2010年1月29日金曜日

Testament

 退職記念として、何かCDを買おうと随分前から決めていた。その"何か"は決めていなかったのだが、退職記念としてCDを購入し、東京で仕事をしていた自分の一つのメモリアルにするのも悪くないなと思ったのだ。というわけで昨日、渋谷に出る用事があったのでタワレコで5Fと6Fを回りながらそのメモリアルとする"何か"を探してみた。

 色々と、候補というか欲しいCDは出てきたのだが、その中からメモリアルCDとしてKEITH JARRETTの『Testament』を選択した。 理由は色々あるが、率直に言うと「ピンときた」というのが正直なところだ。クラシックを最初考えていたのだが、東京・横浜での生活のメモリアルとしては何か違う気がした。以前にも書いたが、やはり都会の夜にはジャズなのだ。

 東京や横浜は明るい。それは純粋に光の多さという意味で、新潟と比べるととにかく明るい。窓やネオンの人工的な灯も、太陽の日差しも、新潟よりはずっと多く、強く、見た目には華やかだ。メモリアルとして、その明るさに思いを馳せるには、Keith Jarrettのソロはいいように思えた。

 何にせよ、メモリアルとは精神的なものだ。その精神的なものに物質的な依代を与えようという試みだ。そしてその媒体が音楽であるならば、意識が外を指向するオーケストラやその他アンサンブルよりも、内へと向かうソロがよい(もっともこの点Keithは音楽は観客との相互作用だと述べているので言葉の表面を捉えるなら至極外向的にも思える)。

 今この『Testament』の1枚目を聴いてみている。PARISのPART2の重苦しいグルーヴ感、PART3の白く透明な光が波打つような美しいフレージング、実に、素晴らしい。やはり、このCDでよかったと、現時点では思っている。

 "Testament"。意味は多義性がある。証明、契約、信条の表明、遺言、試練、聖書。この『Testament』は私にとっての何になるのか。東京・横浜での生活の"証明"か、あるいはその場所での"遺言"か、はたまた新潟に戻るという"契約"か、あるいは東京・横浜での"信条の表明"、ないしは新潟に戻るに際しての"信条の表明"か。それとも、これまでまたはこれからの"試練"の象徴か。

 たまには、一つのCDに意図的に意味を与えてみるのも面白い。東京・横浜での生活へのメモリアルとして選んだこの『Testament』。新潟に戻ってからも、折に触れて聴き返していきたいと思う。果たしてその時の、私の心境はどのようなものになっているのだろうか。
 ・・・もしかして、ただ単にこの『Testament』の音楽を聴きたいだけだったりするかもしれない。

2010年1月21日木曜日

最後の出勤日

先に書いた通り、今働いている会社を辞め、新潟に帰ることになりました。となると当然今の会社での「最後の出勤日」が来るわけで、先日、20日がその最後の出勤日でした。今の会社も3月まで勤めていれば新卒から丸9年、正確には8年と10ヶ月在籍したわけで、最後だと思うとやはり寂しい思いもあります。

 改めて思い返してみると常に先陣で戦ってきた約9年間だったように思います。入社直後に新製品の開発に携わり、その製品は必ずしも芽が出たとは言えない結果となってしまいましたが、その中で技術的にも精神的にも多くのものを学びました。現在の主力となっている製品の開発が始まる際も、その最初のアイディアを営業の上司が見つけた時に居合わせ、それが実際に技術的に使えるかどうかを検証し、プロトタイプを組むことを行ったのも私でした。合わせて社内で利用する開発フレームワークを整理し、数々の受託の中でお客様にも恵まれ、トラブルが多かった時期も正直ありましたが、それでもお客様とのやり取りや開発メンバーとの仕事の中で、いい面でも悪い面でも実に様々な経験を積ませてもらいました。約9年、一時期かなり自信をなくして意気消沈していた時期もあったとはいえ、自分の仕事にプライドを持って取り組める、少なくとも私にとってはよい環境であったように思います。

 最後の日は、やはり何となく落ち着かないものです。丁度私が作った最後のプログラムの納品日でもあり、プログラムを持って納品に出かける同期のSEを見送り、後輩の質問に答え、ふと、もうやることってそんなにないなぁ、と思ってしまうのです。これまでやることが本当にないことなんて一度もなかった私がです。そりゃ最終出勤日まで色々と血眼でやらなきゃいけないことがあるなんて引き継ぎができてない証拠ですし、何かがトラブっていることになるわけですから、最終出勤日にやることがないのは当然と言えば当然です。それでも、それは私にとってはやはり寂しいことでした。そうか、自分がこの会社でやることはもう何もないんだな、と思ってしまうのです。たまたまこの日は自社製品の次バージョンについての社内向け勉強会があったのでそれに参加し、一番最初、自分が開発に携わった現行の製品が現在辿り着いた場所を確認して、私の最終出勤日は終わりました。

 私のために、非常に盛大な送別会を開いていただきました。フロア一つを貸切にした会場で、これまで一緒に飲む機会も少なかった営業の面々にも囲まれて、私と関わりの深かった人達のスピーチを聞き、やっと少しずつ、ああ本当に今日が最後なんだなと感じてきました。私が入社した時の直属の先輩が、スピーチで涙を流すのを見て、私まで涙が出てきました。普段泣くようなイメージがまったくない、逆境でも折れない心の象徴のような人だったので尚更です。

 ATLED、ソフトクリエイトの皆さん、約9年間、本当にありがとうございました。私はここを去りまったく異なる業界に行ってしまうので、残念ながら今のSEとしてのスキルが直接的に次の仕事で役立つわけではありませんが、ここで培った社会人としての心構えやお客様との対応、そして何よりも苦境で折れない強い心を胸に、今後も頑張っていきます。最後のスピーチでも話しましたが、私は自分で選んで決めたことに後悔はしたくありません。新潟に行ってしばらく経った時、「やっはり東京にいればよかった」とか思うようなことにはしたくありません。新潟に戻ると決めたのは自分なのですから、私はその自分の決定を後悔しないよう、新潟での人生が素晴らしいものとなるよう一生懸命頑張ります。だから皆さんも、皆さんの今後の人生を一生懸命頑張ってください。そしていつかどこかで会うことがあれば、かつて同じ戦場で戦った戦友として、ゆっくりと酒でも酌み交わせればいいなぁと考えています。

 重ね重ねになりますが、会社の皆さんにはこれまで本当にお世話になりました。また、最後は盛大な会を設けていただきありがとうございました。今後もお互い、体には気をつけて頑張っていきましょう。

2010年1月11日月曜日

ラーメン激戦区 日吉

 随分前から日吉のラーメン屋についてはずっと書こうと思っていた。思っていたが、「あのラーメンをもう一度食べてから書こう」とか「あの新しいラーメン屋を食べてみてから書こう」とか考えていたらずっと書けずじまいだった。もうこの日吉にいるのも後一月もなくなってしまったので、意を決して重い腰を上げて書くことにする。

 日吉という場所は広さの割りにラーメン屋が多く、そしてそのレベルが高い。ラーメン好きな友人が遊びに来た時なんかは何件か連れて回るが、やはりそのレベルの高さに皆驚くし、日吉を知る人でもやはりここのラーメン屋は美味しい店が多いと感じている人が多いようだ。

 日吉のラーメンと言えばやはりまずは「らすた」。鶏がらと豚骨をベースとした非常に濃厚でなスープに、染谷製麺の黄色い極太平打麺がトレードマークの日吉の老舗。大雑把に言って瀬油系豚骨醤油と言えなくもないし、実際その系譜の横浜家系の流れに数えられることもあるようだが、らすたは横浜家系とはちょっと違った独自の味わいを持っていると思う。第一に家系はスープに豚骨の臭みを敢えて残し、野趣溢れるワイルドな味わいを出してくるが、らすたのスープは臭みはほとんど残さず、乾物等のダシが効いた旨みの奥行きがあるものになっている。それに加えて、もはや麺そのものがご飯のおかずになるくらい極太で味のあるあの麺は、他のラーメン屋にはない唯一無二のものがある。最近は数年前にできた横浜家系ラーメンの武蔵家に押されて一時期ほどの人気はないようだが、やはり個人的には日吉のラーメンと言えばまずらすただ。後半戦にはニンニクと豆板醤を入れて空気を変えて、最後まで美味しくいただける。

 というわけで最近らすたと人気が逆転し、いつも行列ができているのが横浜家系「武蔵家」。味は正統派の横浜家系豚骨醤油。博多の白湯スープと違い、豚骨の臭みを残したこってりとパンチのあるスープ。これは個人の好みの話になるが、家系の豚骨のインパクトと背脂の旨みに極端に重きを置いたスープは実はそれほど得意じゃない。半分までは、実に美味しくいただけるのだが。この武蔵家は良くも悪くも正統派の家系で、家系の中でもこってり加減や味わいは丁度中程度。パンチの効いた豚骨醤油が食べたいときはよい。今みたいに常に並ぶようになってからは行ってないけど、空いてた頃より美味しくなったんだろうか?変わってなければ、家系としてはスープにコクが足りない印象もあったのだが。

 ちなみに日吉には武蔵家の他に家系ラーメンがもう一件ある。批判はあまりしたくないので、あまり書かないが、そちらはあまり美味しくない。

 さらに日吉で忘れてはならないのが「日吉家」。家がついてるから家系かと思いきや味も資本も全然違う。ここは豚骨全盛、こってり万歳の昨今のラーメンの風潮に真っ向から背を向けて、化学調味料を一切使わずに丁寧に鶏がらベースで仕上げたスープを使って実に美味しい醤油ラーメンを食べさせてくれる店。最近は本当に美味しい醤油ラーメンを食べさせてくれる店が少なくなったが、ここの醤油ラーメンはあっさりしていながらダシの旨みがしっかりと備わっており、それが細いちぢれ麺に絡んで実に落ち着いた味わいを提供してくれる。個人的には日吉でもお気に入りの店の一つ。アットホームな店の雰囲気もよい。ただし閉店時間がちと早いので、会社帰りや飲み帰りにはもう閉まってしまっている。休日のランチにお薦め。また、再度メニューであるラーメンのスープを使って作ったカレー丼も絶品。

 そしてもう一つ忘れてはならないのが「ハマトラ」。竹炭を麺に練りこんだという黒っぽい麺は、見た目的にもインパクト抜群。鶏塩そばやモロヘイヤを刻んだスタミナラーメン等、ここも豚骨・こってりの風潮とは一線を画した独自路線で美味しいラーメンを食べさせてくれる。ビールを頼むと突き出しにネギとチャーシューを和えたおつまみが出てくるが、これがまた美味しいのでここで食べるときはいつもビールを頼んでしまう。少々奥まったところに店があるが、隠れた個性的な名店。

 ちょっと前にできた「Ryu-ya」。開店当初は並んでいたのがあっという間に空くようになった(苦笑)。鶏がらと魚介をベースにバターを浮かせたスープは味があって実に美味しく、なかなかいいと思うのだが、多分ここが空いている理由はチャーシュー。チャーシューに変な臭いがする。せっかくラーメンは美味しいのに、あのチャーシューを口にするとしばらく嫌な臭いが口に残ってラーメンが美味しくなくなる。大学生が多いこの日吉ではチャーシューを楽しみにラーメンを食べる人も多いだろう。せっかくラーメンは他に負けないくらい美味しいのに、あのチャーシューがすべてをダメにしている。ちなみに私はここではチャーシューは残す。食べない。だって食べるとラーメンが美味しくなくなるから。ラーメンは美味しい。野菜大盛りラーメンがお薦め。

 今はもう無くなったが、以前は日吉にも「よってこ屋」があった。チェーン系のラーメンだが、このラーメンもなかなか美味しくてよく通っていた。塩とんこつとか大好きだったし、餃子も美味しかった。両親もここがお気に入りで、日吉に来ると好んで食べていたものだ。だからよってこ屋がなくなったと知らせるとウチの両親は「あんなに美味しい店が?」と驚いていたものだ。チェーン店だから例えば綱島等に行けば今でも食べられるが、どうやら日吉店は接客面であまり評判がよくなかったらしい。ふむ。

 そして最後に日吉で絶対忘れていはいけないのが、厳密に言うとラーメンではないが、つけ麺「あびすけ」。とんこつと魚介のダシをこれでもかという程濃厚に抽出したスープはインパクト抜群。最近乱立する割にクオリティに疑問の多いつけ麺というジャンルの中で、圧倒的に強烈なインパクトと美味しさを持っている。渋谷の会社の近くにいつも行列ができているつけ麺有名店があるが、そこですらこのあびすけと比べるとスープのクオリティが低くて稚拙に感じる。飲んだ帰りにここでつけ麺を食べ、最後にスープ割で余韻を楽しむという至福が、日吉から引っ越すと味わえなくなるというのは残念でならない。とにかく日吉にくるなら食べてみることをお薦めする。通常のつけ麺の他、カレーつけ麺も美味しい。

 ・・・と、ここまで長くなるくらい日吉にはラーメン店が多いし、またそのクオリティが高い。正直ここで出した店はどれでも、他の地域であれば目立った有名店になれるはずだ。日吉から去ることで惜しいことの最も大きな一つは、これらのラーメンがもう(そう簡単には)食べられなくなるということだ。とりあえず、引っ越す前にお気に入りのラーメン達をせめてもう一回くらいずつ、食べて回るとしよう。

2010年1月1日金曜日

2010年 元旦

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 今年の年末・年始は大晦日から家族で岩室温泉へ泊まりに出かけ、そこで年を越しました。-40度の寒気が訪れる年末・年始で強く吹く冷たい風はそれは寒いものがありましたが、雪は思ったほどは降らなかったのでよかったです。寒風に吹かれながら入る露天風呂からは流される雲の隙間から満月(に見える月)が見え、それはまぁなかなか風情がありましたとさ。そして元旦夜は毎年恒例ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの中継をモルトを飲みながら家族で鑑賞し、元旦は終わっていきます。

 ところで、今年は既に自分を取り巻く環境が大きく変わることが決まっています。新卒以来長く勤めた会社を一月一杯で退職し、二月には地元新潟に引越すことにしました。三月には第二子も誕生します。仕事は実家の会社に入ることにしたので、今までやってきたアプリケーション開発と運用保守というものとは全然違ったものになります。そうした大きな変化の中、これまで以上に気を引き締めて覚悟を決めた上で新しい環境に適応していかないといけないなぁと考えています。

 引越しの理由についてはここではあまり多くを語りませんが、まずは退職まであと一ヶ月、現職をしっかりとこなし引継ぎを行うこと、二月に滞りなく引越しを終え、第二子を迎える準備を整えること、そして新しい仕事への準備と、やることも色々ありしばらくはなかなかドタバタしそうな感じです。

 ともあれ新潟に行ってもこの日記は(少なくともここ半年以上のペースでは)更新を続けていきますので、どうか皆さん今年もよろしくお願いいたします。