1999年12月31日金曜日

新潟でお買い物

 今日は単身新潟市まで繰り出し、色々と買い物を済ませてきました。なにしろ新年に入ってからは京都に帰るまでひたすら飲み会ラッシュで、ロクに買い物をするヒマもなさそうな予定の組まれ方になってしまったのでね。CD5枚、服を少々、本を一冊、帰京のためのチケットを一枚。しめて5万円近い出費でした。ちと買いすぎたか・・・? そう、京都には5日の夜に帰ることになりました。当初は4日に帰ろうと思っていたんですけどね、その日に高校時代の仲間同士での新年会があるというので一日遅らせました。

 さて、『何もない未来へ』の第二章のアップです。今回はニュースの報道シーンから入っていきますよ。

1999年12月30日木曜日

何もない未来へ

 今日もずっと家でのんびりと暮らしていたのですが、そののんびりとした暮らしの中で久しぶりに小説のインスピレーションがきたので夕方からは適当にギターも弾きつつガーッと書いてました。で、小説の方はまだ完成はしていないのですが、結構長くなりそうな上に4,000文字を越えた辺りで丁度区切りがつく展開になったので、とりあえず1900年代最終企画ということにこじつけてこの日記の中で続き物としてできた分からアップしていくことにしました。全体としては完成した時点でまとめてNOVELにアップします。

 今回舞台は1999年の12月29日から始まり、数日前への回想シーンへと入っていきます。かなりグロイ描写も出てきますがそこはそこ。『理想郷』の時のようなダークでシュールな作品に上がりそうです。とりあえずはやはり『理想郷』以来の本格的な小説ということになりますか。現時点では結構な自信作なので皆さん読んで感想を聞かせて下さい。タイトルは『何もない未来へ』。う~ん、題名からして結構キテますね。とりあえず第一章、読んで下さる方は題名のところをクリックお願いします。

1999年12月29日水曜日

色々あったけど帰省

 どうも随分長い間ごぶさたしてましてすみません。なにしろ23日以降ひたすらイベント続きで、今日に至るまでギターもコンピュータもまともに触らないという実に私らしくない生活を送っていたもので・・・。なにしろ23日の総会コンパ終了後から昨日の昼過ぎまで、常に私の部屋には誰か人がいました。凄まじい状況でした。

 で、今は既に新潟に帰省して、今日はのんびりと過ごしていたわけですが・・・。まぁ23日以降はあまりに色々なことがあり過ぎてもう何を書いたらいいのやら、精神のタガも外れんばかりの勢いな訳ですが、とりあえず漢ルミナリエは大成功。素晴らしいものを観てきました。こう、私達が中央公園に辿り着いた時にちょうどタイミング良く花火が上がり始めたんですよね。ルミナリエの向こうに見える花火とその炸裂音が実にドラマチックに神戸のイブを演出してくれていました。ボ~ッと口を開けたまま上を見上げて放心状態に陥るワッキーの間抜けな姿がとってもナイスでした。とりあえず我々田舎者にはルミナリエというとカップルのための祭典というような印象が強かったのですが、実際行ってみるとそんなこともなく、家族連れやらオジンの二人組(謎多し)やら結構色々いて、別に悲しくなるようなことはありませんでしたね。とはいっても今回の漢ルミナリエメンバーも最終的には一応生物学的に見たら男だけの一行というわけではなかったのですが。

 しかし22日からずっと風邪をひいてるのにそれを栄養剤でごまかしつつ無茶な日程をこなしていたのでさすがに昨晩新潟に帰ってから今日の間はじっと静養してました。またこれから飲み会のラッシュが始まるのですよ。とりあえず休息と栄養をとっておかないとね・・・。

1999年12月23日木曜日

過労と疲労と

 頭痛の方はおさまりましたが、喉の痛みと倦怠感は相変わらずの本日、しかし午後から実験室にこもってデ-タ取り及び夕方からのスタッフ忘年会だけはキッチリこなしました。そして思ったのは、やっぱ風邪ひいてる時に酒なんぞ飲むもんじゃねーなということでした。いや~、喉痛いんで炭酸系は御勘弁と思い、乾杯の時グラス半分程ビ-ル飲んでからはひたすらチンルーチュー(なんとなく喉によさそう)と白ワイン(まぁ許容範囲かな?)でやっていたのですが、体調が悪いためかいかんせん回りが早い。明日のコンパが心配です。とりあえず帰りにアスパラドリンク一本買ってきました。栄養ドリンクで体をごまかしつつ動く毎日です。・・・漢ルミナリエが終わるまでは死ねないんじゃあっっっっっっ!!!!!!!!!

1999年12月22日水曜日

忙しいのに風邪

 昨日、今日と一気に冷え込んできましたね。おかげで私は風邪をひいてしまいました。とはいえ実験のデ-タ取りをしなければならなかったので、今日は午後から夕方7時過ぎまでずっと実験室にこもってG3 Mac(無茶苦茶パチリてぇ・・・)とRolandシンセサイザー相手に頑張ってました。被験者やってくれた皆さんありがとさんです。しかし最後の方は鼻は出るは喉は痛ぇは頭も痛ぇは体だりぃはでもう散々でした。しかし明日もまだデ-タ取りはやらなければなりません。しかも明日はスタッフの忘年会です。明後日は部活の総会&コンパです。さらに次の日は熱き漢ルミナリエです。・・・とりあえずのど飴と100%ミカンジュースとアスパラドリンクで気合入れて直します。

1999年12月21日火曜日

バカップル禁止条例

 すいません、今日は何かわけわからんけど疲れているのでもう寝ます。何をやったわけでも何があったわけでもないのになぁ・・・。そう、BOXで『バカップル禁止条例』が元指揮(ガス)より出されました。BOXの平穏と秩序を守るためだそうです。実に的を得た提案ではないでしょうか(?)。該当の危険性がある皆さん、気をつけましょう。

1999年12月20日月曜日

無題

 今日はずっと明日提出のレポートと、マジでもうデ-タとれるギリギリの期間に来ている実験実習の準備であたふたしてました。しかしもうやっと終わったのでとりあえず一安心です。やっぱこういうものはためるもんじゃないですね・・・。

1999年12月19日日曜日

1999年度第二次執行部選挙

 今日は第二次執行部選挙。この選挙が終われば無事我々の代の執行部もお役御免となるわけです。まぁ総会での総轄だけ残ってますけど。きぬがさの方は結構選挙に時間がかかり、午後1時開始で6時過ぎまでやってました。企画とF技で時間喰いましたからね・・・。といってもF技の方を騒がせた張本人は私なんですけど(苦笑)。いやしかし資格管理問題は私が1年C技やってて、大きな演奏会の度にことごとく問題を起こして失敗してきたところですからね。それで一部の下回生の執行部への不満や不信をつのらせ、最悪の結果を招くことになってしまったわけですからこちらとしても同じ過ちを繰り返してもらいたくないから慎重な対応を望むわけですよ。演奏会の出場資格管理は基本的なところでは全てC技、つまり私の管轄であったわけで、どんな理由や背景があったにしろそこで発生した問題は全て私に責任がのしかかってきます。もう今さら謝罪をしても責任を取るとか言ってみても何も意味はないですが(何しろ肝心の演奏会自体がもう終わっているのですから)、せめて最後に今回私が犯した過ちを下の代に伝えて、同じ悲劇を招かないようにと参考までの意見を述べることくらいはできますし、またそうするべきでしょう。次期F技には辛く当たってしまったかも知れませんが、それも私の経験上その措置はヤバイと思ったからで、決していじめたかったわけではないのです。私の考えはまた総会の総轄でまとめて述べますが(任務最後にして最大の大演説になる可能性大)、それは私がこれまで執行部としてやってきた経験から来る一つの参考であるので、別にそれに従わなくともそれを考慮に入れた上で時期執行部なりの道を見い出してくれればそれでいいかなと思います。ただ、どんな方策を取るのであれ下回生に不信感を抱かせてしまうような今回の私のような過ちだけはしてほしくないと思います。お互いに気分が悪いですし、せっかく演奏会自体が外から見て成功に終わっても、それが部活の中を崩す要因になったのではどうしようもないですから。時期執行部の皆さん、色々と大変でしょうが頑張って下さい。

P.S. 今日の選挙が長引いたためにせっかくチケットを取っていた村治カオリのコンサ-トに行けませんでした・・・(泣)。途中で抜けて行けとの声もあったのですが、さすがに立場というものもありますしね。残念です。今度は2月のLAGQを楽しみにして生きることにします・・・。

1999年12月18日土曜日

C技として最後のタルレガ

 今日は後期最後のタルレガ。ということはもう私が前に出て基礎練をやったりすることもないわけです。明日の選挙が終われば試験官の役目も終わり、もう試験にサインを出すことはできません。今日はとりあえずまめの短調試験のアグアドにC技引退記念のサインを出してきました。そうかぁ、もうC技も引退か・・・。そう考えるとちょっと複雑な気持ちですね。演奏会の度に只ならぬプレッシャーと期待にさらされるという重圧感とやけに長大な権限と責任から解放されるという気持ちもありつつ、まだもう少しその重みの中に居続けて頑張りたいという気持ちもまたあり・・・。悩ましいところです。そうか、もう明日でC技の看板も私の背から降りていくんですね・・・。

1999年12月17日金曜日

ドイツ語とレポートとイギリス組曲

 今日は学校にいる時間の大半を図書館にてドイツ語の勉強をして過ごしていました。久方ぶりの勉強本気モードです。おかげで有意義な時間を過ごしたようなもしかしたら無駄に終わる労力のような、そんな微妙な面もちとなっています。っていうか頼むから単位くれ。既に出席ヤバイとか言われてるけどさ。いくら今日頑張ってみても所詮は一夜漬けだけどさ。あ~、もう・・・!!!!! しかも明日提出のレポ-トが2つあり、そちらもこれから頑張ってやります。情報産業論、一応未来の本職を目指すものとして日夜情報収集は欠かしていないので、そのバックグラウンドを武器にどうにかしてみせます。しかし今夜は寝られそうもない・・・。

 で、それはそれとして今日は私の後継者となる次期C技を連れてレッスンに行ってきました。彼もあのギタ-教室のあまりにうさん臭い建物の雰囲気にはやられていたようです。まぁこれから頑張っておくれよ。C技の看板背負って演奏会のステージに立つのはかなりのプレッシャーだでな。わしゃやっとそれからも解放されるのでのびのびとやらせてもらいますよ。しかし今日先生から新しい曲をもらってきたのですが、それがデュアルテの『イギリス組曲』・・・。「大聖堂と同じ三楽章構成ですから」って、間違ってるだろ!? 『イギリス組曲』って音源は持ってませんが、私がまだ一回だった頃関大さんの定演でコンク-ル入賞歴を持つ人が弾いていた記憶があるのですが・・・。それって結構難しいんじゃ・・・? しかも結構長くて、演奏途中で寝かけてたような記憶も・・・。これまで自分が持っていった曲はともかくとして、先生の方から渡してくる曲は全部2ペ-ジ以内か、あるいは『シンプルエチュード』みたいに細かい曲がわんさかか、どっちかだったのに急に7ページの三楽章構成ですか? これは認められてきたと喜ぶべきなのか・・・。まぁとりあえず一曲目の『プレリュード』は弾いてみたところ意外に弾きやすい曲だったのでよしとします。しかしあのテの明るい哀愁系の爽やかさはイマイチ私には似合いませんね。もうちょっと暗めの哀愁が好きなのですが・・・。

1999年12月16日木曜日

劇団の前座(報告)

 例の劇団の前座の演奏は会場の妙にざわついた空気にやられ、どうも気分的に不発のまま帰ってきました。あれはまともにギタ-弾く雰囲気じゃないなぁ。多分酒場でギタ-弾いたりするのもあんな感じなんでしょうけど、こちらにそういう覚悟ができてなかったので何かちょっと肩すかしを食らった気分です。明日行く人達も気を付けてください。いわゆる演奏会みたいにお客さんがほっておいてもこっちの演奏を聴いてくれるという場ではないです。ざわざわしてるし劇団の人が大声で席案内とかしてるし・・・。

1999年12月15日水曜日

劇団の前座

 何と明日急遽劇団か何かの公演の前座でギターを弾くことになりました。京大の聖帝や龍大のつっきー、そして忌無とうーやんと私が今わかっているところのメンバ-です。急に弾けと言われてもまさか前座で『大聖堂』弾くわけにもいかず、『11月のある日』も何か弾く気がしないので、練習いらずの必殺ナンバー『花祭り』を武器に一発行ってきます。いや~、こういう時にいつでも弾ける曲を一つ持ってると便利ですね。『花祭り』って本当に練習いらずですからね。ぶっつけても問題なくいけるし、大体においてウケのいい曲だし。さ~て、出陣じゃ!!!!!

 ・・・っていうかレポートは・・・?

1999年12月14日火曜日

定演が終わって

 定演が終わってからというもの、何か精神的にほうけてしまっています。今日もドイツ語の勉強をしようと早めにBOXを出たはいいのですが、結局食堂でまりも氏及び殺血ー(←さっちー)と一時間半近くだべり、さらに帰ってからもボ~ッとギターを弾くという有り様でした。とりあえず定演が終わったら弾こうと思っていた曲が何曲かあるのでね。龍大のつっきーが約束通り定演の贈り物で贈ってくれたスタンリ-・マイヤ-ズの『ポ-トレ-ト』の譜面とのんびり戯れてました。この曲は色々な意味で『カバティーナ』の短調版みたいなヤツで、メロにアルペの伴奏という構成もセーハが多いので弾いてみると聴いてるイメ-ジよりはかなり疲れるというところもソックリ。マイヤーズよ、お前はそんなんばっかりか!? まぁでも『大聖堂』に比べれば体力消費はよっぽどマシなので、せいぜい感傷に浸りながら楽しんで弾きます。あとはロドリーゴの『ファンダンゴ』もかなり弾きたくてたまらない曲だったので、ちょっと手を付けてみたのですがやはりコイツは難しい。先生が難しすぎるからと言ったのも納得です。まぁでもこれも別にあわてて完成させる必要もないので半年くらいかけてのんびり弾きます。そうすりゃヒマならギタ連定演くらいで発表できるでしょう。・・・定演が終わって速攻新しい曲に手を出す辺り、やはり私はギターが好きなんでしょうね。

1999年12月12日日曜日

定演終了!

 定演終了~!!!!!! やっと長い間我々を悩ませてくれていた定期演奏会が終了しました。演奏会全体としてはアンケ-トを読む限りかなり評判がよかったようで嬉しい限りです。個人的には調弦とソロの『大聖堂』に多少心残りがあるのですが、まぁそこはそこ。指揮が泣ける演奏会はいい演奏会だったということでしょう。満足しています。今の私達にできることは全てやれた演奏会だったと思っています。

 総轄をするならまずラテン。『アチチ』の2回目のAメロのソロのオクタ-ブ奏法、いきなりミスってしまって申し訳ありませんでした。おかげで一瞬アンサンブル全体が崩壊しかけてしまいました。ごめんなさい。あとラテンに関してはグラサンをかけながらノリノリの振りで『Vamos』のパーカスを叩くG.S.J.K.が見てて笑えてよかったです。緊張がほぐれました。ポピュラーは練習開始当初はどうなることやらと思いましたが、本番は実に綺麗に決まって(まぁ個人レベルで多少のミスはあったようですが)気分爽快でした。ポピは本当にラテンを食わんばかりに評判がよかったようで、アンケ-トを読んでてちょっと嬉しくなりました。『Feed the birds』は好評だったようですね。私が衣笠CGCの(元?)マスコットの命を受けて実行した花束投げは色々な意味で賛否両論だったようですが、まぁそれもアリ。個人的には私がブ-ケを投げた瞬間に笑いが起きたのがちょっと意外でした。あそこはうっとりするところだろー!? フラメンコに関してはもはや何もいうますまい。一部からはやりすぎとの声も上がっていたようですが、やりすぎるくらいやれるのも今の最強の面々の力があってこそ。あんたらぁ逞しくやったよ。『リベル』は「怪しさを醸せれば勝ち」と息巻いて、意気揚々と黒のロングコ-ト着て口のところまで赤いマフラーを巻いて出たはいいのですが、実はあのマフラーのおかげで7フレット以上のところが全く視界に入ってこなくて弾くのに相当苦労しました。う~ん、練習は大丈夫だったのになぁ・・・。そう、練習の時はあれにさらに黒のグラサンまで付いてたんですよ。アイコンタクトが取れないから止めろと仲間からクレームが付いたので本番はやめましたが。『タンゴ・アン・スカイ』はその圧倒的な技術力に皆感嘆していたようです。よくは聴けませんでしたがやりましたね、まりも氏。『ロンドン』はちょっと音が小さい等の音量関係のクレームは付いていたようですが、ギターの美しい音色を活かした演奏との好評の方が目立ちました。よかったですね。私は練習の段階ではこの二人の後に弾くのが嫌で嫌でたまりませんでした。そして『大聖堂』。独重の時とは違って最初から仕上がりに不安のある状態でステージに立ちましたが、意外や緊張もせず、集中力も後半尻上がりに上がってくるという感じでいけたのでまぁよかったです。アンケートでは手放しで褒めちぎる人とまだまだだなと言う人と、実に賛否両論真っ二つに分かれましたが、個人的には第一、第二楽章はなかなかうまくいけたと思っています。第三はまぁ練習以上ではないが以下でもないという感じですか。とりあえずノーミスで弾くのは諦めていたので、いかにミスしても崩れないかを考えて練習していたのが多少は功を奏したのでしょう。テンポの安定感だけはやたらと評判がよかったです。ブリッジよりの音で終始弾いていたことに対するクレ-ムもあったようですが、少なくとも第一楽章ではあのギタ-で弾く際高音域はホールよりだと鳴ってれないので、それでややブリッジよりで弾くように心掛けたというのはあります。後の部分はノリでしょう。最後に大合奏です。本番当日の通しリハではそれまでやらかしたこともないような大きなミスを『ロンド』でやらかしてアンサンブルが完全に崩壊するという事態を見てしまい、本番実に不安でした。しかし蓋を開けてみれば『カノン』も『ロンド』も『ブランデンブルグ』も大きな崩れは見せずに、むしろ練習以上にまとまりのある演奏ができてよかったのではないでしょうか。だから本番はアドレナリンが出るから大丈夫だ、って言っただろ?問題の超難曲『ブランデンブルグ』も本番しっかり決まって、評判もかなりよかったようで嬉しい限りです。そして編曲し直した『スペ花』もカッコいいと大好評。かくして今年の定演は無事幕を下ろしたわけです。アンコ-ルの途中で指揮者が見せた涙は演奏している私達にも感動と充足感を与えてくれました。よかったぜ、ガッティ。

 思えば後期に入ってからはずっとこの定演にかかりっきりでしたが、終わってみればあっという間だったような・・・。いつもそうですが、こういうのって本番当日まではいつまでも続くかのような長い時間に思えても、終わってしまえばまさに「光陰矢のごとし」って感じですよね。色々とゴタゴタもありましたし、演奏会自体が終わった今でもけじめを付けなければいけない問題は多少残っていたりもするのですが、その色々なトラブルがありつつもこの演奏会に向けて部の皆と頑張ってきた時間は凄く実になった素晴らしい時間だったと今になって実感できますし、大切な時間だったと感謝しています。今の執行部の面々で中心になって定演を作るのもこれが最初で最後なわけですが、その一回限りのチャンスでやれることはやったという充足感が味わえたのは幸せなことだと思います。巡り合えた運命と、共に頑張った仲間達に本当に感謝します。そういうとちょっとくさいかもわかりませんけどね。でもこういうことは言わずに後悔はしたくないですから。クラギタの皆、特に99'執行部の皆とは一緒にここまでやってこれて本当に嬉しいです。願わくばこの気持ちが消えないことを・・・。

1999年12月10日金曜日

定演前夜

 いよいよ明日は定演です。KICの皆さん、最終調性は万全でしょうか? 泣いても笑ってもこれまでやってきた成果は明日で全て出ます。悔いの残らない素晴らしいステ-ジを作り上げましょう。とはいえ私の『大聖堂』は結構ヤバいのですが、まぁそこはそこ。明日は第三楽章に入った時私が早めのテンポで身体を揺らしながら弾いていたら絶好調、ゆっくり目のテンポでおっかなびっくり弾いていたら絶不調と思って下さい。ほぼそれで間違いないです。要は手がちゃんと暖まってるかどうかなんですけどね、なにせアップする暇は本番まったくないもので・・・。まぁ弱音ばかりも吐いてられません。やるといったらやるのです。さぁ、一年間執行部としてやってきた最後のまとめです。本番皆忙しいけど集中力だけは切らすなよ!!! 気合入れていこう!!!!!

1999年12月9日木曜日

あと2日

 定演まであと2日。カウントダウンもいよいよ最終局面です。光が見えてきたのはポピュラーアンサンブル、マジでやばいのは『大聖堂』。はてさてどうなることやら・・・?

1999年12月8日水曜日

ドーピング・・・?

 今日から忌無ばりにプロテインを飲みはじめました。『大聖堂』のための持久力と瞬発力対策です。もうドーピングみたいなもんですが、クラギタの世界にド-ピング検査はありません。弾けたもん勝ちです。同じそんなことやるならもっと早くからやっとけという声も聞こえてきそうですがそこはそこ。やるだけやるのです。この曲を弾くためなら多少の阿漕な手段は使わせてもらいますぜ・・・。

1999年12月7日火曜日

素晴らしかったBKC定演

 どうも久しぶりの日記の更新になります。理由はコンパと合宿です。そして今日も日記の更新がやたらと遅い深夜になってしまいましたが、それも某まりも氏と夜の3時過ぎまでウチで近所迷惑を顧みず『大聖堂』と『タンゴ・アン・スカイ』の決死の練習をしていたためです。御勘弁を。BKCはもう定演終わって楽でいいね・・・。

 そう、先週土曜はBKCの定演があったのですが、いやいやあれは凄まじかった。何が凄まじかったって『クイッカン』、『不良少年』、わっきーの『部長挨拶』、そして大合奏の最後の流れがもう・・・。大合奏の前指揮のキヨが出てくる前指揮者なしで『プロムナード』やってたのは誰の発案なんでしょうか? あれはかなり感じよかったです。KICの間では「あれはキヨが登場するためのテーマソングだった」という噂がまことしやかに囁かれていますが・・・。まぁそんな噂が流れるのもすべてはキヨのAアンの指揮が凄まじくカッコよかったからでしょう。モーツァルトの『25番』の最後に左拳を天空高く突き出してフィニッシュした時にはどうしてくれようかと思いましたが、それもカッコつけと思わせないだけの説得力があったのには完全脱帽。続く『ハンガリ-舞曲』の大きく弧を描くようなタクト捌きも見事と言う他なく・・・。いや~、参りました。あんたぁ凄ぇよ、キヨ。おかげで俺が振るポピュラーの指揮がヘボく見えるじゃねーか。まぁいいんだけどね。わしゃどうせ指揮は本職じゃねーし、俺は俺の味で勝負するよ。そう、いつものようにね。しかし驚いたのは『クイッカン』。あんな合わせるのが難しそうな五重奏をよくもあそこまでビシッと決められるものです。しかもあの執拗なまでの怪しいリフレインが個人的にかなり心にヒット。先年度F技の某F氏(ヨークマニア)と「あれは大したもんだ」と感嘆してました。『BAD BOY』もあの曲の儚さ漂う雰囲気を「儚い」という言葉がかなり似合わない二人がしっかり醸せていました。いい感じでしたよ。聴く度に演奏レベルが上がっていった気がします。さすがゴールデンコンビ。そして相変わらず演奏以上に魅せてくれるのがわっきーの部長挨拶。今回もさすがワッキーと思いながら聞かせていただきました。忌無はわっきーの部長挨拶にかなりショックを受けてしまい、「あ~、どうしよ~」とか帰り道ずっと悩んでましたぜ。オムからの提案で俺とにらめっこ二人で挨拶終了後前に出ていって渡した花束も心にヒットしてくれたようで嬉しく思います。定演終了後の君は熱かったよ。さすが我らが同胞BKC、素晴らしい定期演奏会でした。おかげで見に行ってよかったけど見なきゃよかったという微妙なプレッシャーが・・・。いやいや、俺らは負けん。どっからでもかかってきやがれ!!!!! というわけでこんな深夜まで開き直って練習してたわけです。学校にいる間はAアンやらポピュラーやらリベルやらのアンサンブル系ばっかやっててソロやる時間はないのでね。まぁ泣き言ばかりも言ってられません。とりあえずやれるだけやります。そう、やれるだけね・・・。

1999年12月3日金曜日

定演ブルー

 定演まであと一週間ほどとなり、微妙に内心ピリピリしている自分に今日気付いてしまってちょっと自己嫌悪。独重の前はそれとはまた別の要因でかなり精神的に潰れてましたが、今回は他に精神のベクトルの行き場がないのでもう直で定演のプレッシャーを受けてるせいもあるのでしょう。しかもまたフラメンコステ-ジ以外皆勤賞でフルステ-ジ出場するから色々なところで練習時間が取られてソロを納得できるまで練習する時間がないというのもまた一要因。そしてそれをどこかで言い訳にしている自分に気付いてしまうのもまたかなりブルー。あ~あ・・・。

1999年12月2日木曜日

就職活動と受験の共通点

 いや~、今また就職関連のサイトでちらと情報をチェックして回ってたんですが、なんだか就職活動のノリって大学受験とよく似てますね。皆必死で学校とか就職予備校の言うこと聞いて、参考書みたいなのも漁ってみたり、資料集めもしてみたり。就職活動は業界研究やら自己分析やら企業研究やら資格奪取やら各種面接、試験対策やらとやってることは受験勉強よりはいくらか実際的でも、「必勝!!!」とかいうノリとその言葉に藁にもすがる勢いで煽られる人間の立場関係は実によく似てます。たまらんなぁ。リクナビの今日の一句とか、本当に浪人してた時の予備校と同じ空気を感じるもの。各社の人事担当さんからのメッセ-ジとかもまた予備校講師のそれに似てるし・・・。どうやら大学4年を経ても我々が人生の岐路に立つ時のノリというのは結局のところ変わらないみたいです。少なくとも大部分の人は。私ですか? 私は受験の時からもう・・・。

1999年12月1日水曜日

ちょっとだけ恋愛論 - TVドラマの台詞を主題に

 どうやら今日は寒かったらしいですね。でも夕飯以外では部屋から一歩も出ていない私にはいくら寒かろうと関係ありません。今日も一日部屋で静養してました。おかげで書くこともないに等しいのですが、昨日テレビを付けてたらやっていたドラマを半分眠ったような状態で見ていて、その中で(おそらく)ヒロインが言っていた台詞がやや気になったのでそれについてちらと触れましょう。なんてドラマだったかな? とりあえず月曜9時からのドラマなんですけどね、キャスティング見てなかったんで誰が出てるのかとかもわかりません。そんな見ただけでこれは俳優の◯◯だ、とかわかる程私は芸能界には精通していません。とはいえ一応ゴールデンタイムだからメジャーどころが出てはいるんでしょうけど、それでも私はわかりません。ようするに疎いのです。刑務所やら人死にが出てくるドラマでした。半分寝てたのでよくわかりません。というかそろそろ本題に入りましょう。

 そのヒロイン(多分)曰く、「愛は虚しいもの。お互いの自由を奪い、時間を奪い、肉体を奪い、悲しみの中で終わりを迎える」、だったか、そんな感じの台詞でした。例によって寝かけてたんでよく覚えてません。とにかく大枠としてはこんな感じだったと思います。う~ん、さてさて皆さんどう思います? まぁある一面では真実だとは思うんですけどね。どう綺麗ごと言ったって、相手と一緒にいたいと思うことは相手の時間と自由をある程度奪っているという事は事実なんですから。でも、お互いがお互いと一緒にいたいと思った時に一緒の時間を過ごせたら、それは別にお互いを奪っていることにはならない訳ですし、要はエゴイズムの程度の問題のようにも思います。というかですね、そんな挙げ足取りのようなもんじゃなくても、端的に言ったらこれは恋愛に対する姿勢と結果の問題だと思うんですよね。このヒロインは、この一回分の話を見る限りでは過去の恋愛では幸せになったことはないらしいんですよ。で、それを通じて「恋愛は虚しいとわかってしまった」とかほざいて上の台詞を口にすると。大枠の流れはそうだったと思います。で、「相手に合わせて変わって行こうとして、理想の恋人になれたと思ったら云々・・・」と話は続く訳ですが、この際そこはカットします。で、そのヒロインの恋愛に対する姿勢ですが、基本的にネガティブですよね。あんな台詞を吐くくらいですから。それが彼女が過去の恋愛で幸せになれなかった最大の要因だと思うんですけど・・・。だって、一緒に時間を過ごすことを相手の時間を奪ってると感じるような極限にネガティブな思考回路の持ち主がどうやったら自分で幸せを感じられるんでしょうか? 自分が幸せを感じていられないと、それはどんなに隠そうとしても相手には伝わってしまうもの。そうすれば相手はそれが何故かと思い、幸せになれなくなっていく。お互いが幸せを感じることができなくなった二人は、そりゃ別れるしかないでしょう。当たり前です。要は姿勢の問題です。とはいえ逆に楽観し過ぎるのも考えものですけどね。一緒にいることが相手にとって拘束となってはいないか、たまに客観視するくらいの余裕は必要だとは思います。盲目的な恋が長続きしないのは主観の中に浸かり過ぎているから。適度なバランス感覚が長続きのコツかなと。そう、要はポシティブとネガティブ、主観と客観のバランス感覚ですよ。

 ・・・とここ数日まともに人に会えてない寂しさにまかせてどうでもいい当たり前の事をつらつらと書いてしまいました。やれやれだぜ。

1999年11月30日火曜日

自律神経失調症でダウン

 昨日、今日と往年の半持病である自律神経失調症にやられ、部屋から出るのもおろかベッドから立ち上がるのも一苦労のような状態でフラフラでした。とりあえず相当吐きまくりましたね。最後はもう吐くものもなく黄色い胃液だけがネト~ッと出てくるようなシュールな状態で、さらには水を飲めばその水を、薬を飲めばその薬を速攻吐き出すという酷いことになってました。まぁ今日の夕方からは随分復帰してきたのですが、いかんせん栄養が足りないため力は入りません。定演まで後2週間を切った状態で昨日今日と完全にブランクを空けてしまったのも悔やまれるところですが、おそらく明日も完全にいつものように弾き倒せる程の体力の回復は望めないと思うので精神的に参ってます。だから『大聖堂』・・・。

1999年11月27日土曜日

明日のMBSホール演奏前に一言

 今日はスタッフのミーティングがあり、予想以上の長期戦(二時間半休憩なしでぶっ通し)で精神疲労度がたまってしまっています。明日は大阪MBSホールでの演奏が控えていますが、リベルがかなりやばげです。『11月のある日』は何故か人前で弾くと緊張してうまく弾けない曲なのですが、まぁ大舞台でなら緊張感と集中力がどうにかしてくれるでしょう。往年の大舞台になればなるほど強いある種異常な本番強さに期待です。最大の問題は朝7時45分の集合に間に合うよう起きられるかどうかでしょう。

1999年11月26日金曜日

無題

 右手首の痛みがまたぶり返してきました。困ったものですね。

1999年11月25日木曜日

ヨッシー来襲

 今日は合奏の指導に来てくれていたヨッシーと練習の後他の仲間数名とともに飲んで帰ってきました。某指揮(ガス)より今日は俺が拉致されるらしいという話は聞いていたので、晩飯はそこで済ませてやろうと思い練習前の飯は何げにバナナとチーズで済ませていた甲斐はありました。とりあえず嬉しかったことはヨッシーが「ブランデンブルグの編曲は色々考えて作ってある。よくできてる」と誉めてくれたことでしょうか。あれは正直編曲の段階ではヨッシ-が見るという事をまったく想定に入れてなかったため、プロである彼が見るという事に気付いた時は内心「ヤバイ」と思ったものですが。まぁヨッシーのその一言と今日彼がおごってくれた酒であの尋常ならざる編曲の苦労はかなり報われた気がします。後は本番ですね。あの恐ろしい難度を誇る曲をどこまで完成させられるか。私が定演で涙を流すかどうかはそこと『大聖堂』の仕上がりにかかっています。・・・ってやべーよ、今日『大聖堂』弾いてねーよ・・・。

 以上、酒が入ると妙にDream Theaterの音楽がカッコよく感じる間違ったC技の日記でした。

1999年11月24日水曜日

やっと休日

 今日はたまの休日で、やっと床屋に行けました。これであのうざったく長過ぎた髪ともおさらばです。いや~、スッキリした。まぁそれで例によって最近珍しい一日完全フリーの時間が手に入ってしまったので(昨日まで私は今日も平日と思ってました)、思わずその後河原町に繰り出してCDを漁ってきてしまいました。今日はザッと3枚買ってきましたよ。それも現代曲ばっか。デュアルテの『北極組曲』とか。怪しいです。

P.S. 今日は家にラミレスも持って帰ってたので、大阪に向けて弦も張り替えて自分の演奏をMDで録って聴いてみたのですが・・・、やばいって『大聖堂』・・・。

1999年11月23日火曜日

松坂商業ギター部発表演奏会

 ここ数日日記の更新ができずに申し訳ありませんでした。理由は飲み会と私の肉体疲労です・・・。昨日はわざわざ三重まで某M商業の発表演奏会をバスタ-しに行ったのですが、いや、相変わらず大したもので。京都コンサ-トホ-ルよりもまだ大きいホ-ルでもノーマイクで聴けるだけの圧倒的な数の暴力には降参です。しかもその大人数でどうしてあんなにピッタリ合うんだ!? ヤツらに比べればウチも某N永合奏団も所詮は児戯といった感じですね。いやいやマジで。とりあえず『バロック風フニクリ・フニクラ』はどう聴いてもブランデンブルグの5番だろとか、朗読劇はもうちょっと聴いててこっちが恥ずかしくならない程度のものを選んでくれとか、不必要なまでに飛び跳ねんな指揮とか、微妙に細かいツッコミ所はありましたが、演奏の方はもうとことん堪能させてもらいました。あれが高校の部活というんだからちょっと嫌になります。そらイタリアにも演奏旅行に行けるだろうよ。聴いてて本当にプロのオ-ケストラにも負けないだけのスケールがあるんだから大したものです。羨ましいですね。一回でいいからあんな中で弾いてみたいものです。練習とかその他色々な意味で厳しいんだろうけど。っていうか『海のファンタジ-』やっぱいい曲だって。弾かせろオレにも。

 そして客演の藤井敬吾氏の演奏もまた素晴らしかったです。ネットでクラシックギタ-系のサイトを回ってると尊敬するギタリストに藤井敬吾氏を挙げる人がやたら多いのもわかる気がします。ハッキリ言って出てきてヒョコッとした礼をしてチョコンと椅子に座りやがった時にはただのみすぼらしいオッサンに思えたものですが、弾き出したらこれがもう・・・!!! 一糸乱れぬ演奏とスッキリしてるのに情感溢れるクリアな音色にもう虜でした。『アルハンブラ宮殿の想い出』も信じられんくらい粒の揃ったトレモロとくどくないのにいやに情感溢れる演奏でよかったのですが、何よりもヤツが弾く『羽衣伝説』がまた無茶苦茶カッコいいんだ。端で見てても何やってるのかよくわからない恐ろしい特殊技法も満載でしたが。キラキラ輝く超高音ハーモニクスと並行して走る左手だけの低音旋律とか、理解は可能でも実行は不可能な技術もまた・・・。思わず『羽衣伝説』も弾きたくなってしまいましたが、やはりそれはやめておきます。弾けてたまるか、あんな曲!!!!! おそるべし藤井敬吾。微妙に弾いてる姿とオーラはPCKとかぶってました(←にらめっこも同意)。ということはPCKも今後の精進次第ではあのクラスに・・・?

1999年11月20日土曜日

無題

 僕ァ色々な意味で疲れました。今日は龍大の定演で、それはやはり素晴らしい演奏会だったのですが、今の私にはそのレポ-トを書く気力がありません。明日以降気合があれば書きます。とりあえずおかげで最近「弾けるか、ボケぇ!!!!!」と半ば投げ出し気味だった『大聖堂』に対する情熱が蘇りました。合奏でも彼らにあってうちらにないもの、音楽をやる上で欠けてはならないものを思い出させてくれました。行ってよかったです。いい刺激になりました。

1999年11月18日木曜日

寒空と流星

 外は寒いね。っていうか部屋の中も結構寒い。今夜は空が曇ってますが、無事に流星は見られるのでしょうか?

1999年11月17日水曜日

一気に冷え込み

 今日は何だか一気に気温が下がり、とうとう冬もやってきたかと思わせる日でした。思えば去年も11月の今頃のある日に突然気温が下がり、そこから本格的に冬に入っていったような記憶があります。そう、去年はそのいきなり寒くなった定演2、3日前の夜の日に私とシノさんと忌無とまりも氏は船岡山(漢字不詳)で獅子座流星群を見るために凍えるような思いをして徹夜で星空を眺めていたのでした。あれはマジで凍死するかと思いましたからね。思えばあの日に私は今日着ていたあの青系グレーのチェックのコ-トを初めて出して着たのでした。そして実に運命的なことに、今年も明日の晩にまた獅子座流星群がやってきます。また寒くなりはじめの夜です。今年もまた去年のように凍てつく冷気の中震えながらライターの火で暖をとりつつ空を駆ける流れ星達を見届けに行くのでしょうか。BOXを出た後去年のように・・・?

1999年11月16日火曜日

学祭日記

 昨日、一昨日は立命の学祭でした。が、土曜日は学祭とはいえまったく容赦なしに部活の練習がレギュラーメニューでありましたが。その練習の後、まず学祭の手始めとして椎名林檎のコンサートへ。客電がおりて始まったと思ったらまず立命の校歌が流れるのに一回腰を砕かれ、一番が終わって皆「ウオー!!!!!」とか言ってたら続けて二番も流れるのにまた腰を砕かれ、とどめとばかりにやっと椎名林檎とそのバンドがステ-ジに現れたと思ったらやる曲がいきなりピンクレディーの『UFO』で腰を砕かれ、もう出だしからやられまくりでした。カバーや未発表局が大半を占める実にシュ-ルなコンサ-トでしたが、椎名林檎のやはりただ者ではない人間性とメガフォンで歌った『幸福論~悦楽編~』には痺れさせてもらいました。いや~、あの曲は歌詞がいいよね。そして次の二日目はまずウチのフラメンコメンバーが大夜祭ステ-ジの昼の部に立つのでその応援に行ってきました。手には『男だぜ! K!!』と書かれたお手製の横断幕を持って。一緒にカラオケに行っても絶対歌わないエースが普段からは想像もできないような熱い歌声を・・・!!!!! 彼が歌い出した瞬間に女性陣が歓声を上げ、横断幕が広がり、野郎軍団も声援を送りました。ステ-ジの上のエ-スはその横断幕を絶対に見ようとはしませんでした。ん~、マンダム。おかげで演奏後のインタビュ-でもエースは引きずり出され、いじられてしまいました。あれはこちらとしても予想外。でもそれもアリです。こっちもパルマ叩いたり「オレ!!!!!」と叫んだり『セビジャーナス』歌ったりと楽しませてもらいました。Fメンバーの皆さん、お疲れさま。そしてその後は適当に出店を回ったりして大夜祭を過ごしていたのですが、前日の徹夜の余波やら何やらで皆疲れていたのでマザーグースでお茶した後に、結構早めにお開きとなりました。まぁ私はその後さらに弟と飲んできたのですが・・・。いや~、疲れましたね。

1999年11月13日土曜日

1999年度関西大学ギター部定演

 今日は関大さんの定演にクラブの皆を引き連れて行ってきました。ところが、行く時私は家にいたので西院集合で他の執行部とは別働隊として動いていたのですが、チャリで来た執行部軍団が事故に巻き込まれて(あったのではあくまで巻き込まれた)遅れるという。それで幸か不幸か別働隊で動いていた私は西院に集まっていた1、2回生総計10人を引き連れて執行部一人引率として行ってきました。後でコンサ-トに遅れてきた連中の話を聞くと、実にまぁシュールな状態だったようで・・・。大変でしたねといったところでしょうか。まぁ長い人生そんなこともありますって。

 で、肝心のコンサートはいきなりBKCのKIYO編曲のモーツァルトのディベルティメントから。編曲者のクレジット見た時ビックリしましたよ。いつの間にヤツぁ関大さんにディベルティメントの編曲を進呈していたのやら。まぁこれは女の子ばっかの四重奏だったのですが、軽妙なリズムと小気味いいハ-モニーをよく出していてとてもスッキリ聴けてよかったです。いい演奏でしたよ。KIYO、君の編曲の苦労は彼女らがちゃんと実にしてくれたよ。よかったな。そして続く関大のお家芸『コユンババ』は脈々と受け継がれた関大コユンババの底力を感じさせるさすがの演奏でした。その後も実に関大らしいいい意味で自由なステージが続いていきました。二部でやった二重奏の『回転木馬』の第三楽章がえらい気にいってしまい、思わずアンケ-トに譜面くださいと書いてしまいました。あれの2ndは楽しそう。そして個人的に一番楽しみにしていたバッハの『シャコンヌ』。直に見るのは初めてではありませんが、相変わらず凄まじい曲です。私もいつか弾きたいとは思っているのですが、さすがにあれに挑戦するだけの技術と気合はなかなか・・・。演奏の方は最後ちょっと力尽きてしまった感もありましたが、あの曲は弾けるだけで相当なものがありますからね。大したものだとは思います。欲をいえばもう少し荘重さと荘厳さがほしかったかなというところでしょうか。そして大合奏。シベリウスの『カレリア』を見事に息のあった演奏でしめてくれました。彼らの演奏会は演奏はしっかりしているのに空気にかたさがないのが素晴らしいところですよね。毎回そう思います。今日の演奏会はウチらの定演に向けての凄くいい刺激になりました。彼らのおかげでやる気もまた出てきたし、ウチらのアンサンブル(重奏含む)に欠けているものも再確認できました。関大さんの定演は最高にいいステ-ジだったと思いますが、ウチらもそれに負ける訳にはいきません。時期的にもウチらの定演が知る限りの関西圏のギタ-部の演奏会のシメになる訳で、何よりもこれまであんなにのめり込んできた執行部活動のシメになる訳です。これまで各種演奏会や通常活動、あるいはプライベートで最高の時間と空間を共有してきた仲間達と作り上げる、実質的には最後のステ-ジです。悔いは残したくないですし、どうせなら後世まで語り継がれるような伝説の定演にしたいですよね。さ~て、気合入ってきたぞ・・・!!!!!

1999年11月12日金曜日

エース応援団募集中

 最近のエースはひと味違う。学祭のフラメンコステージ、エ-スの熱き歌声に刮目せよ!!!!! 只今エ-ス応援団員緊急大募集中です。

今日の一言:俺の屍を超えていけ!!!!!

1999年11月11日木曜日

アンラッキーな日々

 どうも最近イマイチついてません。この前もチャリでクラッシュをかましてしまいましたが、また今日もやってしまいました。部活が終わり、例によってBOXを追い出されるまでギタ-弾いてて帰りに皆でカレーを食べに行こうという話になりチャリで西大路を下っていたまではよかったのですが・・・。途中微妙にディ-プでコアな話をしていて、そっちに頭の回路がいってしまっていた私はまたやってしまったんですね。頭の中で色々考えてて、ふっと前を見たらそこには道端駐車してある原チャの群れが・・・。ヤバイ、と思ってどうにかハンドルは切ったのですが、それでも最後まではかわしきれずに左足で何台かの原チャにアタックしてしまいました。そしてそのうちの一台は見事に倒してしまいました。もう散々です。おまけに後で見てみたら左足の当たったところから血が出てるしさ・・・。とうとう流血の惨事を招いてしまいました。いや、別にちょっと血が出ただけでどって事ないんですけどね。しかし最近微妙についてません。この前も自動販売機でジュ-ス買おうとして50円ドブに落としてしまったし。やれやれです。それともただ単に私のボケが進行しているだけなんでしょうか?

1999年11月10日水曜日

退廃する衣笠CGC

 衣笠CGCが最近いよいよもって『もうダメな集団』になりつつあるような気がしてならない今日この頃、皆さん如何がお過ごしでしょうか。ボカぁもう、ボカぁもう・・・、何なんでしょう? 自分でもよくわかりませんが、微妙に色々と何げにシュールな面もちです。結局何が言いたいのかよくわかりませんが、まぁ端的に言うとそういうことなんです。納得して下さい。ほ~ら、そういうことだろう?(←だからわかんねーって!!!!!)

1999年11月9日火曜日

飲み過ぎ新記録

 昨晩はさすがに飲み過ぎました。2人で飲んでて生中8杯にウイスキ-新品一瓶、さらにブランデーを約半分・・・。そら潰れもするっちゅーんじゃ。もし私の体調が悪ければ昨晩で人生に幕をおろすことになっていたでしょう。とはいえ意外に朝の目覚めは爽やかだったのですが(しかし後からジワジワきた)。まぁ今日はおとなしくもう寝ます・・・。

1999年11月7日日曜日

突き進め、退廃の道

 今日は部活が終わった後珍しく早めに家に帰り、その後弟と飲んでました。とはいえヤツは9時からバイトがあったのですぐに帰り、私はヤツが帰った後一人で飲み屋に残って小一時間程のんびり一人酒を楽しんでました。まぁたまにはそんなのもいいものです。そして家に帰って本など読みながらDREAM THEATERのアルバムを聴いていたらシノさんより電話があり、これからカラオケに行くが来ないかという。・・・迷わず行ってきました。そして今帰ってきたところなのですが、帰りにコンビニで明日の朝飯を買っていたらクラスの仲間より連絡があり、明日飲まないかと言います。・・・そして明日も飲んできます。最近飲んでばっかですね。なにげに昨日も飲んでたし。いい機会です。これを機に酒に溺れて一気に人生退廃モードに入ってしまうのもまた一興かも知れません。どうせならもうドロドロとね。・・・面白そう。

1999年11月6日土曜日

哀愁の秋

 なんのことはない、ちょっとした精神の歪みを季節が妙に誇張して感じさせているだけなのかも知れません。秋はいけませんね。毎年10月末から11月末にかけて微妙にブルーな日が続くんですよ。それも本格的にブル-なんじゃなく、何かわからんけどイマイチ気分がのらないとか、意味もないのに妙に感傷に浸ってみたりとか、そんな漠然としたブルーさが続くんですよ。まぁ私だけに限ったことではないのかも知れませんが。秋はね、プライベ-トではあまり幸せな思い出はないものでね。・・・って、要するに寂しいだけなのか!? それじゃああまりに安直だから、どうにかこうにかもうちょっとマシな理由を見つけたい今日この頃、しかしそれもどうにも見付からない今日この頃、おかげでまたブルーになれそうです。

1999年11月5日金曜日

自転車ハプニング

 今日はBOXからの帰り、いつものようにコンビニで明日の朝飯を買ってからふらふらと帰ってきたのですが、その途中でちょっとしたハプニングに見舞われてしまいました。私は何となくポ~ッとしてゆらゆらと自転車をこいで家路についていたわけですが、ふと前を見るとわき見をしながら同じくゆらゆらと自転車をこいでいる男がいます。私は「ゆらゆらしてるなぁ」とか思いながらふっと彼とは逆の方に目をやって走っていたのですが・・・。次の瞬間、全身になかなかの衝撃が走ってくれました。見るとさっきの彼と私の自転車が正面衝突しています。左手に下げていたコンビニ袋からサプリとパンが弾けていくのが視界に移りました。まだ右手が完治していなくて自転車のハンドルを軽く握っていた私は踏ん張りもききません。堪えることも能わず私は自転車からほうり出されました。そして反射神経とは恐ろしいもので、いざという時には実に正確かつ冷酷な判断を下してくれます。右にポ-ンとほうり出された私の身体をアスファルトとの衝突から回避するため、自身の反射神経が選んだ方法は「右手でとっさに手をつくこと」でした。実に妥当な判断です。いつもならそれで事なきをえたでしょう。しかし、私の右手はまだハンドルをまともに握ることすらできないダメ-ジを負っているのです。・・・手をついた瞬間、右手首に新たな激痛が走りました。たまったもんじゃありません。こういう時は意外と冷静にポ-カ-フェイスを決め込む私の表情も思わず歪んでしまいました。しかも相手とお互いにわびを入れて、さて帰ろうかと思って自転車をこぎ出したら、なんかペダルがカラカラ回るんですね。そう。・・・チェーンが外れてました。私の自転車は工具がないとチェーンが外れたのは直りません。そして普通の部活帰りの人間がそんな工具など持ってる由もありません。時間は夜11時過ぎ。自転車屋など開いてるはずもないでしょう。・・・円町から歩いて帰ってきました。ふふふふふ・・・。

1999年11月4日木曜日

Dream Theater『SCENES FROM MEMORY』

 今日は久し振りにまったく予定なしのフリーデイ。資格試験がまだ終わってないうちはC技として半ば義務的なBOX休日出勤が強いられていましたが、今日はそれすら義務ではありません。でも結局BOX行ってましたが(爆)。まぁとりあえずその前にJEAUGIAに行って、やっととうとう念願のDREAM THEATERの新譜を買ってきました。あの名盤『IMAGES AND WORDS』に収録されている中でも特に名曲との誉れ高い『METROPOLIS』の続編と言うんじゃあ買わない手はありません。商品棚でジャケットを手に取った瞬間から、その実にアーティスティックでカッコいいデザインに魅了され、どんどん期待は高まっていきました。で、今何度目かの聴き返しをしているのですが、いや~、往年のDREAM THEATERが帰ってきたって感じですね。素晴らしい。『IMAGES AND WORDS』のようなドラマ性に、最近の彼らの要素が見事なまでにいい形でミックスされてます。たまらんねぇ・・・!!!

今日の一言:踊らされるな、自ら踊れ!

1999年11月3日水曜日

噂の終結

 やっぱりどこか間違ってる衣笠CGC、今日も今日とてMKにボ-リングに行った後我が家で飲み会でした。例によって皆が帰った後朝Macでの更新です。面子はいつものCメンバーに、今日は珍しくエ-スも参入。普段の彼からは想像もできないような熱い語りを聞かせてくれました。さて、一部の人に暗号メッセ-ジです。

「No、って言っただろう?」

1999年11月2日火曜日

RAINBOW-STAFF新人研修開始

 今年もRAINBOW-STAFFの新人研修が始まりました。今回は去年と違って私は研修で直接矢面に立ってマイクを持つということはないのですが、一応去年の研修担当ということで今年の研修班のアドバイザーみたいな感じで関わっています。しかし去年私が研修をやっていた新人さん達が、もう今年は新しくはいってきたスタッフの卵達に向かってマイクを持って喋っているんだなぁと思うとつくづく時の流れるのは早いものだと思います。子を見守る親の心境ってこんなんなんでしょうかね? う~ん・・・。

1999年11月1日月曜日

ことばの逆説

 饒舌であることが常に何かをうまく伝えられることとイコ-ルであるとは限らない。時に言葉少なな囁きが、すべてを伝えることもある。何処かの誰かはこういった。真実は常に小さな声で囁かれる、と。

1999年10月30日土曜日

HAREM SCAREM『Believe』

You have to believe the souls and the will live on
When all is gone, your faith pulls you through
Don't wait for the moment
When time leaves no chances to pour out the answers,
Don't hold on to find out
Your tomorrows were sold out to save me from harm

HAREM SCAREM『Believe』


1999年10月29日金曜日

無題

 いい加減髪が伸び過ぎて邪魔になってきたので、今日は例の黄緑色のバンダナを頭に巻いていました。それ意外特にネタはないです。そう、今日は仕事で久し振りにMacの対応をしました。学校のOPRでMacのネットワ-クの設定をいじるのってなんて久し振りなんだろう・・・!!! なんか嬉しかったです。

1999年10月28日木曜日

誕生日

 昨日は私の誕生日。色々な人からかなり盛大に祝ってもらいました。ここ数年誰かにまともに誕生日を祝ってもらったことのなかった身としてはやっぱり嬉しかったです。皆さんありがとう。しかしその飲み会の余波で今日は一日轟沈状態。とことん集中力を欠く状態でボ~ッとギタ-弾いてました。そう、私が今日ラテンを休んだのは家で死んでたんじゃないかという噂も流れているようですが、純粋にその時間にマスコミ就職研究会の集まりが入ってしまって行けなかっただけです。PCKには今日休む旨は伝えておいたんだけど、そのPCKが今日はフラメンコの伴奏で出払ってたから誤解が生じたようで・・・。ま、いいんですけどね。誤解はとけたし。さて、今日はもう寝ます・・・。

1999年10月26日火曜日

月夜のBGM

 今夜の月はとても綺麗ですね。雲ひとつない空に(おそらく)満月が静かに浮かんでいます。こんな夜にはBlackmore's NightをBGMにして感傷に浸るのもアリでしょう。♪shadow of the moon~、ってね。『Under The Violet Moon』もたまらなくいい曲ですよ。

1999年10月25日月曜日

ブランデンブルグ完全版

 「せっかくいいバスギターがあるんだからそれもAアンで使いたい」、そんな要望がKICの専属ベ-シストであるところの参謀PCKよりよせられていました。その要望を受ける形でこれまでのアルト、プライム、コンバスの編成にさらにバスを足した完全版のブランデンブルグ協奏曲の編曲ができあがりました。さぁ、これでどうだ!? バスが入ると原曲のチェロパートを3rdのプライムに移す際音域が足りずにオクタ-ブ上げてたりしたところを原曲のままで弾いていけるので音の層に厚みが増してなかなかいい感じです。しかしただでさえアルトの本数が少ないウチのアンサンブルの実情で、これ以上さらにベ-スを強くしてどうするというツッコミもありそうですがまぁそこはそこ。アルトパートは爆音野郎が揃ってるからどうにかなりますって。データはいつもようにいつものごとく、クラギタ標準のSSW形式ZIP圧縮ですのでヨロシク。


1999年10月24日日曜日

アンサンブル・オズと野辺氏製手工アルト

 今日は初めて本格的に定演のポピュラーアンサンブルの合わせ練習をしました。今回やる曲は『アンサンブル・オズ』ということで映画『オズの魔法使い』より『Over The Rainbow』と『Feed The Birds』です。このアンサンブルでは私はギタ-弾かずに指揮を振るので、とにかく曲の完成像を自分の中でイメ-ジするのに労力を費やしてます。まぁ2曲とも高校時代合唱部(正式名称は音楽部だったが)でやった曲ですのでまだやりやすいですかね。『Feed The Birs』の方はritかけたり急にテンポ上げたりフォルテとピアノ、短調と長調の対比が激しかったりと表現的にはなかなか忙しい曲なので、指揮振ってて面白そうだからよいです。いい曲ですしね。練習内容の方は予想以上に順調で、他のアンサンブルと比べて出足の遅れたこのアンサンブルも定演までにいい感じに仕上がってくれそうな雰囲気を醸してくれました。素晴らしいですね。

 その後は私がギターを習いに行っている教室のミニコンサ-トを聴きに行ってきたのですが、なんというかまぁやはり聖帝は凄かったというところでしょうか。腕利き揃いの合奏団の中でも格が違ってましたね、正直。そう、今回は合奏団員の独重奏と合奏のコンサ-トだったんですけども。というか聖帝がいないと弾けない曲何曲かあったぞ、合奏で。それはアリなんでしょうかね? で、コンサートが終わった後G.S.J.K.と共に控え室まで乗り込んで、ウチの部がこの合奏団に貸してた野辺氏製作の手工製アルトを返してもらってきました。もうコンサ-トのステ-ジでさっきまで弾かれていたヤツをそのまま。ちょっと前に製作者である野辺氏本人に点検してもらったばかりだそうで、最高のコンディションのヤツが返ってきました。ちょっと驚いたのはあのギタ-、中のラベルのところに「このギターは立命館大学クラシックギタ-部の為に製作す」って紙が貼ってあるんですね。それを見て「ああ、ウチの部のギターなんだな」って思いました。これでアルトの本数不足も多少は緩和です。さて、あと一本をどう調達するかですね。まぁまぁどうにか適当になんとかしましょう。

1999年10月23日土曜日

マスコミ就職研究会

 今日はマスコミ関連の就職研究会の発足式(?)のようなものがありました。コンピュ-タ関係の仕事と並行して出版系の企業も回ろうかなと思っている私はとりあえず行ってみたのですが、そこでは足を運んだ時点では思いもよらなかった事態が待ち受けていました。

 このマスコミ就職研究会というのは一種の自主ゼミのようなもので、出版、放送、新聞、広告とおおまかなジャンルに分かれた後にその中で8人程度の小グル-プを作って、そのグル-プの中で情報交換をしたり対策を立てあったりするという主旨のものなのですが、そのグル-プ分け、ジャンル別に分かれてから後は誰か適当に仕切って分かれてくれっていうんですね、就職部のお方は。で、最初座った席がちょうど出版の集合場所になっていた私はそこを動かずに他の出版の人が集まってくるのをじっと座って待っていたわけですが、そしたらまぁ気付いたら私が真ん中にいて他の人が私を取り囲むような陣形になってしまっていたんですね・・・!!! で、誰かが仕切らないといけないと。皆机の周りを囲むようにして立っています。私はその机の真ん中の椅子のところでボ~ッと立っています。・・・気付いたら何故か私がそのグル-プ分けの仕切りになっていました・・・!!!!! 初対面の数十人の群集を相手にいきなり仕切りをやるハメになるとはまったく思っていませんでしたよ、私ぁ・・・。しかも小グル-プに分かれてからも周りはおとなしい人ばかりだったので、もうこうなったらとことんやってやろうじゃねーかということでホントに最後の最後まで仕切りやってました。しかも最初に仕切りやってたもんだから他のグル-プの人にも顔覚えられて、食堂で見かけた時も軽く会釈などするくらいになっていました。う~ん、人の輪が広がるのは嬉しいことなんだけど、ホントにこのガイダンスに出てジャンル別に分かれる瞬間まで自分が仕切りやるなんて気はまったくなかったんですけどねぇ・・・。まぁでもおかげで人の輪は大きく広がってくれそうなんでO.K.とします。それもまた人生でしょう。

1999年10月22日金曜日

風邪疑惑

 今日は朝風呂を浴びて元気に学校に行ったのに、何故かイマイチ体調がすぐれずにいました。この体調の悪さは偽りのものなのかそれとも本当に具合が悪いのかで随分検討しましたが、どうやら本当に風邪をひいたようなので今日はレッスンが終わってからBOXに帰らずに家で休養を取ってました。まぁ今日は部活もないしあえて無理をするところでもないかと思ったんで。胃の痛みが続いてるのが微妙に気になるのですが、風邪自体は軽いものだと思う(多分)ので、明日には元気に復活してることでしょう。そういえば去年も丁度今頃風邪ひいてくたばってたような・・・?

1999年10月21日木曜日

一人酒

 右手に断続的に走る鈍痛はまだ取れてくれません。でもまぁ日常生活にはまだ多少の支障は残っているものの、ギターを弾く分にはもうほとんどO.K.なのでよしとします。今日はBOXから出た後どういうわけか「うん、今日は飲もう」と思い、珍しくビ-ルを買って一人で飲んでます。しかし困ったことにビールを一本空けると変に調子が出てきて、買ってきた二本のビールだけではとても満足できそうにないんですね。家にあった酒はウイスキーもブランデーも9月の飲み会ラッシュの中で飲み尽くしてしまっていますし、今からコンビニに買いに行くのも微妙に面倒です。この前もらったトリスがあるのでそれをストレ-トで飲んで紛らわしましょうか。でも明日朝9時から仕事なので無茶に飲むわけにもいきません。困ったものです。何故か微妙に人恋しかったりもします。今KIYOから電話がありました。部活の用件でしたがちょっと嬉しかったです。何があったわけでもないのですけど。まぁ飲む口実としてはゼミ発表無事に終わっておめでとうというところでしょうか。最近Aアンの練習に時間を取られてソロの練習をする時間がありません。おかげであまり練習してる気がしないです。合奏も好きだしギターがあればそれだけで結構幸せなのでそれが嫌というわけじゃないんですけど、『大聖堂』がまだ弾けてないだけにちょっと焦ります。明日3、4限休講です。午後からBOXに詰めて好きなだけ弾き倒します。でも夕方からレッスンです。最近チャリで西院まで出るのがちょっとおっくうになりつつあるのですが、でもレッスンは行きたいので頑張って行きます。外書講読予習しないといけません。でも今はそんな気分じゃないです。ステレオからはZENOの『Listen to the light』が流れています。いいアルバムです。メジャーになりえなかった故の良質の音楽がそこにはあります。微妙に心の琴線に触れますね。ドイツに行きたいな。ドイツ語できないけど・・・。

1999年10月20日水曜日

遅すぎた気付き

 明日ゼミ発表だというのにその事実に気付いたのは今日の午後に仕事をしている時・・・。これからマジで寝ずに準備しなければなりません。さ~て、間に合うかな・・・?

1999年10月19日火曜日

破壊遊戯の着信音

 最近PHSを機種交換(番号は変化なし)した私ですが、着メロの入力ができる機能が妙に嬉しくて、思わずフルメモリーを使い切る力作を作ってしまいました。曲は知る人ぞ知るアメリカの様式美系HMバンド、SYMPHONY Xの『The Damnation Game』です。訳して『破壊遊戯』。私に電話がかかってくる度にあの怪しい着メロが・・・!!!!! 周りの人間には人種・嗜好を問わず「これは凄ぇ」と評判です。苦労して作った甲斐があるというものでしょう。もう一つ新たな着メロを作るのに、今度は同じバンドの『Out Of The Ashes』に挑戦しようと思っています。

1999年10月18日月曜日

村上龍『ヒュウガ・ウィルス』

 今日は怒涛の14時間睡眠から目覚めた後、日用品の買い出しやら洗濯やらで久しぶりに家の雑務に時間を費やしていました。こんな平和な日曜は一体どのくらいぶりでしょうか。おかげであまりの静かさが時に微妙に寂しさを煽ってくれたりもしました。困ったものですね。

 で、今日は夕方から村上龍の『ヒュウガ・ウイルス』を読んでいて、間にギターを弾いたりしつつさっき読み終えたのですが、これはなかなか興味深いテーマを扱ってます。とりあえずここからは作品のネタばらしにもなるので、これからこの作品を読もうと思っている人はここから先は読まないことをお薦めします

 この小説はある地域で発生した原因不明のウイルスをUG軍(まぁ日本軍ですか。舞台がパラレルワ-ルドで、日本は超大な軍事国家という設定になっているのです)の化学戦特殊部隊(というより医・分子生物学者兼職業軍人と考えた方が近い)がウイルスの分析と発生源の処理(要するに焼き討ち)を目的として現地に乗り込んでいくというストーリーなのですが、明らかにエボラをモチ-フにしたと思われるその致死率100%の克服法が意味深なテ-マとなって出てくるわけです。この作品で出てくるヒュウガ・ウイルスが人間に与える致命的なダメ-ジは3つあって、それぞれ内蔵の溶解と出血、筋収縮発作による頚椎の骨折、そしてヒスタミンの異常分泌によるアナフィナキシー・ショックなわけですが、内蔵の溶解と出血は通常の医学でどうにか対応できますし、筋収縮発作は『向現』と呼ばれるこの作品の中の架空の麻薬で抑え込めます。しかし最後のアナフィラキシ-・ショックだけはどうすることもできないというのがこのウイルスを調べた結果でした。薬品でこの症状を抑えようとすればバケツ一杯の抗ヒスタミン剤が必要で、現実問題としてそれだけの量の抗ヒスタミン剤を発作が始まってから死に至るまでの僅かな時間で投与するのは絶対不可能なわけです。では、このアナフィラキシ-・ショックから生還するための条件とは一体何なのでしょう。以下に作品の中で部隊の隊長であったオクヤマが言った台詞を引用します。

インターロイキンという液性タンパク因子がある、~中略~ インターロイキン1と14は、たとえば次のような場合に一斉に大量に作り出される、オンリンピックの100メートルの決勝のスタ-トラインについている選手、また大きなレ-スに出走前のレーサー、大切なコンサ-トで今まさにカデンツァを弾き始めようとしているピアニスト、そして兵士だ、兵士は、~中略~ あらゆるときにインターロイキン1と14を作り、危機意識をエネルギーに変える、~中略~ 圧倒的な危機に直面し、それをエネルギ-に変えるような局面でのみ分泌されるのだ、~中略~ たぶん、インターロイキン14が誘発する何かが筋収縮発作直後のヒスタミンと結合してアナフィラキシ-・ショックを抑えるのだろうと思う、~以下略~


 ちょっとわかりにくいかも知れませんが、要は極限の緊張と集中力を要求される場面で分泌されるインターロイキン14という物質(インターロイキン14は作品内の架空のもの。1~13までは実際に存在してます)が致命的な発作を抑制するということですね。つまり、日頃からその極限の緊張や集中力が要求される場面で危機感をエネルギーに変える作業に慣れているかがこのウイルスに打ち勝てるかどうかの分かれ目なわけです。作品の中では途中までしか描かれていませんが、このウイルスは世界中で人類を最後の審判にかけていくのでしょう。「圧倒的な危機感の中、それをエネルギーに変えて前に進んでいくことがお前にできるか?」と。

 たまにそのような瞬間、この作品の中でいうところのインターロイキン1と14が大量に分泌されているのを感じるような瞬間、を感じることがあります。例えば卓球の大会で勝ち進んでいって極限まで集中力が高まっている時、あるいはバンドでライブをやっている時のある瞬間、最近では独重で『シャコンヌ』を弾いていた時。妙な昂りとともに視界が一点に集束していくかのような感覚を覚え、実際にはありえないくらいの早さで思考も動作も処理されていく。「膨張する時間は静止に近い」とどこかに書いてありましたが、まさにそんな感じです。卓球なら相手がドライブを打ってからこっちが打ち返すまでの時間、アマチュアとはいえ0.3秒もないでしょう、その間に「あまい?(スマッシュが)打てるか? いや、迷うな、打て!」と頭の中で回り、そして実際に打って決められるわけです。演奏の場合も次の一音、また次の一音と、こっちは私の場合いちいち本番で考えてやるわけではないにしろ、その音に向かって自分のイメージが正確に伝わっていくような、すべてが表現できるようなそんな気になれます。そしてその瞬間がとても気持ちいいのです。本当に他のどんな瞬間よりも。前にも日記に書きましたが、私はその極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて以前は卓球やバンドをやり、今はギターを弾いているわけです。不思議なことに、小さな舞台ではその感覚が味わえることってないんですよね。卓球の時はそれでもまだありましたが、演奏系では何故か大きな舞台でないと、その緊張感がないとその最高の瞬間になかなか巡り会えないんですよ。それが「圧倒的な危機感をエネルギーに変えていく」ことなのかもしれませんね。しかしそれでもその最高の瞬間ってのはこれまで数えるほどしか味わってないわけで、常日頃から危機感をエネルギーに変えていくような作業をしているわけではない私がヒュウガ・ウイルスにもし襲われたら、その時は生き残れるかどうかは難しいところでしょうね。

 平和な日常、ともすれば生活がだるいだけとも感じがちな現在の世界の中で、その極限状態で何かをやる時の興奮を知らないままにいる人は案外多いのかも知れません。今の日本をこのヒュウガ・ウイルスが襲ったら一体何人が生き残れるのでしょう?

1999年10月17日日曜日

徹夜の

 期せずして二日連続で徹夜というハードな日常の中に放り込まれた私ですが、さすがに今は恐ろしく眠いです。BOXでもあぐらをかいた姿勢のまま数十分の昏睡状態に陥りました。首筋に冷たい手を当ててもまったく目覚めなかったそうです。そして私もそのようなことを感じた記憶はまったくありません。爆睡です。やはり疲れているのでしょう。今日はもう寝ることにします。ローヤルゼリーでも飲んどこうかな・・・。

1999年10月15日金曜日

りゅうりゅうの精神年齢鑑定

 さてさて、世の中には来訪者の精神年齢を鑑定してくれるという実にシュ-ルなサイトも存在しています。『りゅうりゅうの精神年齢鑑定』というページもその一つですが、ここはマジでシュールな鑑定結果を返してきてくれます。私も今ちょっとやってみましたが、こんな結果がでてきました。

あなたの精神年齢は36歳です
あなたの精神は『中年』になりかけています。一人前の大人です。若々しさは
ほどんどなくなりましたが、代わりに大人としての風格が目立つようになって
きました。しかし、そろそろ年を考えなければならなくなりそうです。

実際の年齢との差15歳
あなたは実際の年齢より大人びています。同年代の人よりしっかりした性格の
持ち主で、周りの人々に頼られてお兄さん(お姉さん)役を努めてしまうこと
もあるでしょう。そこがあなたのよいところです。

幼稚度48%
あなたは小学校中学年並みの幼稚さを持っています。がんばって一人でなんで
もできるようになりましょう。

大人度71%
あなたはもう立派な大人です。十分に精神が発達していると思われます。

ご老人度39%
あなたからはかなりおじいちゃんっぽさが感じられます。そろそろゲートボー
ルがしたくなったりしませんか?

あなたとお友達になれそうな人
一休さん
星一徹

 子供っぽくて大人っぽくて、一体私は何なんでしょう? っていうかお友達になれそうな人の「一休さん」と「星一徹」って・・・? う~ん、でも確かに微妙に友達になれそうかも。皆さんも一回やってみたらいかがですか?

1999年10月13日水曜日

右手首負傷

 法事による帰省から只今帰ってまいりました。しかし今回は帰省中に右手首をかなり激しく負傷、骨折疑惑も浮上してほんの一瞬ですが私の中で定演の出場がかなり危ぶまれました。とにかく怪我をしてからしばらくはマジで洒落にならん位に痛みがひどく、箸もまともに持てないわ髪をかき上げることもできないわリュックのファスナーを上げることもできないわで、とどめとばかりに寝ている時に上から布団をかけられただけで手首に激痛が走り、それで思わず跳ね起きてしまうわでなかなか大変でした。親の話によると寝ている間も少し姿勢が変わる度に「痛ぇ」だの「ぐおぉ」だのとうめきが聞こえてきたとか・・・。そら骨折疑惑も浮上しますわ。しかしまぁ結局骨には異常はなく、意外にその後の経過も悪くないので結構すぐに復帰はできそうです。とはいえまだコンピュータのキーを右手で叩くことがためらわれる程度の痛みは残っているのですが、可動範囲はこの半日で大分広くなってきたのでうまくすれば明日は普通にギターも弾けるかもしれません。まぁ手首が動かない分には指はいくら動かしても大丈夫なので、コ-ドカッティングをしろとか言われなければどうにか弾けそうな気もしなくもないのですが・・・。ま、変に悪化させない程度に無理をしつつやっていくつもりですよ。

1999年10月9日土曜日

『大聖堂』は難しい・・・

 いや~、『大聖堂』やっぱり難しいっすね。結構頑張って弾いてるのにまだまだスム-ズには弾けません。とはいえ最近はやっと少しばかり曲想を気にして弾けるくらいの余裕は出てきたのですが。この曲は素人さんが弾くとただ単に技自慢だけで終わってせっかくの曲の雰囲気がガタガタになってることがほとんどで、私はそれが嫌なので可能な限り曲のよさを伝えるような演奏をしたいと志してはいるのですが、いやはやそんなことは相当に技術的な余裕を持って弾ききれるようにならないとできないわけで、そこがかなり悩ましいところです。とりあえず最初の発表の機会となる学内発表会まであと2週間。定演までもあと2ヶ月そこそこしかありません。私はどこまでこの曲を弾きこなせるようになれるのでしょうか。

1999年10月8日金曜日

風に吹かれて

 風の吹くまま歩いていこうと逆説的な覚悟を決めて、それでここまで流れてきたはず。心も感情も幸せも、すべては一旦何処かに置いて、それでいいかなと歩いてきたはず。何もないなら何も失わない。そう言い聞かせて歩いてきたはず。それなのに、やっぱり齟齬は生じるもので、閉じ込められてひび割れそうになった心が自分の中の奥の方で悲鳴をあげて、それでやっと原点に今は帰ってきたわけです。置いてきたはずのもの達が、これまでとは原点に対して正反対の方向へと何かを求めて私を動かそうとします。その"何か"はわかってはいるのですが・・・。

Am I strong enough to walk on walter
Smart enough to come in out of the rain
Or am I fool goin' where the wind blows
MR.BIG『GOIN' WHERE THE WIND BLOWS』

1999年10月7日木曜日

無意味な全学協議会

 今日は全学協議会というものがあり私も最初は参加していたのですが、議会全体の構成の悪さと個人の力の小ささと話してる人間の要領の悪さに失望して早々に出てきてしまいました。あれが本当に学生参加に意味のある場だとはとても思えなかったんですけどね・・・。それよりも議会の前と後にBOXの階段のところで部活について真剣に語ってた時間の方がずっと有意義なものだったと確信しています。色々とね、簡単じゃないんですけども・・・。とりあえずは今日はBOXに来てから帰るまでほとんどの時間を語りに費やしていたので喉が乾きました。

1999年10月6日水曜日

プロジェクト『OZ』

 定演秘密プロジェクト『OZ』、ミッション遂行決定!とうとうその全貌が明らかになる。っていうかこの『OZ』をやるってことは、俺は結局定演で10曲も弾くハメに・・・。ちょっと待て、やれるのか!? っていうか出過ぎか、もしかして!?

1999年10月5日火曜日

一言

 悩むことが何もなかった時代など、とうの昔に過ぎ去って・・・。

1999年10月4日月曜日

定演コンパ会場下見、・・・のはずが

 どうもここ数日日記の更新もできなくてすみませんでした。理由は私の精神失調と飲み会です(爆)。昨日もウチでCメンバーオンリー(例によって結果的にということですが)の飲み会がありました。そして今日はG.S.J.K.及び会計のエースと3人で定演のコンパの会場の下見に河原町まで繰り出してきました。まぁその前にJEAUGIAに寄って、クラシックギターの棚に並んでいたJuan Carlos Lagunaとかいうギタリストが弾いてる『タロット組曲』というのがやたらに気になり、演奏者も作曲者も曲名も初めて聞いたものだったにもかかわらず思わず衝動買いしてきてしまいました。文字どおり22枚のタロットカード各々をモチーフに書かれた組曲です。で、今それを聴いているのですが、『コユンババ』や『リブラ・ソナチネ』と同系統の現代曲という感じでそのテの妖しい雰囲気が好きな私としてはなかなかヒットしています。今日は会場の下見が終わった後この3人でお好み焼きを食べ、せっかく河原町まで出てきたんだからちょっと飲もうかという話になり、もはやマスターに顔を覚えられているジャズバー『オンリエド』に行って飲んできました。が、3人ともあまり金を持っていなく、とりあえず全部で8,000円の枠内で片付けねばならないという状況で四苦八苦してました。しかも最後に現在での合計はいくらかと聞いたら丁度9,000円という答えが返ってきて、「やばい、足りないぞ」とか言いつつ必死で小銭を掻き集めてどうにか9,000円を捻出。3人とも素寒貧になって帰ってきました。しかし私とエースは全然飲み足りず、「飲むとわかってたら金おろしてきたのに」と帰り道さんざんぼやいてました。はぁ・・・、飲むとわかってたらなぁ・・・。

1999年9月29日水曜日

深夜の京都御所でギターの練習

 今日はこれから(現在12:50A.M.)御所にギター弾きに行ってきます。御所では先にシノが待っています。こんなことをやっていると実生活に私のサーカディアンリズムが翻弄されてしまい、なんか恐ろしいことにもなりそうですがまぁそこはそこ。とりあえず行ってきます。

 ...というわけで現在午前4時、只今帰ってまいりました。御所は周りに民家もなく、なんの手加減躊躇もなしに思い切りギターをならせるのはよいのですが、私達が弾いてる後ろを何回も徘徊していく警備のパトカーが微妙に緊張感を与えてくれました。御所の建物の壁の方に行かなければ何も言ってこないとはシノの言葉ですが、それにしても後ろをゆっくりとハイビーム照らしながら通っていくパトカーはたまらんものがありましたね。まぁしかしとりあえずもう寝ます。さすがにしんどいわ・・・。

1999年9月28日火曜日

オーバードライブ

 昨晩は何故か横になってもまったく眠れず、色々ともがいているうちに気付いたら朝がきてしまっていたのでもう覚悟を決めて寝ないで1限から学校に行ってきました。しかも何故か昨晩のお好み焼き以降、ずっと起きていたにもかかわらず口にしたのがコンビニおにぎり一個とウィダーエネルギーイン。それで夜の11時過ぎまでずっと動いてました。おかげで身体はだるいわ手は震えるわ、足も震えるわ、普通に話しただけで酸欠に陥りかけて手足が痺れるわ、ずっと立ってたのに何故か突然立ちくらみはするわ、脳の中で何かが弾けて完全に思考がブッ壊れるわでもう散々でした。まぁ長い人生たまにはそんな日があってもいいでしょう。とりあえず迷惑及び心配をかけた皆さんすみませんでした。

1999年9月27日月曜日

狂った生活リズムと深夜の公園でのギター練習

 最近は昼12時に起きて飯を食い、夕飯を普通の時間に食い、さらに夜12時くらいにまた飯を食って三食取って、朝方の3時か4時に寝るという一食分まともな生活からずれたリズムで生きています。今日もつい今し方(現在11:30P.M.)お好み焼きを食べてきました。このリズムはここ数日ちょっと修正を試みてみましたがどうも無駄なようなので、これからとりあえず夜の公園にギター弾きに行ってきます。外はちょっと寒いので長袖を着ていきます。帰ってきたらこの日記の続きを書きましょう。

 ・・・というわけで只今帰ってきました。11時45分頃家を出て、1時半過ぎに帰宅しました。実質演奏時間は1時間半というところでしょうか。夜の公園はとても静かで、周りに人もいなくて、おまけに今日は月がとても綺麗で、邪魔も入らずにとても気分よく集中して練習ができました。静かな夜の公園で一人『11月のある日』なんかを弾いてると、もう周りの雰囲気とバッチリ合って、不必要に哀愁に浸れてとてもいい感じでしたよ。しかし途中人がせっかく気分よく『シャコンヌ』を弾いてた時にいかにも今風の茶髪のカップルがそばの道を通って、女の方が私の方を指差したかと思ったら男の方がわざわざ公園のフェンスのところまでやってきてこっちに向かって「ダッセェー!」とか言ってきたのには気分を害しました。こっちは気持ちよく弾いてるんだからいいじゃないですかねぇ。まぁ雑魚の戯言と聞き流しておくことにします。

 しかし夜の公園、癖になりそうですね。とはいえもう一ヶ月もすれば外でギター弾くにはあまりに寒くなってしまうでしょうからそんなには続けられないのが悔やまれるところですが。あの公園ができてからどのくらいの月日が経っているのはわかりませんが、あそこで夜に『大聖堂』やら『11月のある日』やらヴィラ=ロボスの『エチュード1番』やら『ベネズエラ風ワルツ第2番』やらブローウェルの『シンプルエチュード』やらを弾き倒してきたのはおそらく私が最初でしょう。

1999年9月26日日曜日

羊雲の日

 今日は空にのんびりプカプカと羊雲なども浮かんでいるような実にのどかな日でした。あまりにのどかすぎて日記に書くネタもないくらいです。でも自称プロとしては何か書かなくてはいけないんでしょうが、夕飯を王将で食い過ぎて今もたまらなく胃が重いので今日はネタを絞るのはやめときます。さっき胃腸薬も飲んだのでボチボチ回復してくれるでしょうが・・・。

1999年9月25日土曜日

台風の日の台風のようなカラオケ

 今日は台風のおかげで大学がお休み。朝からその旨を告げるG.S.J.K.の電話や休講の喜びを伝えるKIYOの電話やらでにぎやかでした。しかしとりあえず暴風警報は出ているものの京都では別段どうということもなく、ただちょっと風が強いかなくらいの天気。これで学校も閉まりBOXも開かないのだから何もしないわけがありません。シノの徴集を受けてシノとガッティとG.S.J.K.と私の4人でカラオケに繰り出してきました。しかも今日は何故かいつもはおとなしめのガッティが率先してキレてたので、私もそれに負けまいと叫ぶ叫ぶ。シノもこれまで見たこともないくらいの熱いシャウトを聴かせてくれて、私達の部屋はもうたまらん状況になってました。「隣の部屋にまけるな!」とか言って叫びまくってるうちに、段々耳はキンキンしてくるわ喉は潰れるわ、終いにゃ酸欠状態に陥って目の前に星がちらついて見えるわで凄いことになってました。「もういい」とか言ってキレるシノと、「アカンわ」とかいいつつ壁にもたれてでも叫び続けるガッティの姿が実に新鮮でした。この2人がリードを取ったGLAYの『誘惑』は凄まじいものがありましたからね。私が言うんだからその凄まじさの程は相当なものだということは皆さん想像に難くないでしょう。しかしあそこまでブチ壊れるともう楽しいの一言に尽きます。いや~、よかったね。そういえばG.S.J.K.はあの後麻雀というようなことを言ってましたがマジで行ったんでしょうか? あれだけ叫んで体力を消費した後また更に・・・。

1999年9月24日金曜日

無題

 覚悟を決めるなら犠牲も必要。そう言ったのは他ならない私自身だったんですけどね。それで自分が中途半端な気持ちでいたならそれは言い訳のしようもないのです。とりあえず最低限のけじめはつけるつもりでいます。

1999年9月23日木曜日

サイコさんのラブレター

 昨日の日記の『金星に行ってくる』とのコメントには意外にも多くの方のツッコミをいただき、「お前は電波系か!?」とのようなお言葉もいただきました。それはそれで面白そうなので今日の日記ではちょっと本格的に電波系を目指してみたいと思います。いや~、大学来てから周りにこのテの話題に詳しい奴があまりいない(が、いないこともない)もんだからこういう話題で盛り上がることってほとんどなかったんですがね。まぁ久しぶりに行ってみましょう。どうせなら純粋に電波系で行くよりはついでにサイコさんや前世系の要素も取り混ぜたもうたまらん世界を構築してみましょう。それでは行ってみます。

サイコさんのラブレター『毒電波をキミに・・・』

愛しの◯◯へ。いや、◯◯なんて呼び方よりオデュッセイアと呼んだ方がいいかな。思い出さないのかい?キミの前世での名前じゃないか。僕の名前はロンギヌス。僕達の前世、まだ今の人類が誕生するより遥か以前に海中に沈んでしまった大陸で、滅び逝く末期の世界の中僕らはあんなに激しく愛しあったじゃないか。憶えているだろう?秩序も何もない荒廃した世界の中、僕らが初めて出会った時のあの例えようのない胸の高鳴りと安らぎを。隣人がいつ殺人鬼に変わるかもわからないような世の中で、僕らだけはお互いを信じあえていたじゃないか。僕をかばって君がヤツらに撃たれて死んでいく時、また生まれ変わっても一緒になろうとあれだけ固く約束したじゃないか。それなのに、それなのに何故君は今あんな男なんかと一緒にいるんだい?君はまだ目覚めないのかい?君の本当の恋人はこの僕だということに。君が今一緒にいるその男もヤツらの陰謀なんだよ。君は先に死んでしまったから知らないだろうけどヤツらも一緒に現世に転生してきてしまってね。また君と僕が一緒になるのをどうにかして防ごうとしているんだ。ほら、その男をよく見てごらん。霊魂の頭の部分にヤツらの印であるあの忌ま忌ましい紋章がクッキリと浮かんでいるのがわかるだろう。僕は何度もテレパシーで君に警告を送ったのになんてまだ気付いてくれないんだ。君の能力はまだ本当に眠ったままなのかい?今は恋人ぶってるけどいずれそいつは君の霊魂まで貪り尽くすつもりなんだ。あんなヤツに君をみすみす渡して見殺しになんてできない。君がまだ目覚めないというのなら、僕がそいつを殺してでも君を守る。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。呪って苦しませて弱らせたところをじわじわと足の指先から頭まで1ミリ刻みにスライスしていってやる。出てきたはらわたを踏みにじってグチャグチャにしてパンに付けて犬に食わせてやる。もう二度と転生なんてできないように、精神まで、霊魂まで、神体まで、核まで、DNAまで、エクトプラズムまで、すべてを超ひものレベルまですりおろしてやる。もう我慢できない。僕はやるよ。君のために、今すぐにでも。君がこの手紙を読んでいる頃、ヤツの存在は完全に、そう、もはや完全にこの世界から消滅しているだろう。そして君もその時すべてに目覚めるはずだ。今からでも決して遅いことはないんだよ。僕達はちょっと遠回りしたかもしれないけど、これから始まる二人の愛は永遠なんだ。何度生まれ変わっても、僕は君を守り愛し続けるよ。

 ・・・疲れた・・・。サイコさん演じるのにこの程度の文章量で疲れるようじゃまだまだですね。どうやらサイコさんの道はまだまだ遠いようです・・・。

1999年9月22日水曜日

金星に行かずにロンドの印刷

 今日は本当は金星に行ってくる予定だったのですが、先方の事情でそれが突然キャンセルになってしまい只今微妙にヒマな時間を持て余しています。とりあえずAアンの『ロンド』の譜面の印刷は済ませました。結局キーは原曲のBマイナーからギターの調性に合わせてEマイナーに移調してアレンジしました。この件については先々代C技の了承も得たので問題ナシです。例によってMIDIファイルをアップしておきますので関係者の方チェックをお願いします。今回は音域の関係で結構ムチャなノーテーションしてるので実際に表記される譜面は実音のオクターブ上(ベースに至っては2オクターブ)ということになるので御了承を。今回は音域の問題さえ解決してしまえば編曲作業そのものはブランデンブルグの時に比べれば遥かに楽だったのでよかったです。


1999年9月21日火曜日

新学期が始まる

 とうとう明日から新学期が始まります。憂鬱なことこの上ないですね。この夏休みは北海道に行ったり合宿に行ったりとそこそこ色々なイベントはあったようにも思うのですが、どうにも今一つ達成感というか充実感というかが感じられないのは何でなんでしょうね。まぁ毎年の事といえば毎年の事なんですけど。別に嫌なことがあったわけでも毎日が楽しくなかったわけでもないんですけどね。やたらに楽しかった記憶のある昔を美化し過ぎなのかもしれません。まぁやたらと昔に哀愁を覚えているようじゃ私ももう年ということでしょう。やれやれですね。

1999年9月18日土曜日

ワルツ風エチュード

 昨日とある後輩に「長調終了試験の自由曲にするのに短くて簡単な曲を作ってくれ」と冗談で(まさか本気じゃねーだろうな?)言われたので、ちょっとその気になって昨晩家に帰ってからちらとイメージの趣くままに曲を作ってみました。結果、10分で一曲できあがりました。何も考えずに適当に作るペースとしては高校時代と変わってなくてちょっと安心しました。しかしこのペースで作る曲は本当に曲自体適当なもので、高校時代は仲間をパロッた歌詞なんかで笑いをとっていましたが、歌詞の載らないギター曲となるとただのクズ以外の何物でもないでしょう。でもとりあえずせっかく作ったのでアップしておきます。わずか21小節で終わる3拍子の曲で、タルレガ教則本のワルツの群れを多少なりとも意識して作ったものです。キーはGメジャーで、途中ひたすら順音で下がっていくベースが唯一の聴き所です。タルレガのワルツを意識して作った3拍子の練習曲ということで『ワルツ風エチュード』と名付けました。しかし簡単と言うには結構しんどい運指も出てきてしまっているし、マジでどうでもいいような曲なので実用に供されることはないでしょう。興味のある方は曲名のところをクリックして聴いてみてやってください。MIDI形式のZip圧縮です。


1999年9月17日金曜日

記憶の亡霊

 後ろで何やら物音がしたので振り返ってみたら、笑ったような苦しんでいるような無気味な表情で転がっている生首が一つ。首筋に何かが垂れてきて驚いて上を見てみたら、木に髪が絡まった状態でぶら下がって虚ろな目でこちらを見つめる生首が一つ。恐怖におののいて逃げ出そうとして足を踏み出せば、それに蹴られて宙に浮き上がる生首ひとつ。またひとつ、またひとつ・・・。さぁ泣け、喚け。恐怖に怯え震えるがいい。生臭い血と、腐敗した肉の匂いの中で。遠い昔に過ぎ去った、失われたはずの記憶の中で。

1999年9月15日水曜日

続きすぎる飲み会

 さてさて、昨日の日記にも書いた通り、昨晩は普通に寝られたもののその前2日は連続飲み会だったわけですが、なんとどういうわけか今日もまた飲み会でした。2日連続中一日です。どうかしてるぞ衣笠CGC・・・。まぁ今回は明日(というか既に今日)も用事があることですし、私は人足先に失礼してこのページの更新を朝Macでやっているわけですが、さてさてこれでまた明後日も飲み会とかいったらかなりシュールな状況になりますね。でもそこを敢えて挑戦してみるのもまた味かも・・・?

1999年9月14日火曜日

笑い続けろ、夜が明けるまで

 いや~、疲れましたねぇ・・・。2日連続ウチで飲み会という実にハードなスケジュールはさすがに堪えました。一昨日はワッキーが衣笠に来ていたので例によって10時過ぎにBOXを出てからMKボウルでボーリング、後ウチに集まって珍しく生粋のCメンバーオンリーの面子での飲み会となりました。Cメンバーオンリーになったのは結果的にですけどね。その後一眠りしてからBOXに行き、G.S.J.K.と村治香織のコンサートチケットを予約などしてから今後はクラギタの指導顧問(?)ヨッシーのお宅へお邪魔するのに一路三条京阪より大阪へ。彼の家で寿司やウイスキー等ご馳走になってかなり上機嫌で酔っ払いまくって帰ってきました。そして京都から滋賀に帰る手段をなくしたKIYOを巻き込んで、昨日も京都に存在していたワッキーも抱き込んで、一昨日の面子+KIYO&ワッキーといった感じで飲んでました。皆異常にテンションが高くて、素でいるより笑っている時間の方が長いという腹の筋肉痛が心配になるくらいのノリで楽しかったですね。まぁ一時期ここのBBSに不審な書き込みが出現したり(今は消去済み)もしていましたが。今日も帰りにKIYOとワッキーを花園駅まで見送りにいったら見事に道に迷ってしまい、墓の横を通り抜けたりやたらに猫がたくさんいる道にでてみたり、細く入り組んだ暗い道を「ここはどこだ?」とか言いながら歩いてました。結局最後には無事ほぼジャストミートで花園駅の前に出たからよかったのですが、多少花園駅より西に行き過ぎていたようです。しかし昨晩は久しぶりに酒で潰れかけました。おかげで今日はちと体調的にしんどかったです。もう寝ます。それでは皆さんお達者で。

1999年9月10日金曜日

宇宙人の声が頭に響き

 最近微妙に自分の中で自分でも割り切れない思いや考えが頭の中を巡って消えてくれないことがあります。6月の半ば頃、独重の前ら辺から7月下旬にかけて私の精神状態を徹底的な荒廃状態に追い込んでくれたあまり幸せとは言えない葛藤と強迫観念が一人になった時なんかにグルグルと、頭に直接響く宇宙人の声みたいな感じで「それじゃあお前はどうしたいんだ?」と問いかけてくるのです。もうここまで来たら仕方がないので、理性でサクッと割り切ってしまうか本能でドカンと進んでしまうかどちらかを選んでしまえばいっそ楽なんでしょうが、それもできずに結局現状をただそのまま維持するだけの惰性の時間が流れていくわけですね。誰も何も幸せにできないなら、せめて痛みは自分一人が背負えばいいと悲劇の主人公気取りで影を背負って立っていられる程私という人間は強くなく、誰かを傷つけてでも前に進んでいける程これもまたたくましく生きられるわけでもないわけです。困ったものですね。結局中途半端に惰性で生きていくのが何の決断もしなくていいから楽なわけで、問題を先送りにしつつ適当に時を流して、その歪みから少しずつ精神に齟齬を来しながらちょっと自分の状況に適当に酔ってみようと試みたりして生きていくわけです。ただの優柔不断な根性なしの偽善なエセナルシストですね。ええ、所詮私はそこまでです。

 何処で何を間違って来たのかなんて
 いちいち考えていたら生きてけないのかもね
 それでも切ない気持ちを抱えて
 昨日に引きずられている

 一歩一歩遠ざかる景色の中で
 いつかこの想いも何処かに落としていくのだろう
 それでも今は一番大事な・・・

1999年9月8日水曜日

やっぱり寝ます

 今日も微妙に頭が痛いので寝ます。でも昨日は結局眠れずに、ナイトキャップにブランデーを一杯あおって気休めにするということをやってました。今日は普通に眠れるのでしょうか。

1999年9月7日火曜日

寝ます

 宇宙人が襲ってきたので今日は早く寝ることにします。皆さんも襲われないように気をつけましょう。

1999年9月6日月曜日

琵琶湖でバス釣り

 今日は忌無、G.S.J.K.、絵愚枝具と4人で琵琶湖までバス釣りに行ってきました。私も若かりし頃(小学校高学年~高校2年の秋)はよく釣りはしたものですが、フナやらコイやらその他雑魚やらばっかりでブラックバスは釣ったことがなかったのでちょっとドキドキもんでやってました。そもそも釣り自体かなり久し振りでしたので、最初はリールで遠くに投げるコツも思い出せずにかなり苦戦してましたが・・・。それもはじめいた場所ではボートで水上スキーをやっている連中がやたらうるさくて水面に波立ちまくりで、いかにもこりゃ釣れんだろってところでしたので別の場所に移動。それでもルアーがやたら藻にひっかかってばかりで肝心のバスの当たりがない場所に行ってしまったのでまた移動、となかなか苦労してました。

 で、やっと腰を落ち着けた3番目の場所でもなかなかバスは釣れず、私とG.S.J.K.が疲れて一服していた時にヤツは来ました。私達が水門の脇に座ってくつろいでいると、向こうの方から水門の逆サイドで釣っていた忌無の「かかった、かかった!」という声が聞こえてくるのです。それでそっちを向いてみるとそれがまた結構デカイ。私とG.S.J.K.は急いでそっちに行きました。上げてみると(後で計ってみたのですが)37cm程の琵琶湖平均を大きく上回るデカイバスで、それを見てもう疲れかけていた私やG.S.J.K.や絵愚枝具もまたルアーを投げ出すという実に現金な展開を見せてしまいました。まぁ今日釣れたのは結局その一匹だけだったのですが、我々はそれを川端の公衆便所で頭と尾っぽを切って血抜きをし、クーラーBOXに入れて持ち帰って今晩のおかずとすることにしたわけです。何しろ37cmのバス、4人で食べてもちょうどいいくらいです。我々は忌無邸で全員魚をさばくのは初めての究極のおっかなびっくり素人料理をし、「生焼けにするな!むしろ焦がせ!」とか「(焼き加減は)もういい?」「いや、もっと焼け!」とかいう会話をしつつバスのバター焼きを作ったわけです。お味の方はこれがなかなかかなり美味しく、皆命の危険(?)のことも忘れてガツガツ食ったわけですが、まぁ今現在無事何事もなく生きているので多分大丈夫なんでしょう。余談ではありますが、釣ったバスをさばいている時忌無がそのバスの胃袋の中身を検証しようと包丁で胃袋をかっさばいて中身を出してみたのですが、なんとソイツ、ザリガニ食ってたんですね・・・。胃袋からまだほとんど消化されてないザリガニが一匹丸ごと出てきました。バスってザリガニも食えるくらいたくましいんですね。っていうか、ザリガニ丸飲みにした後にルアーなんぞに食い付くなよ・・・。

 というわけで、今日は楽しくおっかなびっくりバス釣り初体験ツアーでした。

1999年9月5日日曜日

小動物の多い日

 今日はやたらに色々な小動物を目にした一日でした。まずは昼飯時、BOXで一人コンビニのうどんを食べた後いつもの階段のところに出てみたら何やらひっくり返って弱々しくもがいている黒い昆虫が一匹。何だろうと思い拾ってみたら、何とそいつは小さいクワガタでした。私の記憶が正しければあれは多分ミヤマクワガタでしょう。誰かに踏まれたらしく、羽ももうボロボロで飛ぶこともできず、足も後ろ足が取れかけていてそれを引きずりながらどうにか動くことができるというような悲惨な状態でした。そのままほっておくとまた誰かに踏まれそうで、それはとても不憫に思えたので、もう先もあまり永くはないだろうけどせめて最後に木に帰してやろうと思い、下まで連れていって適当な木の幹に置いてきてやりました。その後どうなったかは知りませんが、あのままコンクリートの階段で一生を終えるよりはマシな最期を迎えられたことを祈ります。

 次は仕事を終えて中川会館の前のベンチで一息ついていたら、あの辺でよく見かけるよもぎ縞のネコが今日もいました。のんびりと中川会館前の広場(?)を徘徊して、食べ物を持っている人間を見かけたらそっと近付いてきてちょこんと前に座り餌をねだる・・・。いつもの仕種です。人間社会で生きていくのにはなかなか賢い術なのかもしれません。そんなネコに餌をやりたがる人間なんていくらでもいますから。私も結構そのクチです。今日は何も食べ物持ってませんでしたけど。何も食べ物持ってないと知らんぷりして絶対寄ってこないんですよね、あのネコ。ちと憎らしいですな。そのネコは今日はどら焼きをもらっていました。ネコはあんこも食べるんですね。

 そしてさらに夕食の時、学校近くの定食屋(?)某マ◯ンで一人飯を食っていた時、私は左側に壁がある位置に座っていたのですが、その壁の上をササッと素早く這っていく油ギッシュな黒い影が・・・。そう、ゴキちゃんです。私はゴキ一匹にいちいち動じるクチではないので「あぁ、ゴキだなぁ」くらいの感じでそのゴキを眺めがら淡々と飯を食っていましたが、その内店の人が来て「すいませんねぇ」とか言いながらティッシュでゴキを処理して持っていきました。私がゴキを眺めながら飯を食っていたのも別にゴキが好きだからじゃなく、ただ壁の上を這っているくらいならまだいいけどさすがに飯のところまで来られるといい気持ちはしないので見張っていたというのもありましたので、店の人が処理してくれたのは正直ありがたかったです。まぁその前に客席にゴキ出さすなというツッコミもありなのでしょうけど。

 その後さらにBOXでもゴキが出没し、ギターのサウンドホールの中に入られたらさすがにかなり嫌なので入られないようにちょっとギターを置く時もケースにしまうという事態も発生しました。結局BOXを出る時までBOXに迷い込んだゴキは発見されなかったので、もしかしたら誰かのギターケースとかに巣食ってるかもしれません。そしてそれが女の子のものだったりしたらケースを開けた瞬間に物凄いことが起こることでしょう。それはそれで面白そうだからアリかなという気もしますが、まかり間違って自分のギターケースでそういうことになっていたらかなり嫌なのであまり考えないことにします。

1999年9月4日土曜日

夏の終わり

 そろそろ夜は涼しくなり、ぼちぼち秋の風も感じられるようになってきましたね。日も暮れる頃になると虫達が各々の鳴き声で泣いている声も聞こえるようになってきました。もう夏も終わりです。日中はまだまだ暑いけど、夕方以降はもうほとんど秋ですね。夏の終わり際というのは何となく寂しいものです。華やかで活気に満ちた季節から、静かな哀愁漂う秋への移行はどうしても切なさを覚えてしまいますね。そら人の多かった合宿から帰って一人で家にいれば寂しくもなるわ。

1999年9月3日金曜日

『大聖堂』練習開始

 最近夜にあまり家にいない気がする今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私はとても疲れています。昨晩はKIYOが衣笠を急襲してきたのでそのノリでカラオケに行き、さらに一晩中飲んで遊んでました。この夏はなんかそんなんばっかりです。思わず「何か間違ってないか!?」ともつっこんでしまいますね。でもまぁそれもまた味という説も。とりあえずは体力さえもてばO.K.でしょう。

 今日は約一ヶ月ぶりにギターのレッスンに行ってきたのですが、なんか凄いことになってしまいました。先生が「君はここに来てから何曲か弾いてきたけどどれも中途半端なまま終わってますね。ここらで一曲難しいヤツをしっかりと完成させてみましょう」とか言って、弾きたい曲を何曲か挙げてみろと言うのです。で、まぁその通りにしたら、そのリストの中から先生が選んだのは何と『大聖堂』!来おった来おったって感じですね。今の時期に先生のところで『大聖堂』を弾き始めるということはほぼ自動的にそれが俺の定演のソロの曲ということ。定演独奏の選曲はあれこれ悩んでいたのにアッという間に他の選択肢を消されてしまいました。しかしただでさえ難しい曲なのに、それを定演独奏に持っていく上に先生もやる気となるともはや完全に逃げ道なし。死ぬ気で弾くしかないようです。

1999年8月31日火曜日

陳謝

 どうもこの夏はネットへの出没率がかなり低くなっています。旅行に行っていたり夜に集まる機会が多かったりする(実は今日も)せいもあるのでしょうが、それにしてもちょっと更新率が低迷し過ぎですね。困ったものです。最近この日記もホントに日記になってきてしまっているので、もっとシュールでバラエティに溢れる内容を書きたいなと思いつつもその気合が足りないという悩ましい状況でしてね・・・。まぁ9月からは心を入れ替えて頑張りたいと思います。

1999年8月28日土曜日

合宿より帰還

 合宿から帰ってまいりました。いや~、疲れましたね。関係者の皆さん本当にお疲れさまでした。今回はハイキングが中止になったりしたせいか、もう一つド派手なイベントは起こらないままに終了してしまいましたね。色々と考えさせられたりする場面は多々ありましたが・・・。ギターをもっている時間の8割強くらいを合奏と後輩の指導にあたっていたために自分の練習もあまりできませんでしたしねぇ・・・。最後のコンパではふと自分の居場所がないのに気付き、一人でホールに出てウイスキーをしんみりと飲みながら考え事にふけるという場面も・・・。まぁそれはまだいいんですが。ともかくも何か色々なものを背負って帰ってきた感のある合宿でした。

1999年8月20日金曜日

さらに更新できず

 ここ数日まともに更新ができていませんでしたが、明日からはさらに部活の合宿に行ってしまうためまたも一週間程ここの更新ができません。申し訳ありませんが、帰ってきてから頑張りますのでどうかヨロシク。

1999年8月16日月曜日

Virgin MEGASTORE新潟万代店

 Virgin MEGASTORE新潟万代店おそるべし・・・。これまであそこはあまり利用してなかったのですが、実はあそこはJ-POPと同じくらいの広いスペースでボサノヴァやフラメンコ他民族系の音楽CDを扱う異常な品揃えをしているところだということに気付きました。アフリカやヨーロッパ、アジア等の地域別に分かれ、さらにその中で国別ジャンル別に分かれて陳列しているその豪華さ。試聴機も民族系のだけで2台、6枚のCDが聴けるという素晴らしさ。JEAUGIAより揃ってましたぜ。そのくせクラシックは棚一つしかスペースがなく、さらにクラシックギターとなるとその中のほんの一角にちらとあるだけ。試聴機も1台だけ。クラシックギター全般のスペースよりビセンテ・アミーゴ一人のスペースの方が多いとはどういうことだ!? とりあえず今日はバンジョーをフューチャーしたアイルランドのダンス音楽のCDとケルトギターの音楽、そしてジプシー・キングスの2枚組ベストを半分ノリで買ってきました。意味不明の品揃えをしたVirgin MEGASTORE、侮るなかれです。

1999年8月15日日曜日

CDプレゼント

 今日はブラリと新潟市内を一人でさまよってました。そしてとあるCD屋を見ていたら「御盆特別企画!試聴機用CDお一人さま2枚までプレゼント!」との張り紙が・・・。御希望の方はお近くの係員までということだったので、とりあえず係員を探して尋ねてみると、「お気に入りのものがあれば2枚まで差し上げますよ」とケロッとして言う。これは逃す手はないなと何かいいのがないか探してみることにしました。するとそこにストラトバリウスの『SOS』と松崎ナオの『鳥が飛ぶ意識』を発見。この2枚をタダでGetしてきました。美味しい話もあるものです。CDのケースには「見本品(非売品)」との表示がありましたが気にしちゃ負けです。内容は同じです。見本品は本当は配ったらいけないという掟(?)も気にしちゃ負けです。もらったもん勝ちです。世の中とはそういうものです。

 しかし余談ではありますが、ストラトバリウスってギターもキーボードもドラムも確かに凄いけど、何でどいつもこいつも異常に簡単なパッセージを異常に早く弾く(あるいは叩く)だけというスタイルなんでしょう?別に悪いとは言わないけど少しくらいもう少し複雑なことやってみてもいいようにも思うんですけどねぇ・・・。まぁそれでもカッコいいっちゃあカッコいいんだけど。

1999年8月14日土曜日

高校時代と少年の幻想

 今日は午後から良く晴れてきたので、久しぶりに高校時代を過ごした三条市の方を自転車でブラリと回ってきました。変わったところもありましたし、昔のまま残っているところもありました。卓球部の部室にも足を運んできたのですが、いやいや相変わらずのむさ苦しく狭苦しい空間で・・・。でもまぁ何故かまだ私が使っていた棚のところには「小林」とのラベルが残ってたり、卒業した時部室にそのまま残してきたラケットもボロボロになりつつもまだ生き残っていたりと当時の面影はまだ多少残っていました。しかし昔はあんな部屋で10数人ものヤロー共が着替えてたむろしていたのかと思うと凄まじいものを感じますね。いや~、若さとは素晴らしい。

 そしてその後高校の近くの河原に行ってちょっとボ~ッとしてたのですが、そこで面白い少年に出会いました。小学校1、2年生くらいの少年です。今日は近日にさして大雨が降ったわけでもなく、おかげで川の水も澄んで浅いところではかなり綺麗に川の中も見れたので、私は水際のギリギリのところに座って川の中をのんびりと眺めていたのですが、その時不意に後ろから声をかけられたのです。

「なんかいる?」

「ん~、魚の細かいのがたくさん」

 そんな会話から始まり、その少年はタモを持ってきて私に魚を捕ってくれと頼んできます。まあ魚を捕るのも昔はボチボチやっていましたし、そういうのは基本的に得意な方なので私は少年のリクエストに応じて小さい魚を何匹か捕ってやりました。まぁこれだけならただ単にちょっぴりハートウォーミングなだけの話なのですが、その少年がなかなか微妙に面白い。私が魚をとっている最中に「ロケット花火発見」とかいって川の中に潜り、ロケット花火の残骸を拾ってきては「いつ爆発するかも知れないから気をつけろ。う~ん、火薬はどこだ!?」とか言ってたり、「これは研究所に持っていってコンピュータで分析しよう」とかいって持っていた袋に入れたりする。魚を1匹とってやると、「これを100万円で売って、・・・う~ん、1億3000円だな」とか言ってみたり、かと思えばまたロケット花火を拾ってこの部品がどうとか語ってたりする。まぁまぁ無邪気と言えば無邪気。なかなか面白いですよね。きっと彼の頭の中では彼自身が作り上げた独自の世界があって、その世界と外の世界を変幻自在に組み合わせることで彼はきっと半永久的に遊んでいくことができるのでしょう。最近はこういうある意味ヤバイくらいに純粋に自分の世界を持った子供が少なくなったような気がします。私も子供の頃は自分が作り上げた魔法の世界の中でよく空想と現実の狭間に遊んでいたものです。それが結局想像力につながっているのかはわかりませんが、とりあえず直接的な意味での想像力にはやはりつながっているのでしょう。最近は子供も早いうちから完全に大人と変わらない現実の中に入っていってしまう、あるいはそのように仕向ける傾向があるようで、それはそれでこの現実社会での適応力を早いうちから身につけるという意味では悪くないのかも知れませんが、同時に空想によってできるパラレルワールドの喪失を招いているのかも知れません。そのパラレルワールドがこの現実世界の中ではたしてどれほど役に立つのかはわかりませんが、始めから全くないのとあって意識しないのとではどこかで深みが違ってくると思うのですがね。ちょっとそんなことを思ってみたりもしました。

1999年8月13日金曜日

田園風景

 今日は久々に実家に帰還。昔懐かしい部屋でこれから眠りにつこうと思います。しかし実家の近辺は相変わらず田んぼ以外何もないですね(苦笑)。両サイド田んぼ、街灯ナシ。そんな道ばっかです。それはそれで風情があっていいと思うんですけどね。まぁでもやっぱ不便は不便ですか・・・。これからこういうただの田舎道みたいなところはどんどん減っていくんでしょうね。ちょっと寂しい気もします。

 そう、北海道旅行記はもうちょっとしてから合宿に行くまでの間にまとめますのでそれまでしばしお待ちを。しかし今回の旅行は色々楽しかったし感動しもしたんですけど、何故か心の奥に何かが引っ掛かったままで振り切れないまま過ごしていた旅でしたね。その意味ではちょいとしんどかったです。何なんでしょうね・・・?

1999年8月12日木曜日

北海道旅行終了

 どうもしばらくの休業申し訳ありませんでした。今朝方5時半に無事私はフェリーで新潟西港に辿り着きましたよ。今回は北海道を小樽~札幌~富良野と回ってきたわけですが、なんといっても一番の感動は美瑛の丘でしたね。広大な自然の丘の中に点々と、しかし堂々とそびえる木々達には素晴らしい美しさを感じました。そして羊ヶ丘公園のクラークの銅像でしょうか。ヤツのポーズが私の必殺の指差しのポーズと微妙に、しかしかなりかぶっていたので対抗して写真をとってきました。現像ができたらアップしましょう。はたしてヤツは私のライバルなのか師匠なのか!? クラーク、侮るべからずです。他にもまぁ色々とあるのですが、今日はさすがにちょっと疲れているのでこのくらいで。また今度長~く書いてアップします。

1999年8月3日火曜日

不規則

 ここ数日のムチャな日程のおかげで私の生活リズムは完全に1/3ほど昼夜逆転。何故か昨晩も夜10時半には帰っていたのに朝まで寝られず、本を読んだりして時間を潰していたらなんといつの間にか朝の6時に・・・!そしてそれから午後まで寝るというリズムが定着しつつあります。さてさてどうしたもんでしょう?

 そう、明日から私はしばらく旅に出ますのでHPの更新が行なえません。明日夕方出発する前にどうにか意地で最後の更新をしたいと思いますが、それもどうなるかはわかりません。順当にいけば11日には更新を再開できる予定です。それまではBBSだけでもどうかお楽しみください。ちなみに明日はもしかしたらNOVELに新作を1本アップするかもしれません。

1999年8月2日月曜日

徹夜明けに

 今日は昨晩の徹夜麻雀の後しばしの休息をとった後、CDを適当に買い漁ることを目的に一人河原町の方まで繰り出してきました。そして買ったCDは5枚。うち3枚は民族音楽のもの、2枚はクラシックギターのものです。ハンガリーとルーマニアの民族音楽を集めたやつと、アンデスのフォルクローレのもの、そしてケーナをフューチャーした『花祭り』やら『コンドルは飛んでいく』やら『星に願いを』やらが収録されているやつがひとつです。後は知らない曲ばかり集まっていた中に『タンゴ・アン・スカイ』や『アッシャーワルツ』が入っていたので何となく興味をひかれて買ったギターのCDが一枚(世界初録音の曲が3曲も入っていたのもひかれた要因)、そしてポンセのイ短調組曲とニ長調組曲が入っているポンセ作品集を一枚。まだ全部は聴いてないのですが、とりあえず『アッシャーワルツ』収録のNAXOSの新人ギタリストが弾いているやつは全体に私好みのどこか妖しい空気が漂う選曲がいい感じで、今聴いてるハンガリーとルーマニアの民族音楽を集めたCDも期待通りのジプシーテイストな曲調がたまらなくよいです。こういうのもよいですね。

 そして買い物を満喫した後、帰りに弟の下宿を急襲して一緒に焼き鳥屋で飲んで帰ってきました。ヤツも大学に入ってきてからたまに一緒に飲む機会があるのですが、飲みながら語る度に一緒の家で暮らしてる時は見えなかった深い面が見られて刺激になりますね。ずっと一緒に暮らしていただけにお互いの変容がよくわかるのかもしれません。そういうのもまた面白いですね。まぁ何しろヤツは私と互角に飲みあえる数少ない人材の一人ですしね(笑)。

1999年8月1日日曜日

飲み会兼麻雀大会

 今晩はウチで飲み会兼麻雀大会が催されていました。ただでさえ物が多くて居住スペースの狭いウチに約10人もの人間が集結。やっぱり狭いっちゃあ狭いんですが、まぁまぁどうにかなるもんですね。昨日のコンパがとんでもない集結を迎えた分は楽しませてもらいました。今回は私は完全に麻雀組で頑張っていたのですが、安手で早上がりが今回の定石と感じられたのでそのインスピレーションを完全遵守。見事に2回連続の総合トップを奪取することができました。まぁハッキリ言って純粋に麻雀の実力でいえばいつもの主要メンバー3人の中では私は格下なのですが、高校時代より培った意地の勝負強さは譲れないということで・・・?

1999年7月31日土曜日

事故続きの前期総会

 只今A.M.6:30。総会コンパが終わってからボーリング行って朝5時までカラオケマラソンやって、その後直で電車に乗って帰ってきました。しかし昨日の総会は色々な意味でたまりませんでしたね。2回生野郎軍団の遅刻に始まり(これはまだ序の口だったのですが)、その後コンパとその経過でさらにケガ人2名。おかげでこっちもすっかり精神的に滅入ってしまい、精神が退廃モードに入ってしまいました。まぁ2件の事故の方はどちらも偶然といえば偶然、運が悪かったとしか言いようがないのですが、それでも何の変哲もないはずのコンパであんなことが起こるとね・・・。

 仲間に起こった理不尽な不幸に対して俺ができることは何もなく、ただ無闇に騒ぎたてずに、事故の対応に追われた渉外の代わりとしてその場をまとめることくらいしかできなくて・・・。相当な無力感を感じてしまいました。そらブルーにもなるっちゅーねん!コンパが終わった後も、ケガをした仲間を心配してみても何もどうにもなるはずもなく、何かが絶対的に悪かったのならそれに怒りをぶつけることもできるのにそういうわけでもなく、ただやりきれない気持ちだけがグルグルと心の中を回っていたたまれない状態になってしまいました。こうなるともうその感情のやり場としてはただ徹底的に騒ぐより道はなく、ボーリングではもうピンを破壊してやるくらいの気合を込めて投げていました。しかもそんな時にもう一人の事故の知らせ。たまりません。その他にもいくつかの負の要因が加わり、私の精神状態と思考回路及び感情回路はいよいよもって迷宮入りで脱出不可能な様相を呈してきてしまったのです。そうなるともう叫ぶしかありません。昔はこういうやりきれない感情を抱いた時に自分を落ち着かせたり相手を励ましたりできる気のきいた歌の一つくらいはすぐ心に浮かんできたものでした。でも最近は何故かそんな歌が心から出てきてくれないのです。何も出てきてくれないのです。だからひたすら叫びました。もう徹底的に叫びました。限界に挑むなんてもんじゃありません。一時期はもう自分の身体もブッ壊してやるくらいに叫んでました。それでもまだ心は晴れてくれないのです。仲間の身に起こった不条理な不幸に対してのやりきれない気持ちも、そのケガに対する不安も、まだ一向に消えてはくれないのです。もうこうして京都に一人で帰ってきた今、私の心を少しでも慰めてくれそうなものは何があるのでしょう。今の私にはどんな音楽がその役目を果たしてくれるのかもわかりませんし、叫ぶことももうままなりません。破壊活動に走ろうにももう疲れたからだがいうことをきいてくれません。読みかけの小説を読む気力もなく、こうして文章を書くことができることがせめてもの救いですか。しかしそれもずっと書き続けていられるわけでもありません。他に何があるでしょう?もうこの際疲れた身体にムチ打って、このままずっと寝ないでいて身も心もボロボロにしてやろうかとも考えました。酒もタバコもいりません。もう溺れるものもありません。飲みかけの『お~い、お茶』なら手元にあります。・・・ハッ。終わってるな。今私に言えることは、色々と苦労をしたたっちーに「お疲れさま」ということだけでしょう。

1999年7月29日木曜日

街は月には明るすぎて

 今夜は月がとても綺麗でしたね。というか、雲に隠れて月自体は見えないんだけどその月の光が照らす雲が綺麗だった。まるでファイナルファンタジーに出てきそうな感じの、悪くいえば作り物っぽいくらいの幻想的な雰囲気をかもしてました。薄灰色の雲から静かで玲瓏な月の光が後ろから透かすようにして見えているのがたまらなく美しかったのです。

 しかし前にも日記で書いたような気がしますが、本当に月の光を感じるには京都の街は明るすぎますね。月が出てても出てなくても、街の明るさに変わりはないもの。私の田舎では単純に街灯もネオンもないおかげで、月が出るとあからさまに夜の景色の明るさと空気が違うんですよ。高校の部活の帰りにロクに街灯もない両サイドたんぼの道を自転車で帰っていると、ふと「おや、今日はいつもと景色が違うな」って思うんです。そしてふっと空を見ると上には微かに揺れるような光をその身にまとった月が浮かんでいるんです。本当に景色が違って見える程月の光は夜を静かな明るさで照らしてくれるんですよ。私はその月の光の中を気分にまかせて歌なんか歌いながら自転車でのんびり帰るのがとても好きでした。「月の光が明るいなんて昔は知らなかった」と言う人がたまにいますが、今の日本ではそんな体験をしている子供がどんどん少なくなってるんだなと思うと、何かちょっとさみしくなりましたね。街灯やらネオンやら、確かにそれで私達の生活は便利になりましたし、街は華やかにもなったでしょうが、それで失っているものも確かにあるんですね。また去年の8月の日記で書いたものと同じ言葉が頭に浮かんできてしまいました。"周りに明かりが何もないのに、月の光のみによって照らし出された世界にどこか現実離れした美しさを感じるのは私だけでしょうか。月の静かな光の影に、言い表わせない寂寥を感じるのは私だけでしょうか。"

1999年7月28日水曜日

無気力に

 今頃他の執行部の皆さんはたっちーの家で飲み会でしょうか? 私はレポートを書くといって帰ってきたはいいけど、家に着いたとたんに何故かどっと疲れがでてしまい、見事に今にも寝そうな雰囲気です。明日朝5時くらいに起きてからやろうかな・・・? でも多分起きれないんだろうな・・・。

 最近は何故か自分でも信じられない程食欲旺盛で、夏バテとは無縁な道を突っ走っています。BOXでもよく私が何かを口にしている姿をよく見かけることでしょう。こんなに食欲があるのはおそらく中学の時以来ではないでしょうか。原因はまったく不明ですが、とりあえず悪いことではないのでよしとします。多少太ったところでどうこうなるような体型でもないですしね。

1999年7月27日火曜日

テストヤマ場

 さて、ついに私も明日、明後日と前期のテストのヤマ場を迎えます。ちょっとばかりヤバイですねぇ・・・。とりあえずは社会学理論。ハーバーマスなんぞ知るかぁっっっっ!!!!!! そしてレポートもあと3つ。文芸方法論はまだいいにしても、言語情報処理と実験実習はちと辛いです。これから2、3日が勝負です。さてどうなることやら・・・?

1999年7月26日月曜日

"今"か"未来"か

 さぁ、選択肢は2つです。

「近い未来は相変わらずでも、遠い未来は素晴らしいはず」

「先のことはわからないけど、とりあえず今をよくしていこう」

 ねぇ、皆さんならどちらを選びます?

1999年7月25日日曜日

濁流麻雀

 昨晩はウチでたっちーやPCK等で集まって麻雀をやってました。しかも朝の10時まで・・・!!!!! やってる時は時間はあまり気にならなかったのですが、冷静に考えるとこれは結構凄いことです。よくやったわ・・・。しかし最後の前の半チャンのオーラスは楽しかったですね>参加者の皆さん
あれだけの濁流の嵐はなかなかあるもんじゃないでしょう。気が向いたらあれは伝説にして残してもよいかな? たっちーよ、その時は牌の流れの描写の指導をしてくれ(笑)。

1999年7月23日金曜日

現代的でスカッとしたエチュード

 今日はギターの先生に新しい曲をもらいました。なんとブローウェルの『20のシンプルエチュード』全曲!実に総計26ページ!!!!! (←しかもその場で俺がコンビニに走ってコピー)誰か同情してください・・・(泣)。しかも渡される時の先生のセリフが妙に気になります。「君が来たら渡そうと思っていた曲があるんですけどね(以下略)」という言葉に「おっ、なんだろう?」期待してみれば・・・。これかい!? って感じでしたね。しかも「いつもはカルカッシのエチュードかソルのものを使うんですけど、君にはもっと現代的でスカッとしたものを」とのセリフも・・・。俺と普通とどう違うのか説明してほしかったです(泣)。っていうか、あの先生なんか俺に現代曲弾かせたがってるような気がするんですけど気のせいでしょうか? ポンセの曲を渡された時からなんとなくそう感じていたのですが。っていうか最初の頃から「いずれ君にはもっと現代曲っぽいのも弾いてもらうことになるかもしれませんが」とか言っとったもんなぁ・・・。まぁ最初に先生に習いに行った日に「どんな曲が弾きたいか」と聞かれて俺があからさまにバロックと現代曲という俺の好みが出た解答をしたせいもあるのでしょう。

 しかし彼は「このエチュードにはブローウェルのあらゆる曲の片鱗が詰まっています」と言っていましたが、俺はブローウェルが弾きたいなんて言った憶えは微塵もねぇ・・・。ヤツの音楽は基本的に俺の感性とは少し違うのだ・・・。とかいいながら今一番お気に入りの『11月のある日』はむっちゃブローウェルの曲だったりするのですが。とりあえず来週までに一つ弾いてきてくれとのことでしたので、たまたま手持ちのCDにシンプルエチュードは入っていたので聴いてみて、なんか『黒いデカメロン』を弾いているかのような気分が味わえるエチュード6番を選んで今日弾いてました。しかも弾いてたらあの怪しさにハマッてしまい、段々弾くのが凄く楽しくなってきたという・・・。もしかして先生の術中にハマッてるのか!? しかしこの曲集の中には前衛時代のブローウェル丸出しの恐ろしく意味不明な曲も・・・。俺は『舞踏礼讃』とか好きじゃないんだけどな・・・。でもあからさまにそれを彷佛とさせる曲もあるんですよね。まぁ確かにいい練習にはなるんでしょうけど。

1999年7月22日木曜日

定演独奏候補曲

 さてさて、真面目な話、私は定演の独奏何を弾きましょうね? 曲としての完成度を考えると何を弾くにしてもそろそろ弾き始めないとヤバイんですけどね。とりあえず現時点で候補となりえる曲はいくつかあるのですが、それがそろいもそろって何かしら問題があるときている。困ったものです。ちょっとリストアップしてみると・・・、

・11月のある日(L.ブローウェル)
 イ短調の綺麗でセンチで哀愁溢れる実に俺好みな曲。曲調的にも自分のスタイルには合っている。が、前半部分は1回生でも弾ける程簡単な上に後半も決して難度が高いわけではなく、何より3分弱で終わってしまう短い曲。いくらブローウェルの曲という名目があっても、果たしてコイツをC技が定演の独奏で弾いてもいいのかという疑問あり。しかし俺は実はこれが一番弾きたい。

・エチュード11番(H.ヴィラ=ロボス)
 全編を通じて怪しげな雰囲気が漂う、『11月のある日』とは違った意味で俺らしい曲。勝手に抱いたイメージ及びテーマとしては「火星~軍神マーズの襲来~」。弾いてて思わず笑みがこぼれてしまうような徹底的な怪しさがお気に入り。難点としては、とにかくコイツも短い!やはり3分ちょっとで終わってしまう。ただしそれもプロ並のスピードで弾ければ、ということなのだが、この曲はやはりそこそこのスピードがないとカッコ悪い。果たしてそれほどのスピードをこの俺が安定感をもって弾けるかが問題。そして左手のストレッチが異常にキツく、凄まじく腱鞘炎に悪そう。実際この前この曲弾いてて左手が熱をもった。というか、こんな怪しい曲定演で弾いていいのか!?

・大聖堂(A.バリオス)
 当初の予定はこの曲だった。これが弾ければ問題ないのだが、いかんせん難しい(泣)。ただ弾くだけなら弾いて弾けないこともないのだろうが、曲として人に聴かせるとなると定演までに完成を見るのは相当修羅っぽい。気合でどうこうなる次元を超えた難しさのある曲故にな。

・ブラジル風バッハNo.5よりアリア(H.ヴィラ=ロボス)
 何となく異国情緒溢れるムード感と、儚さの漂う美しい旋律が魅力の曲。しかしピチカート奏法を交えた譜面はヘ音記号も混ざった大譜表で表記されているのと相まって実に読みにくい。解読するのに恐ろしく労力がかかるのだ。そしてこれも速くないくせに難しい。ムードが命の曲だけに完成度が低いととても聴けたもんじゃないだろう。7分と長い曲のくせにイマイチ盛り上がり所に欠けるのは、一般の客層にはちとツライかもしれない。

・ベネズエラ風ワルツ第3番(A.ラウロ)
 最近村治さんも弾いて流行りつつある(?)曲。これもエキゾチックな空気と怪しく軽妙なノリがカッコいい曲だが、やはり2分そこそこで終わってしまうという短さが泣き。そしてこれは聴いている分にはいいのだが、いざ弾くとなると俺の手の内に入る部類の曲ではないような気がする。なんとなくだが。

・リュート組曲第4番よりプレリュード(J.S.バッハ)
 常に俺の中で本命であり続けているバッハの曲だが、『大聖堂』もまだ可愛いくらいに難しい・・・。これだからバッハってヤツぁ...。

 とまぁどれもこれも問題アリでねぇ・・・。誰か俺にいい曲紹介してくれよ・・・。

1999年7月21日水曜日

P's MIDI

 さっきインターネットでいいMIDIを探して彷徨っていたらP's MIDIというサイトに辿り着きました。そこの管理者の方が作曲したバロック組曲第2番のプレリュードにすっかり魅せられてしまい、思わずそれをギターで弾けないかアレンジをはじめてしまいました。原曲のキーだと調性があまりにギター向きでなかったので、キーを半音上げてBマイナーにし(本当は半音下げてAマイナーにしたかったけど、そうすると低音の音域があまりにキツイ)、色々といじってたらどうにかギターで弾けそうな感じになってきました。もう現段階で二重奏でなら完璧に弾けるのですが、明日からどうにか独奏で弾けるよう実際にギターを持ちながらさらにアレンジを進めるつもりです。もし本当にギター独奏でいけるようなら作者の方の了解をとって定演のソロでこの曲を弾こうかなとも。いい曲ですよ。興味のある方がいましたら氏のサイトを訪れて、オリジナルのところのバロック組曲を聴いてみて下さい。

1999年7月20日火曜日

過ぎ去りし日々へ

 人は一生の中で、一体どれだけの荷物を背負い込んで生きていかなければならないのでしょう。忘れていたその重さがふとした瞬間にまたのしかかってきた時に、どっとくる疲れとともに思わず膝を折ってしまいそうになります。一体罪はどこにあるのか、理性が罪なのか感情が罪なのか、正解が罪なのか過ちが罪なのか。色々なものが交錯してわからなくなります。けれども結局自分でも何が罪なのかすらわからないまま、また重い荷物を背負って歩き出すしかないのです。その重みがただの足枷にならぬよう、精一杯すべてを受け入れながら。喪失という名の下に、目の前から消えていってしまった小さな小さな幻達が、ただのお伽話にならないように。

1999年7月17日土曜日

聖帝降臨

 今日はBOXに京大の聖帝T君と同じく京大4回生のT氏が出没しました。T氏の方が今年の京大の定演でフラメンコを弾きたいそうで、ウチに習いに来たのです。そして聖帝T君は半ば巻き添え・・・(?)。とりあえず私は彼にボチボチ曲弾いてもらったり、何より京大にあったブローウェルの『11月のある日』の譜面のコピーをもらったりしてホクホクでした。やっぱ京大はマニアックな品揃えは素晴らしいですね。そしてT君のギターはやはり凄いです。さすがコンクール優勝者といったところでしょうか。『タンゴ・アン・スカイ』を「とりあえず弾くだけでいい簡単な曲」と笑って言い切る時点で間違ってる・・・!!!!! 恐ろしい男です。

1999年7月15日木曜日

怒濤の二人カラオケ

 今日はなんだか妙なテンションの下、たっちーと二人で2時間カラオケに行ってきました。しかも最後の45分程は二人ともGLAYとXしか歌わないから叫ぶ叫ぶ。たっちーの『DARIA』と俺の『Standing Sex』をピークにとても二人とは思えない異常なテンションの高さを誇ってましたね。しかもたっちー、いきなり1曲目からガッチャマンのテーマ歌うし・・・。凄かったよ。そしてその後すっかり盛り上がったままさらに二人で酔心へ。飲んで語って、そしてその後さらにBOXへと帰っていきました。一体今日の俺らの意味不明なノリはどこからやってきたんでしょう・・・?

1999年7月14日水曜日

寝れる・・・

 今日はやっと仕事もレポートも終わって、明日は3限の時間から補講の授業補助が入っているのみ。待望の普通な睡眠時間がやっととれます。嬉しいですね。

1999年7月13日火曜日

『11月のある日』を探して

 今日は朝からずっとディスプレイに向かってホームページ作ってました。久し振りにコンピュータで詰め仕事をやりましたね。しかしこれから(現在およそ1:30A.M.)まったく手付かずのヨーロッパの音楽のレポートを朝1限までにあげなくてはなりません。寝られねぇ・・・!!!!! 困ったものです。

 そう、今日は現代ギター社に注文していた品々が届いたのでここまでCDを聴きながら(CDは5枚買ったので聴くものには困らない)仕事していたのですが、ブローウェルの『11月のある日』に涙が溢れんばかりに感動してしまいました。ブローウェルといえば現代曲のお約束、「意味不明だけど何かカッコいい」路線の王道で、今回買った『ブローウェル作品集』も基本的にはそんな曲の集まりだったのですが、この曲に関しては終始物悲しげで切なく美しいメロディーが流れる哀愁に満ちたまともな路線で攻めてきていて、それがまたたまらない・・・。マジで久し振りに涙がちょちょ切れそうになりましたよ。この曲も弾きたいな。でも『11月のある日』は正式に譜面は出版されていないとの噂も耳にしたけど、でも京大とか京産の人は弾いてたよな・・・。ということは聖帝T君に頼んで京大のBOXに行けば譜面が手に入るか!? 弾きたいよ。いい曲だよ・・・。

1999年7月12日月曜日

1999年度京都ギター連盟定期演奏会

 今日は京都ギター連盟定期演奏会の日。ハッキリ言って前日の時点では今日がその日だということを忘れてました(爆)。しかも俺ソロやんのに・・・。まぁまぁそんなのもよくあることです(?)。演奏会の方は京大の聖帝T君と龍大つっきー、それに京都芸大のフルートの女の子とアコーディオンの4重奏でやった『ブエノスアイレスの冬』と同じく聖帝T君とつっきーの二重奏『ジョンゴ』が反則的に(っていうかむしろ反則)カッコよかったということが特記事項でしょうか。ヤツらは凄ぇよ。私の『花祭り』は、まぁ練習もあまりしてない(今日が本番って忘れたしなぁ)ので納得度としてはイマイチでしたが、何故か結構評判はよくて単純な私は微妙に嬉しがってたりもします。最近オーラでごまかすという技を覚えましたからね(笑)。

 しかしコンパのときつっきーとも話してましたが、考えてみるとこれでギタ連ももう終わりなんですよね。1回生会のとき以学館の階段のところで初めてつっきーと出会ってから今まで、本当にあっという間だったような気がします。こうしてひとつひとつ部活の大きなイベントが終わっていくんだなと思うとちょっと寂しかったりもしますね。最近は部活が楽しくて、それこそ青春の残り火と言わんばかりの日々を満喫していたりもしますが、それも時期がくれば確実に終わるんだなということを実感してしまいます。つっきーとは最後に握手をしてお互い定演頑張ろうなと言って別れてきましたが、もう去年のギタ連定演でやったブランデンブルグのようにコンビを組む機会もないんだろうなと思うとね・・・。時の経つのは早いものです。

 つっきーと最後に話していた時に、ボロボロに酔った(?)状態で彼が「俺は人の演奏でやる気をかきたてられることってあまりないんだけど、京大の独重のセルシェル(あだ名)と立命のおまえの演奏を聴いて凄くやる気が出てきた」と言っていたのが何か嬉しかったです。自分のギターで多少なりとも人の心に何かを残していくことができたからかもしれません。思えば1回生会で『グリーンスリーブス』を弾いた頃と比べると私も随分うまくなったと思います。というかさすがにその頃と比べてうまくなってなかったら困りもんです。やっと最近自分なりの形というかが見えてきました。2回の頃はそれこそ技術至上主義的な傾向が強かった私ですが、最近になってだんだんとその傾向は薄らいできています(もちろん基礎技術はあった上でということですが)。譜面通りにミスらず曲想もついて完璧に弾けてても、それがそれだけで感動できる演奏にはならないということがわかってきました。うまく言えないんですが演奏の説得力というものは何処かそことは別の所から生まれていて、それによって人の心に少しでも何かを残せる演奏をしたいと思うようになってきました。PCKの言葉を借りるなら「味で勝負」といったところでしょうか。今愛用しているラミレスを手にして、このギターならもっといい音が出せるはず、もっと伝えることができるはず、とそう思ってやってきたのも影響しているのかもしれません。ねぇ、やっぱり音楽はいいですよ。人の心に色々なものを与えることができて、あるいはお互いに色々なものを感じることができます。ずっと前、ギターを持つ以前からやっぱり音楽は好きでしたが、自分で楽器を弾けるようになって、そして楽器を持ってから随分と時が経った今でもそう思います。思えば私が楽器を持ったきっかけというのは中学の時、先輩のバンドのライブを見てカッコいいと思い、自分もあんなふうになりたいと思ったのが始まりでした。願わくば私の演奏を聴いてくれた人の心に何かを残せて、そして誰かの憧れとなれるくらいの音楽を私も奏でられるようになりたいものです。随分と大それた願いかもわかりませんが・・・。

1999年7月9日金曜日

多忙

 明日はドイツ語のテスト。もう再履はくらわない!今度こそ取るぞ!!!!! ・・・とかいいつつ現在もネットでかなり現実逃避モード入ってるんですねー(苦笑)。ヤバイぞヤバイぞ。いくらなんでもこればっかしゃ勉強せな取れへんからな・・・。しかも明日までに前期総轄書かなならんし、昇格記念資料の文章も明日までだし、夏休みのBOX当番の決定及びプリントの作成も明日までだし、Bアンの要項も明日までだし、・・・ってちょっと待て、そんなにやることあんのかよ!? 頼むぜ、オイ・・・。

1999年7月8日木曜日

開設一周年

 さてさて、今日は7月7日、七夕です。彦星は無事織姫との邂逅を果たせたのでしょうか。そして七夕といえばこのホームページ、ちょうど去年の7月7日に正式公開が始まったんですよね。何だかんだ言ってこの

 思えば私が高校時代に、部活(そして3年の時はクラスも)のある友人に倣って自分で書いた作品をルーズリーフに印刷してバインダにまとめて友人達に公開していたあの頃の延長線上の志の下作成を決意したのがこのページの始まり。この1年の間はその「仲間に自分の書いた文章を読んでもらってひとときの娯楽にする」という意図はある程度達成できたように思います。BBSも予想以上の繁昌ぶりで、管理者としてはとても嬉しく思っています。最近は忙しくて更新も滞りがちですが、このページを訪れてくれる仲間がいる限りできれば毎日訪れる度に新しいコンテンツが加わっているようにしたいという思いは変わりませんし、それを読んだ人がその人なりの楽しみなりなんなりを感じていただければという思いも変わりません。これからも頑張ってこのページを充実させていくつもりですので、皆さんどうぞよろしくお願いします。

1999年7月7日水曜日

報告

 只今飲み会中!よってこれ以上の更新は臨めませんのでヨロシク。

1999年7月6日火曜日

ブランデンブルグ協奏曲編曲完了

 最近この日記の更新のペースが乱れてましたが、それは私の私生活及び睡眠生活が異常に乱れていたためです。どうもごめんなさい。とりあえず定演のAアンのブランデンブルグ協奏曲の編曲は全て無事終了し、Encoreでのノーテーションも完了しました。とりあえずデータを上げておきますので関係者の方々チェックお願いします。例によってクラギタ標準のSSW形式Zip圧縮ということで。


1999年7月4日日曜日

徹夜徹夜、そして・・・

 なんか徹夜麻雀と飲み会が2日連続・・・。朝9時の更新です。よくわからないがとりあえず結構楽しんで疲れてます。しかも今日はこれから劇団月光斜の夏公演『小林少年とピストル』を観に行って、その後京大の独重に行ってきます。さてもう一日頑張りましょうか。

1999年6月30日水曜日

無題

 安らぎが訪れるのは、まだずっと先のことなんだよ・・・。

1999年6月29日火曜日

残り火

 独重は終わったものの、精神のスイッチは未だ切れず。ちょっと時間があると、何故かBOXに足が向いてしまうのです。今日も何故か11時にBOXを追い出されるまでギター弾いてました。やっぱ『大聖堂』いい曲だよね。わしゃ1回の頃からあの曲が弾きたくてここまでやってきたようなものだし。そろそろ私もこの曲に挑戦してもいいくらいの実力は身につけられたのでしょうか? まだ微妙に『大聖堂』には届かない気もしますが、そろそろ憧れに手を出そうかなとも思います。

1999年6月26日土曜日

独重終了!

 さてさて、とうとうやってきた独重奏会当日は、ホールに8時50分集合のところを8時半に起床(ねぼう)、慌てていそいで行ったら生ゴミの出してあるゴミ捨て場に自転車ごと突っ込むという実にシュールな始まり方をしました。しかも昨日から続く不調は午前中のリハではまったく回復の兆しを見せず、かといって腱鞘炎を抱えた左手で闇雲に練習するわけにもいかず、仕方がないのでのんびりと事態を静観しながら手が冷えない程度に30分おきごとくらいに軽く15分ほど練習というペースでやっていました。あまり当日に弾き倒すと去年みたいに本番でスタミナがなくなるという可能性もありましたしね。とまぁそんな感じで正直本番大丈夫かなと思っていたわけですが、嬉しいことに午後の通しリハの辺りから不調は脱却してきて、だんだんと調子が上向いてきたのでそれにともない精神的なテンションも上がっていって、いい感じで本番を迎ることができました。といっても最初の『セビリア』の時は結構緊張してて出だしをとちったりもしたのですが。この『セビリア』では黒のスーツ(上着付き)に黒のシャツと黒尽くめの格好で出ていって夜の匂いを漂わせてみました。「ホストみたい」との狙い通りのアンケート結果が返ってきましたね(笑)。まぁまぁ演奏の方はお互いのミスをお互いがカバーするという形で勢いだけは豪快にいけたのではないでしょうか。正直完成度的にはこれが一番不安だっただけにね。あれは決して全体の調子が悪かったわけではないです。第一部は重奏がメインでしたが、皆大きな舞台の中、多少の緊張はあってもそれに潰されることもなくよくやれたと思います。

 第二部のフラメンコステージは私は三部への調整と精神統一に入っていて聴くことはできなかったのですが、まぁウチのFメンバーは歴代でも最強だと確信しているので不安はなかったです。やはりアンケートを見ても大好評だったようですしね。強いよ、あんたら。

 そして第三部。去年の定演の時にも使用したラテンの青シャツを着て弾いた『オリエンタル』も「空間を支配したかのような(アンケートより)」曲調が好評だったようでよかったですね。しかしこれも一部の実力者には、曲を練る時間がなくてかなり素で弾いていたのはばれてしまったようです(苦笑)。すみません、実はこの曲かなりの突貫工事でした・・・。第三部はその後まさやん(偽)のプレリュード、シノの『ダンサ・ブラジレイラ』と続いていったわけです。まさやんは2回からの入部でよくあそこまで、といった感じで感慨深いものがありましたね。1回から入ってればC技を彼女に押し付けて指揮やってたのに(?)。まぁ本番では練習程の実力は出せなかったようですが、彼女は去年の定演も出ていなくてこれが初の大舞台なのですからまぁ無理もないことでしょう。頑張りました。でも彼女の名誉のために言っておくと、練習の段階では一部の先輩達の間では私の『シャコンヌ』より凄いとの声も上がっていたんですよ。シノの『ブラジレイラ』も、曲の練習過程での彼の努力と苦悩を端で見ていただけにね・・・。彼も私と同じで腱鞘炎(おそらく)にやられてしまって手がかなりヤバい状態で弾き続けていたのですから、もっと弾きたいのに手がいうことを聞いてくれないというもどかしさはよくわかります。もう独重も終わったし、お互い少し休養を取ろうな・・・。

 そして最後、演奏会の大トリで私の『シャコンヌ』が出てくるわけですが、ハッキリ言ってこの時私はムチャクチャ緊張してました(苦笑)。自分を元気付ける意味も含めて最後ステージに出ていく時は袖に残っていたシノとまさやんに向かって「伝説を作ってくる」とかほざいて出て行ったのですが、実は内心今にも潰れかねない程のプレッシャーを感じていたのです。それでも舞台に出る時は頑張って大物ぶってれば、開場のうちの何人かはそれにだまされてくれるかもしれないと思い必死で余裕ぶった入場してみせましたが。でも構えた時にはまだプレッシャーに支配されていて、このまま弾き出したら絶対潰れると思った私は当初予定に入ってなかった精神統一に入ることになったわけです。そう、一部の人の間で「ビスマルクか?」とささやかれたらしい、いつもの眉間に指を置くあのポーズです。必死で「問題はない」と自分に言い聞かせてました。あれはホントにアドリブなんですよ。まぁそれでいざ演奏を始めてみたら何かが私の中でふっ切れて、余計なことを考えずに演奏に集中できたのでよかったです。第一バリエーションで本来G→Fと弾かないといけないベースを間違ってG#→F#と弾いてしまったという大きなミスも「もういい」と流して知らんぷりして余裕ぶっこいたふりして進んでいくという開き直りぶりが、何人もの人に私はノーミスで弾ききったものとの錯覚を覚えさせていたようです。他にも2、3、4弦で和音を鳴らすところを3、4、5弦で弾いてしまい、ミスッた5弦を左手の空いてる指で瞬間的に押さえて音を消すという荒行があったりと、実は色々ミスッてました(苦笑)。まぁでも途中からは本当に演奏もノッてきて、もう悔いは残らない程の演奏ができたので嬉しかったです。この『シャコンヌ』は評判もなかなかよかったようで、半年間この曲にかけてきた甲斐があったなと出迎えの時は勝手に悦に入ってました。いつもは笑顔で厳しい批評をくれる京大のT君も『シャコンヌ』は凄かったと言ってくれたのが嬉しかったですね(ただし彼は『オリエンタル』にはかなり厳しいツッコミをくれた)。

 今年はフラメンコが強くてクラシックが押され気味でしたから、「クラシックもいい」とか「C技の勤めは果たした」とかいうアンケートを見る度にじ~んときました。やはり年をとると涙腺がゆるむものらしいですね。たとえそれがたった一人だったとしても、今回のCステージを見てクラシックの魅力に気付いてその道を志してくれる人があればそれでこれまでの心労も報われる気がします。とりあえず出演者及びスタッフの皆さん、独重お疲れさまでした。来てくれた人もありがとう。今度は定演頑張りましょう。

1999年6月25日金曜日

〆切間際の破壊神

 独重前日、破壊神降臨!!!!! なんかしらんが今日は私の中に壮絶な破壊の暗黒神が降臨し、BOXにあった木材を手に暴れ回ったり学生会館のゴミ捨て場を蹴散らしたりロッカーをぶん殴ったり突然叫び出してみたりと散々な破壊活動を展開していました。BOXの廊下の外の階段のところでたたずんでたところにラッパの人が上がってきて、その彼にガンを飛ばしたらその人はすっと振り返って下に降りていったという事件も。きっと今日の私の目は殺意に漲り血走っていたことでしょう。さぁ、明日は頑張るぞ!!!!!!

1999年6月24日木曜日

関空へ

 さてさて、今日は関西空港にまでちょっくら遠征に行ってきました。まぁ空港は思っていたよりシンプルでわかりやすい構造になっていたのでよかったです。しかしあまりに早く着き過ぎてしまい、時間を潰すのに結構苦労しました。結局ソファ(?)のところでひたすら本読んでたんですけどね。とりあえず行きしは阪急と南海電車をひたすら乗り継いでいったらとにかく人酔いしてしまって疲れました。帰りはリムジンバス使ったから楽だったけど。

 しかしまぁ独重で弾く曲が『シャコンヌ』でよかったです。今の精神状態ではソロであれ以外の曲を本当の意味で弾くのは難しかったでしょう・・・。

1999年6月23日水曜日

二回生会とFC発表

 今日は独重本番前のFC合同発表の日。幸い2回生会が同時に開催されたためホールが使えたのでステージの上での発表という意味で緊張感のあるいい機会でした。私は『Over the KIYO』を目標に練習してきた閉眼奏法(?)も極めつつあり、不必要に自分の世界を構築するということができるようになってきました。これはよいことなのでしょうか?

 しかし今年の2回生会には笑わしてもらいました。司会のナレーションうますぎじゃ!ギターあり歌ありブルースハープありピアノありタイタニックあり落語(!)ありのバラエティーに富んだ構成はいかに去年の俺らの2回生会が適当だったかを思い知らせてくれましたね。面白いよ、あんたら。

1999年6月22日火曜日

『Prisoners in Paradise』及びテーマとしての"道"

 ヨーロッパの『Prisoners in Paradise』に涙する今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は最近おそらく大学入学以来最大の精神失調に見舞われ、皆といる時はともかく一人の時は異常に不安定な精神状態の中眠れぬ夜を過ごしています。いや、原因はやっぱわかっちゃいるのですが、だからといってどうにかなるかというとそれがどうにもならない(というかどうしたものかわからない)から不安定になるわけでして、おかげで幸か不幸か独重のプレッシャーなど心の隅っこに追いやられた状態になってます。現在の葛藤と独重のプレッシャーとどっちがマシかって言ったらおそらく後者なんでしょうけどね。きっと『やがて消え行く~』のインスピレーションもこの辺りからきてるんでしょう。というか明らかに。

 しかしNOVELの『ジングルヘル』を除いた3つ、アップしてから気付いたのですが、どれも重要な場面というかキーポイントとして"道"が出てきてるんですよね。『理想郷』の階段、『街灯のない道』はそのまんま、『やがて消え行く幻達へ』では景色のない分かれ道。特に意識していたわけではないのですが、多分私が文章を書く時に無意識の内に共通のテーマとしていた背景に"道"という表象が綺麗に当てはまっているのでしょう。3つとも描いた状況や意識の上で書きたかったことはまったく別なのに、その根底のところでは共通した大きなテーマが流れていたわけです。不思議なものですね。その"道"について分析してみると自分でも気付いてなかった私自身の人生観の一面にも気付かされました。面白いですね。自分で意識してないうちに出てきた表現で自分の意識が目覚めさせられるんですから。

Just like prisoners in paradise
Still far from heaven's door
We had it all but still wanted more
We're just prisoners in paradise
So close and yet so far
There will come a time no matter who you are
When you ask yourself was it right or wrong
For me to turn away
But hey, we're children of tomorrow
Hangin' on to yesterday.....

1999年6月21日月曜日

雑記

 今日は教習所の卒業証書をもらってきた後はずっと家でのんびりと過ごしてました。しかしたった4ヶ月の教習とはいえ、卒業証書をもらう時は何かしら感慨深いものがありましたね。う~ん、ただでさえ忙しいのによくやったよ・・・。

 で、もうすぐ独重ということでギターも弾きたいところだったのですが、今日は何故か朝起きた時から左手の筋の調子がおかしく(というか痛い)、さらにちょっと弾いてたら左の小指がなんかときたまうまく力が入らずにカクッとかなってしまうという不穏な現象に見舞われ、今日はおとなしく練習は少なめにして調整程度に止めておきました。これって腱鞘炎が酷くなってきた時の症状の一つのバネ指ってヤツですかね? もしそれだったら冗談抜きにヤバイぞ。この本番前切羽詰まった時期に・・・。勘弁してほしいものです。

P.S. ブランデンブルグの編曲も佳境を迎え、早ければ今晩中にもあがるかもしれません。しかしあれは弾くのキッツイぞ・・・。

1999年6月20日日曜日

やがて消え行く幻達へ

 今日は何か朝(といっても起きたのは昼だったけど)から妙にテンションが低くてブルー入ってたのですが、夜から部活の仲間数名とウチで飲んでたらちょっとその状態から回復できました。ブルー入ってた原因が自分でわかるような、でも認めたくないような、そんな収集のつかない不思議な状態だっただけにありがたかったです。今(4:00 A.M.)はもう皆帰ったのでこれから寝ますが、ブルー入ってる時に適当に飲んで話せる仲間がいるってのはいいものですね、やっぱり。

 そう、昨晩遅くに久し振りに小説『やがて消え行く幻達へ』をアップしました。NOVELはほとんど1年ぶりの更新ですね(苦笑)。困ったものです。今回のは構想を練って書いた『理想郷』みたいなのと違って、本当にインスピレーション一発で書いたヤツなので少し粗さがありますが、まぁそこはそこということで。

1999年6月19日土曜日

初歩的情報リテラシー授業講師終了

 今日で4月から入っていた初歩的情報リテラシーの授業も無事全過程終了です。新入生を相手に少しでもわかりやすく、そして実用的かつ理解しておけば今後の発展が期待できる知識をギリギリの時間の中で解説するのももうこれで終わりなわけです。最後の授業はWordが題材だったのですが、まぁ最後だしということで、90分の時間の中でどこまでマニアックな領域に突っ込めるかのタイムトライアルとかやってました。

 結局コピー&ペーストの復習からフォント系の操作ひとしきり(アニメーション装飾含む)とライン系、段落系の操作全般(インデントとかも含む)、ヘッダーフッターの編集、背景の変更やテクスチャ等のいじり方、オートシェイプやワードアート、クリップアートの挿入とアレンジ、さらにはそのレイヤー移動とクリップアートのグループ化解除あたりまで一気に約75分で突っ切るという恐ろしい授業になりました。最後はもうクリップアートのオヤジの頭の髪の毛を飛ばして「ヅラだよ、ヅラ」とか言ってみたり、カメの頭や手足を消して甲羅だけにして「ノコノコー!」とかやってみたり、シルエットの人間の頭をすっ飛ばしてみたりとクリップアートでやりたい放題やってました。でもそっちの方が色々ハデな装飾や動きのある文書がどんどんできていって、新入生も面白がって色々やってついてきてくれたので、いっそのこ全部のクラスでこれやっときゃよかったとか思ってもみたり・・・。今日もMS Word恒例『あやしいボキャブラリー大会』はおおうけでしたしね(笑)。段落番号の自動入力の説明の際に、

「このボタンを押すと段落が変わる度に1. とか2. とか自動で打ってくれるのでとても便利です。例えばですね、え~っと、1. つつましく、2. あでやかに 3. しかしたくましく、・・・っと」

 とかやってるとうけがいいんですわ、これが。笑ってもらえるとこちらとしても嬉しいですしね。まぁまぁ楽しんでコンピュータに親しんでもらえればこの情報リテラシーの意味もあろうかと。せっかく立命は私大でもトップクラスの設備があるんだから使ってあげないとね。まぁ今回の講習ではたくさんのクラスを持たせていただいて(一時期俺が稼ぎ頭になっていた)、充分すぎる程の講師経験を積ませていただいたのでその意味でもよかったですね。来年もまたリテラシーの講師をやることが合ったら今年の経験を活かしてより楽しく充実したコンピュータへの橋渡しをしてあげたいなと思っています。

1999年6月18日金曜日

ギター故に

 最近ひたすらギターに生きているためか、あまり書くこともないので苦しいです。とりあえず左手はやはりやばいようです。

1999年6月17日木曜日

保つかな・・・?

 今結構左手がやばいです。演奏会前とはいえ一日5,6時間(多い日はもっと)の練習ペースを連日続けるのはさすがに半慢性化した腱鞘炎持ちには辛いようです。とはいえ4月の下旬頃のそれと比べればまだ震えがきてない分マシのような気もするので、25日の独重演奏会までくらいは多分もつでしょう。っていうかもたな困ります。もてよ~・・・。

1999年6月15日火曜日

無題

 物を壊すとか身体を傷つけるとか、そういったことはさして怒るに値しない。ただ、人の心を踏みにじるような真似だけは許容や慈悲を与える余地はないのです。物と一緒に壊された大切な思いは、何をもってしても償われることのできないもの。それがあなたにわかりますか?

1999年6月14日月曜日

ちょっと充実した一日

 やりました! とうとう自動車の卒業検定合格です。思えば入所したのが丁度4ヶ月前の2月13日。ジャスト4ヶ月の苦難の道のりだったわけです。先週一回卒検落とされた時はどうしてくれようかとも思いましたが、これで無事私の忙しさに拍車をかけてくれた教習所通いともおさらばできるわけです。素晴らしいことですね。今日はお祝いとして帰りに二条駅前の天下一品でチャーハン定食を食べてきました。美味しかったです。その他にも今日は昼寝もして休養も取れたし、ブランデンブルク協奏曲の編曲も多少とはいえ進みましたし、ギターの練習もちゃんとできましたし、セブンイレブンのスピードくじでいちごオレももらいましたし、ちょっと充実した一日でした。唯一の問題点は明日の外国文化講読のテストの勉強をしていないという点でしょうか。まぁこれから気が向いたらやります。

1999年6月13日日曜日

BKC独重

 今日はBKCクラシックギター部の独重演奏会。楽しみにしていたイベントがとうとうやってきました。私は今回アンケートにはあまり参考にならないようなことばかり書いてきてしまったのですが、それもまた逆説的な信頼の証(?)。皆さん頑張ったんだねというのが伝わってきましたよ。今回は同回生のメンバーが主役ということで、入部当初からの彼らの上達の軌跡がキャンパスは分かれていてもある程度わかるだけに感慨深いものがありました。特にてっちゃん(お)はわずか2年ちょいでよくもまぁあそこまで・・・(感涙)。あんたぁ頑張ったよ。てっちゃん(の)はもう反則っていうくらい圧倒的なグルーヴ感で・・・。2部が終わった後は皆して「てっちゃん(の)凄ぇ・・・!!!!!」ってため息ついてましたぜ。真次のフーガもよかったね。彼は本番に弱いという欠点も見事に克服してきたようで、あのがった難しい曲をあそこまで弾きこなせるとは大したものです。これもレッスンの成果でしょうか? とうとう高校時代からあたためていたリーサルウェポンを持ち出したKIYO。とりあえず言いたいのは「あんたぁいつまで目ぇ閉じとんじゃい!?」ということ。前半戦ほとんど目閉じてただろ? 困ったヤツだよ、まったく(笑)。演奏の方は多少KIYOらしからぬところはあったとはいえ、やはり圧巻のステージ立ち回り。さすがやね。皆さんお疲れさまでした。とりあえず私の中での本日MVPはわっきーの部長挨拶(爆)。聞いてて思わず「わっきーだよ」と思ってしまう人柄の滲み出た話ぶりが心にヒットしました。しかし内容的には私が衣笠の方の独重のパンフ用に書いたC技挨拶とかなりかぶってる・・・。信じてくれ、俺はパクッてねぇっっっっ!!!!!! 後からやるとこういうところが困りものです(笑)。

 さて、今度は我ら衣笠の独重演奏会ですね。Cは一人2、3ステージ出場が当たり前という実にシビアな状況の中、BKCに負けないよう頑張りますよ。曲の濃さという点では既に負けてるけど(苦笑)。まぁまぁ衣笠Cは「絆」が合い言葉ということで。要は重奏が多いだけだろというツッコミも入りそうなところですが、まぁそこはそこ。楽しくやっていきたいと思います。

P.S. 今日やっとずっと探し続けていたバーンスタイン指揮のモーツァルト交響曲25番を見つけました。やはりカッコいいです。

1999年6月11日金曜日

無気力

 やけに大きな気合と倦怠感が同居する今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私はちょっと疲れ気味ですがとりあえず生きてます。なんだかね、色々やらなきゃいけないけど、難しいよ、困ったことに。さてさてなんかこの無気力というか無集中力状態を打破するいい手段はないものでしょうか?

1999年6月10日木曜日

疲労とタヌキ

 そろそろマジでやばいかも? だから倒れるのは独重が終わってからでいいってばよ・・・。とりあず今日はBOXの裏の茂みにタヌキがいました。それも2匹。

1999年6月7日月曜日

ブランデンブルグ編曲開始

 今日は夜から(やっと)Aアンで使うブランデンブルグ協奏曲のアレンジを始めたのですが、なんか1st (alt) は最初の10数小節にして早くも「弾けるか、こんなん!!!!!」という場面にブチ当たってます(苦笑)。というかですね、ブランデンの3番はバイオリン、ビオラ、チェロとがそれぞれ3パートずつに分かれてるんですよ。それを1つのパートにまとめようと思ったらあまりに息が長いムチャなスケールとか出てきたんで、とりあえずの回避策としてもう始めから1st上声、1st下声というように各パートを分けて記譜することで単体の難度を下げて実質総計6パートでやるようにしむけたわけです。が、そうすると今度は単体の難度が下がってさらにはパートが増えた分音の取捨選択の幅が広がって曲に奥行きが出たのはいいんですが、今度は合奏で合わせるのがムチャクチャ辛そう・・・。しかも多少はマシになったとはいえ、全パート(ベース含む)にかなりきっついスケールが待ち構えていることに変わりはなし。我々はホントにこの曲をやるんでしょうか? これやって25番やって『リベルタンゴ』やって、ってやってたら定演じゃC独奏はおろかBアンを仕切る余裕すら無くなりかねんぞ。ただでさえ25番にも152のスケールが待ち構えているし、『リベルタンゴ』ときた日にゃもう譜面からして意味不明やっちゅーに・・・。

1999年6月6日日曜日

飲み会無法地帯

 ウチの下宿の無法地帯度がいよいよもって増してきている。今日も下宿の駐輪場に着いたらいやにデカイ宴の声が聞こえ、それだけならまだしも駐輪場の道に豪快な吐瀉物が・・・。「オイオイ、マジかよ。スパークしてんな・・・」とか思いつつ踏まないように気をつけて進んでいくと、何やら後ろでピチャリとかいう音が。どうやら上から何かが落ちてきているらしい。そしてふと後ろを向くと、なんと2階のベランダから何者かが現役バリバリでリバースの儀式を行っていたのだ・・・!!!!! 頼むぜ、オイ、って感じである。マジでスパークしとった。確かにウチは下宿に管理人もいないし、大屋とかが近くに住んでるわけでもないし、更に都合のいいことには結構防音のしっかりした構造になっていて(私が下宿を選ぶ際目録で「防音加工」と書いてある下宿を選んだのだ)騒ぐには実に具合のいい下宿ではあるが、そこまで行くとどうかと思うぞ。騒ぐ分には部屋に入れば別に聞こえないし気にならないからいいが、2階から駐輪場に向かって吐くな・・・!!!!! もう少し人としてのなんたるかを知ってほしいものである。

1999年6月5日土曜日

深夜の北白川MKボウル

 今日はアフターが終わってからBOXに戻り、11時に学生会館を追い出されるまでギターを弾き倒した後さらに北の方(詳しい地名は知らないが北山通のさらに北の、少なくとも堀川より東)にあるMKボウルまで皆でボーリングに行ってきました。私の「ピンよ、倒れろ!!!!!」念じる際の指差しでタクトを振り切るような仕種が何故か皆の爆笑を誘っていました。しかしスコアはイマイチ伸びてくれなかったです。そして今日は高校時代に仲間と研究していた幻の魔球『飛跳球』を久しぶりに投げてきましたが、これもうまく決まらず2発投げて両方ともガーターという不発な結果に終わりました。残念です。今度はキメます。

1999年6月3日木曜日

緊急飲み会

 今晩はこれからShino邸で緊急飲み会です。緊急といっても何かが切羽詰まっているわけではなく、ただノリで急に集まろうとなっただけ・・・。ということですので行ってきます。

1999年6月2日水曜日

『海のファンタジー』合奏団募集中

 『海のファンタジー』がやりたい。あんな超巨大編成向けの難易度特Aクラスの曲がウチの大学のアンサンブルの実情でできるとも思えないがとにかくやりたい。あの「あ~ああ~ああ~ああ~あ・・・」ってコーラス(←わかんねーよ!!!)が耳について離れないのだ。コーラスは、・・・まさやんとこにでも頼んで出張ってもらうか!? KIYOよ、キミの母校からひとつ譜面パチってきてくれ~(結構マジ)。そしてどこかでまた有志合奏ででもやろうじゃないか。KIYOの必殺技でも出しそうないかした指揮も見てみたいよ。求む『海のファンタジー』合奏団。

 ちなみにバッハの『2つのバイオリンのための協奏曲 BWV1043』もやりたい。最近俺の部屋で一番ヘビーローテーションでかかっている実にカッコいい曲だ。『調和の幻想』もよかったが、やはりビバルディではバッハの圧倒的な構築美には勝てん。素晴らしいよ、J.S.バッハ。

1999年5月31日月曜日

ちょっとだけ運命論

 今日でもう5月も終わり。なんかGW明けのこの1月はあっという間にパーッと過ぎ去っていったような気もしますね。なんやかんやで色々とあったせいもあるんでしょう。最近は部活の方も独重演奏会前ということで活気付いてますし、やたらに種々雑多な動きもありましたしねぇ・・・。おかげで帰りは遅いわときに精神疲労度がMAX振り切るわでちょっち大変だったりもしたわけですが、まぁまぁ久し振りに青春させてもらってるって感じですかね(笑)。色々な意味でそれもアリです。

 でもまぁ青春と言えば私の場合そのピークは高校時代にあったわけですが、その時拓いたある種の悟りのようなものは時を超えて今でも私の最大の経験則であり黄金率であるように思います。その中の一つは何度かこの日記でも出てきた「今やっていることの答えは忘れた頃に時が教えてくれる」というものですが、最近は他にもいくつかある内の一つ、「自分が確固たる決意を持って行動に移したことは意外に未来に大きな影響は与えない。それよりも何も考えないふとした気紛れや一瞬の偶然が決定的に未来を左右することがある」というものの方を強く感じます。いや、特に何があったというわけでもないんですがね、なんか周りを見てるとそんなんかなぁとか思ってみたり・・・。要は偶然の強さというか、意識を超えたところにある運命のようなものというか・・・。うまく説明できないんですけどね、そんなもんを感じるんですよ、何故か。高校時代の私の言葉を借りるなら「無数の運命と一つの偶然が重なり僕達を導く」といったところでしょうか。わかる人にはわかってもらえると思うんですが・・・。「あのときのちょっとした気紛れがなかったら今の自分(あるいは状況)はなかった」ってことは冷静に考えると結構多いんですよね。あのときちょっと友人に付き合って何処かへ行ったから、あのときふっと広告の文字が目に入ったから、あのときなんとなく発した言葉が・・・。あるんですよ、そんなこと。たまに運命のようなものを感じます。そしてそれを最近の部活の空気の中に感じるわけです。私の中の偶然は1回生の頃の4月、たまたま自然人類学の講議の最中に目に入った「クラシックギター部新歓演奏会本日」というような文字。他の人もそんな偶然が重なってBOXにいて、その中でさらに偶然が重なって今がある。そして最近の空気があり、そして・・・。最近は何かと充実しています。気合が空回り、忙しさの中で行き場のない虚しさだけを感じていた去年の秋とは違います。なんやわけのわからん文章でしたが、そんな今がある偶然に私はちょっと感謝してみたかったわけです。例えば同じ立命のクラギタに入るのでも、私が現役で入ってきていたら今の執行部メンバーと執行部として動くことはなかったわけですしね。

1999年5月30日日曜日

無題

 さてさて、先週一週間はとまれかくまれむやみやたらと忙しかったわけですが、今日はボチボチ体力も限界を迎えたらしく寝ても寝てもまだ寝られました(爆)。とはいえ教習所には行ってきて、その足でさらにJEUGIAに行ってバッハのバイオリン協奏曲のCDは買ってきたのですが。そしてその後に床屋に行って切ってもらっている間も寝て、家に帰った後でもまた寝てました。せっかくBOXから弾こうと思ってギター持ってきたのに、気付いたらもうギターが弾ける時間帯は過ぎ去っていてちょっと悲しかったですね。

1999年5月27日木曜日

『カントリーロード』編曲終了

 いや~、終わりましたよ編曲どうにか。締切りに遅刻すること数十分、しかしポピュラー合奏の集まりがあるうちにはどうにか譜面を渡すことができました。疲れましたね。編曲を始めてからジャスト24時間。ほとんどをそのためだけに費やしましたよ。その内3時間は睡眠、4時間は仕事が入ってますが。今日は風呂入ってから久し振りに飲みましょうか。明日はリテラシーの講師があるから程々に。

 しかし最近BOXに人が多いですよね。それはそれで楽しいからいいのですが、基本的に不特定多数の人と一緒にいる状況に疲れやすい性質がある私にとってはちょっとばかりしんどいです。やる気のある後輩の指導はしてても嬉しいもんですが、正直たまに一人で孤独に弾きたくなりますね。疲れてる時なんかは特に。ふぅ・・・。

1999年5月26日水曜日

『カントリーロード』編曲中

 今日は夕方以降の時間の大半を『カントリーロード』の編曲についやしました。が、まだできてません(苦笑)。でも7割方は完成していて、後はまだインスピレーションが来ない一部の3rdパートを書き足して、エンディングを付け加えてやれば完成です。でももう既に気力は尽きつつあります。さて、私は今晩中にこの編曲を完成させることができるのでしょうか!? ちなみにリンクは未完成版のMIDIです。参考までに。


1999年5月25日火曜日

多忙と疲労と終わらぬ雑事

 疲れた・・・。でも明日はゼミ発表・・・。『カントリーロード』の編曲も木曜のギタ連ポピュラー合奏練習初日までに終わらさな・・・。実験実習の計画書も書かな・・・。EXCELのお仕事も片づけな・・・。独重前さ、ギターも弾かな・・・。時間と体力をもっとおくれよ、お願いだから・・・。

1999年5月24日月曜日

山岳教習

 今日は教習所の山岳教習。雨も降って路面も滑りやすいのに山道をミッションで転がしてきました。でも下りよりもむしろ登りの方がなんか怖かったですね。先が見えねーんだもん。でもまぁ無事に帰ってはきましたよ。後は土曜に高速に行って、残りのコマを消化してしまえば再来週の日曜には卒業検定です。長かった教習所通いもやっと先が見えてきました。嬉しいことですね。

1999年5月21日金曜日

喋りづくめの一日

 なんか今日は朝から一日喋りづくめ。もう夕方の時点から喉がカラカラとして痛かったのに、何故かそれでも喋ってました。午前中は情報リテラシーの講師で2コマずっと喋りっぱなしでしたし、午後は午後で京産大の人と打ち合わせたり、不活の基礎練や新1回生の集団教習(のようなもん)でまた喋りっぱなしでしたし、その後の判別会では明日の新歓レクの予期せぬ事態により電話かけまくりーの話しまくりーので、終いにゃエブリデイズで飯食ってる最中にとあることで半ギレして怒鳴りながら「目障りだ。消えろ」とかまくしたてる始末。とどめとばりに判別会の2次会は私の家で適当に飲んでたのでさらに語りモード。はぁ、喉痛ぇ・・・。明日は喉がもつのでしょうか?

1999年5月20日木曜日

ギターと女の子の口説き方

 今日はギターのレッスンが終わった後、久し振りに家でのんびりと過ごしていました。といってもやったことといえば新聞と広告を分別して束にして出して(明日は新聞回収の日である)、ちょっとギター弾いて本読んでただけですけどね。今日あった関大の独重は、行った人間の話によるとかなり凄かったそうで、ちょっと行きたかった気もしますね。レッスンなければ行ったのになぁ・・・。『アラビア風奇想曲』がかなりうまかったとのことで、今一応その曲弾いている私としてはかなり気になります。この曲のおかげで私はギターの先生に「君は女の子を口説いたことがないのか!?」とか言われて、正しい女の子の口説き方について講釈を受けるハメになったりもしてるんでね(それも2週連続で)? まぁMDに録ってくれたとのことですので明日にでも聴いてみたいと思います。

1999年5月19日水曜日

懐かしい合唱曲『生きる』

 今日なにげに『おお、シャンゼリーゼ』のMIDIを探してネットを彷徨っていたら、偶然にも非常に懐かしい曲に巡り会いました。そう、私が高校3年だった夏、音楽部と言う名の合唱部で歌っていたコンクールの課題曲で、平成8年度、第63回全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲『生きる』です。あの頃は本当に青春真っ盛りと言わんばかりの夏を堪能していて、今思えばあまりに若く、そして青かった古きよき時代でした。この曲は正式には音楽部の3年生の最後の舞台となるコンクールで歌った曲で、助っ人として参加していた私も一応これが数少ないながらも最後の舞台となるはずでした。結局その後も文化祭に出たから最後の舞台とはならなかったのですけど。ア・カペラの曲で音を取るのは難しかったのですが、サビのメロディーと歌詞の一部が非常に気に入っていて、今でもそこは完璧に覚えています。

 まぁこの曲にはちょっとした思い出がありまして、実はこの曲を歌う本番の当日、それまでのムチャなスケジュールの強行軍な生活が祟って8月末という残暑もギンギンの時期にひどい夏風邪をひいてしまっていたんですよ。それで当日は咳もひどくって、他の高校が歌っている時なんて咳を堪えるのに必死でしたし、リハの時も顧問の先生に「顔が青いよ。大丈夫?」と聞かれるほど。残っているその日の写真を見ても明らかに不健康そうな表情で写っているという・・・。そんな状態でこの曲を歌って、それでも皆といる間はカラ元気振りまいてテンションを盛りたてて、ってやってたら夜には39度もの熱を出してしまっていたのです。でも次の日には打ち上げがあったのでその熱を押して出ていって、散々同期のヤツの家で騒いだ後カラオケで『イノセントワールド』を振り付きで歌うという荒行を・・・。今考えればバカな話ですが、その時には熱を押してでも出て行かないといけない理由、しんどいところを表に出さずに明るく元気にふるまってないといけない理由があったんですよ。そしてその次の日からは3日間完全に一歩も動けずにぶっ倒れたんですよね(爆)。しかも倒れてていいのもその3日間だけで、4日目からはまだ熱も下がりきらずに咳も残っているのに毎日フラフラと出かけていったという・・・。う~ん、若かった・・・。この『生きる』を聴いてたら、そんな青臭い、しかし今でも大切な過去として私の中で息づいているあの夏の思い出の数々が一気にフラッシュバックしてきました。

 あれからもう4年が経とうとしています。色々なものが私の中でも変わりましたし、外の世界も変わりました。あの頃大部分の人が使っていた小さな駅も改築されて、まったく新しいデザインのビルに変わってしまいましたし、高校の頃と違って学校近辺を歩いていてもそうそう知り合いに会うこともありません。何よりも学校に入った時の空気がどこか乾いていてよそよそしく感じるのは寂しいものです。春になったら花見をしようと言っていて、結局実現せずに終わったあの神社の桜は今年も綺麗に咲いたのでしょうか。皆で花火を観たあの川べりの景色は、今も変わらずそこに残っているのでしょうか。久しぶりに感傷に浸っていってしまいました。

空に木に人に私は自らに問いかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために・・・

1999年5月18日火曜日

クレージー無法地帯

 最近ウチの下宿が無法地帯となりつつあります。今日も11時にBOXを追い出されてからコンビニに寄って帰ってきたら、3階(おそらく)から窓をフルオープンした状態で男数人がデカイ声で「リンダリンダ~~~~~」とか叫んでました。しかもペットボトルやら食器やらガンガン鳴らしながら・・・!!!!! それはかなり遠くまで響いてましたよ。今日は1階の人もエレキギターをアンプにつないで練習しとったし、最近隣の部屋もよく麻雀やって叫んでる声が聞こえてくるし(知ってる人は知ってると思うが麻雀のジャラジャラやる音はかなり響く)、俺の部屋は俺の部屋で先週とか皆がきた時は夜更けのパルマとか早朝の忍者ハト笛とかでたいがいなもんがありましたし、冷静に考えると凄いですよ、これって。共同住宅の倫理も何もあったもんじゃありません。これなら深夜の12時くらいにBOXから帰ってきた後に家でギター弾いてても文句言われる筋合いないかな、とかマジで思えてくるくらいです。俺としてはうるさくて眠れなくてもいいから深夜の音出しが可能な方がありがたいですしね。まぁこの下宿はわりかし防音がしっかりしていて、一旦部屋に入ってしまえばリンダリンダも聞こえなくなるので、SHEROギターでクラシック弾くくらい大丈夫なような気もするのですが。でもさすがに下の部屋と隣にはある程度きこえますからねぇ。窓閉めればかなりシャットアウトできるけど。向こうが麻雀やってたら躊躇する余地はないんですが、静かにしてたら気がひけます。でも今度麻雀やってたら深夜ギターに挑戦するつもりです。下はベッドの上で弾いてりゃある程度O.K.でしょう、多分。

1999年5月16日日曜日

メルボルンよりの便り

 つい今し方、メルボルンのやくざことmachakicからメールが届きました。どうやら元気でやっているようで、こちらとしてもとても喜ばしいことです。メルボルンのやくざというのは、どうやら向こうの人にはmachakicの名前が言いにくいらしく、それでかベトナム人の友人が彼を「やくざ、やくざ」と言っていたらいつの間にかそれが定着して、今じゃ女の子まで彼のことを「やくざ」と呼ぶとか・・・。う~ん、早くもメルボルンで漢(と書いて"おとこ"と読む)を上げたなmachakic、って感じですね。machakicは呼んでるヤツが本当に「やくざ」の意味を理解しているのかはわからないと書いていましたが、おそらくわかってはいないんでしょう(笑)。なかなか楽しいワーホリライフを送ってらっしゃるようです。今はオージーの家にホームステイしてるとか。旦那さんがサミー・ヘイガーに似てるとか似てないとか。是非『JANP』を歌ってほしいところですね。ところでオージーって民族名? それとも地名? 文化地理的なことには疎い私にはわからんのです。誰か教えてください。でも住んでるのはメルボルンだから民族のように思うけど。

1999年5月15日土曜日

急ブレーキ教習

 昨日は家に帰ってからベッドに横になったとたん眠りに落ち、気付いたらなんと朝の6時。実に10時間も不意の眠りに落ちていたことになります。疲れていたのでしょうか。・・・というわけで今朝Macでこの日記の更新をしています。朝はまぁトラフィックが空いていて快適ですね。

 昨日はやっと(?)教習所で急ブレーキ教習を終わらせてきたわけですが、時速35キロからの急ブレーキは意外に衝撃は少なく拍子抜けした感がありましたね。しかし時速35でのスラロームは怖かった・・・。車で自転車みたいなムチャなコーナリングはするもんじゃないですね。

1999年5月14日金曜日

もやもやと

 なんかねぇ、今日は色々あって色々書くことはあるような気もするのですが、いざこうしてキーボードに向かってみると何故か何を書けばいいのかまったくアイディアが浮かんでこないんですね・・・。う~ん、最近エッセイや小説もネタはあれども形にならず、まとまった文章を書くインスピレーションというか、イマジネーションを具体化する起爆剤的要素が欠けています。何が原因なんでしょうね?

1999年5月13日木曜日

う~む・・・。

 昨日の日記で疲れたと書いたばかりでアレですが、今日は夕方頃からひどい頭痛と目眩に悩まされて死んでいました。それでも「問題はない。いけるいける」と半ば強引に自己暗示をかけギターのレッスンにはどうにか行ってきたのですが、その後はもう気力も尽きてしまい、頭痛と目眩と倦怠感に襲われるままバファリン飲んで10時過ぎまで寝てました。単なる暑気あたりという噂もありますが、それでも結構しんどかったですね。

1999年5月12日水曜日

無題

 最近なんか知らんけど無意味に元気な私ですが、ここ一週間ほどの豪快な生活が祟ってかさすがにボチボチ疲れてきましたね。でも今日も家に着いた時には時計は12時を回っていたりする・・・。まぁまぁ最近は比較的まともな食生活が送れているのが救いでしょうか。

1999年5月11日火曜日

ミュージックフェスティバル

 今日はミュージックフェスティバル。もう随分長い付き合いとなってしまったAアンの『調和の幻想』ともこれを最後にお別れです。今日のAアンはまぁ皆ゆっくりと落着いて弾けててよかったのではないでしょうか。調弦のズレはかなり気になるところでマイナスポイントではありましたが、あの舞台進行スケジュールじゃどうしようもなかったでしょ。『ルンバ』のFメンバーが帰ってきてからパート調弦すらするヒマなしでしたからねぇ・・・。しかしあの最後の演奏はなかなかこれまでになく安定していたのではないかと。終わってみればもう少し練習しておけばよかったという後悔は多少残っていますが・・・。まぁCとFのソロ及び重奏は話を聞くとお互いに泣きが入った状態のようでしたが、まぁまぁ長い演奏会人生それもアリ。2回生のJアンがうまくいったのか、えらい意気揚々と帰ってきたのは嬉しいことですね。それでは皆さんお疲れさまでした。

1999年5月9日日曜日

BIOHAZARD

 今日は怒涛の2日連続半徹夜状態で、思考回路がもはやショートした状態でありながらも動いてました。教習所で技能と学科を1つずつ済ませ、その後グラナドスの『オリエンタル』の入っているCDを求めて一路JEAUGIAへ。するとクラシックギターのコーナーに何やら見覚えのあるシルエットが・・・。そう、それはOmuではありませんか。近くにはなんとKIYOも・・・!!! そして我々はCDと譜面を見て、ミリタリーな店で衝動買いを楽しみ、『と一』で夕飯を食って帰ってきたわけです。そう、OPAにある本物の支給されてるミリタリーウェアが置いてあるミリタリーな店は結構私のお気に入りなのですが(しかしいいと思った服はたいがい高い)、今日はそこで素晴らしいTシャツを買ってきました。要はプレイステーションの『バイオハザード』のやつの企画ものなのですが、バックプリントがカッコいい!!! まさに私のためにあるような文句がつらつらと英文で書き綴ってあるのです。その文句とは・・・、


BIOHAZARD
NOT EXISTING AN EFECTIVE CURE

1999年5月8日土曜日

回帰

 何か最近高校時代を彷佛とさせるような日々が続いています。なんだかんだ言っても私にもまだ若さの残り火というのはあったようです。無数の運命と一つの偶然が重なりすべてを導く・・・。懐かしい思いですね。

1999年5月6日木曜日

回復期

 さて、新潟に帰っている間に4月中何かと不安定だった精神状態も落着いてきました。別に特に何があったというわけでもなく勝手に荒れていた4月中でしたが、回復するのもまた別に何かがあったわけでもなく自然と戻ってきたみたいです。多分バイオリズムかなんかだったんでしょう。例年10月末は精神状態が徹底的に荒廃していくとかいった大雑把なバイオリズムも持ってることですし。おかげで今日は無意味に元気でした。

1999年5月5日水曜日

京都に帰還

 やぁどうも。BBSの方にも書きましたが、帰省するのにPowerBookは持って帰ったけど通信の要であるモデムを持っていくのを忘れてしまい、ここ数日HPの更新ができませんでした(爆)。いや~、ごめんなさい。まぁでもそんなのもアリかなと!?

 新潟では昼間は家でボ~ッとしてて、夕方になったらユラユラと飲みに出かけるという生活をしてました。そのおかげで日中はわりかし時間があったので、痛む左手首と腕の部分に常時2枚の湿布を貼って『Sunday Morning Overcast』と『花祭り』を帰省してる3日半で仕上げてきました。最近Cの復興のためにタルレガ発表しようかと思っても手頃な持ちネタがなかったので去年に弾いてた『Sunday~』と、なんか譜面があった『花祭り』に目を付けたわけでさぁ。『Sunday~』はもう自分の演奏をMDにとって詰めることまで詰めてきましたので、もういつでも発表できますぜ。『花祭り』は例の技を極めるのに只今格闘中(なぁKIYO!?)。いや、できるっちゃできるんだけどイマイチ確実性がね・・・。しかもあの技自体は印象強かったから覚えてるけど、どんなフレーズ弾いてたか覚えてねーから勝手にAのマイナーペンタに沿って作っちゃったし。まぁまぁ仕上げをごろうじろ!?

1999年4月29日木曜日

一口J-POP

 なんかHysteric Blueの『春~spring~』ってお気楽でいいですね。結構好きです。SIAM SHADEの『曇りのち晴れ』は相変わらずカッコいいSIAM SHADE節で・・・。しかもこの曲は詩的にもかなり好きですわ。まぁまぁそんな感じです。

1999年4月28日水曜日

くたばれ真菌類!!!!! ~水周りの激闘~

 それが今日の夜のテーマでした。夕方に教習所の路上教習を終えて帰ってきて夕飯にレトルトのハッシュドビーフを食した後、私はのほほんとした気持ちで便所に入っていったわけですが、そこでとあること気付いた、いや、再確認したのです。壁やバスタブを仕切るカーテンのそこら中に付いている黒いシミ、・・・そう、冷静に考えればヤツらはカビではありませんか。前々から気付いてはいたけどあえて黙認していたこの事実。その真菌類の群れが何故か今日はどうしても許せなくなりました。元々キノコ以外の真菌類は忌み嫌っているこの私です。今日は左手も腱鞘炎のせいで力が入らずギターもまともに弾けない状態で時間もあることだし、いっちょ徹底的にこの邪悪な真菌類を駆逐してやろうという気になりました。幸か不幸かバスタブの脇にはしばらく使っていなくて容量もタップリと残ったカビキラー、真菌類撲滅のために人類が生み出した実に頼もしい化学兵器が備えてあるではないですか。私は早速その対真菌類用地対地近距離化学兵器を手に、バスタブの周りの真菌類どもに戦いを挑みました。

 それは壮絶な戦いでした。何しろヤツらは壁の下のところから私の目線の高さをこえるところまで天の川のようにバーッと広がっています。私はあらん限りのカビキラーをユニットバスの壁にカーテンに便器の脇にと振りかけ、置いてあったバケツさえもヤツらに侵されていたのでそこの内側外側にもカビキラーを放射し、シャワーで一気に部屋の周りをザーッと流していきました。充満する塩素臭。カビキラーが手に付いて、そのアルカリ性の泡が私の皮膚を侵食しヌルヌルとしたしつこい感覚が手に残ります。カビキラーってアルカリだったんですね。塩素臭で頭がクラクラし、指先は塩基にやられてナメクジを触るような気色悪い感覚に襲われながらも、私は何度も何度もヤツらにカビキラーをかけては流し、かけては流しと闘いました。そしてどのくらいの時間が過ぎたでしょうか。手持ちのカビキラーも底を尽き、そろそろ気力も限界に近付いた頃にやっと壁に元の清潔さが戻ってきた感じがしました。そう、今日の第一次大戦で、私はヤツらを完全に根絶やしにすることはできませんでしたがしばらく繁殖することが不可能になるくらいの致命的なダメージを与えることができたのです。その確信を得た時が今日の戦いの終戦の鐘でした。もう一度念入りに水で流した後、憔悴して部屋に戻ってみるとPHSにPメール1件。見るとそれは新潟の仲間からでした。私はそのPメールの返信として、相手の用事はまずさておいて「イマカビトタタカッテタヨ。」と返したのは言うまでもありません。さぁ、明日は第2次大戦だ・・・!!!!!!

1999年4月27日火曜日

親愛なる警告

 只今自暴自棄モード大炸裂中。心臓の弱い方は私の半径5m以内に近付かないことをお薦めします。

1999年4月26日月曜日

疲れと自動車教習とギタ連理事会

 今日はなんかもう大マジきって疲れが溜まってきていたので、思い切って1~3限すべての講議を自主休講、家でのんびりと休息をとっていました。しかし3時からは教習所で初めての路上教習が待ち受けていたので、それにはフラフラと出かけていきました。・・・が、路上に出たはいいけども、いきなり二条城の周りを左折した時に横断歩道を渡っていた一般歩行者を轢きかけ教官に緊急ブレーキを踏まれ、とどめとばかりにその後発進にとまどっていたら後ろの車に容赦なくバッシングされる始末。世の厳しさを体感してきました。さすが安全運転適性度Dです。

 しかし今日路上で運転していて思ったのですが、自転車ってヤツは横断歩道とかを手加減知らないスピードで突っ切ってくるから車を運転している身としてはかなり怖いですね。俺が自動車を運転していて俺みたいな交通の流れのスキを突くようなきわどい運転してるヤツがいたら絶対轢くよ。ちょっと自分の自転車の運転を見直したりもしてしまいました・・・。

 その後はギタ連の理事会があったので河原町へ。ついでに最近その必要性を強く感じていた録再可能のポータブルMDプレイヤーを思い切って購入してきました。KENWOODの最新のヤツです。KENWOODは派手な機能はついてないけど、音質や再生可能時間など、実に本質的で実用的な面が凄くしっかりしているので一番私が信頼しているメーカーなのです(当然コンポもKENWOODのヤツである)。これでMDからMDへの録音もできるし、演奏会の録音もできるし、自分の演奏を録って客観的に分析したり(これが一番やりたかった)もできるよ。素晴らしいじゃないですか。

 しかし今キーボードを打っていると左手の小指に力が入らずにうまくキーが打てないことがあるのですがどういうことでしょう!? かまえてると左小指がかすかに震えたりもするんですよ。最近左手が痛いとは思っていたけど、まさか高校時代に数カ月まともにギターを弾けない状態にまで私を追いやったあのクラスの腱鞘炎・・・!?

1999年4月25日日曜日

1999年度ギタ連スプリングコンサート

 昨日は京都ギター連盟のスプリングコンサートがありました。まぁ当日照明の係の人が急に来れなくなって私が急遽代理でやるハメになったり、2回生の野郎軍団の大幅な遅刻に私が切れて2回にわたってどなりつけるといったハプニングもあり、リハなし練習室なしの凄い環境でぶっつけ本番な進行で強行したり(しかも理事の人間は本当にウォームアップすらなしの出演を強いられるという)と、かなりあわただしい演奏会ではありましたが、まぁまぁ演奏の出来の方は皆さんなかなかよろしかったのではないでしょうか。『Spanish Coffee』、今回はキマリましたね。あれは相当評判よかったみたいですよ。私の冤罪も証明されたことですし、素晴らしいことではないですか(笑)。安全地帯アンサンブルの方はちょっとどのような評判を受けていたのかは知ることはできませんでしたが、Aアンの方はあれでなかなか評判よかったみたいです。わしゃソロ死んどったけど(苦笑)。ゴメンよ・・・。でも個人的には私はとてもいい音が出ていたとの声が結構聞けたので、その気になって喜んでます。Aアンのときはラミレスでなくアルト弾いてたから、それで音がよかったといってもらえるのは多分本当にある程度音がよくなったんでしょう。うん、そうだそうだ。とりあえず喜んどけ。

 その後コンパ、2次会、といって3次会でShino邸にお邪魔した(四条河原町から千本今出川のShino邸まではひたすら徒歩)わけですが、彼の7畳(だったハズ)の部屋に13人が詰め込まれるという修羅のような空間がそこに形成され、それはかなり凄まじい世界でありました。よく入ったよな・・・。そして久し振りに完徹し、朝にフラフラと家路についたわけです。しかも金とPCKはその後さらにエースや忍者と共に日本橋まで繰り出したとか・・・。とどめとばかりにあのスーパーノヴァが本気であの後バンジージャンプに行っていたとしたら・・・? 信じ難いバイタリティです。お疲れさま・・・。

 ちなみに私は今日は9時から午後1時まで4時間ほど寝た後、適当にCDレンタルしたりよし牛行ったりギター弾き倒したりした後に5時から8時まで教習所に行ってました。学科の応急救護とかいうヤツで、2人でペアになって事故時の応急救護の実習をやったり模擬人体を相手に人工呼吸やら心臓マッサージやらの練習をしたりする科目なのですが、この模擬人体がまた怖いんだ・・・。あれを相手に人工呼吸やった日にゃあ、もう心の中ではかなり泣き入ってましたね。そう言えばこの科目は旧カリキュラムでは入ってなかったというような噂を耳にしましたが、そうなると去年以前に免許を取ってない人はこれやってないんでしょうかね? 怖いけどなかなか面白味はある科目なのに。

1999年4月22日木曜日

学究の動機

 音楽論、やはり書きましょうかね? しかし最近、ゼミや実験実習でやる課題の設定を求められているわけですが、私はそこで教授陣の難色を押し切って「音楽が心象に与えるイメージと概念」というテーマを認知科学の分野から切っていこうと思っているので、その経過がある程度見えてからでもいいかなと思ってみたりもします。しかしインステの教授陣には音楽はおろか聴覚を専門にした人すらいなく、当然設備も心理学と共有の貧相なもの、さらには図書館にも聴覚系の文献はほとんどなく、とどめとばかりに被験者をつのったり実験のための準備をするのが異常に大変なのが聴覚系。そら教授陣も難色示しますわ。まぁいいです。ハナから私は誰とも組まずにゼミの中で一人淡々と我が道を行く研究をするつもりでここまで来ましたから。ゼミの中で人間関係暖めようとも思いませんし(そして実際教授と以前からの知り合い以外の人といまだに一回も口をきいていない)。

 大体ですね、最近ウチのBOXに来る人来る人皆興味はフラメンコ。いいかげんこっちも泣きたくなってきます。そら人間が音楽をどのようにイメージとしてとらえてるかの研究もして効率良くクラシックの普及をはかりたくもなりますわ。ヒーリングミュージックとかダンスミュージックとかが心象に与える影響とかそういうのにも興味はあるのですが、要は聴覚概念系ということで音楽と心象の連鎖関係を調べていきたいわけです。そうすれば最近のFの求心力の秘密も見えてくるかも知れません。単に派手さとか技術力の差ってわけじゃないと思うんですよね。あの『Sunburst』もブレリアやルンバほどの大反響があったわけじゃないところをみると。もっとも内輪では『Sunburst』はさすがに評価高かったですが。まぁ初めてきく人に対する不思議な魅力となると・・・。もうギターの演奏の面だけで頑張るのも正直疲れましたし限界も感じました。せめて学問的に探究してみて納得いく理由を探したいものです。

1999年4月21日水曜日

無題

 久々にマジでブチ切れる一歩手前までいきました。もう少し私の精神を刺激する何かがそこに存在したなら目の前にあった指揮用のデカイ譜面台を蹴り倒した後にBOXを修羅さながらの様相に変えていたことでしょう。ギリギリのところで踏み止まれた自分に賞賛を。俺も丸くなったな・・・。

1999年4月20日火曜日

ウシュクダラ

 今日は部活が終わった後にBOXで『ヨーロッパの音楽』といいつつ実際は西アジアとヨーロッパの境目の音楽をひたすらやっている授業のテストの課題曲を熱唱してました。あやしさ漂うトルコ民謡なのですが、授業の評価でトルコ民謡歌わせるなんざ聞いたことねぇ・・・!!!!! まぁそれはそれで楽しいからアリなのですが、先生はあの結構な人数のクラス(100人は超えてる)の歌をいちいち聴いて評価していくつもりなんだろうか・・・? それはそれで結構凄いことである。まぁわしゃもう完璧に音取ったし(Thanks, PCK!!!) 、歌いながらメロディorコードの伴奏も問題ないレベルにまで到達してしまったからもう後は歌詞を覚えるだけなんだが。トルコ語か・・・。

 しかし今日思ったのですが、民族音楽と言うヤツは本当に呪術のようなもので、自分で歌ったり演奏してみたりすると異常なまでにハマるようです。今日ももう一回歌った後は『ウシュクダラ』が頭の中でエンドレス状態でしたよ。ちょっとTwin-goの気持ちがわかったような気がした一瞬でした。そう、PCKへ個人的連絡。今借りてるCDは遅くとも今週中には返しますよ。また何かいいのあったら紹介してくれ!!!

1999年4月19日月曜日

外国文化購読のルサンチマン

 さてさて、知っている人は知っている通り、私は外国文化講読の登録で第1希望にしたおとぎ話のヤツから外され第2希望に回されてしまったわけですが、そのおかげで私はより一層文学部事務室への不信感を強めることができたわけです。で、それはそれとして今日生協のブックセンターに行ったとき、どっかの外国文化講読のテキストとして販売されていたギリシャ神話のタトル本に目が行き、「選択外国語も2クラス抽選漏れしたことだし、どうせなら代わりにこれ読もうか」と思いその本を衝動買いしてしまったのです。とっているわけでもない他クラスのテキストを趣味で読むヤツなんざそういたもんじゃないでしょう。でも読みます。半分意地です。そういう余計なところに労力使ってる余裕もあまりない気もしますが気にしちゃ負けです。そんなのもアリでしょう。ちなみに私が配属された外国文化講読のクラスはインドとケルトの文化についてやるアレです。

1999年4月18日日曜日

machakicと語り明かして

 昨日は夜にじきオーストラリアに旅立つmachakicが来て、それから夜通し2人でウイスキーなど飲みながら語ってました。実に朝の5時半を回るまで語り通したんだから結構凄いことです。そら色々語りましたよ。人生お互い20年も生きてくれば語ることぐらいたくさんありますわ。しかし最近周りの親しい人間が皆して海外に出ていってしまうのでちょっと寂しいですね。クラギタ入部当初「インステ3人組」としてまとめて先輩に認知されていたまさやんも夏からドイツに留学しちゃうし・・・。ちくしょう、俺も海外に行きてーってばよ。ドイツ~オーストリア~ルクセンブルク路線かアイルランドかブエノスアイレスかトルコに行って、一ヶ月くらいギターと共に勝手気ままにさまよってボヘミアンな吟遊詩人の旅を満喫したいってばよ!!!!! ちくしょう、夏か遅くとも来春には絶対行ってやる・・・。

 そう、自動車の修了検定、無事一発で合格してきました。入所してから早2ヶ月、やっと仮免かいって感じですね。まぁのんびりいきましょうや。最近ただでさえ忙しいんだし。

1999年4月16日金曜日

HPのゲージも赤くなり、

 MP0・・・。久し振りに思考回路の機能停止および視聴覚能力の機能低下を引き起こすほどの凄まじい疲労に見舞われました。やはり昨日の飲み会の余波で睡眠1時間半という状態で今日の午前中リテラシー講師、午後から新歓演奏会という恐怖の日程をこなすのはかなりの無理があったようです。講師って講習中ずっと立ちっぱなしで喋りっぱなしだから結構疲れるんですよ。気も使うし。演奏会は何よりも調弦に極度の集中力が要求されるのがしんどいし、やっぱり本番は多少の精神的圧迫はあるし。とどめとばかりに今チャリの鍵を紛失している状態なので、学校までの通学は常時大混雑の205系統だし・・・。そらマジックポイントも使い切りますわ。今日の日記は久し振りにテレホタイム突入前の更新です。これから寝ますわ。もうあかん・・・。明日は8時20分集合で自動車の修了検定があるし。だから休ませろって・・・。

1999年4月14日水曜日

民族音楽アンサンブル嘱望

 ここ数日(というかむしろ昨日から)私の部屋で民族な音楽がヘビーローテーションでかかっています。今のところパレスチナとトルコの民族音楽ですか。あれはねぇ、かなりあやしく渋くていいですよ。なんつったってアラビア語とかで歌われても聴いてて何が何やらわかったもんじゃねーもん。今年の定演のBアンは『Tribe of Gypsies ensemble』とか銘打ってそっち系の音楽のアンサンブルやろうかなとマジで考えたりも・・・。それはそれで味があっていい気もするんですがね。まぁそうなると本当にラテンアンサンブルに反旗を翻すということにもなりかねないわけですが・・・。でもまぁラテンは例年爽やかな夏色系統の選曲できてますから、こちらが徹底してあやしげな味とムードの漂う生粋の民族系で攻めれば音楽的にはぶつからないと思うのですが。

 選曲としてはもはや定番と化しつつある『Spanish Coffee』に、パレスチナの音楽グループSABREENの『On Wishes』、そして後一曲くらいということになりますか。でも『On Wishes』に譜面など当然あるはずもなく、やるならまずは気合で耳コピ、その後にアレンジということに・・・。誰か手伝ってくれないかな? そしてこの2曲だと微妙に系統がかぶってなくもないので、後1曲の選曲は慎重に。う~ん、沖縄民謡とかやりましょうかね? あるいはJapanese Traditional Songとかいって『かごめかごめ』(爆)とかブームの『からたち野道』とかそういうのに挑戦してみるとか。・・・悪くないですねぇ。マジで本気にやっちゃおうかな? でもそうなると最近クラギタに現れていない民族音楽のプロ、某Sを召喚したいなぁ。来るかな、あいつ?

1999年4月12日月曜日

1999年4月11日日曜日

無題

 ねぇ、結局私達は何を恐れているのでしょう・・・?

1999年4月10日土曜日

初歩的情報リテラシー講習開始

 水曜日から新入生のための初歩的情報リテラシー講習が始まりました。これは新入生のためのコンピュータ入門のような講習で、私はそこで講師として壇上に立っているわけです。昨年も何度かホームページ作成講座やRAINBOW-staffの新人研修の講習会なんかで講師としての任務を果たしてきたわけですが、今回はシステムも新しく変わってるし、正式な大学のプログラムの一環だしということでちょっと緊張してましたね。特に最初の一回は。その最初の一回は木曜に産業社会学部の2クラスを合同で約80人を相手にやっていたわけですが、色々と緊張やら予期せぬトラブルやらがあって結構散々でした。が、そこでもう流れのコツをつかんだ私は金曜の法学部の方では綺麗に講習を進めて確かな手ごたえを掴んで喜んでいたわけです。今回は産業社会学部で80人のクラスを一つ、法学部で40人のクラスを4つ受け持っているわけで、同じ内容の講習を5回もやらないといけないという精神的にマンネリが辛そうな仕事なわけですが、冷静に考えると200人程の人が私の手によって立命館大学でのコンピュータ利用の最初の手ほどきを受けるわけで、それはそれで実は結構凄いことかも、とか思っています。とりあえず一番最初に実験台となった産業社会学部の皆さんゴメンなさい・・・。

 そんなこんなで緊張する機会が多い生活を送っているせいか、はたまた最近スタッフの方で代理の緊急勤務をすることが多いのも関係してか、昨日は家に着いたらそのままクッションのところで崩れるように眠りに落ちてしまいました。疲れてるんでしょうかね・・・? そう、余談ではありますが、車の方もやっとうまくいけば来週土曜に仮免が取れるかもというところまで来ました。来週無事修了検定と学科試験に受かればO.K.です。いや~、長かったですね~・・・。

1999年4月8日木曜日

多忙 反比例 空虚

 ここ数日往年の忙しい生活が帰ってきたのですが、なんかあくせく忙しく動けば動くほどふと時間が空いたときに感じる虚脱感が強くなっていっているような気がします。最近はスタッフの勤務なんかやってると死ぬほど忙しく(NT導入で皆さん相当混乱しておられるようで)て何も余計なことを考える暇がないのはいいことなのですが、そんな時間を過ごすほどに自分の中で何かが死んでいくような錯覚すら覚えます。仕事自体はかなりやりがい持ってやってるんですが・・・。今日なんか外国人の教授の個研のMacが起動エラーを起こすのをサクッと行って直してきたら、その教授は後で教育研究システム課に電話してまで「彼は天才だ」とか言って喜んでいたそうで、それはいくらなんでも大袈裟だろうと思いつつも自分がやったことをそれだけ喜んでくれるのはやはりスタッフ冥利に尽きるなと嬉しく思ったりもするわけです。それでも何故か、忙しくすればするほど反動の虚脱感は大きくなり、かといって何もしないと本当に無気力に何もせずに部屋でぼ~っとしているわけです。そろそろ私の精神も腐りかけているのかも知れません。やっぱりね、腐りかけてたものを温め直したりするとそら腐敗も進みますわ。冷凍保存だ、冷凍保存。今流行りのフリーズドライか? それも悪くはないかもね・・・。

 それはそうと、右膝の傷が何故か今朝からまた血と膿が滲み出してきているのですがどうしたものでしょうね。

1999年4月7日水曜日

中途半端な音楽

 なんか最近ある意味不思議な音楽が私の部屋でよく流れます。不思議といっても別に不思議なわけでもないんですが、まぁ要は微妙に中途半端な音楽をよく聴きます。その中途半端度はDIZZY MIZZ LIZZYを筆頭にKING CRIMSON、PINK FORYDあたりへと続いていきます。DIZZYは後者2つと違ってプログレじゃあないですが。まぁゆーたら最近の私の精神状態にこれらの曲がよくシンクロするんですわ、曲調的に。歌詞は知らんけど。最近はエレキがあからさまにガーンと鳴ってるのはちょっとやかましすぎて、かといって様式美系のキラキラしたのは変な方向に精神的な悲哀を煽るので却下、クラシックはそれほど問題はないけど曲によっちゃあ心から寂しくなるので注意が必要、といった感じで、あまり寂しくもなくやかましくもなくといった中途半端な暗さと重さのバランスが心地いいのがこれらのバンドなんですよ。とりあえず今の私に「激しい」と「明るい」は合いませんね。静めで適度な暗さと重さがある音楽がよいのです。もっともKING CRIMSONなんてかなり暗さ的にはギリギリの線行ってますが。っていうか普通に考えりゃ暗すぎるくらいですけどね、クリムゾンは。歌詞読んでると特にね。まぁ気にしたら負けです。それもアリ。ちなみに今のBGMはDIZZY MIZZ LIZZYです。

1999年4月6日火曜日

異常気象

 まずは今日の天気のことから書かねばなりますまい。そらもうハッキリ言って異常でした。朝の10時頃、私が家を出たときはまぁちょっと曇ってるかなくらいの天気で、気温も割に暖かかったのでのんびりと家を出ていきました。それから学校に着いて図書館で久々にスタッフの仕事をやっていたら、いきなり外の方からドロドロドド~ンと雷鳴が聞こえてくるではありませんか。「おや?雨か?」と思った私は部屋のカーテンをめくり外を見てみたわけですが、空と外界全体が異常な暗さで異常な色をしている・・・!!!!! なんか黄土色がかった不思議な暗さなんですよ。私は最初「ああ、図書館新しくなったし色ガラスが入ってるんだな」とマジで思ったくらいですから。その後検証に行ったときにそれがガラスの色ではなく地の色だと知ったときは驚愕でした。マジで洒落にならん空の色でしたからね。しかも勤務終わって外に出たらいやに寒いし。朝あれだけ暖かかったのに何で今こんなに寒いんじゃとツッコミ入れたくなるほどでしたから。しかもそれだけ天気が豪快に急変したにもかかわらず、部活が始まる4時頃になるともう雨も晴れて日がうっすらと照って、さらには雨が降ってたときは寒いくらいに冷え込んでいた気温が暖かさを感じるくらいにまで上昇していたんですねぇ・・・。何で一日でそんなにコロコロ天気が変わるかな。あれはちょいと異常でしたね。

 今日はまた無事に選択外国語の登録も終え、あとは事前登録の抽選にもれなければ当初立てた通りの時間割りプランでいけるようやることはやりました。色々世話かけた人達に心からThanks!!! しかしですね、私は今回他学部受講やら選択外国語やらとる関係上、相当に事前登録が多いんですよ(実に9科目)。ということはですよ、もし仮に片っ端から抽選に落ちてるというような最悪の事態になった場合、かなり大規模での時間割りの刷新を余儀無くさせられることもありえるわけです。あまりとりたい授業文学部にないのに関わらず。それはちょっと御勘弁を、って感じですね。どうか抽選通りますように・・・。まぁ私はこれまで事前登録で落とされたことって一度もないから多分大丈夫だろうとは思いますけどね。

井上幸治ギターコンサート

 そして今日は部活を途中で抜け出して井上なんとかとかいうギタリストのコンサートに行ってきました。あのホセ・ルイス・ゴンザレスに師事し、スペインの方では結構活躍しているらしい人です。でも日本じゃあまり名は売れてませんね、少なくとも。やる曲もまぁマイナーどころばかりで、私が知っている曲といえばヴァイスのソナタとグラナドスのオリエンタルくらいでしたね。しかも自作自演の曲やるし。さらにそれが「どう考えてもエレキのフレーズやろ、それ!?」みたいなヤツ。確かにカッコいいっちゃカッコいいけど、クラギのフレーズちゃうやろとか思ってしまいましたね。そら高校時代あんな感じのヤツ相当弾き込んださ。おかげで音聴いてるだけで大体の弦と指の使い方はわかりましたからね。エレキや、あれ・・・。まぁ私は彼の音はあまり好きになれなかったのですが、他に一緒に行った仲間の間では音に対する評価は異常に高かったですね。今日はスペイン系ということで、かなりフラメンコチックな技(というかむしろフラメンコ。ソレアとか)も披露してましたしね。しかも最後アンコールの『花祭り』が異常にカッコいいんだ。あれ聴いてまたあの曲弾きたくなりましたね。多分やらんけど。

 そう、久し振りに『心のヒットチャート』更新しました。なんかある意味自分でも意表を突いたものが私の中で流行ってますね・・・。

1999年4月5日月曜日

昼食抜きへのロード

 今日は久々に昼飯をとるヒマなしの生活をしました。昨年度の後期はずっとそんな状態が続いていたので終いにゃ完全に慣れてましたが、ここ最近は比較的きちんと食事をとれる生活が続いていたので夕方以降は異常に腹が減って仕方がありませんでしたね。やはり人間基本的には食事はちゃんと3食とるのが肉体的にも精神的にもよろしいようです。でもこれから始まる前期の予定も授業と仕事と車でかなりカツカツ。多分昼飯抜きの生活に再び慣らされる日はそう遠くないことでしょう・・・。

1999年4月4日日曜日

ゆったりとした休日

 今日は朝から国際電話のモーニングコールでお目覚め。その清清しい目覚めから、今日のいやにいい天気の陽気にまかせて久し振りに本格的に部屋の掃除をしたりしてました。しかしですね、人がせっかく部屋を綺麗にして日曜の静かな昼下がりに窓際の日だまりのところにクッションひいて座って、お気に入りの音楽をかけて、のんびりとコーヒーなど啜りながら村上春樹の短編を読んでボヘミアンな気分に浸っているときに選挙のやかましい演説が聞こえてくるのはイマイチよろしくなかったですね。どっかで干した布団をパンパンと叩く音が聞こえるのはまだ風情があっていいのですが・・・。世の中ってのはさわがしいもんですね。こんなのんびりした日曜くらいゆったりとした時が流れてもよさそうな気もするのですが・・・。

1999年4月3日土曜日

今年度の授業構成

 今日は今の今まで今年度の時間割りを組むのに必死に履修要項や講議概要、時間割表とにらめっこしてました。とりあえず今年は勉強頑張るよと宣言した手前、ここでの選択は非常に重要な意味を持つわけですが・・・。今年度の私は他学部と英語に生きます。そして最近なまりかけた英語をもう一回たたき直して、来年の2月か3月に1ヶ月ほど外国をぶらりと彷徨ってきます。短期留学でホームステイみたいなのにするか、それとも勝手に回りたいところを好き放題回ってくるかはまだ決めてませんが、とにかく日本を脱出してきます。そして大学を卒業したら国外逃亡を計ってドイツかオーストリアかルクセンブルクに住みます。そら今年でいいかげんドイツ語も取るさ!・・・って、え? 私の本来の専攻? インスティテュート『人間と情報』領域? 知らんなぁ・・・。何やってるとこ、そこ?(ニヤリ)

 まぁというのは冗談にしても、人情の専門はホントに最低限しかとりませんね。そのかわり外国文化講読は取るわ選択外国語は取るわ産業社会学部でひたすら社会学系に手を出すわでやりたい放題やってきます。今回の私の時間割りはハッキリ言って見ただけじゃ一体何が専攻なのかわからない状態になってます。でもまぁそれもアリでしょう。ところで外国文化講読って事前登録いるんでしたっけ?>立命文学部の皆さん

1999年4月1日木曜日

入学式

 今日はウチの大学の入学式がありました。私も黒のスーツ姿で部活の新歓活動をしていましたよ。しかし去年も思ったことですが、新入生はもう見た目的に若いね。私も入ったばかりの頃はあんなんだったんでしょうか? 年はとりたくないものです。

1999年3月31日水曜日

大切な本 -『風の歌を聴け』

 今日、久しぶりに村上春樹の『風の歌を聴け』を読み返してみました。といっても私が持っているハードカバーのやつ(忘れもしない高3の8月14日、長野での合宿の帰りに東京の八重洲ブックセンターで購入したものです)は今貸し出し中で、でもそれでもなんだか無性に読みたかったので、所詮300円ちょいと割り切って生協で文庫本を買ってきました。そして一緒に買ってきたCDを聴きながら読んでいました。短い本です。CDを一回聴き終わるまでには読み終わらないかも知れませんが、二回聴くまでには読み終われます。そういうシンプルな本です。

 初めてこの本を読んだとき、何故かはわからなかったんですけどとにかく心が震えたのを覚えています。それは感動というよりはどちらかというと共感に近いものであったもしれません。ともあれ、私はその本を読んで自分も文章を書こうと思い、そしてそれが今に至るわけです。もう何度読み返したかわかりませんが、それでも読む度にこの本は心に染み入ってきます。初めて読んでから4年がたった今でも読む度に新鮮な感じがします。今はこの本と出会った頃と周りを取り巻く状況が少し似ているせいか、また深く心が震えていました。この本の主人公は大学生で21になり、地元で夏休みを過ごしていて、私は18になる高3の夏にこの本を手にし、今21、今年で22にもなります。その時の流れと共に、私の主人公に対する視点もやはり動いてきたのでしょうか。あの当時得た共感と、今日得たそれとではやはり異なる何かがあるのでしょうか。まだ近すぎます。あまりに近すぎると目は全体を見ることができません。似通ってるんですよ、あの当時と今の自分が。そこの違いがまだ見えないのです。今があまりに近すぎるせいで・・・。

1999年3月30日火曜日

1999年3月29日月曜日

自堕落に

 今日ははっきり言ってあまり動きたくなかったので、一日ずっとギターを弾いたり昼寝をしたりしてゴロゴロと過ごしていました。外に出たのと言えば、散髪に行ってその足で夕飯を食ってCDをレンタルしてきたくらい。傷が痛むせいとはいえそんな自堕落な生活を送っていたのがわざわいしてか、日中うたた寝をしているときに何かいい作品のアイディアが浮かんだような気もしたのですが、見事にすっかり忘れてしまいました。困ったものですね。

1999年3月28日日曜日

怪我の報告

 さて、昨日クラッシュした際の傷ですが、右手と右膝の豪快な裂傷は見事に化膿してしまって凄いことになってます。傷口に当ててるガーゼを通じて、上に巻いてある包帯にまで血と膿がこびり着く始末。傷口なんてグチュグチュと血と膿とリンパ液かなんかが溜まってもう・・・。まぁそれでも今日は教習所で痛みをおして実技やってきましたがね。しかもその後チャリで河原町まで行ってCD買って来ましたがね。まぁ傷は主なところで両手のひらと右膝ということで、日常生活では歩行から炊事、洗面に至るまであらゆるところに支障をきたしているのですが、幸か不幸かギターを弾く分にはまったく影響ないんですよ。敢えていうなら、消音を普通に手のひらでやると痛いから、手の小指側の肉の部分(チョップをしたとき当たる場所)でやってやるよう気をつけるくらいで、あとはホントに全然影響ナシ。というわけでとりあえずしばらくの間はギター弾いて時間を潰すことに専念しようと思います。しかしえらい都合のいい傷だな・・・。

1999年3月27日土曜日

ボロボロの交歓演奏会

 さて、最近更新ペースがかなり乱れていましたが、とりあえず色々なことに区切りは付いたのでこれからは安定した更新ができることかと思います。そろそろまともな作品もあげないとね。

 昨日は関大との交歓演奏会がありました。出来の方はというとまぁよくもあそこまでボロボロに・・・、といった感じで、コンパのときなどは普通に飲み食いはしているものの心の中ではかなり泣き入ってましたね。そら2次会でショットバー、3次会でジャズバーにも繰り出して飲むわ。あかんがな、ありゃ。おかげで珍しく酒でフラフラになって、何人かの人にも迷惑をかけてしまいました。どうもごめんなさい。

 しかも今朝は5時頃から故あって京都駅の方まで行かなならんかったのですが、駅まで自転車で行く途中に暗い道を裸眼で疾走していたら道路の分離帯が視界に入らずに高速でそこに突っ込んで大クラッシュかますし・・・。両手を血みどろにしてジーンズの膝も破れてそこからエグイ傷が覗いているような状態で行ったら待ち合わせていた人はさすがに驚いてましたよ。そらおどろくわ。でも転んで受け身をとる時に、そこはギタリストの本能とでもいいますか、指先の方から突っ込んだのではなく手のひらの手首よりの肉厚なところの方から突っ込んだので、確かに手のひらに大きな裂傷はあるのですが、ギターは問題なく弾けるのです。指と爪には傷一つ付けずに済んだのは不幸中の幸いといったところでしょうか。

1999年3月24日水曜日

民謡のMIDIサイト

 なかなか面白いホームページを見付けました。世界の民謡、名曲や国歌を歌詞付きのBGMやMIDIファイルとして紹介してくれるサイトです。こういったいわゆる音楽の教科書に載っているような曲って意外と忘れられがちですが、よくよく聴いてみるとかなりの名曲も埋もれていたりしますよ。ただ伴奏がピアノだけで授業で歌ったり、素人に毛が生えた程度の合唱団が歌ってたりするイメージしかないからイマイチ曲のよさがピンとこないだけだと思うんですがね。ちゃんとアレンジしてインストに仕上げてみたりすると凄くよかったりもしますよ。個人的には『My Old Kentuckey Home, Good-Night』とか『Feed The Birds』とか『小さい秋みつけた』とか『ドナドナ』とか『ダニーボーイ』とか、この辺はたまらなくいい曲だと思うんですがね。まぁこのサイトに興味のある方はこちらへどうぞ。

1999年3月22日月曜日

卒業式の日に過去を想う

 今日は大学の卒業式がありました。生憎の雨で送る側も送られる側も晴れ晴れとというわけにはちょっとなりにくかったのですが、まぁそれでも先輩達の一仕事終えて充実感のある顔は見てて気持ちのいいものがありましたね。

 で、我々は今日は部活の恒例行事として、式を終えて体育館から出てくる先輩達を花束持って出待ちしていたわけですが、それが雨のせいかムチャクチャ寒い!!! あれはちょいときつかったですね。でもとりあえず卒業する先輩の姿を全員分カメラに収め、なにげにOB会費の徴集もしつつ皆さんを送りだしてきました。ある人は紫のス-ツに派手なネクタイとえんじ色のマフラーで黒のグラサンをかけ木刀を持ち、またある人は上下黒の拳法着に身を包み、ヌンチャクを持って卒業する同期生(爆)の見送りに来たりしていました。本人曰く「いやがらせ」だとか・・・。しかしそのいでたちに本気でツッコミを入れる人も意外と少なく、その事実にとても寂しそうにしていました。やはり卒業は人間ドラマですね?

 しかし卒業式の帰り道って何か妙に寂しい気分になったりしません? 私は高校卒業の時、2次会のカラオケが終わった後いつもの仲間達と別れポツンとバス亭でバスを待っていた時、いいようのない寂しさに襲われた記憶があります。色々あった高校生活もこれで終わりなんだなと思うとね・・・。そのことを今日一緒に帰っていた人に言ったら、自分も今そう思っていたと言いました。そして一人になってから、ふと自分が高校卒業の時に思ったこと、高校時代の(あるいはそれは今も脈々と私の中に息づいている)自分なりの美学というか人生観について思いました。

 中学卒業の時に精神的に一回死を迎えて、自分の中で高校生活というのは新しく1から自分を組み直していく過程にありました。そこで運よく素晴らしい仲間達に恵まれ、やりたいことをやって生きたいように生きてみた結果、人間という不思議な生物のいい面も悪い面も肌で感じて経験することができました。こう書くと高校生風情がなに悟った気になってんじゃとツッコミ入りそうですが、でも実際そうなんです。結局経験なんて比較することはできませんから、極論すればどんなありふれたものでも本人が大切だと感じればそう感じただけ大切なんですよ。それを他人が否定するのはその否定した人にとってその事実が大きな意味を持っていないだけで、当人にとっては当人にしかわかりえない(そして逆説的に当人にも理解しえない)大切さがあるのです。その意味で、客観的に見てどんなに他人が凄いと思う体験でも当人がそう思ってなければそれは当人にとって何の意味も持たないただの事実にすぎないわけで、その意味でやはり人生は自分次第なんだと思います。私の高校時代は、それは有意義なものでした。いいことばかりでなく、悪いことも含めてです。むしろいいことばっかりだったら「あの頃はよかった」と振り返ってそこに逃げ込むだけの避難所としての過去にすぎなかったのではないかと思います。ところがそうではなく、人間関係のよい部分も悪い部分も、極端すぎるほどの勢いでその当時の私にぶつかってきて、本当に素晴らしい黄金時代と言ってもいいような時間から、ドロドロした猜疑的要素の塊の複雑な人間関係の中、必死で手の中のものを守ろうと四苦八苦していた時期までありました。まぁ混乱期は本当にコアな部分で関わった人以外にはそれほど表面的に私に起こっている何かは見えなかったでしょうけど。詳しくは書きませんがそりゃあ色々ありました。その中で得た何かが自然に自分の中に根付いたり、浪人している間にある程度自分の意志でまとめたりして今の私があるわけで、その意味で私の高校時代は決して無意味ではなかったと思うし、今も私の土台としてその日々が存在しているわけです。今日卒業していった先輩達にとって大学生活とは一体何だったのでしょうか。後輩がこんなことを言うのも差し出がましいとは思いますが、それが彼らにとって人生の土台となりえる素晴らしい時間であったことを祈ります。そして私が卒業する時、私はその過ごした時間について何を思うのでしょうか。今はまだそんなこと見当もつきませんが・・・。

「今自分がやっていることの答えは、忘れかけた頃に時が教えてくれる」

 私はそう思います。

1999年3月18日木曜日

自転車を取り返しに

 今日は撤去られた自転車の身柄を引き取りに行ってきました。撤去された場所に貼ってあった地図を見る限り西大路九条からちょっと南に行けばありそうな感じだったので、とりあえずはバスでそこまで行ったのですが・・・。そこから周囲をいくら彷徨ってみてもそれらしき場所が見当たらないのです。そしてジャスコ洛南店の周囲を何周もして、あげく工場の受付のオッチャンに道を聞いてみたのです。すると私が目指していた久世橋通りは十条通のさらに相当南というではありませんか。それで私は泣く泣く九条から南へ十条まで、そしてさらにそこから南へ南へと一人とぼとぼと歩いて行きました。途中道路に停めてある自転車を見る度何度「マジでギッたろかい!?」という言葉が私の頭の中を回ったことか・・・。「チャリとカサは京都の回りものじゃねーか。なぁオイ!?」とね。しかしまぁその衝動が実行に移される前にどうにか撤去自転車の保管所にたどり着けたので無事ことなきを得たわけですが、やはり自転車の撤去なんてされるもんじゃありませんね。罰金は2,300円ですが、労力や時間や精神疲労度を考慮に入れると実際の損失は相当なものだと感じました。まぁ帰りしは途中漬け物屋さんによって、そこでお茶を出してもらったりと色々よくしてもらえたのである程度回復して帰っていくことができました。やはり人情にふれるとよいものです。

 なお、明日から私は部活の合宿に行くので数日更新はお休みします。

1999年3月17日水曜日

足を奪われた日

 今日はちょいと河原町の方に繰り出してきました。で、まぁいつもの私なら河原町程度の距離はサクッとチャリで行ってしまうのですが、今日はどういうわけか西院から電車で出て行ったんですねー。その際チャリは駅前の路上に見事に違法駐輪していたわけですが、・・・やられました。帰ってきて見てみると、私がチャリを停めていた時には過密状態にあった自転車の量が異常に少ない。しかも辺りを見回してみても駅の周囲の道をグルリと一周してみても自分の自転車が見つからない。これはもしや、と思い顔をふと上げたところには自転車撤去のお知らせが・・・。まぁ西院からウチまでは距離的にはどってことないので、今日はとりあえずぽてぽてと歩いて帰ればよかったのですが、生活の歩きを除いた移動手段の95%までを自転車に依存している私としては一日でもチャリがなくなるのは痛いのです。しかも保管所って九条のあたりでしょう? わかる人にはわかるでしょうけど、これはウチからかなり遠く、その上行きはバスに乗ってパ-ッと行っちゃえばいいとしても帰りはかなりの距離をひたすら続く登りをこいでこなければならないという・・・。しかも罰金2,300円も取られるし・・・。え~い、許し難い!!!!! 撤去なんてするんじゃねーよ!!!!!!!

1999年3月16日火曜日

生け贄

 今日は部活の指導者講習会の日。私がいつも習っている先生が学校に来て皆に指導のポイントを解説してくれます。が、いつも習いに行っている先生ということは、向こうも私に対して容赦はしないわけで、何度か前に出て弾いた時には半ば生け贄の様相を呈していました。まぁ弾けない私にも問題アリなのですが・・・。

1999年3月15日月曜日

ラミレスが来た日

 今日は部活の指揮の先生がプロデュースしたヘンデルの『メサイヤ』のコンサ-トに行ってきました。が、まぁ、・・・うん、オケラはいいとこと悪いとこの差が結構ありますからねぇ・・・。楽曲の響きが派手だからくらまされやすいけど。なんか今日のはこれまで聴いてきたオケラの演奏(プロ、学生、市民団体を問わず)と比べるとどうも・・・。まぁこれ以上は敢えて何も申しますまい。

 そして今日やっと手に入れました。念願のニューギターです! 某ギタ-関係のホームページでは「音に毒がある」とのコメントも付いていたラミレスのギターです。な~に、毒の一つや二つ持ってた方が俺向きってもんです。今日は帰ってからひたすら新しいギターを弾き倒してましたよ。弦を店で替えてもらってきたのでひたすら調弦は狂うのですが、それにもめげずほとんど15分おきに調弦し直しながらそれでも悦に入って弾きまくってました。ん~、よいギターですよ~。

1999年3月11日木曜日

続く自動車教習

 今日は教習所で学科と技能を1限づつ受けてきました。これで第一段階の修了に必要な学科の数はあと2つ。こちらはやっと先が見えてきました。しかし技能の方は15必要なのにも関わらず、今日でやっと6つ目が終わったばかり。教習所に通い始めてから既に一ヶ月が経過しています。しかも明日技能を1つ受けたら部活の通常活動や合宿、演奏会の予定と教官の予定がうまく折り合わないため次の技能の予約は27日までありません。さて、私は一体いつになったら自動車の免許を取ることができるのでしょう・・・?

1999年3月9日火曜日

ギター選び

 今日は楽器屋『月光堂』に行ってギターを見てきました。今使っているギタ-は先輩からの借り物で、それもその人が卒業する故ぼちぼち返さなならんのでそろそろ自分でいいギターを持とうかなと思いましてね。ん~、しかしやはり35万円クラスのギターになると根本的な鳴りからして違いますね。ス-パ-ウッド云々の議論はこの際置いといて・・・。で、色々弾かせてもらったけど最後に店の人が上のガラスケースの中から出してきた60万円のホセ・ラミレス(ラミレスモデルではない)は凄かったですね。音量的にはス-パ-ウッドに負けるのですが、音色の豊かさとデッドのないバランスのよさ、そして音の素直な前への飛び方は素晴らしいものがありました。先生の所で弾かせてもらった120万円のギターと比べてもそれほど劣るもんじゃありませんでしたね、あれは。・・・ほしいなぁ・・・。とまぁ今日は昨日日記でぼやいたのもどこ吹く風とばかりにいいギター試奏しまくって悦に入っていたわけです。まさに昨日泣いたカラスがなんとやらですね(笑)。

1999年3月8日月曜日

ギターを弾くことについての無限問答

 ふと、今自分は何でクラシックギターを弾いているのだろうとか思ってしまいました。思えば大学に入った当初は軽音楽部に入ってそこで伝説のギタリスト(or ボーカリスト)になろうという壮大な計画を胸に抱いていたというのに・・・。大学にきて始めて観た軽音のライブのあまりのレベルの低さに絶望し(といっても今観てみればそれほど酷くはないのですが、どうやらそのときは外れのバンドに当たったようです)、清心館549にあった黒板情宣を見てクラギタの新歓に(演奏が終わってから)行き、そこでKIYO & 糸さんと出会ったのが運の尽きとばかりにその道へ・・・。そうじゃ! キサマじゃ、KIYO!!!!! キサマさりげなく人の人生変えてるんだぞ!!!!!! omuの人生もキサマが変えたようなもんだろ。いや、きっとそうに違いない。まぁわしゃそれでよかったと思っているのだがね。そう、それが始まりだったんだよ・・・。

 それでまぁなんやかんやでクラギタに入りタルレガやって、適当にやりたいように曲やってここまで来ました。今じゃクラシック技術部長なんて役職にもついて、ちゃんとした先生にも習いに行ってまでギタ-弾いてます。でも、それでどうなるんでしょう? いくらギターうまくなったって、俺はKIYOのようにその後ギタ-関係の指導に就きたいと思っているわけでもなく、金やU-yanのように音楽関係の仕事に進もうと思っているわけでもない。今は好きで弾いてて、弾く時間があるからいいけど将来仕事が始まったら今やってることはどうなるんだろうと。探せばね、そこらのオッチャンでも「若い頃はギターやってたよ」っていうヤツたくさんいるんですよ。でもオッチャンになってもまだギタ-弾いてる人ってほとんどいないわけで、やはり仕事に就いて日曜とかくらいしかギタ-弾く時間が無くなってきたら自然とギターと疎遠になっていくのかなとか思ってもみたりして、実に微妙な心境になってます。そうするとね、今あれこれ必死でやっていることってその時一体どうなるんだろうな、って・・・。今はそれこそ必死ですよ。技術部長としての責任もあれば、弾きたい曲をイメ-ジ通りに弾きたいという願望もあり、その願望はあれどいくらやっても自分の頭の中でなっている音に現実の音が近付いていってくれないというもどかしさがあるから、そのギャップを埋めようと必死にやってます。ギターでも歌でもあるいは卓球でも(わしゃ中高卓球部だったので。中学の時は部活ムチャクチャ燃えてたんだぜ)、自分のイメ-ジ通りに体が動き現実からの答えが返ってくる瞬間の興奮と充実感、まぁ大袈裟に言えば感動ですね、は同じだし、その感覚が忘れられなくて、また極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて、そのイメ-ジに近付こうと必死でやるわけです。それこそ単純に指が動く動かないのレベルから、ビブラートのニュアンスとか、低音弦の擦か音とか、音色の研究だとか、フォ-ムの改善だとか、課題を挙げ出したらキリもなくなるほどに。でも今そうやって、時にギターを弾くのがイヤになって苦痛に感じるほどに頑張っていても、それが一体どうなるのかとか、ふと考えてしまって止まらなくなってしまいました。でもそう考えれば考えるほど、何故かしらないけどギターを今この手に取って弾いて弾いて弾き倒したくなるんです。そしてそんな虚ろな考えを吹き飛ばしてしまいたくなるんです。そして自分のイメ-ジを現実にトレ-スできる快感を求め、それができないもどかしさに襲われ、また漠然とした脱力感の中自分がやっていることを無意味に感じ、でもそうなるとまた何故かギタ-が弾きたくなる・・・。無限問答ですね。ギターは私にとって大きな浄化作用を持つものであり、何かに行き詰まった時にはやはりなんとなく手に取りたくなるんですよ。でもそれが最近技術的な面から限界を感じ、それに技術部長としての責任が加わった段階で歪みが生じて問いは永遠に繰り返すわけです。ずっと独学でやってきたとはいえ、中2の冬に初めてギターを持ってからはや7年・・・。それだけ時間が流れても自分はまだこの位置にいるのかと思うと少しイヤになりますね。多分そこがこの無限問答の始点にあるのだと思います。そう、俺はまだこの位置にいるんですよ。大学からギターを始めて、それでも俺より先の方までいっちゃってるのもいるというのに・・・。

1999年3月7日日曜日

不健康に椎名林檎

 クックックッ・・・、回る・・・、回るんだよ、椎名林檎の歌が俺の頭の中でええぇえぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!!!! あのアラニス・モリセットの歌がブランキー・ジェット・シティの伴奏にのったかのような不思議な歌がもうたまらなくエンドレス。誰かどうにかしてくれい。昨日のD.C.のコンサートが始まる直前ですら頭の中では椎名林檎が回っていたという微妙な現実に、ヤツの歌の圧倒的な洗脳力のようなものを感じますね。しかもあのクセのきっつい歌い方も最初は抵抗あったけど、ここまでくるともはや味かなと思えてしまえるという・・・。つまりはそこまで彼女の歌が私の頭の中で回ってるということですな。特にアルバム『無罪モラトリアム』の2曲目と4曲目。歌舞伎町の歓楽街の女王さまがどうたらこうたらとかいう歌と、シングルにもなってた『幸福論』。回るってばよ・・・。このままじゃ勢いにまかせてCD買ってしまいかねないぞ。そう、川本真琴(漢字不詳)の『DNA』の時のように・・・。え~い、わしゃ最近財政難なんじゃあっっっ!!!!!!

1999年3月6日土曜日

D.C.クーパー@大阪バナナホール

 さてさて、最近更新が途切れ気味で申しわけありません。でもこれからもこんな感じの更新ペ-スが少しばかりの間続くかもわかりません。ちょっと大目に見てやってください。

 今日は大阪バナナホールまで真茶器と共にD.C.クーパーのコンサ-トに行ってきました。知ってる人は知ってるROYAL HUNTのボーカリストです。コイツの尋常じゃない声域の広さと恐ろしい高音域のキレは、その声質のク-ルさと相まって実にカッコいいのです。会場はコンサ-トホ-ルというよりはライブハウスといった方がいいような小さい会場で、しかも前の方にいたので手を伸ばせばD.C.に届きそうなくらいの所でした。今日のD.C.はまぁちょっと調子悪そうに歌ってましたが、それでも高音のシャウトのキレはさすがの凄まじさがありましたよ。ROYAL HUNTの曲からも『Wasted Time』と『River of Pain』の2曲をやり、アンコールではジューダス・プリーストのカバーも飛び出して場を盛り上げてました。まぁ個人的には『Last Good-bye』か『Message to God』もやってほしかったのですが・・・。とまぁ今日は疲れたんでこのくらいにしときます。でもライブとしてのノリは前座のPink Cream 69の方がよかったかも。ヤツらライブ向けのノリノリの曲ばっかやりやがるから・・・。D.C.は最近のROYAL HUNTの傾向をそのまま踏襲したかのような重々しい大曲志向だからライブだとそうガンガンいけるわけではないしね。

1999年3月3日水曜日

神戸散策

 というわけで、今日はまたも神戸まで遠征してきました。最近神戸での出没率が異常なまでに高まってますね。でも行き来は疲れるの・・・。

 まぁ今日は南京町からハ-バ-ランド近辺を散策して回っていたわけですが、南京町で食べた豚まんじゅうは異様に美味しかったですね。その次に食べたフカヒレラーメンはまぁ美味いっちゃあ美味いんだけど、という感じでしたが。そして夜はモザイクのブラジル焼肉料理の店で食べたのですが、剣にブッ刺した肉をテ-ブルの上でシェフがザクザク切り落として皿に落とす豪快さが気に入りました。が、肉が出てくるペースが異常に早く、食うのにかなりのエナジーを消費していたことは言うまでもありません。しかし港近辺の神戸の夜景ってのは不必要なまでに綺麗ですよね。

1999年3月2日火曜日

無題

 あ~っはっはっはっはっはっ・・・・・!!!!!! ダ~メ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間、ダ~メ~人~間~~~~~!!!!!!!!!!!!