2000年8月31日木曜日
2000年8月30日水曜日
呪いの人形
「ここ一応花火禁止なんだよね。小さい花火だけど、近所から110当番通報あったし、悪いけど片付けてくれるかな。」
その警官はそう宣いました。いや、花火禁止の所でやってたのは悪いけど、でも110当番通報の原因作ったのは俺らじゃねーだろ!? と思ってもう一つのグループの方に目をやると、なんとタイミングよく丁度静かになっていた時で、警官も気付かずおとがめなしです。間違ってる!!! 何かが間違ってるぞ世の中!!! そう思いつつも仕方がないので我々も撤退し、残った線香花火を消化する舞台としてウチの近くのグランド付き公園を選定し、そちらへと向かいました。そこに強烈なお迎えが存在しているのを知らずに・・・。
それを最初に発見したのはりとりとでした。いや、にらめっこという噂もぎぃちゃんという噂もありますが、第一発見者は特定できずとも、ぎぃちゃんはそれを見つけるなり思っくそ蹴っとばしたという事実は確かでしょう。あの、呪いの(というかきっと呪われているに違いない)人形を。それは赤い服を着ていました。サンタさんのような格好でした。それは女の子の人形でした。ブロンドの髪をしていました。結構大きい人形で、やけに儚い曲調のオルゴールもついていました。オルゴールは鳴るのです。鳴ると首が回るのです。焦点の合っていない、人形の目が宙をゆらゆら彷徨うのです。ゆっくり首が回るのです。首の落ち着いていない乳幼児のように、いや、力をなくした死人の首のように。そして冷静に曲に耳を澄ますと、ギィギィと音が聞こえてきます。それは首が軋む音でした。ゆらゆら回る、人形の首の、確かに軋む音でした。それは「ぎぃちゃん人形」と名付けられました。BOXに持ち込もうとする人間がいましたが、明日以降BOXに現れカナモリのライバルになるかはまだ謎です。きっと夜勝手に動きます。ひとりでにオルゴールが鳴り出すに違いありません。あれはきっと呪われてます。どっとはらい。
2000年8月28日月曜日
無題
絶望という言葉は、何故こんなにも軽くなってしまったのだろう
2000年8月24日木曜日
2人のクレージーな1回生のために
2000年8月22日火曜日
2000年8月21日月曜日
新潟酒自慢
まずは原発建設に関する住民投票で全国的に有名になった巻町から。ここには新潟で収穫した葡萄を原料に、本場真っ青のワインを作っている『Cave D'OCCI』(つづり不祥。『カーヴ・ドッチ』と読む)があります。赤・白とも何種類かのワインが若いのからビンテージものまで置いてありますが、ここのワインが美味しい。そしてワインに合う料理を提供する、酒蔵を作り替えたちょいと小粋なレストランもあります。以前もここのワインを京都に土産として持って帰り皆さんの好評をいただいたことがありましたが、今回もここのワインを土産の一つとして持って帰ります。前回赤だったので今回は白を。辛いのは今回遠慮して甘口のビンテージワインを一本持って帰ります。確実に飲みたい方は他の人に飲まれる前に私に声をかけてください。
そして我が白根市のお隣加茂市の酒造で作られる清酒『升鏡(漢字は変換で出てこなかったので諦めました)』。これも美味しい。これも今回土産として一升持ち帰る予定ですが、いわゆる標準品か別撰クラスのものにするかは未定です。他にも『加茂錦』も確か加茂だったはずだし、新潟には他にも『八海山』や『雪中梅』、有名な『越の寒梅』など美味しい日本酒はたくさんあります。しかも安い。新潟では『越の寒梅』の別撰クラスが一升2,500円くらいなのに、京都で見かけたら標準品が8,000円くらいしてた・・・。プレミアとは恐ろしいものです。
そして私が通っていた高校からチャリで10分かからないような場所にあるジャズバー『だんちっく』。ここは自称『世界一狭いバー』で、確かに狭いのですが、素晴らしいウイスキーを置いています。『タプローズ』という名のそのウイスキーは、瓶単位では輸入できずに樽単位でしか輸入できず、しかもその輸入が近年難しくなったそうで市販では絶対手に入らず、店でも置いているところがほとんどない幻のウイスキー。味も香りも豊かで濃いのに全然きつさを感じさせず、飲むものをその豊穣の世界へと誘ってくれます。瓶では売れないので市販では手に入らず(状況は少し違うけど市販で手に入れにくいという点では『マッカラン』も一緒。が、これは大概のバーで普通に飲める)、私の知る限りここでしか飲めない幻のウイスキーです。そしてその近くにある姉妹店『Sato's Bar』もかなりいけてます。マスター自身現在も活動を続けているジャズピアニストなのですが、ここはカクテル中心で珍しいウイスキーも少々という店。カクテルの味には定評があります。私は『サイドカー』のみ飲んできましたが、やはり美味しかったです。ここのマスターお勧めの『バルベール』というスコッチ系のウイスキーも。
そして最後にまた巻町。『エチゴビール』です。日本地ビール第一号店で、開業して世界地ビールコンテストに応募しフルーティな白ビール『ベルジャン・ホワイト』と渋みとコクの黒ビール『スタウト』が世界コンテストの金賞と銅賞をそれぞれ受賞して以来、毎年同コンクールで何かの賞を奪取しているという鬼の地ビール。ウイスキーのように数年寝かせて作った古酒ビールも二種類あり、その様々な味わいのビール達はビールというものの概念を根底からくつがえしてくれます。ビールは「苦い」でも「喉ごし」でもなんでもなく、本当に味わって「美味しい」のだと思えるここのビールは、わざわざ新潟まで来てでも飲む価値はあると思います。私は個人的にプレミアキャンペーン(?)の限定醸造ビールの郵送を注文するつもりで用紙もらってきましたけど。ここは絶対のオススメです。併設されたレストランの料理もとても美味しいです。
以上、地元自慢でした。
2000年8月20日日曜日
高校を訪れて
そしてデパートまるよしの前に行ったら24時間テレビの募金が。私が仲のよかった仲間はJRCに入っていて、そのツテで私も何度かそういったボランティア系のイベントに出ていたので知っているのがいるかなと思ってみていたら、いましたいました。私の高校時代の仲間が一人と、そこで知り合った仲間が数名。久しぶりに色々積もる話などして帰ってきました。
2000年8月19日土曜日
ヒマ
2000年8月18日金曜日
五山の送り火
しかしあの送り火というやつは実に静かで雅な味わいがあるものですな。暗闇の中、山の方でチカチカッと光が点滅してるなと思ってみていると、文字の輪郭が様々なところから不規則に重い緋色の線(それは単純に線というよりは本当に揺れてぼやける点の集合といった感じなのですが)で広がり浮かび上がってくるのです。線がすーっと伸びながら全体の輪郭が夜の闇の中に浮かび上がってくるのは感動でした。あの重く、お祭りというにはどこか侘びしげで寂しげな色で闇に揺れる炎の文字は、盆の暮れに霊界へ帰る魂を送るためのものだ、目に見えぬものを目に見えぬ場所へとさらに導いていく光なのだと素直に納得できるものがありました。船型が浮かび上がってきた時やっとしゃべれるようになったくらいの子供をだっこしたお婆さんが子供にこう言っていました。
「あの船はね、死んだ人が皆乗っていく船なんだよ。バイバ~イ、って。」
その響きには子供をあやすようでありながら、どこか悲しいような気配もあり、もしかしたらこれまでの人生で死に別れてきた人達の魂も、皆あの船に乗っていて、その人達を見送るような気持ちであの送り火の船型を見ていたのだろうかとも思いました。五山の送り火の色はお祭りと言うにはあまりに重く、苦しく、寂しげで悲しげですらありながら、それでもやはり幻想的で雄大で、見るものの心に訴えかける何かがあるものでした。悲しいだけじゃない、お祭り騒ぎだけでもない。そこにあるのは歴史の深みであり、祖先に対する追悼であり哀悼であるのかもしれません。私達の中に遠い祖先の記憶はなくとも、血に受け継がれた深い記憶がその火の創り出す一瞬の永劫に同調するのかも知れません。見ていて美しさに感銘しながら、悲しいような懐かしいような、言い尽くせない不思議な感傷に襲われました。やはり京都にいるうちに送り火は見ておくべきだと今素直に思っています。
そして今日は実家新潟に帰ってきました。ご覧の通りホームページの更新はできます。ちと更新の時間は不規則になるかもわかりませんが。帰るなり親と酒を飲んで、真空管アンプにでっかい上質のスピーカーというウチの親の道楽設備で音楽聴いてました。そして家に日本酒『升鏡』がありました。新潟の地酒で、『越の寒梅』や『雪中梅』ほど有名ではありませんが、私のもっとも愛する日本酒です。今日はまだ飲んでませんが(これからちょっとくすねて飲むかどうかは未定)、いずれおいしくいただいてこようと思っています。
2000年8月16日水曜日
『まだ行っていない京都を回ろう計画』-祇園近辺~ねねの道-
まず知恩院に行く前に、途中にあった琵琶湖疎水の流れに足を浸したところから今回の京都巡りは始まり、知恩院方丈庭で鴬張りの廊下を抜け三方正面向きの猫と視線を合わせてきました。この三方正面向きの猫というのはダ・ビンチのモナリザよろしくどこから見ても絵の中の猫と自分の目があっているように見えるというもので、本当にどこから見ても目が合うので私はたまたま周りに人がいなかったということもあり、絵の真正面にドカンと胡座を書いて座り、猫と数分間見つめ合ってきました。何やら悟りが開けた気がします。そして八坂神社を抜けカラメルを買い食いし、京都らしい古い街並が残る小道を抜けて京・洛市ねねへと向かいました。ここでは都路里のグリーンティーとあんみつを堪能し、適当に買い物を。そして円徳院へ。円徳院は秀吉の正妻であったねねが願って建てたもので、またねね自身がその生涯を終えた場でもあります。人もほとんどいなく、ちょうど夕暮れを迎えた円徳院の庭は素晴らしく雅な空気に満ちていて、思わずその風景と静けさに見とれて数十分ぼ~っとしてました。この美しい庭を見ながら生涯を終えられるなら幸せだろうなぁ、とかそんなことを思いながら。枯山水風の庭の木々に夕陽が当たった風景が醸す叙情性は言葉でも何によっても形容しがたいものがあり、この風景に似合う音楽って何だろう?と思いながらも本当に似合う曲が思い浮かばずにいました。日本の庭が醸す風景なのに、さくら変奏曲等の曲も真に的を得ているように思われず、自分の音楽的なボキャブラリーの少なさを少々嘆いたりもして。敢えて合う曲を探そうとするなら、音によって音楽を聴かせる曲ではなく、音と音の間というか余韻というかの響きで聴かせる曲になるんでしょう。強いていうなら武満徹でしょうか?そして最後の高台寺。ここも秀吉縁の寺ですが、19日まで夜間拝観をやっていてライトアップされるのですね。それが楽しみで行ってきたのですが、ここも素晴らしかったです。高台寺に通じる北の政所の坂(ねねの坂)を昇って振り返った時に、石段の階段の両側に茂る木々や竹薮を照らし、反射する夕陽の美しさからしてやられました。そして入り口で日が沈むのを待って、ライトアップされた高台寺へ。光に照らされた広大な山の自然を利用した庭と、見事な造りの建物がもたらすコントラストはもうため息ものでした。高台寺や円徳院あたりの夜間拝観は清水寺や金閣寺ほど有名ではないので人はそんなにいないのですが、その素晴らしさは清水寺や金閣寺をも凌ぐものがあると思います。本気で感動して帰ってきました。
今日は久しぶりに正しい日本の夏の風景を見た気がします。明日は計画の第二段として、銀閣寺を見て大文字の火送りを見物に行きます。京都に3年住んでて一回も五山の火送りを見たことがないのですね。最後ですし、是非気合を入れて見に行きたいと思います。ちなみにこの「まだ行っていない京都を回ろう計画」、私とともに回ってくれる人を随時募集中です。共に京都の素晴らしさを味わおうという気概のある人、一緒に京都を堪能しましょう。
2000年8月14日月曜日
最後の夏合宿
しかし合宿は楽しかったですね。参加する四回生が少なかったので安心して楽しめるかどうかと行く前は思ったものですが、それも杞憂に終わり、最後の夏合宿を堪能して帰ってきました。今回のイベント及び伝説を列挙してみると、まずは『麻雀牌争奪王者決定戦』。このせいもあり私は合宿6泊のうち3日間の夜を麻雀に費やしました。結果を準決勝敗退でしたが。しかしあれは最後の決勝戦は凄まじい熱戦だったようで。そしてBKC2回生の◯の宮から大量の譜面をコピーさせてもらいホクホク気分に。『ブエノスアイレスの四季』や、『ブエノスアイレスのマリア』、『天使の死、ミロンガ、復活』のピアソラ作品や『バ-デンジャズ組曲』、『燭光のサンバ』、『コンドルは飛んでいく』、ムダーラの『ファンタジア第10番』です。この中から結局『ブエノスアイレスの夏(ベニ-テス編)』を定演のソロで使う気配が濃厚になってきました。花火大会もなかなか楽しかったですし、BKCの炎の二回生をはじめとして色々な人間と色々な話もできました。最後のコンパでは私は早々に潰れた人間の介抱役に回ってしまったため正直もう少しまともに楽しみたかったというのはありますが、まぁそれも介抱が一段落付いたらロビーで数人の人間と『酔えなかった負け組』として(爆)ダークな語りを入れて楽しめたのでよしとしましょう。酒は結局三日目か四日目の夜に忌無と飲んでたのが一番楽しかったなぁ・・・。いい酒飲ませてくれてありがとうよ。
しかし今回で私が夏合宿に行くのもこれが最後というわけです。帰り道では夕暮れの山の美しい景色も手伝って、GSJKと二人でかなりノスタルジックモ-ドに入ってました。大渋滞に巻き込まれるまでは・・・。こうして楽しいクラギタの生活、ひいては学生生活のイベントが一つ一つ終わっていくのですね。少し寂しい気もします。このままでいられたらと最近とみによく思うようになりました。昨年の秋の充実していた時からずっとですが。しかしその去年の秋の段階でもし本当に時が止まっていたら今の一回生とも出会わなかったわけですし、BKCの二回生ともあんなに話すこともなかったかも知れません。そう考えるとやっぱり素晴らしかった時間に別れを告げるのは辛いけど、時の流れとともに前に進んでいかないとならないんだろうなと思います。とどまりたいのやまやまなのですが・・・。そんなことを最後に思ってみたりもした合宿でした。
2000年8月6日日曜日
合宿へ
2000年8月5日土曜日
マンゴレ来訪
2000年8月4日金曜日
前期総会とカラオケ
2000年8月2日水曜日
『威風堂々』編曲あれこれ
・原譜のパート数が多くて一目で音の構造を把握しきれない
・管楽器が多く入っているため、いちいちキーがFやらAやらの譜面の音を実際出ている実音に頭の中で変換しないといけない。ついでにアルト記号もある。去年ので慣れたけど
・パ-カス等が多く使用されており、基本的にギターだけでやるのはしんどいためアレンジの際色々と考えなければならないことが多い
・上記の理由に対処する際どの程度特殊技法を使っていいのか等の配慮が難しい
いうことが上げられます。オケの音のトランスだけじゃとてもギタ-合奏にならん。トレモロの嵐だ、ラスゲア-ドもドブレも使うぞ、もしかしたらピチカートも、爪でなく指の腹で和音をトレモロする特殊技法もやるかもしれないし、さらにギター叩くかもしれん。さて、どうなることやら?