2003年3月31日月曜日
2003年3月30日日曜日
お薦め:マイケル・ヘッジス
この一ヶ月程、私は社内にいて定時を過ぎた後は「音楽でも聴かなきゃやってられるか!」と心の中で叫びつつ、常にヘッドフォンでCDを聴きながら仕事をしていたわけですが、最近はちょっとクラシック畑を離れて(といっても元々純クラシック一筋というわけではありませんが)、バーデンパウエルとマイケル・ヘッジスにご執心でした。バーデンはちょっと疲れ気味の時なんかにヤツの天に召されているとしか思えない圧倒的なリズムセンスが非常に気持ちいいのです。『ジャンゴの歌』とかヤバイですね。
ヘッジスは、多分この雑記帳に訪れる人達の音楽層とは少し違った位置にいるギタリストです。彼はウィンダム・ヒルといういわゆる『ニューエイジ・アコースティック』と呼ばれるジャンルの音楽を専門に扱っているレーベルの大御所で、97年に不慮の死を遂げていますが恐ろしいくらいのテクニックを持ったギタリストです。ウィンダム・ヒルの音楽は以前PCKが「ヨークはニューエイジ・アコースティックの影響を受けているんじゃないか」と言っていたように、ヨークみたいなちょっと耳当たりのいいヒーリング系のものです。多分ヨークが好きな人はウィンダム・ヒルの音楽は非常に心にヒットするのではないでしょうか。・・・が、ウィンダム・ヒルのギタリスト達はどいつもこいつも恐ろしいくらいうまいです。はっきり言って化け物だらけです。ヨークと違い、誰も真似できないくらいの技術力を駆使してるのに、それをあっさりすっきりと苦もなく弾いてみせるからぱっと聴いてると凄い簡単な曲のように思える普通の癒し系音楽なのに、どう弾いてるのかを冷静に考えてみると背筋も凍ります。
マイケル・ヘッジスはその中でも特に際立ったテクニックを持ったウィンダム・ヒルの看板ギタリストで、切れ味鋭いハンマリング(クラシック風に言うならスラー)と正確かつ超高速なハーモニクスが印象的です。藤井敬吾先生もヘッジスのことを賞賛していました。山下和仁が大きく体を揺らすのに演奏が全然乱れないのは、どんなに体が動いても体とギターを位置関係が絶対にずれないからだという話の流れでのことです。
先生:「マイケル・ヘッジスって知ってる?」
ayum:「『AERIAL BOUNDARIES』は持ってますけど・・・」
先生:「そう、僕は全部持ってるけどね」
ayum:「・・・!!!!!」
などというやりとりの後、「ヘッジスはあんな難しい曲をピョンピョン飛び跳ねながら平気で演奏するからね」と言っていました。只でさえ今の私が聴いてもこれをギター一本でやってるとはとても信じたくないような曲達を、です。『サンバースト』みたいな高速で明るく爽やかなフレーズを、最初は実音で弾いたかと思えば次は突然全部ハーモニクスで弾いてみたり、コードをかき鳴らしているだけのように聴こえるのに何故か至る所からスラーで駆け巡ってる音が聴こえてきたり・・・、とにかく超高度な基本技術の組み合わせと、ギターという楽器の既成概念ごと破壊する超絶な特殊技法の嵐。『ムーンタン』も『リブラ・ソナチネ』も『羽衣伝説』も、ヘッジスに比べれば可愛いものです・・・。しかもそれを音楽の中にさらっと無理なく自然に取り込んでしまうもんだから、ギターを知らない人が聴いたらきっと綺麗で爽やかでお洒落な癒し系、って感じに聴こえてしまうのが凄まじい。まぁ、私が聴くと「いや待て、冷静に考えろ!今のどうやって弾いたんだ!?」ってなのばっかりで、全然、まったく癒されやしませんが(笑)。・・・マイケル・ヘッジス、熱いです。
2003年3月24日月曜日
2003年3月23日日曜日
The War
2003年3月19日水曜日
みちのくを夢見て
まぁとにかく、近頃日々テクノストレス及び普通に過労のストレスに曝される私は、その広告を見て「たまった代休使って秋田に旅するのもいいかもなー・・・」とか思ってしまいましたとさ。・・・マジで行って来ようかなぁ?
2003年3月17日月曜日
お祭り予報
2003年3月15日土曜日
体力を使い果たす朝
「×××のサーバが落ちたらしい!」
一気に目が覚めました。「マジかよ、朝っぱらからハードやな」などと思いつつ、自宅から作業をする環境がない私は他の人が(どうやら通勤途中の駅からノートPCで)作業する進捗を聞きつつ、トラブったのはインターネットサイトでしたので家からその復旧状況を確認していました。まぁ、それ自体は後で聞いた話では停電らしく、サーバが起動さえしてしまえばそれで滞りなく事は済んだのですが、問題はここからでした。正常稼動を確認し、一安心した私は、何を思ったのかおもむろに二度寝を始めてしまったのです(爆)。その時点で8時過ぎ、私はフレックスですが、コアタイムは10:00-16:00です。ハッと気付いた時、時計の針は9:10を指していました。「何やってるんだよ、俺は!?」と心の中で叫ぶも時は無情に流れていきます。会社に間に合うには9:26の急行がリミット、家から駅まで歩けば10分です。しかもそんな時に限って、もう目も当てられないくらい私の頭は爆発しているのです(苦笑)。「そういや昨日は髪乾かさないで寝ちまったな、クソ」などと今更悔やんでも仕方なく、シャワーで一気に髪を流してドライヤーをかけ、微妙に生乾きくらいの段階で「もういい!」と見切りをつけてスーツに着替えて家を飛び出しました。
この時点で9:20。普通に歩いてたんじゃ急行には間に合いません。走りました。日吉の急なアップダウンが繰り返される心臓破りの道をただひたすら。運動不足が身に染みます。駅前に付く頃には、もう足はつま先が踏ん張りきれずにバタバタの状態でした(苦笑)。そしてどうにか急行が入ってくるのとほぼ同時にホームに降りた私は、なんとか遅刻はせずに済んだとのことです。・・・が、朝から体力を使い切ってしまい、午後に客先にいく時も足が回復しきれてなく吊革にかなり頼ってみたり、そもそも体力が尽きてるので一日集中力もイマイチだったり散々でしたとさ。皆さんも朝から体力は使い果たさないよう気をつけましょう・・・。
2003年3月14日金曜日
2003年3月12日水曜日
卒業する大学生へ
しかし大学出るとそれまでと人生変わりますよ、やっぱり。そりゃもう色々な意味でですね。こればっかりは出てみないことにはわからないと思いますが(私もそうでしたし)、ともあれ今ある自分を信じて頑張ってください。そして時には手を抜いてください(笑)。何事も過ぎたるは尚及ばざるがごとしです。体壊すだけならまだしも、精神も壊した上に人生まで破壊した日にゃあどうしようもありませんからね。・・・ちなみに、最近の私は体より先に精神が壊れてしまいそうな勢いです(苦笑)。うわー、こんな状態で「何事も過ぎたるは尚及ばざるがごとし」とかほざいてみても説得力ねーなー・・・。
今日の一言:「ちっ、孤立無援かよ・・・」
2003年3月10日月曜日
CDコピーにケリを入れろ
これは明らかに価値概念の崩壊です。音楽という仕事に対する敬意の欠除です。本当にその音楽が好きならMP3やらCD-Rやらで済ませるんじゃなくてちゃんと買え!と俺は言いたいわけですね。そのCD一枚出すためにどれだけの才能とクンフーが費やされていることか。彼らの才能やクンフーは3,000円にも満たないとCD-Rでコピーするだけの連中は言うのでしょうか? 価値観が壊れています。
まぁ、もう絶版になった音源やらその他の理由で入手困難なものを知り合いからコピーしてもらったり、誰かに聴かせたいからCD-Rに焼いてあげたり、あるいは勉強用に先生からもらったりすることまで否定するつもりはありませんが、そこらで売ってるものを誰かから借りてCD-Rに焼いて、その上で「ああ、俺そのアーティスト凄い好きなんだよ、いいよね、あれ」とかほざいてるバカ! ・・・殺したいですねぇ(怨)。キサマの敬意はそんなに安いのか!? なら俺がキサマの仕事をCD-R一枚分の値段で買い叩いても文句は言わないんだろうな!? ・・・などと軽く小一時間問い詰めてやりたくなります。
・・・と、何やら私怨が混じってまいりましたが上記のごとく価値概念の崩壊がここ数年一気に進んできて、その崩壊した価値観を追い掛けるように価格が崩壊してデフレが進んで行っている、とそう思うわけです。そもそも価格というのはイコール価値なわけですからね。
・・・だからホントに好きなCDなら買えゆーねんなぁ・・・。
2003年3月9日日曜日
急ぎ廻れ、砕けても
果敢無く散るが故にも
今を待たずに
まわれHurry merry-go-round
生き溺れても
また 春に会いましょう
急ぎ廻れ、砕けても。そう、春に会いましょう、・・・って、そろそろ春なんだけどねー(笑)。まぁ、四月の半ばまでには今の状況にケリをつけて、たまった代休でロングバケーションを、と夢見ています。
2003年3月6日木曜日
2003年3月5日水曜日
言葉のこだわりどころ
例えば、同じ句読点で短くセンテンスを切っていく場合でも、それはゆっくり落ち着いて読ませたいからそうすることもあれば、逆にテンポを上げてアッチェランド気味に緊張感を出したいからそうすることもあります。使う手法は同じでも、そのコンテクストによって意図や効果は違う。この例では『都会の夜に』では前者だし、『理想郷』では後者です。そのようにして、とにかく常に、音楽を奏でるような気持ちでリズムを創っていくのです。
話はそれますが、文章に限らず何をするにも、ものを創ったりする際にはある程度よいものを作るための「原則」のようなものがあります。文章にもありますし、もちろん音楽にも、プログラムにもあります。それらに共通して言えることは、まずその「原則」や「基本」をしっかりと理解し、実践しなければならないということ。まずはこれが最低限のレベルです。そして次に、「その原則や基本を破る場合はいつか」というのをしっかり意識できること。これが非常に重要になってきます。何事も、杓子定規な原則だけでは「最低限のレベル」から次へは進めないのです。この辺りになると汎用的な「規則」から外れる分、人によっての哲学的な面が出てきます。私が文章を書く場合でしたら「その原則や基本を破る場合はいつか」という問いに対する一つの答えは「文章のリズムを守る時」ですし、多分他の人なら違うことを言うでしょう。そして、「規則や原則を破る」タイミングを知るためには、哲学的な規則とは別にまたもう一つ大事な能力が必要になります。それが『メタ認知能力』です。
以前にも日記に書いた気がしますが、ある認知科学の実験で、何かを行うことに長けている人は、その作業に対するメタ認知能力が平均的な人と比べて発達しているという報告がされています。メタ認知能力とは、平たく言えば「自分がいまその作業の中で何をやっているのか」を理解する能力です。低レベルな例で言えば、文章を書く際自分は今起承転結の起の部分を書いているのか承の部分を書いているのかというのを理解する能力ということです。もちろんその作業に長ければ長ける程、そのメタ認知能力はミクロレベルでもマクロレベルでも素早く正確に働いていくことになります。それは本人が明確に意識していてもいなくても、です(専門用語で言えば認知的意識の中にメタ認知があっても認知的無意識の中であっても)。私の場合は今書いているところはセンテンスの中でどういう流れにあるのか、あるいはそのセンテンスは全体の中でどのようなリズムの位置付けにあるのか、ということですね。『ブエノスアイレスの夏』のテーマを弾いてるのか、中間部のゆるやかで即興的な休止部を弾いているのかでは、例え音階が同じだとしても当然テンポやそのダイナミクスの持って行き方も変わってきます。このメタ認知能力が欠けていると、「原則を破る」タイミングを間違って、たった一度の例外で全体を壊してしまいかねないのです。何しろ「原則を破る」ということは、基本的には「よいものを作るためのセオリー」に反することなのですから。
なんとなく文章にまとまりがなくなってきて、「そろそろ寝たいのにどうまとめよう」と泣きかけなわけですが(苦笑)、要は私が文章を書く、あるいはそれに限らず「創作」というものを行う時の哲学を少し語ってみたくなったわけなのです。というわけで、語るだけ語って私は逃げることにします(爆)。ではおやすみなさい。
2003年3月4日火曜日
2003年3月2日日曜日
休みなし
今日の一言:『天が私を滅ぼすのだ、誰がそれを止めることができようか』