろ。う~ん、火薬はどこだ!?」とか言ってたり、「これは研究所に持っていってコンピュータで分析しよう」とかいって持っていた袋に入れたりする。魚を1匹とってやると、「これを100万円で売って、・・・う~ん、1億3000円だな」とか言ってみたり、かと思えばまたロケット花火を拾ってこの部品がどうとか語ってたりする。まぁまぁ無邪気と言えば無邪気。なかなか面白いですよね。きっと彼の頭の中では彼自身が作り上げた独自の世界があって、その世界と外の世界を変幻自在に組み合わせることで彼はきっと半永久的に遊んでいくことができるのでしょう。最近はこういうある意味ヤバイくらいに純粋に自分の世界を持った子供が少なくなったような気がします。私も子供の頃は自分が作り上げた魔法の世界の中でよく空想と現実の狭間に遊んでいたものです。それが結局想像力につながっているのかはわかりませんが、とりあえず直接的な意味での想像力にはやはりつながっているのでしょう。最近は子供も早いうちから完全に大人と変わらない現実の中に入っていってしまう、あるいはそのように仕向ける傾向があるようで、それはそれでこの現実社会での適応力を早いうちから身につけるという意味では悪くないのかも知れませんが、同時に空想によってできるパラレルワールドの喪失を招いているのかも知れません。そのパラレルワールドがこの現実世界の中ではたしてどれほど役に立つのかはわかりませんが、始めから全くないのとあって意識しないのとではどこかで深みが違ってくると思うのですがね。ちょっとそんなことを思ってみたりもしました。
1999年8月13日金曜日
田園風景
そう、北海道旅行記はもうちょっとしてから合宿に行くまでの間にまとめますのでそれまでしばしお待ちを。しかし今回の旅行は色々楽しかったし感動しもしたんですけど、何故か心の奥に何かが引っ掛かったままで振り切れないまま過ごしていた旅でしたね。その意味ではちょいとしんどかったです。何なんでしょうね・・・?
1999年8月12日木曜日
北海道旅行終了
1999年8月3日火曜日
不規則
そう、明日から私はしばらく旅に出ますのでHPの更新が行なえません。明日夕方出発する前にどうにか意地で最後の更新をしたいと思いますが、それもどうなるかはわかりません。順当にいけば11日には更新を再開できる予定です。それまではBBSだけでもどうかお楽しみください。ちなみに明日はもしかしたらNOVELに新作を1本アップするかもしれません。
1999年8月2日月曜日
徹夜明けに
そして買い物を満喫した後、帰りに弟の下宿を急襲して一緒に焼き鳥屋で飲んで帰ってきました。ヤツも大学に入ってきてからたまに一緒に飲む機会があるのですが、飲みながら語る度に一緒の家で暮らしてる時は見えなかった深い面が見られて刺激になりますね。ずっと一緒に暮らしていただけにお互いの変容がよくわかるのかもしれません。そういうのもまた面白いですね。まぁ何しろヤツは私と互角に飲みあえる数少ない人材の一人ですしね(笑)。
1999年8月1日日曜日
飲み会兼麻雀大会
1999年7月31日土曜日
事故続きの前期総会
仲間に起こった理不尽な不幸に対して俺ができることは何もなく、ただ無闇に騒ぎたてずに、事故の対応に追われた渉外の代わりとしてその場をまとめることくらいしかできなくて・・・。相当な無力感を感じてしまいました。そらブルーにもなるっちゅーねん!コンパが終わった後も、ケガをした仲間を心配してみても何もどうにもなるはずもなく、何かが絶対的に悪かったのならそれに怒りをぶつけることもできるのにそういうわけでもなく、ただやりきれない気持ちだけがグルグルと心の中を回っていたたまれない状態になってしまいました。こうなるともうその感情のやり場としてはただ徹底的に騒ぐより道はなく、ボーリングではもうピンを破壊してやるくらいの気合を込めて投げていました。しかもそんな時にもう一人の事故の知らせ。たまりません。その他にもいくつかの負の要因が加わり、私の精神状態と思考回路及び感情回路はいよいよもって迷宮入りで脱出不可能な様相を呈してきてしまったのです。そうなるともう叫ぶしかありません。昔はこういうやりきれない感情を抱いた時に自分を落ち着かせたり相手を励ましたりできる気のきいた歌の一つくらいはすぐ心に浮かんできたものでした。でも最近は何故かそんな歌が心から出てきてくれないのです。何も出てきてくれないのです。だからひたすら叫びました。もう徹底的に叫びました。限界に挑むなんてもんじゃありません。一時期はもう自分の身体もブッ壊してやるくらいに叫んでました。それでもまだ心は晴れてくれないのです。仲間の身に起こった不条理な不幸に対してのやりきれない気持ちも、そのケガに対する不安も、まだ一向に消えてはくれないのです。もうこうして京都に一人で帰ってきた今、私の心を少しでも慰めてくれそうなものは何があるのでしょう。今の私にはどんな音楽がその役目を果たしてくれるのかもわかりませんし、叫ぶことももうままなりません。破壊活動に走ろうにももう疲れたからだがいうことをきいてくれません。読みかけの小説を読む気力もなく、こうして文章を書くことができることがせめてもの救いですか。しかしそれもずっと書き続けていられるわけでもありません。他に何があるでしょう?もうこの際疲れた身体にムチ打って、このままずっと寝ないでいて身も心もボロボロにしてやろうかとも考えました。酒もタバコもいりません。もう溺れるものもありません。飲みかけの『お~い、お茶』なら手元にあります。・・・ハッ。終わってるな。今私に言えることは、色々と苦労をしたたっちーに「お疲れさま」ということだけでしょう。
1999年7月29日木曜日
街は月には明るすぎて
しかし前にも日記で書いたような気がしますが、本当に月の光を感じるには京都の街は明るすぎますね。月が出てても出てなくても、街の明るさに変わりはないもの。私の田舎では単純に街灯もネオンもないおかげで、月が出るとあからさまに夜の景色の明るさと空気が違うんですよ。高校の部活の帰りにロクに街灯もない両サイドたんぼの道を自転車で帰っていると、ふと「おや、今日はいつもと景色が違うな」って思うんです。そしてふっと空を見ると上には微かに揺れるような光をその身にまとった月が浮かんでいるんです。本当に景色が違って見える程月の光は夜を静かな明るさで照らしてくれるんですよ。私はその月の光の中を気分にまかせて歌なんか歌いながら自転車でのんびり帰るのがとても好きでした。「月の光が明るいなんて昔は知らなかった」と言う人がたまにいますが、今の日本ではそんな体験をしている子供がどんどん少なくなってるんだなと思うと、何かちょっとさみしくなりましたね。街灯やらネオンやら、確かにそれで私達の生活は便利になりましたし、街は華やかにもなったでしょうが、それで失っているものも確かにあるんですね。また去年の8月の日記で書いたものと同じ言葉が頭に浮かんできてしまいました。"周りに明かりが何もないのに、月の光のみによって照らし出された世界にどこか現実離れした美しさを感じるのは私だけでしょうか。月の静かな光の影に、言い表わせない寂寥を感じるのは私だけでしょうか。"
1999年7月28日水曜日
無気力に
最近は何故か自分でも信じられない程食欲旺盛で、夏バテとは無縁な道を突っ走っています。BOXでもよく私が何かを口にしている姿をよく見かけることでしょう。こんなに食欲があるのはおそらく中学の時以来ではないでしょうか。原因はまったく不明ですが、とりあえず悪いことではないのでよしとします。多少太ったところでどうこうなるような体型でもないですしね。
1999年7月27日火曜日
テストヤマ場
1999年7月26日月曜日
1999年7月25日日曜日
濁流麻雀
あれだけの濁流の嵐はなかなかあるもんじゃないでしょう。気が向いたらあれは伝説にして残してもよいかな? たっちーよ、その時は牌の流れの描写の指導をしてくれ(笑)。
1999年7月24日土曜日
1999年7月23日金曜日
現代的でスカッとしたエチュード
しかし彼は「このエチュードにはブローウェルのあらゆる曲の片鱗が詰まっています」と言っていましたが、俺はブローウェルが弾きたいなんて言った憶えは微塵もねぇ・・・。ヤツの音楽は基本的に俺の感性とは少し違うのだ・・・。とかいいながら今一番お気に入りの『11月のある日』はむっちゃブローウェルの曲だったりするのですが。とりあえず来週までに一つ弾いてきてくれとのことでしたので、たまたま手持ちのCDにシンプルエチュードは入っていたので聴いてみて、なんか『黒いデカメロン』を弾いているかのような気分が味わえるエチュード6番を選んで今日弾いてました。しかも弾いてたらあの怪しさにハマッてしまい、段々弾くのが凄く楽しくなってきたという・・・。もしかして先生の術中にハマッてるのか!? しかしこの曲集の中には前衛時代のブローウェル丸出しの恐ろしく意味不明な曲も・・・。俺は『舞踏礼讃』とか好きじゃないんだけどな・・・。でもあからさまにそれを彷佛とさせる曲もあるんですよね。まぁ確かにいい練習にはなるんでしょうけど。
1999年7月22日木曜日
定演独奏候補曲
・11月のある日(L.ブローウェル)
イ短調の綺麗でセンチで哀愁溢れる実に俺好みな曲。曲調的にも自分のスタイルには合っている。が、前半部分は1回生でも弾ける程簡単な上に後半も決して難度が高いわけではなく、何より3分弱で終わってしまう短い曲。いくらブローウェルの曲という名目があっても、果たしてコイツをC技が定演の独奏で弾いてもいいのかという疑問あり。しかし俺は実はこれが一番弾きたい。
・エチュード11番(H.ヴィラ=ロボス)
全編を通じて怪しげな雰囲気が漂う、『11月のある日』とは違った意味で俺らしい曲。勝手に抱いたイメージ及びテーマとしては「火星~軍神マーズの襲来~」。弾いてて思わず笑みがこぼれてしまうような徹底的な怪しさがお気に入り。難点としては、とにかくコイツも短い!やはり3分ちょっとで終わってしまう。ただしそれもプロ並のスピードで弾ければ、ということなのだが、この曲はやはりそこそこのスピードがないとカッコ悪い。果たしてそれほどのスピードをこの俺が安定感をもって弾けるかが問題。そして左手のストレッチが異常にキツく、凄まじく腱鞘炎に悪そう。実際この前この曲弾いてて左手が熱をもった。というか、こんな怪しい曲定演で弾いていいのか!?
・大聖堂(A.バリオス)
当初の予定はこの曲だった。これが弾ければ問題ないのだが、いかんせん難しい(泣)。ただ弾くだけなら弾いて弾けないこともないのだろうが、曲として人に聴かせるとなると定演までに完成を見るのは相当修羅っぽい。気合でどうこうなる次元を超えた難しさのある曲故にな。
・ブラジル風バッハNo.5よりアリア(H.ヴィラ=ロボス)
何となく異国情緒溢れるムード感と、儚さの漂う美しい旋律が魅力の曲。しかしピチカート奏法を交えた譜面はヘ音記号も混ざった大譜表で表記されているのと相まって実に読みにくい。解読するのに恐ろしく労力がかかるのだ。そしてこれも速くないくせに難しい。ムードが命の曲だけに完成度が低いととても聴けたもんじゃないだろう。7分と長い曲のくせにイマイチ盛り上がり所に欠けるのは、一般の客層にはちとツライかもしれない。
・ベネズエラ風ワルツ第3番(A.ラウロ)
最近村治さんも弾いて流行りつつある(?)曲。これもエキゾチックな空気と怪しく軽妙なノリがカッコいい曲だが、やはり2分そこそこで終わってしまうという短さが泣き。そしてこれは聴いている分にはいいのだが、いざ弾くとなると俺の手の内に入る部類の曲ではないような気がする。なんとなくだが。
・リュート組曲第4番よりプレリュード(J.S.バッハ)
常に俺の中で本命であり続けているバッハの曲だが、『大聖堂』もまだ可愛いくらいに難しい・・・。これだからバッハってヤツぁ...。
とまぁどれもこれも問題アリでねぇ・・・。誰か俺にいい曲紹介してくれよ・・・。
1999年7月21日水曜日
P's MIDI
1999年7月20日火曜日
過ぎ去りし日々へ
1999年7月17日土曜日
聖帝降臨
1999年7月15日木曜日
怒濤の二人カラオケ
1999年7月14日水曜日
1999年7月13日火曜日
『11月のある日』を探して
そう、今日は現代ギター社に注文していた品々が届いたのでここまでCDを聴きながら(CDは5枚買ったので聴くものには困らない)仕事していたのですが、ブローウェルの『11月のある日』に涙が溢れんばかりに感動してしまいました。ブローウェルといえば現代曲のお約束、「意味不明だけど何かカッコいい」路線の王道で、今回買った『ブローウェル作品集』も基本的にはそんな曲の集まりだったのですが、この曲に関しては終始物悲しげで切なく美しいメロディーが流れる哀愁に満ちたまともな路線で攻めてきていて、それがまたたまらない・・・。マジで久し振りに涙がちょちょ切れそうになりましたよ。この曲も弾きたいな。でも『11月のある日』は正式に譜面は出版されていないとの噂も耳にしたけど、でも京大とか京産の人は弾いてたよな・・・。ということは聖帝T君に頼んで京大のBOXに行けば譜面が手に入るか!? 弾きたいよ。いい曲だよ・・・。
1999年7月12日月曜日
1999年度京都ギター連盟定期演奏会
しかしコンパのときつっきーとも話してましたが、考えてみるとこれでギタ連ももう終わりなんですよね。1回生会のとき以学館の階段のところで初めてつっきーと出会ってから今まで、本当にあっという間だったような気がします。こうしてひとつひとつ部活の大きなイベントが終わっていくんだなと思うとちょっと寂しかったりもしますね。最近は部活が楽しくて、それこそ青春の残り火と言わんばかりの日々を満喫していたりもしますが、それも時期がくれば確実に終わるんだなということを実感してしまいます。つっきーとは最後に握手をしてお互い定演頑張ろうなと言って別れてきましたが、もう去年のギタ連定演でやったブランデンブルグのようにコンビを組む機会もないんだろうなと思うとね・・・。時の経つのは早いものです。
つっきーと最後に話していた時に、ボロボロに酔った(?)状態で彼が「俺は人の演奏でやる気をかきたてられることってあまりないんだけど、京大の独重のセルシェル(あだ名)と立命のおまえの演奏を聴いて凄くやる気が出てきた」と言っていたのが何か嬉しかったです。自分のギターで多少なりとも人の心に何かを残していくことができたからかもしれません。思えば1回生会で『グリーンスリーブス』を弾いた頃と比べると私も随分うまくなったと思います。というかさすがにその頃と比べてうまくなってなかったら困りもんです。やっと最近自分なりの形というかが見えてきました。2回の頃はそれこそ技術至上主義的な傾向が強かった私ですが、最近になってだんだんとその傾向は薄らいできています(もちろん基礎技術はあった上でということですが)。譜面通りにミスらず曲想もついて完璧に弾けてても、それがそれだけで感動できる演奏にはならないということがわかってきました。うまく言えないんですが演奏の説得力というものは何処かそことは別の所から生まれていて、それによって人の心に少しでも何かを残せる演奏をしたいと思うようになってきました。PCKの言葉を借りるなら「味で勝負」といったところでしょうか。今愛用しているラミレスを手にして、このギターならもっといい音が出せるはず、もっと伝えることができるはず、とそう思ってやってきたのも影響しているのかもしれません。ねぇ、やっぱり音楽はいいですよ。人の心に色々なものを与えることができて、あるいはお互いに色々なものを感じることができます。ずっと前、ギターを持つ以前からやっぱり音楽は好きでしたが、自分で楽器を弾けるようになって、そして楽器を持ってから随分と時が経った今でもそう思います。思えば私が楽器を持ったきっかけというのは中学の時、先輩のバンドのライブを見てカッコいいと思い、自分もあんなふうになりたいと思ったのが始まりでした。願わくば私の演奏を聴いてくれた人の心に何かを残せて、そして誰かの憧れとなれるくらいの音楽を私も奏でられるようになりたいものです。随分と大それた願いかもわかりませんが・・・。
1999年7月9日金曜日
多忙
1999年7月8日木曜日
開設一周年
思えば私が高校時代に、部活(そして3年の時はクラスも)のある友人に倣って自分で書いた作品をルーズリーフに印刷してバインダにまとめて友人達に公開していたあの頃の延長線上の志の下作成を決意したのがこのページの始まり。この1年の間はその「仲間に自分の書いた文章を読んでもらってひとときの娯楽にする」という意図はある程度達成できたように思います。BBSも予想以上の繁昌ぶりで、管理者としてはとても嬉しく思っています。最近は忙しくて更新も滞りがちですが、このページを訪れてくれる仲間がいる限りできれば毎日訪れる度に新しいコンテンツが加わっているようにしたいという思いは変わりませんし、それを読んだ人がその人なりの楽しみなりなんなりを感じていただければという思いも変わりません。これからも頑張ってこのページを充実させていくつもりですので、皆さんどうぞよろしくお願いします。
1999年7月7日水曜日
1999年7月6日火曜日
ブランデンブルグ協奏曲編曲完了
1999年7月4日日曜日
徹夜徹夜、そして・・・
1999年6月30日水曜日
1999年6月29日火曜日
残り火
1999年6月26日土曜日
独重終了!
第二部のフラメンコステージは私は三部への調整と精神統一に入っていて聴くことはできなかったのですが、まぁウチのFメンバーは歴代でも最強だと確信しているので不安はなかったです。やはりアンケートを見ても大好評だったようですしね。強いよ、あんたら。
そして第三部。去年の定演の時にも使用したラテンの青シャツを着て弾いた『オリエンタル』も「空間を支配したかのような(アンケートより)」曲調が好評だったようでよかったですね。しかしこれも一部の実力者には、曲を練る時間がなくてかなり素で弾いていたのはばれてしまったようです(苦笑)。すみません、実はこの曲かなりの突貫工事でした・・・。第三部はその後まさやん(偽)のプレリュード、シノの『ダンサ・ブラジレイラ』と続いていったわけです。まさやんは2回からの入部でよくあそこまで、といった感じで感慨深いものがありましたね。1回から入ってればC技を彼女に押し付けて指揮やってたのに(?)。まぁ本番では練習程の実力は出せなかったようですが、彼女は去年の定演も出ていなくてこれが初の大舞台なのですからまぁ無理もないことでしょう。頑張りました。でも彼女の名誉のために言っておくと、練習の段階では一部の先輩達の間では私の『シャコンヌ』より凄いとの声も上がっていたんですよ。シノの『ブラジレイラ』も、曲の練習過程での彼の努力と苦悩を端で見ていただけにね・・・。彼も私と同じで腱鞘炎(おそらく)にやられてしまって手がかなりヤバい状態で弾き続けていたのですから、もっと弾きたいのに手がいうことを聞いてくれないというもどかしさはよくわかります。もう独重も終わったし、お互い少し休養を取ろうな・・・。
そして最後、演奏会の大トリで私の『シャコンヌ』が出てくるわけですが、ハッキリ言ってこの時私はムチャクチャ緊張してました(苦笑)。自分を元気付ける意味も含めて最後ステージに出ていく時は袖に残っていたシノとまさやんに向かって「伝説を作ってくる」とかほざいて出て行ったのですが、実は内心今にも潰れかねない程のプレッシャーを感じていたのです。それでも舞台に出る時は頑張って大物ぶってれば、開場のうちの何人かはそれにだまされてくれるかもしれないと思い必死で余裕ぶった入場してみせましたが。でも構えた時にはまだプレッシャーに支配されていて、このまま弾き出したら絶対潰れると思った私は当初予定に入ってなかった精神統一に入ることになったわけです。そう、一部の人の間で「ビスマルクか?」とささやかれたらしい、いつもの眉間に指を置くあのポーズです。必死で「問題はない」と自分に言い聞かせてました。あれはホントにアドリブなんですよ。まぁそれでいざ演奏を始めてみたら何かが私の中でふっ切れて、余計なことを考えずに演奏に集中できたのでよかったです。第一バリエーションで本来G→Fと弾かないといけないベースを間違ってG#→F#と弾いてしまったという大きなミスも「もういい」と流して知らんぷりして余裕ぶっこいたふりして進んでいくという開き直りぶりが、何人もの人に私はノーミスで弾ききったものとの錯覚を覚えさせていたようです。他にも2、3、4弦で和音を鳴らすところを3、4、5弦で弾いてしまい、ミスッた5弦を左手の空いてる指で瞬間的に押さえて音を消すという荒行があったりと、実は色々ミスッてました(苦笑)。まぁでも途中からは本当に演奏もノッてきて、もう悔いは残らない程の演奏ができたので嬉しかったです。この『シャコンヌ』は評判もなかなかよかったようで、半年間この曲にかけてきた甲斐があったなと出迎えの時は勝手に悦に入ってました。いつもは笑顔で厳しい批評をくれる京大のT君も『シャコンヌ』は凄かったと言ってくれたのが嬉しかったですね(ただし彼は『オリエンタル』にはかなり厳しいツッコミをくれた)。
今年はフラメンコが強くてクラシックが押され気味でしたから、「クラシックもいい」とか「C技の勤めは果たした」とかいうアンケートを見る度にじ~んときました。やはり年をとると涙腺がゆるむものらしいですね。たとえそれがたった一人だったとしても、今回のCステージを見てクラシックの魅力に気付いてその道を志してくれる人があればそれでこれまでの心労も報われる気がします。とりあえず出演者及びスタッフの皆さん、独重お疲れさまでした。来てくれた人もありがとう。今度は定演頑張りましょう。
1999年6月25日金曜日
〆切間際の破壊神
1999年6月24日木曜日
関空へ
しかしまぁ独重で弾く曲が『シャコンヌ』でよかったです。今の精神状態ではソロであれ以外の曲を本当の意味で弾くのは難しかったでしょう・・・。
1999年6月23日水曜日
二回生会とFC発表
しかし今年の2回生会には笑わしてもらいました。司会のナレーションうますぎじゃ!ギターあり歌ありブルースハープありピアノありタイタニックあり落語(!)ありのバラエティーに富んだ構成はいかに去年の俺らの2回生会が適当だったかを思い知らせてくれましたね。面白いよ、あんたら。
1999年6月22日火曜日
『Prisoners in Paradise』及びテーマとしての"道"
しかしNOVELの『ジングルヘル』を除いた3つ、アップしてから気付いたのですが、どれも重要な場面というかキーポイントとして"道"が出てきてるんですよね。『理想郷』の階段、『街灯のない道』はそのまんま、『やがて消え行く幻達へ』では景色のない分かれ道。特に意識していたわけではないのですが、多分私が文章を書く時に無意識の内に共通のテーマとしていた背景に"道"という表象が綺麗に当てはまっているのでしょう。3つとも描いた状況や意識の上で書きたかったことはまったく別なのに、その根底のところでは共通した大きなテーマが流れていたわけです。不思議なものですね。その"道"について分析してみると自分でも気付いてなかった私自身の人生観の一面にも気付かされました。面白いですね。自分で意識してないうちに出てきた表現で自分の意識が目覚めさせられるんですから。
Just like prisoners in paradise
Still far from heaven's door
We had it all but still wanted more
We're just prisoners in paradise
So close and yet so far
There will come a time no matter who you are
When you ask yourself was it right or wrong
For me to turn away
But hey, we're children of tomorrow
Hangin' on to yesterday.....
1999年6月21日月曜日
雑記
で、もうすぐ独重ということでギターも弾きたいところだったのですが、今日は何故か朝起きた時から左手の筋の調子がおかしく(というか痛い)、さらにちょっと弾いてたら左の小指がなんかときたまうまく力が入らずにカクッとかなってしまうという不穏な現象に見舞われ、今日はおとなしく練習は少なめにして調整程度に止めておきました。これって腱鞘炎が酷くなってきた時の症状の一つのバネ指ってヤツですかね? もしそれだったら冗談抜きにヤバイぞ。この本番前切羽詰まった時期に・・・。勘弁してほしいものです。
P.S. ブランデンブルグの編曲も佳境を迎え、早ければ今晩中にもあがるかもしれません。しかしあれは弾くのキッツイぞ・・・。
1999年6月20日日曜日
やがて消え行く幻達へ
そう、昨晩遅くに久し振りに小説『やがて消え行く幻達へ』をアップしました。NOVELはほとんど1年ぶりの更新ですね(苦笑)。困ったものです。今回のは構想を練って書いた『理想郷』みたいなのと違って、本当にインスピレーション一発で書いたヤツなので少し粗さがありますが、まぁそこはそこということで。
1999年6月19日土曜日
初歩的情報リテラシー授業講師終了
結局コピー&ペーストの復習からフォント系の操作ひとしきり(アニメーション装飾含む)とライン系、段落系の操作全般(インデントとかも含む)、ヘッダーフッターの編集、背景の変更やテクスチャ等のいじり方、オートシェイプやワードアート、クリップアートの挿入とアレンジ、さらにはそのレイヤー移動とクリップアートのグループ化解除あたりまで一気に約75分で突っ切るという恐ろしい授業になりました。最後はもうクリップアートのオヤジの頭の髪の毛を飛ばして「ヅラだよ、ヅラ」とか言ってみたり、カメの頭や手足を消して甲羅だけにして「ノコノコー!」とかやってみたり、シルエットの人間の頭をすっ飛ばしてみたりとクリップアートでやりたい放題やってました。でもそっちの方が色々ハデな装飾や動きのある文書がどんどんできていって、新入生も面白がって色々やってついてきてくれたので、いっそのこ全部のクラスでこれやっときゃよかったとか思ってもみたり・・・。今日もMS Word恒例『あやしいボキャブラリー大会』はおおうけでしたしね(笑)。段落番号の自動入力の説明の際に、
「このボタンを押すと段落が変わる度に1. とか2. とか自動で打ってくれるのでとても便利です。例えばですね、え~っと、1. つつましく、2. あでやかに 3. しかしたくましく、・・・っと」
とかやってるとうけがいいんですわ、これが。笑ってもらえるとこちらとしても嬉しいですしね。まぁまぁ楽しんでコンピュータに親しんでもらえればこの情報リテラシーの意味もあろうかと。せっかく立命は私大でもトップクラスの設備があるんだから使ってあげないとね。まぁ今回の講習ではたくさんのクラスを持たせていただいて(一時期俺が稼ぎ頭になっていた)、充分すぎる程の講師経験を積ませていただいたのでその意味でもよかったですね。来年もまたリテラシーの講師をやることが合ったら今年の経験を活かしてより楽しく充実したコンピュータへの橋渡しをしてあげたいなと思っています。
1999年6月18日金曜日
1999年6月17日木曜日
保つかな・・・?
1999年6月15日火曜日
無題
1999年6月14日月曜日
ちょっと充実した一日
1999年6月13日日曜日
BKC独重
さて、今度は我ら衣笠の独重演奏会ですね。Cは一人2、3ステージ出場が当たり前という実にシビアな状況の中、BKCに負けないよう頑張りますよ。曲の濃さという点では既に負けてるけど(苦笑)。まぁまぁ衣笠Cは「絆」が合い言葉ということで。要は重奏が多いだけだろというツッコミも入りそうなところですが、まぁそこはそこ。楽しくやっていきたいと思います。
P.S. 今日やっとずっと探し続けていたバーンスタイン指揮のモーツァルト交響曲25番を見つけました。やはりカッコいいです。
1999年6月11日金曜日
無気力
1999年6月10日木曜日
1999年6月7日月曜日
ブランデンブルグ編曲開始
1999年6月6日日曜日
飲み会無法地帯
1999年6月5日土曜日
深夜の北白川MKボウル
1999年6月3日木曜日
1999年6月2日水曜日
『海のファンタジー』合奏団募集中
ちなみにバッハの『2つのバイオリンのための協奏曲 BWV1043』もやりたい。最近俺の部屋で一番ヘビーローテーションでかかっている実にカッコいい曲だ。『調和の幻想』もよかったが、やはりビバルディではバッハの圧倒的な構築美には勝てん。素晴らしいよ、J.S.バッハ。
1999年5月31日月曜日
ちょっとだけ運命論
でもまぁ青春と言えば私の場合そのピークは高校時代にあったわけですが、その時拓いたある種の悟りのようなものは時を超えて今でも私の最大の経験則であり黄金率であるように思います。その中の一つは何度かこの日記でも出てきた「今やっていることの答えは忘れた頃に時が教えてくれる」というものですが、最近は他にもいくつかある内の一つ、「自分が確固たる決意を持って行動に移したことは意外に未来に大きな影響は与えない。それよりも何も考えないふとした気紛れや一瞬の偶然が決定的に未来を左右することがある」というものの方を強く感じます。いや、特に何があったというわけでもないんですがね、なんか周りを見てるとそんなんかなぁとか思ってみたり・・・。要は偶然の強さというか、意識を超えたところにある運命のようなものというか・・・。うまく説明できないんですけどね、そんなもんを感じるんですよ、何故か。高校時代の私の言葉を借りるなら「無数の運命と一つの偶然が重なり僕達を導く」といったところでしょうか。わかる人にはわかってもらえると思うんですが・・・。「あのときのちょっとした気紛れがなかったら今の自分(あるいは状況)はなかった」ってことは冷静に考えると結構多いんですよね。あのときちょっと友人に付き合って何処かへ行ったから、あのときふっと広告の文字が目に入ったから、あのときなんとなく発した言葉が・・・。あるんですよ、そんなこと。たまに運命のようなものを感じます。そしてそれを最近の部活の空気の中に感じるわけです。私の中の偶然は1回生の頃の4月、たまたま自然人類学の講議の最中に目に入った「クラシックギター部新歓演奏会本日」というような文字。他の人もそんな偶然が重なってBOXにいて、その中でさらに偶然が重なって今がある。そして最近の空気があり、そして・・・。最近は何かと充実しています。気合が空回り、忙しさの中で行き場のない虚しさだけを感じていた去年の秋とは違います。なんやわけのわからん文章でしたが、そんな今がある偶然に私はちょっと感謝してみたかったわけです。例えば同じ立命のクラギタに入るのでも、私が現役で入ってきていたら今の執行部メンバーと執行部として動くことはなかったわけですしね。
1999年5月30日日曜日
無題
1999年5月27日木曜日
『カントリーロード』編曲終了
しかし最近BOXに人が多いですよね。それはそれで楽しいからいいのですが、基本的に不特定多数の人と一緒にいる状況に疲れやすい性質がある私にとってはちょっとばかりしんどいです。やる気のある後輩の指導はしてても嬉しいもんですが、正直たまに一人で孤独に弾きたくなりますね。疲れてる時なんかは特に。ふぅ・・・。
1999年5月26日水曜日
『カントリーロード』編曲中
1999年5月25日火曜日
多忙と疲労と終わらぬ雑事
1999年5月24日月曜日
山岳教習
1999年5月21日金曜日
喋りづくめの一日
1999年5月20日木曜日
ギターと女の子の口説き方
1999年5月19日水曜日
懐かしい合唱曲『生きる』
まぁこの曲にはちょっとした思い出がありまして、実はこの曲を歌う本番の当日、それまでのムチャなスケジュールの強行軍な生活が祟って8月末という残暑もギンギンの時期にひどい夏風邪をひいてしまっていたんですよ。それで当日は咳もひどくって、他の高校が歌っている時なんて咳を堪えるのに必死でしたし、リハの時も顧問の先生に「顔が青いよ。大丈夫?」と聞かれるほど。残っているその日の写真を見ても明らかに不健康そうな表情で写っているという・・・。そんな状態でこの曲を歌って、それでも皆といる間はカラ元気振りまいてテンションを盛りたてて、ってやってたら夜には39度もの熱を出してしまっていたのです。でも次の日には打ち上げがあったのでその熱を押して出ていって、散々同期のヤツの家で騒いだ後カラオケで『イノセントワールド』を振り付きで歌うという荒行を・・・。今考えればバカな話ですが、その時には熱を押してでも出て行かないといけない理由、しんどいところを表に出さずに明るく元気にふるまってないといけない理由があったんですよ。そしてその次の日からは3日間完全に一歩も動けずにぶっ倒れたんですよね(爆)。しかも倒れてていいのもその3日間だけで、4日目からはまだ熱も下がりきらずに咳も残っているのに毎日フラフラと出かけていったという・・・。う~ん、若かった・・・。この『生きる』を聴いてたら、そんな青臭い、しかし今でも大切な過去として私の中で息づいているあの夏の思い出の数々が一気にフラッシュバックしてきました。
あれからもう4年が経とうとしています。色々なものが私の中でも変わりましたし、外の世界も変わりました。あの頃大部分の人が使っていた小さな駅も改築されて、まったく新しいデザインのビルに変わってしまいましたし、高校の頃と違って学校近辺を歩いていてもそうそう知り合いに会うこともありません。何よりも学校に入った時の空気がどこか乾いていてよそよそしく感じるのは寂しいものです。春になったら花見をしようと言っていて、結局実現せずに終わったあの神社の桜は今年も綺麗に咲いたのでしょうか。皆で花火を観たあの川べりの景色は、今も変わらずそこに残っているのでしょうか。久しぶりに感傷に浸っていってしまいました。
空に木に人に私は自らに問いかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために・・・
1999年5月18日火曜日
クレージー無法地帯
1999年5月16日日曜日
メルボルンよりの便り
1999年5月15日土曜日
急ブレーキ教習
昨日はやっと(?)教習所で急ブレーキ教習を終わらせてきたわけですが、時速35キロからの急ブレーキは意外に衝撃は少なく拍子抜けした感がありましたね。しかし時速35でのスラロームは怖かった・・・。車で自転車みたいなムチャなコーナリングはするもんじゃないですね。
1999年5月14日金曜日
もやもやと
1999年5月13日木曜日
う~む・・・。
1999年5月12日水曜日
無題
1999年5月11日火曜日
ミュージックフェスティバル
1999年5月9日日曜日
BIOHAZARD
BIOHAZARD
NOT EXISTING AN EFECTIVE CURE
1999年5月8日土曜日
回帰
1999年5月6日木曜日
回復期
1999年5月5日水曜日
京都に帰還
新潟では昼間は家でボ~ッとしてて、夕方になったらユラユラと飲みに出かけるという生活をしてました。そのおかげで日中はわりかし時間があったので、痛む左手首と腕の部分に常時2枚の湿布を貼って『Sunday Morning Overcast』と『花祭り』を帰省してる3日半で仕上げてきました。最近Cの復興のためにタルレガ発表しようかと思っても手頃な持ちネタがなかったので去年に弾いてた『Sunday~』と、なんか譜面があった『花祭り』に目を付けたわけでさぁ。『Sunday~』はもう自分の演奏をMDにとって詰めることまで詰めてきましたので、もういつでも発表できますぜ。『花祭り』は例の技を極めるのに只今格闘中(なぁKIYO!?)。いや、できるっちゃできるんだけどイマイチ確実性がね・・・。しかもあの技自体は印象強かったから覚えてるけど、どんなフレーズ弾いてたか覚えてねーから勝手にAのマイナーペンタに沿って作っちゃったし。まぁまぁ仕上げをごろうじろ!?
1999年4月29日木曜日
一口J-POP
1999年4月28日水曜日
くたばれ真菌類!!!!! ~水周りの激闘~
それは壮絶な戦いでした。何しろヤツらは壁の下のところから私の目線の高さをこえるところまで天の川のようにバーッと広がっています。私はあらん限りのカビキラーをユニットバスの壁にカーテンに便器の脇にと振りかけ、置いてあったバケツさえもヤツらに侵されていたのでそこの内側外側にもカビキラーを放射し、シャワーで一気に部屋の周りをザーッと流していきました。充満する塩素臭。カビキラーが手に付いて、そのアルカリ性の泡が私の皮膚を侵食しヌルヌルとしたしつこい感覚が手に残ります。カビキラーってアルカリだったんですね。塩素臭で頭がクラクラし、指先は塩基にやられてナメクジを触るような気色悪い感覚に襲われながらも、私は何度も何度もヤツらにカビキラーをかけては流し、かけては流しと闘いました。そしてどのくらいの時間が過ぎたでしょうか。手持ちのカビキラーも底を尽き、そろそろ気力も限界に近付いた頃にやっと壁に元の清潔さが戻ってきた感じがしました。そう、今日の第一次大戦で、私はヤツらを完全に根絶やしにすることはできませんでしたがしばらく繁殖することが不可能になるくらいの致命的なダメージを与えることができたのです。その確信を得た時が今日の戦いの終戦の鐘でした。もう一度念入りに水で流した後、憔悴して部屋に戻ってみるとPHSにPメール1件。見るとそれは新潟の仲間からでした。私はそのPメールの返信として、相手の用事はまずさておいて「イマカビトタタカッテタヨ。」と返したのは言うまでもありません。さぁ、明日は第2次大戦だ・・・!!!!!!
1999年4月27日火曜日
1999年4月26日月曜日
疲れと自動車教習とギタ連理事会
しかし今日路上で運転していて思ったのですが、自転車ってヤツは横断歩道とかを手加減知らないスピードで突っ切ってくるから車を運転している身としてはかなり怖いですね。俺が自動車を運転していて俺みたいな交通の流れのスキを突くようなきわどい運転してるヤツがいたら絶対轢くよ。ちょっと自分の自転車の運転を見直したりもしてしまいました・・・。
その後はギタ連の理事会があったので河原町へ。ついでに最近その必要性を強く感じていた録再可能のポータブルMDプレイヤーを思い切って購入してきました。KENWOODの最新のヤツです。KENWOODは派手な機能はついてないけど、音質や再生可能時間など、実に本質的で実用的な面が凄くしっかりしているので一番私が信頼しているメーカーなのです(当然コンポもKENWOODのヤツである)。これでMDからMDへの録音もできるし、演奏会の録音もできるし、自分の演奏を録って客観的に分析したり(これが一番やりたかった)もできるよ。素晴らしいじゃないですか。
しかし今キーボードを打っていると左手の小指に力が入らずにうまくキーが打てないことがあるのですがどういうことでしょう!? かまえてると左小指がかすかに震えたりもするんですよ。最近左手が痛いとは思っていたけど、まさか高校時代に数カ月まともにギターを弾けない状態にまで私を追いやったあのクラスの腱鞘炎・・・!?
1999年4月25日日曜日
1999年度ギタ連スプリングコンサート
その後コンパ、2次会、といって3次会でShino邸にお邪魔した(四条河原町から千本今出川のShino邸まではひたすら徒歩)わけですが、彼の7畳(だったハズ)の部屋に13人が詰め込まれるという修羅のような空間がそこに形成され、それはかなり凄まじい世界でありました。よく入ったよな・・・。そして久し振りに完徹し、朝にフラフラと家路についたわけです。しかも金とPCKはその後さらにエースや忍者と共に日本橋まで繰り出したとか・・・。とどめとばかりにあのスーパーノヴァが本気であの後バンジージャンプに行っていたとしたら・・・? 信じ難いバイタリティです。お疲れさま・・・。
ちなみに私は今日は9時から午後1時まで4時間ほど寝た後、適当にCDレンタルしたりよし牛行ったりギター弾き倒したりした後に5時から8時まで教習所に行ってました。学科の応急救護とかいうヤツで、2人でペアになって事故時の応急救護の実習をやったり模擬人体を相手に人工呼吸やら心臓マッサージやらの練習をしたりする科目なのですが、この模擬人体がまた怖いんだ・・・。あれを相手に人工呼吸やった日にゃあ、もう心の中ではかなり泣き入ってましたね。そう言えばこの科目は旧カリキュラムでは入ってなかったというような噂を耳にしましたが、そうなると去年以前に免許を取ってない人はこれやってないんでしょうかね? 怖いけどなかなか面白味はある科目なのに。
1999年4月22日木曜日
学究の動機
大体ですね、最近ウチのBOXに来る人来る人皆興味はフラメンコ。いいかげんこっちも泣きたくなってきます。そら人間が音楽をどのようにイメージとしてとらえてるかの研究もして効率良くクラシックの普及をはかりたくもなりますわ。ヒーリングミュージックとかダンスミュージックとかが心象に与える影響とかそういうのにも興味はあるのですが、要は聴覚概念系ということで音楽と心象の連鎖関係を調べていきたいわけです。そうすれば最近のFの求心力の秘密も見えてくるかも知れません。単に派手さとか技術力の差ってわけじゃないと思うんですよね。あの『Sunburst』もブレリアやルンバほどの大反響があったわけじゃないところをみると。もっとも内輪では『Sunburst』はさすがに評価高かったですが。まぁ初めてきく人に対する不思議な魅力となると・・・。もうギターの演奏の面だけで頑張るのも正直疲れましたし限界も感じました。せめて学問的に探究してみて納得いく理由を探したいものです。
1999年4月21日水曜日
無題
1999年4月20日火曜日
ウシュクダラ
しかし今日思ったのですが、民族音楽と言うヤツは本当に呪術のようなもので、自分で歌ったり演奏してみたりすると異常なまでにハマるようです。今日ももう一回歌った後は『ウシュクダラ』が頭の中でエンドレス状態でしたよ。ちょっとTwin-goの気持ちがわかったような気がした一瞬でした。そう、PCKへ個人的連絡。今借りてるCDは遅くとも今週中には返しますよ。また何かいいのあったら紹介してくれ!!!
1999年4月19日月曜日
外国文化購読のルサンチマン
1999年4月18日日曜日
machakicと語り明かして
そう、自動車の修了検定、無事一発で合格してきました。入所してから早2ヶ月、やっと仮免かいって感じですね。まぁのんびりいきましょうや。最近ただでさえ忙しいんだし。
1999年4月16日金曜日
HPのゲージも赤くなり、
1999年4月14日水曜日
民族音楽アンサンブル嘱望
選曲としてはもはや定番と化しつつある『Spanish Coffee』に、パレスチナの音楽グループSABREENの『On Wishes』、そして後一曲くらいということになりますか。でも『On Wishes』に譜面など当然あるはずもなく、やるならまずは気合で耳コピ、その後にアレンジということに・・・。誰か手伝ってくれないかな? そしてこの2曲だと微妙に系統がかぶってなくもないので、後1曲の選曲は慎重に。う~ん、沖縄民謡とかやりましょうかね? あるいはJapanese Traditional Songとかいって『かごめかごめ』(爆)とかブームの『からたち野道』とかそういうのに挑戦してみるとか。・・・悪くないですねぇ。マジで本気にやっちゃおうかな? でもそうなると最近クラギタに現れていない民族音楽のプロ、某Sを召喚したいなぁ。来るかな、あいつ?
1999年4月12日月曜日
1999年4月11日日曜日
1999年4月10日土曜日
初歩的情報リテラシー講習開始
そんなこんなで緊張する機会が多い生活を送っているせいか、はたまた最近スタッフの方で代理の緊急勤務をすることが多いのも関係してか、昨日は家に着いたらそのままクッションのところで崩れるように眠りに落ちてしまいました。疲れてるんでしょうかね・・・? そう、余談ではありますが、車の方もやっとうまくいけば来週土曜に仮免が取れるかもというところまで来ました。来週無事修了検定と学科試験に受かればO.K.です。いや~、長かったですね~・・・。
1999年4月8日木曜日
多忙 反比例 空虚
それはそうと、右膝の傷が何故か今朝からまた血と膿が滲み出してきているのですがどうしたものでしょうね。
1999年4月7日水曜日
中途半端な音楽
1999年4月6日火曜日
異常気象
今日はまた無事に選択外国語の登録も終え、あとは事前登録の抽選にもれなければ当初立てた通りの時間割りプランでいけるようやることはやりました。色々世話かけた人達に心からThanks!!! しかしですね、私は今回他学部受講やら選択外国語やらとる関係上、相当に事前登録が多いんですよ(実に9科目)。ということはですよ、もし仮に片っ端から抽選に落ちてるというような最悪の事態になった場合、かなり大規模での時間割りの刷新を余儀無くさせられることもありえるわけです。あまりとりたい授業文学部にないのに関わらず。それはちょっと御勘弁を、って感じですね。どうか抽選通りますように・・・。まぁ私はこれまで事前登録で落とされたことって一度もないから多分大丈夫だろうとは思いますけどね。
井上幸治ギターコンサート
そう、久し振りに『心のヒットチャート』更新しました。なんかある意味自分でも意表を突いたものが私の中で流行ってますね・・・。
1999年4月5日月曜日
昼食抜きへのロード
1999年4月4日日曜日
ゆったりとした休日
1999年4月3日土曜日
今年度の授業構成
まぁというのは冗談にしても、人情の専門はホントに最低限しかとりませんね。そのかわり外国文化講読は取るわ選択外国語は取るわ産業社会学部でひたすら社会学系に手を出すわでやりたい放題やってきます。今回の私の時間割りはハッキリ言って見ただけじゃ一体何が専攻なのかわからない状態になってます。でもまぁそれもアリでしょう。ところで外国文化講読って事前登録いるんでしたっけ?>立命文学部の皆さん
1999年4月1日木曜日
入学式
1999年3月31日水曜日
大切な本 -『風の歌を聴け』
初めてこの本を読んだとき、何故かはわからなかったんですけどとにかく心が震えたのを覚えています。それは感動というよりはどちらかというと共感に近いものであったもしれません。ともあれ、私はその本を読んで自分も文章を書こうと思い、そしてそれが今に至るわけです。もう何度読み返したかわかりませんが、それでも読む度にこの本は心に染み入ってきます。初めて読んでから4年がたった今でも読む度に新鮮な感じがします。今はこの本と出会った頃と周りを取り巻く状況が少し似ているせいか、また深く心が震えていました。この本の主人公は大学生で21になり、地元で夏休みを過ごしていて、私は18になる高3の夏にこの本を手にし、今21、今年で22にもなります。その時の流れと共に、私の主人公に対する視点もやはり動いてきたのでしょうか。あの当時得た共感と、今日得たそれとではやはり異なる何かがあるのでしょうか。まだ近すぎます。あまりに近すぎると目は全体を見ることができません。似通ってるんですよ、あの当時と今の自分が。そこの違いがまだ見えないのです。今があまりに近すぎるせいで・・・。
1999年3月30日火曜日
1999年3月29日月曜日
自堕落に
1999年3月28日日曜日
怪我の報告
1999年3月27日土曜日
ボロボロの交歓演奏会
昨日は関大との交歓演奏会がありました。出来の方はというとまぁよくもあそこまでボロボロに・・・、といった感じで、コンパのときなどは普通に飲み食いはしているものの心の中ではかなり泣き入ってましたね。そら2次会でショットバー、3次会でジャズバーにも繰り出して飲むわ。あかんがな、ありゃ。おかげで珍しく酒でフラフラになって、何人かの人にも迷惑をかけてしまいました。どうもごめんなさい。
しかも今朝は5時頃から故あって京都駅の方まで行かなならんかったのですが、駅まで自転車で行く途中に暗い道を裸眼で疾走していたら道路の分離帯が視界に入らずに高速でそこに突っ込んで大クラッシュかますし・・・。両手を血みどろにしてジーンズの膝も破れてそこからエグイ傷が覗いているような状態で行ったら待ち合わせていた人はさすがに驚いてましたよ。そらおどろくわ。でも転んで受け身をとる時に、そこはギタリストの本能とでもいいますか、指先の方から突っ込んだのではなく手のひらの手首よりの肉厚なところの方から突っ込んだので、確かに手のひらに大きな裂傷はあるのですが、ギターは問題なく弾けるのです。指と爪には傷一つ付けずに済んだのは不幸中の幸いといったところでしょうか。
1999年3月24日水曜日
民謡のMIDIサイト
1999年3月22日月曜日
卒業式の日に過去を想う
で、我々は今日は部活の恒例行事として、式を終えて体育館から出てくる先輩達を花束持って出待ちしていたわけですが、それが雨のせいかムチャクチャ寒い!!! あれはちょいときつかったですね。でもとりあえず卒業する先輩の姿を全員分カメラに収め、なにげにOB会費の徴集もしつつ皆さんを送りだしてきました。ある人は紫のス-ツに派手なネクタイとえんじ色のマフラーで黒のグラサンをかけ木刀を持ち、またある人は上下黒の拳法着に身を包み、ヌンチャクを持って卒業する同期生(爆)の見送りに来たりしていました。本人曰く「いやがらせ」だとか・・・。しかしそのいでたちに本気でツッコミを入れる人も意外と少なく、その事実にとても寂しそうにしていました。やはり卒業は人間ドラマですね?
しかし卒業式の帰り道って何か妙に寂しい気分になったりしません? 私は高校卒業の時、2次会のカラオケが終わった後いつもの仲間達と別れポツンとバス亭でバスを待っていた時、いいようのない寂しさに襲われた記憶があります。色々あった高校生活もこれで終わりなんだなと思うとね・・・。そのことを今日一緒に帰っていた人に言ったら、自分も今そう思っていたと言いました。そして一人になってから、ふと自分が高校卒業の時に思ったこと、高校時代の(あるいはそれは今も脈々と私の中に息づいている)自分なりの美学というか人生観について思いました。
中学卒業の時に精神的に一回死を迎えて、自分の中で高校生活というのは新しく1から自分を組み直していく過程にありました。そこで運よく素晴らしい仲間達に恵まれ、やりたいことをやって生きたいように生きてみた結果、人間という不思議な生物のいい面も悪い面も肌で感じて経験することができました。こう書くと高校生風情がなに悟った気になってんじゃとツッコミ入りそうですが、でも実際そうなんです。結局経験なんて比較することはできませんから、極論すればどんなありふれたものでも本人が大切だと感じればそう感じただけ大切なんですよ。それを他人が否定するのはその否定した人にとってその事実が大きな意味を持っていないだけで、当人にとっては当人にしかわかりえない(そして逆説的に当人にも理解しえない)大切さがあるのです。その意味で、客観的に見てどんなに他人が凄いと思う体験でも当人がそう思ってなければそれは当人にとって何の意味も持たないただの事実にすぎないわけで、その意味でやはり人生は自分次第なんだと思います。私の高校時代は、それは有意義なものでした。いいことばかりでなく、悪いことも含めてです。むしろいいことばっかりだったら「あの頃はよかった」と振り返ってそこに逃げ込むだけの避難所としての過去にすぎなかったのではないかと思います。ところがそうではなく、人間関係のよい部分も悪い部分も、極端すぎるほどの勢いでその当時の私にぶつかってきて、本当に素晴らしい黄金時代と言ってもいいような時間から、ドロドロした猜疑的要素の塊の複雑な人間関係の中、必死で手の中のものを守ろうと四苦八苦していた時期までありました。まぁ混乱期は本当にコアな部分で関わった人以外にはそれほど表面的に私に起こっている何かは見えなかったでしょうけど。詳しくは書きませんがそりゃあ色々ありました。その中で得た何かが自然に自分の中に根付いたり、浪人している間にある程度自分の意志でまとめたりして今の私があるわけで、その意味で私の高校時代は決して無意味ではなかったと思うし、今も私の土台としてその日々が存在しているわけです。今日卒業していった先輩達にとって大学生活とは一体何だったのでしょうか。後輩がこんなことを言うのも差し出がましいとは思いますが、それが彼らにとって人生の土台となりえる素晴らしい時間であったことを祈ります。そして私が卒業する時、私はその過ごした時間について何を思うのでしょうか。今はまだそんなこと見当もつきませんが・・・。
「今自分がやっていることの答えは、忘れかけた頃に時が教えてくれる」
私はそう思います。
1999年3月18日木曜日
自転車を取り返しに
なお、明日から私は部活の合宿に行くので数日更新はお休みします。
1999年3月17日水曜日
足を奪われた日
1999年3月16日火曜日
生け贄
1999年3月15日月曜日
ラミレスが来た日
そして今日やっと手に入れました。念願のニューギターです! 某ギタ-関係のホームページでは「音に毒がある」とのコメントも付いていたラミレスのギターです。な~に、毒の一つや二つ持ってた方が俺向きってもんです。今日は帰ってからひたすら新しいギターを弾き倒してましたよ。弦を店で替えてもらってきたのでひたすら調弦は狂うのですが、それにもめげずほとんど15分おきに調弦し直しながらそれでも悦に入って弾きまくってました。ん~、よいギターですよ~。
1999年3月12日金曜日
1999年3月11日木曜日
続く自動車教習
1999年3月9日火曜日
ギター選び
1999年3月8日月曜日
ギターを弾くことについての無限問答
それでまぁなんやかんやでクラギタに入りタルレガやって、適当にやりたいように曲やってここまで来ました。今じゃクラシック技術部長なんて役職にもついて、ちゃんとした先生にも習いに行ってまでギタ-弾いてます。でも、それでどうなるんでしょう? いくらギターうまくなったって、俺はKIYOのようにその後ギタ-関係の指導に就きたいと思っているわけでもなく、金やU-yanのように音楽関係の仕事に進もうと思っているわけでもない。今は好きで弾いてて、弾く時間があるからいいけど将来仕事が始まったら今やってることはどうなるんだろうと。探せばね、そこらのオッチャンでも「若い頃はギターやってたよ」っていうヤツたくさんいるんですよ。でもオッチャンになってもまだギタ-弾いてる人ってほとんどいないわけで、やはり仕事に就いて日曜とかくらいしかギタ-弾く時間が無くなってきたら自然とギターと疎遠になっていくのかなとか思ってもみたりして、実に微妙な心境になってます。そうするとね、今あれこれ必死でやっていることってその時一体どうなるんだろうな、って・・・。今はそれこそ必死ですよ。技術部長としての責任もあれば、弾きたい曲をイメ-ジ通りに弾きたいという願望もあり、その願望はあれどいくらやっても自分の頭の中でなっている音に現実の音が近付いていってくれないというもどかしさがあるから、そのギャップを埋めようと必死にやってます。ギターでも歌でもあるいは卓球でも(わしゃ中高卓球部だったので。中学の時は部活ムチャクチャ燃えてたんだぜ)、自分のイメ-ジ通りに体が動き現実からの答えが返ってくる瞬間の興奮と充実感、まぁ大袈裟に言えば感動ですね、は同じだし、その感覚が忘れられなくて、また極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて、そのイメ-ジに近付こうと必死でやるわけです。それこそ単純に指が動く動かないのレベルから、ビブラートのニュアンスとか、低音弦の擦か音とか、音色の研究だとか、フォ-ムの改善だとか、課題を挙げ出したらキリもなくなるほどに。でも今そうやって、時にギターを弾くのがイヤになって苦痛に感じるほどに頑張っていても、それが一体どうなるのかとか、ふと考えてしまって止まらなくなってしまいました。でもそう考えれば考えるほど、何故かしらないけどギターを今この手に取って弾いて弾いて弾き倒したくなるんです。そしてそんな虚ろな考えを吹き飛ばしてしまいたくなるんです。そして自分のイメ-ジを現実にトレ-スできる快感を求め、それができないもどかしさに襲われ、また漠然とした脱力感の中自分がやっていることを無意味に感じ、でもそうなるとまた何故かギタ-が弾きたくなる・・・。無限問答ですね。ギターは私にとって大きな浄化作用を持つものであり、何かに行き詰まった時にはやはりなんとなく手に取りたくなるんですよ。でもそれが最近技術的な面から限界を感じ、それに技術部長としての責任が加わった段階で歪みが生じて問いは永遠に繰り返すわけです。ずっと独学でやってきたとはいえ、中2の冬に初めてギターを持ってからはや7年・・・。それだけ時間が流れても自分はまだこの位置にいるのかと思うと少しイヤになりますね。多分そこがこの無限問答の始点にあるのだと思います。そう、俺はまだこの位置にいるんですよ。大学からギターを始めて、それでも俺より先の方までいっちゃってるのもいるというのに・・・。
1999年3月7日日曜日
不健康に椎名林檎
1999年3月6日土曜日
D.C.クーパー@大阪バナナホール
今日は大阪バナナホールまで真茶器と共にD.C.クーパーのコンサ-トに行ってきました。知ってる人は知ってるROYAL HUNTのボーカリストです。コイツの尋常じゃない声域の広さと恐ろしい高音域のキレは、その声質のク-ルさと相まって実にカッコいいのです。会場はコンサ-トホ-ルというよりはライブハウスといった方がいいような小さい会場で、しかも前の方にいたので手を伸ばせばD.C.に届きそうなくらいの所でした。今日のD.C.はまぁちょっと調子悪そうに歌ってましたが、それでも高音のシャウトのキレはさすがの凄まじさがありましたよ。ROYAL HUNTの曲からも『Wasted Time』と『River of Pain』の2曲をやり、アンコールではジューダス・プリーストのカバーも飛び出して場を盛り上げてました。まぁ個人的には『Last Good-bye』か『Message to God』もやってほしかったのですが・・・。とまぁ今日は疲れたんでこのくらいにしときます。でもライブとしてのノリは前座のPink Cream 69の方がよかったかも。ヤツらライブ向けのノリノリの曲ばっかやりやがるから・・・。D.C.は最近のROYAL HUNTの傾向をそのまま踏襲したかのような重々しい大曲志向だからライブだとそうガンガンいけるわけではないしね。
1999年3月3日水曜日
神戸散策
まぁ今日は南京町からハ-バ-ランド近辺を散策して回っていたわけですが、南京町で食べた豚まんじゅうは異様に美味しかったですね。その次に食べたフカヒレラーメンはまぁ美味いっちゃあ美味いんだけど、という感じでしたが。そして夜はモザイクのブラジル焼肉料理の店で食べたのですが、剣にブッ刺した肉をテ-ブルの上でシェフがザクザク切り落として皿に落とす豪快さが気に入りました。が、肉が出てくるペースが異常に早く、食うのにかなりのエナジーを消費していたことは言うまでもありません。しかし港近辺の神戸の夜景ってのは不必要なまでに綺麗ですよね。