2002年8月31日土曜日

夏が行く

 さてさて、今週は仕事が急に忙しくなり(といっても夏休み明けから忙しくなるのは目に見えてはいたのですが)、日記の更新もしばらく滞ってしまいました。申し訳ないことです。

 気付いてみたら今日で八月も終わり、今年も夏が行ってしまいます。といっても私は大学時代から合宿以外であまり夏らしい夏の過ごし方をしていた記憶はないのですが(苦笑)。大学四年間は何故か海にも行かなければ花火も見に行きませんでしたしねぇ・・・。それを思えば今年は海にも行ったし、花火も見たし、その意味では高校以来の夏らしい夏だったような気がします。夏休みには新潟で思ったよりハードなペースでの飲み会を繰り返し、京都にも行き、静岡にも行き、おかげであまり思い残すところはなさそうです。少なくとも表向きは。だがしかし、その様々なところをさまよいまくった余波で、当然のことながら現在やや財政難気味です。まぁ、そらそうだわなぁ・・・。

2002年8月26日月曜日

オスカー・ギリア夢の供宴

 昨日のことになりますが、私はオスカー・ギリアのコンサートのために静岡まで出かけていました。『夢の供宴』と題されたこのコンサートは、オスカー・ギリアだけでなく福田進一、鈴木大介、村治佳織、大萩康司、村治奏一が共演し、なおかつエレナ・パパンドレオと加藤政幸までもがゲスト出演という、実にありえない面々でのコンサートなのです。これだけ面子が一気に観れるなんて機会、そうそうあるものではありません。ってゆーかむしろないでしょう。演奏会が始まる前から、期待は否応無しに高まっていました。

 三時間半近くにも及ぶコンサートは、オスカー・ギリアのコンサートというよりは出演者が順番にデュオ・トリオ、あるいはそれ以上でコンビを組んでいくパーティー形式のような内容で、オスカー・ギリアは実は二部の最後に三曲デュオを弾いただけで後は客席で高見の見物と洒落込んでいました。しかも私達の席からすぐ右に3mくらいの客席で(爆)。一部が始まる前からそこに座っていたギリアをオムが見つけ、「あれってオスカー・ギリア?」と聞いてきたのですが、似てるけどまさかそんなはずもなかろうと思っていたのですが。なんと見事にその彼がオスカー・ギリア本人でした(爆)。それはそれでなかなかシュールな話です。

 デュオ以上人数の演奏がほとんどのこのコンサート、おそらくはほとんどがまともに合わせてもいないぶっつけ的なノリだったのでしょう、さすがに息がピタリと合っているという演奏はありませんでしたが、それらの共演の中で各々がしっかりと自分の個性を見せてくれているのは非常に観ていて面白かったです。とりあえずやはりというかなんというか、一番最初に驚かされたのは大萩康司。彼が最初ソロで出てきて『そのあくる日』を弾いた時、その最初の一音の響き方に物凄い衝撃を受けました。これだけの面子が揃っているにも関わらず、彼の音は他の誰よりもクリアに明瞭に、大きな音で響き渡っていたのです。ありえねぇ・・・!!! 一番色気のある音を出していたのはやはり福田進一ですが、大萩康司はそれとも違った透明感のある彼独特の音色が美しく、それが非常に印象的でした。そして一番の功労賞は鈴木大介。村治佳織と組んだデュオ、ロドリーゴの『トナディーリャ』でも、最後に福田進一、鈴木大介、村治佳織、大萩康司、加藤政幸の五人でやったファリャの『はかなき人生』でも、彼は周りが走ろうとするのを必死で抑えてテンポをキープしてくれていました。さすが最近ジャズセッションにはまっているというだけあって、人と合わせる術をよく心得ています。最初出てきた時は写真とのあまりのギャップに「オマエ誰だ!?」と思い、ソロで『イパネマの娘』を弾いたのを聴いてそれまでの「美音がウリの純クラシックギタリスト」というイメージとのあまりのギャップにまたも「オマエ誰だ!?」と思うというある意味一番衝撃的な鈴木大介でしたが、なかなかいい味出してました。ゲストのエレナ・パパンドレオの『タンゴ・アン・スカイ』は見事という他ない圧倒的な迫力で、さすがの実力を見せてくれました。彼女のために作られた『ポルカ・パバンドレオ』を弾いて、短い曲であっという間に唐突に終わり、あっけに取られた観客を見てにやっと笑っていたのも実に印象的でした(笑)。そして注目のオスカー・ギリア。今回は重奏のみ三曲の出演でしたが(客席でずっと具合悪そうに咳込んでグッタリしてたし、体調がよろしくなかったのでしょう)、セゴビア直系の正統派かつ示唆に富んだ音楽表現は色々と参考になるところがありました。ギリアのpは凄く柔らかくて太い音がするのです。セゴビアのそれともまた多少毛色は違いますが、ちょっと似た感じの丸い音でした。できればソロも聴きたかったですねー。第三部はボッケリーニの『ファンダンゴ』やヨークの『スピン』、ファリャの『はかなき人生』とクラギタの面々にも馴染みの深い曲達をこのいかつい面子が次々と演奏し、実力の違いを見せつけられるとともに曲の違った側面を垣間見ることもできた興味深いステージでした。まぁ、やはり即席は即席らしく、やはり息は完全にはあっていなかったのですが(苦笑)。まぁ、いたしかたないことでしょう。

 総じて豪華かつ色々なギタリストの色々な側面が見られる素晴らしいコンサートだったと思います。これで5,000円はお買得でしょう。いい勉強をさせてもらいました。おかげで私のギター熱にも火が着いてしまいました。さ~て、何弾こうかな?とりあえずは『魔笛』を完成させろとの声も聞こえてきそうですが・・・。

2002年8月24日土曜日

巨大グモ

 また巨大グモをみかけました。前回部屋に出没したのよりは一回り小さいですが、それでも通常のクモの範囲を逸脱した異常なデカさです。今回見かけたのはマンションの廊下で、部屋の中ではなかったので闘う必要性なしと判断、そのまま放置しておきましたが、あの巨大グモは一体何なんでしょう?そういう種類のクモなのでしょうか?それとも自然破壊が進んで遺伝子に何らかの異変が起きた突然変異なのでしょうか?もしそうだとしたら、あれはあれである意味かなりバイオハザードです。

2002年8月20日火曜日

ボードレール『悪の華』より

 われらが心を占めるのは、われらが肉を苛むは、
 暗愚と、過誤と、罪と吝嗇、
 乞食が虱を飼うように
 だからわれらは飼いならす、忘れがたなき悔恨を

ボードレール『悪の華』より

2002年8月19日月曜日

朝一番の集中豪雨

 今朝方横浜を襲った凄まじい集中豪雨は、疲れて眠る私の目をも見事に覚ましてくれました。天からシャワーという表現でも生温い、文字通り鉄砲のような雨音とその衝撃は夏休み明けに只でさえ憂鬱な私の出社への意志をくじくことこの上なく、本気で適当に理由つけて会社休んだろうかとも思いましたが、ギリギリまで待ってみてもいっこうに弱まらない雨脚にいよいよ諦めの境地を半ば無理矢理切り開かれ、仕方がないなと家を出ました。ところで、私は今、折りたたみ以外の傘を持っていません。そして、折りたたみ傘というのは往々にしてサイズが通常のものより一回り小さかったりするものです。その小ささに一抹の不安を覚えつつ、叩き付ける集中豪雨の中に私は足を踏み出したわけです。いや~、参りましたね。靴が濡れるのはもう始めから覚悟していましたが、膝下どころか腰の下までビショビショにやられました。そして右肘の辺りももうシャツまでしっかりやられました。そして朝礼で立っている間、冷房の風がほぼ下半身すべてが濡れている私の体温を、かなり着実に奪っていってくれましたとさ。ひでぇ話だ・・・。

2002年8月18日日曜日

夏の大型連休

 さてさて、見事に一週間以上ネット上から姿を消しておりましたが皆さん如何お過ごしでしたでしょうか?・・・といってもそのネット上からの失踪期間中に、このHPの常連さんの大半とはリアルな世界で顔を会わせてきたので如何がも何もあったもんじゃない気もしますが(笑)。とりあえず、私はこの一週間ムリヤリ有給を入れて勝ち得た9連休を利用して実家に帰り、京都に行ってきたわけです。そして、いつもなら実家からでもHPの更新はしているはずが、何故か昔から使用しているダイヤルアップのプロバイダに接続できず、ネットができなかったので更新も何もできなかったというわけです。いや~、申し訳ない。

 とりあえず恐らくもうしばらくはないであろう大型連休は、11日から新潟6泊、京都1泊という形でまるまる一週間東京・横浜から逃亡する形で過ごしていました。そして夜は中学時代、高校時代、大学時代とそれぞれの仲間達と適当に飲んだり歌ったりし、昼は眠ったりギター弾いたり自転車こいだりと、のんびりした、のんびりした(?)、・・・あまりのんびりもしていない日々を過ごしていましたとさ。今回は横浜から東京経由で新潟、新潟から京都、果ては兵庫の須磨の海岸まで繰り出して横浜に帰ってくるという本州を三角形に切り裂くような大移動の休暇でした。交通費がかさむゆーねんなぁ・・・。そして私は自分が如何に都会が嫌いかを悟ったとのことです。やはり最後は新潟か京都だな・・・。しかしですね、今回の連休の最大の失敗は、そもそも元のコンセプトが「休息と安息」であったにも関わらず、気付いてみたら過密スケジュールの中、休息も安息もあったもんじゃない日々になってしまっていたことですね。かえって疲れた・・・。今日はゆっくり眠ることにします。

2002年8月10日土曜日

来客

 今日はウチにあいの~が泊まりに来ています。彼は明日コンクールです。さぁ皆さん、応援してあげましょう。

2002年8月7日水曜日

巨大グモ出現!

 ・・・巨大クモが出没しました。今日、私が部屋に帰り、いつものようにコンビニ弁当を食べ終わった頃でした。マガジンを読みながら弁当を食べていた私がふと目を上げると、窓の辺りをカサカサと這っていくものがいます。最初、私は茶色い細い紙切れか何かが冷房の風で動いているのかなと思いました。が、よく見てみるとそれにはたくさんの脚があって、明らかに意志を持って動いているように思えます。私の思考は巡りました。

「いや待て、冷静に考えろ。確かにあれは俺の目にはクモとして認知されないことはない。だがしかし、・・・あのデカさは何だ!?」

 そう、そこにいたのは、まさに私の掌くらいはあろうかという実に巨大なクモだったのです。それが部屋の中を這っているのです。さすがに放置しておくのにも身の危険を感じた私は、手に取れる武器を持って臨戦体勢に入りました。物理兵器(丸めた雑誌)も化学兵器(ゴキジェット)もフル活用です。凄まじい闘いでした。またヤツが部屋の中の洗濯物が干してある一帯に逃げ込み、ハンガーを伝って私のシャツの上などを逃げ回るものだからうかつに叩き潰すわけにも化学兵器を乱射するわけにもいかず、かといって明日シャツを着た時あの巨大なクモが背中に入っていたらなどと思うといよいよもって放置するわけにもいかず、お互い牽制しあいながらの長期戦となりました。どうにか私が勝利を手にし、クモの亡骸を外に廃棄する頃にはいつかのように空気清浄器はフル稼動し、私の部屋の中のものはとにかく色々と場所が変わってしまっていたとのことです。ああ、やれやれ・・・。

 そしてその後空気の汚れた部屋にいるのにも嫌悪感を感じた私は空気の浄化は空気清浄器にまかせ、換気用に網戸にして外に散歩に出かけることにしたのですが、その帰りになんとウチの玄関の前で、今度はカブトムシがひっくり返ってジタバタしていました。結構大きい立派なカブトムシです。私はとりあえずそのカブトムシをつかまえ、数分間そいつで遊んだ後、手近な木につかまらせて逃がしてあげましたとさ。・・・しかし巨大クモといいカブトムシといい、なんでウチの周りはよくも悪くもこんなに自然が豊富なのでしょう?一昨日くらいにはタヌキも見ました・・・。

2002年8月5日月曜日

海ボケ

 海の最後の危険性は、帰ってきて社会復帰をしようとした時に訪れます。・・・そう、来週は会社が夏休みという事実もあり、頭がすっかり休み気分になってしまい仕事に戻れないのです。そしてそんなぼやけた脳の私が会社に着くなり、「◯◯のシステムが止まってるぞ!」と突然のレッドホットコールがかかったりするわけで、しかもそれが金曜日、つまり私が海に行く直前に降った夕立で、落ちた雷のおかげでハードがダウンしていたのが原因だったりするわけで・・・。まったくもってやれやれです。

2002年8月4日日曜日

漢海水浴

 会社の仲間と10人で漢海水浴(おとこかいすいよく)に行ってきました。金曜日の夜、会社が終わってから集合し、そのまま埼玉の大洗へ。深夜0時くらいに現地のキャンプ場に着き、そのまま出来合いのテントに眠るという恐ろしくザックリベースな小旅行です。集合に一時間遅れてくるヤツがいたり、そもそも目的地までの道のりがわからなかったり、計画性という言葉とは程遠い旅行でしたがまぁまぁそれもアリ。どうにか行って帰ってくることはできたのでよしとしましょう。しかも私は出発の際、集合場所を発ってから早30分くらいでPHSの電池が切れ、旅行中誰とも連絡が取れなくなるという究極のザックリさ。たまりません。

 一泊した次の日は、朝起きるなり買い物に行き、海に着くなりバーベキューをすることから始まり、海でおよぐ、野球をやる、ビールを飲み続ける、逆立ちをやる、目の保養の旅に出る、と各自が銘々の海を堪能していたようです。ちなみに私は逆立ちやってました(爆)。そして夕方銭湯に寄ってから帰路につき、今日は一日日焼けと筋肉痛のおかげで全身に走る痛みと闘いながらのんびり休んでおりました。そういやぁ海水浴なんて高校以来行ってませんでしたねぇ・・・。・・・ん?もしかしたら中学以来・・・?